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《TOPICS ( 10月27日 更新)》

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【書店日記&今月の雑誌】   No.5189書店日記&今月の雑誌8月号  No. 51777月 No. 51726月 No. 51605月 No. 51504月 No.5130【書店企画・番外編】「新書大賞2016」を斬る!

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10周年「創」届きました。
No:2020 投稿者:中川 博和 MAIL 投稿日:2008/10/17 Fri 00:25:12

片隅に私の名前やあだ名(中川BとかN川とか)が出てきて非常に懐かしいです。現在は「プロ家庭教師」として中学生から大学受験生までに数学と理科をメインにですが、要望により英語や社会を教えている毎日です。三戸先生に教わった「人を伸ばすこと」の1/100も理解していないし、身に付けられてないとは思いますが、日々生徒の笑顔を、自分の心の支えに生きています。現役ゼミ生の皆さん、今の時間を大切に使ってください。(俺はできなかったんだよね)

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ゼミ報告の評価 10月7日〜読みたい、書きたい、伝えたい〜
No:2019 投稿者:山ア志帆(20期生) MAIL 投稿日:2008/10/16 Thu 18:02:24

片岡君の書き込みに有りますように後期からのゼミ報告は

・今週のゼミ報告(2年生)   2名
・ゼミ室の風景 (3年生以上) 2名
・報告の評価  (3年生以上) 2名

という体制で行うこととなりました。

10月7日に行われたゼミ活動の報告について、項目別、投稿された順に評価していきたいと思います。


■今週のゼミ報告
ゼミ報告を評価するにあたって、「記録性・独自性・エピソード性」の3つの観点から
星一つ〜星五つの五段階で評価してみました。


「今週のゼミ報告〜後期ゼミスタート〜」投稿者:水ノ上君(21期生)

 記録性     ★★★☆☆
 独自性(工夫) ★★★☆☆
 エピソー度   ★★★★☆

記録として、押さえるべきところはしっかり押さえられていて十分合格点に達していると思います。
初回でこれだけ「型」の部分を捉えられているので次は、「読み易さ」と「誰に対して伝えたいか」
を意識して書いてみて下さい。
読み易さの観点からだと、

・見出しにサブタイトルをつけてみる。
・項目の最初におく数字や記号を工夫する。
・行間の空け方を工夫する。     

等が挙げられます。 

誰に対して伝えたいのかと云うことに関しては、「自分が○○の立場だったらどんな情報が
欲しいと思うか」と云う視点にたって読み返してみるなど、ワンクッション置くだけで、
色々なものが見えてくると思います。
是非試してみてください。(もしいい方法を編み出したら私にもこっそり教えて欲しいです)

項目毎に添えられている補足やコメントに、水ノ上君の色を感じました。
次はどこか一つでもいいので、そのとき一番印象的だった発言や出来事をとりあげて
少し話しを広げて書いてみると、エピソード性のアップに繋がると思います。



「今週のゼミ報告〜後期のゼミスタート〜」投稿者:岡本君(21期生)

記録性      ★★☆☆☆
独自性(工夫)  ★★★☆☆
エピソ−度    ★★★☆☆

水ノ上君同様、「型」の部分はしっかり捉えられていると思います。
各項目で決まったこと等に加えて自分が感じたことを添えたり、課題のところに先生からの
コメントを添えたりと、記録に+αの味付けが出来ているところがいいと思います。
なので次はそこから発展させて、自分の感じたことだけではなく、きっかけになった出来事
についてのエピソードを加えてみたり、なぜそう感じるに至ったかの考察を書いてみたりすると
独自性やエピソード性が上がってよりよくなると思います。
今回の報告を例にとると、「★掲示板への書き込みについて」のところに
「なぜか初日から立候補してしまった。」というコメントをつけていますが、

・何故立候補したのだろうか?
・最初にやる意味(利点など)は何であろうか?

といった項目について考えてみると、”掲示板で自分が学び、そして共に学ぶ”ことへの
理解が深まり、報告にも色が出て一粒で二度おいしい結果が得られたと思います。
もし、答えが出せなかったり、うまくまとめ切れなかったとしても、自分が考えたこと
を文字にして表に出すことで、考えが進んだり、他の人の意見を聞くきっかけが出来たり
と、様々な利点があると思うので、やってみる価値アリだと思いますよ!

今回の岡本君の報告を読んだ印象として、誰かに読んでもらうものというより、自分が後に読み返すための
記録といった性格が強いように感じました。
というのも、終始「である調」で書かれていて、淡々と進んでいるように読み取れるからです。
次回報告を書くときは「欠席した現役生」や「OB、OGの皆さん」など、読み手の存在を意識して
書いてみてください。
問いかけの形をとってみるなど、工夫の種は過去の先輩方の報告の中に沢山隠されています。
宝探し気分で過去ログを読んでみて、技を盗んでいきましょう!




■ルポ「ゼミ室の風景」
ゼミ報告と同様に、ゼミ室の風景を評価するにあたって、「独自性・読み易さ・着眼点」の3つの観点から
星一つ〜星五つの五段階で評価してみました。


自分に自信?〜ゼミ室の風景〜10月7日投稿者:岩城さん(19期生)

独自性   ★★★★★
読み易さ  ★★★★★
着眼点   ★★★★★

最初の一文を読んだとき、すぅーっと眼前にそのときの光景が浮かび、まるで当時のゼミ室に呼び戻された
かのような気持ちになりました。
その場にいた人はその光景がすっと思い浮かぶ。
その場にいなくても先生、N浜くんを知る人には容易にその光景を想像することが出来る。
登場人物の特徴をよく捉えている描写と、物語調の語り口の二つの要素がとても効果的に働いていて
岩城さんの創り上げた世界に引き込まれたまま、最後まで一気に読んでしまいました。
先生のお話とスヌーピーの言葉を結びつけた発想と、その二つのエピソードを温度差なく文章化できる
文章力に岩城さんらしさが現れていることと感じました。
数あるエピソードの中から「自信」に関するお話を選択したことの納得性は、その場にいたゼミ生への
影響の大きさは勿論ですが、何より杉山さんからのレスポンスが示してくださっていると思います。




■感想
今回、報告を評価するにあたって、私は各項目について3つの観点を立てて評価を行いました。
ゼミ報告:
記録性    …型を捉えられているか。項目、課題、出席者などの情報、データが十分に書かれているか。
独自性(工夫)…書き方、コメントなど自分なりの手法・工夫を取り入れているか。読み手への意識が見られるか。
エピソード性 …記録だけでなく、記憶の部分で印象的なものを盛り込んで、エピソードにその日の様子を
        語らせているか。

ゼミ室の風景:
独自性    …表現の方法や選んだエピソードに報告者のオリジナリティーがどれ程感じられるか。
読み易さ   …読み物としての意識の高さ。技巧。
着眼点    …そのエピソードを選んだことの納得性があるかどうか。どこに照準を合わせているか。

どの項目についても、「ゼミ報告」「ゼミ室の風景」を書く意味との整合性がとれているかや、重要度に関しても
まだまだ、検討すべき必要があるので、今後評価の勉強をしていく中で試行錯誤して、評価基準を明確に持てるように
していきたいです。
ゼミ報告に関しては昨年から自分も何度か担当しましたが、2年生に対してコメントしたことを自分で意識することが出来て
いたかは疑問が残るので、評価をするにあたって、まず自分なりの報告の方法をもっていなければならないことを実感しました。
こちらも、自分なりに考えまた、2年生の報告や他の評価者のコメントから学び取って、構築していきたいと思います。



私は夏合宿の反省の際に「しなければならないことを仲間と実行していく過程を通して〈すべき〉ことから〈したい〉ことへと
変化させることが出来たから達成感を得ることが出来たのだと思う」という話をしました。
これは準備などに限ったことではなく何事にも言えることだと思います。
掲示板での報告も例外ではなく、「担当だから書かなければならない。だから書く」では書き手も読み手も面白くありませんし、
そこから得られるものも少なくなってしまうと思います。
義務感から書くのではなくて、掲示板や翌週のゼミの「今週の掲示板」でこんなコメント、レスポンスをもらいたいという目標を
立てたり、報告する週のゼミ活動の中から取り上げたいエピソードを見つけたりつくったりと、自分の中に課題を取り込んで
取り組むことが〈書きたい〉気持ちを喚起していき、達成感を得、多くを学ぶことに繋がるのではないでしょうか。

書きたいものを書いたら読んで欲しくなる。読んで欲しいから、読んでもらえるようにするにはどうしたらいいか試行錯誤する。

     〈伝えたい〉ものがあるから〈書きたい〉
         仲間が〈伝えたい〉と思って書いた文を是非〈読みたい〉

こういった正の感情の連鎖を是非実現させたいです。
伝えたい気持ちを大切に書ける書き手、書き手の伝えたい気持ちに応えられる読み手になれるよう、学んでいきたいと思います。

最後に
報告が大変遅れてしまったために、今週の担当者の方々にご迷惑をお掛けしてしまい申し訳ありませんでした。
次回はこのようなことがないように、取り組んでまいります。

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ゼミ報告の評価 10月7日 
No:2017 投稿者:石井 宏通(20期) MAIL 投稿日:2008/10/14 Tue 02:00:05

今週は、10月7日に行われた後期第1回目のゼミ活動の報告として、
岩城さんによるルポ「自分に自身?〜ゼミ室の風景〜10月7日」
水ノ上君、岡本君によるレポート「今週のゼミ報告〜後期ゼミスタート〜」が
投稿されました。投稿の早かった順に評価をしてまいりたいと思います。

◆「自分に自身?〜ゼミ室の風景〜10月7日」投稿者:岩城さん(19期)

投稿日は10月9日午前10:00でした。学んだことを伝えたい、共有したいという気持ちの表れではないかと思います。記憶の薄れないうちに早めに投稿する姿勢は以前から変わらず、流石です。
内容に関してですが、まず、表現の巧みさに圧倒されました。読ませるという意識を感じました。その場の情景、岩城さん自身の思考、それをつなぐ言葉が物語り調になっており、工夫を感じました。
また、題材となっていることも、2年生の姿と先生にしていただいた話から、自分なりに解釈し、理解し、共有したい。共有するべきであると考え、選ばれたのだと思いますが、これが正に「共に学ぶ」という姿なのではないか、と改めて考えさせられました。


◆「今週のゼミ報告〜後期ゼミスタート〜」投稿者:水ノ上君(21期)

投稿日は10月10日でした。投稿期限をしっかり守っていることは大切であり、素晴らしいと思います。
内容に関してですが、ほぼ出来上がったと言われているゼミ報告の型をよく捉えていると感じました。抑えるべきことが抑えられており、すっきりしていて読みやすかった。
先生の話の部分では、「三戸ゼミ生は偉くならなければならないのは何故か?」というお話に関しては詳しく書かれていますが、他の格言(?)も挙げるのであれば一言でもこんな話だった、と書いておくといいと思います。特に今回のゼミ活動では、夏合宿の反省と、先生からのお話が主だったので、その日ゼミに参加できなかったゼミ生や、掲示板での報告を楽しみにしてくださっているOB,OGの方のためにも書くといいと思いました。
また、前期から言われていたことですが、その日の雰囲気や状況などを臨場感を持って、読み手に伝えるために、その日一番心に残ったエピソードなどを盛り込めば、さらに面白くなったのではないか、と思います。
(例えば、夏合宿の反省は誰が良かった、どんな風に良かったとか・・・)
「必要な情報を手元に記録しきれていないと報告が報告足りえない」とありましたが、今後ゼミに参加する際に、掲示板に書き込むことはしなくとも、その日の反省を自分のためにすることを考え、意識すれば、何が大切で、重要であるのか、記録も記憶もしやすくなるのではないでしょうか?
(私も初めて報告を書き込む時、同じように自分を恨みました・・・)今後も意識的に共にまなんでいきましょう!


