[175] 題名:信徒に述べた経済状況 前編
名前:サム
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2025/12/03(水) 23:56
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信徒に述べた経済状況 前編
日蓮正宗では、日蓮大聖人が、弘安2年10月12日に「楠板製の御本尊」を直造され、此れを「戒壇本尊」と称し「世界唯一の三大秘法惣在の御本尊」と宣揚されているのです。しかし、未だに此れを証明する証拠も提出する事ができていません。
今回は宗祖日蓮大聖人が、身延の山中で大変金銭的に御苦労されていた事を、在家信徒への御手紙で覗えますので、ご紹介します。(以前に違うタイトルで、述べたと思いますので、再掲になるかもしれません)
「去ぬる文永十一年六月十七日に、この山のなかに、きをうちきりて、かりそめにあんじちをつくりて候いしが、ようやく四年がほど、はしらくち、かきかべおち候えども、なおすことなくて、よるひをとぼさねども月のひかりにて聖教をよみまいらせ、われと御経をまきまいらせ候わねども風おのずからふきかえしまいらせ候いしが、今年は十二のはしら四方にこうべをなげ、四方のかべは一そにたおれぬ。うだいたもちがたければ、月はすめ雨はとどまれとはげみ候いつるほどに、人ぶなくしてがくしょうどもをせめ、食なくしてゆきをもちて命をたすけて候ところに、さきにうえのどのよりいも二駄、これ、一だはたまにもすぎ。」(庵室修復書 新1870頁・全1542頁)建治3年 楠板本尊建立2年前
現代語訳:去る文永十一年六月十七日に、この身延の山中に、木を伐って、かりそめの庵室を造りましたが、四年程度経つ間に、柱は朽ち、垣や壁は倒れ落ちたけれども、修復もしないので、夜は火を灯けなくても月の光で聖教が読めて、自分で御経を巻かなくとも風が自然と吹き返してくれました。ところが、 今年は十二の柱が四方に傾き、四方の壁は一度に倒れてしまいました。こうなっては、凡夫の身(「うだい:有待」は衣食に助け保たれる人身のこと)は保ち難いので、月は澄め、雨は止まれと祈りながら、人夫がいないので弟子達を督励して(修復していますが)、食物がなくなって雪をもって命を支えてきたところ、前には上野殿から芋を二駄、今また一駄をお送りいただき、珠よりもありがたく思っています。
※此の時代から大聖人は、経済的に御苦労されていたのですね。
「これは、それにはにるべくもなし。そのうえ、おとこにもすぎわかれ、たのむかたもなきあまの、するがの国西山と申すところより、甲斐国はきいの山の中におくられたり。人にすてられたるひじりの、寒にせめられて、いかに心ぐるしかるらんとおもいやらせ給いておくられたるか。父母におくれしよりこのかた、かかるねんごろのことにあいて候ことこそ候わね。せめての御心ざしに給うかとおぼえて、なみだもかきあえ候わぬぞ。」(窪尼御前御返事 新1980頁、西山殿御返事 全1476頁) 建治又は弘安期
現代語訳:これ(この度の御供養の有難さ)は、それ(土の餅を仏に供養して閻浮提の王となったとの仏説)とは比べものになりません。その上、夫にも別れて(頼る人もいない尼の身でありながら)、駿河の国の西山という場所から(日蓮の住む)甲斐の国の波木井の山中に送られたのです。世の人に捨てられている聖(ひじり:聖人)が寒さに責められて、どんなに心苦しんでいるのだろうかと思われて御供養を送られたのでしょうか。(日蓮は)父母に死に別れてから、この様な懇ろな志を受けたこと事はありません。できる限りの温かい御志を受けたかと思えば涙を抑えることができません。
※大聖人は戴いた御供養の真心に対して、大変感謝されています。
「かかるふしぎの者をふびんとて御くようの候は、日蓮が過去の父母か、また先世の宿習か。おぼろけのことにはあらじ。その上、雨ふり、かぜふき、人のせいするにこそ、心ざしはあらわれ候え。これもまたかくのごとし。ただなる時だにも、するがとかいとのさかいは、山たかく、河はふかく、石おおく、みちせばし。いおうや、とうじはあめはしのをたてて三月におよび、かわはまさりて九十日。やまくずれ、みちふさがり、人もかよわず。かってもたえて、いのちこうにて候いつるに、このすずの物たまわりて、法華経の御こえをもつぎ、釈迦仏の御いのちをもたすけまいらせさせ給いぬる御功徳、ただおしはからせ給うべし。」(種種物御消息 新1878-9頁・全1549頁)弘安元年7月 与南条時光 楠板本尊建立1年3ヶ月前
現代語訳:この様な不思議な者を不憫と思って御供養くだされたあなたは、日蓮の過去世の父母なのでしょうか、または過去世からの因縁なのでしょうか。何れにしても、浅い因縁ではないでしょう。その上、雨が降り、風が吹き、人が制止する時にこそ、志は顕れるものです。此れ(今貴殿が種々の物をお送りくださった事)もまた同じなのです。平穏な時でさえ、駿河と甲斐との境は、山が高く、河は深く、石は多く、道は狭いのです。まして今は豪雨が三ヵ月も降り続き、 河は増水して九十日、山は崩れ、道は塞がり、人も通わず、食糧も絶えて、命もこれまでという時に、この種々の品物をお送りくださり、法華経の御飢えをもいやし、釈迦仏の御命をも助けられたのです。その功徳は計り知れないものがあります。
※豪雨災害の最中の御供養、大聖人は大感謝されています。
「そもそも、貴辺の去ぬる三月の御仏事に鵝目その数有りしかば、今年一百よ人の人を山中にやしないて、十二時の法華経をよましめ、談義して候ぞ。これらは末代悪世には一えんぶだい第一の仏事にてこそ候え。いくそばくか過去の聖霊もうれしくおぼすらん。釈尊は孝養の人を世尊となづけ給えり。貴辺あに世尊にあらずや。」(曾谷殿御返事 新1447頁・全1065頁)弘安2年8月 楠板本尊建立2ヶ月前
現代語訳:さて、あなたが去る三月の御仏事に、数多くの鵞目を供養していただいたので、今年は百余人をこの山中で養うことができ、昼夜十二時にわたって法華経を読誦したり、講義したりするほど盛況です。この姿は末代悪世においては世界第一の仏事というべきです。どんなにか、亡くなられた聖霊もうれしく思われている事でしょう。釈尊は孝養の人を世尊と名付けられました。あなたも世尊というべきではないでしょうか。
※大聖人は本抄で、供養された多額の金銭を、弟子の養育、法華経読誦や講義等の仏事に使用すると明らかにされていますが、「楠板曼荼羅」建立を示唆する御文は見出せません。
[174] 題名:フェイク 第1793号
名前:宿坊
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投稿日:
2025/11/24(月) 18:04
2a02:6ea0:e00b:0:55a8:a165:6bbe:b9d6(IPv6:) (2a02:6ea0:e00b:0:55a8:a165:6bbe:b9d6)
(発行=25.11.22)
お会式は形式仏教の三文芝居
大石寺の「御大会」は京都・要法寺の猿真似
「権威で金集め贅沢する宗教の寄生虫」
邪宗・日蓮正宗の総本山大石寺で十一月二十・二十一日の両日、恒例の「お会
式」を行なった。これを宗門では「御大会」と称して、日蓮大聖人の滅不滅を
祝う儀式だと説明しているが、仏法上の特別な意義はない。
主な行事は初日が御開扉(奉安堂)の後、夕刻にはお練り、引き続き法主の説
法、三三九度の盃の儀式(御影堂)と続いた。二日目は午前二時三十分から勤
行衆会(客殿)、献膳・読経・申し状を奉読(御影堂)、お花くずし、布教講
演会(御影堂)などである。
宗門は宗教的権威を誇示するため参道の両側に参列者を並ばせ「お練り」と称
して、日如が差しかけられた赤い大傘の下を得意満面で歩く。
これを宗門では「古式豊かな中世の絵巻」「荘厳な伝統の美」と自慢している
が、形骸化した時代錯誤の死せる仏教を象徴する儀式と言ってよい。
この「お練り」の際、片手に提灯を持った助番僧が次々に日如の説法を願うた
め一礼に走ってくる。ニセ法主も「仏様」気分なのであろう。
こんな要請に応じて高座に登った日如は寿量品の説法をするのが常だが、権威
づけのために難解な仏法用語を多用して、坊主だけが仏法の本質を究めている
かのように装う。
これは大聖人の仏法を訓詁注釈の領域に封じ込めて信徒の日常から隔絶したも
のにしているのだ。
このようなお会式の起源も定かではない。徳川三代将軍家光の頃の寛永九年(
一六三二年)二月、造像読誦論者の日精が登座して以降、現在の儀式としての
様式が出来あがったと言われている。
所詮、謗法坊主の日精が京都・要法寺から持ち込んだ行事のサル真似で形骸化
した仏教の三文芝居であり、その狙いは法華講員を集めて宗教的な権威を誇示
して供養を取ることである。
日本を代表する教育心理学者で兵庫教育大学や奈良学園大学など五大学で学長
を歴任した梶田叡一博士は次の通り述べていた。
「人のために尽くす不惜身命の行動によって、自分たちの未来が開けていく。
自分も他人も幸せになれる。それが創価学会の進めてきた運動であった。
ところが、宗門は〝僧侶の言うことを聞いて黙って供養していればいい〟と考
えていたのであろう。これは、日蓮(大聖人)が残したメッセージとはまるで違
う。宗教的な権威を利用して金を集め、贅沢の限りを尽くす。そんな僧は『宗
教に名を借りた寄生虫』である」
「日蓮正宗」の名称は要法寺の案を盗用
お会式だけではなく、大石寺は「日蓮正宗」の名称も要法寺の案を盗用したの
である。
明治九年には身延山久遠寺などが日蓮宗と称したので大石寺は「日蓮宗興門派」
と称することになった。
明治十一年に日蓮宗興門派が改称を検討することになり、興門諸山から意見を
集めた際、要法寺が出してきた案が日蓮正宗であった。
この時、この案は採用されなかったが、明治四十五年になって五十七世日正の
時、大石寺が要法寺に無断で盗用して「日蓮正宗」と改称したのである。
[173] 題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 15
名前:サム
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投稿日:
2025/10/20(月) 20:19
119-229-83-134f1.osk3.eonet.ne.jp (119.229.83.134)
御書拝読で判る大聖人のお立場 15
第十二(最終)章 令法久住・弘教の大願を託す 後編
「寿量品に云わく『しかるに、我は実に成仏してより已来、無量無辺なり』等云々。大覚世尊久遠実成の当初証得の一念三千なり。今、日蓮が時に感じて、この法門広宣流布するなり。予、年来己心に秘すといえども、この法門を書き付けて留め置かずんば、門家の遺弟等、定めて無慈悲の讒言を加うべし。その後は何と悔ゆとも叶うまじきと存ずるあいだ、貴辺に対し書き送り候。一見の後、秘して他見有るべからず。口外も詮無し。法華経を諸仏出世の一大事と説かせ給いて候は、この三大秘法を含みたる経にてわたらせ給えばなり。秘すべし。秘すべし。」(三大秘法稟承事<三大秘法抄> 新1388頁・全1023頁)弘安4年4月 60歳御作
現代語訳:法華経寿量品に「しかるに善男子よ、我が実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫である」等とあります。この文は、釈尊(大覚世尊)が久遠に成仏した当初に証得した一念三千の事です。今、日蓮が末法のこの時に感じて、この法門を広く宣べ流布するのです。(私は)久しく自己の心に秘めてきましたが、この(三大秘法の)法門を書き付けて留め置かなければ、我が門下の後世の弟子達が必ず無慈悲である、と悪口を言うでしょう。その後はどの様に悔いても及ばないと思うので、あなたに対しこの法門を書き送ったのです。一見した後、秘蔵して他人に見せてはなりません。むやみに他人に話しても無益です。法華経を諸仏がこの世に出現した一大事と説かれるのは、この三大秘法を含めている経文だからです。秘密にすべきです。秘密にすべきです。
※本抄を在家信徒の大田乗明に日蓮仏法の三大秘法の法門を託し、「秘密にすべき」とは、無知・無謀な凡夫が多い時代だったからでしょうね。
「ここに、貴辺と日蓮とは師檀の一分なり。しかりといえども、有漏の依身は国主に随うが故に、この難に値わんと欲するか。感涙押さえ難し。いずれの代にか対面を遂げんや。ただ一心に霊山浄土を期せらるべきか。たとい身はこの難に値うとも、心は仏心に同じ。今生は修羅道に交わるとも、後生は必ず仏国に居せん。」(曾谷二郎入道殿御返事 新1454頁・全1069頁)弘安4年7月 60歳御作
現代語訳:思えば、貴辺と日蓮とは師檀の一分です。そう言っても、有漏の依身は国主に随うものですので、貴辺もこの蒙古襲来の難に値おうとしているのでしょうか。その貴辺の立場を思うと感涙を押さえることができません。いずれの代に対面を遂げることができるでしょうか。ただ一心に霊山浄土に往くことを期されるべきでしょう。たとえ身はこの難に遭遇したとしても、貴辺の心は仏心と同じです。今生は修羅道に交わったとしても後生は必ず仏国に居住するでしょう
補足:「有漏(うろ)」とは、仏教用語で、煩悩のある状態を指し、「無漏(むろ)=悟りや解脱の境地」の反対語。「有漏の依身(うろのえしん)」とは、煩悩を有する凡夫の肉身を言います。
※大聖人は、相手の立場を理解され、たとえ命に及ぶ困難に遭遇していても、自他同心にして仏国に安住する事を願われています。
「教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山にして相伝し、日蓮が肉団の胸中に秘して隠し持てり。
されば、日蓮が胸の間は諸仏入定の処なり。舌の上は転法輪の所、喉は誕生の処、口中は正覚の砌なるべし。かかる不思議なる法華経の行者の住処なれば、いかでか霊山浄土に劣るべき。」(南条殿御返事 新1924頁・全1578頁)弘安4年9月 60歳御作
現代語訳:教主釈尊の一大事の秘法を霊鷲山において相伝し、日蓮の肉団の胸中に秘して隠し持っているのです。それ故に、日蓮の胸の間は諸仏の入定の所であり、舌の上は転法輪(法輪を転ずる=仏の教法を説く)の所、喉は誕生の所、口の中は正覚(仏の悟り)の場所である筈です。この様に不思議な法華経の行者の住処ですから、どうして霊山浄土に劣ることがあるでしょうか。
補足:「諸仏入定の処」とは、諸仏が禅定・涅槃に入る場所との意味であり、依義判文抄では、これを解釈して「本尊所住の処・是れ義の戒壇なり」(六巻抄 139頁、創価学会発行)とあります。
※大聖人は胸間に、重要法門を持ち、霊山浄土より勝る諸仏入定の場所としています。つまり言い換えれば、大聖人の弟子である私達の胸間も同様であり、私達の唱題や折伏する事が仏道修行であり、成仏への道と言えるのではないでしょうか。
「かかる今時分、人をこれまでつかわし給うこと、うれしさ申すばかりなし。釈迦仏・地涌の菩薩、御身に入りかわらせ給うか。その国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ。『仏種は縁より起こる。この故に一乗を説く』なるべし。」(高橋殿御返事 新1953頁・全1467頁)執筆年月不明
現代語訳:この様な今時分に、人をこちらまで遣わされたことの嬉しさは、言いようがないほどです。釈迦仏や地涌の菩薩が、あなたの御身に入り替わられているのでしょうか。その国の広宣流布は、あなたにお任せします。「仏種は縁によって起こります。この故に一乗の法を説くのです」とあります。
※大聖人は、「あなたの住む場所の広宣流布はあなたに任せます」と在家信徒に仰せです。
◎今回は、日興上人(白蓮阿闍梨)に法門を相承されたとされる「身延相承書」(新2232頁・全1600頁)及び「池上相承書」(新2232頁・全1600頁)、また大聖人が定めた五老僧(弁阿闍梨日昭、大国阿闍梨日朗、佐渡阿闍梨日向、伊予阿闍梨日頂、蓮華阿闍梨日持)(「富士一跡門徒存知の事」新2174頁・全1601頁)については、掲載しませんでした。
日興上人が選定された十大部御書(重要御書十編)を提示します。
題号 新版・全集の頁 著作年月 御年 何処から 誰に 内容
1.唱法華題目抄(新1・全1)文応元(1260)年5月 39歳 鎌倉名越 門下一同に 妙法の題目が成仏の直道
2.立正安国論(新24・全17)文応元(1260)年7月 39歳 鎌倉 北条時頼に 国家諌暁
3.開目抄 (新50・全189)文永9(1272)年2月 51歳 佐渡塚原 門下一同に 人本尊開顕
4.観心本尊抄(新122・全238)文永10(1273)年4月 52歳 佐渡 富木殿を介し門下一同に 法本尊開顕
5.法華取要抄(新148・全331)文永11(1274)年5月 53歳 身延 富木常忍に 諸経の勝劣・広略要を示し要中要が御本尊
6.撰時抄 (新160・全256)建治元(1275)年 54歳 身延 西山由比殿に 仏法流布に時が大事
7.報恩抄 (新212・全293)建治2(1276)年7月 55歳 身延 浄顕房・義浄房に 故師・道善房の追善
8.四信五品抄(新264・全338)建治3(1277)年4月 56歳 身延 富木常忍に 法華経分別功徳品の四信五品を挙げ、一念信解・初随喜は我等と説明
9.下山御消息(新272・全343)建治3(1277)年6月 56歳 身延 日永に代り下山光基に 念仏の破折
10. 本尊問答抄(新302・全365)弘安元(1276)年9月 57歳 身延 義浄房に 本尊の正邪、勝劣を明かす
上記でも明らかな様に、大聖人は、僧俗の隔てなく平等に、重要御文を在家信徒にも贈られていました。大聖人は末法の時代(科学の進展・民主主義の興隆)を見据えておられたのでしょうか。世界平和と全民衆の幸福の為に、いよいよ私達が行動すべきなのです。
[172] 題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 14
名前:サム
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投稿日:
2025/10/07(火) 21:14
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御書拝読で判る大聖人のお立場 14
第十二(最終)章 令法久住・弘教の大願を託す 前編
大聖人は晩年、ご病気ぎみで且つ生活環境も厳しかったご様子ですが、これ等には触れずに門下への激励や後事を託された御文のみを二回に分けてご紹介します。
「願わくは、我が弟子等、大願をおこせ。去年・去々年のやくびょうに死にし人々のかずにも入らず、また当時、蒙古のせめにまぬかるべしともみえず。とにかくに死は一定なり。そ
の時のなげきはとうじのごとし。おなじくは、かりにも法華経のゆえに命をすてよ。つゆを大海にあつらえ、ちりを大地にうずむとおもえ。法華経の第三に云わく『願わくはこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我らと衆生と、皆共に仏道を成ぜん』云々。」(上野殿御返事<竜門御書> 新1895頁・全1561頁)弘安2年11月 58歳御作
現代語訳:私の願いとしては、我が弟子達よ、大願を起こしなさい。去年や一昨年の疫病で死んだ人々の数には入らなかったにしても、現在、蒙古が攻めてきた時、死を免れることができるとは思えないのです。ともかく、死は必定です。その時の嘆きは現在の迫害の苦しみと同じです。同じ事なら、仮にも法華経の為に命を捨てなさい。これこそ、あたかも露を大海に入れ、塵を大地に埋める様なものであると思いなさい。法華経第三の巻化城喩品に「願わくは此の功徳を以って、普く一切に及ぼし、我等と衆生と、皆共に仏道を成ぜん」と説かれている通りです。
※大聖人は、皆共に成道(人間革命)の為に命を捨てる覚悟で妙法弘教を、との大願を起こしなさいと仰せです。
「我が身、法華経の行者ならば、霊山の教主釈迦、宝浄世界の多宝如来、十方分身の諸仏、本化の大士、迹化の大菩薩、梵釈・竜神・十羅刹女も、定めてこの砌におわしますらん。水あれば魚すむ。林あれば鳥来る。蓬萊山には玉多く、摩黎山には栴檀生ず。麗水の山には金あり。今この所もかくのごとし。仏菩薩の住み給う功徳聚の砌なり。多くの月日を送り読誦し奉るところの法華経の功徳は、虚空にも余りぬべし。しかるを、毎年度々の御参詣には、無始の罪障も定めて今生一世に消滅すべきか。いよいよ、はげむべし、はげむべし。」(四条金吾殿御返事<法華行者住処の事> 新1625頁・全1194頁)弘安3年10月 59歳御作
現代語訳:わが身が法華経の行者であれば、霊鷲山の教主釈尊・宝浄世界の多宝如来・十方分身の諸仏・本化の大菩薩・迹化の大菩薩・梵天・帝釈・竜神・十羅刹女も、必ずこの場におられるでしょう。水があれば魚は住めます。林があれば鳥は来ます。蓬莱山には珠玉が多くあり、摩黎山には栴檀の木が生じます。麗水の山には黄金があります。今この場所も同様です。仏菩薩の住まわれる功徳の聚まる場所です。多くの月日が経過中、日夜読誦している法華経の功徳は大空にも満ちているでしょう。それを、あなたは毎年たびたび参詣しておられるので、無始以来の罪障もきっと今生一生のうちに消滅するでしょう。いよいよ信仰に励みなさい。
※自身が法華経行者(人間革命を目指す意志)であるとの自覚があれば、どの地でも仏菩薩(現在の解釈では、人生の指導者)が居られる場所(又は組織)であると信じることができ、鍛錬・薫陶されて成長するのですね。
「貴辺、年来の権宗を捨てて日蓮が弟子と成り給う。真実、時国相応の智人なり。総じて予が弟子等は、我がごとく正理を修行し給え。智者・学匠の身となりても、地獄に堕ちては何の詮か有るべき。詮ずるところ、時々念々に南無妙法蓮華経とこそ、唱うべし。上に挙ぐる
四苦は修禅寺相伝日記の如し。天台宗の奥義これにかぐべからざるか。一心参観・一念さん千の極理は、妙法蓮華経の一言を出でず。あえて忘失することなかれ、あえて忘失することなかれ。」(十八円満抄 新1803頁・全1367頁)弘安3年11月 59歳御作
現代語訳:貴辺は、これまでの権宗を捨てて日蓮が弟子となられました。真実の時国相応のの身となっても、地獄に墜ちては何の役にも立ちません。所詮、時々・念々に南無妙法蓮華経と唱えるべきです。上に挙げた法門は既に御存知でしょうが、書いて差し上げたのです。十八円満等の法門を十分に考察してください。それと共に当体蓮華の相承等、日蓮が己証の法門等は前々に書きまいらせた通りです。詳しい事は修禅寺相伝日記にある通りであり、天台宗の奥義はこれを越えるものではありません。一心三観・一念三千の極理は妙法蓮華経の一言を出ません。この事を決して忘れてはなりません。決して忘れてはなりません。
補足:一心三観=天台所立の観心修行の法門で摩訶止観にあり、不思議三観、円融三観等とも云われています。「一心」は他念の無い所観(受動的)の衆生の心を指し、「三観」は能観(能動的)の衆生の智を云い、「一心三観」は衆生の日常起こす一念心の中に空仮中の三諦が円融相即して備わっている事を観じていく修行法のことを云います。
※此の御文で大聖人は、元天台僧の最蓮房に日蓮仏法の法門を託されています。
「天竺国をば月氏国と申す、仏の出現し給うべき名なり。扶桑国をば日本国と申す、あに聖人出で給わざらん。月は西より東に向かえり。月氏の仏法の東へ流るべき相なり。日は東より出ず。日本の仏法の月氏へかえるべき瑞相なり。月は光あきらかならず。在世はただ八年なり。日は光明、月に勝れり。五の五百歳の長き闇を照らすべき瑞相なり。仏は法華経謗法の者を治し給わず。在世には無きゆえに。末法には一乗の強敵充満すべし。不軽菩薩の利益これなり。各々我が弟子等、はげませ給え、はげませ給え。」(諌暁八幡抄 新747頁・全
588-9頁)弘安3年12月 59歳御作
現代語訳:天竺国を月氏国というのは、仏の出現し給うべき国名です。扶桑国を日本国と言いますが、どうして聖人が出現されない事があるでしょうか。月は西より東に向かうものですが、それは月氏の仏法の東方へ流布する相です。日は東より出ます。日本の仏法の月氏国へ還るという瑞相です。月はその光が明らかではありません。それと同様に仏の在世はただ八年です。日の光明は月に勝っています。これは五の五百歳・末法の長き闇を照す瑞相です。仏は法華経を謗法する者を治されません。それは在世に謗法の者がいなかったからです。末法には一乗法華経の強敵が充満するでしょう。(だから)不軽菩薩の(折伏逆化による)利益は此れなのです。それぞれ我が弟子達よ、ますます信心に励んでください。
※門下一同が信心に励み、日蓮仏法の西還を目指す事を託されています。
[171] 題名:フェイク 第1792号
名前:宿坊
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投稿日:
2025/09/22(月) 16:35
2a02:6ea0:e00b:0:55a8:a165:6bbe:b9d6(IPv6:) (2a02:6ea0:e00b:0:55a8:a165:6bbe:b9d6)
(発行=25.09.17)
「日蓮正宗は謗法同座の邪宗」
学会指導に学ぶ 宗門は日興遺誡置文に違背 ㊦
坊主は偽名で遊蕩三昧、性犯罪も
日蓮正宗が日興上人の遺誡置文に違背して謗法を犯し、不祥事を重ねている。
その宗門の醜態の一端を前号に続いて明らかにする。
第十六条「下劣の者為りと雖も我より智勝れたる者をば仰いで師匠とす可き事」
先生は「雪山童子は卑しき鬼神を師として法を学んだ。ここに仏法の『求法』
の心がある。これも権威と差別に支配された宗門には全くない」と指弾した。
第十七条「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用(もち)う可
からざる事」
先生は「この条目が二十六箇条の中に入れられていること自体、日興上人は『
法主は無謬』などと思っておられなかったという明らかな証拠である。それど
ころか日興上人は、従ってはならない法主が出現することを危惧されていたと
拝される。ゆえに私どもが『己義』の日顕に従わず、厳しく、その謗法を呵責
していることこそ日興上人の御遺誡を厳守している実践なのである」と指導し
た。
第十八条「衆議為りと雖(いえど)も仏法に相違有らば貫首之を摧く可き事」
先生は「これは第十七条と対(つい)になっている。いずれも〝仏法に相違すれ
ば〟とある。すなわち、正邪の判定は権威(貫首)によるのでもなく、多数(衆
議)に従うのでもない。どこまでも仏法の『正義』にかなうか、否かによるの
であると――。そのための『基準』は大聖人の『御金言』であることは言うま
でもない。御書根本の正しい多数意見をも『貫首』の権威で砕こうとしている
日顕は、この御遺誡に完全に違背している」と強調した。
第十九条「衣の墨・黒くすべからざる事」
先生は「この条目の心は、大聖人門下にふさわしい、清浄な振る舞い、信心で
あるよう、身を正していくということであろう。ところが、日顕宗の悪侶たち
は、法衣を脱いでは悪事を働き、『偽名』まで使って遊ぶ者さえいる始末であ
る」と指摘した。
特に、遊蕩坊主の筆頭は日顕だが、偽名坊主で有名なのは平成二十四年十二月
に死んだ本行寺(墨田区向島)の前住職・高野日海であった。日海は「私は赤提
灯の安い店では飲まない」と
言い、浅草、赤坂、六本木、銀座などを飲み歩いた。
「吉田」の偽名で「カツラをかぶってサングラスをして行けば分かりゃしない」
と語っていたが、夜の歓楽街を徘徊する日海を目撃した人は多かった。
また、水島公正(日叡、現総監)は所沢市の能安寺住職の頃、偽名で老神温泉の
S莊へ不倫旅行に行った事実を改革僧との対論の際、認めていた。
悪質な性犯罪が目立つのが特徴で、平成十年五月、大石寺の坊主の後藤某が女
子中学生二人をホテルに連れ込み、淫らな行為をして静岡県警に逮捕された。
最近では今年六月、むつ市美里町の日蓮正宗・法浄寺住職の水野良章(四六歳
)が青森県警の警部補・佐々木淳(五三歳)と共謀し、当時高校生との不同意
性交の罪で逮捕、起訴された。
水野は擯斥処分、警部補の佐々木は懲戒免職となったが、寺の住職と警察幹部
が共謀しての悪質な性犯罪は世間を驚愕させた。
第二十条「直綴(じきとつ)を着す可からざる事」
直綴とは他宗派の僧が着用している法衣のことで、先生は「〝贅沢な服はいけ
ない、質素であれ〟との誡めである。したがって、形の上では直綴を着ていな
くても、日顕のような〝贅沢な衣〟を着ることは、この御遺誡に真っ向から違
背している」と糾弾した。因みに日顕の衣は特注で数百万円と言われている。
第二十一条「謗法と同座す可からず与同罪を恐る可き事」
五十七世日正が日蓮宗各派の管長らと同座、記念撮影した上、身延派管長の導
師で読経・唱題した。
前列右から2番目が日正、その左が日蓮宗の磯野日筵
………………………………
その後も六十世日開(日顕の父親)が身延に大聖人の廟所(墓所)があると認めた
念書を政府に提出した。
先生は、これら大謗法の事実を挙げて「日興上人の『身延離山』の崇高な御精
神を踏みにじり、身延と『謗法同座』したのである」と厳しく指弾した。
第二十二条「謗法の供養を請(う)く可からざる事」
先生は「この御遺誡に照らせば、学会を〝謗法よばわり〟しながら平気で学会
の供養を受け、学会寄進の寺に住むことは、明らかに矛盾である。要するに〝
遺誡よりもお金〟が本音なのである」と強調した。
第二十三条「刀杖等に於ては仏法守護の為に之を許す。但し出仕の時節は帯す
可からざるか、若(も)し其れ大衆等に於ては之を許す可きかの事」
先生は「『仏法を守る』ためには命を惜しんではならない」と力説。「その意
味で、社会の荒波に身をさらし、広布開拓の最前線で大難を受けながら、仏法
を守り抜いてきた学会こそ、この御遺誡の心の実践者なのである。
反対に、宗門は学会の『仏法守護』『外護』の実践に甘えに甘えて腐敗した。
『仏法守護』の心など、かけらもない。あるのは『保身』だけである」と語っ
た。
第二十四条「若輩為りと雖も高位の檀那自(よ)り末座に居る可からざる事」
先生は「『地位の人』ではなく『信心の人』を尊敬せねばならないとの御精神
であろう。ところが日顕宗は最低の〝金の亡者〟に成り下がっただけでなく、
学会が僧侶を敬い、尊敬してきたのをいいことに信徒を差別し、見下した」と
遺誡と正反対の姿だと語った。
第二十五条「先師の如く予が化儀も聖僧為る可し、但し時の貫首或いは習学の
仁に於ては設(たと)い一旦の媱犯((ようはん)有りと雖も衆徒に差置く可き事」
この条目について先生は「一旦の媱犯(どころか、妻帯したうえに破廉恥な行動
で宗風を汚し、猊座を穢(けが)し続ける法主――日興上人が明確に、そういう
人間は『退座』せよ、『降格』せしめよと命ぜられているのである。それに逆
らう者は、日興上人への反逆である」と述べた。
第二十六条「巧於難問答の行者に於ては先師の如く賞翫(しょうがん)す可き事」
先生は「広宣流布といっても実際に『法を弘める人』がいなければ永遠に夢物
語である。ゆえに日興上人は御遺誡の最後に〝弘法の人を大切にせよ〟と重ね
て誡められたと拝される。
ところが日顕宗は『折伏の実践者』の尊い仏使(ぶっし)の団体たる学会を見下
し、利用し、切り捨てた」 「以上、遺誡の一つ一つを拝していくと現宗門が
二十六箇条の『ことごとく』に違背し、その御心を踏みにじっていることは明
白である。日興上人は『このうち一箇条でも犯す者は日興門下ではない』と。
これが師弟の厳しさである。『一箇条』どころか『全条目』に違背した宗門は
正法の命脈を虐殺している『反日蓮大聖人』『反日興上人』の邪教である」と
強調した。
以上の通り、日興遺誡置文に違背する日蓮正宗が邪宗なのは明々白々である。
[170] 題名:立場が違っても不都合に目をそらすのは同穴のムジナ
名前:ハル・アシュビー@さらば冬のかもめ
◇
MAIL
投稿日:
2025/09/21(日) 16:48
118.103.63.137 (118.103.63.137)
https://watab❒shinjun.hat❒nablog.com/❒ntry/2025/09/21/000000
(❒はe)
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推察ですが、創価学会の教学部としては日蓮遺文に明確な釈迦本尊・釈迦本仏説について、少しずつ教義を打ち出し、日蓮遺文から根拠づけることのできない日蓮本仏論を少しずつ転轍しようとされているのではないかと思います。
ただ個人的に、それは過去に言っていた創価学会の教義と違いますから、その前に明確に教団は「私たちは今まで間違ったことを指導してきてしまいました」と過去の総括を行い、謝罪すべきかと思います。ましてや創価学会は池田大作会長時代に立正佼成会や天理教等を邪宗教呼ばわりして誹謗中傷してきたのですから、そういう反省や総括が先になければならないでしょう。
−−−−−−−−−−−− −−−−−−−−−−−− −−−−−−−−−−−−
これが絶対できない連中を囲い込んでるだけでしょう、ここは。
日蓮本仏論から池田賢王論への〝転轍〟を目論む波○地さん(法華コモンズ講座担当スタッフ)一派のやり口を見る限り、信濃町執行部の垂れ流す詭弁と寸分も変わらないじゃん…
[169] 題名:フェイク 第1791号
名前:宿坊
◇
MAIL
投稿日:
2025/09/21(日) 13:29
2a02:6ea0:e00b:0:55a8:a165:6bbe:b9d6(IPv6:) (2a02:6ea0:e00b:0:55a8:a165:6bbe:b9d6)
(発行=25.09.16)
日顕は禅寺に墓を建立、開眼供養も
学会指導に学ぶ 宗門は日興遺誡置文に違背 ㊥
「修行せず利益求める坊主は狗犬の僧」
日蓮正宗が「日興遺誡置文」に悉く違背している姿を前号に引き続き、池田先
生の指導を引いて浮き彫りにする。
第五条「謗法を呵責せずして遊戯雑談(ゆげぞうだん)の化儀並(ならび)に外書
(げしょ)歌道を好む可からざる事」
先生は御書の「法師の皮を著(き)たる畜生」の御文を通して指弾。「折伏もせ
ず、御本尊への信徒の供養を横領して酒色にふけり、贅沢三昧の『遊戯雑談』
と卑しい『成金趣味』に堕しているのが宗門である。『皮』は法師でも『身』
は畜生だと、大聖人が仰せなのである」と指弾した。
第六条「檀那の社参物詣を禁ず可し、何に況んや其の器にして一見と称して謗
法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき次第なり、是
れ全く己義に非ず経文御抄等に任す云云」
この条目について先生は謗法厳誡を貫いてきたのが学会であり、牧口先生は獄
死までされたと強調した。
そして、宗門の謗法の実態を述べて「禅寺の墓地に、法主が自家の墓を立て、
開眼供養までして破折もしないで、そのあと酒宴――。それほど信心が狂って
いるのである」と断罪した。
これは日顕がスウェーデン産の最高級の石を五百五十万円もかけて直輸入し、
平成元年七月十七日、福島市内の曹洞宗白山寺の墓地に墓を建立(写真㊤)。開
眼供養をした後は市内の料亭で酒宴(写真㊦)に興じた。
また、先生は日亨上人の「外面にのみ謗法厳誡を立て内部には謗法容認の非行
あらんことは物怪なり」との指南を紹介した。
更に、先生は「謗法払いも、学会が僧侶に教えたのである。学会によって日蓮
正宗は大聖人、日興上人の正統の教団になった」と強調した。
学会と決別した今の日蓮正宗は大聖人、日興上人の正統の教団ではなくなり、
特に、身延派との交流は盛んになった。住職が法華講員を連れて盛んに身延派
の寺を巡拝し、身延派の僧を大石寺に招待して手厚く接待するようになったの
である。
第七条「器用の弟子に於ては師匠の諸事を許し閣(さしお)き御抄以下の諸聖教
を教学す可き事」
先生は宗門の「権威主義の徒弟制度」を指弾し、所化への信心指導はなさず、
真剣な学習の気風も全くないと指摘。「陰惨に絶対服従を強要し、旧軍隊のよ
うな暴力による『しごき』によって『人材を殺している』――御遺誡への違背
の姿である」と厳しく糾弾した。
第八条「学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶う可からざる事」
先生は「ろくに修行もせず、ただ尊敬されることを求め、利益を求める。こう
いう僧侶を、大聖人は『狗犬(くけん)の僧』とも『食法餓鬼』とも仰せである」
と指摘。日顕一派の堕落しきった姿を指している。
第九条「予が後代の徒衆等権実を弁えざる間は父母師匠の恩を振り捨て出離(
しゅつり)証道の為に本寺に詣で学文す可き事」
本山での修行の在り方に言及した先生は「世間の絆を断ち切って『学文』に専
念するためである。正しき『信心』を学ぶためである。今の本山は、その正反
対に『世間』以上に俗世間である」と述べ、差別と暴力で悪侶を養成する場に
なっている、と断罪した。
第十条「義道の落居(らっこ)無くして天台の学文す可からざる事」
先生は「本山では御書を徹底して学びもせずに、天台の教学を中途半端に教え
たりしている。例年、本山で行われる教師講習会の教材は天台の三大部」だと
指摘。天台の法門にとらわれていること自体、日興上人の御遺誡に違背してい
る、と糾弾した。
第十一条「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間(ひま)有ら
ば台家を聞く可き事」
先生は青年僧の「所化時代に御書を学んだのは一年間で八時間程度、一カ月に
すると一時間もなかった」、また、婦人部の「御書をまともに拝読できない住
職が多い」等の声を紹介。そして「日顕の御書講義は、いたずらに難解さを気
取るばかりで、大聖人の御精神を全く伝えていない」「法主という『権威』の
誇示のために御書を利用しているにすぎない」と切り捨てた。
第十二条「論議講説等を好み自余(じよ)を交(まじ)ゆ可からざる事」
宗門坊主の間では金儲けや遊びの情報交換が多いという証言を紹介した先生は
「弘教もせず、仏法を語り合うこともない、醜い『食法餓鬼』の集団、それが
現宗門であり、日興上人の御遺誡に完全に違背している」と断罪した。
第十三条「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」
この条目について、日亨上人が「万代法則」「重要永遠的の第一法則」とされ
たことを踏まえて先生は「この御遺誡こそ二十六箇条のなかで最も重要な中心
となる〝永遠の規範〟である」と力説。「創価学会の歴史は、この御遺誡を文
字通りに実践してきた『黄金の軌跡』である。宗門のどこに『不惜身命』の弘
教があるだろうか。それどころか遊蕩三昧にふけり、あまつさえ学会を破壊し、
広宣流布を断絶させようとしている。正法の敵である。日興上人の敵である」
と指導した。
宗門が日興上人の敵である証拠は身延離山の御精神を忘れ、身延派を破折せず、
仲良く交流していることだ。
C作戦の作成者・関快道は女房や法華講員を率いて誕生寺、清澄寺など身延派
の寺を巡拝(写真㊤)。また身延派の僧も大石寺の御影堂を訪れていた(写真㊦)。
第十四条「身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任
せて信敬を致す可き事」
先生はテレビに映し出された学会婦人の折伏の姿に日達法主が感激して涙を流
したとのエピソードを紹介。「『身軽法重の行者』とは学会員である。学会員
以外にだれがあるであろうか。その尊き学会員を蔑視し、陥れようとする悪侶
の罪は提婆達多よりも、はるかに重い」と力説した。
第十五条「弘通の法師に於ては下輩為りと雖も老僧の思を為す可き事」
先生は「離脱した僧侶の証言からも明らかなように宗門は異常な程に上下の差
別が厳しい」「地位が下であったり、後輩であっても、信心、実践に優れた人
を尊敬せよという御遺誡とは最もかけ離れた世界である」と指摘して、日興上
人の御精神に違背していると述べた。
[168] 題名:フェイク 第1790号
名前:宿坊
◇
MAIL
投稿日:
2025/09/20(土) 20:44
2a02:6ea0:1604:1000:98c5:7d38:20eb:2a85(IPv6:) (2a02:6ea0:1604:1000:98c5:7d38:20eb:2a85)
(発行=25.09.15)
〝大聖人直結〟を批判する宗門
学会指導に学ぶ 宗門は日興遺誡置文に違背 ㊤
やはり豪雨、「雨日顕」の七回忌お逮夜法要
日蓮正宗は大石寺で九月八日の夕刻、阿部日顕の七回忌の御逮夜法要を行なっ
た。この法要に参加した法華講員によると「終わって外に出ると強い雨が降っ
て、肌寒く感じるほど気温が急に下がった」ということだ。
日顕が生前、行った先々で地震、集中豪雨、強風に見舞われていた事実は本紙
で幾度も紹介した通り。七回忌も豪雨とは「雨日顕」らしい。この法要の日の
悪天候で被害を受けた人達に心からお見舞い申し上げる次第である。
日顕の行く先々での異常な悪天候の実例の一つは平成五年六月二十一日、日如
の父親・早瀬日慈の通夜の日の午後、日顕が池袋の法道院に到着した時、この
法道院の上空から湧き上がった黒雲が都内を覆って大雨が降り、強風が吹き、
雷鳴が轟き、雹(ひょう)も降るなど異常気象になったことである(写真上 )。
日顕は日達法主から相承を受けていないのに「六十七世法主」を詐称したうえ、
学会の「日蓮大聖人直結」を否定して「日顕本仏論」を宗門内に定着させよう
と目論み、坊主や法華講員に吹聴させた。
最近も宗門は折伏に行き詰まっているため、幼稚な機関誌紙を使って「学会の
教義は日蓮正宗の教義とは違う」云々と盛んに悪口を書いているが、笑止千万
!
日蓮正宗の邪義が正しいと錯覚しているのは井の中の蛙のような宗門の坊主と
一部の法華講員だけである。
そもそも邪宗に成り下がった現宗門には日興上人の御精神など微塵もない。
現宗門は「反日興上人」の邪教だ!
平成四年十月、池田先生が関西最高会議で、宗門は「日興遺誡置文」に悉く違
背している、と指弾して「反日興上人」の邪教と断じた。そこで本紙は㊤㊥㊦
の三回に分け、池田先生の指導を通して現宗門の醜態を浮き彫りにする。
先生は遺誡置文の各条目に触れる前に次のように指導。「日興上人門流が守る
べき『規範』は何か。それは言うまでもなく、元弘三年(一三三三年)正月十三
日、日興上人が記し残された遺誡置文である」「戸田先生は『若き身を 二六
(にろく)の掟(おきて) 胸にしめ 妙法の途(みち)に捨てよ命を』と詠まれ、
青年に贈られた」
このように前置きして各条目に言及。宗門の坊主や法華講員は、この先生の指
導を拝読し、自分達の信心の狂いに気付くべきだ。
第一条「富士の立義聊(いささか)も先師の御弘通に違せざる事」
先生は「この条目が冒頭に置かれているところに、深き御心が拝される」「こ
れこそ『日蓮大聖人直結』の文証である」「日顕宗では『大聖人に相違しない』
ことではなく、『日顕に相違しない』ことを教えている。根本が狂っている。
『いささかも』どころか、完全に違背している」と指弾した。
宗門は学会の日蓮大聖人直結は間違いだと批判するが、これこそ宗門が〝大聖
人直結〟を示された日興上人に背いている証明である。
第二条「五人の立義一一に先師の御弘通に違する事」
これに関して先生は師敵対が五老僧の本質だと指摘して「日顕宗は五老僧の末
流である」「宗門が自ら謗法に堕しながら、学会の正義を誹謗している点も五
老僧とそっくりである」と断罪した。
第三条「御書何(いず)れも偽書に擬(ぎ)し当門流を毀謗(きぼう)せん者之有る
可(べ)し、若し加様(かよう)の悪侶出来せば親近す可からざる事」
以下は先生の指導である。
「『御書』を尊び、『御書』を根本にするのが、日興上人門下の基本中の基本
である。五老僧は、大聖人の御手紙などを『仮名まじり』だからと蔑視し、日
興上人が『御書』と尊称し、講義されたことを誹謗した。御書を認められた紙
をすき返したり、焼き捨てるという暴挙にまで及んでいる。
また自宗に不利な御書は『偽書』と決めつけて否定した。日亨上人は『此の御
書を軽く見たといふことが、確かに蓮祖違背である』と指摘されている」
「学会は、日亨上人の編纂による御書全集を発刊して『剣豪の修行』のごとき
厳格な教学の研鑽に励んできた。『御書根本』こそ日興上人の正統の門下とし
ての学会の誇りである。
宗門は〝御書根本というのは我がままである〟等という奇説を主張してまで、
無理やり『貫首(法主)根本』へと、正道をゆがめようとしている」「『貫首根
本』ということ自体、御遺誡への反逆なのである。そうした悪侶には親しんで
はならない、従ってはならないという条目である」と述べた。
御書根本を否定する坊主の中には「御書部分論」の邪説を唱えた坊主もいる。
高野法雄は「御書は重要ではあるが、大聖人の法門の一切が網羅されたもので
はない」と言い、法主に信伏随従するよう強調していた。これこそが「貫首根
本」の邪義である。
第四条「偽書を造って御書と号し本迹一致の修行を致す者は獅子身中の虫と心
得(こころう)可き事」
先生は「戦前・戦中、宗門に『神本仏迹論』という邪義を唱える僧侶が出た。
宗門は戦後もこの邪僧を強く責めるどころか、邪僧の罪をただした学会を処分
したのである。今も、日顕が本で、大聖人が迹などという転倒の『顕本仏迹論』
に従っている僧俗が多数いる」「大聖人よりも日顕を『本』とする日顕宗は『
獅子身中の虫』の最も悪質なものであろう」と指導した。
この「日顕本仏・日蓮迹仏」の大邪説を唱えた坊主は元海外部書記の福田毅道
だ。福田は平成三年八月、行学講習会で「百六箇抄」の「立つ浪・吹く風・万
物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり」の文を曲解して、大聖人から御歴
代は過去だから迹、御当代日顕上人が本と言える、と力説した。この大聖人が
「迹」、日顕が「本」という邪説は阿部信彰(日明)の入れ知恵だったというこ
とだ。
……………………………
「日顕本仏論」は機会ある毎に強調され続けていたが、その陰には日顕の意を
受けた信彰が暗躍していた。
「大日蓮」(平成三年六月号)に「創価学会における御宗門批判のキャンペー
ンについて」との駄文を掲載した。内田和子という法華講員の作文で日顕を「
現代における大聖人様」と十四回も繰り返している低劣な作文だが、なぜ「大
日蓮」に掲載されたのか?
