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題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 10

名前:サム

MAIL 投稿日: 2025/08/18(月) 12:35 119-229-83-134f1.osk3.eonet.ne.jp (119.229.83.134)

御書拝読で判る大聖人のお立場 10


第十章 大聖人の御本仏としての確信と御振舞 前編

仏とは、仏陀(ブッダ、Buddha)を云い、一切諸法の本体・現象をありのままに覚知し、真理を体現し、他を導いて真理を証得させ得る覚者を云い、十種類の尊称(十号)を持っています。つまり、①如来=一切諸法の根本真を理を体現し、三世に亘る因果律を証得した人、②応供=応受供養の意で、人天の供養を受けるに足る人、③正偏知=正等覚とも云い、一切の智を備え、諸法を遍く正しく理顔する人、④明行足=三世に通達し、善行を修して満足する人、⑤善逝=善く逝くの意で、無量の智慧で八正道を行じて迷いの世界を越え出る人、⑥世間解=因果の理法を悟り、世間・出世間の事をよく理解する人、⑦無上土=衆生の中でこれ以上もない優れている人、⑧調御丈夫=一切衆生を調伏・制御して成仏させる力を有する人、⑨天人師=天と人の師匠で、あらゆる人を指導し師となれる人、⑩仏世尊=仏は智や徳が円満で目覚めた者の意で、世尊は世のあらゆる人から尊敬される人(但しこの分類の他に諸説があります)です。また仏には、本来の境地を顕した「本仏」と衆生救済の為に示した仮の姿の「迹仏」とに分けられます。
此処に日蓮大聖人が、「御本仏」であられる事を連想させる御文を前編・後編の二回に分けてご紹介します。


「悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は、師子王のごとくなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮がごとし。これおごれるにはあらず。正法を惜しむ心の強盛なるべし。」(佐渡御書 新1286頁・全957頁)文永9年3月 51歳御作
現代語訳:悪王が正法を滅亡させる為に、邪法の僧等がこの悪王に味方して、智者を滅ぼそうとする時、師子王の様な心を持つ者が、必ず仏に成るのです。例えば日蓮の様に。これは傲った気持ちではありません。正法が滅びる事を惜しむ心の強さからです。
※日蓮大聖人はこの時代、「ご自身が本仏」とは仰っていませんが、多くの御文での謙譲的表現を通して、御自身の御内証を吐露されています。


「貴辺、法華経の行者となり、結句大難にもあい、日蓮をもたすけ給うこと、法師品の文に『化の四衆、比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を遣わして』と説き給う。この中の『優婆塞』とは、貴辺のことにあらずんばたれをかささん。すでに法を聞いて信受して逆らわざればなり。不思議や、不思議や。もししからば、日蓮、法華経の法師なること疑いなきか。『則如来使(則ち如来の使いなり)』にもにたるらん、『行如来事(如来の事を行ず)』をも行ずるになりなん。」(四条金吾殿御返事<煩悩即菩提御書> 新1522頁・全1117頁)文永9年5月 51歳御作
現代語訳:あなたは、法華経の行者となり、ついには大難にも遭遇し、日蓮をも助けて下さいました。法華経法師品の文に「化の四衆、すなわち比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を遣わして」と説かれていますが、この中の優婆塞とは、あなたの事でなければ、誰の事を指すのでしょうか。(何故ならば、あなたは、)既に法華経を聞いて信受し、違背するところが無いからです。大変不思議な事です。もしあなたが法師品の優婆塞ならば、日蓮は法華経の法師であることは疑いないと言えるでしょう。経文に説かれている「則ち如来の使」にも似ており、その行動は「行如来事」を行じている事になるでしょう。
※法華経の法師でかつ「如来の事を行ず」とは、遠慮がちですが、既に日蓮大聖人御自身が、仏である事を自覚されていますね。


「在世の本門と末法の初めは一同に純円なり。ただし、彼は脱、これは種なり。彼は一品二半、これはただ題目の五字なり。」(如来滅後五五百歳始観心本尊抄 新139頁・全249頁)文永10年4月 52歳御作
現代語訳:釈尊在世の本門と末法の始めの本門は、いずれも(一切衆生がことごとく即身成仏する)純円の教えです。但し(在世と末法の本門の相違をいうならば)在世は脱であり、末法は下種です。在世は一品二半、末法はただ題目の五字なのです。
※釈尊の仏法と日蓮仏法の対比から仏教創始者と末法の仏教改革者の姿が伺われます。


