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宿坊2の掲示板


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題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 4

名前:サム

MAIL 投稿日: 2025/05/19(月) 22:48 119-229-83-134f1.osk3.eonet.ne.jp (119.229.83.134)

御書拝読で判る大聖人のお立場 4


第四章 弘教拡大と法難の連続(佐渡以前)

大聖人は、別世界の仏を説き現実逃避を促す等の諸宗によって立てられた諸仏を久遠の教主釈尊に帰一させ、法華経を通して諸宗を統一させようとしました。すると、大聖人の身に、正法の拡大と共に法難が続出します。それに由って、正統な法華経の行者としての確信が生まれたのですね。


「日蓮は身に戒行なく、心に三毒を離れざれども、『この御経を、もしや我も信を取り、人にも縁を結ばしむるか』と思って、随分世間のことおだやかならんと思いき。世末になりて候えば、妻子を帯して候比丘も人の帰依をうけ、魚鳥を服する僧もさてこそ候か。日蓮は、させる妻子をも帯せず、魚鳥をも服せず、ただ法華経を弘めんとする失によりて、妻子を帯せずして犯僧の名四海に満ち、螻蟻をも殺さざれども悪名一天に弥れり。恐らくは、在世に釈尊を諸の外道が毀り奉りしに似たり。『これひとえに、法華経を信ずることの余人よりも少し経文のごとく信をもむけたる故に、悪鬼その身に入ってそねみをなすか』とおぼえ候えば、これ程の卑賤・無智・無戒の者の、二千余年已前に説かれて候法華経の文にのせられて、『留難に値うべし』と仏記しおかれまいらせて候ことのうれしさ、申し尽くし難く候。
この身に学文つかまつりしこと、ようやく二十四・五年にまかりなるなり。法華経を殊に信じまいらせ候いしことは、わずかにこの六・七年よりこのかたなり。また、信じて候いしかども、懈怠の身たる上、あるいは学文といい、あるいは世間のことにさえられて、一日にわずかに一巻・一品・題目ばかりなり。去年の五月十二日より今年正月十六日に至るまで二百四十余日のほどは、昼夜十二時に法華経を修行し奉ると存じ候。その故は、法華経の故にかかる身となりて候えば、行住坐臥に法華経を読み行ずるにてこそ候え。人間に生を受けて、これほどの悦びは何事か候べき。(四恩抄 新1214-5頁・全936-7頁)弘長2年 41歳御作
現代語訳:日蓮は身に戒を行じていなくて、心も貪・瞋・癡の三毒から離れていませんが、「この法華経をおそらく私も信じ、人にも縁を結ばせられるだろう」と思い、(だから)随分世間の自分に対する扱いも穏やかになるだろうと思っていました。(ところが)世が末になってみれば、妻子を持っている比丘も人の帰依を受け、魚や鳥を食べる僧でも(帰依を受けるのが当然と)存在しています。日蓮は、そうした妻子も持たず、魚や鳥をも食べず、ただ法華経を弘めようとする罪によって、妻子を持たないのに犯僧(**(確認後掲載)を犯した僧侶)の名が国中に満ち、螻や蟻をも殺さないけど悪名が天下にはびこってしまいました。恐らくは、在世に釈尊を多数の外道が毀った事に似ているのです。「これは偏に、法華経を信ずる事により、人よりも多少経文通りに信仰した為に、悪鬼が(世間の民の)身に入って、嫉妬するのでしょう」と考えれば、これほどの卑しくて・無智で・無戒の僧である者(自分)が、二千余年も以前に説かれた法華経の文に乗せられ、「(法華経の行者は必ず)留難に値うであろう」と仏が記し遺された事の嬉しさは、いい尽くし難いことです。
この身(日蓮)が仏法を学ぶこと漸く24、5年になります。(その内、)法華経を特に信じてきたのはわずかにこの6、7年以降です。また、信じてはいましたが、懈怠(怠ける)の身である上に、学問・研鑽や世間の事に妨げられて、(法華経に打ち込む事は)一日にわずかに一巻・一品・題目ばかりでした。(だが)去年の弘長元年5月12日(伊豆流罪の日)から今年の正月16日に到るまでの240余日の間は、昼夜暇なく法華経を修行させて頂いたと確信しています。その理由は、法華経の故にこの様な流罪の身となったので、行住坐臥に法華経を身で読み行じたのです。人間世界に生を受けて、これほどの悦びが他にあるでしょうか。
※伊豆流罪は立宗8年後の大聖人40歳の時で「法華経の故に流罪の身となり、行住坐臥に法華経を身で読み行じたのです。これほどの悦びが他にあるでしょうか。」との御文に、草創の大聖人の弘教に対する御覚悟が覗えます。


