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宿坊2の掲示板


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[115]

題名:てなわけで

名前:土井庸禎さん

MAIL 投稿日: 2024/12/16(月) 15:48 p7751126-ipoefx.ipoe.ocn.ne.jp (118.6.144.125)

https://bbs1.sekkaku.net/bbs/78e866k4jc/log=112

黙して語らずを続ける限り、ご自分の立場を悪くするばかりですよ。
ここで時たまフェイク(ニュース)を貼り付けているだけじゃ埒が明かないでしょう。
いいかげん腹を括りなさい。洗いざらいぶち撒けたら済む話です。

↓こちらのブログ記事に目を通してみてご一考ください。

過去を認める姿勢。
https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2021/04/17/212423

あの掲示板、今はどうか知りませんが旧板では台湾独立派の関係者も絡んでたみたいですね。
埼玉S氏の査問騒動のころ唐突に電話を寄越した後輩がいろいろ内情を探っていたようです。
中3まで鶏の足が4本と思い込んでたのにちなんだハンネでしばらくのあいだ書き込んでいた
のが、運営側から恫喝か脅迫を受けたのか、錯乱状態になり音信不通になってしまいました。

神戸・元町から滋賀県湖南市に逃亡、今は大阪・吹田市居住のようです。

https://www.facebook.com/%E7%B2%9F%E6%B4%A5%E7%B4%94%E5%B9%B3-100035305867131/

あるいは最初から運営側の撹乱工作員として私の足を引っ張るつもりだったのか…

東日本大震災の前のことですが、保田妙本寺のシンパ(?)とも頻繁に接触していた模様。

ひょっとして貴方(たち)もこいつのことご存知じゃないですか?


[114]

題名:113の方

名前:それって悪魔の証明の類でしょ

MAIL 投稿日: 2024/12/16(月) 15:47 p7751126-ipoefx.ipoe.ocn.ne.jp (118.6.144.125)

https://bbs1.sekkaku.net/bbs/78e866k4jc/log=113

>だったら創価学会、大石寺すべての掲げる教義が根幹からデタラメと客観的証拠の
>提示が必要だと思いますが如何でしょう。

はて?・・・そんなの必要ありますか?

そもそもサムなる御仁が何ら根拠なく当方を法華講員と決めつけた上で
お門違いの質問を吹っかけてきたので、こちらの見解を提示したまでのことですよ。

根本教義が後付けで創作したものなんだから、愚にもつかない論争への所見などあろうはずもない。ただそれだけのこと。

ならば呼んでもいないのに横から割って入った貴殿に逆にお聞きしますが、
「創価学会、大石寺すべての掲げる教義が根幹からデタラメ」ではない客観的証拠を
提示していただけますか? どこまで行っても単なる個人的解釈の域を超えないものと思いますが如何でしょう?

で、仮に大石寺と派生教団ぜんぶ引っくるめて教義の根本からデタラメだとして、
貴殿にとって何か困ることでもあるのですか? 今日までの全人生が否定されるとでも???

絶対的な価値基準を措定し、ドグマへの無条件な帰依を前提とする生き方を続けている限り、
自分から世間を狭くしていく一方ですよ。

ちなみに大石寺系教義の欺瞞については主に下記のブログを参考にしております。

https://watabeshinjun.hatenablog.com/

一度目を通してみて異存があれば当人に直接メールするなどして議論すればいい。
以前、古川利明氏の書籍を引用した記事に事実誤認があったので私の方からメールで指摘したところ、素直に受け入れて記事を取り下げたこともあり、とても誠実で真摯な御人柄ですね。

何はともあれ貴殿もいまだ〝井の中の蛙〟であるとの自覚が芽生えてもいないご様子。
下の気楽非活さんの指摘にもある通り常日頃「自分たちの論理に上がってくる人間だけを相手にする」ばかりだから、そんな頓珍漢な突っ掛かり方で墓穴を掘るんじゃないですか?

https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2021/02/13/221343

それから件の掲示板のことですが、勇気も何も、当方アクセス制限をかけられていて、投稿はおろか閲覧も串を刺さないと見られない状況なんですが(こちらの掲示板も場所によっては書き込みできなかったりしますね)外出時にWi-Fiスポットを見つけてはちょくちょくゲリラ的に書き込んでますよ。


[113]

題名:Re:土井なんとかさんへ

名前:環状線 外回り 天王寺駅

MAIL 投稿日: 2024/12/15(日) 13:58 2a02:6ea0:c12e:0:99e0:ed47:c32c:abec(IPv6:) (2a02:6ea0:c12e:0:99e0:ed47:c32c:abec)


>創価学会をはじめ大石寺系教団すべての掲げる教義が根幹からデタラメとの見解を有しておりますので

だったら創価学会、大石寺すべての掲げる教義が根幹からデタラメと客観的証拠の
提示が必要だと思いますが如何でしょう。

https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/
この掲示板に書き込む勇気がおありかな?


[112]

題名:そんなことより

名前:土井なんとかさん

MAIL 投稿日: 2024/12/15(日) 11:49 fs420b3ca8.hygk112.ap.nuro.jp (66.11.60.168)

末期症状と言われて久しいが、無印板のこの酷い有り様をどう思ってらっしゃるか?
https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/

結局この手の社会不適合者が鬱憤晴らしに来ているだけの痰壷に成り果てましたな…
http://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=11495

ecoなんちゃらと貴方(たち)は長い付き合いだそうじゃないですか…

そんなこんなで閑話休題。

十年前、戒壇本尊を事実上否定する会則変更に先立ち、集団的自衛権容認の閣議決定でもって安保法制定に弾みが付いたタイミングで、その名の通り〝信濃町の人びと〟が突如現れたのを契機として執行部糾弾会場に変貌していった様子を概観すれば子供でも分かることです。

当該掲示板が不満分子や仮面活動家の回収装置、誘蛾灯のような役割で
終始一貫して信濃町官僚の管制下にあることを素直に認めたらどうです?

https://s.tabelog.com/mie/A2404/A240402/24002403/
https://navimie.com/0595-63-7565/

たしか黒川某のツイートでは2017年末に閉業されたそうで、、、
ストリートヴューの画像を見る限り居住実態の有無も確認が難しいですね。
今どちらにお住まいか存じませんが、ずいぶん前から経済的困窮を強いられてきたんじゃないですか?
さる筋から借金を肩代わりする条件で当該掲示板を池田原理主義者ホイホイ仕様に改変させられたんじゃないですか? 反執行部を詐称する得体のしれない有象無象に事実上、板を乗っ取られるような形で、、、

そんな感じで、こちらの過疎板はどうなのか知りませんが、あちら無印板では貴方がとっくの昔に管理者権限を剥奪され意のままにならない現状なのは誰の目にも明らかです。

されど曲がりなりにも貴方が開設した掲示板なら、それ相応の責任の取り方というものがあるんじゃないですか?
最後ぐらいはきちんと始末をつけなさい。すべて真相をありのままに打ち明けることです。
十年一日、定職にも就かず場末の掲示板に昼夜分かたず張り付いているような人生の落伍者たちに、貴方のほうから引導を渡してあげなさい。
それが慈悲というもんじゃないですか?


[111]

題名:いつの間にらご指名いただいたようですが

名前:サムさんとやら

MAIL 投稿日: 2024/12/15(日) 11:48 fs420b3ca8.hygk112.ap.nuro.jp (66.11.60.168)

当方、法華講なる集団とは一切無関係ゆえ、折角のご質問ですが返答を寄せる立場にはありません。悪しからず。

そもそも創価学会をはじめ大石寺系教団すべての掲げる教義が根幹からデタラメとの見解を有しておりますので、背広を着た坊主と袈裟を着たヤクザの些細な口論に関わり合う気など毛頭ございません。

まもなく傘寿を迎えられるご老人に今さら物申すのも詮無いことではありますが、
特定の宗教ドグマに固執し、辻褄合わせの言葉遊びに没入する日常を虚しく思わないですか?
まるで創価学会が自分の世界のすべてになっているかのような貴方ご自身、
今日までほんとうに幸せな人生を送ってこられたと言えますでしょうか…?

下記のブログ記事、とても参考になると思いましたので是非ご一読を。

https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2018/08/12/000000
https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2021/04/17/212423
https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2021/01/30/104433
https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2021/02/13/221343

それから、、、功徳は〝受ける〟ものではなく、、、

https://ameblo.jp/kingdog136/

下の友岡雅弥さんのツイートにもあるように
本来の語義は梵語で人徳を意味するgunaの音訳であって
功徳は自らが〝積む〟もの。見返りを求めずして他者へ施す善行の謂です。

https://x.com/MobiusRebellius/status/930615458134241280

どういうわけだか昔から大石寺系教団というか富士門流界隈では、功徳を〝御利益〟の同義語と見なす誤用が罷り通っていますね…

ひとまず私からは以上です。


[110]

題名:師匠と我らとの関係 25(佐渡方面の門下に宛てられた御抄)後

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/12/11(水) 22:54 2001:ce8:127:e3a4:35cb:ab7e:2924:56a1(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:35cb:ab7e:2924:56a1)

師匠と我らとの関係 25(佐渡方面の門下に宛てられた御抄)後


「佐渡方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 後編


「上ににくまれたる上、万民も父母のかたきのようにおもいたれば、道にてもまた国にても、もしはころすか、もしはかつえしぬるかにならんずらんとあてがわれてありしに、法華経・十羅刹の御めぐみにやありけん、あるいは天とがなきよしを御らんずるにやありけん、島にてあだむ者は多かりしかども、中興次郎入道と申せし老人ありき。彼の人は、年ふりたる上、心かしこく身もたのしくて、国の人にも人とおもわれたりし人の、『この御房は、ゆえある人にや』と申しけるかのゆえに、子息等もいとうもにくまず、その已下の者ども、たいし彼らの人々の下人にてありしかば、内々あやまつこともなく、ただ上の御計らいのままにてありしほどに、水は濁れどもまたすみ、月は雲かくせどもまたはるることわりなれば、科なきことすでにあらわれて、いいしこともむなしからざりけるかのゆえに、御一門・諸大名はゆるすべからざるよし申されけれども、相模守殿の御計らいばかりにて、ついにゆり候いてのぼりぬ」(中興入道消息 新1769頁・全1333頁)弘安2年11月 58歳御作
現代語訳:お上(幕府)に憎まれている上に、万民(日本国中の人々)にも、父母の仇の様に思われているので、佐渡への道中でも、佐渡の国においても、殺されるか餓死するかでしょう、と佐渡流罪の判決を下されたのです。ところが、法華経・十羅刹女の御加護によるものでしょうか、或いは、天が日蓮に全く罪科が無い事を御覧になっていたからでしょうか。佐渡ヶ島には日蓮を憎む者は多かったのですが、中興の次郎入道という老人がおられました。この人は、年配の上に、心は賢く、身は壮健で、佐渡の人々からも尊敬を集めている人でした。この次郎入道が「日蓮という僧は、何かいわれのある人にちがいあるまい」と言ったからでしょうか、彼の子息等も日蓮をひどく憎むという事はありませんでした。それ以下の者達も、大体は、中興一族に仕える人々の下人であったから、主君の意向が浸透して、内々に日蓮に害に加えるという事も無く、ただ幕府の指示の通りにしていました。そうするうちに、水は濁っても再び澄み、月は雲に隠れてもまた晴れるのが自然の道理であるように、日蓮に罪科の無いことがもはや明白となり、自界叛逆難、他国侵逼難など、かねてから言っていたことも外れなかったからでしょうか、北条氏一門や御家人の有力者達は「日蓮の罪を許すべきではない」と強硬に主張したにもかかわらず、相模守殿の御裁決によって、ついに流罪を解かれて鎌倉にのぼったのでした。
※本抄を賜った中興入道(生没年不明)は、本文にある中興次郎入道(生没年不明)の息子で佐渡国中興(新潟県佐渡郡金井町中興)に住み、父の次郎入道が流罪中の大聖人に会って信徒となったのに随い門下となり大聖人を外護されています。大聖人は、中興一族の消極的ながら、大聖人を外護されていた事に感謝されていますね。


「貴辺は故次郎入道殿の御子にておわするなり。御前はまたよめなり。いみじく心かしこかりし人の子とよめとにおわすればや、故入道殿のあとをつぎ、国主も御用いなき法華経を御用いあるのみならず、法華経の行者をやしなわせ給いて、としどしに千里の道をおくりむかえ、去ぬる幼子のむすめ御前の十三年に丈六のそとばをたてて、その面に南無妙法蓮華経の七字を顕しておわしませば、北風吹けば南海のいろくずその風にあたりて大海の苦をはなれ、東風きたれば西山の鳥鹿その風を身にふれて畜生道をまぬかれて都率の内院に生まれん。いわんや、かのそとばに随喜をなし、手をふれ眼に見まいらせ候人類をや。過去の父母も彼のそとばの功徳によりて天の日月のごとく浄土をてらし、孝養の人ならびに妻子は、現世には寿を百二十年持って、後生には父母とともに霊山浄土にまいり給わんこと、水すめば月うつり、つづみをうてばひびきのあるがごとしとおぼしめし候え等云々。これより後々の御そとばにも、法華経の題目を顕し給え。」(中興入道消息 新1771頁・全1334-5頁)
現代語訳:あなたは、亡き次郎入道殿の御子息でおれます。御前はまたそのお嫁さんです。大変御賢明であられたお方の御子息とお嫁さんでおられるからでしょうか、故入道殿の御意志を継いで、国主も用いられていない法華経を信仰されるのみならず、法華経の行者である日蓮を養わせるのに、毎年毎年千里の道を往来し、幼くして亡くなられた娘御前の十三年忌には、一丈六尺の卒塔婆を建立し、その表面に南無妙法蓮華経の七文字を書き顕され、北風が吹けば南海の魚類はその風にあたって大海の苦悩を離れ、東風が来れば西山の鳥や鹿はその風を身に触れて畜生道を免れて都率の内院に生まれるでしょう。ましてや、この卒塔婆の建立に喜び、手を触れ眼に見る人々の功徳がどれほど偉大な事でしょうか。亡き父母もこの卒塔婆の功徳によって、天の日月の様に浄土を照らされ、孝養の人たるあなたおよび妻子は、現世には百二十年までも長生きして、後生には父母と共に霊山浄土に進まれるでしょう事を、水が澄めば月が映り、鼓を打てば響く様に、お考えください。これより後々の卒塔婆にも法華経の題目を書き顕しなさい。
※「民衆仏法の確立」を確信し、大聖人が出世の本懐を遂げたとされた弘安2年10月より1か月半が過ぎていますが、此処でも「楠板本尊」の記述はありません。本文では、卒塔婆自体の功徳を述べたのではなく、大聖人の御自筆ではありませんが、一大秘法である南無妙法蓮華経の七文字が書かれた事に対する功徳を述べておられるのです。


「経の文には『いたるところの諸仏の土に、常に師とともに生ず』とも、あるいは『もし法師に親近せば、速やかに菩薩の道を得、この師に随順して学せば、恒沙の仏を見たてまつることを得ん』とも云えり。釈には『本この仏に従って初めて道心を発し、またこの仏に従って不退地に住せん』とも、あるいは云わく『初めこの仏菩薩に従って結縁し、またこの仏菩薩において成就す』とも云えり。この経釈を案ずるに、過去無量劫より已来、師弟の契約有りしか。我ら、末法濁世において、生を南閻浮提大日本国にうけ、忝くも、諸仏出世の本懐たる南無妙法蓮華経を、口に唱え、心に信じ、身に持ち手に翫(もてあそ)ぶこと、これひとえに過去の宿習なるか」(最蓮房御返事 新1780頁・全1340頁)文永9年4月 51歳御作 
現代語訳:法華経の文には「あらゆる諸仏の国土に常に師と共に生まれるであろう」とも、或いは「もし法師に親しく交わるならば、速やかに菩薩の道を得るであろう。この師にしたがって学ぶならば、無数の仏を拝見することができるであろう」とも説かれています。法華玄義の釈には「もとこの仏に従って初めて仏道を求める心を起こし、またこの仏に従って不退の境地に住するであろう」とも、或いは法華文句記に「初めこの仏菩薩に従って結縁し、還ってこの仏菩薩のもとで成就する」とも云われています。この経や釈を考察してみると、計り知れない過去から、師弟の約束があったのでしょうか。私達が、末法濁世において生を南閻浮提の大日本国に受け、恐れ多くも諸仏出世の本懐である南無妙法蓮華経を口に唱え、心に信じ、身に持ち、手にもてあそぶ(大切に振る舞う)事は、ひとえに過去の宿習なのでしょうか。
※本抄は、最蓮房が「生死一大事血脈抄」を賜った2か月後に頂いた御抄です。此処では計り知れない師弟の因縁を述べられています。
最蓮房(生没年未詳)は、法名を日栄または日浄と云い、京都の生まれ、天台宗の学僧だったが、佐渡流罪中に大聖人に帰依し。病弱の為に説法的な弘教はできていませんが、仏法基礎をりかいされているので、大聖人から「生死一大事血脈抄」「祈祷抄」「諸法実相抄」「当体義抄」「「立正観抄」「十八円満抄」等の重要な法門御書を賜っています。大聖人身延入山後に 赦免され、京都に帰り次いで甲州(山梨県)下山に本国寺を開いたと伝えられています。


「日蓮、末法の初めの五百年に、生を日域に受け、如来の記文のごとく三類の強敵を蒙り、種々の災難に相値って、身命を惜しまずして南無妙法蓮華経と唱え候は、正師か邪師か、能く能く御思惟これ有るべく候。上に挙ぐるところの諸宗の人々は、「我こそ法華経の意を得て、法華経を修行する者よ」と名乗り候えども、予がごとく、弘長には伊豆国に流され、文永には佐渡島に流され、あるいは竜の口の頸の座等、この外種々の難、数を知らず。経文のごとくならば、予は正師なり善師なり、諸宗の学者はことごとく邪師なり悪師なりと覚しめし候え。この外、善悪二師を分別する経論の文等これ広く候えども、兼ねて御存知の上は申すに及ばず候。」(最蓮房御返事 新1781-2頁・全1341-2頁)
現代語訳:日蓮が末法の初めの五百年に生を日本に受け、如来の予言の通り三類の強敵により迫害を蒙り、種々の災難にあって身命を惜しまずに南無妙法蓮華経と唱えているのは、正師なのか邪師なのか、よくよくお考えいただきたいです。先に挙げた諸宗の人々は、自分こそ法華経の意を心得て法華経を修行する者であると名乗っていますが、日蓮が受けた様な難には遭ってはいません。日蓮は、弘長元年には伊豆の国に流され、文永八年には佐渡の島に流され、或いは竜の口で斬首刑の座にすわる等、この他の種々の難は数えきれないほどです。経文通りであるならば、自分こそ正師であり、善師なのです。諸宗の学者はことごとく邪師であり、悪師であるとお考えください。このほか、善悪の二師を区別する経論の文等は多くあるけれども、これまでに御存知なので申し上げるまでもありません。
※本抄でも、大聖人御自身こそが、経文通りに大難を受け、正師である事を明確に宣言されていますね。


「貴辺、年来の権宗を捨てて日蓮が弟子と成り給う。真実、時国相応の智人なり。総じて予が弟子等は、我がごとく正理を修行し給え。智者・学匠の身となりても、地獄に墜ちては何の詮か有るべき。詮ずるところ、時々念々に南無妙法蓮華経と唱うべし。
上に挙ぐるところの法門は、御存知たりといえども、書き進らせ候なり。十八円満等の法門、能く能く案じ給うべし。ならびに当体蓮華の相承等、日蓮が己証の法門等、前々に書き進らせしがごとく、委しくは修禅寺相伝日記のごとし。天台宗の奥義これに過ぐべからざるか。一心三観・一念三千の極理は、妙法蓮華経の一言を出でず。あえて忘失することなかれ、あえて忘失することなかれ。伝教大師云わく「和尚、慈悲有って、一心三観を一言に伝う」。玄旨伝に云わく「一言の妙旨、一教の玄義」云々。寿量品に云わく「つねに自らこの念を作す。何をもってか衆生をして、無上道に入り、速やかに仏身を成就することを得しめんと」云々。「つねに自らこの念を作す」の「念」とは、一念三千、生仏本有の一念なり。」(十八円満抄 新1803頁・全1367頁)弘安3年11月 最蓮房に与える
現代語訳:あなたは、これまでの権宗(大日経や観経などの権教を依経とする宗教)を捨てて、日蓮の弟子となられました。真実、(あなたは)国の平和・安穏を維持させるのに相応しい智人です。大局的に、私(日蓮)の弟子等は、私と同じ様に正理(正しい教え・正法)を修行していきなさい。智者・学匠の身となっても、地獄に墜ちればどうすることもできません。結局、時々(時間に応じて)・念々(思いに応じて)に南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。
上に列挙した法門は既に御存知ですが、書いて差し上げたのです。十八円満等の法門をよくよく思案されるがよいでしょう。それと共に、当体蓮華の相承等の日蓮が己証の法門等は、前々に書き贈っていた通りです。詳しい事は、修禅寺相伝日記にある通りであり、天台宗の奥義はこれ以上の物は無いでしょう。一心三観・一念三千の極理は、妙法蓮華経の一言を出ていないのです。この事を決して忘れてはなりません。重ねて決して忘れてはならないのです。伝教大師は「和尚は慈悲によって一心三観を一言で伝えた」と言い、玄旨伝には「一言の妙旨である。一教の玄義である」と言っています。法華経如来寿量品には「何をもって、衆生を無上道に入らせ、速やかに仏身を成就することを得させようかと、仏は常に自ら念じているのである」と説いています。「毎自作是念」の念とは、一念三千であり、衆生と仏との本有の一念なのです。
※最蓮房に贈られた「十八円満抄」は、天台宗の奥義とされ「修禅寺相伝日記」にある十八円満の法門を解説し、成仏得道は、天台の法門ではなく南無妙法蓮華経を唱え弘教すること、と諭されています。弘安2年10月より約1年後、天台教学を知る最蓮房に鉄壁の日蓮教学を説かれているのです。最蓮房には、本シリーズで提示させて頂きました「生死一大事血脈抄」「諸法実相抄」を贈られており、富木常忍に匹敵する程の知的求道者だったのでしょう。


◎大聖人は佐渡流罪中の文永9(1272)年1月16日に塚原三味堂において、念仏者や真言師等、諸宗の僧・数百人を相手にして完全論破屈伏させています(塚原問答、種々御振舞御書 新1237頁・全918頁に詳しい)。此の事が発端で佐渡中に大聖人の名前が知れ渡り、多数の信徒が生まれたと思われます。その中に阿仏房夫妻や国府入道夫妻がおられたのでしょう。彼・彼女達は、佐渡から鎌倉や身延への道のりを純朴な信心で御供養を携えて何度も往復された様です。現在では、e-mailや電話で素早く連絡・報告ができ、便利な乗り物で往来でき、御供養も簡単に送付する事ができますが、当時は死を覚悟の行動だったのでしょう。頭が下がる思いです。


[109]

題名:投稿番号 102.103 および106 の方に 

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/12/01(日) 20:06 2001:ce8:127:e3a4:28dd:9e14:2234:a4ee(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:28dd:9e14:2234:a4ee)

「やっぱり」さんと「意味不明ですな」さんは、同一人物なのでしょうか。また、「元創価の現法華講員」さんなのでしょうか。
私は、来年4月で79歳になる老年・創価学会員です。
宿坊さんは、11年前にブログを立ち上げた時の師匠なのですよ。
もし、貴方が法華講員さんならば、お聞きします。誠実にお答えください。

大石寺48世法主 日量上人 編集『富士大石寺明細誌』の記載からです。
(〇は私の所感です)
1.「本門戒壇の板大漫荼羅(楠板本尊)」(『富士大石寺明細誌』富要集5巻334頁)
〇大聖人直造とされているが、その為の証拠は何も無く、作者不明の後世の模作なのです。
2.「日蓮大聖人の肉附の歯」(『富士大石寺明細誌』富要集5巻335頁)
〇広宣流布の暁には、歯は歯肉で覆われ光を放つそうですが、国際学会に発表すれば笑い物になり、宗教の権威は全く無くなるでしょうね。
3.「文永元年の紺紙金泥の漫荼羅」(『富士大石寺明細誌』富要集5巻336頁)
〇一般には、文永8年10月の「楊枝御本尊」が最初の大聖人直造本尊とされています。
従って、「文永元年の漫荼羅」は、全くの偽物だった事が判明し、現在は宗門でも宣伝しなくなったのです。

以上の日量上人の三つの記述に対する証拠の文献提出、又は感想を是非、聞かせて頂けるでしょうか。


[108]

題名:師匠と我らとの関係 24(佐渡方面の門下に宛てられた御抄)前

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/12/01(日) 11:10 2001:ce8:127:e3a4:bc98:30e3:4f0c:f622(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:bc98:30e3:4f0c:f622)

師匠と我らとの関係 24(佐渡方面の門下に宛てられた御抄)前


「佐渡方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 前編


大聖人は、竜の口の法難後、文永8(1271)年10月10日に相模国・依智を出立し、11月1日に流罪地・佐渡(新潟県の佐渡島)塚原三味堂に入り、文永11(1274)年3月に赦免により鎌倉に向けて佐渡を出国するまで約2年5か月の間、佐渡に留まった。その間、「開目抄」「観心本尊抄」「顕仏未来記」等の多くの重要御書を御著作され、佐渡在住の幾多の門下を育成されています。今回も前・後編に分けてご紹介します。


「この曼陀羅は、文字は五字七字にて候えども、三世の諸仏の御師、一切の女人の成仏の印文なり。冥途にはともしびとなり、死出の山にては良馬となり、天には日月のごとし、地には須弥山のごとし。生死海の船なり、成仏得道の導師なり。この大曼陀羅は、仏の滅後二千二百二十余年の間、一閻浮提の内にはいまだひろまらせ給わず。」(妙法曼陀羅供養事 新1726頁・全頁)文永10年 52歳御作 千日尼に宛てられた御書と思われる
現代語訳:この曼陀羅は、文字は五字七字であるけれども、三世諸仏の御師であり、一切の女人の成仏を約束する印文なのです。冥途ではともしびとなり、死出の山では良馬となり、天にあっては、日月の様であり、地にあっては須弥山の様なものです。生死の苦海を渡る船である。成仏得道に導く師である。 この大曼陀羅は、仏滅後二千二百二十余年の間、一閻浮提の内にはいまだ広まっていないのです。
※千日尼(生没年不明)は、阿仏房日得の妻です。本抄は千日尼に与えられた御文と思われ、「曼陀羅(御本尊)は、五字七字ですが、信心した功徳として、一切衆生の導師、世の救済、病の治療の大良薬となる(取意)」と述べられています。


「いよいよ信心をはげみ給うべし。仏法の道理を人に語らん者をば、男女僧尼必ずにくむべし。よしにくまばにくめ、法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身をまかすべし。「如説修行」の人とは、これなり。法華経に云わく「恐畏の世において、能く須臾も説かば」云々。悪世末法の時、三毒強盛の悪人等集まりて候時、正法を暫時も信じ持ちたらん者をば天・人供養あるべしという経文なり。この度、大願を立てて、後生を願わせ給え。少しも謗法不信のとが候わば、無間大城疑いなかるべし。」(阿仏房尼御前御返事 新1730-1頁・全1308 頁)健治元年9月
現代語訳:ますます信心に励んでいきなさい。仏法の道理を人に語ろうとする者を、在家の男女や出家の僧尼が必ず憎むでしょう。憎むのならば憎んでください。(あなたは)法華経・釈迦仏・天台・妙楽・伝教・章安等の金言に身を任せなさい。「如説修行」の人とはこういう人なのです。法華経の見宝塔品には「恐畏の世に於いて、よくわずかの間でも説く」とあります。これは悪世末法の時、三毒強盛の悪人達が集まっている時に、正法をわずかの間でも信じ持つ者を天人が供養するであろうという経文なのです。今度は、大願を立て後生を願っていきなさい。少しでも謗法や不信の失があるならば、無間大城に堕ちることは疑いないでしょう。
※本抄は、阿仏房尼(千日尼)が謗法の罪報の浅深軽重について質問した御返事で、大聖人は謗法を強く戒められ、千日尼の信心と求道心を称え折伏を勧められています。


「末法に入って法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり。もししからば、貴賤上下をえらばず、南無妙法蓮華経ととなうるものは、我が身宝塔にして我が身また多宝如来なり。妙法蓮華経より外に宝塔なきなり。法華経の題目、宝塔なり。宝塔また南無妙法蓮華経なり。
今、阿仏上人の一身は地・水・火・風・空の五大なり。この五大は題目の五字なり。しかれば、阿仏房さながら宝塔、宝塔さながら阿仏房、これより外の才覚無益なり。聞・信・戒・定・進・捨・慙の七宝をもってかざりたる宝塔なり。多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもえば、さにては候わず、我が身を供養し給う。我が身また三身即一の本覚の如来なり。かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給え。ここさながら宝塔の住処なり。経に云わく「法華経を説く処有らば、我がこの宝塔その前に涌現す」とは、これなり。あまりにありがたく候えば、宝塔をかきあらわしまいらせ候ぞ。子にあらずんば、ゆずることなかれ。信心強盛の者にあらずんば、見することなかれ。出世の本懐とは、これなり。」(阿仏房御書 新1732-3頁・全1304頁)建治2年3月 
現代語訳:末法に入って法華経を持つ男女の姿より他には宝塔はないのです。そうであるならば、貴賎上下を選ばず南無妙法蓮華経と唱える者は、そのまま我が身が宝塔であり、我が身がまた多宝如来なのです。妙法蓮華経より他に宝塔はないのです。法華経の題目は宝塔であり、宝塔はまた南無妙法蓮華経なのです。今、阿仏上人の一身は、地・水・火・風・空の五大です。この五大は題目の五字です。だから阿仏房はそのまま宝塔であり、宝塔はそのまま阿仏房なのです。こう信解するより他の才覚は無益です。聞・信・戒・定・進・捨・慚という七つの宝をもって飾った宝塔です。あなたは多宝如来の宝塔を供養しておられるのかと思えばそうではありません。我が身を供養しておられるのです。我が身がまた三身即一身の本覚の如来なのです。この様に信じて南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。このところがそのまま宝塔の住処です。法華経見宝塔品に「法華経を説く処には、わがこの宝塔がその前に涌現する」と説かれているのはこの事です。あまりにありがたい事なので、宝塔を書き顕して差し上げます。わが子でなければ譲ってはならりません。信心強盛の者でなければ見せてはなりません。日蓮の出世の本懐とはこの(宝塔の本尊)事なのです。
※阿仏房に贈られた本抄は、別名「宝塔御書」と云い、阿仏房が御供養奉納の際、質問された宝塔涌現の意義について答えられ、「宝塔とは御本尊であり、南無妙法蓮華経と唱える者は、その身が宝塔であり多宝如来であり三身即一身の本覚の如来である」と述べられ、深い信心を愛でられています。


「阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし。浄行菩薩うまれかわり給いてや、日蓮を御とぶらい給うか。不思議なり、不思議なり。この御志をば日蓮はしらず、上行菩薩の御出現の力にまかせたてまつり候ぞ。別の故はあるべからず、あるべからず。宝塔をば夫婦ひそかにおがませ給え。委しくはまたまた申すべく候。」((阿仏房御書 新1733頁・全1304-5頁) 
現代語訳:阿仏房よ、あなたはまさしく北国の導師とも云うべきでしょう。浄行菩薩が生まれ変わって日蓮を訪ねられたのでしょうか。まことに不思議な事です。あなたの厚いお志の由来を日蓮は知りませんが、上行菩薩が御出現されその御力にお任せして頂いた事によるのでしょうか。別の理由はないででしょう。宝塔を夫婦ひそかに拝んでいきなさい。詳しい事はまた申し上げましょう。
※阿仏房は号、日得は法諱(法名)であり俗名を遠藤左衛門尉為盛と云い、もと北面の武士順徳上皇が佐渡に流された時、共に来て定住されたと伝えられています。大聖人が佐渡流罪中に、論詰しようとするが逆に折伏され、念仏を捨て、妻の千日尼と共に帰伏したとされています。以後、大聖人佐渡流罪中のご給仕に加え身延入山中にも3度尋ねられ、弘安2年3月91歳で死去されたと伝えられています。
大聖人は、阿仏房を北国の導師や浄行菩薩の生まれ変わりとまで述べられ、深い信心の称賛を越えた厚い信頼が覗われますね。


「この経文は一切経に勝れたり。地走る者の王たり、師子王のごとし。空飛ぶ者の王たり、鷲のごとし。 (中略)
かかるいみじき法華経と申す御経はいかなる法門ぞと申せば、一の巻の方便品よりうちはじめて、菩薩・二乗・凡夫、皆仏になり給うようをとかれて候えども、いまだそのしるしなし。たとえば、始めたる客人が、相貌うるわしくして心もいさぎよく、よく口もきいて候えば、いうこと疑いなけれども、さきも見ぬ人なれば、いまだあらわれたる事なければ、語のみにては信じがたきぞかし。その時、語にまかせて大いなること度々あい候えば、さては後のこともたのもしなんど申すぞかし。一切信じて信ぜられざりしを、第五の巻に即身成仏と申す一経第一の肝心あり。譬えば、くろき物を白くなすこと漆を雪となし、不浄を清浄になすこと濁水に如意珠を入れたるがごとし。竜女と申せし小蛇を現身に仏になしてましましき。この時こそ、一切の男子の仏になることをば疑う者は候わざりしか。されば、この経は女人成仏を手本として説かれたりと申す。」(千日尼御前御返事 新1737-8頁・全1310-1頁)弘安元年7月 57歳御作
現代語訳:この法華経は一切経に勝れているのです。地を走る者の王であり、師子王の様です。空飛ぶ者の王であり、鷲の様です。(中略)
この様に尊い法華経という御経は、どの様な法門かといえば、第一巻の方便品第二の始めから菩薩、二乗、凡夫等が皆仏に成ると説かれていますが、まだ成仏した証拠はありません。例えば、初めて逢う客人の姿が麗しく、心も清らかで、話す言葉に疑うところがないとしても、これまで見知らない人ですから、まだ話の内容が実際に証明されなければ言葉だけでは信じ難いのです。その時、言葉通りに重要な事がたびたび証明されれば、それで後の事も信頼できるなどと言うのです。一切の人々が法華経を信じながらも信じ切れないでいたのを、第五巻の提婆達多品に即身成仏という法華経第一の肝心が説かれ。譬えば、黒い物を白くすること、漆を雪とし、不浄の身を清浄にすること、濁水に如意宝珠を入れた様なものです。竜女という小蛇を現身のまま仏に成されたのです。この時こそ、一切の男子の成仏できる事を疑う者はいなかったのです。だからこの法華経は、女人成仏を手本として、一切衆生の成仏を説かれたというのです。
※本抄は別名「真実報恩経の事」と云い、法華経こそが女人成仏の唯一の経である事を御教示されています。


「法華経第四の法師品に云わく「人有って仏道を求めて、一劫の中において、合掌し我が前に在って、無数の偈をもって讃めば、この讃仏によるが故に、無量の功徳を得ん。持経者を歎美せば、その福はまた彼に過ぎん」等云々。文の心は、釈尊ほどの仏を三業相応して一中劫が間ねんごろに供養し奉るよりも、末代悪世の世に法華経の行者を供養せん功徳はすぐれたりととかれて候。まことしからぬことにては候えども、仏の金言にて候えば疑うべきにあらず。その上、妙楽大師と申す人、この経文を重ねてやわらげて云わく「もし毀謗せん者は頭七分に破れ、もし供養せん者は福十号に過ぎん」等云々。釈の心は、末代の法華経の行者を供養するは、十号具足しまします如来を供養したてまつるにもその功徳すぎたり、また、濁世に法華経の行者のあらんを留難をなさん人々は、頭七分にわるべしと云々。」(国府尼御前御書 新頁・全頁)健治元年6月 54歳御作
現代語訳:法華経第四巻の法師品の文に「仏道を求める人が、一劫の長い間、合掌して仏の前にあって、無数の偈を唱え讃嘆するならば、この讃仏によって、量り知れない功徳を得るであろう。しかし法華経を受持する者を讃嘆する功徳は、復それよりもすぐれる」とあります。文の心は、釈尊ほどの仏を、身口意の三業をもって、一中劫の間、心をこめて供養するよりも、末法悪世の時代に、法華経の行者を供養する功徳の方が勝れている、と説かれているのです。真実とは思えぬ事ですが、仏の金言であるから疑うべきではありません。その上、妙楽大師という人は、この経文を重ねて解釈して、「若しこの法華経を毀謗する人は頭が七分に破れ、若し供養する人はその福が仏の十号に過ぎるであろう」と述べています。この釈の心は、末法の法華経の行者を供養する事は、十号を具足された仏を供養するよりも、その功徳が勝れているという事です。また五濁悪世に出現した法華経の行者に対して迫害する人々は、頭が七分に破れるという事です。
※国府尼(生没年不明)とは、国府入道の妻のことです。本抄では、国府尼と千日尼の御供養を感謝し、法華経法師品の文を引いて、法華経受持の讃嘆と供養の功徳を説かれています。


「人の御心は定めなきものなれば、うつる心さだめなし。さどの国に候いし時御信用ありしだにもふしぎにおぼえ候いしに、これまで入道殿をつかわされし御心ざし、また国もへだたり、年月もかさなり候えば、たゆむ御心もやとうたがい候に、いよいよいろをあらわし、こうをつませ給うこと、ただ一生二生のことにはあらざるか。この法華経は信じがたければ、仏、人の子となり、父母となり、めとなりなんどしてこそ信ぜさせ給うなれ。しかるに、御子もおわせず、ただおやばかりなり。「その中の衆生は、ことごとくこれ吾が子なり」の経文のごとくならば、教主釈尊は入道殿・尼御前の慈父ぞかし。日蓮は、また御子にてあるべかりけるが、しばらく日本国の人をたすけんと中国に候か。宿善とうとく候。」(国府入道殿御返事 新1756-7頁・全1323頁)建治2年4月 国府入道夫妻に与える 55歳御作
現代語訳:人の心は一定しないものであり、移り変わる心はとらえようがありません。佐渡の国で逢った時、日蓮の法門を信用された事でさえ、不思議に思っていましたが、この身延の地まで、夫の入道殿を遣わされたあなたの御志はまことに不思議です。また、国も遠く隔たり、年月も重なっていますので、信仰にゆるむ心も生ずるかと案じていましたが、ますます強盛な信心の姿をあらわし、功徳を積まれている事は、ただ一生、二生だけの浅い因縁ではないのでしょう。この法華経は信じ難いので、仏は、人の子となり、父母となり妻となるなどして、衆生に信じさせようとされるのです。ところであなた方には子もおられず、親ばかりです。法華経譬喩品の「其の中の衆生は、悉く是れ吾が子なり」の経文の通りならば、教主釈尊は入道殿と尼御前の慈父なのです。日蓮は、また、あなたがたの子である筈ですが、しばらく、日本国の人を助けようと、国の中央にいるのです。あなた方が前世に積んだ善業は尊いのです。
※国府入道(生没年不明)は佐渡国国府(新潟県佐渡郡真野町)の住人で、大聖人が流罪の時、弟子となり、夫婦揃って種々の御供養や外護をされ、大聖人が身延入山後も御供養を続けて、純真な信心を貫いたとされています。本文でも国府入道夫妻の御供養を喜ばれ、教主釈尊が夫妻の父であり大聖人が息子である、と夫妻の前世の善業として称賛されています。


[107]

題名:フェイク 第1778号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/11/28(木) 14:16 2605:6440:2000:3000:307:c83:9fa9:70c3(IPv6:) (2605:6440:2000:3000:307:c83:9fa9:70c3)

(発行=24.11.26)

雨の中のお会式、御練りは中止
要法寺から十七世日精が持ち込んだ茶番劇
信徒から隔絶した日蓮正宗の信仰

日蓮正宗の総本山大石寺で二十・二十一日の両日、宗門の二大行事の一つであ
るお会式を実施していたが、二日間とも冷たい雨が降り続いた。特に、初日の
午後五時半からは、宗門が「古式豊かな絵巻」等と自慢している御練りの予定
であったが、激しい雨のため中止せざるを得なかった。

 学会員がお会式に参加していた頃は晴天続きであった。だが、日顕が嫉妬に
狂って「C作戦」を強行した後、お会式の時は連続六年、降りしきる冷雨が全
山を襲い、なかでも平成四年と八年には諸天善神の強い怒りを感じさせる豪雨
のため御練りを中止した。

因みに、過去にお会式の御練りを中止したのは第六十世日開の時の昭和六年、
それに第六十二世日恭の昭和十四年に、それぞれ一度だけ前例がある。

日開は日顕の戸籍上の父親(実父は高野日深との説が有力)で、御本尊を誤写し、
日蓮大聖人の正墓は身延山久遠寺にある旨の念書を当時の文部大臣に提出した
大謗法の坊主である。

また、日恭は学会に神札を受けるように強要して、仏罰により昭和二十年六月、
大石寺の大火に包まれて焼死した。

この二人の法主は宗史に悪名を刻む極悪僧だが、六年も連続して雨に見舞われ、
二度も御練りを中止した日顕は、日開や日恭よりも更に悪辣な天魔坊主だとい
う事実を末永く記録に残す必要がある。

そして日如もまた、これら極悪坊主の仲間入りをしたと言えよう。

お会式の際、日如は寿量品の説法をするのが常だが、権威づけのために難解な
仏法用語を多用して法主だけが仏法を極めているかのように装うが、これは大
聖人の仏法を〝訓詁注釈〟の領域に封じ込め、信徒の日常生活から隔絶したも
のにしているに他ならない。

二日目の行事は午前二時三十分からの勤行衆会に始まり、同九時三十分から献
膳・読経、申し状奉読、お花くずしと続き、中心的な行事は申し状奉読である。
時の権力者に出された諫暁の書である「立正安国論」などを坊主が次々に奉読
していた。

だが、戦時中、時の権力に迎合し、国家諫暁もしないで、神札を受け、御書を
削除し、御観念文を改変した宗門が今更、少数の法華講員の前で申し状を奉読
しても何の意味もない。

お会式の翌日は快晴

大石寺でのお会式の現在の様式は京都の要法寺から持ち込まれたもので、造像
読誦論の謗法坊主・日精が第十七世になった寛永九年(一六三二年)頃に出来た、
と大石寺が認めている。

大石寺は「他宗では絶対に見ることができない本宗独特の儀式」「日蓮正宗の
歴史の長さを示す古式豊かな行事」と宣伝しているが、これは真っ赤なウソで、
要法寺や身延系寺院など邪宗の猿真似の茶番劇である。

登山者は濡れてうつむきながら下山。富士宮の地元の人達が「冷たい雨が降っ
て異常な寒さだと思っていたら、大石寺で何か行事をしていたのか」と、納得
したような顔で苦笑していた。

お会式の翌日、前日までの冷雨とは打って変わって快晴になり、白雪の富士山
が綺麗だった。



[106]

題名:はて?