ある僧の証言によると、内田和子は青梅・慈本寺の法華講に所属していたので、
この作文を当時の住職・石橋頂道の所に持って行ったが、相手にされなかった。
そこで大修寺(当時の住職・阿部信彰)に持参し、それを信彰が「大日蓮」の
編集部に持ち込んで強引に掲載させたという。
かつて「慧妙」は「〝法主本仏論〟や〝法主信仰〟 〝法主絶対論〟などが存
在しないことは論証済み」と惚けていたが、ニセ法主の日顕と愚息の信彰の二
人が共謀して「日顕本仏論」を宗内に広めていたのは事実である。(つづく)
[167] 題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 13
名前:サム
◇
MAIL
投稿日:
2025/09/09(火) 18:39
119-229-83-134f1.osk3.eonet.ne.jp (119.229.83.134)
御書拝読で判る大聖人のお立場 13
第十一章 凡夫は仏なり・皆成仏の勧め 後編
「法華経を行ずる日蓮等が弟子檀那の住所は、いかなる山野なりとも、『霊鷲山』なり。行者、あに『釈迦如来』にあらずや。日本国は『耆闍崛山』、日蓮等の類いは『釈迦如来』なるべし。総じて、一乗南無妙法蓮華経を修行せん所は、いかなる所なりとも、常寂光の都『霊鷲山』なるべし。」(御講聞書 新1127頁・全811頁)弘安3年5月終講 59歳御作
現代語訳:法華経を行ずる日蓮等の弟子檀那の住所は、どの様な山野であっても霊鷲山なのです。(法華経の)行者であれば、これこそ釈迦如来ではないでしょうか。日本国は耆闍崛山であり、日蓮とその門下は釈迦如来なのです。全体として一乗の南無妙法蓮華経を修行する所は、どの様な場所であっても、常寂光の都である霊鷲山なのです。
※法華経行者(日蓮大聖人とその門下)は、釈尊如来(仏)であり、修行する場所は霊鷲山と仰せです。と仰せです。であるならば、法華経から南無妙法蓮華経の五字七字の一大秘法を見出した日蓮大聖人こそは、末法の御本仏と私達が尊崇するのは、当然ではないでしょうか。
「詮ずるところ、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経をもって色心を荘厳したり。この荘厳とは、別してかざり立てたるにはあらず、当位即妙の荘厳なり。煩悩即菩提・生死即涅槃これなり(御講聞書 新1166頁・全837頁)
現代語訳:結局、日蓮及びその門下は、南無妙法蓮華経の文字を用いて色心(身体と精神)を荘厳したのです。此の荘厳とは別に飾り立てたりしたのではないのです。当位即妙の荘厳なのです、煩悩即菩提・生死即涅槃とはこの事なのです。
現代語訳:結局、日蓮及びその門下は、南無妙法蓮華経の文字を用いて色心(身体と精神)を荘厳したのです。此の荘厳とは別に飾り立てたりしたのではないのです。当位即妙の荘厳なのです、煩悩即菩提・生死即涅槃とはこの事なのです。
※当位即妙とは、法華玄義釈籤巻四の文で「当位即ち妙なり」と読み、九界の凡夫がそのままの境涯で仏界の生命を湧現することであり、当位即妙の荘厳とは、飾り立てない凡夫が即仏であるとの意味で、大聖人のお立場を暗示されています。
「即身成仏と申す法門は、諸大乗経ならびに大日経等の経文に分明に候ぞ。しかればとて、彼の経々の人々の即身成仏と申すは、二つの増上慢に堕ちて、必ず無間地獄へ入り候なり。記の九に云わく『しかして二つの上慢、深浅無きにあらず。如と謂うは、乃ち大無慙の人と成る』等云々。諸大乗経の煩悩即菩提・生死即涅槃の即身成仏の法門は、いみじくおそたかきようなれども、これはあえて即身成仏の法門にはあらず、その心は、『二乗と申す者は、鹿苑にして見思を断じて、いまだ塵沙・無明をば断ぜざる者が、【我はすでに煩悩を尽くしたり】と、無余に入って灰身滅智の者となれり。灰身なれば即身にあらず、滅智なれば成仏の義なし。されば、凡夫は煩悩・業もあり苦果の依身も失うことなければ、煩悩・業を種として報身・応身ともなりなん。苦果あれば、生死即涅槃とて法身如来ともなりなん』と、二乗をこそ弾呵せさせ給いしか。さればとて、煩悩・業・苦が三身の種とはなり候わず。今、法華経にして、有余・無余の二乗が無き煩悩・業・苦をとり出だして即身成仏と説き給う時、二乗の即身成仏するのみならず、凡夫も即身成仏するなり。」(大田女房殿御返事<即身成仏抄> 新1380-1頁・全1005頁)弘安3年7月 59歳御作
現代語訳:即身成仏という法門は、諸々の大乗経や大日経等に明らかにされています。だからといっても、その実義は法華経で初めて明かされるのであって、諸大乗教や大日経の人々が即身成仏できるというのは、二種の増上慢に堕ち、必ず無間地獄へ入ってしまうのです。法華文句記の巻九には「そうであるならば二種の増上慢には深浅がない訳ではない。仏と衆生が一如であるという者は、自身を省みる心の無い大恥知らずの人となる」とあります。諸々の大乗経にある煩悩即菩提・生死即涅槃の即身成仏の法門は、非常に勝れて尊い様ですが、これはあえて即身成仏の法門ではありません。その真意は「二乗と呼ばれる者は鹿野苑で仏の教えを聞いて、見惑・思惑の煩悩を断じただけで、いまだ塵沙・無明を断じておらず、自分は既に煩悩を断じ尽した、と思って無余涅槃に入って灰身滅智の者となってしまいました。身を灰とするのであれば凡夫そのままの即身成仏ではなく、心智を滅するのであれば成仏の義はありません。これに対して、凡夫は煩悩も業もあり、(前世に作った業による)苦果の現身を失うことも無く、煩悩・業を種として報身・応身と成り得ます。苦果の現身があるから、生死即涅槃と、そのまま法身如来となることができる」と説いて、二乗を叱り戒めたのです。だからといって、煩悩・業・苦が法身・報身・応身の種には成り得ないのです。今、法華経において、有余涅槃・無余涅槃の二乗がなくした煩悩・業・苦を取り出して、即身成仏すると説かれた時、二乗が即身成仏するだけでなく凡夫も即身成仏するのです。
補足:生死即涅槃=生死(苦しみ)がそのまま涅槃(悟り)となり、生死も涅槃もその体は不二であるとの意。生死は煩悩・迷いの境界であり九界を指し、涅槃は菩提・悟りの境地で仏界を指す。九界即仏界・煩悩即菩提と同義。有余涅槃=煩悩(見思惑)を断じて未来の生死の因を滅したが、生死の果である自分の身体を残していること、無余涅槃=色心の煩悩全てを断じ尽くして得られる二乗の最高の悟りの境地を云います。
※法華経においてのみ、煩悩即菩提の境地を示し、二乗だけでなく凡夫も即身成仏するのですね。
「仏になり候ことは、凡夫は志と申す文字を心えて仏になり候なり。志と申すはなに事ぞと委細にかんがえて候えば、観心の法門なり。観心の法門と申すはなに事ぞとたずね候えば、ただ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が、身のかわをはぐにて候ぞ。うえたるよに、これはなしてはきょうの命をつぐべき物もなきに、ただひとつ候ごりょうを仏にまいらせ候が、身命を仏にまいらせ候にて候ぞ。これは、薬王のひじをやき雪山童子の身を鬼にたびて候にもあいおとらぬ功徳にて候えば、聖人の御ためには事供よう、凡夫のためには理くよう、止観の第七の観心の檀はら蜜と申す法門なり。」(白米一俵御書 新2053頁・全1596-7頁)弘安期
現代語訳:仏に成るという事は、凡夫が志という文字を心得て仏に成るのです。志というのはどの様な事かと詳しく考えてみれば、それは観心の法門なのです。この観心の法門というのはどの様な事かと尋ねてみれば、ただ一枚しかない衣服を法華経に供養する事が身の皮を剥ぐ事になるのです。飢饉の世に、これを供養してしまうと今日の命を繋ぐ物も無い場合に、ただ一つの食物を仏に供養する事が、身命を仏に奉った事になるのです。これは薬王菩薩が臂を焼き、雪山童子が身を鬼に与えた事にも劣らない功徳であって、聖人の為には事供養、凡夫の為には理供養であるというのが、摩訶止観巻七に明かされる観心の修行の中の檀波羅密という法門なのです。
補足:事供養:仏菩薩に身命をなげうって供養すること、理供養:事物による供養ではなく信仰の志をささげること。
※志が「理供養」、不惜身命が「事供養」なのですね。どちらも大事ですね。
「仏にやすやすとなることの候ぞ。おしえまいらせ候わん。人のものをおしうると申すは、車のおもけれども油をぬりてまわり、ふねの水にうかべてゆきやすきようにおしえ候なり。仏になりやすきことは別のよう候わず。旱魃にかわけるものに水をあたえ、寒氷にこごえたるものに火をあたうるがごとし。また二つなき物を人にあたえ、命のたゆるに人のせにあうがごとし。」(上野殿御返事 新1918頁・全1574頁)弘安3年12月 59歳御作
現代語訳:仏に容易に成る方法があります。教えて差し上げましょう。人が物事を教えるというのは、車が重かったとしても油を塗ることで回り、船を水に浮かべて行き易くする様に教えるのです。仏に成り易い道というのは、特別な事ではないのです。旱魃の時に喉の渇いた者に水を与え、寒さに凍えた者に火を与える様にする事です。また二つと無い物を人に与え、命が絶えそうな人に遭えば施しできる様にする事です。
※容易く成仏できる方法を私達に教えて下さる大聖人は、ご自身が既に仏の境涯に達しておられるからでしょう。
◎法華経には、本覚思想(釈迦は、生誕地インドで成仏した【始成正覚】のではなく、既に五百塵点劫の昔に成道していた【久遠実成】、此れを本覚と云う)が内在しており、大聖人は末法において、南無妙法蓮華経による悟りを本覚又は妙覚と言い、「本覚の如来」とは別しては日蓮大聖人、総じては三大秘法の御本尊を信受する弟子檀那達である、と仰せです。
つまり本覚とは、始覚に対する語で、本来備わっている覚りを云い、馬鳴菩薩の作とされる大乗紀信論に「元来衆生の一心には本覚・始覚の差別はないが、煩悩に覆われ、心の本性が見えない為に、これらの差別が生じる(取意)」とあり、一切衆生が煩悩や迷いに満ちている様に見えるが、本来の生命は清浄無垢の仏である、と自覚する事を「本覚」と云う様です。
「仏」を現代的に解釈すると、尊望される各界の指導者(リーダー)、物事改善への一途な努力家、幸福を謳歌している人生の勝利者、だけを言うのではなく、他者を愛し日々真面目に人道と平和を考え行動している一般庶民である、と言えるでしょうね。
[166] 題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 12
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2025/09/04(木) 01:54
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御書拝読で判る大聖人のお立場 12
第十一章 凡夫は仏なり・皆成仏の勧め 前編
一神教の「神」は、全知全能の唯一の絶対者・天地創造主であり、人類に対して超越的・神秘的存在であり、崇拝の対象とされています。一方、大乗仏教における「仏」は、10種の異名を持ち世尊と呼ばれる存在ですが、人類自身が仏道修行する事により、人間性が変革され結果として仏に成る(成仏:創価学会用語では「人間革命」)とされています。
既に御本仏であられる日蓮大聖人が、衆生(凡夫)を成仏させる為に述べられた御文を前・後編の二回に分けてご紹介します。
「この三諦を三身如来とも云えば、我が心身より外には善悪に付けてかみすじばかりの法もなきものを。されば、我が身がやがて三身即一の本覚の如来にてはありけることなり。
これをよそに思うを、衆生とも迷いとも凡夫とも云うなり。これを我が身の上と知りぬるを、如来とも覚りとも聖人とも智者とも云うなり。こう解り、明らかに観ずれば、この身頓て今生の中に本覚の如来を顕して、即身成仏とはいわるるなり。譬えば、春夏、田を作りうえつれば、秋冬は蔵に収めて心のままに用いるがごとし。春より秋をまつほどは久しきようなれども、一年の内に待ち得るがごとく、この覚りに入って仏を顕すほどは久しきようなれども、一生の内に顕して我が身が三身即一の仏となりぬるなり。」(十如是事 新355-6頁・全410頁)正嘉2年 37歳御作
現代語訳:この三諦(空諦・中諦・仮諦)を三身如来とも云うのであれば、我が心身の外には善悪に亘っていささかの法も無いので、我が身がそのまま三身即一身の本覚の如来となる理屈です。この事をよそに求める場合を、衆生とも迷いとも凡夫ともいうのです。この事を我が身の上の事と知る場合を、如来とも覚りとも聖人とも智者ともいうのです。この様に了解し、明らかに観じ念ずれば、この身がそのまま今生の中に本覚の如来を顕して、即身成仏と云われるのです。譬えば、春夏に田を耕して種を植えるならば、秋冬には刈り取って蔵に収めて、心のままに用いることができる様なものです。春から秋を待つ間は長い様ですが、一年の内に待ち望んでいた通りになる様に、この覚りに入って仏を顕すまでは長い様ですが、一生の内に顕して、我が身が三身即一の仏となるのです。
※「我が心身の外には法も無いので、我が身がそのまま三身即一身の如来となり、この事をよそに求める場合を、衆生とも迷いとも凡夫ともいう」とあります。
「仏の滅後において、四味三教等の邪執を捨てて実大乗の法華経に帰せば、諸天善神ならびに地涌千界等の菩薩、法華の行者を守護せん。
この人は、守護の力を得て、本門の本尊・妙法蓮華経の五字をもって閻浮提に広宣流布せしめんか。」(顕仏未来記 新608頁・全507頁)文永10年5月 52歳御作
現代語訳:如来滅後(五五百歳)において、四味・三教等への邪まな執心を捨てて実大乗教である法華経(末法の法華経)に帰依するならば、諸天善神並びに地涌千界を中心とする一切の菩薩は必ず法華経の行者を守護するでしょう。この人は、(この諸天善神や地涌の菩薩などの)守護の力を得て、本門の本尊・南無妙法蓮華経で一閻浮提に広宣流布をさせるでしょう。
※大聖人は、本門の本尊と妙法蓮華経の五字を並べ広宣流布させるだろう、と述べておられます。
「釈迦・多宝の二仏というも用の仏なり。妙法蓮華経こそ本仏にては御座しまし候え。経に云わく「如来の秘密・神通の力」、これなり。「如来の秘密」は体の三身にして本仏なり、「神通の力」は用の三身にして迹仏ぞかし。凡夫は体の三身にして本仏ぞかし、仏は用の三身にして迹仏なり。しかれば、釈迦仏は我ら衆生のためには主・師・親の三徳を備え給うと思いしに、さにては候わず、返って仏に三徳をかぶらせ奉るは凡夫なり。その故は、如来というは、天台の釈に「如来とは、十方三世の諸仏、二仏、三仏、本仏・迹仏の通号なり」と判じ給えり。この釈に「本仏」というは凡夫なり、「迹仏」というは仏なり。しかれども、迷悟の不同にして生・仏異なるによって俱体俱用の三身ということをば衆生しらざるなり。」(諸法実相抄 新1789頁・全1358-9頁)文永10年5月 52歳御作
現代語訳:釈迦仏・多宝仏の二仏といっても用の仏であり、妙法蓮華経こそ本仏であられるのです。法華経如来寿量品に「如来秘密神通之力」と説かれているのはこの事です。「如来秘密」は体の三身であって本仏です。「神通之力」とは用の三身であって迹仏なのです。凡夫は体の三身であって本仏であり、仏は用の三身であって迹仏なのです。従って、釈迦仏が我ら衆生の為に主師親の三徳を備えられていると思っていたのに、そうではなく反って仏に三徳を被らせているのは凡夫なのです。その理由は、如来というのは天台大師の法華文句巻九下には「如来とは十方三世の諸仏、真仏・応仏の二仏、法身・報身・応仏の三身、本仏・迹仏の一切の仏を通じて如来と号するのである」と判じられているからです。この釈に「本仏」というのは凡夫であり、「迹仏」というのは仏です。しかしながら、迷いと悟りの相違によって、衆生と仏との異なりがあり、この為に衆生は、倶体・倶用ということを知らないのです。
※此処に明確に、「凡夫(衆生)が本仏であり、仏は迹仏である」とあり、衆生は「倶体・倶用(本体も働きも具に備わっている」を知らないので、「迷い」と仰せです。
「日蓮はわるき者にて候えども、法華経はいかでかおろかにおわすべき。ふくろはくさけれども、つつめる金はきよし。池はきたなけれども、はちすはしょうじょうなり。日蓮は日本第一のえせものなり。法華経は一切経にすぐれ給える御経なり。心あらん人は、金をとらんとおぼさばふくろをすつることなかれ、蓮をあいせば池をにくむことなかれ。わるくて仏になりたらば、法華経の力あらわるべし。よって臨終わるくば、法華経の名をおりなん。さるにては、日蓮はわるくても、わるかるべし、わるかるべし。」(窪尼殿御返事<金と蓮の事> 旧では、西山殿御返事 新1980-1頁・全1476頁)建治・弘安期
現代語訳:日蓮は悪い者と言われていますが、(弘教する)法華経は、どうして、いい加減なものでありましょうか。(例えば、)袋は臭くても詰めている中の金は尊いのです。池は濁っていても蓮は清浄なのです。日蓮は日本第一の僻者です。しかし法華経は一切経に勝れた経なのです。(経を求める)心のある人が、金を取ろうと思うならば臭い袋を捨ててはなりません。蓮を愛するなら濁った池を憎んではなりません。悪いと云われても、仏に成りたければ、法華経の力が顕われるでしょう。従って臨終が悪かったならば、法華経の名折れとなるでしょう。そうであるならば、日蓮は悪い(と言われていて)も、悪いでよいのです、重ねて悪いでよいのです。
※大聖人は、世間でどの様に悪口を言われようが、「衆生が仏に成れば真実も明らかになる」とのお考えだったのでしょう。
「今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るを、当体蓮華の仏と云うなり云々。」(御義口伝上 新1032頁・全740頁)弘安元年1月
現代語訳:今、日蓮大聖人並びにその門下が、南無妙法蓮華経と唱え奉っているのを、当体蓮華の仏と言うのです。
補足:当体蓮華とは、一切衆生の当体は妙法蓮華であることを云い、此れを説明する為に用いられた植物の蓮華を譬喩蓮華という。
※大聖人は、唱題する日蓮門下を「当体蓮華の仏」と賞賛されています。
「『如来』とは釈尊、総じては十方三世の諸仏なり、別しては本地の無作の三身なり。今、日蓮等の類いの意は、総じては『如来』とは一切衆生なり、別しては日蓮の弟子檀那なり。されば、無作の三身とは、末法の法華経の行者なり。無作の三身の宝号を、『南無妙法蓮華「経』と云うなり。寿量品の事の三大事とは、これなり。
六即の配立の時は、この品の如来は理即の凡夫なり。頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時、名字即なり。その故は、始めて聞くところの題目なるが故なり。聞き奉って修行するは、観行即なり。この観行即とは、事の一念三千の本尊を観ずるなり。さて、惑障を伏するを、相似即と云うなり。化他に出ずるを、分真即と云うなり。無作の三身の仏なりと究竟したるを、究竟即の仏とは云うなり。総じて伏惑をもって寿量品の極とせず。ただ凡夫の当体、本有のままを、この品の極理と心得べきなり。無作の三身の所作は何物ぞという時、南無妙法蓮華経なり云々。」(御義口伝下 新1048-9頁・全752頁)弘安元年正月
現代語訳:如来とは釈尊のことで、総じては十方三世のあらゆる仏に通ずるのです。だが別しては、本地無作の三身(即ち久遠元初の、凡夫即極の本仏)です。今、日蓮及びその門下の意味では、総じて如来とは、一切衆生です。別して日蓮及びその弟子檀那のことです。(これはあくまで理の上で論じたものであり、別して、事の上で論ずるならば、日蓮及びその弟子檀那のことです)そうであれば、無作の三身とは、末法の法華経の行者(即ち末法に全民衆救済の為に出現された御本仏日蓮大聖人)の事です。この無作の三身(即ち日蓮大聖人)の宝号を、南無妙法蓮華経というのです。寿量品の事の三大事(即ち内証の寿量品に顕わされた事の一念三千の当体たる本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇の三大秘法)とはこの事なのです。
(妙法蓮華経如来寿量品の立場から)如来を六即に配立するならば、この品の如来は(決して色相荘厳の仏をいうのではなく)理即の凡夫をいうのです。我々凡夫の身を離れて如来は無いのです。だがこれはまだ理の上であり、我々が南無妙法蓮華経(御本尊)を戴いた時は、名字即です。その理由は、初めて題目を聞く(即ち信受した)からです。聞き敬って、さらに信行する(御本尊を受持しきっていく)ことは観行即です。この観行即とは、事の一念三千の本尊を観ずる、即ち信ずる事です。我々が、御本尊を信じ唱題していくならば、我が身の内に仏界を顕現し、力強い生命が発揮されていくのです。さて、惑障、即ち、我々の様々な心の迷い、悩み、また三障四魔、三類の強敵に打ち勝っていく事が、相似即なのです。更に折伏行に邁進し、広宣流布に向かって戦う事は、分身即というのです。この時、わが身が無作の三身と究竟する事ができます。即ち生命の奥底に無作三身如来なりと覚知していく事ができるのです。これを究竟即というのです。全体を通じていうならば、釈迦仏法の様に歴劫修行により、次第に惑いを伏し、仏果を得ていくというのではなく、南無妙法蓮華経如来寿量品の根本(極理)は、凡夫の当体本有のままで究竟即、即無作三身如来の真実の幸福境涯を会得していく事なのです。これが、この品の極理であると心得るべきです。それではこの無作三身如来の振舞いは何かといえば、それは南無妙法蓮華経以外にないのです。
※大聖人は「凡夫そのままの姿で究竟即に至る」と、つまり御本尊の功力を信じ唱題していきならば、凡夫でも無作三身如来として成仏すると仰せです。
[165] 題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 11
名前:サム
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投稿日:
2025/08/23(土) 23:34
2001:ce8:127:e3a4:31f7:5e96:5679:281a(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:31f7:5e96:5679:281a)
御書拝読で判る大聖人のお立場 11
第十章 大聖人の御本仏としての確信と御振舞 後編
「南無妙法蓮華経と我が口にも唱え候故に、罵られ、打ちはられ、流され、命に及びしかども勧め申せば法華経の行者ならずや。法華経には、行者を怨む者は阿鼻地獄の人と定む。四の巻には、仏を一中劫罵るよりも、末代の法華経の行者を悪む罪深しと説かれたり。七の巻には、行者を軽しめし人々、千劫阿鼻地獄に入ると説き給えり。五の巻には、我が末世末法に入って、法華経の行者有るべし、その時、その国に持戒・破戒等の無量無辺の僧等集まって国主に讒言して流し失うべしと説かれたり。しかるに、かかる経文かたがた符合し候い畢わんぬ。未来に仏に成り候わんこと、疑いなく覚え候。」(松野殿御返事 新1998-9頁・全1389-90頁)建治4年2月 57歳御作
現代語訳:南無妙法蓮華経と私自ら唱えた為に、罵られ、打たれ、流罪に処せられ、命にも及ぶ難を受けたけれども、弘通し続けていますが、(どうして私が)法華経の行者でないのでしょうか。法華経には、「法華経の行者をうらむ者は、阿鼻地獄に堕ちる人である」と定めています。法華経の第四の巻法師品には、「仏を一中劫の長い間罵る罪よりも、末代の法華経の行者を悪み敵対する罪はなお深い」と説かれています。第七の巻不軽品には、「法華経の行者を軽んじた人々は、千劫という長い間阿鼻地獄に入る」と説かれています。五の巻の勧持品には、「釈迦滅後の末法に入ったならば、法華経の行者が必ず出現します。その時、その国には持戒・破戒等の多くの僧侶が集まって、国主に讒言して、法華経の行者を流罪に処して失きものにしようとする」と説かれています。だから(日蓮の身は、)この様な経文にことごとく符合したのです。従って未来に成仏することは疑いないものと確信するのです。
※大聖人の確信「未来に仏に成るだろう事は疑いない」、だからこそ、現在私達は、日蓮大聖人を「末法の御本仏」として尊崇しているのです。
「日蓮はわるき者にて候えども、法華経はいかでかおろかにおわすべき。ふくろはくさけれども、つつめる金はきよし。池はきたなけれども、はちすはしょうじょうなり。日蓮は日本第一のえせものなり。法華経は一切経にすぐれ給える御経なり。心あらん人は、金をとらんとおぼさばふくろをすつることなかれ、蓮をあいせば池をにくむことなかれ。わるくて仏になりたらば、法華経の力あらわるべし。よって臨終わるくば、法華経の名をおりなん。さるにては、日蓮はわるくても、わるかるべし、わるかるべし。」(窪尼殿御返事<金と蓮の事> 旧では、西山殿御返事 新1980-1頁・全1476頁)建治・弘安期
現代語訳:日蓮は悪い者と言われていますが、(弘教する)法華経は、どうして、いい加減なものでありましょうか。(例えば、)袋は臭くても詰めている中の金は尊いのです。池は濁っていても蓮は清浄なのです。日蓮は日本第一の僻者です。しかし法華経は一切経に勝れた経なのです。(経を求める)心のある人が、金を取ろうと思うならば臭い袋を捨ててはなりません。蓮を愛するなら濁った池を憎んではなりません。悪いと云われても、仏に成りたければ、法華経の力が顕われるでしょう。従って臨終が悪かったならば、法華経の名折れとなるでしょう。そうであるならば、日蓮は悪い(と言われていて)も、悪いでよいのです、重ねて悪いでよいのです。
※世間でどの様に悪口を言われようと、「衆生が仏に成れば真実も明らかになる」とのお考えなのです。そして大聖人への非難が、そのまま御本仏である証拠となるのです。
「中有の道にいかなる事もいできたり候わば、「日蓮がでしなり」となのらせ給え。わずかの日本国なれども、さがみ殿のうちのものと申すをば、そうなくおそるること候。日蓮は日本第一のふとうの法師。ただし、法華経を信じ候ことは、一閻浮提第一の聖人なり。その名は十方の浄土にきこえぬ。定めて天地もしりぬらん。日蓮が弟子となのらせ給わば、いかなる悪鬼なりとも、よもしらぬよしは申さじとおぼすべし」(妙心尼御前御返事<病之良薬の事> 新1964頁・全1480頁)弘安元年8月16日 57歳御作
現代語訳:中有の道にあって、どの様な事でも起きれば「日蓮の弟子である」と名乗りなさい。小さな日本国ですが相模守殿の家来であると言えば、理由もなく恐れられる事があります。日蓮は日本第一の不当な法師です。ただし、法華経を信じ奉る事は一閻浮提第一の聖人です。その名は十方の浄土にも聞こえています。必ず天地も知っている事でしょう。日蓮の弟子であると名乗られるならば、どの様な悪鬼もまさか(日蓮の名を)知らないとは言わない筈です。
※「一閻浮提第一の聖人」との表現こそが、日蓮大聖人が「末法の本仏」である事を示しています。
「日蓮となのること、自解仏乗とも云いつべし。かように申せば利口げに聞こえたれども、道理のさすところ、さもやあらん。経に云わく『日月の光明の、能く諸の幽冥を除くがごとく、この人は世間に行じて、能く衆生の闇を滅す』と。この文の心よくよく案じさせ給え。『斯人行世間(この人は世間に行じて)』の五つの文字は、上行菩薩、末法の始めの五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明をさしいだして、無明・煩悩の闇をてらすべしということなり。」(寂日房御書 新1269頁・全903頁)弘安2年9月 58歳御作
現代語訳:(私が)日蓮と名乗ることは自解仏乗(自ら仏乗を解す)ともいうべきです。この様にいえば利口ぶっている様に聞こえますが、道理に従えば、そういう事もあるでしょう。法華経如来神力品に「日月の光明が能く諸の幽冥を除くように、斯の人は世間に行じて能く衆生の闇を滅する」とあります。この文をよくよく考えてください。「斯人行世間(斯の人は世間に行じて)」の五つの文字は、上行菩薩が末法の初めの五百年に出現して、南無妙法蓮華経の五字の光明を指し出して、無明煩悩の闇を照らすだろうという事なのです。
※此処では、「上行菩薩が妙法の五字の光明で無明煩悩の闇を照らす」と第三者的に述べておられますが、実際は、ご自身を「上行菩薩」或いはそれより上と自覚され、自解仏乗(自ら成仏の法である法華の教理を悟ること)されておられると解釈すべきです。
「究竟円満の仏にならざらんより外は、法華経の御敵は見しらさんなり。一乗のかたき、夢のごとく勘え出だして候。」(慈覚大師事 新1378頁・全1019頁)弘安3年 59歳御作
現代語訳:究竟円満(究竟即の位に到達し一切の願行満足した)仏にならない限りは、法華経の御敵は見分ける事はできないでしょう。(ところが日蓮は)一乗の法華経の敵を、夢の様に見分けたのです。
※法華経の敵を見分けられた事が「仏になられている」証拠ではないでしょうか。
◎「日蓮は日本国の諸人にしゅうし父母なり」(開目抄 新121頁・全237頁)文永9年2月 51歳御作 との御文があります。この「主師親」の三徳の「主」の徳は、衆生を守る、「師」の徳は、衆生を導き教化する、「親」の徳は、衆生を慈愛する、という力・働きをいい、三徳具備を衆生救済の条件とされ、御本仏の証とされています。
日蓮正宗では、この「開目抄」を「人本尊開顕の書」とされ、佐渡流罪をもって「末法の御本仏」に「発迹顕本」されたと捉えています。一切衆生を「成仏」させようと専念される日蓮大聖人を、私達学会員も「末法の御本仏」として御尊崇申し上げるのです
[164] 題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 10
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2025/08/18(月) 12:35
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御書拝読で判る大聖人のお立場 10
第十章 大聖人の御本仏としての確信と御振舞 前編
仏とは、仏陀(ブッダ、Buddha)を云い、一切諸法の本体・現象をありのままに覚知し、真理を体現し、他を導いて真理を証得させ得る覚者を云い、十種類の尊称(十号)を持っています。つまり、①如来=一切諸法の根本真を理を体現し、三世に亘る因果律を証得した人、②応供=応受供養の意で、人天の供養を受けるに足る人、③正偏知=正等覚とも云い、一切の智を備え、諸法を遍く正しく理顔する人、④明行足=三世に通達し、善行を修して満足する人、⑤善逝=善く逝くの意で、無量の智慧で八正道を行じて迷いの世界を越え出る人、⑥世間解=因果の理法を悟り、世間・出世間の事をよく理解する人、⑦無上土=衆生の中でこれ以上もない優れている人、⑧調御丈夫=一切衆生を調伏・制御して成仏させる力を有する人、⑨天人師=天と人の師匠で、あらゆる人を指導し師となれる人、⑩仏世尊=仏は智や徳が円満で目覚めた者の意で、世尊は世のあらゆる人から尊敬される人(但しこの分類の他に諸説があります)です。また仏には、本来の境地を顕した「本仏」と衆生救済の為に示した仮の姿の「迹仏」とに分けられます。
此処に日蓮大聖人が、「御本仏」であられる事を連想させる御文を前編・後編の二回に分けてご紹介します。
「悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は、師子王のごとくなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮がごとし。これおごれるにはあらず。正法を惜しむ心の強盛なるべし。」(佐渡御書 新1286頁・全957頁)文永9年3月 51歳御作
現代語訳:悪王が正法を滅亡させる為に、邪法の僧等がこの悪王に味方して、智者を滅ぼそうとする時、師子王の様な心を持つ者が、必ず仏に成るのです。例えば日蓮の様に。これは傲った気持ちではありません。正法が滅びる事を惜しむ心の強さからです。
※日蓮大聖人はこの時代、「ご自身が本仏」とは仰っていませんが、多くの御文での謙譲的表現を通して、御自身の御内証を吐露されています。
「貴辺、法華経の行者となり、結句大難にもあい、日蓮をもたすけ給うこと、法師品の文に『化の四衆、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を遣わして』と説き給う。この中の『優婆塞』とは、貴辺のことにあらずんばたれをかささん。すでに法を聞いて信受して逆らわざればなり。不思議や、不思議や。もししからば、日蓮、法華経の法師なること疑いなきか。『則如来使(則ち如来の使いなり)』にもにたるらん、『行如来事(如来の事を行ず)』をも行ずるになりなん。」(四条金吾殿御返事<煩悩即菩提御書> 新1522頁・全1117頁)文永9年5月 51歳御作
現代語訳:あなたは、法華経の行者となり、ついには大難にも遭遇し、日蓮をも助けて下さいました。法華経法師品の文に「化の四衆、すなわち比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を遣わして」と説かれていますが、この中の優婆塞とは、あなたの事でなければ、誰の事を指すのでしょうか。(何故ならば、あなたは、)既に法華経を聞いて信受し、違背するところが無いからです。大変不思議な事です。もしあなたが法師品の優婆塞ならば、日蓮は法華経の法師であることは疑いないと言えるでしょう。経文に説かれている「則ち如来の使」にも似ており、その行動は「行如来事」を行じている事になるでしょう。
※法華経の法師でかつ「如来の事を行ず」とは、遠慮がちですが、既に日蓮大聖人御自身が、仏である事を自覚されていますね。
「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。ただし、彼は脱、これは種なり。彼は一品二半、これはただ題目の五字なり。」(如来滅後五五百歳始観心本尊抄 新139頁・全249頁)文永10年4月 52歳御作
現代語訳:釈尊在世の本門と末法の始めの本門は、いずれも(一切衆生がことごとく即身成仏する)純円の教えです。但し(在世と末法の本門の相違をいうならば)在世は脱であり、末法は下種です。在世は一品二半、末法はただ題目の五字なのです。
※釈尊の仏法と日蓮仏法の対比から仏教創始者と末法の仏教改革者の姿が伺われます。
「安州の日蓮は、恐らくは、三師に相承し、法華宗を助けて末法に流通す。三に一を加えて三国四師と号づく。」(顕仏未来記 新612頁・全509頁)文永10年5月御作
現代語訳:安房国の日蓮は、恐らくは、釈尊、天台、伝教の三師に相承し、法華宗を助けて、末法に南無妙法蓮華経を広宣流布するのです。故に釈尊、天台、伝教の三師に日蓮を加えて、三国四師と名づけるのです。
※日蓮大聖人は天台宗における相承系譜から出て法華経により、釈尊・天台・伝教・日蓮という三国四師を立てられていますが、彼等は全て仏菩薩とされており、末法時代は大聖人お一人だけです。
「仁王経には、小難は無量なり。中難は二十九、大難は七とあり。此の経をば、一には仁王と名づけ、二には天地鏡と名づく。この国主を天地鏡に移して見るに明白なり。またこの経文に云わく『聖人去らん時は、七難必ず起こらん』等云云。当に知るべし、この国に大聖人有りと。また知るべし、彼の聖人を国主信ぜずということを。」(法蓮抄 新1430-1頁・全1053頁)建治元年4月 54歳御作
現代語訳:仁王経には「小難は無量であり、中難は二十九、大難は七つある」とあります、この経を一には仁王と名づけ、二には天地鏡と名づけるのです。この国の国主をこの天地鏡に映してみると明白です。またこの経文に「聖人去るときは七難が必ず起こる」等とあります。この国に大聖人がおられる事を知るべきです。また、かの聖人を国主が信じないという事を知るべきです。
※「此の国に大聖人有りと、知るべし」この大聖人こそが、日蓮大聖人御自身なのです。
「今、日蓮は、末法に生まれて妙法蓮華経の五字を弘めてかかるせめにあえり。仏滅度して後二千二百余年が間、恐らくは天台智者大師も『一切世間に怨多くして信じ難し』の経文をば行じ給わず。『しばしば擯出せられん』の明文は、ただ日蓮一人なり。『一句一偈、我は皆ために授記す』は我なり。阿耨多羅三藐三菩提は疑いなし。相模守殿こそ善知識よ、平左衛門こそ提婆達多よ。念仏者は瞿伽利尊者、持斎等は善星比丘なり。在世は今にあり、今は在世なり。法華経の肝心は、『諸法実相』ととかれて『本と末とは究竟して等し』とのべられて候はこれなり。」(種々御振舞御書 新1235頁・全916頁)建治2年 55歳御作
現代語訳:今、日蓮は末法に生まれて妙法蓮華経の五字を弘めてこの様な責めに遇いました。仏滅度後の二千二百余年の間に、恐らくは天台智者大師も「一切世間多怨難信」の経文は行じられなかったのです。(そして)「数数見擯出」の明文を行じたのは但日蓮一人だけです。(だから)「一句一偈・我皆与授記」に相当するのは私なのです。「阿耨多羅三藐三菩提(仏の悟りや智慧は無上・無比で平等円満である)」を得た事は疑いありません。相模守時宗殿こそ善知識です。平左衛門こそ提婆達多です。念仏者は瞿伽利尊者であり、持斎等は善星比丘なのです。在世は今にあり、今は在世なのです。法華経の肝心は「諸法実相」と説かれていて「本末究竟等」と宣べられていますが、この事なのです。
補足:サンスクリット語の音読み「阿耨多羅三藐三菩提」は、無上正遍知・無上正等覚・無答正遍知と訳され、「阿耨多羅」は、無上、勝るものが無いこと、「三藐」は、正等・正遍、清浄かつ偏頗のないこと、「三菩提」は、正覚、仏の完全な悟りのこと、を言います。
※佐渡配流の後に大聖人は、法華経を身読され、ただ一人だけ仏の境涯を自覚されたのです。
「真の天のせめにてだにもあるならば、たとい鉄囲山を日本国に引き回らし、須弥山を蓋いとして十方世界の四天王を集めて波際に立て並べてふせがするとも、法華経の敵となり、教主釈尊より大事なる行者を、法華経の第五の巻をもって日蓮が頭を打ち、十巻共に引き散らして散々に踏みたりし大禍は、現当二世にのがれがたくこそ候わんずらめ。」(下山御消息 新299頁・全363頁)建治3年6月 56歳御作
現代語訳:もし真に諸天の責めであるならば、たとえ鉄囲山で日本国を取り囲み、須弥山を蓋として、十方世界の四天王を集めて波打ち際に並べて防がせようとしても、(法華経の敵となって)教主釈尊よりも大事な法華経の行者(たる日蓮)を、法華経の第五の巻で打ち、法華経十巻をひき散らかし散々に踏みにじられた大禍は、現当二世に亘って逃れ難いでしょう。
※「教主釈尊より大事な行者」との一言により、「御自身が本仏」である事を仰っているのです。
[163] 題名:フェイク 第1789号
名前:宿坊
◇
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投稿日:
2025/08/11(月) 17:02
2a02:6ea0:e00c:0:1b85:45c2:40f7:14bd(IPv6:) (2a02:6ea0:e00c:0:1b85:45c2:40f7:14bd)
(発行=25.08.09)
法華講富士地方部長の清功が死去
浅間神社でお祓い、玉串奉納など参詣の常連
日如は謗法行為を教導できず黙認
日蓮正宗法華講連合会の理事で富士地方部長の清功(せい・たくみ、写真)が
八日の早朝、病気療養のため入院していた富士市立中央病院で死去した。
享年八十六歳。清功は浅間神社に参拝してはお祓いをうけ、参列者を代表して
玉串を奉納し、浅間大社氏子青年会と一緒に万歳を三唱(写真下)するなど謗法
の常習犯であった。
そのため大石寺総代でありながら神社の行事に参列して拝礼するだけではなく、
神札まで奨励していた井出光彦と共に〝大石寺の二大謗法幹部〟と言われてい
たのである。
清功は平成二十四年九月七日、富士山本宮浅間大社の拝殿で中村徳彦宮司を祭
司として富士山の夏山シーズンの終わりを告げる閉山祭に大社役員、氏子衆や
崇敬者などと共に参列。お祓い(写真下)の後、神職が約二ヶ月間にわたる開山
の終了を報告する祝詞をあげ、清功は参列者を代表して玉串を奉納した。
翌二十五年七月一日には富士山お山開きで富士山本宮浅間大社と富士根本宮村
山浅間神社で登山の無事・安全を祈願する神事が行なわれた時も清功は参加し
た。
西山本門寺の僧と同座
また、平成二十九年六月六日、富士宮市・西山本門寺の境内にある織田信長の
首塚で行われた「信長公供養祭」にも参列していた。
信長は天正十年(一五八二年)六月二日、京都本能寺に宿泊していた時、家臣
の明智光秀の謀反によって襲撃され、非業の死を遂げたが、信長の遺体は見つ
からなかった。
そのため、密かに脱出して別の場所で自害したという説とか、信長を慕う僧と
配下によって人知れず埋葬されたという説などが後世に流布した。
また、事件当時も信長の生存説が流れ、光秀と対立する羽柴秀吉は、この噂を
利用して、味方を増やそうとしたと言われている。
西山本門寺の境内に信長の首が埋葬されているとの伝説があり、「信長公首塚」
が築かれている。供養祭を主催したのは信長公奉賛会で、同会は「織田信長公
を供養し、会員相互の親睦を図る」ことを目的に、平成二十三年に設立された。
供養祭は西山本門寺・大詮坊の本間裕史住職をはじめ浄円坊、妙円坊の僧侶達
が経を上げ、法華講の富士地方部長の清功も同座して合掌し、焼香していた。
この清功に対して日如は謗法を指摘したこともなく、教導も出来ず黙認してい
た。
[162] 題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 9
名前:サム
◇
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投稿日:
2025/07/24(木) 23:07
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御書拝読で判る大聖人のお立場 9
第九章 御本尊の図顕と授与による民衆救済
「経王御前のこと、二六時中に日月天に祈り申し候。先日のまぼり、暫時も身をはなさずたもち給え。その本尊は、正法・像法二時には、習える人だにもなし、ましてかき顕し奉ることたえたり。師子王は、前三後一と申して、ありの子を取らんとするにも、またたけきものを取らんとする時も、いきおいを出だすことは、ただおなじきことなり。日蓮、守護たるところの御本尊をしたため参らせ候ことも、師子王におとるべからず。経に云わく「師子奮迅の力」とは、これなり。また、この曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし。南無妙法蓮華経は師子吼のごとし、いかなる病さわりをなすべきや。(中略)日蓮がたましいをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給え。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましいは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。妙楽云わく『顕本遠寿をもってその命となす』と釈し給う。経王御前には、わざわいも転じて幸いとなるべし。あいかまえて御信心を出だし、この御本尊に祈念せしめ給え。何事か成就せざるべき。『その願を充満すること、清涼の池のごとし』『現世安穏にして、後に善処に生ぜん』、疑いなからん。」(経王殿御返事 新1632-3頁・全1124頁)文永10年8月 52歳御作
現代語訳:経王御前の事は、昼夜に日月天に祈っております。先日差し上げた御本尊は、しばらくの間、身から離すことなく受持していきなさい。その御本尊は、正法、像法の二時には、習い伝えた人すらいません。ましてや書き顕わす事は絶えていたのです。師子王は前三後一といって、蟻の子を取ろうとする時にも、また獰猛なものを取ろうとする時にも、その勢いは、全く同じです。日蓮が守護の御本尊をしたためるのも、師子王(の勢い)に劣らなかったのです。法華経涌出品に「師子奮迅の力」とあるのはこれです。また、この曼荼羅(御本尊)を、よくよく信じていきなさい。南無妙法蓮華経は師子吼の様なものです。どの様な病が、障害をなすでしょうか。(中略)日蓮が魂を墨に染めながして書いたのです。信じてください。釈迦仏の本意は法華経です。日蓮の魂は南無妙法蓮華経に過ぎたものはないのです。妙楽大師の法華文句記に「本地の遠寿を顕わすことをもってその根本となす」と解釈されています。経王御前にとっては、今の禍も転じて幸いとなるでしょう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に御祈念していきなさい。何事か成就しない事があるでしょうか。法華経薬王品には「その願いが充満して、清涼の池のごとし」とあり、また薬草喩品には「現世は安穏にして、後の世には善処に生まれる」とあります。(これらの経文の通りになる事は)疑いないでしょう。
※四条金吾夫妻の幼児の病気を平癒する為に授与されたこの御本尊は、「日蓮が魂を墨に染め流して(大聖人御自身が生命を注いで)」図顕されたものであり、祈念すれば何事も成就でき、禍も転じて幸せの境涯になる事に疑いはない、と述べられています。
「この御本尊全く余所に求むることなかれ。ただ我ら衆生の法華経を持って南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におわしますなり。これを九識心王真如の都とは申すなり。十界具足とは、十界一界もかけず一界にあるなり。これによって曼陀羅とは申すなり。曼陀羅というは天竺の名なり。ここには、輪円具足とも功徳聚とも名づくるなり。この御本尊もただ信心の二字におさまれり。『信をもって入ることを得たり』とは、これなり。日蓮が弟子檀那等、『正直に方便を捨つ』『余経の一偈をも受けず』と無二に信ずる故によって、この御本尊の宝塔の中へ入るべきなり。たのもし、たのもし。いかにも後生をたしなみ給うべし、たしなみ給うべし。あなかしこ。南無妙法蓮華経とばかり唱えて仏になるべきこと、もっとも大切なり。信心の厚薄によるべきなり。」(日女御前御返事<御本尊相貌抄> 新2088頁・全1244頁)建治3年8月 56歳御作
現代語訳:この御本尊を、全く他所に求めてはなりません。ただ私達衆生が法華経を信受し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団におられるのです。これを「九識心王真如の都」というのです。十界具足とは、十界の各界が一界も欠けず、そのまま一界に納まっているということです。これによって、御本尊を曼陀羅というのです。曼陀羅というのはインドの言葉であり、訳すれば輪円具足とも、功徳聚ともいうのです。この御本尊も、ただ信心の二字に収まっているのです。「信を以って入ることを得たり」とあるのは、この事です。日蓮の弟子檀那達は、「正直に方便を捨てて」の文や「余経の一偈をも受持してはならない」の文の通り、法華経のみを唯一無二に信ずる事によって、この御本尊の宝塔の中に入ることができるのです。まことに頼もしいことです。なんとしても、後生(未来の福運)の為に、仏道に打ち込んでいきなさい。「南無妙法蓮華経」とだけ唱えて、成仏していく事が最も大切です。ひとえに信心の厚薄によるのです。
※「本尊は、私達衆生が法華経を信受し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団におられ、後生の為に仏に成れる様に、唱題に努めていきなさい」と、自力本願の真骨頂とも云える御指導ですね。
「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉って、我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給うところを仏とは云うなり。(中略)口に妙法をよび奉れば、我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給う。梵王・帝釈の仏性はよばれて我らを守り給う。仏菩薩の仏性はよばれて悦び給う。されば、「もししばらくも持たば、我は則ち歓喜す。諸仏もまたしかなり」と説き給うは、この心なり。されば、三世の諸仏も妙法蓮華経の五字をもって仏に成り給いしなり。三世の諸仏の出世の本懐、一切衆生皆成仏道の妙法と云うは、これなり。」(法華初心成仏抄 新704頁・全557頁)建治3年 56歳御作
