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御書拝読で判る大聖人のお立場 3
第三章 仏道修行と立宗宣言(佐渡以前)
「『日本国に渡れるところの仏経ならびに菩薩の論と人師の釈を習い見候わばや。また俱舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・真言宗・法華天台宗と申す宗どもあまた有りときく上に、禅宗・浄土宗と申す宗も候なり。これらの宗々、枝葉をばこまかに習わずとも、所詮・肝要を知る身とならばや』と思いし故に、随分にはしりまわり、十二・十六の年より三十二に至るまで、二十余年が間、鎌倉・京・叡山・園城寺・高野・天王寺等の国々寺々あらあら習い回り候いしほどに、一つの不思議あり。
我らがはかなき心に推するに、『仏法はただ一味なるべし。いずれもいずれも、心に入れて習い願わば、生死を離るべし』とこそ思って候に、仏法の中に入って悪しく習い候いぬれば、謗法と申す大いなる穴に堕ち入って、十悪五逆と申して日々夜々に殺生・偸盗・邪婬・妄語等をおかす人よりも、五逆罪と申して父母等を殺す悪人よりも、比丘・比丘尼となりて身には二百五十戒をかたく持ち、心には八万法蔵をうかべて候ようなる智者・聖人の、一生が間に一悪をもつくらず、人には仏のようにおもわれ、我が身もまたさながらに悪道にはよも堕ちじと思うほどに、十悪五逆の罪人よりもつよく地獄に堕ちて、阿鼻大城を栖として永く地獄をいでぬことの候いけるぞ。(妙法比丘尼御返事 新2106-7頁・全1407-8頁)弘安元年 57歳御作
現代語訳:「日本国に渡って来た仏の経典並びに菩薩の釈論と人師の書いた経疏・論疏等を習学してみよう。また倶舎宗・成実宗・律宗・法相宗・三論宗・華厳宗・真言宗・法華天台宗など多くの宗があると聞いた上に、禅宗・浄土宗という宗もあるのです。これらの宗々の枝葉まで細かく習学しないでも、大体の肝要を知る身と成ればよい」と思って、随分あちこち回り、十二、十六の年から三十二歳に至るまで二十余年の間、鎌倉・京都・比叡山・園城寺・高野山・天王寺等の国々・寺々を大略遊学したところ、一つの不思議がありました。
私達の浅はかな思考で推察すれば、「仏法はただ一味だろう、いずれの宗であっても一心に習学し願うならば、生死を離れられるでしょう」と思っていたのに、仏法に入門しても悪しく習学するならば、謗法という大きな穴に堕ちて、十悪・五逆罪と言って、日々夜々に殺生・偸盗・邪婬・妄語等を犯す人よりも、五逆罪と言う父母等を殺す悪人よりも、比丘・比丘尼となって身に二百五十戒を堅く持ち心に八万法蔵を浮かべ、一生の間に一つの悪をも作らず、人からは仏の様に思われ、我が身もまた、よもや悪道に堕ちることはあるまいと思っている智者・聖人が、十悪・五逆の罪人より以上に地獄に堕ちて阿鼻大城を住居として永く地獄から出られないという事があるのです。
※大聖人は、修行開始として既成仏教を修学するほどに、疑問が湧いて来たのですね。そして教主釈尊の真意が、別にある事を理解されたのですね。
「日蓮は建長五年四月二十八日、初めてこの大白牛車の一乗法華の相伝を申し顕せり。しかるに、諸宗の人師等、雲霞のごとくよせ来り候。中にも真言・浄土・禅宗等、蜂のごとく起こり、せめたたかう。日蓮、『大白牛車の牛の角、最第一なり』と申してたたかう。両の角は本迹二門のごとく、二乗作仏・久遠実成これなり。すでに弘法大師は法華最第一の角を最第三となおし、一念三千・久遠実成・即身成仏は法華に限れり、これをも真言の経にありとなおせり。かかる謗法の族を責めんとするに、返っていよいよ怨をなし候。」(大白牛車書 新2151頁・全1543頁)執筆年不明
現代語訳:日蓮は建長五年四月二十八日に初めてこの大白牛車の一乗法華の相伝を説き顕したのです。ところが諸宗の人師等が、雲霞の様に押し寄せて来ました。中でも真言宗、浄土宗、禅宗等は蜂が群がり起こる様に攻めてきて戦います。日蓮は「大白牛車の牛の角が最第一である」と言って戦います。両の角とは法華経の本門と迹門であって二乗作仏と久遠実成の事です。既に弘法大師は法華最第一の角を最第三と変更し、一念三千、久遠実成、即身成仏の法門は法華経に限るのに、これをも「真言の経にある」と変更しています。この様な謗法の人達の誤りを正そうとしたのですが、返って強く怨念を抱かせているのです。
※法華経を根本として立宗しても、中々世間からは法華経の重要性を信じて貰えなかったのです。