「安州の日蓮は、恐らくは、三師に相承し、法華宗を助けて末法に流通す。三に一を加えて三国四師と号づく。」(顕仏未来記 新612頁・全509頁)文永10年5月御作
現代語訳:安房国の日蓮は、恐らくは、釈尊、天台、伝教の三師に相承し、法華宗を助けて、末法に南無妙法蓮華経を広宣流布するのです。故に釈尊、天台、伝教の三師に日蓮を加えて、三国四師と名づけるのです。
※日蓮大聖人は天台宗における相承系譜から出て法華経により、釈尊・天台・伝教・日蓮という三国四師を立てられていますが、彼等は全て仏菩薩とされており、末法時代は大聖人お一人だけです。


「仁王経には、小難は無量なり。中難は二十九、大難は七とあり。此の経をば、一には仁王と名づけ、二には天地鏡と名づく。この国主を天地鏡に移して見るに明白なり。またこの経文に云わく『聖人去らん時は、七難必ず起こらん』等云云。当に知るべし、この国に大聖人有りと。また知るべし、彼の聖人を国主信ぜずということを。」(法蓮抄 新1430-1頁・全1053頁)建治元年4月 54歳御作
現代語訳:仁王経には「小難は無量であり、中難は二十九、大難は七つある」とあります、この経を一には仁王と名づけ、二には天地鏡と名づけるのです。この国の国主をこの天地鏡に映してみると明白です。またこの経文に「聖人去るときは七難が必ず起こる」等とあります。この国に大聖人がおられる事を知るべきです。また、かの聖人を国主が信じないという事を知るべきです。
※「此の国に大聖人有りと、知るべし」この大聖人こそが、日蓮大聖人御自身なのです。


「今、日蓮は、末法に生まれて妙法蓮華経の五字を弘めてかかるせめにあえり。仏滅度して後二千二百余年が間、恐らくは天台智者大師も『一切世間に怨多くして信じ難し』の経文をば行じ給わず。『しばしば擯出せられん』の明文は、ただ日蓮一人なり。『一句一偈、我は皆ために授記す』は我なり。阿耨多羅三藐三菩提は疑いなし。相模守殿こそ善知識よ、平左衛門こそ提婆達多よ。念仏者は瞿伽利尊者、持斎等は善星比丘なり。在世は今にあり、今は在世なり。法華経の肝心は、『諸法実相』ととかれて『本と末とは究竟して等し』とのべられて候はこれなり。」(種々御振舞御書 新1235頁・全916頁)建治2年 55歳御作
現代語訳:今、日蓮は末法に生まれて妙法蓮華経の五字を弘めてこの様な責めに遇いました。仏滅度後の二千二百余年の間に、恐らくは天台智者大師も「一切世間多怨難信」の経文は行じられなかったのです。(そして)「数数見擯出」の明文を行じたのは但日蓮一人だけです。(だから)「一句一偈・我皆与授記」に相当するのは私なのです。「阿耨多羅三藐三菩提(仏の悟りや智慧は無上・無比で平等円満である)」を得た事は疑いありません。相模守時宗殿こそ善知識です。平左衛門こそ提婆達多です。念仏者は瞿伽利尊者であり、持斎等は善星比丘なのです。在世は今にあり、今は在世なのです。法華経の肝心は「諸法実相」と説かれていて「本末究竟等」と宣べられていますが、この事なのです。
補足:サンスクリット語の音読み「阿耨多羅三藐三菩提」は、無上正遍知・無上正等覚・無答正遍知と訳され、「阿耨多羅」は、無上、勝るものが無いこと、「三藐」は、正等・正遍、清浄かつ偏頗のないこと、「三菩提」は、正覚、仏の完全な悟りのこと、を言います。
※佐渡配流の後に大聖人は、法華経を身読され、ただ一人だけ仏の境涯を自覚されたのです。


「真の天のせめにてだにもあるならば、たとい鉄囲山を日本国に引き回らし、須弥山を蓋いとして十方世界の四天王を集めて波際に立て並べてふせがするとも、法華経の敵となり、教主釈尊より大事なる行者を、法華経の第五の巻をもって日蓮が頭を打ち、十巻共に引き散らして散々に踏みたりし大禍は、現当二世にのがれがたくこそ候わんずらめ。」(下山御消息 新299頁・全363頁)建治3年6月 56歳御作
現代語訳:もし真に諸天の責めであるならば、たとえ鉄囲山で日本国を取り囲み、須弥山を蓋として、十方世界の四天王を集めて波打ち際に並べて防がせようとしても、(法華経の敵となって)教主釈尊よりも大事な法華経の行者(たる日蓮)を、法華経の第五の巻で打ち、法華経十巻をひき散らかし散々に踏みにじられた大禍は、現当二世に亘って逃れ難いでしょう。
※「教主釈尊より大事な行者」との一言により、「御自身が本仏」である事を仰っているのです。


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