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《NOTICE!》
(1) この掲示板は横浜国立大学経営学部三戸ゼミナール関係者を対象としています。関係者以外の書き込みはご遠慮願います。
何かありましたら、こちら(管理人アドレス)までご連絡願います。
三戸ゼミナールに関係する書き込みでないと考えられる場合、管理人の判断により削除させてもらう場合もございます。
(2) この掲示板では削除キーを使用した編集方法がとられています。
同時刻に複数の編集が重なることで別の書き込みが消去されないよう、
投稿の際は文章の「貼り付け」等を利用して、「記事の編集」画面に留まる時間を短くするようにご協力をお願いします。
《TOPICS ( 10月27日 更新)》
【企業番組勉強会】 【No.5203】10月29日浩友会勉強会@予習編 【No.5194】第10回ビジネス企業番組勉強会@予習編 【No.5183】第10回日程調整・視聴番組公募 【No.5166】第九回報告 【No.5139】第八回報告 【No.5129】第七回報告! 【No.4982】★報告一覧
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三戸ゼミナール掲示板の意味 三戸先生、誠に申し訳ございません。
「三戸ゼミ掲示板」であり続けるために 三戸先生、「掲示板が活気づくことを願って」(No.1959)を拝見いたしました。
先生からのメッセージNo:1958「心そこにあらざれば」を考える せっかく先生からお言葉をいただいたのに、
掲示板がますます活気づくことを願って(ver.3) はじめに 〜再度、投稿するに当たって〜
心そこにあらざれば 学而時習之 不亦説乎
杉山さん、お久しぶりです 昨年の浩友会で杉山さんから、AAACAFE(ライブドア)掲示板について
板ゼミ、最高です(追記) 中島さんからメールをいただきこちらを知りました。
祝辞とお詫びとお願い みなさん、こんにちは。
1953の削除について 小林荘介さんの「MゼミブログJUGEM版(試作段階編)についての私の書き込みですが、
【事務連絡】モバイル専用URLのお知らせ 事務連絡でお邪魔致します。
掲示板存続おめでとうございます 1日遅れて大変申し訳ありません。
新掲示板おめでとうございます 新掲示板のスタートのためにご尽力下さった太田さんに、感謝いたします。
掲示板と私 私が三戸ゼミに入っておよそ2年が過ぎました。
新掲示板の書き込みに際して 新掲示板の発足にあたり、運営作業、移管作業を行ってくださった皆様、ありがとうございます。
ゼミ掲示板への想い
掲示板存続おめでとう せっかくいただいたチャンスなので、もう少ししがみつき
どんなに遠く離れても 世界中のどこにいても、インターネットにさえつながるなら
板ゼミで学ぶ 「三戸ゼミは現代の塾である」ということを、先生は言われます。
新掲示板の出発を記念して 新掲示板のスタートにあたり、まず何よりも、移管作業にご尽力下さった太田さんに
番号を確保して後から書き込んでみましょう。 ↓昨晩、書き込むことは書き込んだのですが、何かガチガチで余裕が
知と空気の蓄積 「去年の掲示板で、あなたの先輩が同じことで叱られているよ。見てごらん。」
新掲示板のスタートに当たって(改) ○一抹の寂しさを伴いながらも、太田君がそっくりな新(仮)掲示板を見つけてくれたために、三戸ゼミは9/1を平静に迎えることが出来た筈だった。「元祖」ゼミ掲示板の最後の書き込みについては、
【保存版】掲示板におけるリンクの設定方法 bP817及びbP884で19期生・藤井さんがリンクの使い方について説明してくれていますが、
スペックの差異及び引越しのメリット・デメリット 「AAA!CAFE掲示板」の運営中止にともない、この「せっかく掲示板」に引っ越すこととしたの
☆★☆ 【重要なお知らせ】引越し完了しました。 ☆★☆ ついに「AAA!CAFE掲示板」の使用期限である2008年8月31日が終了しました。
ゼミ掲示板への「有難う」 いよいよ、ゼミ掲示板が閉鎖になる日が来てしまいました。
aaacafe掲示板「最後の一日」にあたって 卒業してから10年が経った今、振り返ってみると
ゼミ掲示板ありがとう 吉永さん、近況報告読んだよ。
12期 吉永美幸です 三戸先生、皆様、大変ご無沙汰しております。
引越しについてのご説明 掲示板の引越しにつきご説明が言葉足らずになっており申し訳ございません。
書き込みの修正について 三戸先生
しつこく、ゼミ歌留多プロジェクトへの参加要請
歌留多の続き またまた、へんなものが頭に付いてしまった。No.1913と一緒に削除して、頭の変なやつを除けたものを載せてくれませんか。削除パスワードをいれても出来なくなってしまったので。
またまたゼミ歌留多(続き) (X)付
またまたゼミ歌留多(1) ゼミ歌留多プロジェクトへの提案〜20周年委員、歌留多委員へ提案〜
Re≫添削の方向性 〔スピーチ大会@〕コンセプト 度胸と勇気と愛嬌と つれづれならぬ タイムオーバー
Re:歌の世界って面白いですね。 先生、ゼミ歌留多の「マップ」を示していただき、どうも有難うございます。
みなでゼミ歌留多を創ろうA 【企画等】(15題41首+未詠2題)
みなでゼミ歌留多を創ろう@ 現在詠まれている歌は次の通り。
Re:引越し前後データ確認のお願い 太田さん
引越し前後データ確認のお願い 第20代ゼミ幹 片岡さん
☆★☆ 【重要なお知らせ】掲示板 引越し先URLのご連絡 ☆★☆ 2008年8月1日付け「【お知らせ】AAA!CAFE無料掲示板サービスを終了致します。」で説明
Re:歌留多再挑戦してみます。 先生、ご指摘有難うございます。
またまたゼミ歌留多 (この文は「ゼミ歌留多」に投稿したものである。できるだけ多くのゼミ生・OBに歌留多に参加して欲しいので、こちらにも「二重投稿」させてもらった。一定期間が過ぎたら、どちらかを削除して欲しい。)
文藝春秋9月号 2,3日前にタモリの弔辞の話を書いたところ、直ちに大野、太田、片岡の3人から読んだ、こういうことを得た、という報告をもらい嬉しく、有り難く思っている。
RE:「立派な」話ができるようになりたい 先生、ありがとうございます。
Re:自分を大切にすることは人を大切にすることである。 先生からのご紹介を受け、タモリの弔辞をYoutubeで拝見しました。
Re:リンク設定は継続していただいて大丈夫です。 藤井さん、分かりやすい解説を有難うございます。
Re:今村さん、この掲示板の閉鎖までバックアップを継続願います。 今村さん、早速ご対応いただき有難うございます。
Re:お手本「タモリの弔辞」 「話す力をつけたい」、「(企画などで)司会としてスムーズにそして盛り上がるように進
No:1962
投稿者:太田 健一(3期生)
投稿日:2008/09/15 Mon 23:15:57
先生が書き込んでくださったbP958「心そこにあらざれば」を拝見して何かしらレスポンスをしたい、
しなければならないと分かっていながら、何も書き込まなかったためにこのようなこととなってしまい、
大変恥ずかしく思います。
中島さんのように書くことができればなあ、書けるように自分を磨きたいなあ、と思いますが、
それが今すぐに出来ずとも、佐々木さんの言うとおり何らかのレスポンスは出来たはずです。
言い訳のしようもございません。
会議に参加したときは「はい」か「いいえ」か、それが言えなくともせめて「分かりません」は
言えるだろう、とゼミに入ったときに先生に教わったのですが、少しも生かせておりませんでした。
まだ言葉足らずではありますが、私の考える三戸ゼミナール掲示板の意味をまとめておきたいと存じます。
1、「三戸」ゼミナール掲示板である。
この掲示板には「三戸ゼミナール掲示板」との名称が付いています。
「三戸」の文字が付く以上、これを見る人は三戸先生が何を教え、何を伝えているのか、という目で
見ます。そこには望む・望まざるに係らず何らかの責任が先生に生じてしまいますので、先生が
指導されることは至極当然であると考えています。
(言葉が足りないために上手くお伝えできないのがもどかしいのですが、先生に教えていただくことが
当然、という意味ではなく、先生が先生として関わられるのが自然といったニュアンスです。)
中島さんの「三戸ゼミ歌留多掲示板」には、初期の頃にドラッカーや西山忠範といった三戸ゼミに馴染みの深い
学者の唄が掲載されていたのですが、それらは削除をお願いしました。
詠み人はおそらく20年近く前の私に違いないのですが、学者に対する畏敬の念が微塵も感じられ
なかったからです。一人のゼミ生の唄に過ぎなくとも、内容が学問に係るものであるだけに、
掲示板を見た人には「三戸浩という人はこんな風に学生に伝えているのか。」と誤解されてしまいます。
同じように、この掲示板も三戸先生の名前が付いている以上は、先生のゼミの掲示板とみなされます。
故に、この掲示板が「三戸ゼミナール掲示板」である所以は、三戸先生がいらっしゃる点にあると考えています。
先生が離れられたのでは、この掲示板はもはや「三戸ゼミナール掲示板」ではありません。
もしOBやOGの単なる交流の場とするのであれば、何も「三戸ゼミナール掲示板」である必要は
なく、OBやOGが個人的に何かしらのサイトを立ち上げることでも十分に代用できます。
(仲間を懐かしんでプライベートに集うことは不自然でも間違ってもおりません)
十分にレスポンスできないままにお願いすることは大変失礼ではございますが、引き続きご指導
賜りたいと存じます。
2、三戸先生から学んだ者がいつでも帰れる場所である。
先生の仰る「刮目勝負」も、また「おーい、杉山。好きに書き込んでいいんだぞ。みんなも書けや。」も、
ともにこの掲示板の真実です。
掲示板存続直後の書き込みbP940ではガチガチに緊張してうまく表現できなかったのですが、
掲示板は本来許容量が大きく、様々な可能性を秘めています。
三戸ゼミナールは様々な活躍の場が与えられるゼミです。
私がゼミに入ったとき、ゼミの教室に行ったら誰もおらず、黒板に「グラウンド集合!」と大書
されていました。
グラウンドでソフトボールの紅白戦を終えた後、先生におそるおそる「何でソフトボールなんですか?」
とうかがうと、「君たちにいきなり勉強で全力を出せといっても難しいだろうが、全力で走ることなら
出来るはずだろう。」と仰いました。草ソフトボールでしたが、当然みんな全力疾走です。
掲示板も三戸ゼミナールの掲示板である以上、懐が大きなものです。
学問のみならず様々な関わり方があるのが掲示板の良いところでもあり、たとえば2005年度に
(先生に尻を叩かれながらも)ベッティングを一年間を通じて定着させ、集計結果のフォームを
作った16期生の池田さんなど、私は非常に高く評価しています。
また、「こいつは凄い」、「こんな凄い奴を友に(先輩に・後輩に)持ったのか」と思わせてこその
三戸ゼミではあり、懐かしむばかりではいけませんが、やはり久しぶりに友に会うのは嬉しい
ものです。
これまでも、ザカリア君、大内さん、中川さん、安倍君など、様々な卒業生が「先生、お元気ですか」
と久しぶりに「顔を出して」くれましたが、やはり無条件に嬉しくなります。その意味で、形は異なり
ますが岩切君が時として意識的にくだけた書き込みをしていたことも岩切君なりの「おーい、みんなも
書けや。」であり、私は評価しています。
卒業して何年経っても顔を出せるのは、これが「三戸ゼミナール掲示板」であるからです。
みんな先生から学んだことを共有しているからです。
もし、「三戸」の文字が外れ、特定OB・OGのプライベートな掲示板となるのであれば、その
管理人とゼミ生活を共にしていない者が訪ねてくることはなくなると思います。
「先生、お久しぶりです。」と訪ねてきて、同時にはるか年下のゼミ生たちと知り合えるのは
この掲示板ならではです。私がゼミに戻ってこられたのも、「先生、長年の不義理申し訳ございません」
と帰ることのできるこの場所があったからです。
先生にbP959「掲示板がますます活気づくことを願って」を書かせてしまったのは私どもの
責任であるのですが、是非とも先生にこの掲示板に残っていただきたく、ご再考を宜しくお願い
申し上げます。
【追記 : 小山ゼミ生の書き込み削除について】
この問題については先生へのメールによりお答えしたほうが良いかと思い、メールとして書き始めた
のですが、やはり掲示板上でのご指摘については掲示板で解決しておくのが筋であり、この問題に
ついての対応も一つの大きな勉強ですので掲示板に書き込むことと致します。
文字数や件数の集計作業、『創』原稿執筆、今回の移管作業等を通じて、私も何度となく掲示板を
読み返してきましたが、先生がご指摘されている小山ゼミ生の一連の書き込みを見るたびに腸が煮え
繰りかえる想いが致します。
掲示板の歴史において一番の汚点・屈辱であることに異論はございません。
ただ、これは単に小山さんや岩切君にとっての恥のみに留まるものではなく、それ以上に書き込みに
対して異を唱えなかった他の三戸ゼミ関係者の恥でもあると考えています。
当時掲示板の存在すら知らなかった私がご指摘するのは卑怯ではあるのですが、
「ゼミ関係者以外の書き込みを認める権限など貴方にはないはずだ」
「土足で人の掲示板に踏み込ませるとは何事だ」
など、現役生には難しくとも当時掲示板に携わっていたOB・OGには言えたはずです。
※同じ部外者でも「三戸ゼミナールって三戸浩先生のことですか?」と聞いてきた匿名希望の
書き込み(bS36『三戸先生って…』)などには不快感は覚えないだろうと思います。その差は礼の有無です。
佐々木さんも引用されている「子曰、過而不改、是謂過矣」(過ちて改めざる、これを過ちという)は
私も大好きな言葉です。
移管作業の際にも迷いが無かったわけではないのですが、これらの書き込みを削除することが
「改める」こととは思えませんでした。
6年前に適時に注意を促したうえで削除していたならば「改める」ことになります。
しかし、書いた当人も見ていない現在に至って削除することは、過ちを「なかったこと」にして
しまうのではなかろうか、と考えました。
改めることを怠った「過ち」を「過ち」として記録しておくことで、今後に活かしたいと思ったのが
残した理由です。
時間を経てから削除することは簡単なのですが、如何なる理由があろうとも、問題発生時に適時に
相対峙して解決しなかった「恥」は忘れてはならないと思います。
今後こうした問題が再発した場合には、この書き込みから学び、私が先陣を切って対応します。
先生から「この書込も残さねばならぬのか?」とご指摘を頂戴しておりますので直ぐに削除すべき
であるのですが、ただ削除するのでは学んだことにはなりませんので、やはり何らかの「けり」を
付けておきたいと考えました。
無礼で大変申し訳ございませんがご指導いただければ有り難く存じます。
No:1961
投稿者:佐々木 真光(16期)
投稿日:2008/09/15 Mon 22:23:08
何度も、何度も読み返しました。
読み返している間に、また先生が書き直しをされていました。
それでも、まだ自分でも考えがまとまっておりません。
誰かと電話なりメールでもしながら考えをまとめてみようかとも思いましたし、
「今」私が書き込むのが良いのかどうか分かりませんが、すぐにも誰かが書き込むべきだし、
拙い書き込みでも(だからこそ)、それは掲示板で議論していけばいいと考えました。
(太田さんの「広岡達朗ではなく長島茂雄を目指したい。」(No.1435)のような書き込みを
したいと思ったのですが、未だ力及びませんでした。)
まず何よりも、先生に掲示板から去らないで下さいと「お願い」をしたいのです。
(子供っぽい物言いですが、今回に限りご容赦下さい。)
私には、「反対である」とか「納得できない」と言うことはできません。
それは、先生に対してだから、ということではありません。
先生が「掲示板を去る」というほどのことを仰るにはそれだけの背景と意味がありますし、
そのように言わずに済むようなチャンスを私たちに与え続けてきて下さいました。
私たちがほとんど投稿を書き直さないままでいながら、先生だけが私たちに伝わるような
言い方になっているかと何度も書き直しをされ、呼びかけを続けられてきました。
先生から学ぶゼミ生でありながら、先生よりも時間とエネルギーをかけてきませんでした。
そして、先生からの呼びかけを理解し、応える能力=response abilityに欠けておりました。
先生の書き込みを理解しようとし、どう応えようかと練っていた方々は多くいることと思いますが、
先生から学ぶゼミ生ならば「先生の仰ることがまだ分からないので教えてください。」、
とだけ書き込むこともできるはずなのに、それすらしておりませんでした。
どうであろうと、ノーレスポンスでした。
先生に「反対である」とか「納得できない」という資格はないのです。
それでも尚、先生に去らないで下さい、とお願いをいたします。
ここは、(少なくとも今は)「三戸ゼミ掲示板」です。
先生がいらっしゃらないところは、そもそも「三戸ゼミ」たり得ません。
先生が去ってしまったならば、形式としても実質としても、この「三戸ゼミ掲示板」は
「三戸ゼミと関わったことのある人たちが書き込む掲示板」となるでしょう。
それはもはや、太田さんが過去ログを移管せねばならないと思われた「三戸ゼミ掲示板」ではありません。
その掲示板でも学ぶことはあるでしょうが、先生とゼミから学び、成長しようとする者が集う
「三戸ゼミ掲示板」ではないのです。
そうなったならば、「三戸ゼミ掲示板」を大切にされている方々は書き込まなくなるか、
これまでのような書き込みは減っていってしまうでしょう。
(私としましても、そうなると書き込む意味が無いので書き込まなくなるでしょう。)
もちろん、現役生のゼミレポートも無くなることと思います。
(大野、藤井、片岡、現役生たち皆それでいいのか!!ゼミレポートを続けてきたから
今のような力がついたんじゃないのか!!!)
「学ぶ場である」、だからこそ「板ゼミ」の「三戸ゼミ掲示板」ではなくなるのです。
私は、掲示板が「三戸ゼミ掲示板」であり続けることを希望します。
先生が岩切さんに指摘されたことは、岩切さんだけに指摘されたことではないのです。
もし岩切さんだけならば、先生は皆が読む掲示板には書かれないはずです。
私たちも皆、同じです。
先生に「掲示板から去る」と言わせてしまった責任は、私たち皆にあります。
ですから、直接には岩切さんが問われたことにも、応える責任があります。
私自身、先生が「掲示板が活気づくことを願って」(No.1959)で指摘された問題を
ほとんど看過してきてしまいました。
なぜ、すぐ上の先輩であり、お世話にもなった纉cさんに対する失礼を見逃してきたのか。
なぜ、9月1日にすぐ書き込みをしなかったのか。
なぜ、先生からの問いかけ(「心そこにあらざれば」No.1958を代表として)に応えなかったのか。
掲示板を「三戸ゼミ掲示板」として大切にしてきた、ということはとてもできません。
どれだけ先生をがっかりさせてきたのでしょうか。
ですから、「三戸ゼミ掲示板」を続けたいといっても、説得力はないのです。
自分の「新掲示板の出発を記念して」(No.1943)すら、まだ書き直していません。
読み返してみると、書き直すところはたくさんあるにも関わらず、です。
それでも、まだまだ力不足だから、これからも学び続けたいのです。
だから、甘えであり、我がままですが、「お願い」をしたいのです。
本来であれば「お願い」の前に書くべきことですが、この「お願い」は先生が提起された
「三戸ゼミ掲示板は誰のものか」という問題抜きにはありません。
私は、「三戸ゼミ掲示板」は三戸先生と三戸ゼミ生皆のものだと考えます。
ということは、現役生だけのものでも、卒業生(この言い方は間違いなのですが)だけの
ものでもなく、ましてや他ゼミ(ずっと「言わなかった」のに言うのは辛いです・・・)
のものではないということです。
そして、三戸ゼミ生とは、三戸先生とゼミから「良き社会人」たるべく学ぶ、
もしくは学びたいと思っている人たちのことです。
「良き社会人」たるべく学べ、というつもりはありません。
「良き社会人」たるべく学ばなければならない、というのでもありません。
しかし、「良き社会人」になりたいじゃないか、いつかそうなれたら良いじゃないか、
と思っていることは本当だと思うのです。
だから、まだ「良き社会人」になれていない自分にとって「三戸ゼミ掲示板」は大切だし、
同じように思っている仲間が本当に貴重で、大切なのです。
これは、この場にいる皆さんにとって共通することだと信じています。
先生が紹介された中で、特に好きな言葉があります。
「過ちをして過ちとせず。これを過ちという。」
書き込みの「過ち」を恐れなくてもいいじゃないですか。
「過ち」を犯すから、ここで学んでいるのです。
「過ち」を気にしたり、責めたりするのではなく、そこからいかに学び、成長できるか、
というのが三戸ゼミであり「三戸ゼミ掲示板」なのです。
先生も、私たちも望むことは、「三戸ゼミ掲示板」に多くの人が書き込み、共に学び、
共に喜ぶ場となることだと思います。
先生は呼びかけ、応えてくれています。
次は、私たちが応え、さらに呼びかけていく番です。
ぜひ先生に「皆がそこまで言うなら」と戻ってきていただきましょう!
