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題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 9

名前:サム

MAIL 投稿日: 2025/07/24(木) 23:07 119-229-83-134f1.osk3.eonet.ne.jp (119.229.83.134)

御書拝読で判る大聖人のお立場 9


第九章 御本尊の図顕と授与による民衆救済


「経王御前のこと、二六時中に日月天に祈り申し候。先日のまぼり、暫時も身をはなさずたもち給え。その本尊は、正法・像法二時には、習える人だにもなし、ましてかき顕し奉ることたえたり。師子王は、前三後一と申して、ありの子を取らんとするにも、またたけきものを取らんとする時も、いきおいを出だすことは、ただおなじきことなり。日蓮、守護たるところの御本尊をしたため参らせ候ことも、師子王におとるべからず。経に云わく「師子奮迅の力」とは、これなり。また、この曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし。南無妙法蓮華経は師子吼のごとし、いかなる病さわりをなすべきや。(中略)日蓮がたましいをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給え。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましいは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。妙楽云わく『顕本遠寿をもってその命となす』と釈し給う。経王御前には、わざわいも転じて幸いとなるべし。あいかまえて御信心を出だし、この御本尊に祈念せしめ給え。何事か成就せざるべき。『その願を充満すること、清涼の池のごとし』『現世安穏にして、後に善処に生ぜん』、疑いなからん。」(経王殿御返事 新1632-3頁・全1124頁)文永10年8月 52歳御作
現代語訳:経王御前の事は、昼夜に日月天に祈っております。先日差し上げた御本尊は、しばらくの間、身から離すことなく受持していきなさい。その御本尊は、正法、像法の二時には、習い伝えた人すらいません。ましてや書き顕わす事は絶えていたのです。師子王は前三後一といって、蟻の子を取ろうとする時にも、また獰猛なものを取ろうとする時にも、その勢いは、全く同じです。日蓮が守護の御本尊をしたためるのも、師子王(の勢い)に劣らなかったのです。法華経涌出品に「師子奮迅の力」とあるのはこれです。また、この曼荼羅(御本尊)を、よくよく信じていきなさい。南無妙法蓮華経は師子吼の様なものです。どの様な病が、障害をなすでしょうか。(中略)日蓮が魂を墨に染めながして書いたのです。信じてください。釈迦仏の本意は法華経です。日蓮の魂は南無妙法蓮華経に過ぎたものはないのです。妙楽大師の法華文句記に「本地の遠寿を顕わすことをもってその根本となす」と解釈されています。経王御前にとっては、今の禍も転じて幸いとなるでしょう。心して信心を奮い起こし、この御本尊に御祈念していきなさい。何事か成就しない事があるでしょうか。法華経薬王品には「その願いが充満して、清涼の池のごとし」とあり、また薬草喩品には「現世は安穏にして、後の世には善処に生まれる」とあります。(これらの経文の通りになる事は)疑いないでしょう。
※四条金吾夫妻の幼児の病気を平癒する為に授与されたこの御本尊は、「日蓮が魂を墨に染め流して(大聖人御自身が生命を注いで)」図顕されたものであり、祈念すれば何事も成就でき、禍も転じて幸せの境涯になる事に疑いはない、と述べられています。


「この御本尊全く余所に求むることなかれ。ただ我ら衆生の法華経を持って南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におわしますなり。これを九識心王真如の都とは申すなり。十界具足とは、十界一界もかけず一界にあるなり。これによって曼陀羅とは申すなり。曼陀羅というは天竺の名なり。ここには、輪円具足とも功徳聚とも名づくるなり。この御本尊もただ信心の二字におさまれり。『信をもって入ることを得たり』とは、これなり。日蓮が弟子檀那等、『正直に方便を捨つ』『余経の一偈をも受けず』と無二に信ずる故によって、この御本尊の宝塔の中へ入るべきなり。たのもし、たのもし。いかにも後生をたしなみ給うべし、たしなみ給うべし。あなかしこ。南無妙法蓮華経とばかり唱えて仏になるべきこと、もっとも大切なり。信心の厚薄によるべきなり。」(日女御前御返事<御本尊相貌抄> 新2088頁・全1244頁)建治3年8月 56歳御作
現代語訳:この御本尊を、全く他所に求めてはなりません。ただ私達衆生が法華経を信受し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団におられるのです。これを「九識心王真如の都」というのです。十界具足とは、十界の各界が一界も欠けず、そのまま一界に納まっているということです。これによって、御本尊を曼陀羅というのです。曼陀羅というのはインドの言葉であり、訳すれば輪円具足とも、功徳聚ともいうのです。この御本尊も、ただ信心の二字に収まっているのです。「信を以って入ることを得たり」とあるのは、この事です。日蓮の弟子檀那達は、「正直に方便を捨てて」の文や「余経の一偈をも受持してはならない」の文の通り、法華経のみを唯一無二に信ずる事によって、この御本尊の宝塔の中に入ることができるのです。まことに頼もしいことです。なんとしても、後生(未来の福運)の為に、仏道に打ち込んでいきなさい。「南無妙法蓮華経」とだけ唱えて、成仏していく事が最も大切です。ひとえに信心の厚薄によるのです。
※「本尊は、私達衆生が法華経を信受し、南無妙法蓮華経と唱える胸中の肉団におられ、後生の為に仏に成れる様に、唱題に努めていきなさい」と、自力本願の真骨頂とも云える御指導ですね。


