[169] 題名:フェイク 第1791号
名前:宿坊
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投稿日:
2025/09/21(日) 13:29
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(発行=25.09.16)
日顕は禅寺に墓を建立、開眼供養も
学会指導に学ぶ 宗門は日興遺誡置文に違背 ㊥
「修行せず利益求める坊主は狗犬の僧」
日蓮正宗が「日興遺誡置文」に悉く違背している姿を前号に引き続き、池田先
生の指導を引いて浮き彫りにする。
第五条「謗法を呵責せずして遊戯雑談(ゆげぞうだん)の化儀並(ならび)に外書
(げしょ)歌道を好む可からざる事」
先生は御書の「法師の皮を著(き)たる畜生」の御文を通して指弾。「折伏もせ
ず、御本尊への信徒の供養を横領して酒色にふけり、贅沢三昧の『遊戯雑談』
と卑しい『成金趣味』に堕しているのが宗門である。『皮』は法師でも『身』
は畜生だと、大聖人が仰せなのである」と指弾した。
第六条「檀那の社参物詣を禁ず可し、何に況んや其の器にして一見と称して謗
法を致せる悪鬼乱入の寺社に詣ず可けんや、返す返すも口惜しき次第なり、是
れ全く己義に非ず経文御抄等に任す云云」
この条目について先生は謗法厳誡を貫いてきたのが学会であり、牧口先生は獄
死までされたと強調した。
そして、宗門の謗法の実態を述べて「禅寺の墓地に、法主が自家の墓を立て、
開眼供養までして破折もしないで、そのあと酒宴――。それほど信心が狂って
いるのである」と断罪した。
これは日顕がスウェーデン産の最高級の石を五百五十万円もかけて直輸入し、
平成元年七月十七日、福島市内の曹洞宗白山寺の墓地に墓を建立(写真㊤)。開
眼供養をした後は市内の料亭で酒宴(写真㊦)に興じた。
また、先生は日亨上人の「外面にのみ謗法厳誡を立て内部には謗法容認の非行
あらんことは物怪なり」との指南を紹介した。
更に、先生は「謗法払いも、学会が僧侶に教えたのである。学会によって日蓮
正宗は大聖人、日興上人の正統の教団になった」と強調した。
学会と決別した今の日蓮正宗は大聖人、日興上人の正統の教団ではなくなり、
特に、身延派との交流は盛んになった。住職が法華講員を連れて盛んに身延派
の寺を巡拝し、身延派の僧を大石寺に招待して手厚く接待するようになったの
である。
第七条「器用の弟子に於ては師匠の諸事を許し閣(さしお)き御抄以下の諸聖教
を教学す可き事」
先生は宗門の「権威主義の徒弟制度」を指弾し、所化への信心指導はなさず、
真剣な学習の気風も全くないと指摘。「陰惨に絶対服従を強要し、旧軍隊のよ
うな暴力による『しごき』によって『人材を殺している』――御遺誡への違背
の姿である」と厳しく糾弾した。
第八条「学問未練にして名聞名利の大衆は予が末流に叶う可からざる事」
先生は「ろくに修行もせず、ただ尊敬されることを求め、利益を求める。こう
いう僧侶を、大聖人は『狗犬(くけん)の僧』とも『食法餓鬼』とも仰せである」
と指摘。日顕一派の堕落しきった姿を指している。
第九条「予が後代の徒衆等権実を弁えざる間は父母師匠の恩を振り捨て出離(
しゅつり)証道の為に本寺に詣で学文す可き事」
本山での修行の在り方に言及した先生は「世間の絆を断ち切って『学文』に専
念するためである。正しき『信心』を学ぶためである。今の本山は、その正反
対に『世間』以上に俗世間である」と述べ、差別と暴力で悪侶を養成する場に
なっている、と断罪した。
第十条「義道の落居(らっこ)無くして天台の学文す可からざる事」
先生は「本山では御書を徹底して学びもせずに、天台の教学を中途半端に教え
たりしている。例年、本山で行われる教師講習会の教材は天台の三大部」だと
指摘。天台の法門にとらわれていること自体、日興上人の御遺誡に違背してい
る、と糾弾した。
第十一条「当門流に於ては御書を心肝に染め極理を師伝して若し間(ひま)有ら
ば台家を聞く可き事」
先生は青年僧の「所化時代に御書を学んだのは一年間で八時間程度、一カ月に
すると一時間もなかった」、また、婦人部の「御書をまともに拝読できない住
職が多い」等の声を紹介。そして「日顕の御書講義は、いたずらに難解さを気
取るばかりで、大聖人の御精神を全く伝えていない」「法主という『権威』の
誇示のために御書を利用しているにすぎない」と切り捨てた。
第十二条「論議講説等を好み自余(じよ)を交(まじ)ゆ可からざる事」
宗門坊主の間では金儲けや遊びの情報交換が多いという証言を紹介した先生は
「弘教もせず、仏法を語り合うこともない、醜い『食法餓鬼』の集団、それが
現宗門であり、日興上人の御遺誡に完全に違背している」と断罪した。
第十三条「未だ広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」
この条目について、日亨上人が「万代法則」「重要永遠的の第一法則」とされ
たことを踏まえて先生は「この御遺誡こそ二十六箇条のなかで最も重要な中心
となる〝永遠の規範〟である」と力説。「創価学会の歴史は、この御遺誡を文
字通りに実践してきた『黄金の軌跡』である。宗門のどこに『不惜身命』の弘
教があるだろうか。それどころか遊蕩三昧にふけり、あまつさえ学会を破壊し、
広宣流布を断絶させようとしている。正法の敵である。日興上人の敵である」
と指導した。
宗門が日興上人の敵である証拠は身延離山の御精神を忘れ、身延派を破折せず、
仲良く交流していることだ。
C作戦の作成者・関快道は女房や法華講員を率いて誕生寺、清澄寺など身延派
の寺を巡拝(写真㊤)。また身延派の僧も大石寺の御影堂を訪れていた(写真㊦)。
第十四条「身軽法重の行者に於ては下劣の法師為りと雖も当如敬仏の道理に任
せて信敬を致す可き事」
先生はテレビに映し出された学会婦人の折伏の姿に日達法主が感激して涙を流
したとのエピソードを紹介。「『身軽法重の行者』とは学会員である。学会員
以外にだれがあるであろうか。その尊き学会員を蔑視し、陥れようとする悪侶
の罪は提婆達多よりも、はるかに重い」と力説した。
第十五条「弘通の法師に於ては下輩為りと雖も老僧の思を為す可き事」
先生は「離脱した僧侶の証言からも明らかなように宗門は異常な程に上下の差
別が厳しい」「地位が下であったり、後輩であっても、信心、実践に優れた人
を尊敬せよという御遺誡とは最もかけ離れた世界である」と指摘して、日興上
人の御精神に違背していると述べた。