No:1960
投稿者:中島大輔(8期生)
MAIL
投稿日:2008/09/15 Mon 20:59:53
意図を理解することができず、大変恥ずかしいです。
しっかり考えて成長していきたいと思います。
纉cさんの辛さを自分の苦しみとせず、
掲示板につけられた汚れを自分の痛みとすることができなかったのは
わたしに心がなかったからだと思います。
後日、古典や宮城谷の言葉を借りながら、
「仁」についてもじっくり考えていきたいと思います。
T.題名である「心そこにあらざれば」について
@古典での出典:「礼記」大学編第三章(以下書下し文は岩波文庫『大学・中庸』金谷治訳より)
所謂身を修むるはその心を正すに在りとは、身に忿懥するところ有るときは、則ちその正を得ず、恐懼するところ有るときは、則ちその正を得ず、好楽するところ有るときは、則ちその正を得ず、憂患するところ有るときは、則ちその正を得ず。
心焉に在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず、食らえどもその味を知らず、此れを、身を修むるはその心を正すに在り、と謂う。
以上を踏まえ、
→私達の認識が浅いものであり、結果として「視れども見え」ない状況に陥っていることを指摘されている、と思います。
→何が見えていないのか。それをきちんと認識することが最も重要ではないかと思います。
→掲示板に、「ゆとり」的なものを望むのか、「真剣勝負」をするのか、今まで通り曖昧なままにはもうできない、と思います。
→どちらが相応しいのか、考えねばならない時期にあると思います。
(私は、自分の未熟さをしっかり受け止めながら、これからもパソコンの前で正座していきたいと思っています。)
A心について、先生から教えていただいたこと
1.「気づく」ためには前提要素として視座・コンテキストの理解が必要となる
2.人は自分の行為を、“自分の意図”という色眼鏡で見る
3.「○○をしたい」という“想い”は、相手に受け入れられる形である“こころ”に研磨する必要がある
1.→視座・コンテキストを理解することによって事態を打開する可能性が見えてくるのではないか、と思います。
2.→こうしてあげたい、という想いが、相手のためにならなかったという経験が私は数多くあり身につまされます。
3.→相手が、多くの人が、何を望んでいるのかを分かるために、耳を澄まし、しっかりと見つめていきたいです。
B先生の「新掲示板のスタートに当たって 」No:1939より引用
・三戸ゼミの卒業生も現役生もみな9月1日からもこれまで通りに、書き込むことも、仲間の書込を読むことも、過去の自他の書込を読み返すこともできるようになった。
・私は、6年半前の吉永美幸さんの書き込みから、全て読み返すことから大いに得るものものがあったと感じている。
・この場に求められている「基準」を書いたのである。その基準は、この場で得られるものであり、また何を得た者が評価・表彰されるかを示している。
・ハードルが上がったのは顔見知りの中だけでの「読み捨ててもかまわない情報」から他者と未来の自分が見て「役に立つ情報」がここに書かれるようになったことをどれだけわかっているのだろうか。
→先生が、6年半前から掲示板の書き込みを読み返してくださいました。
千件を優に超える数の書き込みを読み返してくださいました。
読み返さねば、と思いました。
読み返した今、「掲示板が成長していく過程」を一緒に追体験したことで、コンテキストから皆が何を望んでいるのか、感じるものがあります。
困難な状況においても準則を守りぬいた充実感は、人を輝かせると思います。
準則、とまでいかなくても、大事に磨いた言葉を書き込みしてもらうと、読んだ側も心の内側からパッと明るくなるような気がいたします。
(文字にされなかったものは歴史にはならないので、その言葉を拾うためには、新たな器を早急に作らねばなりません)
(かけがえのない一人ひとり(in-dividual)をこころから大事にしてくれる、あの人がいいと思うのですが、難しいでしょうね)
(力不足ではありますが、かるた掲示板にコメントなどお寄せいただきますと、メールか書込みでお応えしたいと思っています)
U.本文・学而について
@『創』VOL.24 先生の『ゼミ生諸君へ』(P.7下段l4〜P.8下段l14)を引用いたします。
(3日間あったので、きっと皆さん読んでいらっしゃると思います。引用したことで『創』のページを開く機会を奪ったことにはならないと思います)
この春、十六期生が卒業していき、(毎年感じることなのだが)急に寂しくなったところに、十名もの新ゼミ生を迎え、一挙に賑やかになった。ゼミでソフトボール2チームができるのは、随分久しぶりのことではないだろうか。
『論語』の冒頭の言は有名だ。誰でも、この二行目の言は聞いたことがあるはずだ。
学而時習之 不亦説乎
有朋自遠方来 不亦楽乎
人不知而不慍 不亦君子乎 『論語』「学而」
《 学びて時に之を習う また説ばしからずや
朋遠方より来たるあり また楽しからずや
人知らずして慍らず また君子ならずや 》
私は、この『論語』の冒頭で語られるこの言が好きだ。
この言の意味は今更解説不要であろうが、人によって訳、解釈が違うのは興味深い。まず、今から40年以上も前1964年に出た 貝塚茂樹『論語』講談社現代新書では、「学問の楽しさ、それは先生から学んだことを時々復習してみる。そしておさらいする度に、何か新しい意味を発見することだ。遠方から友達がやってきて、学問のことをお互いに論じ合う。それは一人で復習しているのと比べて、一段と楽しいことではないか。こういう学問をやっていることは、それだけで楽しいので、自分の学問を人に自慢したり、名を知られたいためにしているのではないから、別に社会に知られないとしても、不満は少しもない。それで平気だという心境になれる人が、君子、つまり本当の学者、本当の人間と言えるのではないだろうか。」
今年出版された佐久 協『高校生が感動した「論語」』詳伝社新書と比べて欲しい。「大いに学び、学んだことはしまい込まずに実践すると気持ちいいぞ。考えの遠く隔たった者とも語り合い、友達づきあいができるようになると楽しいぞ。周りが自分を認めてくれないからってクサるなよ。オンリーワンになるよう精進しようや。」
だが、これまでゼミ生諸君に語ったのは、最初の二行だけで三行目の「人知らずして慍らず また君子ならずや」はピンとこなかったため、無視した格好でこれまで来ていた。だから、これまでなら、新ゼミ生の多さを《朋遠方より来たるあり また楽しからずや》という言で表現したであろう。
人数が少ないのは、寂しい。討論会で他ゼミに比べて人数が少なければ、それだけで見劣りするものだ。だから、一学年6人から、8人位入ってきて欲しいものだと、常々願っている。少なかったり、入ってきても休みがちだったり、出てこなくなると、「確かに大変かもしれないが、いいゼミなんだがなぁ…、なかなか理解されないなぁ…」と思ってきた。
だが、この考えは、孔子が言う三行目に反していることに気づいていなかった。私は、三行目を理解できていなかった、ということは、一、二行目の理解も実は怪しかったと言うことになる。三行で1セットなのだから。
この言で始められた『論語』「学而篇」は、次の言で結ばれている。
不患人之不己知 患不知人也 『論語』「学而」※
《人の己れを知らざるを患えず 人を知らざるを患う》
「自分が世・他者に認められないことは辛く、寂しい。だが、では、自分はいったいどれだけ他者の真価を評価でき、認めているだろうか。そのことの方が大事なことなのだ。」という意味であろう。(※印以外は諸橋轍次『中国古典名言事典』講談社から取り上げた。書き下し文までは、出典通りだが、意味の方は断っていないものは私の解釈である。)
全くその通りである。その通りのことだが、誰でも言えることではあるまい。
孔子が陳国の大臣から
「あなたの生国の魯の君主昭公は礼の心得がおありになるか」と聞かれたことがあった。孔子が
「礼を心得ておられます」
と答えたところ、陳の大臣はしてやったり、とばかりに
「君子は身びいきをしないと聞いているが、君子でもするらしい。昭公は呉国から奥方を迎えられたが、魯と呉では同姓ではなかったか。昭公に礼の心得があるというなら、この世で礼の心得がないものなどないのではないか。」
同姓不婚が礼であるが、当時これを破った君主は魯君が初めてでも何でもなかったのだが、事実は事実であった。
あとで、孔子は弟子にこう言ったという。
「私は幸せ者だ。過ちを犯すと人が必ず教えてくれる」と。
私には言えないなあ。「かっこつけて」とか、「負け惜しみを言って」と思う人もいるだろう。私は言えるようになりたいなあ。
以上、引用終わります。
今の掲示板の状況と考え合わせて、物語を造りますと、
学びて時に之を習う また説ばしからずや
掲示板で一つのテーマについて書き込み、別の人の別の視点の書込みから新たな発見を見出す。
その奥の深い喜びというのは他ではなかなか味わうことができない。
朋遠方より来たるあり また楽しからずや
真剣勝負の場に書き込むことは大変なのだけれど、だからこそ、書き込んでくれた人には
こころからありがとう、と言いたくなるし、本当にうれしい気持ちになる。
人知らずして慍らず また君子ならずや
学んでいるだけで楽しいのだから、名利のためにしているわけでもなく、
価値を共有していない人からは評価されなかったとしても不満は少しもない。
それで平気だという心境になれる人を「同志」と呼びたい。
人の己れを知らざるを患えず 人を知らざるを患う
自分のことを分かってくれない、と嘆いても成長できず誰かを救うこともできないのです。
嘆きの連環を止めるためには、自分が相手を評価できていないことを嘆かなくてはなりませんね。
A十五周年合宿で先生からいただいた言葉
(話し言葉をそのまま文字にしており、引用に当たって工夫が足りずごめんなさい)
「朋遠方より来る有り、亦説しからずや」
なぜ楽しいのだろう。(会場の声:懐かしい思い出があるから)
そこには朋という言葉は、昔一緒にいたという意味しかないな。どういたのか、というのがないな、その朋には。
朋というのは別の言葉でいったならば、「同じ志を共有する者」じゃないのだろうか。
だから会ったら楽しいのじゃないか。だから会って話が通じるのじゃないか。
そうじゃなくて過去だけを一緒にした者とするなら、懐かしさだけだとするなら、
現在は共有していないわけだから、懐かしいかもしれないけれど楽しいだろうか。
懐かしくても楽しくはないと思う。
ここにいるのは今、16期か。(こちらに座っているのは)1期だ。一緒にいるというのは共通項は何だろう。
それは「伝統」だ、といったとき、その「伝統」というのは別の言い方をすると
「このゼミで学ぼうとすること」で、それを共有しているからじゃないだろうか。
だから楽しいのじゃないだろうか。だから合宿をやるのじゃないだろうか。
パーティだったら人が会うだけじゃないのか。
自分たちがそこで一所懸命過ごし、求めていたものをもう一遍確認しよう、ということだから合宿をするんじゃないのか、という気がする。
懐かしむにはいくら1期生でも早いだろう。
みんなとこうやって会って、十五年こうやってきたんだぜ、その成果がこうだ!と確認して、エネルギーもらって帰らねばなぁ。
十五周年合宿でお聞きしたときもそうでしたが、心にすとーんと収まったときに出る、「なるほど」という声が自然と出てきますよね。
V.まとめ
三戸ゼミ掲示板には、このままでいてもらいな、と思います。
このままでは、私が「こうしたい」という“想い”のままなので、「こころ」に昇華させていきたいと思います。
学生時代に先生からいただいた言葉のなかに、
『Y−Y−N(→Y)』というのがありました。
私が一番大好きな話です。
環境問題や核兵器廃絶など大きな問題について
一、やるべきか→Yes
二、やりたいか→Yes
三、できるか →No
という事柄が非常に多いと思います。
しかし、今はできないとしても、やりたい、すべきだと思い続けることで
「できる」につながっていくのだと学びました。
敷衍させすぎかもしれませんが、
掲示板に書くべきであり、書きたいと思っていれば、
今は時間がまるっきりなくても、いつか書ける時間ができるかもしれません。
今、いい文章が書けなくても、「今の自分」で勝負すること自体が大事なのだと思います。
時間がなくても、切れ味がいまひとつでも、今書けば、次の文章につながっていくのですよね。
失敗することが確実に明日につながる。
そういうことって、私にとって本当にありがたいのです。
一回一回の勝負、負けることは仕方のないこともあります。
でも、それは未熟であるがためであって、次の機会には必ず取り返せるようにすれば
貴重な経験となって私たちを支えてくれる、というのは、皆さんもご存知のはずです。
しかし、悪気がなくても未熟であるがために、他者を傷つけてしまったときには
何がいけなかったのかを真に理解して、謝らないとなかなか先に進めないですよね。
傷つく経験を多くした人は幸運だと思います。
なぜなら、自分が傷ついた言葉を他者に投げかけることは決してないでしょうし、
誰かが傷ついているときには、その痛みに気づくことができるからです。
優しい人は、経験の積み重ねを経て人の痛みが分かるのだろうなと思います。
私たちみんな、三戸ゼミへ強い想いを同じように持っていることを知っています。
言葉を、時間をもっと使って語り合って、
鍋のようにぐつぐつとお互いの味を沁み出させながら、
「和」の世界を目指していけるのではないかと思います。
三戸ゼミ掲示板は、
「これがよいと心から思っている人間が、それに相応しい書き込みをする場」
「成長していくなかで、簡単に手に入れることのできない本当の楽しみを味わう場」
なのだと思います。
初め有らざるなし、克く終わり有るは鮮なし 出典:『詩経』「大雅・蕩」
(はじめあらざるなし、よくおわりあるはすくなし)
(国も人も)最初は善を慕う心を持っているが、善を全うするものは少ない。
誰でもものごとのし始めは立派であるが、最後まで貫く者は少ない。
有終の美を飾ることが出来る者は少ない。
これからもいい掲示板にし続けていくために、
今の掲示板の有り難さを忘れずに、
学びつつ生きて、【刮目勝負】続けていきましょう!
※一番大事なのは上でいう所の、緑のところがきちんとなっているかどうかだと思うので、
掲示板の状況に当てはめた文章が妥当なものかどうか、検討できたら全体の成形も少しは
整ってくるように思います。緑の所(や他のところ)についてご意見・ご感想をいただけますと幸いです。
No:1959
投稿者:三戸 浩
投稿日:2008/09/15 Mon 00:44:39
9/2に、「(新)掲示板のスタートに当たって(改)」を書き込んだ。その理由・ねらいは以下の通りであった。
@折角、掲示板が存続したにも関わらず、誰も書き込んでいない。皆が書き込むきっかけを作る。
A「新」といっても、全く依然と同じものとなってい。別にそのまま書き続けても良い。だが、折角だから、あらたまってみたらどうだろうか、と考えた。
B少し前に「タモリの赤塚不二夫への弔辞」を載せたように、みなに挨拶というものを意識してもらうこと、「いい挨拶・辞」が出来るようにトレーニングをすること。
C太田君が過去の書き込みを忠実に残そうとしてくれた。
自分が、仲間が何をどう書き込んできたかが残されている。その書き込みを読み返し、振り返ることは、自分を振り返り、自分の経験から学ぶきっかけとなる。ぜひ、この際に読み返してもらいたかった。だから、わざわざ、「回数を数えた」だの「全部読み返して、書き込み者の候補を決めた」だの書いた。
Dあらためて、この掲示板がどういうもので、「何の為、誰のためにあるのか」、「どれだけ大切なものか」、をあらためて考えてもらいたかった。
だが、本日9/14。2週間近く経ったが、14名中7名が書き込みを終え、4名が「取りあえず」書き、3名が未だ書き込んでいない。別に、書き込まねばならないわけではない。書き込めない事情もあるだろう。9/4までと日を区切ったのだから、9/5からみなが、好きなように、賑やかに書き込んでくれて良かったのだ。だが、半分が「終わっていない」からだろうか、9/5が過ぎても杉山の書き込みだけであり、しかも杉山は書き込むべきではなかったと感じているようだ(「自分の戒めのために敢えて、残しておく。」そのようなことが言える卒業生が誇らしい。戒めとして十分に活かして欲しい)。(太田と小林の書き込みは別であろう)
「おーい、杉山。好きに書き込んでいいんだぞ。みんなも書けや。」
太田達の折角の努力をこんな風にしてしまったのは、私の9/2の書き込みのせいである。また、岩切君や小山君にあのような書き込みをさせたのも私のせいである。折角の目出度さを壊した責任をとらねばならない。
なんとか、自然に「望ましい状態」にならないかと考え、9/12、No:1958「心そこにあらざれば」を書いたが、誰もその意図を読み取ってはくれていないようだ。
寂しく、残念だが、仕方がない。次のようにすることにした。
一、9/2の書き込みは、読み返してみても、表現など至らぬところが多い。そのせいでこうなったと言えよう。だから、書き直したものを投稿する(抜本的に書きあらためてはいない)。もう一度、読んで、私の真意に沿って、ゼミ掲示板をみんなの楽しい場にしてくれないだろうか。
二、9/1の最初の膠着状況を打開しようとしたことが、十分に理解されぬどころか、一部のものを傷つけた(そう書き込まれているのを読んだ時、残念で悲しかった、納得いかなかったのなら、皆の前でぶちまけずに、個人的に尋ねてもらいたかった。いかに恥ずかしいことか、書いた人は気づいていないのだろう。そのようにさせてしまったのは、9/2の書き込みであり、私の言葉によるものである)。そして今、新たな膠着状態を生み出し、より一層悪くしてしまった。すまなかった、と謝罪しておきたい。
三、多数書込者リストで、姓だけで名を書き漏らした人がいる。名を書き加えた。失礼した。申し訳ない。
四、9/2、No:1939「新掲示板のスタートに当たって(改)」や 9/12、No:1958「心そこにあらざれば」のように、通じないものを書いている。独りよがりでしかなく、恥ずかしい。私は今後、ここには書き込んだり、ゼミ生達に指示したりしないようにしたい。
卒業生を中心とする、君達で、楽しくここを盛り上げていって欲しい。以前のような、活発な談論の場が一日も早く戻ってくることを願ってやまない。
五、今、一通り、言葉を足し終えたところだ。恐らく、書きすぎたと思う。だが、書き足らねばわかってもらえず、書きすぎれば傷つけ遠ざけてしまう。難しい。
岩切君、角谷や原はここから去った。君の意図に全く反したとしても、それは事実だ。君がそのことをきちんと受け止めたとは、思えない。受け止めていたなら、No:1942「私が掲示板にむかっていた理由」は書かれなかったはずだ。君が書き込むのを止めた理由も、こちらでなければならなかったのではないか?と思う。私は、書込を止める以外の方法を採るべきであったし、またこの掲示板への関わり方も他にあったはず、と思っている。
以下を読み傷つくかも知れぬが、気づいて欲しい。私の最後の「教え」だ…。もし、去るとしたら、傷ついたものではなく、傷つけたものでなければならない。私は、ここから去ることにした。だからと言って、君や皆を傷つけることが正当化されるわけではない。去る理由は、複数だが、「傷つけるものは…」はその中の主要な二つの内の一つだ。
後輩をここから去らせ、私が去る代わりの「話」だ。受け取って欲しい。学んで欲しい。そして、良き「三戸ゼミ生」の先輩として、ここを盛り立てていって欲しい。お願いしたい。
六、太田君のNo:1940「知と空気の蓄積」他、あゝいいなぁ…と思わせてくれる「良い辞」をかいてくれた人達、有り難う。嬉しかった。今後も、もっと良い辞を吐けるよう、願っている。書き込んだ人達、自分の辞と仲間の辞を比べてみてくれ。以上、お礼と希望だ。
七、(付)9/2、No:1939「新掲示板のスタートに当たって(改)」を削除してこれに換えるか、書き直すかするつもりであった。だが、私が何を望んでいたかを少しの人でいいから、わかって欲しく、あえて両者を載せることにする(書き込んでくれた辞の中には、書き直したら、と思うものがあった。私も書き直しているという所を示したい意図もある)。
だが、ここにこのような書き込みがあるのは、見苦しく、掲示板にすまないと思っている。適当な時期が過ぎたら、どちらかを訂正なり、削除なりしてもらえないだろうか。
「新掲示板のスタートに当たって(改訂版)」
1.はじめに
平成20年8月31日(金)をもって6年半にわたって、私たちに多くの感動や・喜びを与えてくれ、、また学問させてくれ、成長させてくれてきた「元祖三戸ゼミ掲示板」に書き込むことはもうできないし、読むこともできなくなった。
だが、太田君がそっくりな新(仮)掲示板を見つけ、造ってくれ、現役生が過去の書込の移設作業を手伝ってくれた。おかげで、三戸ゼミの卒業生(*1,2)も現役生もみな9月1日からもこれまで通りに、書き込むことも、仲間の書込を読むことも、過去の自他の書込を読み返すこともできるようになった。
(*1)私は、卒業生もゼミ生だと思っている。現役・OB、現役・卒業生という「煩雑な」 表現を避けさせてもらっている。
(*2) また、かつては「現役OB」とか「現役・卒業生諸君」とかを使っていたが、い つか、「ゼミ生には女性もいる」という意見・抗議があった。論理的には正しいが、使 っている人に「差別意識は全くなかった」と私は思っている。ただ、「言われた女性が 差別された」と感じたとしたら、それは「申し訳ない」と謝り、以後気をつけねばなる まい。だが、私は三戸ゼミを理解しないものが言うこと、感じることだと思っているが、 それは三戸ゼミ観の相違であり、掲示板で「OB・O G、諸君・諸嬢について」で議 論しようかとも思ったこともあった、が止めている。
2.「元祖」ゼミ掲示板の終わり方の議論と実際
「元祖」ゼミ掲示板の最後の書き込みについては、
08.4.15のNo:1714 【掲示板の最後の書き込みの権利は?】 大野裕喜を受けて、
08.4.16のNo:1715 【Re:掲示板の最後の書き込みについて】太田 健一
08.4.22のNo:1725【Re:掲示板の最後の書き込みについて】大野裕喜
08.4.26のNo:1727 【Re:掲示板の最後の書き込みについて】大野裕喜
で問題とされ、検討の仕方を確認するだけで、明確な形を決めぬまま8/31を迎えてしまった。だが、「案ずるより産むが易し」下のような書き込みを得て、今日を迎えることができた。
8/30 No:1924 【12期 吉永美幸です】掲示板の母、吉永美幸
8/31 No:1928【ゼミ掲示板ありがとう】三戸
No:1930 【aaacafe掲示板「最後の一日」にあたって】中島大輔
No:1931 【ゼミ掲示板への「有難う」】佐々木真光
9/1 No:1932 ☆★☆ 【重要なお知らせ】引越し完了しました。 ☆★☆太田健一
9/1の太田君【引っ越し完了しました】の最後にこう書いてくれている。
「私を含め、今後の三戸ゼミ関係者の書き込みにより、この掲示板が皆にとってより一層大切な存在となることを願います。
どんどんどんどんどんどんどん書き込んでね。
平成20年9月1日 三戸ゼミナール3期生 太田健一 」
3.平成20年9月1日 〜カウンターの数値は?〜
今は、9月2日の午前2時17分。「記念すべき」9月1日は太田君の事務的案内の2件だけで終わってしまっている!!
9月1日午前0時のカウンターは[3666]を示していた。
そして今、9月2日午前2時24分のカウンターでは[3963]となっている。
1日の間におよそ延べ300人が、新しい掲示板に仲間が何と書き込んでいるだろうかと楽しみに訪れている。何も書き込みがないことを見て、去っていったということになる。
(※)真光の06年06年10月23日【カウンターを付けました】のおかげで、以上のことがわかる。
4.なぜ、書き込まれなかったか〜空白の一日の真相を推理する〜
「元祖」掲示板の終わり方の論議を見ていなくとも、この掲示板では「(良き社会人としての)振る舞い」が重視されることを知っているゼミ生達である。「相応しい人が最初に書き込む」のだから、その人の書込を待ち遠しく(その書込を読むことができる。そして自分が書き込むことが出来るようになる)思っている内に、貴重でめでたい第1日目が終わってしまったのじゃないだろうか。
5.放っておいていいのだろうか?
これまで通り全く変わらぬ三戸ゼミ掲示板であるが、やはり太田君の思いと心とエネルギー、現役生達の気持ちと移管作業に費やしてくれた労力があっての「新三戸ゼミ掲示板」である。それだけのことにやはり応えたいし、応えねばならない。
だが、重要な「一番に書き込むのは誰か」さえ決めていなかった。すなわち、新三戸ゼミ掲示板の相応しいスタートの切り方」を検討しよう、と言いながら、していなかったことに、気づいた。
(実は、上記したNo.1714【掲示板の最後の書き込みの権利は?】でもわかるように、私は終わりも始めも、「書きたい」と思ったやつが書きゃいい、と漠然と思っていたのだ。だが、太田の【Re:掲示板の最後の書き込みについて】を見て、彼、みんなにとっての掲示板の位置と意味に気づかされた。また日頃から私自身「形」の重要性を説いていたのであるから尚更である。)
7.「三戸ゼミ掲示板は誰のものか」という問題(その1)
この掲示板は「誰のもので、何のためにあるのか」は、問題として底流にありながらも、あらためて取り上げて検討することさえしてこなかった(必要なかったからではないか、それは「無事」ということで「有り難い」ことだったのだなあ…)。
私は、これまた漠然と「三戸ゼミみんなのもの」位に思っていた。ここは「三戸ゼミ掲示板」と銘打っているのだから「三戸ゼミ」の場である。だが、大学にある「三戸ゼミ」は現役生+院生の活動であり、(ほぼ)現役生のためにある。
それに対し「三戸ゼミ掲示板」は、大学にある三戸ゼミは卒業して(たとえ参加したくても)参加できない卒業生(*3)を直接の・主要な「ステークホルダー(権利保持者*4)」とするものである。簡単に言えば「(主に)卒業生のためにある」(卒業生のものでは決してないはずだと私は思っていることを付け加えておきたい)から、私は書き込みを出来る限りしないようにしてきた(*5)。
(*3)「現時点での卒業生」であり、「将来卒業生となるだろう現役生」は入れていない。
(*4)一般的には「利害関係者」とされているが、「自分のものだ」「自分のためにある」と思っている・主張するものを「ステークホルダー(権利保持者)」と考えている。
(*5)「久しぶり」の来訪者の挨拶(*6)とベッティングにはできるだけ応える。卒業生への情報や活気づけとして「本の話題」。そして活気づけの為の「問題・クイズ」。これもできるだけ現役生を通じて出題する。
(*6)昨年の9/17に5期生安倍が No:1490「Re:H19年度 浩友会勉強会テーマ:【 業界風土 】」で、「お久しぶり」と本当に久しぶりに連絡してきてくれた。そこには、真っ先に「先生、…」と書いてあったのに、「おお安倍、元気にやっていたか?」と返さぬまま、2週間後に、2007/10/01 No:1496「本の話」を書き、そこでも安倍に返事を書かなかった。
恥ずかしい、安倍すまなかった。代わりに(ではないんだが)「お久しぶり」と返事をしてくれた太田君、中島君ありがとう。できるだけ書くまい、という判断とは別に、何は書くべきかは押さえておかねばならなかったはずだ。また、中川博和にも併せて謝っておきたい。
8.「三戸ゼミ掲示板は誰のものか」という問題(その2)
今、意識して考えてみれば、三戸ゼミ掲示板という場がここに「ある」。三戸ゼミ生のコミュニケートのために自然発生的に、必要に応じて使われるものであろう、だから、お喋りしたり、現役生や幹事からみんなへの伝達・報告があったり、議論が生まれたり、挨拶「お久しぶり」などがあったりしてきたのであろう。
9.誰に書き込みを始めてもらおうか?
7.で、この掲示板は主に「卒業生のため」にある、8.で「自然に」、と考えてきた、と書いた。だから、私が最初に書き込むことはおかしいし(*7)、私が勝手に指名することもできない。だが、誰かが何かを始めないと、この新掲示板はスタートできない状態に陥っているようだ!
