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(発行=25.03.27)
崩れ去った検察当局の目論見
大阪事件の無罪に難癖つける「慧妙」を破す ①
不当逮捕、手錠かけ食事抜きで取り調べ
邪宗・日蓮正宗法華講支部の一つ、理境坊に所属する妙観講と若い無任所坊主
が主体となって発行している「慧妙」の記事は屁理屈と誤報が多く、宗内でも
嫌われて「『慧妙』の記事を信用すると後で困ることがある」等と言われてい
る。
そこで本紙も最近は無視しているが、たまたま目にした三月一日付で約七十年
も前の大阪事件を取り上げ、池田先生(当時は青年室長)が無罪になったことが
面白くないらしく、反逆者の竜年光が先生を貶めるために書いた駄文を乱用し
て難癖をつけているが笑止千万!!
大阪事件とは昭和三十二年の参院の大阪地方区補欠選挙で、池田室長をはじめ
多数の学会員が公職選挙法違反の容疑で逮捕されたが、判決で池田室長の無罪
が明らかになった。
この選挙で一部の会員から違反者が出た。大阪市内で煙草を渡し、また戸別訪
問で逮捕された者もいた。
裁判の結果、それぞれ罪科に応じて刑に処せられた。「慧妙」は「末端切り」
等と的外れの批判をしているが、検察当局の目論見は、単なる選挙違反の取り
締まりではなく、違反行為の責任を池田室長に被せて学会の弱体化を図ること
だった。その狙いは法廷で崩れた。
起訴された刑事事件の有罪率は九九%を超えるとのことだが、それを覆したの
が大阪事件であった。
池田室長が逮捕されたのは、昭和三十二年七月三日。大阪拘置所に移監し、起
訴して有罪に結び付けようとする検事との攻防戦が続いた。手錠をかけたまま
夕食も食べさせないで深夜まで取り調べ、そのうえ手錠をかけたまま外に連れ
出し、拘置所のあった本館と別館の間を往復させた。
脅して自白を強要して書き上げた検察調書は信用性があるのか、池田室長自身
が検事に罪を自白したというが、本当なのか、法廷は調書を証拠として採用す
るのか、却下するのか――これが裁判の焦点であった。
選挙運動は憲法が保障
法廷で争われた公職選挙法違反の容疑は買収関係と戸別訪問関係二つに分けら
れ、池田室長の嫌疑は戸別訪問に関わるもので、買収では起訴されていない。
池田室長に関する容疑は「戸田会長、学会本部は無事」という検事との約束を
信じて供述した検察調書のみで証拠は何もない。
裁判は買収関係から始まり、昭和三十六年二月まで五十回以上の公判が開かれ、
関係者は有罪を告げられた。既に初公判から三年以上が経過し、この間に戸田
先生は逝去、後継の池田室長が第三代会長に就任していた。
昭和三十六年十二月の最終陳述で池田会長は四点にしぼって証言した。
第一に学会が選挙運動を行うことは憲法に保障された国民の権利であること。
第二に従来、戸別訪問は軽い刑だが、大阪地検の禁固刑は過酷であること。第
三に大阪地検の検事が極めて横暴であったこと。第四に恩師・戸田先生の「勝
負は裁判だ。裁判長は必ず分かるはずだ。裁判長に真実を分かってもらえれば
いいじゃないか」との言葉を紹介し、公正な審判を要請した。
判決の日の昭和三十七年一月二十五日、池田会長は田中勇雄裁判長から「無罪」
の判決を受けたのである。