「この悪真言、かまくらに来って、また日本国をほろぼさんとす。その上、禅宗・浄土宗なんどと申すは、またいうばかりなき僻見の者なり。これを申さば必ず日蓮が命と成るべしと存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩をほうぜんがために、建長五年四月二十八日、安房国東条郷の清澄寺、道善の房、持仏堂の南面にして、浄円房と申す者ならびに少々の大衆にこれを申しはじめて、その後二十余年が間、退転なく申す。あるいは所を追い出だされ、あるいは流罪等。昔は聞く、不軽菩薩の杖木等を。今は見る、日蓮が刀剣に当たることを。日本国の有智・無智、上下万人の云わく「日蓮法師は、古の論師・人師・大師・先徳にすぐるべからず」と。日蓮この不審を不審をはらさんがために、正嘉・文永の大地震・大長星を見て勘えて云わく「我朝に二つの大難あるべし。いわゆる自界叛逆難・他国侵逼難なり。自界は鎌倉に権大夫殿御子孫どしうち出来すべし。他国侵逼難は四方よりあるべし。その中に、西よりつよくせむべし。これひとえに、仏法が一国挙って邪なるゆえに、梵天・帝釈の他国に仰せつけてせめらるるなるべし。日蓮をだに用いぬほどならば、将門・純友・貞任・利仁・田村のようなる将軍、百千万人ありとも叶うべからず。これまことならずば、真言と念仏等の僻見をば信ずべし」と申しひろめ候いき。」(清澄寺大衆中 新1207-8頁・全894頁)建治2年 55歳御作
現代語訳:この悪法である真言宗が鎌倉に入ってきて、また日本国を滅ぼそうとしています。その上、禅宗・浄土宗等と云うのは、また、言い様の無い誤った考えの者です。これを言えば、必ず日蓮の命に関わる事になるだろうと承知していましたが、虚空蔵菩薩の御恩を報ずる為に建長五年四月二十八日、安房の国東条の郷にある清澄寺の道善房の持仏堂の南面において浄円房という者並びに少しの大衆にこれを言い始めて、その後二十余年の間、退転することなく言ってきました。(その間、)所を追い出されたり、或いは流罪されたりしました。昔は、不軽菩薩が杖木等の難にあったと聞きます。今は、日蓮が刀剣の難に遭うことを見るのです。日本国の有智や無智そして上下の全ての人は言います。「日蓮法師は昔の論師、人師、大師、先徳より優れている筈がありません」と。日蓮はこの不審を晴らす為に、正嘉元年の大地震と文永元年の大彗星を見て考えて言いました。「我が国に二つの大難が起こるでしょう。いわゆる自界叛逆難と他国侵逼難です。自界叛逆難は鎌倉に権の大夫殿のご子孫の同士打ちが起こるでしょう。他国侵逼難は四方からあるでしょう。その中でも西より強く攻めて来るでしょう。これはひとえに(信じている)仏法が一国揃って邪である為に、梵天、帝釈天が他国に言いつけて攻めて来るのです。日蓮を用いないでいる間は、平将門、藤原純友、安倍貞任、藤原利仁、坂上田村麻呂の様な将軍が百千万人いても適いはしません。これが真実で無いならば、真言と念仏等の誤った考えを信じましょう」と言い弘めたのです。
※立宗宣言後、真実を述べれば述べるほど多くの迫害が始まったのです。
「日蓮、末法に生まれて、上行菩薩の弘め給うべきところの妙法を先立ってほぼひろめ、つくりあらわし給うべき本門寿量品の古仏たる釈迦仏、迹門宝塔品の時涌出し給う多宝仏、涌出品の時出現し給う地涌の菩薩等をまず作り顕し奉ること、予が分斉にはいみじきことなり。日蓮をこそにくむとも、内証にはいかが及ばん。されば、かかる日蓮をこの島まで遠流しける罪、無量劫にもきえぬべしとも覚えず。譬喩品に云わく『もしその罪を説かば、劫を窮むとも尽きじ』とは、これなり。また日蓮を供養し、また日蓮が弟子檀那となり給うこと、その功徳をば仏の智慧にてもはかり尽くし給うべからず。経に云わく『仏の智慧をもって多少を籌量すとも、その辺を得じ』と云えり。
地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり。地涌の菩薩の数にもや入りなまし。もし日蓮、地涌の菩薩の数に入らば、あに、日蓮が弟子檀那、地涌の流類にあらずや。経に云わく『能くひそかに一人のためにも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、この人は則ち如来の使いにして、如来に遣わされて、如来の事を行ず』。あに別人のことを説き給うならんや。」(諸法実相抄 新1790頁・全1359頁)文永10年 52歳御作