名前:意味不明ですな

MAIL 投稿日: 2024/11/24(日) 16:24 118.103.63.154 (118.103.63.154)

104の文面が何の繋がりもなく102と103の返しになってませんけど???


[105]

題名:師匠と我らとの関係 23(鎌倉方面の門下に宛てられた御抄)後 

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/11/19(火) 22:31 2001:ce8:127:e3a4:bd12:30d9:a7da:aa58(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:bd12:30d9:a7da:aa58)

師匠と我らとの関係 23(鎌倉方面の門下に宛てられた御抄)後


「鎌倉方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 後編


「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかえれることを。いまだきかず、法華経を信ずる人の凡夫となることを。経文には『もし法を聞くことあらば、一りとして成仏せざることなけん』ととかれて候。」(妙一尼御前御消息 新1696頁・全1254頁)健治元年5月
現代語訳:法華経を信ずる人は冬の様なものです。冬は必ず春となります。いまだかつて冬が春とならずに秋に戻ったなどという事は、聞いたことも見たこともありません。同様に、いまだかつて法華経を信ずる人が凡夫になってしまったなどという事も聞いたことがありません。法華経方便品には「もし法を聞くことができた者は、一人として成仏しない者はない」と説かれています。
※誰もが口ずさむ有名な御文ですね。 
妙一尼(生没年不明)は、強盛な信者で、妙一女・辨殿尼御前・王日女と同一人物との説や六老僧の日昭の縁者で夫も大聖人門下とされ、わずかな所領もも信仰の為に没収されるが、なおも佐渡へ身延へと下人を遣わして大聖人への供養や給仕を怠らなかったとされ、純真な信心を貫かれた女人と拝されます。


「信心と申すは別にはこれなく候。妻のおとこをおしむがごとく、おとこの妻に命をすつるがごとく、親の子をすてざるがごとく、子の母にはなれざるがごとくに、法華経、釈迦・多宝、十方の諸の仏菩薩、諸天善神等に信を入れ奉って、南無妙法蓮華経と唱えたてまつるを、信心とは申し候なり。しかのみならず、「正直に方便を捨つ」「余経の一偈をも受けず」の経文を、女のかがみをすてざるがごとく、男の刀をさすがごとく、すこしもすつる心なく案じ給うべく候。」(妙一尼御前御返事 新1697頁・全1255頁)弘安3年5月
現代語訳:信心というのは、特別これといって難しいものではありません。妻が夫を思う様に、また夫が妻の為には命を捨てる様に、親が子を捨てない様に、子供が母親から離れない様に、法華経・釈迦・多宝・十方の諸仏・菩薩・諸天善神に信を入れて、南無妙法蓮華経と唱え奉ることを信心というのです。
※本抄は「信心本義事」と云われ、「信心とは本尊を信受し唱題すること」を、譬を挙げて「御教示されています。


「法華経は三世の諸仏発心のつえにて候ぞかし。ただし、日蓮をつえはしらともたのみ給うべし。けわしき山、あしき道、つえをつきぬればたおれず。殊に手をひかれぬればまろぶことなし。南無妙法蓮華経は死出の山にてはつえはしらとなり給え。釈迦仏・多宝仏・上行等の四菩薩は手を取り給うべし。日蓮さきに立ち候わば、御迎えにまいり候こともやあらんずらん。またさきに行かせ給わば、日蓮必ず閻魔法王にも委しく申すべく候。このこと少しもそら事あるべからず。日蓮、法華経の文のごとくならば、通塞の案内者なり。ただ一心に信心おわして霊山を期し給え。ぜにというものは用にしたがって変ずるなり。法華経もまたまたかくのごとし。やみには灯となり、渡りには舟となり、あるいは水ともなり、あるいは火ともなり給うなり。もししからば、法華経は「現世安穏、後生善処」の御経なり。」(弥源太殿御返事 新1699頁・全1227頁)文永11年2月 53歳御作
現代語訳:法華経は三世の諸仏の発心の杖なのです。ただし日蓮を杖や柱と頼りにしても良いのです。険しい山や悪い道では杖をつけば倒れないのです。特に手を引かれるならば転ぶことはありません。南無妙法蓮華経は、死出の山では杖や柱となり、釈迦仏、多宝仏、上行等の四菩薩があなたの手を取られるでしょう。日蓮が先に霊山に立つならば、お迎えに来ることもあるでしょう。また、あなたが先にお行きになるならば、日蓮は必ず閻魔法王にも詳しく申しあげましょう。この事は少しも虚偽の事ではないのです。日蓮が法華経の文の通りならば、通塞の案内者なのです。唯一心に信心をされて霊山を期してください。銭というものは用いように依って変わるのです。法華経もまた同じです。闇には燈となり、渡りには舟となり、あるいは水ともなるのです。だからこそ、法華経は「現世安穏後生善処」の御経なのです。
※弥源太とは、鎌倉幕府の要人でもあった北条氏の一門の北条弥源太入道のことで、大聖人に帰依し太刀を供養されたお礼として本抄・別名「善悪二刀御書」が贈られています。
此の御文は、南無妙法蓮華経こそが、三世にわたってもっとも究極の仏法であることを断言されているのですね。さらに日蓮大聖人こそが、この南無妙法蓮華経の法と一体である久遠元初の自受用報身如来であることを宣言された御文と拝することができますね。


「日蓮は、いずれの宗の元祖にもあらず、また末葉にもあらず。持戒・破戒にも闕けて無戒の僧、有智・無智にもはずれたる牛羊のごとくなる者なり。いかにしてか申し初めけん、上行菩薩の出現して弘めさせ給うべき妙法蓮華経の五字を、先立って、ねごとのように心にもあらず南無妙法蓮華経と申し初めて候いしほどに唱うるなり。詮ずるところ、よきことにや候らん、また悪しきことにや侍るらん、我もしらず、人もわきまえがたきか。 (中略)
ただ法華経ばかりこそ、三身円満の釈迦の金口の妙説にては候なれ。されば、普賢・文殊なりとも、たやすく一句一偈をも説き給うべからず。いかにいわんや、末代の凡夫、我ら衆生は、一字二字なりとも、自身には持ちがたし。(中略)
今、日蓮はしからず。『已今当』の経文を深くまぼり、一経の肝心たる題目を、我も唱え、人にも勧む。麻の中の蓬、墨うてる木の、自体は正直ならざれども、自然に直ぐなるがごとし。経のままに唱うれば、まがれる心なし。当に知るべし、仏の御心の我らが身に入らせ給わずば唱えがたきか。また、それ、他人の弘めさせ給う仏法は、皆、師より習い伝え給えり。(中略)
賢人と申すは、よき師より伝えたる人、聖人と申すは、師無くして我と覚れる人なり」(妙密上人御消息 新1708-10頁・全1239-40頁)建治2年3月 55歳御作
現代語訳:日蓮は、いずれの宗の元祖でもありません。またその流れを汲むものでもありません。持戒破戒の者でもなく、無戒の僧であり、有智、無智という概念からもかけ離れた牛羊の様な者です。それがどの様に言い始めたのか、上行菩薩が出現して弘められるべき妙法蓮華経の五字を、その出現に先立って寝言の様に心にもなく南無妙法蓮華経と申し始めたように唱えているのです。所詮、この事は良いことでしょうか。また悪い事でしょうか。私自身も知らないし、人も判定はできないでしょう。(中略)
ただ法華経だけが、三身円満の釈迦如来の金口から出た妙説です。だから普賢・文殊であっても簡単に一句一偈をも説かれなかったのです。まして末法の凡夫の我等衆生は、たとえ一字二字であっても自身には持ち難いのです (中略)。
今、日蓮はそうではありません。(法華経こそが)已今当の経文(の中で最も難信難解であり最勝であるとの信念)を深く守り、一経の肝心である題目を自分も唱え、人にも勧めています。ちょうど麻の中に生えた蓬や黒線を印した木が、それ自体は曲がっていても自然に真っすぐになる様なものです。法華経の教え通りに題目を唱えているから、曲がった心がないのです。まさに仏の御心が我らの身にお入りにならなければ唱えることはできないでしょう。また、他の人が弘められた仏法は、皆師匠から習い伝えたものです。 (中略)
世に賢人というのは、よい師匠から習い伝えた人をいうのであり、聖人というのは、師がなくて自ら悟った人のことをいうのです。
※妙蜜上人(生没年不詳)は、鎌倉くわが谷に住む方で、夫婦揃って大聖人のもとに再三供養を届けられ、激励の御手紙を頂いており、立派な信仰者であった事が想像されます。
聖人とは自ら悟った人であり、日蓮大聖人は、末法に出現された大いなる聖人なのです。私達は後世に賢人と云われる様に、師匠に応えられる行動をすべきですね。


「金はやけばいよいよ色まさり、剣はとげばいよいよ利くなる。法華経の功徳は、ほむればいよいよ功徳まさる。二十八品は正しきことはわずかなり、讃むる言こそ多く候えと思しめすべし。」(妙密上人御消息 新1713頁・全1241-2頁)
現代語訳:金は焼いて鍛えれば、増々色がよくなり、剣はとげば一層よく切れる様になります。同様に、法華経の功徳は讃嘆すればするほど、増々功徳も明らかになるのです。法華経二十八品は正しい道理を説いた箇所はわずかで、讃めた言葉ばかりが多いという事を心得ていきなさい。
※大聖人も池田先生も、誉めて激励されていますが、此れこそが法華経の指導原理の応用なのでしょうか。


「末法には法華経の行者必ず出来すべし。ただし、大難来りなば、強盛の信心いよいよ悦びをなすべし。火に薪をくわえんに、さかんなることなかるべしや。大海へ衆流入る。されども、大海は河の水を返すことありや。法華大海の行者に諸河の水は大難のごとく入れども、かえすこと、とがむることなし。諸河の水入ることなくば、大海あるべからず。大難なくば、法華経の行者にはあらじ。天台云わく「衆流、海に入り、薪、火を熾んにす」等云々。」(椎地四郎殿御書 新1720頁・全1448頁)弘長元年4月御作か?
現代語訳:末法には法華経の行者が必ず出現します。但し、大難に値えば強盛の信心でいよいよ喜んでいくべきです。火に薪を加えるに火勢が盛んにならない事があるでしょうか。大海には多くの河水が流れ込みます。けれど、大海は河水を返すことがあるでしょうか。法華経の行者という大海に、諸河の水が大難として流れ込みますが、押し返したり、咎めたりすることは無いのです。諸河の水が入ることが無ければ大海はありません。大難が無ければ法華経の行者ではないのです。天台大師が「河水が集まって海に流れ入り、薪は火を熾んにする」というのはこの事なのです。
※椎地四郎(生没年不詳)は、駿東郡(静岡県)の門下で、四条金吾と交友があった様ですが、詳細は不明です。
難を乗り越えて(河水の流入)人格が作られ(大海の形成)、大聖人は、大難に何度も遭遇して法華経の行者である事を証明されたのですね。


「法華経の法門を一文一句なりとも人にかたらんは、過去の宿縁ふかしとおぼしめすべし。経に云わく『また正法を聞かず、かくのごとき人は度し難し』云々。この文の意は、正法とは法華経なり、この経をきかざる人は度しがたしという文なり。法師品には『もしこの善男子・善女人乃至則ち如来の使いなり』と説かせ給いて、僧も俗も、尼も女も、一句をも人にかたらん人は如来の使いと見えたり。貴辺すでに俗なり、善男子の人なるべし。」(椎地四郎殿御書 新1720-1頁・全1448頁)
現代語訳:法華経の法門を一文一句でも、人に語ることは過去の宿縁が深いのだと思っていきなさい。法華経方便品に「亦正法を聞かず、是の如き人は度し難し」とあります。この文の意味は、正法とは法華経であり、法華経を聞かない人は救い難い、という文です。法華経法師品には「若し是の善男子、善女人、我が滅度の後、能く竊かに一人の為にも、法華経の、乃至一句を説かん。是の人は則ち如来の使なり(詳文)」と説かれており、僧も俗も尼も女も一句をも人に語る人は如来の使いなのです、と解釈できます。あなたはすでに俗であり、この善男子の人なのです。
※我々創価学会員の中でも、御書を拝読し妙法の素晴らしさを友人に語っている人は、大聖人が仰せの様に、「如来の使い」に間違いないですね。


◎今回ご紹介した人以外にも、鎌倉には、日蓮門下の御僧侶以外にも大学三郎、桟敷女房など、信心強盛な俗信徒が多く在住していた様ですが、今回は割愛させて頂きました。どうぞお許しください。


[104]

題名:法華講員さんですね 

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/11/19(火) 22:28 2001:ce8:127:e3a4:bd12:30d9:a7da:aa58(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:bd12:30d9:a7da:aa58)

やっぱりさん


貴方は、法華講の方ですね。所属を明確にせずに、悪態だけをつく文章が当にその事を物語っています。
然しながら、貴方の態度、表現が、貴方の将来及び衰微する宗門の将来を予知している事に気付くべきですね。

保田妙本寺の鎌倉日桜師は、日蓮正宗を「作り法門」と揶揄されておりました。
大聖人作で戒壇本尊と称した「楠板本尊」が、実は作者不明の後世の模作であると、判明しつつある現在では、日蓮正宗は元通りの田舎寺の弱小教団となってきているのです。
今考えると、学会破門・正本堂破壊の宗門の所業は、大聖人の思し召しだったのかも知れませんね。学会は「作り法門」の宗門と別れる事により、逆に世界宗教に発展しつつあるのです。


[103]

題名:だいたい察しがつくけど

名前:やっぱり

MAIL 投稿日: 2024/11/05(火) 17:00 118.103.63.158 (118.103.63.158)

https://www.asahi.com/sp/articles/ASSC5165BSC5PTIL00DM.html

この件でみな大わらわか?


[102]

題名:これって

名前:やっぱり

MAIL 投稿日: 2024/11/05(火) 16:33 118.103.63.158 (118.103.63.158)

https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=11049

論調からして宿坊本人じゃねえの?
いろいろ下手な芝居打ってもすぐにバレるよ。いいかげん白状したら?


[101]

題名:師匠と我らとの関係 22(鎌倉方面の門下に宛てられた御抄)前

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/10/30(水) 19:10 2001:ce8:127:e3a4:8cb8:a1f3:e854:cf82(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:8cb8:a1f3:e854:cf82)

師匠と我らとの関係 22(鎌倉方面の門下に宛てられた御抄)前


「鎌倉方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 前編 


鎌倉は、大聖人が延応元(1239)年18歳から文応元(1260)年39歳の21年間、及び文永5(1268)年47歳から文永8(1271)年50歳の3年間、およそ25年の間在住した当に本陣の地であり、多くの門下が誕生しています。その中から一部ですが、私が独断で気付いた御文を御紹介します。(勝手ながら、紹介すべき御文を追加させて頂いたので、前・後編に修正させて頂きました)


「止観に十章あり。大意・釈名・体相・摂法・偏円・方便・正観・果報・起教・旨帰なり。「前の六重は修多羅に依る」と申して、大意より方便までの六重は先の四巻に限る。これは妙解にして、迹門の心をのべたり。「今は妙解に依って、もって正行を立つ」と申すは、第七の正観、十境十乗の観法、本門の心なり。一念三千これよりはじまる。一念三千と申すことは迹門にすらなお許されず。いかにいわんや、爾前に分たえたることなり。一念三千の出処は略開三の十如実相なれども、義分は本門に限る。爾前は迹門の依義判文、迹門は本門の依義判文なり。ただし、真実の依文判義は本門に限るべし。されば、円の行まちまちなり。(中略)
真実に円の行に順じて常に口ずさみにすべきことは南無妙法蓮華経なり。心に存すべきことは一念三千の観法なり。これは智者の行解なり。日本国の在家の者には、ただ一向に南無妙法蓮華経ととなえさすべし。名は必ず体にいたる徳あり。法華経に十七種の名あり。これ通名なり。別名は、三世の諸仏、皆、南無妙法蓮華経とつけさせ給いしなり。阿弥陀・釈迦等の諸仏も、因位の時は必ず止観なりき。口ずさみは必ず南無妙法蓮華経なり。」(十章抄 新1665頁・全1274頁)文永8年5月 三位房に与える
現代語訳:「摩訶止観」は十章から構成されています。大意、釈名、体相、摂法、偏円、方便、正観、果報、起教、旨帰です。「前の六重は修多羅に依る」とあり、大意から方便までの六重(六章)は解了の部で、前四巻に限ります。この解了、即ち妙解は迹門の心を述べています。今、「妙解に依って以て正行を立つ」とある第七の正観章は、十境・十乗の観法の説明であり、本門の心を述べたものです。一念三千の法門はこの章から始まります。一念三千の法門は迹門にさえ許されていません。ましてや爾前の諸経には絶えてない法門なのです。一念三千の出処は略開三顕一の十如実相の文ですが、その義は本門に依っています。爾前の諸経は迹門の義に依って判ずべきであり、迹門の文は本門の義に依って判ずべきです。真実の依文判義はただ本門に限るのです。そして、円教の修行も種々あるのです。(中略)
真実の円教の修行として、常に口に唱えるべき事は、南無妙法蓮華経です。心に観ずべきは一念三千の観法です。しかしこれは、智者の行解(修行と知解のこと、仏法を修行しその教えを解了すること)です。日本国の在家信仰者は、ただ一向に南無妙法蓮華経と唱えるべきです。名称には、必ず実体にいたる徳があります。法華経に十七種の名があります。これは通名です。別名は三世の諸仏が皆、南無妙法蓮華経とつけられています。阿弥陀如来や、釈迦如来等の諸仏も因位の時の修行は、必ず心に一念三千を観じ、口に唱えたのは南無妙法蓮華経なのです。
※三位房(生没年不詳)は、大聖人の高弟の三位房日行のことで、三位公・三位殿とも呼ばれ、本抄の他に、御輿振御書、法門申さるべき様の事、教行証御書、等を賜っています。しかし、才智に溺れ大聖人の指導に背く事があり、熱原の法難頃退転し、不慮の死を遂げたと推定されます。
補足
A。天台大師の「摩訶止観」の内容:第一章「大意」は、止観全体の大意をまとめ、第二(以下「章」は略す)「釈名」は、止観の名義を明かし、第三「体相」は、止も観も共に同一法性、同一実相の寂照二面であることを述べています。第四「摂法」は、一切の諸法はことごとく実相であり、実相を体とする止観は一切法を摂することを明かし、第五「偏円」は、止観にも種々の事物があるが、爾前の止観は偏理の止観であるのに対し、法華経の止観は円頓止観である事を述べています。第六「方便」は正修止観の準備である二十五の方便行を示し、第七「正観」は、正しく一念三千を示し、その修行の方法として十境十乗の観法を立てています。第八「果報」は、発心して修行した結果として得られた感果を明かし、第九「起教」は、感果によって現れてくる衆生教化と救済の能力を示し、第十「旨帰」は、能化も所化も共に大涅槃の境地に帰入する事を明らかにしています。
B.天親(世親)の法華論・序品七成就の章では、法華経について十七種類の名を挙げています。今列挙してみると、①無量義経 ②最勝修多羅 ③方広経 ④菩薩法 ⑤仏所護念 ⑥切諸仏秘密法 ⑦切諸仏之蔵 ⑧切諸仏秘密処 ⑨生一切諸仏経 ⑩切諸仏之道場 ⑪切諸仏所転法輪 ⑫切諸仏堅固舎利 ⑬切諸仏大巧方便教 ⑭一乗経 ⑮一義住 ⑯妙法蓮華経 ⑰最上法門 の十七種です。これら全ての名は、必ずしも法華経のみに冠せられる名ではなく、他の諸経に冠せられても通用する名なので「これ通名なり」と仰せです。だが、⑯の妙法蓮華経の名は、法華経独特の名では、との疑問は残ります。確かに、天台大師は法華玄義十巻において、妙法蓮華経の五字が法華経全体の意を顕すという観点から、五字の題号を五重玄(釈名、弁体、明宗、論用、判教)に従い論じています。しかし、日蓮大聖人がその妙法蓮華経の五字の題号を〝通名〟とされたのは、釈尊の説いた文上の法華経は末法の下根・下機の衆生には相応しないからでしょう。


「かねがね申せしがごとく、日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず。彼々の経々と法華経と、勝劣・浅深、成仏・不成仏を判ぜん時、爾前・迹門の釈尊なりとも物の数ならず。いかにいわんや、その以下の等覚の菩薩をや。まして権宗の者どもをや。法華経と申す大梵王の位にて、民とも下し鬼畜なんどと下してもその過有らんやと意得て、宗論すべし。 (中略 文末)
公場にして理運の法門申し候えばとて、雑言・強言・自讃気なる体・人目に見すべからず。浅ましきことなるべし。いよいよ身・口・意を調え、謹んで主人に向うべし、主人に向うべし」(教行証御書 新1676-7頁・全1282頁)文永12年3月 三位房に与える
現代語訳:機会が有るごとに言ってきた様に、日蓮が弟子等は臆病であってはなりません。彼らの依経と法華経との勝劣・浅深・成仏・不成仏を判ずる時は、爾前迹門の釈尊であっても物の数ではないのです。どうして説明すれば良いでしょうか、それ以下の等覚の菩薩など言うまでもないのです。ましてや、権宗の者どもにおいても同様なのです。法華経という大梵王の位にいるのですから、彼らを民とも下し、鬼畜などと下しても、あえて誤りではないと認識した上で法論をしていきなさい。 (中略 文末)
たとえ公場で道理に適った法門を説明したからといって、悪口を言ったり、粗暴な言葉を吐いたり、自慢気な様子は人に見せてはなりません。それはあさましい事なのです。態度にも、言葉にも、よく注意をはらって、謹んで相手に向かわなければならないのです。
※三位房は 自信家でしたが、臆病な面もありました。大聖人は見抜いておられたのです。     
前文では、少し言い過ぎの様ですが、正論からの発言だからこそ、堂々たる態度で接する事が重要なのですね。そして、文末のこの所作こそが、常識豊かな人の行動なのですね。


「法華経は『正直に方便を捨つ』等、「皆これ真実なり』等、『質直にして意柔軟なり』等、『柔和質直なる者』等と申して、正直なること弓の絃のはれるごとく、墨のなわをうつがごとくなる者の信じまいらする御経なり。糞を栴檀と申すとも、栴檀の香なし。妄語の者を不妄語と申すとも、不妄語にはあらず。一切経は皆、仏の金口の説、不妄語の御言なり。しかれども、法華経に対しまいらすれば、妄語のごとし、綺語のごとし、悪口のごとし、両舌のごとし。この御経こそ実語の中の実語にて候え。実語の御経をば、正直の者、心得候なり。今、実語の女人にておわすか。(中略)
当に知るべし、釈迦仏・多宝仏・十方分身の諸仏、上行・無辺行等の大菩薩、大梵天王・帝釈・四王等、この女人をば、影の身にそうがごとくまぼり給うらん。日本第一の法華経の行者の女人なり。故に、名を一つつけたてまつりて、不軽菩薩の義になぞらえん。日妙聖人等云々。」(日妙聖人御書 新1682-3頁・全1217頁)文永9年5月 51歳御作
現代語訳:法華経は「正直に方便を捨てて」等、「皆是れ真実である」等、「意が質直で柔輭である」等、「柔和質直である者」等と説いており、正直であること、あたかも弓の絃を張った様に、墨繩をうった様な真っすぐな心の者が信ずる御経です。糞を栴檀と云い張っても糞には栴檀の香は無いのです。妄語の者を不妄語であるといっても妄語は不妄語となりませえん。一切経は皆仏の金口の説で不妄語のお言葉です。しかしながら法華経に対するならば妄語の様なもの、綺語の様なもの、悪口の様なもの、両舌の様なものです。この法華経こそ実語の中の実語なのです。実語の法華経は正直の者が信じ会得できるのです。今、あなたは実語の女人でおれるのでしょう。(中略)
まさしく知らなければなりません、釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、上行菩薩、無辺行等の大菩薩、大梵天王、帝釈天王、四天王等が、この女人を影が身に添う様に守られるでしょう(あなたは、)日本第一の法華経の行者の女人なのです。それ故に名を一つ付けさせて頂き、不軽菩薩の義になぞられて。「日妙聖人」等と。
※日妙聖人(生没年不詳)は、鎌倉在住の強信者で、寡婦となったが、佐渡におられた大聖人を訪ねた純真な信心を「日本第一の法華経行者の女人」と讃え、本抄で「日妙聖人」の法号を賜っています。


「いよいよ強盛の御志あるべし。氷は水より出でたれども、水よりもすさまじ。青きことは藍より出でたれども、かさぬれば藍よりも色まさる。同じ法華経にてはおわすれども、志をかさぬれば、他人よりも色まさり、利生もあるべきなり。」(乙御前御消息 新1690頁・全1221頁)建治元年8月 54歳御作
現代語訳:益々強盛な信心をしていきなさい。氷は水からできていますが、水よりも冷たいのです。青い色は、藍という草から生まれますが、重ねて染めれば、藍よりも色が鮮やかになります。(信仰も)同じ法華経(御本尊)ですが、信心を強く重ねていけば、他人よりも顔色もすぐれ利益もあるのです。
※乙御前とは、日妙尼(日妙聖人)の娘のことで、大聖人が、信心は修行が深まれば深まるほど強盛になると云う「従藍而青」で例えるほど、母に似て信心強盛な女人だったのでしょうね。


[100]

題名:フェイク 第1777号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/10/25(金) 17:46 2a0d:5600:5b:9000:d145:e2d:dc20:3ae7(IPv6:m247-ltd-newyork) (2a0d:5600:5b:9000:d145:e2d:dc20:3ae7)


(発行=24.10.24)

妙観講の指導教師、日顕の手先で暗躍
日蓮正宗大石寺・理境坊の小川只道が死去
謀略紙の監修や身延派とのパイプ役も

日蓮正宗大石寺の理境坊住職で妙観講の指導教師をしていた小川只道が二十一
日に入院先の病院で死去した。享年八十三歳。僧階は大僧都。二十二日午後六
時から通夜、二十三日午前九時から告別式が行われた。

 告別式の日は雨が降り続いて時折、打ち付けるような激しい雨になり、気温
は十九度、肌寒い日であった。午前八時過ぎから参列者の車両が次々に到着。
裏門の駐車場や三門の西側駐車場も満車になった。

 小川只道は昭和十六年五月十一日に生まれ、俗名は桂一。同三十八年四月に
得度。同四十七年十月に常灯坊の住職の後、同五十二年三月に理境坊の住職に
なり、同五十七年五月には大石寺理事になった。平成十一年三月には理境坊住
職を兼ねて雪山坊住職になり、同十五年四月には大石寺執事に任じられた。

 この小川は学会男子部出身の〝臨得(臨時得度)〟坊主で、男子部時代は任
用試験に二度も不合格。信仰心は薄いが、食うために頭を丸め、宗門の裏の汚
い仕事をやらされてきた。

理境坊の住職として説法しても、説得力がない、つまらないと不評で、御講の
参加者は次第に少なくなったということだ。

 以前、学会青年が五座三座の変遷、御書の刊行などを論じても、小川は何も
知らなかった。これが大僧都で大石寺の執事、理事とは唖然とする。

こんな坊主だから墓檀家の指導も満足にできないが、 日顕は小川を学会攻撃
の先兵として用いた。

平成六年十二月に宗門に復帰した元弁護士で反逆者のペテン師・山崎正友の受
け入れ先として指名したのが理境坊所属の妙観講で、〝狂言訴訟〟の信平信子
も同講に所属していた。

 また、日顕の肝いりで創刊した謀略紙「慧妙」の監修や本山警備会社「清昌」
の運営を任せていた。

今は「慧妙」の監修は辞めているが、親しく交流している身延派日蓮宗とのパ
イプ役もやっていた。

 これに関しては、いつも下劣な言葉で学会を批判している謀略紙「慧妙」が
釈明できないよう実例を示す。

平成六年十一月五日に身延僧が大石寺に参拝に来たことがあった。このことは
身延派の第一部布教師会発行「布教師會報」第二〇号(平成七年三月三十一日
付)に詳細に記録されている。
その中の「日蓮正宗総本山・大石寺研修参拝記」と題する記事は、身延派の布
教師会長で総本山久遠寺内の志摩坊住職・佐藤順映が書いたものである。

これを読むと、大石寺と身延派との親密度が窺えるので、この「大石寺研修参
拝記」の一部を紹介する。

身延僧に電話・礼状

「平成六年度本会の布教研修会が昨秋十一月五日に実施され、参加者八名と少
数だったが、充実した内容となった」と記し、大石寺参拝を大石寺内事部に事
前に通知し、承諾を得て実施したと、次のように書いている。「本会の名にお
いて、大石寺参拝の申請願書を送付して二十日も過ぎてから、当局内事部の理
事から応諾の電話を頂戴し」と明記している。

また「布教師會報」には「二時間以上に亘って懇切なる案内をしてくれた教師
から、ほどなく一通の礼状が届いた。〝皆様の暖かなお心に触れ、外はめっき
り寒くなっていたにも拘わらず、暖かな気持ちで御案内申し上げる事ができま
したことを感謝しております〟と。察するに今置かれている大石寺の立場を鮮
明に表しているものと理解するが、うがち過ぎだろうか」

このように身延僧に大石寺参拝の承諾の電話をかけ、その後も参拝に対する礼
状まで送っていたのである。

理境坊で「被害者の会」の設立の会合も

過去には「被害者の会」というのがあって、自分の不幸は全て学会のせいにす
る哀れな者たちのグループが「自由の砦」という機関紙を発行して学会を批判
していた。

この愚劣な「被害者の会」の設立準備の会合を平成六年十月に開いたのも理境
坊であった。

加えて、正本堂の解体工事について、大手建設会社が軒並み断るなか、引き受
ける業者を見つけてきたのも小川の配下である妙観講の最高幹部であったとい
う。

 このような数々の汚れた謗法行為や破壊工作を日顕は喜んでいたようだ。
 また、面白いのは小川が「道祖神」を拝んで御供養を受け取ったということ
だ。

大石寺近郊の熊久保地区 は、江戸時代の寺請制度によって、地域全体が大石
寺の信徒になった地域で、今も約三十戸の全世帯が理境坊の所属になっている。

 その地区内には神社があり、その中には「八幡宮」の扁額を中心に、第五十
三世・日盛の板曼荼羅が二体、安置され、歴代法主の御本尊を何体も持ってい
る家があるが、それらは年一回お盆の時に祀られるだけで、普段はお巻きして
ある。神棚、神札を祀っている家も多いが、小川は信心指導ができなかった。

 この地に日頃は行かない小川が平成三年八月四日、熊久保地区に出向いた。
道路の整備に伴い、道端の「道祖神」を移動させることになり、その厄払いを
するためだ。小川は「道祖神」に向かって合掌し勤行・唱題。謗法厳誡の話な
どしないで、御供養を受け取って帰った。
 
妙観講は解体か?

 こんな小川只道について特筆すべきは、当時は妙観講という名称ではなかっ
た大草一派が所属していた法道院(南池袋)の主管・早瀬日慈に誹謗中傷の限り
を尽くして昭和五十二年十二月に離籍、その大草一派を理境坊に受け入れたこ
とだ。

 大草が「編集並発行者」となって昭和五十三年一月二十五日に発刊した「法
道院信徒209名 離籍の真相」という小冊子がある。

 その「まえがき」で大草は次のように書いている。「私以下、元法道院所属
信徒二百九名は、昭和五十二年十二月二十八日付をもって日蓮正宗法華講・法
道院支部を離籍した」と述べ、法道院に対しては「隠忍自重して『悪口・批判』
することのなきよう慎んできた」と。この「隠忍自重」とは、怒りや苦しみを
じっと抑えて外に表さず、軽はずみな行動をしないこと、という意味である。

大草らは法道院に対して怒りを感じ、苦しみを味わってきたと言っているのだ。

また、離籍の真の理由を公にしなかったのは「法道院主管・日蓮正宗総監早瀬
日慈尊能化の権威・威光を傷つけ汚したくなかったがためである」と書いてい
る。

これでは諸悪の根源が法道院主管の早瀬日慈だと明言しているのと同じである。

本文で「『早瀬一族から次の猊下が出るのは当然のことだ』など、とても信じ
られぬ」等々、早瀬家を愚弄する記事も載せている。

日慈の長男である法主の日如に大草や妙観講員が心底より信伏随従しているの
かどうか、実に疑わしい。

日如は大草一派が法道院から理境坊に移籍して妙観講という名称になった経緯
を〝謀略だった〟と熟知し、日慈に「妙観講と戦いますか」と語っていた。

宗門関係者は謀略集団の妙観講の指導教師に誰がなるのか、色々と噂している
とのことだが、或いは妙観講を解体して講員を各末寺に分散するのだろうか?