「法然・善導等がかきおきて候ほどの法門は、日蓮らは十七・八の時よりしりて候いき。このごろの人の申すこと、これにすぎず。結句は法門はかなわずして、よせてたたかいにし候なり。念仏者は数千万、かとうど多く候なり。日蓮はただ一人、かとうどは一人もこれなし。今までもいきて候はふかしぎなり。今年も十一月十一日、安房国東条の松原と申す大路にして、申酉時、数百人の念仏等にまちかけられ候いて、日蓮はただ一人、十人ばかり、ものの要にあうものはわずかに三・四人なり。いるやはふるあめのごとし、うつたちはいなずまのごとし。弟子一人は当座にうちとられ、二人は大事のてにて候。自身もきられ打たれ、結句にて候いしほどに、いかが候いけん、うちもらされていままでいきてはべり。いよいよ法華経こそ信心まさり候え。第四の巻に云わく「しかもこの経は、如来の現に在すすらなお怨嫉多し。いわんや滅度して後をや」。第五の巻に云わく「一切世間に怨多くして信じ難し」等云々。日本国に、法華経よみ学する人これ多し。人のめをねらい、ぬすみ等にて打ちはらるる人は多けれども、法華経の故にあやまたるる人は一人もなし。されば、日本国の持経者は、いまだこの経文にはあわせ給わず。ただ日蓮一人こそよみはべれ。「我は身命を愛せず、ただ無上道を惜しむのみ」、これなり。されば、日蓮は日本第一の法華経の行者なり。」(南条兵衛七郎殿御書 新1830-1頁・全1498頁)文永元年12月 43歳御作
現代語訳:法然・善導等が書き置いた程度の法門は、日蓮は17、8歳の時から知っていました。この頃の人の言う事もこれらを越えてはいません。結局は、法門では敵わないので、多勢集って力で戦おうとするのです。念仏者は数千万で味方も多いのです。日蓮は唯一人であり、味方は一人もいないのです。今まで生きているのは不思議なのです。今年も11月11日に安房の国東条の松原という大路で、申酉の時、数百人の念仏者等に待ち伏せされ、日蓮は唯1人、10人ばかりの供も、役に立つ者はわずかに3、4人です。射る矢は降る雨の様であり、打つ太刀は雷の様でした。弟子1人は即座に打ち取られ、2人は深手を負いました。(日蓮)自身も斬られ、打たれ、もはやこれまでという有り様でしたが、どうしたことか、打ちもらされて今日まで生きているのです。いよいよ法華経の信心を増すばかりです。法華経の第四の巻には「しかもこの経は仏の在世でさえなお怨嫉が多い。ましてや仏の滅度の後においてはなおさらである」とあり、第五の巻には「一切世間に怨嫉が多くて信じがたい」と説かれています。日本国で法華経を読み学ぶ人は多いです。人の妻を狙い、盗み等をして、罰せられる人は多いけれど、法華経の為に傷つけられる人は1人もいません。だから日本国の持経者は、未だこの経文には符合していないのです。ただ日蓮1人だけが法華経を色読したのです。「我身命を愛せず、ただ無上道を惜しむ」とはこの事です。だから日蓮は日本第一の法華経の行者なのです。
※松葉ヶ谷には、大聖人が鎌倉の折伏拠点としていた草庵があり、立正安国論を幕府に提出後の文応元年8月28日(大聖人39歳)に、念仏者等によってその草庵が焼き討ちされ、大聖人は危く難(松葉ヶ谷の法難)を遁れる。次いで文永8年9月12日(50歳)にも竜の口の法難直前に平左衛門等の指示により再度草庵が襲われています。本抄の文永元年11月11日の小松原の法難(43歳)でも、大聖人のみが、法華経を身で読んだのですね。


