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題名:信徒に述べた経済状況 前編

名前:サム

MAIL 投稿日: 2025/12/03(水) 23:56 119-229-83-134f1.osk3.eonet.ne.jp (119.229.83.134)

信徒に述べた経済状況 前編


日蓮正宗では、日蓮大聖人が、弘安2年10月12日に「楠板製の御本尊」を直造され、此れを「戒壇本尊」と称し「世界唯一の三大秘法惣在の御本尊」と宣揚されているのです。しかし、未だに此れを証明する証拠も提出する事ができていません。
今回は宗祖日蓮大聖人が、身延の山中で大変金銭的に御苦労されていた事を、在家信徒への御手紙で覗えますので、ご紹介します。(以前に違うタイトルで、述べたと思いますので、再掲になるかもしれません)


「去ぬる文永十一年六月十七日に、この山のなかに、きをうちきりて、かりそめにあんじちをつくりて候いしが、ようやく四年がほど、はしらくち、かきかべおち候えども、なおすことなくて、よるひをとぼさねども月のひかりにて聖教をよみまいらせ、われと御経をまきまいらせ候わねども風おのずからふきかえしまいらせ候いしが、今年は十二のはしら四方にこうべをなげ、四方のかべは一そにたおれぬ。うだいたもちがたければ、月はすめ雨はとどまれとはげみ候いつるほどに、人ぶなくしてがくしょうどもをせめ、食なくしてゆきをもちて命をたすけて候ところに、さきにうえのどのよりいも二駄、これ、一だはたまにもすぎ。」(庵室修復書 新1870頁・全1542頁)建治3年  楠板本尊建立2年前
現代語訳:去る文永十一年六月十七日に、この身延の山中に、木を伐って、かりそめの庵室を造りましたが、四年程度経つ間に、柱は朽ち、垣や壁は倒れ落ちたけれども、修復もしないので、夜は火を灯けなくても月の光で聖教が読めて、自分で御経を巻かなくとも風が自然と吹き返してくれました。ところが、 今年は十二の柱が四方に傾き、四方の壁は一度に倒れてしまいました。こうなっては、凡夫の身(「うだい:有待」は衣食に助け保たれる人身のこと)は保ち難いので、月は澄め、雨は止まれと祈りながら、人夫がいないので弟子達を督励して(修復していますが)、食物がなくなって雪をもって命を支えてきたところ、前には上野殿から芋を二駄、今また一駄をお送りいただき、珠よりもありがたく思っています。
※此の時代から大聖人は、経済的に御苦労されていたのですね。


「これは、それにはにるべくもなし。そのうえ、おとこにもすぎわかれ、たのむかたもなきあまの、するがの国西山と申すところより、甲斐国はきいの山の中におくられたり。人にすてられたるひじりの、寒にせめられて、いかに心ぐるしかるらんとおもいやらせ給いておくられたるか。父母におくれしよりこのかた、かかるねんごろのことにあいて候ことこそ候わね。せめての御心ざしに給うかとおぼえて、なみだもかきあえ候わぬぞ。」(窪尼御前御返事 新1980頁、西山殿御返事 全1476頁) 建治又は弘安期
現代語訳:これ(この度の御供養の有難さ)は、それ(土の餅を仏に供養して閻浮提の王となったとの仏説)とは比べものになりません。その上、夫にも別れて(頼る人もいない尼の身でありながら)、駿河の国の西山という場所から(日蓮の住む)甲斐の国の波木井の山中に送られたのです。世の人に捨てられている聖(ひじり:聖人)が寒さに責められて、どんなに心苦しんでいるのだろうかと思われて御供養を送られたのでしょうか。(日蓮は)父母に死に別れてから、この様な懇ろな志を受けたこと事はありません。できる限りの温かい御志を受けたかと思えば涙を抑えることができません。
※大聖人は戴いた御供養の真心に対して、大変感謝されています。


「かかるふしぎの者をふびんとて御くようの候は、日蓮が過去の父母か、また先世の宿習か。おぼろけのことにはあらじ。その上、雨ふり、かぜふき、人のせいするにこそ、心ざしはあらわれ候え。これもまたかくのごとし。ただなる時だにも、するがとかいとのさかいは、山たかく、河はふかく、石おおく、みちせばし。いおうや、とうじはあめはしのをたてて三月におよび、かわはまさりて九十日。やまくずれ、みちふさがり、人もかよわず。かってもたえて、いのちこうにて候いつるに、このすずの物たまわりて、法華経の御こえをもつぎ、釈迦仏の御いのちをもたすけまいらせさせ給いぬる御功徳、ただおしはからせ給うべし。」(種種物御消息 新1878-9頁・全1549頁)弘安元年7月 与南条時光 楠板本尊建立1年3ヶ月前
現代語訳:この様な不思議な者を不憫と思って御供養くだされたあなたは、日蓮の過去世の父母なのでしょうか、または過去世からの因縁なのでしょうか。何れにしても、浅い因縁ではないでしょう。その上、雨が降り、風が吹き、人が制止する時にこそ、志は顕れるものです。此れ(今貴殿が種々の物をお送りくださった事)もまた同じなのです。平穏な時でさえ、駿河と甲斐との境は、山が高く、河は深く、石は多く、道は狭いのです。まして今は豪雨が三ヵ月も降り続き、 河は増水して九十日、山は崩れ、道は塞がり、人も通わず、食糧も絶えて、命もこれまでという時に、この種々の品物をお送りくださり、法華経の御飢えをもいやし、釈迦仏の御命をも助けられたのです。その功徳は計り知れないものがあります。
※豪雨災害の最中の御供養、大聖人は大感謝されています。


「そもそも、貴辺の去ぬる三月の御仏事に鵝目その数有りしかば、今年一百よ人の人を山中にやしないて、十二時の法華経をよましめ、談義して候ぞ。これらは末代悪世には一えんぶだい第一の仏事にてこそ候え。いくそばくか過去の聖霊もうれしくおぼすらん。釈尊は孝養の人を世尊となづけ給えり。貴辺あに世尊にあらずや。」(曾谷殿御返事 新1447頁・全1065頁)弘安2年8月 楠板本尊建立2ヶ月前
現代語訳:さて、あなたが去る三月の御仏事に、数多くの鵞目を供養していただいたので、今年は百余人をこの山中で養うことができ、昼夜十二時にわたって法華経を読誦したり、講義したりするほど盛況です。この姿は末代悪世においては世界第一の仏事というべきです。どんなにか、亡くなられた聖霊もうれしく思われている事でしょう。釈尊は孝養の人を世尊と名付けられました。あなたも世尊というべきではないでしょうか。
※大聖人は本抄で、供養された多額の金銭を、弟子の養育、法華経読誦や講義等の仏事に使用すると明らかにされていますが、「楠板曼荼羅」建立を示唆する御文は見出せません。


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