大草を今年、大講頭に再任しなかった日如の才覚と決断に注目が集まる。






[99]

題名:師匠と我らとの関係 21(四条金吾に関連する御抄)後

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/10/12(土) 23:38 2001:ce8:127:e3a4:b1ba:4d12:760a:8735(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:b1ba:4d12:760a:8735)

師匠と我らとの関係 21(四条金吾に関連する御抄)後


「四条金吾に関連する御抄」における弟子との関係 後編


「経王御前のこと、二六時中に日月天に祈り申し候。先日のまぼり、暫時も身をはなさずたもち給え。その本尊は、正法・像法二時には、習える人だにもなし、ましてかき顕し奉ることたえたり。師子王は、前三後一と申して、ありの子を取らんとするにも、またたけきものを取らんとする時も、いきおいを出だすことは、ただおなじきことなり。日蓮、守護たるところの御本尊をしたため参らせ候ことも、師子王におとるべからず。経に云わく『師子奮迅の力』とは、これなり。」(経王殿御返事 新1632頁・全1124頁)文永10年8月 52歳御作
現代語訳:経王御前の事は、昼夜に日月天に祈っております。先日差し上げた御本尊は、しばらくも身から離すことなく受持していきなさい。その御本尊は、正法、像法の二時には、習い伝えた人すらいません。ましてや書き顕わした事は絶えて無かったのです。師子王は前三後一と言って、蟻の子を取ろうとする時にも、また獰猛なものを取ろうとする時にも、その勢いは、全く同じです。日蓮が守護の御本尊をしたためるのも師子王に劣らぬ姿勢によって顕したのです。法華経涌出品に「師子奮迅の力」とあるのはこれなのです。
※経王殿(経王御前)は、四条金吾とその妻・日限女との間に生まれた娘であり、文永9年に生誕したと思われ、この年、四条金吾は、佐渡に流罪中の大聖人に娘の病気平癒の祈念をお願いし、本抄は、それに対する御返事だと思われます。大聖人は大変心配されて、御自身が全生命を注いで図顕された御本尊を四条金吾に授与されたのです。


「この曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし。南無妙法蓮華経は師子吼のごとし、いかなる病さわりをなすべきや。鬼子母神・十羅刹女、法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり。さいわいは愛染のごとく、福は毘沙門のごとくなるべし。いかなる処にて遊びたわぶるとも、つつがあるべからず。遊行して畏れ無きこと、師子王のごとくなるべし。(中略)ただし御信心によるべし。」(経王殿御返事 新1633頁・全1124頁)
現代語訳:この曼荼羅をよくよく信じていきなさい。南無妙法蓮華経は師子吼の様なものです。どの様な病気が障害になるのでしょうか。鬼女母神、十羅刹女は、法華経の題目を持つ者を守護する、と経文に説かれています。幸せは愛染明王の様に、福運は毘沙門天の様に備わっているのです。たとえ、どの様な場所で遊びたわむれていても、災難が起こる筈がないのです。悠々と遊行して畏れの無い事は師子王の様なのです。(中略)ただし、御信心によるのです。
※過日授与した御本尊は、強盛な信心があれば、諸天善神が守護されるので、福運に満ちた境涯に成っていくと述べられています。


「法華経の剣は、信心のけなげなる人こそ用いることなれ。鬼にかなぼうたるべし。日蓮がたましいをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給え。仏の御意は法華経なり、日蓮がたましいは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし。妙楽云わく『顕本遠寿をもってその命となす』と釈し給う。経王御前には、わざわいも転じて幸いとなるべし。あいかまえて御信心を出だし、この御本尊に祈念せしめ給え。何事か成就せざるべき。」(経王殿御返事 新1633頁・全1124頁)
現代語訳:法華経という利剣は、信心の殊勝な人が用いてこそ役に立つのです。鬼に金棒なのです。(この御本尊は)日蓮の魂を墨に染め流して書いたのです。信じなさい。(釈迦)仏の本意は法華経です。日蓮の魂は南無妙法蓮華経以上に越えたものでは無いです。妙楽大師の法華文句記に「(此の経の)本地の遠寿を顕わすことをもってその根本となす」と解釈されています。経王御前にとっては、今の禍いも転じて幸いとなるでしょう。心して信心を奮い起こしてこの御本尊に御祈念していきなさい。何事も成就しない訳が無いのです。
※強き信心で御本尊に祈念すれば、経王御前の禍いも転じて幸せとなる、と結ばれています。本抄は、比較的短いお手紙ですが、御本尊に対する重要な御指導が多く書かれているので、続けて御文を紹介させて頂きました。宗門は、弘安2(1279)年より6年も早い文永10(1273)年の本抄の御文を楠板の戒壇本尊の文証としていますが、間違いである事は明白です。


「孔子は九思一言、周公旦は浴する時は三度にぎり、食する時は三度はかせ給う。古の賢人なり、今の人のかがみなり。されば、今度はことに身をつつしませ給うべし。よるは、いかなることありとも、一人そとへ出でさせ給うべからず。たとい上の御めし有りとも、まず下人をごそへつかわし   99て、ないない一定をききさだめて、はらまきをきて、はちまきし、先後左右に人をたてて出仕し、御所のかたわらに心よせのやかたか、また我がやかたかにぬぎおきて、まいらせ給うべし。家へかえらんには、さきに人を入れて、とのわき、はしのした、むまやのしり、たかどの、一切くらきところをみせて入るべし。しょうもうには、我が家よりも人の家よりもあれ、たからをおしみてあわてて火をけすところへつっとよるべからず。まして走り出ずることなかれ。出仕より主の御ともして御かえりの時は、みかどより馬よりおりて、いとまのさしあうよし、ぼうかんに申して、いそぎかえるべし。上のおおせなりとも、よに入って御ともして御所にひさしかるべからず。かえらんには、第一心にふかきようじんあるべし。ここをばかならずかたきのうかがうところなり。人のさけたばんと申すとも、あやしみて、あるいは言をいだし、あるいは用いることなかれ。」(四条金吾御書 新1599-1600頁・全1175-6頁)建治4年1月 57歳御作
現代語訳:孔子は「九思一言」にあり、周公旦は(客人があれば)髪を洗っている時は三度直ぐに止めて迎え、食事中の時は三度口中の食を吐いてでも、客を待たせず応対しました。それが古の賢人であり、今の人の鏡です。だから今度は特に自重していきなさい。夜はどの様な事があっても、一人で外へ出てはなりません。たとえ主君がお呼びであっても、まず下人を主君の所に遣わして、内々確かに御主君のお呼びである事を聞き定めて後、腹巻を着て鉢巻して、先後左右に人をたてて出仕し、主君の館の近所の、あなたに心を寄せる人の館か、又は自身の館に鎧を脱ぎおいて参上しなさい。また、家へ帰る時には、先に人を家に入れて、戸の側・橋の下・厩のうしろ・高殿など、いっさい暗い所を見させてから入りなさい。火事の場合は、わが家から出火しても人の家から出火しても、財産を惜しみ、あわてて火をけすところへ近づいてはいけません。まして走り出る様な事があってはなりません。出仕から主君のお供をして帰る時は、御門の所で馬から降りて、用事がある旨を判官に言って、急いで帰りなさい。主君の仰せであっても、夜半に入ってお供して御所に長くいてはなりません。帰る時には、一層、心に深く用心しなさい。帰る機会を必ず敵が狙うからです。人が酒をあげようといっても、怪しんで、あるいは言葉を濁し、ある場合は、はっきり断わりなさい。
※九思一言とは、「九思の末に一言を出す」であり、物事の善悪・是非を充分に考慮した上でなければ言葉を出さない、という意味です。論語李氏に「孔子云く、君子に九思あり。視は明を思い、聴は聡を思い、色は温を思い、貌は恭を思い、言は忠を思い、事は敬を思い、疑は問を思い、忿は難を思い、得を見ては義を思う」とあり、九思は君子の九つ思いで、明・聡・温・恭・忠・敬・問・難・義です。大聖人は、四条金吾が命に及ぶ難を受けている事を知って、事細かに指導されています。


「ご所領、上より給わらせ給いて候なること、まこととも覚えず候。夢かとあまりに不思議に覚え候。御返事なんどもいかように申すべしとも覚えず候。(中略)
かの処はとのおかの三倍とあそばして候上、さどの国のもののこれに候が、よくよくその処をしりて候が申し候は『三箇郷の内に、いかだと申すは第一の処なり。田畠はすくなく候えども、とくははかりなし』と申し候ぞ。二所はみねんぐ千貫、一所は三百貫と云々。かかる処なりと承る。なにとなくとも、どうれいといい、したしき人々と申し、すてはてられて、わらいよろこびつるに、とのおかにおとりて候処なりとも、御下し文は給わりたく候いつるぞかし。まして三倍の処なりと候。いかにわろくとも、わろきよし、人にもまた上へも申させ給うべからず候。『よきところ、よきところ』と申し給わば、またかさねて給わらせ給うべし。「わろき処、徳分なし」なんど候わば、天にも人にもすてられ給い候わんずるに候ぞ。御心えあるべし。」(四条金吾殿御返事 新1604-5頁・全1183頁)弘安元年10月 57歳御
現代語訳:御所領を主君から新たに給わったとのお知らせ、真実とも思えぬほどです。夢かと本当に不思議に思い、御返事もどの様に申し上ようかと思ったほどです。(中略)
新しい領地は、これまでの殿岡の三倍もあると言われている上に、佐渡の国の者で、この身延の地に来ていて、よくその土地を知っている者の話によると、「三箇郷の中で、いかだという所は第一の場所であって、田畑は少ないけれども、その徳分は量り知れない」ということです。二か所は年貢が千貫、一か所は三百貫と、この様な場所と聞いています。ともかく今は、同僚にも親しい人々にも捨てられ、嘲笑されているのだから、たとえ殿岡より劣っている場所であっても、ご恩を給わりたい時です。いわんや三倍の所であるという。たとえどんなに悪い土地であろうとも、悪いということを、他人やまた主君に言ってはいけません。良い所、良い場所と言っていれば、また重ねて給わる事もあるでしょう。それを悪い場所だ、徳分が無いなどと言えば、天にも人にも見捨てられてしまうでしょう。深く心得るべきです。
※本抄を「所領加増の事」とされている通り、四条金吾は、遂に、法華信仰で誤解されていた主君・江間氏から、誤解が解けて三倍の所領地を賜ったのです。でも大聖人は、慢心をする事なく自重していく様に指導されています。


「さきざき申し候いしように、「陰徳あれば陽報あり」と申して、皆人は主にうったえ、主もいかんぞおぼせしかども、わどのの正直の心に主の後生をたすけたてまつらんとおもう心ごうじょうにして、すねんをすぐれば、かかるりしょうにもあずからせ給うぞかし。これは物のはしなり、大果報はまた来るべしとおぼしめせ。また、この法門の一門、いかなる本意なきことありとも、みずきかずいわずしてむつばせ給え。大人にいのりなしまいらせ候べし。上に申すことは私のことにはあらず。外典三千・内典五千の肝心の心をぬきてかきて候。」(陰徳陽報御書 新1613頁・全1178頁)弘安2年4月 58歳御作
現代語訳:前々から申している様に「陰徳があれば陽報がある」といって、同僚等はあなたの事を主君に讒言し、主君もまた本当なのかと思われていましたが、あなたが正直な心で主君の後生をお救いしたいと思う真心が強盛であり、数年間も続いたので、この様な利生を受けることができたのです。しかしこれは物事の始まりであって、大果報はまた後に来ると思っていきなさい。またこの法門の人々とは、たとえどの様な不本意な事があっても、見ず、聞かず、言わずして仲良くしていきなさい。おだやかにして、祈っていきなさい。以上申した事は私言ではありません。外典の三千余巻、内典の五千余巻の肝心を取り出して書いたのです。
※四条金吾の所領加増という功徳には「陰徳陽報」の原理が備わっており、これを続ければ大果報もあるだろうと指導されています。


「清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、午時にこの法門申しはじめて、今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う。その中の大難申すばかりなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。その間の大難は、各々かつしろしめせり。(中略)
仏の大難には及ぶか優れたるか、それは知らず。竜樹・天親・天台・伝教は余に肩を並べがたし。日蓮末法に出でずば、仏は大妄語の人、多宝・十方の諸仏は大虚妄の証明なり。仏の滅後二千二百三十余年が間、一閻浮提の内に仏の御言を助けたる人、ただ日蓮一人なり。」(聖人御難事 新1618-9頁・全1189-90頁)弘安2年10月1日 58歳御作
現代語訳:清澄寺という寺の諸仏坊の持仏堂の南面で、正午の時に、この法門を唱えはじめて以来、今弘安二年まで二十七年を経過しています。釈迦は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年の後に、それぞれ出世の本懐を遂げられました。その本懐を遂げられるまでの間の大難は、それぞれに言い尽くせないほどであり、今まで、しばしば述べてきた通りです。日蓮は、二十七年です。その間の大難は、既に各々がよく御存知の通りです。(中略)
これらの難は、仏の大難には及ぶか、あるいは勝れているかどうか、それは知りません。(しかし)竜樹や天親、天台、伝教は日蓮と肩を並べ難いのです。もし日蓮が末法に出現しなかったならば、仏は大妄語の人となり、多宝如来や十方の諸仏も、大虚妄の証明をした事に成ってしまうでしょう。仏滅後二千二百三十余年の間に、一閻浮提の中で、仏の御金言を助けた人は、ただ日蓮一人なのです。
※これまで大聖人御自身が多くの迫害を受けていたのに対して、教育を充分に受けてもいない熱原の農民達に直接難が及びそれにも全く動じない農民達の立派な信心の姿を知り、当時の中級社会であった武家層だけではなく農民等の民衆全般に亘って日蓮仏法が浸透したと確信して、此処に出世の本懐である「民衆仏法の確立」を宣言されたのですね。


「各々、師子王の心を取り出だして、いかに人おどすともおずることなかれ。師子王は百獣におじず。師子の子、またかくのごとし。彼らは野干のほうるなり。日蓮が一門は師子の吼うるなり。
故最明寺殿の日蓮をゆるししと、この殿の許ししは、禍なかりけるを人のざんげんと知って許ししなり。今はいかに人申すとも、聞きほどかずしては人のざんげんは用い給うべからず。たとい大鬼神のつける人なりとも、日蓮をば梵釈・日月・四天等、天照太神・八幡の守護し給うゆえに、ばっしがたかるべしと存じ給うべし。月々日々につより給え。すこしもたゆむ心あらば、魔たよりをうべし。我ら凡夫のつたなさは、経論に有ることと遠きことはおそるる心なし。」(聖人御難事 新1620頁・全1190頁)
現代語訳:各人は師子王の心を出して、どの様に人が威嚇しても決して恐れる事があってはなりません。師子王は百獣に恐れないのです。師子の子もまた同じです。(正法を誹謗する)彼等は、野干(狐の類)が吼えている様なものです。日蓮の一門は師子が吼えているのです。
故最明寺時頼殿が日蓮の伊豆流罪を赦免したのも、今の執権時宗殿が佐渡流罪を許したのも、日蓮に禍はなく、人の讒言によるもの、と知ったから許したのです。今後はなんと人が言っても、よく事情も聞かずに人の讒言を用いられる事は無いでしょう。たとえ、大鬼神が(味方に)付けた人であっても、日蓮を梵天・帝釈・日天・月天・四天王また天照太神・八幡大菩薩が守護されているので、罰することができないと確信していきなさい。月々日々に、信心を奮い起こしていきなさい。少しでもたゆむ心があれば、魔がそれに便りを得て(襲って)来るでしょう。我々凡夫の劣っている事は、経論に誡め説かれている事でも、自分には縁のない遠い事と思い、恐れる心が無いことです。
※門下に対して、誰がどの様に傲慢に圧力をかけても、屈する事無く王者の気持ちで接しなさい、更に世間の法にも逆らえないが仏法の法則は更に厳しい、と仰せですね。
本抄は、鎌倉在住の在家門下に贈られた御文ですが、大聖人はご自身の出世の本懐として「民衆仏法の基盤確立」を明示され、最後は四条金吾が保存していきなさいと御教示された重要な御書なのです。宗門は、この御文(弘安2年10月1日著作)を大聖人の出世の本懐として楠板本尊が建立(弘安2年10月12日)された文証としていますが、時系列で考えても大きな間違いなのは明らかです。


「先度、強敵ととりあいについて御文給いき。委しく見まいらせ候。さてもさても、敵人にねらわれさせ給いしか。前々の用心といい、またけなげといい、また法華経の信心つよき故に、難なく存命せさせ給い、めでたし、めでたし。(中略)
今度の大事は、この天のまぼりにあらずや。彼の天は剣形を貴辺にあたえ、ここへ下りぬ。この日蓮は首題の五字を汝にさずく。法華経受持のものを守護せんこと、疑いあるべからず。まりし天も法華経を持って一切衆生をたすけ給う。『臨兵闘者皆陣列在前』の文も法華経より出でたり。『もし俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん』とは、これなり。}(四条金吾殿御返事 新1622-3頁・全1192頁)弘安2年10月23日 58歳御作
現代語訳:先頃、強敵と争いがあった事についてお手紙をいただき、詳しく拝見いたしました。それにしても、以前から、あなたは、敵人に狙われていたのでしょう。しかし、普段からの用心といい、また勇気といい、また法華経への信心が強盛な故に、無事に存命された事は、この上もなくめでたいことです。(中略)
この度あなたが強敵から逃れられたのは、この天(摩利支天)の守護によるものでしょう。摩利支天は、あなたに剣形の大事を与え、守護したのです。この日蓮は、一切の諸天善神が守るべき首題の五字をあなたに授けるのです。法華経受持の者を守護する事は断じて疑いないのです。摩利支天自身も法華経を持って、一切衆生を助けるのです。剣形兵法の呪文である「兵闘に臨む者は皆陣列して前に在り」の文も結局、法華経の文より出たものです。法華経法師功徳品に、「若し俗間の経書、治世の語言、資生の業等を説かんも、皆正法に順ぜん」とあるのはこの意なのです。
※本抄は別名「法華経兵法の事」であり、四条金吾は所領の加増後も、幾度も命を狙われており、常に用心して行動すべきだが、法華経を護持する事が法華経の兵法であり、何の兵法よりも最も優れていると御指南されています。


「ただ心こそ大切なれ。いかに日蓮いのり申すとも、不信ならば、ぬれたるほくちに火をうちかくるがごとくなるべし。はげみをなして強盛に信力をいだし給うべし。すぎし存命不思議とおもわせ給え。なにの兵法よりも法華経の兵法をもちい給うべし。『諸余の怨敵は、みな摧滅す」』の金言むなしかるべからず。兵法・剣形の大事もこの妙法より出でたり。ふかく信心をとり給え。あえて臆病にては叶うべからず候。」(四条金吾殿御返事 新1623頁・全1192-3頁)
現代語訳:ただ根本は心が大切なのです。日蓮があなたの事をどの様に祈ったとしても、あなた自身がこの仏法を信じなければ、濡れた火口に火を打ちかける様なもので(無駄になってしまいま)す。(従って、なお一層、自分自身を)励まして、強盛な信力を出していきなさい。過日、強敵に遭遇しながら、無事に助かった事は、全く御本尊の不思議な功力だと思いなさい。いかなる兵法よりも法華経の兵法を用いていきなさい。法華経薬王品の「諸の余の怨敵、皆悉く摧滅す」とある金言は決して空言ではないのです。兵法剣形の大事もこの妙法より出たものです。この事を深く信じていきなさい。あえて臆病では何事も叶わないのです。
※何事も剛盛な信力に加えて、臆病ではなく勇気を持つことが大切である、と大聖人は仰せです。


◎四条金吾(1230-1300)は、大聖人(1222-1282)より8歳若かったが、気象が激しく、純情で忠義の心厚き人で、武道・学問に優れ医術の心得もあったとされています。建長8年27歳頃に大聖人に帰依し、竜の口の頸の座では金吾自身も死を覚悟して御伴され、大聖人が佐渡に流罪されると佐渡の地から開目抄を賜っている。家族や自身の内情を常に大聖人に御報告され、主君江間氏を折伏された際に難を受けらたが怯む事も無く、強信をもって大聖人に御仕いされ、71歳で亡くなられたとされています。まさに我々末代信者の鏡であられたのですね。


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題名:64 

名前:サム

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師匠と我らとの関係 20(四条金吾に関連する御抄)前


「四条金吾に関連する御抄」における弟子との関係 前編


通称・四条金吾は、「四条中務三郎左衛門尉頼基」と云い、父の跡を受けて北条の支族・江馬氏に仕えた武士で、龍ノ口の法難に際しては急ぎ現場に向かわれており、医師として常に大聖人のご体調を気遣われています。だから、大聖人から開目抄や聖人御難事 等の重要御書を含め最も多くの御消息文が贈られ指導されています。従って、ご紹介させていただく御文も多くなりましたので、前・後編に分けてご紹介させていただきます。


「法華経の信心をとおし給え。火をきるに、やすみぬれば火をえず。強盛の大信力をいだして、「法華宗の四条金吾、四条金吾」と、鎌倉中の上下万人、乃至日本国の一切衆生の口にうたわれ給え。あしき名さえ流す。いわんやよき名をや。いかにいわんや法華経ゆえの名をや。」(四条金吾殿御返事 新1522頁・全1117-8頁) 文永9年5月 51歳御作
現代語訳:法華経の信心を貫き通しなさい。火打ち石で火をつけるのに、途中で休んでしまえば火を得られません。強盛な大信力を出して、法華宗の四条金吾、四条金吾と鎌倉中の上下万人及び日本国の一切衆生の口に唄われていきなさい。人は悪名でさえも流すものです。ましてや善き名を流すのは言うまでもない事です。更に言えば、法華経の為の名においては言うまでもないのです。
※本抄は別名「煩悩即菩提の事」ですが、文末に、「左衛門尉」を唐名で「金吾」と称される事から、大聖人も「四条金吾」と呼ばれ、鎌倉方面の在家門下の中心者になっている事に大変喜ばれています。


「凡夫なれば、ややもすれば悔ゆる心有りぬべし、日蓮だにもかくのごとく侍るに、前後も弁えざる女人なんどの、各仏法を見ほどかせ給わぬが、いか程か日蓮に付いてくやしとおぼすらんと心苦しかりしに、案に相違して、日蓮よりも強盛の御志どもありと聞こえ候は、ひとえに只事にあらず。教主釈尊の各の御心に入り替わらせ給うかと思えば、感涙押え難し。」(呵責謗法滅罪抄 新1531頁・全1126頁)文永10年 52歳御作
現代語訳:凡夫なので、ややもすれば後悔する心もありました。日蓮でさえもこの様なのに、物事の前後の分別もつきかねる女性方等は、仏法を理解していない様なので、どれほどか日蓮に付き従ったことを後悔しているかと思うと、実に心苦しかったのです。ところが案に相違して、日蓮よりも強盛な信心があると聞きおよびましたが、これは全く只事ではありません。教主釈尊があなた方の心に入り替わられたのではないか、と思えて感涙押えがたいのです。
※本抄の意義は、正法を弘通する事で、謗法を呵責(相手の非を厳しく責める)して無始以来の重罪を滅しうるからです。四条金吾を大聖人ご自身よりも強き信心のある人物だと褒められていますね。


「他人なれども、かたらいぬれば命にも替るぞかし。舎弟らを子とせられたらば、今生の方人、人目申すばかりなし。妹らを女と念わば、などか孝養せられざるべき。これへ流されしには一人も訪う人もあらじとこそおぼせしかども、同行七・八人よりは少からず。上下のかても各の御計いなくば、いかがせん。これひとえに、法華経の文字の各の御身に入り替わらせ給いて御助けあるとこそ覚ゆれ。いかなる世の乱れにも各々をば法華経・十羅刹助け給えと、湿れる木より火を出だし、乾ける土より水を儲けんがごとく、強盛に申すなり。」(呵責謗法滅罪抄 新1538-9頁・全1132頁)
現代語訳:他人であっても、心から語り合えば命にも替わるのです。舎弟等をわが子とされたならば今生の味方となり、傍の目に良いのは言うまでもありません。妹達を娘と思えば、どうして孝養されない事があるでしょうか。日蓮が佐渡へ流された時には一人も訪ねてくる人はないだろうと思っていましたが、同行する者は七・八人を下らなかったのです。上下の資糧もあなた方の御計画が無ければどうにもなりません。これはひとえに法華経の文字があなた方の身に入り替って日蓮を助けているのであると思います。どの様に世間が乱れても、「あなた方を法華経・十羅刹よ助け給え」と、湿った木より火を出し、乾いた土より水を出す様に、強盛な信心で申しているのです。
※大聖人は、四条金吾に全幅の信頼を寄せておられる御文ですね。


「この経をききうくる人は多し。まことに聞き受くるごとくに大難来れども憶持不忘の人は希なるなり。受くるはやすく、持つはかたし。さるあいだ、成仏は持つにあり。この経を持たん人は難に値うべしと心得て持つなり。「則ちこれ疾く無上の仏道を得ん」は疑いなし。」(四条金吾殿御返事 新1544頁・全1136頁)文永12年3月 54歳御作
現代語訳:この法華経を聞いて受ける人は多いのです。でも真剣に聞き信受して、どんな大難が来てもこの法華経を常に憶い持って忘れない人はまれです。受ける事は易しいですが、持つ事は難しいのです。しかし成仏は持ち続ける事にあるのです。この法華経を持つ人は必ず難に遭遇するのだと心得て持つべきです。法華経見宝搭品の「(法華経を暫くも持つ者は)則ち為れ疾く速やかに、最高の仏道を得る」事は疑いないのです。
※基本である妙法受持の難しさを述べておられます。


「一切衆生、南無妙法蓮華経と唱うるより外の遊楽なきなり。経に云わく『衆生所遊楽(衆生の遊楽する所)』云々。この文、あに自受法楽にあらずや。『衆生』のうちに貴殿もれ給うべきや。『所』とは、一閻浮提なり。日本国は閻浮提の内なり。『遊楽』とは、我らが色心・依正ともに一念三千・自受用身の仏にあらずや。法華経を持ち奉るより外に遊楽はなし。『現世安穏、後生善処』とは、これなり。」(四条金吾殿御返事 新1554頁・全1143頁)建治2年6月 56歳御作
現代語訳:一切衆生にとって、南無妙法蓮華経と唱える以外に遊楽はありません。法華経寿量品には「衆生の遊楽する所なり」とあります。この文は自受法楽の事を言っているのです。「衆生」の中にあなたが漏れることがあるでしょうか、また「所」とは、一閻浮提を示しており、日本国はその閻浮提の内にあるのです。「遊楽」とは、我々の色心、依報・正報は共に、一念三千の当体であり、自受用身の仏ではないでしょうか(だから遊楽です)。法華経をたもつ以外に遊楽はないのです。法華経薬草喩品にある「現世安穏にして、後に善処に生ず」とはこの事をいうのです。
※本抄を別名「衆生所遊楽御書」と云い、有名な「衆生所遊楽」と「自受法楽」の関係を述べられた御文です。「現世安穏・後生善処」に繋がっているのです。


「苦をば苦とさとり、楽をば楽とひらき、苦楽ともに思い合わせて南無妙法蓮華経とうちとなえいさせ給え。これあに自受法楽にあらずや。いよいよ強盛の信力をいたし給え。」(四条金吾殿御返事 新1554頁・全1143頁)
現代語訳:苦を苦と覚り、楽を楽と開いて、苦しくても楽しくても共に南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。これこそ自受法楽(法楽を自身に受ける)ではないでしょうか。より一層、強盛の信力を出だしていきなさい。
※此処でも「自受法楽」の定義を述べられ、激励されていますね。


「賢人は、八風と申して八つのかぜにおかされぬを、賢人と申すなり。利い・衰え・毀れ・誉れ・称え・譏り・苦しみ・楽しみなり。おお心は、利いあるによろこばず、おとろうるになげかず等のことなり。この八風におかされぬ人をば、必ず天はまぼらせ給うなり。しかるを、ひりに主をうらみなんどし候えば、いかに申せども、天まぼり給うことなし。」(四条金吾殿御返事 新1565頁・全1151頁)建治2年又は同3年 55は56歳御作
現代語訳:賢人は八風といって八種の風に犯されないのを賢人というのです。八風とは、利(うるおい・利益を得て潤う)・衰(おとろえ・様々に弱く損をする)・毀(やぶれ・世間から軽蔑される)・誉(ほまれ・世間から褒められる)・称(たたえ・人々から称えられる)・譏(そしり・人々から悪口をいわれる)・苦(くるしみ・身心が苦しむ)・楽(たのしみ・身心が楽しい)です。大概は、世間的利益があっても喜ばず、衰えるのを嘆かないなどということです。この八風に犯されない人を、必ず、諸天善神は守ってくださるのです。ところが道理にそむいて主君を恨んだりすれば、どんなに祈っても諸天は守護しないのです。
※別名「八風抄」と云いますが、大聖人は、いよいよ四条金吾に難が襲って来たので、八風に侵されない賢人の心得を説かれておられるのです。


「竜象房、口を閉じて色を変え候いしかば、この御房申されしは、『これ程の御智慧にては、人の不審をはらすべき由の仰せ無用に候いけり。苦岸比丘・勝意比丘等は、我正法を知って人をたすくべき由存せられて候いしかども、我が身も弟子檀那等も無間地獄に堕ち候いき。御法門の分斉にて、そこばくの人を救わんと説き給うがごとくならば、師檀共に無間地獄にや堕ち給大聖人はわんずらん。今日より後は、かくのごとき御説法は御はからいあるべし。かようには申すまじく候えども、【悪法をもって人を地獄におとさん邪師をみながら責め顕さずば返って仏法の中の怨なるべし】と仏の御いましめのがれがたき上、聴聞の上下、皆悪道におち給わんこと不便に覚え候えば、かくのごとく申し候なり。智者と申すは、国のあやうきをいさめ、人の邪見を申しとどむるこそ智者にては候なれ。【これはいかなるひが事ありとも、世の恐ろしければいさめじ】と申されん上は力及ばず。某は文殊の智慧も富楼那の弁説も詮候わず』とて立たれ候いしかば、諸人歓喜をなし、掌を合わせ、『今しばらく御法門候えかし』と留め申されしかども、やがて帰り給い了わんぬ」(頼基陳状 新1573頁・全1156頁)建治3年6月 56歳御作
現代語訳:竜象房はこれ(日蓮門下の不惜身命の弘教)を聞き口を閉じ、顔色を変えてしまったので、三位房の言ったことは「この程度の知恵では人の不審を晴らそうなどの高言は無用でしょう。昔、苦岸比丘や勝意比丘らは、自分は正法を知ったから人を救ってやろうと思っていたのですが、我が身も弟子・檀那らも共に無間地獄に堕ちました。あなたの法門の程度で多くの人を救おうなどと説法するようであれば、師檀共に無間地獄に堕ちるのではないでしょうか。今日より後は、この様な説法は考え直されるが良いでしょう。この様には言わないと思ったのですが、言わなければ『悪法をもって人を地獄に堕そうとする邪師を見ながら責め顕わさないならば、返ってそれは仏法の中の怨である』との仏の戒めに免れ難い上に、説法を聴聞している全ての人々が悪道に堕ちる事が不便に思われたので、この様に言うのです。智者というのは、国の危機を諫め、人の邪見を止めることこそ智者ではないでしょうか。あなたは、どの様な誤りがあろうとも世間が恐ろしいので諫めない、と言われる以上はどうしようもございません。もはや文殊の智慧も富楼那(ふるな)の弁説も役には立ちません」といって座を立たれると、諸人は歓喜して、掌を合わせ、「今しばらく御法門をお聞かせ下さい」と引き止めました。だが三位房は、そのまま帰られてしまいました。以上の事の他には別のことは何もありません。どうか、御推察ください。法華経を信じて仏道を願うほどの者が、どうして法門の問答の時に悪行を企てたり、悪口を旨とするでしょうか。全て、その事情の経過についてご推察下さい。
※日蓮大聖人は愛弟子の四条金吾に代わって、江間氏に陳状(主君の怒りに対する弁明書)を書かれたのが本抄です。内容は①三位公と竜象房との法論の実態を述べ②讒言者と頼基が対話すれば真相究明できる③極楽寺良観と竜象房の諸行を暴露し江間氏の誤解を糾す④主君の不義に身命を惜しまず諫める頼基こそ忠臣である⑤他宗を破折し重ねて事件の真相究明を請われて結ばれています。


「仏法の中に内薫外護と申す大いなる大事ありて宗論にて候。法華経には『我深く汝等を敬う』、涅槃経には『一切衆生ことごとく仏性有り』、馬鳴菩薩の起信論には『真如の法、常に薫習するをもっての故に、妄心即ち滅して、法身顕現す』、弥勒菩薩の瑜伽論には見えたり。かくれたることのあらわれたる徳となり候なり。されば、御内の人々には天魔ついて、前よりこのことを知って、殿のこの法門を供養するをささえんがために今度の大妄語をば造り出だしたりしを、御信心深ければ十羅刹たすけ奉らんがためにこの病はおこれるか。上は我がかたきとはおぼさねども、一たん、かれらが申すことを用い給いぬるによりて、御しょろうの大事になりてながしらせ給うか。彼らが柱とたのむ竜象すでにたおれぬ。和讒せし人も、またその病におかされぬ。良観はまた一重の大科の者なれば、大事に値って大事をひきおこして、いかにもなり候わんずらん。よもただは候わじ。」(崇峻天皇御書 新1592頁・全1170-1頁)建治3年9月 56歳御作
現代語訳:仏法の中に、内薫外護という大事な法門があり、これは仏教の原理なのです。法華経不軽品には、「私は深くあなた達を敬う」とあり、涅槃経には「一切の衆生は悉く仏性がある」とあり、馬鳴菩薩の著わした起信論には「真如の法が常に薫習する故に、妄心が即滅して、法身が顕現するのである」と説かれ、また弥勒菩薩の著わした瑜伽論に、同じ様なことが説かれています。隠れた行動が、外に現われて徳となるのです。それゆえ江馬家の御内の人々には、天魔がついて、この内薫外護の原理で江間氏一門が正法の家人となることを知って、あなたが法華経を供養することを防ぎ止める為に、今回の竜象房等の大妄語を作り出したのです。ところが、あなたの御信心が深いので、十羅刹女があなたを護ろうとして、主君の病気を起したのでしょうか。主君はあなたを自分の仇とは思われていないが、ひとたび彼らの言う事を用いた事によって、御病気が重くなり、長引いておられるのでしょうか。彼らが柱と頼む竜象房も、既に倒れてしまった。讒言した人々も、また同じ病に侵されてしまった。良観はなお一層仏法上の大罪ある者ですから、大事件に遭遇し大事を引き起こして、法罰を蒙ることになるでしょう。よもや、只事では済まないでしょう。
※本抄は、別名「三種財宝御書」と云い、大聖人は、四条金吾の短気な性格を心配して、怒りの為に身を滅ぼした崇峻天皇の物語を引かれて戒められ、仏法修行者は自己の行動・生活において立派に振る舞わなければならない、と指導されています。


[97]

題名:フェイク 第1776号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/09/14(土) 00:36 2604:f440:8:1000:1217:5f51:4719:7314(IPv6:) (2604:f440:8:1000:1217:5f51:4719:7314)

(発行=24.09.12)

在家主導で広宣流布は進展
「慧妙」の無知と偏見による批判記事を破す
困窮する宗門を救った戸田先生の先見の明

創価学会の第二代会長・戸田先生が在家主導の広宣流布の道を開き、第三代会
長の池田先生が全世界に妙法の種を植えたことにより、日蓮大聖人の仏法は世
界宗教として百九十二ケ国・地域で花開いている。

立宗以来、誰も成し得なかった大偉業であるが、これに嫉妬して非難中傷する
しか能がない邪宗門の謀略紙「慧妙」九月一日付は、連載「創価学会の歴史改
竄を糺す」で「学会の凶暴性は発足当時から」と題して、見当違いの批判記事
を掲載しているから看過できない。

「慧妙」は学会の宗教法人認可は昭和二十七年で半世紀以上を経過しているた
め当時のことを記憶している人は少ない、と述べて、無知と偏見による批判記
事を書いているが、学会の興隆に焼きもちを焼く古狸坊主の入れ知恵だと思わ
れる。

謀略紙のいう「高圧的かつ凶暴な体質」とは寺院から離れて広宣流布の活動を
するべきだ等の戸田先生の発言を指しているのだが、質の悪い誹謗である。

戸田先生の発言は決して凶暴性などではない。日達法主が「化義の折伏は政治、
経済、文化、あらゆる方面にわたるべきであります」と述べていた通り、戸田
先生の発言は多角的な広宣流布の活動を在家主導で進めていくという意味であ
る。

これは僧侶主導では出来ない。布教活動も停滞して、疲弊している宗門の哀れ
な姿を見かねた戸田先生の先見性に富んだ意見であった。

戦後、学会草創期の宗門は困窮を極めていた。御影堂は雨漏りし、五重塔は更
に状態がひどく、雨が降り込んでくるほど傷んでいた。また、当時の日昇法主
の住居はバラック建てだった。

戦後の苦境時代をよく知る吉田義誠(日勇)は昭和二十二年八月に内事部理事補
を拝命した頃、食べる米はなく、来る日も来る日も芋を食べ、或いは南瓜を食
べて餓えをしのいだ、と述懐していた。

そんな状態でも僧は布教活動も何もしない、法華講員は勤行が出来ないし、折
伏も御供養も登山もしない。

そこで宗門は大石寺の観光地化を進めようとした。

こんな窮状を見た戸田先生が昭和二十七年に登山会を開始し、七十五万世帯を
目指しての折伏を推進した。

これを称えて日達法主は「登山会をすることになって初めて本山は活気づいて
きたのでございます」(昭和四十八年八月三十日、教師講習会)と述べていた。

また、五十九世の日亨上人は「学会の出現がなければ、今ごろ宗門は潰(つぶ)
れていた」と感謝された。 

戸田先生は「何のために折伏するのですか?」という会員の質問に「不幸な人、
悩んでいる人が気の毒だから折伏するのだよ」と答えていた。

池田先生の指導も同じだ。単に会員を増やすのが折伏の目的ではない。「不幸」
と「悲惨」をなくし、自他共の幸せを拡大する慈悲の行為なのである。これが
成果主義の法華講や顕正会と根本的に違う点だ。

最後に日顕の反省の言葉で結ぶことにする。「私の罪障と云はうか、(戸田)先
生の云う、いはゆる坊主根性の為か、昭和二十四年頃の私は、自らの心にある
垣根を作り、それが円融闊達にして師厳道尊なる先生の精神に半ば通じない事
があったのは、今更、遺憾慚愧此の上もないのである」




[96]

題名:フェイク 第1775号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/09/02(月) 19:50 2605:6440:2000:3000:307:c83:9fa9:70c3(IPv6:) (2605:6440:2000:3000:307:c83:9fa9:70c3)

(発行=24.08.31)

日顕が本門正宗の邪僧と親交
夏季特集 日蓮正宗の謗法行為を集大成 ⑤
「大石寺は紆余曲折、細々と生き延びた針金宗」

日蓮正宗は本山の大石寺が富士山の西南の麓に位置することを宣伝文句に転用
して「富士の清流」と称しているが、「清流」だったのは開創の当初と学会が
外護していた期間に限られる。

 大石寺の最初の内紛は、早くも第三祖・日目上人の死後に起こり、僧の本分
を忘れた者たちは相続争いや権力闘争に明け暮れ、清流は次第に濁流となり、
泥流になっていった。

 室町時代には日有上人の留守中、阿闍梨號をもっていた三人が大石寺を売却
し、同上人が帰って買い戻して三人を追放。江戸時代を経て今に至る紆余曲折
の歴史を見ると、謗施を受け、供養の金を資金に金貸し業を営むなど俗悪な処
世術で生き延びてきた。

身延派の学僧で立正大学の名誉教授などを歴任した文学博士の宮崎英修(写真
下)は平成三年の春、次のように語っていた。

「大石寺は昔から、時の権力者に諂(へつら)うなど、クネクネと曲がって細々
と生き延びてきたので、私たちは『針金宗』と皮肉を言っているのです。

しかし、大石寺は『針金宗』を誉め言葉だと勘違いして、自慢しているから滑
稽です。それに今の大石寺の阿部日顕という人は気が短くて、人の意見に耳を
傾けようとしない。器の小さい頑固者だと思う」と。横にいた宗務総長も「全
くその通りです」と苦笑していた。

大石寺は人材不足で邪宗の要法寺から造仏読誦の謗法僧・十七世日精など九人
の法主を迎えた。その後、江戸時代に第二十六世日寛上人の出現によって濁流
が一時期、浄化された。

だが、その後も問題の法主が多い。浅間神社に御本尊を納めた三十三世日元、
貧しい農民らを相手に金融業を営んでいた五十一世日英、激しい確執を続けた
五十二世日霑と五十三世日盛などは現在の宗内では余り知られていないが、法
主としてあるまじき行為だ。

また、国柱会の幹部ら謗法者に御開扉をさせた五十五世日布、日露戦争の時に
戦勝守護の御本尊と称する疑似本尊を特別に供養した「特志者」に一万幅も授
与した五十六世日応は許容できない。

更に、身延派管長の導師で読経・唱題した謗法同座の五十七世日正、御本尊を
誤写した日顕の父の六十世日開、妾狂いで背任罪の六十一世日隆(左に掲載し
た読売新聞の記事を参照) などは言語道断だ。

そして伊勢神宮の神札を受けて焼死した六十二世日恭、神本仏迹論の邪説を唱
えた小笠原慈聞を密かに僧籍復帰させた六十三世日満によって大石寺は〝富士
の濁流〟となっていた。