現代語訳:我が己心の妙法蓮華経を本尊と崇め敬って、我が己心中の仏性を南無妙法蓮華経と呼んで、呼ばれて顕われるのを仏というのです。(中略)口で妙法を呼ぶ様に敬えば、我が身の仏性も呼ばれて必ず顕われます。梵王や帝釈の仏性は呼ばれて我らを守ります。仏や菩薩の仏性は呼ばれて喜びます。だから、法華経見宝搭品に「もし少しの間でも(法華経を)持つ者がいれば、我れ即座に歓喜する。諸仏もまた同様である」と説かれているのは、この意味です。従って、三世の諸仏も妙法蓮華経の五字によって仏になられたのです。三世諸仏の出世の本懐であり、一切衆生が皆、仏道を成ずる妙法というのは、これなのです。
※本抄では「三世諸仏の出世の本懐」とされていますが、我が己心の妙法蓮華経を本尊と崇め、南無妙法蓮華経と唱える事で己心の仏性を呼び覚ます事ができる、と明示されています。
「御義口伝に云わく、この本尊の依文とは、「如来秘密・神通之力」の文なり。戒・定・慧の三学は、寿量品の事の三大秘法これなり。日蓮たしかに霊山において面授口決せしなり。本尊とは、法華経の行者の一身の当体なり云々。」(御義口伝下 新1059頁・全760頁)弘安元年正月
現代語訳:御義口伝に仰せです。この本尊の依文になっているのは、如来寿量品の「如来秘密神通之力」の文なのです。戒定慧の三学は、(その究極は、内証の)寿量品に説かれる「事の三大秘法」がその実体なのです。日蓮は、(三大秘法を)たしかに霊鷲山において面授口決を受け(大聖人の一身に持っ)ているのです。(従って)本尊とは、末法の法華経の行者(即ち御本仏日蓮大聖人)の一身の当体なのです。
※本尊とは、法華経行者の当体である、と明確に仰せです。
「この御本尊は、世尊説きおかせ給いて後、二千二百三十余年が間、一閻浮提の内にいまだひろめたる人候わず。漢土の天台、日本の伝教、ほぼしろしめして、いささかひろめさせ給わず。当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候え。経には上行・無辺行等こそ出でてひろめさせ給うべしと見えて候えども、いまだ見えさせ給わず。日蓮はその人に候わねども、ほぼこころえて候えば、地涌の菩薩の出でさせ給うまでの口ずさみにあらあら申して、況滅度後のほこさきに当たり候なり。願わくは、この功徳をもって、父母と師匠と一切衆生に回向し奉らんと祈請仕り候。」(本尊問答抄 新314-5頁・全頁)弘安元年9月 57歳御作
現代語訳:この御本尊を、釈尊が法華経の中に説き置かれて後二千二百三十余年の間、一閻浮提の内にいまだ弘めた人はいないのです。中国の天台大師や日本の伝教大師はほぼ知っていても、少しも弘められなかったのです。当時(末法の今)こそ弘められる時に当たっているのです。法華経には上行菩薩・無辺行菩薩等の地涌の菩薩が出現して弘めると説かれていますが、いまだに出現されてはいないのです。日蓮はその人ではありませんが、ほぼ心得たので地涌の菩薩が出現されるまでの間、思い浮かぶままにあらあらの所を説いて、法華経法師品第十の「況滅度後」の大難に遭ったのです。願いとしてこの功徳をもって、父母と師匠と一切衆生に回向してあげたいと請い祈っています。
※大聖人は、この時点でも上行菩薩を否定されていますが、菩薩の代行として、一切衆生を幸福にさせたいと御本尊を図顕されたのです。また大聖人自身の功徳を回し転じて衆生に振り向け(回向)、自他共に仏果を成就させたいと願われたのですね。
◎本尊について、日蓮大聖人は紙幅の御本尊以外に我々の胸中にある、など様々に御教示されています。更に紙幅御本尊は、「法華弘通の旗印」(日女御前御返事<御本尊相貌抄> 新2086頁・全1243頁)とされ、日興上人が分身散体の意義を込めて本尊書写を許可されて今日の普及に至っています。当然、歴代法主だけではなく一般僧侶の書写も行われていました。現代では、科学の進歩により手書きの模写ではない精密なデジタル画像の作成が可能になっていますので、私は「大聖人御自筆御本尊」のコピーを各家庭の御本尊として欲しいと思っています。此れを実施してこそ、創価学会は、日顕宗から完全に決別し発迹顕本した存在になる、と信じています。
[161] 題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 8
名前:サム
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投稿日:
2025/07/02(水) 10:45
2001:ce8:127:e3a4:34d5:4ede:3161:84de(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:34d5:4ede:3161:84de)
御書拝読で判る大聖人のお立場 8
第八章 御本尊の意義と相貌を語る
根本として尊敬する対象を本尊と称し、日蓮大聖人の御本尊は、法華経虚空会の儀式の様子を模し、中央に一大秘法である五字七字の南無妙法蓮華経を、その左右に釈尊と多宝仏を配して、紙幅の曼荼羅(信仰対象に諸仏等を総集して図顕したもの)として書かれたとされています。今回は、大聖人が記述された御本尊について、紹介させていただきます。
「問うて云わく、法華経を信ぜん人は、本尊ならびに行儀、ならびに常の所行はいかにてか候べき。答えて云わく、第一に本尊は法華経八巻・一巻・一品、あるいは題目を書いて本尊と定むべしと法師品ならびに神力品に見えたり。また、たえたらん人は釈迦如来・多宝仏を書いても造っても法華経の左右にこれを立て奉るべし。また、たえたらんは十方の諸仏・普賢菩薩等をもつくりかきたてまつるべし。行儀は本尊の御前にして必ず坐立行なるべし。道場を出でては行住坐臥をえらぶべからず。常の所行は題目を南無妙法蓮華経と唱うべし。たえたらん人は一偈一句をも読み奉るべし。」(唱法華題目抄 新17頁・全12頁)文応元年5月 39歳御作
現代語訳:問うて言います。法華経を信じる人は、本尊や行儀、並びに普段の所行はどの様にすべきでしょうか。答えて言います。第一に、本尊は法華経八巻・一巻・一品或いは題目を書いて本尊と定めるべきです、と法師品並びに神力品に説かれています。また、物足りない人は、釈迦如来・多宝仏を書いたり造ったりして、法華経の左右に立てて敬っていきなさい。更にそれでも物足りない人は、十方の世界の諸仏・普賢菩薩等を造ったり書いたりして敬っていきなさい。行儀は、本尊の前では必ず坐立行です。道場を出たならば、行住坐臥を選ばないでください。普段の所行は、題目を南無妙法蓮華経と唱えなさい。物足りない人は、一偈・一句を読んで敬っていきなさい。
※この時期には、大聖人は文字曼荼羅である紙幅の御本尊をまだ建立されていませんし、明確に御本尊を定めておられません。しかし方向性として、題目を書いて唱題していきなさい、と述べておられます。
「千二百・無量の声聞は、法華経ましまさずば、誰か名をもきくべき、その音をも習うべき。一千の声聞、一切経を結集せりとも、見る人もよもあらじ。ましてこれらの人々を絵像・木像にあらわして本尊と仰ぐべしや。これひとえに、法華経の御力によって一切の羅漢帰依せられさせ給うなるべし。」(開目抄 新75頁・全204頁)文永9年2月 51歳御作
現代語訳:千二百の声聞も無量の声聞も、法華経が説かれていなかったならば、誰がその名を聞く事があるでしょうか。その(声聞の発する)声(経文上の発言)をも習う事があるでしょうか。一千の声聞が一切経を結集したとしても、見る人も居ないでしょう。ましてやこれらの人々を絵像・木像に書き顕して本尊として仰ぐでしょうか。これもひとえに法華経の御力によって全ての羅漢が、(大衆に)帰依される身となったからです。
※羅漢達の登場により、虚空会の儀式を書き顕したとされる文字曼荼羅の相貌全体が想起されますね。
「この本門の肝心・南無妙法蓮華経の五字においては、仏なお文殊・薬王等にもこれを付嘱したまわず。いかにいわんや、その已下をや。ただ地涌千界を召して、八品を説いてこれを付嘱したもう。その本尊の為体は、本師の娑婆の上に宝塔空に居し、塔中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士たる上行等の四菩薩、文殊・弥勒等は四菩薩の眷属として末座に居し、迹化・他方の大小の諸の菩薩は万民の大地に処して雲客月卿を見るがごとく、十方の諸仏は大地の上に処したもう。迹仏・迹土を表する故なり。かくのごとき本尊は在世五十余年にこれ無し。八年の間にもただ八品に限る。正像二千年の間は、小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士となし、権大乗ならびに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等をもって脇士となす。これらの仏をば正像に造り画けども、いまだ寿量の仏有さず。末法に来入して始めてこの仏像出現せしむべきか。」(観心本尊抄 新136頁・全247-8頁)文永10年4月 52歳御作
現代語訳:この法華経本門の肝心たる南無妙法蓮華経の五字については、釈迦仏は(随一の高弟たる)文殊師利菩薩や薬王菩薩等にもこれを付嘱されていません。どうしてそれ以下(の一般の弟子)に付嘱する理由があるでしょうか。ところが、涌出品から嘱累品に至る八品の間に地涌千界の大菩薩を呼び出して、これを付嘱されたのです。その(文底下種の)御本尊の姿は、(常住不滅の本仏が説き明かす常住の浄土たる)娑婆世界の上に宝塔が空に居て、その宝塔の中の妙法蓮華経の左右に釈迦牟尼仏と多宝仏が並び、釈尊の脇士に上行等の地涌の四菩薩が並び、文殊や弥勒等の迹化の菩薩は本化四菩薩の眷属として末座に居て、迹化の菩薩や他方の国土の大小の諸菩薩は、下賎の万民が大地にひれふして雲閣月卿(と呼ばれる尊貴の人)を見る様に、十方から来集した分身の諸仏は、迹仏迹土を表わす為に、大地の上に場所を取りました。この様な尊極無比の御本尊は、釈尊在世五十余年間に全く存在していません、法華経八年間にも(涌出品から嘱累品に至る)ただ八品にこれ(地涌の菩薩に付属)を説いただけです。正法像法二千年の間には、小乗の釈尊は迦葉と阿難を脇士とし、権大乗や涅槃経・法華経の迹門等の釈尊は文殊や普賢等の菩薩を脇士とし(て建立され)ました。これらの仏を正法・像法年間に造り画きましたが、未だ寿量品に説き顕わされた仏は建立されていません。末法に至って、初めて仏像(文底下種・人法一箇の御本尊)が出現(建立)されるでしょう。
※「本尊は末法に入って初めて出現される」と大聖人は確定的に表現されていますが、実際には既に文永8年10月や9年6月に大聖人御自筆の「楊枝本尊」等が建立されています。
「伝教大師、日本にして末法の始めを記して云わく『代を語れば像の終わり末の初め、地を尋ぬれば唐の東・羯の西、人を原ぬれば則ち五濁の生・闘諍の時なり。経に云わく【なお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや】。この言、良に以有るなり』。この釈に『闘諍の時』云々。今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すなり。この時、地涌千界出現して、本門の釈尊を脇士となす一閻浮提第一の本尊この国に立つべし。月支・震旦にいまだこの本尊有さず。」(観心本尊抄 新146頁・全254頁)
現代語訳:伝教大師が日本に出現し、末法の初めを記して「時代を語れば像法時代の終わり末法の初めであり、地域を尋ねれば唐国の東・靺羯国の西であり、人物は即ち五濁が盛んで闘諍堅固の民衆です。法華経法師品に「如来の現在すら猶怨嫉が多い、ましてや滅度の後は(更に怨嫉が盛になる)」と説かれていますが、この言葉は末法の世相と照らし合わせて実に深い理由のある言葉です」と云っています。この(伝教大師の)釈に「闘諍の時」とは、今の自界叛逆・西海侵逼の二難を指すのです。この(経釈の予言に的中した)時に、地涌千界(の大菩薩)が世に出現して、本門の釈尊を脇士とする一閻浮提第一の本尊がこの国に建立されるのです。インドにも中国にもいまだこの御本尊は出現した事が無いのです。
※この時、既に大聖人は数幅(10幅近くが現存)の御本尊を建立されていましたが、御自身が地涌の菩薩であるとの自覚については、まだ公表されていなかったと思われます。
「ここに日蓮、いかなる不思議にてや候らん、竜樹・天親等、天台・妙楽等だにも顕し給わざる大曼荼羅を、末法二百余年の比、はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり。これ全く日蓮が自作にあらず。多宝塔中の大牟尼世尊、分身の諸仏、すりかたぎたる本尊なり。されば、首題の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に坐し、釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ、普賢・文殊等、舎利弗・目連等坐を屈し、日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅、その外、不動・愛染は南北の二方に陣を取り、悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり、三千世界の人の寿命を奪う悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等、しかのみならず、日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩、天神七代・地神五代の神々、総じて大小の神祇等、体の神つらなる。その余の用の神、あにもるべきや。宝塔品に云わく『諸の大衆を接して、皆虚空に在きたもう』云々。これらの仏菩薩・大聖等、総じて序品列坐の二界八番の雑衆等、一人ももれずこの御本尊の中に住し給い、妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる。これを本尊とは申すなり。経に云わく『諸法実相』、これなり。妙楽云わく『実相は必ず諸法、諸法は必ず十如乃至十界は必ず身土』云々。また云わく『実相の深理、本有の妙法蓮華経』等云々。伝教大師云わく『一念三千即自受用身。自受用身とは、尊形を出でたる仏なり』文。この故に、未曽有の大曼荼羅とは名付け奉るなり。仏の滅後二千二百二十余年には、この御本尊いまだ出現し給わずということなり。」(日女御前御返事<御本尊相貌抄> 新2086-7頁・全1243-4頁)建治3年8月 56歳御作
現代語訳:ここに、日蓮にどの様な不思議があるのでしょうか。正法時代の竜樹、天親等、像法時代の天台、妙楽等でさえも、顕わせなかった大曼荼羅を、末法に入って二百余年を経たこの時に、初めて法華弘通の旗印として顕わしたのです。この大曼荼羅は、全く日蓮が勝手に作り出したものではありません。法華経に出現した多宝塔中の釈迦牟尼仏、並びに十方分身の諸仏の姿を、あたかも板木で摺る様に摺りあらわした御本尊なのです。従って、首題の妙法蓮華経の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に座を占めています。釈迦・多宝、更に、本化の四菩薩は肩を並べ、普賢、文殊等、舎利弗、目連等が座を屈しています。日天、月天、第六天の魔王や、竜王、阿修羅が並び、その外、不動明王と愛染明王が南北の二方に陣を取り、悪逆の提婆達多や愚癡の竜女も一座をはり、三千世界の人の寿命を奪う悪鬼である鬼子母神や十羅刹女等、そればかりでなく、日本国の守護神である天照太神、八幡大菩薩、天神七代、地神五代の神々、全ての大小の神祇等、体(本体、用に対する語)の神が、(この御本尊の中に)列座しています。その他の用(働き、体に対する語)の神は、どうして漏れる事があるでしょうか。宝塔品には「諸の大衆を接して、皆虚空に在り」とあります。これらの仏・菩薩・大聖等、更に法華経序品の説会に列なった二界八番の雑衆等、一人も漏れずに、この御本尊の中に住し、妙法蓮華経の五字の光明に照らされて、本来ありのままの尊形となっています。これを本尊というのです。法華経方便品に「諸法実相」とあるのは、この事を云うのです。妙楽大師はこの文を「実相は必ず諸法であり、諸法は必ず十如是を具えている。(乃至)十界は必ず身土の上に実在する」と解釈しています。また、「実相の深理とは本有の妙法蓮華経のことである」と説かれています。伝教大師は「一念三千とは自受用身のことであり、自受用身とは、尊形を出た本有無作の仏である」と説かれています。この為に、未曾有の大曼荼羅と名付けるのです。釈尊滅後二千二百二十余年の間には、この御本尊は、未だ出現されなかったということです。
※本抄にも、虚空会の儀式を模した御本尊の相貌と意義を詳しく述べられています。
◎「本尊とは勝れたるを用いるべし」(本尊問答抄 新303頁・全366頁)とあり、大聖人は、多くの人々が幸福になる様に個別に御本尊を建立し授与されていたのです。これらは全て「本門の本尊」と称し、今でも他宗で現存する123幅の大聖人御自筆御本尊(日蓮聖人漫荼羅一覧 安国会発行)が紹介されています。 科学技術が発達している現今、私達創価学会員の家庭に、「日蓮大聖人御自筆御本尊」(コピー)を授与される日が到来するでしょう。 その時こそ、創価学会の真の「発迹顕本」だと信じています。
[160] 題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 7
名前:サム
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2025/06/21(土) 10:36
2001:ce8:127:e3a4:c831:8183:ed1d:608a(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:c831:8183:ed1d:608a)
御書拝読で判る大聖人のお立場 7
第七章 出世の本懐・民衆仏法の確立と広布への決意
「出世」とは、仏教用語で仏や菩薩等が世に出現すること、「本懐」とは、心に懐く究極の目的・本意のことを言い、「出世の本懐」とは、この世に出現した仏菩薩の真実究極の目的・本意を言います。本章で述べさせて頂く日蓮大聖人の「出世の本懐」は、読者の皆様も表現は異なれど一貫していると、理解されるのではないでしょうか。
「経の文には「いたるところの諸仏の土に、常に師とともに生ず」とも、あるいは「もし法師に親近せば、速やかに菩薩の道を得、この師に随順して学せば、恒沙の仏を見たてまつることを得ん」とも云えり。釈には「本この仏に従って初めて道心を発し、またこの仏に従って不退地に住せん」とも、あるいは云わく「初めこの仏菩薩に従って結縁し、またこの仏菩薩において成就す」とも云えり。この経釈を案ずるに、過去無量劫より已来、師弟の契約有りしか。我ら、末法濁世において、生を南閻浮提大日本国にうけ、忝くも、諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を、口に唱え、心に信じ、身に持ち手に翫ぶこと、これひとえに過去の宿習なるか。予、日本の体を見るに、第六天の魔王、智者の身に入って、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に「悪鬼はその身に入る」とは、これなり。日蓮、智者にあらずといえども、第六天の魔王、我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず。故に、天魔、力及ばずして、王臣を始めとして良観等の愚癡の法師原に取り付いて日蓮をあだむなり。」(最蓮房御返事 新1780頁・全1340頁)文永9年4月 51歳御作
現代語訳:法華経には「あらゆる諸仏の国土に常に師とともに生まれるであろう」とも、或いは「もし法師に親しく交わるならば、速やかに菩薩の道を得るであろう。この師にしたがって学ぶならば無数の仏を拝見することができるであろう」とも説かれています。法華玄義には「もとこの仏に従って初めて仏道を求める心を起こし、またこの仏に従って不退の境地に住するであろう」とも、或いは法華文句記には「初めこの仏菩薩に従って結縁し、還ってこの仏菩薩のもとで成就する」とも云っています。この経や釈を考えてみるに、過去の計り知れない昔から師弟の約束があったのでしょうか。私達が末法濁世において生を南閻浮提の大日本国に受け、恐れ多くも諸仏出世の本懐である南無妙法蓮華経を口に唱え、心に信じ、身に持ち、手にもてあそぶことは、ひとえに過去の宿習なのでしょうか。私が日本の姿を見るに、第六天の魔王が智者の身に入って正師を邪師となし、善師を悪師となしています。法華経に「悪鬼其の身に入る」と説かれているのはこれです。日蓮は智者ではないけれども、第六天の魔王が我が身に入ろうとしても、かねてから用心深いので身に寄せつけません。だから天魔は力及ばずに王や臣下をはじめとして良観等の愚かな法師達に取りついて、日蓮を怨むのです。
※「諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経」とありますが、実際は大聖人御自身の出世の本懐であると遠回しに述べている事には、間違いないでしょうね。
「阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、これより外の才覚無益なり。聞・信・戒・定・進・捨・慙の七宝をもってかざりたる宝塔なり。多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもえば、さにては候わず、我が身を供養し給う。我が身また三身即一の本覚の如来なり。かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給え。ここさながら宝塔の住処なり。経に云わく「法華経を説く処有らば、我がこの宝塔その前に涌現す」とは、これなり。あまりにありがたく候えば、宝塔をかきあらわしまいらせ候ぞ。子にあらずんば、ゆずることなかれ。信心強盛の者にあらずんば、見することなかれ。出世の本懐とは、これなり。」(阿仏房御書<宝塔御書> 新1733頁・全1304頁)(建治2年3月)
現代語訳:阿仏房はそのまま宝塔であり、宝塔はそのまま阿仏房である。こう信解するよりほかの才覚は無益です。聞・信・戒・定・進・捨・慚という七つの宝をもって飾った宝塔です。あなたが多宝如来の宝塔を供養しておられるのかと思えばそうではありません。我が身を供養しておられるのです。我が身がまた三身即一身の本覚の如来なのです。この様に信じて南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。この場所がそのまま宝塔の住処なのです。法華経見宝塔品に「法華経を説く処には、我がこの宝塔がその前に涌現する」と説かれているのはこの事です。あまりにありがたい事なので、宝塔を書き顕して差し上げます。我が子でなければ譲ってはいけません。信心強盛の者でなければ見せてはいけません。日蓮の出世の本懐とはこれ(宝塔の本尊)を言うのです。
※此処で言う「大聖人の出世の本懐」とは、「宝塔を書き顕し進呈する事」つまり「御本尊の建立と授与」そして此れが、万人の幸福享受への最良の道である事を示唆していますね。
「「一」とは中道、「大」とは空諦、「事」とは仮諦なり。この円融の三諦は何物ぞ。いわゆる南無妙法蓮華経これなり。この五字は、日蓮出世の本懐なり。これを名づけて事となす。日本国の一切衆生の中に日蓮が弟子檀那と成る人は、「衆生にこの機有って仏を感ず。故に名づけて『因』となす」の人なり。それがために法華経の極理を弘めたるは、「機を承けて応ず。故に名づけて『縁』となす」にあらずや。「因」は下種なり。「縁」とは、三・五の宿縁に帰するなり。事の一念三千は、日蓮が身に当たっての大事なり。」(御義口伝 新998-9頁・全717頁)弘安元年正月
現代語訳:一とは、中道法相で中諦、大とは生命が大宇宙に遍満しているということで空諦、事とは事実の相、行動で仮諦です。この三諦がバラバラでなく、渾然一体となっている実体、即ち円融の三諦とは何物でしょうか。それはいわゆる南無妙法蓮華経の事です。この南無妙法蓮華経の五字こそ、日蓮の出世の本懐なのです。この事行の一念三千を名づけて事というのです。日本国の一切衆生の中でも、日蓮の弟子檀那となる人は、法華文句にある「衆生に此の機有って仏を感ず、故に名けて因と為す」人です。その為に法華経の極理たる南無妙法蓮華経を弘める人は、(まさに末法の御本仏であり)「仏機を承けて而も応ず、故に名けて縁と為す」に該当する人ではないでしょうか。因とは(久遠元初の)下種です。縁とは三千塵点劫、五百塵点劫の宿縁に帰するのです。(日蓮大聖人は、その久遠元初の下種である南無妙法蓮華経を末法に弘められたのです。これこそ事の一念三千です。)事の一念三千は(日蓮大聖人の御生命そのものであり)日蓮の身に当たる大事なのです。
※事の一念三千つまり南無妙法蓮華経の五字、その普及こそ、大聖人の身に当たる大事つまり日蓮大聖人の「出世の本懐」であると、述べておられるのですね。
「清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午時にこの法門申しはじめて、今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う。その中の大難申すばかりなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。その間の大難は、各々かつしろしめせり。」(聖人御難事 新1618頁・全1189頁)弘安2年10月 58歳御作
現代語訳:清澄寺という寺の諸仏坊の持仏堂の南面で、正午の時に、この法門を唱えはじめて以来二十七年を経過し、今弘安二年です。釈迦は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年の後に、それぞれ出世の本懐を遂げられました。その本懐を遂げられるまでの間の大難は、それぞれに言い尽くせないほどです。今まで、しばしば述べてきた通りです。日蓮は、二十七年です。その間の大難は、各々がよく御存知の通りです。
※此処で言う「二十七年」とは、大聖人が建長五年に立宗宣言してから本抄執筆までの期間を述べられているのです。先月より大法難が、庶民である農民信徒にも起こり、それを乗り越えようと彼達が懸命に信心していると聞き及び、大聖人御一人から始まった妙法がついに「民衆仏法」として確立された、と自認され、大聖人は、「御自身の出世の本懐」とされたのですね。
「日蓮は中国・都の者にもあらず、辺国の将軍等の子息にもあらず。遠国の者、民が子にて候いしかば、日本国七百余年に一人もいまだ唱えまいらせ候わぬ南無妙法蓮華経と唱え候のみならず、皆人が、(中略)渇して水のごとく、うえて飯のごとく思って候南無阿弥陀仏を、「無間地獄の業なり」と申し候ゆえに、(中略)おどろき、そねみ、ねたみ候ゆえに、去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安二年十一月まで二十七年が間、退転なく申しつより候こと、(中略)はじめは日蓮ただ一人唱え候いしほどに、見る人、値う人、聞く人、耳をふさぎ、(中略)父母・兄弟・師匠・ぜんうもかたきとなる。後には所の地頭・領家、かたきとなる。後には一国さわぎ、後には万人おどろくほどに、(中略)すでに日本国十分が一分は一向南無妙法蓮華経、のこりの九分は、あるいは両方、あるいはうたがい、あるいは一向念仏者なる者、父母のかたき、主君のかたき、宿世のかたきのようにののしる。村主・郷主・郡主・国主等は、謀叛の者のごとくあだまれたり。」(中興入道消息 新1768頁・全1332頁)弘安2年11月 58歳御作
現代語訳:日蓮は、中央の都の者でもなければ、辺境の将軍等の子息でもありません。都から遠く離れた国の庶民の子ですが、(そんな賤しい身分の日蓮が、)日本国七百年以上もの間、誰一人も唱え無かった南無妙法蓮華経の題目を唱えるばかりではなく、一切の人々が(中略)渇きに水を得た様に喜び、飢えて食物を得た様に思っている南無阿弥陀仏の称名を、「無間地獄に堕ちる業となるものだ」と破折したので、(中略)人々は日蓮の言説に驚き、うらみ、憎んだのですが、去る建長五年四月二十八日の立宗以来、今日の弘安二年十一月に至る二十七年間、退転なく年を経るごとにより強盛に(南無妙法蓮華経の)弘通に努めてきた事で、(中略)はじめは日蓮ただ一人、題目を唱えていましたが、見る人、会う人、聞く人いずれも耳をふさぎ、(中略)父母、兄弟、師匠、善友等、近しい人達までもが仇となりました。後には、生国の地頭や領家も日蓮に敵対しました。ついには一国あげて騒ぎ万民が驚嘆するほどになり、(中略)既に日本国の民衆の十分の一は、一心に南無妙法蓮華経と唱える様になり、残りの九分は、念仏と題目の両方を行じ、或いはどちらにつくべきか迷い、或いは一途に念仏を行ずる者は、日蓮をまるで父母のかたき、主君のかたき、宿世のかたきでもあるかの様に罵っているのです。(そして)村主、郷主、国主等は、日蓮を謀叛人の様に怨んでいるのです。
※当時、強盛な法華信者に対して、反対者の多数が批判を越えて法難を起こし、大聖人を謀反人・反逆者の様に恨んだのです。ところが、その中でも農民達・民衆の10分の1が日蓮仏法を信じる様になったのです。此処に大聖人の出世の本懐でもある「民衆仏法を確立」させたのですね。
◎日蓮正宗では、弘安二年十月十二日にあたかも日蓮大聖人が、「戒壇本尊」と称する「楠板本尊」を建立され、これが「日蓮大聖人の出世の本懐」だと宣揚しています。ところが、大聖人の御書や門下の書物の何処にも、その事実を証明する記述はありません。当時の大聖人の健康状態・経済状況等の背景を考慮しても、「楠板本尊」の相貌を既存の「大聖人御自筆御本尊」や「歴代法主書写本尊」のそれと比較しても相違点が多く、大聖人が建立されたとされる「楠板本尊」が虚偽であり、作者不明且つ後世の模作である可能性が高いのです。これまで拙ブログで述べてきましたし、おそらく創価学会首脳部でも認識されている事だと思います。
[159] 題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 6
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2025/06/13(金) 14:14
2001:ce8:127:e3a4:3180:9cf9:79ca:f49d(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:3180:9cf9:79ca:f49d)
御書拝読で判る大聖人のお立場 6
第六章 地涌の頭領・上行菩薩、末法に立つ
上行菩薩は、法華経従地涌出品に説かれている地涌の菩薩の上首である四菩薩の一人です。四菩薩は各々が「常楽我浄」の四徳を表し、上行菩薩は「我」の徳を、即ち生死の苦に束縛されない、自由自在の境涯、真の我の確立を指して、「上行」と呼ばれ、四菩薩の中の筆頭格とされています。「日蓮大聖人は特別な存在の法華経行者」として、前節でご紹介しましたが、今回述べます様に、大聖人が「自身こそが上行菩薩であろう」と覚悟された、と強く想像されるのです。
「貴辺、法華経の行者となり、結句大難にもあい、日蓮をもたすけ給うこと、法師品の文に『化の四衆、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を遣わして』と説き給う。この中の『優婆塞』とは、貴辺のことにあらずんばたれをかささん。すでに法を聞いて信受して逆らわざればなり。不思議や、不思議や。もししからば、日蓮、法華経の法師なること疑いなきか。『則如来使(則ち如来の使いなり)』にもにたるらん、『行如来事(如来の事を行ず)』をも行ずるになりなん。多宝塔中にして二仏並坐の時、上行菩薩に譲り給いし題目の五字を、日蓮ほぼひろめ申すなり。これ即ち上行菩薩の御使いか。貴辺また日蓮にしたがいて法華経の行者として諸人にかたり給う。これあに流通にあらずや。」(四条金吾殿御返事<煩悩即菩提の事> 新1522頁・全1117頁)文永9年5月 51歳御作
現代語訳:あなたは、法華経行者となり、ついには大難にも遭い、日蓮をも助けて下さることを、法華経法師品の文に「化の四衆、すなわち比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を遣わして」と説かれています。この中の優婆塞が、あなたの事でなければ、誰の事を指すのでしょうか。何故なら、あなたは、既に法華経を聞いて信受し、違背する事が無いからです。大変不思議なことです。もし(あなたが法師品の優婆塞)ならば、日蓮が法華経の法師である事は疑いないでしょう。(経文に説かれる)「則ち如来の使」にも似ています。(その行動は)「行如来事」を行じている事になるでしょう。多宝塔中で、釈迦・多宝の二仏が並坐した時、上行菩薩に譲られた題目の五字を、日蓮は粗弘めたのです。この事は即ち、(日蓮が)上行菩薩の御使いではないでしょうか。あなたもまた、日蓮に従い、法華経の行者として諸人にこの法を話されています。これこそ法華経流通の義ではないでしょうか。
※大聖人は御自身を「上行菩薩の御使者ではないか」とご謙遜されていますが、上行菩薩に譲られた「妙法の題目」を所持し、弘めたのが日蓮大聖人だ、と云う事実があります。
「日蓮、末法に生まれて、上行菩薩の弘め給うべきところの妙法を先立ってほぼひろめ、つくりあらわし給うべき本門寿量品の古仏たる釈迦仏、迹門宝塔品の時涌出し給う多宝仏、涌出品の時出現し給う地涌の菩薩等をまず作り顕し奉ること、予が分斉にはいみじきことなり。日蓮をこそにくむとも、内証にはいかが及ばん。されば、かかる日蓮をこの島まで遠流しける罪、無量劫にもきえぬべしとも覚えず。譬喩品に云わく『もしその罪を説かば、劫を窮むとも尽きじ』とは、これなり。また日蓮を供養し、また日蓮が弟子檀那となり給うこと、その功徳をば仏の智慧にてもはかり尽くし給うべからず。経に云わく『仏の智慧をもって多少を籌量すとも、その辺を得じ』と云えり。地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり。地涌の菩薩の数にもや入りなまし。もし日蓮、地涌の菩薩の数に入らば、あに、日蓮が弟子檀那、地涌の流類にあらずや。」(諸法実相抄 新1790頁・全1359頁)文永10年5月 52歳御作
現代語訳:日蓮は、末法に生まれて上行菩薩が弘められる筈の妙法蓮華経を先立ってほぼ弘め、作り顕される筈の本門寿量品の古仏である釈迦仏、迹門の宝塔品で涌出された多宝仏、従地涌出品の時に出現された地涌の菩薩等を、最初に作り顕わし得た事は、私の身の程を越えた出来事です。この日蓮を憎んでも、内証をどうする事もできないのです。だから、この様な日蓮を佐渡の島まで遠流した罪は、無量劫を経ても消えるとは思われません。法華経譬喩品に説かれている「もし、法華経誹謗の罪を説くならば、劫のあらんかぎりを説いても説きつくすことはできない」とはこの事です。また、日蓮を供養し、また日蓮の弟子檀那となられたこと、その功徳は仏の智慧によっても量り尽くせないのです。法華経薬王菩薩本事品には「仏の智慧をもって量っても、その功徳の多少を量り尽くすことはできない」と説かれています。地涌の菩薩の先駆けは日蓮一人です。地涌の菩薩の数に入っているのかも知れません。もし、日蓮が地涌の菩薩の数に入っているならば、日蓮の弟子檀那は地涌の流類(仲間・同類)となるでしょう。
※大聖人が「上行菩薩が弘教すべき妙法を先立って弘めた、地涌の菩薩の先駆けである」と自認され、日蓮門下も地涌の菩薩(の仲間)と断定されていますね。
「竜樹・天親は共に千部の論師なり。ただし、権大乗を申べて、法華経をば心に存して口に吐きたまわず〈これに口伝有り〉。天台・伝教はこれを宣べて、本門の本尊と四菩薩、戒壇、南無妙法蓮華経の五字、これを残したもう。詮ずるところ、一には、仏、授与したまわざるが故に、二には、時と機といまだ熟せざるが故なり。今、既に時来れり。四菩薩出現したまわんか。日蓮、このことまずこれを知りぬ。」(法華行者逢難事 新1303-4頁・全965頁)文永11年1月 53歳御作
現代語訳:竜樹と天親はともに千部の著作のある論師です。但し、権大乗の教義を説いていて、法華経の実義は内心に留め人には吐露しませんでした。(これには口伝があります。)天台と伝教は法華経を説きましたが、本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字(三大秘法を含む深い法門)は(説かずに末法の為に)残されたのです。要するに、一つには釈尊が授与されなかったが故に、二つには時も機根も熟していなかったからです。今、末法に入り既に時は来ており四菩薩も出現なされたのでしょうか。日蓮はこの事を誰よりも早く知ったのです。
※「今既に時来れり、四菩薩出現したまわんか。日蓮此の事先ず之を知りぬ」と、大聖人は謙虚に四菩薩の一員であると御自覚されています。
「日蓮、上行菩薩にはあらねども、ほぼ兼ねてこれをしれるは、彼の菩薩の御計らいかと存じて、この二十余年が間、これを申す。この法門弘通せんには、『如来の現に在すすらなお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや』『一切世間に怨多くして信じ難し』と申して、第一のかたきは国主ならびに郡郷等の地頭・領家・万民等なり。これまた第二・第三の僧侶がうったえについて、行者を、あるいは悪口し、あるいは罵詈し、あるいは刀杖等云々。」(新尼御前御返事 新1222頁・全906頁)文永12年2月 54歳御作
現代語訳:日蓮は、上行菩薩ではないけれども、ほぼこの事を知っているのは、上行菩薩の御計らいかと思って、この二十余年間、この事を語っています。この法門を弘通しようとすれば、法華経法師品に「如来の現在すら猶怨嫉多し、況や滅度の後をや」と、また安楽行品に「一切世間に怨多くして信じ難し」と説かれている様に、第一の敵は国主並びに郡郷等の地頭や領家、万民等です。また、第二、第三の敵である僧侶は、訴えに対して、(僧侶達は)法華経の行者を悪口したり、罵詈したり、刀杖等で迫害したりしたのです。
※大聖人は、御自身を「上行菩薩ではない」と否定されていますが、法華経の経文通りに難に遭われているのは間違いないのです。
「予つらつら事の情を案ずるに、大師、薬王菩薩として霊山会上に侍して、仏、上行菩薩出現の時を兼ねてこれを記したもう故に、ほぼこれを喩すか。しかるに、予、地涌の一分にあらざれども、兼ねてこのことを知る故に、地涌の大士に前立ってほぼ五字を示す。」(曾谷入道殿許御書 新1408頁・全1038頁)文永12年3月 54歳御作
現代語訳:私(日蓮)がよくよくその意味を考えてみるに、伝教大師は薬王菩薩として霊鷲山の会座に列して、釈尊が上行菩薩の出現時をあらかじめ説かれていた為に、ほぼこれを示されたのでしょう。ところが、私(日蓮)は地涌の菩薩の一分ではありませんが、かねてからこの事を知っていましたので、地涌の菩薩の出現に先立って、ほぼ妙法蓮華経の五字を顕したのです。
※地涌の菩薩に先立って「妙法蓮華経の五字」を顕されたという事実により、本文の頃に大聖人が上行菩薩の御覚悟に立たれた事が想像されますね。
「阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし。浄行菩薩うまれかわり給いてや、日蓮を御とぶらい給うか。不思議なり、不思議なり。この御志をば日蓮はしらず、上行菩薩の御出現の力にまかせたてまつり候ぞ。」(阿仏房御書<宝塔御書> 新1733頁・全1304-5頁)建治2年3月
現代語訳:阿仏房よ、(あなたは)(信心強盛な者なので:前文より)北国の導師ともいうべきでしょう。浄行菩薩が生まれ変わって、日蓮を訪ねられたのでしょうか。まことに不思議なことです。あなたの厚いお志(の由来)を日蓮は知りませんが、上行菩薩のご出現の力にお任せしましょう。
※大聖人は、阿仏房を四菩薩次席の浄行菩薩と見立てています事から、御自身が上行菩薩であると、確信されていると思われます。
「それについて諸僧の説法を聴聞仕って、いずれか成仏の法とうかがい候ところに、日蓮聖人御房は、三界の主・一切衆生の父母たる釈迦如来の御使い上行菩薩にて御坐しまし候いけることの法華経に説かれてましましけるを信じまいらせたるに候。」(頼基陳状 新1579-80頁・全1161頁)建治3年6月 56歳御作
現代語訳:それについて諸僧の説法を聴聞して、どの様な法が成仏の法ですかと尋ねたところ、日蓮聖人は、三界の主であり、一切衆生の父母であり、釈迦如来の御使い、上行菩薩であられることを法華経に説かれていたので、信ずるに至った次第であります。
※四条金吾の上司へ大聖人が代筆された御文ですが、経文から「日蓮聖人が上行菩薩」だと、明言されています。
「いまだ本門の肝心たる題目を譲られし上行菩薩世に出現し給わず。この人、末法に出現して、妙法蓮華経の五字を一閻浮提の中、国ごと人ごとに弘むべし。例せば、当時、日本国に弥陀の名号の流布しつるがごとくなるべきか。しかるに、日蓮は、いずれの宗の元祖にもあらず、また末葉にもあらず。持戒・破戒にも闕けて無戒の僧、有智・無智にもはずれたる牛羊のごとくなる者なり。いかにしてか申し初めけん、上行菩薩の出現して弘めさせ給うべき妙法蓮華経の五字を、先立って、ねごとのように心にもあらず南無妙法蓮華経と申し初めて候いしほどに唱うるなり。詮ずるところ、よきことにや候らん、また悪しきことにや侍るらん、我もしらず、人もわきまえがたきか。」(妙蜜上人御消息 新1708-9頁・全1239頁)建治2年3月 55歳御作
現代語訳:まだ法華経本門の肝心である題目を付嘱された上行菩薩は世に出現されていません。この人(上行菩薩)は、末法に出現して、妙法蓮華経の五字を世界中の国毎に、人毎に弘めるのです。例えば、今の日本国に阿弥陀の題目が流布している様になるのでしょう。ところが日蓮は、いずれの宗も元祖でもありません。またその流れを汲むものでもありません。持戒破戒の者でもなく、無戒の僧であり、有智、無智という概念からも離れた牛羊の様な者です。(それが)どの様にして言い始めたのか、上行菩薩が出現して弘められるべき妙法蓮華経の五字を、その出現に先立って寝言の様に(私)心にもなく南無妙法蓮華経と申し始めた様に唱えたのです。所詮、この事は良い事でしょうか。また悪い事でしょうか。私自身も知らないし、人も判定できないでしょう。
※大聖人は、「妙法蓮華経の五字」をごく自然に唱えた様に述べておられますが、実際は上行菩薩の自覚に立たれて、流布すべき「妙法の題目」をあえて唱えられたのでしょう。
◎物事を成し遂げる為には、率先垂範を示す事が重要であり、団・組織の統制にあっては、リーダーシップを発揮するのが地涌の菩薩の行動であり、池田先生も強調されておられる「一人立つ精神」こそが、上行菩薩としての自覚になるのではないでしょうか。
[158] 題名:フェイク 第1788号
名前:宿坊
◇
MAIL
投稿日:
2025/06/10(火) 21:35
2605:6440:2000:2000:40e4:450f:cc9a:e57b(IPv6:) (2605:6440:2000:2000:40e4:450f:cc9a:e57b)
(発行=25.06.09)
青森県警、法浄寺の水野良章を逮捕
機動隊の警部補・佐々木淳と共謀して犯行
初対面の女子高生と不同意性交の容疑
青森県警が今月五日、むつ市美里町の日蓮正宗・法浄寺住職の水野良章(四六
歳)を不同意性交の容疑で逮捕し、送検した。また、水野と同時に県警機動隊
の警部補・佐々木淳(五三歳)を逮捕した。
県警の監察課によると、水野と佐々木の二人はインターネットの掲示板を通じ
て知り合い、共謀して昨年十一月二十日午後四時十五分頃から二時間にわたり、
県内のレンタルルームで女子高校生(当時)の同意を得ることなく、わいせつ
な行為をした疑いが持たれている。
また、水野と女子高校生はアプリで知り合ったとのことで、三人はこの日が初
対面だったという。
邪宗に成り下がった日蓮正宗とは言え、人々を教え導く筈の住職と法の執行
者である警察官の二人による衝撃的な性的暴行事件は、テレビ、新聞でも広く
報道された (下の写真参照)。
この事件は昨年十二月、女子高校生の関係者から被害の相談があって発覚し、
警察が事件のいきさつを詳しく調べていた。
調べに対して水野は容疑を一部否認しているとのことだが、一方、警部補の佐
々木は「申し訳ありません」と容疑を認めている。
奉安堂勤務を経て法浄寺の住職に
水野良章は昭和五十三年十一月五日に坊主の水野顕道の長男として誕生し、平
成三年に得度。同十四年に講師になり、現在の僧階は僧都で、奉安堂勤務など
を経て同二十四年十月に法浄寺住職になった。
青森県警察本部の小野寺健一本部長は「警察本部長として重く受け止めており
ます。被害者、及びご家族、そして県民の皆様に深くおわび申し上げます。青
森県警察は組織一丸となって県民の信頼回復に全力を尽くします」と謝罪した。
宗門は「容疑が事実であれば厳正に対処する」とのことだが、今のところ謝
罪はしていないようだ。
金銭問題には厳しいが、男女の問題については寛大で甘いと言われている宗門
だが、果たして、どんな「厳正な対処」をするのか、注目される。それにして
も被害者が余りにも気の毒だ。
写真は講師の頃(右)と
法浄寺入院式で住職として挨拶する水野良章
[157] 題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 5
名前:サム
◇
MAIL
投稿日:
2025/06/06(金) 17:33
119-229-83-134f1.osk3.eonet.ne.jp (119.229.83.134)
御書拝読で判る大聖人のお立場 5
第五章 発迹顕本・法華経行者としての覚悟(佐渡以後)
発迹顕本「迹を発(はら)って本を顕(あらわ)す」とは、現代語で言えば「仮の姿(立場)を取り払って本来の姿(立場)を示す」との意味です。爾前経から本門迹門まで、インド生誕の釈尊は、「始成正覚(始めて正覚を成ず、意味:この世で修行し仏と成る)」を説いていましたが、法華経本門寿量品において「久遠実成(久遠の昔に成道していた)」との境地、即ち「発迹顕本」を示されました。と同様に、日蓮大聖人も、竜の口の法難の首刑の座以後、「発迹顕本」され、御自身及び全民衆が成仏する為の特別な存在(法華経の行者)である、と確信されたのです。
「今度、法華経の行者として流罪・死罪に及ぶ。流罪は伊東、死罪はたつのくち。相州のたつのくちこそ、日蓮が命を捨てたる処なれ。仏土におとるべしや。その故は、すでに法華経の故なるがゆえなり。経に云わく『十方の仏土の中には、ただ一乗の法のみ有り』、この意なるべきか。この経文に『一乗の法』と説き給うは、法華経のことなり。十方仏土の中には法華経より外は全くなきなり。『仏の方便の説を除く』と見えたり。もししからば、日蓮が難にあう所ごとに仏土なるべきか。娑婆世界の中には日本国、日本国の中には相模国、相模国の中には片瀬、片瀬の中には竜の口に日蓮が命をとどめおくことは、法華経の御故なれば、寂光土ともいうべきか。神力品に云わく『もしは林中においても、もしは園中においても、もしは山谷曠野にても、この中に乃至般涅槃したもう』とは、これか。」(四条金吾殿御消息 新1516-7頁・全1113頁)文永8年9月 50歳御作
現代語訳:今度、日蓮は、法華経の行者として流罪・死罪までに及んだのです。流罪は伊東であり、死罪は竜口です。相州の竜口こそ日蓮が命を捨てた所であり、仏土に劣る場所ではないのです。その理由は、すでに法華経の為に身命を捨てた所だからです。法華経方便品に『十方仏土の中には唯有一乗の法のみあり』とあるのは、この意でしょうか。この経文に一乗の法と説かれているのは、法華経即ち南無妙法蓮華経の事なのです。十方仏土の中には、この法華経より外の法は、全く無いのです。これを法華経方便品には『仏の方便の説を除く』と説かれています。もしそうであるならば、日蓮が難にあう場所毎に仏土となるでしょう。娑婆世界の中では日本国、日本国の中には相模の国、相模の国の中には片瀬、片瀬の中には竜口に、日蓮の命をとどめおく事は法華経の為ですから、その地は寂光土ともいえるでしょう。法華経神力品には「若しは林中においても若しは園中においても若しは山谷曠野においても、この中に(乃至)般涅槃したもう」と説かれているのはこの原理を言っているのです。
