【広告】楽天スーパーセール開催ポイント最大11倍です12月11日まで開催中

宿坊2の掲示板


名前
Eメール
題名
内容
写真

URL
削除キー 項目の保存

[163]

題名:フェイク 第1789号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2025/08/11(月) 17:02 2a02:6ea0:e00c:0:1b85:45c2:40f7:14bd(IPv6:) (2a02:6ea0:e00c:0:1b85:45c2:40f7:14bd)

(発行=25.08.09)

法華講富士地方部長の清功が死去
浅間神社でお祓い、玉串奉納など参詣の常連
日如は謗法行為を教導できず黙認

日蓮正宗法華講連合会の理事で富士地方部長の清功(せい・たくみ、写真)が
八日の早朝、病気療養のため入院していた富士市立中央病院で死去した。

享年八十六歳。清功は浅間神社に参拝してはお祓いをうけ、参列者を代表して
玉串を奉納し、浅間大社氏子青年会と一緒に万歳を三唱(写真下)するなど謗法
の常習犯であった。

そのため大石寺総代でありながら神社の行事に参列して拝礼するだけではなく、
神札まで奨励していた井出光彦と共に〝大石寺の二大謗法幹部〟と言われてい
たのである。

清功は平成二十四年九月七日、富士山本宮浅間大社の拝殿で中村徳彦宮司を祭
司として富士山の夏山シーズンの終わりを告げる閉山祭に大社役員、氏子衆や
崇敬者などと共に参列。お祓い(写真下)の後、神職が約二ヶ月間にわたる開山
の終了を報告する祝詞をあげ、清功は参列者を代表して玉串を奉納した。

翌二十五年七月一日には富士山お山開きで富士山本宮浅間大社と富士根本宮村
山浅間神社で登山の無事・安全を祈願する神事が行なわれた時も清功は参加し
た。

西山本門寺の僧と同座

また、平成二十九年六月六日、富士宮市・西山本門寺の境内にある織田信長の
首塚で行われた「信長公供養祭」にも参列していた。

信長は天正十年(一五八二年)六月二日、京都本能寺に宿泊していた時、家臣
の明智光秀の謀反によって襲撃され、非業の死を遂げたが、信長の遺体は見つ
からなかった。

そのため、密かに脱出して別の場所で自害したという説とか、信長を慕う僧と
配下によって人知れず埋葬されたという説などが後世に流布した。

また、事件当時も信長の生存説が流れ、光秀と対立する羽柴秀吉は、この噂を
利用して、味方を増やそうとしたと言われている。

西山本門寺の境内に信長の首が埋葬されているとの伝説があり、「信長公首塚」
が築かれている。供養祭を主催したのは信長公奉賛会で、同会は「織田信長公
を供養し、会員相互の親睦を図る」ことを目的に、平成二十三年に設立された。

供養祭は西山本門寺・大詮坊の本間裕史住職をはじめ浄円坊、妙円坊の僧侶達
が経を上げ、法華講の富士地方部長の清功も同座して合掌し、焼香していた。

この清功に対して日如は謗法を指摘したこともなく、教導も出来ず黙認してい
た。




Number
Pass

ThinkPadを買おう!
レンタカーの回送ドライバー
【広告】楽天スーパーセール開催ポイント最大11倍です12月11日まで開催中
無料で掲示板を作ろう   情報の外部送信について
このページを通報する 管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板