この謗法の山寺だった大石寺は、学会の外護によって守られた。いみじくも、
五十九世日亨上人は「学会の出現がなければ、今ごろ宗門は潰(つぶ)れていた」
と述懐。学会の出現によって、日蓮大聖人の仏法の偉大さが世界に広く証明さ
れた。学会の存在自体、御仏意の賜物といえよう。

この学会の外護により、日蓮正宗は、かつてないような興隆が見られるように
なった。

邪宗の坊主に色紙二枚を贈った日顕

だが、相承を詐称した日顕が阿部家の墓を禅寺に建立、更に「法主本仏論」を
主張するようになったことで日蓮大聖人の御精神は日蓮正宗から完全に消滅し
た。

また、日顕は学会員への御本尊下付を中止し、学会による月例登山会を添書登
山に切り替えたばかりか、平成三年十一月には学会を破門した。その結果、宗
門は凋落の一途を辿ることになったのである。

この日顕が、かつて邪僧の小野寺日了と親交を深めていた事実について述べる。

小野寺について、顕正会の浅井昭衛は「にわか坊主」と非難していたが、むし
ろ「ペテン坊主」と言った方が適切だろう。

本名は小野寺直だが、「本門正宗・富士山久遠常在院本門寺の上行院日了上人」
と名乗り、日目上人の末裔と自称し、今の大石寺の坊主はニセ坊主だと豪語す
る。「大石寺の坊主はニセ坊主だ」との表現は的を射ているが、それ以外はデ
タラメである。

日顕は、この小野寺と親交を結び、驚くことに色紙二枚に染筆(揮毫)して贈っ
ていた(下の写真参照)。

その一つは「為 小野寺直氏 見雨猛知龍大 昭和己未初秋 日顕花押」と記
し、二枚目は「為 小野寺直氏 見花盛知池深 昭和己未初秋 日顕花押」と
書いていた。

日顕が色紙に書いたのは、御書に「雨の猛きを見て竜の大なるを知り 花の盛
なるを見て池の深きことを知る」と記されており、この御文を借用したのであ
る。

「昭和己未(つちのと ひつじ)とは、昭和五十四年のことであり、日顕が相承
を詐称して七月に〝盗座〟した後の初秋、御書から抜粋した御文を揮毫して宗
教詐欺師のような邪僧に贈っていたのである。

ところが平成三年八月、全国教師講習会では予定していた「十不二門」の講義
を変更して、小野寺日了について長々と批判した。

突然の小野寺批判を不審に思った受講者も多かったようだ。

実は、この前月は添書登山に切り替え、宗門が学会に対する圧力・攻撃を強め
た時であった。こんな時に二枚の色紙に揮毫して邪僧に贈り、親しく交流して
いた事実を学会側に指摘されるのを恐れた日顕が慌てて小野寺を批判し、我が
身を守ろうとしたと思われる。

身延の坊主も参拝

今から約三十年以上も前になるが、富士宮市内の日蓮宗本源寺の僧・本間俊牽
(当時、八十三歳)は次のように語っていた。

「大石寺は昔から〝争いの寺〟なんて言われていましたがね。それで貧しくて
ね。今は学会のお陰で大石寺の坊さん達も皆、経済的に太ってますがね。私は
昭和の初め頃ですが、えー、五年間ほど大石寺へ時々、通っては御開扉を受け
てました。向こうの方から頼まれて行っていたんですよ」

本間が御宝蔵に行く度に大石寺の高僧と一緒に参拝し、親しく懇談したほか、
資料なども寄贈して貰ったことがあるとのことだ。

この本間は六十二世日恭の板本尊が安置された大石寺近郊の文殊堂で毎年八月
に勤行、これには法華講員も参加していた。これが実態である。 (この項、
終り)







[95]

題名:フェイク 第1774号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/09/02(月) 19:36 2605:6440:2000:3000:307:c83:9fa9:70c3(IPv6:) (2605:6440:2000:3000:307:c83:9fa9:70c3)

(発行=24.08.30)

大石寺と身延派は相互に参詣
夏季特集 日蓮正宗の謗法行為を集大成 ④
久遠寺の林蔵房を大石寺用の宿坊に

日蓮正宗の謀略紙「慧妙」八月一日付の連載「創価学会の歴史改竄を糺す」欄
で「創価学会が行き着く日蓮宗との〝同化〟」と題し、批判記事を掲載してい
る。

 同紙は初めに「本年五月号より、『創価新報』の紙面が一新した。その紙面
たるや、宗教関係の新聞には見えない」と書いているが、笑止 ! 宗教関係
の新聞には見えないのは「慧妙」の方である。

 毎号、下手な屁理屈ばかり並べて他教団を誹謗中傷する下劣な「慧妙」は宗
内でも嫌われ、世間の人には恥ずかしくて見せられない、という声も聞かれる。

早稲田大学から博士号を授与されたことにより日蓮正宗の僧籍を離れた花野充
道氏は「『慧妙』は最高裁で原告者への賠償が確定した」「宗門が国法の下で
布教をしている以上、国法を犯した出版物を存続させることは、広宣流布の妨
げである」と述べている。

さて、学会が日蓮宗との〝同化〟等と批判している「慧妙」だが、昔から日蓮
宗と〝同化〟しているのは日蓮正宗である。

本紙前号の1773号で詳述した通り、日蓮宗各派と同調して大師号を哀願し
たのは五十七世の阿部日正であった。

また、身延山久遠寺への「立正」の勅額降賜に賛成し、日興上人の身延離山の
精神に違背して「大聖人の正墓は身延にある」旨の「念書」を書いて、当時の
文部大臣に提出したのは日顕の父で六十世の阿部日開であった。

「慧妙」は「学会が行き着く日蓮宗との〝同化〟」等と非難する前に、大師号
請願の際の法主の謗法同座、及び「立正」の勅額降賜に際しての「念書」につ
いて釈明せよ。

今も大石寺は身延派坊主らの来訪には柔軟、寛容であるばかりか、日蓮正宗の
僧俗が盛んに身延派の寺院に行って参拝している。

昔から身延派と
〝親戚付き合い〟

事実、大石寺は身延派とは昔から〝親戚付き合い〟を続けていた。
その証拠に身延山久遠寺は江戸時代に「各門流の登山参詣の際の宿院(坊)」を
定めており、大石寺用の宿坊としては「林蔵坊」を用意していた(左の図を参
照)。それだけ昔から大石寺の僧らが身延に登山・参詣していたということで
ある。

ところが、昭和二十七年に学会員が登山するようになってからは表面上、大石
寺は身延派とは疎遠を装い、特に昭和三十年三月、学会が小樽法論で身延派を
粉砕して以来、両派の交流は途絶えたかのように見えた。

だが、平成三年に悩乱した日顕が波木井実長を絶賛してからは、大石寺と身延
派が急接近して、相互に登山・参詣するなど親密の度合いを増したのだ。

本号では「日蓮正宗の謗法行為」の集大成として、これまでの日蓮正宗と身延
派との親交の主な足跡を列挙する。

但し、余り多いので紙数の関係上、恒例行事となっている法教院の所化の邪宗
巡りなどは割愛し、主な邪宗巡りに限定する。

◆平成六年四月二十四日、東京・華王寺(当時の住職は前川慈肇・故人)がバ
スをチャーターし、三十人余の法華講員と住職の女房も参加して鏡忍寺、清
澄寺、誕生寺の順に身延派の本山格の三カ寺を巡拝した。

◆平成六年十月八日、落合尊福は長野県・信盛寺の法華講員を引き連れて佐渡
に渡って謗法巡り。一行は身延派の妙宣寺、根本寺などを巡拝。講員は賽銭
箱にお金を入れて合掌していた。

◆「?作戦」について謀議(平成二年七月)した七人の中の一人である関快道は
平成七年三月十二日、都内狛江市・仏寿寺の二十数名の法華講青年部や女房
の貞子らを率いて千葉の誕生寺、清澄寺などの寺院を巡拝した(写真左)。こ
れは平成五年の佐渡、翌六年の東北方面に続く三度目の謗法の寺への参詣だ
った。

◆平成七年八月二十日、総講頭・柳沢喜惣次(故人)は、阿部信彰(当時)が住職
をしていた府中市・大修寺の法華講員約二十人を連れて身延山に参詣(写真。
左が柳沢)。夜は宴会に興じた。

◆平成九年四月十八日、大石寺の無任所教師七人が西山本門寺の虫払いに酒や
菓子折りなど御供養の品々まで持参して参詣した。

◆平成九年五月十・十一日、横浜市・応顕寺の舟橋が講員を引き連れて佐渡の
根本寺、妙宣寺、世尊寺、妙照寺などを巡拝した。

◆平成九年八月十七日、東京・宣徳寺の所化二人に引率された法華講員が鎌倉
の龍口寺、極楽寺、収玄寺、妙本寺、安国論寺、妙法寺などの邪宗巡りをし
た。

◆平成九年九月十・十一日、東京・華王寺の一行が「佐渡研修旅行様」のバス
に乗り、一泊二日の日程で佐渡の邪宗寺院を巡拝した。

身延僧らを歓迎

 一方、大石寺を訪問した身延僧らを役僧が歓迎し、歓待していた。

◆平成六年十一月五日に身延派の布教師会一行が大石寺を参拝した。

◆平成七年六月六日、大石寺に「池上鶴林会」なる団体バスが到着。乗ってい
たのは日蓮宗大本山の池上本門寺貫首・田中日淳ら三十二人で、参拝のため
登山してきた(写真)。この一行を歓迎して案内したのは袈裟衣を身に着けた
高野日海(故人)だった。

高野は池上本門寺の貫首ら一行を丁重に出迎えて広布坊、三門から大客殿、御
影堂、正本堂、五重塔まで大石寺内をくまなく案内した後、蓮葉庵で手厚く接
待した。

◆平成九年七月十五日には、身延山の坊主十数人が大石寺と妙蓮寺を訪れ参拝
した。

◆平成九年九月十七日には身延僧約三十人が大石寺に参詣。大石寺坊主の案内
で正本堂などを見学し、御影堂内では身延僧が合掌・参拝した。

◆平成九年十一月十九日に伊豆長岡の身延派日蓮宗の一行が大石寺を訪問。法
衣を着た僧が約五十人の信者を連れて来て参詣した。

◆平成十二年九月二十八日には「身延山大学校」の学生が大石寺に参詣した。

◆平成十二年十二月六日、身延の坊主十七人が大石寺を訪れて客殿や御影堂な
どを見学し参拝した。

◆平成十四年十一月二十六日にも他宗坊主二十数人が大石寺に参詣した。

◆平成十六年四月十三日に 身延僧が大石寺に参詣した。(紙面の都合で以下、
省略)






[94]

題名:フェイク 第1773号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/08/29(木) 18:47 2605:6440:2000:4000:45be:15bf:80fb:9206(IPv6:) (2605:6440:2000:4000:45be:15bf:80fb:9206)


(発行=24.08.26)

五七世法主、身延派管長の導師で勤行
夏季特集 日蓮正宗の謗法行為を集大成 ③
阿部日正が日蓮宗各派の管長と記念撮影

日蓮正宗の僧俗の謗法行為は数多いが、なかでも第五十七世・阿部日正が日蓮
門下の各派管長と同座し、身延派日蓮宗管長の磯野日筵(写真左)の導師で勤行
・唱題した事実は驚愕する。

日蓮門下の各派管長は大正十一年九月、宗祖の日蓮大聖人に対して天皇陛下か
ら「大師」号を賜りたいと哀願した。これを発案して中心となって運動したの
は顕本法華宗管長の本多日生だった。

大正十一年八月四日、日生は国柱会館で田中智学に面会し、諡号宣下について
意見を聞いた。智学の賛同を得た日生は、日蓮門下の各派管長に交渉し、親交
のあった名士たちの協力も得て、九月十一日付で宮内大臣宛ての請願書を文部
大臣経由で提出した。大師号降賜請願書に署名した各派管長は以下の通り。

日蓮宗管長 河合日辰
日蓮正宗管長 阿部日正
顕本法華宗管長 本多日生
本門宗管長 瀬島日濟
本門法華宗管長 尾崎日暲
法華宗管長 津田日彰
本妙法華宗管長 清瀬日守
日蓮宗不受不施派管長 釋日解

日蓮宗不受不施講門派管長事務取扱 佐藤日柱(名称は当時のもの)および在
家の賛同者十一人(東郷平八郎、加藤高明、床次竹二郎、小笠原長生、犬養毅、
田中智学、佐藤鉄太郎など)の名前が記されていた。

十月十日、宮内省から日生に通知が届いた。そこには「日蓮宗宗祖日蓮へ諡号
宣下候間来ル十三日午前十時参省可有之候也」と記してあった。

十三日、各宗派の管長、管長代理の八人が皇居に参内し、宣下書(右の写真参
照)を受け取った。

この後、宮内省を退出した各派の管長らは築地水交社に移った。この水交社で
奉戴式を行い、日蓮宗管長の磯野日筵(請願時の管長の河合日辰は交代)を導
師として後の七人がそれに従って寿量品を読経し唱題したのだ。

邪宗門の謀略紙「慧妙」は以前、日正は同座しても勤行はしていない等とデタ
ラメな弁解をしていたが、当時の資料によると、勤行した後、日正が挨拶した
ことも記録されている。

この日、宣下書を拝受した各派の管長および管長代務者が揃って記念撮影した
のが右に掲載した写真である。

日蓮正宗の阿部日正が日蓮宗各派管長の邪僧らと仲睦まじく記念撮影に納まっ
ており〝謗法同座〟の動かぬ証拠である。

写真は前列右から顕本法華宗管長の本多日生、日蓮正宗管長の阿部日正、日蓮
宗管長の磯野日筵、本門法華宗管長の尾崎日暲で、後列は本門宗、法華宗、本
妙法華宗、日蓮宗不受不施派の代表である。

日正が日蓮宗各派の管長らと記念撮影
……………………
日蓮宗各派といえば大聖人の法義を破り、獅子身中の虫となった宗派である。
その管長と勤行をすることは「謗法と同座す可からず与同罪を恐る可き事」と
の日興上人の御遺誡に背く謗法行為であることは明白だ。

大師号の請願運動は日蓮正宗が身延派を〝本家〟を仰いでいる事実を浮き彫り
にしている。

日開が「大聖人の正墓は身延に」と念書

日蓮正宗の法主が身延派日蓮宗に迎合しての謗法行為は続いた。昭和六年十月
の大聖人の第六百五十遠忌を前にして、身延派日蓮宗では大聖人の大師号であ
る「立正」の文字を認めた

 日興上人の離山の精神に違背する大謗法

昭和天皇の勅額を身延山久遠寺に下賜して貰う計画を進めていた。身延派は天
皇の「立正」の勅額(写真左)を得て、日蓮宗各派の中心であることを示そうと
画策したのだ。

昭和六年四月、身延山久遠寺住職・岡田日帰の名で宮内大臣と文部大臣に請願
書を提出した。

すると宮内省及び文部省は、揉め事が絶えない日蓮宗各派が後で争わないよう
に勅額降賜の条件として、他の日蓮宗各派が大聖人の墓が身延山にあることを
認め、身延山への勅額降賜に賛成することを証明する「念書」の提出を求めた。

身延派は庶務部長を日蓮宗各派に派遣し、念書を集めて回った。

この時、日蓮正宗管長の阿部日開(写真下)を含む各派管長が文部大臣に提出し
た「念書」の文面は、次の様なものであった。
……………………
 「 念  書
宗祖日蓮聖人立正大師六百五十遠忌ニ際シ 御廟所在地山梨縣身延山久遠寺住
職 岡田日帰ヨリ及請願候 立正大師勅額御下賜ノ件ハ 本宗ニ於テモ異議無
之候條 速ニ御下賜有之候様 御取計相成度候也
 昭和六年六月十二日
 日蓮正宗管長
     阿部日開 印
文部大臣 田中隆三殿」
……………………
この念書で大問題なのは「御廟所在地山梨県身延山久遠寺」の一文である。

この念書は大聖人の墓が身延山にあり、身延派日蓮宗こそが大聖人門下の各宗
派の〝本家〟であることを確認させる意味合いをもっていた。

この確認に対して日開は、いとも簡単にこれに同意し、署名、押印した。

日開の身延正墓の承認は、日興上人の身延離山の御心境を踏みにじる大謗法行
為であり、権力に迎合する日蓮正宗の体質を露呈している。

宗門の脆弱な保身体質が開戦時の日恭の好戦的な「院達」、戦時中の神札受諾、
そして戦後の「大石寺の観光地化計画」になって表れた。 (つづく)







[93]

題名:フェイク 第1772号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/08/29(木) 15:43 2001:ac8:28:f000:c1ba:e551:e68e:fe6a(IPv6:m247-ltd-zurich) (2001:ac8:28:f000:c1ba:e551:e68e:fe6a)


(発行=24.0824)

「仏様の体」と言う塔婆をゴミ扱い
霊感商法に似た日蓮正宗の悪質な手口
大石寺墓苑にミニ塔婆が散乱、塔婆供養は減少

日蓮正宗大石寺の墓苑に、今年もお盆の新しい塔婆が立っているが、ミニ塔婆
が目立つ。最近は大石寺の墓檀家、法華講員の間でも塔婆供養をする人が減少
し、お盆や彼岸の際、墓参に来る数少ない人達も安価なミニ塔婆で済ませるよ
うだ。そのミニ塔婆を墓石に立て掛けていて、風で倒れたまま放置されている。

このミニ塔婆はコンビニやスーパーで販売されており、一本百円か百五十円で
手軽に購入できる。

総本山の大石寺の境内にある墓苑ではあるが、誰が書いたか分からないミニ塔
婆が野晒しになっている。宗門は「塔婆は亡くなった方の体を表す」等と説明
しているが、ミニ塔婆は風で倒れたまま、風雨に晒されている(写真左)現状だ。

悪質な商法としては、良く耳にする「ねずみ講」、駅や繁華街の路上でアンケ
ート調査と称して近づき、喫茶店や営業所に連れ込み、商品などの売買契約を
結ばせる「キャッチセールス」、山林、原野の土地販売を仲介する「原野商法」
等々、数多くある。

そんな悪質な商法の中でも代表的なものといえば霊感商法である。単なる壺、
印鑑、置き物などに超自然的な力用があるかのように言葉巧みに思わせて、不
当に高い値段で売り込む商法である。

先祖の因縁や悪霊等の作り話をして「購入すれば不幸から免れる」と、人の不
安につけ込み、高額な品を買わせる。このようなマインドコントロールの手法
を使って荒稼ぎした団体の中では統一教会(現在は世界平和統一家庭連合)が
広く知られている。

この邪教の霊感商法に似ているのが日蓮正宗の塔婆商法である。宗門が発行し
た「『塔婆不要論』は誤りです!」というチラシには「あなたの大切な先祖も、
正法による塔婆供養を心待ちにしているに違いありません」「(寺に参詣して
)正しい先祖供養を行いましょう。

先祖故人の方々が喜ばれることでしょう」等々と甘言を並べて、二言目には「
塔婆が大事」と叫んでいる。

だが、その実態は全然、違っていた。大石寺や末寺では塔婆をゴミ扱いしてお
り、大石寺墓苑の典礼院裏には朽ち果てた塔婆を放置(写真右)していた。ま
た、千葉市の清涼寺ではガラクタと一緒に放置(写真左)していたのである。

この典礼院や末寺の実態を見ても、塔婆とは日蓮正宗の坊主にとって、信徒の
先祖敬愛の心情につけ込んだ金儲けの手段にすぎないことが分かる。

日蓮正宗が塔婆料
一億円を騙し取る

次に日顕の指示による塔婆詐欺について述べる。

学会の登山会が行われていた当時、本山では塔婆の申し込みが一日に数千本を
超えていた。

ところが、塔婆係の坊主は数人で、ロクに仕事もしていなかったようだ。その
ため書き切れなかった塔婆は溜まる一方だった。

こうして申し込みを受け付けたままで放置されていた塔婆は、昭和六十二年頃
には十万本以上も溜まっていた。

平成二年四月、全国宗務支院長会議で、日顕が驚くべき発言をした。

この日の支院長会議では冥加料の値上げ(塔婆供養千円を二千円に、永代回向
は十万円を二十万円に、大過去帳は五万円を十万円にと、全て倍額という非常
識な内容)について討議したが、席上、日顕の話は驚愕すべきものだった。

「塔婆の申し込みが多くて、本山で書き切れない塔婆が十万本以上も溜まって
しまった。書くのも滅茶苦茶に書いていた。

それなら、いっそ印刷にしようということで、ワシが書いて印刷にすることに
したんだ。

その方が綺麗になるし、スッキリするようになった。それで今までの(十万本
以上も溜まっていた)塔婆は一本だけ大きい塔婆を立てて、ご破算にした」と
言い放った。

つまり、十万本以上の申し込みに対して一本だけ立て、後は素知らぬ顔を決め
込んだのである。

当時の塔婆供養は一本千円であったので、これは明らかに一億円相当の詐欺行
為だ。

宗門は数万人にものぼる塔婆の願主を騙して、一億円の大金を不当に得たので
ある。信徒の追善供養の真心を踏み躙った日顕の背信行為は断じて許せるもの
ではない。

改革僧によると「書き切れない塔婆が十万本以上になったので、どうしようも
なくなった内事部の理事達が日顕に相談に行きました。

すると、日顕は『九尺の塔婆を一本だけ立てて、ご破算にしろ!』と指示した
のです。勿論、ご信徒の方には秘密で、何の説明も報告もなされていません」
とのことだった。

日顕の話を聞いた支院長会議の出席者は「ワッハハ」と爆笑しただけであった。

これが宗門の塔婆に対する認識なのである。口では塔婆は大事だ、と言っても、
腹の中では塔婆供養をする信徒を愚弄しているのだ。

宗門側は学会に対する勧告書の中で「塔婆や戒名などは己義によって不要の化
儀としています。これらは、全て本宗の伝統法義を蔑如するもの……」と偉そ
うに書いていた。

だが、実際は塔婆の扱いは前述の通り杜撰極まりない。「供養をしなければ成
仏は叶わない」等の主張は供養を収奪する口実にすぎない。これが塔婆商法の
手口である。

塔婆は重要だと言いながら、何度も削って薄くなり(写真上)、故人の名前を書
いた表面は無残にも削り取られ、丸まった削りカス(写真中)はゴミとして処分
している。

また、末寺では「ペット塔婆」も流行っていた。「飼猫ミーヤ」「愛猫ニャン
吉」「飼猫グレ子」「愛犬ルビー」など変な戒名を付けたペット用の塔婆(写
真下)を奨励する末寺もあった。






[92]

題名:師匠と我らとの関係 18(下総方面の門下に宛てられた御抄)

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/08/20(火) 19:58 2001:ce8:127:e3a4:a987:ef38:c802:4512(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:a987:ef38:c802:4512)

師匠と我らとの関係 18(下総方面の門下に宛てられた御抄)


「下総方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 


下総は、現在の千葉県北部と茨城県南部に相当し、鎌倉時代には日蓮大聖人のお弟子方も多く、主な人は、富木常忍、太田常明(乗明)、曽谷教信等が知られています。今回は、既述した同郷の富木常忍に関する御文を除いて、ご紹介します。


「涅槃経に転重軽受と申す法門あり。先業の重き今生につきずして、未来に地獄の苦を受くべきが、今生にかかる重苦に値い候えば、地獄の苦しみぱっときえて死に候えば、人天・三乗・一乗の益をうること候。不軽菩薩の悪口・罵詈せられ杖木・瓦礫をかぼるも、ゆえなきにはあらず。過去の誹謗正法のゆえかとみえて、「その罪は畢え已わって」と説かれて候は、不軽菩薩の難に値うゆえに過去の罪の滅するかとみえはんべり〈これ一〉。」(転重軽受法門 新1356頁・全1000頁)文永8年10月 50歳御作 
現代語訳:涅槃経に転重軽受という法門があります。過去世の宿業が重く、現世に一生尽きないので、未来世に地獄の苦しみを受けるところが、現世の一生にこの様な重い苦しみにあうと、地獄の苦みがさっと消えて、死ぬ時には人・天や声聞・縁覚・菩薩の三乗あるいは一仏乗を得ることができるのです。不軽菩薩の悪口をいわれ、罵られ杖木で打たれ、瓦や礫を投げられたのも、理由がないわけではありません。過去世に正法を誹謗した為と見えて、不軽菩薩品に「其の罪を畢え已って」と説かれているのは、不軽菩薩が難に値う理由として、過去世の罪が滅せられる、と見えるのです。(これが第一の理由です)
※本抄は、下総の大田乗明、曽谷教信、金原法橋の3人に与えられた御文で、転重軽受の法門を通して、難が来ても強い信心で仏道修行に励むように激励されています。


「次に寿量品と申すは、本門の肝心なり。またこの品は、一部の肝心、一代聖教の肝心のみならず、三世の諸仏の説法の儀式の大要なり。教主釈尊、寿量品の一念三千の法門を証得し給うことは、三世の諸仏と内証等しきが故なり。ただし、この法門は、釈尊一仏の己証のみにあらず、諸仏もまたしかなり。我ら衆生の無始已来六道生死の浪に沈没せしが、今、教主釈尊の所説の法華経に値い奉ることは、乃往過去にこの寿量品の久遠実成の一念三千を聴聞せし故なり。有り難き法門なり。」(太田左衛門尉御返事 新1373頁・全1016頁)弘安元年4月 57歳御作
現代語訳:次に寿量品と言うのは、法華経本門の肝心なのです。また、この品は法華経一部(全巻のこと)の肝心、さらに一代聖教の肝心だけでなく、過去・現在・未来の三世の諸仏の説法の儀式の重大な要なのです。教主釈尊が寿量品の一念三千の法門を悟られた事は、三世の諸仏と内面の悟りが等しい為です。ただし、この法門は釈尊一仏の自らの悟りだけでなく、諸仏の悟りもまた同様なのです。我ら衆生が、無始の昔から六道の生死の苦しみの波浪に沈没したのですが、今の時に教主釈尊が説かれた法華経に逢えたのは、その昔・過去にこの寿量品の久遠実成の一念三千を聴聞したからなのです。有り難い法門です。
※本抄は、57歳の厄年をむかえた太田乗明に対して、心身の苦悩を治す大良薬が、法華経寿量品の事の一念三千の法門である事を明かし、文末には、大厄の事は日蓮に任せなさいと保証もされていますね。


「即身成仏と申す法門は、諸大乗経ならびに大日経等の経文に分明に候ぞ。しかればとて、彼の経々の人々の即身成仏と申すは、二つの増上慢に堕ちて、必ず無間地獄へ入り候なり。記の九に云わく『しかして二つの上慢、深浅無きにあらず。如と謂うは、乃ち大無慙の人と成る』等云々。諸大乗経の煩悩即菩提・生死即涅槃の即身成仏の法門は、いみじくおそたかきようなれども、これはあえて即身成仏の法門にはあらず、その心は、『二乗と申す者は、鹿苑にして見思を断じて、いまだ塵沙・無明をば断ぜざる者が、【我はすでに煩悩を尽くしたり】と、無余に入って灰身滅智の者となれり。灰身なれば即身にあらず、滅智なれば成仏の義なし。されば、凡夫は煩悩・業もあり苦果の依身も失うことなければ、煩悩・業を種として報身・応身ともなりなん。苦果あれば、生死即涅槃とて法身如来ともなりなん』と、二乗をこそ弾呵せさせ給いしか。さればとて、煩悩・業・苦が三身の種とはなり候わず。今、法華経にして、有余・無余の二乗が無き煩悩・業・苦をとり出だして即身成仏と説き給う時、二乗の即身成仏するのみならず、凡夫も即身成仏するなり。(中略)釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌・竜樹菩薩・天台・妙楽・伝教大師は、即身成仏は法華経に限るとおぼしめされて候ぞ。我が弟子等は、このことをおもい出にせさせ給え。」(大田殿女房御返事・即身成仏抄 新1380-1頁・全1005-6頁)弘安3年7月 59歳御作
現代語訳:即身成仏という法門は、諸々の大乗経や大日経等に明らかにされています。そうだからといっても、その諸大乗教や大日経の人々が即身成仏できるというのは、二種の増上慢に堕ち、必ず無間地獄へ入ってしまう事なのです。法華文句記の巻九には「そうであるならば二種の増上慢には深浅がないわけではない。仏と衆生が一如であるという者は、自身を省みる心のない大恥しらずの人となる」とあります。もろもろの大乗経にある煩悩即菩提・生死即涅槃の即身成仏の法門は非常に勝れて尊いみたいですが、これはあえて即身成仏の法門では無いのです。その理由は二乗と呼ばれる者は鹿野苑で仏の教えを聞いて、見惑・思惑の煩悩を断じただけで、いまだ塵沙・無明を断じておらず、自分ではすでに煩悩を断じ尽したと思って無余涅槃に入って灰身滅智の者となってしまったのです。身を灰としたのならば凡夫そのままの即身成仏ではなく、心智を滅するのですから成仏の義はありません。これに対して、凡夫は煩悩も業もあり、前生に作った業による苦果の現身を失うことがないので、煩悩・業を種として報身・応身となることができ、苦果の現身があるから、生死即涅槃と、そのまま法身如来となることができると説いて、二乗を叱り戒めたのです。そうだからといって、煩悩・業・苦が法身・報身・応身の種にはなりえないのです。
 今、法華経において、有余涅槃・無余涅槃の二乗がなくした煩悩・業・苦を取り出して、即身成仏すると説かれた時、二乗が即身成仏しただけでなく凡夫も即身成仏したのです。(中略)釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌の菩薩・竜樹菩薩・天台・妙楽・伝教大師は、即身成仏は法華経に限ると考えられていました。我が弟子等はこの事を思い出すべきです。
※本抄は、下総国葛飾郡八幡荘中山郷に在住の大田五郎左衛門尉乗明の夫人に与えられた御消息で、即身成仏の実義を明かし、別名を即身成仏抄と呼ばれています。大田乗明の夫人は、夫とともに早くから大聖人の門下となり数編の御消息をいただいており、その内容から仏教についての要素があったことがうかがえます。内容は、法華経のみが二乗・凡夫の即身成仏を説いていうことを明かし、即身成仏は法華経に限るのに、真言に即身成仏の法門を立てて、かえって法華経を誹謗した善無畏や弘法等の誤りを厳しく破折されています。


「予が法門は、四悉檀心に懸けて申すならば、あながちに成仏の理に違わざれば、しばらく世間普通の義を用いるべきか」(太田左衛門尉御返事 新1372頁・全頁1015頁)弘安元年、57歳御作
現代語訳:私の法門は、四悉檀を心掛けて説くならば、とりたてて成仏の理に違わなければ、とりあえず世間の普通の道理を用いていくべきでしょう。
※四悉檀とは仏の教法を四種類に分けたもので、悉檀は成就・宗・理などの意味で、四悉とも云います。大智度論に説かれていて、①世界悉檀は楽欲悉檀ともいい、一般世間の願いによって法を説き、衆生を歓喜させ利益を与える②為人悉檀は各各為人悉檀の略称で性善悉檀ともいい、衆生の機根に応じて法を説き、過檀去の善根を増長させる③対治悉檀は断悪悉檀ともいい、三悪を対治するために貪欲者には不浄を、瞋恚者には慈心を、愚痴者には因縁を説き習得させ、破悪の益を与える④第一義悉檀は真実義悉檀や入理悉檀ともいい、真理を直接説いて衆生を悟らせる、とあります。
本抄は、先ず摂受型の世界悉檀と為人悉檀から仏法に誘引しても、成仏は叶う事を示されています。公場対決よりも対話が求められる現在、常識豊かに友好を深めていきたいですね。


「孝経と申すに二つあり。一には外典の孔子と申せし聖人の書に孝経あり。二には内典。今の法華経これなり。内外異なれども、その意はこれ同じ。釈尊、塵点劫の間修行して仏にならんとはげみしは何事ぞ。孝養のことなり。しかるに、六道四生の一切衆生は皆父母なり。孝養おえざりしかば、仏にならせ給わず。今、法華経と申すは、一切衆生を仏になす秘術まします御経なり」(法蓮抄 新1420頁・全1046頁)健治元年4月 54歳御作
現代語訳:孝経と言うものに二つあります。一つには外典の孔子という聖人の書に孝経があり、二つには内典の今の法華経です。内典、外典の違いはあっても、その意は同じです。釈尊が塵点劫の間、修行して仏に成ろうと励まれた事は何の為でしょうか、孝養の為です。ところで六道四生の一切衆生は、皆我が父母です。孝養が終らないうちは、仏に成られなかったのです。今、法華経と言うのは、一切衆生を仏にする秘術がある御経なのです。
※本抄は、曾谷教信入道法蓮に与えられた御文で、法蓮の法華経を読誦しての亡父への追善供養こそ真実の孝養であると、御教示されています。


「法華経の大海の智慧の水を受けたる根源の師を忘れて、余へ心をうつさば、必ず輪廻生死のわざわいなるべし。ただし、師なりとも、誤りある者をば捨つべし。また、捨てざる義も有るべし。世間・仏法の道理によるべきなり。末世の僧等は、仏法の道理をばしらずして、我慢に著して、師をいやしみ、檀那をへつらうなり。ただ正直にして少欲知足たらん僧こそ真実の僧なるべけれ。」(曽谷殿御返事 新1434頁・全1055-6頁)健治2年8月、55歳御作
現代語訳:法華経の大海の智慧の水を受けた根源の師を忘れて、他へ心を移すならば、必ず生死に輪廻する禍となるのです。ただし師であっても誤りのある者は捨てなければなりません。しかしまた捨てない場合もあります。これらは世間や仏法の道理によるべきです。末法の僧等は、仏法の道理を知らないで、我慢に執著して、師を卑しや檀那に諂っている。ただ正直であって少欲知足である僧こそ真実の僧なのです。
※宗門の僧は、真の日蓮仏法を知らないで我慢に執著して、大聖人の御心に随わず檀那に諂いながらも威張っています。そして正直でも少欲知足でもない全く稚拙な僧なのですね。


「経に云わく『いたるところの諸仏の土に、常に師とともに生ず』。また云わく『もし法師に親近せば、速やかに菩薩の道を得、この師に随順して学せば、恒沙の仏を見たてまつることを得ん』。釈に云わく『本この仏に従って初めて道心を発し、またこの仏に従って不退地に住す』。また云わく『初めこの仏菩薩に従って結縁し、またこの仏菩薩において成就す』云々。返す返すも本従たがえずして成仏せしめ給うべし。釈尊は一切衆生の本従の師にて、しかも主・親の徳を備え給う」(曽谷殿
御返事 新1435頁・全1056頁)健治2年8月、55歳御作
現代語訳:法華経に「在在諸の仏土に常に師と倶に生まれる」と説かれ、また「もし法師に親近するならば、速やかに菩薩の道を得ることができる。この師に随順して学ぶならば、恒沙の仏を見ることができる」と説かれています。釈には「もとこの仏に従って初めて道心を発し、またこの仏に従って不退地に住する」とあり、また「初めこの仏・菩薩に従って結縁し、またこの仏・菩薩によって成就する」とあります。くれぐれも本従を間違えないで、成仏していきなさい。釈尊は一切衆生の本従の師であって、しかも主と親の徳をも備えておられるのです。
※此処での釈尊とは日蓮大聖人の事であり、師弟関係で言えば、池田大作先生と私達・創価学会員にも相当するでしょう。


「『法華経は末法の始め五百年に弘まり給うべきと聴聞仕り、御弟子となる』と仰せ候こと。師檀となることは三世の契り、種・熟・脱の三益別に人を求めんや。『いたるところの諸仏の土に、常に師とともに生ず』『もし法師に親近せば、速やかに菩提の道を得、この師に随順して学せば、恒沙の仏を見たてまつることを得ん』の金言違うべきや。提婆品に云う『生ずるところの処にて、常にこの経を聞かん』の人は、あに貴辺にあらずや。その故は、次上に『未来世の中に、もし善男子・善女人有って』と見えたり。善男子とは法華経を持つ俗のことなり。いよいよ信心をいたし給うべし、信心をいたし給うべし」(秋元殿御返事 新1456頁・全1070-1頁)文永8年1月、50歳御作
現代語訳:「法華経は末法の始めの五百年に広まることになると聴聞して、御弟子となった」と仰せられている事について、師となり檀那(弟子と同等)となる事は、三世にわたる約束であり、種熟脱の三益の法理も別の人に求めてはならないのです。「いたるところの諸の仏土に、常に師と倶に生まれる」「もし法師に親近するならば、速やかに菩提の道を得ることができ、この師に随順して学ぶならば、恒河の沙のほどの仏を見ることができる」との金言に違いがあるでしょうか。提婆品にある「生まれる処で常にこの法華経を聞く」とのこの人とは、あなたではないでしょうか。その理由は、この前の文に「未来世の中に、若し善男子・善女人あって」と説かれているからです。善男子とは法華経を持つ俗人のことです。一層深く信心に励んでいきなさい。
※秋元殿に対する大聖人の確信あふれる御指導、師と弟子をつなぐ絆の深さ、我々も増々強盛な信心で、師弟の道を歩まなければと決意する次第です。


◎下総方面の門下にも重要御書が贈られていますが、これ等を拝読しますと、富木殿や秋元殿をも含めた、全員仲が良く強盛な信心で結束固くされ、武家社会の妙法家族(創価家族と同様)の様子が分かりますね。私達も広布推進に、更に頑張っていきましょう。


[91]

題名:フェイク 第1771号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/08/17(土) 21:26 unn-149-50-210-17.datapacket.com (149.50.210.17)


(発行=24.08.15)

法華講連合会の理事が浅間神社へ
夏季特集 日蓮正宗の謗法行為を集大成 ②
神職からお祓いを受けて玉串を奉納

フェイク 第1770号.txt 日蓮正宗の法華講幹部の謗法行為と言えば、富
士地方部長の清功(写真)は、その代表格であろう。

かつて清功は浅間神社参拝の常連であり、曽我神社の総代を兼務していた大石
寺総代の井出光彦と並んで〝大石寺の二大謗法幹部〟と言われている。

今年も七月十日、富士山お山開きが行われ、登山の幕開けを告げるとともに、
登山者の安全を祈願する行事が、富士山本宮浅間大社(写真左)と村山浅間神
社で行われた。

この行事に以前、法華講連合会の理事でもある清功が参加して神職からお祓い
を受けていた事実を本紙で何度か取り上げたので、最近は控えているのか、ま
たは目立たないように参加しているのかは不明だが、平成二十五年には浅間神
社に出向き、参拝していた。

 この時は浅間大社の第二鳥居前では大金剛杖パレード、浅間大社本殿では湧
水献上、浅間大社祈祷殿では開山式などが行なわれ、浅間大社楼門前で行なわ
れた開会式では、浅間大社氏子青年会の深澤亮一会長の発声で清功らが万歳を
三唱していた(写真下)。

また、平成二十四年九月七日、富士山本宮浅間大社の拝殿で中村徳彦宮司を祭
司として富士山の夏山シーズンの終わりを告げる閉山祭が行なわれ、清功も大
社役員、氏子衆や崇敬者などと共に参列した。

ここで清功は神職からお祓いをうけていた(写真上)

この後、神職が約二ヶ月間にわたる開山の終了を報告する祝詞をあげ、参列者
を代表して清功が玉串を奉納した。こんな清功に対しても日如は謗法行為を指
摘したこともなく、注意も指導もできないのだ。

日如の「謗法厳誡」は口だけで、純真な所化には厳しく、大願寺の頃はよく暴
力を振るっていたが、謗法行為には実に寛大で、放置している。

★日如注意も処分もできない腰抜け

富士地方部長が西山
本門寺の法要に参列

法華講連合会の理事で富士地方部長の清功は浅間大社に参詣し、お祓いを受け
ただけではなく、平成二十九年六月六日、富士宮市内の西山本門寺の境内にあ
る織田信長の首塚で行われた「信長公供養祭」にも参列したことがあった。

織田信長は天正十年(一五八二年)六月二日、京都本能寺に宿泊していた時、
家臣の明智光秀の謀反によって寝込みを襲われ、一万数千の軍勢に包囲された
ことを知ると、寺に火を放ち、自害して果てた。

ところが、信長の遺体は見つからなかった。そのため、密かに脱出し別の場所
で自害したという説や、信長を慕う僧と配下によって人知れず埋葬されたとい
う説などが後世に流布した。

また、事件当時は信長の生存説が流れ、光秀と対立する羽柴秀吉は、この噂を
利用して、味方を増やそうとしたと言われている。

西山本門寺の境内にある県天然記念物の樹齢五百年以上の柊(ひいらぎ)の根
元には信長の首が埋葬されているとの伝説があり、「信長公首塚」(写真左)が
建てられている。

供養祭を主催したのは信長公奉賛会で、同会は「織田信長公を供養し、会員相
互の親睦を図る」ことを目的に、平成二十三年に設立された。

供養祭は西山本門寺・大詮坊の本間裕史住職をはじめ浄円坊、妙円坊の僧侶達
が経を上げ、法華講の富士地方部長の清功も同座して合掌(写真下)、焼香した。

法華講員の謗法を
教導できない日如

改革僧で浄圓寺(栃木県小山市)の渡辺雄範住職は、 日如の謗法容認の姿につ
いて次のように記している。

「あなた(日如のこと)の信心なき懶惰懈怠(らんだけたい)の姿には、およそ
御信徒の模範となり、法華講を教導すべき住職としての資格が認められず、布
教能力も管理・監督能力も全くないに等しいものと言わなければなりません。

まず、あなたは、こともあろうに邪宗日蓮宗の寺院に塔婆供養に通うような者
を、大願寺法華講の班長にしております。

その班長は、そのことを自認しており、祈祷やお祓いは、そちらの方が良いと
まで公然と発言しております。

このことを聞いた私は、大変な問題だと考え、直接あなたに報告をいたしまし
たが、あなたは『しょうがないな』と苦笑するだけで全く問題にしようともし
ませんでした。

もちろん、その班長を呼び付けて破折をするようなこともなく、いまだに班長
として認めております。

法華講が折伏した人の中に退転者が極めて多いのは、本質的には、かようなあ
なたの謗法容認の信心なき姿に原因があることは明らかであります」

日蓮大聖人は「此の度大願を立て後生を願はせ給へ・少しも謗法不信のとが候
はば無間大城疑いなかるべし」「早く天下の静謐を思わば須く国中の謗法を断
つべし」等と謗法を厳しく誡めるよう述べられている。

相承無きニセ法主でも謗法を放置してはならない。神札の購入を奨励したり、
浅間神社でお祓いを受け、玉串を奉納する法華講幹部を厳しく指導するか、処
分するべきだ。(つづく)







[90]

題名:フェイク 第1770号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/08/17(土) 21:15 2605:6440:2000:1000:8a50:4001:744f:9d1d(IPv6:) (2605:6440:2000:1000:8a50:4001:744f:9d1d)

(発行=24.08.14)

大石寺総代が今年も三宮神社を参拝
夏季特集 日蓮正宗の謗法行為を集大成 ①
以前は八幡宮の神札の購入も奨励

日蓮正宗総本山・大石寺の総代である井出光彦が十三日、今年も富士宮市狩宿
の三宮神社を参拝していた。

井出は地元住民と一緒に朝七時頃から三宮神社の清掃をした後、柏手を打って
拝礼。更に、例年通り、神へのお供え物を口にする事で、神と一体になるとい
う直会という儀式も行ったとのことである。

この大石寺総代の井出は三宮神社だけではなく、以前は曽我八幡宮の氏子総代
も兼ねていて祭典にも参加して神社の境内に設置された売店でビールとジュー
スを売っていたこともある。

光彦の母・信子は以前、「曽我神社にお参りするのは、曾我兄弟の弟が井出家
の敷地で死んだので(その場所を指さしながら)土着信仰という発露でお参り
しているのです」と弁解していた。

だが、井出の謗法行為は、これだけではない。下段に添付した通り、曾我八幡
宮の神札の購入を奨励し、その代金を納入していた。

井出の住む狩宿の町会は二班で計三十六軒、そのうち約七割が大石寺の塔中坊
などに所属しているとのことだが、総代の井出が神札の購入を「お願い」して
いた。

平成九年十二月一日付の「大白法」は当時の総監・藤本の「十月一日施行の改
正宗規による信徒資格問題に関し、本宗信徒にして他の宗教団体へ所属してい
る者に対する猶予期間が十一月三十日をもって終了しました」との談話を掲載
した。

この宗規の変更は学会員を脱会させるのが狙いで、曾我八幡宮の氏子には適用
しないのか?

