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《夏休み日記(2015.SUMMER第8回)》
No:5004 投稿者:石嶺佑騎 投稿日:2015/09/14 Mon 20:46:53

8



夏休み日記(1)
夏休み日記(2)
夏休み日記(3)
夏休み日記(4)
夏休み日記(5)
夏休み日記(6)
夏休み日記(7)

夏休み日記 (8)です(^^)
9/14〜20の夏休み日記です。

夏休みも残り二週間と少しです。
前回の場立てで書き込みが減っていると指摘されている現状、ここが踏ん張りどころです!!
前期にやった掲示板書き込み大賞、現役生の書き込みは取り上げられませんでした。
夏休み日記でそれを目指すということは難しいでしょうが、ここでの一つ一つの書き込みが
私たちの書く力に繋がっているはずです。

小さなことから一つずつ、積み上げていきましょう。


忙しくて書けなくても、読むことはできます!
先生からご提案頂いた「読んだ符号」を活用しましょう。

 very good!           (Sクラス)…v(^_^)v
 good!             (Aクラス)…(*^_^*)
 not bad            (Bクラス)…(^_-)
 uuuun             (Cクラス)…(?_?)


《9月14日(月)》
〇石嶺佑騎(24期 20:50)v(^_^)v(*^_^*)
ネットでこんな記事を見つけました。
義父がペッパーを買った
例のペッパー君が実際に今どのようにして活躍しているのかの片鱗を知ることができる記事です。
現時点でのペッパー君は、空気を読むこと、表情を作ることなどはできないものの、能動的に話しかけたり、
意図せず笑いを起こす程度のことはできているようですね。
記事を読むと予想以上にペッパー君がお茶の間にいることに対し好意的で、また購入した家族においてもペットのように
受け入れていて驚きました。
しかし「人間ではないロボット(感情を理解しないロボット?)」という見方は相変わらず変わっていないとも感じました。
私はペッパー君が販売される前まで「ロボットが人間の家庭に入ること」に対して懐疑的で、皆受け入れられないのではないか
と思っていたのですが、この記事を読んで、ロボットは迅速に人間社会に溶け込むんでいくのかもしれませんね。。

⇒木田です、ペッパーの記事読みました。
 日本人って、結構生物でもない「もの」にも愛着もったりしやすい方ですよね。
 欧米だと、保守的なキリスト教徒の一部は、人間があたかも「神」=造物主のように、
 知性をもつ存在(ロボット含む)を作り出すことに対して反感を持っていると聞きます。
 日本では、いつの間にかペッパー君が生活に浸透してた、なんてことになりそうである意味怖いですね。 

⇒とてもおもしろかったです!
 家族の和やかな雰囲気と、ペッパーの魅力が伝わってきます。
 (そのぎこちなさやハプニングも含めて、ペッパーの魅力なのだと思います。)
 こうなると、一か月後、一年後の立ち位置が気になるところです。
 「家族のいい一員」になるのか「疎ましい機械」になるのか…、
 ハラハラしますね! がんばれペッパーくん!

 さて、人がペッパーくんに感情移入してしまうと、
 電化製品のように「買い替える」ことはできなくなります。
 そのため、まずはネット経由でアップグレードすると予想されます。
 しかしながら、ある程度は「成長」できるにしても、
 今のペッパーくんは10年、20年先には「買い替え」ざるを得ないでしょう。。
 生まれてしまったばかりに、かわいそうに…。

 あれ、私はすでに感情移入しているようです。(笹井純也)

⇒面白いです!
 ペッパーが家に来るとこんな感じになるのかぁ、と
 臨場感が伝わってきました。
 こういう記事を読むと、「こいつ、どこまでできるんだ?」
 と興味がわいて、ついつい買いたくなってしまいます。
 
 やはりまだ会話は違和感を持つものではありますが、
 人間と同じような意思疎通ができるようになったら、
 笹井が言っているように、取り換えが利くものでは無くなるでしょう。
 破棄するときに、A.I.はどんな表情を、言葉を発するでしょうか。
 果たして、そこまで作りこむでしょうか。
 知性を持つ「人間」と「A.I.」。その分水嶺はどこにあるのでしょうか。
 興味深いです。(渡邊諒太)

