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題名:日蓮仏日蓮仏法の私なりの解釈 7 (仏法と病の関係 3)

名前:サム

MAIL 投稿日: 2023/09/24(日) 10:02 2001:ce8:127:e3a4:4462:dc43:6082:93d8(IPv6:k-opticom-jpnic-jp-20030113) (2001:ce8:127:e3a4:4462:dc43:6082:93d8)

日蓮仏法の私なりの解釈 7 (仏法と病の関係 3)


病に関する大聖人の深慮

今回も前回同様、日蓮大聖人の弟子に対し師匠として、思いやりのある御文を紹介します。


「人間に生をうけたる人、上下につけてうれえなき人はなけれども、時にあたり、人々にしたがいて、なげきしなじななり。譬えば、病のならいは、いずれの病も、重くなりぬれば『これにすぎたる病なし』とおもうがごとし。主のわかれ、おやのわかれ、夫妻のわかれ、いずれかおろかなるべきなれども、主はまた、他の主もありぬべし。夫妻はまた、かわりぬれば心をやすむることもありなん。おやこのわかれこそ、月日のへだつるままに、いよいよなげきふかかりぬべくみへ候え。おやこのわかれにも、おやはゆきて子はとどまるは、同じ無常なれどもことわりにもや。おいたるはわはとどまりて、わきき子のさきにたつ。なさけなきことなれば、神も仏もうらめしや」(光日房御書 新1252頁・全929頁)
現代語訳:人界に生を受けた人は、上より下まで、憂患のない人はないけれども、時にあたり、その人その人にしたがってその嘆きは色々です。たとえば病気のならいとして、どんな病気も重くなると、「これ以上の重病はない」と思う様なものです。主人との別れ、親との別れ、夫妻の別れ、いずれが劣る嘆きではないけれども、主人との別れにはまた他の主人に仕えることもあるでしょう。夫婦の場合はまた替わりの人を得れば心を安めることもできるでしょう。だが親子の別れだけは月日が経つほどにいよいよ嘆きが深くなってゆくものとみえます。また親子の別れでも、親が先に亡くなって子供が生き残るのは、同じ無常ではあっても自然の道理でしょう。だが年老いた母が生き残って若き子が先立った時は、余りに情けない事なので、神や仏に対して恨みたくなる気持ちなのです。
※病気だけではなく、身近な人との別離も、ともすれば、神仏を恨みたくなるものです。しかし、悲しむだけではなく、これを乗り越える方法を大聖人だけがお持ちなのです。


「主の御返事をば申させ給うべし。『身に病ありては叶いがたき上、世間すでにこうと見え候。それがしが身は、時によりて憶病はいかんが候わんずらん。只今の心は、いかなる事も出来候わば、入道殿の御前にして命をすてんと存じ候。もしやの事候ならば、越後よりはせ上らんははるかなる上、不定なるべし。たとい所領をめさるるなりとも、今年はきみをはなれまいらせ候べからず。これより外は、いかに仰せ蒙るとも、おそれまいらせ候べからず。これよりも大事なることは、日蓮の御房の御事と過去に候父母のことなり』とののしらせ給え。『すてられまいらせ候とも、命はまいらせ候べし。後世は日蓮の御房にまかせまいらせ候』と、高声にうちなのり居させ給え」(四条金吾殿御返事 新1563頁・全1149-50頁)
現代語訳:主君(江馬氏)への御返事を次の様に言いなさい。「私は今、病気ですので、遠国に行けとの主君の御命令でも叶い難とうございます。その上、世情は大事が起こりそうな気配でございます。私の身は、その時にあたって、どうして臆病の筈がございましょうか。只今の心は、たとえどの様なことが起きようとも、入道殿の御前で一命を捨てる覚悟でございます。もし一大事が起きたなら、越後から鎌倉の主君のもとに馳せ参ずるには、あまりに遠すぎるし、行くことが可能かどうかもわかりません。たとえ所領を取り上げられても、今年は、御主君の御側を離れません。これ以外にどの様な仰せを蒙っても、少しも恐れはいたしません。これよりも大事なのは、日蓮の御房の御事と亡くなった父母の事です」とはっきりと言いきりなさい。また「お見捨てになっても、私の命は差し上げます。後世は日蓮の御房にまかせてあります」と声高らかに申し上げなさい。
※大聖人が四条金吾の身の上をご心配されて、御主君へのお手紙の内容を御教示されています。大聖人の弟子に対する深い慈愛が感じられます。