数々の謗法行為を繰り返している井出だが、大石寺の二大行事では主要な役目
を任されていて、お会式では〝お練り〟の先導役を務め〝三三九度の儀〟でも
日如のすぐ傍で行事に立ち会っている(写真左下) 

 日如は総代の井出が神社
 富士宮市狩宿の三宮神社

を参拝しても黙認しており、その謗法容認は昔からだ。新宿区の大願寺にいた
頃から謗法を放置し、身延の寺で塔婆供養していた信徒に注意もしなかった。

「謗法と同座す可からず与同罪を恐る可き事」の「日興遺誡置文」に照らし、
日如は自らが任命責任を負う大石寺檀家総代の謗法行為を長年にわたり黙認し
てきた。

その罪は極めて重大と言わねばならない。

実は、こんな大石寺総代の神社参拝などは日蓮正宗の謗法行為の氷山の一角に
過ぎない。

そこで今号から夏季特集号として、これまで本紙で取り上げた日蓮正宗の謗法
行為を集大成して連載で紹介する。(つづく)





[89]

題名:師匠と我らとの関係 17(「富木常忍」に関連する御抄)

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/08/02(金) 00:00 2001:ce8:127:e3a4:c941:a143:27d0:2036(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:c941:a143:27d0:2036)

師匠と我らとの関係 17(「富木常忍」に関連する御抄)

「富木常忍に関連する御抄」における弟子との関係


大檀那となった富木常忍は、「富木五郎左衛門尉胤継」と云い、入道して「常忍」と称し建長6年に大聖人門下となり、大聖人より「常修院日常との法諱を賜っています。多くの重要御書が贈られていて、既に本シリーズで紹介した、日興上人が選定された十大部重要御書の中で、観心本尊抄(文永10年4月、大聖人51歳御作、本シリーズの1回目)、法華取要少(文永11年5月、53歳御作、同6回目)、四信五品抄(建治3年4月、56歳御作、同6回目)の3編や一生成仏抄(建長7年、34歳御作、同7回目)が該当しますが、他に私が気にかかった以下の御文もありますので、ご紹介します。


「今日召し合わせ御問注の由、承り候。(中略)御成敗の甲乙は、しばらくこれを置く。前立って鬱念を開発せんか。ただし、兼日御存知ありといえども、駿馬にも鞭うつの理これ有り。今日の御出仕、公庭に望んでの後は、たとい知音たりといえども、傍輩に向かって雑言を止めらるべし。両方召し合わせの時、御奉行人、訴陳の状これを読むの剋、何事につけても御奉行人の御尋ね無からんの外、一言をも出だすべからざるか。たとい敵人等悪口を吐くといえども、各々当身のこと、一・二度までは聞かざるがごとくすべし。三度に及ぶの時、顔貌を変ぜず、麤言を出ださず、軟語をもって申すべし。「各々は一処の同輩なり。私においては全く遺恨無し」の由これを申さるべきか。また御共・雑人等に能く能く禁止を加え、喧嘩を出だすべからざるか。かくのごときこと、書札に尽くし難し。心をもって御斟酌あるべきか。これらの矯言を出だすこと、恐れを存すといえども、仏経と行者と檀那と三事相応して一事を成ぜんがために、愚言を出だすところなり。」(問注得意抄 新1271-2頁・全178頁)文永6年5月、48歳御作
現代語訳:今日召し合わせて、法義取り調べの御問注があると承りました。(中略)御成敗の甲乙はしばらく置きますが、貴殿としては、まずもって日頃の鬱憤の思いを開かれるべきでしょう。但し、兼ねてからご存じの事ですが、駿馬にも鞭打つこともあるので、今日、御出仕して公の場所に出られた後は、たとえ知り合いの者でも、傍輩に向かって雑言などしてはいけません。両者が呼び出され、御奉行人が訴えの文を読む間は、何事があっても御奉行人から尋ねられた事以外は一言でも口に出してはいけません。たとえ敵の者が悪口を吐いたとしても、各々が身に当たる事であっても、一、二度までは聞かぬふりをすべきです。それが三度に及ぶようであれば、顔色を変えず、語気を麤くしないで、柔らかな言葉で述べるべきです。「あなた方とは一所の同輩であり、私は全く遺恨はありません」と理由を言われるべきです。また、御供の者や雑人等にまでよくよく注意して、喧嘩をしないようにすべきです。この様な事は、書面では尽くし難いので、心を察して斟酌してください。これらの正す為に(思いのままに)言ったようで恐れ入りますが、仏経(法華経)と行者と檀那との三事が相応して、一事を成就する為に愚言を述べたのです。
※本抄は文永6年の御作と記されていますが、異論もあります。日蓮の信徒として純真な信心を貫く富木常忍ですが、本抄では大聖人が裁判沙汰になった富木常忍に対して、懇切丁寧に人としての対処法を教えられています。私達も一部、家庭訪問に活かしていきたいですね。

「この大法弘まり給うならば、爾前・迹門の経教は一分も益なかるべし。伝教大師云わく「日出でぬれば星隠る」云々。遵式、記して云わく「末法の初め、西を照らす」等云々。法すでに顕れぬ。前相、先代に超過せり。日蓮ほぼこれを勘うるに、これ時のしからしむる故なり。経に云わく「四導師有り。一に上行と名づく」云々。また云わく「悪世末法の時、能くこの経を持たば」。また云わく「もし須弥を接って、他方に擲げ置かんも」云々。また、貴辺に申し付けし一切経の要文、智論の要文五帖、一処に取り集めらるべく候。その外、論釈の要文散在あるべからず候。また小僧たち、談義あるべしと仰せらるべく候。流罪のこと、痛く歎かせ給うべからず。勧持品に云わく、不軽品に云わく。命限り有り、惜しむべからず。ついに願うべきは仏国なり云々。」(富貴入道殿御返事 新1283頁・全955-6頁)文永8年11月、50歳御作
現代語訳:この大法が弘まったならば、爾前経や迹門の経教は一分も利益が無くなるのです。伝教大師は「日が出てば星は隠れる」といい、遵式の南獄禅師止観序には「末法の初め西を照らす」と述べられています。大白法は既に顕れたのです。その仏法出現の瑞相は先代を越えているのです。日蓮がこの事を勘えると、大法が弘まる時が来た為なのです。従地涌出品には「地涌の菩薩には四導師がいる。その第一番目を上行という」と、また分別功徳品では「悪世末法の時、能くこの経を持つならば」とあり、見宝搭品には「若し須弥山を接って他の世界に擲げ置くことよりも(この法華経を持つことは難しい)」と説かれています。また、あなたに頼んでいた一切経の要文、大智度論の要文の五帖を一箇処に取り集めてもらえるでしょうか。それ以外の論釈の要文も散失しないようにお願いできるでしょうか。また小僧達の学問談義を怠らないように伝えてもらえるでしょうか。私の流罪のことは決して歎いてはいけません。勧持品や常不軽菩薩品に「(法華経の行者は大難にあうが)命には限りがある。これを惜しんではならない。願うのは仏国(即ち常寂光土)である」と述べている通りです。
※科学が進歩した現在だからこそ、人種や民族、階層、男女等の差別がなく、普遍妥当性を有して、万人が成仏できるという、日蓮仏法が流布時なのです。


「世間の浅きことには身命を失えども、大事の仏法なんどには捨つること難し。故に仏になる人もなかるべし。」(佐渡御書 新1285頁・全956頁)文永9年3月、51歳御作
現代語訳:世間の浅い事の為に身命を失う事はあっても、大事な仏法の為に身命を捨てる事は難しいのです。だから仏に成る人もいないのです。
※佐渡から富木常忍を中心として広く弟子・檀那に与えられた御抄です。成仏の困難さを強調されています。


「悪王の正法を破るに、邪法の僧等が方人をなして智者を失わん時は、師子王のごとくなる心をもてる者、必ず仏になるべし。例せば日蓮がごとし。これおごれるにはあらず。正法を惜しむ心の強盛なるべし。おごれる者は、必ず、強敵に値っておそるる心出来するなり。例せば、修羅のおごり、帝釈にせめられて、無熱池の蓮の中に小身と成って隠れしがごとし。正法は、一字一句なれども、時機に叶いぬれば必ず得道なるべし。千経万論を習学すれども、時機に相違すれば叶うべからず。」(佐渡御書 新1286頁・全957頁)
現代語訳:悪王が正法を滅亡させようとし、邪法の僧等がこの悪王に味方して、智者を滅ぼそうとする時、師子王の様な心を持つ者が必ず仏に成ることができるのです。例えば日蓮の様にです。こう言うのは傲った気持ちからではなく、正法が滅する事を惜しむ心が強いからです。傲れる者は強敵にあうと必ず恐怖の心が出てくるものです。例えば、修羅は自らの力におごっていたが、帝釈に責められて無熱池の蓮の中に小さくなって隠れた様なものです。正法は一字一句であっても、時と機根に叶うなら必ず成仏することができます。たとえ千経・万論を習学しても、時と機根に相違するなら成仏することはできないのです。
※知識を得ても、勇気と信念と実行力が無ければ、人間革命も広宣流布もできないと仰せなのですね。


「日蓮、今生には貧窮・下賤の者と生まれ、旃陀羅が家より出でたり。心こそすこし法華経を信じたるようなれども、身は人身に似て畜身なり。魚鳥を混丸して赤白二渧とせり。その中に識神をやどす。濁水に月のうつれるがごとし。糞囊に金をつつめるなるべし。心は法華経を信ずる故に梵天・帝釈をもなお恐ろしと思わず。身は畜生の身なり。色心不相応の故に、愚者のあなずる道理なり。心もまた身に対すればこそ月・金にもたとうれ。(中略」鉄は炎い打てば剣となる。賢聖は罵詈して試みるなるべし。我、今度の御勘気は、世間の失一分もなし。ひとえに、先業の重罪を今生に消して、後生の三悪を脱れんずるなるべし。」(佐渡御書 新1288頁・全958頁)
現代語訳:日蓮は今生には貧しく下賎の者と生まれ、旃陀羅の家から生まれています。心こそ少し法華経を信じた様ですが、身は人身に似ているが畜生の身です。魚や鳥を混丸して父母の赤白二渧とし、その中に精神を宿しています。濁った水に月が映り、糞嚢に金を包んだ様なものです。心は法華経を信じているので梵天・帝釈でさえも恐ろしいとは思いません。しかし身は畜生の身です。身と心とが相応しないから愚者が侮るのも当然です。心も、身に対すればこそ月や金にたとえられるのです。(中略)鉄は鍛え打てば剣となります。賢人・聖人は罵られて(本物であるか否かを)試されるのです。日蓮がこのたび受けた御勘気に世間の罪は一分もありません。ただ過去世の重罪を今生に消滅して、来世に三悪に堕すことを脱れることになるでしょう。
※此処では、大聖人はご自身の事を、出生は高貴ではなく、身は畜生だと、卑下されていますが、日蓮仏法は、貴賤の上下や貧富に関係なく、苦難を乗り越えて、人間革命される、と仰せなのです。


「我が門家は、夜は眠りを断ち昼は暇を止めてこれを案ぜよ。一生空しく過ごして万歳悔ゆることなかれ」(富木殿御書 新1324頁・全970頁)健治3年8月、56歳御作
現代語訳:我が一門の者は、夜は眠りを断ち、昼は暇を無くして、この事(=邪見の悪僧侶が正法を破壊する根源の悪である)を思案しなさい。一生を空しく過ごして、万年にわたって後悔することがあってはなりません。
※大聖人の門家とは、大聖人の御書根本に広宣流布を目指し行動している、我々創価学会員に他なりませんね。


「この法門は、年来貴辺に申し含めたるように人々にも披露あるべきものなり。総じて、日蓮が弟子と云って法華経を修行せん人々は、日蓮がごとくにし候え。さだにも候わば、釈迦・多宝・十方の分身・十羅刹も御守り候べし。」(四菩薩造立抄 新1341頁・全989頁)弘安2年5月、58歳御作
現代語訳:この法門は、長年あなたに申し含めている様に、人々にも披露されると良いでしょう。全体として、日蓮の弟子だと名乗って法華経を修行する人々は、日蓮の様に行動しなさい。そうすれば、釈迦仏、多宝仏、十方分身の諸仏、十羅刹も必ず守護されるでしょう。
※師匠に連なる行動によって、自身の小さな殻が破れ、大器な人間革命になるのですね。


◎日蓮門下第一の知識人であり、強盛な信仰心の富木常忍だからこそ、大聖人は全幅の信頼を寄せて、多くの重要御書を授与されているのですね。また、富木常忍は日興上人同様に、大聖人から門下に送られた貴重な御手紙(御消息文)を後世への令法久住の為に積極的に集め保存されていたので、御書として、現在我々が学習できるのですね。


[88]

題名:フェイク 第1769号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/07/17(水) 19:26 2a06:8640:8669:0:8831:9d1d:98fd:7701(IPv6:uk-mcmahon-20150917) (2a06:8640:8669:0:8831:9d1d:98fd:7701)

(発行=24.07.15)

昔から無かった法主の「開眼」「許可」
「慧妙」の〝ニセ本尊説〟を徹底粉砕 ㊦
以前は法道院で印刷して各末寺へ直送

日蓮正宗の坊主らが主張する「法主による開眼」は昔からなかった。「本山で
の法主の開眼など御形木御本尊については行われていなかった」と改革僧が異
口同音に証言している。

学会の出現以前は日蓮正宗に入信する人は皆無に等しい状況だったから御本尊
を下付する必要もなかった。

時折、入信する人が現れた場合、各末寺が勝手に御本尊を授与していたのだが、
その都度、法主が開眼することはなかった。

たとえば、東京の妙光寺が下山日布(五十五世)、法道院が大石日応(五十六
世)、常在寺が阿部日正(五十七世)と、それぞれ有縁の法主の御形木を持っ
ていて、勝手に印刷・表装して、授与していたのである。

また、香川の讃岐本門寺では過去に、塔中坊に安置されていた日興上人の御本
尊を御形木にして檀家に下付していた。

更に、学会員が草創期に受けていた日寛上人の享保三年の御形木御本尊は池袋
の法道院で印刷していた。それを各末寺は本山を経由しないで直接、法道院か
ら受け取っていたのである。

即ち、学会草創期に流布した享保三年の日寛上人の御形木御本尊は、相貌も、
授与書きがない点も、法主による開眼などがなかった点でも、現在の学会授与
の享保五年の日寛上人書写の御形木御本尊と全く同じだったのである。

こうした事実を知っている日顕は、平成四年十一月十二日、淨圓寺の成田宣道
住職が宗門から離脱した時、周囲の者に「しまった、あの寺には日寛上人の御
本尊があったな」と悔しそうに呟いたという。

次に宗門側は「法主の許可がない」と非難する。

日寛上人が「本尊書写豈(あに)化他に非ずや」(観心本尊抄文段)と仰せの
ように、御本尊書写は広宣流布のために御本尊を御図顕された大聖人の御慈悲
を拝しての化他行なのである。
御本尊を拝ませてあげたいという大聖人の御心、それに純真に御本尊を拝した
いと願う衆生の心が合致して、そこに功徳がある。

日顕は己の責務を放棄し、学会員を脅すために御本尊の下付を停止した。

その日顕の所行は、仏と衆生の間に割り込んで成仏を妨害するだけでなく、御
本尊を信徒支配の道具に利用したのである。

広布破壊、成仏妨害の天魔と化した日顕が御本尊の下付を停止したから大聖人
の信心の血脈を現代に受け継ぎ、妙法を全世界に流布してきた唯一の和合僧団
である創価学会が、その資格で御本尊を授与するのは当然である。そうでなけ
れば、全人類のために御本尊を御図顕された大聖人の御心に適わない事態にな
る。

以上のように、日蓮正宗の坊主らの学会授与の御本尊への誹謗は根拠がなく、
大聖人の御心に背くのだ。

御書には「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹
(つつ)み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」と記されている。大聖人が末法万
年の全人類のために御図顕されたのが御本尊だ。宗門の都合で許可するとか、
しないとか、そんな事を言うのは大聖人の御精神に反する。

最後に相承無きニセ法主の日顕と日如が模写した本尊こそが「ニセ本尊」だと
断言するものである。





[87]

題名:フェイク 第1768号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/07/17(水) 19:24 2a06:8640:8669:0:8831:9d1d:98fd:7701(IPv6:uk-mcmahon-20150917) (2a06:8640:8669:0:8831:9d1d:98fd:7701)

(発行=24.07.14)

授与書きの有無は力用とは無関係
「慧妙」の〝ニセ本尊説〟を徹底粉砕 ㊥
日寛上人の御本尊で世界の友が功徳を満喫

相承を詐称した日顕は、前号で述べた通り、御本尊を信じられないのが悩みだ
と言っていた。こんな不信謗法の日顕だから約二十七年間の法主在任中、夜の
勤行をしたのは一度だけだった。その日顕が日寛上人書写の御本尊に難癖をつ
けていた。その一つが授与書きに関する批判である。

日寛上人から授与された本證房日證師への授与書きが御形木御本尊にはない点
を挙げて「日證師の心を踏みにじる」と非難していた。

この他、日證師に与えられた「一機一縁」の御本尊だから御形木にして他の人
が拝んでも功徳はない等々、バカなことを言う者もいた。これは御本尊の功徳
が特定の人に限定されるかのような戯言である。

この「一機一縁」とは、日蓮大聖人が門下に与えられた御真筆の御本尊のこと
を指すのだ。日淳上人も大聖人ご在世当時の弟子や信徒を導くために授与され
た御本尊を「一機一縁の御本尊」だと明示していた。

こんなことも知らずに、「一機一縁の御本尊だから他の人には功徳がない」と
は大謗法の妄言だ。絶大な功徳があることは世界百十二ケ国・地域の多くのメ
ンバーが実証している。

「慧妙」は連載「創価学会からの脱出」欄に、学会では功徳がなかったから法
華講に入ったとの体験を何度も載せているが、功徳がないのは御本尊が悪いの
ではない。法華講員に騙されるような退転状態の軟弱な信心に問題があったの
だ。

御本尊の余白に記された氏名は日興上人が「所賜の本主の交名(きょうみょう
)を書き付くるは後代の高名の為なり」(富士一跡門徒存知の事)と述べられ
ているように、授与を受けた人の功績を称え、証明する意義がある。

しかし、その授与書きは御本尊の本体に属するものではない。授与書きの有無
は力用とは全く関係がない。

また、書写した法主及び授与された人の心を踏みにじるとか、その意志を傷付
けることにもならない。

日顕自身、説法の中で弘安以降に書かれた大聖人の御真筆の御本尊でも授与者
の名前のない例が二割近くある事実を認めていた。

また、日顕らは「日證師個人に授与された御本尊を世界に流布するのは罰があ
る、功徳はない」との邪見を得意気に言っていたが、 日寛上人が御本尊を書
写された御心は広宣流布にある。

その御本尊を寺の倉庫に保存しておくのではなく、世界の人々に授与すること
こそ、日寛上人並びに日證師の心に最も適っていると言える。

更に、付言すると、学会が授与している御形木御本尊は、日蓮正宗の僧俗が騒
ぐような「授与書きを削った」のではない。

正しくは「御本尊の本体の部分だけを御形木御本尊にした」のである。淨圓寺
に所蔵されていた御真筆の御本尊の授与書きには何も手は加えられてはいない。

この脇書きに関して言えば、日蓮正宗こそ板御本尊の脇書きの総講頭の願主名
を削り、或いは漆で塗り潰して脇書きを見えなくした。この暴挙こそ、その御
本尊を書写した日達法主の心を踏みにじったことになるのではないか? 

また、古い寺には脇書が削損した御本尊が多いのも事実である。(つづく)





[86]

題名:フェイク 第1767号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/07/17(水) 18:36 2a06:8640:8696:0:9aa0:e52c:6551:267e(IPv6:uk-mcmahon-20150917) (2a06:8640:8696:0:9aa0:e52c:6551:267e)

(発行=24.07.13)

日寛上人書写の御本尊に偉大な功徳
「慧妙」の〝ニセ本尊説〟を徹底粉砕 ㊤
大聖人の御精神に背く宗門側の屁理屈

日蓮正宗の謀略紙「慧妙」が性懲りもなく日寛上人御書写の御本尊を「ニセ本
尊の害毒」(七月一日付)、「不幸を招いた」(六月十六日付)などと誹謗してい
る。

この「慧妙」や宗門側の悪口に対しては、これまでも再三、破折した。だが、
「慧妙」は執拗に繰り返し、日寛上人御書写の御本尊に関する悪質なデマを定
着させようとの底意地の悪い魂胆が見え透いているので、改めて徹底的に粉砕
する。

この〝ニセ本尊説〟の破折に先んじて学会に関するデマの前例に触れておく。
それは今でも千葉・茨城・広島県などの一部地域で囁かれている「学会は葬式
で香典を持って行く」という根も葉もないウソである。

これは昭和三十年代の半ば、全日仏(全日本仏教会)の幹部が「創価学会とい
う宗教が勢いを増して、我々の信徒がゴボウ抜きのように取られている」と評
論家の大宅壮一氏に泣きついたことに起因する。

大宅氏は若手ジャーナリスト達と相談の結果、先述の〝香典泥棒〟のデマを捏
造したということだ。

「香典を持ち去る」の
デマは言論人が**(確認後掲載)

それから約十年後の昭和四十五年十月、病床にあった大宅氏は香典の作り話を
深く悔やんで「根拠は何もなかったんだが……。これが全日仏を通して一斉に
全国に広がってしまったのです。言論人として本当に申し訳なかった」と、お
見舞いに病室を訪れた雑誌「潮」の編集者に謝罪した。

当然、学会が「香典を持ち去った」等という確証は昔も今も一切ない。以前、
マスコミが騒いでいた選挙の時に学会員が住民票を移すというデマと同じ類の
**(確認後掲載)された話なのである。

謝罪した大宅氏(写真)と違って「慧妙」は間違い記事を掲載しても、お詫びや
訂正記事を載せない。例えば、日顕の「芸者写真はクビのすげ替えだ」「シア
トル事件」はなかったとか、正本堂の大理石が腐食してモルタルが崩落し始め
ていた等々、大嘘のキャンペーンを張って墓穴を掘り、宗内の僧からも「『慧
妙』の記事を信用して学会員に対応すると、後で困ることがある」(同人誌「
道心」)と嫌われている。

このように「慧妙」の間違い記事は数多いが、極端な例は平成五年、宗門の法
義研鑚委員会(委員長は当時の教学部長・大村壽顕)と正反対の意見を同時期
に発表したことだ。

「慧妙」は「謗法者の御堂への参詣自体を禁じてはおられない」「戒壇の大御
本尊が広布の時至るまで秘蔵の形をとり公開されていないのは、何も謗法者に
拝ませてはならないから、という訳ではない」(平成五年十一月一日付)と我
見の記事を掲載した。

一方、法義研鑚委員会の見解は「大白法」(平成五年十一月十六日付)に掲載
され「一閻浮提総与の御本尊といっても、邪宗邪義の輩に礼拝を許す訳がない。
これは宗祖大聖人の御教示であり、宗門七百年の鉄則である」と「慧妙」の邪
見を一刀両断した。

殆んど同時期に宗門の法義研鑚委員会と「慧妙」は正反対の見解を出したのだ。

さて、前置きが長くなったが、本題に入ろう。

「略本尊も正本尊も
唱題の功徳は同じ」

学会が授与している日寛上人御書写の御本尊に対して、死んだ日顕をはじめ日
蓮正宗の坊主が誹謗していたのは主に相貌、授与書き、法主による開眼と許可
がない、の四点だ。「慧妙」は、これを踏襲して「ニセ本尊」と誹謗している
のである。

これらは全て日蓮大聖人の御精神に背く屁理屈であるが、本紙では改めて①相
貌(そうみょう)②授与書き、③法主による開眼、④法主の許可、の四項目に
ついて徹底的に破折を加えることにする。

まず、相貌については極悪坊主・日顕が平成九年八月二十八日の「八時間説法」
で、日寛上人の御本尊の相貎に難癖をつけていた。

「日寛上人の御本尊様は……十界をお書きになった御本尊様が一幅もないんで
す。全部、略本尊なんです」「こんなこと言うと、まあ、ちょっと、悪いかも
しれないけどね」と宗門の中興の祖を非難する口振りだった。

更に、日顕は「(日寛上人の御本尊は)二乗が欠けているから二乗作仏の意義が
……」と言いかけたが、この時、場内の異様な反応に気付いたようだ。

日顕は慌てて「略本尊も正本尊も、悉く尊い御本尊であり、一切、唱題の功徳
に相違はありません」と取り繕っていた。

功徳に違いがないのは当然で日興・日目上人書写の御本尊にも十界の代表しか
挙げられていないのがある。

特に、学会が現在、授与している御本尊は、草創期に流布した日寛上人書写の
享保三年の御本尊と全く同じ相貌なのである。

草創期の学会員は、その御本尊を信受し、何百万もの人々が宿命を転換して、
功徳を満喫したのだ。

こうした過去の経緯があるため、日顕も、日寛上人の御本尊の相貌にケチをつ
けながらも「略本尊だからニセ本尊」とは言えないため「授与書きの削除」「
法主による開眼がない」「法主の許可がない」と泣き言を言うしかなかった。

だが、これも全て日顕の邪見である。御本尊の本義、宗門の歴史から見ても、
すぐに化けの皮がはがれる難癖でしかない。

慢心の日顕が碩学の日亨上人を侮辱

余談になるが、慢心の日顕は歴代法主を愚弄するような発言をしていた。

特に、平成四年八月、全国教師講習会の際、碩学の堀日亨上人を批判した。

日顕は「堀上人がね、チョットわけ分かんないようなこと仰っている」と暴言
を吐いた。その時の雰囲気は活字では伝わらないが、甚だしく侮辱する口調だ
ったということだ。

更に、日顕は言葉を続けて「堀上人はね、学者だから……あんまり会通がない
んです」とも非難した。

この日顕が言う、日亨上人の「わけ分かんないこと」とは、謗法坊主の十七世
日精について生涯、造仏読誦論者であったと日亨上人が批判されたことを指し
ていたのだ。「わけ分かんないこと」を口走ったのは日顕の方なのである。

日顕が「御本尊を信じられない」と

日寛上人書写の御本尊を誹謗する日顕は絶大な御本尊の力用を疑っているので
ある。それを物語る面白いエピソードがある。

東京・八王子の平山廣篤(廣妙寺)が昭和六十一年六月十三日、御講で次のよう
な日顕の不信謗法を暴露したことがあった。

「(日顕に)私が『信心してきて一番苦しんだことは何ですか?』と質問した。
すると『(日顕は)なかなか御本尊を信ずることができなかったことだ。今でも
本当に信ずることができないでいる』と仰せられた」

この平山の話を聞いた婦人は強い衝撃を受けて日記に書き留めていた。

なお、今のニセ法主・早瀬日如は法門に関する知識は「所化並み」と言われて
おり、日寛上人の御本尊を「ニセ本尊」と悪口を言うだけで、その理由には言
及できない。

以前、大願寺にいた日如(当時は義寛)に新宿区在住の学生部員が御書について
質問すると「難しいな、それは学会の教学部に訊きなさい」と逃げた。(つづ
く)







[85]

題名:師匠と我らとの関係 16(安房方面の門下に宛てられた御抄)

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/07/16(火) 01:08 2001:ce8:127:e3a4:f874:5748:aed:e6c0(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:f874:5748:aed:e6c0)

師匠と我らとの関係 16(安房方面の門下に宛てられた御抄)


「安房方面の門下に宛てられた御抄」における弟子との関係 


今回からは、全国に散在する大聖人の弟子・檀那衆に与えられた御手紙を方面毎に紹介します。
今回の安房(房州)は大聖人が生誕し、修行し、立宗宣言された有縁の地域です。


「草木は大地なくして生長することあるべからず。日蓮、法華経の行者となって、善悪につけて日蓮房・日蓮房とうたわるるこの御恩、さながら故師匠・道善房の故にあらずや。日蓮は草木のごとく、師匠は大地のごとし。」(華果成就御書 新1211頁・全900頁)
現代語訳:草木は大地がなければ生長することができません。日蓮が法華経の行者となって、善悪につけて日蓮房・日蓮房と呼ばれる様になった此の御恩は、そのまま故師匠道善房のおかげなのです。例えば、日蓮は草木の様であり、師匠の道善房は大地の様なものです。
※弘安元年4月に、大聖人の師匠である故・道善房時代の兄弟子の浄顕房・義浄房に宛てたお手紙です。師の道善房への恩を述べられ、華果の譬えを挙げて真の師弟関係を説かれています。
大聖人は妙法を持たなかった道善房に恩義を感じておられますが、創価学会員は三代の会長の死身弘法の御覚悟と実践に報恩感謝を申し上げていきたいですね。


「よき弟子をもつときんば、師弟仏果にいたり、あしき弟子をたくわいぬれば、師弟地獄におつといえり。師弟相違せば、なに事も成すべからず」(華果成就御書 新1211頁・全900頁)
現代語訳:良い弟子を持った時は、師弟ともに成仏を成し遂げ、悪い弟子を養育したならば、師弟ともに地獄に堕ちると云われています。師匠と弟子との心が違えば、何事も成就することは無いのです。
※大聖人は、いかに師弟の関係が重要なのかを提示されています。私達は、私達の直接の師匠である池田大作先生の正義と偉大さを、世界の人々に示して行きたいですね。


「領家はいつわりおろかにて、ある時は信じ、ある時はやぶる。不定なりしが、日蓮御勘気を蒙りし時、すでに法華経をすて給いき。日蓮先よりげんざんのついでごとに難信難解と申せしはこれなり。日蓮が重恩の人なれば扶けたてまつらんためにこの御本尊をわたし奉るならば、十羅刹定めて偏頗の法師とおぼしめされなん。また経文のごとく不信の人にわたしまいらせずば、日蓮、偏頗はなけれども、尼御前、我が身のとがをばしらせ給わずして、うらみさせ給わんずらん。この由をば委細に助阿闍梨の文にかきて候ぞ。召して尼御前の見参に入れさせ給うべく候。
 御事においては、御一味なるようなれども、御信心は色あらわれて候。さどの国と申し、この国と申し、度々の御志ありて、たゆむけしきはみえさせ給わねば、御本尊はわたしまいらせて候なり。それも終にはいかんがとおそれ思うこと、薄氷をふみ、太刀に向かうがごとし。くわしくは、またまた申すべく候。それのみならず、かまくらにも、御勘気の時、千が九百九十九人は堕ちて候人々も、いまは世間やわらぎ候かのゆえに、くゆる人々も候と申すに候えども、これはそれには似るべくもなく、いかにもふびんには思いまいらせ候えども、骨に肉をばかえぬことにて候えば、法華経に相違せさせ給い候わんことを、叶うまじき由、いつまでも申し候べく候。」(新尼御前御返事 新1222-3頁・全906-7頁)
現代語訳:領家(資産を有する家、大尼御前のこと)は偽りおろかで、ある時は信じ、ある時は破る、という様に心定まらず、日蓮が御勘気を蒙った時に法華経を捨ててしまわれました。日蓮が前からお目にかかる毎に「法華経は信じ難く解し難し」と話してきたのはこの事です。日蓮にとって重恩の人ですから、助けてあげようとこの御本尊をしたためて差し上げるならば、十羅刹はきっと日蓮を偏頗(人の扱いに公正を欠くこと)な法師と思われるでしょう。また経文に説かれている通りに、不信の人に御本尊を差し上げないならば、日蓮は偏頗はないけれども、大尼御前は自身の失を知られず、日蓮を恨まれることでしょう。その事は詳しく助阿闍梨の手紙に書いておきましたので、呼ばれて尼御前にお見通してください。新尼御前は大尼御前とご一緒の様ですが、法華経への信心は形に顕われておられます。佐渡の国までの御心尽くしといい、この国までといい、度々の厚い志で信心がたゆむ様子は見えないので、御本尊をしたためて差し上げたのです。しかし、この先はどうであろうかと思うと、薄い氷を踏み、太刀に向かう様です。詳しくは、また申しあげましょう。それだけでなく、鎌倉でも御勘気の時、千人のうち九百九十九人が退転してしまいましたが、それらの人々も今は世間も和らいできた為か、後悔している人人もあるということです。大尼御前はそれらの人々と全く違っているので、いかにもかわいそうだとは思いますが、骨に肉を換えられない道理ですから、法華経に違背された人に御本尊を差し上げることはできないと、時が過ぎてもお伝えください。
※文永12年2月、身延から名越家の新尼御前に与えられた御手紙です。
大聖人は、「信心強盛な新尼御前には御本尊を授与するが、大聖人の佐渡流罪中に退転した大尼御前には御本尊を授与できない」と述べられ、仏法の道理の厳しさを御教示されています。


「光日御前は、いかなる宿習にて法華経をば御信用ありけるぞ。また故弥四郎殿が信じて候いしかば、子の勧めか。この功徳空しからざれば、子とともに霊山浄土へ参り合わせ給わんこと、疑いなかるべし。(中略)今の光日上人は子を思うあまりに法華経の行者と成り給う。母と子と、ともに霊山浄土へ参り給うべし。その時、御対面いかにうれしかるべき、いかにうれしかるべき。」(光日上人御返事 新1267頁・全933-4頁)
現代語訳:光日尼御前は、どの様な宿習によって法華経を信ずるようになったのでしょうか。また亡くなった弥四郎殿が法華経を信じていたので、その子の勧めなのでしょうか。この(法華経を信じて)功徳が虚偽ではないのだから、子の弥四郎殿と共に霊山浄土に参って会うことは疑いがないのです。(中略) 今の光日上人はわが子を思うあまり法華経の行者となられたのです。だから必ず母と子が共に霊山浄土に参ることができるでしょう。その時のご対面は、どんなにか嬉しいことでしょう。重ねてどんなに嬉しいことでしょう。
※弘安4年8月に身延より安房国天津の光日尼に贈られたお手紙です。光日尼は、息子の弥四郎の勧めで入信し純真な信心を貫いた人で、題名の通り在家ながら「上人」の号を頂き、即身成仏(新1264頁・全934頁)されていると褒められています。本抄では、母子共に「霊山浄土に参ることができる」と繰り返して述べられています。


