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どんどんどんどんどんどんどん書き込んでね
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《NOTICE!》
(1) この掲示板は横浜国立大学経営学部三戸ゼミナール関係者を対象としています。関係者以外の書き込みはご遠慮願います。
何かありましたら、こちら(管理人アドレス)までご連絡願います。
三戸ゼミナールに関係する書き込みでないと考えられる場合、管理人の判断により削除させてもらう場合もございます。
(2) この掲示板では削除キーを使用した編集方法がとられています。
同時刻に複数の編集が重なることで別の書き込みが消去されないよう、
投稿の際は文章の「貼り付け」等を利用して、「記事の編集」画面に留まる時間を短くするようにご協力をお願いします。
《TOPICS ( 10月27日 更新)》
【企業番組勉強会】 【No.5203】10月29日浩友会勉強会@予習編 【No.5194】第10回ビジネス企業番組勉強会@予習編 【No.5183】第10回日程調整・視聴番組公募 【No.5166】第九回報告 【No.5139】第八回報告 【No.5129】第七回報告! 【No.4982】★報告一覧
【ベ ッ テ ィ ン グ】
【No.5204】プロ野球・日本シリーズ2016
【No.5195】2016リオ・パラリンピックBETTING!! 【No. 5181】リオオリンピック第一弾 8月14日まで! 【No. 5182】リオオリンピック第二弾 8月14日まで!
【書店日記&今月の雑誌】
【No.5189】書店日記&今月の雑誌8月号 【No. 5177】7月 【No. 5172】6月 【No. 5160】5月 【No. 5150】4月 【No.5130】【書店企画・番外編】「新書大賞2016」を斬る!
【K-1 グランプリ】 【No.5175】6・7月のキリ番報告 【No.5161】3〜5月のキリ番報告 【No.5134 】祝 カウンター700000突破!
【No.4873】2014年K-1GP 【No.3920】K-1グランプリ開催中! ⇒ 【No.4093】報告要項
新掲示板のスタートに当たって(改) ○一抹の寂しさを伴いながらも、太田君がそっくりな新(仮)掲示板を見つけてくれたために、三戸ゼミは9/1を平静に迎えることが出来た筈だった。「元祖」ゼミ掲示板の最後の書き込みについては、
No:1939
投稿者:三戸 浩
投稿日:2008/09/02 Tue 13:53:35
08.4.15の【掲示板の最後の書き込みの権利は?】 大野裕喜を受けて、
08.4.16【Re:掲示板の最後の書き込みについて】太田 健一
08.4.22【Re:掲示板の最後の書き込みについて】大野裕喜
08.4.26【Re:掲示板の最後の書き込みについて】大野裕喜
で、検討されはしたが、明確な形を決めぬままで来ていた。だが、「案ずるより産むが易し」下のような書き込みを得て、今日を迎えることができた。
8/30掲示板の母、吉永美幸【12期 吉永美幸です】
8/31三戸【ゼミ掲示板ありがとう】
中島大輔【aaacafe掲示板「最後の一日」にあたって】
佐々木真光【ゼミ掲示板への「有難う」】
9/1 太田健一☆★☆ 【重要なお知らせ】引越し完了しました。 ☆★☆
9/1の太田君【引っ越し完了しました】の最後にこう書いてくれている。
「私を含め、今後の三戸ゼミ関係者の書き込みにより、この掲示板が皆にとってより 一層大切な存在となることを願います。
どんどんどんどんどんどんどん書き込んでね。
平成20年9月1日 三戸ゼミナール3期生 太田健一 」
今は、9月2日の午前2時17分。「記念すべき」9月1日は太田君の事務的案内の2件だけで終わってしまっている!!