「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉って、我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給うところを仏とは云うなり。(中略)口に妙法をよび奉れば、我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給う。梵王・帝釈の仏性はよばれて我らを守り給う。仏菩薩の仏性はよばれて悦び給う。されば、「もししばらくも持たば、我は則ち歓喜す。諸仏もまたしかなり」と説き給うは、この心なり。されば、三世の諸仏も妙法蓮華経の五字をもって仏に成り給いしなり。三世の諸仏の出世の本懐、一切衆生皆成仏道の妙法と云うは、これなり。」(法華初心成仏抄 新704頁・全557頁)建治3年 56歳御作
現代語訳:我が己心の妙法蓮華経を本尊と崇め敬って、我が己心中の仏性を南無妙法蓮華経と呼んで、呼ばれて顕われるのを仏というのです。(中略)口で妙法を呼ぶ様に敬えば、我が身の仏性も呼ばれて必ず顕われます。梵王や帝釈の仏性は呼ばれて我らを守ります。仏や菩薩の仏性は呼ばれて喜びます。だから、法華経見宝搭品に「もし少しの間でも(法華経を)持つ者がいれば、我れ即座に歓喜する。諸仏もまた同様である」と説かれているのは、この意味です。従って、三世の諸仏も妙法蓮華経の五字によって仏になられたのです。三世諸仏の出世の本懐であり、一切衆生が皆、仏道を成ずる妙法というのは、これなのです。
※本抄では「三世諸仏の出世の本懐」とされていますが、我が己心の妙法蓮華経を本尊と崇め、南無妙法蓮華経と唱える事で己心の仏性を呼び覚ます事ができる、と明示されています。


「御義口伝に云わく、この本尊の依文とは、「如来秘密・神通之力」の文なり。戒・定・慧の三学は、寿量品の事の三大秘法これなり。日蓮たしかに霊山において面授口決せしなり。本尊とは、法華経の行者の一身の当体なり云々。」(御義口伝下 新1059頁・全760頁)弘安元年正月 
現代語訳:御義口伝に仰せです。この本尊の依文になっているのは、如来寿量品の「如来秘密神通之力」の文なのです。戒定慧の三学は、(その究極は、内証の)寿量品に説かれる「事の三大秘法」がその実体なのです。日蓮は、(三大秘法を)たしかに霊鷲山において面授口決を受け(大聖人の一身に持っ)ているのです。(従って)本尊とは、末法の法華経の行者(即ち御本仏日蓮大聖人)の一身の当体なのです。
※本尊とは、法華経行者の当体である、と明確に仰せです。


「この御本尊は、世尊説きおかせ給いて後、二千二百三十余年が間、一閻浮提の内にいまだひろめたる人候わず。漢土の天台、日本の伝教、ほぼしろしめして、いささかひろめさせ給わず。当時こそひろまらせ給うべき時にあたりて候え。経には上行・無辺行等こそ出でてひろめさせ給うべしと見えて候えども、いまだ見えさせ給わず。日蓮はその人に候わねども、ほぼこころえて候えば、地涌の菩薩の出でさせ給うまでの口ずさみにあらあら申して、況滅度後のほこさきに当たり候なり。願わくは、この功徳をもって、父母と師匠と一切衆生に回向し奉らんと祈請仕り候。」(本尊問答抄 新314-5頁・全頁)弘安元年9月 57歳御作
現代語訳:この御本尊を、釈尊が法華経の中に説き置かれて後二千二百三十余年の間、一閻浮提の内にいまだ弘めた人はいないのです。中国の天台大師や日本の伝教大師はほぼ知っていても、少しも弘められなかったのです。当時(末法の今)こそ弘められる時に当たっているのです。法華経には上行菩薩・無辺行菩薩等の地涌の菩薩が出現して弘めると説かれていますが、いまだに出現されてはいないのです。日蓮はその人ではありませんが、ほぼ心得たので地涌の菩薩が出現されるまでの間、思い浮かぶままにあらあらの所を説いて、法華経法師品第十の「況滅度後」の大難に遭ったのです。願いとしてこの功徳をもって、父母と師匠と一切衆生に回向してあげたいと請い祈っています。
※大聖人は、この時点でも上行菩薩を否定されていますが、菩薩の代行として、一切衆生を幸福にさせたいと御本尊を図顕されたのです。また大聖人自身の功徳を回し転じて衆生に振り向け(回向)、自他共に仏果を成就させたいと願われたのですね。


◎本尊について、日蓮大聖人は紙幅の御本尊以外に我々の胸中にある、など様々に御教示されています。更に紙幅御本尊は、「法華弘通の旗印」(日女御前御返事<御本尊相貌抄> 新2086頁・全1243頁)とされ、日興上人が分身散体の意義を込めて本尊書写を許可されて今日の普及に至っています。当然、歴代法主だけではなく一般僧侶の書写も行われていました。現代では、科学の進歩により手書きの模写ではない精密なデジタル画像の作成が可能になっていますので、私は「大聖人御自筆御本尊」のコピーを各家庭の御本尊として欲しいと思っています。此れを実施してこそ、創価学会は、日顕宗から完全に決別し発迹顕本した存在になる、と信じています。


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