「日蓮は日本第一の法華経の行者なり。すでに勧持品の二十行の偈の文は、日本国の中には日蓮一人よめり。八十万億那由他の菩薩は、口には宣べたれども修行したる人一人もなし。かかる不思議の日蓮をうみ出だせし父母は、日本国の一切衆生の中には大果報の人なり。父母となり、その子となるも、必ず宿習なり。もし日蓮が法華経・釈迦如来の御使いならば、父母、あにその故なからんや。例せば、妙荘厳王・浄徳夫人・浄蔵・浄眼のごとし。釈迦・多宝の二仏、日蓮が父母と変じ給うか。しからずんば、八十万億の菩薩の生まれかわり給うか。また、上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹か。不思議に覚え候。」(寂日房御書 新1269頁・全902-3頁)
現代語訳:日蓮は日本第一の法華経の行者です。法華経勧持品の二十行の偈の文は、すでに日本国の中では日蓮一人が読んだのです。八十万億那由佗の菩薩は、口では宣べたけれども修行した人は一人もいません。この様な不思議な日蓮を生んだ父母は、日本国の一切衆生の中では大果報の人です。父母となりその子となるのも必ず宿習なのです。もし日蓮が法華経と釈迦如来の御使であれば、父母にどうして深い宿縁が無いことがあるでしょうか。例えば妙荘厳王・浄徳夫人と浄蔵・浄眼の様なものです。釈迦・多宝の二仏が、日蓮の父母と変じられたのでしょうか。そうでなければ八十万億の菩薩が生まれ変わられたのでしょうか。また、上行菩薩等の四菩薩の中の垂迹でしょうか。不思議に思えるのです。
※弘安2年9月に、身延から寂日房日家に与えられた御抄です。
この箇所は、大聖人御出生の不思議さを述べられています。


「かかる者の弟子檀那とならん人は、宿縁ふかしと思って、日蓮と同じく法華経を弘むべきなり。法華経の行者といわれぬること、はや不祥なり、まぬかれがたき身なり。彼のはんかい・ちょうりょう・まさかど・すみともといわれたる者は、名をおしむ故に、はじを思う故に、ついに臆したることはなし。同じはじなれども、今生のはじはもののかずならず、ただ後生のはじこそ大切なれ。獄卒・だつえば・懸衣翁が三途河のはたにていしょうをはがん時を思しめして、法華経の道場へまいり給うべし。法華経は後生のはじをかくす衣なり。経に云わく「裸なる者の衣を得たるがごとし」云々。この御本尊こそ冥途のいしょうなれ。よくよく信じ給うべし。おとこのはだえをかくさざる女あるべしや。子のさむさをあわれまざるおやあるべしや。釈迦仏・法華経は、めとおやとのごとくましまし候ぞ。日蓮をたすけ給うこと、今生の恥をかくし給う人なり。後生はまた、日蓮、御身のはじをかくし申すべし。昨日は人の上、今日は我が身の上なり。花さけばこのみなり、よめのしゅうとめになること候ぞ。信心おこたらずして、南無妙法蓮華経と唱え給うべし。」(寂日房御書 新1270頁・全903頁)
現代語訳:この様な日蓮の弟子檀那となった人々は、宿縁が深いと思って、日蓮と同じ様に法華経を弘めるべきです。法華経の行者と言われているのは、もはや不祥な事であり、まぬかれ難い身なのです。あの樊噲や張良、平将門、藤原純友などは名声を惜しみ、恥を思うために最後まで臆病な振る舞いをしたことはなかったのです。同じ恥であっても今生の恥は大したことではありません。ただ後生の恥こそ大切なのです。獄卒や奪衣婆や懸衣翁に三途の河のほとりで衣装をはがされる時の恥を思い合わせて、法華経の道場に参られるべきです。法華経は後生の恥をかくす衣です。法華経薬王菩薩本事品に「裸者が衣を得たようなものである」とあります。この御本尊こそ、冥途の恥をかくす衣装です。強盛に信心されるべきです。夫の膚をかくそうとしない妻がいるでしょうか。子供の寒さをあわれと思わない親がいるでしょうか。釈迦仏・法華経は、妻と親のようなものなのです。日蓮(に供養し、身)を助けてくださる事が、私の今生の恥をかくしてくださる人ですから、後生は日蓮があなたの恥をおかくしするでしょう。昨日は人の上でも、今日は我が身の上です。花が咲けば必ず実がなり、嫁はやがて姑になることは疑いない事です。信心を怠らずに南無妙法蓮華経と唱えていきなさい。
※御本尊を信受できたのは過去世の深い宿縁であり、大聖人の弟子となった限りは法華経を流布すべきで、自身は必ず成仏すると励まされていますね。


◎大聖人・有縁の地である安房を説明します。
大聖人は、貞応元年(承久4年)2月16日、安房国長狭郡東条郷片海(千葉県鴨川市小湊)の漁村でご生誕(父は三国の太夫、母は梅菊)され、天福元年12歳で、近くの清澄寺に登られ、道善房を師匠として仏道修行されました。建長5年4月28日(大聖人32歳)、鎌倉より一時戻られて故郷・清澄寺で立宗宣言されました。また文永元年11月11日(大聖人43歳)、同国東条郷松原大路(千葉県鴨川市広場付近)を通行中に、地頭の東条景信や念仏者の襲撃を受けるという「小松原の法難」又は「東条の難」として知られる事件が起こっています。
安房方面にも、上述の他に多くの弟子・檀那がおられた模様です。


[84]

題名:師匠と我らとの関係 15(諸法実相抄)

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/07/01(月) 23:17 2001:ce8:127:e3a4:81a:2149:4349:483b(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:81a:2149:4349:483b)

師匠と我らとの関係 15(諸法実相抄)


諸法実相抄における弟子との関係 


一般に「諸法」とは、宇宙に存在する一切の法、森羅万象であり、「実相」は、あらゆる現象の真実の姿・相をいうのです。
本抄は、文永10年、大聖人52歳、佐渡流罪中に、天台宗の学僧であった最蓮房が法華経方便品の「諸法実相」について質問され、それに対して大聖人が答えられ、併せて、信心実践の上での大切な信心指導が多く述べられていますので、ご紹介します。


「問うて云わく、法華経の第一の方便品に云わく『諸法実相乃至本末究竟等』云々。この経文の意いかん。答えて云わく、下地獄より上仏界までの十界の依正の当体、ことごとく一法ものこさず妙法蓮華経のすがたなりという経文なり。 依報あるならば、必ず正報住すべし。釈に云わく『依報・正報、常に妙経を宣ぶ』等云々。また云わく『実相は必ず諸法、諸法は必ず十如、十如は必ず十界、十界は必ず身土』云々。また云わく『阿鼻の依正は全く極聖の自心に処し、毘盧の身土は凡下の一念を逾えず』云々。これらの釈義分明なり。誰か疑網を生ぜんや。されば、法界のすがた、妙法蓮華経の五字にかわることなし。」(諸法実相抄 新1788頁・全1358頁)
現代語訳:問うて言います。法華経第一の巻方便品第二に「諸法実相とは、所謂諸法の如是相、如是性、如是体、如是力、如是作、如是因、如是縁、如是果、如是報、如是本末究竟等」と説かれています。この経文の意味はどの様なものでしょうか。
答えて言います。下は地獄界から上は仏界までの十界の依報と正報の当体が、全て一法も残さず妙法蓮華経の姿であるという経文です。依報があるならば、必ず正報が住しているのです。妙楽大師の法華文句記の巻十下には「依報も正報も常に妙法蓮華経を顕している」等と述べています。また金剛錍には「実相は必ず諸法としてあらわれ、諸法は必ず十如をそなえ、十如は必ず十界という区別相があり、十界には必ず身と土が存在する」と述べています。また、同じく金剛錍の中で「阿鼻地獄の依報と正報は尊極の仏の自身の中に具わり、毘盧舎那仏の一身とその所在も凡夫の一念の外にあるものではない」としています。これらの妙楽大師の解釈義は明解です。誰が疑いを生ずるでしょうか。そうであれば、法界の姿は、妙法蓮華経の五字にほかならないのです。
※本抄には、更に「実相というは、妙法蓮華経の異名なり。諸法は妙法蓮華経ということなり。(中略)仏は仏のすがた、凡夫は凡夫のすがた、万法の当体のすがたが妙法蓮華経の当体なりということを、諸法実相とは申すなり。天台云わく『実相の深理、本有の妙法蓮華経』云々。」(新1789頁・全1359頁)【現代語訳:実相というは、妙法蓮華経の異名です。諸法は妙法蓮華経ということです。(中略)仏は仏の姿、凡夫は凡夫の姿であり、万法の当体の姿が妙法蓮華経の当体であるということを「諸法実相」とはいうのです。この事について天台大師は「実相の深理は本有常住の妙法蓮華経である」と述べています。】とあり、明確に、諸法と実相は不可分の存在であり、妙法蓮華経を意味する、と述べられていますね。


「地涌の菩薩のさきがけ日蓮一人なり。地涌の菩薩の数にもや入りなまし。もし日蓮、地涌の菩薩の数に入らば、あに、日蓮が弟子檀那、地涌の流類にあらずや。経に云わく『能くひそかに一人のためにも、法華経の乃至一句を説かば、当に知るべし、この人は則ち如来の使いにして、如来に遣わされて、如来の事を行ず』。あに別人のことを説き給うならんや。」(諸法実相抄 新1790頁・全1359頁)
現代語訳:地涌の菩薩の先駆けは日蓮一人なのです。地涌の菩薩の数に入っていないかもしれません。もし、日蓮が地涌の菩薩の数に入っているならば、日蓮の弟子檀那は地涌の流類ということになるでしょう。法華経法師品の「よく密かに一人のためにでも、法華経そしてその一句だけでも説くならば、まさにこの人は如来の使いであり、如来から遣わされて如来の振舞いを行ずるものと知るべきである」との文は、誰か他の人の事を説かれたのではないのです。
※私達、日蓮門下の立場からすれば、私達が地涌の菩薩であり、だからこそ、如来の振舞いを示さなければならないのです。


「いかにも、今度、信心をいたして、法華経の行者にてとおり、日蓮が一門となりとおし給うべし。日蓮と同意ならば地涌の菩薩たらんか。地涌の菩薩にさだまりなば、釈尊久遠の弟子たること、あに疑わんや。経に云わく『我は久遠より来、これらの衆を教化せり』とは、これなり。末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は、男女はきらうべからず、皆地涌の菩薩の出現にあらずんば唱えがたき題目なり。日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱えしが、二人・三人・百人と次第に唱えつたうるなり。未来もまたしかるべし。これ、あに地涌の義にあらずや。あまつさえ、広宣流布の時は、日本一同に南無妙法蓮華経と唱えんことは、大地を的とするなるべし。ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし。(諸法実相抄 新1791頁・全1360頁)
現代語訳:信心をしたからにはどの様なことがあっても、このたび、法華経の行者として生き抜き、日蓮の一門となり通していきなさい。日蓮と同意であるならば地涌の菩薩なのでしょう。地涌の菩薩であると定まっているならば、釈尊の久遠の弟子である事をどうして疑うことができるでしょうか。法華経従地涌出品に「これらの地涌の菩薩を、私が久遠の昔から教化してきたのである」と説かれているのはこの事です。末法において妙法蓮華経の五字を弘める者は男女の分け隔てをしてはなりません。皆、地涌の菩薩が出現した人々でなければ唱えることのできない題目なのです。はじめは日蓮一人が南無妙法蓮華経と唱えたが、二人・三人・百人と次第に唱え伝えてきたのです。未来もまたそうでしょう。これが地涌の義ではないでしょうか。そればかりか広宣流布の時は日本中が一同に南無妙法蓮華経と唱えることは大地を的とする様なものです。ともかくも法華経に名をたて身を任せていきなさい。
※私達は、世界唯一の生命尊厳、人間尊敬の仏法哲学を学んでいるのです。積極的に人生を謳歌しようではありませんか。


「この文には日蓮が大事の法門どもかきて候ぞ、よくよく見ほどかせ給え、意得させ給うべし。一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給え。あいかまえて、あいかまえて、信心つよく候いて、三仏の守護をこうむらせ給うべし。行学の二道をはげみ候べし。行学たえなば仏法はあるべからず。我もいたし、人をも教化候え。行学は信心よりおこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし。」(諸法実相抄 新1792-3頁・全1361頁)
現代語訳:この手紙には日蓮が大事な法門を書いておきました。よくよく読んで理解し、肝に銘じていきなさい。一閻浮提第一の御本尊を信じていきなさい。十分に心得、信心を強くして釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏の三仏の守護を受けていきなさい。行学の二道を励んでいきなさい。行学が絶えてしまえば仏法ではないのです。私自身も行い、他人にも教化していきなさい。行学は信心より起きてくるのです。力があるならば一文一句であっても人に語っていきなさい。
※有名な「行学二道の推奨と信心が絶対不可欠」の御文です。日蓮仏法を学べば学ぶほど、自身の器が小さいと気付かされますね。


「日蓮が相承の法門等、前々かき進らせ候いき。ことにこの文には大事の事どもしるしてまいらせ候ぞ。不思議なる契約なるか。六万恒沙の上首・上行等の四菩薩の変化か。さだめてゆえあらん。総じて日蓮が身に当たっての法門わたしまいらせ候ぞ。日蓮、もしや六万恒沙の地涌の菩薩の眷属にもやあるらん。南無妙法蓮華経と唱えて、日本国の男女をみちびかんとおもえばなり。経に云わく『一に上行と名づく乃至唱導の師なり』とは説かれ候わぬか。まことに宿縁のおうところ、予が弟子となり給う。この文あいかまえて秘し給え。日蓮が己証の法門等かきつけて候ぞ。」(諸法実相抄 新1793頁・全1361-2頁)
現代語訳:あなたには日蓮の相承の法門を、前々から書き送っています。特に、この手紙には大事な法門を記しております。日蓮とあなたとは不思議な契約があるのでしょうか。六万恒河沙の上首の上行菩薩等の四菩薩の変身でしょうか。決まっていて理由のあることでしょう。全体として日蓮が身にあたる法門を差し上げています。日蓮は、もしかすると六万恒河沙の地涌の菩薩の眷属であるかもしれません。南無妙法蓮華経と唱えて日本国の男女を導かんと思っているからです。法華経従地涌出品には「一番に上行と名づけた上首の地涌菩薩は、唱導の師匠である」と説かれているではありませんか。あなたにはまことに深い宿縁によって日蓮の弟子となられたのす。この手紙を心して秘していきなさい。日蓮が己証の法門等を書き記したのです。
※此処でも「日蓮仏法の重要法門を記している」と述べられており、私達日蓮門下だからこそ、この重要法門をも学習する事ができるのですね。


◎不思議な宿縁によって大聖人の弟子となり、地涌の菩薩の一員にも連なる最蓮房に対して、大聖人は、法華経の経文から事例を引き、「諸法実相」の真の仏教上の意義、地涌の菩薩の使命、御本尊中心の信仰の在り方について、御教示されています。
私達にも通じる重要な御指導であり、素直に実践していきたいですね。


[83]

題名:師匠と我らとの関係 14(生死一大事血脈抄)

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/06/20(木) 23:48 2001:ce8:127:e3a4:857c:c8e7:9cd1:c395(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:857c:c8e7:9cd1:c395)

師匠と我らとの関係 14(生死一大事血脈抄)


生死一大事血脈抄における弟子との関係 


本抄は、佐渡の天台僧であった最蓮房が、生死一大事血脈相承という甚深の法門について大聖人に質問され、文永9年2月にその問に回答された御書です。比較的短い御文ですが、私達創価学会員にとって、重要な信心の血脈論が述べられていますので、紹介します。

 
「生死一大事の血脈とは、いわゆる妙法蓮華経これなり。その故は、釈迦・多宝の二仏、宝塔の中にして上行菩薩に譲り給いて、この妙法蓮華経の五字、過去遠々劫より已来、寸時も離れざる血脈なり。」(生死一大事血脈抄 新1774頁・全1336頁)
現代語訳:生死一大事の血脈とは、いわゆる妙法蓮華経のことです。その理由は、釈迦・多宝の二仏が宝塔の中で上行菩薩にお譲りになられた、この妙法蓮華経の五字を、過去遠々劫よりずっと、寸時も離れることのなかった血脈の法だからです。
※血脈とは、親の血が子に伝わる様に仏から衆生に教法が伝わること。故に生死一大事血脈とは、仏から衆生に伝えられる、三世を貫き流れる妙法(三大秘法の南無妙法蓮華経の五字・七字)のことですね。


「久遠実成の釈尊と皆成仏道の法華経と我ら衆生との三つ全く差別無しと解って妙法蓮華経と唱え奉るところを、生死一大事の血脈とはいうなり。このこと、ただ日蓮が弟子檀那等の肝要なり。法華経を持つとは、これなり。」(生死一大事血脈抄 新1774-5頁・全1337頁)
現代語訳:(十界の当体が妙法蓮華経であるから、仏界の象徴である)久遠実成の釈尊と、皆成仏道の法華経(即ち妙法蓮華経)と我ら九界の衆生の三は全く差別がないと信解して、妙法蓮華経と唱えさせていただく事が生死一大事の血脈というのです。この事が、日蓮の弟子檀那等にとって重要なのです。法華経を持つとは、この事をいうのです。
※崇高な御仏と、人生を善導・変革する妙法と、凡夫である私達が、全く同等の価値である、と自覚し仏道修行を重ねる事が妙法の当体であり、生死一大事の血脈なのですね。


「総じて、日蓮が弟子檀那等、自他・彼此の心なく、水魚の思いを成して、異体同心にして南無妙法蓮華経と唱え奉るところを、生死一大事の血脈とは云うなり。しかも今、日蓮が弘通するところの所詮これなり。もししからば、広宣流布の大願も叶うべきものか。あまつさえ、日蓮が弟子の中に異体異心の者これ有らば、例せば、城者として城を破るが如し。」(生死一大事血脈抄 新1775頁・全1337頁)
現代語訳:全体として日蓮の弟子檀那等が、自分と他人、彼とこれとの隔てなく水魚の思いをなして、異体同心に南無妙法蓮華経と唱えたてまつるのを生死一大事の血脈というのです。しかも今、日蓮が弘通する法の肝要はこの事なのです。もし、弟子檀那等がこの意を体していくならば、広宣流布の大願も成就するでしょう。これに反して、日蓮の弟子の中に異体異心の者があれば、それは例えば、城者にして城を破るようなものです。
※異体同心にして共に南無妙法蓮華経と唱える私達・創価学会員の姿が、日蓮仏法の肝要であり、世界広宣流布へ繋がっていると自信を持ちましょう。


「過去の宿縁追い来って、今度日蓮が弟子と成り給うか。釈迦・多宝こそ御存知候らめ。『在々諸仏土、常与師俱生(いたるところの諸仏の土に、常に師とともに生ず)』、よも虚事候わじ。」(生死一大事血脈抄 新1776頁・全1338頁)
現代語訳:(あなたは)過去世の宿縁により追って来られて、今世で日蓮の弟子となられたのでしょうか。釈迦・多宝の二仏こそ御存知だろうと思われます。化城喩品の「在々諸仏土、常与師俱生(どこの場所の諸仏の土地でも、常に師匠とともに生まれる)」との経文は、よもや虚言とは思われないのです。
※創価学会員の中でも正真の仏弟子は、「在々諸仏土、常与師俱生」との絶対の確信を持っているのですね。


「上行菩薩、末法今の時、この法門を弘めんがために御出現これ有るべき由、経文には見え候えども、いかんが候やらん、上行菩薩出現すとやせん、出現せずとやせん、日蓮まずほぼ弘め候なり。相構えて相構えて、強盛の大信力を致して、南無妙法蓮華経臨終正念と祈念し給え。生死一大事の血脈、これより外に全く求むることなかれ。煩悩即菩提・生死即涅槃とは、これなり。信心の血脈なくんば、法華経を持つとも無益なり。」(生死一大事血脈抄 新1776-7頁・全1338頁)
現代語訳:上行菩薩が、末法の今時この法華経を弘めるために御出現されることを、経文に見えていますがどうでしょうか。上行菩薩が出現されているにせよ、されていないにせよ、日蓮はその先駆けとして、上行菩薩所弘の法門をほぼ弘めているのです。心して強盛の大信力を出し、南無妙法蓮華経、臨終正念と祈念してください。生死一大事の血脈をこの事より外に求めてはなりません。煩悩即菩提、生死即涅槃とはこの事なのです。信心の血脈が無ければ、法華経を持っても無益なのです。
※臨終正念とは、死に臨んでも正しい念慮(思い、考え)を持つこと、つまり、妙法を信行して成仏を疑わないことですね。


◎「生死」は、永遠に連続する生命それ自体、「一大事」は、最も重要・根本的な事、つまり生命、共に妙法蓮華経の事であり、「血脈」とはこの妙法蓮華経を中心として永遠に続く生命を言います。従って本抄の「生死一大事の血脈」とは、①多宝塔中で上行菩薩が相伝した妙法蓮華経の異名であり、②仏と法と我等が差別なしと悟って唱題する一切衆生が妙法の当体であり、③異体同心の信心根本の団結の姿で唱題する大聖人の弟子檀那の胸中に存在する、と真の血脈相承は、不審だらけの法体の継承ではなく、大聖人の御心に直結した信心の継承である事を、御教示されているようですね。


[82]

題名:獅子身中の虫

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/06/20(木) 23:45 2001:ce8:127:e3a4:857c:c8e7:9cd1:c395(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:857c:c8e7:9cd1:c395)

今の創価学会に政治部なる組織は存在していません。
今の公明党がかつての政治部であり、私達創価学会員は現在の公明党を支持しています。
政治は技術が必要であり、仏法上では純白でいたいけれども、そうは出来ず、価値的に行動しなければならないのです。
私は、粟田晋なる幹部を全く存知していません。
この人は、おそらく獅子身中の虫であり、この人の考えは崩壊するでしょうね。 


[81]

題名:【公明党】解党宣言! 創価学会幹部激白

名前:霞ヶ関リークス

MAIL 投稿日: 2024/06/05(水) 19:17 2001:ac8:88:3000:def4:b2af:b243:940(IPv6:m247-ltd-dublin) (2001:ac8:88:3000:def4:b2af:b243:940)


『公明党は支持できない』




[80]

題名:師匠と我らとの関係 13(総勘文抄)

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/05/31(金) 23:13 2001:ce8:127:e3a4:4150:3e30:a2c1:728e(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:4150:3e30:a2c1:728e)

師匠と我らとの関係 13(総勘文抄)


総勘文抄における弟子との関係 

「総勘文抄」の正式な題号は、「三世諸仏総勘文教相廃立」と云い、宗門で戒壇本尊とされる楠板本尊が建立された弘安2年10月の著作とされていますが、詳細は不明です。本来の勘文は朝廷に上申する意見書を言いますが、「三世諸仏総勘文」は、「三世のあらゆる仏の総意で決めた文言」との意味です。「教相」は釈尊の説法の立て分けを言い、方便の権教と実教の法華経があり「廃立」は権教を廃し、法華経を立てることを指します。今回は師匠からの御指導というより、深遠な日蓮仏法の初歩的解説といったところでしょうか。


「一代聖教とは、総じて五十年の説教なり。これを一切経とは言うなり。これを分かちて二つとなす。一には化他。二には自行なり。」(総勘文抄 新705頁・全558頁)
現代語訳:(釈尊の)一代聖教とは、五十年の間に説いた教え全体です。これを一切経と言うのです。この一切経を二つに分けます。一には化他(他を化するとの意で、利他と同意)の経であり、二には自行(自己の為に行じるとの意)の経です。 
※補足:化他と自行は、修行と法体の二義に約されます。修行に約す場合は、化他とは他人に法の利益を受けさせる為の教化・化導を言い、自分自身が法の利益を受ける為に修行することを自行と言います。法体に約す場合は、「化他」とは九界の衆生の機根に応じて説いた随他意の教えを言い、「自行」とは仏が自らの境地をそのまま説いた随自意の教えを言います。本抄の釈尊の一代聖教に当てた場合、「化他の法門」とは法華経以前の随他意の爾前権経を指し、「自行の法門」とは随自意の法華経を指します。


「一に化他の経とは、法華経より前の四十二年の間説き給える諸の経教なり。これをば権教と云い、または方便と名づく。これは四教の中には、三蔵教・通教・別教の三教なり。五時の中には、華厳・阿含・方等・般若なり。法華より前の四時の経教なり。また、十界の中には、前の九法界なり。」(総勘文抄 新705頁・全558頁)
現代語訳:一には化他の経とは、(釈尊の一代五十年の説法の中で最後八年の自行の法である)法華経より以前の四十二年の間に説かれた諸々の経教の事です。これを(法華経の実教に対して)権教といい、または(法華経の真実に対し)方便と名づけるのです。これは化法の四教の立て分けで言えば、三蔵教・通教・別教の三教であり、五時の立て分けでは華厳時・阿含時・方等時・般若時という、法華経より以前の四時の経教です。また十界の中では、仏界に対して、それ以前の九法界に該当します。
※自行の経について本抄で後述されていますが、化他の経と自行の経の立て分けは、この御文の方が詳しいです。天台所立の四教の立て分けでいえば、蔵(経[定]・律[戒]・論[慧]の三蔵教で六道内の因果を明かし戒が中心)・通(蔵教にも別教にも通じるとの意)・別(蔵通二教とも後の円教とも別との意)の三教が「化他の経」であり、円教(円融円満の意)が「自行の法」です。五時の立て分けの中では、華厳時・阿含時・方等時・般若時の経教が「化他の経」となり、法華涅槃時の経が「自行の法」となるのです。厳密に法華涅槃時の涅槃時に関していえば、涅槃経の中の〝円教〟の部分に限って自行に組み込まれていると考えられます。また、法華経二十八品が自行の法となることは当然として、開経の無量義経、結経の普賢経も「自行の法」の中に含められていると拝察すべきでしょう。


「一代の教主・釈迦如来、一切経を説き勘文し給いて言わく『三世の諸仏、同様に一つ語一つ心に勘文し給える説法の儀式なれば、我もかくのごとく、一言も違わざる説教の次第なり』云々。方便品に云わく『三世の諸仏の説法の儀式のごとく、我も今またかくのごとく無分別の法を説く」』已上。『無分別の法』とは一乗の妙法なり。善悪を簡ぶことなく、草木・樹林・山河・大地にも一微塵の中にも、互いに各十法界の法を具足す。我が心の妙法蓮華経の一乗は、十方の浄土に周遍して闕くることなし。十方の浄土の依報・正報の功徳荘厳は、我が心の中に有って片時も離るることなき三身即一の本覚の如来にて、この外には法無し。この一法ばかり十方の浄土に有って、余法有ることなし。故に「無分別の法」と云うはこれなり。」(総勘文抄 新709-10頁・全561頁)
現代語訳:一代聖教の教主である釈迦如来は、一切経を説き、それを勘文して、「三世の諸仏が同様に、一つの言葉と一つの心で考えられた説法の儀式ですので、我もこの様に三世の諸仏と一言も違わない説教の順序を踏んだのです」と述べています。方便品には「三世の諸仏の説法の儀式の如く、我も今亦是くの如く無分別の法を説くのです」とあります。無分別の法(心で推量思惟できない、善悪・三乗等に差別しない、普遍的な法、つまり諸法実相の妙理のこと)とは一乗の妙法です。善悪を分別することなく、草木にも、樹林にも、山河にも、大地にも、一微塵の中にも、それぞれが十法界の法を具足しています。我が心中の妙法蓮華経の一仏乗の法は十方の浄土にあまねく行き渡って、及ばない場所は無いのです。また十方の浄土の依報と正報との功徳にあふれた荘厳な姿は、我が心の中に収まって瞬時も離れることが無いのです。我が身は、そういう三身即一の本覚の如来であって、この他には、仏の法はないのです。この一法だけが十方の浄土にあって、他の法はない。これを無分別の法というのです。
※日蓮仏法は「我が身が三身即一の本覚の如来である」と説く無分別の法なのです。


「二に自行の法とは、これ法華経八箇年の説なり。この経は寤の本心を説きたもう。ただ、衆生の思い習わせる夢の中の心地なるが故に、夢の中の言語を借りて寤の本心を訓うるなり。故に、語は夢の中の言語なれども、意は寤の本心を訓う。法華経の文と釈との意かくのごとし。これを明らめ知らずんば、経の文と釈の文とに必ず迷うべきなり。ただし、この化他の夢の中の法門も寤の本心に備われる徳用の法門なれば、夢の中の教えを取って寤の心に摂むるが故に、四十二年の夢の中の化他・方便の法門も妙法蓮華経の寤の心に摂まって、心の外には法無し。これを法華経の開会とは云うなり。譬えば衆流を大海に納むるがごときなり。仏の心法妙と衆生の心法妙と、この二妙を取って己心に摂むるが故に、心の外に法無きなり。己心と心性と心体との三つは、己身の本覚の三身如来なり。」(総勘文抄 新710頁・全561頁)
現代語訳:第二の自行の法とは、(釈尊の一代五十年の説法中で最後の)八年間の法華経の説の事です。この経は仏の寤の本心を説かれたのです。ただ衆生が夢の中の心地に思い慣れているので、その夢の中の言語を借りて寤の本心を教えたのです。従って、言葉は夢の中の言語であるけれども、意は寤の本心を説き教えているのです。法華経の文とその釈の本意はこういう事です。この事を明らかに知っていかなければ経の文と釈の文とに必ず迷うのです。ただし、この化他のために説いた夢の中の法門も寤の仏の本心に備わった徳用の法門であり、その夢の中の教えをとって寤の本心に収めるのですから、四十二年の夢の中の化他方便の法門も妙法蓮華経の寤の心に収まって、妙法蓮華経の心の外には法はないのです。これを法華経の開会というのです。たとえば衆流を大海に納める様なものです。仏の心法妙と衆生の心法妙と、この二妙を取って、ともに己心の中に摂めるているので、心の外には法はないのです。己心と心性と心体との三つは、己身の本覚の三身如来なのです。
※自行の法を持つ己身の本覚の三身如来とは、誰の事なのか。


「極楽とは、十方法界の正報の有情と十方法界の依報の国土と和合して一体なり。三身即一・四土不二の法身の一仏なり。十界を身となすは法身なり。十界を心となすは報身なり。十界を形となすは応身なり。十界の外に仏無く仏の外に十界無くして、依正不二なり、身土不二なり。一仏の身体なるをもって寂光土と云う。この故に無相の極理とは云うなり。生滅無常の相を離れたるが故に無相と云うなり。「法性の淵底、玄宗の極地」なり。故に極理と云う。この無相の極理なる寂光の極楽は、一切有情の心性の中に有って清浄・無漏なり。これを名づけて『妙法の心蓮台』とは云うなり。この故に、『心の外に別の法無し』と云う。これを『一切法は皆これ仏法なりと通達し解了す』とは云うなり。」(総勘文抄 新712頁・全563頁)
現代語訳:極楽とは、十方法界の正報の有情と十方法界の依報の国土とが和合した一体をいうのです。三身即一身の境界を指し、四土(四種の国土、①凡聖同居土・②方便有余土・③実報無障礙土・④常寂光土のこと)は不二であって法身の一仏の身に納まるのです。十界を身とするのが法身であり、十界を心とするのが報身であり、十界を形とするのが応身です。十界の外に仏は無く、仏の外に十界は無いのであって、依正は不二であり身土(身:活動の主体である衆生の身体、土:衆生がすんでいる国土)も不二なのです。十方法界が一仏の身体であるから寂光土というのです。だから、無相の極理というのです。生滅無常の相を離れているので無相というのです。「法性の淵底・玄宗の極地」であるゆえに極理というのです。この無相の極理である寂光の極楽は、一切有情の心性の中にあって清浄で煩悩を離れた境界です。これを名づけて「妙法の心蓮台(衆生の心は本来清浄であることを蓮台に譬えた、仏性のこと)」というのです。だから、心の外に別の法はないというのであり、これを知るのを「一切法は全てこれ仏法であると通達し解了する」というのです。
※西方十万億土の阿弥陀仏が常住しているという極楽浄土は方便であり、架空であり、現実には天国と同様、存在しないのです。真の極楽浄土は、他の御書にも
「浄土といい穢土というも、土に二つの隔てなし、ただ我らが心の善悪によると見えたり。」(一生成仏抄 新317頁・全384頁)
「浄土というも、地獄というも、外には候わず。ただ我らがむねの間にあり。これをさとるを仏という。これにまようを凡夫と云う。これをさとるは法華経なり。」(上野殿後家尼御返事 新1832-3頁・全1504頁)とあります。
この御文での極楽浄土は、“正報の有情(衆生)と依報の国土(娑婆世界)が和合して一体となる”とあり、各家庭の御本尊に向かって唱題する私達学会員の姿であり場所ではないでしょうか。


「善に背くを悪と云い、悪に背くを善と云う。故に、心の外に善無く悪無し。この善と悪とを離るるを無記と云うなり。善・悪・無記、この外には心無く、心の外には法無きなり。故に、善悪も、浄穢も、凡夫・聖人も、天地も、大小も、東西南北・四維・上下も、言語の道断え、心行の所滅す。心に分別して思い言い顕す言語なれば、心の外には分別も無分別も無し。言と云うは、心の思いを響かして声を顕すを云うなり。凡夫は我が心に迷って、知らず覚らざるなり。仏はこれを悟り顕して神通と名づくるなり。」(総勘文抄 新713頁・全563頁)
現代語訳:善に背くのを悪といい、悪に背くのを善と言います。だから心の外に善はなく、悪もないのです。この善と悪とを離れるのを無記というのです。善と悪と無記と、この外には心はなく、心の外には法はないのです。故に、善悪も浄穢(清い浄土と汚い穢土)も凡夫と聖人も天地も大小も東西も南北も四維も上下も、全て言語の道は断え、心行も所滅するのです。心で分別した思いを言い表すのが言語ですから、心の外には分別も無分別もない。言葉というのは心の思いを響かせて声に表したものをいうのです。凡夫は自身の心に迷ってそれを知らず悟らないのです。仏はこの心の働きを悟りあらわして、神通と名づけたのです。
※心の働きに迷えば凡夫、悟れば聖人・仏であり、悟りに顕した時、神通と呼ばれるのですね。


「一代聖教とは、この事を説きたるなり。これを八万四千の法蔵とは云うなり。これ皆ことごとく一人の身中の法門にてあるなり。しかれば、八万四千の法蔵は我が身一人の日記文書なり。この八万法蔵を我が心中に孕み持ち、懐き持ちたり。我が身中の心をもって、仏と法と浄土とを我が身より外に思い願い求むるを迷いとは云うなり。この心が、善悪の縁に値って善悪の法をば造り出だせるなり。(中略)心の不思議をもって経論の詮要となすなり。この心を悟り知るを名づけて如来と云う。これを悟り知って後は、十界は我が身なり、我が心なり、我が形なり。本覚の如来は我が身心なるが故なり。これを知らざる時を名づけて無明となす。無明は『明らかなることなし』と読むなり。我が心の有り様を明らかに覚らざるなり。これを悟り知る時を名づけて法性と云う。故に、無明と法性とは一心の異名なり。名言は二つなりといえども、心はただ一つ心なり。これに由って、無明をば断ずべからざるなり。夢の心の無明なるを断ぜば、寤の心を失うべきが故なり。総じて円教の意は一毫の惑をも断ぜず。故に、『一切法は皆これ仏法なり』と云うなり。」(総勘文抄 新713-4頁・全563-4頁)
現代語訳:一代聖教とはこの事(仏の心の一法)を説いているのです。これを八万四千の法蔵と言うのです。これは全てにわたり釈尊一人の身中の法門なのです。従って八万四千の法蔵は我が身一人の日記の文書なのです。この八万法蔵を我が心の中に孕み、懐き持っているのです。(それなのに)我が身中の心で、仏と法と浄土とを我が身より外にあると思い、外に願い求めていくのを迷いというのです。この心が善悪の縁に値って、善悪の法を作り出しているのです。(中略)この心の不思議を説き明かすことを経論の肝要としているのです。この心を悟り知った人を名づけて如来というのです。これを悟り知ってみると、十界は我が身であり我が心であり我が形なのです。それは本覚の如来は我が身心であるからです。これを知らない時を名づけて無明とするのです。無明とは「明らかなること無し」と読むのです。我が心のありさまを明らかに覚らないからです。これを悟り知る時を名づけて法性という。故に無明と法性とは一心の異名です。名と言とは二つであるけれども心はただ一つの心なのです。だから無明を断じてはならないのです。無明である夢の心を断じてしまえば寤の心をも失ってしまうからです。全体として円教の意は一毫の惑(わずかな煩悩)をも断じないのです。だから「一切の法は皆これ仏法である」というのです。
※補足:己身本覚の三身如来とは、「己心」が現実にあらわれている自分の心で「如是相・応身如来」に当り、「心性」がその自分の生命の性分で「如是性・報身如来」に当り、「心体」が自分の生命の体で「如是体・法身如来」に当ると拝されます。


「この十法界は一人の心より出でて、八万四千の法門と成るなり。一人を手本として一切衆生平等なること、かくのごとし。三世の諸仏の総勘文にして、御判たしかに印したる正本の文書なり。」(総勘文抄 新714頁・全564頁)
現代語訳:この十法界は一人の心から生み出されて八万四千の法門となったのです。(この様にこの法門は、)一人を手本として一切衆生に平等にあてはまるのです。これは三世の諸仏の総勘文であって御判をたしかに押した正本の文書なのです。
※仏法の法則は、生命の変革を成し遂げた一人が手本となって万人に通じると仰せなのです。


「我らは迷いの凡夫なりといえども、一分の心も有り解も有り、善悪を分別し、折節を思い知る。しかるに、宿縁に催されて、生を仏法流布の国土に受けたり。善知識の縁に値いなば因果を分別して成仏すべき身をもって、善知識に値うといえども、なお草木にも劣って、身中の三因仏性を顕さずして黙止せる謂れあるべきや。この度必ず必ず生死の夢を覚まし、本覚の寤に還って生死の紲を切るべし。今より已後は、夢の中の法門を心に懸くべからざるなり。三世の諸仏と一心と和合して妙法蓮華経を修行し、障り無く開悟すべし。自行と化他との二教の差別は鏡に懸けて陰り無し。三世の諸仏の勘文かくのごとし。」(総勘文抄 新729頁・全574-5頁)
現代語訳:私達は迷いの凡夫であるとはいっても、一分の心もあり、理解する力もあり、善悪をも分別し、時節を考え知ることもできます。ところが、宿縁に促されて、生を仏法流布の国土に受けたのです。善知識の縁に値えば、因果を分別して成仏できる身なのに、善知識に値っても、草木にも劣って、身中の三因仏性をあらわさずにそのままにしてしまう理由があるでしょうか。このたび、必ず必ず、生死の夢を覚まして本覚の寤に還って生死の紲を切るべきです。今から以後は、夢の中の法門を心にかけてはいけません。三世の諸仏と我が一心が、和合して妙法蓮華経を修行し、障りなく開悟すべきなのです。自行と化他との二教の差別は、鏡に懸けて曇りはないのです。三世の諸仏の勘文はこの通りです。
※本来の勘文は朝廷に上申する意見書を言いますが、本抄の総勘文とは、三世の諸仏が一同に勘え究めた究極の教法を説いた文です。日蓮大聖人は、化他方便の権教を廃し、自行真実の法を説いた法華経を立てる事が三世諸仏の判断であるとされています。


