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(発行=24.07.15)
昔から無かった法主の「開眼」「許可」
「慧妙」の〝ニセ本尊説〟を徹底粉砕 ㊦
以前は法道院で印刷して各末寺へ直送
日蓮正宗の坊主らが主張する「法主による開眼」は昔からなかった。「本山で
の法主の開眼など御形木御本尊については行われていなかった」と改革僧が異
口同音に証言している。
学会の出現以前は日蓮正宗に入信する人は皆無に等しい状況だったから御本尊
を下付する必要もなかった。
時折、入信する人が現れた場合、各末寺が勝手に御本尊を授与していたのだが、
その都度、法主が開眼することはなかった。
たとえば、東京の妙光寺が下山日布(五十五世)、法道院が大石日応(五十六
世)、常在寺が阿部日正(五十七世)と、それぞれ有縁の法主の御形木を持っ
ていて、勝手に印刷・表装して、授与していたのである。
また、香川の讃岐本門寺では過去に、塔中坊に安置されていた日興上人の御本
尊を御形木にして檀家に下付していた。
更に、学会員が草創期に受けていた日寛上人の享保三年の御形木御本尊は池袋
の法道院で印刷していた。それを各末寺は本山を経由しないで直接、法道院か
ら受け取っていたのである。
即ち、学会草創期に流布した享保三年の日寛上人の御形木御本尊は、相貌も、
授与書きがない点も、法主による開眼などがなかった点でも、現在の学会授与
の享保五年の日寛上人書写の御形木御本尊と全く同じだったのである。
こうした事実を知っている日顕は、平成四年十一月十二日、淨圓寺の成田宣道
住職が宗門から離脱した時、周囲の者に「しまった、あの寺には日寛上人の御
本尊があったな」と悔しそうに呟いたという。
次に宗門側は「法主の許可がない」と非難する。
日寛上人が「本尊書写豈(あに)化他に非ずや」(観心本尊抄文段)と仰せの
ように、御本尊書写は広宣流布のために御本尊を御図顕された大聖人の御慈悲
を拝しての化他行なのである。
御本尊を拝ませてあげたいという大聖人の御心、それに純真に御本尊を拝した
いと願う衆生の心が合致して、そこに功徳がある。
日顕は己の責務を放棄し、学会員を脅すために御本尊の下付を停止した。
その日顕の所行は、仏と衆生の間に割り込んで成仏を妨害するだけでなく、御
本尊を信徒支配の道具に利用したのである。
広布破壊、成仏妨害の天魔と化した日顕が御本尊の下付を停止したから大聖人
の信心の血脈を現代に受け継ぎ、妙法を全世界に流布してきた唯一の和合僧団
である創価学会が、その資格で御本尊を授与するのは当然である。そうでなけ
れば、全人類のために御本尊を御図顕された大聖人の御心に適わない事態にな
る。
以上のように、日蓮正宗の坊主らの学会授与の御本尊への誹謗は根拠がなく、
大聖人の御心に背くのだ。
御書には「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹
(つつ)み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」と記されている。大聖人が末法万
年の全人類のために御図顕されたのが御本尊だ。宗門の都合で許可するとか、
しないとか、そんな事を言うのは大聖人の御精神に反する。
最後に相承無きニセ法主の日顕と日如が模写した本尊こそが「ニセ本尊」だと
断言するものである。