(*7)「先ず隗より始めよ」という言葉がある。だが、それでは先生の資格はなかろう。
10.そこで、書き込むに相応しい(権利を持つ)人を「できるだけ客観的に決定」して、その人にまず書き込んでもらうことにしよう、と考えた。平成14年3月24日の吉永【お待たせしました】の書込から、最も書き込んだもの、この掲示板を最も大事にした者、最も高め、充実させてくれた者を探すことにした。その作業が終わったのが、ついさっきだ。
書き込み回数だけならたいしたこともないが(とはいえ、結構な作業にはなったが…)、書き込み内容まで吟味するとなると丸一日作業となった(*8)。
(ただ、回数を数えるだけでなく、ついでのプランもあった。楽しみにしていてくれ。)
11.まず、書込数を見てみよう。数多く書き込んだものは、それだけこの場を必要・大事にしていたのではなかろうか。また、書き込むものがいてこその掲示板であり、皆が読み、学ぶことが出来たのである。
2002年3月から健在までの6年半の間の各人の書き込み合計回数top10は次の通り(これを20周年の時のクイズに使いたかったなあ…)。
第1位 佐々木真光 252回(03年〜)
第2位 岩切尚弥 192回(02年〜)
第3位 大野裕喜 109回(05年〜)
第4位 中島大輔 106回(02年〜)
第5位 太田健一 101回(06年〜)
第6位 藤井孝之 55回(06年〜)
第7位 古郡 功 52回(02年〜)
第〃位 纉c 昇 52回(02年〜)
第9位 渡辺英二 50回(02年〜)
第10位 池田健太郎 48回(04年〜)
次点 福富智之 46回(04年〜)
(*数え損ねたおそれがあるかもしれぬが、許して欲しい。)
12.テープ・カッターのリスト
11.でリストアップした人達を候補者としよう。最多数書き込みをしたものから順番でもいいのだが、書き込みをした年数も違えば、現役・院生としての書き込みは卒業生のそれとは意味や重みが違うであろう。何よりも、一文の長さの違いはもとよりその内容にも軽重がある。よって私が書き込みを読んだ判断をも加えて、順位付けをしたい。(急いで断っておくが、以下の順番は選別した順番であり、必ずしもその順番に書き込みをしてくれ、というものではない。第一、そんなことになったら、誰か一人が書き込みをしなかったら、後に続くものが困ることになる。何より、過去沢山書いたものが、先に書く権利があるはずもない、ということを念押ししておきたい。)
以下に、名前を挙げる人達が先ず書込をして欲しい。
@最も書き込み回数が多いのは、佐々木真光である。しかし、私は、第5位ではあったが、やはり太田健一の辞(ことば)を最初に読みたい。
理由は言うまでもないだろうが、この新掲示板は太田あってのものであることは勿論ではある。そして、太田に教えてもらったり、励ましてもらったり、知でも情でも彼の「恩」を受けたゼミ生は数多いはずだ。だが、それだけの理由で彼を推すわけではない。
なぜ太田がここまでやってくれたかのだろうかまで考えて欲しい。彼はこの掲示板を本当に大事なものだと思っている。この3年間の彼の書き込みは、ゼミと後輩達への愛情と愛着に満ちていた。(新)掲示板の立ち上げも、たくさんの書き込みも(太田は3年間でこの数値である)、彼が最もこの掲示板を必要とし、大事にしていたからである、と私には思える。この掲示板を「必要」とし、「大事」に思っている者こそ、この掲示板に最初に書き込むのが相応しいではないか。
A次に読みたいゼミ生の辞は、岩切尚弥のものである。掲示板を大事にしていたものこそその権利に相応しい、とするなら、数から言っても次は岩切であろう。
太田との差は、新掲示板への貢献に因るものではない。岩切も太田に負けぬほど、ゼミに対する愛着を持ち、後輩を案じていることは間違いなかろう。06年度の70回という数値には頭が下がる(単年度書き込み回数としてはダントツである。第2位は07年度の太田の58回、第3位は06年度真光の55回)。それだけ掲示板に貢献してくれ、ゼミを大切にしてくれたのだから。だが残念に思うのは、岩切はこの7年の間での年ごとのバラツキが大きく、また本年度は書き込みがないことである。(いろいろな理由があると思う。だが、君の書込を読みたいと思うものがいる限り、書込を続けて欲しい。)
太田との「ゼミ掲示板の大事」の度合いは勝るとも劣らぬであろうが、その「大事にする仕方」は、太田に一歩譲ることは誰よりも岩切本人がわかっているはずだ。元祖掲示板の「終わり方」と「終わった後の心配」を太田はしていることからもわかるように、この掲示板の存在自体を太田は大切にしているが、岩切は書き込みを大切にしているのである。
君は、後輩達の書き込みに対して、はっきりと忠告してやるべきであると考え、それが相手とゼミに対する真の愛情だと思っていたからではないのか。(私は、その君の気持ちを100%肯定する。君が、本当に数多くの人たちのメッセージに対して一生懸命思いを込めて応えていたことを痛いほど感じていたのは私だけではあるまい。)
私は、君があの書き込みで得たことで成長した姿を見たいのだ。だから、太田の次に書き込みをしてくれ。
(この文章の説明不足が、岩切君の「私が掲示板にむかっていた理由」No:1942 投稿者:岩切 尚弥(4期生) 投稿日:2008/09/03というタイトルを付けさせ、ああいう文章を書かせてしまった。
誰からも学べ、皆から学べる。
ならば、太田という一年上の先輩・ゼミ幹としての手本・ライバルから学んで、教え合え、助け合え、忠告し合えるようになって欲しい。掲示板は浩友会と共に「刮目勝負」の場だと思っている。
「言われたー」だけで、受け身・消極的・マイナスに受け止めるのではなく、「よし、これ以上のものを書いてやろう」と、そのつもりで彼の書込を読み返せば、君のことだ。後輩達を豊かに導けるようになるはずだ。
そうなることを信じ、願っている。
(以下、過去の書込のNo.を付けるべきとは思うが、2度調べるのは辛い*。心あるものは、私が過去を探したように各自探して、読み返して欲しい。)。
(*)さきほど、折角書いたものが投稿の際に消えてしまった。このところ、ワープロで下書きをしているのに、これは書き直しだから、で直接訂正していた。これは書き直し故、幾つか不精させてもらうことを許してもらいたい。)
「広岡と長島」は凄いものだ。さきほど書いた中で解説したが、消えた。解説は勘弁してくれ。この一文は、ここを訪れる皆にその凄さを理解し、ぜひ学んでもらいたいと思っているので書いた(内容もさりことながら、この文を書こうとしたことが本当に凄い)。だが、ここに書き込むのも最後である。各自か、仲間同士で学んで欲しい。
他にも、太田君は、常日頃から「教えてください」「有り難うございます」「良いこと・文です」などのメッセージを送っている。その人からの忠告、と考えてみよう。こういうことも目に入るようになって欲しい。
もう一つだけ、「浩友会通信」で中島君に感謝しただろう?その「感謝の思い」が「本物」だったら、中島君の「歌留多掲示板」に君からの投稿が数多く見受けられるはずだ。私が君の呼びかけに応えていないのなら、君も歌留多への呼びかけに応えていないのだ。
だから、9/12、No:1958「心そこにあらざれば」で「不患人之不己知 患不知人也」と書いた。私がゼミ生達のレスポンスの悪さを感じる度に、思い出す辞だ。『創』24号に書いたものだ。君の中に残ってくれているだろうか?だから、書込タイトルを「心そこにあらざれば」とした。君だけではない。皆に書いたものだ。だが、「自分(のしたこと・呼びかけ)を認めてもらえないことを憤り悲しんでいる」君に特にわかって欲しかった(*8)。
君は「有朋自遠方来 不亦楽乎」を心から思っているのだろう。だから、書込・呼びかけをしたのだと私は思っている。その「気持ち」と論理性・発想力等の才能。優れたものを持っている君だ。だが、それが人を十分に喜ばせたり、育てたり、君に付いていこうと思わせたりしていないのが本当に残念だと思っている。君の結婚披露宴でのスピーチでも、この思い・願いを語ったことを覚えているだろうか…。
「朋遠方より来たるあり、亦楽しからずや」を本当に満喫するためには、「学而時習之 不亦説乎(*9)」と「人不知而不慍 不亦君子乎」がわからなければならぬのではないだろうか。三行で一つの教えなのだから。だから、蛇足で「不患人之不己知 患不知人也」も付けたのだよ。
(*8)ついでで本当に悪いのだが、小林荘介君にも読んで受け取って欲しかったことを、ここに付しておく。 )
(*9)「板ゼミ」は、この言葉の場なのではないかな。ハードルが高い、と言って遠ざかる人を呼び集めて、「朋遠方より来たるあり」となっても「朋」が来たのだろうか。私の「朋」は「同志」である。「朋」でなければ、「亦楽しからずや」にはならないと思うがどうだろうか?また、書込をしていない人でも、読んで学んでいる「朋」はいる、と思っている。
だが、このことも、三戸ゼミ生や卒業生、この掲示板をどういうものと捉えるかだ。私は「良き社会人」を作る場、良き社会人でありたいと思うもの、そのために学び刮目させあう場、と考えてきたが、君とは違ったようだ。これからは、君の思うとおりにやり給え。
B真光、ここまで読んでくれば、そして三戸ゼミ賞を取れるほど俺の側で俺を見、話を聞いていたのだから、「喜んで」太田、岩切の次に書き込んでくれるはずだ。(蛇足として付け加えておこう。真光の書き込みは「学ぶ」姿勢に満ち溢れているものか、多くの卒業生とゼミ・現役生との紐帯・仲介のためのものであった。院生ではあったが、その姿勢と役割に対して改めて感謝したい。すでに、それで三戸ゼミ賞をやったのだがな…。)
C中島大輔。ここまでは、誰が一番でもおかしくない。ゼミに対する思いは「歌留多掲示板」や「浩友会通信」等を持ち出さぬとも、こちらの掲示板を読む者はみなわかっているはずだ。この掲示板を自分の学びの場として考えていたのは(そして実行した卒業生は)誰よりも中島大輔ではないだろうか。タモリの「赤塚への弔辞」レベルを書けるゼミ生は、中島だと私は思っている。「情」の男がこの掲示板という場で学んで(勿論職場などでも大いに学んでいるはずだ)、「知と情」を兼ね備える大人になった。この場を活かし、刮目させた点では、中島こそナンバー・ワンであろう。
D書き込み回数は第7位ではあるが、私は古郡の辞を読みたい。回数とは別に、君の書き込みと君の卒業後の振る舞いを見てきた私は、ぜひ君の辞を読みたい。それは、この掲示板で学び、励まされてきたゼミ生達みなの共通した思いであろう。
E大野よ、第3位なのにこんなに後ろに回して済まないなあ。「掲示板大賞」や、先輩からの書き込みに対するレスポンス、これだけ掲示板を(即ちゼミを)「大切」にしてきたのだから、最初の3人の中に入れてもおかしくあるまい。だが、君はわかっているはずだ。今、現役でいられる自分と、もう卒業してしまったゼミ生達とを比べれば、そちらに譲ることも「良き社会人」のあり方であることを。
F藤井よ、大野の次は君だ。ゼミ掲示板は太田と君のおかげで機能していることに、心より感謝したい。なによりも、君がこの新掲示板の立ち上げを嬉しくおもっているはずだ。また、君の書き込みは後輩達の「良き手本」となるものであったことを、今回読み返してみてあらためて強く思った。自分の成長が他者を「刮目」させる。すばらしいなぁ…。また、君のレスポンスは、大野のそれと並んで、卒業生達の「思い」に応えてきたのだ。
G福富よ、「中国便り」を有り難う。シリーズ連載をしたのは君だけだ。だが、この1年半書き込みがない。できない理由があるのだろうが、君の書き込みを読みたいと思っている人がいることも気づいて欲しい。自分が「書き込みたいときだけ、書き込めるときだけ」じゃなく、「読みたい人がいるとき」にもできるだけ書き込んで欲しい。(*10)
修了証書をもらった後で、最も皆を刮目させたのは福富智之だ。追い出し合宿での挨拶に比べてどれだけ成長したか、この挨拶で見せてくれ。
(*10)岩切君、「仕事のことから」シリーズをとりあげなかった。その理由は3点。
まず、読み物としての工夫がもう少し欲しかった。ゼミの場に全く違う世界の話をそのまま持ち込んでも、ゼミ生達には難しい。
2点目、福富には悪いが、岩切の掲示板への貢献は「仕事のことから」シリーズではないので積極的に取り上げる必要がない、私は思ったからだ。だからと言って、「シリーズ」は岩切も書いたのだから、「福富だけ」は私の間違いであった。こういうことでは、人に受け入れよと言ってもなぁ。恥ずかしい。
岩切の「仕事から」を「無視」したのは、後輩をしかって後輩がへこんでいるのに、何も断らずに平気で(と見える書き方で)、シリーズを続けたと、私には思えたからなのだ。何か一文でも「断り」などの相手への配慮をしめさずに、シリーズを再開しているのを傷ついた後輩はどう感じるだろうか(彼らには、えーい、しっかりせんかい!と言いたいが…)。
私はそこに、君の「逃避」を感じたのだ。叱ったら、相手は傷つくのはわかっていたはず。傷ついても其れに打ち勝って成長してもらいたい。その気持ちは全く正しく、全く同感だ。だが、責任はあるのだ。傷つけた相手へのいたわり、配慮が要るのだ。私は、君が「仕事から」というシリーズを持っていて、それが不適切に使われたと感じたのだ。
このことは、いつか君自身で気がつくか、話すべき時が来た時に言おうと思っていたことである。今がその時期かは、本当はわからない。だが、今聞かれている気がするので書いておく。
H纉cよ、成長しているか。中島を手本として、よーく「見よ」。見なければ学べないぞ。。学ばねば、成長はない。成長なき者の語ることは聞く人を刮目させず、聞く人を成長させない。後輩達の書き込み、成長ぶりもよーく見よ。人の心に残る言葉を読ませてくれ。
池田よ、真光の1/5であることをよーく見よ。共に同じ時にゼミで学んだ者は、最も良きライバルでなければなるまい。ゼミ生としての活躍が、同期に劣っていることに発憤せよ。それが「自分を大切にすること」なのだ。俺がお前に言ってきた「評価」の言葉は決して嘘でも間違いでもないぞ。
望月。あと5回書き込んでいれば、お前が10位だった。できたはずだ。すべきだった。真光が学んでいたとき、お前も学ぼうとどれだけ思っていたか…。学ぶ時間が(就職と大学院との)違いだ、と思っているなら、お前は真光にどんどん置いていかれるぞ。お前は、自分に誇りを持っていたはずだ。「自分を大切にせよ」。お前は「自分を大切にする」ことができる男だ。だが、まだ、その「大切にする仕方」が、わかっていまい。自分の思いを抑えて、相手の思いも察せよ。相手の思いを容れれば、相手もお前の思いに応えてくれるはずだ。
渡辺よ。この数、順位が、ゼミ20年に相応しいか、よーく考えてみよ。この数が5倍であったら、とっくに「師範代」から「師範」になっていたはずだ。最も俺から学んだ男が、「成果」を出していないのでは、俺という「師匠」はそれだけのこととなる。
20年のゼミでの学びの成果を言葉にして見せてくれ。
H小山君。君は別格だ。自分のゼミを持つ身でありながら、三戸ゼミに本当によくしてくれた。感謝の言葉もない。(よければ)「来賓」として、言葉を寄稿して欲しい。
「来賓」となぜしたか。「乗っ取り計画」No:84 投稿者:1期 小山 投稿日:2002/11/15とそれ以降を読み返して欲しい。また、「誤解の無きように」No:97 投稿者:1期生 小山 投稿日:2002/11/16(*11)をも読み返してもらいたい。
この指摘をしなくて済ませたかったし、書かなくとも自分で読み返し、気づいてくれるだろう、と思っていた。私や纉cがどんな思いをしていたか、思いを馳せてくれないか。蛇足ながら、君の指示に従った小山ゼミ生の書込を最後に付けておく。とてもではないが、この文中に挟み込むには耐えられないので最後に回した。
掲示板を読み返す度に、この喉に刺さった小骨を意識させられてきた。岩切君よ、角谷や纉cの書込はつまらぬものであったが、この小山ゼミ生の書込をどう思うかな?どう思って読んだのかな?
小山ゼミOBと「名乗って」よかったのだろうか…?。(「岩切、小山ゼミOB説について」No:100 投稿者:4期 岩切 投稿日:2002/11/18)
次の書込に対する、君の意見・感想を聞きたい。最後に付けた書込と共に。
「岩切さんへ」No:109 投稿者:小山ゼミ 佐久間 MAIL 投稿日:2002/11/18
(略)
書きこみについて・・・岩切さんの許可が出たので、ドンドン書きこませていただきます。さらに、学ぶ場として活用できるなら、こんなに「有り難い」ことはないです。
(略)
岩切さん、ご指導いただき、ありがとうございます!
--------------------------------------------------------------------------------
「小山ゼミ 佐久間くんへ」No:108 投稿者:4期 岩切 投稿日:2002/11/18
(略)
で、君の書き込みをみて、改めて思うのだけど、現役三戸ゼミ生の書き込みって纉c君だけだよね。
君もここにどんどん書き込んだらどう?
(略)
(*11)纉c君、この書込を削除させなかった私を許して欲しい。ゼミの場では、問題にしたが、やはり、君とこの掲示板、つまりゼミを大切にするなら削除させるべきであった。「心をそこにおけなかった」ことが悔やまれる。
I最後になったが、吉永さん。あなたも別格で来賓だ。この言葉は字義通りのものだ。ぜひ、元祖掲示板立ち上げ人として、あなたの孫であるこの掲示板に言葉を寄せて欲しい。
13.以上が、私の判断による「【祝辞・はじまりの辞】を書く権利」を持つに相応しい者である。
岩切君に特に厳しくなってしまった。気になり、これでいいか、を問い続けている。
だが、「厳しくなった」のは、当たり前ではないだろうか。
沢山、沢山書いたのだから。ひとによびかけ、働きかけたのだから。
それだけの「思い」があり、それだけこの掲示板に「思い」を注いだのだから。
こちらも、君の呼びかけ、振る舞い、思い、に応えねばならないからだ。
君が書いたとおり、ドラッカーは言う。
「人は過ちを犯す。だからこそ「責任」が生じる。「応答」せねばならなくなる。
それが「自由」だ。楽しいものでも、得になるものでもない。
人は自由な存在として生 まれてきているのだ。」
「自由」だから、成長するのではないだろうか。
「過つ」から、「過ち」に応えることにより、「学べる」。
「学ぶ」から「成長」するのではないか。
岩切君は沢山、学ぶ機会を得たはずだ。学ばずに置いたら、「真の過ち」となる。
後輩達を叱り、教えたなら、そのことを通して、学び、成長してもらいたいのだ…。
ドラッカーを学んだなら、
「自分はもう出来るようになっている。
もう、人からは学ぶ必要はない、
ひとに教え・諭すのが私の責務だ。」
という生き方は出来ないなぁ…。
太田君はそこから学んだことを「広岡より…」として私たちに教えてくれた。
私も含め、お互いまだまだなのだ。
お互いの「過ち(誤ちではない)」から、お互いが「学ぼう」ではないか。
****************************************
この権利の効力は。3日間としたい。他の人達をいつまでも「お預けポチ」状態にはしておけない。私が挙げた権利を持つ人たちは、9月の4日までに書き込んで欲しい。
そんな、とてもじゃないが、短すぎる、と言うんじゃないかな。だが、求められたその場で、何か人の心に少しでも残ることを言うことができぬようじゃ、たいした「良き社会人」とは、言えないぜ。
とは言え、これでは「権利」ではなく「義務」じゃないか、と思うかもしれんなぁ?
だが、「義務」だと思うな、「責任」と受け取ってくれ。すばらしいじゃないか、これほどの「責任」を負うことが出来るとは…。
よーし、見事責任を果たし、皆を「刮目」させよう、と思う者が、私の教え子である。
このように言われりゃ、言われるほど書けなくなることはわかる。ひとつ便法を許そう。3日間の間に「一言」だけ書き、フルの文章はできれば9月7日をまでに書いてくれればいい。(それも難しいこともあるだろう。その旨を一言書いてくれればいいだけのことだ。)つまり差し替えを認めるということだな。いや、こんな面倒なことをしなくても、「権利」なのだから、行使しなくても「自由」である。
この書き込みをすぐに見た人には3日間なり1週間の時間があるが、ひょっとしたら、半月・1ヶ月後にこのリストに自分の名前があることに気づくものがいるかも知れない。だが、それはその人の責任ではない。私が、その人達を選んだ。その目が曇っていたと言うことなのだから…。私は「この掲示板を大切に思っていた」を選考基準に置いた。忙しくとも、この掲示板が大切なら必ずや数日・週に1回位はアクセスしているだろうし、忙しくても「おめでとう」なり、「また書きます」「これからも宜しく」ぐらいは書けるはずだ。なのに書かないならば、それは今現在はこの掲示板がそれほど必要ではないからである。それならそれでもいいではないか。気が向くか、必要になった時、書いてくれればいい。「続いていて嬉しい」と。)
済まないが、9月4日の夜12時までは、他の人は読むだけにしてくれ。9月5日0時からは、新しい「刮目勝負」である。次の「権利獲得チャンス」を目指して、「良き社会人」の成果を読ませて欲しい。
まず、書き込むことだ。
「良いものを書きたい」ならば、書いたものを読み返す。
人がどうレスポンスしてくるか、見る。
意図に反した応答が来たら、応答がなければ、なぜか、と問う。
自分の書込に触発されて、ひとが書き込んだら、其れを読み、
自分との相違・自分より優れているところを見つける。
書き直す。(今度の掲示板には訂正機能が付いている。)
「良いものが書ける」ようになっている。
(私は、この文を何回書き直しただろうか?まだまだだが…。
少しずつ良いものになっているのではないだろうか。)
14.蛇足:以上は、書く人を指名することにより、この膠着状況を打破したいためであるが、本当に伝えたいことは、別にあることはみなわかってくれていると思う。
@今年の書き込み状況は、とても20周年の年とは私には思えていなかった。
A歌留多も同じだが、誰かがやってくれていることに「有り難い」と思って欲しい。「有り難い」と思ったら、それに何らか応えて欲しい。書いた人は、「書きたい」から書き込みをしているのだが、「読んで欲しい」から書いているのである。「有り難う」の一言でも、「読んだよ」「面白かった」「もっと読みたい」でもいい。それが、書いた人が求めている報酬であり、それが、彼らをして人の為になることをさせている。「社会」はそのような人々の行為から成り立っている。「良き社会人」になる場ではないだろうか。
B書く「人」を選んだのではない、書いたのではない。この場の位置と意味に立ち、三戸ゼミで学んでいる者を評価することにより、この場に求められている「基準」を書いたのである。その基準は、この場で得られるものであり、また何を得た者が評価・表彰されるかを示している。
C私は、6年半前の吉永美幸さんの書き込みから、全て読み返すことから大いに得るものものがあったと感じている。現役達よ、もうすぐ夏合宿だ。去年の、過去の合宿レポートを読み返してみよ。もう、読んだか?
先輩達は自分の先輩達の合宿報告を読んで、自分たちの合宿を作っていたのだろうか。また、読み返せば、より良い合宿ができるはずだった。そのようになったか?読んだことで、どれだけのことが得られるレポートになっていただろうか。
(以下は、前回と同じ。書き直していない。)
君たちはどうだ?後輩達に役に立つ、次の機会に使える報告を書けるためにこの掲示板に延々と書き込んで、それだけのものを書く力をつけてきたのではないか。そのため、この掲示板の性格が一変したではないか。卒業生が気楽に書けるものではなくなったではないか。ハードルが上がったのは顔見知りの中だけでの「読み捨ててもかまわない情報」から、他者と未来の自分が見て「役に立つ情報」がここに書かれるようになったことをどれだけわかっているのだろうか。太田の努力もここに由来していよう(「仲間内の書き込み」それはそれで重要なのは論を待たない。だが、それだけで「三戸ゼミ掲示板」とみなは呼ぶのか?私は、「ハードル云々」を寂しく聞いてきた。しかし、その気持ちもわかる。だから、いろいろなことが語り。伝えあえる部屋を持つHPを作ろう、と提案したのだ。20周年までにできるのかなあ…。)
みな、書くこと、見ることはしてきた。だが、「読んで」いたのか?「読もう」としていたか?ゼミ報告を書け、と言われた。書きたいことがあった。だから、書いた。なら、書けば終わりだ。読むに足る・使うに足るゼミ報告をかくのなら、その報告を次の機会に活かせ。ゼミ報告だけでなく、合宿報告も「読め」。先輩達が、等しく認める「今のゼミ生のレベルは凄い」のが、「本物」になるには、「読んで、活かす」ことで初めて可能になろう。この掲示板に書かれている報告は、役立つものだが、役立てようと思わぬものには、何の価値もない。「成長したい」と思わぬもの、「刮目させたい」と思わぬもの、「良き社会人になりたい」と思わぬものにとっては、この掲示板に書き込むことは、一時の娯楽と、ノスタルジーを提供するものにとどまるであろう。
「心そこにあらずんば、見れどもみえず、聞けども聞けず」
長くなった。書きたいこと、書くべきこともあるのだが、空が白んで、蝉が鳴き出した。
歌留多と20周年を楽しみにしている。そして、この掲示板が今まで以上に三戸ゼミ生達の成長と喜びの場となってくれることを信じている。
(みなの6年半の思いと行為は、私にこれだけのものを書かせた。その重さと「夜」は書きすぎをさせたのではないだろうか。プリンターの不調のためにプリントアウトせずに書き込んだ。やはり、書き直さねばならぬと思い、また始めた。だが、昼になってもその重さに押しつぶされ続けている。書き直しではなく、書き足しになった。一回目の書き込みの「書き直し」をさせてもらった。削除の失敗も怖い。削除せずに、書き直しを投稿する。管理人殿、よろしくきれいにしてください。皆の「心」に甘えさせてもらう。)
****************************************
(参考資料)みなは、この書込をどう思っていたのだろうか。いかがわしい風俗系の書込は削除されてきたのだが…。
太田君、この書込も残さねばならないだろうか?
ここから、学ぶのなら、残さねばなるまい。だが、6年近くの歳月の間ここから、学ばれなかったのだ。この書込と、その背景。この書込を見たゼミ生。そして誰も何も言わないで来た。見るたびに、思いが激し、本当に本当に本当に言葉が出ない!
この書込から学ばれぬまま、このまま書き残され続ける限り、この掲示板を「本当に大切にしてきた」とは、言えないのではないか、と思ってきた。誰かが言うか、無言で削るか、を待ってきた。私が、このことを言い出したら、どうなるだろうか…。だから黙ったままであったが…。
「明日って?」
No:91 投稿者:こうべ 投稿日:2002/11/15 Fri 22:27:22 [返信]
9:30?10:30じゃなかったっけ?
Pass
--------------------------------------------------------------------------------
「明日の集合」
No:90 投稿者:神戸 投稿日:2002/11/15 Fri 22:25:22 [返信]
了解!神戸ワールド全開で、絶対に勝ちましょう。
ところで、明日の集合は9:30でしたよね?
Pass
--------------------------------------------------------------------------------
「小山ゼミ掲示板にようこそ!!」
No:89 投稿者:ゼミ長 佐久間 投稿日:2002/11/15 Fri 22:21:29 [返信]
ゼミ生各位(乗っ取り済み)
明日はいよいよ討論会です!!みんなでチカラをあわせて、三戸ゼミに勝ちにいきましょう。
岩切さんへ・・・クワダ君は、三戸ゼミでいじられキャラではなく、小山ゼミでいじられキャラになっています。お間違いなく!