〇笹井純也(26期 26:15)(*^_^*)
8月11日の夏休み日記に、高橋がこんな事を書いていました。
「格式やマナーというものが分からなくなる時があります。
 大多数の相手がそれを知らなかったとき、
 そのマナーを守る意味はあるのでしょうか?」

私の意見を考えてみました。
マナーとは、相手に礼儀を重んじるために 発せられる行動、です。
そうであるなら、相手が知っているかどうかに関係なく守るべきであり、
この疑問自体がナンセンスです。

しかし現実でのマナーは、とにかく守らなければならないこと、
相手が知っているからこそ成立すること、でもあります。
「マナーは面倒なだけでなく相手が知らなかったら無意味になるだなんて…」、
という気持ちも分かります。
それでも、「相手が本当に知らないのかどうか」が決して分からない以上、
ひとまずマナーを守っていく姿勢は欠かせません。

…ここまでの内容では、高橋の提起してくれた面白さに沿っていない気がしました。

今回の面白さは、マナー(や言葉遣い)は一見安定しているように見えて実は不安定である、
という気付きにあると思います。
そうであるなら、
 ・一般的には常識とされるマナーにも関わらず、
  その場のほぼ全員が そのマナーを間違えていた時、どうすべきか。
 ・上司がマナーを勘違いして覚えていると分かった時、どうすべきか。
などのケーススタディを通じて、
「マナーとは何か」「その状況ではどのように行動すべきか」を考えることも楽しそうです。

⇒僕も少し考えてみます。

 マナーとは本来、「@相手に礼を欠かない為に守るべきもの」
 だと思いますが、その他に
 「A自分が恥をかかない為に守るべきもの」という二つ目の意味もあるように思います。

 その上で、今回の話をまずは三つのレベルに分けてみました。

 マナーを
 (1)自分が(a)知っている/(b)知らない
 (2)相手が(a)知っている/(b)知らない
 (3)一般的に(a)知られている/(b)知られていない

 先ず、今回は自分がマナーの守り方を知っている事が前提となるので、(1)は(a)です。
 続いて「(2)-(a), (3)-(a)」「(2)-(a), (3)-(b)」ならば、@に当たるので相手の為に守るべきです。
 「(2)-(b), (3)-(a)」ならば、Aに当たると思うので自分の為に守ろうとします。
 「(2)-(b), (3)-(b)」ならば、この三つのレベルで言えば守る優先度は低くなるという事になります。

 無論、笹井が言っているように(2)はわからない場合が殆どなので、マナーは守ることになると思います。

 加えて、「(2)-(b), (3)-(b)」の場合は3つのレベルで考えれば守る優先度が低くなるというだけで、
 実際にそのマナーを守らなくていいとはならないでしょう。
 一般的でないにしろ、そのマナーが「ある」という事は何らかの意味があるという事だと思います。
 その意味に立った上で判断しない限り、それを破棄することは
 自分がそのマナーを知っているならば出来ないのではないでしょうか。

 やはり結局のところ、マナーの仕方とその意味を理解し、
 相手がどうであれ、原則守っていく他はないのだろうというのが僕の結論です。

 (ところで、(1)-(b)の時は、どう振舞ったらよいのだろうか…。
  やはり知らないことを叱られて学んでいく他にはないのかな?)

 本当は「上司が誤っていた時に、指摘すべきか?」という問い、も考えてみたいのだけれど、
 一旦ここらで筆をおこうと思います。(渡邊諒太)


→(日々野15期 23:08 2015/09/16)
おっ、と思ったのでこのマナーの話に食いついてみます。
「新潮45」9月号にて曽野綾子が面白いことを書いていました。(読んだ子いないかな?)
>ハレの日には、自分が持っている一番いい服を着る、
>と言うのが、世界共通の人間の意識だ。(「人間関係愚痴話」より)
背広。なければ借りもの。それもなければ、おろしたてのTシャツを。
マダガスカル西海岸の僻村で、小学校を建てたときの開校式での話だそうです。