◎三世諸仏の説法の儀式として、化他方便の権教を廃し、自行真実の万人成仏の法華経を立て、後世の仏法流布の国土に生まれた私達に世界広宣流布を託されたのですね。


[79]

題名:フェイク 第1766号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/05/28(火) 19:51 2607:f7a0:1b:e000:3253:36da:a2bf:2bc6(IPv6:) (2607:f7a0:1b:e000:3253:36da:a2bf:2bc6)

(発行=24.05.25)

「法道院は日蓮正宗じゃない」
日顕も見抜いていた、妙観講は謀略の産物 ㊦
「主管は良心が通じない、二枚舌」と批判

大草一男の一派が法道院を離籍した直後に発刊した「法道院信徒二〇九名 離
籍の真相」(昭和五十三年一月二十五日刊)では、法道院の主管・早瀬日慈(故
人)ら関係者に対する痛烈な非難中傷の記事を掲載したことは前号で触れたが、
その中で早瀬一族を愚弄し、その登座を強く否定していた箇所がある。

それは当時、法道院第四部長であった阿部徳雄指導員が、大草の手下に語った
話に対する反論として記していた。

阿部指導員が大草の部下に「あなた達はエゴで動いているような気がするよ」
と大草らの不審な動きについて疑問を呈していたことが記され、その後の箇所
に「『早瀬一族から次の猊下がでるのは当然の事だ』など、とても信じられぬ
発言が阿部氏よりあった」と、書いているのだ。

つまり、阿部氏が「早瀬家の僧が猊下になる」旨、語ったのに対し、大草らは
「とても信じられない」と否定したのである。

だが、皮肉にも、この大草一派が否定した早瀬日慈の長男である日如が現在、
大僧正の法主、管長職に就いている。大草らは墓穴を掘ったのである。

 また、大草一派は法道院を離籍後も日慈をはじめ関係者に罵詈雑言を浴びせ
ていた。特に、機関誌「暁鐘」では痛烈な批判をしていた。

本号では昭和五十三年十月号の「暁鐘」に掲載された座談会「広布の波涛」(
下)の中から主な内容を紹介する。妙観講の幹部が、これだけ法道院と日如の
父親を批判すれば、大草が大講頭に再任されないのは当然との声がある。

ここに登場する第一部長とは佐藤栄子、第二部長は佐藤せい子(現副講頭)、第
四部長は大草の妻・佐藤晴美である。

座談会では法道院に対する痛烈な非難中傷と嘲笑の羅列である。以下、紙面の
関係で抜粋して紹介する。

第二部長「本当に、法道院という所は校正ミスがお得意な所ですね。(一同、
大爆笑)」

第一部長 本当にこれから嫌な所を去って(笑い)もう、本当に悠々と楽しく
信心ができるんだと思うと、バスの中でお話を聞いて、ホッとしたと同時に涙
が込み上げてきました。

第一部長 法道院主管の最後の良心を信じ、かつまた御僧侶の尊厳を守り抜く
ために、最後まで録音テープを公表しないつもりでいた総部長は、猊下様をも
欺こうという謗法行為に、「あんまりじゃないか」と声を震わせて泣いていま
した。

第四部長 それで、とうとう録音された事実を「離籍の真相」として発刊され
たのですね。良心とか信条とかが通じる相手なら、録音テープを使用する必要
もなかったでしょうね。

倉持信吾 本当に許せないことだと思います(中略)二枚舌ですよ。

中山幸雄 今、法道院の姿を見た時に妙信講そっくりではないですか。

中山 法道院にいた時は、主管から、現代の広宣流布の姿ではないとの理由で
邪宗破折に行かないようにという指導をうけていました。

一同 (驚きの声)おかしいですねェ。

第一部長 日蓮正宗じゃないですよ。それは。

第二部長 本当に離籍できてよかったですね。




[78]

題名:フェイク 第1765号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/05/28(火) 19:49 2607:f7a0:1b:e000:3253:36da:a2bf:2bc6(IPv6:) (2607:f7a0:1b:e000:3253:36da:a2bf:2bc6)

(発行=24.05.24)

早瀬日慈を総監辞任に追い込む
日顕も見抜いていた、妙観講は謀略の産物 ㊥
「法之道」の記事の言葉尻とらえ難癖

日蓮正宗の法華講支部の一つである妙観講の講頭・大草一男とその一派が日慈
を誹謗中傷した事実は数多いが、特筆すべきは「本従の師」に関する難癖であ
る。

学会を脱会して法道院の法華講に潜り込んだ大草は、仲間を増やして講中を牛
耳る立場になりたいと考え、その機を窺っていた。

折しも、法道院の機関紙「法之道」の昭和五十二年八月一日号に「日蓮大聖人
の仏法を教え、導いてくれる『本従の師』御主管……」の文字があった。

これを見た大草が「攻撃材料を見つけた」と大喜び。本従の師とは御本仏だか
ら「主管本仏論の動かぬ証拠」と糾弾の狼煙を上げ、当時の青年部幹部らと共
謀して騒ぎを大きくしていった。

騒ぐだけ騒いだ大草は、同年十二月二十七日に法道院宛てに「離籍届」を郵送
した。

そして同月三十日には当時の日達法主に「法道院と主管の早瀬日慈は大謗法で
す」「私は猊下様にご奉公致します」云々と涙ながらに訴えたという。実に名
演技だったと言う人もいる。

こうして大草一派は「理境坊東京支部」として出発することになった。妙観講
になったのは昭和五十五年八月である。

一方、法道院側は「法之道」昭和五十三年一月一日号に「お詫び」記事(下記
の資料を参照) を掲載させられた。

これに加えて、日慈は終生、忘れられない屈辱的な出来事で追い討ちを掛けら
れたのであった。

昭和五十三年一月二十五日に大草が編集並発行者となって「法道院信徒二〇九
名 離籍の真相」という小冊子を発行。

その「まえがき」で大草は「法道院宛に郵送した離籍届(内容証明書)の中に
おいてすら、離籍の真の理由については『今般、考えるところあって』とのみ
記して、すべてを公にすることを避けたのであった。

これ、ひとえに大恩ある法道院と、法道院主管・日蓮正宗総監早瀬日慈尊能化
の権威・威光を傷つけ汚したくなかったがためである」と書いている。

この表現は日慈を十分、傷つけている。そのうえ、法道院の血脈観、師弟論は
間違っていると非難。「本従の師」については「単なる『校正ミス』ですむ問
題であろうか。

それも問題の記事掲載以来、半年近くもたってから『校正上の手違いから……』
などと、ふざけるのもいい加減にしていただきたい」等と激しく批判していた。

更に、同年春、大石寺に全国の 末寺住職が集まった際、この「離籍の真相」
を日達法主の指示で、一人一人に手渡しで配布させられたのが日慈本人であっ
た。

自分の悪口を書いた小冊子を配って歩く――これ程の屈辱があろうか。配布す
る日慈の手は小刻みに震え、目は充血していたという。

まさしく中国の前漢の武将・韓信の「股くぐり」にも似た恥辱を受けた日慈は、
いたたまれず総監を辞任した。 (つづく)


[77]

題名:フェイク 第1764号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/05/28(火) 19:47 2607:f7a0:1b:e000:3253:36da:a2bf:2bc6(IPv6:) (2607:f7a0:1b:e000:3253:36da:a2bf:2bc6)

(発行=24.05.23)

大草一男は大講頭に再任されず
日顕も見抜いていた、妙観講は謀略の産物 ㊤
今更、日如に媚び諂っても後の祭り

日蓮正宗大石寺塔中・理境坊所属の妙観講講頭の大草一男は平成十六年、日顕
によって登用され、法華講大講頭になっていたが、この度の人事では再任され
なかった。

この度、法華講大講頭の辞令を受けたのは渡辺定元( 大石寺総代)、関野洋
夫( 法華講連合会委員長)、矢澤正人( 同副委員長)の三人。渡辺と関野は
再任、矢澤は新任である。

 大講頭の任期は令和四年三月に全員の任期が終了、翌四月には全員が再任さ
れるのが慣例であるが、この年は大講頭の人事は見送られた。そのため、妙観
講の宿敵である顕正会は「大草が大講頭解任」と狂喜していた。

それに対し、謀略紙「慧妙」の事実上の編集責任者である大草は、同紙で「解
任ではなく、任期が満了した。現在は空位というのが正しい」と弁解していた。
大草は当然、再任されると思っていたのだろう。

 しかし、気の毒なことに大草の目論見は外れた。

大草としては「慧妙」紙上で顕正会や学会の脱会者の体験を載せるなど妙観講
が頑張っていると宗内に盛んに宣伝していたので再任されると思い込んでいた
ようだ。

 それでは、大草は何故、再任されなかったのか? その背景を探り、簡単に
解説すると、現在の不相承の法主・早瀬日如が、父親である日慈(総監で法道
院主管、平成五年に死去) に煮え湯を飲ませて法道院を離籍し、そのうえ総監
を辞任に追い込んだ張本人が大草だと知っているからだ。

 したがって、大草が今更、「慧妙」を使って日如に媚び諂っても、日如は親
の仇である大草に対する恨みは消えることがないのだ。

それらの事情については左記の「河辺メモ」に次のような興味深い記述が残さ
れている。

「早瀬部長、早瀬義純、河辺面談

河辺=顕正新聞に大草(法道院法花講を脱講し、妙観講を作る)の事が出ている。

早瀬寛=1、大草問題の時、現猊下から電話があり『これは謀略だ』と云って
いた。

2、あの時、師匠(早瀬の慈父 弟子、法道院主管・重役)に『大草と戦います
か』と聞いたら、師匠は『争わない』と云ったので、大草のなすがままに任せ
た。

今の大草は、その因果応報、あの時(大草問題)の真相を浅井が代弁している」

以上のように記されている。大草一派が法道院を離籍し、妙観講を作ったのは
「謀略」だったと、日顕も日如らも熟知していたのだ。

日顕や日如らが見抜いていた大草の謀略については、次号で述べる。(つづく)




[76]

題名:

名前:鶏の足は…

MAIL 投稿日: 2024/05/08(水) 20:39 118.103.63.151 (118.103.63.151)

テスト

無印板のほうは管理者による投稿承認制になったのかな?


[75]

題名:師匠と我らとの関係 12(御義口伝 下巻)

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/05/03(金) 10:48 2001:ce8:127:e3a4:e876:d7d2:ae2e:d041(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:e876:d7d2:ae2e:d041)

師匠と我らとの関係 12(御義口伝 下巻)


御義口伝 下巻 における弟子との関係 


「『如来』とは釈尊、総じては十方三世の諸仏なり、別しては本地の無作の三身なり。今、日蓮等の類いの意は、総じては「如来」とは一切衆生なり、別しては日蓮の弟子檀那なり。されば、無作の三身とは、末法の法華経の行者なり。無作の三身の宝号を、『南無妙法蓮華経』と云うなり。寿量品の事の三大事とは、これなり。六即の配立の時は、この品の如来は理即の凡夫なり。頭に南無妙法蓮華経を頂戴し奉る時、名字即なり。その故は、始めて聞くところの題目なるが故なり。聞き奉って修行するは、観行即なり。この観行即とは、事の一念三千の本尊を観ずるなり。さて、惑障を伏するを、相似即と云うなり。化他に出ずるを、分真即と云うなり。無作の三身の仏なりと究竟したるを、究竟即の仏とは云うなり。総じて伏惑をもって寿量品の極とせず。ただ凡夫の当体、本有のままを、この品の極理と心得べきなり。無作の三身の所作は何物ぞという時、南無妙法蓮華経なり云々。」(御義口伝 下 新1048頁・全752頁)
現代語訳:如来とは釈尊のことであり、全体としては十方三世のあらゆる諸仏に通ずるのです。個別に見れば本地の無作の三身(即ち久遠元初の凡夫即極の本仏)の事です。今、日蓮及びその門下の意で論じれば、全体を通して言えば、如来は一切衆生なのです。別して(事の上で論じれば)、日蓮及びその弟子檀那の事なのです。そうであれば、無作の三身とは、末法の法華経の行者(即ち末法に全民衆救済のために出現された御本仏日蓮大聖人)の事なのです。この無作の三身(即ち日蓮大聖人)の宝号を、南無妙法蓮華経というのです。寿量品の「事の三大事(即ち内証の寿量品に顕わされた事の一念三千の当体たる本門の本尊・本門の題目・本門の戒壇の三大秘法)」とはこの事なのです。(南無妙法蓮華経如来寿量品の立場から如来を)六即に配立すれば、この品の如来は、理即の凡夫なのです。(凡夫の身を離れて如来はないのです。)(これはまだ理の上であり、)私達が御本尊を戴いた時は、名字即です。理由は、初めて題目を聞き信受したからです。聞き敬って更に(御本尊を受持し)修行していく事は観行即です。この観行即とは、事の一念三千の本尊を観じる、即ち信受する事です。さて、惑障(私達の様々な心の迷い、悩み、三障四魔、三類の強敵)に打ち勝っていく事を、相似即というのです。化他(広宣流布に向い折伏行に邁進する)を行う事を、分身即というのです。わが身が無作の三身であると究竟する(生命の奥底に無作三身如来なりと覚知する)事ができた時、これを究竟即の仏というのです。全体を通して言えば、伏惑(歴劫修行により、次第に惑いを伏し仏果を得る)ではなく、寿量品の根本は、凡夫の当体そのままで究竟即、即無作三身如来の真実の幸福境涯を会得していく事なのです。これが、この品の極理であると心得るべきです。この無作三身如来の振舞いは何かと言えば、南無妙法蓮華経以外にないのです。
※如来寿量品の「如来」とは、久遠本果の三身(即ち色相荘厳の仏)ではなく、本地無作の三身、即ち久遠元初の自受用身を言い、久遠は今にあり今は久遠だと言うのです。久遠元初の自受用身とは、これ末法の御本仏日蓮大聖人であらせられ、末法今時、内証の寿量品の如来とは、日蓮大聖人の御事です。文上の寿量品は、釈尊が、いつ、どこで、どの様にして仏に成ることができたかを明かし、それによって釈尊自身の生命の上に、常住の生命を説き明かしたものでした。しかし文底では、此処に「寿量品の事の三大事」が述べられている事を明らかにされたのです。


「無作三身の依文なり。この文において重々の相伝之有り。『神通之力』とは、我ら衆生の作々発々と振る舞うところを『神通』と云うなり。獄卒の罪人を苛責する音も、皆『神通之力』なり。生住異滅森羅三千の当体、ことごとく『神通之力』の体なり。今、日蓮等の類いの意は、即身成仏と開覚するを、『如来秘密・神通之力』とは云うなり。成仏するより外の『神通』と『秘密』とはこれ無きなり。この無作の三身をば、一字をもって得たり。いわゆる『信』の一字なり。よって、経に云わく「我等当信受仏語(我らは当に仏の語を信受したてまつるべし)」。『信受』の二字に意を留むべきなり。」(御義口伝 下 新1049頁・全752-3頁)
現代語訳:(「如来秘密・神通之力」とは)無作の三身の依文です。この文において重々の相伝があります。「神通之力」とは、私達衆生が、瞬間・瞬間に活動していること自体を神通といい、その力用が神通之力なのです。従って、獄卒を苛責する音も皆神通之力なのです。生じ、住し、変化し、滅していく森羅三千の現象の当体は、全て神通之力の本体なのです。今、日蓮及び門下の元意でいえば、即身成仏と開覚する事を如来秘密神通之力というのです。即ち、南無妙法蓮華経如来の秘密の神通之力となるのです。成仏すること以外に神通も秘密もありえないのです。この無作の三身を開覚していく事で一字を用いて得ることができるのです。いわゆる「信」の一字です。故に経に「私達が、真に、仏の言葉を信受し敬わなければならない」と。この「信受」の二字に心を留めるべきなのです。
※この妙法を信受し、人間革命(即身成仏)ができると自覚することが、南無妙法蓮華経如来の秘密の神通之力なのですね。


「この本尊の依文とは、『如来秘密・神通之力』の文なり。戒・定・慧の三学は、寿量品の事の三大秘法これなり。日蓮たしかに霊山において面授口決せしなり。本尊とは、法華経の行者の一身の当体なり云々。」(御義口伝 下 新1059頁・全760頁)
現代語訳:この本尊の依文になっているのは、寿量品にある「如来秘密神通之力(如来の秘密、神通の力)」の文です。戒定慧の三学(の究極)は、寿量品に説かれている「事の三大秘法」がその実体なのです。日蓮は、たしかに霊鷲山において(三大秘法の)面授口決を受けたのです。従って、本尊とは、末法の法華経の行者(即ち御本仏日蓮大聖人)の一身の当体なのです。
※日蓮大聖人は、ご自身を御本仏とは明言されていませんが、この御文が「末法の御本仏である証拠」の一つなのです。


「『自』とは、九界なり。『我』とは、仏界なり。この十界は本有無作の三身にして来る仏なりと云えり。自も我も得たる仏来れり。十界本有の明文なり。『我』は法身、『仏』は報身、『来』は応身なり。この三身、無始無終の古仏にして『自得』なり。『無上宝聚 不求自得(無上の宝聚は、求めざるに自ずから得たり)』これを思うべし。しからば則ち『本の遠寿を顕す』の説は永く諸教に絶えたり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、『自我得仏来』の行者なり云々。」(御義口伝 下 新1054頁・全756頁)
現代語訳:自我得仏来の自とは九界であり、我とは仏界なのです。(自我で十界を意味し、)この十界は、本有(本来ありのままに存在、又は元々備わっていること)無作三身の仏にして本然のものであり、この十界互具の当体として末法に出現した仏のことを、自も我も得たる仏が来るというのです。(自即ち九界も、我即ち仏界も共に具有した仏が末法に出現したとは、)十界が本有であること事を示した明文なのです。「我」は(三世常住に続きゆく仏の生命それ自体であり)、法身です。「仏」とは(九界より湧現する随縁真如の智であり)、報身です。「来」とは(刻々と移りゆく色法の活動であり)、応身です。この三身は、無始無終の古仏たる久遠元初自受用身如来に本来具わったものであり、他から与えられたものではなく、自ら体得されたもの「自得」なのです。信解品の「無上宝聚不求自得(無上の宝聚は、求めないのに自から得られたり)」の文も、実はこの事を意味するのです。(即ち、無上宝聚とは無作三身のことであり、南無妙法蓮華経のことです。これを求めずして得るとは、無作の三身の境地は、決して他から与えられたものではなく、自得されたことを意味するのです。)従って、寿量品の文底に説かれた久遠元初の「顕本遠寿」の説は、永く諸経には説かれてはいないのです。今、日蓮及びその弟子門下、南無妙法蓮華経を唱える者こそが、「自我得仏来」の行者なのです。
※私達、日蓮門下、地涌の菩薩の眷属は、「自我得仏来」の行者なのですね。


「今、日蓮の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、『六根清浄』なり。されば、妙法蓮華経の法師と成って大いなる徳(さいわ)い有るなり。『功』も幸いということなり。または、悪を滅するを『功』と云い、善を生ずるを『徳』と云うなり。『功徳』とは、即身成仏なり。また『六根清浄』なり。法華経の設文のごとく修行するを、『六根清浄』と意得るべきなり云々。」(御義口伝 下 新1062頁・全762頁)
現代語訳:今、日蓮及びその弟子達、南無妙法蓮華経と唱える者は、「六根清浄」となるのです。そうであれば、妙法蓮華経の法師(即ち御本尊に自行化他にわたって行じる師)と成って大きな徳を積むのです。功は幸ということです。または悪が滅していくのを「功」といい、善が生じるのを「徳」というのです。「功徳」とは即身成仏であり、また六根清浄です。法華経の説文通りに修行する事により、その身のまま六根が清浄に成るのだ、と心得ていきなさい。
※理由もなく物事を批判することは、「六根清浄」では無く、「功徳」でも無いと自覚していきましょう。


「末法の『仏』とは、凡夫なり、凡夫僧なり。『法』とは、題目なり。『僧』とは、我ら行者なり。仏とも云われ、また凡夫僧とも云わるるなり。『「深く円理を覚る。これを名づけて仏となす』の故なり。『円理』とは、法華経なり云々。」(御義口伝 下 新1067頁・全766頁)
現代語訳:末法の仏とは凡夫であり、凡夫僧なのです。(「法を聞かず」という)この法とは題目なのです。(「僧を見ず」という)僧とは、私達、(三大秘法の南無妙法蓮華経を唱え、実践する)行者のことです。(内証の辺について言えば、即、本有無作の)仏と言われ、(外用の辺について言えば、)凡夫といわれるのです。これは「深く円理を覚る。これを名づけて仏となす[深覚円理名之為仏]」との御文が理由であり、円理(【円教の理】の略)とは法華経(即ち三大秘法の南無妙法蓮華経)です。(故に、この三大秘法の南無妙法蓮華経を深く信じ、覚る者が、仏なのです。)
※円教とは円融円満・完全無欠の教えを意味し、天台大師は、自身が立てた化法の四教(蔵・通・別・円)のうち、第四の円教として法華経を円教と定義されたのです。


「本門の心は無作の三身を談ず。この無作の三身とは、仏の上ばかりにしてこれを云わず。森羅万法を自受用身の自体顕照と談ずるが故に、迹門にして不変真如の理円を明かすところを改めずして、己が当体、無作の三身と沙汰するが、本門の事円の三千の意なり。これ即ち桜梅桃李の己々の当体を改めずして無作の三身と開見すれば、これ即ち『量』の義なり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、無作の三身の本主なり云々。」(御義口伝 下 新1090頁・全784頁)
現代語訳:本門の元意は、無作の三身を説き表しているのです。この無作三身とは、単に仏の事ばかりを述べているのではないのです。一切の森羅万象を自体顕照(対境としての万法の本体[自体]を照らし、真理を顕現すること)の姿と説かれており、迹門において説かれている不変真如の理円を、そのまま改めないで、おのおのの当体がそのまま無作三身と顕現していくのです。これが本門事の一念三千の元意なのです。つまり、桜は桜、梅は梅、桃は桃、李は李と、おのおのの当体を改めずして、そのままの姿で無作三身と開見していくのです。これこそ一切の特質を認めることであり、量の義なのです。今、日蓮及びその弟子達、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、全て無作三身の本主なのです。
※創価学会SGIは、社会的立場も違う個性豊かな創価学会員の集まりで構成されています。私達は、人権を尊重し、争いの原因を他人のせいにせず、真の世界平和実現を目指して行動しましょう。


◎本抄と同時期に、大聖人の法華経講義を筆記された日向上人の「御講聞書(新1120頁・全804頁、日向記ともいう)」がありますが、御義口伝と比較して内容の深さに天地雲泥の開きがあります。御義口伝は、法華経の項目ごとに端的に記載されていますが、どれも深い内容の重要御文ばかりです。掲載する御文を選択するのに大変苦労しましたが、もし、ご期待の御文が無い場合は、事情を察して頂いてご容赦ください。


[74]

題名:師匠と我らとの関係 11(御義口伝 上巻)

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/04/22(月) 13:05 2001:ce8:127:e3a4:2cee:544d:9d78:4772(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:2cee:544d:9d78:4772)

師匠と我らとの関係 11(御義口伝 上巻)


御義口伝 上巻 における弟子との関係 

御義口伝は、日蓮大聖人が晩年(建治及び弘安期)に法華経の要文について講義され、日興上人が筆録され、大聖人の允可を得て後世に伝えられたとされています。まさに本書は、日蓮仏法の奥義書であると共に弟子に遺しおかれた指導書でもあるのですね。重要御文ばかりなので、上巻、下巻の2回に分けて紹介します。


「不信の人は『如是我聞』の『聞』にはあらず。法華経の行者は、『如是』の体を聞く人と云うべきなり。ここをもって文句の一に云わく『【如是】とは信順の辞なり。信ずれば則ち所聞の理会し、順ずれば則ち師資の道成ず』。詮ずるところ、日蓮等の類いをもって『如是我聞』の者と云うべきなり云々。」(御義口伝 上 新986頁・全709-10頁)
現代語訳:(仏法)不信の人は、如是我聞の聞ではありません。(何故ならば、如是の体を聞かぬからです)法華経の行者のみが、如是の体を聞く人といえるのです。ここをもって、天台大師の法華文句の一に「如是とは信順のことばである。信ずることによって所聞の理、すなわち一念三千の法理を会得することができるのであり、順ずれば師弟の道を成じ、自らも、仏界を現ずることができるのである」とあります。つまり、日蓮及びその弟子こそが、如是我聞の人と言うべきです。
※師匠の言葉に信順する人こそが、如是我聞の人なのですね。


「『一』とは中道、『大』とは空諦、『事』とは仮諦なり。この円融の三諦は何物ぞ。いわゆる南無妙法蓮華経これなり。この五字は、日蓮出世の本懐なり。これを名づけて事となす。日本国の一切衆生の中に日蓮が弟子檀那と成る人は、『衆生にこの機有って仏を感ず。故に名づけて【因】となす』の人なり。それがために法華経の極理を弘めたるは、『機を承けて応ず。故に名づけて【縁】となす』にあらずや。『因』は下種なり。『縁』とは、三・五の宿縁に帰するなり。事の一念三千は、日蓮が身に当たっての大事なり」(御義口伝 上 新998-9頁・全717頁)
現代語:「一」とは、中道法相で中諦、「大」とは(生命が大宇宙に遍満しているということで)空諦、「事」とは(事実の相、行動で)仮諦です。(この三諦がバラバラでなく、渾然一体となっている実体、即ち)円融の三諦とは何なのでしょうか。それがいわゆる南無妙法蓮華経なのです。この南無妙法蓮華経の五字は、日蓮の出世の本懐なのです。これ(事行の一念三千の大曼荼羅)を名づけて「事」というのです。日本国の一切衆生の中でも、日蓮の弟子檀那となる人は、法華文句にある「衆生に此の機根が有って仏を感じる。故に名付けて此の因とする」人なのです。その為に法華経の極理たる南無妙法蓮華経を弘める日蓮は、(まさに末法の本仏であり)「仏は機[機根]を承けて而も応じる。故に名けて縁とする」に当るのではないでしょうか。「因」とは(久遠元初の)下種です。「縁」とは三(三千塵点劫)、五(五百塵点劫)の宿縁に帰するのです。(故に釈迦仏法においては、三千塵点劫の下種、五百塵点劫の下種と云いますが、それは単なる縁にすぎないのであって、一切衆生はことごとく久遠元初の下種に立ち還って成仏するのです。日蓮が、その久遠元初の下種である南無妙法蓮華経を末法に弘められたのです。)これこそ事の一念三千であり(それは日蓮の生命そのものであり)日蓮の身に当たる大事なのです。
※私達創価学会員は、自身に仏心が有る事を自覚し(因)、仏(日蓮大聖人)が用意した仏道修行法(縁)により、人間革命(成仏)を目指し行動しているのですね。


「この『如我等無異』の文、肝要なり。『如我昔所願』は本因妙、『如我等無異』は本果妙なり。妙覚の釈尊は我らが血肉なり。因果の功徳は骨髄にあらずや。釈には『因を挙げて信を勧む』と。『因を挙ぐ』は、即ち本果なり。今、日蓮が唱うるところの南無妙法蓮華経は、末法一万年の衆生まで成仏せしむるなり。あに『今者已満足』にあらずや。『已』とは、建長五年四月二十八日に初めて唱え出だすところの題目を指して、『已』と意得べきなり。妙法の大良薬をもって一切衆生の無明の大病を治せんこと疑いなきなり。これを思い遣る時んば満足なり。『満足』とは、成仏ということなり。」(御義口伝 上 新1004頁・全720頁)
現代語訳:この「如我等無異」の経文は、重要です。「如我昔所願(我が昔の所願の如き)」は本因妙(本因:仏道を成就する根本の因行[修行]のこと)を、「如我等無異(我が如く等しくして異ること無からしめん)」は本果妙(本果:本門の仏果、本因に対する語)を表しています。また、妙覚の釈尊は我等衆生の血肉であり、因果の功徳は骨髄ではないでしょうか。(つまり、師も久遠元初の自受用身、弟子もまた久遠元初の自受用身としてあらわれ、自受用身に約して師弟不二であることを、明かされているのです。)また釈には「挙因勘信」とあり、「因を挙げる」は即ち本果なのです(つまり、仏弟子であることを覚知することが本果(成仏)に繋がるというのです)。今、日蓮が唱える南無妙法蓮華経は、末法一万年の衆生をことごとく成仏せしめるのです。これ「今者已満足(今者は已に満足しぬ)」ではないでしょうか。「已」とは、日蓮が建長五年四月二十八日、清澄寺において、はじめて唱えた題目を指して「已」と心得るべきです。妙法の大良薬をもって、一切衆生の無明の大病を治す(根本の迷いや不幸の根源を除き去り幸福境涯に住せしめる)ことは、疑いないのです。これを思いやる時に日蓮の所願は満足するのです。また衆生に約していえば、成仏をもって満足というのです。
※一切衆生の無明の大病を治す妙法の大良薬を等しく全ての人に服用させてあげるのが、弟子の使命なのです。


「日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、一同に『皆共至宝所』なり。『共』の一字は、日蓮に共する時は宝所に至るべし」(御義口伝 上 新1024頁・全734頁)
現代語訳:日蓮及びその門下、南無妙法蓮華経と唱える者は、全員「皆、共に宝所に至る」のです。この「共」の一字は、日蓮と共に法華経(御本尊)を信じ行動する時には、成仏できるという意味なのです。
※日蓮仏法を信じ、自行化他に励むならば、宝所(真の幸福境涯)に至る、と仰せです。


「『如来』とは釈迦、『如来事』とは南無妙法蓮華経なり。『如来』とは、十界三千の衆生のことなり。今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは、真実の御使いなり」(御義口伝 上 新1027頁・全736頁)
現代語訳:如来とは釈迦であり、「如来の事」とは南無妙法蓮華経の事なのです。如来とは十界三千の衆生、あらゆる衆生をも意味するのです。いま南無妙法蓮華経と唱え奉る日蓮及びその門下こそ、真実の仏の使いなのです。
※如来・仏が全ての衆生を意味するのであれば、つまり全ての人が幸せに成なる権利を持っているのです。


「『師子吼』とは仏の説なり。説法とは法華、別しては南無妙法蓮華経なり。『師』とは師匠授くるところの妙法、『子』とは弟子受くるところの妙法、『吼』とは師弟共に唱うるところの音声なり」(御義口伝 上 新1043頁・全748頁)
現代語訳:「師子吼」というのは仏の説法なのです。説法とは法華経、別して南無妙法蓮華経のことを指します。師子吼の「師」とは、師である仏が授ける説法(妙法)です。「子」とは、弟子が受ける妙法であり、「吼」とは、師匠と弟子と、共に唱える音声をいうのです。
※創価学会では、三宝の新解釈として、仏宝及び法宝は当然、日蓮大聖人及び五字・七字の南無妙法蓮華経であり、僧宝(僧とは元々僧伽[そうぎゃ・Samgha]の略で修行者の団体を云う)は創価学会の組織である、と宣言しました。私達が「師子吼」することにより、世界を変えることができるのです。


「妙法蓮華経を安楽に行ぜんこと、末法において、今、日蓮等の類いの修行は、妙法蓮華経を修行するに、難来るをもって安楽と意得べきなり。」(御義口伝 上 新1045頁・全760頁)
現代語訳:妙法蓮華経を安楽に行ずるということは、末法において日蓮及びその門下の修行に約していえば、(大御本尊を信じ、自行化他にわたる仏道修行を励むと、必ず難が来ます。)その難が来ること自体が、実は安楽であると心得えていきなさい。
※たとえ自身にとって不利な状況になったとしても、頑健な意志(信心)でこれを乗り越えることにより、自身が成長したと実感できるのですね。


「今、日蓮の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉る者は、皆地涌の流類なり。(中略)千草万木、地涌の菩薩にあらずということなし。されば、地涌の菩薩を本化と云えり。本とは、過去久遠五百塵点よりの利益として、無始無終の利益なり。この菩薩は本法所持の人なり。本法とは、南無妙法蓮華経なり。この題目は、必ず地涌の所持の物にして、迹化の菩薩の所持にあらず。この本法の体より用を出だして、止観と弘め、一念三千と云う。総じて大師・人師の所釈も、この妙法の用を弘め給うなり。この本法を受持するは、信の一字なり。元品の無明を対治するは、信の一字なり。『疑いなきを信と日う』の釈、これを思うべし云々。」(御義口伝 上 新1046-7頁・全751頁)
現代語訳:今、日蓮及びその弟子達、南無妙法蓮華経と唱える者は、全員、地涌の菩薩の一員なのです。(中略)一切の草木も、地涌の菩薩ではないとは言えないのです。だから、地涌の菩薩を本化(迹化に対する語。本化の菩薩は、法華経本門に至って出現した菩薩で、釈尊の久遠の弟子である。一重立ち入って言えば、本化の本とは久遠元初の独一本門のことであり、久遠元初以来の日蓮大聖人の本眷属をいうのです。)というのです。本とは教相からいえば五百塵点劫、観心からいえば無始無終の久遠元初からの利益なのです。この地涌の菩薩は、根本の法(本法)を持っている人です。本法とは、南無妙法蓮華経です。この南無妙法蓮華経の題目は、地涌の菩薩が所持する物であって、迹化の菩薩の所持ではないのです。この本法(南無妙法蓮華経、妙法、三大秘法の御本尊)の体(本体)から用(働き)を出して、天台大師が「摩訶止観」に書き弘めたのが、一念三千なのです。全体としてその後の大師や人師の解釈でも、この妙法の用を弘められたのです。この本法(三大秘法の御本尊)を受持するのは信の一字によるのです。元品の無明(という生命の根源的迷い)を対治するこの本法を受持するのは信の一字によるのです。利剣は「信」の一字なのです。法華文句にある『疑いなきを信と日う(無疑日信)』という解釈を思索していきなさい。
※私達こそが地涌の菩薩の一員である、との強い自覚と信心が必要なのです。


[73]

題名:フェイク 第1763号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/04/18(木) 15:05 2607:f7a0:1b:e000:3253:36da:a2bf:2bc6(IPv6:) (2607:f7a0:1b:e000:3253:36da:a2bf:2bc6)

(発行=24..04.18)

日蓮正宗開顕寺の本堂、庫裏が全焼
日如は現代の「両火房」、各寺で相次ぐ火災
諸天善神に見捨てられた悲惨な邪宗門

日蓮正宗の開顕寺(岐阜県多治見市赤坂町5丁目)で十七日未明、火事があり、
本堂と住居が共に全焼した。

警察と消防によると、午前四時四十分頃、住職の秦明正から「寺が燃えている」
と消防に通報があり、消防が出て火は約四十分後に消し止められたが、寺の本
堂や居住スペースがある建物が全焼した。

これは東海テレビ、名古屋テレビなどのニュースで報道された(下の写真参照)

この火事で、住職の秦明正(30歳)と消火活動にあたっていた消防団員の男性
が病院に搬送されたが、いずれも軽傷で、命に別状はないという。

住職の秦は早瀬日如の弟子で、この寺で独り暮らしをしていた。警察と消防が
原因を調べている。

この開顕寺は日蓮大聖人の第七百遠忌の記念事業の一環として建立され、昭和
五十六年九月十七日に落慶入仏式が行われた。

ところで、令和元年九月に死んだ日顕は行く先々で集中豪雨に見舞われるなど
「雨坊主」と呼ばれていたが、日如は「火災坊主」だ。

令和四年四月二日、大石寺の近くの法善寺(富士宮市下条848番地、住職は
齋藤栄順)で午前九時五十分頃、火災が発生し、敷地内の倉庫が全焼したこと
は記憶に新しいが、それ以前にも火災が相次いだ。

日如が〝盗座〟した後の主な火災を列記する。

平成十八年八月十二日午後四時前、物凄い雷鳴が轟いた瞬間、奉安堂の東側に
立つ杉の大木に落雷。杉の大木は中央付近から火を吹き、周辺には黒煙が立ち
込め、消防車が出動した。

同二十一年六月、法道院でボヤ騒ぎがあり、同年八月には大石寺・駐車場で乗
用車が十台も焼ける事件があった。

同年十月十一日(日本時間十二日)にアメリカ・ワシントンDCの妙宣寺でお会
式の最中に火災があり、大騒ぎになった。

同年十一月十五日午後には大石寺の境内にある休業中の売店で木造平屋建ての
建物八店舗、約二百五十平方メートルが全焼した。

続いて同二十二年一月十七日午後七時頃、新宿区・大願寺(住職は板東慈潮)
から黒煙が立ち上り、辺りには物凄い異臭が漂った。

この直後の二十七日には大石寺近くの蓮成寺でもボヤ騒ぎが起こった。

同二十四十二月十六日には延寿寺(高知県南国市内、当時の住職は川口盟道)か
ら出火、同寺の木造平屋の本堂と庫裏を合わせて約三百平方メートルを全焼し
た。これほど火災が相次ぐの

は諸天善神に見捨てられた証拠と言えよう。

大聖人は「両火房と申す謗法の……」と良観を「両火房」と揶揄されたが、日
如は現代の「両火房」だ。



[72]

題名:師匠と我らとの関係 10(如説修行抄)

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/04/14(日) 11:47 2001:ce8:127:e3a4:30fd:82fd:6238:94f3(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:30fd:82fd:6238:94f3)

師匠と我らとの関係 10(如説修行抄)