Pass
No:1958
投稿者:三戸 浩
投稿日:2008/09/12 Fri 12:24:46
有朋自遠方来 不亦楽乎
人不知而不慍 不亦君子乎
不患人之不己知 患不知人也
『創』Vol.24
No:1957
投稿者:中島大輔(8期生・名簿幹事)
MAIL
投稿日:2008/09/11 Thu 21:41:57
「いつ閉鎖されてもおかしくない状況にある」
ということをご指摘いただいていなかったら、
差し迫った状況にあったことを認識できずにいたかもしれません。
そう考えるとちょっと怖いですね。
浩友会総会といえば、今年は三戸ゼミ二十周年の年であり、
十一月に記念合宿が開催されますので、
例年十月に行なわれている浩友会総会は実施しないことを
確認申し上げたいと思います。
(十五周年時の確認では、全国各地からはるばる関東まで出てくるにあたり、
年に2回は苦しいであろう、という理由だったと思います。)
本来、浩友会報にてきちんとご連絡すべきでしたが、
暗黙の了解、という感じに捉えていて連絡の必要性を認識できて
おりませんでした。
浩友会会計の浜平さんから総会について問い合わせがあった折、
総会を開催しない旨の「確認」を行なっていなかったと気づきました。
まずは皆さんがどのように認識していらっしゃるかを確認して
必要に応じて、メール・ハガキ等で連絡を行ってまいりたいと存じます。
No:1956
投稿者:杉山(三期)
投稿日:2008/09/10 Wed 13:16:12
掲示板の移設完了、おめでとうございます。関係者のみなさん本当にご苦労様でした。一人のOBとして心より感謝いたします。
一瞬前と同じ?と思ってしまいました。似せているのですね。心遣いに感動しました。
これからもみなさんの書き込み楽しみにしています。
頑張って携帯から書き込んでいます。
こんな長文、携帯で打ったのははじめてです
携帯で見ることができてまた板ゼミが身近になりました。
(2008/9/11追記)パソコンより
本日パソコンの画面であらためて自分の書き込みを見て、正直青ざめました。大変なことをしてしまったと深く反省しております。
場所や時間の成約をうけずに読むことができるようになり、また移行に係わったみんなの思いが、単純にそして本当にうれしかったのです。まさに「勢い」だけでした。
「頑張って携帯から書き込んでいます。こんな長文、携帯で打ったのははじめてです。」に関しては、本当に残すことが恥ずかしい軽い文章であり、「板ゼミ」のコンテキストを理解せず書き込んでしまったことを後悔しております。
削除も考えましたが、「3期生」である自分の恥、ミスを掲示板に残すことも大切と考え、今回追記をすることにいたしました。
No:1955
投稿者:小林荘介(15期生)
URL
投稿日:2008/09/09 Tue 08:28:40
三戸ゼミ掲示板の無事の存続、心よりお喜び申し上げます。太田さんをはじめ、データの移管作業に直接携わったみなさん、それを陰ながら慎ましく支えてくださった多くの方々にお礼を申し上げます。
さて、このたびは私の不手際によりお騒がせする事態となり、大変申し訳なく思っております。
「MゼミブログJUGEM版(試作段階編)」において、私が掲示板選定プロジェクトメンバーに向けて提起した「コミュニケーション不全」の話題についてですが、偉大な先輩方がコメントを寄せる雰囲気の中で、この掲示板で議論されることは、その障害になると思いますので、この一件に関する話題はひとまず他の時期や他の場所に譲って頂き、掲示板の雰囲気の流れを元に戻し、ご発言を再開して頂ければ幸いです。
もし現在この一件について一言でもコメントを寄せてくださるのであれば、「MゼミブログJUGEM版(試作段階編)」の簡易掲示板やブログの記事へご投稿して頂けると幸いです。
No:1954
投稿者:太田 健一(3期生)
投稿日:2008/09/07 Sun 23:20:25
先生とも相談した上で一旦削除することと致しました。
私も書き込む際に、小山さん、渡辺さん、中島さんが書き込んでくださるとの予約がある状態で
あのような書き込みをすれば書きにくくなるかと迷っておりました。
小山さん、古郡さん、渡辺さん、中島さん、望月さん、福富君、せっかくの流れを中断してしまい
誠に申し訳ございませんでした。引き続き書き込んでいただければ嬉しく思います。
小林さんのブログの件については後日何らかの形で総括したいと考えております。
No:1952
投稿者:太田 健一(3期生)
投稿日:2008/09/05 Fri 21:49:07
岩切君の書き込みで気付いたのですが、携帯電話からアクセスするURLをお伝えするのを失念
しておりました。社会人の方々には携帯電話で確認している方も多いかと思います。
自分が携帯電話をほとんど使わないこともあり、目が届いておりませんでした。
「心そこにあらずんば」です。申し訳ございません。
このページの上部に「モバイル専用URL」というリンクを貼りましたので、ご利用くださいますよう
お願い申し上げます。
モバイル専用URL
【対応する携帯端末】
○NTT Docomo iモード対応ケータイ
○softbank Yahoo!ケータイ(ディズニーモバイル含む)
○au EZweb対応ケータイ (TU-KAも含む)
○WILLCOM フルブラウザ対応ケータイ/W-ZERO3端末
○EMOBILE Webサービス対応ケータイ
○iPhone/iPod touch AppleのiPhone及び、iPod touch端末
○NTT Lモード端末及びLモード対応公衆電話
○PSP SONYの携帯ゲーム端末 (ネットワーク設定済み機種)
○NintendoDS ニンテンドーDSブラウザー(推奨:縦長モード)
No:1951
投稿者:12期 吉永美幸
投稿日:2008/09/05 Fri 17:45:07
9月を迎え、こうやって「普通に」書き込めるのはひとえに太田さんが時間と労力を費やして下さったからだと思います。本当に有難うございます。
それから、皆さま、私にも多くのコメントを寄せて下さり、本当に有難うございます。
よき社会人という観点からは少しずれるかもしれませんが、恋愛について先生が話された事について書きます。
以前、先生がボーリングをされていた時、隣のレーンには若いカップルがいたそうです。
そのカップルを見て、先生は「長くは続かないだろうなぁ」と感じられたそうです。
その2人は、相手のフォームやスコアが悪くてもアドバイスし合うことはなく、お互いの順番が来たらただ投げ合うだけだったそうです。
先生は、大変無念そうな表情で話されていました。
この先生の話を意識し、私は、仕事やプライベートにおいて誰かと共同作業をしたり又は競う場合においても、お互いがより力を出せるようにと心がけています。
(この指針のおかげで、一度プライベートで「おおっ、この殿方は…!そ、素養がある…!」という事がありました)
刮目とは程遠い書き込みで恐縮ではありますが、私はこのように三戸ゼミで触れて心に残った事の数々を、時々反芻して社会人として日々を送っています。
私にとって、自分が社会人であることそれ自体が本当に有難い事です。
No:1950
投稿者:池田健太郎(16期)
投稿日:2008/09/05 Fri 00:26:23
板ゼミにまで発展を遂げた掲示板の危機を乗り越え、維持存続させることは、並大抵の時間とエネルギーではなかったと思います。太田さん、本当に有難うございます。
みなさん凄い追い込みでしたね。
僕もすぐに追いつきます。
No:1949
投稿者:19期 藤井孝之
投稿日:2008/09/05 Fri 00:03:55
その2年のゼミ生活は、掲示板と共に歩んだ2年でした。
今でも覚えているのが、私が三戸ゼミに入って初めて「刮目した」と言ってもらえたときです。
それは夏合宿のレポートを、先生のアドバイスをもとに書き直したことでした。
翌週のゼミの「刮目」の時間に、大野さんから
「レポートを書き直した藤井君に刮目させられた」と言っていただいたことを覚えています。
私の添削後も、さらに岩切さんがアドバイスをくださったことも大変嬉しいものでした。
当時2年生で勉強にも乗り切れず、ソフトボールや相撲も得意でない私にとって、
評価してもらえる数少ない機会が、掲示板だったのです。
3年次私はゼミ幹事を務めました。
その中でひとつ、自分がやった、やりきったという功績をあげろと言われたら、
間違いなく毎週のゼミ報告のことを答えます。
私がゼミに入る前からも、掲示板でのゼミ報告はなされていましたが、
「型」を作り、1年間継続させ、今も後輩達によって報告し続けられていることは、私の大きな自信になっています。
三戸先生もその年の「三戸ゼミ十大ニュース」において、
現役生にも「板ゼミ」として機能し始めたという意味で、「板ゼミ元年」だと仰いました。
ちなみに、板ゼミ・掲示板関連のニュースを、4チーム中、
最も上位に位置付けていたのは、他でもない藤井チームです。
この掲示板がなければ、
私は三戸ゼミでここまで学ぶことができなかったと、改めて感じます。
吉永さん、
このような学びの場になった掲示板を立ち上げていただき、有り難うございます。
太田さん、
太田さんのおかげでこれからも掲示板で学ぶことが出来ます。
掲示板の移管作業、本当に有り難うございます。
これからもこの掲示板で、精一杯学ばせていただきます。
No:1948
投稿者:15期 のぼる
投稿日:2008/09/05 Fri 00:01:00
新しい掲示板になってまず、これからこの掲示板はどうなるのだろう、と思うばかりです。
掲示板上では、学ぶこともあり、教えられることもあるかと思いますが、それ以上に、自ら参加している、という実感をもつことが一番大切なのかと思ったりもします。
ただ、前掲示板の最後である8/31に自分自身書き込んだか、といったら書き込んでいません。
今、書き込みをしていて一番の後悔です。
2002年に掲示板が発足したばかりのころ、三戸ゼミに入ったばかりの現役だった自分が興味本位で書き込んだのが、自分のこの掲示板へのはじめての書き込みです。
現役で初めて書き込みを行い、その年の討論会に至るまでにおいて掲示板の議論がゼミの議論になったことは今でも覚えています。
その時、書き込むこと自体が意味を持つ、と実感した時でした。
その後、書き込める時にでも、参加することが重要だと思い、議題とは外れる内容ながらも遠慮なく書き込んでいたことを思います。
今回、新しい掲示板に際して、三戸先生から自分の名前を挙げていただいたことはありがたい、と思うと同時に、今まで参加していた、ということの意味を考えさせられるきっかけを与えていただいたと思います。
逆に書き込み回数を示していただいたことで、自らこれだけ書き込んだ、という実感を初めて抱いたと同時に、過去に皆様が書き込まれた文章を読みなおして学べる、という機会を与えていただいたようにも思います。
ただ、同時に、三戸先生に喚起されることは恥だと思うばかりでもあります。本来ならば、掲示板発足時に書き込むべきかと思いましたが、事実、書き込んでいない自分がいます。
過去の掲示板を書き込んできたというありがたさと、今になってようやく書いている、という恥の両面があります。
ただ、自分の中での原点は、この掲示板では、参加すること、
それがまず一番大事だと、いうことです。
新しい掲示板になって、改めて掲示板の新人として書き込みを
していきたいと思います。
では、今後も、皆様の書き込みを楽しみに読ませていただきます。
No:1947
投稿者:18期生 大野裕喜
投稿日:2008/09/05 Fri 00:00:42
吉永さんの最初の書き込みから改めて掲示板を読み返してみました。
これまでも掲示板を何度も読み返しておりましたが、今回改めて読んでみると、私はそ
の書き込みから掲示板を大切にしたい、ゼミで学んだ事を大切にしたい「想い」を強く
感じずにはいられませんでした。その「想い」は、これまで読み返した時には自覚的に
感じることが無かったものであり、それを今回実感する事によって、自分の中における
掲示板の位置と意味を考えさせられました。
現役生にとっては、過去の掲示板の記録や先輩方の指摘、注意は大変有り難く、どれだ
け多くのことを学ぶことが出来たでしょうか。過去のゼミを知ること、先輩の書き込み、
アドバイスを読むことは大変刺激的であり、また書き込むことで学んだ事を確認し、現
在のゼミ報告の「型」を確立するまでに及びました。(それらを「活かせている」にはま
だまだですが・・・。)これまで私も大いに学ばせてもらい、他の現役生も同じ思いを持
っています。
しかし、太田さんがこれほどまでの新掲示板を作成されたこと、そして現在の新掲示板
の出発に向けての書き込み、並びに元祖掲示板の終わりの書き込みを読んでから、改め
て最初から読み返してみますと、「勉強」の観点と同時に今回は掲示板を大切にされる皆
さんの「想い」を感じました(これまでも「想い」を感じることはありましたが、それ
が自覚的なものであったとは思えません)。
それは極端な言い方をすれば、これまでは自らの勉強の観点から掲示板を見ていたので
あって、自分の中に入っていたのは、投稿者の「書き込み」、その「内容」だけであり、
それを超えて書き込まれた方の「想い」に到っていなかったのではないかと自問せざる
を得ませんでした。掲示板に対する認識が僅かではありますがこれまでとは変わり、そ
れが自分の中での掲示板の位置と意味を考えさせてくれたのだと思います。
太田さん、掲示板の移管作業有り難うございました。社会人として働いておられながら、
元祖掲示板を新掲示板として再現してくださり、多大なエネルギーを要された事と思い
ます。本当に有り難うございました。
吉永さん、掲示板を立ち上げてくださり有り難うございました。掲示板は教室で行われ
ないゼミであって、それは時間と空間を越えた学びの場だと思っています。このような
場をつくってくださり本当に有り難うございました。
そして02年の掲示板の立ち上げからから現在に到るまで、これほどの数の書き込みがさ
れたことを目にすると、掲示板とは創っていくものであることを改めて感じます。(三戸
先生有り難うございます)ただの書き込みの集まりが現在の掲示板の姿になりえたのでし
ょうか。やはり私にはそう思いません。掲示板に対する想いがあり、相手に対する想いが
あり、書き込みに対する想いがあり、レスポンスされる人がいたからこそ掲示板を育て、
現在の姿に創り上げてきできたのだと思います。
掲示板を立ち上げてくれた吉永さん、新掲示板を作成してくれた太田さん、そしてその
掲示板に書き込んでいる多くの人がいる。だからこそ今の掲示板があるのであり、学ぶ
ことができるのであり、そしてそこにおける「想い」を大切にしたいのだと思います。
三戸先生が新掲示板の出発に際して、これから新たな「刮目勝負」と書き込まれており
ます。私はその言葉が心に響き、そしてそのような場でありたいと思っています。自分
にはその力がない、だからこそ学び、想いを大切にし、応えていく事が掲示板を活かす
ことに繋がっていくものだと信じています。それが掲示板を大切にし、ゼミで学んだ事
を大切にし、自分を大切にする事ではないでしょうか。
新掲示板の出発に当たり、この「想い」を本物に出来るよう、学んでいきたいと思います。
No:1946
投稿者:渡辺英二
投稿日:2008/09/04 Thu 23:58:53
あがかせてください。
太田有り難く使わせてもらうよ。
「掲示板存続おめでとう!また後日改めて書きます!」
No:1945
投稿者:中島大輔(8期生)
MAIL
投稿日:2008/09/04 Thu 23:46:10
この掲示板に辿り着くことが出来るのですよね。
長野からでも、広島からでも、鹿児島からでも。
無錫からでも、イタリアからでも、ウガンダからでも。
この場があったからこそ、
私達はこうして集まることができました。
姿を思い浮かべ、想いに触れることができました。
会ったこともないOB・OG・現役生の表情さえうかがい知ることができました。
三戸ゼミ掲示板が無かったら、
横浜から遠く離れた地で三戸ゼミとつながっていくことはとてもできませんでした。
地理的な“距離”という地方在住者にとっての難題を一発で解消してくれました。
たとえ一時的に連絡をとることが出来なくなっても、掲示板があれば何時でも三戸ゼミに戻ってゆけます。
三戸ゼミ掲示板の恩恵を蒙ることにより
私達は、三戸ゼミにつながることができました。
職場の特殊性のため時間帯が合わず、電話をかけられない人も、書き込みを残すことで会話ができました。
一日のうちに自由に使える時間が殆どない人も、
なんとか作り出した時間に記録を残すことで、「会う」ことができたのです。
だからこそ、この掲示板を引越し・継続してくださったことに
本当に心の底から感謝を申し上げたいと存じます。
あのまま行く先が決まらず、閉鎖されていたなら
私達はこうして会うことが出来ませんでした。
過去の書込みが消えていたならば、
苦しみ悩んで書いたことも、味わった感激も、
時とともに完全に風化していってしまったことでしょう。
三戸ゼミ掲示板の有り難さに報いるためにも、掲示板のなかで成長していかねば!と思います。
この掲示板では、記録としての重要性もさることながら
数年前の仲間に「会える」ということが魅力だと思います。
意識して書き込みをされた方が、時を経るごとに
言葉の深みを増してこられたり、
“凄い先輩”も最初から出来たわけではなく
スタートラインは他の新ゼミ生達と同じで意識的に書き込みをされていたり。
成長したい!という気持ちにさせてくれる掲示板が継続されて本当に嬉しいです。
「有り難い」機会をこれからも活かして一緒に成長していきましょうね。
No:1944
投稿者:小山 嚴也(1期)
投稿日:2008/09/04 Thu 11:10:25
5周年の時、何度かお話しする中で、「ゼミ生」の概念のずれに気づきました。
われわれは現役生を「ゼミ生」ととらえていたのですが、
先生はOB・OGを含むすべての者をゼミ生としてとらえておられました。
現代の塾だとすれば、そのような認識は当然で、制度上、大学を卒業したとしても、
学びに終わりはないわけですから、ずっと「ゼミ生」であり続けることになります。
現代の塾といっても、現実には学生時代のように、仲間とともに
学びの時間と空間を共有することは難しいものです。
しかしながら、掲示板がそうしたことを可能にしてくれました。
板ゼミは時間と空間を超えて、学びの場を提供してくれます。
これはとても「有り難い」ことです。
時間と空間という意味は、もちろん、いつどこにいても参加できるという意味ですが、
同時に、過去の自分を振り返ることができるという意味もあると思います。
太田君が過去の書き込みの「保存」にこだわって、新しい掲示板を探してくれたのも
まさにこのことと関係があるのでしょう。
さて、過去の自分を振り返ってみると、恥ずかしさしかありません。
その時その時でそれなりの心理状況や理由があったのでしょうが、
わかっていなかったなというのが良くわかりました。
僕は「大人」ということを、常に意識しています。
時、状況、立場を踏まえて行動できる人などと定義したりもします。
この定義そのものは、環境ないし状況適応的で、
自分自身の価値、信念がないなとこのたび気づきましたが、
何よりも、僕自身は少し「立場」にこだわりすぎていたなと思いました。
人間は複数の立場を持ちます。
僕の場合であれば、親であり、夫であり、先生であり、社会人であり、先輩です。
ここ数年、板ゼミに関わる時、この複数の立場が錯綜して、
自分の中で何か非常に難しい状況になっていました。
しかし、この場においては、何よりも一人の学び手なのですから、
まずは、そういう意識を持たねばならなかったなと反省しました。
もちろん、学びたくなかったわけではないのですが、
結果として学んでいなかったということに気づかされました。
また、大切な場を汚すことになってしまいました。
まさに、「心ここにあらざれば」という状況に陥っていたのですね。
申し訳ありませんでした。
吉永さんの思いを太田君がせっかく受け継いでくれたわけですから、
これからは三戸ゼミ生としてこの場で学んでいきたいと思っています。
この1ヶ月で色々と学ぶことが出来ました。
三戸先生、ありがとうございました。
No:1943
投稿者:佐々木 真光(16期)
投稿日:2008/09/04 Thu 02:14:06
あらためて感謝いたします。
三戸先生が太田さんが一番掲示板を大切にしていた、と書かれていますが、
それは新掲示板を「見る」だけでわかります。
吉永さんが立ち上げてくださり、ここまでに成長してきた掲示板とほとんど同じ外観です。
これは偶々ではなく、太田さんがそのように作って下さったものです。
もし、全く外観が変わっていたらどうでしょうか?
たったそれだけの理由で、これまでと同じ質の書き込みが維持されるかは分からないと思います。
そのような移行に伴うあらゆる「リスク」が回避されているのは、太田さんがゼミ掲示板
という場を大切にされてきたことの何よりもの証左ではないでしょうか。
私は、そう思います。
太田さん、本当に有難うございます。
そして、せっかくの太田さんのご配慮(No.1941)を無視してしまっていることをお許し下さい。
そして、新掲示板への移行にあたり、旧掲示板が終わることの「実感」を皆に与え、
「区切り」をつけたのは、他ならぬ吉永さんの書き込みでした。
外観をほとんど同じに作っていただいたために、「区切り」がなくダラッと移行する
可能性は、十二分にありました。
そのときは、三戸先生の書き込み(No.1939)も読むことができなかったかもしれません。
吉永さんは掲示板の立ち上げ人という立場にふさわしいタイミングと内容で書き込みをされたと思います。
これこそ、「良き社会人」たる手本の一つではないでしょうか。
吉永さんのおかげで、全てのゼミ生が恩恵に預かり続けています。
吉永さん、本当に有難うございます。
三戸先生、書き込みの「チャンス」と「責任」をいただき、どうも有難うございます。
三番目に書き込む「責任」があるとしていただいたことはもちろんですが、何よりも、
先生が私に対するメッセージを「この二行で足らん」としていただいたことが嬉しく、有難いことです。
不遜ながら先生に倣い、これだけで先生には伝わると思っております。
この掲示板は、本当に多くの人たちによって支えられています。
ゼミを離れ、新入社員とはいえ会社勤めをし出すと、意識的にも無意識的にも、
会社のコンテクストに乗っかっていかざるを得ません。
その内に、会社の観方で物事を観て、考えるようになっていきます。
それが単純に悪いとは思いません。
むしろ、そうなれないことも問題だと考えます。
悪いのは会社の観方・考え方「しか」できないことです。
それ以外の、理想的にはマッチングしにくい観方・考え方を持つことが必要です。
このことは人間として必要なことはもちろん、会社にとっても必要だと考えます。
社会という環境が維持・存続を左右するようになっている現代において、
会社の観方・考え方「しか」できない人間が会社を守り、発展させられるはずがありません。
そのような(ある意味目的合理的な)観点からしても、ゼミ掲示板を読み、書き続けることは、
とりわけ仕事を持つものにこそ意義あることではないでしょうか。
機能の観点からしても、責任の観点からしても、心情の観点からしても、
掲示板を読み、書き込み続けていきたいと思います。
この新掲示板の出発が、三戸ゼミと掲示板のさらなる発展となることを信じて。
No:1941
投稿者:太田 健一(3期生)
投稿日:2008/09/03 Wed 23:12:16
まったくない文章になってしまいました。
足がつりながらも何とか2区にタスキをつないだ駅伝1区走者のようです。
これほどプレッシャーのかかった書き込みは初めてでした。
本当は掲示板はもっといろいろな可能性や拡がり、遊びもある
空間ですので、また改めて別の角度から書き込みたいなあ、と
考えています。
さて、先生にもご相談にのっていただいたのですが、先に番号だけ予約
しておいて、後で「編集」機能で訂正してみてはどうでしょう。
せっかく今回の掲示板は訂正機能が設けられていますので、
先ずは例えば次のように書き込んでおいて、後日ゆっくりと
書いて差し替えるのも良いかと思います。
多少順番が前後しても良いのではないでしょうか。
お試しください。
「掲示板存続おめでとう!また後日改めて書きます!」
No:1940
投稿者:太田 健一(3期生)
投稿日:2008/09/02 Tue 23:49:39
昨年、現役生の方にこう伝えたことがありました。
自分では何気ない一言だったのですが、はたと初期掲示板での小山さんの言葉を思い出しました。
「纉c君への岩切君からのコメントは纉c君に向けられたものではないよ。
当然、小林君にも向けられたものなんだよ。」(bP39「あのねぇ」)
小山さんの書き込みを初めて読んだときには、読んだのが書き込みから既に数年経っているにも
かかわらず、何故か当たり前のことに気付きませんでした。
掲示板で教えたり、注意したりすることは、同じ時間を共有する他の者への空間的な影響を与える
ばかりでなく、時間をも超えた拡がりを持ちます。
これまで小山さん、杉山さん、岩切君、佐々木さんなど、様々な卒業生や先輩が書き込んできた
指摘や注意は、そのときに読んでいる人ばかりでなく、顔も見たことのない未来の後輩に対して
向けられたものでもあることに気付かされます。
掲示板を遡ってみると一目瞭然であるように、過去には段落も改行のないゼミ報告レポートや、著者名
表記すらない本の紹介なども数多く書き込まれていました。それでも私が現役の頃よりは格段に
全体的なレベルは向上しているのですが、やはり初歩的な内容で注意されることが多かったように思います。
現在ではそのような書き込みは皆無となりました。
もちろん、師範代の渡辺さんや佐々木さん、また大野さんのような先輩が(先生やOB/OGに同じ
ことを言わせぬよう)口酸っぱく指導されてきたことも大きいのでしょうが、この掲示板がゼミで
学んだことを蓄積する場として機能していることの証左だと思います。
暗黙知を形式知に転換するのがこの掲示板であると言っても良いでしょう。
完成物である『創』と異なり、掲示板では意見されたり、注意されたり、反論したり、訂正したりと
いった生き生きとしたやり取りがタイムリーに記録されていきます。「ゼミの風景」の記録としては
これに勝る媒体はないように感じられます。
私は今回の移管作業を通じて過去のすべての書き込みを再度「投稿」したわけですが、それは正に
ゼミの風景を垣間見、またその時代に流れるゼミの空気を吸う作業でした。そして、様々な指摘、
誤り、注意から学ばされることが多々ありました。私自身がおこなった注意や指摘についても、
ああ配慮が足りなかったな、言葉が足りなかったな、と反省させられます。
中には恥ずかしくて消したい書き込みもありますが、記録に残っているからこそ、そこからいつでも
学ぶことができます。
私は掲示板にデビューしてから2回目の投稿で、次のように書き込みました。
「1期生がゼロからスタートしたとするならば、10期生ならば1から、20期生ならば2から
スタートできるようになるのがゼミとしての蓄積です。
現役生の方々の文章などを拝見しますと、私や岩切君にこんな文章が書けただろうか、と思うことが
あります。
ですがこれは資質や力量の個人差の問題ではなく、正にゼミとしての蓄積の所産なのだろうなと
捉えています。「これぐらい出来て当たり前」のレベルが年々上がっていくというのは組織としては
理想的です。」(bP012「Re:浩友会報に念う」
この書き込みをしたときにはまだ過去ログを読み返してはいなかったのですが、幾度となく読み返す
うちに、この掲示板こそが蓄積なのだと分かりました。
言葉の「消費」に終わる掲示板であるならば、データを移管するという発想は生まれませんでした。
「蓄積」を担う掲示板であるからこそ、データを移管せねばならず、また無理してでもログナンバーは
そのままにしなければなりませんでした。
改めて思います。
過去ログのナンバーに意味がある掲示板がどれほどあるだろうか、と。
最後に、指摘・注意することがなくなったというのは、後輩のレベルが上がった一方で、裏返せば
先輩の力量が相対的に伸びていないことを示します。私自身、良い書き込みだな、何かレスポンス
したいけど何から始めれば良いだろう、と筆が止まり、歯がゆい思いをしたことが何度もありました。
三戸ゼミは、皆が一生を通じて成長を目指す場であり、社会人・学生とも学ぶ身であることに
変わりはありません。ただ、掲示板においても社会人には社会人の関わり方・振舞い方があるはずであり、
立場と役割を踏まえて先輩たらんとする事、高い壁であろうとすることが自らの成長を促すはずです。
それが自分を大切にすることであり、人を大切にすることに繋がるはずだと信じています。
No:1939
投稿者:三戸 浩
投稿日:2008/09/02 Tue 13:53:35
08.4.15の【掲示板の最後の書き込みの権利は?】 大野裕喜を受けて、
08.4.16【Re:掲示板の最後の書き込みについて】太田 健一
08.4.22【Re:掲示板の最後の書き込みについて】大野裕喜
08.4.26【Re:掲示板の最後の書き込みについて】大野裕喜
で、検討されはしたが、明確な形を決めぬままで来ていた。だが、「案ずるより産むが易し」下のような書き込みを得て、今日を迎えることができた。
8/30掲示板の母、吉永美幸【12期 吉永美幸です】
8/31三戸【ゼミ掲示板ありがとう】
中島大輔【aaacafe掲示板「最後の一日」にあたって】
佐々木真光【ゼミ掲示板への「有難う」】
9/1 太田健一☆★☆ 【重要なお知らせ】引越し完了しました。 ☆★☆
9/1の太田君【引っ越し完了しました】の最後にこう書いてくれている。
「私を含め、今後の三戸ゼミ関係者の書き込みにより、この掲示板が皆にとってより 一層大切な存在となることを願います。
どんどんどんどんどんどんどん書き込んでね。
平成20年9月1日 三戸ゼミナール3期生 太田健一 」
今は、9月2日の午前2時17分。「記念すべき」9月1日は太田君の事務的案内の2件だけで終わってしまっている!!
○カウンターの数値
9月1日午前0時のカウンターは[3666]を示していた。
そして今、9月2日午前2時24分のカウンターでは[3963]となっている。
1日の間におよそ延べ300人が、新しい掲示板に仲間が何と書き込んでいるだろう かと楽しみに訪れ、何も書き込みがないことを見て、去っていったと言うことなんだろう。
(※)真光の06年10月23日に【カウンターを付けました】のおかげで、以上のことがわかる。
○「元祖」掲示板の終わり方の論議を見ていなくとも、この掲示板では「(良き社会人としての)振る舞い」が重視されることを知っているゼミ生達である。「一番に書き込む権利」が自分にあると思えなければ、書き込むことができないのだろう。
(私は、卒業生もゼミ生だと思っている。現役・OB、現役・卒業生という「煩雑な」表現を避けさせてもらっている。クイズ@:このことを象徴する事例を挙げよ。)
○にも関わらず、「一番に書き込む権利」を誰に与えるか、を決めてなかった。すなわち、「この掲示板をどのように始めていくか」の形を決めていなかったことに、気づいた。
(実は、上記した【掲示板の最後の書き込みの権利は?】でもわかるように、私は終わりも始めも、「書きたい」と思ったやつが書きゃいい、と漠然と思っていたのだ。だが、太田の【Re:掲示板の最後の書き込みについて】を見て、彼(ら)にとっての掲示板の位置と意味に気づかされ、また日頃から私自身「形」の重要性を説いていたのであった。」
○私が、勝手に指名することはできないし、滑稽だ。私が最初に書き込むか?いや、この掲示板においては、先生もゼミ生もない。現役も卒業生もない。だが、誰かが何かを始めないと、この新掲示板はスタートできない!「先ず隗よりはじめよ」では、先生の資格はなかろう。(クイズAなぜ、それでは「先生の資格がないのか」?)