マナーというと、文化的なもの、教養として(後天的に)得るものと考えがちですが、
文化を超えて、人類に普遍的なものもあると言えそうです。
確かに「相手に礼を欠かない」「自分が恥をかかない」は、あらゆる社会で共感されうるように思えます。

また、渡邊君は、マナーについて
a) 知っている  b) 知らない
の二つに分類して論じていますが、もうひとつありそうな気がします。
c) 知らないわけではないが、無視する
「個性」「多様性」の現代ですが、むしろひっかかりを覚えるのは、この c) の場合かもしれません。



〇渡邊諒太(26期, 28:15)
ずいぶんとご無沙汰になってしまいました汗
ノンアルコール飲料について、ちょっと面白い話が聞けたので
今日はこのことについて書こうと思います。

お昼前、まだまだ夏休みという事ですやすやと寝坊をしていたところに、
母から「諒太ー!!」と大きな声で呼ばれました。

一体何事かと思い自分の部屋から居間へ向かうと、
ノンアルコール飲料を片手に「ちょっと聞いてョ」と言いたげな母の顔。

聞くと、コンビニにノンアルコール飲料を買いに出かけたところ、
なんとアルコールも入っていないのに年齢確認を受けたとの事。
「知ってた?ノンアルコールでも年齢確認するんだって!」

加えて、何で「ジュース」なのに年齢確認をするのか興味津々で、
店員さんに聞いたら「うーん…大人の飲み物だからじゃないですかね。」
と、アヤシげな回答を受けた事がさらに面白かったらしく、
生活リズムを正すという意味を込みで、僕を起こして話したかったそうです。

でも、気になりませんか?なんで一応「ジュース」なのに、年齢確認をするのか。

調べてみるとこれもなかなか面白かったです。
ノンアルコール飲料を買ったのに、コンビニで年齢確認される理由

どうやら、法律的なものでなくメーカーや販売店で
「未成年者の飲酒を助長する恐れがある」という理由から自主規制で年齢確認を設けているそうなのです。
一見ちょっとアヤシげな「大人の飲み物だから」というのが意外と的を射た解釈だったようです。

(この様に法律などの制度上の理由からではなく、
倫理的な面から考えて商品を規制するというような行動は
やはり企業が単に利潤追求の為の存在ではなく、
社会的機関としての存在であることの一つの証左でしょうか。)

割とよく耳にする商品で、ふとした時に「あれ、何で?」と思ってしまう。
こんな不思議な商品が他にあったら是非教えてほしいです!


《9月15日(火)》  
〇笹井純也(26期 27:40)

横浜美術館へ行ってきました。
そこでの気付きを書きます。

@「言葉」は数ある表現方法のうちの一つでしかないのではないでしょうか。
音楽、美術、映像といった「表現方法」のうちの一つが「言葉」なのではないか。そんな考えが漠然と浮かびました。

きっと各表現方法には、伝えやすいものと、伝えにくいもの、がそれぞれにあります。
そのなかで言葉は、「公用語」として使われているだけなのでしょう。
それぞれの長短を考えることで、どのような場面でどのような表現方法をするのが適切か、分かるはずです。

日常会話や面接では、自分の考えを示すには「言葉(特に、話し)」しかないと考えがちですが、
もっと大きく捉えられれば、「言葉」に対しての私の印象も変わりそうです。

A美術館の壁はいつも白ですが、本当に白が適切なのでしょうか?
自然界においては、白はあまり見ない色です。
当時その作品が飾っていた壁は、きっと全てが白とは限りません。

そう思って調べてみたところ、
パリのオルセー美術館は壁の色にこだわり、
各展示室でもっとも作品を引き立たせる色を選んでいるそうです。

牛乳パックの配色や北原病院の看護と同じように、
「作品自体」だけでなく「その周囲」を考慮した先に、本当に良い質になるのでしょう。
その点 日本では、商品やサービスと比べて、
「全体を意識した美術館」や「全体を意識した図書館」は少ない印象があります。

