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師匠と我らとの関係 27(南条家及び時光に宛てられた御抄)前
「南条家及び時光に宛てられた御抄」における弟子との関係 前編
「南条」とは、元々伊豆国南条郷(静岡県田方郡韮山町)を指し、駿河国富士郡上野郷(静岡県富士宮市上野)の地頭であった南条家が、かつて南条郷に住んでいたので、この様に呼ばれました。南条家又は上野家の南条兵衛七郎夫妻、七郎次郎(時光)夫妻、七郎五郎等代々が、大聖人に帰依され、信心を貫かれました。今回も前後二編として紹介させて頂きます。
「もしさきにたたせ給わば、梵天・帝釈・四大天王・閻魔大王等にも申させ給うべし。『日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子なり』となのらせ給え。よもほうしんなきことは候わじ。ただし、一度は念仏、一度は法華経となえつ。二心ましまし、人の聞きにはばかりなんどだにも候わば、よも、『日蓮が弟子』と申すとも御用い候わじ。後にうらみさせ給うな。ただし、また法華経は今生のいのりともなり候なれば、もしやとしていきさせ給い候わば、あわれ、とくとく見参して、みずから申しひらかばや。語はふみにつくさず、ふみは心をつくしがたく候えば、とどめ候いぬ。」(南条兵衛七郎殿御書 新1831頁・全1498頁)文永元年12月 43歳御作
現代語訳:もし(日蓮より)先に旅立たれたならば、梵天・帝釈天・四大天王・閻魔大王等にも申し上げなさい。「日本第一の法華経の行者・日蓮房の弟子です」と名乗りなさい。よもや粗略な扱いはされないでしょう。ただし、一度は念仏、一度は法華経を唱えるという様に、二心があって、人の風聞を恐れる様な事がもしもあるならば、「日蓮の弟子」と名乗っても、お用いにはならないでしょう。後になって恨んではなりません。但し法華経は今生の祈りともなるのですから、ひょっとして生き延びられることがあれば、一刻も早くお会いして、日蓮からお話ししたいです。言葉を文章にしても尽くせません。文章は真心を尽くし難いので、これで留めます。
※南条兵衛七郎入道行増(?-文永2年)は南条時光の父で、北条家の家臣で氏は平氏であり、南条殿・上野殿と呼ばれるのは本冒頭の通りです。兵衛七郎は、大聖人から本抄(別名「慰労書」「小松原法難抄」)を賜って、念仏の執情を断って信心を貫いたとされています。
「浄土というも、地獄というも、外には候わず。ただ我らがむねの間にあり。これをさとるを仏という。これにまようを凡夫と云う。これをさとるは法華経なり。もししからば、法華経をたもちたてまつるものは、地獄即寂光とさとり候ぞ。たとい無量億歳のあいだ権教を修行すとも、法華経をはなるるならば、ただいつも地獄なるべし。このこと、日蓮が申すにはあらず、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏の定めおき給いしなり。されば、権教を修行する人は、火にやくるものまた火の中へいり、水にしずむものなおふちのそこへ入るがごとし。法華経をたもたざる人は、火と水との中にいたるがごとし。法華経誹謗の悪知識たる法然・弘法等をたのみ、阿弥陀経・大日経等を信じ給うは、なお、火より火の中、水より水のそこへ入るがごとし。いかでか苦患をまぬかるべきや。等活・黒縄・無間地獄の火坑、紅蓮・大紅蓮の氷の底に入りしずみ給わんこと疑いなかるべし。法華経の第二に云わく『その人は命終して、阿鼻獄に入らん。かくのごとく展転して、無数劫に至らん』云々。故聖霊はこの苦をまぬかれ給い、すでに法華経の行者たる日蓮が檀那なり。」(上野殿後家尼御返事 新1832-3頁・全1504-5頁)文永2年7月
現代語訳:浄土といっても地獄といっても外にあるのではありません。ただ我等の胸中にあるのです。これを悟るのを仏と言います。これに迷うのを凡夫と言います。これを悟ることができるのが法華経です。従って、法華経を受持する者は地獄即寂光と悟ることができるのです。たとえ無量億歳の間、権教を修行しても法華経から離れるならば、いつも地獄なのです。この事は日蓮が言うのではなく、釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏が定めおかれたのです。だから権教を修行する人は、火に焼かれる者がさらに火の中に入り、水に沈む者がますます淵の底に入る様なものです。法華経を受持しない人は火や水の中に入っていく様なものです。法華経誹謗の悪知識である法然や弘法をたのみ阿弥陀経や大日経等を信じている者は、なお火より火の中に、水より水の底に入るようなものです。どうして苦患をまぬかれることができるでしょうか。等活、黒繩、さらに無間地獄の火坑、紅蓮、大紅蓮地獄の氷の底に落ちて沈んでしまうことは疑いありません。法華経第二の巻の譬喩品に「其の人は命終して後、阿鼻地獄に堕ち、展り転って無数劫に至る」とあります。故聖霊はこの苦を免れています。既に法華経の行者である日蓮の檀那だからです。