○そこで、書き込むに相応しい(権利を持つ)人を「できるだけ客観的に決定」して、その人にまず書き込んでもらうことにしよう、と考えた。02年3月24日の吉永【お待たせしました】から、最も書き込んだもの、この掲示板を最も大事にした者、最も高め、充実させてくれた者を探し始めた。その作業が終わったのが、ついさっきだ。
書き込み回数だけならたいしたこともないが、書き込み内容まで吟味するとなると丸一日作業となった(ただ、回数を数えるだけでなく、ついでのプランもあった。楽しみにしていてくれ。)。
○02年3月から健在までの6年半の間の各人の書き込み合計回数top10は次の通り(これを20周年の時のクイズに使いたかったなあ…)。
第1位 佐々木真光 252回(03年〜)
第2位 岩切尚弥 192回(02年〜)
第3位 大野裕喜 109回(05年〜)
第4位 中島大輔 106回(02年〜)
第5位 太田健一 101回(06年〜)
第6位 藤井 55回(06年〜)
第7位 古郡 52回(02年〜)
第7位 纉c 昇 52回(02年〜)
第9位 渡辺英二 50回(02年〜)
第10位池田健太郎 48回(04年〜)
次点 福富智之 46回(04年〜)
@最も書き込み回数が多いのは、佐々木真光である。しかし、私は、第5位ではあったが、やはり太田健一(3期)の言葉を最初に読みたい。
理由は言うまでもないだろうが、この新掲示板は太田あってのものであることは勿論ではある。そして、太田に教えてもらったり、励ましてもらったり、知でも情でも彼の「恩」を受けたゼミ生は数多いはずだ。だが、なぜ太田がここまでやってくれたかのだろうかまで考えて欲しい。彼はこの掲示板を本当に大事なものだと思っている。この3年間の彼の書き込みは、ゼミと後輩達への愛情と愛着に満ちていた。
彼のゼミ掲示板への貢献が一番だと思う人は多かろう。だが、彼が最初に書き込む権利を持つのは、貢献からではない。彼が最もこの掲示板を必要とし、大事にしていた、と私には思えたからである。(太田は3年間でこの数値であることでも、わかるだろうが。)
この掲示板を「必要」とし、「大事」に思っている者にこそ、この掲示板に最初に書き込むのが相応しいではないか。
A次に読みたいゼミ生の言葉は、岩切尚弥(4期)である。掲示板を大事にしていたものこそその権利に相応しい、とするなら、第2位は岩切であろう。太田との差は、新掲示板への貢献に因るものではない。岩切も太田に負けぬほど、ゼミに対する愛着を持ち、後輩を案じていることは間違いなかろう。06年度の70回という数値には頭が下がる(単年度書き込み回数としてはダントツである。第2位は、07年度の太田の58回、第3位は06年度真光の55回)。それだけゼミに貢献してくれ、ゼミを大切にしてくれたのだから。だが、岩切はこの7年の間での年ごとのバラツキが大きく、また本年度は書き込みがない。
太田との「ゼミ掲示板の大事」の度合いは勝るとも劣らぬであろうが、その「大事にする仕方」は、太田に一歩譲ることは誰よりも岩切本人がわかっているはずだ。「元祖」掲示板の「終わり方」と「終わった後の心配」を太田はしていることからもわかるように、この掲示板の存在自体を太田は大切にしているが、岩切は書き込みを大切にしているのである。
「俺は優しくないか?岩切よ」
新掲示板の立ち上げだけを理由にしておけば、君は傷付かぬであろう。だがな、君は後輩に「優しくなかった」だろう?
後輩達の書き込みに対して、はっきりと忠告してやるべきであると考え、それが相手とゼミに対する「真」の愛情だと思っていたからではないのか。
(私は、その君の気持ちを100%肯定するよ。君が、本当に数多くの人たちのメッセージに対して一生懸命心を込めて応えていたことを痛いほど感じていたのは私だけではあるまい。)
だから、この判断も理由も、はっきりと書いたことも、「喜んで」受け取ってくれるはずだ。
私は、君があの書き込みで得たことで成長した姿を見たいのだ。だから、太田の次に書き込みをしてくれ。
B真光、ここまで読んでくれば、そして三戸ゼミ賞を取れるほど俺の側で俺を見、話を聞いていたのだから、「喜んで」太田、岩切の次に書き込んでくれるはずだ。
C次は、中島大輔以外にあるまい。ゼミに対する思いは「歌留多掲示板」を持ち出さぬともこちらの掲示板を読む者はみなわかっているはずだし、この掲示板を自分の学びの場として考えていたのは(そして実行したのは)誰よりも中島大輔ではないだろうか。タモリの「赤塚への弔辞」レベルを書けるゼミ生は、中島だと私は思っている。「情」の男がこの掲示板という場で学んで(勿論職場などでも大いに学んでいるはずだ)、「知と情」を兼ね備える大人になった。この場を活かし、刮目させた点では、中島こそナンバー・ワンであろう。
D書き込み回数は第7位ではあるが、私は古郡の言葉を読みたい。回数とは別に、君の書き込みと君の卒業後の振る舞いを見てきた私は、ぜひ君の言葉を読みたい。それは、この掲示板で学び、励まされてきたゼミ生達みなの共通した思いであろう。
E大野よ、第3位なのにこんなに後ろに回して済まないなあ。「掲示板大賞」や、先輩からの書き込みに対するレスポンス、君の掲示板を(即ちゼミを)「大切」にしてきたのだから、最初の3人の中に入ってもおかしくあるまい。だが、君はわかっているはずだ。今、現役でいられる自分と、もう卒業してしまったゼミ生達とを比べれば、そちらに譲って当然だと。また、「良き社会人」の場なのだからなあ…。
F藤井よ、大野の次は君だ。ゼミ掲示板は太田と君のおかげで機能していることに、心より感謝したい。なによりも、君がこの新掲示板の立ち上げを嬉しくおもっているはずだ。また、君の書き込みは後輩達の「良き手本」となるものであった。君のレスポンスは、大野のそれと並んで、卒業生達の「思い」に応えてきたのだ。
G福富よ、「中国便り」を有り難う。シリーズ連載をしたのは君だけだ。だが、この1年半書き込みがない。できない理由があるのだろうが、君の書き込みを読みたいと思っている人がいることも気づいて欲しい。自分が「書き込みたいときだけ、書き込めるときだけ」じゃなく、「読みたい人がいるとき」にもできるだけ書き込んで欲しい。
修了証書をもらった後で、最も皆を刮目させたのは福富智之だ。追い出し合宿での挨拶に比べてどれだけ成長したか、この挨拶で見せてくれ。
纉cよ、成長しているか。中島を手本として、よーく「見よ」。見なければ学べないぞ。。学ばねば、成長はない。成長なき者の語ることは聞く人を刮目させず、聞く人を成長させない。後輩達の書き込み、成長ぶりもよーく見よ。人の心に残る言葉を読ませてくれ。
池田よ、真光の1/5であることをよーく見よ。共に同じ時にゼミで学んだ者は、最も良きライバルでなければなるまい。ゼミ生としての活躍が、同期に劣っていることに発憤せよ。それが「自分を大切にすること」なのだ。俺がお前に言ってきた「評価」の言葉は決して嘘でも間違いでもなかったはずだ。
望月。あと5回書き込んでいれば、お前が10位だった。できたはずだ。すべきだったはずだ。真光が学んでいたとき、お前も学ぼうとどれだけ思っていたか…。学ぶ時間が(就職と大学院との)違いだ、と思っているなら、お前は真光にどんどん置いていかれるぞ。お前は、自分に誇りを持っていたはずだ。「自分を大切にせよ」。お前は「自分を大切にする」ことができる男だ。だが、まだ、その「大切にする仕方」が、わかっていまい。自分の思いを抑えて、相手の思いも察せよ。相手の思いを容れれば、相手もお前の思いに応えてくれるはずだ。
渡辺よ。この数、順位が、ゼミ20年に相応しいか、よーく考えてみよ。この数が 5倍であったら、とっくに「師範代」から「師範」になっていたはずだ。最も俺から学んだ男が、「成果」を出していないのでは、俺という「師匠」はそれだけのこととなる。
20年のゼミでの学びの成果を言葉にして見せてくれ。
H小山君。君は別格だ。自分のゼミを持つ身でありながら、三戸ゼミに本当によくしてくれた。感謝の言葉もない。(よければ)「来賓」として、言葉を寄稿して欲しい。
I最後になったが、吉永さん。あなたも別格で来賓だ。ぜひ、元祖掲示板立ち上げ人として、あなたの孫であるこの掲示板に言葉を寄せて欲しい。
○以上が、私の判断による「【祝辞・はじめの言葉】を書く権利」を持つに相応しい者である。
この権利の効力は。3日間としたい。私が挙げた権利を持つ人たちは、9月の4日まででは、とてもじゃないが、短すぎる、とブーブー言うんじゃないか。だが、求められたその場で、何か人の心に少しでも残ることを言うことができぬようじゃ、たいした「良き社会人」とは、言えないぜ。
とは言え、これでは「権利」ではなく「義務」じゃないか、と思うかもしれんなぁ?
だが、「義務」だと思うな、「責任」と受け取ってくれ。すばらしいじゃないか、これほどの「責任」を負うことが出来るとは…。
よーし、見事責任を果たし、皆を「刮目」させよう、と思う者が、私の教え子である。
(言われりゃ、言われるほど書けなくなることはわかる。ひとつ便法を許そう。3日間の間に「一言」だけ書き、フルの文章は9月7日までに書いてくれればいい。つまり差し替えを認めるということだな。いや、こんな面倒なことをしなくても、「権利」なのだから、行使しなくても「自由」である。)
済まないが、9月4日の夜12時までは、他の人は読むだけにしてくれ。9月5日0時からは、新しい「刮目勝負」である。次の「権利獲得チャンス」を目指して、「良き社会人」の成果を読ませて欲しい。
○蛇足:以上は、書く人を指名することにより、この膠着状況を打破したいためであるが、本当に伝えたいことは、別にあることはみなわかってくれていると思う。
@今年の書き込み状況は、とても20周年の年とは私には思えていなかった。
A歌留多も同じだが、誰かがやってくれていることに「有り難い」と思って欲しい。「有り難い」と思ったら、それに何らか応えて欲しい。書いた人は、「書きたい」から書き込みをしているのだが、「読んで欲しい」から書いているのである。「有り難う」の一言でも、「読んだよ」「面白かった」「もっと読みたい」でもいい。それが、書いた人が求めている報酬であり、それが、彼らをして人の為になることをさせている。「社会」はそのような人々の行為から成り立っている。「良き社会人」になる場ではないだろうか。
B書く「人」を選んだのではない、書いたのではない。この場の位置と意味に立ち、三戸ゼミで学んでいる者を評価することにより、この場に求められている「基準」を選び、書いたのである。その基準は、この場で得られ、得た者が評価・表彰されることを示している。
C私は、6年半前の吉永美幸の書き込みから、全て読み返すことから大いに得るものものがあったと感じている。現役達よ、もうすぐ夏合宿だ。去年の、過去の合宿レポートを読み返してみよ。もう、読んだか?
先輩達は自分の先輩達の合宿報告を読んで、自分たちの合宿を作っていたのだろうか。また、読み返せば、より良い合宿ができるはずだった。そのようになったか?読んだことで、どれだけのことが得られるレポートになっていただろうか。
君たちはどうだ?後輩達に役に立つ、次の機会に使える報告を書けるためにこの掲示板に延々と書き込んで、それだけのものを書く力をつけてきたのではないか。そのため、この掲示板の性格が一変したではないか。卒業生が気楽に書けるものではなくなったではないか。ハードルが上がったのは顔見知りの中だけでの「読み捨ててもかまわない情報」から他者と未来の自分が見て「役に立つ情報」がここに書かれるようになったことをどれだけわかっているのだろうか。(「仲間内の書き込み」それはそれで重要なのは論を待たない。だが、それだけで「三戸ゼミ掲示板」とみなは呼ぶのか?私は、「ハードル云々」を寂しく聞いてきた。しかし、その気持ちもわかる。だから、いろいろなことが語り。伝えあえる部屋を持つHPを作ろう、と提案したのだ。20周年までにできるのかなあ…。)
みな、書くこと、読むことはしてきた。だが、「読んで」いたのか?「読もう」としていたか?ゼミ報告を書け、と言われた。書きたいことがあった。だから、書いた。なら、書けば終わりだ。読むに足る・使うに足るゼミ報告をかくのなら、その報告を次の機会に活かせ。ゼミ報告だけでなく、合宿報告も「読め」。先輩達が、等しく認める「今のゼミ生のレベルは凄い」のが、「本物」になるには、「読んで、活かす」ことで初めて可能になろう。この掲示板に書かれている報告は、役立つものだが、役立てようと思わぬものには、何の価値もない。「成長したい」と思わぬものは、「刮目させたい」と思わぬものは、「良き社会人になりたい」と思わぬものには、この報告は、一時の娯楽と、ノスタルジーを提供するものにとどまるであろう。
「心そこにあらずんば、見れどもみえず、聞けども聞けず」
長くなった。書きたいこと、書くべきこともあるのだが、空が白んで、蝉が鳴き出した。
歌留多と20周年を楽しみにしている。そして、この掲示板が今まで以上に三戸ゼミ生達の成長と喜びの場となってくれることを信じている。
(みなの6年半の思いと行為は、私にこれだけのものを書かせた。その重さと「夜」は書きすぎをさせたのではないだろうか。プリンターの不調のためにプリントアウトせずに書き込んだ。やはり、書き直さねばならぬと思い、また始めた。だが、昼になってもその重さに押しつぶされ続けている。書き直しではなく、書き足しになった。一回目の書き込みの「書き直し」をさせてもらった。削除の失敗も怖い。削除せずに、書き直しを投稿する。管理人殿、よろしくきれいにしてください。皆の「心」に甘えさせてもらう。)
No:1937
投稿者:太田 健一(3期生)
投稿日:2008/09/01 Mon 01:59:49
掲示板の移行に伴いリンクの貼り方が少々変ります(URLのリンクは同様です)。
ここでは「せっかく掲示板」についてのリンクの設定方法についてご説明申し上げます。
便利な機能ですのでWord等にコピー&ペーストしておいてご利用いただければ幸いです。
1、URLをリンクする場合
<a href="リンク先URL">リンクの表示名</a>
※「リンクの表示名」の部分に入力した文字が青字で強調表示されます。
2、過去のログをリンクする場合
<a href="http://bbs1.sekkaku.net/bbs/?id=mitosemi&log=○○○○">リンクの表示名</a>
※○○○○にリンクしたいログのナンバーを入力します。
No:1936
投稿者:太田 健一(3期生)
投稿日:2008/09/01 Mon 01:43:40
ですが、その機能すべてを移行することはできませんでした。
「AAA!CAFE掲示板」自体とても優れた機能を有しておりましたので、引越しにより便利になった
点もあれば不便になった点もあります。
つきましては掲示板のスペックの差異、引越しのメリット、デメリットについてご報告申し上げます。
T、スペックの主な差異 (移行前) (移行後)
「AAA!CAFE」 「せっかく掲示板」
1、最大保存件数 2千件 10千件
2、文字数制限 半角20千字 無制限
3、訂正機能 削除のみ可 削除・訂正とも可
4、画像投稿 不可能 可能
5、返信表示 prev、follow prevのみ
6、引用文字数 無制限 全角で約1千字
7、カウンター 1PC1日で1カウント 延べ人数カウント
※保存件数の増加のほか、もう一つの大きな変化は、訂正が可能になったことです。
ただ、「AAA!CAFE」掲示板に書き込んでいただいた内容はコピー&ペーストで移管しており、
管理人しか訂正が出来ません。
訂正をご希望の方はページ右下の「管理人へ連絡」アイコンからお気軽にご連絡ください。
U、移行による主なメリット
1、過去ログ確認の利便性向上
「AAA!CAFE掲示板」ではフッター部(ページの一番下)に「前のページ」「次のページ」との
アイコンが設定されていましたが、「せっかく掲示版」ではこれらに「最新のページ」及び
「ジャンプページ」のアイコンが加わります(ジャンプページとは記載されていません)。
「最新のページ」はトップページに移動するアイコンです。
「ジャンプページ」を使えば、現行掲示板では「次のページ」で50件ずつ確認せざるを得な
かった過去ログを一気に遡って確認できます。また、この「ジャンプページ」のアイコンを
クリックすると、現時点での投稿件数が確認できます。
2、メールアドレス非表示によるセキュリティ向上
「AAA!CAFE掲示板」では、メールアドレス欄にメールアドレスを入力すれば、投稿者氏名
表示が青字となり、そこをクリックすることでメーラーが自動的に立ち上がるシステムとなって
いました。
一方「せっかく掲示板」では、メールアドレス欄にメールアドレスを入力すれば、投稿者氏名の
右に「MAIL」とのアイコンが表れ、そこをクリックすると転送フォームが表示されます。
この方法ですと「せっかくネット」を介してメールが送信されることになり、メールアドレス
自体はまったく表示されません。業者によるメールアドレス自動収集等の不正行為を防ぐことが
可能となり、メールアドレスを掲載するリスクが軽減されます。
3、「纉c」、「山ア」の表示 ・・・ 文字化けの解消
「AAA!CAFE掲示板」では、15期・纉cさんの名前を入力すると「@田」と文字化けしていた
ため、仕方なく「桑田」または「くわだ」と入力せざるを得ませんでした。
また、20期・山アさんについても同様に「山ヒ」と文字化けするため、「山崎」と入力せざるを
得ませんでした。
今後は「纉c」、「山ア」と正しい表記が可能となります。
過去の投稿につきましても、投稿者の方のご許可をいただき次第修正していきたいと存じます。
V、移行による主なデメリット
1、返信の使い勝手の悪さ
これは「せっかく掲示板」に全般的に言えることなのですが、反応が全般的に「AAA!CAFE
掲示板」に比べて遅いという欠点があります。
「返信」をクリックした場合、「AAA!CAFE掲示板」と異なりゆっくりと投稿欄までスクロール
していくことになりますので、ページの下のほうの書き込みから返信する場合にはイライラして
しまうかもしれません。
また、これは「Internet Explorer」上の制限の問題であるようなのですが、引用対象が2キロ
バイトを超えた場合、超過部分を削除する設定となっております。したがいまして、長文の投稿に
返信する場合、後半が一部削除されます。
2、「Follow」表示の消滅
AAA!CAFE掲示板では、引用元のログを「Prev」、引用先のログ(より正確には最初の引用先の
ログ)を「Follow」で示していました。このうち、「Follow」については表示できなくなります。
3、一部フリーメールアドレスの使用禁止
せっかく掲示板では、「@○○freecom.ne.jp」や「@○○freemail.ne.jp」といった一部フリー
メールアドレスをメールアドレス欄に入力すると投稿してもエラーとなってしまいます。
これは業者によるスパムメールを防止するためだそうです。
なお、「@yahoo.co.jp」、「@hotmail.com」、「@gmail.com」等については引き続き使用可能で
あることを確認しております。ただ、「せっかく掲示板」におけるメール送信は前述のとおり
「せっかくネット」というサーバを介して送信されますので、お使いのフリーメールアドレス
サービスによっては「迷惑メール」として認識されてしまう可能性がございます。「迷惑メール」
として認識されることを防ぐためには、次のFAQをご参照ください。
【@yahoo.co.jpをお使いの方はこちらをご覧ください。】
http://bbs.sekkaku.net/faq/264.html
【@hotmail.comをお使いの方はこちらをご覧ください。】
http://bbs.sekkaku.net/faq/266.html
4、メールアドレス以外のメールアドレス欄への入力禁止
何のことか分かりにくいかとは思いますが、AAA!CAFEでは、メールアドレス以外の文章に
ついてもメールアドレス欄への入力が可能でした。このため、題名を間違えてメールアドレス欄に
入力しても投稿が可能であったのですが、「せっかく掲示板」ではメールアドレス以外の
情報を入力して投稿してもエラーとなってしまいます。
間違いを未然に防ぐ意味では良いのですが、投稿時にエラーとして拒絶されると本文まで消えて
しまいますので注意が必要です。せっかくの原稿を無駄にしないためにも、「WORD」などに
予め原稿を記載しておいて、そこからコピー&ペーストで投稿する方法を強く推奨します。
5、返信方法の変更
デメリットというほどでもないのですが、返信時の動作が少々変わります。
「AAA!CAFE掲示板」では返信ログに返信した場合でも返信ログ同様の「Re:○○」という題名が
自動的に付けられていたのですが、せっかく掲示板では「Re:Re:○○」となります。
また、非常に些細な違いで大多数の人には無関係ですが「Re:」の後ろの半角スペースがなくなります。
6、カウンターのカウント数
これもデメリットというほどでもないのですが、ページ上部のカウンターのカウント方法が
変わります。
「AAA!CAFE掲示板」では、同じIPアドレスからアクセスする限り、1日に何度アクセス
しても「1」とカウントされていました。
これに対し「せっかく掲示板」では、同じIPアドレスであろうとも、アクセスした回数だけ
カウントされます。
したがいまして、これまでよりもはるかにカウント数の回転が速くなります。
No:1932
投稿者:太田 健一(3期生)
投稿日:2008/09/01 Mon 00:56:07
この書き込みを行なっている時点ではまだアクセスできますが、もうそろそろ閉鎖されることになるでしょう。
数時間前にアクセスしましたら業者によるいかがわしい書き込みがなされていたのですが、
その後直ぐに削除されていました。管理人のどなたが削除してくださったのだと思います。
あと数時間で閉鎖されるにもかかわらず、最後の最後の瞬間まで大事にされていた掲示板なのだな、と
改めて痛感しました。
さて、引越しが完了しましたので、これからはこの「せっかく掲示板」を使うことになります。
ただ、せっかく佐々木さんから労いのお言葉を頂戴しておいて大変申し訳ないのですが(気を悪く
しないでくださいね)、
この「せっかく掲示板」は新しい掲示板ではありません。
また、立ち上げ人も「AAA!CAFE掲示板」同様、やはり吉永さんです。
私は単なる引越し業者に過ぎず、また如何に引越し業者に徹するかをこの1か月間考えてまいりました。
この掲示板の原型は実はこんなものです。
http://bbs.sekkaku.net/bbs/A3.html
今改めてみるとずいぶん違いますね。
この原型を、ある人の協力を得て(これはまた改めて書きたいと思っています)「AAA!CAFE掲示板」に
出来る限り近いものとし、現役生の皆様の力を借りながら、ログナンバーも投稿日時も丸ごとそのまま
移管しました。
データで転送するとログナンバーのズレが生じるため、作業はすべてコピー&ペーストで行ないました。
なぜそうしなければならなかったのかと考えますと、私は吉永さんが立ち上げてくれた「AAA!CAFE
掲示板」が大好きで、皆さん同様に自分にとってとても大切で、かけがえのないものであったからです。
大好きな掲示板をそのままの形で残すことが私の課題であり、車にたとえればエンジンや足回りは
交換してもボディーに手を加える発想はありませんでした。
「AAA!CAFE掲示板」が閉鎖されるのですから何かしらの区切りが必要であり、だからこそ
立ち上げ人の吉永さんに声をかけました。一方、矛盾するようなのですが、久しぶりにGoogle
等の検索エンジンからこの掲示板に訪れた人が、何が変わったのか気付かないことも私は
望んでおります。
是非一度、このページの一番下までスクロールして、「最新のページ」の右のアイコンから
一番古いページを開いてみてください。
この掲示板のログナンバー1は、今も変わらず2002年3月24日の立ち上げ人・吉永さんの書き込みです。
引越しにより住所は変わりましたが、この掲示板はいま生まれた掲示板ではありません。
6年半の歴史の積み重ねの上に成り立っています。
引越しにより、最大保存件数が「AAA!CAFE掲示板」の2千件から、5倍の1万件になりました。
現在の書き込み件数は1,500件強(ログナンバーとは異なります)ですので、今回のような閉鎖が
なければ1日1件投稿しても23年以上使用できる計算となります。
私を含め、今後の三戸ゼミ関係者の書き込みにより、この掲示板が皆にとってより一層大切な存在となる
ことを願います。
どんどんどんどんどんどんどん書き込んでね。
平成20年9月1日 三戸ゼミナール3期生 太田健一
※bP931以前の書き込みは「AAA!CAFE掲示板」からの移管したものです。
No:1931
投稿者:佐々木 真光(16期)
投稿日:2008/08/31 Sun 22:30:50
最後の書き込みをするに当たって、タイトルに苦しみました。
掲示板を立ち上げてくれた吉永さんに感謝すべきか、それとも、陰に陽に掲示板の発展に
貢献されてきた方々皆さんに感謝すべきか、それともゼミ掲示板そのものに対してなのか。
「有難う」、という気持ちは、一体誰に、何に対してなのか、ということです。
考えてみれば、ゼミ掲示板への感謝が、それを立ち上げてくれた吉永さんや、発展に尽力
されてきた方々へ感謝することに他ならないと思い、このタイトルにしました。
(本当はこんな「理屈」はいらないのですが・・・。)
ゼミにとっての掲示板の意味・意義は先生が書いて下さっています。
私にとっての掲示板は、一言でいうと「板ゼミ」でした。
学びの場でした。
「板ゼミ」を通じて学んだことは、まず何よりも「視点の高さ・広さ」です。
小山さん、太田さん、岩切さん、中島さんなど、遥か上の先輩の書き込みを読んだり、
自分の書き込みに直接指摘やアドバイスをいただいたりすることで、「そういうふうに
観たり、考えたりするのか」と気づかされたものでした。
