[160] 題名:御書拝読で判る大聖人のお立場 7
名前:サム
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投稿日:
2025/06/21(土) 10:36
2001:ce8:127:e3a4:c831:8183:ed1d:608a(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:c831:8183:ed1d:608a)
御書拝読で判る大聖人のお立場 7
第七章 出世の本懐・民衆仏法の確立と広布への決意
「出世」とは、仏教用語で仏や菩薩等が世に出現すること、「本懐」とは、心に懐く究極の目的・本意のことを言い、「出世の本懐」とは、この世に出現した仏菩薩の真実究極の目的・本意を言います。本章で述べさせて頂く日蓮大聖人の「出世の本懐」は、読者の皆様も表現は異なれど一貫していると、理解されるのではないでしょうか。
「経の文には「いたるところの諸仏の土に、常に師とともに生ず」とも、あるいは「もし法師に親近せば、速やかに菩薩の道を得、この師に随順して学せば、恒沙の仏を見たてまつることを得ん」とも云えり。釈には「本この仏に従って初めて道心を発し、またこの仏に従って不退地に住せん」とも、あるいは云わく「初めこの仏菩薩に従って結縁し、またこの仏菩薩において成就す」とも云えり。この経釈を案ずるに、過去無量劫より已来、師弟の契約有りしか。我ら、末法濁世において、生を南閻浮提大日本国にうけ、忝くも、諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を、口に唱え、心に信じ、身に持ち手に翫ぶこと、これひとえに過去の宿習なるか。予、日本の体を見るに、第六天の魔王、智者の身に入って、正師を邪師となし、善師を悪師となす。経に「悪鬼はその身に入る」とは、これなり。日蓮、智者にあらずといえども、第六天の魔王、我が身に入らんとするに、兼ねての用心深ければ身によせつけず。故に、天魔、力及ばずして、王臣を始めとして良観等の愚癡の法師原に取り付いて日蓮をあだむなり。」(最蓮房御返事 新1780頁・全1340頁)文永9年4月 51歳御作
現代語訳:法華経には「あらゆる諸仏の国土に常に師とともに生まれるであろう」とも、或いは「もし法師に親しく交わるならば、速やかに菩薩の道を得るであろう。この師にしたがって学ぶならば無数の仏を拝見することができるであろう」とも説かれています。法華玄義には「もとこの仏に従って初めて仏道を求める心を起こし、またこの仏に従って不退の境地に住するであろう」とも、或いは法華文句記には「初めこの仏菩薩に従って結縁し、還ってこの仏菩薩のもとで成就する」とも云っています。この経や釈を考えてみるに、過去の計り知れない昔から師弟の約束があったのでしょうか。私達が末法濁世において生を南閻浮提の大日本国に受け、恐れ多くも諸仏出世の本懐である南無妙法蓮華経を口に唱え、心に信じ、身に持ち、手にもてあそぶことは、ひとえに過去の宿習なのでしょうか。私が日本の姿を見るに、第六天の魔王が智者の身に入って正師を邪師となし、善師を悪師となしています。法華経に「悪鬼其の身に入る」と説かれているのはこれです。日蓮は智者ではないけれども、第六天の魔王が我が身に入ろうとしても、かねてから用心深いので身に寄せつけません。だから天魔は力及ばずに王や臣下をはじめとして良観等の愚かな法師達に取りついて、日蓮を怨むのです。
※「諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経」とありますが、実際は大聖人御自身の出世の本懐であると遠回しに述べている事には、間違いないでしょうね。
「阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、これより外の才覚無益なり。聞・信・戒・定・進・捨・慙の七宝をもってかざりたる宝塔なり。多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもえば、さにては候わず、我が身を供養し給う。我が身また三身即一の本覚の如来なり。かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給え。ここさながら宝塔の住処なり。経に云わく「法華経を説く処有らば、我がこの宝塔その前に涌現す」とは、これなり。あまりにありがたく候えば、宝塔をかきあらわしまいらせ候ぞ。子にあらずんば、ゆずることなかれ。信心強盛の者にあらずんば、見することなかれ。出世の本懐とは、これなり。」(阿仏房御書<宝塔御書> 新1733頁・全1304頁)(建治2年3月)
現代語訳:阿仏房はそのまま宝塔であり、宝塔はそのまま阿仏房である。こう信解するよりほかの才覚は無益です。聞・信・戒・定・進・捨・慚という七つの宝をもって飾った宝塔です。あなたが多宝如来の宝塔を供養しておられるのかと思えばそうではありません。我が身を供養しておられるのです。我が身がまた三身即一身の本覚の如来なのです。この様に信じて南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。この場所がそのまま宝塔の住処なのです。法華経見宝塔品に「法華経を説く処には、我がこの宝塔がその前に涌現する」と説かれているのはこの事です。あまりにありがたい事なので、宝塔を書き顕して差し上げます。我が子でなければ譲ってはいけません。信心強盛の者でなければ見せてはいけません。日蓮の出世の本懐とはこれ(宝塔の本尊)を言うのです。
※此処で言う「大聖人の出世の本懐」とは、「宝塔を書き顕し進呈する事」つまり「御本尊の建立と授与」そして此れが、万人の幸福享受への最良の道である事を示唆していますね。
「「一」とは中道、「大」とは空諦、「事」とは仮諦なり。この円融の三諦は何物ぞ。いわゆる南無妙法蓮華経これなり。この五字は、日蓮出世の本懐なり。これを名づけて事となす。日本国の一切衆生の中に日蓮が弟子檀那と成る人は、「衆生にこの機有って仏を感ず。故に名づけて『因』となす」の人なり。それがために法華経の極理を弘めたるは、「機を承けて応ず。故に名づけて『縁』となす」にあらずや。「因」は下種なり。「縁」とは、三・五の宿縁に帰するなり。事の一念三千は、日蓮が身に当たっての大事なり。」(御義口伝 新998-9頁・全717頁)弘安元年正月
現代語訳:一とは、中道法相で中諦、大とは生命が大宇宙に遍満しているということで空諦、事とは事実の相、行動で仮諦です。この三諦がバラバラでなく、渾然一体となっている実体、即ち円融の三諦とは何物でしょうか。それはいわゆる南無妙法蓮華経の事です。この南無妙法蓮華経の五字こそ、日蓮の出世の本懐なのです。この事行の一念三千を名づけて事というのです。日本国の一切衆生の中でも、日蓮の弟子檀那となる人は、法華文句にある「衆生に此の機有って仏を感ず、故に名けて因と為す」人です。その為に法華経の極理たる南無妙法蓮華経を弘める人は、(まさに末法の御本仏であり)「仏機を承けて而も応ず、故に名けて縁と為す」に該当する人ではないでしょうか。因とは(久遠元初の)下種です。縁とは三千塵点劫、五百塵点劫の宿縁に帰するのです。(日蓮大聖人は、その久遠元初の下種である南無妙法蓮華経を末法に弘められたのです。これこそ事の一念三千です。)事の一念三千は(日蓮大聖人の御生命そのものであり)日蓮の身に当たる大事なのです。
※事の一念三千つまり南無妙法蓮華経の五字、その普及こそ、大聖人の身に当たる大事つまり日蓮大聖人の「出世の本懐」であると、述べておられるのですね。
「清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午時にこの法門申しはじめて、今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う。その中の大難申すばかりなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。その間の大難は、各々かつしろしめせり。」(聖人御難事 新1618頁・全1189頁)弘安2年10月 58歳御作