※本抄に「日蓮が難に遭遇する場所毎に仏土なるべきか」とあり、「仏土・寂光土」とは仏が住まわれる場所の事なので、大聖人は法華経行者ですが、更に尊い存在に違いないのです。
「迹門方便品は一念三千・二乗作仏を説いて、爾前二種の失一つを脱れたり。しかりといえども、いまだ発迹顕本せざれば、まことの一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず、水中の月を見るがごとし。根なし草の波の上に浮かべるににたり。本門にいたりて始成正覚をやぶれば、四教の果をやぶる。四教の果をやぶれば、四教の因やぶれぬ。爾前・迹門の十界の因果を打ちやぶって、本門の十界の因果をとき顕す。これ即ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界に備わって、真の十界互具・百界千如・一念三千なるべし。」(開目抄 新66頁・全197頁)文永9年2月 51歳御作
現代語訳:迹門の法華経方便品は、一念三千及び二乗作仏を説いて、爾前経の二種の過失のうち一つを遁れました。けれども、いまだ迹門では、(仏の本地を顕していない為に、本有常住の生命の実体を説き明かしていません。即ち)発迹顕本していないので、(生命の実体が不明で)真実の一念三千も現れていませんし、(仏の生命も九界の生命もその実体が不明なので)二乗作仏も決められず、(一念三千を説いていても理の上で説いたに過ぎず)、水面に浮かぶ月影を見る様なものです。(二乗が作仏といっても、仏界・九界ともにその本体を説かれてないので)根なし草が波の上に浮んでいる様に似ているのです。 法華経本門に進んで、(釈尊は五百塵点劫のその昔に成仏したと説き、それまでに多数の経々で説いて来た応身・報身等の全ての仏身を打ち破られたのです。それらの仏身は、いかに荘厳な姿に説かれていても、みなインドで修業し、この世で成仏したと説いているからです。この様に、寿量品以前の経で説く仏――因果に約すれば九界が因で仏界が果――を打ち破ったので、それらの経に説いている成仏の為の修業、即ち因も打ち破られたのです。爾前・迹門の十界の因果を打ち破って、本門の十界の因果を説き顕されたのです。これは即ち(無始無終の永遠に存在する十界を説き顕す)本因本果の法門なのです。(地獄や菩薩等の)九界も無始常住の仏界に具わっており、仏界も(別世界の存在ではなくて)無始常住の九界に具わって、これこそ真の十界互具・百界千如・一念三千なのです。
※大聖人は、法華経の経文を引いて、釈尊が始成正覚の迹を発いて本地の久遠実成を顕された、事を述べられているのです。
「日蓮といいし者は、去年九月十二日子丑時に頸はねられぬ。これは魂魄、佐土国にいたりて、返る年の二月、雪中にしるして有縁の弟子へおくれば、おそろしくておそろしからず。みん人いかにおじぬらん。これは釈迦・多宝・十方の諸仏の未来日本国当世をうつし給う明鏡なり。かたみともみるべし。
勧持品に云わく『ただ願わくは慮いをなしたまわざれ。仏滅度して後、恐怖悪世の中において、我らは当に広く説くべし。諸の無智の人の、悪口・罵詈等し、および刀杖を加うる者有らん。我らは皆当に忍ぶべし。悪世の中の比丘は、邪智にして心諂曲に、いまだ得ざるを謂って得たりとなし、我慢の心は充満せん。あるいは阿練若に納衣にして空閑に在って、自ら真の道を行ずと謂って、人間を軽賤する者有らん。利養に貪著するが故に、白衣のために法を説いて、世の恭敬するところとなること、六通の羅漢のごとくならん。この人は悪心を懐き、常に世俗の事を念い、名を阿練若に仮りて、好んで我らが過を出ださん○常に大衆の中に在って我らを毀らんと欲するが故に、国王・大臣・婆羅門・居士および余の比丘衆に向かって、誹謗して我が悪を説いて【これ邪見の人、外道の論議を説く】と謂わん○濁劫悪世の中には、多く諸の恐怖有らん。悪鬼はその身に入って、我を罵詈・毀辱せん○濁世の悪比丘は、仏の方便、宜しきに随って説きたもうところの法を知らず、悪口して顰蹙し、しばしば擯出せられん』等云々。」(開目抄 新102頁・全223頁)
現代語訳:日蓮と言う者は、去年の九月十二日子丑の時に首をはねられました。(凡夫の肉身は竜の口において断ち切られ、久遠元初の自受用報身如来と顕われて、)佐渡の国に来て、翌年の二月(「開目抄」を著述して、)雪深い佐渡の国より、鎌倉方面の有縁の弟子へ贈るのですが、(この御抄を拝する弟子たちは、濁劫悪世に法華経を弘通する大難を思うて、)怖れ入るでしょうが、(日蓮と同じく広宣流布の決意をかたく持っている者は)恐怖が無いのです。(「身命を愛せず」の志を)見ない人は(この御抄を拝して)どれほど怖れることでしょう。これは釈迦・多宝・十方の諸仏の、(法華経に予言した三類の強敵を、日蓮が一身に受けて末法の弘通と大難を実証している姿)は未来をも含む日本国当世を映す明鏡なのです。(勧持品の予言は日蓮の形見であり、開目抄こそ)日蓮の形見なのです。
勧持品には「ただ願いとして、世尊よ、どうか心配しないでください。仏が滅度して後の恐怖悪世の中において、私達はまさに広く法華経を説くでしょう。種々の無智の人は悪口罵詈し、また刀や杖をもって迫害する者もいるでしょう。(しかし)私達皆はこれを耐え忍ぶでしょう。悪世の中の比丘は、邪智で、心は曲っていて、未だ得ていない悟りを得ていると想い、我慢の心が充満します。或いは人里離れた閑静な場所に衣をまとい、静かな所で真の仏道を行じていると言い、世事にあくせくする人間を軽賤する者がいるでしょう。この人は、悪心を懐き、常に世俗の事を思い、閑静な場所にいるとの理由だけで、自己保身の為に、正法の行者に悪口を並べ立てるでしょう。常に大衆の中にあって、正法の行者を毀る為、国王や大臣や婆羅門居士及びその他の比丘衆に向って誹謗して、我らの悪を説いて『これは邪見の人であり、外道の論議を説いている』と言うでしょう。濁劫悪世の中には多くの種々の恐怖する事件があり、悪鬼がその身に入って我ら正法の行者をののしり、批判し、はずかしめるでしょう。濁世の悪比丘は、仏が方便随宜の説法をしていることに迷い、経の浅深勝劣を知らず、正法の行者に悪口し、顔をしかめ、しばしばその居所を追い出すでしょう」とあります。
※竜の口の法難の首刑以後も、法華経勧持品にある「法華経行者に対して、悪口罵詈したり、迫害したり、誹謗等の難が起こる」との予言通り大聖人の身に符合する出来事が度々起こりました。大聖人は竜の口で、弘教に対する境涯が変わったと自覚されたのです。
「仏語むなしからざれば、三類の怨敵すでに国中に充満せり。金言のやぶるべきかのゆえに、法華経の行者なし。いかんがせん、いかんがせん。そもそも、たれやの人か衆俗に悪口・罵詈せらるる。誰の僧か刀杖を加えらるる。誰の僧をか法華経のゆえに公家・武家に奏する。誰の僧か「しばしば擯出せられん」と度々ながさるる。日蓮より外に日本国に取り出ださんとするに人なし。日蓮は法華経の行者にあらず。天これをすて給うゆえに。誰をか当世の法華経の行者として仏語を実語とせん。仏と提婆とは身と影とのごとし。生々にはなれず。聖徳太子と守屋とは蓮華の華菓同時なるがごとし。法華経の行者あらば、必ず三類の怨敵あるべし。三類はすでにあり。法華経の行者は誰なるらん。求めて師とすべし。」((開目抄 新111頁・全230頁)
現代語訳:仏の予言が虚妄で無ければ、三類の怨敵は既に国中に充満しているのです。金言が破れている為でしょうか、法華経の行者もいません。一体どうしたのでしょうか。そもそも誰人かが(法華経勧持品の予言の通りに)衆俗に悪口を言われ、馬鹿にされています。どの僧かが刀杖を加えられています。どの僧かが法華経の為に公家武家へ訴えられています。どの僧かがしばしば所を追い出され、たびたび流罪されています。(これらの予言に適中する者は)日蓮以外には日本国に該当する人はいません。(しかし)日蓮は法華経の行者ではありません。諸天がこれを捨てられたのだから。誰を当世の法華経の行者として、仏語が真実であると証明するのでしようか。仏と大悪の提婆とは身と影の様に生生世世に離れることはありません。聖徳太子に敵対する守屋とは、蓮華の花と菓が同時になる様な関係でした。(同様に)法華経の行者がいれば、必ず三類の怨敵がいるでしょう。三類は既に日本国にあります。法華経の行者は誰なのでしょう。求めて師としたいものです。
※大聖人は御自身を「法華経の行者ではない」と否定していますが、文意を読み解けば、大聖人こそが「特別な法華経行者である」と自認されている事が理解できます。
「上に挙ぐるところの諸宗の人々は、「我こそ法華経の意を得て、法華経を修行する者よ」と名乗り候えども、予がごとく、弘長には伊豆国に流され、文永には佐渡島に流され、あるいは竜の口の頸の座等、この外種々の難、数を知らず。経文のごとくならば、予は正師なり善師なり、諸宗の学者はことごとく邪師なり悪師なりと覚しめし候え。」(最蓮房御返事 新1782頁・全1341-2頁)文永9年4月 51歳御作
現代語訳:先に挙げた諸宗の人々は、自分こそ法華経の意を心得て法華経を修行する者であると名乗っていますが、日蓮が受けた様な難には遭遇していません。日蓮は弘長元年に伊豆の国に流され、文永八年に佐渡の島に流され、或いは竜の口で斬首刑の座にすわる等、このほか種々の難は数えきれないほどです。経文の通りならば、自分こそ正師であり、善師です。諸宗の学者はことごとく邪師であり、悪師であるとお考えください。
※大聖人は「経文通りなら、自分は正師であり、善師です」と宣言されました。
「日蓮は聖人にあらざれども、法華経を説のごとく受持すれば聖人のごとし。また世間の作法兼ねて知るによって注し置くこと、これ違うべからず。現世に云いおく言(ことば)の違わざらんをもって、後生の疑いをなすべからず。日蓮は、この関東の御一門の棟梁なり、日月なり、亀鏡なり、眼目なり。日蓮捨て去る時、七難必ず起こるべしと、去年九月十二日、御勘気を蒙りし時、大音声を放ってよばわりしこと、これなるべし。わずかに六十日乃至百五十日に、この事起こるか。これは華報なるべし。実果の成ぜん時、いかがなげかわしからんずらん。」(佐渡御書 新1286頁・全957-8頁)文永9年 51歳御作
現代語訳:日蓮は聖人ではありませんが、法華経の説法にある様に受持しているので聖人の様なのです。また、世間の出来事についても予め知ることができ、それを記して置いた事が違っていないのです。(この様に)現世に言っていた事が的中したことをもって、後生の事について言っていることを疑ってはいけないのです。日蓮はこの関東の北条一門にとっては棟梁であり、日月であり、亀鏡であり、眼目なのです。日蓮を(国が)捨て去る時には、必ず七難が起こるであろうと去年の九月十二日に御勘気を蒙った時、大音声を放って叫んだのはこの事です。(竜の口の法難後)わずかに六十日から百五十日でこの様な自界叛逆難が起きたのは華報(来世に顕われる果報に先立って、その前兆として現世に受ける報い・現証)なのです。実果(来世に実際に得る果報)が現れた時は、どれほど嘆かわしい事でしょうか。
※大聖人は、「自身は聖人ではない」と否定されていますが、聖人の行動ですね。そして正法を認めない国家の近未来に対して、嘆かわしいと闘志を燃やされていますね。
「我らが本師・釈迦如来は在世八年の間折伏し給う。天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年、今、日蓮は二十余年の間権理を破す。その間の大難、数を知らず。仏の九横の難に及ぶか及ばざるかは知らず。恐らくは、天台・伝教も、法華経の故に日蓮がごとく大難に値い給いしことなし。彼はただ悪口・怨嫉ばかりなり。これは両度の御勘気、遠国に流罪せられ、竜の口の頸の座、頭の疵等、その外悪口せられ、弟子等を流罪せられ、籠に入れられ、檀那の所領を取られ、御内を出だされし、これらの大難には、竜樹・天台・伝教も、いかでか及び給うべき。されば、如説修行の法華経の行者には、三類の強敵打ち定んで有るべしと知り給え。されば、釈尊御入滅の後二千余年が間に、如説修行の行者は、釈尊・天台・伝教の三人はさておき候いぬ、末法に入っては、日蓮ならびに弟子檀那等これなり。我らを如説修行の者といわずば、釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の人なるべからず。」(如説修行抄 新603-4頁・全504頁)文永10年 52歳御作
現代語訳:私達の本師である釈迦如来は、(法華経を説いた)在世八年間に折伏をされたのです。天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年、今、日蓮は二十余年の間、権教の邪義を折破して来ました。その間に受けた大難は数え切れません。(これが)釈尊の九横の大難に相当するか否かは論じられません。おそらく、像法時代の天台や伝教でさえも法華経の為に日蓮ほどの大難には遭遇していません。彼らはただ悪口や怨嫉されただけです。此れ(日蓮)は二度幕府の御勘気を蒙り、遠国に流罪され、また竜の口の法難では首の座にすえられ、小松原では頭に刀傷等を受け、ほかに悪口されたり、弟子等を流罪にされたり、牢に入れられたり、日蓮門下の檀那の所領を取り上げ、領内を追放されています。こうした大難に竜樹・天台・伝教の難がどうして上回るでしょうか。だから、如説修行の法華経の行者には三類の強敵が必ず競い起こると知(って覚悟を決め)ることです。そうであれば、釈尊の滅後から二千年の間に如説修行の行者は、釈尊・天台・伝教の三人を除いて、末法に入ってからは日蓮とその門下の弟子檀那等です。私達を如説修行の者であると言わないなら、釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の行者では無くなってしまうのです。
※大聖人は、御自身は勿論ですが、我々弟子までもが如説修行の法華経行者である、と述べられています。
◎本章でご紹介するのに相応しい御文が数多有って、紹介しきれなかったのですが、大聖人が特別な存在の法華経行者である事は、明らかです。
[156] 題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 4
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2025/05/19(月) 22:48
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御書拝読で判る大聖人のお立場 4
第四章 弘教拡大と法難の連続(佐渡以前)
大聖人は、別世界の仏を説き現実逃避を促す等の諸宗によって立てられた諸仏を久遠の教主釈尊に帰一させ、法華経を通して諸宗を統一させようとしました。すると、大聖人の身に、正法の拡大と共に法難が続出します。それに由って、正統な法華経の行者としての確信が生まれたのですね。
「日蓮は身に戒行なく、心に三毒を離れざれども、『この御経を、もしや我も信を取り、人にも縁を結ばしむるか』と思って、随分世間のことおだやかならんと思いき。世末になりて候えば、妻子を帯して候比丘も人の帰依をうけ、魚鳥を服する僧もさてこそ候か。日蓮は、させる妻子をも帯せず、魚鳥をも服せず、ただ法華経を弘めんとする失によりて、妻子を帯せずして犯僧の名四海に満ち、螻蟻をも殺さざれども悪名一天に弥れり。恐らくは、在世に釈尊を諸の外道が毀り奉りしに似たり。『これひとえに、法華経を信ずることの余人よりも少し経文のごとく信をもむけたる故に、悪鬼その身に入ってそねみをなすか』とおぼえ候えば、これ程の卑賤・無智・無戒の者の、二千余年已前に説かれて候法華経の文にのせられて、『留難に値うべし』と仏記しおかれまいらせて候ことのうれしさ、申し尽くし難く候。
この身に学文つかまつりしこと、ようやく二十四・五年にまかりなるなり。法華経を殊に信じまいらせ候いしことは、わずかにこの六・七年よりこのかたなり。また、信じて候いしかども、懈怠の身たる上、あるいは学文といい、あるいは世間のことにさえられて、一日にわずかに一巻・一品・題目ばかりなり。去年の五月十二日より今年正月十六日に至るまで二百四十余日のほどは、昼夜十二時に法華経を修行し奉ると存じ候。その故は、法華経の故にかかる身となりて候えば、行住坐臥に法華経を読み行ずるにてこそ候え。人間に生を受けて、これほどの悦びは何事か候べき。(四恩抄 新1214-5頁・全936-7頁)弘長2年 41歳御作
現代語訳:日蓮は身に戒を行じていなくて、心も貪・瞋・癡の三毒から離れていませんが、「この法華経をおそらく私も信じ、人にも縁を結ばせられるだろう」と思い、(だから)随分世間の自分に対する扱いも穏やかになるだろうと思っていました。(ところが)世が末になってみれば、妻子を持っている比丘も人の帰依を受け、魚や鳥を食べる僧でも(帰依を受けるのが当然と)存在しています。日蓮は、そうした妻子も持たず、魚や鳥をも食べず、ただ法華経を弘めようとする罪によって、妻子を持たないのに犯僧(**(確認後掲載)を犯した僧侶)の名が国中に満ち、螻や蟻をも殺さないけど悪名が天下にはびこってしまいました。恐らくは、在世に釈尊を多数の外道が毀った事に似ているのです。「これは偏に、法華経を信ずる事により、人よりも多少経文通りに信仰した為に、悪鬼が(世間の民の)身に入って、嫉妬するのでしょう」と考えれば、これほどの卑しくて・無智で・無戒の僧である者(自分)が、二千余年も以前に説かれた法華経の文に乗せられ、「(法華経の行者は必ず)留難に値うであろう」と仏が記し遺された事の嬉しさは、いい尽くし難いことです。
この身(日蓮)が仏法を学ぶこと漸く24、5年になります。(その内、)法華経を特に信じてきたのはわずかにこの6、7年以降です。また、信じてはいましたが、懈怠(怠ける)の身である上に、学問・研鑽や世間の事に妨げられて、(法華経に打ち込む事は)一日にわずかに一巻・一品・題目ばかりでした。(だが)去年の弘長元年5月12日(伊豆流罪の日)から今年の正月16日に到るまでの240余日の間は、昼夜暇なく法華経を修行させて頂いたと確信しています。その理由は、法華経の故にこの様な流罪の身となったので、行住坐臥に法華経を身で読み行じたのです。人間世界に生を受けて、これほどの悦びが他にあるでしょうか。
※伊豆流罪は立宗8年後の大聖人40歳の時で「法華経の故に流罪の身となり、行住坐臥に法華経を身で読み行じたのです。これほどの悦びが他にあるでしょうか。」との御文に、草創の大聖人の弘教に対する御覚悟が覗えます。
「法然・善導等がかきおきて候ほどの法門は、日蓮らは十七・八の時よりしりて候いき。このごろの人の申すこと、これにすぎず。結句は法門はかなわずして、よせてたたかいにし候なり。念仏者は数千万、かとうど多く候なり。日蓮はただ一人、かとうどは一人もこれなし。今までもいきて候はふかしぎなり。今年も十一月十一日、安房国東条の松原と申す大路にして、申酉時、数百人の念仏等にまちかけられ候いて、日蓮はただ一人、十人ばかり、ものの要にあうものはわずかに三・四人なり。いるやはふるあめのごとし、うつたちはいなずまのごとし。弟子一人は当座にうちとられ、二人は大事のてにて候。自身もきられ打たれ、結句にて候いしほどに、いかが候いけん、うちもらされていままでいきてはべり。いよいよ法華経こそ信心まさり候え。第四の巻に云わく「しかもこの経は、如来の現に在すすらなお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや」。第五の巻に云わく「一切世間に怨多くして信じ難し」等云々。日本国に、法華経よみ学する人これ多し。人のめをねらい、ぬすみ等にて打ちはらるる人は多けれども、法華経の故にあやまたるる人は一人もなし。されば、日本国の持経者は、いまだこの経文にはあわせ給わず。ただ日蓮一人こそよみはべれ。「我は身命を愛せず、ただ無上道を惜しむのみ」、これなり。されば、日蓮は日本第一の法華経の行者なり。」(南条兵衛七郎殿御書 新1830-1頁・全1498頁)文永元年12月 43歳御作
現代語訳:法然・善導等が書き置いた程度の法門は、日蓮は17、8歳の時から知っていました。この頃の人の言う事もこれらを越えてはいません。結局は、法門では敵わないので、多勢集って力で戦おうとするのです。念仏者は数千万で味方も多いのです。日蓮は唯一人であり、味方は一人もいないのです。今まで生きているのは不思議なのです。今年も11月11日に安房の国東条の松原という大路で、申酉の時、数百人の念仏者等に待ち伏せされ、日蓮は唯1人、10人ばかりの供も、役に立つ者はわずかに3、4人です。射る矢は降る雨の様であり、打つ太刀は雷の様でした。弟子1人は即座に打ち取られ、2人は深手を負いました。(日蓮)自身も斬られ、打たれ、もはやこれまでという有り様でしたが、どうしたことか、打ちもらされて今日まで生きているのです。いよいよ法華経の信心を増すばかりです。法華経の第四の巻には「しかもこの経は仏の在世でさえなお怨嫉が多い。ましてや仏の滅度の後においてはなおさらである」とあり、第五の巻には「一切世間に怨嫉が多くて信じがたい」と説かれています。日本国で法華経を読み学ぶ人は多いです。人の妻を狙い、盗み等をして、罰せられる人は多いけれど、法華経の為に傷つけられる人は1人もいません。だから日本国の持経者は、未だこの経文には符合していないのです。ただ日蓮1人だけが法華経を色読したのです。「我身命を愛せず、ただ無上道を惜しむ」とはこの事です。だから日蓮は日本第一の法華経の行者なのです。
※松葉ヶ谷には、大聖人が鎌倉の折伏拠点としていた草庵があり、立正安国論を幕府に提出後の文応元年8月28日(大聖人39歳)に、念仏者等によってその草庵が焼き討ちされ、大聖人は危く難(松葉ヶ谷の法難)を遁れる。次いで文永8年9月12日(50歳)にも竜の口の法難直前に平左衛門等の指示により再度草庵が襲われています。本抄の文永元年11月11日の小松原の法難(43歳)でも、大聖人のみが、法華経を身で読んだのですね。
「法華経の故に日蓮程人に悪まれたる者はなし。あるいは王に悪まれたれども民には悪まれず、あるいは僧は悪めば俗はもれ、男は悪めば女はもれ、あるいは愚癡の人は悪めば智人はもれたり。これは、王よりは民、男女よりは僧尼、愚人よりは智人悪む。悪人よりは善人悪む。前代未聞の身なり。後代にも有るべしともおぼえず。故に、生年三十二より今年五十四に至るまで二十余年の間、あるいは寺を追い出だされ、あるいは処をおわれ、あるいは親類を煩わされ、あるいは夜打ちにあい、あるいは合戦にあい、あるいは悪口数をしらず。あるいは打たれ、あるいは手を負い、あるいは弟子を殺され、あるいは頸を切られんとし、あるいは流罪両度に及べり。二十余年が間、一時片時も心安きことなし。(中略)
日蓮、日本国に出現せずば、如来の金言も虚しくなり、多宝の証明もなにかせん。十方の諸仏の御語も妄語となりなん。仏の滅後二千二百二十余年、月氏・漢土・日本に「一切世間多怨難信(一切世間に怨多くして信じ難し)」の人なし。日蓮なくば、仏語既に絶えなん。」(単衣抄 新1848-9頁・全1514頁)建治元年8月 54歳御作
現代語訳:法華経の為に日蓮ほど人に憎まれた者は、いません。国王に憎まれたが人民には憎まれない。或いは僧侶が憎めば在俗の者は憎まない。男が憎めば女は憎まない。或いは愚人が憎めば智人は憎まなかったのです。これは(日蓮を、)国王よりも人民が、男女よりも僧尼が、愚人よりも智人が憎み、悪人よりも善人が憎むという、(日蓮は)前代未聞の身なのです。また後代にも現れるとは思えません。だから、32歳の年から今年54歳になるまでの20余年間、或る時は寺を追い出され、或る時は住所を逐われ、或る時は親類を苦しめられ、或る時は夜打ちに遭い、或る時は合戦に遭い、或る時は悪口を数知れずいわれ、或る時時は打たれ、或る時は傷を負い、或る時は弟子を殺され、或る時は頚を切られようとし、或る時は二度も流罪に処せられました。この20余年の間は、一日片時も心安らかなことはありませんでした。(中略)
日蓮が日本国に出現しなかったならば、仏の金言も虚言となり、多宝如来の証明も何になるでしょうか。十方の諸仏の御語も妄語となるでしょう。仏滅後二千二百二十余年の間、インド、中国、日本に「一切世間に怨嫉が多くて信じ難い」の経文を身で読んだ人はいません。日蓮が出現しなければ、仏の語も既に絶えたでしょう。
※大聖人の「日蓮が出現しなければ、仏の語も既に絶えたでしょう」とは、大変重い言葉ですね。
「法華経には「我は身命を愛せず、ただ無上道を惜しむのみ」ととかれ、涅槃経には「むしろ身命を喪うとも教えを匿さざれ」といさめ給えり。今度命をおしむならば、いつの世にか仏になるべき、またいかなる世にか父母・師匠をもすくい奉るべきと、ひとえにおもい切って申し始めしかば、案にたがわず、あるいは所をおい、あるいはのり、あるいはうたれ、あるいは疵をこうぶるほどに、去ぬる弘長元年辛酉五月十二日に御勘気をこうぶりて伊豆国伊東にながされぬ。また同じき弘長三年癸亥二月二十二日にゆりぬ。その後、いよいよ菩提心強盛にして申せば、いよいよ大難かさなること、大風に大波の起こるがごとし。」(報恩抄 新251頁・全321-2頁)建治2年 55歳御作
現代語訳:法華経には「我れ身命を愛せず、但無上の道を惜しむ」と説かれ、涅槃経には「むしろ身命を喪うとも、正法を匿していてはいけない」と諌められています。このたび(正法流布の為に)命を惜しんで(仏勅を実践しなかった)ならば、いつの世に仏になることができるでしょうか。また、いつの世に父母、師匠を救うことができれでしょうかと、(この様に考えて)ひとえに思い切って国家諌暁したら、思った通り、所を追われ、悪口を言われ、討たれ、或いは我が身に傷を蒙るという程度(の迫害を受け、そして)さる弘長元年辛酉5月12日に御勘気を蒙り、伊豆の国伊東に流罪されました。同じく弘長3年癸亥2月22日に許されたのです。その後、いよいよ菩提心を強盛にして正法を弘めたので、いよいよ大難が重なって来たのが、あたかも大風によって大波が起こった様でした。
※伊豆流罪から、大聖人に覚悟の大難が次々と襲ってきましたが、泰然自若として全く動じる事は無かったのですね。
「今の世もまた一分もたがうべからず。日蓮を賤しみ、諸僧を貴び給う故に、自然に法華経の強敵と成り給うことを弁えず。政道に背いて行わるるあいだ、梵釈・日月・四天・竜王等の大怨敵と成り給う。法華経守護の釈迦・多宝・十方分身の諸仏、地涌千界、迹化他方、二聖二天、十羅刹女・鬼子母神、他国の賢王の身に入り易わって国主を罰し国を亡ぜんとするを知らず。真の天のせめにてだにもあるならば、たとい鉄囲山を日本国に引き回らし、須弥山を蓋いとして十方世界の四天王を集めて波際に立て並べてふせがするとも、法華経の敵となり、教主釈尊より大事なる行者を、法華経の第五の巻をもって日蓮が頭を打ち、十巻共に引き散らして散々に踏みたりし大禍は、現当二世にのがれがたくこそ候わんずらめ。」(下山御消息 新299頁・全362-3頁)建治3年 56歳御作
現代語訳:今の世(幕府)もまた一分も違っていない状況です。日蓮を賎み、諸宗の僧を貴ぶ為、自然と法華経の強敵となってしまう事を弁えていないのです。政道に背いた行為は、梵天・帝釈・日天・月天・四天王・竜王等の大怨敵となったのです。法華経守護の釈迦・多宝・十方分身の諸仏・地涌千界の菩薩・迹化他方の諸菩薩・二聖・二天・十羅刹女・鬼子母神等が他国の賢王の身に入り代わって、この国主を罰し、国を滅ぼそうとしている事を知らないのです。もし真に諸天の責めであるならば、たとえ鉄囲山で日本国を取り囲み、須弥山を蓋として、十方世界の四天王を集めて波打ち際に並べて防がせようとしても、法華経の敵となって教主釈尊よりも大事な法華経の行者たる日蓮を法華経の第五の巻で打ち、法華経十巻をひき散らかし散々に踏みにじられた大禍は現当二世にわたって逃れ難いでしょう。
※法華経第五巻には「末法に入っては大鬼神、第一には国王・大臣・万民の身に入って、法華経の行者を、あるいは罵り、あるいは打ち切って、それに叶わずんば、無量無辺の僧と現じて、一切経を引いてすかすべし。」(治部房御返事 新2028頁・全1425頁)とあり、この巻で日蓮を打つ事で法華経の完全なる敵が明らかとなり「教主釈尊より大事な法華経行者、日蓮」との自覚に繋がったのですね。
◎鎌倉新仏教の開祖者の中で、念仏系の源空法然(生存期間1133-1212年、浄土宗)は讃岐に一度、親鸞(1173-1262年、浄土真宗、粉飾された伝記の可能性があり大聖人の御書には登場せず)は越後に一度流刑され、一遍(1239-1287年、時宗)及び禅宗の栄西(1141-1215年、臨済宗)や道元(1200-1253年、曹洞宗)は難も流罪もありません。日蓮大聖人(1222-1282年)だけは、数々の大難を蒙った事で、法華経を身読し本邦最初の法華経行者としての確信となり、法華弘通へ邁進し、多くの弟子をも育成されていったのです。
[155] 題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 3
名前:サム
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2025/04/29(火) 01:34
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御書拝読で判る大聖人のお立場 3
第三章 仏道修行と立宗宣言(佐渡以前)
「『日本国に渡れるところの仏経ならびに菩薩の論と人師の釈を習い見候わばや。また俱舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・真言宗・法華天台宗と申す宗どもあまた有りときく上に、禅宗・浄土宗と申す宗も候なり。これらの宗々、枝葉をばこまかに習わずとも、所詮・肝要を知る身とならばや』と思いし故に、随分にはしりまわり、十二・十六の年より三十二に至るまで、二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国々寺々あらあら習い回り候いしほどに、一つの不思議あり。
我らがはかなき心に推するに、『仏法はただ一味なるべし。いずれもいずれも、心に入れて習い願わば、生死を離るべし』とこそ思って候に、仏法の中に入って悪しく習い候いぬれば、謗法と申す大いなる穴に堕ち入って、十悪五逆と申して日々夜々に殺生・偸盗・邪婬・妄語等をおかす人よりも、五逆罪と申して父母等を殺す悪人よりも、比丘・比丘尼となりて身には二百五十戒をかたく持ち、心には八万法蔵をうかべて候ようなる智者・聖人の、一生が間に一悪をもつくらず、人には仏のようにおもわれ、我が身もまたさながらに悪道にはよも堕ちじと思うほどに、十悪五逆の罪人よりもつよく地獄に堕ちて、阿鼻大城を栖として永く地獄をいでぬことの候いけるぞ。(妙法比丘尼御返事 新2106-7頁・全1407-8頁)弘安元年 57歳御作
現代語訳:「日本国に渡って来た仏の経典並びに菩薩の釈論と人師の書いた経疏・論疏等を習学してみよう。また倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・真言宗・法華天台宗など多くの宗があると聞いた上に、禅宗・浄土宗という宗もあるのです。これらの宗々の枝葉まで細かく習学しないでも、大体の肝要を知る身と成ればよい」と思って、随分あちこち回り、十二、十六の年から三十二歳に至るまで二十余年の間、鎌倉・京都・比叡山・園城寺・高野山・天王寺等の国々・寺々を大略遊学したところ、一つの不思議がありました。
私達の浅はかな思考で推察すれば、「仏法はただ一味だろう、いずれの宗であっても一心に習学し願うならば、生死を離れられるでしょう」と思っていたのに、仏法に入門しても悪しく習学するならば、謗法という大きな穴に堕ちて、十悪・五逆罪と言って、日々夜々に殺生・偸盗・邪婬・妄語等を犯す人よりも、五逆罪と言う父母等を殺す悪人よりも、比丘・比丘尼となって身に二百五十戒を堅く持ち心に八万法蔵を浮かべ、一生の間に一つの悪をも作らず、人からは仏の様に思われ、我が身もまた、よもや悪道に堕ちることはあるまいと思っている智者・聖人が、十悪・五逆の罪人より以上に地獄に堕ちて阿鼻大城を住居として永く地獄から出られないという事があるのです。
※大聖人は、修行開始として既成仏教を修学するほどに、疑問が湧いて来たのですね。そして教主釈尊の真意が、別にある事を理解されたのですね。
「日蓮は建長五年四月二十八日、初めてこの大白牛車の一乗法華の相伝を申し顕せり。しかるに、諸宗の人師等、雲霞のごとくよせ来り候。中にも真言・浄土・禅宗等、蜂のごとく起こり、せめたたかう。日蓮、『大白牛車の牛の角、最第一なり』と申してたたかう。両の角は本迹二門のごとく、二乗作仏・久遠実成これなり。すでに弘法大師は法華最第一の角を最第三となおし、一念三千・久遠実成・即身成仏は法華に限れり、これをも真言の経にありとなおせり。かかる謗法の族を責めんとするに、返っていよいよ怨をなし候。」(大白牛車書 新2151頁・全1543頁)執筆年不明
現代語訳:日蓮は建長五年四月二十八日に初めてこの大白牛車の一乗法華の相伝を説き顕したのです。ところが諸宗の人師等が、雲霞の様に押し寄せて来ました。中でも真言宗、浄土宗、禅宗等は蜂が群がり起こる様に攻めてきて戦います。日蓮は「大白牛車の牛の角が最第一である」と言って戦います。両の角とは法華経の本門と迹門であって二乗作仏と久遠実成の事です。既に弘法大師は法華最第一の角を最第三と変更し、一念三千、久遠実成、即身成仏の法門は法華経に限るのに、これをも「真言の経にある」と変更しています。この様な謗法の人達の誤りを正そうとしたのですが、返って強く怨念を抱かせているのです。
※法華経を根本として立宗しても、中々世間からは法華経の重要性を信じて貰えなかったのです。
「この悪真言、かまくらに来って、また日本国をほろぼさんとす。その上、禅宗・浄土宗なんどと申すは、またいうばかりなき僻見の者なり。これを申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩をほうぜんがために、建長五年四月二十八日、安房国東条郷の清澄寺、道善の房、持仏堂の南面にして、浄円房と申す者ならびに少々の大衆にこれを申しはじめて、その後二十余年が間、退転なく申す。あるいは所を追い出だされ、あるいは流罪等。昔は聞く、不軽菩薩の杖木等を。今は見る、日蓮が刀剣に当たることを。日本国の有智・無智、上下万人の云わく「日蓮法師は、古の論師・人師・大師・先徳にすぐるべからず」と。日蓮この不審を不審をはらさんがために、正嘉・文永の大地震・大長星を見て勘えて云わく「我朝に二つの大難あるべし。いわゆる自界叛逆難・他国侵逼難なり。自界は鎌倉に権大夫殿御子孫どしうち出来すべし。他国侵逼難は四方よりあるべし。その中に、西よりつよくせむべし。これひとえに、仏法が一国挙って邪なるゆえに、梵天・帝釈の他国に仰せつけてせめらるるなるべし。日蓮をだに用いぬほどならば、将門・純友・貞任・利仁・田村のようなる将軍、百千万人ありとも叶うべからず。これまことならずば、真言と念仏等の僻見をば信ずべし」と申しひろめ候いき。」(清澄寺大衆中 新1207-8頁・全894頁)建治2年 55歳御作
現代語訳:この悪法である真言宗が鎌倉に入ってきて、また日本国を滅ぼそうとしています。その上、禅宗・浄土宗等と云うのは、また、言い様の無い誤った考えの者です。これを言えば、必ず日蓮の命に関わる事になるだろうと承知していましたが、虚空蔵菩薩の御恩を報ずる為に建長五年四月二十八日、安房の国東条の郷にある清澄寺の道善房の持仏堂の南面において浄円房という者並びに少しの大衆にこれを言い始めて、その後二十余年の間、退転することなく言ってきました。(その間、)所を追い出されたり、或いは流罪されたりしました。昔は、不軽菩薩が杖木等の難にあったと聞きます。今は、日蓮が刀剣の難に遭うことを見るのです。日本国の有智や無智そして上下の全ての人は言います。「日蓮法師は昔の論師、人師、大師、先徳より優れている筈がありません」と。日蓮はこの不審を晴らす為に、正嘉元年の大地震と文永元年の大彗星を見て考えて言いました。「我が国に二つの大難が起こるでしょう。いわゆる自界叛逆難と他国侵逼難です。自界叛逆難は鎌倉に権の大夫殿のご子孫の同士打ちが起こるでしょう。他国侵逼難は四方からあるでしょう。その中でも西より強く攻めて来るでしょう。これはひとえに(信じている)仏法が一国揃って邪である為に、梵天、帝釈天が他国に言いつけて攻めて来るのです。日蓮を用いないでいる間は、平将門、藤原純友、安倍貞任、藤原利仁、坂上田村麻呂の様な将軍が百千万人いても適いはしません。これが真実で無いならば、真言と念仏等の誤った考えを信じましょう」と言い弘めたのです。
※立宗宣言後、真実を述べれば述べるほど多くの迫害が始まったのです。
「日蓮、末法に生まれて、上行菩薩の弘め給うべきところの妙法を先立ってほぼひろめ、つくりあらわし給うべき本門寿量品の古仏たる釈迦仏、迹門宝塔品の時涌出し給う多宝仏、涌出品の時出現し給う地涌の菩薩等をまず作り顕し奉ること、予が分斉にはいみじきことなり。日蓮をこそにくむとも、内証にはいかが及ばん。されば、かかる日蓮をこの島まで遠流しける罪、無量劫にもきえぬべしとも覚えず。譬喩品に云わく『もしその罪を説かば、劫を窮むとも尽きじ』とは、これなり。また日蓮を供養し、また日蓮が弟子檀那となり給うこと、その功徳をば仏の智慧にてもはかり尽くし給うべからず。経に云わく『仏の智慧をもって多少を籌量すとも、その辺を得じ』と云えり。
地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり。地涌の菩薩の数にもや入りなまし。もし日蓮、地涌の菩薩の数に入らば、あに、日蓮が弟子檀那、地涌の流類にあらずや。経に云わく『能くひそかに一人のためにも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、この人は則ち如来の使いにして、如来に遣わされて、如来の事を行ず』。あに別人のことを説き給うならんや。」(諸法実相抄 新1790頁・全1359頁)文永10年 52歳御作
現代語訳:日蓮が末法に生まれて上行菩薩が弘められる筈の妙法蓮華経を先立ってほぼ弘め、作り顕される筈の本門寿量品の古仏である釈迦仏や迹門の宝塔品で涌出された多宝仏、従地涌出品の時に出現された地涌の菩薩等をまず作り顕させて頂いた事は自分の分際を越えた事です。この日蓮を憎むとも、内証をどうする事もできないのです。それゆえに、この様な日蓮を佐渡の島まで遠流した罪は無量劫を経ても消えるとは思われません。法華経譬喩品には「もし、法華経誹謗の罪を説くならば、劫のあらんかぎりを説いても説きつくすことはできない」と説かれているのはこの事です。また、日蓮を供養し、また日蓮の弟子檀那となられたその功徳は仏の智慧によっても量り尽くすことはできません。法華経薬王菩薩本事品には「仏の智慧をもって量っても、その功徳の多少を量り尽くすことはできない」と説かれています。
地涌の菩薩の先駆けは日蓮一人です。地涌の菩薩の数に入っているのかもしれません。もし、日蓮が地涌の菩薩の数に入っているならば、日蓮の弟子檀那は地涌の流類という事になるでしょう。法華経法師品の「よくひそかに一人のためにでも、法華経そしてまたその一句だけでも説くならば、まさにこの人は如来の使いであり、如来から遣わされて如来の振る舞いを行ずるものと知るべきである」との文は、誰か他の人の事を説かれたものではありません。
※大聖人は、御自身を地涌の菩薩の一員である事を既に自覚されていたのですね。
「先日書いて進らせ候いし法門、能く心を留めて御覧あるべし。その上、即身成仏と申す法門は、世流布の学者は皆一大事とたしなみ申すことにて候ぞ。なかんずく予が門弟は、万事をさしおきてこの一事に心を留むべきなり。建長五年より今弘安三年に至るまで二十七年の間、在々処々にして申し宣べたる法門繁多なりといえども、詮ずるところは、ただこの一途なり。」(妙一女御返事【事理成仏抄】 新2131-2頁・全1260頁)弘安3年10月
現代語訳:先日書いて指し上げたこの法門を、よくよく心にとどめてご覧ください。その上で即身成仏という法門について、世間で著名な学者は、皆、最も大事な法門であると心得て述べているのです。まして、我が門弟においては、全ての事をさしおいて此の即身成仏の法門に心を留めるべきです。(立宗宣言をした)建長五年から、今、弘安三年に至る二十七年の間、様々な所で申し述べて来た法門は数多くありますが、究極はこの即身成仏の法門に尽きるのです。
※大聖人が説く即身成仏の法門だけが、人々を幸福にし、平和な大地を築く法だと主張されたのです。
「今、日蓮は、去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より今弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで、二十八年が間、また他事なし。ただ妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむばかりなり。これ即ち、母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり。これまた時の当たらざるにあらず。すでに仏記の五の五百歳に当たれり。天台・伝教の御時は、時いまだ来らざりしかども、一分の機ある故に少分流布せり。いかにいわんや、今はすでに時いたりぬ。たとい機なくして水火をなすとも、いかでか弘通せざらん。」(諌暁八幡抄 新742頁・全585頁)弘安3年12月
現代語訳:今、日蓮は、去る建長5年4月28日から今年弘安3年12月に至るまで、28年の間、他事は一切なく、ただ、妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れようと励んできただけです。これは丁度、母親が赤子の口に乳を含ませようと努力する慈悲なのです。この様に(法華経の弘通の)時節が到来したからであって、今は既に仏記の第五の五百年にあたっているのです。天台大師や伝教大師の御時には、未だその時期に至っていなかったのですが、一分に機根があったので法華経を少々流布したのです。ところが今は、既に時期が到来しています。たとい機が無くて水火の様に反発したとしても、どうして法華経を弘通せずにいられるでしょうか。
※ただ民衆に法華経の肝心である南無妙法蓮華経の七字五字を弘通する為に、大聖人は立ち上がられたのですね。
◎もし、大聖人が既成仏教の間違いを糾して立教開宗をされていなかったら、生命尊厳・人権尊重の妙法は存在せず、今の創価学会は出現していなかったでしょう。その意味で立宗宣言は、日蓮仏法発進の記念日なのです。
[154] 題名:フェイク 第1787号
名前:宿坊
◇
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投稿日:
2025/04/26(土) 01:56
2a02:6ea0:e00b:0:55a8:a165:6bbe:b9d6(IPv6:) (2a02:6ea0:e00b:0:55a8:a165:6bbe:b9d6)
(発行=25.04.24)
権威の「血脈」論は堕落の証拠
邪宗門の機関誌「慧妙」の戯言を破折する ㊦
伝統に固執し時代錯誤の閉鎖的な宗門
日蓮正宗の謀略紙「慧妙」が、学会は初代会長の牧口先生、第二代会長の戸田
先生、第三代会長の池田先生を広宣流布の永遠の師匠と定めているが、本当に
永遠の師匠と崇められているのは池田先生で「学会にとって戸田氏はオマケで
しかない…」(四月一日付)と偏見に満ちた記事を書いている。
殉教された牧口初代会長の破邪顕正の精神を継承した戸田先生は学会の基盤を
構築。会長の在任期間は約七年と長くはなかったが、決して〝オマケ〟ではな
い。その構想を後顧の憂いなく、池田先生に託されたのだ。
池田先生は第三代会長、名誉会長として半世紀以上の長期にわたって広宣流布
の運動を指揮し、牧口・戸田先生の構想を心に刻んで広宣流布の波動を全世界
に拡大すると共に、幼稚園から大学までの教育機関を創立したのをはじめ全て
の構想を実現させ、更に、広範囲にわたる指導も残されている。
牧口・戸田先生の精神、構想を継承して実現した池田先生の指導を活動の規範
にするのは当然である。
宗教の社会的役
割を示した学会
日本を代表する宗教社会学者によると、宗教研究の学者の多くは宗教の将来に
悲観的であったとのことで、「創価学会を通して、宗教が今後も社会的役割を
果たしうることを認識したのです」と述べた。
更に「創価学会は、彼らの悲観的な考えを大きく変え、世界の宗教社会学の展
開に貢献した」「(池田先生は)SGI本体の運動とは異なった角度からも、今
日の創価学会の世界的な発展の底流を着々とつくられてきた」「異文化への理
解と寛容性をもたれた偉大な指導者」「カリスマ性、文化性、文章力など本当
に凄い」と池田先生の偉業を絶賛していた。
それに対して先生は「実は、これらも全部、戸田先生に教わったのである。私
は全て、その通りにやってきただけである」と語った。
先生は師の戸田先生が建設された学会を世界的規模にするために師弟不二の精
神に立ち、全身全霊で戦い抜いて大教団を築かれた。
特別な相伝など何もないと日達法主
日蓮正宗は、創価学会の師弟とは根本的に違って、口先だけの「口伝(相伝)」
に固執している。
坊主や法華講員と対話すると「一代聖教大意」の「この経は相伝にあらずんば
知り難し」(御書三三八頁)の御文を金科玉条のごとく持ち出して「信心は相
伝を受けられた猊下に信伏随従することが根本だ」「血脈相承の猊下を批判し
たら堕地獄だ」と言い張るのが常である。だが、そもそも法主や坊主達が成仏
したかどうか、実に疑わしい。
先述の宗教社会学者は、血脈などはナンセンスと述べ「本当の宗教者として信
仰を極められない者が、自分の権威を示すために『血脈』で誤魔化している」
「『血脈』や『血脈付法』が大事などと声高に言うのは、その宗教団体に優秀
な人物が出ていないための言い訳でしかない。それを言うこと自体、その宗教
団体が堕落している証拠」と指弾していた。
確かに、五十九世・日亨上人は登座した直後、法階が進んで通称が変更したか
らといって人物も人格も向上したかどうか、自分には分からない旨、素直に述
懐。六十六世・日達法主も「堀上人が全部出してしまったので、特別なものは
何もない」と語っていた。
このように口伝(相伝)によって歴代法主に超能力的、神秘的な力が備わるとか、
血脈相承によって日蓮大聖人と同等の境界になるとか、御書以外の特別な教え
が伝えられるということは絶対に有り得ない。
だが、今の日蓮正宗は御書よりも口伝(相伝)が根本であるとして「法主絶対」
の邪義を横行させ、大聖人や御書よりも血脈を重視する血脈相承偏重で、伝統
に固執して時代錯誤に陥り、閉鎖的な宗門になっている。
日顕の愚息の信彰は「猊下ではなく、日蓮大聖人の信徒というなら、もう日蓮
正宗の信徒ではありません」と妄言を吐いた。
また、高野法雄は「御書は重要ではあるが、大聖人の法門の一切が網羅された
ものではない。法主は大聖人の法門の全てを所持し、御書は法門の部分にすぎ
ない」と、御書を軽視して法主が根本であると強調した。
この高野の「御書部分論」は末寺の住職や寺族にも浸透している。
以前、北海道芦別市の志願寺を訪ねた学会の青年部有志が、住職の泉雄嘉に御
書の解釈を糺すと、泉は話を逸らして逃げ口上に終始していた。
そんな情けない住職の様子を見かねた女房が助け船を出したが、それが「御書
部分論」だった。「たったこれだけの御書に、全て納まりますか?」と開き直
った。こんな御書を軽視する発言を青年部有志に糾弾された住職と女房は沈黙
していたということだ。
貫主一人しか解らぬ仏法というのは血脈の真義を解せぬ者の囈言!