視点の持ち方について、一度聞かされて理解し、自覚し、そこから変わるということは
かなり稀なケースではないでしょうか(少なくとも、私はそうです・・・)。
我われにとっては、ある視点で「観させられる・考えさせられる」時間を日々持つことが、
それで無自覚に観たり、考えたりすることができるようになる近道だと思います。
毎日掲示板を読むことは、まさにそれでした。
次に、先生が挙げられた「書くトレーニング」です。
ゼミレポートは私たちの代には全く不完全なままで、現役生たちが形にしてくれましたが、
掲示板に「書く」ことを定期的にやっていたことが、文章を書く行為そのものに対する
精神的な負担をほとんど無くしてくれました。
これは非常に大きいです。
大学でも会社でも、あらゆる所で「書く」ということが求められます。
そこで、「書く」ことに対して精神的な負担がある人と無い人では、持っている
資質・能力を認めさせるという部分で決定的に違ってきてしまいます。
(ただ、昔の書き込みは恥ずかしいのであんまり読まないで欲しいのですが・・・。)
また、掲示板はほとんど会ったことのない先輩方との距離感も縮めてくれました。
例えば、岩切さんとは数えてみるとちょうど片手しかお会いしたことがありません。
しかし、お会いしたときにはゼミのことやその他のことでも何でも、変な遠慮なく
お話しすることができます。岩切さんとは12期も離れているにも関わらず、です。
それというのも、掲示板で頻繁にコミュニケーションできていたおかげです。
この他にも、掲示板は自分でもまだ気づいていない多くの恩恵をもたらしてくれたことと思います。
これからは、太田さんが立ち上げてくれた新掲示板がその成果を引き継ぎ、
さらに発展していくことでしょう。
ゼミ掲示板へ、本当に有難うございました。
※1
吉永さん、ご無沙汰しております。吉永さんの近況報告を拝見し、後輩として失礼ですが嬉しくなり、
また、凄い!と思いました。新掲示板になりましても書き込みを楽しみにしております。
※2
実はいろいろと書き込みたいネタもあるのですが、掲示板が一段落してから。
院ゼミのときに先生から「会社に入って、ゼミ・院で学んで何が一番役に立っているか」
と問われて思うように答えられなかったので、そのことについてが一つ。
※3
あとは相田洋『マネー革命』(NHKライブラリー)を読んで、企業活動と投機やヘッジファンドの
関係が少し整理できそうな気がしたのでそのことについてがもう一つ。
私も含めて、投機やそれを組織的に担うヘッジファンド=悪というイメージがあるかと思いますが、
単純にそうではなく、現実に存在し、存続している以上、やはり「位置と意味」があります。
キーワードは「リスク」と「流動性」でしょうか。
修論のテーマと勤め先の関係から、最近はこの辺りに関心を持っています。
No:1930
投稿者:中島大輔(8期生)
MAIL
投稿日:2008/08/31 Sun 21:57:14
前半の5年と後半の5年は充実感がまるで違うことを強く認識します。
それは取りも直さず「三戸ゼミ掲示板」のお蔭だと思い、
改めて創設者である吉永美幸さんに御礼申し上げたいと存じます。
掲示板は、
「文章が記録される」
「文章を先生や“三戸ゼミの仲間”に見てもらえる」
という2つの機能が基となって、本当に様々な役割を果たしてくれました。
掲示板のやり取りのなかで、
なるほど!と納得したり、元気を分けてもらったり、
時には感動して涙を流したこともありました。
この雰囲気こそ「三戸ゼミの雰囲気」だと思います。
現役の頃感じていたゼミ室(そして研究室)の雰囲気を思い出したのは私だけではないはずです。
5期生福冨智之さんは三戸ゼミ掲示板を「板ゼミ」と名づけました。
まさにその通りだと思います。
私達がいつも呼吸していたゼミの空気がこの掲示板で息づいていました。
一方でそれゆえに「畏れ」を感じ、求められる完成度を忖度してしまい
「交流の場」として気軽な場となることが出来なかったという側面もあることでしょう。
しかし、皆が声を掛け合い、作ってきたこの掲示板。
それぞれの意図が空回りしてしまうことも、想いがうまく伝わらないこともありながら、
この雰囲気自体は大きく変わることもなく、それぞれの納得を共有しながら
形作られてきたように思います。
三戸ゼミ掲示板でのクライマックスシーンとして、
きっと数多くの方が太田さんの復帰と、その後の先生、岩切さんの書込みの場面を
挙げられるのではないかと思います。(No.1006〜No.1023)
ひとつひとつの言葉に、大きな想いが込められていて、
同じ時代を共有できなかった私達も、胸が熱くなりました。
歴史的な一場面が記録に残り、多くの仲間と感動を共有できたことについて
三戸ゼミ掲示板という「場」を、本当に有り難いものであると心から思いました。
掲示板に書き込んでくれている仲間のほとんどは、
書くのに使ったエネルギーをはるかに越える感動や成長や共感といった
貴重な果実を掲示板からもらっているのではないかな、と感じます。
自分の書いた文章に対し、仲間が返答をくれるうれしさ。
書いたことが仲間の間で共有知となっていくうれしさ。
そして何より、画面の向こうに仲間がいるということのうれしさを感じながら
私達は掲示板に親しんできました。
きっと引越し後も、三戸ゼミ掲示板は
仲間達のたくさんの想いを結ぶ架け橋となり、成長の場を与えてくれることと思います。
また一緒に盛り上げていきましょうね。
私達の大好きな掲示板が、これからも「板ゼミ」であり続けてくれることを願って
平成20年8月31日 三戸ゼミ8期生 中島大輔
No:1928
投稿者:三戸 浩
投稿日:2008/08/31 Sun 00:13:34
学んだことを生かそうとしている教え子を持てたことに対して、心より有り難いなあと思うと共に、胸張って日々を過ごしている姿にいいなあ、偉いなあ、と感じました。
この掲示板とも、いよいよ明日でお別れすることになるようだが、太田君がそっくりの仮掲示板を探してくれたので、その実感が湧かなかった(ありがとう)。だが、吉永さんの書き込みを見て、ああ、終わるのだなあ…、と初めて感じた。(ふさわしい彼女の出番を作ってくれた太田君、岩切君に感謝したい。)
この掲示板も書き込み数1,925、カウンターも28,067を数えるに至っている。数だけでない。ゼミ活動をOBに伝える場として、またゼミ歌留多プロジェクトの呼びかけ等々の新旧ゼミ生間のコミュニケーションの場として本当に活躍してくれた。そして、板ゼミというOB達を中心とする勉強の場に、ゼミ生達のレポート能力涵養の場にと、この掲示板は本当に本当にゼミのために多大の貢献をしてくれた。心より感謝の言葉を捧げたい。有り難う。
カウンターの数値もこのところ急速に伸びてきた(8月初頭は26,000位、8/25には27,800位だった)。皆が頻繁にアクセスしている証であろうが、その割に書き込みは実に少ない。誰か、何か書いてないかなあ…と覗いて、新しい書き込みがないので閉じる人が多いと思われる。おーい、「読んだよ」の一言でもいいから、来訪の足跡を残してくれ。
これまでここに書き込んだ人、訪れているか書き込んでない人、この掲示板を覗けるのも後一日。何か、記念に書き残さないか。吉永さんの書き込みを最後にすることになっているが、太田君と藤井君が形を整えてくれるはずだ。甘えさせてもらおうじゃないか。
この掲示板の終わりをみんなで飾ろう。
No:1924
投稿者:吉永 美幸(12期生)
投稿日:2008/08/30 Sat 21:16:22
12期 吉永美幸です。この掲示板の立ち上げ人でございます。
これまで幾度も掲示板内で連呼されていながら、応答なしで申し訳ございませんでした。
立ち上げっ放しの身で、移管作業にも携わっていませんし、この場にいるのは心苦しい気もします。
気もしますが、現にこうやって書き込んでいる今、書き込めてとても嬉しいです。
三戸ゼミの掲示板が質・量ともにこれほどのものになるとは立ち上げ当初は想像もつきませんでした。
自ら記録を塗り替えていく…その崇高な様はイシンバエワ選手のよう。。。
明日、いよいよこの掲示板が閉鎖されます。私が立ち上げた掲示板です。皆様には、この機会に是非とも私を知っていただきたく、近況報告方々自己紹介をさせていただきます。皆様、よろしくお願いいたします。
地元の鹿児島市に在住。入社7年目。経理課を経て現在は人事課で4年目になります。給料や税計算、社会保険関係の事務が主な仕事です。
地場の会社なので経営権は74歳の社長がガッチリ握っています。自他共に認める朝令暮改の経営方針です。それでもおかげさまで会社は53期目に突入しました。
業種は「卸小売業」です。石油やガスを販売店に卸したり、ケンタッキーフライドチキンやTSUTAYAのフランチャイズ展開している、地域に密着した会社です。
さて、私にとって三戸ゼミ生でよかった!と思える事は沢山ありますが、一番は自分が「社会人である」という事です。
実は、私は入社3年目に丸一年休職いたしました。社会人として未熟であり、適応しきれず体を壊してしまった為です。
三戸ゼミに入ってなければ、そこで辞めていたかもしれません。
私は、三戸ゼミのガイダンスで「よき仲間をつくる。よき社会人をつくる」というお話があり、それに魅力を感じてゼミに入りました。
休職中は「社会人でいたい。そして浩友会に参加したい」という一心でした。掲示板を見てはそう思っていました。
先生の言葉で、私が最も強烈に感じたのが「人は立場で動く」です。なので、社会人という立場を失えば、私自身の成長は止まってしまうだろうと思うと恐く、必死でしがみついていました。
それから復帰して現在に至るまで、謹厳実直・公明正大を心がけて日々をすごしています。
学生時代は社会性に乏しいが故、ピンとこなかった先生の言葉の意味も理解でき、本当にありがたく思う日々です。
太田さん、次の掲示板への作業を進めて下さり、また、私の最初の書き込みを残して下さるなどありがとうございます。
岩切さん、中島さん、お世話になりました。
最後に、三戸ゼミナール掲示板の背景の色はアースグレーで、リンクを張った文字部分はブルーとなっています。
これは三戸ゼミのゼミカラーです。
アースグレー=道、ブルー=自由を表しています。
詳しくはNO.250 渡辺さんの投稿をご確認下さい。
それでは、皆様、引越し先の掲示板でお会いしましょう!
No:1923
投稿者:太田 健一(3期生)
投稿日:2008/08/30 Sat 10:19:10
ログナンバーの重複を避け、まるごとそのまま引越しするために、現在引っ越し先の
掲示板には投稿制限を設けております。8月30日か31日には次の作業をほぼ同時に
行い、円滑な引越しを実施しますので是非ともご理解・ご協力を宜しくお願い申し上げます。
【8月末に同時に行なう作業】
1、現行「AAA!CAFE掲示板」に引越し案内を書き込む。
2、現行「AAA!CAFE掲示板」を投稿禁止とする。
3、引越し先「せっかく掲示板」の投稿制限を解除する。
4、引越し先「せっかく掲示板」に引越し完了の案内を書き込む。
No:1922
投稿者:19期生 藤井孝之
投稿日:2008/08/30 Sat 06:19:11
先生の書き込みの修正を試みたのですが、何度やっても頭に変なものが付いてしまうようです。
掲示板の寿命が短いことから起こる不具合なのではないかと予想されます。
太田さんの暫定掲示板では、記事ひとつひとつの削除ではなく、
修正ができるようですので、そのときに修正を致します。ご容赦ください。
歌留多の件、本当に有り難うございます。
一首でも多くの歌を詠み、選ぶことに力を尽くします。
No:1921
投稿者:三戸蝉家増
投稿日:2008/08/30 Sat 06:05:42
わずか、2時間強の間に(今8/30の午前1時過ぎ)、この掲示板は27987→28001、歌留多掲示板は380→401となっていた(この原稿を書く前なら「キリ番」ゲットだぜ)。
中島君が早速、歌留多掲示板に新しいスレッドを立ててくれていた(ありがとう)が、誰も書き込んではいないようだ。そこで、参加しやすいように、次のような課題1〜5にしてみた。課題1,2と課題3〜5は矛盾しているが、時間の関係で同時遂行でいきたい。
(これだけ、歌留多をやれ、と連呼して他の話題は書きにくくしていることを済まなく思う。太田君が「仮掲示板」を作ってくれているので、書きにくければ、そちらに頼む。実は、私も幾つかネタがあるのだが、歌留多の呼びかけの効果を見てからにするつもりでいる。)
課題1.未詠の歌7首 (1首に付き7ポイント)
〔討論会〕 未詠
〔新歓〕 未詠
〔会社支配論〕 未詠
〔日本的経営論、家論〕 未詠
〔科学論・近代化論〕 未詠
〔組織と個人の統合〕 未詠
〔自由〕 未詠
フォーマル以外は挙げていない。基本用語などは皆で考えて欲しい。
課題2.新歌募集9首 (1首に付き7ポイント)…折角の詠んでくれているのだが、イマイチじゃないかなぁ?
〔火ゼミ〕 ソフトやり クイズをやって 報告し 検討するを 待たず九時半
→この10年以上ソフト・クイズをやっていない。
〔勉強合宿〕 がんばって 夏の蓄積 型にして 最後の一コマで 全て白紙か
→なんか寂しいなあ…。
〔卒業合宿〕 思い出と ゼミの魂 涙あり 感情たかぶる 卒業合宿
→そうなんだけど、他のゼミでも当てはまりそう。三戸ゼミの「追い出し合宿」らしい歌を。
〔ソフト@〕 一回戦敗退 事実上の決勝戦
〔ソフトA〕 白球追う 姿がつらい乱打戦 誰が悪いというでもなけれど
→もう少し、という気持ちをわかってくれると思う。
〔P.ドラッカー@〕責任を唱えた昔が 懐かしや 企業の番犬 ドラッカー
〔P.ドラッカーA(転生編)〕組織とは 個人の自由で 機能する はずじゃないのか ピーター・ドラッカー
〔C.バーナード(転生編)〕組織には 自由を歪める メカニズム「転倒」あるのだ チェスター・バーナード
→2人とも、もう少し肯定した歌を見たい。
〔M.ウェーバー(転生編)〕抑圧は 資本家じゃない 組織だよ 経営学への道 マックス・ウェーバー
〔K.マルクス(転生編)〕抑圧と 誰が言ったか 「転生」の問いはここから カール・マルクス
→「転生編」だとしても、2人をもう少し広く・豊かに歌いたい。
〔組織論〕インゼミに 求めてさまよう 自由と機能 全ては未だ 闇の中
→組織論の歌としてはなあ…。
課題3.合宿・企画関係8題の歌の選抜(1題につき、1or3ポイント)
〔御宿ニュー日の丸@〕黒タイツ 海岸からの帰り道 遠く感じる ニュー日の丸
〔御宿ニュー日の丸A〕もうちょっと話していたいから 目覚めたら顔に畳の痕
〔御宿ニュー日の丸B〕朝起きて 月の砂漠に 涙がホロリ それにつけても 背中の痛さよ
〔御宿ニュー日の丸C〕合宿に 懸ける想いを 汲んでくれる 有難きかな ニュー日の丸
〔御宿ニュー日の丸D〕合宿を 思い出すとき浮かぶのは ニュー日の丸の大広間
〔御宿ニュー日の丸E〕学ぶのも クイズで競うも 宴会も ニュー日の丸の大広間こそ 変わらぬゼミ室
〔御宿ニュー日の丸F%8 1l大学にさえない ゼミ・ホワイトボード ニュー日の丸の 納戸をば見よ
〔ラジオ体操@〕 眠い目を こする仲間の 手を引いて 目覚めの儀式 ラジオ体操
〔ラジオ体操A〕おかしいな 身体が 寒くて動かない
〔相撲@〕 三戸ゼミは 頭だけでは 終わらせない 身体と身体 男同士の真剣勝負
〔相撲A〕力尽き 砂の中へと 倒るとき 背中流しの 姿が浮かぶ
〔相撲B〕受け継がれるは回しの締め方 語り継がれる名勝負
〔ソフト@〕 一回戦敗退 事実上の決勝戦
〔ソフトA〕 白球追う 姿がつらい乱打戦 誰が悪いというでもなけれど
〔ソフトB〕 【上の二つは今ひとつ、新しい歌求めたい】
〔ブリッジ@〕 乗って乗られて 乗られて乗って 渡すコインに 想いを込めて
〔ブリッジA〕 当たらずは のしかかる膝 ささる肘 ブリッジの上 悲鳴が響く
〔ブリッジB〕 やることはコインをまわすゲームだが よりにもよって名前はブリッジ
〔ブリッジC〕 一つ 密かにコインを回し 二つ 不手際見破られ 三つ 身を打つ 肘と膝
〔フードファイト@〕 夏合宿 勉強以外の チャンスあり やるからには食い尽くせ 進一班
〔フードファイトA〕もうだめだ カレーライスの 富士山の 高みに臨む ファイターの悲鳴
〔カルトQ@〕キムさんの 事故の理由が知りたいか 知りたきゃかわれ カルトQ
〔カルトQA〕競い合う ゼミへの愛情 裏事情 生き字引集う
〔日の丸ご主人@〕包丁 ハンドル 喧嘩の仲裁 俺の さばきは 御宿一
〔日の丸ご主人A〕腕と笑顔で合宿支える ニュー日の丸の いなせなご主人
※このお題は20周年では不要、と思われる歌もあると思うが、歌集には載せたいので。
課題4.ゼミ・行事関係7題の歌の選抜(1題につき、1or3ポイント)
〔スピーチ大会@〕コンセプト 度胸と勇気と愛嬌と つれづれならぬ タイムオーバー
〔スピーチ大会A〕誰に向け 何を伝えて 残すのか 5分に凝縮 スピーチ大会
〔本の交換会@〕インフレで 成金笑う 交換会
〔本の交換会A〕図書館や 本屋に通う 習慣が 身に付く 本の交換会
〔本の交換会B〕三戸ゼミ相撲で 懸賞幕出す ブックオフ
〔本の交換会C〕交換会 強い味方の Book−off
〔本の交換会D〕2年半 出した獲ったで ほぼ百冊
〔本の交換会E〕探し選ぶ、評し評価する 本の交換会
〔本の交換会F〕本棚見るたび 思い出す あの日 あの時 あの言葉
〔本の交換会G〕2年半 出した獲ったで百冊の 重みが本のメガネを作る
〔刮目@〕今日のゼミ 全てを終えて午後十時 まだ 「刮目」 が残ってる
〔刮目A〕得たことを 言葉に留め みなで共有 仲間の成長は 自分の成長
〔刮目B〕刮目は 話術を磨く 良きチャンス 頭で考え 想いを言葉に
〔刮目C〕一週前の自分との 違いを語りで 分からせる 誰が化けるか 今日の刮目
〔刮目D〕刮目で 毎回磨く 意識性 「土産」持ち寄り 皆で成長
〔十大ニュース@〕結果より プロセスが重要 十大ニュース 評価し納得させるは 良き社会人への道
〔十大ニュースA〕記憶に残る いや意味が大きい どちらが上か 過去と未来の 評価、順位で 午前様
〔十大ニュースB〕記憶に残る いや意味が大きい どちらが上か 評価、順位で 午前様
〔十大ニュースC〕記憶に残る いや意味が大きい どちらが上か 過去と未来の 評価付け
〔十大ニュースD〕この1年 ゼミと社会を振り返る 何が大事か 何を残すか
〔ベッティング@〕会計の都合でオッズを操作する ゼミ費の源泉 ベッティング
〔ベッティングA〕OBOGを 楽しませんと 臨むれど サッカーにゃ引き分け 多かった
〔ベッティングB〕細工は流々 迷彩バッチリ ところがどっこい 大穴か
〔ベッティングC〕応援の 心を込めて ベッティング いらっしゃいませ お客様
〔ベッティングD〕賭けれども 賭けれども 我が暮らし 楽にならざり じっと手を見る
〔ベッティングE〕賭け方に 品性見ゆる ベッティングかな
〔ベッティングF〕ゼミ生が 多い嬉しさ しみじみ感ず 配当ゼミーで 胴巻き 2センチ
〔ベッティングG〕オッズの設定 賭けゼミー 研ぎ澄まされる 分析力 遊びに終わらぬ ベッティング
〔オープンゼミ@〕新ゼミ生の 貢献得るべく 誘因提供 ゼミの将来決める オープンゼミ
〔オープンゼミA〕修行が足りん! 己の下手さ 恥ずかしさ でもね これこそ三戸ゼミ
〔オープンゼミA〕【上の二つは今ひとつ、新しい歌求めたい】
〔ゼミ面接@〕ゼミ幹は 誰になるかと見定める 賭けのパドック ゼミ面接
〔ゼミ面接A〕場の意味を 問われたじろぐ その姿 一年学んだ 自分はどうか
〔ゼミ面接B〕答えより 姿勢が問われる ゼミ面接 その記憶をば 忘れるなかれ(新歌)
※このお題は20周年では不要、と思われる歌もあると思うが、歌集には載せたいので。
課題5.その他7題の歌の選抜(1題につき、1or3ポイント)
〔板ゼミ@〕読んで良し 書いて尚良し 学びの場 時空を超えた これぞ板ゼミ
〔板ゼミA〕投稿は ワードに書いて 保存して 消える原稿 残るは虚しさ
〔板ゼミB(卒業生編)〕現役が おれの名前を なぜ知るか 渡辺さんか この板ゼミか
〔板ゼミC(現役編)〕投稿し 返信くるかと ドキドキし 厳しい指摘 無言の叱咤
〔『現代の学としての経営学』@〕現代を 組織社会と 言えるなら 経営学こそ 「現代の学」
〔『現代の学としての経営学』A〕人間は 組織のウチソトで 生きていく 経営学こそ 「現代の学」
〔P.ドラッカー@〕責任を唱えた昔が 懐かしや 企業の番犬 ドラッカー
〔P.ドラッカーA〕組織とは 個人の自由で 機能する はずじゃないのか ピーター・ドラッカー
〔目的合理性@〕まずくても ラークで腹をふくらます そんなあなたは「目的合理性」
〔目的合理性A〕階層性 規則性 専門性 三者が織り成す 目的合理性の追求
〔コーナイ炎@〕報告の レジュメが書けずに コーナイ炎
〔コーナイ炎A〕スピーチの ネタが浮かばず コーナイ炎
〔コーナイ炎B〕ある日突然来なくなる コーナイ炎に特効薬なし
〔ガスト@〕8時間では冷めやらぬ熱意 ここで吐き出す 朝日を見るまで
〔ガストA〕どれほどガッツリ食おうとも 時間単価は200円 ガストで迎える朝のけだるさ
〔上海飯店@〕注文と 出てくる量は 二次関数 応えにゃならん その心意気
〔上海飯店A〕表の定番上海チャーハン 裏の定番カレーチャーハン
〔上海飯店B〕今日の「サービス」なんだろな スープたぷたぷどんぶり一丁 おまけにマーボーはいります
〔上海飯店C【マスター】〕行かぬは末代の恥 行っただけでは一生の恥 顔を覚えてもらってナンボです
〔上海飯店D〕上海に 通ってはじめて 三戸ゼミ生
※このお題は20周年では不要、と思われる歌もあると思うが、歌集には載せたいので。
No:1915
投稿者:三戸蝉家増
投稿日:2008/08/30 Sat 03:25:06
課題6.以下のお題を全部で50題以下に絞る。
【ゼミ・討論会】(6題+未詠1題)
〔火ゼミ〕〔インゼミ〕〔立正討論会〕〔木ゼミ〕〔板ゼミ〕
〔対小山ゼミ討論会〕もしくは〔対外討論会〕
【合宿・行事】(16題+未詠1題)
〔勉強合宿〕〔新歓合宿〕〔卒業合宿〕〔御宿ニュー日の丸〕〔八王子セミナーハウス〕
〔ラジオ体操〕〔相撲〕〔ソフト〕〔ブリッジ〕〔カルトQ〕〔探偵と泥棒〕
〔フードファイト〕〔大食い勝負〕〔三国志〕〔サッカー野球〕
〔日の丸ご主人〕〔三戸ゼミの木〕〔反省会〕
【企画等】(15題+未詠2題)
〔スピーチ大会〕〔本の交換会〕〔『創』〕〔新年会〕
〔刮目〕〔最後の一言〕
〔十大ニュース〕〔今年の一文字〕
〔ベッティング〕〔ゼミー〕〔ゼミ幹〕
〔殊勲のトレーナー〕〔研究室〕
〔ゼミガイダンス〕〔オープンゼミ〕〔ゼミ面接〕
〔新歓〕〔忘年会〕
【テキスト・学者】(8題+未詠2題)
〔『現代の学としての経営学』〕〔経営学の転生を求めて〕
〔K.マルクス〕〔M.ウェーバー〕〔P.ドラッカーA〕〔C.バーナード〕
〔A.マズロー、D.マグレガー〕〔三戸公〕〔バ−リ〕もしくは〔バ−リ&ミーンズ〕〔西山忠範〕
【テーマ・概念】(7題+未詠8題)
〔官僚制論〕〔組織論〕〔会社支配論〕〔日本的経営論、家論〕
〔科学論・近代化論〕〔よい会社論〕〔組織と個人の統合〕
〔品性高潔〕〔責任〕〔統合〕〔自由〕〔信頼〕
〔目的合理性〕〔価値合理性〕
【言葉・教え】(7題+未詠2題)
〔Concept〕〔心〕〔随所に主となれ〕
〔師 直諌の士・幕賓〕〔知る・わかる・気づく〕
〔したい・すべき・できる〕
〔真偽・善悪・美醜 と 利害・損得・好嫌〕
〔真偽・善悪・美醜〕〔利害・損得・好嫌〕
【基本用語(基本!他)】(24題+未詠3題)
〔基本!〕〔集合!〕〔弱蔵〕〔良識派〕〔修行〕
〔トレーナー〕〔zemiTシャツ〕
〔帽子〕〔黄色いTシャツ〕〔青いTシャツ〕
〔小論文〕〔ベスト3〕〔たほいや〕
〔スピーチ大魔王〕〔コーナイ炎A〕
〔満珠園〕〔岡沢ボウル〕
〔すかいらーく〕〔ガスト〕
〔きゃら亭〕〔大学生協〕〔上海飯店〕
〔フジイケ荘〕〔絶望の坂〕
〔闇鍋〕〔ツージー〕
No:1912
投稿者:三戸蝉家増
投稿日:2008/08/29 Fri 23:04:30
これまでに、ゼミ歌留多掲示板に新しい歌を詠んでくれたのは、以下の11名90首。
上のポイント制が認められたら、彼らにもポイントを上げたいが、碧梧桐、蟹爪、氷柱雪、望月の4氏は100ポイント近く獲得することになり、当日のゲーム・バランスを大きく壊すことになるので、(恣意的な基準で済まないと思うが最近の歌にだけ、ポイントを与え、それ以外は特製記念品(腹案あり)を授与でどうだろうか。その基準として、@8月以降、A8/25の呼びかけ以降、Bゼミ生の歌の分の3つから、それぞれポイントを計算してみた。
()内は、@8/1以降の数、A8/25以降の数、Bゼミ生の歌の数
ポイント数は、1首7p.に次の数をかけたもの。
(a)A−@/2+A+B、 (b)A+B、 (c)B、 (d)A
(a) (b) (c) (d)
2期 大内 6首 (0,0,3) → 21p. 21p. 21p. 0p.
3期 太田碧梧桐 17首 (6,0,0) → 21p. 0p. 0p. 0p.
8期 中島蟹爪 16首 (6,1,2) → 32p. 21p. 14p. 21p.
12期 吉永 1首 (1,1,1) → 7p. 7p. 7p. 7p.
15期 小林荘介 1首 (0,0,1) → 7p. 7p. 7p. 0p.
16期 佐々木氷柱雪 17首 (10,0,6) → 56p. 42p. 42p. 0p.
望月 17首 (0,0,12) →84p. 84p. 84p. 0p.
池田 3首 (0,0,3) → 21p. 21p. 21p. 0p.
18期 大野極堂 6首 (2,1,1) → 14p. 14p. 7p. 7p.
19期 藤井 1首 (0,0,1) → 7p. 7p. 7p. 0p.
20期 片岡山頭火 5首 (5,3,3) → 28p. 28p. 28p. 21p.
