[77]
(発行=24.05.23)
大草一男は大講頭に再任されず
日顕も見抜いていた、妙観講は謀略の産物 ㊤
今更、日如に媚び諂っても後の祭り
日蓮正宗大石寺塔中・理境坊所属の妙観講講頭の大草一男は平成十六年、日顕
によって登用され、法華講大講頭になっていたが、この度の人事では再任され
なかった。
この度、法華講大講頭の辞令を受けたのは渡辺定元( 大石寺総代)、関野洋
夫( 法華講連合会委員長)、矢澤正人( 同副委員長)の三人。渡辺と関野は
再任、矢澤は新任である。
大講頭の任期は令和四年三月に全員の任期が終了、翌四月には全員が再任さ
れるのが慣例であるが、この年は大講頭の人事は見送られた。そのため、妙観
講の宿敵である顕正会は「大草が大講頭解任」と狂喜していた。
それに対し、謀略紙「慧妙」の事実上の編集責任者である大草は、同紙で「解
任ではなく、任期が満了した。現在は空位というのが正しい」と弁解していた。
大草は当然、再任されると思っていたのだろう。
しかし、気の毒なことに大草の目論見は外れた。
大草としては「慧妙」紙上で顕正会や学会の脱会者の体験を載せるなど妙観講
が頑張っていると宗内に盛んに宣伝していたので再任されると思い込んでいた
ようだ。
それでは、大草は何故、再任されなかったのか? その背景を探り、簡単に
解説すると、現在の不相承の法主・早瀬日如が、父親である日慈(総監で法道
院主管、平成五年に死去) に煮え湯を飲ませて法道院を離籍し、そのうえ総監
を辞任に追い込んだ張本人が大草だと知っているからだ。
したがって、大草が今更、「慧妙」を使って日如に媚び諂っても、日如は親
の仇である大草に対する恨みは消えることがないのだ。
それらの事情については左記の「河辺メモ」に次のような興味深い記述が残さ
れている。
「早瀬部長、早瀬義純、河辺面談
河辺=顕正新聞に大草(法道院法花講を脱講し、妙観講を作る)の事が出ている。
早瀬寛=1、大草問題の時、現猊下から電話があり『これは謀略だ』と云って
いた。
2、あの時、師匠(早瀬の慈父 弟子、法道院主管・重役)に『大草と戦います
か』と聞いたら、師匠は『争わない』と云ったので、大草のなすがままに任せ
た。
今の大草は、その因果応報、あの時(大草問題)の真相を浅井が代弁している」
以上のように記されている。大草一派が法道院を離籍し、妙観講を作ったのは
「謀略」だったと、日顕も日如らも熟知していたのだ。
日顕や日如らが見抜いていた大草の謀略については、次号で述べる。(つづく)