○カウンターの数値
9月1日午前0時のカウンターは[3666]を示していた。
そして今、9月2日午前2時24分のカウンターでは[3963]となっている。
1日の間におよそ延べ300人が、新しい掲示板に仲間が何と書き込んでいるだろう かと楽しみに訪れ、何も書き込みがないことを見て、去っていったと言うことなんだろう。
(※)真光の06年10月23日に【カウンターを付けました】のおかげで、以上のことがわかる。
○「元祖」掲示板の終わり方の論議を見ていなくとも、この掲示板では「(良き社会人としての)振る舞い」が重視されることを知っているゼミ生達である。「一番に書き込む権利」が自分にあると思えなければ、書き込むことができないのだろう。
(私は、卒業生もゼミ生だと思っている。現役・OB、現役・卒業生という「煩雑な」表現を避けさせてもらっている。クイズ@:このことを象徴する事例を挙げよ。)
○にも関わらず、「一番に書き込む権利」を誰に与えるか、を決めてなかった。すなわち、「この掲示板をどのように始めていくか」の形を決めていなかったことに、気づいた。
(実は、上記した【掲示板の最後の書き込みの権利は?】でもわかるように、私は終わりも始めも、「書きたい」と思ったやつが書きゃいい、と漠然と思っていたのだ。だが、太田の【Re:掲示板の最後の書き込みについて】を見て、彼(ら)にとっての掲示板の位置と意味に気づかされ、また日頃から私自身「形」の重要性を説いていたのであった。」
○私が、勝手に指名することはできないし、滑稽だ。私が最初に書き込むか?いや、この掲示板においては、先生もゼミ生もない。現役も卒業生もない。だが、誰かが何かを始めないと、この新掲示板はスタートできない!「先ず隗よりはじめよ」では、先生の資格はなかろう。(クイズAなぜ、それでは「先生の資格がないのか」?)
○そこで、書き込むに相応しい(権利を持つ)人を「できるだけ客観的に決定」して、その人にまず書き込んでもらうことにしよう、と考えた。02年3月24日の吉永【お待たせしました】から、最も書き込んだもの、この掲示板を最も大事にした者、最も高め、充実させてくれた者を探し始めた。その作業が終わったのが、ついさっきだ。
書き込み回数だけならたいしたこともないが、書き込み内容まで吟味するとなると丸一日作業となった(ただ、回数を数えるだけでなく、ついでのプランもあった。楽しみにしていてくれ。)。
○02年3月から健在までの6年半の間の各人の書き込み合計回数top10は次の通り(これを20周年の時のクイズに使いたかったなあ…)。
第1位 佐々木真光 252回(03年〜)
第2位 岩切尚弥 192回(02年〜)
第3位 大野裕喜 109回(05年〜)
第4位 中島大輔 106回(02年〜)
第5位 太田健一 101回(06年〜)
第6位 藤井 55回(06年〜)
第7位 古郡 52回(02年〜)
第7位 纉c 昇 52回(02年〜)
第9位 渡辺英二 50回(02年〜)
第10位池田健太郎 48回(04年〜)
次点 福富智之 46回(04年〜)
@最も書き込み回数が多いのは、佐々木真光である。しかし、私は、第5位ではあったが、やはり太田健一(3期)の言葉を最初に読みたい。
理由は言うまでもないだろうが、この新掲示板は太田あってのものであることは勿論ではある。そして、太田に教えてもらったり、励ましてもらったり、知でも情でも彼の「恩」を受けたゼミ生は数多いはずだ。だが、なぜ太田がここまでやってくれたかのだろうかまで考えて欲しい。彼はこの掲示板を本当に大事なものだと思っている。この3年間の彼の書き込みは、ゼミと後輩達への愛情と愛着に満ちていた。