(a)〜(d)どれをとっても不公平となる。Aの8/25以降としたいところだが、絶対必要なゼミ生をの歌を詠んでくれた佐々木・望月・池田の3人が0p.になってしまう。Bのゼミ生の歌だけに限定すると、17首も詠んでくれた太田碧梧桐が0p.になり、かつ先の3名(16期生)の合計ポイントが147p.になってしまう。で、提案だが、(a)案を採り且つ21p.を最高得点とし、切り捨てた分は特別ゼミーで補うことで、許してもらえないだろうか。これなら、これから参加する人も十分取り返せるハンディだと思うが…。
(詠まれている歌の数や計算に誤りがあるかもしれない。請う、容赦を。)
No:1911
投稿者:三戸蝉家増
投稿日:2008/08/29 Fri 23:00:31
碧梧桐、蟹爪、氷柱雪、極堂、山頭火が次々に「デビュー」しているところに、1名の歌もなかった12期生から吉永が香田の歌を出してくれたのを見つけて、胸が熱くなった。池田の添削も嬉しい。
この流れを、より加速すべく新提案したい。(本来なら、中島にこの文をメールで送り、彼から歌留多掲示板に載せてもらうべきだろうが、敢えて直接ゼミ掲示板の方に私から載せさせてもらった。中島君、歌留多掲示板の方にも簡単に載せて欲しい。)
(T)提案のポイント
@20周年合宿のポイント獲得を今から始める。
Aゼミ歌留多など企画に個人的に貢献してくれた人にポイントを与え、そのポイントが記念合宿の所属チームのポイントに加算される。
B以上の提案が認められなかった場合でも、歌留多プロジェクトに参加してくれた人には、私と歌留多委員の方から記念品を贈る(特製の特別歌集か歌留多ゼミー等を予定)。
(U)この掲示板を見ている新旧ゼミ生にやって欲しいのは、以下の通り。(第1次締め切り9/7、追加分は10/26まででどうか、と考えているが…)。
(A)歌留多のお題の選択(この題は必要、不要の意見)
(B)同一のお題で複数詠まれている歌の選択
(C)未だ詠まれていないゼミ生・題の歌を詠む(おーい、10期千崎、11期在原、中西、丹羽、堀井、12期近藤、高階、水巻、おまえ達の歌がないぞぉ…。香田、吉永の歌を詠めよ。その他ない者、あまり良いと思えない歌の者、期待しているぞぉ…)
(D)既存の歌の添削、等
(V) 当日の各企画でブリッジに第1位50点、歌留多第1位に100点が与えられているので、
(A)(B)の選択1首につき、理由付きで3ポイント、理由なしでも1ポイント。
(C)新しい歌1首につき7ポイント。すでに詠まれている題でも5ポイント。
(D)添削1回に付き3ポイント。添削した歌が歌集に採用されたら5ポイント。
(付)期日までに詠まれなかったゼミ生の歌がある期生に1首に付き5ポイントのペナルティ(締め切り10/26)。
(W)具体的お題の現況
(A)20周年合宿当日の参加を現役・卒業生併せて50名程度と実行委員会は予想している。当日使用する読み札は合宿参加者分50首+行事・企画50首がプランとして出されている。現在、企画・行事などで詠まれているのは、84題130首。
・〔ゼミ・討論会〕6題、9首
・〔合宿・行事〕16題、34首
・〔企画等〕15題、41首
・〔テキスト・学者〕8題、10首、〔テーマ・概念〕7題、8首
・〔言葉・教え〕7題、7首、〔基本用語〕25題、31首
下で書いたようにないと寂しい歌を10題ほど挙げたが、現在でも84−50=34題を削らねばならない。
(B)また、同一テーマで複数詠まれているもの22題の55首を22首にする必要がある。
(C)現在ゼミ生数は114名であるが、内、詠まれていないのが28名いる。
まず、これを埋めよう。
次に、行事・企画などは現在83題、計197が詠まれいてる。私個人としては、これ以外に以下の16題位あってもいいのではないか、と浮かんだが、そのうちの1から10までの10首は20周年までにないと寂しいと思う。どうだろうか?
1.〔討論会〕現在はインゼミと立正討論会の2首が詠まれているが、この二つがなくなってから久しい。対小山ゼミ・池内ゼミ討論会をも含めた討論会の歌が良いと思うが如何。
2.〔新歓〕現在「新歓合宿」の歌があるが、新歓合宿を経験したゼミ生は半数以下ではなかろうか。新歓企画をも含めた「新歓」の歌が良いと思えるが如何。
3.〔・ゥ由〕現在「責任」「統合」「品性高潔」などがあるが、「自由」がないのはどうしたことだろうか。
現在、「組織論」「官僚制論」があるが、他のゼミの勉強領域・テーマも要るだろう。
4.〔会社支配論〕5.〔日本的経営論〕もしくは〔家論〕
6.〔科学論・近代化論〕これがなくては、夜ゼミがあったということにはならないのでは?
7.〔よい会社論〕8.〔個人と組織の統合〕近年のテーマ
9.〔ゼミ掲示板〕、10〔ゼミ歌留多〕の2首は絶対必要なのじゃないか?
11.〔バーリ〕もしくは〔バーリ&ミーンズ〕、12.〔西山忠範〕も欲しいが、合宿当日は〔会社支配論〕で代用かな?
13.〔忘年会〕新年会はある、14.〔闇鍋〕15.〔修行〕16.〔道〕あたりはないと寂しいが、全ゼミ生共有のものではないので、詠んで欲しいが、おそらく今回の合宿では使用されまいが、歌集には載せるから楽しみに待っている。(続く)
No:1909
投稿者:池田健太郎(16期)
投稿日:2008/08/28 Thu 01:03:50
:『タイムオーバー』はスピーチ大会の本質ではないのでは。
〔スピーチ大会A〕誰に向け 何を伝えて 残すのか 5分に凝縮 スピーチ大会
:スピーチ大会の読み手の緊張を表せている
:『誰に向けて』は良いスピーチの前提となるもので、うまい表現だと思う。
Aを推薦したいと思います。
〔本の交換会@〕 インフレで 成金笑う 交換会
:たしかに6000M’sで競り落とされた本もありました。
が、インフレは本の交換会の本質ではないのでは。
〔本の交換会C〕交換会 強い味方の Book−off
:交換会を詠む歌の冒頭が『交換会』というのはいかがなものかと。
ブックオフの歌として採用してはどうか。
〔本の交換会D〕2年半 出した獲ったで ほぼ百冊
:「本棚に沢山の本が並ぶ」のは、交換会の目的の一つで、達成度からいうと一番ではないかと思います。
『百冊』にそれがすべて表現されたすばらしい歌だと思います。
〔本の交換会F〕本棚見るたび 思い出す あの日 あの時 あの言葉
:本棚から交換会への連想が確実でないため、本の交換会の歌としては不適格かと。
といった具合で添削を、いや、添削とは掛け離れたことをやっていました。
佐々木君の言葉
「詠み手の意図を殺してしまっては、添削ではなく別の歌になる」
が胸に突き刺さりました。
>「コンセプト」を大切にした歌と「調子」・「言い回し」を大切にした歌の二パターン。
@まずは歌の添削においては、対象となる歌がどちらなのかを見極める。
A詠み手の意図を知る。
その意図の最良の表現を目指す。
B制約の中で何を残し、守るべきであり、何は捨てても良いのかを選択する。
@〜Bの順序を念頭において、添削を行いたいと思います。
No:1908
投稿者:佐々木 真光(16期)
投稿日:2008/08/27 Wed 22:31:14
さあ歌を詠め、と言われても何から手をつけてよいやら、となってしまいます。
しかし、歌がジャンル分けされ、すでに詠まれている歌と、まだ詠まれていない歌に
分けていただくことで、我われがどこを目指せばよいのかが明確になりました。
先生がよくお話される、太平洋の真ん中にいて辺り一面水平線では人は意思決定できない、
というのと同じように、限定されると歌も詠みやすくなることと思います。
私自身、自分で思いつくままに投稿していただけで、最終形を見据えて詠んでいった
わけでは全くありません。
先生にここまでの時間とエネルギーをかけてお膳立てしていただき、申し訳なく、
またそれよりも「有り難い」気持ちでいっぱいです。
さて、先生から歌の添削をしようとのご提案をいただき、いくつかの作品の添削を
試みてみたのですが、なかなか思うようにいきません。
その過程で、歌には大きく二種類あることに気づきました。
一つは、「コンセプト」が先にある歌です。例えば、先生が詠まれた“本の交換会”の
「2年半 出した獲ったで 百冊の 重みが本の メガネを作る」という歌は、
交換会の「効果、機能の説明」となっています。いわば、副題をつけることが可能な
歌ということができるでしょう。
それに対して、「調子」・「言い回し」が先にある歌があります。例えば、大野君が
詠んだ“ゼミ面接”「ゼミ幹は 誰になるかと見定める 賭けのパドック ゼミ面接」
という歌は、自ら気に入っていると言っているように、「賭けのパドック」という
言い回しを思いついたからこそできた歌です。つまりは、絶対に削ることのできない
言葉を持っている歌ということができると思います。
歌の添削においては、対象となる歌がどちらなのかを見極める理解力が欠かせません。
なぜならば、詠み手の意図を殺してしまっては、添削ではなく別の歌になるからです。
何を残し、守るべきであり、何は捨てても良いのか。
そのような意味では、添削とは「統合」に他なりません。
だからこそ、歌の添削は師や力量の拮抗する者によってなされていたのではないでしょうか。
なんてことを言い重ねているのも、先生の“本の交換会”を添削しようとして、
どうにも良くすることができず、ずっと頭を抱えていたからです・・・。
思い付きを歌にするのは簡単ですが、添削は難しいですね!
その言い訳(?)に添削についてちょっと考えてみました。
まだまだ添削を考えながら、また投稿もしていきたいと思います。
特に、先生に「バーリ=ミーンズ」というお題をいただいたので、修論で取り組んだ
身としては、ぜひ詠んでみたいですね。
私が詠むと、「ゼミ歌留多としてのバーリ=ミーンズ」というよりは、「私の理解」に
大きく傾いてしまいそうな気がしますが・・・。
いろんな歌を見てみると、いろいろイメージが沸いたり、発見があったりします。
だから、「駄作」ってのはあったとしても、発表して「無駄な歌」ってのは無いんですよね。
これからも歌留多板を楽しみにしています。
No:1907
投稿者:三戸蝉家増
投稿日:2008/08/25 Mon 00:15:57
〔スピーチ大会@〕コンセプト 度胸と勇気と愛嬌と つれづれならぬ タイムオーバー
〔スピーチ大会A〕誰に向け 何を伝えて 残すのか 5分に凝縮 スピーチ大会
〔本の交換会@〕 インフレで 成金笑う 交換会
〔本の交換会A〕図書館や 本屋に通う 習慣が 身に付く 本の交換会
〔本の交換会B〕三戸ゼミ相撲で 懸賞幕出す ブックオフ
〔本の交換会C〕交換会 強い味方の Book−off
〔本の交換会D〕2年半 出した獲ったで ほぼ百冊
〔本の交換会E〕探し選ぶ、評し評価する 本の交換会
〔本の交換会F〕本棚見るたび 思い出す あの日 あの時 あの言葉
〔本の交換会G〕2年半 出した獲ったで百冊の 重みが本のメガネを作る
〔刮目@〕今日のゼミ 全てを終えて午後十時 まだ 「刮目」 が残ってる
〔刮目A〕得たことを 言葉に留め みなで共有 仲間の成長は 自分の成長
〔刮目B〕刮目は 話術を磨く 良きチャンス 頭で考え 想いを言葉に
〔刮目C〕一週前の自分との 違いを語りで 分からせる 誰が化けるか 今日の刮目
〔刮目D〕刮目で 毎回磨く 意識性 「土産」持ち寄り 皆で成長
〔最後の一言〕今はもう 名前は変わってしまったが いつも変わらず 最後の一言
〔十大ニュース@〕結果より プロセスが重要 十大ニュース 評価し納得させるは 良き社会人への道
〔十大ニュースA〕記憶に残る いや意味が大きい どちらが上か 過去と未来の 評価、順位で 午前様
〔十大ニュースB〕記憶に残る いや意味が大きい どちらが上か 評価、順位で 午前様
〔十大ニュースC〕記憶に残る いや意味が大きい どちらが上か 過去と未来の評価付け
〔十大ニュースD〕この1年 ゼミと社会を振り返る 何が大事か 何を残すか
〔今年の一文字〕一年の 世相を考え 意味づける 揮毫されるは 今年の一文字
〔ベッティング@〕 会計の都合でオッズを操作する ゼミ費の源泉 ベッティング
〔ベッティングA〕OBOGを 楽しませんと 臨むれど サッカーにゃ引き分け 多かった
〔ベッティングB〕細工は流々 迷彩バッチリ ところがどっこい 大穴か
〔ベッティングC〕応援の 心を込めて ベッティング いらっしゃいませ お客様
〔ベッティングD〕賭けれども 賭けれども 我が暮らし 楽にならざり じっと手を見る
〔ベッティングE〕賭け方に 品性見ゆる ベッティングかな
〔ベッティングF〕ゼミ生が 多い嬉しさ しみじみ感ず 配当ゼミーで 胴巻き 2センチ
〔ベッティングG〕オッズの設定 賭けゼミー 研ぎ澄まされる 分析力 遊びに終わらぬ ベッティング
〔『創』〕 一文字に 打ち込まれたる熱浮かび出て 文となりて 『創』になる
〔新年会〕伝統を 工夫で彩る 新年会
〔 ゼ ミ ー 〕 お金と時間はあるけれど あたしゃこれが も少し欲しい
〔 ゼ ミ 幹 〕 しかられて 頭かかえる その姿 しかられ役が お前の使命
〔殊勲のトレーナー〕 背中で語るゼミ人生 それが殊勲のトレーナー
〔研究室〕寝袋は 持ち込み禁止と言っただろう 研究室では 合宿張るな
〔ゼミガイダンス〕後輩が 来るも来ないも スピーチ次第
やっときゃ良かった スピーチ大会 一発勝負の ゼミガイダンス
〔オープンゼミ@〕 新ゼミ生の 貢献得るべく 誘因提供 ゼミの将来決める オープンゼミ
〔オープンゼミA〕修行が足りん! 己の下手さ 恥ずかしさ でもね これこそ三戸ゼミ
〔ゼミ面接@〕ゼミ幹は 誰になるかと見定める 賭けのパドック ゼミ面接
〔ゼミ面接A〕場の意味を 問われたじろぐ その姿 一年学んだ 自分はどうか
〔新歓〕
〔忘年会〕
【テキスト・学者】(8題10首+未詠2題)
〔『現代の学としての経営学』@〕現代を 組織社会と 言えるなら 経営学こそ 「現代の学」
〔『現代の学としての経営学』A〕人間は 組織のウチソトで 生きていく 経営学こそ 「現代の学」
〔経営学の転生を求めて〕 読めば読むほど 分からない 分からないことが 面白い
〔P.ドラッカー@〕責任を唱えた昔が 懐かしや 企業の番犬 ドラッカー
〔K.マルクス(転生編)〕抑圧と 誰が言ったか 「転生」の問いはここから カール・マルクス
〔M.ウェーバー(転生編)〕抑圧は 資本家じゃない 組織だよ 経営学への道 マックス・ウェーバー
〔P.ドラッカーA(転生編)〕組織とは 個人の自由で 機能する はずじゃないのか ピーター・ドラッカー
〔C.バーナード(転生編)〕組織には 自由を歪める メカニズム「転倒」あるのだ チェスター・バーナード
〔A.マズロー、D.マグレガー〕お客さん お次は何を握りやしょう
そうだな 満腹だけれども 締めは マグロー まぐガレイ
〔三戸公〕人間が 人間らしく 生きること そんな世の中 描きたい 「抑圧」問うも 全てここから
〔バ−リ〕もしくは〔バ−リ&ミーンズ〕
〔西山忠範〕
【テーマ・概念】(7題8首+未詠8題)
〔官僚制論〕合理性 唯一無二の価値ならば 奴隷に戻ろう 官僚制論
〔組織論〕インゼミに 求めてさまよう 自由と機能 全ては未だ 闇の中
〔品性高潔〕リーダーに求められるは 天与の才 ごまかしきかぬ 品性高潔
〔責任〕困難な状況といえど 準則を守るのが真の責任なり
〔統合〕妥協だめ 抑圧もだめのフォレットさん 問題解決 インテグレーション
〔目的合理性@〕まずくても ラークで腹をふくらます そんなあなたは「目的合理性」
〔目的合理性A〕階層性 規則性 専門性 三者が織り成す 目的合理性の追求
〔価値合理性〕遅くなっても 好きなソフトはやりたいと思うあなたは「価値合理性」
〔会社支配論〕
〔日本的経営論、家論〕
〔科学論・近代化論〕
〔よい会社論〕
〔組織と個人の統合〕
〔自由〕
〔責任〕
〔信頼〕
【言葉・教え】(7題7首+未詠2題)
〔Concept〕 ・なぜやるか 目的の意味を考えて ねらいを定めて 意識せよ
〔心〕 ・心そこにあらずんば 見れども見れず 聞けども聞こえず
〔随所に主となれ〕 ・あらゆることに主体性 さすれば立つところ 皆 真なり
〔師 直諌の士・幕賓〕 ・古くから 受け継がれている帝王学 自分は三種の どれになれるか
〔知る・わかる・気づく〕 ・下手くその 上級者への道のりは 己が下手さを 知りて一歩目
〔したい・すべき・できる〕 ・意思決定の方法論 何をすべきか 何が出来るか
〔真偽・善悪・美醜 と 利害・損得・好嫌〕自分が好きなことをしようとするのではなく
自分が正しいと思うことをするものだ
〔真偽・善悪・美醜〕
〔利害・損得・好嫌〕
【基本用語(基本!他)】(24題30首+未詠3題)
〔基本!〕大富豪 最初に出すのは3だろう それが「基本」さ 解せたか大内
〔集合!〕エートスが 高まりゃ迷惑かえりみず 鶴の一声 岡沢集合!
〔弱蔵〕ここ一番 勝負強さを露呈する 花を持たすか 真の弱蔵
〔良識派〕頑として 他人の評価をかえりみぬ 面の皮厚き 良識派
〔トレーナー〕力作の坪井のデザイン デルモンテ 赤黄緑のトレーナー
〔zemiTシャツ〕
〔帽子〕前にがっちりMとS ハンドメイドの二つ星光る
〔黄色いTシャツ〕三期生 入ってきたとてグッズなし これで十分 黄色いTシャツ
〔青いTシャツ〕Mの字の 目ん玉何を意味するぞ 初代グッズは 青いTシャツ
〔小論文〕出だしから ずれて止まらぬ 小論文
〔ベスト3〕秋来ると 飛び交うデマと 裏情報 やはり気になる ベスト3
〔たほいや〕「つんふと」は戦の前の合図なり 嘘で固める 夜のたほいや
〔スピーチ大魔王〕3年連続スピーチ王 遂げてスピーチ大魔王 何年ゼミに残れば良いのか
〔コーナイ炎@〕報告の レジュメが書けずに コーナイ炎
〔コーナイ炎A〕スピーチの ネタが浮かばず コーナイ炎
〔コーナイ炎B〕ある日突然来なくなる コーナイ炎に特効薬なし
〔満珠園〕中華街 安い通りは一つのみ 三戸ゼミお得意 満珠園
〔岡沢ボウル〕「集合!」と 言われて目指すあの看板 闇夜に光る「岡沢ボウル」
〔すかいらーく〕行く度に メニュー広げてうなだれる 深夜のお供 すかいらーく
〔ガスト@〕8時間では冷めやらぬ熱意 ここで吐き出す 朝日を見るまで
〔ガストA〕どれほどガッツリ食おうとも 時間単価は200円 ガストで迎える朝のけだるさ
〔きゃら亭〕今宵こそ 皆で行こうと 意気込めど 所詮 叶わぬ 恋なのさ 20時閉店 幻の「きゃら亭」
〔大学生協〕弁当は お前の晩御飯だろう みんなで食えるものを買え 休み時間の 大学生協
〔上海飯店@〕注文と 出てくる量は 二次関数 応えにゃならん その心意気
〔上海飯店A〕表の定番上海チャーハン 裏の定番カレーチャーハン
〔上海飯店B〕今日の「サービス」なんだろな スープたぷたぷどんぶり一丁 おまけにマーボーはいります
〔上海飯店C【マスター】〕行かぬは末代の恥 行っただけでは一生の恥 顔を覚えてもらってナンボです
〔上海飯店D〕上海に 通ってはじめて 三戸ゼミ生
〔フジイケ荘〕ガストでも 涙目なるときゃ フジイケ荘へ 勇気もらって 「絶望の坂」越える
〔絶望の坂〕サンマ焼き 濃霧の中で タバコ切れ 越すに越せぬは 絶望の坂
〔闇鍋〕
〔ツージー〕
〔修行〕
No:1906
投稿者:三戸蝉家増
投稿日:2008/08/25 Mon 00:14:55
ゼミ生(現・卒)114名86首、未詠25名、その他行事・勉強など83題139首、未詠19題
合計、197題で225首(一つの題に複数の歌がある)で、詠まれていないゼミ生・お題が44ある。
20周年までにやりたいことは、次の通り。
@詠まれていないゼミ生の歌を作ること
A1人に複数あるもの(@A…が付いているもの)を1首に絞ること(もし、あるなら読み直しも歓迎)
B1つの題に複数あるもの(@A…が付いているもの)を1首に絞ること
C詠まれていないお題の歌をつくること
是非、是非協力して欲しい。全員の歌だけは揃えられないなら、この企画はボツにせざるを得まい。
@本人が詠まなくても、同期かその前後の期生に詠んで欲しい。
A1名・1題に複数歌われているものの選択(1首でもいいから、これがいい、とかこっちはちょっといけんが欲しい。理由もなくてもいい)
B「ゼミ生」以外の歌の絞り込み。合宿・企画などのお題を少し絞りたい。いらないのではないか、というものを挙げて欲しい。
C上の作業と矛盾するようだが、詠まれていない題の歌を詠んで欲しい。
絞り込みは、あくまでも20周年でやる歌留多取りに使うためで、はずされたものも20周年で作り、配布する予定の「歌集」には載せるつもりだ。
9月末の合宿でテストプレーをして時間やルールの確認・検討をしたい。9月7日までに一つでもいいから、暫定掲示板の方に回答してもらえないだろうか。委員の諸君の心と労力に一人でも多くのゼミ生が応えてくれて、皆で作った20周年にしたい。
(中島君、20周年委員の諸君、出しゃばったまねをして済まない)
以下が、現在詠まれている歌である。
【ゼミ生・卒業生】ゼミ生+卒業生は、114名86首
1期21名の歌は中島掲示板にはないが、確か全員の分歌われていたと思うが…。
2期…7名/8首
3期…7名/8首
4期…7名/8首
6期…5名/6首
9,10期…3名/1首
11期…4名/1首
12期…5名/0首
13,14期…5名/5首
15期…4名/5首+2名
16,17期…7名/13首
現役22名(+3首)+近本+新12名
【ゼミ・討論会】(6題9首+未詠1題)
〔火ゼミ〕 ソフトやり クイズをやって 報告し 検討するを 待たず九時半
〔サブゼミ〕 三年生 今日は二人三人か ああ誰がために サブゼミはある
〔インゼミ〕 俺の議論は 間違っていないか 俺の議論は 崩壊していないか
俺は 真実へと近づいているかいインゼミ 俺は戦う 西山ゼミの全てと
〔立正討論会〕 現代はカオスかの一言で始まりし 伝統の一戦 立正討論会
〔木ゼミ〕たほいや 哲学 科学論 経営を離れ 知で遊ぶ 少数精鋭 夜の木ゼミ
〔板ゼミ@〕読んで良し 書いて尚良し 学びの場 時空を超えた これぞ板ゼミ
〔板ゼミA〕投稿は ワードに書いて 保存して 消える原稿 残るは虚しさ
〔板ゼミB(卒業生編)〕現役が おれの名前を なぜ知るか 渡辺さんか この板ゼミか
〔板ゼミC(現役編)〕投稿し 返信くるかと ドキドキし 厳しい指摘 無言の叱咤
〔対小山ゼミ討論会〕もしくは〔対外討論会〕
【合宿・行事】(16題34首+未詠1題)
〔勉強合宿〕 がんばって 夏の蓄積 型にして 最後の一コマで 全て白紙か
〔新歓合宿〕 ブリッジに 負けに負けて悔しいが 探泥で叩く 新歓合宿
〔卒業合宿〕 思い出と ゼミの魂 涙あり 感情たかぶる 卒業合宿
〔御宿ニュー日の丸@〕 黒タイツ 海岸からの帰り道 遠く感じる ニュー日の丸
〔御宿ニュー日の丸A〕もうちょっと話していたいから 目覚めたら顔に畳の痕
〔御宿ニュー日の丸B〕朝起きて 月の砂漠に 涙がホロリ それにつけても 背中の痛さよ
〔御宿ニュー日の丸C〕合宿に 懸ける想いを 汲んでくれる 有難きかな ニュー日の丸
〔御宿ニュー日の丸D〕合宿を 思い出すとき浮かぶのは ニュー日の丸の大広間
〔御宿ニュー日の丸E〕学ぶのも クイズで競うも 宴会も ニュー日の丸の大広間こそ 変わらぬゼミ室
〔御宿ニュー日の丸F〕大学にさえない ゼミ・ホワイトボード ニュー日の丸の 納戸をば見よ
〔八王子セミナーハウス〕 食堂で 注目集める 二人組 死ね死ね団のセミナーハウス
〔ラジオ体操@〕 ・眠い目を こする仲間の 手を引いて 目覚めの儀式 ラジオ体操
〔ラジオ体操A〕おかしいな 身体が 寒くて動かない
〔相撲@〕 三戸ゼミは 頭だけでは 終わらせない 身体と身体 男同士の真剣勝負
〔相撲A〕 力尽き 砂の中へと 倒るとき 背中流しの 姿が浮かぶ
〔相撲B〕受け継がれるは回しの締め方 語り継がれる名勝負
〔ソフト@〕 一回戦敗退 事実上の決勝戦
〔ソフトA〕 白球追う 姿がつらい乱打戦 誰が悪いというでもなけれど
〔ブリッジ@〕 乗って乗られて 乗られて乗って 渡すコインに 想いを込めて
〔ブリッジA〕 当たらずは のしかかる膝 ささる肘 ブリッジの上 悲鳴が響く
〔ブリッジB〕 やることはコインをまわすゲームだが よりにもよって名前はブリッジ
〔ブリッジC〕一つ 密かにコインを回し 二つ 不手際見破られ 三つ 身を打つ 肘と膝
〔フードファイト@〕 夏合宿 勉強以外の チャンスあり やるからには食い尽くせ 進一班
〔フードファイトA〕もうだめだ カレーライスの 富士山の 高みに臨む ファイターの悲鳴
〔(大食い勝負)現役〕砂漠かな 行けども行けども 同じ味 箸は離さず 脊髄たたく
〔カルトQ@〕キムさんの 事故の理由が知りたいか 知りたきゃかわれ カルトQ
〔カルトQA〕競い合う ゼミへの愛情 裏事情 生き字引集う
〔カルトQB〕仲間の下宿を覗いたか、ゼミーの絵柄を覚えたか 火曜以外で 勝負が決まるカルトQ
〔探偵と泥棒〕 暗闇にしなるハリセン 光る星 あなた探偵 わたしゃ泥棒
〔三国志〕 引けよ関羽 出でよ孔明 迫りくるは美女貂蝉 あつくサイコロふる 合宿の夜
〔サッカー野球〕 森崎に サード守らせ 狙い打ち 凡打続出 サッカー野球
〔日の丸ご主人@〕包丁 ハンドル 喧嘩の仲裁 俺の さばきは 御宿一
〔日の丸ご主人A〕腕と笑顔で合宿支える ニュー日の丸の いなせなご主人
〔三戸ゼミの木〕夏みかん 今後も代々 実を結べ 酸いも甘いも 仲間とともに
〔反省会〕
No:1903
投稿者:片岡 憲洋(20期生)
投稿日:2008/08/20 Wed 01:53:35
まず始めに、現役生を代表いたしまして、掲示板データの移管作業、
本当に有難うございました。
気の遠くなるような作業であったことは想像に難くありません。
改めて、太田さんの三戸ゼミを大切にする想いに接することができ、
学ばせていただきました。
現役生といたしましては、今回太田さんが移管してくださった暫定掲示板を受け継ぐに
ふさわしい新・掲示板、ホームページを作るとともに、板ゼミが活性化するよう、
当然書き込みの面でも貢献していきたい所存でございます。
さて、【引越し前後データ確認】の件でございますが、現役生で手分けをして可及的速やかに
行いたいと存じます。仮に、ミスを確認した場合は、私が、太田さんと現役生の中継点となり、
まとめて連絡させていただきます。
現時点で、協力者の人数、方法は確定しておりませんが、一両日中に、メールにて連絡を
差し上げます。どうぞ宜しくお願い致します。
No:1902
投稿者:太田 健一(3期生)
投稿日:2008/08/19 Tue 23:56:47
掲示板幹事 大平さん
現役生の皆様
bP901の書き込みのとおり、データの移管は一先ず完了したのですが、まだ肝心の確認作業を
終えておりません。私の方でもこれから取り掛かるのですが、現役生の皆様の方で手分けして
確認作業(この掲示板のデータが正しく引っ越し先に移管されているか)を行なっていただけないで
しょうか。ダブルチェック体制で確認できれば、と希望しております。
8月中に確認作業を完了させるのがベストですが、9月以降になっても構いません。
その場合には、この掲示板と照合することが出来ないため、今村さんのバックアップファイルを
元に確認していただけると助かります。
なお、確認作業において何かミスを発見された場合、投稿日時の1秒のズレなど、どんなに些細な
内容でも結構ですので引越し先のサイト右下の「管理人へ連絡」からご指摘ください。
片岡さんがまとめて私に連絡してくださっても結構です。
夏合宿前に時間を取らせてしまいますが、何卒宜しくお願い申し上げます。
【特記事項】
○本文について全部を見る必要はありません。コピー&ペーストによる移管ですので、一部が
間違っている可能性はゼロに近いと言えます。最初の1行程度のチェックで構いません。
○手作業につき、投稿者氏名・題名(特に返信の場合)・投稿日時等にはミスが十分有り得ます。
○一時期頻発したバグである返信表示「prev:827」は削除しております。
○メールアドレス欄に誤って題名を入力している場合、その内容を題名欄に入力し直しています。
No:1901
投稿者:太田 健一(3期生)
投稿日:2008/08/19 Tue 00:59:21
されているとおり、この掲示板は2008年8月31日をもって閉鎖されます。
つきましては、移行先の掲示板運営の目処が立ちましたのでそのURLをご連絡申し上げます。
是非ともPCの「お気に入り」に追加しておいてくださいますようお願い申し上げます。
http://bbs1.sekkaku.net/bbs/mitosemi.html
この掲示板は「新しい掲示板」ではありません。
可能な限り現状をそのまま移管しており、ログナンバー、投稿日時もそのままです。
故に、当然ログナンバー1は2002年3月24日の立ち上げ人・吉永さんによる書き込みです。
【特記事項1】投稿できるのは現行掲示板閉鎖後です。
引越し元・先でのログ管理一元化のため、現在引っ越し先の掲示板(「せっかく掲示板」)では投稿
制限を設けております。
8月30日又は31日までは現在の「AAA!CAFE掲示板」の使用を継続し、最後に私が掲示板
引越しのお知らせを投稿した後に「せっかく掲示板」の運営を開始することと致します。
引越し先である「せっかく掲示板」のスペックや移行のメリット・デメリット等の詳細、及び
移行に際しての変更事項等につきましては追ってご報告申し上げます。
【特記事項2】従来のパスワードは使用できなくなります。
引越しは現行掲示板からのコピー&ペーストで行なったため、現行掲示板の削除用パスワード
での削除は不可能となります。削除又は訂正をご希望の方は、引越し先の掲示板の右下にある
「管理人へ連絡」のアイコンから管理人宛にご連絡くださいますようお願い申し上げます。
掲示板の選定は、本来掲示板プロジェクトで十分に検討・討議を重ねてから候補をゼミや浩友会に
提示し、三戸先生をはじめ三戸ゼミ関係者の方々にご審議いただいた上で行なうのが筋でございます。
8月1日にAAA!CAFE掲示板からの閉鎖連絡を受けるまでにも時間は十分ありましたので、時間を
言い訳にすることは出来ません。
プロジェクトを立ち上げながら機能させずにいたためにこのような適正な手続を欠いた移行となり
ましたことを深くお詫び申し上げます。
No:1898
投稿者:太田 健一(3期生)
投稿日:2008/08/13 Wed 21:39:51
>「ゼミへの愛情」が「その通り」なのだが、どこか照れ臭い。カルトQで予選落ちする人を
「引かせる」表現となってしまっている。
仰るとおり、確かに配慮が足りない表現となっておりました。
どういう人たちがカルトQにおいて活躍するかを詠もうと考えたのですが、
1、ファナティックな人たち?