現在、血脈といえば法主の血脈が根本であるかのような主張が横行している。
だが、日顕は悩乱する前の昭和六十二年四月の霊宝虫払大法会で信心の血脈が
一切の根幹だと次のように説法していた。
「血脈相承とは、信心の血脈がその基(もとい)をなすのであり、その信心の
血脈によって仏の本地甚深の境智に基づく法体法門の血脈が、一器より一器へ
流れ通うのであります」
「この唯授一人の血脈も、その基本的本質は前来述べる如く信心の血脈に存し
ます」
「信解抜群にして宗祖二祖の信心の血脈を疑わず、勇猛精進するところ、僧に
あれ、俗にあれ、僧から僧へ、俗から俗へ、さらに広くその信心の血脈を伝え
つつ展転して衆生を利益することが下種仏法の相であります。その一大実証は、
近年、正法の日本ないし世界広布の礎(いしずえ)を開かれた、創価学会におけ
る初代、二代、三代等の会長の方々における信心の血脈の伝承であります」
「信心の血脈が正法の僧俗一切の行学の根底であります。故に、大聖人より日
興上人への血脈が貫主一人しか解らぬ独断的、偏見的な仏法などというのは血
脈の真義を解せぬ者の囈言(たわごと)であり、信心の一念に法水が流れると
ころ、有智、無智を問わず、万人のために即身成仏の功徳が実証として開かれ
ているのであります」(「大日蓮」昭和六十二年五月号)
このように日顕は悩乱する前は「信心の血脈が仏法の根幹」と断言していた。
五十九世・日亨上人が「信心と血脈と法水とは要するに同じ事になるなり」と
述べられた通りである。
ところが、悩乱した後の日顕は〝法主に伝わる血脈相承が根本で信心の血脈は
枝葉にすぎない〟〝法体の血脈が根本で、そこから離れて信心の血脈はない〟
と法主の絶対化を図った。
日顕が悩乱する前と後では説法の内容が正反対なのである。
実は、この日顕は「血脈断絶」が持論であった。
日顕が墨田区の本行寺住職の昭和三十三年当時、ビールを飲みながら「宗門の
歴史の中には血脈が切れたような感じもあるんだよ。要は『内容』なんだ。血
脈が切れたって別段いいんだと俺は思う」と発言した。
日顕自身は血脈断絶論者だったので、平然と相承を詐称して〝盗座〟したが、
権威で信徒を隷属させるため「相承を受けた以上は生身の釈迦日蓮である」と
言い放ったのである。
[153] 題名:フェイク 第1786号
名前:宿坊
◇
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投稿日:
2025/04/25(金) 23:44
2a02:6ea0:1604:1000:98c5:7d38:20eb:2a85(IPv6:) (2a02:6ea0:1604:1000:98c5:7d38:20eb:2a85)
(発行=25.04.23)
日蓮正宗の教義は独善的な邪義
邪宗門の謀略紙「慧妙」の戯言を破折する ㊤
「日顕が大聖人、御本尊と不二の尊体」?
日蓮正宗と決別した創価学会は全世界に広宣流布の波動を拡大している。その
反対に邪宗門は肝心の折伏が停滞、登山会や御講の参加者も低迷し、哀れなほ
ど衰亡の一途を辿っている。
このため学会に嫉妬する宗門は謀略紙「慧妙」をはじめ幼稚な機関誌紙を使っ
て「学会は大御本尊を否定した。棄てた」とか「戸田・池田の指導と真逆の動
き」等と学会を批判しているが、的外れも甚だしい。低劣な難癖なので捨て置
こうと思っていたが、性懲りもなく頻繁に愚劣な記事を掲載するので簡潔に破
折する。
まず、学会は大御本尊を否定も誹謗もしていない。否定したのは相承を詐称
し、御本尊鑑定の専門家を気取っていた日顕である。
「戒壇の御本尊のは偽物である。種々の方法の筆跡判定の結果解った(字画判
定)。多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の題目と花押を模写し、その
他は時師か有師の頃の筆だ。日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている」と語
った記録が残っているではないか。
その御本尊が今は大謗法の大石寺にあるから学会は「受持の対象にはしない」
と決定したのである。
大石寺も身延派の寺や京都の要法寺、離脱した保田妙本寺などに有る日蓮大聖
人の御真筆の御本尊を受持の対象にしていない。学会が弘安二年の御本尊を受
持の対象にしないというのは、それと同じことである。
早瀬義寛(日如)は以前、学会の会則の「三大秘法の大御本尊を信受し」につい
て御講の席で「学会が三大秘法の大御本尊を信受するなんて、破門された学会
には許されない。狂っている」と叫んでいた。
ところが、近年では「『弘安二年の御本尊は受持の対象にはいたしません』と
は暴挙であり、大聖人への反逆行為です」等と述べている。どちらにしても批
判するのが宗門だ。
「慧妙」は戒壇の御本尊から離れて各家庭の御本尊を拝んでも功徳は無いと非
難するが、学会員は各家庭の御本尊に自行化他にわたる題目を唱えて絶大な功
徳を満喫している。
宗門の変貌で学会指導が変わるのは当然
御本尊様に優劣はない。日達法主は「あなた方の各仏壇に安置するところの御
本尊様が、大聖人様の御精魂である。大聖人様の即ち法身報身応身の三身相即
したところの御本尊様でございます」(昭和三十七年九月)と明言していた。
学会は創立以来、日蓮正宗の外護に徹してきたが、悩乱した日顕は日蓮正宗を
日顕宗へと変質させ、邪宗に成り果てた。この宗門側の変貌によって学会の指
導内容が変わるは当然である。
それなのに「慧妙」は、学会が宗門の外護に徹していた昔の戸田先生と池田先
生の指導を持ち出し、今の学会は「戸田・池田の指導と真逆の動き」等と批判
しているが、笑止千万!
日蓮正宗が日顕宗に変貌してからの最大の違いは仏教の中心となる仏宝、法宝、
僧宝の三宝を改変したことだ。日顕宗の坊主が主張する数多い邪説の中でも最
悪の邪義が法主本仏論である。
本来、仏宝とは日蓮大聖人、法宝は南無妙法蓮華経であるが、悩乱した日顕は
自分が仏宝と法宝を兼ねるような独善的な邪義を宗内に蔓延させた。それは日
顕の説法と「能化文書」などにも現れていた。
平成九年八月二十八日の全国教師講習会で、日顕は「相承を受けた以上は生身
の釈迦日蓮である」と力説。受けてもいない相承を受けたと詐称し、法主を「
生身の釈迦日蓮」と崇めるよう説法した。こんな邪説を己自身が言い放つとは
悩乱している証左である。
そればかりか、愚息の信彰(日明)をはじめ坊主共や従順な法華講員に、日顕を
「御本仏」だと崇めさせる異流義を喧伝させたのだ。
日顕の狂乱症状が表面化したのは平成二年頃で、翌三年七月と九月の二度にわ
たり宗門側の早瀬日慈、椎名日澄、吉田日勇、瀬戸日謙、秋山日浄ら能化から
学会の和泉最高指導会議議長、辻参議会議長など古参幹部に宛てた文書で、法
主は戒壇の御本尊と「不二の尊体」であると主張、この法主と御本尊の「根本
の二つ」に対する信心は「絶対」でなければならない、とか「本仏大聖人、戒
壇の大御本尊、歴代の御法主上人が、その内証において一体不二の尊体にまし
ます」と戯言を述べていた。
これは能化が書いたのではない。この時期、日慈は入退院を繰り返し、平成五
年六月に死去した。日澄、日勇、日謙、日浄らも似たような状態で公式な文書
を書ける状態ではなかった。
つまり、「能化文書」は日顕の意向を受けた〝邪義小僧班〟が代筆したことは
明白であり、日顕自身が「俺は大聖人、御本尊と不二の尊体だ」と不遜にも言
い張っていたのである。
日顕は〝盗座〟して以来、大聖人を否定し仏法を破壊、破和合僧、広布破壊、
信徒蔑視、謗法を容認し身延に迎合、腐敗堕落、遊戯雑談、二枚舌の大妄語、
貴重な宗教建築物の破壊、暴力主義、供養の収奪と浪費、宗門の私物化など数
々の大謗法、暴挙を重ねてきた。
こんな日顕が死身弘法を貫かれた大聖人と「不二の尊体」とは言語道断だ。
大聖人が信徒に宛てられた手紙には慈愛と誠意が溢れ、健気に信仰に励む庶民
の真心には最大の真心で応えられていた。
それに対し、日顕は信徒の真心を踏みにじり、愚弄し、挙句の果てに破門した。
この日顕こそ「法師の皮を著たる畜生」であり、断じて「不二の尊体」ではな
い。
日顕が「本」で日蓮大聖人は「迹」の大邪義
宗内に「日顕本仏論」「法主絶対主義」が横行するようになった背景には、日
顕と、その愚息の信彰による画策があった。「法主は大聖人と不二の尊体」と
書いたのは「能化文書」だけではない。法華講員の内田和子、日顕の娘婿で日
如の弟・早瀬義純(故人)らに「現代における大聖人様」と言わせ、福田毅道に
は「日顕本仏・日蓮迹仏」の大邪説を唱えさせたのも日顕と信彰の画策である。
宗門の機関誌「大日蓮」(平成三年六月号)に「創価学会における御宗門批判
のキャンペーンについて」との一文が掲載された。
これは内田和子という信徒が二十ページにわたり書いたものだが、その中で日
顕を「現代における大聖人様」等と計十四回も繰り返し述べている。この低劣
な駄文が「大日蓮」に掲載された経緯を、ある僧侶の証言から辿ってみる。
内田和子は青梅・慈本寺(当時の住職は石橋頂道)の講員であった。当初、こ
の原稿を石橋の所に持ち込んだが、あまりに稚拙なため相手にされなかった。
だが、府中・大修寺の当時の住職・信彰が「大日蓮」編集部に持ち込んで掲載
させたのである。
更に、当時、海外部書記だった福田毅道は平成三年八月、行学講習会で「百六
箇抄に『立つ浪・吹く風・万物に就いて本迹を分け勝劣を弁ず可きなり』とあ
る」と述べて妄論を展開した。
福田は「これは森羅万象について本迹を立て分けるべきであるということであ
り『立つ浪』というのは次から次へと起こっては消えていくものであるから、
今、起こっている浪が『本』で、消えた浪は『迹』と言える。
風についても、今、吹いている風が『本』で、過ぎ去った風は『迹』と言える。
これからすると、大聖人から御歴代は、もう過去だから『迹』で、御当代日顕
上人が『本』と言える」という迷講義であった。
これらの大邪義が現在の日蓮正宗(日顕宗)内に蔓延しているのだ。(つづく)
[152] 題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 2
名前:サム
◇
MAIL
投稿日:
2025/04/17(木) 19:02
119-229-83-134f1.osk3.eonet.ne.jp (119.229.83.134)
御書拝読で判る大聖人のお立場 2
第二章 虚空蔵菩薩への誓願と修行開始
童名を善日(善日麿、善日童子)と呼ばれた日蓮大聖人は、12歳で清澄寺に登り、道善房を師匠として天台・真言等の教義を学ぶ中で、大きな誓願をされたのです。これを機に出家剃髪し、是生(是聖)房蓮長と改名され、鎌倉を初めとして仏道修行の旅が始まったのです。
と、今回紹介の御書の記述から、この様に感じとれるのです。
「日蓮は安房国東条郷清澄山の住人なり。幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てて云わく『日本第一の智者となし給え』と云々。虚空蔵菩薩、眼前に高僧とならせ給いて、明星のごとくなる智慧の宝珠を授けさせ給いき。そのしるしにや、日本国の八宗ならびに禅宗・念仏宗等の大綱、ほぼ伺い侍りぬ。殊には建長五年の比より今文永七年に至るまで、この十六・七年の間、禅宗と念仏宗とを難ずる故に、禅宗・念仏宗の学者、蜂のごとく起こり、雲のごとく集まる。これをつむること、一言二言には過ぎず。結句は天台・真言等の学者、自宗の廃立を習い失って、我が心と他宗に同じ、在家の信をなせることなれば、彼の邪見の宗を扶けんがために『天台・真言は念仏宗・禅宗に等し』と料簡しなして、日蓮を破するなり。これは、日蓮を破するようなれども、我と天台・真言等を失う者なるべし。能く能く恥ずべきことなり。この諸経・諸論・諸宗の失を弁うることは、虚空蔵菩薩の御利生、本師・道善御房の御恩なるべし。」(善無畏三蔵抄 新1192頁・全888頁)文永7年 49歳御作
現代語訳:日蓮は安房の国・東条の郷にある清澄山の住人です。幼少時から虚空蔵菩薩に願いを立て「日本国第一の智者にしてください」と祈って来ました。(すると)虚空蔵菩薩が眼前に高僧となって現れ、明星の様な智慧の宝珠を授けてくださったのです。その証拠でしょうか、日本国の八宗並びに禅宗・念仏宗などの教義の大綱をほぼ学び知ることができました。特に建長五年の頃から今年文永七年に至るまでのこの十六、七年の間は、禅宗と念仏宗とを非難したので、禅宗・念仏宗の学者達が蜂の様に群がり起こり、雲の様に集まって騒ぎ立てました。(だが、)これを論詰するのに一言二言で十分過ぎるほどでした。最後には、天台宗や真言宗の学者達までが、自宗の依って立つ教義における廃立の立て分けを忘失して、自分から進んで他宗(念仏宗・禅宗)に同意し、或いは在家の人々が信仰しているからと言って、念仏・禅の邪見の宗を助けようとして、思案を巡らし「天台・真言は念仏宗・禅宗と同じである」等と言い、日蓮を破ろうとしたのです。しかし、真言宗・天台宗の学者達のやり方は、日蓮を破った様に見えたけれども、その実、自からの手で天台・真言の立場を失う者となったのです。本当に恥ずかしい行為です。この様に、諸経・諸論・諸宗の誤りを弁え理解する事は、ひとえに、虚空蔵菩薩の御利益であり、旧師・道善御房の御恩なのです。
※大聖人は、虚空蔵菩薩に真理の探究者である「智者に」との願を立て、その後、どの宗派との法論にも負けないほどの仏法全般を研鑚されたのですね。
「日蓮が度々殺害せられんとし、ならびに二度まで流罪せられ、頸を刎ねられんとせしことは、別に世間の失に候わず。生身の虚空蔵菩薩より大智慧を給わりしことありき。『日本第一の智者となし給え』と申せしことを不便とや思しめしけん、明星のごとくなる大宝珠を給わって右の袖にうけとり候いし故に、一切経を見候いしかば、八宗ならびに一切経の勝劣、ほぼこれを知りぬ。」(清澄寺大衆中 新1206頁・全893頁)建治2年 55歳御作
現代語訳:日蓮は、たびたび殺害されようとし、また二度まで流罪され、頚を切られようとした事は、別に世間の罪によるのではありません。生身の虚空蔵菩薩から大智慧を戴いた事がありました。「日本第一の智者にしてください」と申し上げた事を、可哀想に思われたのでしょう。明星の様な大宝珠を与えられて、それを右の袖で受け取った為に、一切経を拝見したら、八宗並びに一切経の勝劣をほぼ知ることができたのです。
※何度も苦難に遭われた大聖人は、此処でも虚空蔵菩薩の功徳を述べておられます。
「予は、かつしろしめされて候がごとく、幼少の時より学文に心をかけし上、大虚空蔵菩薩の御宝前に願を立て、「日本第一の智者となし給え」、十二のとしよりこの願を立つ。その所願に子細あり。今くわしくのせがたし。その後、まず浄土宗・禅宗をきく。その後、叡山・園城・高野・京中・田舎等、処々に修行して自他宗の法門をならいしかども、我が身の不審はれがたき上、本よりの願に「諸宗いずれの宗なりとも、偏党・執心あるべからず。いずれも仏説に証拠分明に道理現前ならんを用いるべし。論師・訳者・人師等にはよるべからず。専ら経文を詮とせん。また、法門によりては、たとい王のせめなりとも、はばかるべからず。いかにいわんや、その已下の人をや。父母・師兄等の教訓なりとも、用いるべからず。人の信・不信はしらず、ありのままに申すべし」と誓状を立てし」(破良観等御書 新1261頁・全1292-3頁)建治2年 55歳御作
現代語訳:私(日蓮)は、よくご存知の通り、幼少の頃から学問を心がけた上に、大虚空蔵菩薩の御宝前で「日本第一の智者とならせ給え」と十二歳の時から願をかけてきたのです。その願いは様々な理由があります。今は詳しく書くことができません。その後、まず浄土宗・禅宗の法門を聴聞しました。さらに比叡山延暦寺・薗城寺・高野山・京の都や田舎などを巡って修行して自宗・他宗の法門を修学しましたが、我が身の疑問は晴れなかった上に、もともとの願いに「諸宗のいずれの宗に対しても偏った考えや執着心は持たない。いずれ(の宗であって)も仏説の証拠が明瞭であり、道理が現前で明解なるものを用いよう。論師・訳者・人師など依存してはならない。ひたすら仏の経文を第一としよう。また、法門の上では、たとえ国王に責められても遠慮することはない。ましてや、それより以下の人々においては当然である、父母・師兄等の教訓であっても用いることはない。人が信じるか信じないかに関係なく、(経文の)ありのままに言い通していこう」と誓状を立てたのです。
※大聖人は、12歳時からの虚空蔵菩薩に「日本第一の智者に」との願いに加え、その後「仏道修行に際しての心得」を文章にして誓いを立て、他宗と対論されたのですね。
「日蓮は少きより今生のいのりなし。ただ仏にならんとおもうばかりなり。されども、殿の御事をば、ひまなく法華経・釈迦仏・日天に申すなり。その故は、法華経の命を継ぐ人なればと思うなり。」(四条金吾殿御返事 新1590頁・全1169頁)建治3年 56歳御作
現代語訳:日蓮は若い時から、今生の栄えを祈った事はありません。ただ仏に成るだけを思い願ったのです。しかしながらあなたの事は、絶えず法華経、釈迦仏、日天子に祈っているのです。それは、あなたが法華経の命を継ぐ人だと思うからです。
※大聖人は本抄でも、幼少から名誉栄達を望むのではなく成仏する事だけを願われ、在家である後継者の出現をも大切に思われていたのですね。
「日蓮は日本国安房国と申す国に生まれて候いしが、民の家より出でて頭をそり袈裟をきたり。『この度、いかにもして仏種をもうえ生死を離るる身とならん』と思って候いしほどに、皆人の願わせ給うことなれば、阿弥陀仏をたのみ奉り、幼少より名号を唱え候いしほどに、いささかのことありて、このことを疑いし故に、一つの願をおこす。」(妙法比丘尼御返事 新2106頁・全1407頁)弘安元年 57歳御作
現代語訳;日蓮は日本国の安房国という国に生まれたのですが、民の家から出家して髪を剃り袈裟を着たのです。「この生涯に、何としても仏に成る種を植え、生死を離れる身になろう」と思って、人々が願っている様に阿弥陀仏をたのんで、幼少から名号を唱え(念仏)たのですが、わずかな出来事があってこの事(念仏信仰)に疑問を抱いたので、一つの誓願を起したのです。
※本抄は、大聖人が当世人気があった他力本願の念仏崇拝から離れて、虚空蔵菩薩に誓願を立て、法華経中心による仏道修行を始められたという告白ですね。
◎大聖人が、「人類の幸福と平和」を願って、法華経行者としての人生を進める為の大きな転機となったのは、この「虚空蔵菩薩への誓願」だったのではないでしょうか。
「一切法華経にその身を任せて金言のごとく修行せば、たしかに後生は申すに及ばず、今生も息災延命にして勝妙の大果報を得、広宣流布の大願をも成就すべきなり。」(祈祷経送状 新1786頁・全1357頁)文永10年
との御文通り、我々創価学会員の大願は「広宣流布」ですが、日々朝夕の勤行時のご祈念には、個人の目標も御本尊に誓願していきましょう。
[151] 題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 1
名前:サム
◇
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投稿日:
2025/04/08(火) 13:47
119-229-83-134f1.osk3.eonet.ne.jp (119.229.83.134)
御書拝読で判る大聖人のお立場 1
第一章:自ら出自を開示
日蓮大聖人は、御自身を民が子,海人が子、賤民が子、旃陀羅が子、と最下層の凡夫相のお姿として、へりくだって仰せです。出自を公表すると共に宗教者としての決意を述べられています。
「日蓮は、安房国東条の片海の石中の賤民が子なり。威徳なく、有徳のものにあらず。なににつけてか、南都北嶺のとどめがたき、天子・虎牙の制止に叶わざる念仏をふせぐべきとは思えども、経文を亀鏡と定め、天台・伝教の指南を手ににぎりて、建長五年より今年文永七年に至るまで十七年が間これを責めたるに、日本国の念仏、大体留まり了わんぬ。眼前にこれ見えたり。また口にすてぬ人々はあれども、心ばかりは念仏は生死をはなるる道にはあらざりけると思う。」(善無畏三蔵抄 新1185頁・全883頁)文永7年 49歳御作
現代語訳:日蓮は安房の国・東条の片海の磯に住む賎民の子です。威徳もなく有徳の者でもありません。奈良や叡山が防ぎ止めることができないで、天皇の威力によっても制止できない念仏を、どうして防ぐことができるのだろうかとは思うけれども、経文を亀鏡と定め、天台・伝教の指南を手にして建長五年から今年・文永七年に至るまでの十七年間、念仏を責めたので、日本国の念仏は殆ど停滞しきっています。この事は眼前に見えています。また口では念仏を捨てていないと言う人達が存在していても、心の中では念仏は生死を離れる道では無い、と思っているのです。
補足:亀鏡とは、亀の甲は吉凶の占いに用いられ、鏡は物の姿を映す事から、合わせて模範・手本の意味で使われ、根本の規範として仏説である仏の教法を、また人師・論師の所説も指します。
※御自身を威徳も有徳も無い賤民の子と卑下されていますが、正義感は誰よりも強かったと拝される御文ですね。
「日蓮は日本国の東夷東条、安房国の海辺の旃陀羅が子なり。いたずらにくちん身を法華経の御故に捨てまいらせんこと、あに石に金をかうるにあらずや。各々なげかせ給うべからず。道善御房にも、こう申しきかせまいらせ給うべし。」(佐渡御勘気抄 新1196頁・全891頁)文永8年 50歳御作
現代語訳:日蓮は日本国の東夷(「東国の異民族」との蔑称)東条郷の、安房の国の海辺にある旃陀羅の子です。むなしく朽ちていくこの身を法華経の為に捨てる事は、丁度石を金に換える様なものではないでしょうか。あなた方よ、嘆かれてはなりません。道善の御房にも、この様に申し聞かせてください。
補足:旃陀羅とは、暴悪・悪人・屠者・殺者と訳され、インドのカースト制度の最下層に置かれ、屠殺や死体処理を職業とし、一般の人は彼達を見ても触れてもいけない不可触賤民とも呼ばれていました。法華経安楽行品では「身分の卑賤な民」の意味に用いられています。
※清澄寺関係者に宛てた御文ですが、御自身を石、法華経を金に例えて、「本より学文し候いしことは、仏教をきわめて仏になり、恩ある人をもたすけんと思う」と本抄の冒頭にある通り、大聖人の志が覗える御文ですね。
「日蓮、今生には貧窮・下賤の者と生まれ、旃陀羅が家より出でたり。心こそすこし法華経を信じたるようなれども、身は人身に似て畜身なり。魚鳥を混丸して赤白二渧とせり。その中に識神をやどす。濁水に月のうつれるがごとし。糞囊に金をつつめるなるべし。心は法華経を信ずる故に梵天・帝釈をもなお恐ろしと思わず。身は畜生の身なり。色心不相応の故に、愚者のあなずる道理なり。」(佐渡御書 新1287頁・全958頁)文永9年 51歳御作
現代語訳:日蓮は今生には貧しく下賎の者と生まれ、旃陀羅が家に生まれたのです。心こそ少し法華経を信じている様ですが、身は人身にして畜生の身なのです。魚や鳥を混丸して父母の赤白二渧とし、その中に精神を宿したのです。濁った水に月が映り、糞嚢に金を包んだ様なものなのです。心は法華経を信ずる故に、梵天・帝釈でさえも恐ろしいとは思いません。しかし身は畜生の身ですから、身と心とが相応しくない為に、愚者が侮るのも当然なのです。
※やはり、御自身を卑下した御文になっています。
「日蓮は東海道十五箇国の内、第十二に相当たる安房国長狭郡東条郷片海の海人が子なり。生年十二、同じき郷の内、清澄寺と申す山にまかり登り住しき。遠国なるうえ、寺とはなづけて候えども、修学の人なし。しかるに、随分諸国を修行して学問し候いしほどに、我が身は不肖なり、人はおしえず。十宗の元起・勝劣たやすくわきまえがたきところに、たまたま仏菩薩に祈請して、一切の経論を勘えて十宗に合わせたる」(本尊問答抄 新310頁・全37頁)弘安元年 57歳御作
現代語訳:日蓮は東海道十五箇国のうち第十二番目に当たる安房国長狭郡東条郷の片海の海師の子です。十二歳の時に、同じ東条郷にある清澄寺という山に登って暮らしました。しかし、安房は京都から遠く離れた所である上に、寺といっても学び修行する人はいませんでした。そこで、随分と諸国を巡って修行し学問を続けましたが、自分は不肖の身であるし、しかも人は教えてくれません。十宗の起源やそれらの勝劣を容易には修得でき難かったところに、たまたま仏菩薩に祈請し、一切の経論を研究し、十宗の教義と照らし合わせたのです。
※此の御文で大聖人が、殆ど独学で仏道修行されて、仏法全般を理解された御様子が解りますね。
◎大聖人は自らの境遇を明らかにして、全ての人の人権を尊重し、将来の境涯や人生は全て平等である事を、示されているのですね。今でも世界や世間では、人権を無視したり、差別を容認したり、自身を特別に選ばれた存在の様に、行動する人が多い中で、創価学会員だけは、日蓮仏法の模範を示していきたいですね。
[150] 題名:フェイク 第1785号
名前:宿坊
◇
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投稿日:
2025/04/03(木) 01:26
2a02:6ea0:c130:2000:3dd7:f2eb:486e:aff6(IPv6:) (2a02:6ea0:c130:2000:3dd7:f2eb:486e:aff6)
(発行=25.03.30)
「竜年光を信用するな」と戸田先生
大阪事件の無罪に難癖つける「慧妙」を破す ④
嫉妬、不知恩、退転、反逆で悲惨な末路
日蓮正宗の謀略紙「慧妙」が不知恩の反逆者・竜年光の駄文を引用して大阪事
件で池田先生が無罪になったことに難癖をつけている。
この竜は平成十九年三月、多臓器不全で死んだので、死者に鞭打つ悪口は書き
たくないが、竜の生き様を後世への戒めとするため、簡潔に記すことにする。
竜の作文は「慧妙」の記事と同様、ウソが多く信用できない。第二代会長の戸
田先生も「竜年光を信用するな」と言われていたと草創期の幹部が語っていた
が、池田先生の「若き日の日記」に注目すべき記述がある。
「二時、R宅にゆく。交通事故の弁償金、八万円也を、整理してあげる。心か
らの礼もいわず、いやな同志と思う。利己主義と権威主義の同志ほど、情けな
きものはなし」(昭和二十八年一月八日)
この「R」とは竜年光である。当時、二十五歳だった池田先生は、竜の腐った
性根を鋭く見抜いていた。
それでも正道を歩ませてあげたいと包容した池田先生の誠意を裏切ったのが竜
である。
竜は昭和三十年、学会の支援により品川区議に当選して、同三十四年には都議
になり、同六十年に定年退職するまで公明党の世話になっていた。
生来、己の栄誉栄達のみを考える卑しい男で、国会議員には推薦してもらえず、
都議を辞める際も「品川区の区長になりたい」と身勝手なことを言い出した。
結局、そんな我がままは叶えられず、錯乱した竜は学会と党を裏切り、悪辣な
手を使って激しく攻撃するようになる。嫉妬、不知恩、退転、反逆という「裏
切り者」の典型のような悲惨な末路をたどった輩である。
特に、宗門問題が表面化した直後の平成三年一月十二日、大石寺内事部に日顕
宛の手紙を届け、以来、日顕と結託して学会の破壊を画策。平成三年十一月七
日に「創価学会による被害者の会」なるグループ設立の記者会見を行い、発足
後は幹事になった。
翌四年四月、学会の法人解散を求める「要望書」を東京都に提出したが、都は
門前払いにした。これらの活動資金を提供したのが日顕で、竜に一千万円を送
金していた。
また平成十一年十一月には性懲りもなく、都に「住民監査請求」を送りつけた
が、またもや門前払い。
そこで学会の会館使用に関して難癖を付ける裁判を起こしたが、これも一蹴さ
れた。この裁判は学会の支援活動を妨害するのが目的だったが、その狙いが裏
目に出て、法廷の場で学会の正当性が証明される結果になったのである。
更に、竜は卑劣な信平狂言事件への関与、「四月会」関係者との繋がり、妙観
講総会への参加に加えて「創価学会解散撲滅の会」を作るなど、数々の学会攻
撃の陰謀に加担。権力と金に狂った竜は色欲にも狂って愛人との密会を重ねて
いた。
竜の色情狂ぶりは六歳下の愛人の日記に「今夜も爆発」と淫らな逢瀬が赤裸々
に綴られていた。「今夜は二人とも激しく青年男女の様に燃えた」「三日続け
て燃える。毎夜重ねる爆発が一日毎に最高だねとは先生(竜)の言葉」。こん
な下衆野郎の駄文を「慧妙」は乱用するから宗内でも嫌われ、信用されないの
だ。
[149] 題名:フェイク 第1784号
名前:宿坊
◇
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投稿日:
2025/04/02(水) 17:41
2a02:6ea0:e00c:0:1b85:45c2:40f7:14bd(IPv6:) (2a02:6ea0:e00c:0:1b85:45c2:40f7:14bd)
(発行=25.03.29)
戦時中の学会弾圧と根は同じ
大阪事件の無罪に難癖つける「慧妙」を破す ③
検察の派閥の領袖が選挙違反で有罪に
大阪事件を審理した田中勇雄裁判長は退官後、弁護士として活動したが、事件
当時の被告だった池田室長に好印象を持っていた。
複数の法曹関係者によると「ワシ(田中裁判長)の目から見たら池田室長は他
の人と違う。輝いている。この人は将来、もの凄く偉くなる人。まあ、見てて
みい。ワシの目に狂いはない」と語っていたとのことだ。
更に、後年、懐かしそうに「学会の皆さんは、礼儀正しいですな。驚きました」
等とも述懐していた。
無罪判決については次の点が判決の決め手だった。
「(検察の指摘する)池田さんが指示したという日より以前に戸別訪問の動き
があった。池田さんが会合で話すよりも前なんです。これでは、あかんじゃな
いか。それで検事の調書がいっぺんに崩れた」と。
一方、検事たちのその後は悲惨であった。
大阪事件で買収関係を担当した検事は肺癌で急逝した。五十歳の若さだった。
池田室長の虚偽の供述調書を作成した検事は肝不全から昏睡状態に陥って五十
七歳で死去した。
更に、横暴な態度で池田室長を取り調べた検事は退官後、弁護士になったが、
間もなく死亡した。
検察界では派閥争い
かつて検察界には戦時中、特高警察が検挙した思想犯を取り調べて起訴する「
思想検事」派と脱税などの経済事件を摘発する「経済検事」派の二つの派があ
り、激しく派閥争いをしていた。
思想検事派の領袖が岸本義広で最高検次長検事の時、公安調査庁長官の藤井と
治安対策にあたったが、その藤井は学会が初めて選挙に挑んだ時に破壊活動防
止法で取り締まるとも発言した。
それ以前の戦時中、東京地検の次席検事(昭和十九年八月)、検事正(二十年
三月)になった岸本は創価教育学会の弾圧に関する詳細を把握していた。
昭和三十年に法務事務次官になった岸本は主要ポストを自分の配下で占め、岸
本派の竹原精太郎が大阪地検の検事正の時に起きたのが大阪事件である。
特高警察―思想検事派の岸本―岸本派の竹原、この系統を見ると、戦時中、学
会を壊滅状態に追い込んだ弾圧と大阪事件とは根が同じと言ってよいだろう。
思想検事派のトップの岸本は東京高検検事長に就任。ライバルの経済検事派の
馬場義続と検事総長の椅子を争ったが敗北。自民党から衆院議員になって法務
大臣を狙い、馬場派が多い検察幹部の総入れ替えを考えたのかも知れない。
昭和三十五年十一月に行われた総選挙で岸本は旧大阪五区から出馬。札束が飛
び交う当時としては選挙史上最大の違反事件と言われた選挙で、岸本は最下位
で当選したが、選挙違反に問われた。
十八人に四百三十二万円をばら蒔いた、という買収容疑で、かつての部下の取
り調べを受けた。次の総選挙にも再出馬したが落選。昭和三十九年三月の一審
判決で、執行猶予つきながら禁固一年三カ月、公民権停止三年の判決が下った。
控訴中の四十年九月十日、静養先の山梨県・増富温泉で心臓麻痺のため死去。
享年六十八。刑事被告人のため死去に際しての叙位、叙勲の沙汰はなかった。
[148] 題名:フェイク 第1783号
名前:宿坊
◇
MAIL
投稿日:
2025/04/01(火) 16:52
2a02:6ea0:e00b:0:55a8:a165:6bbe:b9d6(IPv6:) (2a02:6ea0:e00b:0:55a8:a165:6bbe:b9d6)
(発行=25.03.28)
公判の合間を縫って会員を激励
大阪事件の無罪に難癖つける「慧妙」を破す ②
夜行列車で早朝に到着、会館で勤行・唱題
不当逮捕された池田先生の無罪が確定した大阪事件について、学会の関西方面
の責任者であった西口良三氏が回想していた。今号では、その要旨を紹介する。
◇ ◇
昭和三十一年の「まさかの戦い」に続く翌三十二年の大阪の参院補欠選に端を
発した大阪事件は冤罪事件ですが、池田先生が不当逮捕されました。
以来、昭和三十七年一月の無罪判決まで四年半に及んだ大阪での公判は八十四
回、先生が出廷の際、車を運転したのが私でした。
新幹線が開通していない当時、夜行列車で早朝、大阪駅に到着された先生を私
一人が出迎えていました。
先生は「ありがとう。さあ、行こう!」と言われ、関西本部に着くと、朗々と
勤行・唱題されていました。そして公判の合間を縫って兵庫、京都、奈良へと
関西の会員の激励に動かれていました。
車で二時間、三時間の所へ行く時も、先生が車中でゆっくりされることは一度
もなかった。
折角の機会なので何か声をかけて頂けるか、と期待していたが、ご指導をいた
だいたことはありません。先生は絶えず、ノートをご覧になり、何かメモを記
したりされていました。
また、目を閉じて、お題目を唱えられていました。
こうして、先生は公判の闘争をされながらも、会員の激励に全魂を込められて
いたのです。
昭和三十六年十二月十六日、大阪地裁での公判で検察側は禁固十カ月と公民権
停止を求刑。戸別訪問の容疑としては余りにも過酷な求刑でした。
池田先生は雄弁でした。「宗教を信ずるものが選挙活動をやるのがなぜ、悪い
か」と言われ、異色の弁論に取材に来ていた司法記者たちは驚いていた。
先生は「選挙支援は憲法に保障された国民の権利である」等々と真っ向から主
張された。一切の陳述を終えた後、先生は裁判長に静かに語りかけられました。
検事に「選挙はやる、絶対に勝ってみせる」
「この事件で逮捕された私が拘置所から出ました時、私の恩師である戸田城聖
先生は『勝負は裁判だ。裁判長は必ず分かるはずだ。裁判長に真実を分かって
もらえれば、それでいいじゃないか』と言われ、やがて、先生は亡くなりまし
た。
取り調べがいかに不当であっても、裁判が公正であれば、人々は冤罪に泣かず
にすみます。無実の罪を着せられようとした民衆にとって、最大の希望となり
ます」と礼を尽くされた。
閉廷後、近づいてきた公判担当の検事に向かって先生は鋭く「横暴で不当な取
り調べは断じて許さない」「私は民主主義が続く限り、選挙をやる。絶対勝っ
てみせる」と堂々と言われた。
それから一カ月後の昭和三十七年一月二十五日には当然のことながら無罪判決
でした。
その翌日の昭和三十七年一月二十六日、東京での本部幹部会で公明政治連盟へ
の支援が発表されました。
更に、昭和三十九年十一月十七日の公明党の結成へと続いていきました。
その第一歩は、大阪事件という一大冤罪事件から踏み出されたのです。
[147] 題名:フェイク 第1782号
名前:宿坊
◇
MAIL
投稿日:
2025/03/31(月) 17:23
2605:6440:2000:4000:45be:15bf:80fb:9206(IPv6:) (2605:6440:2000:4000:45be:15bf:80fb:9206)
(発行=25.03.27)
崩れ去った検察当局の目論見
大阪事件の無罪に難癖つける「慧妙」を破す ①
不当逮捕、手錠かけ食事抜きで取り調べ
邪宗・日蓮正宗法華講支部の一つ、理境坊に所属する妙観講と若い無任所坊主
が主体となって発行している「慧妙」の記事は屁理屈と誤報が多く、宗内でも
嫌われて「『慧妙』の記事を信用すると後で困ることがある」等と言われてい
る。
そこで本紙も最近は無視しているが、たまたま目にした三月一日付で約七十年
も前の大阪事件を取り上げ、池田先生(当時は青年室長)が無罪になったことが
面白くないらしく、反逆者の竜年光が先生を貶めるために書いた駄文を乱用し
て難癖をつけているが笑止千万!!
