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師匠と我らとの関係 1(観心本尊抄)
信仰上の師匠は、当然御本仏であられる日蓮大聖人ですが、人生の先輩であり実質的師匠なのは、私にとって創価学会第三代会長池田大作先生なのです。
大聖人の御文では、師匠日蓮大聖人と我々門下の関係を述べておられますが、勝手に敷衍して述べさせて頂くと、これは現代の池田先生と我ら創価学会員の関係にも相当するとも考えられます。
観心本尊抄における弟子との関係
法本尊開顕の書とされる観心本尊抄に「仏と弟子の関係」を述べておられるので紹介します。
「夫れ、文殊師利菩薩は東方金色世界の不動仏の弟子、観音は西方無量寿仏の弟子、薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子、普賢菩薩は宝威仏の弟子なり。一往、釈尊の行化を扶けんがために娑婆世界に来入す。また爾前・迹門の菩薩なり。本法所持の人にあらざれば、末法の弘法に足らざるものか」(観心本尊抄 新142頁・全251頁)
現代語訳:いったい(法華経を初め諸経に出て釈迦仏の説法を助けている大菩薩を見ると)文殊師利菩薩は東方の金色世界にいる不動仏(不動智仏)の弟子であり、観音菩薩は西方の世界にいる無量寿仏(阿弥陀仏)の弟子であり、薬王菩薩は日月浄明徳仏の弟子であり、普賢菩薩は宝威仏の弟子であると云われています。これらの諸菩薩は一往釈尊の行化を扶けるために娑婆世界へ来ているのであって、また爾前迹門に活躍する菩薩なのです。本法たる妙法五字を持っていないのだから、末法に法を弘め衆生を化導する能力がないのでしょう。
※迹仏の弟子だった迹化の菩薩では、末法の衆生を救済できないと仰せなのです。
「今、末法の初め、小をもって大を打ち、権をもって実を破し、東西共にこれを失い、天地顚倒せり。迹化の四依は隠れて現前せず。諸天その国を棄ててこれを守護せず。この時、地涌の菩薩始めて世に出現し、ただ妙法蓮華経の五字のみをもって幼稚に服せしむ。「謗に因って悪に堕つれば、必ず因って益を得」とは、これなり。我が弟子、これを惟え。地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり。寂滅道場にも来らず、双林最後にも訪わず。不孝の失これ有り。迹門の十四品にも来らず、本門の六品には座を立つ。ただ八品の間にのみ来還せり。かくのごとき高貴の大菩薩、三仏に約束してこれを受持す。末法の初めに出でたまわざるべきか。当に知るべし、この四菩薩、折伏を現ずる時は賢王と成って愚王を誡責し、摂受を行ずる時は僧と成って正法を弘持す」(観心本尊抄 新145頁・全253-4頁)
現代語訳:今末法の初めに入って小乗をもって大乗を打ち、権教をもって実教を破り、(東を西といい西を東といって)東西ともにこれを失し、天地が顚倒します(大混乱の時代となっています)。(像法時代に正法を弘めた)迹化の四依の菩薩は既に隠れて出現せず、諸天善神はこの様な謗法の国を捨て去り守護しておられない。この時に地涌の菩薩が初めて世に出現し、ただ妙法蓮華経の五字だけをもって幼稚な衆生に服させるのです。妙楽大師が「謗ずる因によって悪に堕ち、必ずその因縁によって大利益を得る」とありますが、意味(末代幼稚の邪智謗法の衆生は初めて妙法五字の大良薬を与えられてもこれを信じられず、誹謗して悪道に堕ち、それが因となり下種となって、即身成仏の大良薬を服する事ができる)は、これなのです。我が弟子達は、この事をよく考えなさい。地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子です。なのに、(釈迦仏が成道して初めて説いた)寂滅道場の華厳経の時も来ていないし、双林での最後(の説法たる涅槃経)の時も訪れていないのです。これは実に不孝の失というべきでしょう。(法華経においても)迹門の十四品には来ないで、本門でも(薬王品第二十三以後の)六品には座を立っています。ただ(釈尊五十年の説法中、法華経本門の涌出品から嘱累品までの)八品の間だけ来還しているに過ぎないのです。この様な高貴の大菩薩が釈迦多宝分身の三仏に約束して妙法五字を譲り与えられ受持しているのです。どうして末法の初めに出現しないことがあるでしょうか、必ず出現するのです。まさに認識しなさい。この四菩薩は折伏を現ずる時には賢王と成って力を以って愚王を責め誡しめ、摂受を行ずる時は聖僧と成って正法を弘持するのです。
※現代的に言えば、賢王とは良識ある社会的実力者(報道マンや政治家・実業家等)が該当し、聖僧とは社会活動家・思想家や学者・教育者等の常識豊かな識者が適任でしょう。結果的に生命尊厳の哲学を持つ全ての創価学会関係者の事ではないかと考えられます。世界平和は、四大菩薩を代表とする地涌千界の菩薩つまりSGI会員こそが、予言とも云える大聖人の御心を実現させる事ができるのではないでしょうか。
◎池田先生が、去る2023年11月15日に、ご逝去されました。この報に接し、深い悲しみで一杯です。私も、池田先生より直接的及び間接的に多くの指導を頂き、感謝に堪えません。
今回、誰もが「師匠と弟子との関係」の重要性を改めて意識されているのではないでしょうか。