◆「今週のゼミ報告〜後期ゼミスタート〜」投稿者:岡本君(21期)

水ノ上さん同様、投稿は10月10日でした。今後も継続していきたいところです!
内容ですが、抑える項目はよいのですが、中身があまり伝わらないような印象を受けました。ゼミ報告は自身の反省でもありますが、当日参加できなかった人が掲示板を見て学ぶ、いう側面があると思います。当日参加できなかった仲間が、掲示板のゼミ報告を読んで
「あー、先週参加できなくて、本当に残念だ。もったいない。悔しい!」
と思うような報告にするために、重複になりますが、その日、一番心に残った、あるいは学んだエピソードを盛り込むと、よりよい報告になると思います。
残念だったのが、「書かされている」という意識でした。準備や心構えの無い段階で報告をすることになり、難しかったとは思いますが、読み手がいることを考えれば、今後は控えたほうがよいと思います。
「書かされている」が「書きたい」になるためには、ゼミに参加する時の意識を変えることが必要になると思いますが、今の所、よいアドバイスが浮かびませんので宿題にさせてください。


◆書き込みを評価するにあたって
片岡君の書き込みにあったように今年度の後期から、掲示板の評価者を設けることになりました。評価するにあたり、前期のゼミにおける掲示板の評価を参考にし、どのような書き込みがよいのか、どのような書き込みが読まれるのか、内容や表現の仕方に着目し、評価、アドバイスをしました。しかしながら、私自身が明確な評価基準を未だ持っていないため、到底喜ばれる評価(易しいという意味ではなく)ができたとは思われません。
中島さんが挨拶の評価をいてくださっています。今後参考にしながら、ゼミとして如何なる評価基準を持って書き込みを評価していくのがよいか検討していきたいと思います。
仲間の振る舞いを見て、その全てを自らの問いとし、評価し、それで良ければ手本として身につける、覚えておく。評価の勉強とは正に「共に学ぶ」ことである、と思いました。

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「挨拶の評価」、有り難うございます。
No:2016 投稿者:藤井孝之(19期生) MAIL 投稿日:2008/10/13 Mon 17:49:57

中島さん、「挨拶の評価」有り難うございます。本当に嬉しいです。

左側の表にある、今村君へのコメントにこうあります。

「今村達朗さんの次回作を読んでみたい!と強く思いました。
(文芸春秋の件の謝辞を読んでこの人(又はその師匠)の文章を読んでみたい!
と思ったのは5人程度でした)」

僕はこのコメントを読んで、今村君がどんなことを書いていたか
確認しようとして、ハッとしました。

挨拶を聞いて、その人の言葉をもっと聞きたい、読みたい、ということが少ないのと同様、
評価を聞いて、その評価対象を読みたいと思わせてくれる評論が
どれだけあるだろうか、と気づきました。

中島さんの場合、その人の書いた具体的内容だけでなく、
その人と自分(中島さん)の過去のエピソードや、
その人自身の人間性にも触れていらっしゃるからなのかなと思いました。

もちろん書いている内容が素晴らしいことは前提です。
中島さんは随所に「理」と「情」について書いていらっしゃいますが、
まさにこの表こそ「理」と「情」の体現なんだと圧倒されています。
軸を定めて評価していることはもちろん、
「その人ならでは」、「心に刻む表現」というの項目は、
自分に対しては本当に嬉しいものですし、他の人に対しての評価も、
「あぁそうだよなぁ」と感じるものばかりです。
そして「心に刻む表現」という表現は、岩切さんに対するコメントでさらに腑に落ちました。

何度も読み返して、この表や文章から、
これからどんなことが発見できるかと楽しみです。

後期から現役生の板ゼミ企画として、ゼミ報告を評価するという勉強が始まります。
その意味でも中島さんの書き込みは手本にしていきたい、
手本にすべきものだと思いました。

本当に有り難うございます。

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挨拶の評価
No:2015 投稿者:中島大輔(8期生) MAIL 投稿日:2008/10/13 Mon 02:49:03

〔総評〕
今回の挨拶のコンセプトは「祝辞」という名目でありながらも
「感謝」と「決意表明」だったのではないでしょうか。
祝辞という形式にとらわれて、「おめでとうございます」と表現されたものには
少し違和感を感じます。
(ヤクルトの2001年優勝時、若松監督が優勝監督インタビューで
 「スワローズ優勝おめでとうございます」と言ったような感じの違和感)
評価の内容はの画像ファイルとして付けておりますので、
そちらをご覧ください。(多分携帯電話からは見られません)

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『十周年記念 創』 届きました!
No:2014 投稿者:太田 健一(3期生) 投稿日:2008/10/12 Sun 21:03:37

挨拶の評価に関するレポートに悪戦苦闘して遅々として進まず、やるべきことをしていない状況の中では
非常に書き辛いのですが、感動が新鮮であるうちに書き込みたいと存じます。

『十周年記念 創』が本日我が家に届きました。

案内文面でもご説明いただいているとおり、記録性とエンターテイメント性の双方に重きを置いた
ことで、この一冊は「資料」(役に立つ)であるとともに「読み物」(面白い)ともなっていると
感じます。
「記録の殿堂」に掲載されたゼミ賞・卒論賞受賞者リスト、『創』大賞受賞リストや「スピーチ大会の
成績リスト」を見ますと、自分の記憶との違いにけっこう驚きました。
やはり物事を蓄積しようと思えば「記憶」に頼ることなく、「記録」をこうした印刷物のような
「形」として残しておかなければならないですね。

十周年記念合宿についても、「実行前」と「実行後」の双方の観点からの記録が残されているのは
二十周年記念合宿を実施するうえで非常に勉強になります。意外と言っては失礼なのですが、酒を
酌み交わした状態での議事録「十周年に向けて」は何が問題とされていたのか、何をやろうとして
いたのかを理解する上で参考になります。
三戸先生から、二十周年合宿の準備を進めるうえでタイムリーに議事内容を掲示板に報告すれば
良かろうに、とご指摘を頂戴していたのですが、これを読みますと改めてそのとおりだったと
悔やまれます。

討論会提出レジュメの目次が掲載されているのも嬉しいですね。
ああそうだった、と当時の論文の内容が浮かんだりしてきます。もう少々望むならば、五行程度での
「何を問題として、何を明らかにしたかったのか」の簡潔な紹介があればより良かったかな、と
思います。会社支配論のように問題が明確である論文ならば良いのですが、たとえば「家族から
個人へ」といったテーマを見ますと、なぜこれをテーマとしたのかが目次のみではなかなか理解
できません。今後は、序章を書いた人に簡単な紹介文をお願いすると良いかも知れないですね。
今年度三戸ゼミが取り組んでいるテーマなども、何故問題とするのかを目次のみで伝えるのは
難しいように思います。

他にも、「三戸ゼミ語録」や「全選手名鑑」には腹を抱えたりしているのですが、これはまた改めて
(やるべき仕事を終えてから)楽しみに読みたいな、と思います。


この掲示板は大変便利なものですが、掲示板にしかできないことがあるように、印刷物でしか出来ない
こともあります。「資料」や「読み物」としての機能は、やはり印刷物である『創』にはかないません。
今回の『十周年記念 創』は、改めて『創』でしか出来ないこと、『創』の可能性を伝えてくれていると
感じます。

小山さん、渡辺さんをはじめとする編集委員の方々、有難うございました。
この一冊は私にとって大切な一冊となります。

巻頭に掲載された三戸先生の「ゼミの伝統 〜十周年に思う〜」に、次の一文があります。
「伝統は体現者あっての伝統であることを痛感するのである。
しかし、院生や留年生を前提としてゼミを進めていくわけにはいくまい。伝統を伝統的支配の形で残す
ことができなくなった今、いかにして三戸ゼミらしさを保っていくのか、または作っていくのか、
が課題なのである。」
そうか、先生がこの文章を書かれたのは、一期生・山岸照明さん、四期生・岩切尚弥君、六期生・松永
豊君といったゼミの伝統の体現者が次々と社会に出て行った後なのだな、と思い返しました。
先生がご指摘されている課題は、十周年のみならず、二十周年を迎えた現在での課題でもあります。
今回の『十周年記念 創』や掲示板は、この課題解決のための一つの解答になりうるものだと思います。

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「チームリーダーの役割」 〜夏合宿の反省から〜
No:2013 投稿者:片岡 憲洋(20期生) 投稿日:2008/10/12 Sun 18:22:00

水ノ上君、岡本君の「ゼミ報告」にありましたように、前回のゼミでは
「夏合宿の反省会」を行いました。
(2人の報告を読み、改めて「型」の大切さ、その機能性の高さを認識しました。)

掲示板上でも、「各企画幹事」の報告が出揃って参りました。
やはり、「各企画」の次は、「チームリーダー」としての反省をせねばなりません。
もっともっと、「夏合宿」を大切にしていきたいと思います。

さて、私は、今回の書き込みの表題を、「チームリーダーの役割」としました。
私の立場は、3つあります。

・三戸ゼミナール幹事(夏合宿幹事)
・片岡商事社長(年内の株式会社化、株式の公開も視野に入れています。)
・一ゼミ生

OB・OGの方々も、ご自身の職場で様々な立場を兼任されていることと思います。

今思うと、私の前回の夏合宿報告、そしてゼミで話した「夏合宿で学んだこと」は、
3つの立場、役割を抽象化し、「三戸ゼミ生とは何か」の視点で行ったものでした。
また、3つの立場、役割を混同して行ったものでした。

実は、夏合宿を含め、前期からのゼミを通して、「幹事」、そして「チームリーダー」の
2つの役割を同時に果たしていくことは難しいなあ、と感じておりました。
それは、体力的にとか言うものではなく、それぞれの「役割」を頭で整理できていない、
ということが原因でした。

しかし、「夏合宿」について考えるなかで、また、前回のゼミを含めてこれまでの経験を
思い起こす中で、ようやく少し整理がついてきたと思います。
今回、夏合宿の反省を元に、「チームリーダーの役割」をまとめ、
次回、「夏合宿幹事の役割」について書きたいと思います。
「三戸ゼミナール幹事の役割」は、年度末に一年の総括としてチャレンジしたいと思います。

「チームリーダーの役割」とは何か。

それは、大きく2つに分かれると思います。

1つ目に「三戸ゼミの先輩としての役割」、
2つ目に「将としての役割」です。

(1)三戸ゼミの先輩としての役割
私は、先輩として、夏合宿において、2つの大きな過ちを犯しました。

・それは、相撲の時でした。3年生以上は、「相撲は何のためにするのか」
ということが分かっているので、「本気」で望んでいました。
しかし、2年生は、「本気」の場に相応しくない言動をしていました。
チームリーダーとして、相撲部屋の親方として、それらの言動を見たときに、
叱り、正さねばなりませんでした。

・それは、3日目の午前中、「2年生のみ」で勉強の報告をする場面でした。
私のチームの2年生が、既に全体で検討し、改善点が加えられたレジュメの内容を、
「元のまま」説明しました。
本来、事前に報告内容をチェックし、合宿中に検討された改善点を共有し、
報告のみ2年生に任せる、という方法を取るべきでした。

まず、先輩として、「その場、その状況に応じて、求められる行動をする」
という「社会人として」の視点で教えねばなりません(私自身まだまだですが)。
そしてやはり、三戸ゼミナールの先輩として、「本気」、「型」ということを教えねばなりません。

ただ、「恐い先輩」が、2年生に敬遠される可能性が大きい、ということもまた事実です。
特に、2年生はまだ「入ったばかり」です。「叱るだけ」では、だめでしょう。

私自身、先輩の振舞いを見て「あのようになりたい!」と思ったように、
今度は私が先輩として、2年生にそう思わせられるよう、学び、振舞っていきたいと思います。

(2)将としての役割

・それは、夏合宿の開会式、チーム別決意表明の時でした。
私は、「今回の夏合宿、チーム総合優勝します!」と宣言しました。
(結果的には、準優勝でした。3日目夜に、歌留多名人により逆転されました。)
実は、そのように宣言しておきながら、どこか、「喉に小骨が引っかかって」いました。
それは、私の中で、「勝つこと」が、それほど重要な意味を持っていなかったからです。

その時は、「勝つこと」は、形式上大切かもしれないけど、
本質的には、「学ぶ」ということが最も重要である、と思い、「勝つこと」を「浅く」捉えていました。

・それは、ブリッジの時、4チーム(片岡商事、チェイサー、黒王、後藤藩)を、
ブリッジ用の2チームに編組みする時のことでした。
その時点で、片岡商事が1位だったので、選択権は私にありました。
そして私は、「まだ同じチームになっていないチームと」を判断基準に、選択しました。
すると、大野さんが遠くの方で、「片岡がなんでこのチームを選ぶのか全く分からない」
と言っているのが、聞こえました。
その時は、なぜ大野さんがそう言ったのか、表面的には分かりましたが、
その「大切さ」がよく分かりませんでした。しかし、今なら分かります。
「勝つ」ということにこだわれば、
「4位のチームと同じチームになり、少しでも2位、3位のチームとポイント差をつけられるように」
選択すべきでした。

「勝ちにこだわること」の大切さが分かっていなかったのは、
「学ぶ」ことと、「勝つ」ことを並列に捉えていたからです。
別の言い方をすれば、「学ぶ」ということが分かっていなかったからです。

実は、「勝ちにこだわる」、すなわち「勝負の世界」も、「学ぶ」の世界に含まれる
ものであったのです。
なぜ、それが分かったのか。それは、追い出し合宿で先生から教えていただいた、
「学ぶとは何か」ということに気づけたからです。
(大野さんの「追い出し合宿報告」も参考にさせてもらいました。)

「学ぶ」とは、「何が大切で、どのようにすればよいのかが分かる」ことである。

これまで、「学びたい」、「共に学ぶ」と言っておりましたが、「学ぶとは何か」ということを、
少しだけ「自分の言葉」として言えるようになりました。
(このことについても、稿を改めて書きたいと思います。)

そのことに気づいたとき、「勝ちにこだわる」、「勝負の世界」も、
「学ぶ」の世界の中に含まれるということが分かりました。
そして早速、「孫子の兵法」に関する本を読んでみました。すると、「ものすごい奥が深く、面白い!」
思えば、三戸ゼミでは本の交換会のテーマに、「勝負」というものがあります。
(残念ながら、後期のテーマには含まれていませんが、
河口俊彦『一局の将棋、一回の人生』(新潮文庫)も読みたいと思います。)

やはり、チーム制度を取り、ポイントを競い合い、競争するのならば、
チームリーダーとして、「勝ち」にこだわらねばなりません。それも、「学ぶ」ということです。
今回の夏合宿を振り返る中で初めて、「将としての役割」を位置づけ、意味づけることができました。
無論、メンバーの出席を確保する、という役割も含まれます。

相撲では、勝又君が個人準優勝、そして団体優勝、ソフトでも団体優勝したように、
我が片岡商事は、「体力・体格」には自信があります。
一方で、マスコットと専務の「司会」、山崎さんの「行事」、2年生の積極的な「発言」など、
豊富な人材と能力も持っています。
後期のゼミもポイント制度は持続しますので、
「勝つべくして勝つ」、「勝負の世界」も学んでいきたいと思います。
「孫子の兵法」も「知る」だけでなく、「分かりたい」です。
討論会でも、応用せねばなりません。

今回、チームリーダーの役割として、
(1)三戸ゼミの先輩としての役割、
(2)将としての役割、
の2つに分けて考え、まとめました。これから実践し、さらに深めていきたいです。
チームリーダーとして、「随所に主となる」べく、学んでいきたいと思います。

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今週のゼミ報告〜後期のゼミスタート〜
No:2012 投稿者:岡本竜太(21期生) 投稿日:2008/10/10 Fri 16:08:09

10月6日に行われたゼミの報告を致します。


1.日時 平成20年10月6日 14時50分〜21時40分

2.場所 経営学部C棟501教室

3.出席(敬称略)
  院生   日尻田さん
 片岡商事  片岡 石井 山崎 原 宮原
 チェイサー 今村 後藤 中村
 チーム黒王 大平 小泉 長濱
 後藤藩   岩城 水ノ上 高松 岡本

 合宿へ参加できなかったため、まだ全員を見ていない。
 2年生が12人もいるということには驚いた。

4.活動内容
 ★夏合宿で何を学んだのか?
 