⇒偏愛、というのは決して良い意味ではありませんし・・・。
2、ゼミにアイデンティファイしている人たち?
⇒ゼミに人一倍アイデンティファイしていてもカルトQが苦手な人たちはたくさん居ますし・・・。
3、カルトな人たち?
⇒それでは説明になりませんし・・・。
4、ディープな人たち?
⇒渡辺さん、岩切、松永、中島、大野、といった面々を思い浮かべると個人的にはこの言葉が
しっくりくるのですが、あまりにも曖昧な文言であり唄には不適切ですし・・・。
なかなか難しいところです。再考してチャレンジしてみます。
>太田君の中には、相反する二つの価値観が同居しているんだなぁ…(今はじめて気づいたことではないのだが…)。
学生のときにも先生や渡辺さんからご指摘いただいたことがあるのですが、社会人になってからも
数名の方からご指摘を頂戴しました。「保守」⇔「革新」、「使用者」⇔「労働者」、その他様々な
価値が自分のなかで振り子のように極端に触れており、「中庸」というのがどうも苦手なようです。
職場でも、男女雇用機会均等法の立法趣旨を力説したその口で「お前、男ってのはなあ・・・。」と
語って苦笑されております。
No:1897
投稿者:三戸蝉家増
投稿日:2008/08/13 Wed 13:25:40
「競い合う ゼミへの愛情 裏事情 生き字引集う カルトQ」
という太田君の「カルトQ」の歌から、数点。
@太田何歩or難歩、太田食讃人じゃ、狂歌師だなあ…。
自分で号を考えて、その号で参加したらどうだろうか。
A「…愛情 裏事情…」という韻を踏んでいるのは、なかなかいいんじゃないか。だか、、なぜか引っかかる。「ゼミへの愛情」が「その通り」なのだが、どこか照れ臭い。カルトQで予選落ちする人を「引かせる」表現となってしまっている。
太田君の美意識からすれば、「わぁ、恥ずかしい」と感じるはずの表現だぜ。面白いねぇ…。太田君の中には、相反する二つの価値観が同居しているんだなぁ…(今はじめて気づいたことではないのだが…)。
B「添削のポイント」のヒント〜「写生」エピソードに語らせよ〜
『坂の上の雲』に正岡子規が「写生」を主張しており、「理屈」を否定していることが描かれている。また、「この人を語る」の時のポイントは「エピソードに語らせよ」であった。ということは、やはり「ゼミへの愛情」がまずいということになる。裏事情とセットであるから、捨てがたいのだが…。
・そこで、「参加者は 仲間の下宿を覗いたか、ゼミーの絵柄を覚えたか」と詠んでみたのだが、字余りで、語呂が悪い。だが、「仲間」を「友」に換えてはずれるし、本当は「岩切」か「渡辺」にしたかったのだが…。誰か、別のエピソードに換えてもいい。添削してくれ。
Cところで、前回投稿したあと、太田の直後の投稿を見て、気づいた。三戸ゼミ歌留多は、和歌・短歌形式(五七五七七)なのか、俳句・狂歌形式(五七五)なのか、それとも不定形か?「いろはがるた」を見ると、「二回から目薬」「綸言汗のごとし」などのように、不定形なのだが、ゼミでは「百人一首」をやっている。
私の考えとしては、五七五七七に統一すれば、「新選三戸ゼミ百人一首」、百人は無理そうなので「古今和歌集」ぽくなるのだろうが、詠むハードルが高くなってしまうだろう。形式自由にするのがよいと思われるのだが、自由にすると形から入れないので、逆に創りにくくなる可能性も出てくる。そこで、上記した「エピソードに語らせよ」である。象徴的、印象的・伝説的エピソードを材料として、こねくっていれば、なんとなくできてくるのじゃないか。歌を詠むのではなく、「この人を語る」「ゼミ行事・企画」を語ると考えたらどうだろうか。
Dみんな、同期のやつの顔を思い出し、「この人を語る」ならどういうエピソードがふさわしいか、披露宴スピーチで是非使いたいものや、絶対出せないもの等、いろいろ思い出してみてくれ。自分の歌なら、『創』の卒業記念号を引っ張り出してみてくれ。合宿やスピーチ大会での出来事を思い出してみてくれ。たとえ詠めなくても、この人・この企画なら、このこと抜きでは語れないでしょ、というエピソード等だけでいいから、出してくれないだろうか。
No:1894
投稿者:三戸
投稿日:2008/08/13 Wed 03:26:22
ところで、『文藝春秋』9月号に「大特集 日本の指定89人」が載っている。赤塚不二夫−北見けんいち、土光敏夫−加藤寛、G馬場−三沢光晴、養老孟司−茂木健一郎、等々が、「人生の師から学んだこと、愛する弟子に教えたこと」(キャプション通り)を書いている。赤塚−タモリの関係に触れたついでに、これらも見てみたらどうだろうか。やはり、これだけの特集を組めるのは文藝春秋ならではだなあ…。
ゼミ生の諸君には、合宿の時か、後期始まったとき、コピーを渡して、89名の中で、「いいなあ…」とおもったもの3名、「つまらんなあ…」と感じる者3名、をそれぞれ選んでもらう課題に取り組んでもらおうと思っている。
OB諸君もぜひ読んでみて欲しい。感じるところ、得るところ、多々あると思う。
No:1892
投稿者:片岡 憲洋(20期生)
投稿日:2008/08/12 Tue 09:21:03
「タモリの弔辞」を、youtubeで聞き、そしてプリントアウトして何度も読みました。
大野さんも書かれているように、聞く度に、読む度に、新たな発見、学びを得ることができます。
・全部で10ある段落に、小見出しをつけてみました。
小見出しをつける前に、全体を読んだときにも「美しい構成だなあ」
と感じましたが、実際に小見出しをつけてみることで、それがさらに
鮮明になりました。以下にお示しするのが、私が考えた小見出し(とタイトル)です。
(是非、弔辞の全文は先生が載せて下ったのでプリントアウトしてください。
みなさんがプリントアウトして下さっていること(一度読まれていること)を前提に、書いていきます)
タイトル「人生の師、赤塚不二夫を語る」
@訃報、赤塚不二夫と世間
この段落は、全体の枕としての役割を持っています。「6年間の闘病生活」や、
「世代への影響」といった言葉で、聞き手(その場にいる人、赤塚不二夫ファン、世間の人々)
が、すっと話に入れるような導入になっていると思います。
A夢見る青年、森田和義と赤塚不二夫との出会い
ここから、話の柱となり、「エピソード」に赤塚不二夫を語らせていきます。
まず、「二人の出会い」から入ることで、聞き手はぐっと引きつけられます。
(エピソードは、ここから時系列に進んでいきます)
話の「柱の」枕としての役割も持っていると思います。
B芸人タモリの修行が始まる
赤塚不二夫が、青年森田和義の才能を見出し、世に送り出そうと決断した際のエピソードです。
この決断がなければ、芸人「タモリ」は誕生していないでしょう。
C師匠、赤塚不二夫
「あなたに学びました」、「あなたが私に言ってくれたことは、未だに私の心の中に
残っています」、「仕事に生かしております」など、タモリにとって、
赤塚不二夫が「人生の師匠」であることを物語っています。
D赤塚不二夫の強さと優しさ
「マージャン」のエピソードに、赤塚不二夫の信念の強さ、そして人間としての
優しさを語らせています。エピソードに語らせる、素晴らしい手本だと思います。
Eギャグの天才、赤塚不二夫の人間味
「たこ八郎の葬儀」のエピソードに、赤塚不二夫が、ギャグ(笑い)の天才であること、
そして彼の人間味を語らせています。
F赤塚不二夫の生き方、「これでいいのだ」
「これでいいのだ」の一言が、赤塚不二夫の生き方の全てを物語っている、
と語ることで、タモリが、赤塚不二夫から学んだことをまとめ、位置づけているように思います。
G師匠と弟子、男同士の最後の思い出
師匠から学び、タモリが、1人の男として、師匠とお互いの労を労った
エピソードから、2人の、深く、強く、本当の、関係がにじみ出ていると思います。
H故人、赤塚不二夫の今
今は亡き師匠が、今ここで何と言うのだろう、と考え、語ることで、
赤塚不二夫が故人となったことを認め、そして故人が心の中にしっかりと
残っていることを確認しています。
I感謝、「私はあなたの作品です」
師匠に対し、生前は言えなかった(言わなかった)感謝のことばを、
なぜ言えなかったのかの理由とともに(二人の関係の深さを語るとともに)、
「私もあなたの数多くの作品の一つです」と、本当に凄い表現で語っています。
全体の締めとして、十二分に深く、重い一言です。そこには、「残心」があります。
私は、このように小見出しをつけてみました。枕、柱、締めが十二分に
意識されているだけでなく、人間を語る際に大切な、「エピソード」が、その話の
ほぼ全てを占めています。
三戸ゼミのスピーチ大会のテーマであります「この人を語る」の原稿の構成、
内容を考える際の良き手本になります。
また、大野さんが書かれているように、タモリの「表現の豊かさ」が
にじみ出ているなあ、と感じさせられます。
それは、「私もあなたの数多くの作品の一つです」という、
「感謝の心」を述べる所だけでわかります。
芸人として、プロとしてのタモリの凄さを感じました。
先輩、そして3年生のみんな、さらに、2年生のみんなが考えた
小見出しを是非読みたいです。比較したい。そしてまた考えたいです。
批判もどしどし待っています。
・「タモリの弔辞」を聞き、読む度に、やはり最後の一言が心にずしっときます。
>読み手(タモリ)の凄さを通して、弔辞を読まれる相手の凄さをあらためて感じさせる。
凄い相手の弔辞で「相手の凄さ」を十二分に、誰以上に語ることにより
「自分の凄さ」を感じさせる。そして、その二人の関係の素晴らしさ、有難さを感じさせる。
先生も書かれているように、これは、本人たち、それぞれの凄さ、
そして二人の強い、深い、本当の関係がなければ、ここまで心に響くことはないものです。
タモリの存在感を感じさせられました。
そして、やはりこのような二人の関係は素晴らしいなあと思いました。
>スピーチ大会「この人を語る」において、どのように自分の事を語ってもらいたいか、
そしてゼミ生全員に自分のことを語りたいと思ってもらえるよう、
意識して普段のゼミ生活を過ごすように、ということを先生はおっしゃいます。
大野さんも書かれているように、私も、普段のゼミ生活を大いに反省させられる
とともに、自他共に豊かになりたい、先輩、仲間、後輩とそのような関係を
築いていきたいと思いました。
さらに、テーマ「この人を語る」の意味・目的を改めて問い直すことができました。
その人を語ることで、その人のゼミ生活、その人と自分の関係性を問い直し、意味づける。
その人と自分が、ゼミでいかに振舞ってきたか、またどのような関係を築いてきたか、
自分自身の在り方が問われるのです。
年度末に行われることも、頷けます。そして、語られるのが、主に卒業間近のゼミ生で
あることも頷けます。
>これを聞いて私は「自分を大切にすることは人を大切にすることである」との
言葉を思い出しました。先生から教えていただいた数々の言葉の中でも特に好きな言葉です。
>「自分を大切にする」ことは大変難しいことです。
太田さん、この言葉は私も特に好きな言葉です。そして、「難しい」とも感じています。
これに限らず、三戸先生から教えていただけることは、時に厳しく、難しいものです。
しかし、私は厳しさのないところに、成長はないと思っています。
これからも、志を共にする人たちと、自分を信じ、人を信じて学んでいきたいと思いました。
>社会人である私にはスピーチ大会はありませんが、職場や地域において、
「この人を語る」に、又は「語らせる」に十分な関係性を築いているかと
振り返ると、大いに反省させられます。
改めて、太田さんの凄さに気づかされました。「職場」だけでなく、
「地域」において、というところも太田さんの凄さだなあ、と思いました。
20周年記念合宿の会合に、「地域」の祭りの警備を終え、真っ赤に日焼けされたお顔で来られ、
いつも以上にエネルギッシュに議論を進めていく太田さんの姿を思い出しました。
三戸ゼミで学んだことを、社会人となり、活かしていらっしゃる、
いや、さらに学び続けている先輩の方々と、20周年記念合宿でお会いできることが
ますます楽しみになりました。
「私はあなたの数多くの作品の一つです」
この一言を含め、「タモリの弔辞」、そして赤塚不二夫とタモリ、
さらに二人の関係性から、「人間の一生」というものを考えさせられました。
「人の命は棺覆うて後に定む」
人の真価というのは、棺に入って初めて問われるものだ。
『晋書・劉毅伝』のこの言葉を思い出しました。
いろいろな解釈があると思います。そして、その人間の「実体、内容」がなければ、
語るなど畏れ多い言葉だと思います。
しかし、「赤塚不二夫の一生は素晴らしいなあ」と思いました。
棺に入るとき、生前築いた人間関係において、家族、仲間、弟子、
その他たくさんの人々が自分の死を心から悲しみ、またその人たちから
感謝の念を抱かれる一生は、なんと素晴らしいことでしょう。
そのような一生を送りたいなあと思いました。
最後に、私は、話が下手です。ただ、一人の人間としても、三戸ゼミの幹事としても、
良い話、立派な話をしたいという気持ちはあります。幸運にも、三戸先生の近くで、
そして、先輩、仲間、後輩からまだまだ学ぶことができます。
スピーチができる、それを評価されるチャンスもたくさんあります。
これからますます、「意識的に」振舞いたいとともに、周りの人たちと、
この二人のような関係を築いていきたい。
そして、「立派な」話ができるようになりたい、そう思いました。
No:1891
投稿者:太田 健一(3期生)
投稿日:2008/08/11 Mon 01:31:18
白紙原稿をさも読み上げるように使うことが故人に捧げるギャグなのではないか等、様々な解釈が
取り交わされているようですが、私はこの弔辞を至極まっとうであり正攻法だと感じました。
もちろん、その背景には複雑なプロット等があるのかもしれませんが、スピーチとしては奇を
てらったものではなく、高度な構成力・表現力に裏打ちされながらも技に頼る印象を与えません。
だからこそこのスピーチの凄みを感じます。
タモリは、赤塚不二夫についてはまったくと言っていいほど語っていません。エピソードを紹介する
のみであり、エピソードに赤塚不二夫という人物を語らせています。
また、タモリは自分自身を語ること、赤塚不二夫との思い出を語ることで赤塚不二夫の人物像を
浮き上がらせています。
これは人を語る上での王道と言えるものであり、是非学びたいものです。
ただ、もし今すぐにタモリ同様の精緻な構成力、豊かな表現力を授かったとしても、私にはとても
ではありませんがこのようなスピーチはできません。
結びに語られる「私もあなたの数多くの作品の一つです。」との一文は非常に印象深いものですが、
これを聞いて私は「自分を大切にすることは人を大切にすることである」との言葉を思い出しました。
先生から教えていただいた数々の言葉の中でも特に好きな言葉です。
自分を粗末に扱うことなく、大切に研鑽を積んできた人間が、同じように自分を大切に生きてきた
人間に語りかける場合においてのみ、「私もあなたの数多くの作品の一つです」という言葉は有効で
あるように思えます。
「自分を大切にする」ことは大変難しいことです。
「好かれる」とか「役に立つ」とか「頼りにされる」とかいうレベルではなく、「この人に会うことで
私は変われた」、「この人が居てこそ私は成長できた」と思われるまでに自分を高めなくてはなりません。
「自分に素直である」(書いていて反吐が出そうだー)とか、「ありのままの自分」(助けてくれー)
とは全く正反対の厳しく謙虚な姿勢が求められます。
大野さんも書き込んでくださっていますが、スピーチ大会「この人を語る」で説得力あるスピーチを
披露するためには、スピーチそのものの準備のみでは足りません。ゼミでの生活を通じてどのように
振舞ってきたか、どのような関係を気付いてきたか、何を人に与えることが出来たのか、といった
自分自身の在り様が問われることになります。
社会人である私にはスピーチ大会はありませんが、職場や地域において、「この人を語る」に、
又は「語らせる」に十分な関係性を築けているかと振り返ると、大いに反省させられました。
「随所に主となる」ことと「自分を大切にする」ことはかなり近しいものだとも気付かされました。
今回のタモリのようなスピーチが出来る自分を想像することは現在のところ出来ません。
ただ、自分に果たしてタモリのようなスピーチが出来るか、そのような関係を築きあげるだけの
振る舞いをしているか、と自分に問うて生きていくことは、自他共に豊かにすることに繋がるように
思えます。
No:1890
投稿者:太田 健一(3期生)
投稿日:2008/08/10 Sun 23:17:54
何となくそうではないかな、とぼんやり考えていたことが、おかげで整理できました。
「何ページ」の「何番のログ」という2つの因数による指定方法はこのAAA!CAFE掲示板の
基本的なプログラムのようで、「Prev」(引用元)や「Follow」(引用先)のアイコンもページが
分かれると機能しなくなります(前のページに引用元が存在する場合にはジャンプできません)。
ただ、皆さんのリンク設定は継続していただいて構いません。
と言いますのは、現在移管作業中の引越し先では「何ページ」という因数は設定されておらず、ログ
ナンバーの設定のみでジャンプするためです。
どこにジャンプしたいかさえ明確に記載していただければ移管時にタグを調整しますので大丈夫です。
移管作業を始めてから、タグというものが日に日に分かってきました。
No:1889
投稿者:太田 健一(3期生)
投稿日:2008/08/10 Sun 22:43:32
掲示板を振り返るという作業は正にゼミの歴史を再検証する作業であり、今村さんには今回の作業を
通じてどのようなレポートが評価を受けているのか、歴代の先輩がどのようなことで注意を受けて
いるのか、どのようなアドバイスが人の成長を促すのか、といったことを学んでいただきたかったの
ですが、その意図を十分に汲み取っていただけたようで嬉しく思います。
・ ・・・・すみません。本当はただ単純に人の手をお借りしたく助けを求めただけなのですが、
思いもよらぬ効果が生じたようです。これも掲示板の力なのでしょう。私が何としてでも現在の
データを保管したいと熱望している理由がお分かりいただけたかと思います。
私もついつい読み込んでしまって作業が遅々として進まないことがあります。
今村さんには、もうひと頑張りしていただいて、この掲示板の閉鎖(今月末か来月初頭)まで
バックアップを確実に行なってもらいたいと存じます。
宜しくお願い申し上げます。
※ 片岡さん、藤井さん、大野さんからもお手伝いしていただける旨のご連絡を頂戴しています。
嬉しい限りです。現在及び今後の作業手順は次のようになります。
1、 現行掲示板からデータを移管する。
⇒移管作業終了後にこの掲示板でURL公開します。工事中のアクセスは安全のためにも制限したいので。
2、 移管したデータの「投稿日時」を補正する。
3、 現行掲示板のデータと、移行先掲示板のデータを照合する。
私は現在1、2の作業を進めているのですが、盆明けを目処に現役生の皆さんに「3」の照合確認
作業をお願いしようかと考えております。
8月最後の2週間が勝負であり、時間との戦いになります。頼りにしています。
「プロジェクトX」で取り上げられた桂離宮の修復工事と比較してはいけませんが、何事においても
価値あるものの保管に尽力することは誇りある仕事だと思います。
No:1888
投稿者:18期生 大野裕喜
MAIL
投稿日:2008/08/10 Sun 21:41:16
行したい」という声が、前期のゼミにおいてゼミ生から何回か話が出ました。その際に、
先生は他のゼミ生やテレビなどから「型」、「手本」見つけ、それを真似ぶ事をお話されま
した。お笑い芸人の話し方、そして紳助の司会然りです。
先日の新歓もその延長線上にあり、お笑いについて分析するとともに、お笑いの表現方法
について何かしら発見し、それを自分のものにしていく事を狙いとしておりました。
先生が掲示板に上げられましたタモリの弔辞全文をプリントアウトし、読んでみました。
読むたびに胸に迫り、新たな発見が得られます。中でも私が一番印象に残っているのはそ
の表現方法です。相手の存在、相手と自分の関係性、全体の構成もさることながら、私は
その基礎にあるであろう表現の豊かさにタモリの味を感じさせられました。
表現の仕方によって、対象や話し全体を豊かにする事もできれば、そうはならない事もあ
ります。タモリの味、表現が、相手を見事に描き、相手の凄さを浮き立たせ、心に残るも
のになっているのではないでしょうか。
タモリの弔辞も、「手本」の観点から観るのならば、素晴らしいものだと感じました。そし
て「型」を知る事、それを真似ぶこと(「観る」こと)の大切さを改めて感じさせてくれま
す。
>タモリの弔辞は、タモリという男の凄さ(存在感)を感じさせるものである。しかし、
それを狙ったものではなく、「これだけ凄いタモリという男を発見し、世に送り出しせたの
は、赤塚不二夫というギャグ(笑い)の天才だからこそなのである。」という赤塚不二夫の
偉大さを語っているのである。
>弔辞の読み手(タモリ)の凄さを通して、弔辞を読まれる相手の凄さをあらためて感じ
させる。凄い相手の弔辞で「相手の凄さ」を十二分に、誰以上に語ることにより「自分の
凄さ」を感じさせる。そして、その二人の関係の素晴らしさ、有り難さを感じさせる。
スピーチ大会「この人を語る」において、どのように自分の事を語ってもらいたいか、そ
してゼミ生全員に自分のことを語りたいと思ってもらえるよう、意識して普段のゼミ生活
を過ごすように、ということを先生はおっしゃいます。
タモリの弔辞からスピーチ、表現だけではなく、どのように日々を送るのかも考えさせて
くれます。
「立派な話」をできるようになりたい、そしてこの二人の関係に憧れるとともに、そのよ
うになりたいと思いました。