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師匠と我らとの関係 32(諸方面に散在する門下に宛てられた御抄)
「諸方面に散在する門下に宛てられた御抄」における弟子との関係
「仏、本願に趣いて法華経を説き給いき。しかるに、法華経の御座には父母ましまさざりしかば、親の生まれてまします方便土と申す国へ贈り給いて候なり。その御言に云わく「しかして、彼の土において、仏の智慧を求め、この経を聞くことを得ん」等云々。この経文は、智者ならん人々は心をとどむべし、教主釈尊の父母の御ために説かせ給いて候経文なり。この法門は、ただ天台大師と申せし人ばかりこそ知っておわし候いけれ。その外の諸宗の人々知らざることなり。日蓮が心中に第一と思う法門なり。父母に御孝養の意あらん人々は、法華経を贈り給うべし。教主釈尊の父母の御孝養には、法華経を贈り給いて候。」(刑部左衛門尉女房御返事 新2074頁・全1400-1頁)弘安3年10月 59歳御作
現代語訳:仏は本来の誓願に従って法華経を説かれたのです。しかしながら、法華経の会座には父母がおられなかったので、親が生まれ変わられている方便土という国へ法華経を贈られたのです。その時の言葉に「しかも、彼の国において仏の智慧を求めて、この経を聞くことができる」と言われました。この経文に、智者である人々は、心を留めるべきです。(これは)教主釈尊が父母の為に説かれた経文です。この法門は、ただ、天台大師という人だけが知っておられ、その外の諸宗の人々は知らない事なのです。(そして)日蓮が心の中で第一と思う法門です。父母に孝養しようとする意志のある人々は、父母に法華経を贈るべきです。教主釈尊も、父母への孝養の為に法華経を贈られているのです。
※本抄は、尾張国高木郡(愛知県扶桑町)に住む尾張刑部左衛門尉殿(生没年不明)女房に贈られた御文で、内容は母十三回忌の供養を大聖人に奉った事に際して、内外の経典を通して親の恩の中でも母の恩が重く、母への真実の報恩は法華経を信じて追善供養する事である、と明かされています。
「構えて構えて、所領を惜しみ、妻子を顧み、また人を憑んであやぶむことなかれ。ただひとえに思い切るべし。今年の世間を鏡とせよ。そこばくの人の死ぬるに、今まで生きて有りつるは、このことにあわんためなりけり。これこそ宇治川を渡せし所よ。これこそ勢多を渡せし所よ。名を揚ぐるか、名をくだすかなり。人身は受け難く、法華経は信じ難しとは、これなり。「釈迦・多宝・十方の仏、来集して我が身に入りかわり、我を助け給え」と観念せさせ給うべし。」(弥三郎御返事 新2085頁・全1451頁)建治3年8月 56歳御作
現代語訳:十分に心して、所領を惜しんだり妻子を顧みたり、また人をたのみにして、あやぶんだりしてはなりません。ただひとえに思い切るべきです。今年の世間の様子を鏡としなさい。多くの人が死んだのに、自分が今まで生き永らえて来たのはこの事に遭遇する為なのです。これこそ宇治川を渡す所であり、これこそ勢多を渡す所なのです。(この法戦に勝って)名を揚げるか名を下すかの境目なのです。人身は受け難く、法華経は信じ難しとはこの事です。釈迦・多宝・十方の仏が来集して我が身に入り替わり、我を助けたまえと観念して行きなさい。
※士気を鼓舞する有名な御文ですね。内容は、全編で念仏を破折していますが、此処では法難に対する信心の在り方・心構えを教示されています。本抄を贈られた弥三郎の事績は明らかでなく、伊豆方面の門下として紹介した船守弥三郎とは別人の可能性があります。
「ここに日蓮、いかなる不思議にてや候らん、竜樹・天親等、天台・妙楽等だにも顕し給わざる大曼荼羅を、末法二百余年の比、はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり。これ全く日蓮が自作にあらず。多宝塔中の大牟尼世尊、分身の諸仏、すりかたぎたる本尊なり。されば、首題の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に坐し、釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ、普賢・文殊等、舎利弗・目連等坐を屈し、日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅、その外、不動・愛染は南北の二方に陣を取り、悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり、三千世界の人の寿命を奪う悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等、しかのみならず、日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩、天神七代・地神五代の神々、総じて大小の神祇等、体の神つらなる。その余の用の神、あにもるべきや。宝塔品に云わく「諸の大衆を接して、皆虚空に在きたもう」云々。これらの仏菩薩・大聖等、総じて序品列坐の二界八番の雑衆等、一人ももれずこの御本尊の中に住し給い、妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる。これを本尊とは申すなり。」(日女御前御返事<御本尊相貌抄> 新2086-7頁・全1243頁)建治3年8月