B西洋画は「緻密」、日本画は「濃淡」、
それぞれの概念を考えてみました。
なぜその単語が思い付いたのか説明できず、 いまいちです。

C老婆の作品がありました。
その瞬間、「いつの時代にも老婆はいるのだ」と驚きをもって気付きました。
言葉にすると平凡ですが、
「いつ・どんな社会にも老婆(老人)はいて、子供もいて、大人もいる。
 今の自分はその経過のどこかに位置している。」というその気付きは、
時間的・空間的広がりを感じました。
さながらコペルくんの気持ちでした。


《9月16日(水)》  
〇笹井純也(26期 25:55)

安保法案が山場です。
今日は参議院の特別委員会で総括質疑が行われる予定でした。
しかし野党の反対により、委員会開催のメドが立っていない状況です。

このテーマの重要性は分かる(つもり)ですが、
山本太郎氏や辻元清美氏の質疑も、
SEALDsのデモや奥田愛基氏の発言も、
賛成派・反対派の人々のブログも、
私はどうにも「苦手」です。

なぜなら、「内容」を意識して聞こうとするのですが、
言葉遣いや口調といった「内容以外の部分」に「聞き苦しさ」を感じるからです。
抜き出します。
 >辻元:だから、海上封鎖されるというのは相当な事態なんですよ。
     わかると思いますけれども、ホルムズ海峡に機雷をまかれたことが日本を海上封鎖されて、
     その状況と防衛大臣として同等だとお考えかときいているわけです。(中略)
  辻元:質問きいてください(笑)。(後略)
  (http://logmi.jp/62627)
 >若者たちは「自由を守れ」「未来を守れ」「安倍はやめろ」
  「勝手に決めるな」「言うこと聞かせる番だ、俺たちが」「何か自民党、感じ悪いよね」などと声をあげた。
  (http://www.bengo4.com/other/1146/1287/n_3392/)
 >憲法の理念や根幹的な発想が理解出来る人であれば、
  この安保法制には反対せざるを得ないと思っています。
  (http://blogos.com/article/134246/)  
 >「長谷川さん、安保法案は『違憲』なんです!だからダメでしょう!」
  という、あぁ、報道ステーションを口開けながら見たのね、的なコメントをたくさん頂戴しました。
  (http://blogos.com/article/123751/)
これらの記事から、
 ・「あなたは知らないようだが、私は知っている。だから従え。」という雰囲気
 ・責任を追及するだけの立場に甘んじる雰囲気
が感じられます。

それに対して私は、
 ・「本当にそうか?なぜそう言い切れるだろう?」
 ・「自分も国民である限り、責任の一端を担っているはずだ。
   よくもまあ一方的に相手を糾弾するなあ…。」
 ・「そんな言い方をしたら、相手を傷つけるし、収拾つかなくならない?」
と感じ、ついには、
「こういう相手とは議論したくないし、関わりも持ちたくないなあ。」
と思ってしまいます。

お互いを納得させ合うことが、議論の本来的在り方であるはずです。
そうであるならば、もっと相手を気遣ってよいと思うのです。
例えば、
 ・「私は安保法案に反対(賛成)ですが、
   戦争を避けたい気持ちはあなたと同じだと思っています。」
 ・「私はこう思うので、一緒にこの方向に向かっていきませんか?」
という表現にした方が、いい議論になるのではないかな、と思います。

そう言う私も、「内容以外の部分」、気を付けていきます。


《9月17日(木)》  
〇笹井純也(26期 26:05)

安保法案で攻防緊迫 野党は徹底抗戦 ※動画
品がない。

デモをする国民はまだしも、
日本を代表する(はず)の政治家が、このような振舞い、みっともないです。
議事の奪い合い、「嘘つき」コール、なんだか寂しくなります。

白熱教室第2回で夕刻者さんは、
「われわれパンピーは「原則、やり方、人柄、総合的」などから「判断」していきましょう。」、
とおっしゃっていました。
また、小林節氏など反対派は「次の選挙で倒すべき」と発言しており、
私もまったくその通りだと思います。

しかし、野党の嘘つきコールを見せられてしまうと……。
与党も野党も「原則、やり方、人柄」が信用できなくなってしまいます。
今回もし野党が品性を持って行動したならば、(意図に対する)信頼は高まったのではないでしょうか。