「法華経の故に日蓮程人に悪まれたる者はなし。あるいは王に悪まれたれども民には悪まれず、あるいは僧は悪めば俗はもれ、男は悪めば女はもれ、あるいは愚癡の人は悪めば智人はもれたり。これは、王よりは民、男女よりは僧尼、愚人よりは智人悪む。悪人よりは善人悪む。前代未聞の身なり。後代にも有るべしともおぼえず。故に、生年三十二より今年五十四に至るまで二十余年の間、あるいは寺を追い出だされ、あるいは処をおわれ、あるいは親類を煩わされ、あるいは夜打ちにあい、あるいは合戦にあい、あるいは悪口数をしらず。あるいは打たれ、あるいは手を負い、あるいは弟子を殺され、あるいは頸を切られんとし、あるいは流罪両度に及べり。二十余年が間、一時片時も心安きことなし。(中略)
日蓮、日本国に出現せずば、如来の金言も虚しくなり、多宝の証明もなにかせん。十方の諸仏の御語も妄語となりなん。仏の滅後二千二百二十余年、月氏・漢土・日本に「一切世間多怨難信(一切世間に怨多くして信じ難し)」の人なし。日蓮なくば、仏語既に絶えなん。」(単衣抄 新1848-9頁・全1514頁)建治元年8月 54歳御作
現代語訳:法華経の為に日蓮ほど人に憎まれた者は、いません。国王に憎まれたが人民には憎まれない。或いは僧侶が憎めば在俗の者は憎まない。男が憎めば女は憎まない。或いは愚人が憎めば智人は憎まなかったのです。これは(日蓮を、)国王よりも人民が、男女よりも僧尼が、愚人よりも智人が憎み、悪人よりも善人が憎むという、(日蓮は)前代未聞の身なのです。また後代にも現れるとは思えません。だから、32歳の年から今年54歳になるまでの20余年間、或る時は寺を追い出され、或る時は住所を逐われ、或る時は親類を苦しめられ、或る時は夜打ちに遭い、或る時は合戦に遭い、或る時は悪口を数知れずいわれ、或る時時は打たれ、或る時は傷を負い、或る時は弟子を殺され、或る時は頚を切られようとし、或る時は二度も流罪に処せられました。この20余年の間は、一日片時も心安らかなことはありませんでした。(中略)
日蓮が日本国に出現しなかったならば、仏の金言も虚言となり、多宝如来の証明も何になるでしょうか。十方の諸仏の御語も妄語となるでしょう。仏滅後二千二百二十余年の間、インド、中国、日本に「一切世間に怨嫉が多くて信じ難い」の経文を身で読んだ人はいません。日蓮が出現しなければ、仏の語も既に絶えたでしょう。
※大聖人の「日蓮が出現しなければ、仏の語も既に絶えたでしょう」とは、大変重い言葉ですね。


「法華経には「我は身命を愛せず、ただ無上道を惜しむのみ」ととかれ、涅槃経には「むしろ身命を喪うとも教えを匿さざれ」といさめ給えり。今度命をおしむならば、いつの世にか仏になるべき、またいかなる世にか父母・師匠をもすくい奉るべきと、ひとえにおもい切って申し始めしかば、案にたがわず、あるいは所をおい、あるいはのり、あるいはうたれ、あるいは疵をこうぶるほどに、去ぬる弘長元年辛酉五月十二日に御勘気をこうぶりて伊豆国伊東にながされぬ。また同じき弘長三年癸亥二月二十二日にゆりぬ。その後、いよいよ菩提心強盛にして申せば、いよいよ大難かさなること、大風に大波の起こるがごとし。」(報恩抄 新251頁・全321-2頁)建治2年 55歳御作
現代語訳:法華経には「我れ身命を愛せず、但無上の道を惜しむ」と説かれ、涅槃経には「むしろ身命を喪うとも、正法を匿していてはいけない」と諌められています。このたび(正法流布の為に)命を惜しんで(仏勅を実践しなかった)ならば、いつの世に仏になることができるでしょうか。また、いつの世に父母、師匠を救うことができれでしょうかと、(この様に考えて)ひとえに思い切って国家諌暁したら、思った通り、所を追われ、悪口を言われ、討たれ、或いは我が身に傷を蒙るという程度(の迫害を受け、そして)さる弘長元年辛酉5月12日に御勘気を蒙り、伊豆の国伊東に流罪されました。同じく弘長3年癸亥2月22日に許されたのです。その後、いよいよ菩提心を強盛にして正法を弘めたので、いよいよ大難が重なって来たのが、あたかも大風によって大波が起こった様でした。
※伊豆流罪から、大聖人に覚悟の大難が次々と襲ってきましたが、泰然自若として全く動じる事は無かったのですね。