現代語訳:日蓮が末法に生まれて上行菩薩が弘められる筈の妙法蓮華経を先立ってほぼ弘め、作り顕される筈の本門寿量品の古仏である釈迦仏や迹門の宝塔品で涌出された多宝仏、従地涌出品の時に出現された地涌の菩薩等をまず作り顕させて頂いた事は自分の分際を越えた事です。この日蓮を憎むとも、内証をどうする事もできないのです。それゆえに、この様な日蓮を佐渡の島まで遠流した罪は無量劫を経ても消えるとは思われません。法華経譬喩品には「もし、法華経誹謗の罪を説くならば、劫のあらんかぎりを説いても説きつくすことはできない」と説かれているのはこの事です。また、日蓮を供養し、また日蓮の弟子檀那となられたその功徳は仏の智慧によっても量り尽くすことはできません。法華経薬王菩薩本事品には「仏の智慧をもって量っても、その功徳の多少を量り尽くすことはできない」と説かれています。
地涌の菩薩の先駆けは日蓮一人です。地涌の菩薩の数に入っているのかもしれません。もし、日蓮が地涌の菩薩の数に入っているならば、日蓮の弟子檀那は地涌の流類という事になるでしょう。法華経法師品の「よくひそかに一人のためにでも、法華経そしてまたその一句だけでも説くならば、まさにこの人は如来の使いであり、如来から遣わされて如来の振る舞いを行ずるものと知るべきである」との文は、誰か他の人の事を説かれたものではありません。
※大聖人は、御自身を地涌の菩薩の一員である事を既に自覚されていたのですね。
「先日書いて進らせ候いし法門、能く心を留めて御覧あるべし。その上、即身成仏と申す法門は、世流布の学者は皆一大事とたしなみ申すことにて候ぞ。なかんずく予が門弟は、万事をさしおきてこの一事に心を留むべきなり。建長五年より今弘安三年に至るまで二十七年の間、在々処々にして申し宣べたる法門繁多なりといえども、詮ずるところは、ただこの一途なり。」(妙一女御返事【事理成仏抄】 新2131-2頁・全1260頁)弘安3年10月
現代語訳:先日書いて指し上げたこの法門を、よくよく心にとどめてご覧ください。その上で即身成仏という法門について、世間で著名な学者は、皆、最も大事な法門であると心得て述べているのです。まして、我が門弟においては、全ての事をさしおいて此の即身成仏の法門に心を留めるべきです。(立宗宣言をした)建長五年から、今、弘安三年に至る二十七年の間、様々な所で申し述べて来た法門は数多くありますが、究極はこの即身成仏の法門に尽きるのです。
※大聖人が説く即身成仏の法門だけが、人々を幸福にし、平和な大地を築く法だと主張されたのです。
「今、日蓮は、去ぬる建長五年癸丑四月二十八日より今弘安三年太歳庚辰十二月にいたるまで、二十八年が間、また他事なし。ただ妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむばかりなり。これ即ち、母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり。これまた時の当たらざるにあらず。すでに仏記の五の五百歳に当たれり。天台・伝教の御時は、時いまだ来らざりしかども、一分の機ある故に少分流布せり。いかにいわんや、今はすでに時いたりぬ。たとい機なくして水火をなすとも、いかでか弘通せざらん。」(諌暁八幡抄 新742頁・全585頁)弘安3年12月
現代語訳:今、日蓮は、去る建長5年4月28日から今年弘安3年12月に至るまで、28年の間、他事は一切なく、ただ、妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れようと励んできただけです。これは丁度、母親が赤子の口に乳を含ませようと努力する慈悲なのです。この様に(法華経の弘通の)時節が到来したからであって、今は既に仏記の第五の五百年にあたっているのです。天台大師や伝教大師の御時には、未だその時期に至っていなかったのですが、一分に機根があったので法華経を少々流布したのです。ところが今は、既に時期が到来しています。たとい機が無くて水火の様に反発したとしても、どうして法華経を弘通せずにいられるでしょうか。
※ただ民衆に法華経の肝心である南無妙法蓮華経の七字五字を弘通する為に、大聖人は立ち上がられたのですね。
◎もし、大聖人が既成仏教の間違いを糾して立教開宗をされていなかったら、生命尊厳・人権尊重の妙法は存在せず、今の創価学会は出現していなかったでしょう。その意味で立宗宣言は、日蓮仏法発進の記念日なのです。