※上野殿後家尼は、上野尼御前・上野殿母(尼)御前とも呼ばれ、松野六郎左衛門入道の娘・南条兵衛七郎の妻・南条七郎次郎時光や蓮阿尼(大石寺三祖日目上人の母)の母の事です。
本抄で浄土と地獄、仏と凡夫の定義を明確に述べられ、妙法受持の者は地獄即寂光と覚り、妙法誹謗の者は地獄に堕ちると戒めておられます。
「わがおやのわかれのおしさに、父の御ために、釈迦仏・法華経へまいらせ給うにや。孝養の御心か。さることなくば、梵王・帝釈・日月・四天、その人の家をすみかとせんとちかわせ給いて候。いうにかいなきものなれども、約束と申すことはたがわぬことにて候に、さりとも、この人々は、いかでか仏前の御約束をばたがえさせ給うべき。もしこのことまことになり候わば、わが大事とおもわん人々のせいし候。またおおきなる難来るべし。その時「すでに、このことかなうべきにや」とおぼしめして、いよいよ強盛なるべし。さるほどならば、聖霊、仏になり給うべし。成り給うならば、来ってまぼり給うべし。その時、一切は心にまかせんずるなり。かえすがえす、人のせいしあらば、心にうれしくおぼすべし。」(上野殿御返事<大難必定の事> 新1843頁・全1512頁)建治元年5月
現代語訳:親との別れを惜しんで父親の追善の為に、釈迦仏・法華経へ差し上げられたのでしょうか。孝養の御心でしょうか。その様な事が無ければ、梵王、帝釈、日天・月天、四天がその人の家を住処にしないと誓われたことでしょう。言ってもどうにもならない者であっても、約束という事は違えないのが常識ですので、この人々が仏前の御約束を違えられる事がどうしてあるでしょうか。もしこの事が本当なるのであれば、自身が大事と思う人々が信心を制止し、また大きな難が来るでしょう。その時に「まさにこの事が叶うに違いない」と確信して、いよいよ強盛に信心すべきです。そうであるならば、聖霊は成仏されるでしょう。成仏されたならば、来られて守護されるでしょう。その時、一切は心のままなのです。くれぐれも人の(信心の)制止が有ったならば、(難来るを覚悟して)心に喜びを感じていきなさい。
※まず亡父(南条兵衛七郎入道)への孝養を称えられ、信心を制止させようと大難が来るでしょうが、それを見破り、一層の信心に励むようにご教示されています。
「今の御心ざしみ候えば、故なんじょうどのは、ただ子なればいとおしとはおぼしめしけるらめども、かく法華経をもって我がきょうようをすべしとは、よもおぼしたらじ。たといつみありていかなるところにおわすとも、この御きょうようの心ざしをば、えんまほうおう・ぼんてん・たいしゃくまでもしろしめしぬらん。釈迦仏・法華経もいかでかすてさせ給うべき。かのちごのちちのなわをときしと、この御心ざし、かれにたがわず。これはなみだをもちてかきて候なり。」(南条殿御返事<大橋太郎の事> 新1860頁・全1534頁)建治2年閏3月 55歳御作
現代語訳:今の貴殿(南条時光)の御志を見ると、故南条殿は、親子であるから、いとおしいとは思われていたでしょうが、この様に法華経をもって自分の孝養をしてくれるだろうとは、よもや思われなかったでしょう。たとえ、罪があって如何なる所におられようとも、このご孝養の志を、閻魔法王も、梵天、帝釈天までも知っておられるでしょう。釈迦仏、法華経もどうして捨てられることがあるでしょうか。彼の稚児が父の縄をといたことと、貴殿の御志とは少しも違うものではありません。この返書を、涙によって書いているのです。
※南条時光の故父への孝養に関連して、本抄の前半で大聖人は、源頼朝の勘気を受けて囚われていた九州の大名・大橋太郎をその子息が法華経読誦の功徳で救った、という故事を詳しく引かれています。此処でも大聖人は、時光のご孝養の姿に感動されて述べておられるのですね。