大阪事件とは昭和三十二年の参院の大阪地方区補欠選挙で、池田室長をはじめ
多数の学会員が公職選挙法違反の容疑で逮捕されたが、判決で池田室長の無罪
が明らかになった。
この選挙で一部の会員から違反者が出た。大阪市内で煙草を渡し、また戸別訪
問で逮捕された者もいた。
裁判の結果、それぞれ罪科に応じて刑に処せられた。「慧妙」は「末端切り」
等と的外れの批判をしているが、検察当局の目論見は、単なる選挙違反の取り
締まりではなく、違反行為の責任を池田室長に被せて学会の弱体化を図ること
だった。その狙いは法廷で崩れた。
起訴された刑事事件の有罪率は九九%を超えるとのことだが、それを覆したの
が大阪事件であった。
池田室長が逮捕されたのは、昭和三十二年七月三日。大阪拘置所に移監し、起
訴して有罪に結び付けようとする検事との攻防戦が続いた。手錠をかけたまま
夕食も食べさせないで深夜まで取り調べ、そのうえ手錠をかけたまま外に連れ
出し、拘置所のあった本館と別館の間を往復させた。
脅して自白を強要して書き上げた検察調書は信用性があるのか、池田室長自身
が検事に罪を自白したというが、本当なのか、法廷は調書を証拠として採用す
るのか、却下するのか――これが裁判の焦点であった。
選挙運動は憲法が保障
法廷で争われた公職選挙法違反の容疑は買収関係と戸別訪問関係二つに分けら
れ、池田室長の嫌疑は戸別訪問に関わるもので、買収では起訴されていない。
池田室長に関する容疑は「戸田会長、学会本部は無事」という検事との約束を
信じて供述した検察調書のみで証拠は何もない。
裁判は買収関係から始まり、昭和三十六年二月まで五十回以上の公判が開かれ、
関係者は有罪を告げられた。既に初公判から三年以上が経過し、この間に戸田
先生は逝去、後継の池田室長が第三代会長に就任していた。
昭和三十六年十二月の最終陳述で池田会長は四点にしぼって証言した。
第一に学会が選挙運動を行うことは憲法に保障された国民の権利であること。
第二に従来、戸別訪問は軽い刑だが、大阪地検の禁固刑は過酷であること。第
三に大阪地検の検事が極めて横暴であったこと。第四に恩師・戸田先生の「勝
負は裁判だ。裁判長は必ず分かるはずだ。裁判長に真実を分かってもらえれば
いいじゃないか」との言葉を紹介し、公正な審判を要請した。
判決の日の昭和三十七年一月二十五日、池田会長は田中勇雄裁判長から「無罪」
の判決を受けたのである。
[146] 題名:今はなきteacup掲示板より
名前:井の中の蛙は卒業しませう
◇
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投稿日:
2025/03/26(水) 20:51
118.103.63.142 (118.103.63.142)
庶民烈伝を読了して (番外) 投稿者:りゅう
投稿日:2007年 5月17日(木)20時42分51秒 通報 編集済
「聞書 庶民烈伝」を読む (参考までに・番外編)
この長期連載の始まる直前、竹中氏は同じ『潮』誌上に、「反創価学会キャンペーンをめぐって」という論考を4ヶ月連続で執筆した。当時、いわゆる“月刊ペン”に端を発し、以後延々と繰り返された反学会報道の欺瞞性と謀略性を暴き、「言論のフェア・プレイ」を回復させるために、頼まれてもいない“学会の助っ人”として論陣を張ったものだ(1983年2月発行、「仮面を剥ぐ」幸洋出版 に所収。「溝口澄江さん」の言う“爆弾を落とす”とはこのこと)。
その三回目の記事を閉じるにあたり、次のように述べて、どこまでも庶民と「共生同死」しゆく自身の美学を披瀝している。
【今、私の心は、青春の日におとずれたことのある町々や村々を、飛光のごとく駆けめぐっている。山梨県道志村、昭和二十四年初夏・農民組合結成オルグ(同二十七年秋・山村工作隊)。北海道小樽、これはより早く敗戦の翌二十一年夏・飢餓放浪の途上。大分県日田市、ここはふるさと福岡の隣県、筑後川の源流に近い。耶馬渓に遊んだのは、小学校五年生、紀元二千六百年(昭15)。
少年時代は東京下町育ち、戦前の下谷車坂、稲荷町、神吉町、万年町細民街、浅草六区、花屋敷、五重塔。山谷の泪橋界隈、日本堤。三階建ての豪勢な家が建ち並んで、森(しん)としていたあれは吉原、深川八幡、人形町、水天宮。旧東海道、ジェームス坂、お台場の見える海。
神楽坂、毘沙門天の縁日、露店(さんずん)のカーバイトのにおい。ベイゴマ、ケン玉、相撲メン。合の子弁当、「ええ、ハヤラ一丁!」(ハヤシライス)、すしや横丁、釜めし、屋台のやきそばの香り。鞍馬天狗、李彩の南京手妻、ひょうたん池、人間――わが町、なぜか牧口常三郎の足跡と、想い出は通じあうのだ。そこに「庶民烈伝」、名もなき人々の生活と、歴史と、信仰がある。
センチメンタルに言うのではない、一九六八年(昭43)、山谷労働者と都庁に乱入して、私は逮捕された。
五八年(昭33)、三流夕刊紙の記者として、浅草六区のストリップ小屋に売文の出発はあった。そして四八年(昭23)、上野地下道で赤旗をふっていた。十年ひとむかしを、陋巷(ろうこう)の記憶は三たび刻む。反学会キャンペーン、信仰をおとしめる人々に無名・無告の庶民への連帯はあるか? 現在の創価学会について、ほとんど私は無知である。
〔中略〕
『潮』以外の学会系出版物に寄稿したことはなく、『聖教新聞』を本稿のためにはじめて購読した。ようするに私は、学会とまるで縁なき衆生であった。だがしかし、当たりまえの学会員、老若男女の貌(かお)は、親しい感情で胸底に去来するのである。京浜蒲田駅の線路ぎわのボロ屋に住居していた春秋、昼間もごろごろしている(実は売れない原稿を書いているのだが)私を、菓子やいなりずしを土産に折伏にやってくるおかみさん。
半年間ものあいだ、ラーメン・餃子をツケにしてくれた中華料理店の若夫婦、家賃を長いこと待ってくれた大家さんも学会員だった。親切なその人達が、“選挙違反”の仲間を奪い返そうと、交番に突っこんでいった姿を、忘れることができない。私はあなたがたに恩義がある、この文章で、その借りをいくらかは返すことができただろうか?】(1982年12月号)
「喧嘩屋」とも呼ばれ、歯に衣着せず徹底して“野干”を斬りまくった竹中氏だったが、決して品性を失わず、ユーモア、そして優しささえたたえた文章は、何年経っても色褪せることはない。
(管理人さん、再度お世話になりました。感謝します)
[145] 題名:フェイク 第1781号
名前:宿坊
◇
MAIL
投稿日:
2025/03/26(水) 18:30
2a02:6ea0:e00c:0:1b85:45c2:40f7:14bd(IPv6:) (2a02:6ea0:e00c:0:1b85:45c2:40f7:14bd)
(発行=25.03.25)
御開扉料、塔婆料が三千円に
値上げラッシュが続く財政悪化の日蓮正宗
機関誌「大日蓮」「妙教」や弁当代も
信徒が激減して財政難に苦しむ日蓮正宗大石寺では本年一月から御開扉料(
奉安堂の参拝料)を二千円から一・五倍の三千円に値上げしたばかりだが、四
月からは塔婆料も同じく現行の一本二千円から三千円に値上げすると発表した。
日如は令和三年の「新年の辞」で「法華講員八十万人体勢構築の誓願を立て、
僧俗一致・異体同心して、勇猛果敢に折伏戦を展開してきた結果、日本国内寺
院所属の法華講員の総計が八十万人を超え、見事、誓願を達成することが出来
ました」と述べていたが、財政悪化は信徒が増えていないことを物語っている。
そのため邪教・顕正会からも「宗門が本年元旦から御開扉料を従来の一・五倍
に値上げしたのは信者数(登山者)の減少に伴う減収分を補うためであろうが、
その利養に貪著するさまは邪宗のそれと同じである」(「顕正新聞」三月五日
付)と愚弄される始末だ。
日蓮正宗が「謗法だ」と批判する有名な神社仏閣でも拝観料、参拝料は概ね無
料で、有料でも二百円とか五百円程度が多く、高くても概して千円未満である。
ただ、世界遺産の法隆寺(奈良県斑鳩町)は今年三月から拝観料を大人は千五百
円を二千円に、小学生は七百五十円から千円に値上げした。法隆寺は「仏像な
どの文化財の維持管理に必要な費用や人件費が上昇しており、貴重な文化財を
次世代に引き継ぐため、ご協力とご理解をお願いしたい」と話している。
唐突に一・五倍の千円も値上げした大石寺には国宝などは何もない。登山者は
益々減るに違いない。
また、日蓮正宗は御開扉料と塔婆料だけではなく、値上げラッシュが続く。四
月からは機関誌の「大日蓮」も三百円から四百円になり、子ども向けのような
幼稚な「妙教」も四百円から五百円に値上げする。加えて、登山者用の弁当も
六百円から七百円に値上げするということだ。
御授戒料だけは入信者が殆んどいないため値上げしても意味がないから、今の
ところ値上げの発表はないようだ。
江戸時代に目薬を販売
かつて、六十六世・日達法主は「お寺さんは商売人じゃないから、金を儲ける
ことはできない」と語っていたが、実は江戸時代、宗門は金融業を営み、目薬
の販売もしていた。
金融業については改めて詳述するが、左の図は大石寺が目薬を販売していた頃
の看板である。「薬方相伝之事」によると要法寺から大石寺の法主になった日
盈が会津の実成寺にいた時、母親が眼病を患ったが、夢に見た目薬を作って治
療して治ったらしい。
その後、日盈は目薬の販売に努め、大石寺に晋山した後、目薬の作り方を弟子
の日傳に伝えた。以来、この目薬は「一子相伝の秘薬」になり、日傳は甥の清
十郎に相伝した。看板に書いてある「清三郎兵衛」とは清十郎が改名した名前
である。
商魂逞しい宗門は「日蓮商宗」の名称が相応しい。
[144] 題名:内輪でしか通じない論法は失笑を買うだけ
名前:井の中の蛙は卒業しませう
◇
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投稿日:
2025/03/24(月) 18:56
p7751126-ipoefx.ipoe.ocn.ne.jp (118.6.144.125)
https://bbs1.sekkaku.net/bbs/78e866k4jc/
>更に大事なのは、宗門が「戒壇本尊」と声高に言っている「楠板本尊」が、
>大聖人の御文にも全く見当たらない様に、
>決して大聖人の直造でも弘安2年10月12日に建立された物でも無く、
>歴然とした作者不明の後世の模作であるという事です。
https://watabes■injun.■atenablog.com/entry/2021/02/13/221343
(■はh)
戒壇本尊の正統性が学問的見地から担保出来ないことを創価学会が公式に認めたのであれば、やはり創価学会は日蓮宗身延山に公式に謝罪をすべきであると思います。それまで小樽問答をはじめ、多くの創価学会員が戒壇本尊の正統性を持ち出して身延山日蓮宗を「邪宗」呼ばわりしてきたことはきちんと謝罪して清算すべきでしょう。
また創価学会は大石寺64世水谷日昇本尊を学会常住の本尊とする教義を白紙撤回すべきでしょう。大石寺の法主の書写した本尊というものは基本として「戒壇本尊を書写したもの」となっているのですから、それを根本尊敬として本部の本尊とすることは矛盾します。
ところが、そういった当たり前の議論を当たり前のこととして受け止めることが多くの創価学会員にはできない。「確かに私たちが間違っているかもしれませんね」と認めることができない、そういう精神構造を醸成してしまっている組織こそが創価学会、そして大石寺の日蓮正宗という教団なのでしょう。
[143] 題名:師匠と我らとの関係 33(現時点で宛名不明の門下に宛てられた御抄)(完)
名前:サム
◇
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投稿日:
2025/03/21(金) 19:57
119-229-83-134f1.osk3.eonet.ne.jp (119.229.83.134)
師匠と我らとの関係 33(現時点で宛名不明の門下に宛てられた御抄)(完)
「現時点で宛名不明の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係
「この法華経において、また機により時により国によりひろむる人により、ようようにかわりて候をば、等覚の菩薩までもこのあわいをばしらせ給わずとみえて候。まして末代の凡夫は、いかでかはからいおおせ候べき。しかれども、人のつかいに三人あり。一人はきわめてこざかしき。一人ははかなくもなし、またこざかしからず。一人はきわめてはかなく、たしかなる。この三人に、第一はあやまちなし。第二は、第一ほどこそなけれども、すこしこざかしきゆえに主の御ことばに私の言をそうるゆえに、第一のわるきつかいとなる。第三は、きわめてはかなくあるゆえに私の言をまじえず、きわめて正直なるゆえに主の言をたがえず。第二よりもよきことにて候。あやまって第一にもすぐれて候なり。第一をば月支の四依にたとう。第二をば漢土の人師にたとう。第三をば末代の凡夫の中に愚癡にして正直なるものにたとう。」(衆生身心御書 新2041頁・全1591頁)建治期
現代語訳:この法華経においては、人々の機根により、時により、国により、弘める人により、様々に変わっているのを等覚の菩薩でもこの事を知らないと思われます。まして、末代の凡夫がどうして知ることができるでしょうか。けれど、例えば人の使いにも三種の人がいます。一人は非常に賢しく、一人は愚かでもないがまた賢くもなく、一人は極めて愚かであるが明解です。この三種の使いの中で、第一の使いは過ちがありません。第二の使いは第一の使いほどではないですが少し賢しいので、主人の言葉に自分の言葉を添えるから最も悪い使いとなるのです。第三の使いは極めて愚かな為に、自分の言葉を交えず、極めて正直なので主人の言葉を違えず、第二の使いよりもよい使いとなり、どうかすると第一の使いよりも勝れた使いとなるのです。第一の使いをインドの四依にたとえ、第二の使いを中国の人師にたとえ、第三の使いを末代の凡夫の中でも、愚癡ですが正直の者に譬えるのです。
※前半部分の欠損の為、執筆年代・対告衆は不明ですが、信心強盛で教養を有する人と考えられています。爾前の諸経は、衆生の機根に応じた随他意で法を説き、法華経は仏の本意を説いた随自意の経であり、難解であっても信心が有れば自然に成仏すると明かしている。更に、インド・中国・日本の3国、正像末の三時における仏法流布経緯を論じて、真実の法である法華経の行者の功徳の深大さを御教示されています。
「願くは、我が弟子等、師子王の子となりて、群狐に笑わるることなかれ。過去遠遠劫より已来、日蓮がごとく身命をすてて強敵の科を顕す師には値いがたかるべし」(閻浮提中御書<師子王御書> 新2048頁・全1589頁)弘安元年
現代語:願いとしては、日蓮の弟子等が師子王の子となって、群なす狐に笑われてはならないのです。過去の遠遠劫より以来、日蓮の様に身命を捨てて、強敵の咎を露顕させ諫める(真実の)師に遭遇することは難しいのです。
※本抄も断簡の為に、対告衆・系年は不明ですが、師子王の子である日蓮門下の我々は、常識豊かに何者にも負けない覚悟と行動が必要なのです。
「仏になり候ことは、凡夫は志と申す文字を心えて仏になり候なり。志と申すはなに事ぞと委細にかんがえて候えば、観心の法門なり。観心の法門と申すはなに事ぞとたずね候えば、ただ一つきて候衣を法華経にまいらせ候が、身のかわをはぐにて候ぞ。うえたるよに、これはなしてはきょうの命をつぐべき物もなきに、ただひとつ候ごりょうを仏にまいらせ候が、身命を仏にまいらせ候にて候ぞ。これは、薬王のひじをやき雪山童子の身を鬼にたびて候にもあいおとらぬ功徳にて候えば、聖人の御ためには事供よう、凡夫のためには理くよう、止観の第七の観心の檀はら蜜と申す法門なり。まことのみちは世間の事法にて候。(白米一俵御書<事理供養御書> 新2053頁・全1596-7頁)弘安期
現代語訳:仏に成るという事は、凡夫が志という文字を心得て仏に成るのです。志というのはどの様な事かと詳しく考えてみれば、それは観心の法門の事です。この観心の法門というのはどの様な事かと尋ねてみれば、ただ一枚しかない衣服を法華経に供養するのが身の皮を剥ぐ事になるのです。また、飢饉の世に、これを供養してしまえば今日の命をつなぐ物もない時に、ただ一つの食物を仏に供養する事が、身命を仏に奉った事になるのです。これは薬王菩薩が臂を焼き、雪山童子が身を鬼に与えた事にも劣らない功徳であって、聖人の為には事供養、凡夫の為には理供養であるというのが、摩訶止観巻七の観心の修行の中の檀波羅密という法門なのです。真実は、世間の事法がそのまま仏道なのです。
※著作年月日・対告衆は不明ながら、信徒が白米等を御供養され、その返書として供養の意義を述べられています。人に衣と食の二つの財があり、特に食で命を繋ぎ、命は一切の財の中で第一の財とされ、古来この命を仏に供養する事で成仏すると云われています。この原理から、白米の供養は、自分の命を供養した事になる、と感謝されています。
「日蓮が一類は異体同心なれば、人々すくなく候えども、大事を成じて一定法華経ひろまりなんと覚え候。悪は多けれども、一善にかつことなし。譬えば、多くの火あつまれども、一水にはきえぬ。この一門も、またかくのごとし。」(異体同心事 新2054-5頁・全1463頁)
現代語訳:日蓮の一門は異体同心なので、人数は少ないけれども大事を成就して、必ず法華経は弘まるだろうと思われます。悪は多くても一善に勝つことはありません。たとえば、多くの火が集まっても、一水によって消えてしまいます。この一門もまた同様なのです。
※述作年・対告衆は不明、異体同心の重要さを述べられています。組織内ではそれぞれ多様性のある個人であっても、目的観・強盛な精神力が一致していれば、少数でも目的を成就し、正義は必ず悪に勝利するのですね。
「爾前の経に二つの失あり。一には、『行布を存するが故に、なおいまだ権を開せず』と申して、迹門方便品の十如是の一念三千・開権顕実・二乗作仏の法門を説かざる過なり。二には、『始成を言うが故に、なおいまだ迹を発かず』と申して、久遠実成の寿量品を説かざる過なり。この二つの大法は、一代聖教の綱骨、一切経の心髄なり。
迹門には、二乗作仏を説いて、四十余年の二つの失一つを脱したり。しかりといえども、いまだ寿量品を説かざれば、実の一念三千もあらわれず、二乗作仏も定まらず。水にやどる月のごとく、根無し草の浪の上に浮かべるに異ならず。また云わく『しかるに、善男子よ、我は実に成仏してより已来、無量無辺百千万億那由他劫なり』等云々。この文の心は、華厳経の『始めて正覚を成ず』と申して始めて仏になると説き給う、阿含経の『初めて成道す』、浄名経の『始め仏樹に坐す』、大集経の『始めて十六年』、大日経の『我は昔道場に坐す』、仁王経の『二十九年』、無量義経の『我は先に道場にして』、法華経方便品の『我は始め道場に坐す』等を、一言に大虚妄なりと打ち破る文なり。
本門寿量品に至って始成正覚やぶるれば四教の果やぶれ、四教の果やぶれぬれば四教の因やぶれぬ。因とは修行、弟子の位なり。爾前・迹門の因果を打ち破って、本門の十界の因果をときあらわす。これ則ち本因本果の法門なり。九界も無始の仏界に具し、仏界も無始の九界にそなえて、実の十界互具・百界千如・一念三千なるべし。」(寿量品得意抄 新2142頁・全1210-1頁)
現代語訳:爾前の経には二つの失があります。一つには「行列配布を設けた為に、なお未だに権を開いていない」と言って、迹門方便品の十如是の一念三千・開権顕実・二乗作仏の法門を説いていない過失です。二には「初成正覚を言う為に、なお未だに迹を発いてない」と言って、久遠実成の寿量品を説いていない過失です。この二乗作仏と久遠実成という二つの大法は、一代聖教の網骨であり、一切経の心髄なのです。
迹門では、二乗作仏を説いて、四十余年の二つの過失の内一つを脱したのです。しかしまだ、寿量品を説いていないので、真実の一念三千も顕わせず、二乗作仏も確定できないのです。あたかも水に宿る月の様に、根無し草が浪の上に浮かんでいるのと変わらないのです。また言うには「しかるに善男子よ、私が実に成仏してからすでに無量無辺百千万億那由佗劫である」と、この文の意味は、華厳経の「始成正覚」と言って、始めて仏になったと説いている文、阿含経の「初成道」の文、浄名経の「始坐仏樹」の文、大集経の「如来成得仏道、始十六年」の文、大日経の「我昔坐道場」の文、仁王経の「二十九年」の文、無量義経の「我先道場」の文。法華経方便品の「我始坐道場」の文等を、一言のもとに大虚妄である、と打破した文なのです。
本門寿量品に至って、始成正覚が破られたので、四教の果は破れ、四教の果が破られたので四教の因も破れたのです。因とは修行中の弟子の位の事です。爾前迹門の因果を打ち破って本門の十界の因果を説き顕します。これが即ち本因本果の法門です。つまり、九界も無始の仏界に本来具わり、仏界もまた無始の九界に具わってこそ、真実の十界互具・百界千如・一念三千なのです。
※本抄は、旧版では対告衆不記載の文永8年4月の御作とされていましたが、新版では執筆年も不記載になっています。内容は、やや難解ですが仏法の大綱を示し、寿量品の肝心である南無妙法蓮
華経が一切衆生の成仏得道の真実義である、と結ばれています。
◎大聖人の御書全般を通して感じるのは、大聖人は、貴賤・僧俗・男女を差別せず平等に扱われ、「命は第一の財」が生命の尊厳や人権尊重の基本となり、信心強盛な仏法を貫く事により互助の精神と生きる意義を見出し、個人の人間革命(成仏)と万人の成仏を願い、それが家庭革命及び大衆全体の幸福つまり家庭・社会環境の変革に繋がり、世界に広まれば世界広宣流布となっていく、と訴えておられる事です。そして創価学会が、この大聖人の御遺命を実現させようとしているのです。更に大事なのは、宗門が「戒壇本尊」と声高に言っている「楠板本尊」が、大聖人の何処の御文にも全く見当たらない様に、決して大聖人の直造でも弘安2年10月12日に建立された物でも無く、歴然とした作者不明の後世の模作であるという事です。
[142] 題名:師匠と我らとの関係 32(諸方面に散在する門下に宛てられた御抄)
名前:サム
◇
MAIL
投稿日:
2025/03/06(木) 12:30
119-229-83-134f1.osk3.eonet.ne.jp (119.229.83.134)
師匠と我らとの関係 32(諸方面に散在する門下に宛てられた御抄)
「諸方面に散在する門下に宛てられた御抄」における弟子との関係
「仏、本願に趣いて法華経を説き給いき。しかるに、法華経の御座には父母ましまさざりしかば、親の生まれてまします方便土と申す国へ贈り給いて候なり。その御言に云わく「しかして、彼の土において、仏の智慧を求め、この経を聞くことを得ん」等云々。この経文は、智者ならん人々は心をとどむべし、教主釈尊の父母の御ために説かせ給いて候経文なり。この法門は、ただ天台大師と申せし人ばかりこそ知っておわし候いけれ。その外の諸宗の人々知らざることなり。日蓮が心中に第一と思う法門なり。父母に御孝養の意あらん人々は、法華経を贈り給うべし。教主釈尊の父母の御孝養には、法華経を贈り給いて候。」(刑部左衛門尉女房御返事 新2074頁・全1400-1頁)弘安3年10月 59歳御作
現代語訳:仏は本来の誓願に従って法華経を説かれたのです。しかしながら、法華経の会座には父母がおられなかったので、親が生まれ変わられている方便土という国へ法華経を贈られたのです。その時の言葉に「しかも、彼の国において仏の智慧を求めて、この経を聞くことができる」と言われました。この経文に、智者である人々は、心を留めるべきです。(これは)教主釈尊が父母の為に説かれた経文です。この法門は、ただ、天台大師という人だけが知っておられ、その外の諸宗の人々は知らない事なのです。(そして)日蓮が心の中で第一と思う法門です。父母に孝養しようとする意志のある人々は、父母に法華経を贈るべきです。教主釈尊も、父母への孝養の為に法華経を贈られているのです。
※本抄は、尾張国高木郡(愛知県扶桑町)に住む尾張刑部左衛門尉殿(生没年不明)女房に贈られた御文で、内容は母十三回忌の供養を大聖人に奉った事に際して、内外の経典を通して親の恩の中でも母の恩が重く、母への真実の報恩は法華経を信じて追善供養する事である、と明かされています。
「構えて構えて、所領を惜しみ、妻子を顧み、また人を憑んであやぶむことなかれ。ただひとえに思い切るべし。今年の世間を鏡とせよ。そこばくの人の死ぬるに、今まで生きて有りつるは、このことにあわんためなりけり。これこそ宇治川を渡せし所よ。これこそ勢多を渡せし所よ。名を揚ぐるか、名をくだすかなり。人身は受け難く、法華経は信じ難しとは、これなり。「釈迦・多宝・十方の仏、来集して我が身に入りかわり、我を助け給え」と観念せさせ給うべし。」(弥三郎御返事 新2085頁・全1451頁)建治3年8月 56歳御作
現代語訳:十分に心して、所領を惜しんだり妻子を顧みたり、また人をたのみにして、あやぶんだりしてはなりません。ただひとえに思い切るべきです。今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、自分が今まで生き永らえて来たのはこの事に遭遇する為なのです。これこそ宇治川を渡す所であり、これこそ勢多を渡す所なのです。(この法戦に勝って)名を揚げるか名を下すかの境目なのです。人身は受け難く、法華経は信じ難しとはこの事です。釈迦・多宝・十方の仏が来集して我が身に入り替わり、我を助けたまえと観念して行きなさい。
※士気を鼓舞する有名な御文ですね。内容は、全編で念仏を破折していますが、此処では法難に対する信心の在り方・心構えを教示されています。本抄を贈られた弥三郎の事績は明らかでなく、伊豆方面の門下として紹介した船守弥三郎とは別人の可能性があります。
「ここに日蓮、いかなる不思議にてや候らん、竜樹・天親等、天台・妙楽等だにも顕し給わざる大曼荼羅を、末法二百余年の比、はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり。これ全く日蓮が自作にあらず。多宝塔中の大牟尼世尊、分身の諸仏、すりかたぎたる本尊なり。されば、首題の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に坐し、釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ、普賢・文殊等、舎利弗・目連等坐を屈し、日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅、その外、不動・愛染は南北の二方に陣を取り、悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり、三千世界の人の寿命を奪う悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等、しかのみならず、日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩、天神七代・地神五代の神々、総じて大小の神祇等、体の神つらなる。その余の用の神、あにもるべきや。宝塔品に云わく「諸の大衆を接して、皆虚空に在きたもう」云々。これらの仏菩薩・大聖等、総じて序品列坐の二界八番の雑衆等、一人ももれずこの御本尊の中に住し給い、妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる。これを本尊とは申すなり。」(日女御前御返事<御本尊相貌抄> 新2086-7頁・全1243頁)建治3年8月
現代語訳:ここに、日蓮はどういう不思議でしょうか。正法時代の竜樹、天親等、像法時代の天台、妙楽等でさえ、顕わすことが無かった大曼荼羅を、末法に入って二百余年を経たこの時に、初めて、法華弘通の旗印として顕わしたのです。この大曼荼羅は、全く日蓮が勝手に作り出したものではありません。法華経に出現した多宝塔中の釈迦牟尼仏、並びに十方分身の諸仏の姿を、あたかも板木で摺るように摺りあらわした御本尊なのです。従って、首題の妙法蓮華経の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に座を占めています。釈迦・多宝、更に、本化の四菩薩は肩を並べ、普賢、文殊等、舎利弗、目連等が座を屈しています。更に、日天、月天、第六天の魔王や、竜王、阿修羅が並び、その外、不動明王と愛染明王が南北の二方に陣を取り、悪逆の提婆達多や愚癡の竜女も一座をはり、三千世界の人の寿命を奪う悪鬼である鬼子母神や十羅刹女等、そればかりでなく、日本国の守護神である天照太神、八幡大菩薩、天神七代、地神五代の神々、全ての大小の神祇等、本体の神が皆この御本尊の中に列座しているのです。それ故、その他の用の神がどうして、もれるはずがあるでしょうか。宝塔品には「諸の大衆を接して、皆虚空に在り」とあります。これらの仏・菩薩・大聖等、更に法華経序品の説会に列なった二界八番の雑衆等、一人ももれずに、この御本尊の中に住し、妙法蓮華経の五字の光明に照らされて、本来有りのままの尊形となっています。これを本尊というのです。
※日女御前は、池上氏の妻とも松野後家尼の娘とも云われていますが、詳細は不明です。本抄では、本尊に関する経釈を引いて相貌を明らかにし、自己の胸中の肉団に本尊が存在し、仏法の根本は「信」にある事を述べておられます。
「この法華経には、我らが身をば法身如来、我らが心をば報身如来、我らがふるまいをば応身如来と説かれて候えば、この経の一句一偈を持ち信ずる人は、皆この功徳をそなえ候。南無妙法蓮華経と申すは、これ一句一偈にて候。しかれども、同じ一句の中にも肝心にて候。「南無妙法蓮華経と唱うるばかりにて仏になるべしや」と、この御不審、所詮に候。一部の肝要、八軸の骨髄にて候。人の身の五尺六尺のたましいも一尺の面にあらわれ、一尺のかおのたましいも一寸の眼の内におさまり候。また、日本と申す二つの文字に、六十六箇国の人畜田畠・上下貴賤・七珍万宝、一つもかくること候わず収めて候。そのごとく、南無妙法蓮華経の題目の内には、一部八巻二十八品六万九千三百八十四の文字、一字ももれずかけずおさめて候。されば、「経には題目たり、仏には眼たり」と楽天ものべられて候。記の八に「略して経題を挙ぐるに、玄に一部を収む」と妙楽も釈しおわしまし候。心は、略して経の名ばかりを挙ぐるに、一部を収むと申す文なり。一切のことにつけて、所詮・肝要と申すことあり。法華経一部の肝心は南無妙法蓮華経の題目にて候。朝夕御唱え候わば、正しく法華経一部を真読にあそばすにて候。二返唱うるは二部、乃至百返は百部、千返は千部、かように不退に御唱え候わば、不退に法華経を読む人にて候べく候。(妙法尼御前御返事<一句肝心の事> 新2098-9頁・全1402-3頁)弘安元年7月 57歳御作
現代語訳:この法華経には、我等の身を法身如来、我等の心を報身如来、我等の振る舞いを応身如来と説かれていますので、この法華経の一句一偈を持ち信ずる人は、皆この功徳を具えているのです。南無妙法蓮華経というのは、一句一偈なのです。しかし、同じ一句の中でも肝心の一句なのです。「南無妙法蓮華経と唱えるだけで仏に成れるのか」とお尋ねですが、この疑問は最も大切な事です。法華経一部の肝要であり、八巻の骨髄なのです。 人の身は五尺、六尺であっても、魂は一尺の顔に現れ、一尺の顔に現れている魂も一寸の眼の中に収まっています。また、日本という二つの文字に、六十六か国の人畜、田畠、上下、貴賎、七珍万宝が一つも欠けることなく収まっています。その様に、南無妙法蓮華経の題目の中には、法華経一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四の文字が一字も漏れず、欠けずに収まっています。そうであれば、「経には題目が大事であり、仏には眼が大事である」と白楽天も述べられています。妙楽大師も法華文句記巻八に「略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む」と釈されています。その意味は、略して経の名だけを挙げても、その中に法華経の全体を収めているという文です。全体の事に付けて、所詮、肝要という語句があります。法華経一部の肝心は南無妙法蓮華経の題目です。従って、朝夕唱目を唱えるならば、正しく法華経一部を真読されていることになるのです。二遍唱えることは二部、百遍は百部、千遍は千部読むことになり、この様に、怠りなく唱えるならば、怠りなく法華経を読む人なのです。
※本抄では、法華経の一句一偈の謂れを質問する事は稀であると褒められ、六難九易の譬を説かれています。そして法華経の題目(南無妙法蓮華経)は一切経の肝心であり、不退に唱題する人が法華経を読む人(即ち法華経の行者)であると述べられています。妙法尼(岡宮妙法尼、生没年不明)は、駿河国(静岡県)岡宮の人で夫や兄に先立たれるも、信仰厚く大聖人から信頼され、長文の本抄を賜っていますが、弘安5年2月に逝去されたと言われています。同名で、四条金吾の母や中興入道の母等もおられた様です。
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「法華経の即身成仏に二種あり。迹門は理具の即身成仏、本門は事の即身成仏なり。今、本門の即身成仏は「当位即ち妙なり。本有にして改めず」と断ずるなれば、肉身をそのまま本有無作の三身如来と云える、これなり。この法門は一代諸教の中にこれ無し。文句に云わく「諸教の中においてこれを秘して伝えず」等云々。(中略)
なおなお即身成仏とは、迹門は能入の門、本門は即身成仏の所詮の実義なり。迹門にして得道せる人々、種類種・相対種の成仏、いずれもその実義は本門寿量品に限れば、常にかく観念し給え。正観なるべし。」(妙一女御返事<事理成仏抄> 新2133-4頁・全1261-2頁)弘安3年10月
現代語訳:法華経の即身成仏に二種類があります。一つは迹門の理の即身成仏であり、もう一つは本門の事の即身成仏です。今本門の即身成仏とは、当位即妙・本有不改と決定する所のものであり、凡夫の肉身そのままの姿が、本有無作の三身如来であるというのはこの事をさしているのです。この即身成仏の法門は釈尊一代四十余年の諸教の中においては説いていません。従って天台大師も、法華文句の中に「諸教の中では、この即身成仏の法を秘して伝えていない」と言っています。(中略)
なお、即身成仏とは、迹門は能入の門であり、本門は即身成仏の実義そのものを説いています。迹門で得道したとされている人々も、また種類種・相対種の成仏も、何れも即身成仏の実義は、本門寿量品に限るので、常に深く確信して信心に励んでいきなさい。それが正しい悟りなのです。
※本抄では、即身成仏にも迹・本・観心の別があり、妙法の題目を受持する事が成仏の本因となる、と御教示されています。ところで、妙一女と妙一尼を同一人物とされていました。しかし大聖人は、同時期のそれぞれの御消息文、例えば「妙一尼御前御消息 新1697頁・全1255頁 弘安3年5月」に対して「妙一女御返事<即身成仏法門> 新2124頁・全1255頁 弘安3年7月」と本抄の様に、末文に再度宛名を後付けしていますが、別名なのです。従って、同人物と検証されるまで別人物として扱うことにしました。
「その上は、私に計り申すに及ばず候。叶い叶わぬは御信心により候べし。全く日蓮がとがにあらず。水すめば月うつる、風ふけば木ゆるぐごとく、みなの御心は水のごとし、信のよわきはにごるがごとし、信心のいさぎよきはすめるがごとし。木は道理のごとし、風のゆるがすは経文をよむがごとしとおぼしめせ。」(日厳尼御前御返事 新2135頁・旧1262頁)弘安3年11月
現代語訳:その上は自分勝手に御本尊の功徳を推し量ってはいけません。あなたの願いが叶うか叶わないかは、御信心によるのです。全く日蓮が失ではありません。例えば、水が澄めば月はきれいに映り、風が吹けば木の枝が揺れる様に、人の心は水の様なものであり、信人が弱いのは、水が濁っている様なものです。信心でスッキリするのは水が澄んでいる様なものです。木は仏法の道理の様なものであり、風がその木を揺り動かすのは、ちょうど修行して経文を読む様なものです、と心得ていきなさい。
※日厳尼(生没年不明)は、高橋六郎兵衛入道の関係者とされています。願いが叶うか否かは、信心の強弱による、と譬を挙げてご教示されています。
◎大聖人御在世当時、各地に御門下が散在していたとはいえ、日蓮仏法は既成仏教に比べると、まだまだ少なかった様です。現今は、創価学会の宗門離脱により、一気に世界広宣流布の気運が高まってきていますね。
[141] 題名:師匠と我らとの関係 31(駿河方面の門下に宛てられた御抄)後
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2025/02/24(月) 20:42
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師匠と我らとの関係 31(駿河方面の門下に宛てられた御抄)後
「駿河方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 後編
「この経の修行に重々のしなあり。その大概を申さば、記の五に云わく『悪の数を明かすとは、今の文には説・不説を云うのみ。ある人これを分かちて云わく、先に悪因を列ね、次に悪果を列ぬ。悪因に十四あり。一に憍慢、二に懈怠、三に計我、四に浅識、五に著欲、六に不解、七に不信、八に顰蹙、九に疑惑、十に誹謗、十一に軽善、十二に憎善、十三に嫉善、十四に恨善なり』。この十四誹謗は在家・出家に亘るべし。恐るべし、恐るべし。過去の不軽菩薩は、『一切衆生に仏性あり。法華経を持てば必ず成仏すべし。彼を軽んじては仏を軽んずるになるべし』とて、礼拝の行をば立てさせ給いしなり。法華経を持たざる者をさえ、『もし持ちやせんずらん、仏性あり』とて、かくのごとく礼拝し給う。いかにいわんや、持てる在家・出家の者をや。この経の四の巻には『もしは在家にてもあれ、出家にてもあれ、法華経を持ち説く者を一言にても毀ることあらば、その罪多きこと、釈迦仏を一劫の間直ちに毀り奉る罪には勝れたり』と見えたり。あるいは『もしは実にもあれ、もしは不実にもあれ』とも説かれたり。これをもってこれを思うに、忘れても法華経を持つ者をば互いに毀るべからざるか。その故は、法華経を持つ者は必ず皆仏なり、仏を毀っては罪を得るなり。かように心得て唱うる題目の功徳は、釈尊の御功徳と等しかるべし。」(松野殿御返事<十四誹謗の事> 新1987-8頁・全1382頁)建治2年12月 55歳御作
現代語訳:法華経の修行にも重々の段階があります。その概略を述べると、妙楽大師の法華文句記の五の巻には「悪の数を明らかにするとは、今の文(法華経の譬喩品)には『説不説』とだけ説いている。ある人は、これ(悪)を分類して述べている。『先に謗法の悪因を列挙し、次に悪果を述べる。悪因には十四の謗法がある。一に憍慢、二に懈怠、三に計我、四に浅識、五に著欲、六に不解、七に不信、八に顰蹙、九に疑惑、十に誹謗、十一に軽善、十二に憎善、十三に嫉善、十四に恨善である』」とあります。この十四誹謗は、在家出家の両方にわたるので、謗法の罪を恐れなければなりません。過去の不軽菩薩は、「一切の衆生には、皆仏性がある、法華経を持つならば、必ず成仏する、その一切衆生を軽蔑することは、仏を軽んずることになる」と言って一切衆生に向かって礼拝の行を立てたのです。(不軽菩薩は)法華経を持っていない者でさえも、「もし(将来に」持つ事になる(という、本来)仏性がある」として、この様に敬い礼拝したのです。ましてや(法華経を)持っている在家・出家の者は、当然(尊敬しなければならないの)です。この法華経第四の巻の法師品には「もし在家の身であれ、出家であれ、法華経を持ち説く者に対して、一言でもそしるならば、その罪報の多い事は、釈迦仏を一劫の間、直に(面と向かって)そしった罪よりも重い」と、説かれています。或いは普賢菩薩勧発品に「もし事実にしても、事実でないにしても(法華経を持つ者の悪口をいえば、その罪は重い)」とも説かれています。これらの経文に照らして考え合わせれば、忘れても、法華経を持つ者を互いにそしってはならないのです。その理由は、法華経を持つ者は必ず、皆仏なのです。仏をそしれば罪を受けるのです。この様に心得て唱える題目の功徳は、仏の唱える功徳と等しいのです。
補足:妙楽大師が、法華経譬喩品から法華文句記の六に次の「十四種の法華誹謗」を立てました。 ①憍慢=増上慢、慢心の意。おごりたかぶり仏法をあなどること。②懈怠=仏道修行をなまけること。③計我=我見、自分の勝手な考えで、仏法教義を判断すること。④浅識=仏法道理が解らないのに求めようとしないこと。⑤著欲=欲望にとらわれて仏法を求めないこと。⑥不解=仏法教義を解ろうとしないこと。⑦不信=仏法を信じないこと。⑧顰蹙=顔をしかめ仏法を非難すること。⑨疑惑=仏法教義を疑って迷うこと。⑩誹謗=仏法をそしり悪口をいうこと。⑪軽善=仏法を信じている人を軽蔑し馬鹿にすること。⑫憎善=仏法を信じている人を憎むこと。⑬嫉善=仏法の信者を怨嫉すること(和合僧を破る働きをする)。⑭恨善=仏法を修行する者をうらむこと。
以上の①驕慢から⑩誹謗までは御本尊を受持する事により、謗法の罪を免れることができます。しかし、⑪軽善から⑭恨善までは、正法に帰依していても、善人を軽んじたり、同志を怨嫉等すれば功徳を受けられないので、気をつけなければなりません。根本は、御本尊を信ずるか、信じないかによって、一切が決定されます。だから、念仏無間地獄抄(新748頁・全97頁)に「譬喩品の十四誹謗も不信をもって体となせり」とあります。
※松野殿(生没年?-建治4(1278)年)とは、松野六郎左衛門入道のことです。本抄では、信心があれば、日蓮の唱題と凡夫の唱題に勝劣は無く、十四誹謗に触れて法華経行者を謗る事を戒められています。
「仏法をばがくすれども、あは我が心のおろかなるにより、あるいはたとい智慧はかしこきようなれども、師によりて我が心のまがるをしらず、仏教をなおしくならいうることかたし。たとい明師ならびに実経に値い奉って正法をえたる人なれども、生死をいで仏にならんとする時には、かならず影の身にそうがごとく、雨に雲のあるがごとく、三障四魔と申して七つの大事出現す。たといからくして六つはすぐれども、第七にやぶられぬれば、仏になることかたし。その六つはしばらくおく。第七の大難は天子魔と申すものなり。」(三沢抄 新2011頁・全1487頁)年10健治4年2月 57歳御作
現代語訳:仏法を学んでも、或いは自分の心が愚かな事により、或いはたとえ智慧があり賢い様であっても、師匠によって自分の心が曲がってしまうのを知らずにいる為に、仏教を正しく習学し会得する事は難しいのです。たとえ正師および実経に遇えて正法を得た人であっても、生死を出離して仏に成ろうとする時には、必ず影が身に添う様に、雨の時に雲がある様に三障四魔と云って七つの大きな障魔が現れて来るのです。たとえ辛うじて六つは通過したとしても、第七番目に破られたならば仏に成ることは難しいです。その六つはしばらく置くとして、第七番目の大難は天子魔というものです。
※三沢殿(三沢小次郎、生没年不明)とは、駿河国富士の三沢(静岡県富士郡柚野村)の領主とされ、本抄では仏法を正しく学ぶ事の難しさを説き、仏道を成就する時、大難が起こる理由が述べられています。
「妙法蓮華経の徳、あらあら申し開くべし。毒薬変じて薬となる。妙法蓮華経の五字は、悪変じて善となる。玉泉と申す泉は石を玉となす。この五字は凡夫を仏となす。されば、過去の慈父尊霊は、存生に南無妙法蓮華経と唱えしかば、即身成仏の人なり。石変じて玉と成るがごとし。孝養の至極と申し候なり。故に、法華経に云わく『この我が二子は、すでに仏事を作しつ」。また云わく「この二子とは、これ我が善知識なり』等云々。」(内房女房御返事 新2033頁・全1423頁)弘安3年8月59歳御作
現代語訳:妙法蓮華経の徳を大略申し開きます。毒薬が変じて薬となるとの譬えの様に、妙法蓮華経の五字は、悪が変じて善となるのです。玉泉という泉は石を玉に変えると云われますが、この五字は凡夫を仏に変えるのです。だから、過去の慈父尊霊は、存命中に南無妙法蓮華経を唱えたのですから即身成仏の人なのです。それはちょうど石が変じて玉となる様なものです。これこそ孝養の至極と云うべきで、法華経の妙荘厳王本事品に(浄蔵・浄眼の二子が父母を教化したことを褒めて)「この我が二人の子が、既に仏事をなした」とあり、また、「この二人の子は、これ(この行為)が我が善知識である」と説かれています。(これこそ法華経の功徳なのです)
※本抄は、駿河国(静岡県)庵原郡内房に住む内房女房(内房尼御前)が、亡父の百か日法要に際して供養された御返事ですが、唱題する功徳を様々な点から御教示されています。
「地獄と仏とはいずれの所に候ぞとたずね候えば、あるいは地の下と申す経もあり、あるいは西方等と申す経も候。しかれども、委細にたずね候えば、我らが五尺の身の内に候とみえて候。さもやおぼえ候ことは、我らが心の内に父をあなずり母をおろかにする人は、地獄その人の心の内に候。譬えば、蓮のたねの中に華と菓とのみゆるがごとし。仏と申すことも、我らが心の内におわします。譬えば、石の中に火あり、珠の中に財のあるがごとし。我ら凡夫は、まつげのちかきと虚空のとおきとは見候ことなし。我らが心の内に仏はおわしましけるを知り候わざりけるぞ。」(十字御書 新2036頁・全1491頁)弘安4年1月
現代語訳:地獄と仏とは、何処に存在するのかと探究すると、或いは地の下にあるという経文もあり、或いは西方等におられるという経もあります。しかしながら、詳細に探究すると、私達の五尺の身の内に存在すると説かれています。そうかもしれないと思われることは、私達の心の中に父を侮り、母を疎かにする人は、地獄がその人の心の中にあるということです。たとえば、蓮の種の中に花と実とが見られる様なものです。仏というのも私達の心の中にいらっしゃるのです。たとえば、石の中に火があり、珠の中に財がある様なものです。私達凡夫は、まつげが近くにあるのと虚空が遠くにあるのとは見ることができません。私達の心の中に仏がおられるのを知らないのです。
※本抄は、駿河国(静岡県)富士郡重須の地頭・石河新兵衛能助(生没年不明)の妻(南条時光の姉で純真な信心を貫き、妙一尊尼の称号を賜る)に与えられた書で、最初に年頭の御供養のお礼と功徳について述べられ、「地獄と仏」を定義し、法華経を信じる人の功徳を説いています。
「当世の人は人師の言を如来の金言と打ち思い、あるいは法華経に肩を並べて斉しと思い、あるいは勝れたり、あるいは劣るなれども機にかなえりと思えり。しかるに、如来の聖教に随他意・随自意と申すことあり。譬えば、子の心に親の随うをば随他意と申す、親の心に子の随うをば随自意と申す。諸経は随他意なり。仏、一切衆生の心に随い給う故に。法華経は随自意なり。一切衆生を仏の心に随えたり。諸経は仏説なれども、これを信ずれば、衆生の心にて永く仏にならず。法華経は仏説なり、仏智なり。一字一点もこれを深く信ずれば、我が身即ち仏となる。譬えば、白紙を墨に染むれば黒くなり、黒漆に白物を入るれば白くなるがごとし。毒薬変じて薬となり、衆生変じて仏となる。故に妙法と申す。」(新池殿御消息 新2059頁・全1437頁)弘安2年5月 58歳御作
現代語訳:今の人は人師の言を如来の金言と思い、或いは法華経に肩を並べて同等と思い、或いは勝れていると思い、或いは劣っているけれども衆生の機根に適っていると思っています。ところが、如来の聖教に随他意と随自意と云う言葉があります。例えば、子供の心に親の随うのを随他意といい、親の心に子供が随うのを随自意というのです。諸経は随他意です。仏が一切衆生の心に随って説かれたからです。法華経は随自意です。一切衆生を仏の心に随わせて説かれたからです。だから、諸経は仏説ですが、これを信じると、衆生の心に随ったので、永久に仏にはなれないのです。法華経は仏説であり仏智です。一字一点でもこれを深く信じれば、我が身は即仏となります。例えば、白紙を墨で染めると黒くなり、黒漆に白い物を入れると白くなる様なものです。毒薬が変じて薬となり、衆生が変じて仏となるのです。だから妙法というのです。
※新池殿とは、遠江国磐田郡(静岡県袋井市)新池に住む新池左衛門尉(生没年不明)の事で、本抄では、他宗諸経の批判に「随他意と随自意」の教論を用い、宿縁深厚の妙法の信心を貫く様に激励されています。
「この経の信心と申すは、少しも私なく、経文のごとくに、人の言を用いず、法華一部に背くことなければ、仏に成り候ぞ。仏に成り候ことは別の様は候わず。南無妙法蓮華経と他事なく唱え申して候えば、天然と三十二相八十種好を備うるなり。「我がごとく等しくして異なることなし」と申して、釈尊程の仏にやすやすと成り候なり。(中略)
これらの法門を能く能く明らめて、一部八巻二十八品を頭にいただき、懈らず行い給え。また某を恋しくおわせん時は、日々に日を拝ませ給え。某は日に一度、天の日に影をうつす者にて候。この僧によませまいらせて、聴聞あるべし。この僧を解悟の智識と憑み給いて、つねに法門御たずね候べし。聞かずんば、いかでか迷闇の雲を払わん。足なくして、いかでか千里の道を行かんや。返す返す、この書をつねによませて御聴聞あるべし。}(新池御書 新2067-9頁・全1443-4頁)弘安3年2月 59歳御作