 夏合宿を通して、各々が何を学んだのかを感想も交えて2年生から順に発表し、その後それぞれに対して評価を述べるという形で行われた。
 印象に残ったのは、多くの方が「本気」「共に学ぶ」の2つについて深く考えていたことであった。

 三戸先生からいただいたアドバイスの
 「後悔を語るだけの反省は反省ではなく、レスポンスも得難い」
 という言葉が強く印象に残った。

★夏合宿からの課題

 「経営者の役割」第7章 冒頭のパラグラフの読解

 @第一パラグラフ、組織の3要素『伝達、貢献意欲、共通目的』を考える(並列or序列、この序列は正しいか?)

 A第一パラグラフ、3要素の必要十分性の検討

 B第一パラグラフ、文中の「かような組織」とはどのような組織か?

 C第二・三・四パラグラフ、それぞれに小見出しをつける

 以上@〜Cの課題を各班2つずつ担当し、レジュメを作ることとなった。また、担当以外の課題についても鋭い突っ込みをできるようにとのこと。

 ★討論会に向けて〜テーマ検討〜

 ・バーナード組織概念の検討
 ・レファレンス、ノンレファレンスとは何か?

 来週のゼミでどちらにするか決めることとなった。

 ★第二回スピーチ大会に向けて〜テーマ決定〜

 来週 「座右の銘」
 再来週 「私の失敗談」  の2回に分けて行うこととなった。

 僕個人としては、候補として挙がった「総理大臣になったら?」や先生と小泉さんの話の中に出た「神様であったら?」というテーマは大変興味深かった。

 ★掲示板への書き込みについて
  
 ・ゼミ報告2人(2年生)
 ・ゼミ報告評価2人(3年生)
 ・ゼミ室の風景2人(3年生以上)

 今週からは、上記の形で掲示板に書き込むこととなった。
 
 なぜか初日から立候補してしまった。
 だから今書いている。
 色々情報くれた水ノ上君、ありがとうございました

5.三戸先生のお話から

 「偉い人」とはどんな人のことを言うのか、また、彼らがすべきことは何なのか?という先生の問いに答えられなかった。その答えは「挨拶(感謝・謝罪)ができる人」なのであったが、これにはなるほどと思った。
 人を動かすにはまず心を動かさなければいけなくて、そして、そのためには良い挨拶が必要であるということは言われれば分かることであるが、僕も含め気づいていない人は多いと思った。
 実際、先生もおっしゃっていたように、人の上に立つ学校の校長や政治家でさえそれができている人は少ないはずである。

 今後「挨拶」をもっと大切にしていかなければならないと感じた。

6.感想
 
 夏合宿に参加できなかったため、バーナードの理論に関する話など少しついていくのに困難な部分もあったが、チームメートである岩城さんや水ノ上くん、高松さんなどのフォローのおかげで最後までついていくとこができた。
 そのため本日最大のテーマであった「共に学ぶ」ということについて少しだけ理解し、感じることができたと思う。

 
 
 
 

Pass

今週のゼミ報告〜後期ゼミスタート〜
No:2011 投稿者:水ノ上達也(21期生) MAIL 投稿日:2008/10/10 Fri 01:33:08

10月7日に行われたゼミの報告をします。

1.日時 平成20年10月7日
14時50分〜21時40分

2.場所 経営学部C棟501ゼミ室

3.出欠状況(敬省略)

院生    :日尻田
片岡商事  :片岡、石井、山崎、原、宮原
後藤藩   :岩城、岡本、高松、水ノ上
チーム黒王 :大平、小泉、長濱
チェイサー :今村、中村、藤井


季節の変わり目だからでしょうか。体調不良での欠席が目立ちました。
二年生は12人中5人だけということで少し寂しかったです…。

4.活動内容

■夏合宿の感想、学んだこと

夏合宿で学んだことを1人ずつ発表、それに対して他の人が評価・感想を述べるという形で行いました。
多くの人が触れていたのは『本気』『共に学ぶ』というテーマでした。

三戸先生から、2年生はうまくスピーチをするためのアドバイスをいただきました。

・自信を持つべきは「自分」ではなく「準備(原稿)」である
・相手が聞きやすいように、間や内容の序列に気をつける

3、4年生はスピーチの内容についてのアドバイスをいただいていました。

・総括は立場ごとに行う。(例)個人、チームリーダー、幹事、ゼミ生
・延々論理を語っても人は聞いてくれない。言い回しを工夫する。
・後悔を語るだけの反省は反省ではないし、レスポンスも得がたい。


■夏合宿からの課題

経営者の役割7章冒頭のパラグラフの読解

・第一パラグラフ

@組織の3要素『伝達、貢献意欲、共通目的』を考える
(並列なのか、序列なのか。またこの序列で合っているのか。)

A3要素の必要十分性の検討

B文中の「かような組織」とはどのような組織か?

・第二、三、四パラグラフ

Cそれぞれに小見出しをつける


以上の@〜Cの課題を班ごとに分けて担当し次回のゼミで勉強することになりました。


■討論会に向けて〜テーマ検討〜

・バーナード組織概念の検討
・レファレンス、ノンレファレンスとは何か?

来週この2つのうちから決めることになりました。


■第二回スピーチ大会テーマ決定

来週「座右の銘」
再来週「私の失敗談」
の二回に分けて行うことになりました。

また、一回スピーチしてもまだ物足りない!という人には
『泣きの一回』もあり!?


※そのほかテーマとして挙がったのが
「私のトラウマ」
「理想の企業」
「私の故郷」
「私が総理になったら」
です。


■掲示板へのゼミ報告担当者決定

今週からは

・ゼミ報告2人(2年生)
・ゼミ報告評価2人(3年生)
・ゼミ室の風景2人(3年生以上)

の形で掲示板への書き込んでいきます。

早速ゼミ報告を担当させていただきました。
必要な情報を手元に記録しきれていないと報告が報告足りえない、
ということを今書きながら痛感しています…。

■三戸先生のお話

(T)三戸ゼミ生には偉くなってほしい、偉くなるべきだと思っている
(U)『偉い(立派な)人』が必ずしなければならないことは?


(T)は

@ゼミでつけた力を発揮するには地位が必要。また力を発揮することで地位は上がるものだから。
A偉くなれば(有能であれば)プライベート(家族)を大切にできるから。

(U)は

・下を育てる(評価する)
・責任をとる
・自律する、型を身につける
   
と共に「挨拶」「感謝」「謝罪」

@挨拶…人の心、感情に訴えかけるもの
A感謝…理想は、言った本人も言われた相手も泣くような「ありがとう」
B謝罪…これが型通りなものでしかないと、相手には伝わらず、結果として不信感にまでつながってしまう


「何故成人式が荒れるのか?
 それは偉い人の挨拶がつまらないから!」

という話には思わず納得してしまいました。


5.感想

今回初めてゼミに参加してみて先生からたくさんのお話をしていただきました。

「窮すれば通ず」
「求めよされば与えられん」
「勝つべくして勝つ」
「『勝』を確認しにいく」
「勝ちに不思議の勝ちあり
 負けに不思議の負けなし」

どこかで聞いたことはあるものの、
ちゃんと向き合って考えたことはなかったなぁというような言葉ばかり…。
自分は部活として卓球をやっているので、そこに絡めてこれらの言葉を考えていました。

自分は「勝つべくして勝つ」ための練習をできているのか?
自信を持てるだけの「準備」もしないで「自分」に自信を持とうとしてはいないか?

勉強はもちろんですが、部活のことでもゼミのみんなにうれしい報告ができたらと思っています。

風邪も流行っているようなので体調管理に気をつけて頑張っていきましょう! 

Pass

「自分に自信?〜ゼミ室の風景〜10月7日」を読んで
No:2010 投稿者:杉山(3期) 投稿日:2008/10/09 Thu 21:18:54

僕には今、管理職(課長)候補になりそうな、部下(女性です)がいます。

彼女は本当にとても優秀です。

資料を作らせても、部下の面倒を見させても、他部署との調整をお願いしても、ほとんどの場合、問題なくこなします。僕が必要なケースはあまりありません。

でも「自分」に「自信」がないのです。

僕の所属する企業では目標管理制度が導入されていて、半年に一度はかならず仕事の評価、今後について面談をします。(※普段コミュニケーションがないというわけではなく、改めて機会を設けて実施するのです。)

客観的な評価でいえば、十分昇進すべきです。そう助言し、そうなるべく仕事を任せてきました。

でも彼女は「私なんか・・」と言います。

そんな面談を先週行いました。


どうやったら「自信」と「決意」を持ってもらえるか、僕は悩んでいました。


そんな時、岩城さんの書き込みを読みました。

--以下は引用です--
「じゃあ自信をもって。自分が元々持ってるしゃべる力、用意した原稿、今あるもので勝負するしかないんだ。だからやれることをやっていたら堂々としてればいい・・・。」

「・・・自信を持つ根拠は『話す内容』にしかない。『自分』にはない。」

「自分のやるべき事の8割の準備をしてきたなら8割の自信、6割なら6割の自信、2割ならば・・・自らを恥じなければならない。」
--ここまで--

僕は彼女がなぜ自信がないのか、分析(分けて考える)したことがなかったことに気が付きました。

・彼女は自分のポテンシャル(潜在能力)で主に仕事してきたこと。
・仕事を創るということを自分でやったことはなく、任された仕事のみやってきたこと。そのため自分の仕事と胸をはれる実績がないこと。

「自信」と「決意」は自らが積み上げたものの上にしか生まれないことを僕は失念していたようです。自分でそうであったにも関わらず・・・(多くの場合、他者=お客様、同僚、上司などによる感謝が合わせて必要です。)

「これはスピーチにとどまらない、多くの物事に当てはまることだと思った。」と岩城さんが書かれていますが、僕も多くのことを考えさせられました。

ありがとうございました。




前回の恥ずかしい書き込み(No.1957)より、何か書こうと考えていましたが果たせずにおりました。

先生には「「おーい、杉山。好きに書き込んでいいんだぞ。みんなも書けや。」(No.1959より)とお言葉をいただき、何かしなくてはずっと考えていました。
書きこんだことに「後悔」はなく、書きこんだ内容に「悔い」を残しておりました。お気遣いいただきまして本当にありがとうございました。

中島さんのフォロー(No.1958)、太田の気遣いにも本当に頭がさがります。
お二人にもこの場を借りまして感謝申し上げます。


最後に・・

夏合宿の報告楽しんで読んでおります。
20周年合宿がとても楽しみです。素晴らしい書き込みをしている現役生たちに会えることを楽しみにしております。

Pass

自分に自信?〜ゼミ室の風景〜10月7日
No:2009 投稿者:岩城雅之(19期生) 投稿日:2008/10/09 Thu 09:59:26

新学期が始まって最初のゼミ、夏合宿で学んだことを皆が述べていく中、
2年生N浜君の声のトーンは自信なさげであった。

「君は自信がなさそうにしゃべるね。」先生は早速ニコニコしながらしゃべり出す。
「でも、自分の話がすごく良いとも思わないけれど悪い物とも思わない。そこそこのモノだと思っているだろう?」
N浜君は先生の話を、うんうんうなずきながら聞いている。
「じゃあ自信をもって。自分が元々持ってるしゃべる力、用意した原稿、今あるもので勝負するしかないんだ。
だからやれることをやっていたら堂々としてればいい・・・。」

先生の話から私はスヌーピーの言葉を思い出した。

ルーシー
「SOMETIMES I WONDER HOW YOU CAN STAND BEING JUST A DOG..」
(時々,あなたはどうして犬なんかでいられるのかと思うわ…)

スヌーピー
『YOU PLAY WITH THE CARDS YOU’RE DEALT..WHATEVER THAT MEANS』
(配られたカードで勝負するっきゃないのさ…それがどういう意味であれ)

(・・・・スヌーピー ピーナッツブック チャールズ・M. シュルツ著 谷川俊太郎訳より)

自分の生まれついて持ったものに疑問を抱いてもしょうがない。持っている物で何とかしていくしかないのだ。

しかし、先生の話はこれで終わらない。

「・・・自信を持つ根拠は『話す内容』にしかない。『自分』にはない。」

すなわち、人は自分に自信の根拠を持ちたがる。
何も持っていない若いときほどこの傾向は強い。
しかし『自分』というものは不確かなものであるからこれに根拠を置くのではなく、
自分のやってきた準備や用意してきたものを自信の根拠としなさい、ということである。

