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御書拝読で判る大聖人のお立場 1
第一章:自ら出自を開示
日蓮大聖人は、御自身を民が子,海人が子、賤民が子、旃陀羅が子、と最下層の凡夫相のお姿として、へりくだって仰せです。出自を公表すると共に宗教者としての決意を述べられています。
「日蓮は、安房国東条の片海の石中の賤民が子なり。威徳なく、有徳のものにあらず。なににつけてか、南都北嶺のとどめがたき、天子・虎牙の制止に叶わざる念仏をふせぐべきとは思えども、経文を亀鏡と定め、天台・伝教の指南を手ににぎりて、建長五年より今年文永七年に至るまで十七年が間これを責めたるに、日本国の念仏、大体留まり了わんぬ。眼前にこれ見えたり。また口にすてぬ人々はあれども、心ばかりは念仏は生死をはなるる道にはあらざりけると思う。」(善無畏三蔵抄 新1185頁・全883頁)文永7年 49歳御作
現代語訳:日蓮は安房の国・東条の片海の磯に住む賎民の子です。威徳もなく有徳の者でもありません。奈良や叡山が防ぎ止めることができないで、天皇の威力によっても制止できない念仏を、どうして防ぐことができるのだろうかとは思うけれども、経文を亀鏡と定め、天台・伝教の指南を手にして建長五年から今年・文永七年に至るまでの十七年間、念仏を責めたので、日本国の念仏は殆ど停滞しきっています。この事は眼前に見えています。また口では念仏を捨てていないと言う人達が存在していても、心の中では念仏は生死を離れる道では無い、と思っているのです。
補足:亀鏡とは、亀の甲は吉凶の占いに用いられ、鏡は物の姿を映す事から、合わせて模範・手本の意味で使われ、根本の規範として仏説である仏の教法を、また人師・論師の所説も指します。
※御自身を威徳も有徳も無い賤民の子と卑下されていますが、正義感は誰よりも強かったと拝される御文ですね。
「日蓮は日本国の東夷東条、安房国の海辺の旃陀羅が子なり。いたずらにくちん身を法華経の御故に捨てまいらせんこと、あに石に金をかうるにあらずや。各々なげかせ給うべからず。道善御房にも、こう申しきかせまいらせ給うべし。」(佐渡御勘気抄 新1196頁・全891頁)文永8年 50歳御作
現代語訳:日蓮は日本国の東夷(「東国の異民族」との蔑称)東条郷の、安房の国の海辺にある旃陀羅の子です。むなしく朽ちていくこの身を法華経の為に捨てる事は、丁度石を金に換える様なものではないでしょうか。あなた方よ、嘆かれてはなりません。道善の御房にも、この様に申し聞かせてください。
補足:旃陀羅とは、暴悪・悪人・屠者・殺者と訳され、インドのカースト制度の最下層に置かれ、屠殺や死体処理を職業とし、一般の人は彼達を見ても触れてもいけない不可触賤民とも呼ばれていました。法華経安楽行品では「身分の卑賤な民」の意味に用いられています。
※清澄寺関係者に宛てた御文ですが、御自身を石、法華経を金に例えて、「本より学文し候いしことは、仏教をきわめて仏になり、恩ある人をもたすけんと思う」と本抄の冒頭にある通り、大聖人の志が覗える御文ですね。
「日蓮、今生には貧窮・下賤の者と生まれ、旃陀羅が家より出でたり。心こそすこし法華経を信じたるようなれども、身は人身に似て畜身なり。魚鳥を混丸して赤白二渧とせり。その中に識神をやどす。濁水に月のうつれるがごとし。糞囊に金をつつめるなるべし。心は法華経を信ずる故に梵天・帝釈をもなお恐ろしと思わず。身は畜生の身なり。色心不相応の故に、愚者のあなずる道理なり。」(佐渡御書 新1287頁・全958頁)文永9年 51歳御作
現代語訳:日蓮は今生には貧しく下賎の者と生まれ、旃陀羅が家に生まれたのです。心こそ少し法華経を信じている様ですが、身は人身にして畜生の身なのです。魚や鳥を混丸して父母の赤白二渧とし、その中に精神を宿したのです。濁った水に月が映り、糞嚢に金を包んだ様なものなのです。心は法華経を信ずる故に、梵天・帝釈でさえも恐ろしいとは思いません。しかし身は畜生の身ですから、身と心とが相応しくない為に、愚者が侮るのも当然なのです。
※やはり、御自身を卑下した御文になっています。
「日蓮は東海道十五箇国の内、第十二に相当たる安房国長狭郡東条郷片海の海人が子なり。生年十二、同じき郷の内、清澄寺と申す山にまかり登り住しき。遠国なるうえ、寺とはなづけて候えども、修学の人なし。しかるに、随分諸国を修行して学問し候いしほどに、我が身は不肖なり、人はおしえず。十宗の元起・勝劣たやすくわきまえがたきところに、たまたま仏菩薩に祈請して、一切の経論を勘えて十宗に合わせたる」(本尊問答抄 新310頁・全37頁)弘安元年 57歳御作
現代語訳:日蓮は東海道十五箇国のうち第十二番目に当たる安房国長狭郡東条郷の片海の海師の子です。十二歳の時に、同じ東条郷にある清澄寺という山に登って暮らしました。しかし、安房は京都から遠く離れた所である上に、寺といっても学び修行する人はいませんでした。そこで、随分と諸国を巡って修行し学問を続けましたが、自分は不肖の身であるし、しかも人は教えてくれません。十宗の起源やそれらの勝劣を容易には修得でき難かったところに、たまたま仏菩薩に祈請し、一切の経論を研究し、十宗の教義と照らし合わせたのです。
※此の御文で大聖人が、殆ど独学で仏道修行されて、仏法全般を理解された御様子が解りますね。
◎大聖人は自らの境遇を明らかにして、全ての人の人権を尊重し、将来の境涯や人生は全て平等である事を、示されているのですね。今でも世界や世間では、人権を無視したり、差別を容認したり、自身を特別に選ばれた存在の様に、行動する人が多い中で、創価学会員だけは、日蓮仏法の模範を示していきたいですね。