現代語訳:この経の信心というのは少しも我見なく経文の通りに、人の言を用いず、法華経一部に背くことがなければ仏に成るのです。仏に成るということは別のことではないのです。南無妙法蓮華経と他の事にとらわれることなく唱えていくときに自然と三十二相・八十種好を備えるのです。「我が如く等しくして異なることなし」といって釈尊の様な仏に簡単に成るのです。(中略)
これらの法門をよくよく明らかに知って法華経一部八巻二十八品を信じ敬い、怠らず修行しなさい。また私を恋しくなった時は日々に太陽を拝んでください。私は日に一度、天の太陽に影を映す者です。この僧に読ませられて聞きなさい。この僧を解悟の智識と頼みにされて、常に法門をお聞きください。聞かなければ、どうして迷いの雲を払えましょう。足がなくて、どうして千里の道を行けましょうか。かえすがえすも、この書を常に読ませて、お聞きください。
※本抄には、「鎌倉より京への道のり」や「雪山の寒苦鳥」等多くの譬えが述べられ、信心修行の在り方や法門が示され、よく理解して信心に励むよう指南されていますね。
◎この地方の大聖人門下として、他にもおられますが、書きれませんでした。それ故に、重要御文を御紹介できていないで漏れているかもわかりませんが、どうかお許しください。
[140] 題名:師匠と我らとの関係 30(駿河方面の門下に宛てられた御抄)中
名前:サム
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投稿日:
2025/02/12(水) 23:15
119-229-83-134f1.osk3.eonet.ne.jp (119.229.83.134)
師匠と我らとの関係 30(駿河方面の門下に宛てられた御抄)中
「駿河方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 中編
「仏になるみちは善知識にはすぎず。わがちえなににかせん。ただあつき・つめたきばかりの智慧だにも候ならば、善知識たいせちなり。しかるに、善知識に値うことが第一のかたきことなり。されば、仏は善知識に値うことをば、一眼のかめの浮き木に入り、梵天よりいとを下して大地のはりのめに入るにたとえ給えり。しかるに、末代悪世には悪知識は大地微塵よりもおおく、善知識は爪上の土よりもすくなし。」(三三蔵祈雨事 新1940頁・全1468頁)建治元年6月 54歳御作
現代語訳:仏になる道は善知識に勝るものはありません。私の智慧が何の役に立つでしょうか。ただ熱さ寒さを知るだけの智慧でもあるのならば、善知識こそが大切なのです。でも、善知識に値うことが第一に最も難しい事なのです。だから、仏は善知識に値う事を、一眼の亀が浮木に入る様なものであり、梵天より糸を下げて大地に置いた針の目に通す様なものであると譬えられているのです。ところが、末代悪世には、悪知識は大地微塵よりも多く、善知識は爪の上の土よりも少ないのです。
※本抄は、身延から富士郡西山(静岡県富士郡芝川町西山)に住む西山殿(生没年不明)に宛てたお手紙です。内容は、真言宗の三蔵(善無畏、金剛智、不空)の祈雨が暴風をもたらし失敗した現証から、真言宗は亡国の悪法であることを示され、この御文では、成仏するには善知識が必要ですが、末法は悪知識が多く、善知識に遭遇する事は難しいと述べています。
「日蓮、仏法をこころみるに、道理と証文とにはすぎず。また道理・証文よりも現証にはすぎず。(中略)
仏法はさておきぬ、上にかきぬること、天下第一の大事なり。つてにおおせあるべからず。御心ざしのいたりて候えば、おどろかしまいらせ候。日蓮をば、「いかんがあるべかるらんとおぼつかなし」とおぼしめすべきゆえに、かかる事ども候。むこり国だにもつよくせめ候わば、今生にもひろまることも候いなん。あまりにはげしくあたりし人々は、くゆるへんもやあらんずらん。(中略)
されば、「さのみやはあるべき。いおうや日蓮はかれにすぐべき」とはわが弟子等おぼせども、仏の記文にはたがわず。「末法に入って、仏法をぼうじて無間地獄に堕つべきものは大地微塵よりも多く、正法をえたらん人は爪上の土よりもすくなし」と涅槃経にはとかれ、法華経には「たとい須弥山をなぐるものはありとも、我が末法に法華経を経のごとくにとく者ありがたし」と記しおかせ給えり。大集経・金光明経・仁王経・守護経・はちないおん経・最勝王経等に、「末法に入って正法を行ぜん人出来せば、邪法のもの、王臣等にうったえてあらんほどに、彼の王臣等、他人がことばについて、一人の正法のものを、あるいはのり、あるいはせめ、あるいはながし、あるいはころさば、梵王・帝釈・無量の諸天・天神・地神等、りんごくの賢王の身に入りかわって、その国をほろぼすべし」と記し給えり。今の世は似て候ものかな。」(三三蔵祈雨事 新1941頁・全1468頁)建治元年6月 54歳御作
現代語訳:(日蓮が)仏法の勝劣を判断するのに、道理と証文とに過ぎるものはありません。さらに道理・証文よりも現証に勝れるものはありません。(中略)
仏法(それ自体の勝劣)はしばらく置きます。是までに述べてきた事は、天下第一の大事なのです。人づてに(軽々しく)語ってはなりません。(貴殿の)御志が大変厚いので、(あえて)驚くほどの事を申し上げたのです。日蓮(の諌言)を、「どれ程の事があろうか、疑わしい」と思っていた為に、この様な事(蒙古襲来)が起こったのです。蒙古国が強く攻めて来るならば、今生にも法華経が広まる事もあるでしょう。日蓮をあまりにも激しく迫害した人々は、後悔することもあるでしょう。(中略)
そうであれば、(日蓮が慈覚・智証の誤りを指摘しても)「そんな事があるだろうか。ましてや日蓮は彼等より勝れているのだろうか」と我が弟子等が思っているけれども、仏の記した経文には違わないのです。「末法に入って、仏法を謗り無間地獄に堕ちる者は大地微塵よりも多く、正法を信受する人は爪の上の土よりも少ない」と涅槃経に説かれ、法華経には「設え須弥山を擲げる者はあっても、末法に法華経を経文の様に説く者はまことに稀である」と記し置かれています。大集経・金光明経・仁王経・守護経・般泥洹経・最勝王経等には「末法に入って正法を行ずる人が現れれば、邪法を信ずる者が王臣等に訴えるので、王臣等はその人の言葉を信じて、一人の正法を持つ者を、罵ったり、責めたり、流罪にしたり、殺せば、梵王・帝釈・無量の諸天・天神・地神等が隣国の賢王の身に入り代わって、その国を亡ぼすであろう」と記されています。今の世は(これらの経文に説かれた事と)似ているでしょう。
※大聖人は、仏法勝劣の判断法の一つ「三証論」を述べられています。証文(文証:文書・記録等の証拠)と道理(理証:理論的・筋道が通ていること)が必要で、それよりも大事なのが現証(現実の証拠)だと仰せなのです。一般社会でも重要で、例えば薬剤では、文(文献)、理(薬理作用や薬物動態)、現(薬効)であり、機器系統では、文(取扱説明書、設計図、操作手順書等)、理(構造とアルゴリズム)現(有用性)等が該当するでしょうね。
「大事の法門と申すは別に候わず。時に当たって、我がため国のため大事なることを少しも勘えたがえざるが、智者にては候なり。仏のいみじきと申すは、過去を勘え、未来をしり、三世を知ろしめすに過ぎて候御智慧はなし。たとい仏にあらねども、竜樹・天親・天台・伝教なんど申せし聖人・賢人等は、仏程こそなかりしかども、三世のことをほぼ知ろしめされて候いしかば、名をも未来まで流されて候いき。詮ずるところ、万法は己心に収まって一塵もかけず、九山八海も我が身に備わって日月・衆星も己心にあり。しかりといえども、盲目の者の鏡に影を浮かべるに見えず、嬰児の水火を怖れざるがごとし。外典の外道、内典の小乗・権大乗等は、皆、己心の法を片端片端説いて候なり。しかりといえども、法華経のごとく説かず。しかれば、経々に勝劣あり、人々にも聖賢分かれて候ぞ。」(蒙古使御書 新1947頁・全1473頁)建治元年9月 54歳御作
現代語訳:大事の法門というのは別の事ではありません。時に当たって、我が身の為、国の為に、大事な事を勘えて少しも間違わないのが智者なのです。仏が尊いというのは、過去を勘へ、未来を知り、三世を知っておられるからであり、これに勝る智慧はありません。たとえ仏で無かっても、竜樹・天親・天台大師・伝教大師等という聖人・賢人等は、仏ほどではないけれども、三世の事を粗知っておられたので、名を未来まで伝えられたのです。所詮、万法は己心に収まって、一塵も欠けてはいません。九山八海も我が身に備わり、日月・衆星も己心に収まっています。しかしながら、盲目の者には鏡に映る影が見えず、嬰児が水火を怖れない様に、凡夫には己心に収まる万法が見えないのです。外典の外道や内典の小乗・権大乗等は、皆己心の法を片端片端に説いているのです。そうと言っても、法華経の様には説いていないのです。だから、経々に勝劣があり、持つ人々にも聖賢が分かれるのです。
※本抄も西山殿に与えられた書で、前年の蒙古襲来(文永の役:文永11年10月)の事実から、書経を引いて誤った宗教に依る責めの現証を述べています。本文では、三世を知るのが聖人・賢人であると述べられています。
「経ならびに天台・妙楽の心は、一切衆生を供養せんと、阿羅漢を供養せんと、乃至一切の仏を、尽くして七宝の財を三千大千世界にもりみてて供養せんよりは、法華経を一偈、あるいは受持し、あるいは護持せんはすぐれたりと云々。経に云わく「この法華経の乃至一四句偈を受持する、その福の最も多きにはしかじ」。天台云わく「人は軽く法は重きなり」。妙楽云わく「四つは同じからずといえども、法をもって本となす」云々。九界の一切衆生も仏に相対してこれをはかるに、一切衆生のふくは一毛のかろく、仏の御ふくは大山のおもきがごとし。一切の仏の御ふくは、梵天三銖の衣のかろきがごとし。法華経一字の御ふくの重きことは、大地のおもきがごとし。「人は軽し」と申すは、仏を人と申す。「法は重し」と申すは、法華経なり。」(宝軽法重事 新1949頁・全1475頁)建治2年5月 55歳御作
現代語訳:法華経並びに天台大師、妙楽大師の意は「一切衆生に供養するよりも、また阿羅漢を供養するよりも、あるいは三千大千世界に満つるほどの七宝の財を一切の仏に供養するよりも、法華経の一偈を受持し、あるいは護持する方が勝れている」との事です。法華経薬王菩薩本事品には「此の法華経の乃至一四句偈を受持する、其の福の最も多きには如かじ」と説かれ、天台大師は法華文句巻十で「人は軽く法は重きなり」と解釈し、妙楽大師は「四つ(親が子供を護り育成する時系列として、生・養・成・栄)同じからずと雖も法を以て本と為す」と述べられています。(これらの文につい)九界の一切衆生の福を仏の福に相対して比較すると、一切衆生の福は一毛の様に軽く、仏の御福は大山の様に重いのです。一切の仏の御福は梵天の三銖の衣が軽いのと同様あり、法華経の一字の御福の重いのは大地が重いのと同様なのです。天台大師が「人は軽く」と言うのは仏の事を人と言うのです。「法は重い」と言われた「法」とは法華経の事です。
※本抄も西山殿に与えられた書です。法華経薬王菩薩本事品等を引かれ、七宝を供養するより法華経を受持する功徳の方が勝れている、つまり宝は軽く法は重い事を示されています。
「法華の行者をやしなうは、慈悲の中の大慈悲の米穀なるべし。一切衆生を利益するなればなり。故に「仏舎利変じて米と成る」とは、これなるべし。かかる今時分、人をこれまでつかわし給うこと、うれしさ申すばかりなし。釈迦仏・地涌の菩薩、御身に入りかわらせ給うか。その国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ。『仏種は縁より起こる。この故に一乗を説く』なるべし。」(高橋殿御返事<米穀御書> 新1953頁・全1467頁)作成日不明
現代語訳:法華経の行者を養うのは、慈悲の中の大慈悲のお米でしょう。一切衆生を利益するからです。だから「仏舎利が変じて米となる」というのは、この事なのです。この様な今時分に人をこちらまで遣わされたことの嬉しさは、言い様が無いほどです。釈迦仏や地涌の菩薩が、あなたの御身に入り替わられているのでしょうか。その国の仏法流布は、あなたにお任せします。「仏種は縁によって起こる。その為に一乗(法華経)を説く」とあります。
※高橋六郎兵衛入道(生没年不明)は、駿河国(静岡県)富士郡南方の賀島に住し、富士地方の弘教の中心的存在でした。四十九院の法難や熱原の法難では多くの大聖人門下を外護されました。
本抄の内容は、米の効用について仏法者の立場から述べ、法華経の行者を養う大慈悲の米は、一切衆生を利益し、その供養の功徳は、はかりしれないと御教示されています。
「皆人はにくみ候に、すこしも御信用のありし上、これまでも御たずねの候は、ただ今生ばかりの御事にはよも候わじ。定めて過去のゆえか。御所労の大事にならせ給いて候なること、あさましく候。ただし、つるぎはかたきのため、薬は病のため。(中略)
しかも法華経は「閻浮提の人の病の良薬なり」とこそとかれて候え。閻浮の内の人は病の身なり。法華経の薬あり。三事すでに相応しぬ。一身いかでかたすからざるべき。ただし、御疑いの御わたり候わんをば、力及ばず。」(高橋入道殿御返事 新1960頁・全1462頁)建治元年7月
現代語訳:(世間の人々)皆が日蓮を憎んでいるのに、(貴方は)少しでも日蓮を信用して頂いた上に、此処(身延)まで訪ねて来られた事は、只、今生ばかりでなく、きっと過去の因縁によるものでしょう。御病気が重くなられたのは、意外な事です。但し、剣は敵を討つ為に、薬は病気を治す為のものです。(中略)
その上に、法華経には「閻浮提の人の病の良薬である」と説かれています。閻浮提の内の人々は病の身ですが、法華経の薬があります。(病気回復の為の)三事は既に相応しています。貴方がどうして助からない事があるでしょうか。但し、(貴方に法華経を)疑う心があるなら、(日蓮の力は)及ばないのです。
※病身の高橋六郎兵衛に与えた書で、この御文では、高橋入道の信心の厚さをたたえ、病気の事を心配されて、法華経の功徳を説き、何処までも疑いなき信心を勧め、激励されています。
補足:「三事」は法華初心成仏抄では「よき師・よき檀那・よき法」(新695頁・全550頁)であり、新田殿御書では「経・仏・行者」(新1725頁・全1452頁)となっています。此処では御抄の内容から「経・仏・行者」を指すと思われます。詳しくは新田殿御書に「経は法華経、顕密第一の大法なり。仏は釈迦仏、諸仏第一の上仏なり。行者は法華経の行者に相似たり。三事既に相応せり。檀那の一願、必ず成就せんか。」(新1725頁・全1452頁)とあります。
「おさなき人の御ために、御まぼりさずけまいらせ候。この御まぼりは、法華経のうちのかんじん、一切経のげんもくにて候。たとえば、天には日月、地には大王、人には心、たからの中には如意宝珠のたま、いえにははしらのようなることにて候。このまんだらを身にたもちぬれば、王を武士のまぼるがごとく、子をおやのあいするがごとく、いおの水をたのむがごとく、草木のあめをねがうがごとく、とりの木をたのむがごとく、一切の仏神等の、あつまりまぼり、昼夜にかげのごとくまぼらせ給う法にて候。よくよく御信用あるべし。」(妙心尼御前御返事<御本尊護持の事> 新1965頁・全1477頁)建治元年8月 54歳御作
現代語訳:あなたの幼子のために御守り御本尊を授けて上げましょう。この御本尊は法華経の肝心であり、一切経の眼目です。例えば、天では日月、地では大王、人では心、宝の中では如意宝珠、家では柱の様なものです。この曼陀羅を身に持てば、王を武士が護る様に、子を親が愛する様に、魚が水を頼みとする様に、草木が雨を願う様に、鳥が木を頼みとする様に、一切の仏・神等が集まって、昼夜にわたって影の様に護られる法門なのです。よくよく御信用してください。
※妙心尼御前は、持妙尼御前とも窪尼とも呼ばれ、高橋六郎兵衛入道の妻のことです。この御文は、妙心尼の子に御守御本尊を授けられ御本尊の功徳を述べられています。
「また妙の文字は、花のこのみとなるがごとく、半月の満月となるがごとく、変じて仏とならせ給う文字なり。されば、経に云わく「能くこの経を持つは、則ち仏身を持つなり」。天台大師云わく「一々文々これ真仏なり」等云々。妙の文字は三十二相八十種好円備せさせ給う釈迦如来にておわしますを、我らが眼つたなくして文字とはみまいらせ候なり。譬えば、はちすの子の池の中に生いて候がように候はちすの候を、としよりて候人は眼くらくしてみず、よるはかげの候をやみにみざるがごとし。されども、この妙の字は仏にておわし候なり。またこの妙の文字は、月なり、日なり、星なり、かがみなり、衣なり、食なり、花なり、大地なり、大海なり。一切の功徳を合わせて妙の文字とならせ給う。または如意宝珠のたまなり。」(妙心尼御前御返事<妙の字功徳の事> 新1972頁・全1484頁)建治2年又は同3年5月
現代語訳:妙の文字は、花が果となる様に、半月がやがて満月となる様に、変じて仏と成られる文字です。だから、経には「能く此の経を持つ人は則ち仏身を持つなり」と説かれ、天台大師は「一一文文是れ真仏なり」等と述べられているのです。妙の文字は三十二相・八十種好を円満に備えられている釈迦如来であられますが、我等の眼が拙いので文字と見ているのです。例えば蓮華の果が池の中に生えている様なものです。蓮華はあっても、年寄りは目が悪くて見えず、夜は影があっても暗くて見る事ができない様なものです。しかし、この妙の文字は仏であられるのです。また、この妙の文字は、月であり、太陽であり、星であり、鏡であり、衣であり、花であり、大地であり、大海なのです。一切の功徳を合わせて妙の文字となられたのです。または、如意宝珠の珠なのです。
※「妙」の一字は成仏の種であり、全ての功徳を含んだ如意宝珠である、と明示されていますね。
[139] 題名:フェイク 第1780号
名前:宿坊
◇
MAIL
投稿日:
2025/02/05(水) 21:07
2605:6440:2000:1000:8a50:4001:744f:9d1d(IPv6:) (2605:6440:2000:1000:8a50:4001:744f:9d1d)
(発行=25.02.04)
折伏は低迷、登山者等も減少
衰退する日蓮正宗、僧侶主導が大失敗
法道院が門前でビラ配布の顕正会員を黙認
衰退の一途を辿っている日蓮正宗の凋落ぶりが一段と顕著になっている。「誓
願目標」と称している折伏が低迷しているのに加え、登山者、元旦勤行や本山
での講習会、各末寺の御講などの参加者も減少している。
このうち特に、折伏の停滞が全国的に激しく、昨年の目標達成の寺院は全国
五百九十七支部中、僅か五支部、それも目標の低い支部で過去最低を更新した。
焦った宗門は新年早々の一月九日の宮崎・熊本布教区をはじめ各地で布教区別
の折伏推進僧俗指導会を開いて「誓願目標を達成せよ」と檄を飛ばしている。
しかし、信仰心が薄く、折伏精神もない坊主や講員に対して、いくら檄を飛ば
しても〝糠に釘〟で参加者は〝馬の耳に念仏〟と聞き流しており、目標達成が
幻想に終わるのは明らかだ。
日蓮正宗では「僧侶主導の広宣流布」と言いながら坊主は実践しない。号令を
かけるだけで法華講員に折伏させる仕組みの「僧侶主導」は大失敗である。
「僧侶主導」とは本来、大聖人、日興上人のように出家が布教の最前線で実践
することだ。だが、今の宗門に出家はいない。肉食妻帯の堕落した〝在家坊主
〟ばかりである。
現在、開催している僧俗指導会では実践経験のない役僧達が観念論を述べるだ
けだから説得力はない。
また、講員はノルマに追われて勧誘しているため、その言動には相手を思いや
る慈悲の欠片もない。
戸田先生は「不幸な人、悩んでいる人が気の毒だから折伏するのだよ」と語り、
池田先生の指導も同じで、単に信徒を増やすのが折伏の目的ではない。
ところで、僧俗指導会と言えば、布教部長だった当時の阿部信彰(日明)が「毎
日が実践である」「自行化他の信心が大事だ」と強い口調で締め上げていた。
だが、布教部長を解任されてからは「やる気が感じられない」という評判だ。
常在寺(都内池袋)の法華講員の某氏は「本堂の入り口の前に置いてあった折伏
の大きな成果表も撤去されました」と語っている。
顕正会は最悪の邪教
確かな筋の情報によると、二月一日(土)、法道院(都内池袋)の門前で、五~六
人の顕正会員が法華講員だけでなく一般の通行人にも宗門批判のビラを配布し
ていた。
この法を下げる愚行を破折する講員はいなかったし、受付の付近にいた数人の
坊主も見て見ないふりで放置していたということだ。
顕正会は大聖人の仏法を「悪しく敬う」最悪の邪教だ。変節漢で的外れの予言
を繰り返し、一昨年十月に急死した浅井昭衛に洗脳された会員は「治安フォー
ラム」によると東日本大震災の被災地に行って救援活動ではなく布教活動に血
道を上げていた狂信の徒である。
こんな顕正会員の暴挙を黙認する軟弱な信心の坊主や法華講員に折伏を強要し
ても出来る筈がない。
日如は元旦勤行で「勇猛果敢に折伏を」とか、広布唱題会でも「邪義邪宗の謗
法を退治し」と訴えていた。
こんな檄を飛ばすよりも、日如や役僧らが折伏をして手本を示すことが先決事
項だが、それが出来ないから〝日蓮小宗〟になり、やがて〝日蓮消宗〟になる
のだ。
[138] 題名:師匠と我らとの関係 29(駿河方面の門下に宛てられた御抄)前
名前:サム
◇
MAIL
投稿日:
2025/02/02(日) 12:16
119-229-83-134f1.osk3.eonet.ne.jp (119.229.83.134)
師匠と我らとの関係 29(駿河方面の門下に宛てられた御抄)前
「駿河方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 前編
(駿河方面の各寺院で奔走する出家門下達)
「駿河」とは、現在の静岡県東部(伊豆方面を除く)を指し、富士裾野の要衡の地を占めています。この方面での御文を、前・中・後の3編に分けてご紹介します。
「駿河国蒲原庄四十九院の供僧・釈日興等、謹んで申す。寺務・二位律師厳誉のために、日興ならびに日持・承賢・賢秀等の学ぶところの法華宗をもって外道・大邪教と称し、往古よりの住坊ならびに田畠を奪い取り、寺内を追い出ださしむる謂れ無き子細のこと。右、釈迦一代の教えの中には天台をもって宗匠となす。如来五十年の間には法華をもって真実となす。これ則ち諸仏の本懐なり。そもそも、また多宝の証誠なり。上一人より下万民に至るまで、帰敬年旧り、渇仰日に新たなり。しかるに、厳誉律師の状に云わく「四十九院の内に日蓮が弟子等居住せしむるの由、その聞こえ有り。彼の党類、仏法を学びながら外道の教えに同じ、正見を改めて邪義に住せしむるの旨、もっての外の次第なり。大衆等評定せしむるに、寺内に住せしむべからざるの由候ところなり」云々。ここに因って、日興等たちまちに年来の住坊を追い出だされ、すでに御祈禱便宜の学道を失う。法華の正義をもって外道の邪教と称することは、いずれの経、いずれの論文ぞや。諸経多しといえども、いまだ両眼に触れず。法華の中に諸経を破るの文これ有りといえども、諸経の裏に法華を破るの文全くこれ無し。詮ずるところ、已今当の三説をもって教法の方便を破摧することは、さらに日蓮聖人の莠言にあらず、皆これ釈尊出世の金口なり。」(四十九院申状 新877-8頁・全848頁)弘安元年3月 57歳御作
現代語訳:駿河の国蒲原の庄にある四十九院の供奉僧らが謹んで申し上げます。寺務である二位律師厳誉が、日興並びに日持・承賢・賢秀らが学んでいる法華宗を外道大邪教と名付け、長年住んでいる住坊並びに田畑を奪い取り、寺内を追い出したのは正当な理由の無い事であり、この詳細を申し上げます。右は釈尊一代聖教の中では天台大師を師と仰いでいます。釈迦如来五十年の説法では法華経をもって真実とします。これは、即ち諸仏の本意であり、また多宝の証明しているところです。上一人より下万民に至るまで昔から帰依され、今も日に日に渇仰されています。ところが、厳誉の書状には「四十九院の中に、日蓮が弟子らが居住しているとの風聞がある。彼らの仲間は仏法を学ぶと言いながら、外道の教えに与し、正見を改めて邪義の教えを容認している。これはとんでもない事である。寺内の僧侶達が評議した結果。寺内に居住させられないとの結果になった」とあります。これによって、日興等はたちまちに長年居住してきた住坊を追放され、既に祈祷の機会や仏法修学の道を失ってしまいました。法華教の正義をもって外道の邪教と称するのはいずれの経、いずれの論文によるのでしょうか。諸経は多く存在するけれども、法華経を外道邪教としている文は見たことがありません。法華経の中で諸経を破折した文はありますが、諸経の中で法華経を破折した文は全くありません。結局、已今当の三説をもって法華経以外の諸経を方便として破折するのは日蓮大聖人が勝手に言っている事ではなく、これらは全て釈尊がこの世に出現されて述べられた金言なのです。
※駿河国蒲原荘(静岡県静岡市蒲原町)の四十九院の供僧であった日持・承賢等が、寺内を追い出された事に対して、大聖人の草案で鎌倉幕府に訴え出た訴状です。当時、大聖人に帰依した日興上人等は、四十九院を拠点として富士方面への弘教を展開していたが、これを憎んだ寺務の二位律師厳誉は、法華宗を外道邪教として住坊や田畠を奪い寺内を追い出しました。これに対して、日興上人達4人は厳誉の横暴非道を責め日蓮仏法の正義を明確にする公場対決を求めて、本抄を幕府に提出したのです。
「駿河国富士下方滝泉寺の大衆、越後房日弁・下野房日秀等、謹んで弁言す。当寺院主代・平左近入道行智、条々の自科を塞がんがために遮って不実の濫訴を致すの謂れ無きこと。
訴状に云わく「日秀・日弁、日蓮房の弟子と号し、法華経より外の余経あるいは真言の行人は、皆もって今世・後世叶うべからざるの由、これを申す」云々〈取意〉。(中略)
訴状に云わく「今月二十一日、数多の人勢を催し、弓箭を帯し院主分の御坊内に打ち入り、下野坊は馬に乗り、熱原の百姓・紀次郎男を相具し、点札を立て、作毛を刈り取り、日秀の住房に取り入れ畢わんぬ」云々〈取意〉。この条、跡形も無き虚誕なり。日秀等は行智に損亡せられ不安堵の上は、誰人か日秀等の点札を叙用せしむべき。はたまた、尩弱なる土民の族、日秀等に雇い越されんや。しかのごとく弓箭を帯し悪行を企つるにおいては、行智といい、近隣の人々といい、いかでか、弓箭を奪い取り、その身を召し取り、子細を申さざるや。矯飾の至り、よろしく賢察に足るべし。日秀・日弁等は当寺代々の住侶として行法の薫修を積み、天長地久の御祈禱を致すのところに、行智は当寺霊地の院主代に補せられながら、寺家の三河房頼円ならびに少輔房日禅・日秀・日弁等に仰せて、「行智、法華経においてはこれを信用せざるなり、速やかに法華経の読誦を停止し、一向に阿弥陀経を読み、念仏を申すべきの由、起請文を書けば、安堵すべし」との旨、下知せしむるのあいだ、頼円は下知に随って起請を書いて安堵せしむといえども、日禅等は起請を書かざるによって所職の住坊を奪い取るの時、日禅は即ち離散せしめ畢わんぬ。日秀・日弁は無頼の身たるによって、所縁を相憑み、なお寺中に寄宿せしむるのあいだ、この四箇年のほど、日秀等の所職の住坊を奪い取り、厳重の御祈禱を打ち止むるの余り、悪行なおもって飽き足らず、法華経の行者の跡を削らんがために謀案を構えて種々の不実を申し付くるの条、あに在世の調達にあらずや。
およそ行智の所行は、法華三昧の供僧・和泉房蓮海をもって法華経を柿紙に作り紺形を彫り、堂舎の修治をなす。日弁、御書き下しを給わり構え置くところの上葺榑、一万二千寸の内八千寸、これを私用せしむ。下方の政所代に勧め、去ぬる四月、御神事の最中に法華経信心の行人・四郎男を刃傷せしめ、去ぬる八月、弥四郎男の頸を切らしむ〈日秀等頭を刎ぬと擬することをこの中に書き入れよ〉。無智・無才の盗人たる兵部房静印をもって過料を取り、器量の仁と称して当寺の供僧に補せしめ、あるいは寺内の百姓等を催し、鶉を取り、狸を狩り、狼落の鹿を殺し、別当の坊においてこれを食らい、あるいは毒物を仏前の池に入れ、そこばくの魚類を殺し、村里に出だしてこれを売る。見聞の人、耳目を驚かさざるはなし。仏法破滅の基、悲しんでも余り有り。
かくのごときの不善・悪行、日々相積もるのあいだ、日秀等、愁歎の余り上聞を驚かさんと欲するによって、行智条々の自科を塞がんがために種々の秘計を廻らし、近隣の輩を相語らい、遮って跡形も無き不実を申し付け、日秀等を損亡せしめんと擬するの条、言語道断の次第なり。冥につけ顕につけ、戒めの御沙汰無からんや。
詮ずるところ、仏法の権実といい、沙汰の真偽といい、淵底を究めて御尋ね有り、かつは誠諦の金言に任せ、かつは式条の明文に準じて禁遏を加えられば、守護の善神は変を消し、擁護の諸天は咲みを含まん。しからば則ち、不善・悪行の院主代・行智を改易せられよ。はたまた、本主この重科を脱れ難からん。何ぞ実相寺に例如せん。誤らざるの道理に任せて日秀・日弁等は安堵の御成敗を蒙り、堂舎を修理せしめ、天長地久の御祈禱の忠勤を抽んでんと欲す。よって状を勒し、披陳す。言上、件のごとし。」(滝泉寺大衆陳状<滝泉寺申状> 新880-5頁・全849-53頁)弘安2年10月 58歳御作
現代語訳:駿河の国・富士郡下方荘(静岡県富士市)の滝泉寺の大衆僧、越後房日弁・下野房日秀等、謹んで申し上げます。当滝泉寺の院主代である平左近入道行智が数々の自ら犯した罪を覆い隠し、明らかになる事を防ごうとして、罪をでっちあげて訴えを起こしたのは、全く不当な事です。訴えの状には、「日秀や日弁が日蓮房の弟子と名乗って、法華経以外の経または真言を修行する人は皆、今世も後世も願いは叶わない、と言っている」と大要この様にあります。(中略)
行智らの訴状に、「今月二十一日、(日秀は)数多くの者達を誘い出し、弓や矢を身につけて、院主所有の建物の中に打ち入り、下野坊日秀は馬に乗り、熱原の農民の紀次郎は武具を付けて立て札を立て、農作物を刈り取り、日秀の住む房に取り入れた」と大要その様に言っています。この事は全くのでたらめです。日秀は行智から不当に住坊を追われ、身を寄せる住居も無い身ですから、一体誰が日秀らの立て札を用いるでしょうか。また立場の弱い土地の農民達が、わざわざ日秀らに雇われるでしょうか。この様に日秀らが弓や矢を身に付けて悪の所行を企てたのであれば、行智といい、近隣の人々といい、どうして弓矢を奪い取り日秀らの身を召し取って、事の次第を言わないのでしょうか。これらの申し立ては偽り至極であり、よろしく御賢察いただきたいのです。
日秀や日弁等は、当滝泉寺代々の僧として、仏道修行を積み重ね、国主の長寿と民の平和を祈ってきたのですが、行智は神聖な当滝泉寺の院主代の任務に就きながら、寺僧である三河房頼円並びに少輔房日禅・日秀・日弁等に仰せつけて「法華経は信用できない法である。お前たちもすぐさま法華経の読誦するのをやめ、ひたすら阿弥陀経を読んで念仏をとなえるという起請文を書けば、居る所を保証してやろう」という内容の命令を下したので、頼円は命令に従って起請文を書いて安心したのですが、日禅らは起請文を書かなかったので、住んでいる坊を奪い取ろうとした時、日禅は(滝泉寺の地を離れ、河合の実家へ)帰ったのです。日秀・日弁は頼るところが無い身なので、縁を頼って、まだ寺の中に身を寄せていたのですが、(建治二年から今年までの)この約四年間は、日秀等の住職としての坊を奪い取り、厳重に法華経の祈りを禁止しようとするあまり、これまでの悪行に飽き足らず、さらに法華経の行者の形跡を無くそうとして謀略を巡らして、様々な虚偽を周りに言いつけたのです。この事は仏在世の提婆達多そのものではないでしょうか。
大体、行智の行為は、法華三昧堂で給仕する僧の和泉房蓮海に命じて、法華経をほぐして渋紙とし、それを切り取り、型紙として建物の修理に使っています。日弁に書き下した状をたまわって準備していた上葺き用の板材・一万二千寸の内八千寸を勝手に私事に使用しています。下方荘の政所の代官をそそのかし、去る四月に、(大宮浅間神社で行われた流鏑馬の)神事の最中に、法華経を信心している四郎を刄物で切りつけ、去る八月には弥四郎の頸を切らせました。(日秀等が頚を刎られた様に言い立てた事を書き入れなさい。)智慧無く才能も無い盗人である兵部房静印を使って罰金を取り、優れた才能の持ち主であると言いふらして、当(滝泉)寺の供僧に任じ、ある時には寺域内の農民を使って鶉を取り、狸を狩り、猪用の罠にかかった鹿を殺して、別当(である院主)の坊で、これらを食べ、或いは本堂前の池に毒仏を投げ入れて多くの魚類を殺し、村里に出してこれを売るのです。これを見たり聞いたりした人は、耳や目を疑ったのです。仏法を破滅させる根源であり、これほど悲しい事は他にありません。この様な不善や悪行が日々積み重なるので、日秀等は嘆きのあまり上に訴えようとしましたが、行智は数々の自分の罪を隠そうとして、種々の計略をめぐらし、近隣の人々を誘い入れて、何の根拠も無い嘘を言いつけて、日秀らを陥れようとはかったのであり、これは言語道断です。(仏法上の)冥罪においても(国法上に)顕われる罪においても、これを懲らしめる処罰が無い筈がありません。所詮、仏法の権教・実教の問題といい、(行智がした)命令や行為の真偽といい、徹底して調べさせ、仏の金言を根本として、御成敗式目の条文に従って、正邪を明確にされるならば、日本国を守護する善神は災難を消し留め、正法を擁護する諸天は笑みを含んで喜ばれるでしょう。そうであれば、不善や悪業を行う院主代の行智は罷免されるでしょう。また、本主もこの重い罪を免れないでしょう。岩本実相寺と同一に扱う事はできません。正しい道理に基づいて日秀・日弁等は、安心できる御処置を受け、寺院の建物を修理してもらい、世の平和を祈る忠誠を尽くす事を願っています。だからこの状を刻みにつけて御覧に入れるのです。以上、申し上げます。
※本抄は、前半は大聖人、後半は日興上人の執筆で幕府問注所に提出した訴状です。内容は、諌暁と訴えに大別され、此処では後半の院主代・行智の悪行は在世の提婆達多であり、日秀・日弁の行動を援護されています。
「夫れ、法華経の妙の一字に二義有り。一は相待妙、麤を破して妙を顕す。二は絶待妙、麤を開して妙を顕す。爾前の諸経ならびに法華已後の諸経は、「麤を破して妙を顕す」の一分これを説くといえども、「麤を開して妙を顕す」は全分これ無し。しかるに、諸経に依憑する人師、彼々の経々において破・顕の二妙を存し、あるいは天台の智慧を盗み、あるいは民の家に天下を行うのみ。たとい「麤を開す」を存すといえども、破の義免れ難きか。いかにいわんや、上に挙ぐるところの「一向に権を執す」あるいは「一向に実を執す」等の者をや。しかるに、彼の阿闍梨等は、自科を顧みざる者にして嫉妬するのあいだ、自眼を回転して大山を眩ると観るか。まず実をもって権を破し権執を絶して実に入るるは、釈迦・多宝・十方の諸仏の常儀なり。実をもって権を破する者を盲目となせば、釈尊は盲目の人か、乃至天台・伝教は盲目の人師なるか、いかん。笑うべし。」(実相寺御書 新1933-4頁・全1453頁)建治4年1月 57歳御作
現代語訳:そもそも法華経の妙の一字に二つの義があります。一つは相待妙といって、麤(そ)法を破して妙法を顕(す義)です。二つは絶待妙といって、麤法を開会して妙法を顕(す義)です。法華経已前(爾前)の諸経並びに已後の諸経は、「麤を破して妙を顕す」義の一分は説いているけれども、「麤を開して妙を顕す」義は全く説いていません。それなのに、法華経以外の諸経に依っている人師は、それぞれの経々に破麤顕妙・開麤顕妙の二妙の義があるとしたり、あるいは天台大師の智慧を盗んだりしています。これは民の家で天下の政治を執る様なものです。たとえ麤法を開く(開会する:真実を開き顕して一つに合わせること)義があるといっても、真の開会ではなく、麤法を破す義を免れることはできません。まして上に挙げた様に「予測通りに権教に執着」したり、「全く実教に執着」する等の者は言うまでもりません。そうであるので尾張阿闍梨等は、自分の誤りを顧みない者であり、他人を嫉妬したまま、自分が眩いしているのを知らずに大山が回っていると思う様なものです。まず実教をもって権教を破し、権教の執着を絶って実教に入れるのが、釈迦・多宝・十方の諸仏の常儀です。実教をもって権教を破する者を盲目であると言うならば、釈尊は盲目の人なのでしょうか。また天台大師、伝教大師は盲目の人師なのでしょうか。どうでしょう。笑うべきです。
※本抄は、天台宗の実相寺(静岡県富士市岩本)の住侶であった豊前房(生没年不明)に与えられており、同じ実相寺の住侶である尾張阿闍梨が大聖人の折伏行を誹謗しているとの報告に対する御返事です。破折の方法を教えられ、「法華経の妙の二義」を知らなければ、仏法を会得したことにならないと述べられています。実相寺は、大聖人が同寺所有の一切経を研鑽された寺院であり、同寺の所化であった日興・日源上人等が大聖人の滞在中に日蓮門下になった縁ある寺院です。
補足:麤法とは、粗雑な劣った法のことで、妙法に対する反対語です。例えば、大乗教に対して小乗教は麤法であり、法華経に対して爾前の諸経は麤法となるのです。
「相待妙・絶待妙」についての解説は、本拙ブログ内の「日蓮仏法用語シリーズ」を参照してください。
「熱原の百姓等安堵せしめば、日秀等、別に問注有るべからざるか。大進房・弥藤次入道等の狼藉のことに至っては、源、行智の勧めによって殺害・刃傷するところなり。もしまた起請文に及ぶべきことこれを申さば、全く書くべからず。その故は、人に殺害・刃傷せられたる上、重ねて起請文を書き、失を守るは、古今未曽有の沙汰なり。その上、行智の所行、書かしむるごとくならば、身を容るる処なく、行うべきの罪、方無きか。あなかしこ、あなかしこ。この旨を存し、問注の時、強々とこれを申せ。定めて上聞に及ぶべきか。また行智、証人を立て申さば、彼らの人々、行智と同意して百姓等が田畠数十刈り取る由これを申せ。もしまた証文を出ださば、謀書の由これを申せ。ことごとく証人の起請文を用いるべからず。ただ現証の殺害・刃傷のみ。もしその義に背く者は、日蓮の門家にあらず、日蓮の門家にあらず。」(伯耆殿等御返事 新1937頁・全1456頁)弘安2年10月 58歳御作
現代語訳:熱原の百姓等が安心できる様になったならば、日秀等は別に問注する(訴訟で双方の陳述を問い記録する)必要はないでしょう。大進房や弥藤次入道等の狼藉の事については、その根源は行智の勧めによって殺害刄傷した事にあります。もしまた起請文を書くべきである等と言われても、決して書いてはなりません。その理由は、人に殺害刄傷された上に、こちらが重ねて起請文を書いて相手の罪を守るなどは昔から今までかつてない事件だからです。その上、行智の行いが申書に書かれてある通りならば、身を置く場所もなく、処断すべき罪も方法も無いでしょう。この旨をしかと心得て問注の時、強盛にこの事を主張するならば、必ず上聞に達するでしょう。また行智が証人を立てて申し立てをするならば、その証人達の同類が行智と同意して百姓等の田畠数十を苅り取った者である事を言いなさい。もしまた、証文を出すならば、偽書であると言いなさい。悉く証人の起請文を用いてはなりません。ただし現証の殺害刄傷のみは言いきりなさい。もしこの道理に背く者は日蓮の門家ではありません。重ねて日蓮の門家ではありません。
※「熱原の法難」に直接関与された、日興・日秀・日弁等(当時、富士熱原地方に所在)に宛てた御文を全文掲載しました。此処で明確に重要なのは、宗門が大聖人直造とし戒壇本尊と称する「楠板本尊」の建立日とされている弘安2年10月12日の日付で本抄が送られており、戒壇本尊建立の子細が何処にも一言も述べていない事です。大聖人の側近とも云える日興上人以下僧侶に対してです。つまり、本抄には、戒壇本尊建立の実態の影すら無く、宗門側の主張が全くの虚偽である証拠の一つになるのです。
「今月十五日酉時御文、同じき十七日酉時到来す。「彼ら御勘気を蒙るの時、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経と唱え奉る」云々。ひとえに只事にあらず。定めて平金吾の身に十羅刹入り易わって、法華経の行者を試みたもうか。例せば、雪山童子・尸毘王等のごとし。はたまた、悪鬼その身に入る者か。釈迦・多宝・十方の諸仏・梵帝等、五の五百歳の法華経の行者を守護すべきの御誓いはこれなり。大論に云わく「能く毒を変じて薬となす」。天台云わく「毒を変じて薬となす」云々。妙の字虚しからざれば、定めて須臾に賞罰有らんか。伯耆房等、深くこの旨を存して問注を遂ぐべし。平金吾に申すべき様は、「去ぬる文永の御勘気の時の聖人の仰せ、忘れ給うか。その殃いいまだ畢わらず。重ねて十羅刹の罰を招き取るか」。最後に申し付けよ。」(聖人等御返事 新1938頁・全1455頁)弘安2年10月
現代語訳:今月十五日酉時の御手紙、同じく十七日酉時に到着しました。「彼等が処刑された時、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と唱えた」との事、全く普通の事ではありません。きっと平左衛門尉の身に十羅刹女が入り替わって法華経の行者を試したのでしょうか。雪山童子、尸毘王等の例と同じです。又は悪鬼がその身に入った者なのでしょうか。釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏・梵天・帝釈等が五五百歳の法華経の行者を守護するとの御誓いはこの事です。大智度論には「能く毒を変じて薬とする」とあります。また天台大師は「毒を変じて薬とする」と解釈しています。妙法が虚事で無いならば、必ず忽ちに賞罰があるでしょう。伯耆房等は深くこの旨を心得て問注を遂げなさい。平左衛門尉に申すべき事は、「文永八年の迫害の時、日蓮聖人の言われたことを忘れたのか、そのための災いもいまだ畢っていないのに、重ねて十羅刹女の罰を招き取ろうとするのか」と最後に申し付けなさい。
※日興上人等の門下に贈られた本抄もほぼ全文を掲載しました。貧しき熱原の農民が,言われなき罪によって拷問や処刑時に題目を必死に唱えたとの報告を受けて、庶民・大衆の手に妙法が確実に弘教された事を知り、大聖人は、遂に「民衆仏法の基盤が確立」を実感しこの事実を「出世の本懐」とされたのでしょうね。弘安2年10月1日付の御書「聖人御難事」に高々と述べられている「出世の本懐」が此れなのでしょうね。
◎今回は、駿河に存在した3つの寺院(四十九院・滝泉寺・実相寺)に御苦労された御僧侶の紹介となりました。此の内、3つの御文は、弘安2年10月の御作でありながら、「楠板本尊」の記述は皆無であり、宗門の「作り法門」である事が、改めて明確になったのではないでしょうか。
[137] 題名:「どこまでも仏教を解説する」
名前:TOUKA
◇
MAIL
投稿日:
2025/01/26(日) 16:14
2405:6584:5180:2100:75f8:d52d:ffed:1de(IPv6:asahi-net-jpnic-jp-20160518) (2405:6584:5180:2100:75f8:d52d:ffed:1de)
こんにちわ
仏教の解説をしています。見ていただけると嬉しいのですけれど。
https://www.youtube.com/@tebukurowositakogitune
(途中からではなく、最初から見ていただかないと理解できない構成になっています。)
[132] 題名:師匠と我らとの関係 28(南条家及び時光に宛てられた御抄)後
名前:サム
◇
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投稿日:
2025/01/21(火) 22:37
119-229-83-134f1.osk3.eonet.ne.jp (119.229.83.134)
師匠と我らとの関係 28(南条家及び時光に宛てられた御抄)後
「南条家及び時光に宛てられた御抄」における弟子との関係 後編
「今、日蓮は、聖人にはあらざれども、法華経に名をたてり。国主ににくまれて我が身をせく上、弟子・かよう人をも、あるいはのり、あるいはうち、あるいは所領をとり、あるいはところをおう。かかる国主の内にある人々なれば、たとい心ざしあるらん人々もとうことなし。このこと事ふりぬ。なかにも今年は、疫病と申し、飢渇と申し、といくる人々もすくなし。たといやまいなくとも、飢えて死ぬことうたがいなかるべきに、麦の御とぶらい、金にもすぎ、珠にもこえたり。彼のりたがひえは、変じて金人となる。この時光が麦、何ぞ変じて法華経の文字とならざらん。この法華経の文字は釈迦仏となり給い、時光が故親父の左右の御羽となりて、霊山浄土へとび給え、かけり給え、かえりて時光が身をおおい、はぐくみ給え。」(時光御返事 新1880-1頁・全1550頁)弘安元年7月 57歳御作
現代語訳:今、日蓮は、聖人ではないですが、法華経の御名を立てました。(その為に)国主に憎まれて、自分が責められるばかりでなく、弟子や往き来する人までも、罵られたり、打たれたり、領地を取られたり、住所を追われたりしました。この様に国主の領内に居住する人々であれば、たとえ志があると思える人々も訪れることはありません。この事は新しいことではないです。それにしても、今年は疫病や飢饉などで、訪れて来る人々が少ないのです。たとえ、病にかからなくても、飢えて死ぬことは疑いないと思っていたのに、あなたが送ってくださった麦は、金よりも勝れ、宝珠の有り難さを越えているのです。あの利吒(雑宝蔵経等に説かれた長者の子息、子細は省く)の稗は変わって金人となりました。今、時光から送られた麦が、どうして法華経の文字にならない事があるでしょうか。この法華経の文字は釈迦仏と成られて、時光の亡き父上の左右の翼となって、霊山浄土へ飛翔されて、帰って来ると、時光の身を覆い育まれるでしょう。
※大聖人は南条時光の御供養の偉大さを説かれ、供養の麦が法華経の文字に変じて釈迦仏となり、時光と亡父を守護すると、述べられています。
「日蓮、種々の大難の中には竜の口の頸の座と東条の難にはすぎず。その故は、諸難の中には命をすつる程の大難はなきなり。あるいはのり、せめ、あるいは処をおわれ、無実を云いつけられ、あるいは面をうたれしなどは物のかずならず。されば、色心の二法よりおこりてそしられたる者は、日本国の中には日蓮一人なり。ただし、ありとも、法華経の故にはあらじ。さてもさてもわすれざることは、しょうぼうが法華経の第五の巻を取って日蓮がつらをうちしことは、三毒よりおこるところのちょうちゃくなり。(中略)
第五の巻は一経第一の肝心なり。竜女が即身成仏あきらかなり。提婆はこころの成仏をあらわし、竜女は身の成仏をあらわす。一代に分絶えたる法門なり。さてこそ、伝教大師は法華経の一切経に超過して勝れたることを十あつめ給いたる中に、即身成仏化導勝とはこのことなり。この法門は天台宗の最要にして、即身成仏義と申して、文句の義科なり。真言・天台の両宗の相論なり。竜女が成仏も法華経の功力なり。文殊師利菩薩は『唯常宣説妙法華経(ただ常に妙法華経のみを宣説す)』とこそかたらせ給え。」(上野殿御返事<刀杖難の事> 新1888-9頁・全1555-6頁)弘安2年4月 58歳御作
現代語訳:日蓮が受けた種々の大難の中で、竜の口の頸の座と東条小松原の難ほどの大難はありません。その理由は、諸難の中でも身命を捨てるほどの大難はないからです。罵られたり、責められたり。処を追われたり、讒言をされたり、面を打たれた事などは、(この二つの大難に比べれば)物の数ではありません。だから、色法と心法との二法から謗られた者は、日本国の中では日蓮一人だけです。たとえ難にあった人がいたとしても法華経の故ではないでしょう。それにつけても忘れられない事は、(竜の口法難の時、松葉ヶ谷の草庵で)少輔房が法華経の第五の巻を取り出して、日蓮の面を打った事は、貪瞋癡の三毒から起こった打擲(ちょうちゃく:打ったり叩いたりすること)なのです。(中略)
法華経第五の巻は一経第一の肝心です。(此処に)竜女の即身成仏が明らかに説かれています。提婆達多は心の成仏を表し、竜女は身の成仏を表しています。一代経において他に説かれていない(深遠な)法門です。だからこそ、伝教大師は法華秀句の中で法華経が一切経に超過して勝れている事を十箇条挙げられましたが、その中で即身成仏化導勝と云われているのがこの事です。この法門は天台宗における最も肝要なもので、即身成仏義と言って法華文句第八の巻の義科(重要な法門を説く為に設けた科目のこ)の一つです。これについては、真言・天台の二宗の間に争論がありますが、竜女の成仏も法華経の功力であって、文殊師利菩薩が竜女を教化するのに「唯常に妙法華経を宣説す」と語られています。
※法華経の第五の巻と大聖人御自身とを大難と仏法流布の関係から明かされ末法の御本仏の内証を示され、最後に時光の一層の信心を促しています。
「願わくは、我が弟子等、大願をおこせ。去年・去々年のやくびょうに死にし人々のかずにも入らず、また当時、蒙古のせめにまぬかるべしともみえず。とにかくに死は一定なり。その時のなげきはとうじのごとし。おなじくは、かりにも法華経のゆえに命をすてよ。つゆを大海にあつらえ、ちりを大地にうずむとおもえ。法華経の第三に云わく『願わくはこの功徳をもって、あまねく一切に及ぼし、我らと衆生と、皆共に仏道を成ぜん』云々。」(上野殿御返事<竜門御書> 新1895頁・全1561頁)弘安2年11月 58歳御作