《9月18日(金)》  
〇笹井純也(26期 28:20)

安保法案が参議院本会議で可決されました。
一つの節目であることは確かです。
そこで安保法案に対する新聞各社の見出しをまとめてみます。

@朝日:(a)安全保障関連法が成立 参院本会議、自公など賛成多数
    (b)「テロの標的になる可能性高まる」 NGOに広がる懸念
    (c)安保審議、大詰めの夜 国会取り囲む、抗議の声・声・声
    (d)安保法案反対デモが問うたもの、残したもの 2氏に聞く

A読売:(a)安倍首相、意義を強調「戦争を未然に防ぐため」
    (b)今後も共闘…民主、学生団体シールズと連携強化 
    (c)中・韓出身の識者、安保法案を議論
    (d)国会前の安全確保へ、機動隊バス並べバリケード

B毎日:(a)安保法案:未明に可決、成立 平和国家の大きな転換点に
    (b)安保法案:「ヒゲの隊長」は民主議員の顔を殴ったのか
    (c)安保法案:揺らぐ「平和の党」 公明、支持者の懸念強く
    (d)安保法案:「憲法改正 遠のく」解釈変更で自民にも不要論

C産経:(a)民主・福山氏、ヤジに激怒 「武士の情けで聞け!」
    (b)民主・蓮舫氏「数が足りなかった。始まりの始まりだ」
    (c)山本太郎氏、“ラスト牛歩”の末に…「アメリカと経団連にコントロールされた政治家は辞めろ!」
    (d)自民・谷垣氏が民主のセクハラ暴行に激怒、懲罰動議に言及 「節度を欠いている」

D日経:(a)安保関連法が成立 集団的自衛権の行使可能に
    (b)安保国会、最後まで激突 野党が未明の抵抗重ねる
    (c)首相「国民守る法的基盤整った」 安保関連法成立
    (d)民主・岡田氏「平和主義に傷痕」 安保法成立、野党から批判

見出しにもこのテーマに対して、
「賛成・反対・中立(どちらともいえない、事実レベル)」の三つの立場が読み取れます。
その立場の表明の仕方も、「明確に意味づけすることにより立場を表明する場合」と
「その事実を取り上げることそれ自体により立場を表明する場合」の二種類があるようです。

例えば、この見出しは事実以上の意味はなく、中立的な内容です。
 「安全保障関連法が成立 参院本会議、自公など賛成多数(@朝日-a)」、
 「安保国会、最後まで激突 野党が未明の抵抗重ねる (D日経-b)」など。
次に、以下の二つの見出しは、事実以上の意味づけをしています。
 「安保法案:未明に可決、成立 平和国家の大きな転換点に(B毎日-a)」
 「安保法案:「ヒゲの隊長」は民主議員の顔を殴ったのか(B毎日-b)」など。
安保法案の可決が「平和国家の転換点」と言えるのは、
今後 悪影響を与えるという反対派の意見を前提としています。
そして、
 「安保審議、大詰めの夜 国会取り囲む、抗議の声・声・声(@朝日-c)」
 「今後も共闘…民主、学生団体シールズと連携強化(A読売-b)」
 「山本太郎氏、“ラスト牛歩”の末に…「アメリカと経団連にコントロールされた政治家は辞めろ!」」(C産経-c)」
これらの見出しは事実のみが書かれています。
しかし抗議の声、連携強化すること、山本太郎の発言を取り上げることそのものが、
新聞社の立場を表していると思います。

また、朝日(@)はデモの様子、毎日(B)・日経(D)は政党の反応、
産経(C)は国会議員個人の様子を中心に取り上げている事に気付きました。
読売(A)に偏った傾向は感じられませんが、中立的な書き方が印象的です。

改めて、新聞社ごとの差異を感じます。


《9月19日(土)》 
○石嶺佑騎(24期 9/19 26:05)
どら焼きとは何か考えたこと、ありますか?