現代語訳:清澄寺という寺の諸仏坊の持仏堂の南面で、正午の時に、この法門を唱えはじめて以来二十七年を経過し、今弘安二年です。釈迦は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年の後に、それぞれ出世の本懐を遂げられました。その本懐を遂げられるまでの間の大難は、それぞれに言い尽くせないほどです。今まで、しばしば述べてきた通りです。日蓮は、二十七年です。その間の大難は、各々がよく御存知の通りです。
※此処で言う「二十七年」とは、大聖人が建長五年に立宗宣言してから本抄執筆までの期間を述べられているのです。先月より大法難が、庶民である農民信徒にも起こり、それを乗り越えようと彼達が懸命に信心していると聞き及び、大聖人御一人から始まった妙法がついに「民衆仏法」として確立された、と自認され、大聖人は、「御自身の出世の本懐」とされたのですね。
「日蓮は中国・都の者にもあらず、辺国の将軍等の子息にもあらず。遠国の者、民が子にて候いしかば、日本国七百余年に一人もいまだ唱えまいらせ候わぬ南無妙法蓮華経と唱え候のみならず、皆人が、(中略)渇して水のごとく、うえて飯のごとく思って候南無阿弥陀仏を、「無間地獄の業なり」と申し候ゆえに、(中略)おどろき、そねみ、ねたみ候ゆえに、去ぬる建長五年四月二十八日より今弘安二年十一月まで二十七年が間、退転なく申しつより候こと、(中略)はじめは日蓮ただ一人唱え候いしほどに、見る人、値う人、聞く人、耳をふさぎ、(中略)父母・兄弟・師匠・ぜんうもかたきとなる。後には所の地頭・領家、かたきとなる。後には一国さわぎ、後には万人おどろくほどに、(中略)すでに日本国十分が一分は一向南無妙法蓮華経、のこりの九分は、あるいは両方、あるいはうたがい、あるいは一向念仏者なる者、父母のかたき、主君のかたき、宿世のかたきのようにののしる。村主・郷主・郡主・国主等は、謀叛の者のごとくあだまれたり。」(中興入道消息 新1768頁・全1332頁)弘安2年11月 58歳御作
現代語訳:日蓮は、中央の都の者でもなければ、辺境の将軍等の子息でもありません。都から遠く離れた国の庶民の子ですが、(そんな賤しい身分の日蓮が、)日本国七百年以上もの間、誰一人も唱え無かった南無妙法蓮華経の題目を唱えるばかりではなく、一切の人々が(中略)渇きに水を得た様に喜び、飢えて食物を得た様に思っている南無阿弥陀仏の称名を、「無間地獄に堕ちる業となるものだ」と破折したので、(中略)人々は日蓮の言説に驚き、うらみ、憎んだのですが、去る建長五年四月二十八日の立宗以来、今日の弘安二年十一月に至る二十七年間、退転なく年を経るごとにより強盛に(南無妙法蓮華経の)弘通に努めてきた事で、(中略)はじめは日蓮ただ一人、題目を唱えていましたが、見る人、会う人、聞く人いずれも耳をふさぎ、(中略)父母、兄弟、師匠、善友等、近しい人達までもが仇となりました。後には、生国の地頭や領家も日蓮に敵対しました。ついには一国あげて騒ぎ万民が驚嘆するほどになり、(中略)既に日本国の民衆の十分の一は、一心に南無妙法蓮華経と唱える様になり、残りの九分は、念仏と題目の両方を行じ、或いはどちらにつくべきか迷い、或いは一途に念仏を行ずる者は、日蓮をまるで父母のかたき、主君のかたき、宿世のかたきでもあるかの様に罵っているのです。(そして)村主、郷主、国主等は、日蓮を謀叛人の様に怨んでいるのです。
※当時、強盛な法華信者に対して、反対者の多数が批判を越えて法難を起こし、大聖人を謀反人・反逆者の様に恨んだのです。ところが、その中でも農民達・民衆の10分の1が日蓮仏法を信じる様になったのです。此処に大聖人の出世の本懐でもある「民衆仏法を確立」させたのですね。
◎日蓮正宗では、弘安二年十月十二日にあたかも日蓮大聖人が、「戒壇本尊」と称する「楠板本尊」を建立され、これが「日蓮大聖人の出世の本懐」だと宣揚しています。ところが、大聖人の御書や門下の書物の何処にも、その事実を証明する記述はありません。当時の大聖人の健康状態・経済状況等の背景を考慮しても、「楠板本尊」の相貌を既存の「大聖人御自筆御本尊」や「歴代法主書写本尊」のそれと比較しても相違点が多く、大聖人が建立されたとされる「楠板本尊」が虚偽であり、作者不明且つ後世の模作である可能性が高いのです。これまで拙ブログで述べてきましたし、おそらく創価学会首脳部でも認識されている事だと思います。