彼のゼミ掲示板への貢献が一番だと思う人は多かろう。だが、彼が最初に書き込む権利を持つのは、貢献からではない。彼が最もこの掲示板を必要とし、大事にしていた、と私には思えたからである。(太田は3年間でこの数値であることでも、わかるだろうが。)
この掲示板を「必要」とし、「大事」に思っている者にこそ、この掲示板に最初に書き込むのが相応しいではないか。
A次に読みたいゼミ生の言葉は、岩切尚弥(4期)である。掲示板を大事にしていたものこそその権利に相応しい、とするなら、第2位は岩切であろう。太田との差は、新掲示板への貢献に因るものではない。岩切も太田に負けぬほど、ゼミに対する愛着を持ち、後輩を案じていることは間違いなかろう。06年度の70回という数値には頭が下がる(単年度書き込み回数としてはダントツである。第2位は、07年度の太田の58回、第3位は06年度真光の55回)。それだけゼミに貢献してくれ、ゼミを大切にしてくれたのだから。だが、岩切はこの7年の間での年ごとのバラツキが大きく、また本年度は書き込みがない。
太田との「ゼミ掲示板の大事」の度合いは勝るとも劣らぬであろうが、その「大事にする仕方」は、太田に一歩譲ることは誰よりも岩切本人がわかっているはずだ。「元祖」掲示板の「終わり方」と「終わった後の心配」を太田はしていることからもわかるように、この掲示板の存在自体を太田は大切にしているが、岩切は書き込みを大切にしているのである。
「俺は優しくないか?岩切よ」
新掲示板の立ち上げだけを理由にしておけば、君は傷付かぬであろう。だがな、君は後輩に「優しくなかった」だろう?
後輩達の書き込みに対して、はっきりと忠告してやるべきであると考え、それが相手とゼミに対する「真」の愛情だと思っていたからではないのか。
(私は、その君の気持ちを100%肯定するよ。君が、本当に数多くの人たちのメッセージに対して一生懸命心を込めて応えていたことを痛いほど感じていたのは私だけではあるまい。)
だから、この判断も理由も、はっきりと書いたことも、「喜んで」受け取ってくれるはずだ。
私は、君があの書き込みで得たことで成長した姿を見たいのだ。だから、太田の次に書き込みをしてくれ。
B真光、ここまで読んでくれば、そして三戸ゼミ賞を取れるほど俺の側で俺を見、話を聞いていたのだから、「喜んで」太田、岩切の次に書き込んでくれるはずだ。
C次は、中島大輔以外にあるまい。ゼミに対する思いは「歌留多掲示板」を持ち出さぬともこちらの掲示板を読む者はみなわかっているはずだし、この掲示板を自分の学びの場として考えていたのは(そして実行したのは)誰よりも中島大輔ではないだろうか。タモリの「赤塚への弔辞」レベルを書けるゼミ生は、中島だと私は思っている。「情」の男がこの掲示板という場で学んで(勿論職場などでも大いに学んでいるはずだ)、「知と情」を兼ね備える大人になった。この場を活かし、刮目させた点では、中島こそナンバー・ワンであろう。
D書き込み回数は第7位ではあるが、私は古郡の言葉を読みたい。回数とは別に、君の書き込みと君の卒業後の振る舞いを見てきた私は、ぜひ君の言葉を読みたい。それは、この掲示板で学び、励まされてきたゼミ生達みなの共通した思いであろう。
