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宿坊2の掲示板


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題名:フェイク 第1787号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2025/04/26(土) 01:56 2a02:6ea0:e00b:0:55a8:a165:6bbe:b9d6(IPv6:) (2a02:6ea0:e00b:0:55a8:a165:6bbe:b9d6)

(発行=25.04.24)

権威の「血脈」論は堕落の証拠
邪宗門の機関誌「慧妙」の戯言を破折する ㊦
伝統に固執し時代錯誤の閉鎖的な宗門

日蓮正宗の謀略紙「慧妙」が、学会は初代会長の牧口先生、第二代会長の戸田
先生、第三代会長の池田先生を広宣流布の永遠の師匠と定めているが、本当に
永遠の師匠と崇められているのは池田先生で「学会にとって戸田氏はオマケで
しかない…」(四月一日付)と偏見に満ちた記事を書いている。

殉教された牧口初代会長の破邪顕正の精神を継承した戸田先生は学会の基盤を
構築。会長の在任期間は約七年と長くはなかったが、決して〝オマケ〟ではな
い。その構想を後顧の憂いなく、池田先生に託されたのだ。

池田先生は第三代会長、名誉会長として半世紀以上の長期にわたって広宣流布
の運動を指揮し、牧口・戸田先生の構想を心に刻んで広宣流布の波動を全世界
に拡大すると共に、幼稚園から大学までの教育機関を創立したのをはじめ全て
の構想を実現させ、更に、広範囲にわたる指導も残されている。

牧口・戸田先生の精神、構想を継承して実現した池田先生の指導を活動の規範
にするのは当然である。

宗教の社会的役
割を示した学会

日本を代表する宗教社会学者によると、宗教研究の学者の多くは宗教の将来に
悲観的であったとのことで、「創価学会を通して、宗教が今後も社会的役割を
果たしうることを認識したのです」と述べた。

更に「創価学会は、彼らの悲観的な考えを大きく変え、世界の宗教社会学の展
開に貢献した」「(池田先生は)SGI本体の運動とは異なった角度からも、今
日の創価学会の世界的な発展の底流を着々とつくられてきた」「異文化への理
解と寛容性をもたれた偉大な指導者」「カリスマ性、文化性、文章力など本当
に凄い」と池田先生の偉業を絶賛していた。

それに対して先生は「実は、これらも全部、戸田先生に教わったのである。私
は全て、その通りにやってきただけである」と語った。

先生は師の戸田先生が建設された学会を世界的規模にするために師弟不二の精
神に立ち、全身全霊で戦い抜いて大教団を築かれた。

特別な相伝など何もないと日達法主

日蓮正宗は、創価学会の師弟とは根本的に違って、口先だけの「口伝(相伝)」
に固執している。

坊主や法華講員と対話すると「一代聖教大意」の「この経は相伝にあらずんば
知り難し」(御書三三八頁)の御文を金科玉条のごとく持ち出して「信心は相
伝を受けられた猊下に信伏随従することが根本だ」「血脈相承の猊下を批判し
たら堕地獄だ」と言い張るのが常である。だが、そもそも法主や坊主達が成仏
したかどうか、実に疑わしい。

先述の宗教社会学者は、血脈などはナンセンスと述べ「本当の宗教者として信
仰を極められない者が、自分の権威を示すために『血脈』で誤魔化している」

「『血脈』や『血脈付法』が大事などと声高に言うのは、その宗教団体に優秀
な人物が出ていないための言い訳でしかない。それを言うこと自体、その宗教
団体が堕落している証拠」と指弾していた。

確かに、五十九世・日亨上人は登座した直後、法階が進んで通称が変更したか
らといって人物も人格も向上したかどうか、自分には分からない旨、素直に述
懐。六十六世・日達法主も「堀上人が全部出してしまったので、特別なものは
何もない」と語っていた。

このように口伝(相伝)によって歴代法主に超能力的、神秘的な力が備わるとか、
血脈相承によって日蓮大聖人と同等の境界になるとか、御書以外の特別な教え
が伝えられるということは絶対に有り得ない。