「自分のやるべき事の8割の準備をしてきたなら8割の自信、6割なら6割の自信、2割ならば・・・自らを恥じなければならない。」

これはスピーチにとどまらない、多くの物事に当てはまることだと思った。

Pass

後期のゼミスタート! 〜「板ゼミ」でも共に学びたい〜
No:2008 投稿者:片岡 憲洋(20期生) 投稿日:2008/10/08 Wed 02:58:14

「共に学びたい!」
そのような想いで作り上げた夏合宿から2週間、10月7日、火曜日、後期のゼミがスタートしました。

今の現役生は皆、「共に学びたい!」という想いを持ち、主体的にゼミに取り組む姿勢を持っています。
「探泥」で裏技を披露して、自滅する姿勢(?)も持っています。

しかしながら、「共に学ぶ」とはいかなることか。本当の意味で分かっていたとは言えないでしょう。
「共に学ぶ」=「一緒に学ぶ」くらいに考えていたのではないか。
それも解釈によっては正しいでしょう。しかし、私たちは三戸ゼミで「共に学ぶ」のです。

今回、先生から、「共に学ぶ」ということについてお話を頂きました。

「共に学ぶ」とは何だろう。

それは、お互いを「先生」とすることではないか。
お互いの言動を、自らの問いとして見る、聞く、考えることではないだろうか。

先生に学ぶ、ということは、真似ぶ、ということです。
「こうありたい!」という手本、理想に近づくために、真似ぶ、ということです。

手本、理想を求めていれば、自ずから、仲間の言動に対し、
「本当にそれでいいのか」、という問いを持てるはずです。
さらに、「自分だったらこう話す、書く」という答えも導き出せるでしょう。
「タモリの弔辞」を問うのも、 「理想」を求めるからです。
また、一般的な「反面教師」という言葉も使えることになるでしょう。

三戸先生の言動を真似ぶ、というのも当然、学ぶことです。最も学べます。
ただ、「共に学ぶ」とは、三戸先生だけでなく、
仲間の言動からも学ぶ、ということでしょう。

今回のゼミでは、「夏合宿の反省」を行いました。
一人ひとり、「夏合宿で学んだこと」を話した後、一人ひとりの話に対し、皆で評価をし、コメントをつけました。
これは本当に学べました。

「共に学ぶ」とは、理想を求める一方で、仲間の言動を評価し、その評価基準を元に自らの言動に
生かしていくことでしょう。

後期から、ゼミ報告でも、意識的に「共に学びたい」と思います。

方法としては、
・現行の「ゼミ報告」の担当者2名(2年生)
・新企画!「ゼミ室の光景」の担当者2名(3年生以上)
・評価の担当者2名(3年生以上)
の計6名、毎回のゼミの報告者、評価者として立てます。

2年生は、これまで蓄積してきたゼミ報告の「型」を学んでほしいと思います。

3年生以上は、自分の書くものに、「味を出す」、ということを学んでいきましょう。
60点以上、すなわち、「この人に頼んでおけば大丈夫!」というレベルのものは書けるようになりました。
しかし、80点以上、すなわち、「これは、是非この人にお願いしたい!」と言われる「書き手」にはまだなれていません。
読み手が、「是非読みたい!」と思い、「読んで良かった!」と何かに気づいてもらうために、
より良いものを「書きたい」と思い、学ぶ、ということが「良き社会人を目指す」ということでしょう。
「文芸春秋」に依頼されるのも夢じゃない。

ここまでくれば、なぜ、「評価者」を立てるのか、ということはお分かり頂けると思います。

なぜ、OB・OGの方々が、現役生の報告、書き込みを評価し、コメントをくださるのか。
現役生は分かったと思います。

後期からも、「板ゼミ」で、共に学んでいきましょう!

Pass

【夏合宿報告】三戸ゼミナール大相撲〜夏場所〜
No:2007 投稿者:山ア志帆(20期生) MAIL 投稿日:2008/10/07 Tue 12:11:53

平成20年9月24日快晴の空の下今年もこの日がやって参りました。
三戸ゼミナール大相撲〜夏場所〜

場所はお馴染みの御宿海岸特設会場

12名の新米力士を含む総勢20名の力士たちが白く輝く砂浜に集結しました。
行事を勤めましたのは私20期生の山アとこちらも新入門の21期生高松真美子
去年の雪辱を晴らすべく静かに、そして熱く闘志を燃やす者、
自分の実力を皆に見せつけようと一際気合を入れる者、
まだ夏の気配の残る海辺の風景に心奪われる者……
と会場にいた全員がそれぞれ思い思いの感情を抱きつつそのときを迎えました。


今大会のはじまりを告げたのは、行事の「発気揚揚」の掛け声……ではなく
後藤藩による「アタックチャ〜ンス!」宣言
前回の個人優勝者 大関大雪山を抱える後藤藩としては、一番の使い処と言えます。
ポイント大躍進の懸かった後藤藩と、それを阻止すべく更に闘志を燃やす他チーム。
砂浜の気温がグッと上昇したところで、いよいよ夏場所開幕です。


【団体戦】
 はじめに行われたのは団体戦。
 各チームより先鋒、次鋒、中堅、副将、大将の5名を出しての戦いです。

 〈第一試合〉
   ・後藤藩 対 ・チェイサー
    鼻血垂(水ノ上) ● (寄り倒し) ○ たんぽぽ(今村)
大雪山(大野) ○ (押し出し) ● ごたんだ(横手)
   痰壺 (岩城)  ○ (押し出し) ● うおのめ(中村)
天太郎(近本) ● (押し出し) ○ たこやき(竹田)
   大雪山(大野)  ○ (押し出し) ● こんぶ (藤井)

   大雪山が流石大関といった強さを見せつけ、3−2で後藤藩の勝利です。
   初取り組みとなった、痰壺、たこやきの両名も大健闘を見せました。


 〈第二試合〉
   ・片岡商事 対 ・黒王
にんにく(勝又) ○ (寄り倒し) ● 種小 (小泉)
玉ねぎ (小幡) ○ (押し倒し) ● 豆電球(大平)
山しょう(石井) ● (送り出し) ○ 石粒手(更科)
  がり  (宮原) ○ (押し倒し) ● 鰤大根(江島)
  函館山 (片岡) ○ (押し出し) ● 玉蒟蒻(長浜)

   片岡商事所属の21期生3人が堂々の活躍をみせ、4−1で片岡商事の勝利です。
   決勝戦ではもう一人の新人山しょうの初白星に期待です。


 〈決勝戦〉
   ・片岡商事 対 ・後藤藩
にんにく(勝又) ○ (押し出し) ● 鼻血垂(水ノ上)
玉ねぎ (小幡) ● (上手投げ) ○ 大雪山(大野)
山しょう(石井) ○ (送り出し) ● 痰壺 (岩城)
  がり  (宮原) ○ (呼び戻し) ● 天太郎(近本)
  函館山 (片岡) ● (寄り倒し) ○ 大雪山(大野)

   大将戦に於いて、前回の個人戦優勝者と準優勝者の対戦という好カードが
   発生しましたが、ここは大雪山が大関の意地を見せ大雪山の勝利。
   しかし、チームとしては片岡商事期待の新星が決勝でもその力を存分に発揮して
   3−2で片岡商事が優勝を勝ち取りました。



 ■団体戦結果■
   優勝   片岡商事(函館山・山しょう・玉ねぎ・にんにく・がり)
準優勝  後藤藩 (大雪山・天太郎・天太郎・鼻血垂)

   前評判の高い大雪山、函館山の両名(奇しくも2人とも北海道出身!)を擁する
   チームが上位を占めましたが、活躍を見せたのはこの2人だけではありません。
   経験の差がやはり有利となるのか、それとも新人たちが先輩を抑え活躍を見せるのか
   個人戦に於いての大混戦が予想される結果となりました!






【個人戦】
  団体戦の熱気が冷めやらぬまま、続いて行われたのは個人戦。
  引き続き勢いのよさを発揮したのは片岡商事の面々。
  なんと、全員が一回戦突破を果たしました。
  試合が大きく動いたのは準々決勝。
  ここで21期生にんにく(勝又)が前回準優勝の函館山(片岡)を破り準決勝進出。
  続く準決勝でも山しょう(石井)に土を付け決勝戦へコマを進めました。
  もう一方のブロックでは、準決勝でたんぽぽ(今村)が連続優勝を狙う大関大雪山(大野)を
  破って決勝戦進出。
  
  にんにくが初出場で優勝を勝ち取るのか。たんぽぽが先輩として、そしてリーダーとして
  強さを見せ付けるのか。それぞれの選手への期待が高まる決勝戦の結果は……

  

  たんぽぽ(今村)○ (一本背負い) ● にんにく(勝又)

  
  
  押しつ押されつ両者好機を狙う時間が続きましたが、にんにくが土俵に足をとられた瞬間を
  捉えて、たんぽぽがにんにくを投げ飛ばし、まさに一本勝ちを果たしました。


 ■個人戦結果■
優勝 たんぽぽ(今村)
  準優勝 にんにく(勝又)
3位 大雪山(大野)・山しょう(石井)





《総括》〜強さの裏側に〜

  今回相撲が行われたのは、合宿3日目の昼。合宿初参加の2年生も場に慣れて各々の特長を
  発揮できるようになってきたころであり、チームや全体としても、勉強・勝負の大詰めにいよいよ
  さしかかり、より一層士気が高まっている時期でもあります。
  今回の大相撲ではこの開催時間が試合結果に大きく影響しているのではないかいう印象を大きく受けました。
  丸2日間の間で各人様々な感情が渦巻きます。それは、勝利に対する意気込みであったり、自分達が合宿に
  むけて準備してきたものへの思い入れであったり、各コマを通しての喜び、悲しみ、悔しさ、そして後悔等も
  含まれていることでしょう。
  それらの感情をぶつけ、合宿での気持ちの整理を付けられる場と云う一側面を相撲は持っているのではないかと
  感じます。

  勝ちたいのならば、自分の持てる限りの力を発揮して相手にぶつかっていく。
  悔しさが残るならば、全力を出して悔いのない戦いをし、その後の挽回への景気づけをする。
  後悔をしているなら、その場と真剣に向き合い、これ以上後悔せぬように気持ちを入れなおす。


  
  『相撲は本気を出す場である』
  
 
  この意味について考え、自分のものとして取り入れることが出来るかどうかが、
  肉体的、時間的制約を越える手段としてとても大きな意味を持っているように思います。

  今回の結果、特に今村君の個人戦優勝の裏には、本気を見せることへの真剣さが隠されていたように
  感じられました。


  本気を出すということ、そして、相撲を行う意味について、この機会に今一度考えていきましょう。
  そして、次回春場所では各人本気の姿を出し、互いに学び、高めあえる場をつくりあげましょう。


  


  〜相撲と女〜
  
  「男の世界である相撲。その相撲に女である自分はどのようにして関わっていくか。」
  というのは自分が抱える大きな課題のひとつです。
  相撲をとる側でないからといって、本気が出せないわけではありません。
  行司や実行委員として、相撲と云う競技・企画に正面から向き合うことはひとつの本気の出し方です。
 “戦績”というカタチが残らない分、《背中で語り、態度で示す》ことが出来なければならないのは
  大変難しいことですが、それと同時にこの自分との戦いに楽しみを見出すことも出来ます。
  
  立ち居振る舞いも、仕切りもまだまだ未熟な私ですが、今回先生から「女でも相撲に参加出来る」という
  お言葉を頂いたことが何よりの活力となりました。
  経験も知識も浅く、「相撲と女」というテーマに関しての自分の答えは模索中でありますが、今後も
  どんどんどんどんどんどんどん知識と経験と考察を積み重ねて、形作っていきたいと思います。

Pass

2008年、夏合宿に参加して
No:2006 投稿者:日尻田 健次(大学院) 投稿日:2008/10/06 Mon 16:33:37

はじめて書き込みをします、大学院の日尻田健次です。
三戸ゼミナールとの最初の関わりは、平成15年12月「会社に何を求めるか」という討論会の司会からです。その当時の論文などは、今でも私の本棚に並んでいます。

今回大学院生として三戸ゼミナール夏合宿に参加でき、多くを得ました。
三戸先生、渡辺さん有り難うございました。
また、ゼミ生皆に暖かく迎え入れられ、共に学問が出来たことは、様々な状況に苦しむ私を救う意味で本当に楽しかったです。

今回の掲示板への書き込みは、大学院生として夏合宿に参加し、評価することが課題です。大学院生として評価基準を持たないことは非常にまずく、社会人であろうと同じだと思います。そこで今回は夏合宿のテーマであった「共に学ぶ」を評価基準とすることにしましたが、未だ感想文レベルを超えられていません。私がこのレベルを超えるためには、意識して書き、何度も読み返すことでしょう。
また、評価するのは難しいです。先日大学院のゼミで以下のような話を先生がされました。

「人を評価する(ほめる)ことは難しい」
経営者であろうが教育者であろうが、人を評価することは難しい。
・まず、何故、評価するのか?
評価することは、人を育てることであり、また、動機づけとなる。
・次に、何故、評価することが難しいのか?
@評価基準
所与(それまでの自分)の基準や自分の評価軸でないところから基準を発見することは難しい。この評価基準を発見するということは、評価される方の可能性を見つけるためである。この評価基準は人を育てるという長期、将来にかかわるものとなる。
A感情
相手の動機に合致しない評価は喜ばない。その時の感情と結びつけて評価しなければ、動機づけることができない。
(2008年10月2日(木)の大学院ゼミナールから)


平成20年三戸ゼミナール夏合宿を終えて
『夏合宿報告』と大学院生としての評価 〜「共に学ぶ」という意味を知るために〜

9月22日(月)傘が開かれた町を車窓から眺め御宿に向かう。
開会式の大平君の「平成20年度三戸ゼミナール夏合宿を始めます!」言葉に背筋が伸び、初日がスタートしました。

1.勉強編
●片岡君[No.1995]と今村君[No.2002]の夏合宿報告を中心に
「勉強の成果が少ない」と「勉強の成果はあった」、そして、他のゼミ生は如何に?