E大野よ、第3位なのにこんなに後ろに回して済まないなあ。「掲示板大賞」や、先輩からの書き込みに対するレスポンス、君の掲示板を(即ちゼミを)「大切」にしてきたのだから、最初の3人の中に入ってもおかしくあるまい。だが、君はわかっているはずだ。今、現役でいられる自分と、もう卒業してしまったゼミ生達とを比べれば、そちらに譲って当然だと。また、「良き社会人」の場なのだからなあ…。
F藤井よ、大野の次は君だ。ゼミ掲示板は太田と君のおかげで機能していることに、心より感謝したい。なによりも、君がこの新掲示板の立ち上げを嬉しくおもっているはずだ。また、君の書き込みは後輩達の「良き手本」となるものであった。君のレスポンスは、大野のそれと並んで、卒業生達の「思い」に応えてきたのだ。
G福富よ、「中国便り」を有り難う。シリーズ連載をしたのは君だけだ。だが、この1年半書き込みがない。できない理由があるのだろうが、君の書き込みを読みたいと思っている人がいることも気づいて欲しい。自分が「書き込みたいときだけ、書き込めるときだけ」じゃなく、「読みたい人がいるとき」にもできるだけ書き込んで欲しい。
修了証書をもらった後で、最も皆を刮目させたのは福富智之だ。追い出し合宿での挨拶に比べてどれだけ成長したか、この挨拶で見せてくれ。
纉cよ、成長しているか。中島を手本として、よーく「見よ」。見なければ学べないぞ。。学ばねば、成長はない。成長なき者の語ることは聞く人を刮目させず、聞く人を成長させない。後輩達の書き込み、成長ぶりもよーく見よ。人の心に残る言葉を読ませてくれ。
池田よ、真光の1/5であることをよーく見よ。共に同じ時にゼミで学んだ者は、最も良きライバルでなければなるまい。ゼミ生としての活躍が、同期に劣っていることに発憤せよ。それが「自分を大切にすること」なのだ。俺がお前に言ってきた「評価」の言葉は決して嘘でも間違いでもなかったはずだ。
望月。あと5回書き込んでいれば、お前が10位だった。できたはずだ。すべきだったはずだ。真光が学んでいたとき、お前も学ぼうとどれだけ思っていたか…。学ぶ時間が(就職と大学院との)違いだ、と思っているなら、お前は真光にどんどん置いていかれるぞ。お前は、自分に誇りを持っていたはずだ。「自分を大切にせよ」。お前は「自分を大切にする」ことができる男だ。だが、まだ、その「大切にする仕方」が、わかっていまい。自分の思いを抑えて、相手の思いも察せよ。相手の思いを容れれば、相手もお前の思いに応えてくれるはずだ。
渡辺よ。この数、順位が、ゼミ20年に相応しいか、よーく考えてみよ。この数が 5倍であったら、とっくに「師範代」から「師範」になっていたはずだ。最も俺から学んだ男が、「成果」を出していないのでは、俺という「師匠」はそれだけのこととなる。
20年のゼミでの学びの成果を言葉にして見せてくれ。
H小山君。君は別格だ。自分のゼミを持つ身でありながら、三戸ゼミに本当によくしてくれた。感謝の言葉もない。(よければ)「来賓」として、言葉を寄稿して欲しい。
I最後になったが、吉永さん。あなたも別格で来賓だ。ぜひ、元祖掲示板立ち上げ人として、あなたの孫であるこの掲示板に言葉を寄せて欲しい。
○以上が、私の判断による「【祝辞・はじめの言葉】を書く権利」を持つに相応しい者である。
この権利の効力は。3日間としたい。私が挙げた権利を持つ人たちは、9月の4日まででは、とてもじゃないが、短すぎる、とブーブー言うんじゃないか。だが、求められたその場で、何か人の心に少しでも残ることを言うことができぬようじゃ、たいした「良き社会人」とは、言えないぜ。
とは言え、これでは「権利」ではなく「義務」じゃないか、と思うかもしれんなぁ?