ゼミ生の佐藤君が「チョコプリンどら焼き」なるものを食べていました。
私は思わずそれを見て「これはどら焼きか?」と言ってしまい、どら焼きとは何かという話をしました。
この「チョコプリンどら焼き」、中にはホイップクリームとプリンが、それを挟む生地はまるでパンケーキのようで、
しかもチョコレートを練り込んだチョコ生地。どら焼きらしさは形くらいでした。
しかし佐藤君はこれがどら焼きだということに違和感がない模様。そこで私は私自身何をもってどら焼きとするのか考えることにしました。
どら焼きの要素、それはあの形、そして生地、そして挟まれている餡(餡子)の3つでしょう。何故だかは分からないのですが、
直感的には3つ全てが揃ってこそどら焼きだと私は思います。
どら焼きって何だろう?何を考えればそれに近づけるんだろう?生地に包まれたような気持ちでした。

〇笹井純也(26期 26:36)
施設に入ったときと、出たときの挨拶をまとめてみました。

市役所では「こんにちは」「お疲れ様でした」、
社会保険事務所では「こんにちは」「お疲れ様でした」、
国立新美術館・館内の図書館では「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」、
横浜美術館は「こんにちは」「ありがとうございました」でした。

当たり前かもしれませんが、
コンビニやスーパー、居酒屋では「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」、
病院(歯医者 含む)は「(無言)」「お大事にどうぞ」です。

ここまでの出た時の挨拶の傾向は、
金銭が関わる場合には「ありがとうございました」と言います。
(国立新美術館、横浜美術館は入館料が必要な美術館です。)
金銭が関わらない場合には「ありがとうございました」は不自然であり、
それ以外の言葉が見つからないため、
施設側は「お疲れ様でした」と声を掛けるのではないかと思いました。
ただし病院だけは、「お大事にどうぞ」という言葉が使われています。

では「金銭を払わない美術館(その他施設)」の挨拶は、
どのような言葉が使われているのでしょうか。
今度の美術館は、無料の美術館を狙って行こうと思います。


《9月20日(日)》 
〇笹井純也(26期 29:20)
かるく風邪を引きました。

風邪を引いてから気付きましたが、
風邪に対しては「どのように予防するか」だけでなく、
「もし引いた場合、どのようにして普段の生活や準則を守るのか」、
も考えておくべきだと思いました。
例えば、トイレ掃除や布団干しは 後回しにできますが、
皿洗いや履歴書の提出は 風邪を引いたとしても後回しにできません。

また、風邪により他者との約束をふいにした場合、
風邪が治った後の行動も重要です。
「あのとき約束破ったけど、風邪だから仕方ないよね」ではなく、
「理由があったとしても約束破って申し訳ない」と謝るうえで更に、
何かをして 失った機会や信用を取り戻すべき、なのだと思います。

ここまで考えて気付きましたが、
これは「風邪に対する対応」に限りません。
怪我、病気、忌引き、など、他にも当てはまりそうです。
これらをまとめると「不測の事態」と言えそうです。

不測の事態さえ「不測の事態が起きた時にどうするべきか」と考えるならば、
事態とは常に予測しなければならないもの、と言えそうです。
では、予測とは何でしょう。予測と予想はどう異なるのでしょう。
そもそも事態という言葉はどのような場合に使われるのでしょうか。


《9月21日(月)》 
〇笹井純也(26期 : )
@「親戚」のむずかしさ。
叔父叔母、従兄弟、甥姪など親戚と一口に言っても
様々な立場があります。
また、同じ従兄弟でもよく会うかどうかで距離感も変わってきます。
それらの様々な人々を「親戚」とまとめるのは、少し違和感を感じました。

しかし、ややこしいのですが、
「違和感を感じる自分」にも違和感があります。
(「親戚と自分の関係」を「先輩後輩関係」「親子関係」と同じように
 捉えようとしている事に違和感があるのかもしれません。)

A生活リズムへの疑問。
風邪を引くと、昼間に良く寝ます。
その分 夜は眠れません。
しかし風邪が治る頃には生活リズムも戻っています。

風邪を引いていない時、昼寝をしたとします。
その分 夜は眠れません。
そして生活リズムは崩れます。

生活リズムはどのような場合に崩れ、
どのようにして整えられるのでしょうか。


【s.nikki8】

Pass



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