片岡君と今村君の「夏合宿報告」を読み、反する見解が提示されています。
今回は4つの班に別れ、バーナードの『経営者の役割』から@個人、A協動体系、B組織、そして、C@〜Bの関係性をレジュメにまとめ、その報告がされました。

まず、片岡君が所属する片岡商事は、人間仮説の理解を目的とした報告を行い、以下の結論を導き出します。
片岡商事のレジュメより「バーナードの人間仮説というのは、人間の人間たる所為である選択力、自由意思を、見方、概念、理論によって論じるものである。それは協働を選択する場合のみにおいて、人間は人格的発展を遂げる、と述べるバーナードの信念の現われであろう。」そして、「『協働体系』『組織』との関係において、人間仮説の理解を深めていきたい」、と課題を出し、レジュメの報告を終える。
以上のように個人編のみでは、バーナードの人間仮説を理解することを不十分であると考え、そこで片岡君は、協働体系や組織の報告の中で人間仮説を位置づけようと試みたのでしょう。結果的に「恊働体系」と「組織」のレジュメから人間仮説を理解することができず、このことから「成果が少ない」と自らに厳しい評価を与えたのでしょう。
⇒片岡君「分かる=答え」を得ることを成果とする。

次に、勉強幹事である今村君は、夏合宿の勉強を後期へのゼミの課題、または、討論会への基礎とするバーナード理解を狙いとすることを目的としています。そして、「勉強の成果」の中で「分かっていたつもりのことが分かっていなかった、疑問点を洗い出すことができたことは十分な成果であった」と述べ、「個人の地位・概念とはいかなるものか」等、13もの議題を提示しています。
⇒今村君「分からないということが分かる」という課題を見つけたことを成果とする。

片岡君の夏合宿の報告を受け、今村君の報告は「共に学ぶ」ということが如何に重要なのかを提示するものでした。まず、各チームの報告がなければ、このような評価をすることが出来なかったでしょう。次に、お互いのレジュメを通じて問題を知り、理解し、気付こうとする試みは、テーマの「共に学ぶ」をと結び付けるものでした。
以上、彼らの勉強報告に対する自身の反省から、勉強を通じて得ようとすること、また、勉強を通じて見つけ出すことを評価基準としていることがわかりました。これはこの掲示板に書くことにより、彼らの相違いが見いだせ、共に学ぶことが出来るものでした。

●以上、勉強に関する報告と夏合宿から、以下のような点を評価とし、結びとします。
・夏合宿のテーマである「共に学ぶ」と言う点から、もう一度あの勉強の場を皆で思い出すべきでしょう。
各チームの片岡商事、後藤藩、チェイサー、黒王のレジュメからポイント(minimum)を押さえ、そして、後期への課題となる質問をいくつも出しました。また、その時々で勉強における評価点を見て、気付ける点はないでしょうか。
「何故評価が高い(有効な)質問なのか、また、何故、レジュメのポイントに差異が生じているのか」
「先生や渡辺さんは、どのような評価とコメントをされたのか」
「自身の、または他のチームのレジュメ・質問をどのように評価したか」
後期も個人からチームで、また、ゼミ全体で、学びましょう!

・ゼミナール夏合宿のしおり総合幹事挨拶から「本気で勉強しよう!」は感じられた。
前期で質量ともに力をつけた結果が以下のような準備を可能としたのでしょう。各班のレジュメには説明と解釈を与えた非常に質が高く、また8ページ以上にも及ぶ量にも圧倒されました(黒王の飯野春樹著『バーナードの経営者の役割』の報告など)。これら各班のレジュメから夏合宿に向けた本気さが伝わります。

2.企画編
●片岡君[No.1995]、藤井君[No.1997]、そして、石井君[No.2000]の夏合宿報告から
合宿2日目から勉強以外の企画もスタート。
9月23日(火)
・午後3時の日差し、ソフトボールがプレイボール!
9月24日(水)
・黒王のレジュメ検討に力が、波の騒めきの中土俵入りの遅れ(涙)
・夜企画、「ランキングクイズと一致クイズ」
 司会のコンビ名は?『専務とマスコット』
・時は22時37分。「赤壁と五丈原」から「長安、夷陵」へ続く歌留多決戦!
 疑問あり!「何故、夷陵か。三国ならば、樊城?」
 決戦、1時間半。江島君と先生の「刑州」攻防戦と「ギシサイ」

●難問だが、「共に学ぶ」とソフトボール、相撲、夜企画、歌留多を行う中で「『楽しい』だけでは意味がない!」を結び、「如何に意味付与するか」を評価基準に。

各報告から企画への意味
・「制度を問い直し、再び構築するレベルへ」
(片岡君の報告より)
・「発見された課題から改善に向けて」
(藤井君の報告より)
・「チームで協力、競争するなかで、ゼミ生全員でゼミをつくる意識付け。」
・「2年生に『三戸ゼミ生の一員になったんだ』と思ってもらう。」
・「参加者にどうなって欲しい、という意識。」
(石井君の報告より)

単純であるが、まず、共通して「問題・課題」から「問い」に変換すること、それから、次に、「解くために」、もしくは「改善するために」は一人ですべきなのか。夏合宿が終わり、共通テーマの「共に学ぶ」も失ってしまうのはもったいない。

2年生が「三戸ゼミ生になる」ために、まずは、「お客様」から「お得意様」へ。
夏合宿はその意識変化を見ることができました。それは勉強、企画等を通じてみせた3年生の姿勢、4年生の見守り、背中で語る5年生がそうさせたのだと思います。

3.夏合宿から
夏合宿から多くの問いが生まれています。初日のチーム挨拶から片岡商事に問われた「成果主義」、また、「何故、三戸ゼミ生はトップ(経営者)にならなければならないのか」等々。問いを立て、考え、解く。「共に学ぶ」ためにすべきことは、どのように「共」を、そして、どのように「学ぶか」を理解することであろう。後期へ向けて私は「単に一緒に勉強する」レベルを脱し、「共に学ぶ」レベルに達したいです。

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三戸ゼミ掲示板の存続を祝して
No:2005 投稿者:渡辺英二 投稿日:2008/10/05 Sun 08:50:15

長らくゼミで学んできて、強く実感することがある。それは(ゼミに限ったことではないが)ものごとは人によって担われているということである。
 三戸ゼミ掲示板で言えば
・ゼミの掲示板を起ち上げてくれた吉永さん
・数多の書き込んでくれた面々
・数多の読み手
・管理者の役割を果たしてくれた佐々木君、大野君、藤井君
・移管作業を一手に引き受けてくれた太田君
・節目節目で課題や方向性を示して頂いた三戸先生

 誰が欠けても今のような掲示板にはなっていないだろう。
この場を借りて感謝したい。

担ってくれる人を欠いた時、どんなに素晴らしい企画や伝統も
衰退したり消失してしまう。
ひとつ例を示そう。
 三戸ゼミの「消えた掲示板」のことを覚えている人は
どれぐらいるだろうか?
 吉永さんが起ち上げてくれたこの掲示板は、実は二代目の
掲示板である。吉永さんが現役生だったころ三戸ゼミのHPがあり(それも吉永さんが創ったものだが)、掲示板も併設されていた。おそらく、半年ぐらいは続いたと思うが、夏休みのある日
久しぶりに覗いてみてたら消失していた。
(レンタル掲示板の仕様で一ヶ月書き込みがないと削除
されてしまうものだった)
 今回のように、ログが保存されたり、どこかに移転されたり
といったこともないまま、突然消えてしまったので、
どんな書き込みがなされていたのか、どんな掲示板だったか
(例えば背景の色はグレーだったかとか)もはや全く覚えて
いない。覚えているのはかつて掲示板があったことと、
それが夏休みのある日、人知れず消えてしまったということ
だけである。
 その時の吉永さんの悔いが今の掲示板に引き継がれた
「どんどんどんどんどんどんどん書き込んでね」のメッセージ
になっているのだと私は解釈している。
 
今この掲示板は7年目を迎え、始まった当初からは
想像もつかないほど変容し成長してきた。
この貴重な場が損なわれることなく継続したことを
大いに喜び感謝したい。有り難う。

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三戸ゼミ掲示板の存続を祝して−「人」と「場」(Ver.1.2)
No:2004 投稿者:渡辺英二 投稿日:2008/10/03 Fri 18:30:16

1.「人」が担う
 長らくゼミで学んできて、強く実感することがある。
それは(ゼミに限ったことではないが)ものごとは
人によって担われているということである。
 三戸ゼミ掲示板で言えば
・ゼミの掲示板を起ち上げてくれた吉永さん
・数多の書き込んでくれた面々
・数多の読み手
・管理者の役割を果たしてくれた佐々木君、大野君、藤井君
・移管作業を一手に引き受けてくれた太田君
・節目節目で課題や方向性を示して頂いた三戸先生

 誰が欠けても今のような掲示板にはなっていないだろう。
この場を借りて感謝したい。
担ってくれる人を欠いた時、どんなに素晴らしい企画や伝統も
衰退したり消失してしまう。

 三戸ゼミの「消えた掲示板」のことを覚えている人は
どれだけいるだろうか?
 吉永さんが起ち上げてくれたこの掲示板は、実は二代目の
掲示板である。吉永さんが現役生だったころ三戸ゼミのHPがあり(それも吉永さんが創ったものだが)、掲示板も併設されていた。
おそらく、半年ぐらいは続いたと思うが、夏休みのある日久しぶりに覗いてみてたら消失していた。
(レンタル掲示板の仕様で一ヶ月書き込みがないと削除されてしまうものだった)
 その時の吉永さんの悔いが今の掲示板に引き継がれた「どんどんどんどんどんどんどん書き込んでね」のメッセージになっているのだと私は解釈している。

「場」としての掲示板−『創』との比較

 ゼミ活動の記録、ゼミ生の書くトレーニングのため、広い意味でゼミ関係者のコミュニケーションの「場」として今のゼミ掲示板と『創』は共通した役割を持っている。『創』との比較を通して「場」としての掲示板を考えてみたいと思う。
・時間をかけて形成され成長する
・やる気と能力のある人がいるだけでは「場」は生まれない
・編集長の有無

*未完のままですが、原稿が書き直しを経て変化していく見本としてアップさせてもらいます。

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三戸ゼミ掲示板の存続を祝して(Ver.1)
No:2003 投稿者:渡辺英二 投稿日:2008/10/02 Thu 19:02:55

 長らくゼミで学んできて、強く実感することがある。(ゼミに限ったことではないが)ものごとは人によって担われているということである。
 三戸ゼミ掲示板で言えば
・ゼミの掲示板も起ち上げてくれた吉永さん
・数多の書き込んでくれた方々
・数多の読み手
・管理者の役割を果たしてくれた佐々木君、大野君、藤井君
・移管作業を一手に引き受けてくれた太田君
・節目節目で課題や方向性を示して頂いた三戸先生

 誰が欠けても今のような掲示板にはなっていないだろう。
担ってくれる人を欠いた時、どんなに素晴らしい企画や伝統も衰退したり消失してしまう。
 三戸ゼミの「消えた掲示板」のことを覚えている人はどれだけ
いるだろうか?吉永さんが起ち上げてくれたこの掲示板は実は二代目の掲示板である。吉永さんが現役生だったころ三戸ゼミのHPがあり(それも吉永さんが創ったものだが)、掲示板も併設されてた。
半年ぐらいは続いたと思うが、夏休みのある日久しぶりに覗いてみてたら消失していた。(レンタル掲示板の仕様で一ヶ月書き込みがないと削除されてしまうものだった)
 その時の吉永さんの悔いが今の掲示板に引き継がれた「どんどんどんどんどんどんどん書き込んでね」のメッセージになっているのだと私は解釈している。

 今この掲示板は7年目を迎え、始まった当初からは想像もつかないほど変容し成長してきた。この貴重な場が損なわれることなく継続したことを喜び感謝したい。有り難う。



 

 

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【夏合宿報告】 勉強編 〜バーナード理解〜
No:2002 投稿者:今村達朗(20期生) MAIL 投稿日:2008/10/01 Wed 17:21:37

今年度夏合宿、今村、大平の二人体制で勉強幹事を担当しました。
勉強の司会進行を務めた立場から、今合宿の勉強について報告いたします。



■内容 「バーナード理論の理解」

・昨年度学んだ三戸公『現代の学としての経営学』第一章「経営学の転生を求めて」の理解、そして
・前期に学んできた組織の境界についての勉強を通じ、三戸公のバーナード理解の妥当性や、境界要
・因としてのバーナード理論の有効性などの検討から、バーナード理論の理解を必要とされた。

・今までは手段としてのバーナード理解であったが、今回は目的としてのバーナード理解を目指す。

・これまでは主に『現代の学』や『官僚制』など、三戸公のバーナード理解を中心としていたが、今

・回は原典『経営者の役割』の理解を目的とし、多論者のバーナード理解を参考としながら進める。


■狙い 「後期へのつながり」

今合宿の狙いは、前期に議論してきた境界問題にいったんの区切りをつけ、新たに後期の勉強、そし
て討論会への基礎となるべく、バーナード理論を理解することであった。

前期、今後の勉強の方向性として候補に挙がっていたのが以下の三点である。

@バーナード理解
Aバーナード理解と中條組織論の検討
B境界問題結論

以上三点、いずれの検討においても組織論としてのバーナード理論の理解は必須である。


■方法

バーナード『経営者の役割』を個人編、協働体系編、組織編、管理編の4部門に分け、管理編を除いた
3部門について、

個人編:片岡商事
協働体系編:後藤藩
組織編:チェイサー
3者関係:黒王

がそれぞれ担当し、レジュメにまとめてきた。

全体の流れとして、
@レジュメの報告
A各部門における最低限必要な項目の確認(二年生を中心として行われた)
B各部門における疑問点の洗い出し

以上が今回合宿で行われ、実際の議論については後期に回すこととし、最後のコマに先生から論文の読
み方についてご講義いただいた。


■今回学んだこと

今回、勉強に関して先生から教えていただいたことをまとめる。

○質問は相手が答えられるように

質問をする際、自分がどのような意図で質問しているのかを相手に示し、その意図に沿った返答をもら
えるような質問をしなければならない。
・理解ができない場合・・どの部分が、なぜ理解できないのかをできる限り明確にし、その意図を相手
に伝える。
・自分の主張が異なる場合・・自分はどのような理由でどう考えるかを主張し、相手がなぜ異なった主
張をしているのかを質問する。
質問者は常に自分の質問の意図を明確に意識し、その意図に沿った返答をもらえるような質問の仕方を
取らなければならない。
また、回答者も質問の意図を汲み取った返答の仕方を取るよう心がける。