だが、今の日蓮正宗は御書よりも口伝(相伝)が根本であるとして「法主絶対」
の邪義を横行させ、大聖人や御書よりも血脈を重視する血脈相承偏重で、伝統
に固執して時代錯誤に陥り、閉鎖的な宗門になっている。

日顕の愚息の信彰は「猊下ではなく、日蓮大聖人の信徒というなら、もう日蓮
正宗の信徒ではありません」と妄言を吐いた。

また、高野法雄は「御書は重要ではあるが、大聖人の法門の一切が網羅された
ものではない。法主は大聖人の法門の全てを所持し、御書は法門の部分にすぎ
ない」と、御書を軽視して法主が根本であると強調した。

この高野の「御書部分論」は末寺の住職や寺族にも浸透している。

以前、北海道芦別市の志願寺を訪ねた学会の青年部有志が、住職の泉雄嘉に御
書の解釈を糺すと、泉は話を逸らして逃げ口上に終始していた。

そんな情けない住職の様子を見かねた女房が助け船を出したが、それが「御書
部分論」だった。「たったこれだけの御書に、全て納まりますか?」と開き直
った。こんな御書を軽視する発言を青年部有志に糾弾された住職と女房は沈黙
していたということだ。

貫主一人しか解らぬ仏法というのは血脈の真義を解せぬ者の囈言!

現在、血脈といえば法主の血脈が根本であるかのような主張が横行している。
だが、日顕は悩乱する前の昭和六十二年四月の霊宝虫払大法会で信心の血脈が
一切の根幹だと次のように説法していた。

「血脈相承とは、信心の血脈がその基(もとい)をなすのであり、その信心の
血脈によって仏の本地甚深の境智に基づく法体法門の血脈が、一器より一器へ
流れ通うのであります」

「この唯授一人の血脈も、その基本的本質は前来述べる如く信心の血脈に存し
ます」

「信解抜群にして宗祖二祖の信心の血脈を疑わず、勇猛精進するところ、僧に
あれ、俗にあれ、僧から僧へ、俗から俗へ、さらに広くその信心の血脈を伝え
つつ展転して衆生を利益することが下種仏法の相であります。その一大実証は、
近年、正法の日本ないし世界広布の礎(いしずえ)を開かれた、創価学会におけ
る初代、二代、三代等の会長の方々における信心の血脈の伝承であります」

「信心の血脈が正法の僧俗一切の行学の根底であります。故に、大聖人より日
興上人への血脈が貫主一人しか解らぬ独断的、偏見的な仏法などというのは血
脈の真義を解せぬ者の囈言(たわごと)であり、信心の一念に法水が流れると
ころ、有智、無智を問わず、万人のために即身成仏の功徳が実証として開かれ
ているのであります」(「大日蓮」昭和六十二年五月号)
このように日顕は悩乱する前は「信心の血脈が仏法の根幹」と断言していた。

五十九世・日亨上人が「信心と血脈と法水とは要するに同じ事になるなり」と
述べられた通りである。

ところが、悩乱した後の日顕は〝法主に伝わる血脈相承が根本で信心の血脈は
枝葉にすぎない〟〝法体の血脈が根本で、そこから離れて信心の血脈はない〟
と法主の絶対化を図った。

日顕が悩乱する前と後では説法の内容が正反対なのである。
実は、この日顕は「血脈断絶」が持論であった。

日顕が墨田区の本行寺住職の昭和三十三年当時、ビールを飲みながら「宗門の
歴史の中には血脈が切れたような感じもあるんだよ。要は『内容』なんだ。血
脈が切れたって別段いいんだと俺は思う」と発言した。

日顕自身は血脈断絶論者だったので、平然と相承を詐称して〝盗座〟したが、
権威で信徒を隷属させるため「相承を受けた以上は生身の釈迦日蓮である」と
言い放ったのである。




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