だが、「義務」だと思うな、「責任」と受け取ってくれ。すばらしいじゃないか、これほどの「責任」を負うことが出来るとは…。
よーし、見事責任を果たし、皆を「刮目」させよう、と思う者が、私の教え子である。
(言われりゃ、言われるほど書けなくなることはわかる。ひとつ便法を許そう。3日間の間に「一言」だけ書き、フルの文章は9月7日までに書いてくれればいい。つまり差し替えを認めるということだな。いや、こんな面倒なことをしなくても、「権利」なのだから、行使しなくても「自由」である。)
済まないが、9月4日の夜12時までは、他の人は読むだけにしてくれ。9月5日0時からは、新しい「刮目勝負」である。次の「権利獲得チャンス」を目指して、「良き社会人」の成果を読ませて欲しい。
○蛇足:以上は、書く人を指名することにより、この膠着状況を打破したいためであるが、本当に伝えたいことは、別にあることはみなわかってくれていると思う。
@今年の書き込み状況は、とても20周年の年とは私には思えていなかった。
A歌留多も同じだが、誰かがやってくれていることに「有り難い」と思って欲しい。「有り難い」と思ったら、それに何らか応えて欲しい。書いた人は、「書きたい」から書き込みをしているのだが、「読んで欲しい」から書いているのである。「有り難う」の一言でも、「読んだよ」「面白かった」「もっと読みたい」でもいい。それが、書いた人が求めている報酬であり、それが、彼らをして人の為になることをさせている。「社会」はそのような人々の行為から成り立っている。「良き社会人」になる場ではないだろうか。
B書く「人」を選んだのではない、書いたのではない。この場の位置と意味に立ち、三戸ゼミで学んでいる者を評価することにより、この場に求められている「基準」を選び、書いたのである。その基準は、この場で得られ、得た者が評価・表彰されることを示している。
C私は、6年半前の吉永美幸の書き込みから、全て読み返すことから大いに得るものものがあったと感じている。現役達よ、もうすぐ夏合宿だ。去年の、過去の合宿レポートを読み返してみよ。もう、読んだか?
先輩達は自分の先輩達の合宿報告を読んで、自分たちの合宿を作っていたのだろうか。また、読み返せば、より良い合宿ができるはずだった。そのようになったか?読んだことで、どれだけのことが得られるレポートになっていただろうか。
君たちはどうだ?後輩達に役に立つ、次の機会に使える報告を書けるためにこの掲示板に延々と書き込んで、それだけのものを書く力をつけてきたのではないか。そのため、この掲示板の性格が一変したではないか。卒業生が気楽に書けるものではなくなったではないか。ハードルが上がったのは顔見知りの中だけでの「読み捨ててもかまわない情報」から他者と未来の自分が見て「役に立つ情報」がここに書かれるようになったことをどれだけわかっているのだろうか。(「仲間内の書き込み」それはそれで重要なのは論を待たない。だが、それだけで「三戸ゼミ掲示板」とみなは呼ぶのか?私は、「ハードル云々」を寂しく聞いてきた。しかし、その気持ちもわかる。だから、いろいろなことが語り。伝えあえる部屋を持つHPを作ろう、と提案したのだ。20周年までにできるのかなあ…。)
みな、書くこと、読むことはしてきた。だが、「読んで」いたのか?「読もう」としていたか?ゼミ報告を書け、と言われた。書きたいことがあった。だから、書いた。なら、書けば終わりだ。読むに足る・使うに足るゼミ報告をかくのなら、その報告を次の機会に活かせ。ゼミ報告だけでなく、合宿報告も「読め」。先輩達が、等しく認める「今のゼミ生のレベルは凄い」のが、「本物」になるには、「読んで、活かす」ことで初めて可能になろう。この掲示板に書かれている報告は、役立つものだが、役立てようと思わぬものには、何の価値もない。「成長したい」と思わぬものは、「刮目させたい」と思わぬものは、「良き社会人になりたい」と思わぬものには、この報告は、一時の娯楽と、ノスタルジーを提供するものにとどまるであろう。
「心そこにあらずんば、見れどもみえず、聞けども聞けず」
長くなった。書きたいこと、書くべきこともあるのだが、空が白んで、蝉が鳴き出した。
歌留多と20周年を楽しみにしている。そして、この掲示板が今まで以上に三戸ゼミ生達の成長と喜びの場となってくれることを信じている。
(みなの6年半の思いと行為は、私にこれだけのものを書かせた。その重さと「夜」は書きすぎをさせたのではないだろうか。プリンターの不調のためにプリントアウトせずに書き込んだ。やはり、書き直さねばならぬと思い、また始めた。だが、昼になってもその重さに押しつぶされ続けている。書き直しではなく、書き足しになった。一回目の書き込みの「書き直し」をさせてもらった。削除の失敗も怖い。削除せずに、書き直しを投稿する。管理人殿、よろしくきれいにしてください。皆の「心」に甘えさせてもらう。)