○自分の主張に優先順位を付ける

主張が複数ある場合、それらを整理し、優先順位をつけ、最低限必要なものを主張する。こうすること
で、自分が何を一番言いたかったのかを確認でき、相手にも伝わりやすい。
またお互いがこのような形を取れば、それぞれの主張の比較検討も容易である。

○論文の理解

論文を読む目的は当然論文の理解にあり、論文を理解するとは、意味付与を行う、すなわち解釈するこ
とである。
「組織成立の3要素は伝達、意欲、目的である」これはバーナードの主張であり、
組織成立の3要素とはどういうことであろうか、と意味付与することが解釈である。
ここで重要なことは、自分の理解をアウトプットする際に、
論文(例えばバーナード)の主張と、解説書における解説者(例えば三戸公)の解釈と、自分たちの解
釈をきちんと分別することである。
自分の解釈、多論者の解釈をバーナードの主張のように扱っては誤解を招いてしまうし、他者の解釈を
自分の解釈のように主張すれば、盗作と受け取られてしまう。

○「韋編三絶」「読書百遍にして義自ずから現る」

論文を2,3回読み流したくらいで、自分たちの解釈が云々と主張しても、滑稽であるし議論が深まるわ
けもない。論文を理解する一番の手段はやはり10回でも20回でも30回でも読み返すことである。元
となる原典に何が書いてあるかを知り、初めて他者の解説を参考として有効性が得られるであろう。


■全体総括

○勉強の成果

片岡が報告第一弾で、勉強の成果が少ないと指摘していたが、僕は必ずしもそうは思わなかった。
確かに、議論を深めてこれが分かった!という結果は得られなかったが、分かっていたつもりのことが
分かっていなかった、疑問点を洗い出すことができたことは十分な成果であったと思う。
今回あがった議題を列挙すると、

「個人の地位・概念とはいかなるものか」
「個人の地位における物的、生物的、社会的要素の関係、図式化」
「物的、生物的、社会的要素と人間の特性との関係」
「人間の特性をなぜ選択力といえるか」
「人格的扱いとはどのようなものか」
「経済人仮説と全人仮説の比較における個人の地位と人間の特性の有無、関係」
「個人と協働体系との関連」
「なぜバーナードは協働体系の概念を持ち出したか」
「協働体系における物的、生物的、個人的、社会的要素及びそれらのシステムの関係、構造」
「特に生物的要素と個人的要素の違い、内容」
「組織、純粋組織、公式組織、非公式組織、複合公式組織、単位組織これら概念の違い、具体抽象関係」
「協働体系と、そのサブシステムとしての組織との関係」
「協働体系に内在するサブシステムとしての組織と、純粋組織との関係」

これら議題については、後期から各班でしっかりと準備をした上で理解を深め、討論会への武器として
いきたい。

○二年生に期待

今回、前期からゼミに参加する二年生が少なかったにもかかわらず、全体的に勉強に対する意欲が高か
った。朝方まで自主的に勉強する姿や、議論中も班の先輩に質問したり、先輩の本を奪い取って読みふ
ける光景が目に付いた。
新人賞をとった水ノ上、期待賞をとった竹田の二人をはじめ、その他にも候補者が多数いることから、
今後二年生の活躍に期待しつつ、先輩としての振る舞いが問われる立場に身が引き締まる思いである。

○勉強の進め方について

今合宿、それなりに成果が得られたとはいえ、やはり議論を深められなかったことは問題として検討せ
ねばならない。その理由のひとつとして、勉強の進め方も検討すべきである。

一つに、去年の転生の議論、前期の境界問題の検討では、各学者の組織観や、組織の境界要因などの概
念を検討するものであったのに対し、今回は純粋に論文の理解を目的としていた。
勉強の内容が大きく違うのに対し、勉強の進行を今までと同様に進めようとしていたことが、問題点と
して挙げられるだろう。

二点目は人数の問題。バーナードも、単位組織において伝達可能な人数に限界があるといっている。
20人以上のゼミ生が同時に同じ内容を共有して進めるのは困難であろう。途中先生からご提案いただい
たように、定期的に班で確認する時間をとるなどの措置が、今後勉強を進めていく上で必要となるだろう。


■司会者の立場から

今回、勉強の司会を任せていただいた立場から、反省点、気づいた点をあげる。

◇司会をするにあたって意識していた点
・全体の流れ、状況を常に把握する
・それぞれ発言の意図、複数の主張の場合は差異性に注目する
・時間管理
・ポイントシステム管理

◇司会を終えてすべきであったと感じた点
・勉強コマにおける最終的なゴールをイメージし、導く
・今、何をすべきであり何をしているのかを把握し、全体で共有する
・今行っていること、次に行おうとしていることなど、頻繁に確認をとる


【考察】

○司会を通して

今回の勉強において、全体で議論を深めることができなかったことは、やはり司会者の責任による部分
が大きかったであろう。上にあげた、司会者としてすべきであった項目のうち、自分ができたことはせ
いぜいその場その場の状況を把握することぐらいであろう。しかし、いくらその場の状況を読んでいて
も、その状況をしかるべき方向に導かなければまったく意味がないことに、あとになって気づいた。自
分が把握しなければならなかったこと、それはその勉強のコマの結論、ゴールを見定め、そのために今
全体で何をすべきかを判断し、導かなければならなかった。
さらに、議論における発言、質問に対し、その発言者の意図を全体で共有させることができなかった。
発言者の意図を汲み、言葉を変えたり三行にまとめて全体で共有する、対立する意見があれば、その差
異に注目し、論点としてあげていれば、もっと議論を深めることができたであろう。
以上が司会者としてすべきことであったが、実際は自分には役者不足な内容である。であるならば、先
生、先輩方に相談、確認を行い、アドバイスを仰ぎ進めるべきであった。そのような行いができなかっ
たことが自身の一番の反省点である。

○時間管理に関して

今回、勉強の議論とは別の点で強く感じたのは時間管理の難しさである。初日、時間管理を優先し、議
論をぶつぶつと分断しながら進めたため、結果的に内容がまったくない無駄な時間を浪費することとな
った。やはり議論の内容は大切にしなければならないし、しかし当然時間には限りがある。まさに有効
性と能率の関係であろう。これらのバランスを計ることも司会者としての重要な役割だと感じた。

○過ちを過ちとせず

最後になったが、今回自分は重大な過ちをおかしていた。
二年生が主体となり、二手に分かれて議論を行っていた際、上級生がうまく導くことができなかったた
めに、彼らの議論を有効なものにすることができなかった。そこで、先生からこのような議論には点数
を付けることはできない、と指摘していただいたにも関わらず、司会者であった自分は独断でその議論
に点数を与えてしまった。自分の意図としては、二年生の発表に何とか評価を与えようとしての判断で
あったが、この行動が意味することを深く考えていなかった。
このとき自分がしたことは、自分たちのせいで二年生の発表を生かすことができず、そのことを先生か
ら忠告していただき、自分たちが二年生に対してすまなく、反省せねばならないのに、得点を加えるこ
とでその忠告を無視していることに気づいていなかった。
また、そのような行動をとった後も、先生に相談することもなく、何もなかったこととしようとしてい
た。
振り返れば、この件だけでなく、全体的に勉強を有効に進行できていないにもかかわらず、先生方に相
談もせずに進めようとしていた。自分の愚かさと、先生、ゼミに対する申し訳なさで、合宿の後半はま
ともな判断ができない状況であった。
能力がないのだから、うまく司会ができなくても仕方がない、とっさの判断を誤ることもあるだろう。
しかし、過ちをおかしたあと、それを過ちとしなかった自分の態度が、すべての過ちであった。
三戸ゼミには先生がいる、偉大な先輩方、そして仲間がいる。自分ひとりでは何もできないのだから、
相談し、アドバイスをもらい、そして「共に学ぶ」べきであった。
今回の合宿を自分の大いなる戒めとしたい。

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祝辞(ver.2.1)−「三戸ゼミ掲示板」の存続を祝して−
No:2001 投稿者:佐々木 真光(16期) 投稿日:2008/10/01 Wed 01:05:21

駆け込みになってしまいましたが、太田さんが呼びかけて下さった「祝辞」の改訂版を書き込みます。
思えば、前回は「書け」と言われたから書いたというのが大きかったかな、
と、悔しく思います。
自分でも満足のいく出来ではありません。
せっかくのチャンスをそれで終わらせてはもったいないので、ぜひチャレンジさせて下さい。

また、片岡君のゼミレポートをはじめ、応えたい書き込みがたくさんあります。
先生からいただいている「種」も、いただきっぱなしのものがいくつもあります。
ありながら応えることができていない自分の責任能力の低さを情けなく思いますが、
まずは期限ある方から失礼いたします。
ただ、先生が仰っしゃるとおり、応答は鮮度が命ですので、まずは一言だけで失礼させてもらい、
また後日書き込みたいと思います。

藤井君へ

合宿の実況中継、どうも有難うございます。
参加しながらの中継はこちらが想像するよりずっと大変だったことでしょう。
それにしても、最終日は牛丼、というのがお約束だった気がしますが、まさかカツ丼とは…。

片岡君へ

素早い合宿レポート、どうも有難うございます。
岩切さんも書かれていますが、レポートのレベルの高さに感動しました。これは少なくとも
過去の三年生の中では最高の出来ではないでしょうか。
力をつけましたね!
こちらもただ感動するだけではなく、負けずに良い返信をしたいので、
ちょっと待っていて下さい。

玉里さんへ

安部さんとのエピソードを伺い、羨ましく思いました。
玉里さんからは、毎年の追い出し合宿で「良い祝辞」を送っていただいております。
実は、三戸ゼミにおける「祝辞」の第一人者は玉里さんだと思っています。
掲示板での書き込みも、ずっと楽しみにしておりました。

では、私の「祝辞」です。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

「三戸ゼミナール掲示板の存続、おめでとうございます。」

このようなお祝いの言葉を言うとき、先生ならばすぐに次のように問われるだろうと想像できます。

「なぜ、掲示板の存続がおめでたいんだろうか?」

「誰にとって、おめでたいんだろうか?」

「本当に、心からおめでたいと思っているのか?」

そして、この問いを考えることは、まずは自分が次のように問われていることなのだと気付かされます。
すなわち、

「自分にとって三戸ゼミ掲示板は必要なのか?」

と。

私は、入ゼミからOBとなった現在までの全ての書き込みが残っています。
また、太田さんによると書き込みの回数も文字数も一位になります。
そこで、自分にとっての三戸ゼミ掲示板の意味を考えながら、
現役生と卒業生という「学ぶ者」の立場にとって、なぜ、掲示板が必要なのかについて語り、
それをもって掲示板存続への祝辞といたします。

振り返ってみれば、過去の私の書き込みをみると一目瞭然なのですが、
私が現役生の頃の書き込みのレベルは、現在の現役生たちに比べると、
形も内容もまだまだだと思わざるをえません。
掲示板に向かっている姿勢も違います。
当時書き込みをしていた意識としては、書くトレーニングというより、
単純に卒業生の方々とコミュニケーションをとり、「三戸ゼミらしさ」を知りたい、
というような思いの方が強かった気がいたします。
そのせいか、はじめは書き込みが一人よがりなものになりがちで、
思うようにレスポンスがもらず、「何で?」と思ってばかりでした。
それが、先生からアドバイスをいただいたり、岩切さんや中島さんなどから返信をいただいたり、
他の人たちの書き込みを読んでいくにつれて、自分の考え方、書き込みの何が悪いのかに少しずつ
思いが至るようになり、掲示板という場や読み手を意識することができるようになっていきました。

そのような意味では、結果的に書くトレーニングになっていたにせよ、
文章そのもののトレーニングというよりは、書くときに必要な視点を
培うトレーニングとして大きな効果がありました。
それは、自分よりレベルの高い先輩が書き込みをしてくれており、それを読むことで学べること、
そのような先輩からのレスポンス(ノーレスという応えを含めて)を通じて学べることという、
三戸ゼミ掲示板ならではの特性があるからだと思います。
ですから、現役生が学ぶという観点では、卒業生が書き込まない掲示板はあまり意味がありません。
卒業生は現役生と比較して、先生からより長く、より多く学んできています。
つまり、卒業生から学ぶとは、先生から学ぶことに他なりません。
現役生にとっては、公式なゼミの時間が週に一回しかないなかにおいて、
力をつけようと思うならばかけがえのない場なのです。
少なくとも、私はその恩恵を誰よりも享受して参りました。
掲示板がなくては、私は今よりずっと力がついていなかったと確信できます。