現代語:願いとしては、我が弟子達よ、大願を起こしなさい。去年や一作年の疫病で死んだ人々の数には入らなかったとしても、現在、蒙古が攻めてきたならば、死を免れることができるとは思えないのです。とにかく、死は一定(必ず起こること)なのです。その時の嘆きは現在の迫害の苦しみと同様なのです。同じことなら、かりに法華経のために命を捨てなさい。これこそ、あたかも露を大海に入れ、塵を大地に埋める様なものと思いなさい。法華経第三の巻・化城喩品に「願わくは此の功徳により、広い範囲の一切に及ぼし、私達と衆生と、皆共に仏道を成じましょう」と説かれている通りです。
※本抄の内容は、竜門の故事等を例示して信心を貫くことの至難さを御教示されています。本抄に、御書新版では「進上、上野殿 あつはらのものの事」、「これは、あつはらのことのありがたさに申す御返事なり」とあり、熱原法難時に信者の中心者として活躍された南条時光に対して感謝され、本抄で上野賢人と称賛されています。
「念仏と禅と真言と律とを信ずる代に値って法華経をひろむれば、王臣・万民ににくまれて、結句は山中に候えば、天いかんが計らわせ給うらん。
五尺のゆきふりて、本よりもかよわぬ山道ふさがり、といくる人もなし。衣もうすくてかんふせぎがたし。食たえて命すでにおわりなんとす。かかるきざみに、いのちさまたげの御とぶらい、かつはよろこび、かつはなげかし。一度におもい切ってうえしなんとあんじ切って候いつるに、わずかのともしびにあぶらを入れそえられたるがごとし。あわれ、あわれ、とうとくめでたき御心かな。釈迦仏・法華経、定めて御計らい給わんか。」(上野殿御返事<適時弘法の事> 新1896-7頁・全1562頁)弘安2年12月
現代語訳:念仏、禅、真言、律宗を信ずる時代に生まれあわせて、法華経を弘めれば、王臣や万民に憎まれ、あげくにこの山中の身となったのです。諸天がどの様に計らわれるのでしょうか。五尺も雪が降り積もり、元々人の通わない山道は塞がり、訪ねて来る人もいません。衣服も薄くて寒さを防ぐこともできません。食物も絶えて生命も既に尽きようとしている時に、生命を妨げるご訪問は、一方では喜び、一方では歎かわしく思うのです。一度に思い切って飢え死にしようと覚悟を決めていたのに、(白米をお送り頂いた事は)消えかけた灯に油を注入された様なものです。あわれ感動する気持ちです。なんと尊くめでたい御志でしょうか。釈迦仏・法華経が決定され御計画をされたのでしょうか。
※大聖人が寒さや食事に困窮された御心境を述べられ、南条時光の御供養に大変感謝されています。ところが現宗門は、大聖人直造で「戒壇本尊」と称されている、金文字・漆塗りの豪華な「楠板本尊」が、弘安2年10月12日」に御建立された、と宣揚されています。科学が進歩した現在、大聖人の御文や歴代法主の文証のみならず、物的証拠の年代鑑定を実施すれば、「楠板本尊」は、後世の模作であり、宗門の虚偽が明確になるでしょうね。
「貴辺はすでに法華経の行者に似させ給えること、さるの人に似、もちいの月に似たるがごとし。あつはらのものどもかかえおしませ給えることは、承平の将門、天喜の貞任のようにこの国のものどもはおもいて候ぞ。これひとえに法華経に命をすつるゆえなり。まったく主君にそむく人とは、天、御覧あらじ。その上、わずかの小郷におおくの公事せめあてられて、わが身はのるべき馬なし、妻子はひきかくべき衣なし。かかる身なれども、法華経の行者の山中の雪にせめられ、食ともしかるらんとおもいやらせ給いて、ぜに一貫おくらせ給えるは、貧女がめおとこ二人して一つの衣をきたりしを乞食にあたえ、りたが合子の中なりしひえを辟支仏にあたえたりしがごとし。とうとし、とうとし。」(上野殿御返事<須達長者御書> 新1919頁・全1575頁)弘安3年12月
現代語訳:あなたが既に法華経の行者に似ておられることは、猿が人に似、餅が月に似ているようなものです。熱原の者達をあなたが大事にされていることに対して、承平年間の平将門や天喜年間の安倍貞任の様であると、この日本国の者達は思っています。これはひとえに法華経に命を捨てる(覚悟がある)為であって、全く主君に背く人とは、天は御覧にならないでしょう。その上、わずかの小郷に多くの公事を課せられて、自身は乗るべき馬も無く、妻子は着るべき衣もありません。その様な身ですが、法華経の行者が山中で雪に責められ、食物も乏しいでしょうと心配されて、銭一貫文を送られた事は、貧女が夫婦二人で一つの衣を着ていたのを乞食に与え、利吒が器の中にあった稗を辟支仏に与えた様なものです。尊いことです、重ねて尊いことです。
※当時南条家は、熱原の農民への世話や大聖人への御供養等、大変な御苦労をされていました。大聖人はこれを理解され、感謝されていたのですね。
「まことや、まことや、去年の九月五日、こ五郎殿のかくれにしはいかになりけると胸うちさわぎて、ゆびをおりかずえ候えば、すでに二箇年十六月四百余日にすぎ候か。それには母なれば御おとずれや候らん。いかにきかせ給わぬやらん。(中略)
日蓮は所ろうのゆえに人々の御文の御返事も申さず候いつるが、このことはあまりになげかしく候えば、ふでをとりて候ぞ。これも、よもひさしくもこのよに候わじ。一定、五郎殿にゆきあいぬとおぼえ候。母よりさきにげんざんし候わば、母のなげき申しつたえ候わん。」(上野殿母御前御返事<大聖人の御病の事> 新1927頁・全1583-4頁)弘安4年12月
現代語訳:本当なのですね、去年の九月五日に故五郎殿が亡くなられてからは、その後どうなされたかと胸のうちが騒いで、指折り数えれば、既に二か年、十六か月、四百余日が過ぎてしまいました。尼御前は母ですから、何か便りがあった事でしょう。どうして聞かせて頂けないのでしょうか。(中略)
日蓮は病気の為に、人々からのお手紙にも返事を書かないでおりましたが、五郎殿のことはあまりにも嘆かわしい事でしたから、筆を執りました。日蓮も永くはこの世にはいないでしょう。(そうであれば)必ず五郎殿に行きあうだろうと思っております。もし尼御前より先にお会いしたならば、尼御前の嘆きを申し伝えましょう。
※南条時光の母に宛てた御消息文です。故五郎殿(1265~1280)とは、南条兵衛七郎の五男で、南条時光の弟。七郎五郎とも呼ばれました。誕生以前に父の兵衛七郎は死去しています。容貌も勝れ、立派な青年となった様ですが、弘安三年九月、十六歳の若さで急逝されました。
大聖人御自身の御容態も述べられ、南条五郎の死を悼まれ、母御前を励まされています。
「この上野七郎次郎は、末代の凡夫、武士の家に生まれて悪人とは申すべけれども、心は善人なり。その故は、日蓮が法門をば上一人より下万民まで信じ給わざる上、たまたま信ずる人あれば、あるいは所領、あるいは田畠等にわずらいをなし、結句は命に及ぶ人々もあり、信じがたき上、はは・故上野信じまいらせ候いぬ。またこの者嫡子となりて、人もすすめぬに心中より信じまいらせて、上下万人にあるいはいさめ、あるいはおどし候いつるに、ついに捨つる心なくて候えば、すでに仏になるべしと見え候えば、天魔・外道が病をつけておどさんと心み候か。命はかぎりあることなり。すこしもおどろくことなかれ。」(法華証明抄 新1931頁・全1586-7頁)弘安5年2月61歳御作
現代語訳:この上野の七郎次郎(時光)は末代の凡夫で、武士の家に生まれて悪人と言うべきですが、心は善人です。その理由は、日蓮の法門を上一人より下万民にいたるまで信じない上に、たまたま信ずる人がいれば、所領や田畑等に煩いが生じて、あげくには命に及ぶ人もあり、信心をすることは難いのに、母の尼御前や故上野殿は信仰されたのです。またこの人(七郎次郎)は嫡子となって、誰も(法華経の信仰を)勧めないのに、心底から信仰され、上下万人より(他宗を)諌められたり、脅かされたりしながらも、結局(法華経を)捨てる心が無くておられ、既に成仏されそうに見えたので、天魔・外道が病をつけて脅かそうとしているのでしょう。命は限りがあることであり、少しも驚いてはなりません。
※この御文の後、大聖人は時光を悩ます鬼神等を𠮟責されています。
結局、南条時光(正光元<1259>年-元弘2<1332>年)は、病を克服して、法難後も幕府弾圧による窮乏の中で、妻・妙蓮と共に9男4女の子供を育てながら御供養を続けられ、入道して法名を大行、妻は妙蓮と称しました。
◎南条家(上野殿)への御文は、大変多く遺されており、紹介しきれないのが残念です。
大聖人滅後も南条時光夫妻は、身延の日興上人に対して真心で御仕えし、身延の地頭・波木井実長の謗法離反により、正応2(1289)年に日興上人が身延を離山された際に、時光夫妻は大石が原を寄進され、後に大石寺、妙蓮寺が建立されています。
南条家の子供達や親族も時光夫妻の感化を受け、大石寺3祖日目の母の蓮阿尼は時光の姉、4世日道の母は時光の長女、5世日行の母は時光の次女、妙蓮寺4世日相は時光の8男、5世日限は9男であり、大石寺6世日時、8世日影、9世日有も南条家出身で繋がっています。
もし歴史上、南条家が存在していなければ、日蓮仏法が創価学会の出現まで令法久住できなかったかも知れませんね。
[131] 題名:師匠と我らとの関係 27(南条家及び時光に宛てられた御抄)前
名前:サム
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2025/01/12(日) 01:13
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師匠と我らとの関係 27(南条家及び時光に宛てられた御抄)前
「南条家及び時光に宛てられた御抄」における弟子との関係 前編
「南条」とは、元々伊豆国南条郷(静岡県田方郡韮山町)を指し、駿河国富士郡上野郷(静岡県富士宮市上野)の地頭であった南条家が、かつて南条郷に住んでいたので、この様に呼ばれました。南条家又は上野家の南条兵衛七郎夫妻、七郎次郎(時光)夫妻、七郎五郎等代々が、大聖人に帰依され、信心を貫かれました。今回も前後二編として紹介させて頂きます。
「もしさきにたたせ給わば、梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給うべし。『日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子なり』となのらせ給え。よもほうしんなきことは候わじ。ただし、一度は念仏、一度は法華経となえつ。二心ましまし、人の聞きにはばかりなんどだにも候わば、よも、『日蓮が弟子』と申すとも御用い候わじ。後にうらみさせ給うな。ただし、また法華経は今生のいのりともなり候なれば、もしやとしていきさせ給い候わば、あわれ、とくとく見参して、みずから申しひらかばや。語はふみにつくさず、ふみは心をつくしがたく候えば、とどめ候いぬ。」(南条兵衛七郎殿御書 新1831頁・全1498頁)文永元年12月 43歳御作
現代語訳:もし(日蓮より)先に旅立たれたならば、梵天・帝釈天・四大天王・閻魔大王等にも申し上げなさい。「日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子です」と名乗りなさい。よもや粗略な扱いはされないでしょう。ただし、一度は念仏、一度は法華経を唱えるという様に、二心があって、人の風聞を恐れる様な事がもしもあるならば、「日蓮の弟子」と名乗っても、お用いにはならないでしょう。後になって恨んではなりません。但し法華経は今生の祈りともなるのですから、ひょっとして生き延びられることがあれば、一刻も早くお会いして、日蓮からお話ししたいです。言葉を文章にしても尽くせません。文章は真心を尽くし難いので、これで留めます。
※南条兵衛七郎入道行増(?-文永2年)は南条時光の父で、北条家の家臣で氏は平氏であり、南条殿・上野殿と呼ばれるのは本冒頭の通りです。兵衛七郎は、大聖人から本抄(別名「慰労書」「小松原法難抄」)を賜って、念仏の執情を断って信心を貫いたとされています。
「浄土というも、地獄というも、外には候わず。ただ我らがむねの間にあり。これをさとるを仏という。これにまようを凡夫と云う。これをさとるは法華経なり。もししからば、法華経をたもちたてまつるものは、地獄即寂光とさとり候ぞ。たとい無量億歳のあいだ権教を修行すとも、法華経をはなるるならば、ただいつも地獄なるべし。このこと、日蓮が申すにはあらず、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏の定めおき給いしなり。されば、権教を修行する人は、火にやくるものまた火の中へいり、水にしずむものなおふちのそこへ入るがごとし。法華経をたもたざる人は、火と水との中にいたるがごとし。法華経誹謗の悪知識たる法然・弘法等をたのみ、阿弥陀経・大日経等を信じ給うは、なお、火より火の中、水より水のそこへ入るがごとし。いかでか苦患をまぬかるべきや。等活・黒縄・無間地獄の火坑、紅蓮・大紅蓮の氷の底に入りしずみ給わんこと疑いなかるべし。法華経の第二に云わく『その人は命終して、阿鼻獄に入らん。かくのごとく展転して、無数劫に至らん』云々。故聖霊はこの苦をまぬかれ給い、すでに法華経の行者たる日蓮が檀那なり。」(上野殿後家尼御返事 新1832-3頁・全1504-5頁)文永2年7月
現代語訳:浄土といっても地獄といっても外にあるのではありません。ただ我等の胸中にあるのです。これを悟るのを仏と言います。これに迷うのを凡夫と言います。これを悟ることができるのが法華経です。従って、法華経を受持する者は地獄即寂光と悟ることができるのです。たとえ無量億歳の間、権教を修行しても法華経から離れるならば、いつも地獄なのです。この事は日蓮が言うのではなく、釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏が定めおかれたのです。だから権教を修行する人は、火に焼かれる者がさらに火の中に入り、水に沈む者がますます淵の底に入る様なものです。法華経を受持しない人は火や水の中に入っていく様なものです。法華経誹謗の悪知識である法然や弘法をたのみ阿弥陀経や大日経等を信じている者は、なお火より火の中に、水より水の底に入るようなものです。どうして苦患をまぬかれることができるでしょうか。等活、黒繩、さらに無間地獄の火坑、紅蓮、大紅蓮地獄の氷の底に落ちて沈んでしまうことは疑いありません。法華経第二の巻の譬喩品に「其の人は命終して後、阿鼻地獄に堕ち、展り転って無数劫に至る」とあります。故聖霊はこの苦を免れています。既に法華経の行者である日蓮の檀那だからです。
※上野殿後家尼は、上野尼御前・上野殿母(尼)御前とも呼ばれ、松野六郎左衛門入道の娘・南条兵衛七郎の妻・南条七郎次郎時光や蓮阿尼(大石寺三祖日目上人の母)の母の事です。
本抄で浄土と地獄、仏と凡夫の定義を明確に述べられ、妙法受持の者は地獄即寂光と覚り、妙法誹謗の者は地獄に堕ちると戒めておられます。
「わがおやのわかれのおしさに、父の御ために、釈迦仏・法華経へまいらせ給うにや。孝養の御心か。さることなくば、梵王・帝釈・日月・四天、その人の家をすみかとせんとちかわせ給いて候。いうにかいなきものなれども、約束と申すことはたがわぬことにて候に、さりとも、この人々は、いかでか仏前の御約束をばたがえさせ給うべき。もしこのことまことになり候わば、わが大事とおもわん人々のせいし候。またおおきなる難来るべし。その時「すでに、このことかなうべきにや」とおぼしめして、いよいよ強盛なるべし。さるほどならば、聖霊、仏になり給うべし。成り給うならば、来ってまぼり給うべし。その時、一切は心にまかせんずるなり。かえすがえす、人のせいしあらば、心にうれしくおぼすべし。」(上野殿御返事<大難必定の事> 新1843頁・全1512頁)建治元年5月
現代語訳:親との別れを惜しんで父親の追善の為に、釈迦仏・法華経へ差し上げられたのでしょうか。孝養の御心でしょうか。その様な事が無ければ、梵王、帝釈、日天・月天、四天がその人の家を住処にしないと誓われたことでしょう。言ってもどうにもならない者であっても、約束という事は違えないのが常識ですので、この人々が仏前の御約束を違えられる事がどうしてあるでしょうか。もしこの事が本当なるのであれば、自身が大事と思う人々が信心を制止し、また大きな難が来るでしょう。その時に「まさにこの事が叶うに違いない」と確信して、いよいよ強盛に信心すべきです。そうであるならば、聖霊は成仏されるでしょう。成仏されたならば、来られて守護されるでしょう。その時、一切は心のままなのです。くれぐれも人の(信心の)制止が有ったならば、(難来るを覚悟して)心に喜びを感じていきなさい。
※まず亡父(南条兵衛七郎入道)への孝養を称えられ、信心を制止させようと大難が来るでしょうが、それを見破り、一層の信心に励むようにご教示されています。
「今の御心ざしみ候えば、故なんじょうどのは、ただ子なればいとおしとはおぼしめしけるらめども、かく法華経をもって我がきょうようをすべしとは、よもおぼしたらじ。たといつみありていかなるところにおわすとも、この御きょうようの心ざしをば、えんまほうおう・ぼんてん・たいしゃくまでもしろしめしぬらん。釈迦仏・法華経もいかでかすてさせ給うべき。かのちごのちちのなわをときしと、この御心ざし、かれにたがわず。これはなみだをもちてかきて候なり。」(南条殿御返事<大橋太郎の事> 新1860頁・全1534頁)建治2年閏3月 55歳御作
現代語訳:今の貴殿(南条時光)の御志を見ると、故南条殿は、親子であるから、いとおしいとは思われていたでしょうが、この様に法華経をもって自分の孝養をしてくれるだろうとは、よもや思われなかったでしょう。たとえ、罪があって如何なる所におられようとも、このご孝養の志を、閻魔法王も、梵天、帝釈天までも知っておられるでしょう。釈迦仏、法華経もどうして捨てられることがあるでしょうか。彼の稚児が父の縄をといたことと、貴殿の御志とは少しも違うものではありません。この返書を、涙によって書いているのです。
※南条時光の故父への孝養に関連して、本抄の前半で大聖人は、源頼朝の勘気を受けて囚われていた九州の大名・大橋太郎をその子息が法華経読誦の功徳で救った、という故事を詳しく引かれています。此処でも大聖人は、時光のご孝養の姿に感動されて述べておられるのですね。
「今、日蓮は、賢人にもあらず、まして聖人はおもいもよらず、天下第一の僻人にて候か。ただし、経文ばかりにはあいて候ようなれば大難来り候えば、父母のいきかえらせ給いて候よりも、にくきもののことにあうよりもうれしく候なり。愚者にて、しかも仏に聖人とおもわれまいらせて候わんことこそ、うれしきことにては候え。智者たる上、二百五十戒かたくたもちて、万民には諸天の帝釈をうやまうよりもうやまわれて、釈迦仏・法華経に『不思議なり、提婆がごとし』とおもわれまいらせなば、人目はよきようなりとも、後生はおそろし、おそろし。さるにては、殿は法華経の行者ににさせ給えり。うけたまわれば、もってのほかに、人のしたしきも、うときも、『日蓮房を信じては、よもまどいなん。上の御気色もあしかりなん』と、かとうどなるようにて御きょうくん候なれば、賢人までも人のたばかりはおそろしきことなれば、一定法華経すて給いなん。なかなか色みえでありせばよかりなん。大魔のつきたる者どもは、一人をきょうくんしおとしつれば、それをひっかけにして多くの人をせめおとすなり。」(上野殿御返事<梵帝御計らいの事> 新1866-7頁・全1538-9頁)建治3年5月 56歳御作
現代語訳:今、日蓮は賢人でもなく、ましてや聖人とは考えもせず、天下第一のひねくれ者でしょうか。ただ経文にだけは符合している様に大難が起こって来たのですから、父母が生き返られた事よりも、憎い者が事故にあった事よりも嬉しいことです。愚者でありながら、しかも仏に聖人と思われる事こそ嬉しいことです。智者である上に二百五十戒を固く持って、万民には諸天が帝釈を敬う事よりも敬われても、釈迦仏や法華経に「不審である。提婆達多の様だ」と思われたならば、人目は良い様であっても後生は恐ろしいことです。重ねて恐ろしいことです。ところで、殿が法華経の行者に似ていると伝え聞くと、思いの外に親しい人も疎遠な人も「日蓮房を信じては、さぞかし苦労するでしょう。主君のおぼえも悪かろう」と味方の様なふりをして教訓します。そうすると、賢人でさえも人の謀り事は恐ろしいことなので、必ず法華経を捨てられるでしょう。かえって素振りを見せない方が良いでしょう。大魔がついた者達は、一人を教訓して退転させると、それをきっかけにして多くの人を攻め落とすのです。
※大聖人は、ご自身をひねくれ者ではないかと卑下されていますが、経文通りに「大難来る」を御存知で行動されておられるので明確に聖人なのですね。本抄では、法華経の行者である南条時光に、魔人が甘い誘いで正法を退転させるべく働きかけて来るが、信心を貫く様にご教示されています。
「日蓮が弟子等の中に、なかなか法門しりたりげに候人々は、あしく候げに候。南無妙法蓮華経と申すは、法華経の中の肝心、人の中の神のごとし。これにものをならぶれば、きさきのならべて二王をおとことし、乃至、きさきの大臣已下にないないとつぐがごとし。わざわいのみなもとなり。正法・像法にはこの法門をひろめず。余経を失わじがためなり。今、末法に入りぬれば、余経も法華経もせんなし、ただ南無妙法蓮華経なるべし。こう申し出だして候もわたくしの計らいにはあらず、釈迦・多宝・十方諸仏・地涌千界の御計らいなり。この南無妙法蓮華経に余事をまじえば、ゆゆしきひが事なり。日出でぬれば、とぼしびせんなし。雨のふるに、露なにのせんかあるべき。嬰児に乳より外のものをやしなうべきか。良薬にまた薬を加えたることなし。」(上野殿御返事<末法要法の事> 新1874頁・全1546頁)弘安元年4月 57歳御作
現代語訳:日蓮の弟子達の中に、法門を知った振りをする人々が、(かえって)間違いを犯している様なのです。南無妙法蓮華経というのは、法華経の肝心で、人の魂の様なものです。これに事物を並べる事は、后が二人の王を夫とし、また后が大臣以下の者に内密に情を通じる様なものであって、災禍の根源なのです。正法や像法にはこの法門を弘める事はありませんでした。それは余経を失わせない為です。今末法に入ったならば、余経も法華経も無益であり、ただ南無妙法蓮華経以外に益は無いのです。こう言い出したのも、私見ではありません。釈尊・多宝如来・十方の諸仏・地涌千界の菩薩の考え定められた事なのです。この南無妙法蓮華経に余の修行を交えるならば、大変な間違いです。太陽が出たならば、灯は無意味です。雨が降ったなら、露は何の役に立つでしょうか。赤児には乳より外の物を与えるべきでしょうか。良薬にまた他の薬を加えることは無いのです。
※本抄は、南条時光の御供養に感謝し、石河兵衛入道(夫人は時光の姉)の姫御前の死去について述べられ、姫御前が臨終の際に念仏を唱えず題目を唱えた事を称えられ、「末法では南無妙法蓮華経以外には益なし」と種脱相対した妙法信仰の立場を説かれているのですね。
[128] 題名:フェイク 第1779号
名前:宿坊
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投稿日:
2025/01/05(日) 01:38
2a02:6ea0:e00b:0:55a8:a165:6bbe:b9d6(IPv6:) (2a02:6ea0:e00b:0:55a8:a165:6bbe:b9d6)
(発行=25.01.04)
今年も減少、やはり八十万達成は虚報
邪宗・日蓮正宗各末寺の寂しい元旦勤行
常在寺、常泉寺など主な寺も低迷
邪宗・日蓮正宗各末寺の寂しい元旦勤行 日蓮正宗の各末寺の元旦勤行の参加
者が今年も減少したことが法華講連合会の有力筋、及び宗門の複数の関係者の
話で明らかになった。
なかでも前布教部長の阿部日明が居座っている常在寺(豊島区南池袋)、重役の
藤本日潤がいる常泉寺(墨田区向島)、能化である髙野日安の平安寺(京都市右
京区)をはじめ常生寺(さいたま市、住職は平野選道)、法常寺(銚子市、小栁雄
剛)、興福寺(広島市、濱﨑永行)、妙源寺(松山市、大橋慈興)、立正寺(福岡市、
岩城永学)など主要な末寺でも参詣者が軒並み減っているということだ。
初詣といえば、明治神宮(東京)、川崎大師(神奈川)、伏見稲荷神社(京都)、住
吉大社(大阪)、鶴岡八幡宮(神奈川)、浅草寺(東京)、熱田神宮(愛知)、氷川神
社(埼玉)、太宰府天満宮(福岡)などが参詣者数で例年、上位を占めている。
これらの神社仏閣は毎年、数百万人の初詣の人達で賑わう。更に、それらを大
きく上回って最大規模となるのは創価学会の会館に歓喜に燃えて集う人々によ
る新年勤行会である。今年も世界百九十二ケ国・地域のSGIメンバーが「世
界青年学会 飛翔の年」を勇躍、スタートした。
それに比べて日蓮正宗の末寺は寂しいもので、なかには元旦勤行を実施できな
かった末寺もあったようだ。
某末寺の坊主の話によると「以前は三日と四日に大石寺への初登山を実施して
いたので、全体の約半数近くの末寺では元旦に引き続いて二日にも勤行会を行
っていた。だが、平成二十六年から二日と三日に初登山を実施するように変更
になったので、二日の勤行会が出来なくなり、末寺への参詣者が減った」との
ことだ。
ところが、それで本山への初登山者が増えたかと言うと、そうでもない。
宗門関係者によると、二日の登山者数は一万数千人で、御開扉は三回。三日の
登山者数は約五千人程度だったという。宗門が「邪宗だ、謗法だ」と批判して
いる神社仏閣の参詣者の数百万人とは比較にもならないほど少ない。
この醜態を見ると、宗門の各末寺で法華講員が増えていないことが分かる。
改革同盟の渡辺雄範住職は「早瀬日如は実践した体験がないから折伏が難事中
の難事とは知らずに、お寺に連れて来るだけだから簡単だろう、と能天気なこ
とを言っていた」とのことだ。
その日如が「法華講員八十万体勢の構築」と出来もしない目標を打ち出し、令
和三年一月一日付「大白法」に掲載の「新年の辞」で「日本国内寺院所属の法
華講員の総計が八十万人を超え、見事誓願を達成することが出来ました」と突
然、発表した。
この「法華講員八十万体勢の達成」が真っ赤なウソで、無謀な打ち出しが無残
な結果に終ったことは明白だ。実際の信者数は八十万人の約二割弱で、今も低
迷しているのが実情である。
[123] 題名:師匠と我らとの関係 26(伊豆及び甲斐方面の門下に宛てられた御抄)
名前:サム
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投稿日:
2024/12/25(水) 10:38
119-229-83-134f1.osk3.eonet.ne.jp (119.229.83.134)
師匠と我らとの関係 26(伊豆及び甲斐方面の門下に宛てられた御抄)
「伊豆方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係
大聖人は、弘長元(1261)年5月12日から伊豆の伊東(静岡県伊東市)に流罪され、弘長3年2月22日に赦免となるまでの2年弱、当地で苦難の生活を送られています。
「我ら衆生、無始よりこのかた生死海の中にありしが、法華経の行者となりて、『無始色心、本是理性、妙境妙智(無始の色心は、本よりこれ理性にして、妙境・妙智なり)』の金剛不滅の仏身とならんこと、あにかの仏にかわるべきや。過去久遠五百塵点のそのかみ『唯我一人』の教主釈尊とは、我ら衆生のことなり。法華経の一念三千の法門、『常住此説法』のふるまいなり。かかるとうとき法華経と釈尊にておわせども、凡夫はしることなし。寿量品に云わく『顚倒の衆生をして、近しといえども見ざらしむ』とは、これなり。迷悟の不同は沙羅の四見のごとし。一念三千の仏と申すは、法界の成仏ということにて候ぞ。(中略)
凡夫即仏なり、仏即凡夫なり。一念三千・我実成仏これなり。しからば、夫婦二人は、教主・大覚世尊の生まれかわり給いて日蓮をたすけ給うか。伊東とかわなのみちのほどはちかく候えども、心はとおし。後のためにふみをまいらせ候ぞ。」(船守弥三郎許御書 新1723-4頁・全1446頁)弘長元年6月 40歳御作
現代語訳:我等衆生は、無始よりこのかた生死海の中にありましたが、法華経の行者となって「無始の色心は本よりこれ理性にして、妙境・妙智である」と、金剛不滅の仏身となるであろうことが、どうして彼の釈迦仏に替わることでしょうか。過去久遠五百塵点のその初の唯我一人の教主釈尊とは我等衆生の事なのです。(これが)法華経の一念三千の法門であり、仏の常住此説法の振る舞いなのです。この様な尊い法華経と釈尊なのですが、凡夫は知らないのです。寿量品にいう「顛倒の衆生をして近しと雖も而も見えざらしむ」とはこの事をいうのです。迷いと悟りによって不同があるのは、釈尊在世の人々が沙羅林を四通りに見てきた様なものです。一念三千の仏というのは、法界の全てを成仏することなのです。(中略)
凡夫は即ち仏であり、仏は即ち凡夫です。一念三千、我実成仏とはこの事です。そうであるならば、弥三郎殿夫婦二人は教主大覚世尊が生まれ変わられて日蓮を助けらてたのでしょう。伊東と川奈の道程は近いけれども心は遠いです。後日の為に文を差し上げておきます。
※沙羅林の四見とは、沙羅林も衆生の機根・境涯により見え方が違い、像法決疑経には、①土沙草石壁、②金銀七宝の清浄荘厳せる処、③三世諸仏所行の処、④不可思議諸仏の境界にて真実の法体と見る、とあります
船守弥三郎(生没年不詳)は、伊豆伊東の川奈の漁師、大聖人が伊豆に流罪された時、夫婦揃って大聖人を外護されました。 本抄は、別名「伊豆配流事」と云い、大聖人は船守弥三郎夫妻に感謝され、御供養の功徳を述べられ、必ず成仏すると約束されています。
「経は法華経、顕密第一の大法なり。仏は釈迦仏、諸仏第一の上仏なり。行者は法華経の行者に相似たり。三事既に相応せり。檀那の一願、必ず成就せんか。」(「新田殿御書 新1725頁・全1452頁)弘安3年5月 59歳御作 新田信綱夫妻に贈る
現代語訳:経は法華経であり、顕密第一の大法(顕教・密教の二教の中で最も優れた教法)です。仏は釈迦仏であり、諸仏の中の第一の仏です。行者は法華経の行者に相似しています。三事は既に相応しています。檀那の一願は必ず成就するでしょう。
※新田四郎信綱(生没年不詳)は、伊豆国仁田郡畠(静岡県田方郡畑毛)に住み、日蓮正宗第三祖日目師の兄に当たります。本抄で、仏(釈迦仏)法(法華経)僧(法華経行者)の三宝(三事)が具わっている檀那の祈りは、必ず成就すると説いています。
「甲斐方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係
甲斐は甲州とも云い、現在の山梨県に当り、大聖人が佐渡配流から帰られ文永11(1274)年5月から弘安5(1282)年9月までの晩年9年間を過ごした身延(山梨県南巨摩郡身延町)も同地方に含まれます。
「日蓮、凡夫たるの故に仏教を信ぜず。ただし、このことにおいては水火のごとく手に当ててこれを知れり。ただし、「法華経の行者有れば、悪口・罵詈・刀杖・擯出せらるべし」等云々。この経文をもって世間に配当するに、一人もこれ無し。誰をもってか法華経の行者となさん。敵人は有りといえども、法華経の持者は無し。譬えば、東有って西無く、天有って地無きがごとし。仏語妄説と成る、いかん。予、自讃に似たりといえども、これを勘え出だして仏語を扶持す。いわゆる日蓮法師これなり。」(波木井三郎殿御返事 新1810頁・全1371頁)文永10年8月
現代語訳:日蓮は凡夫である為に、仏の教えを信じる事ができません。但し、ここに述べた事については、水や火の様に、手に当てて(その冷たさ、熱さがわかる様に)知ることができるのです。但し、「(末法に)法華経の行者がいるならば、悪口され、ののしられ、刀杖を加えられ、所を追い出されたりするであろう」と説かれています。この経文をもって、(現在の日本国の)世間に当てはめてみると、一人もこの文に当てはまる人はいないのです。いったい、誰を法華経の行者としたらよいのでしょうか。(法華経の行者の)敵人はいるけれど、(真実の)法華経を持つ者はいません。たとえば、東が有って西が無く、天が有って地の無い様なものです。(これでは)仏の言葉は妄説となってしまうが、どうですか。私(日蓮)が、自讃に似ているけれども、これ(法華経の行者は誰か)を考え出して仏の言葉を扶け顕わしましょう。いわゆる日蓮法師(私)が、これ(法華経の行者)なのです。
※本抄の波木井三郎は、波木井六郎実長(貞応元年~永仁5年)と云い、甲斐源氏の末裔・甲州南部三郷(波木井・御牧・飯野)の地頭ですが、日蓮門下となり、後に入道して法寂房日円と称します。南部三郎光行の六男で南部六郎実長とも呼ばれていました。
大聖人は、本抄でも明らかに御自身が法華経の行者である事を宣言されていますね。
「貴辺は、武士の家の仁、昼夜殺生の悪人なり。家を捨てずしてこのところに至って、いかなる術をもってか三悪道を脱るべきか。能く能く思案有るべきか。法華経の心は、当位即妙・不改本位と申して、罪業を捨てずして仏道を成ずるなり。天台云わく『他経は、ただ善にのみ記して悪に記せず。今経は皆記す』等云々。妙楽云わく『ただ円教の意のみ、逆即是順なり。自余の三教は逆順定まるが故に』等云々。爾前分々の得道の有無のこと、これを記すべしといえども、名目を知る人にこれを申すなり。しかりといえども、大体これを教うる弟子これ有り。この輩等を召して、ほぼこれを聞くべし。その時これを記し申すべし。」(波木井三郎殿御返事 新1813-4頁・全1373頁)
現代語訳:あなたは武家の人であり、昼夜にわたって殺生を生業とする悪人です。家を捨てず、世間を離れないまま、現在に至っては、どの様な方法で、未来に三悪道を免れる事ができるのでしょうか。よくよく思案されるべきです。法華経の本意は、「当位即妙・不改本位」といって、罪業を捨てずに、その身のまま成仏することができるのです。天台大師は文句の七に「法華経以外の他経は、但善人にのみに成仏を許して、悪人に成仏を許していない。法華経は全ての人に平等に成仏を記している」と言っています。妙楽大師も文句記の八に「ただ円教たる法華経の本意は、逆がそのまま順となるという事である。それ以外の別教、通教、蔵教すなわち爾前経は逆は逆、順は順と定まってしまっている」と言っています。爾前経に分々の得道が有るか無いかという事も、ここに記さなければなりませんが、(この問題は)仏教の名目をよく知っている人に述べています。
※武士の本業が、武闘だからといって悪人(殺生の罪)なのかどうかは別として、「法華経は万人皆成仏の法」である事を文証を引いて御教示されています。大聖人滅後、大聖人の教えに背き日興上人の身延離山の因と成る数々の謗法を犯したのは無念ですね。
「『有情は生死の六道を輪廻す』と申して、我らが天竺において師子と生まれ、漢土・日本において虎・狼・野干と生まれ、天には鵰・鷲、地には鹿・蛇と生まれしこと数をしらず。あるいは鷹の前の雉、猫の前の鼠と生まれ、生きながら頭をつつきししむらをかまれしこと数をしらず。一劫が間の身の骨は、須弥山よりも高く、大地よりも厚かるべし。惜しき身なれども、云うに甲斐なく奪われてこそ候いけれ。しかれば、今度、法華経のために身を捨て命をも奪われ奉れば、無量無数劫の間の思い出なるべしと思い切り給うべし。」(大井荘司入道御書 新1822-3頁・全1377頁)建治2年2月
現代語訳:「有情(感情や意識を持つ全ての生類)は生死六道を輪廻する」と云われ、我々がインドで師子と生まれ、中国や日本においては虎や狼や野干と生まれ、天には鵰や鷲と生まれ、地には鹿や蛇と生まれた事は数知れません。或いは鷹の前の雉や猫の前の鼠と生まれ、生きながら頭をつつかれ、肉を噛まれたりしたことも数えきれません。(こうして)一劫の間(生まれては死ぬを繰り返し)の我が身の骨は須弥山よりも高く、大地よりも厚いでしょう。惜しい我が身ですが、言うに甲斐も無いほど簡単に生命を奪われて来たのです。そうであれば、今度、法華経の為に身を捨て、命を奪われるならば、これこそ無量無数劫という長い間の、この上ない思い出となると、思い切ってください。
※大井荘司入道(生没年不明)は、甲斐源氏の流れをくむ甲斐国(山梨県)大井荘の荘務めを司る荘司であり、孫に肥前房日伝がいます。本抄は、前文で「登竜門の譬え」から成仏の難しさを、本文では「生死の六道輪廻」から法華経信徒の尊さを説いておられますね。
◎大聖人は、「賢人の習い、『三度国をいさむるに、用いずば山林にまじわれ』ということは定まるれいなり」(報恩抄 新253頁・全323頁)との古例にならって当時の幕府所在地を離れ、身延の地で広宣流布の大願を託して各地に散在している強信な弟子檀那に御文を通して折伏戦の総指揮を執られると共に、令法久住の為に御弟子の育成に尽力されたのですね。
[122] 題名:「サムさんとやら」さん 又は 「それって悪魔の証明の類でしょう」さん
名前:サム
◇
MAIL
投稿日:
2024/12/19(木) 14:33
119-229-83-134f1.osk3.eonet.ne.jp (119.229.83.134)
(いい加減な名前の人)へ
>そもそもサムなる御仁が何ら根拠なく当方を法華講員と決めつけた上で、お門違いの質問を吹っかけてきたので、こちらの見解を提示したまでのことですよ。
私を名指しして頂いた事に感謝です。
でも、私は、貴方を「法華講員さん」と決めつけて申したのではありませんよね。
「もし~ならば」とお尋ねして、「そうであればお答えください」と質問したのです。
そして、貴方の言いがかりが始まったのです。
>まもなく傘寿を迎えられるご老人に今さら物申すのも詮無いことではありますが、
特定の宗教ドグマに固執し、辻褄合わせの言葉遊びに没入する日常を虚しく思わないですか?
まるで創価学会が自分の世界のすべてになっているかのような貴方ご自身、
今日までほんとうに幸せな人生を送ってこられたと言えますでしょうか…?
〇であれば、私の体験談記事を是非見てください。
現在、年金生活ながら、ボランティア活動も含めて、充実した余生を送っていますので、ご心配なく。
>功徳は〝受ける〟ものではなく、、、
本来の語義は梵語で人徳を意味するgunaの音訳であって
功徳は自らが〝積む〟もの。見返りを求めずして他者へ施す善行の謂です。
どういうわけだか昔から大石寺系教団というか富士門流界隈では、功徳を〝御利益〟の同義語と見なす誤用が罷り通っていますね…
〇功徳について、多くの解釈があるでしょう。
仁王般若経疏巻上には「功徳とは、功に施すを功と名づけ、己に帰すを徳と云う」
勝鬘宝屈巻上には「徳は得なり、功は修めて所あるが故に功徳と名づけるなり」
法華経法師功徳品には「法華経を受持・読・誦・解脱・書写する功徳として六根清浄の果報を得る(以是功徳。荘厳六根。皆令清浄。<是の功徳を以って、六根を荘厳して、皆清浄ならしめん>)」(略す)
此処から御義口伝巻下には『「功徳」とは、「六根清浄」の果報なり。詮ずるところ、今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、「六根清浄」なり。されば、妙法蓮華経の法師と成って大いなる徳い有るなり。「功」も幸いということなり。または、悪を滅するを「功」と云い、善を生ずるを「徳」と云うなり。「功徳」とは、即身成仏なり。また「六根清浄」なり。法華経の説文のごとく修行するを、「六根清浄」と意得べきなり云々。』
とあります。
私は、単なる「受ける」だけの意味ではなく、「修行して自己を人間形成する」事を述べているつもりです。
日蓮仏法の私なりの解釈 3 (功徳と利益の形態 前) | 明るい未来へ弟子として生きる
個人情報の保護も大切ですが、貴方は、自身の立場やハンドルネーム(もしや「セロニアス」さん)を明らかにせず、当掲示板を何の権限も無いのに勝手に否定する事は如何なものでしょうか。
[121] 題名:小作人・散骨・セロニアスさんへ
名前:環状線 外回り 天王寺駅
◇
MAIL
投稿日:
2024/12/17(火) 22:40
2a0a:8f40:9:2000:ef81:7a5f:dfaf:f615(IPv6:) (2a0a:8f40:9:2000:ef81:7a5f:dfaf:f615)
<<たしか黒川某のツイートでは2017年末に閉業されたそうで、、、
ストリートヴューの画像を見る限り居住実態の有無も確認が難しいですね。
今どちらにお住まいか存じませんが、ずいぶん前から経済的困窮を強いられて
きたんじゃないですか?
さる筋から借金を肩代わりする条件で当該掲示板を池田原理主義者ホイホイ仕
様に改変させられたんじゃないですか? 反執行部を詐称する得体のしれない
有象無象に事実上、板を乗っ取られるような形で、>>
⇒ 板を乗っ取られるとか借金とか、何の確認もせず牛のよだれみたいに、
次から次へウソを書き連ねる、世間広しと雖もこのようなアンポンタンが
存在するとは世も終わりですな。
小作人・散骨は 黒川=れいな の何を知っているのかな?
どのような人物か、信用に足る人かどうか、
何しろ憶測、推測、思い込み、決め付け、
貴方は信用ではない人物だと断定。
[120] 題名:創価学会 非活プログ 【 即身成仏について 】 破折
名前:環状線 外回り 天王寺駅
◇
MAIL
投稿日:
2024/12/17(火) 18:12
2a0a:8f40:9:2000:ef81:7a5f:dfaf:f615(IPv6:) (2a0a:8f40:9:2000:ef81:7a5f:dfaf:f615)
「即身成仏」という語は法華経に説かれたものではありません。
言ってしまうと、「即身成仏」という概念は弘法大師空海によって
作られた造語です。
(弘法大師空海 774年〈宝亀5年〉- 835年)
https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2016/12/08/061405
【即身成仏】
妙楽の『文句記』巻八の四には「若し即身成仏にあらずば、此の竜
女の成仏及び胎経の偈は云何が通ぜんや」とある。また、『法華経』
提婆達多品第十二に説かれる八歳の竜女の成仏について最澄の『法
華秀句』巻下・即身成仏化導勝八には「能化所化倶に歴劫無し。妙
法の経力を以て即身に成仏す」と見える。これらの釈から、即身成
仏の義は『法華経』の義によって天台家で立てた主要の法門である
ことが知られる。
(妙楽大師 711年から782年まで生きた人物)
非活プログの間違いです。
[119] 題名:小作人・散骨・セロニアスさんへ
名前:環状線 外回り 天王寺駅
◇
MAIL
投稿日:
2024/12/17(火) 17:33
2a0a:8f40:9:2000:ef81:7a5f:dfaf:f615(IPv6:) (2a0a:8f40:9:2000:ef81:7a5f:dfaf:f615)
>こんな与太話を書き散らしている連中をいつまでのさばらしておきますか?
https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=10607
⇒ これが与太話なら名誉毀損! 中国共産党から暗殺されるでしょう。
君の場合は憶測、推測、思い込み、決め付け等々与太話としている点。
創価学会非活ブログの掲示板は何の興味もありません。小作人が一人で満足していたらよろしい。
>だいたい弘安二年(という設定)から時間が経過してるのだから後代の法主が書写に際して仏滅後の年数ぐらいは変えてくるでしょう。
⇒ 勉強不足これも憶測、推測、思い込み、決め付け、無知をさらけ出しています。
小作人・散骨・セロニアスさん、貴方は円滑な人間関係を構築するのが出来ない、
呼ばれてもいないのに横から食ってかかってひたすら意味不明の罵詈雑言を並べ立てるしか能しか持ち合わせていない。
そもそも宿坊の掲示板と小作人・散骨・セロニアスさんとは何の関係もないはず。
それともあるのですか?
常に難癖つけてきてログ流し、恥の上塗りになるだけだから、もうやなさい。
学会の教義に間違いがあるのなら、学会本部に言いなさい。来るところが間違っています。
小作人・散骨・セロニアスさん、無意味な投稿は削除します。
[118] 題名:やはり自宅からは投稿ブロックされるな
名前:さあ宿坊こと土井庸禎さん
◇
MAIL
投稿日:
2024/12/17(火) 16:19
118.103.63.157 (118.103.63.157)
外出先からの書き込みも難儀するね。
ほんでもって宿坊こと土井さん。あちらの掲示板、斬り捨て御免みたいなネット廃人は論外として、こんな与太話を書き散らしている連中をいつまでのさばらしておきますか?
https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=10607
https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=11495
いやしくも「宿坊の掲示板」と銘打ってるんだから貴方の沽券にかかわることでしょう?
それとも所詮こいつらの同類だったんですか?貴方も。
師走で多忙なんでしばらくロム専に戻りますが、鶴首して貴方(たち)が処断を下すか否かしばらく見守ることにしませう。
横からちょっかいかけてくるアタオカは無視することにして。
さて仕事に戻るとするか…
[117] 題名:116の方
名前:それ、キャラ作ってるつもり?
◇
MAIL
投稿日:
2024/12/17(火) 16:16
118.103.63.157 (118.103.63.157)
https://bbs1.sekkaku.net/bbs/78e866k4jc/log=116
まず前半は私じゃなくて気楽非活さんのブログ内の文言への難詰のつもりだろうけど、
それなら書いた本人に直接問い質したほうがいいでしょう。
ブログのプロフィール欄に連絡先を明記してありますよ。まあ返り討ちにあうのが関の山でしょうが…
だいたい弘安二年(という設定)から時間が経過してるのだから後代の法主が書写に際して仏滅後の年数ぐらいは変えてくるでしょう。
後半部分は土井さん宛に書いたのに何で貴方がコメントするの?
もしかして貴方、宿坊=土井庸禎さんご本人なんですか? たぶん違うと思いますが。
https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2018/08/12/000000
>ジョン・ロールズは社会を規律する正義の論理は、他者と共存するための相互の合意によって成立するものと考えました。
>正義とは自分たちの無謬性を否定し、相互の合意によって構成されなければならないものだと私は思います。
貴殿が土井さんなのか全く無関係の他人かは存じませんが、普段から教団コミュニティという「閉ざされた世界」に引きこもってしまって、異なる思想や価値観を持つ人と触れ合う機会もないから他者と共存するための相互の合意なんてまず不可能なわけです。円滑な人間関係を構築するのが困難だから。
だから呼ばれてもいないのに横から食ってかかってひたすら意味不明の罵詈雑言を並べ立てるしか能がないのでしょう。
これ以上ヘタな難癖つけてきても恥の上塗りになるだけだから、もうやめときなさい。
ネットに入り浸ってばかりいないで現実社会に根を張り、まともな対人関係が築けるよう努力したほうがいいんじゃない?
さて、土井庸禎さん。
いつまでも逃げてないで早急に決断を下しなさい。
[116] 題名:小作人・散骨・セロニアスさんへ
名前:環状線 外回り 天王寺駅
◇
MAIL
投稿日:
2024/12/16(月) 18:53
2a02:6ea0:c132:0:86bd:27a0:9371:5cb4(IPv6:) (2a02:6ea0:c132:0:86bd:27a0:9371:5cb4)
>大石寺の法主の書写した本尊というものは基本として「戒壇本尊を書写したもの」となっているのですから、
>それを根本尊敬として本部の本尊とすることは矛盾します。
⇒ 矛盾しているのは小作人・散骨・セロニアスの方でしょう。
ちゃんと確認作業をしなさい。されたのなら判ると思うが、歴代法主書写本尊は『仏滅後二千二百三十余年之間』で、
戒壇本尊は『仏滅後二千二百二十余年之間』です。
>大石寺4世日道・『三師御伝土代』
『御伝土代』の編者は大石寺4世日道ではなく、大石寺第六世日時です。
>今はどうか知りませんが旧板では台湾独立派の関係者も絡んでたみたいですね。
>埼玉S氏の査問騒動のころ唐突に電話を寄越した後輩がいろいろ内情を探っていたようです。
>中3まで鶏の足が4本と思い込んでたのにちなんだハンネでしばらくのあいだ書き込んでいた
>のが、運営側から恫喝か脅迫を受けたのか、錯乱状態になり音信不通になってしまいました。
>いいかげん腹を括りなさい。洗いざらいぶち撒けたら済む話です。
何を言いたいのか全く判らず、理解不能です。
内容を見れば日蓮正宗、創価学会に恨みを持っているみたいだね。
いまだに親鸞上人のこと好きなの!