「仏法の中に内薫外護と申す大いなる大事ありて宗論にて候。法華経には『我は深く汝等を敬う』、涅槃経には『一切衆生ことごとく仏性有り』、馬鳴菩薩の起信論には『真如の法、常に薫習するをもっての故に、妄心即ち滅して、法身顕現す』、弥勒菩薩の瑜伽論には見えたり。かくれたることのあらわれたる徳となり候なり。されば、御内の人々には天魔ついて、前よりこのことを知って、殿のこの法門を供養するをささえんがために今度の大妄語をば造り出だしたりしを、御信心深ければ十羅刹たすけ奉らんがためにこの病はおこれるか。上は我がかたきとはおぼさねども、一たん、かれらが申すことを用い給いぬるによりて、御しょろうの大事になりてながしらせ給うか。彼らが柱とたのむ竜象すでにたおれぬ。和讒せし人も、またその病におかされぬ。良観はまた一重の大科の者なれば、大事に値って大事をひきおこして、いかにもなり候わんずらん。よもただは候わじ」(崇峻天皇御書 新1592-3頁・全1170-1頁)
現代語訳:仏法の中に、内薫外護という大事な法門があり、これは仏教の原理なのです。法華経不軽品には、「私は深くあなた達を敬います」とあり、涅槃経には「一切の衆生は皆仏性があります」とあり、馬鳴菩薩の起信論には「真如の法が常に薫習する故に、妄心が即滅して、法身が顕現する」とあり、また弥勒菩薩の瑜伽論にも、同様に説かれています。隠れた行動が、外に現われて徳となるのです。それ故江馬家の御内の人々には、天魔がついて、この内薫外護の原理で江馬氏一門が正法の家人となることを知って、あなたが法華経に供養することを防ぎ止める為に、今回竜象房等が大妄語を作り出したのです。ところが、あなたの御信心が深いので、十羅刹女があなたを護ろうとして、主君の病気を起こしたのでしょうか。主君はあなたが自分の仇とは思われていないので、ひとたび彼らの言うことを用いた事によって、御病気が重くなり、長引いておられるのでしょうか。彼らが柱とたのむ竜象房も、すでに倒れてしまった。讒言した人々も、また同じ病におかされてしまった。良観はもう一層仏法上の大罪がある者ですから、大事件に遭い、大事を引き起こして、法罰をこうむることにもなるでしょう。よもや、ただでは済まないでしょう。
※大聖人は病を縁にして、四条金吾に正法とそうでない邪法との違いを教えようされているのです。


「世末になれば、人の智はあさく仏教は深くなることなり。例せば、軽病には凡薬、重病には仙薬、弱き人には強きかとうど有って扶くる、これなり」(報恩抄 新260頁・全328頁)
現代語訳:世が末ともなれば、人間の智慧は浅くなり、仏教は深くなるのです。たとえば、軽病には凡薬を与え、重病には仙薬を与え、弱い人には強い味方があって助ける様なものです。
※情報が複雑に絡み合う現代社会では、人類は安易な考えに陥り易くなっていますね。最近のフェイクニュースの乱用がそれです。であればこそ、深遠な仏教の生命哲学が必要になって来ているのです。


◎大聖人は、他の多くの御消息文でも、病気の治癒だけではなく、個々の悩みや不安を解決させるためには、妙法の信仰を確固たるものにしなければならない、と御教示されていますね。


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