一方で、OBになってからは、上記に加えて、掲示板に別の意味も見いだせるようになりました。
それは、どうしようと強くなっていく自分の中の企業の視点とは
異なる視点を持ち続け、さらに磨いていくことができる場である、ということです。
ちょっと前までは信じられないことですが、現代は企業を取り巻く
社会という環境が企業の維持発展を左右するようになっています。
この時代に、一企業人、一仕事人として、企業の観点からしか物事を考えることができなければ、
どうしていざというとき企業を救うことができる人間になれるのでしょうか。
「良き社会人」たることが、「良き会社人」でもあるような時代になってきたとも言えるでしょう。

三戸ゼミは「良き社会人」たるべく学んでいく場であり、三戸ゼミ掲示板もまたその大きな一部です。
「良き社会人」は家庭や友人、自分の暮らす地域や国を大切にせねばならないように、
自分の勤める企業、社会生活を支えている企業を守り、発展させることができる力を持たねばなりません。
そのためにも、三戸ゼミ掲示板を読み、参加し続けることは自分にとって必要なのです。

玉里さんが、安部さんが先生のお話を今のお仕事に活かされている、
と紹介されていますが、まさに三戸ゼミ掲示板は自分が学んだことを確認し、
日々の処理に追われて足元に向きがちな視点を、高く、遠くへ軌道修正してくれる場なのだと思います。

もちろん、「学ぶ場」であると同時に、皆さんが書かれているように、共に学んだ仲間と再開し、
同じ先生から学んだというだけで、顔を見たことが無くとも通じ会えるというような、
「帰ってくる場」でもあります。
だからこそ、いつもは読んでいるだけの方や、ふとゼミを思い出してやってくる方も
書き込みをして下さるのでしょう。
そのような書き込みを読むことほど嬉しいことはありません。
それを読みたくて、だから三戸ゼミ掲示板が続いてほしくて、書き込みを続けているような気もいたします。

この三戸ゼミ掲示板は、現役生、卒業生という区別なく、ゼミ生全員にとって、
「学ぶ場」として、「帰ってくる場」として必要なのです。
吉永さんが立ち上げられ、ここまでに成長した三戸ゼミ掲示板を、
太田さんは誰よりも必要とされ、大切にされました。
だからこそ、過去ログや外観まで移管して下さったのだと思います。
あらためまして、太田さん、どうも有難うございました。
この感謝の思いは、掲示板に書き込んでいくことで応えて参ります。

私たち三戸ゼミ生皆にとって、三戸ゼミ掲示板が存続できたことを心から祝福いたします。

「三戸ゼミナール掲示板の存続、おめでとうございます。」

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2008年度 三戸ゼミナール夏合宿の報告 〜夜企画編〜
No:2000 投稿者:石井 宏通(20期) MAIL 投稿日:2008/09/29 Mon 23:21:20

今年度、夏合宿の夜企画幹事は私石井宏通が担当させていただきました。
「楽しかった」、「盛り上がった」だけでは意味が無い!
企画をただやるのと、その意味を知ってやるのでは学ぶものが違う。
三戸ゼミの夏合宿で夜企画をするのは何故か?
記録という観点を押さえながら振り返ります。

【2008年度 三戸ゼミナール 夜企画】
◆日時: 9月24日(3日目) 夕食後
◆参加者・チーム: 
片岡商事: 三戸先生、片岡憲洋、山崎志帆、小幡翔太、勝又友大、宮原毅
       チェイサー: 日尻田健次さん、藤井孝之、今村達朗、中村貴治、竹田俊亮、横手拓磨
       後藤藩: 渡辺英二さん、大野裕喜、近本啓明、岩城雅之、高松真美子、水ノ上達也
       黒王: 小泉篤史、大平将之、江島孝充、更科悠太、長浜将
※3日目までの合宿ポイント上位チームから、三戸先生、渡辺英二さん、日尻田健次さんに自チームに参加してもらう権利を得るシステムをとりました。
※大野裕喜さんは黒王所属ですが、合宿中は助っ人として後藤藩で参加しました。
※原裕喜、石井宏通は司会者として参加しました。

◆ねらい:新歓から夏合宿に向け、チーム毎培った団結を確認し、企画を通しより強い団結を目指  す。チーム対抗で行うことにより、チーム同士の競争、協力の中でゼミ一体となり、ゼミを作っていく意識づけをする。
      特に2年生に対し「三戸ゼミに入った」、「自分も一緒にやっているんだ」と意識を持ってもらう。

◆内容: @ランキングクイズ A一致クイズ
●ランキングクイズ
・お題は 『食べたい夜食〜コンビニ商品編〜  第1位〜第16位』で1分程、チームで相談する時間をとり、ポイント上位チームから順に回答していただきました。
・16位中明らかに回答が困難なものはあらかじめ開示(11位、インスタント雑炊、他3つを開示)、回答した商品がランクインした場合に獲得できるポイントも開示しました。
・ちなみに1位:おにぎり(5pt)、2位:中華まん(―20pt)、3位:おでん(5pt)でした。
※goo調べによる。
※()は正解時に獲得できるポイント

【見解】
・学年にとらわれることなく、チームで協力して、回答を出す姿が見受けられた。
・あらかじめ獲得できるポイントを開示したことにより、スリルであったり、緊張感といったものを逆に削いでしまった。

●一致クイズ
・1チーム5人選出し、出題される問題に対し、それぞれの答えを一致させる。一つの問題に対し、全チームが回答をする。
・「ジブリ作品といえば何?」、「男の子の子供の頃の夢といえば何?」等を出題。また、得点差を見ながらスペシャル問題として「ヒーロー戦隊なら自分は赤、青、緑、黄、黒のうち何色?(一人でもかぶったら不正解)」や「次期ゼミ幹事は誰?」を出題しました。
・通常問題は一致した人数×1pt、スペシャル問題は正解すれば10pt獲得としました。

【見解】
・司会と出題者を一緒に行っていたため、全体の動きの把握が正確にできず、また迅速な対応が出来ず、進行をスムーズに行うことが出来なかった。
・出題する問題の、それ自体の面白さや回答のイメージしやすさが参加意欲に影響することが考えられる。

◆結果: 優勝 黒王、罰ゲーム チェイサー
・罰ゲームは「笑っていいとも」などでおなじみせんぶり茶を用意しました。司会者も味見をしましたが、リアクションが出来る代物ではございませんでした。

◆総括  〜夜企画、楽しさのむこうに〜
企画終了後、「楽しかった」、「面白かった」という言葉を特に2年生から聞くことが出来た。忘年会や、お楽しみ会ならばそれでいいのだ。
しかし、夜企画幹事として三戸ゼミの夏合宿の夜企画としてやるからには、これだけでは満足できない。そもそも、今回の夜企画のねらいは何であったか。
チームで協力、競争するなかで、ゼミ生全員でゼミをつくる意識付け。2年生に「三戸ゼミの一員になったんだ」と思ってもらう。この2点のねらいは確かにあった。しかし、具体的に企画を通して、また企画が終わった後に、参加者にどうなって欲しい、という意識がなかった。
企画後先生にこんな言葉をかけていただいた。
「企画をするならば、その意味を考えなければならない。企画が終わった後に、人にどの様に変わって欲しいのか。その様に人が変われば、その企画は成功と言えるのではないだろうか。」と。
企画を立てる段階でも、司会者として参加している間も、どのような問題を出題するか、どの様な形式にすれば盛り上がるのかにばかり意識がいき、そもそも何のために夜企画をするのか、夜企画を通して自分が、ゼミがどうなって欲しいのか、意識していなかった。
一般のお楽しみ会で通用するところまでは成功であるならば、今後は三戸ゼミの夜企画で行う由縁を意識し、三戸ゼミ夏合宿の夜企画の一つの形を作っていきたいと思います。

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玉里君ありがとう+α
No:1999 投稿者:三戸 浩 投稿日:2008/09/29 Mon 16:39:35

 玉里君、中国で安倍君と会った話、嬉しく読ませてもらったよ。ありがとう。
 
 卒業生達の現況を聞くことの嬉しさは、私と同じ立場にならないとおそらくわからないだろうなぁ。

 しかも、君たち二人の会話はまさに、
  学而時習之 不亦説乎
  有朋自遠方来 不亦楽乎
を味わっていることなのだから、その感激(が大げさなら、楽しさ)がこちらにも伝わってくるよ。

 玉里君よ、やっとデビューしたなあ…。

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 9/2の書込の後始末以外は書かない、と言っておきながら、つい気持ちを伝えたくて、書いてしまった。直接、玉里君、安倍君にメールで伝えるべきだったかもしれないが、おそらくこちらの方が二人とも嬉しくはないか、また掲示板に訪れる人たちも何か書込がある方がよかろうと思い、甘えさせてもらった。
 伝えたいこと、関連して言いたいことが、他にもあるのだが、やはり(卒業生への指示・教示は)自粛せねばなるまい。
 
 以下の書込は、玉里君の書込とは直接関係がないので申し訳なく。また違う相手に伝えることを一緒に書くのは失礼であり、形も悪く掲示板にも済まないことはわかっている。稿を改めて書き込むべきか、と悩んだが、書込を2度することの方を避けさせてもらった。果たして適切か?申し訳ない。

【夏合宿に関連して〜現役生へのメッセージ〜】
@ゼミ生の諸君、良い合宿だったぞ。
 (合宿の反省会での)流れから誉めてやれなかったことが、帰宅後ずうっと引っかかっていた。合宿で学んだこと(何を学んだかを確認しようとし、確認できたことだけが「学べていること」)を後期のゼミで活かして欲しい。
(合宿に関しては、他にもいろいろ言いたいこと、言わねばならぬこともあるが、ゼミの時間に話そう。)

A藤井君、合宿中の実況中継、よくやってくれた。
 欲を言うなら、クイズの解答は締め切り後出来るだけ早く(直後に)、解答だけでいいから書く。帰宅後、「ご参加有り難うございました」と言って、解説・感想を書けばよかったなぁ…。
 また、「歌留多報告」をすぐ書き込んだことも高く評価したい。

 片岡君、早速の「合宿報告」よくできている。
 報告書は「内容」が大事なのは言うまでもないが、コミュニケーションなのだから、タイミングが大事だ。終了後直ぐ、というのがいいね。自分の思い・感動が残っているうちに書く。これは「(卒業生達に)伝えたい、聞いてもらいたい」という思いの発露だ。
 何日も経ち、合宿とは別の生活空間でしばらく過ごしてしまったら、合宿に参加し、学び・感じた喜び・悔しさ、様々な思いは薄れてしまう。「伝えたい」という思いに突き動かされたメッセージの方が内容が良くなるのは当たり前だね。
 「詠み手=卒業生」も「ああ、今合宿をやっているのか…」、「終わったなぁ、どうだったろう?」と思っている内に伝えるのと、そうでないのを比べたら…?(「昼食メニュー・クイズ」を出しているのだから…)。

 但し、片岡君がゼミ幹であり、浩友会・20周年委員会に出たということが、「伝えたい」という気持ちを他のゼミ生より強く持ち得たのだろう、と推測することも出来る。他のゼミ生はその「ハンディ」をどう補うかを考え・工夫しないと、片岡君に差を付けられるばかりであろう。

 ひとが自分がしないこと、できないことをしていたら、「なぜ出来るのだ?」という問を持つこと。分析すれば、自分も「同じ(類似・近似)」条件に立つことが出来よう。
 ひとのした「過ち」を、自分がしないようにもできるはずだ。

B藤井君、片岡君。二人の報告は合格点をもらえよう。だが、「学ぶ」なら、一言。
 「伝える」だけならこのままで、十分。「(より)良い文章」を書けるようになりたいなら、「読み直して、推敲」をしてみてごらん。「書き直しが一番」。

C守内さん、合宿に参加できなくて残念だったなぁ。ゼミとチームにとり本当に残念だったが、君は残念で、本当に悔しくもあったと思う。
 「念」が「残った」から、ニュー日の丸へゼミーと手紙を送ってくれたのだなぁ…。あなたが、ゼミの一員(朋)である証だね。
 
D「済みません」と「残念です」
 参加できない時、世間では百人が百人とも(と言ってもいいぐらい)「すみません、申し訳ありません」と言う(きちんと謝るなら「すみません」であり、「すいません」は軽い。(*)すみません→すいません→すんません(→すんまそん)
 ゼミ生がそう言う度に、私は「『残念です』ではないのかね?」と言ってきたのを、どれだけの人が「ああ、そうだなぁ…」と思ってくれているだろうか?

 「すみません」ということなら、相手が「いいよ、かまわないよ」と許してくれれば、「終わり」だ。出席できない・できなかったことが、相手が許せば「終わり」ということは、「相手・ひとのために」出席するということだろう。「自分のため」なら、「残念です、悔しいです」じゃないのか?