現代語訳:ここに、日蓮はどういう不思議でしょうか。正法時代の竜樹、天親等、像法時代の天台、妙楽等でさえ、顕わすことが無かった大曼荼羅を、末法に入って二百余年を経たこの時に、初めて、法華弘通の旗印として顕わしたのです。この大曼荼羅は、全く日蓮が勝手に作り出したものではありません。法華経に出現した多宝塔中の釈迦牟尼仏、並びに十方分身の諸仏の姿を、あたかも板木で摺るように摺りあらわした御本尊なのです。従って、首題の妙法蓮華経の五字は中央にかかり、四大天王は宝塔の四方に座を占めています。釈迦・多宝、更に、本化の四菩薩は肩を並べ、普賢、文殊等、舎利弗、目連等が座を屈しています。更に、日天、月天、第六天の魔王や、竜王、阿修羅が並び、その外、不動明王と愛染明王が南北の二方に陣を取り、悪逆の提婆達多や愚癡の竜女も一座をはり、三千世界の人の寿命を奪う悪鬼である鬼子母神や十羅刹女等、そればかりでなく、日本国の守護神である天照太神、八幡大菩薩、天神七代、地神五代の神々、全ての大小の神祇等、本体の神が皆この御本尊の中に列座しているのです。それ故、その他の用の神がどうして、もれるはずがあるでしょうか。宝塔品には「諸の大衆を接して、皆虚空に在り」とあります。これらの仏・菩薩・大聖等、更に法華経序品の説会に列なった二界八番の雑衆等、一人ももれずに、この御本尊の中に住し、妙法蓮華経の五字の光明に照らされて、本来有りのままの尊形となっています。これを本尊というのです。
※日女御前は、池上氏の妻とも松野後家尼の娘とも云われていますが、詳細は不明です。本抄では、本尊に関する経釈を引いて相貌を明らかにし、自己の胸中の肉団に本尊が存在し、仏法の根本は「信」にある事を述べておられます。
「この法華経には、我らが身をば法身如来、我らが心をば報身如来、我らがふるまいをば応身如来と説かれて候えば、この経の一句一偈を持ち信ずる人は、皆この功徳をそなえ候。南無妙法蓮華経と申すは、これ一句一偈にて候。しかれども、同じ一句の中にも肝心にて候。「南無妙法蓮華経と唱うるばかりにて仏になるべしや」と、この御不審、所詮に候。一部の肝要、八軸の骨髄にて候。人の身の五尺六尺のたましいも一尺の面にあらわれ、一尺のかおのたましいも一寸の眼の内におさまり候。また、日本と申す二つの文字に、六十六箇国の人畜田畠・上下貴賤・七珍万宝、一つもかくること候わず収めて候。そのごとく、南無妙法蓮華経の題目の内には、一部八巻二十八品六万九千三百八十四の文字、一字ももれずかけずおさめて候。されば、「経には題目たり、仏には眼たり」と楽天ものべられて候。記の八に「略して経題を挙ぐるに、玄に一部を収む」と妙楽も釈しおわしまし候。心は、略して経の名ばかりを挙ぐるに、一部を収むと申す文なり。一切のことにつけて、所詮・肝要と申すことあり。法華経一部の肝心は南無妙法蓮華経の題目にて候。朝夕御唱え候わば、正しく法華経一部を真読にあそばすにて候。二返唱うるは二部、乃至百返は百部、千返は千部、かように不退に御唱え候わば、不退に法華経を読む人にて候べく候。(妙法尼御前御返事<一句肝心の事> 新2098-9頁・全1402-3頁)弘安元年7月 57歳御作
現代語訳:この法華経には、我等の身を法身如来、我等の心を報身如来、我等の振る舞いを応身如来と説かれていますので、この法華経の一句一偈を持ち信ずる人は、皆この功徳を具えているのです。南無妙法蓮華経というのは、一句一偈なのです。しかし、同じ一句の中でも肝心の一句なのです。「南無妙法蓮華経と唱えるだけで仏に成れるのか」とお尋ねですが、この疑問は最も大切な事です。法華経一部の肝要であり、八巻の骨髄なのです。 人の身は五尺、六尺であっても、魂は一尺の顔に現れ、一尺の顔に現れている魂も一寸の眼の中に収まっています。また、日本という二つの文字に、六十六か国の人畜、田畠、上下、貴賎、七珍万宝が一つも欠けることなく収まっています。その様に、南無妙法蓮華経の題目の中には、法華経一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四の文字が一字も漏れず、欠けずに収まっています。そうであれば、「経には題目が大事であり、仏には眼が大事である」と白楽天も述べられています。妙楽大師も法華文句記巻八に「略して経題を挙ぐるに玄に一部を収む」と釈されています。その意味は、略して経の名だけを挙げても、その中に法華経の全体を収めているという文です。全体の事に付けて、所詮、肝要という語句があります。法華経一部の肝心は南無妙法蓮華経の題目です。従って、朝夕唱目を唱えるならば、正しく法華経一部を真読されていることになるのです。二遍唱えることは二部、百遍は百部、千遍は千部読むことになり、この様に、怠りなく唱えるならば、怠りなく法華経を読む人なのです。