「今、日蓮は、賢人にもあらず、まして聖人はおもいもよらず、天下第一の僻人にて候か。ただし、経文ばかりにはあいて候ようなれば大難来り候えば、父母のいきかえらせ給いて候よりも、にくきもののことにあうよりもうれしく候なり。愚者にて、しかも仏に聖人とおもわれまいらせて候わんことこそ、うれしきことにては候え。智者たる上、二百五十戒かたくたもちて、万民には諸天の帝釈をうやまうよりもうやまわれて、釈迦仏・法華経に『不思議なり、提婆がごとし』とおもわれまいらせなば、人目はよきようなりとも、後生はおそろし、おそろし。さるにては、殿は法華経の行者ににさせ給えり。うけたまわれば、もってのほかに、人のしたしきも、うときも、『日蓮房を信じては、よもまどいなん。上の御気色もあしかりなん』と、かとうどなるようにて御きょうくん候なれば、賢人までも人のたばかりはおそろしきことなれば、一定法華経すて給いなん。なかなか色みえでありせばよかりなん。大魔のつきたる者どもは、一人をきょうくんしおとしつれば、それをひっかけにして多くの人をせめおとすなり。」(上野殿御返事<梵帝御計らいの事> 新1866-7頁・全1538-9頁)建治3年5月 56歳御作
現代語訳:今、日蓮は賢人でもなく、ましてや聖人とは考えもせず、天下第一のひねくれ者でしょうか。ただ経文にだけは符合している様に大難が起こって来たのですから、父母が生き返られた事よりも、憎い者が事故にあった事よりも嬉しいことです。愚者でありながら、しかも仏に聖人と思われる事こそ嬉しいことです。智者である上に二百五十戒を固く持って、万民には諸天が帝釈を敬う事よりも敬われても、釈迦仏や法華経に「不審である。提婆達多の様だ」と思われたならば、人目は良い様であっても後生は恐ろしいことです。重ねて恐ろしいことです。ところで、殿が法華経の行者に似ていると伝え聞くと、思いの外に親しい人も疎遠な人も「日蓮房を信じては、さぞかし苦労するでしょう。主君のおぼえも悪かろう」と味方の様なふりをして教訓します。そうすると、賢人でさえも人の謀り事は恐ろしいことなので、必ず法華経を捨てられるでしょう。かえって素振りを見せない方が良いでしょう。大魔がついた者達は、一人を教訓して退転させると、それをきっかけにして多くの人を攻め落とすのです。
※大聖人は、ご自身をひねくれ者ではないかと卑下されていますが、経文通りに「大難来る」を御存知で行動されておられるので明確に聖人なのですね。本抄では、法華経の行者である南条時光に、魔人が甘い誘いで正法を退転させるべく働きかけて来るが、信心を貫く様にご教示されています。
「日蓮が弟子等の中に、なかなか法門しりたりげに候人々は、あしく候げに候。南無妙法蓮華経と申すは、法華経の中の肝心、人の中の神のごとし。これにものをならぶれば、きさきのならべて二王をおとことし、乃至、きさきの大臣已下にないないとつぐがごとし。わざわいのみなもとなり。正法・像法にはこの法門をひろめず。余経を失わじがためなり。今、末法に入りぬれば、余経も法華経もせんなし、ただ南無妙法蓮華経なるべし。こう申し出だして候もわたくしの計らいにはあらず、釈迦・多宝・十方諸仏・地涌千界の御計らいなり。この南無妙法蓮華経に余事をまじえば、ゆゆしきひが事なり。日出でぬれば、とぼしびせんなし。雨のふるに、露なにのせんかあるべき。嬰児に乳より外のものをやしなうべきか。良薬にまた薬を加えたることなし。」(上野殿御返事<末法要法の事> 新1874頁・全1546頁)弘安元年4月 57歳御作
現代語訳:日蓮の弟子達の中に、法門を知った振りをする人々が、(かえって)間違いを犯している様なのです。南無妙法蓮華経というのは、法華経の肝心で、人の魂の様なものです。これに事物を並べる事は、后が二人の王を夫とし、また后が大臣以下の者に内密に情を通じる様なものであって、災禍の根源なのです。正法や像法にはこの法門を弘める事はありませんでした。それは余経を失わせない為です。今末法に入ったならば、余経も法華経も無益であり、ただ南無妙法蓮華経以外に益は無いのです。こう言い出したのも、私見ではありません。釈尊・多宝如来・十方の諸仏・地涌千界の菩薩の考え定められた事なのです。この南無妙法蓮華経に余の修行を交えるならば、大変な間違いです。太陽が出たならば、灯は無意味です。雨が降ったなら、露は何の役に立つでしょうか。赤児には乳より外の物を与えるべきでしょうか。良薬にまた他の薬を加えることは無いのです。
※本抄は、南条時光の御供養に感謝し、石河兵衛入道(夫人は時光の姉)の姫御前の死去について述べられ、姫御前が臨終の際に念仏を唱えず題目を唱えた事を称えられ、「末法では南無妙法蓮華経以外には益なし」と種脱相対した妙法信仰の立場を説かれているのですね。