「今の世もまた一分もたがうべからず。日蓮を賤しみ、諸僧を貴び給う故に、自然に法華経の強敵と成り給うことを弁えず。政道に背いて行わるるあいだ、梵釈・日月・四天・竜王等の大怨敵と成り給う。法華経守護の釈迦・多宝・十方分身の諸仏、地涌千界、迹化他方、二聖二天、十羅刹女・鬼子母神、他国の賢王の身に入り易わって国主を罰し国を亡ぜんとするを知らず。真の天のせめにてだにもあるならば、たとい鉄囲山を日本国に引き回らし、須弥山を蓋いとして十方世界の四天王を集めて波際に立て並べてふせがするとも、法華経の敵となり、教主釈尊より大事なる行者を、法華経の第五の巻をもって日蓮が頭を打ち、十巻共に引き散らして散々に踏みたりし大禍は、現当二世にのがれがたくこそ候わんずらめ。」(下山御消息 新299頁・全362-3頁)建治3年 56歳御作
現代語訳:今の世(幕府)もまた一分も違っていない状況です。日蓮を賎み、諸宗の僧を貴ぶ為、自然と法華経の強敵となってしまう事を弁えていないのです。政道に背いた行為は、梵天・帝釈・日天・月天・四天王・竜王等の大怨敵となったのです。法華経守護の釈迦・多宝・十方分身の諸仏・地涌千界の菩薩・迹化他方の諸菩薩・二聖・二天・十羅刹女・鬼子母神等が他国の賢王の身に入り代わって、この国主を罰し、国を滅ぼそうとしている事を知らないのです。もし真に諸天の責めであるならば、たとえ鉄囲山で日本国を取り囲み、須弥山を蓋として、十方世界の四天王を集めて波打ち際に並べて防がせようとしても、法華経の敵となって教主釈尊よりも大事な法華経の行者たる日蓮を法華経の第五の巻で打ち、法華経十巻をひき散らかし散々に踏みにじられた大禍は現当二世にわたって逃れ難いでしょう。
※法華経第五巻には「末法に入っては大鬼神、第一には国王・大臣・万民の身に入って、法華経の行者を、あるいは罵り、あるいは打ち切って、それに叶わずんば、無量無辺の僧と現じて、一切経を引いてすかすべし。」(治部房御返事 新2028頁・全1425頁)とあり、この巻で日蓮を打つ事で法華経の完全なる敵が明らかとなり「教主釈尊より大事な法華経行者、日蓮」との自覚に繋がったのですね。


◎鎌倉新仏教の開祖者の中で、念仏系の源空法然(生存期間1133-1212年、浄土宗)は讃岐に一度、親鸞(1173-1262年、浄土真宗、粉飾された伝記の可能性があり大聖人の御書には登場せず)は越後に一度流刑され、一遍(1239-1287年、時宗)及び禅宗の栄西(1141-1215年、臨済宗)や道元(1200-1253年、曹洞宗)は難も流罪もありません。日蓮大聖人(1222-1282年)だけは、数々の大難を蒙った事で、法華経を身読し本邦最初の法華経行者としての確信となり、法華弘通へ邁進し、多くの弟子をも育成されていったのです。


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