※本抄では、法華経の一句一偈の謂れを質問する事は稀であると褒められ、六難九易の譬を説かれています。そして法華経の題目(南無妙法蓮華経)は一切経の肝心であり、不退に唱題する人が法華経を読む人(即ち法華経の行者)であると述べられています。妙法尼(岡宮妙法尼、生没年不明)は、駿河国(静岡県)岡宮の人で夫や兄に先立たれるも、信仰厚く大聖人から信頼され、長文の本抄を賜っていますが、弘安5年2月に逝去されたと言われています。同名で、四条金吾の母や中興入道の母等もおられた様です。
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「法華経の即身成仏に二種あり。迹門は理具の即身成仏、本門は事の即身成仏なり。今、本門の即身成仏は「当位即ち妙なり。本有にして改めず」と断ずるなれば、肉身をそのまま本有無作の三身如来と云える、これなり。この法門は一代諸教の中にこれ無し。文句に云わく「諸教の中においてこれを秘して伝えず」等云々。(中略)
なおなお即身成仏とは、迹門は能入の門、本門は即身成仏の所詮の実義なり。迹門にして得道せる人々、種類種・相対種の成仏、いずれもその実義は本門寿量品に限れば、常にかく観念し給え。正観なるべし。」(妙一女御返事<事理成仏抄> 新2133-4頁・全1261-2頁)弘安3年10月
現代語訳:法華経の即身成仏に二種類があります。一つは迹門の理の即身成仏であり、もう一つは本門の事の即身成仏です。今本門の即身成仏とは、当位即妙・本有不改と決定する所のものであり、凡夫の肉身そのままの姿が、本有無作の三身如来であるというのはこの事をさしているのです。この即身成仏の法門は釈尊一代四十余年の諸教の中においては説いていません。従って天台大師も、法華文句の中に「諸教の中では、この即身成仏の法を秘して伝えていない」と言っています。(中略)
なお、即身成仏とは、迹門は能入の門であり、本門は即身成仏の実義そのものを説いています。迹門で得道したとされている人々も、また種類種・相対種の成仏も、何れも即身成仏の実義は、本門寿量品に限るので、常に深く確信して信心に励んでいきなさい。それが正しい悟りなのです。
※本抄では、即身成仏にも迹・本・観心の別があり、妙法の題目を受持する事が成仏の本因となる、と御教示されています。ところで、妙一女と妙一尼を同一人物とされていました。しかし大聖人は、同時期のそれぞれの御消息文、例えば「妙一尼御前御消息 新1697頁・全1255頁 弘安3年5月」に対して「妙一女御返事<即身成仏法門> 新2124頁・全1255頁 弘安3年7月」と本抄の様に、末文に再度宛名を後付けしていますが、別名なのです。従って、同人物と検証されるまで別人物として扱うことにしました。
「その上は、私に計り申すに及ばず候。叶い叶わぬは御信心により候べし。全く日蓮がとがにあらず。水すめば月うつる、風ふけば木ゆるぐごとく、みなの御心は水のごとし、信のよわきはにごるがごとし、信心のいさぎよきはすめるがごとし。木は道理のごとし、風のゆるがすは経文をよむがごとしとおぼしめせ。」(日厳尼御前御返事 新2135頁・旧1262頁)弘安3年11月
現代語訳:その上は自分勝手に御本尊の功徳を推し量ってはいけません。あなたの願いが叶うか叶わないかは、御信心によるのです。全く日蓮が失ではありません。例えば、水が澄めば月はきれいに映り、風が吹けば木の枝が揺れる様に、人の心は水の様なものであり、信人が弱いのは、水が濁っている様なものです。信心でスッキリするのは水が澄んでいる様なものです。木は仏法の道理の様なものであり、風がその木を揺り動かすのは、ちょうど修行して経文を読む様なものです、と心得ていきなさい。
※日厳尼(生没年不明)は、高橋六郎兵衛入道の関係者とされています。願いが叶うか否かは、信心の強弱による、と譬を挙げてご教示されています。
◎大聖人御在世当時、各地に御門下が散在していたとはいえ、日蓮仏法は既成仏教に比べると、まだまだ少なかった様です。現今は、創価学会の宗門離脱により、一気に世界広宣流布の気運が高まってきていますね。