如説修行抄における弟子との関係

本抄は、文永10(1273)年大聖人52歳、佐渡から鎌倉で難と戦っている門下一同に与えられた御文で、如説修行の姿を御教示され、門下を激励されています。


「仏法を修行せんには人の言を用いるべらず。ただ仰いで仏の金言をまぼるべきなり。我らが本師・釈迦如来は、初成道の始より法華を説かんと思しめししかども、衆生の機根未熟なりしかば、まず権教たる方便を四十余年が間説いて、後に真実たる法華経を説かせ給いしなり。」(如説修行抄 新601頁・全502頁)
現代語訳:仏法を修行するには、人の言葉を用いるべきではありません。ただ尊崇して仏の金言だけを守るべきです。我等が根本の師と仰ぐ釈迦如来は、成道の始めから衆生を救う最高の法である法華経を説こうと考えておられたが、衆生の機根がまだそこまで熟していなかったので、まず権教である方便の経を四十余年間説法して、それから後に真実である法華経を説かれたのです。
※話にも順序があり、いきなり結論を述べても、納得はされないですね。天台大師が、釈迦の説法の順序を「五時」に分けて説かれています。①華厳時は頓教・疑宣の教(頓教:速やかに大乗を説く、疑宣:仏が衆生に仮の法を受け入れられるかを試す)を、②阿含時は漸教・誘引の教(漸教:衆生の機根に応じた説法、誘引:誘いいざなうことで方便を用いて教化する)を、③方等時は漸教・弾呵の教(弾呵:叱責すること、小乗に停滞する二乗を叱責する)、④般若時は漸教・淘汰の教(淘汰:教えから不純・不必要な物を除去する)を、そして⑤法華・涅槃時は頓教・開会の教(開会:開顕会融又は開顕会帰との略で、真実を開き顕して一つに合わせる)です。
この説時に異説もあり、大聖人は「大部の経、大概かくのごとし、これより已外の諸の大小乗経は次第不定なり。あるいは阿含経より已後に華厳経を説き、法華経より已後に方等・般若を説く。皆、義類をもってこれを収めて一処に置くべし。」(守護国家論 新385頁・全40頁)と述べておられます。いずれにしても、当時、最強・最勝の御経は、諸宗との法論の結果、法華経に決定されたのです。


「これらのおきての明鏡を本として一分もたがえず『ただ一乗の法のみ有り』と信ずるを、如説修行の人とは、仏は定めさせ給えり。」(如説修行抄 新602頁・全503頁)
現代語訳:約束された経文の明鏡を根本として、仏説と少しも違えることなく、「一乗の法のみが成仏の法である」と信じて進むのが、如説修行者であると、仏は決定されておられるのです。
※此処で、如説修行(仏の教説通りに修行する)者とは、師匠(大聖人であり、私にとっては池田大作先生)が示した自行化他の信心を一生懸命に励む人、と仰せです。


「仏法を修行せん者は摂折二門を知るべきなり。一切の経論、この二つを出でざるなり。されば、国中の諸学者等、仏法をあらあら学すといえども、時刻相応の道をしらず。」(如説修行抄 新602頁・全503頁)
現代語訳:仏道修行をする者は、摂受と折伏の二つの修行法を知るべきです。一切の経論も、摂折二門を出ることはないのです。そうであれば国中の多くの学者仏法をだいたい学んだというけれども、時節に合致する肝心な修行の道を知らないのです。
※科学や民主主義が発展してきた現代において、非常識な行動する宗教は、カルト宗教と定義されています。だから、創価学会の化法・化儀の説明では、あくまで論理的で正論を尽くすべきです。


「末法今の時、法華経の折伏の修行をば、誰か経文のごとく行じ給えしぞ。誰人にても坐せ、『諸経は無得道、堕地獄の根源、法華経独り成仏の法なり』と、音も惜しまずよばわり給いて、諸宗の人法共に折伏して御覧ぜよ。三類の強敵来らんこと疑いなし。」(如説修行抄 新603頁・全504頁)
現代語訳:末法である現在、法華経の折伏の修行を、いったい誰が経文通りに実践しているでしょうか。誰でもいい、「諸経は無得道であり、堕地獄の根源であり、ただ法華経だけが成仏の教えである」と声を大にして主張を貫いて、諸宗の人々やその教法について、折伏を実践してみられるがよいでしょう。三類の強敵が競い起こってくることは間違いないのです。
※折伏をすれば、必ず反対者が出現し、負の環境変化等の向かい風が吹くのですが、言葉を尽くして妙法を語る事により、自らの信仰への確信が深まり、次第に事態が好転するという功徳も得られるのです。


「今、日本国の万人、日蓮ならびに弟子檀那等が三類の強敵に責められ大苦に値うを見て悦んで笑うとも、昨日は人の上、今日は身の上なれば、日蓮ならびに弟子檀那共に霜露の命の日影を待つばかりぞかし。只今仏果に叶って寂光の本土に居住して自受法楽せん時、汝等が阿鼻大城の底に沈んで大苦に値わん時、我らいかばかり無慙と思わんずらん」(如説修行抄 新604頁・全504頁)
現代語訳:今日本国のあらゆる人々が、日蓮と弟子檀那等が三類の強敵に責められ、大苦にあっている有様を見て、悦んで嘲笑していようとも、昨日は人の上、今日はわが身の上なのが世の常の習いです。日蓮並びに弟子檀那が受けているこの苦しみも、ちょうど霜や露が朝日にあって消える様に、待つばかりなのです。ついに仏果が叶い寂光の本土に住んで自受法楽する時、(今まで笑ってきた)謗法の者が、阿鼻地獄の底に沈んで大苦にあうのです。その時、我々はその姿をどんなに可哀相に思うことでしょう。
※かつて創価学会は、病人と貧乏人の集まりと、揶揄していた多くの日本人がいました。現在では、創価学会インターナショナル(SGI)として300万人ほどの仲間が世界中で活躍しており、その様に悪口を言う人も少なくなっていますね。


◎題号の「如説修行」について、①人法相対に約し、如説は法、修行は人であり、釈迦所説の一代経は法、その所説の如く自ら行じれば修行となる。②師弟相対に約し、如説とは師説、修行とは弟子であり、釈迦所説の如く大衆がこれを修行したのです。③自行化他に約して、如説とは化他、修行とは自行、即ち五種の妙行のうち受持・読・誦・書写の四つは自らの修行であり、他に教える解説は化他に該当し、他に教える如く自らが修行することを「如説修行」というのだそうです。


[71]

題名:フェイク 第1762号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/04/03(水) 00:42 2607:f7a0:1b:e000:3253:36da:a2bf:2bc6(IPv6:) (2607:f7a0:1b:e000:3253:36da:a2bf:2bc6)

(発行=24.03.29)

チラシ配布が広布の最終段階?
広告文と遥拝勤行で学会員を救うとは笑止④
浅井は「秘術」と称し見当違いの御書を引用

顕正会は前会長の浅井昭衛が「広告文と遥拝勤行で広宣流布はできる。この大
道は大聖人様が教えて下さったもの、これこそ広布最終段階の戦いの姿である」
(顕正新聞 平成三十年七月五日付)と吹聴していた。

死んだ浅井の戯言を真に受けた浅井の残党が現在、「広告文と遥拝勤行で学会
員を救わん」とか「広告文と遥拝勤行で広宣流布は必ず成る」と息巻いている
が、笑止千万 ?

新聞広告のコピーと遥拝勤行で学会員を救うとは噴飯ものだが、これで広宣流
布するというのは愚の骨頂である。

浅井は「この大道は大聖人様が教えて下さった」等と述べていたが、日蓮大聖
人の御在世当時、新聞の広告文などはないし、こんな愚かな行動を大聖人は教
えてはおられない。

この広告文とは浅井昭衛の著書「基礎教学書 日蓮大聖人の仏法」の新聞広告
をカラーコピーしたものである。富士山の写真と「立正安国論」の御真蹟の写
真を掲載している。

このチラシを八千万部も刷ったらしい。あちこちの街角で通行人に無差別に手
渡し、或いは郵送している。こんなチラシを配布しても以前、「国家諌暁」と
騒いで粗末な小冊子を配布したのと同様、世間からは無視され、反感を買うだ
けである。

こんな愚行が「広宣流布最終段階の戦いの姿」で、「広宣流布が成る」「学会
員を救う」ことなど絶対に有り得ない。

このチラシを「大白法」や「慧妙」も揃って破折している。

特に「大白法」は、浅井が「広告のカラーコピーを読み『なんと不思議なこと
があるのか』と言って入信する人も多い」と語っていたのに対し「広告まで自
画自賛する」と嘲笑していた。

次に、浅井は遥拝勤行を「秘術であり、広布最終段階の信行の姿」と自慢して
いたが、大聖人は遥拝勤行など奨励されてはいない。

遥拝勤行の根拠として浅井は「千日尼御前御返事」の「御面を見てはなにかせ
ん。 心こそ大切に候へ」の御文を挙げているが、間違いだ。これは夫の阿仏
房を身延へ送り出した千日尼の志を称賛されているもので、遥拝勤行の意義を
示された御文ではない。「広告文と遥拝勤行に関する浅井の戯言は、地震や他
の予言と同様に〝外れ〟である。

地震の予言が外れた教祖が割腹自殺

昭和四十九年六月、「聖霊降りて大警告を発す 来る六月十八日午前八時 大
地震起る」と書いたビラが各地で大量に撒かれた。

これを予言したのは宗教団体「一元の宮」の教祖の元木勝一だった。

だが、予言のその日、地震は起こらなかった。予言が外れた元木は部屋に入っ
て割腹自殺を図ったのだ。

幸いにも発見が早くて、元木は病院に担ぎ込まれて一命を取り留めた。

治療を受けていた元木は信者達に「私が自ら腹を切ったことで大地震を止める
ことができた」と語ったが、一万人程いた信者の大多数が教団を去っていった。

予言を外しても自殺する必要はない。そんなことをすれば、浅井昭衛などは命
が幾つあっても足らないところだった。



[70]

題名:フェイク 第1761号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/04/03(水) 00:37 2607:f7a0:1b:e000:3253:36da:a2bf:2bc6(IPv6:) (2607:f7a0:1b:e000:3253:36da:a2bf:2bc6)

(発行=24.03.28)

顕正会が捜査機関を逆恨み
広告文と遥拝勤行で学会員を救うとは笑止③
「事件を起こしても罪悪感が乏しく無反省」

日本犯罪史上で最悪と言われる松本サリン事件や地下鉄サリン事件を起こした
オウム真理教が、平成七年一月十七日の阪神淡路大震災の時、「予言的中」と
のビラを配布していた。

そのビラには「緊急速報」「またもや的中 麻原彰晃尊師の予言」「場所は『
神戸・直下型』時は『一月十八日前後』」と書いており、犠牲者を悼み、被災
者を見舞う文字はなかった。

これを真似た訳ではないだろうが、東日本大震災という未曾有の大災害に際し
て顕正会が独善的な主張を展開して、会員を増やそうと度を超えた行為をした
ことが「治安フォーラム」(平成二十三年十月号)に記されていたことは前号
で紹介した通りである。

同誌では更に「会員には折伏が原因でトラブルや事件を起こしても罪悪感が乏
しいのが実態であり、過去に会員が執拗・強引な勧誘等を行って逮捕された際
も〝不当逮捕、正当な宗教活動に対する不当弾圧、事件性のないものを事件に
でっち上げた〟等と捜査機関を痛烈に批判するだけで反省の姿勢がみられない
のは是正すべき点といえよう」と記されている。

確かに、平成二十五年九月十一日、警視庁公安部が顕正会の本部、及び東京会
館など五カ所を暴力行為法違反と強要の疑いで家宅捜索したことがテレビ、新
聞でも報道された。

この警察の家宅捜索に関する浅井の会員への釈明は、国家権力による「信教の
自由」の侵害で憲法違反だ、とか、顕正会の社会的信用を失墜させるのが狙い
だ等と独善的なものだ。

浅井は「信教の自由」は憲法で保障されていると主張しているが、執拗に入会
を迫り、暴言を吐き、時には暴力を振るう。こんな悪辣な行為までも憲法は保
障していない。

また、某日蓮系教団が警視庁公安部による家宅捜索に関与している証拠として
小型の新聞を、その日のうちに発行して広く報じた等と愚かなことを述べてい
る。

小型の新聞とは本紙「フェイク」を指すのであろうが、本紙はいかなる教団と
も無関係である。

しかも、その日のうちに発行したことを某日蓮系教団と警視庁公安部との結び
付きの根拠にしていた。だが、時事通信社なども警視庁公安部による顕正会の
本部・会館の家宅捜索を、その日のうちに全国に配信。各テレビ局でも、その
日のうちにニュースとして流していた。これらの時事通信社や各テレビ局も某
日蓮系教団の系列というのか?

浅井は以前から神奈川県警を憎んで罵倒していた。特に、平成十一年九月二十
七日、総幹部会の席上、警察を逆恨みして悪口雑言。昭衛の長男・克衛は「顕
正会弾圧の神奈川県警に大罰下る」と題して神奈川県警を愚弄していた。

克衛は顕正会員に対する不当な逮捕、家宅捜索を行なった神奈川県警の不祥事
が噴出したと述べ「県警トップの本部長辞任という深刻な事態にまで発展した」
「神奈川県警は悪徳警官の見本市」「暴力団も舌を巻く病的な腐敗」「県警内
部に暴力団に通ずる者が存在している」等と力説した。

克衛は現在、会合にも機関紙にも登場していないが、当時は男子部長で勧誘の
責任者であった。(つづく)



[69]

題名:フェイク 第1760号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/04/03(水) 00:32 2607:f7a0:1b:e000:3253:36da:a2bf:2bc6(IPv6:) (2607:f7a0:1b:e000:3253:36da:a2bf:2bc6)

(発行=24.03.27)

「大震災の被災者を執拗に勧誘」
広告文と遥拝勤行で学会員を救うとは笑止②
「治安フォーラム」誌が顕正会の活動に鉄槌

東日本大震災の際の顕正会の動きについて「治安フォーラム」(平成二十三年
十月号)で「人々の不安をあおり続ける顕正会」と題して、小谷浩孝氏が詳述
している。

この「治安フォーラム」は日本の警察官向けに国内外の治安に関する情報を掲
載している月刊誌で、立花書房が発行している。

同誌では東日本大震災という甚大な被害をもたらした未曽有の災害に際して、
現地でのボランティア活動、救援物資の配布などに取り組んだ自治体をはじめ
関係機関や宗教団体があったと紹介。その一方で、被災者に対して執拗に入会
を勧誘し、無理矢理に信者を増やそうとした団体があったと述べ、その中でも
特に活発に勧誘活動をしていたのが顕正会だった等と綿密な取材に基づいて記
述している。大いに参考になるので抜粋して紹介する。

 ◇ ◇
インターネットのサイトでは、今回の震災を捉え、顕正会の会員が〝東北の顕
正会員で犠牲になった人はいない〟などと言って入会を勧誘しているといった
内容の書き込みがなされているほか、顕正会の機関紙である「顕正新聞」には、
浅井昭衛会長や幹部が、震災を捉えて独善的な主張を展開している記事が多数
掲載されている。

信教の自由、表現の自由が憲法で保障されていることは言うまでもないが、必
要以上に執拗に入会を勧誘したり、不安感・恐怖心をあおるような言葉を用い
て勧誘することは、度を超した行為と言わざるを得ず、こうした行為までもが
憲法で保障されているとは言えないはずである。

事実、過去にこのような形態で入会の勧誘や退会の引き止めを行った結果、傷
害、強要、監禁等の違法行為に発展し、検挙されたことは、以前に本誌でも触
れたとおりである(中略)。

複数の宗教団体が被災地への義援金の拠出、現地でのポランティア活動、被災
(避難)された方々への救援物資の配布等を行う中、顕正会がこれら活動に取り
組んでいると思われる状況は見受けられず、そのような話も聞かない(中略)。

顕正会では、東日本大震災が発生した三月以降、団体の中で「3・4月法戦」
「6・7月法戦」と称する折伏の推進期間を設定し、浅井会長が「誓願」と呼
ばれている折伏ノルマの人数を示した上で折伏活動に取り組んだ。

これまでと同様に執拗な勧誘が行われ、会員の言葉に不安を感じたり、不快な
思いをした人も少なからずいる。

◇ ◇
このほか同誌には「二名の顕正会員が死亡、十名以上の安否が確認されていな
い」との記事がブログに載ったと明かし、顕正新聞の記事は被害の事実を故意
に伏せている、と述べていた。

そして〝犠牲者が一人もいない〟との顕正会のアピールが真実ならば、会員数
は同会が発表している人数より、かなり少ないのではないかと指摘。一説には
会員の実数は「発表している数字の3%位」「5万人位」「十数万人」とも言
われていると記している。

更に、会員の多くは名簿上だけの幽霊会員で死亡者も脱会者も行方不明者も含
まれていると記しており、興味深い。(次号につづく)





[68]

題名:フェイク 第1759号

名前:宿坊

MAIL 投稿日: 2024/04/02(火) 21:37 2607:ff28:a007:0:c119:ed66:93e4:9285(IPv6:) (2607:ff28:a007:0:c119:ed66:93e4:9285)

(発行=24.03.26)

顕正会は大聖人の仏法とは異質の邪教
広告文と遥拝勤行で学会員を救うとは笑止①
「浅井親子は独善性で常にトラブル」

邪教・顕正会の顕正新聞が最近は学会に対して的外れの誹謗中傷を並べ「未
曽有の邪教化」等と批判して「広告文と遥拝勤行で学会員を救わん」と繰り返
し、今月二十五日付の新聞でも学会批判の記事で埋め尽くしているが、笑止千
万 !

本紙では同会が主張する国立戒壇の邪義を打ち砕き、更に「治安フォーラム」
及び各紙の論調などを踏まえて、日蓮大聖人の仏法とは異質の顕正会の邪説、
妄論、悪辣な勧誘の手口、暴力体質等を暴き、広告文と遥拝勤行を簡潔に破折
する。

初めに顕正会の歩みについて簡単に記す。

顕正会の前身は昭和三十三年に認可された日蓮正宗の妙縁寺(墨田区吾妻橋)
所属の妙信講である。初代の講頭は浅井甚兵衛(昭和五十九年四月に死亡)で、
昨年十月に死んだ会長の浅井昭衛は青年部長になった。

その後、妙信講は妙国寺(板橋区)や法道院(豊島区南池袋)へと所属を変え
たが、今と違って国立戒壇に固執することは余り主張していなかったようだ。

昭和四十年十月、正本堂の供養の受付が行われ、八百万人を超える人々が参加。
その結果、僧侶・寺族同心会が約一億五千万円、法華講が約三億円、創価学会
が約三百五十億円で、総額は約三百五十五億円となった。

この供養には妙信講も賛同して少額ではあるが参加。浅井は「正本堂建立御供
養に対し、今回その志をめでられて猊下より袱紗を給わった」と喜んでいた。

ところが、浅井は学会が中心となっての建立寄進に難癖をつけ、正本堂の教義
上の意義づけを巡って日蓮正宗及び学会と対立するようになったので、昭和四
十九年八月、宗門から講中解散処分を受けたのである。

これに関して日蓮正宗宗務院の院達では「(顕正会は)元『妙信講』と称し、本
宗の法華講支部の一つでしたが、宗門の公式決定に違反したため、昭和四十九
年八月十二日に講中解散に処せられました」と記していた。

学会本部を襲撃

昭和五十年八月二十日、甚兵衛が講頭を退いて第二代講頭に昭衛が就任した。

その後、昭和五十七年十月九日に日本武道館で総会を開き、名称を現在の顕正
会に変更した。一時期は「日蓮正宗顕正会」と名乗り、最近では「冨士大石寺
顕正会」と詐称しているが、顕正会は日蓮正宗、大石寺とは無関係である。

これについては平成九年八月、大石寺での教師指導会で当時の総監・藤本日潤
が糾弾していたので、その要旨を紹介する。

「顕正会という団体は、元妙信講と称する宗門の法華講支部の一つでありまし
たが、既に解散処分に付され、そこに所属する信徒のうち主要な三十数名は信
徒除名となり、一般信徒も宗門の指示に従って指定した寺院に申し出て所属替
えをした者以外はすべて信徒の資格を失った」

「元妙信講は、その中心者である浅井甚兵衛、浅井昭衛親子の増上慢、独善性、
権力志向性等によって、常に周辺とトラブルを起こし、所属寺院を転々として
最後、墨田区の妙縁寺に所属しましたが、浅井親子は右翼的、国粋主義的思想
傾向が強く、天皇制の復活を信じて、かねてから『大聖人の御遺命の戒壇は、
安母山に建てる国立戒壇でなければならない』と、このように主張して、当時、
完成間近に迫っていた正本堂の意義についてクレームをつけ、宗門の公式決定
である『国立戒壇の名称を使用しない』という定めを犯して、盛んに宗門・学
会を非難・攻撃し『流血の惨も辞さず』という脅迫文まで送りつけて、日達上
人御自ら浅井親子を説得あそばされるなど、大変な御苦心の結果、ようやく正
本堂落慶法要を無事済ませることが出来た」「しかし、その後も執拗に国立戒
壇を主張して、宗門、学会を攻撃して、遂には文書を街頭配布したり、デモ行
進を敢行するなど、エスカレートして留まるところを知らないため、やむをえ
ず宗門は昭和四十九年八月、講中解散処分に付した」「浅井らはいよいよ過激
さを増して宣伝カーで学会本部を襲撃し、乱闘事件を起こす」(「大白法」平
成九年十月一日付)

予言は全て外れ

死んだ浅井昭衛の話は、国立戒壇論の他も底の浅い我見、邪義、妄論である。
そして厚顔無恥にも地震の予知能力があるかのように色んな予言をしたが、悉
く外れた。特に面白いのは平成十年一月に「今年の二月(平成十年二月)まで
に小田原大地震が起きる」と言い、同年十二月には「小田原の大地震も秒読み
の段階に入った」と言っていたが、幸いなことに外れた。

浅井の〝予言〟は、その時の状況で二転三転する。

例えば、昭和五十七年に「二〇〇七年までに顕正会が広宣流布できなければ核
戦争によって人類は絶滅する」と予言。その後、「二〇一四年まで」と変更し
たが、顕正会は広宣流布できず、人類も絶滅していない。

浅井は当たった試しがない地震予知をはじめ、経済破綻、日本国の滅亡、人類
の絶滅、ソ連(当時)・北朝鮮・中国による侵略、核戦争、大旱魃など的外れの
予言を連発しては人々の不安を煽り続けていた。

ところが、肝心の阪神・淡路大震災や東日本大震災は予言できなかった。

国立戒壇は邪義

浅井の口癖の国立戒壇は明治時代の国柱会・田中智学の造語で御書にはない。
田中智学は日本の国体と仏法が一致するという邪義を考え、その見地から国立
戒壇を提唱したのだが、日蓮大聖人の仏法は世界宗教で、日本一国の宗教では
ない。

宗門は戦前に国家権力に迎合しようと一時期、国立戒壇論を取り入れた。学会
は外護団体として宗門の国立戒壇論に従ってきたが、戸田第二代会長は国教化
を明確に否定していた。

つまり、学会は国柱会と同じ意味で国立戒壇を唱えていた訳ではない。戸田会
長は民衆の幸福を最大の目的に掲げ、事の戒壇の本義を「広宣流布の象徴」と
見ていたのである。

大聖人ご在世当時と今は社会状況が違う。戒壇建立は古代・中世の日本仏教で
重視されたが、現代の仏教界では関心の的ではない。

戒壇建立は化儀だから、時代に応じて考え方を変えてもよい。もしも、化儀を
変えるべきでないと言うなら、顕正会は、まず今の宗門坊主が宗開両祖の禁じ
た肉食妻帯を平気で行っているのを、何故、糾弾しないのか、と問いたい。

また、顕正会は平成九年七月に「日蓮大聖人に帰依しなければ日本は必ず亡ぶ」
、続いて同十六年四月には「日蓮大聖人に背く日本は必ず亡ぶ」と題する小冊
子を会員に何十、何百部と他部数を購入させ、全国に配布させた。

粗末な冊子の販売と発送を「一国諫暁」と称していたが、世間からは無視され、
反感を招いた。

更に、顕正会は東日本大震災に際して、不安感や恐怖心を煽る一方、浅井らは
〝顕正会からは一人の犠牲者も出ないで全員が守られた〟と宣伝していた。

特に、浅井は「私はただ東北の十数万顕正会員の身の上だけを案じた。だが、
不思議にも全員が御本尊様の御守護を頂いたのです」と力説していたが、浅井
の言い分は実に怪しいと見られていた。

顕正会の反社会体質について「治安フォーラム」が綿密な取材に基づいて記述
しており、大いに参考になるので次号で紹介する。







[67]

題名:師匠と我らとの関係 9(聖愚問答抄)

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/03/31(日) 21:12 2001:ce8:127:e3a4:d8:acb0:4be9:2a33(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:d8:acb0:4be9:2a33)

師匠と我らとの関係 9(聖愚問答抄)


聖愚問答抄における弟子との関係

本抄は、文永2<1265>年大聖人44歳の御作とされ、対告衆明らかでなく、聖人と愚者との問答形式です。前半は諸宗の破折です。愚人は、諸宗をさまよう人ですが、突き詰めると我々弟子の事であり、聖人こそが日蓮大聖人その人なのです。今回は、具体的な指導はありませんが、妙法の素晴らしさを改めて認識しうる御文です。


「今この妙法蓮華経とは、諸仏出世の本意、衆生成仏の直道なり。されば、釈尊は付嘱を宣べ、多宝は証明を遂げ、諸仏は舌相を梵天に付けて『皆これ真実なり』と宣べ給えり。この経は、一字も諸仏の本懐、一点も多生の助けなり。一言一語も虚妄あるべからず。この経の禁めを用いざる者は、諸仏の舌をきり、賢聖をあざむく人にあらずや。その罪実に怖るべし。」(聖愚問答抄上 新554頁・全480-1頁)
現代語訳:今、この妙法蓮華経とは、諸仏出世の本懐であり、衆生の成仏の直道です。だから、釈尊は付嘱を宣言し、多宝如来は証明を行い、諸仏は舌相を梵天に付けて「皆是れ真実なり」と述べられたのです。この法華経は一字でも諸仏の本懐、一点でも多生の助けとなります。一言一語も虚妄であるはずがありません。この法華経の禁めを用いない者は、諸仏の舌をきり、賢人聖人を欺く人ではないでしょうか。その罪は本当に怖ろしい事です。
※本抄での諸宗破折は明解であり、その後、法華経の信受の素晴らしさと戒禁破りの罪を御教示されているのです。


「汝、実に道心あらば、急いで先非を悔ゆべし。夫れ以んみれば、この妙法蓮華経は一代の観門を一念にすべ、十界の依正を三千につづめたり。」(聖愚問答抄上 新562頁・全487頁)
現代語訳:あなたにまことの求道心があるならば、急いで過去のあやまちを悔いるべきです。さて究極の道理を考えてみると、この妙法蓮華経こそが、釈尊一代の観心の法門を一念におさめ、十界の依正を三千におさめているのです。
※仏法の根本義である妙法を讃嘆して、愚人に、強いては我々に、示されているのです。


「されば、天台大師の釈を披見するに、他経には、菩薩は仏になると云って二乗の得道は永くこれ無し。善人は仏になると云って悪人の成仏を明かさず。男子は仏になると説いて女人は地獄の使いと定む。人天は仏になると云って畜類は仏になるといわず。しかるを、今経はこれらが皆仏になると説く。たのもしきかな。末代濁世に生を受くといえども、提婆がごとくに五逆をも造らず、三逆をも犯さず。しかるに、提婆なお天王如来の記莂を得たり。いわんや、犯さざる我らが身をや。八歳の竜女、既に蛇身を改めずして南方に妙果を証す。いわんや人界に生を受けたる女人をや。ただ得難きは人身、値い難きは正法なり。汝、早く邪を翻えして正に付き、凡を転じて聖を証せんと思わば、念仏・真言・禅・律を捨てて、この一乗妙典を受持すべし。もししからば、妄染の塵穢を払って清浄の覚体を証せんこと疑いなかるべし。」(聖愚問答抄下 新567-8頁・全490-1頁)
現代語訳:天台大師の釈を開いて見ると、「他経には、菩薩は仏になると説いて二乗の得道は永遠にない。善人は仏になると説いて悪人の成仏は明かさない。男子は仏になると説いて女人は地獄の使いと定めている。人天は仏になると説いて畜類は仏になるとは説かない。ところが、今の経(法華経)はこれらが皆仏になる」と説かれています。頼もしいことです。末代濁世に生を受けたけれども、提婆達多の様に五逆罪をも造らず、三逆罪をも犯していません。それなのに、それを犯した提婆達多でさえ、なお天王如来の記別を得たのです。だからこそ、犯さない我等の成仏は疑いないのです。八歳の竜女は、すでに蛇身を改めないで、南方に妙果を証得しました。だから人界に生を受けた女人の成仏は、間違いないのです。ただし、得難いのは人身であり、値い難いのは正法です。あなたも早く邪法への信を翻して正法に付き、凡夫を転じて聖果を証得したいと思うならば、念仏・真言・禅・律を捨てて、この一乗妙典である法華経を受持すべきです。もしそうであるならば、虚妄に染められた生命の塵芥を払って清浄の覚体を得ることは疑いないのです。
※爾前の諸経には、二乗・菩薩が「歴劫修行」といって、無量劫の長期間に亘って修行しても仏に成り難い、とあります。法華経提婆達多品には、「汝が神力を以って、我が成仏を観よ。」と言って、8歳の竜女が、忽然と変じ男子と成って(変成男子)成仏し、妙法を演説したと説かれています。この様に、法華経の功徳は絶大なのですね。


「法理をもしらず、煩悩をもしらずといえども、ただ信ずれば、見思・塵沙・無明の三惑の病を同時に断じて、実報・寂光の台にのぼり、本有三身の膚を磨かんこと疑いあるべからず。されば、伝教大師云わく『能化・所化ともに歴劫無し。妙法経力もて即身成仏す』と。法華経の法理を教えん師匠も、また習わん弟子も、久しからずして法華経の力をもって、ともに仏になるべしという文なり」(聖愚問答抄下 新580頁・全499頁)
現代語訳:法理をも知らず、煩悩をも知らないとしても、ただ信ずれば見思、塵沙、無明の三惑の病を同時に断じて、実報・寂光の浄土に到り、本有の三身如来の生命を磨きあらわすことは疑いないのです。それ故に、伝教大師は法華秀句で「能化も所化もともに長劫にわたる修行を経ることなく、妙法蓮華経の力で即身成仏する」と説かれているのです。法華経の法理を教える師匠も、また学ぶ弟子も直ちに法華経の力でともに仏になる、との文なのです。
※能化とは能く他を化導・教化する人つまり師匠のことであり、所化とは化導・教化を受ける我々であり日蓮門下をいいます。御本仏日蓮大聖人の仏法によって、我々も仏の様に敬われる存在にならなければなりませんね。


◎本抄の内容は、先ず律、浄土、真言、禅の各宗の智者(上人・居士)が次々に来て自宗の信仰を勧めます。その度に愚者は、その義に納得しますが、終いには何が是か非かと迷い、法華経の実力を聞くにおよんで真実の法を求めて法華経の聖人を訪ねるのです。私達も真の人生哲学を求めて、現在の境涯に至ったことを感謝したいですね。


[66]

題名:師匠と我らとの関係 8(持妙法華問答抄)

名前:サム

MAIL 投稿日: 2024/03/09(土) 21:57 2001:ce8:127:e3a4:c8be:f970:206d:4b61(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:c8be:f970:206d:4b61)

師匠と我らとの関係 8(持妙法華問答抄)


持妙法華問答抄における弟子との関係


本抄は、弘長3<1263>年3月大聖人42歳の御作とされ、短い御文で対告衆不明ながら、問答形式で門下に成仏得道の法理を御教示されていますので、紹介します。


「仏性の種あるものは仏になるべしと爾前にも説けども、いまだ焦種の者作仏すべしとは説かず。かかる重病をたやすくいやすは、独り法華の良薬なり。ただすべからく汝仏にならんと思わば、慢のはたほこをたおし、忿りの杖をすてて、ひとえに一乗に帰すべし。名聞名利は今生のかざり、我慢偏執は後生のほだしなり。ああ、恥ずべし恥ずべし、恐るべし恐るべし。」(持妙法華問答抄 新513頁・全463頁)
現代語訳:「仏性の種子があるものは仏になる」と爾前経にも説いているけれど、いまだ焦種の者(二乗)が仏になるとは説かれていません。この様な重病をたやすく治すのは、独り法華の良薬だけです。ただ、あなたが仏になろうと思うならば、慢心のはたほこを倒し、瞋りの杖を捨てて、ひとえに一仏乗の法華経に帰依すべきです。名聞名利は今生だけの飾りであり、我慢や偏執は後生の足かせなのです。まことに恥ずべきであり、恐るべきことです。
※大聖人は「成仏する為には、慢心や怒り恨みを捨てて、名聞名利や我慢偏執は恥ずべきなので考えないで、法華経に帰依するべきです」と仰せです。


「受けがたき人身をうけ、値いがたき仏法にあいて、いかでか虚しくて候べきぞ。同じく信を取るならば、また大小・権実のある中に、諸仏出世の本意、衆生成仏の直道の一乗をこそ信ずべけれ。持つところの御経の諸経に勝れてましませば、能く持つ人も亦諸人にまされり。ここをもって経に云わく「能く是の経を持つ者は、一切衆生の中において、またこれ第一なり」と説き給えり、大聖の金言疑いなし」(持妙法華問答抄 新514頁・全464頁)
現代語訳:受けがたい人身をうけ、あいがたい仏法にあいながら、どうして一生をむなしく過ごしてよいでしょうか。同じ様に仏法を信ずるならば、大小・権実とある仏法中で、諸仏出世の本意であり衆生の成仏の直道である法華一乗をこそ信じるべきです。所持する法華経が諸経に勝れていれば、能く所持する人もまた諸人に勝れるのです。この事を法華経薬王菩薩本事品には「能くこの経を持つ者は、一切衆生の中でもまた第一である」と説かれています。仏の金言は疑いないのです。
※仏法は、自身だけの修行から自他共の幸福を祈願・実践するものと発展してきました。そして究極は、諸仏出世の本意でかつ衆生の成仏の直道である法華一乗(日蓮仏法・御本尊)を信じていきなさい、と仰せですね。


「経に云わく「経を読誦し書持することあらん者を見て、軽賤憎嫉して、結恨を懐かん。その人は命終して、阿鼻獄に入らん」と云々。文の心は、法華経をよみたもたん者を見て、かろしめ、いやしみ、にくみ、そねみ、うらみをむすばん、その人は、命おわりて阿鼻大城に入らんと云えり。大聖の金言、誰かこれを恐れざらんや。『正直に方便を捨つ』の明文、あにこれを疑うべきや。しかるに、人皆経文に背き、世ことごとく法理に迷えり。汝、何ぞ悪友の教えに随わんや。されば、邪師の法を信じ受くる者を名づけて、毒を飲む者なりと天台は釈し給えり。汝、能くこれを慎むべし、これを慎むべし。」(持妙法華問答抄 新515-6頁・全465頁)
現代語訳:法華経譬喩品には「経を読誦し書持する者を見て、軽賎憎嫉して恨みを懐くならば、その人は命を終えて阿鼻獄に入るであろう」と説いています。文の意味は、法華経を読み持つ者を見て、軽んじ、賎しみ、憎み、嫉み、恨みを懐くならば、その人は命が終わって阿鼻大城に入るというのです。仏の金言であり、誰がこれを恐れずにいられるでしょうか。「正直に方便を捨てて、但無上道を説く」との法華経方便品の明文をどうして疑うことができるでしょうか。ところが、人は皆、経文に背き、世はことごとく法理に迷っています。あなたはどうして悪友の教えに随うことがあるでしょうか。だから「邪師の法を信じ受ける者を名づけて毒を飲む者という」と天台大師は解釈されています。あなたはよくこの事を考えて慎むべきです。
※正法を信仰している人を見て、軽んじ、賎しみ、憎み、嫉み、恨み等を懐く人は、結局、負の価値の人生を送る事になるでしょう、と先師も教えています。


「一切の仏法もまた人によりて弘まるべし。これによって、天台は『仏世すらなお人をもって法を顕す。末代いずくんぞ法は貴けれども人は賤しと云わんや』とこそ釈して御坐しまし候え。されば、持たるる法だに第一ならば、持つ人随って第一なるべし、しからば則ち、その人を毀るは、その法を毀るなり。その子を賤しむるは、即ち其の親を賤しむなり。ここに知んぬ、当世の人は詞と心とすべてあわず。孝経をもってその親を打つがごとし。あに冥の照覧恥ずかしからざらんや。地獄の苦しみ、恐るべし恐るべし、慎むべし慎むべし。上根に望めても卑下すべからず、下根を捨てざるは本懐なり。下根に望めても憍慢ならざれ、上根ももるることあり、心をいたさざるが故に。」(持妙法華問答抄 新516頁・全465-6頁)
現代語訳:一切の仏法もまた人によって弘まるのです。これによって天台大師は「仏の在世でさえ、なお人によって法をあらわす。末代にあって、どうして法は貴いけれども人は賎しいといえようか」と解釈されています。だから、所持する法さえ第一ならば、所持する人もまた第一なのです。そうであれば、その人を毀るのは、その法を毀ることになるのです。その子を賎しむのは、即ちその親を賎しむことなのです。これに照らせば、当世の人は言葉と心とが全て一致しないのです。孝経(儒教の根本である「孝」について孔子が説く)でもって、その親を打つ様なものです。仏菩薩が御照覧されるのに、恥ずかしくはないのでしょうか。地獄の苦しみはまことに恐るべき事であり、くれぐれも慎まなければなりません。上根(三根[上・中・下]の一つで、煩悩に左右されず法をすぐ理解する機根)の人を望みて比較しても、自分を卑下してはなりません。下根を見捨てないのが仏の本懐だからです。下根(上根・中根より機根が劣っている)の人を見て比較しても、高慢であってはなりません。上根も救いに漏れる事があり、心を込めて仏法を求めないからです。
※人によって法は弘まるのです。他抄にも「法自ら広まらず、人法を弘むる故に、人法ともに尊し」(新2200頁・全856頁)「法妙なるが故に人貴し」(新1924頁・全1578頁)とあり、法とそれを弘める人は同体と言えるでしょう。本抄に「『一切衆生皆成仏道』の教えなれば、上根・上機は観念観法もしかるべし、下根・下機はただ信心肝要なり」(同 新515頁・全464頁))とあります。(法華経は)一切衆生の皆が成仏する道、との教えであれば、上根・上機の者は観念・観法でも相応しいが、下根・下機の者はただ信じる心が肝要です、との意味ながら、此処の御文では、上根・上機の人でも真摯な信仰心が必要である、と仰せです。


「寂光の都ならずば、いずくも皆苦なるべし。本覚の栖を離れて、何事か楽みなるべき、願くは、『現世安穏、後生善処』の妙法を持つのみこそ、ただ今生の名聞、後世の弄引なるべけれ。すべからく、心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱え他をも勧めんのみこそ、今生人界の思い出なるべき」(持妙法華問答抄 新519頁・全467頁)
現代語訳:寂光の都で無いならば、どこも全部苦の世界です。本覚の栖を離れて、どんな事が楽しみとなるでしょうか。願いとしては「現世は安穏であり、後生は善処に生まれる」と仰せの妙法を持つことのみで、ただ今生には真の名聞であり、後世には成仏の手引きとなるのです。全て心を一にして、南無妙法蓮華経と我も唱え、他人をも勧めることが、今生に人間として生まれてきた思い出になるのです。
※妙法を持てば、今生で真の名聞に、後世で成仏の手引きとなり、「我等出生の思い出は、妙法を我も唱え他をも勧めること」なのですね。


◎題目通り「持妙法華(妙法蓮華経の受持)」について問答形式で書かれた本抄は、妙法蓮華経を受持し自行化他にわたる信心修行に励むことこそ仏意に適った最大最高の人生であり、成仏する直道です、と御教示されています。


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