 こういうことを言うと、多くは「屁理屈」と思い「煩い」と思うことはわかっているつもりだ。
 勿論、社会では一般的に「すみません」であることは知っているし、ということは「すみません」と言わねばならぬこと、も知っている。そして、なぜ「すみません」という表現になっているのか、も日本社会の構造から考えて納得しているつもりだ。

 参加しなかったら、例え何の役職・仕事もなくて他者に迷惑をかけていなくとも、参加者が「いないなぁ」と思い「寂しい・つまらない」と感じれば、その人々の「気持ちが波立ち、澄まなくなる」。また幹事・ホストの手間・思いに応えられなかったことになる。だから「澄みません」は言わねばならない。だが、それだけでは参加者・ホストに「好感を持たれなくなったこと」の取り返しでしかないではないか。それは当然必要だが、それだけでいいのか?第一、「済みません」というのは、「謝って済むことではございませんが…」ということのはずだ。
 多くの人は「すみません」というのは、「そういうものだ」と形通りにしているだけでなく、「そう言うが故に」と言ってもいいだろう、「自分のために」参加するのだ、ということを気づかない・忘れているのではないか?
 相手・ひとの為に「すみません」と言った後に、(自分の為に)「残念です」を付けたらいいのではないか。その姿勢なくしては、参加できなかったチャンスを取り返すことはできないのではないか。勿論、「無理に参加しなくてもいい」と思うなら「残念です」は当然不要だろう。
(夏合宿は自分が学ぶために参加するものなのに、当然ながらゼミもだが、「自分のため」と思っているものがどれだけいるか。そう思うようになれたものが、ゼミに残り、そう思えないものは辞めていく。辞めぬまでも、卒業後に新たな縁を結ぼうとはしない。)

E「すみません」と「恥ずかしい」
 ついでに、もう一つの「すみません」についても言っておこう。
 失敗した時の「すみません」である。失言でまたもや大臣が辞職した。
こういう時の謝罪の言葉はいつもこれだ。
「(関係者の方々に)ご迷惑をおかけし、申し訳ありません」
多くの人の生命・財産を脅かすわけではないが、大臣の失言は支持者達をはじめ関係者に迷惑をかけている(麻生首相もため息だろう)。

 だが、食品表示偽装の場合は、特定の誰かが直接的被害を受けたわけではない。そのような時は、こうだ。
「(世間を)お騒がせして、すみません」
日本社会では、不適切な言動により世間(現代ではマス・コミ)を「騒がせた」ら、
「澄みません」と言わねばならぬ。例え、悪いと思っていなくとも…。

 だが、「悪いこと」を言ってなくても、失言や関係者に迷惑をかけるのは、「自分が至らない」からであり、「恥ずかしい」ことではないのか。
「良い−悪い」と共に「美しい−醜い・見苦しい」がある。人の上に立つものが、日本代表・監督などのように人々から期待されているものが、「見事」に、「立派に」振る舞えなければ、期待に添えなければ、「恥ずかしい」ではないのか。
「すみません」に続いて「恥ずかしい」といって欲しいなぁ…。
(*)「不徳の至り」という言葉、そして「すみません」と「申し訳ありません」の問題もあるが、DEも書くべきではなかったと思う。今回はここまでにしておきたい。

Pass

「新』掲示板への祝辞
No:1998 投稿者:六期生 玉里 義和 投稿日:2008/09/29 Mon 02:18:01

三戸先生、三戸ゼミの皆様、お元気でしょうか。
お久しぶりです、三戸ゼミ六期生 玉里です。
いまさらながら恥ずかしいのですが、はじめて書き込みをさせていただきます。

まずは大変遅くなりましたが、掲示板の移設、おめでとうございます。
太田さんには移設に大変ご尽力いただいたようで、感謝するとともに
ゼミ生のときから健在のパワーには敬服いたします。

私は、仕事で月1回、約一週間ぐらい中国の上海か江蘇省無錫に出張しています。
先月(8月)に中島君の作ってくれたゼミ名簿を頼りに
無錫で五期生の安部さんに会うことができました(中島君ありがとう)。
安部さんが卒業されて以来、顔を直接あわせたのは初めてで、本当にうれしく、
さらに安部さんは総経理(=社長)の立場で赴任されていて、その出世っぷりにびっくりしてしまいました。

私が中国に8月二週間いた間に二回一緒に食事をさせていただきましたが、
その中で特に印象に残った話を紹介いたします。

安部さんは総経理として中国人を含めた社員に話をしなければいけない立場であり、
その話の内容には、現役だったとき三戸先生が我々に伝えてくれたことを思い出し
それを多分に参考にしている、ということです。
そして「いい話をしたい」という欲求が強いからこそ、「タモリの弔辞」を
三戸先生が掲示板で挙げられたことに、すごく感心をされていました。

「いい話するなあ」から一歩踏み出し≪自分もあのような話しをしたい≫、
そして自分の中に取り込むにはどうすればいいんだ、ということから、先生から提案していただいた
「小見出しをつけてみる」や人との関係でどのような話ができるかが決まってくるのだから
文芸春秋9月号の特集を読んで参考にしてみる、ということになるのだ、というのが
そのときの結論でした(まずは早速日本に帰って文芸春秋買いました)。

久しぶりに会ったゼミOBと掲示板を通してすぐに話題が生まれ、
現役のとき以上に、ともに学んでいるのだ、と共感させてくれるのが
この掲示板のすごさだと思います。

なかなか読むだけとなってしまいますが、今後も掲示板より学ばせていただきたいと思っております。
そして、いい掲示板が続くには、書き込みが必要なのも知っております。

二十周年記念合宿で三戸先生、皆さんに会える日を楽しみにしております。

Pass

夏合宿報告 三戸ゼミ歌留多〜20周年へ向けて
No:1997 投稿者:19期 藤井孝之 投稿日:2008/09/28 Sun 20:30:29

夏合宿に行った、三戸ゼミ歌留多の報告を致します。

1、結果報告
チーム優勝     後藤藩
チーム準優勝    片岡商事

 三戸ゼミ歌留多名人 大野裕喜
個人戦第二位    藤井孝之
個人戦第三位    片岡憲洋

個人戦上位では、やはり歴代のゼミ幹事が勢揃いしました。

2、エピソード
・2年生長濱君の活躍!
2年生で唯一、長濱君が上級戦へ進出した。
その中でも、臆せず堂々の活躍を見せ、渡辺さんをして「それだけでも十分新人賞」と言わしめた。
余談だが、なぜか渡辺さんが、長濱くんの札を2戦とも取れたのかは謎である。

・大野さん一挙3枚取り!
大野さんは、1回戦40枚、2回戦で25枚と圧倒的な存在感を見せ歌留多名人となった。
その中でも、ひとつの唄で3枚が対応している「したい」、「すべき」、「できる」という札があるのだが、
それらを両手を駆使して、一度に3枚を取ったことはその場にいたもの皆を圧倒させた。
しかも、そこは実力者ひしめく上級グループである!
この「大野3枚取り」はこれから三戸ゼミ歌留多を語る上で語り草になるであろう。
 
・(番外編)歌留多終了後の三国志トーク
今回ふたつの山で同時進行ということで、区別のための名前が
山A、山Bというのでは面白くないと思い、三国志の戦場名を用いた。
用いたのは、1回戦目が「赤壁」、「五丈原」。2回戦目が「長安」(上級グループ)、「夷陵」。
このおかげか、この日の終了後、スピーチ大会で三国史を語り新人賞を獲得した江島君と
先生、院生方との間で1時間半にも渡る三国志トークが繰り広げられたそうだ。
来るか、三戸ゼミ三国志ブーム!

3、20周年に向けての課題

夏合宿での三戸ゼミ歌留多は、20周年で行う試験的な意味合いもありましたので、
発見された課題を報告いたします。

@ルールの確認

まずどのようなルールで行ったのかを簡単に説明いたします。
(1)歌留多は2回戦行い、2回戦目は、成績優秀者を集めた上級グループをひと山つくる。
(2)2回戦合計の取った枚数によって、チームの勝利を決める。
以上は、既に合宿委員側で確定していたルールです。
曖昧だった点を以下のように定めました。
(3)上級者グループの札は×3で換算
  (数倍することは決まっていましたが、具体的には決まっていませんでした)
(4)「役」ルール。花札やポーカーのような「役」を作り、得点に加えました。
 詳しくは、別項「B役について」をご覧ください。


A時間について
2回戦行ったのですが、1回戦が35分、2戦目が20分、
  集計時間が各5分ほどかかりました。
今回は歌留多の山を二つ用意したところの所要時間です。。
実際、20周年のときは、4つの山ができますので、
  集計の時間短縮のため、人員にもう少し余裕をとった方がいいということと、
  集計用紙にも改善点がいくつか発見されましたので、今後検討していきたいと思います。

B役について
20周年合宿のための会合では、役を作るということは考えていませんでしたが、
今回の夏合宿で試験的に試してみました。
役を成立させると、歌留多でのチーム勝敗には関わらず、
そのまま合宿ポイントに加算というシステムでした。
それぞれの山で平均3つほど役が成立していたので、数としてはねらい通りだったかなといったところです。

今回は役を9つ用意しました。いくつか紹介します。
役名、三戸ゼミ三大スポーツ
・ソフトボール
・相撲
・岡沢ボウル(ボウリングという札はなかったんですね)
役名、三戸ゼミ飯処
・ガスト
・上海飯店
役名、いい日、日の丸
・日の丸ご主人
・御宿ニュー日の丸

作った役は暫定版として、歌留多掲示板に記載いたします。
先生からも役の案として「同期役」(同期の札を、半分など一定数取ったら役成立)
を作ったらよいのでは、という案をいただきました。
歌留多掲示板にて、役についての議論もできたら面白そうですね。


以上で、夏合宿三戸ゼミ歌留多の報告を終わります。
OB・OGの皆さんと、20周年合宿で歌留多で戦えること、楽しみにしています!

Pass

(新)掲示板の門出に
No:1996 投稿者:岩切 尚弥(4期生) 投稿日:2008/09/27 Sat 08:53:01

新掲示板が立ち上がって、ひと月が経過しようとしています。
遅くなりましたが、そのめでたい門出に言を付す機会を与えて頂きましたので、その「好機」を活かさせて頂きたいと思い筆をとりました。

前回の書き込みNo.1994「ここで学んで生きたいと思いました」の書き直しではありますが、若干、性格が異なる文章となるということと、また、太田さんの「修正に関するご提案」に甘えさせて頂き、新たに書き込みをさせて頂こうと思う所存であります。


(新)掲示板の門出に

この掲示板の有り難いこと、それは「いつでも学べる」ということです。
そして、三戸先生の下で学んだものであるならば、現役生・卒業生を問わず、誰でも学べるということです。

それを端的に現している書き込みがあります。
No.438「返信、ありがとうございました」(匿名希望で願いました)

どこの、どなたかもわかりません。

しかし、(おそらく)外部の方から見て、「この掲示板は、この三戸ゼミナールは学んでいるなあ、学べているなあ」と言わしめた書き込みではなかったかと思います。

外部の方から見て、「学んでいるなあ」と思わせる掲示板というのは、稀有であり、貴重であり、有り難いものだと思います。

掲示板は、立ち上げ当初から、徐々にその性格を変えていきました。
そして、福冨君の命名「板ゼミ」を得、真に「学ぶ場」となりました。

いまや、現役生のゼミナール活動の中核になりつつあります。
20期生片岡君のNo.1995「2008年度 三戸ゼミナール夏合宿のご報告 第一弾」を読めば一目瞭然でしょう。

太田さんなら、すぐに「私や岩切君が3年生のときに、こんな文章がかけただろうか」と、仰ることでしょう。
ですから、先にお応えしておくと、「実際、私には、こんな文章書けなかったと思います。」
構成力とコメント力、私たちが在籍していた当時の過去のゼミ生では到底考えられなかった書き込みだと思います。

では、この書き込みは片岡君自身の力量だけによるものでしょうか。
それも、もちろんあるでしょう。
しかし、それは、この掲示板で報告を書く、書き続ける、どのようにして書いていけばいいのか試行錯誤された、いろいろ書き直しもした、、、、という、これまでのゼミ報告の集積に他ならないでしょう。

過去の書き込みを見れば、「ああ、こういうことを先輩達は注意されたのか」「こうやって書いたらわかりにくいなあ」「こうやって修正してきたのか」ということがわかります。

いまのゼミ生の書き込みの力は過去からの蓄積であり、集積の上に立っているのです。連綿と学んでいるから故に、力がついているのではないでしょうか。


この掲示板を辿っていけば、いまは卒業していないはずの先輩達に会い、学んでいた当時に行って学ぶことができるのです。
こんなゼミがあるのでしょうか。通常は、大学のゼミの先輩後輩というのは、前後2年程度の交わりです。

でも、この掲示板がある限り、過去の当時の先輩達に会え、学べ、さらには、実際のその先輩がいまどう考えているのかすらも得られるのですから。

想像してみてください。
あと10年経って入ったゼミ生が、「ああ、20期生の片岡さんは、こうやって学んだんだ」と学べることを。
そして、その彼が、「当時、片岡さんはどういうことを心がけていましたか?」と質問してくるところを。

いまの書き込みが、過去の三戸ゼミと繋がり、未来の三戸ゼミに繋がるのです。

インターネットに繋がれば空間を超えられる。
過去の掲示を読めば時間すら超えられる。
時間と空間を超えて学べる掲示板、そして、三戸ゼミナール。
その素晴らしさ、その雄大さを支えるのが、この三戸ゼミナール掲示板ではないでしょうか。

その掲示板が、運営会社側による閉鎖という存亡の危機を乗り越えて、過去の内容も、見た目までもそのままに継続できたこと、本当におめでとうございます。
ご尽力いただいた太田さんに感謝したいと思います。

おかげさまで、過去の三戸ゼミナールと、未来の三戸ゼミナールが連なることができました。ありがとうございます。

これからも、ずっとともに学んでいきましょう。

Pass

2008年度 三戸ゼミナール夏合宿のご報告 第一弾
No:1995 投稿者:片岡 憲洋(20期生) 投稿日:2008/09/27 Sat 00:20:55

「良い合宿だった!」、だけれども「悔しい!」、夏合宿を終えた今、そのような
心境であります。

まずは、夏合宿幹事である私が、「第一報」として、今回の夏合宿を振り返り、反省し、
皆様にご報告をする次第であります。

2008年度三戸ゼミナール夏合宿のテーマは、「共に学ぶ」です。
開会式の冒頭、「合宿幹事挨拶」にて、三戸先生、渡辺さん、日尻田さん、先輩、同期、
新しく入った2年生と、「共に学び、共に成長しよう!」と伝えました。
夏合宿を終えた今、「できた」という自信はあります。
しかしそれは、今後のゼミ活動において「したい、すべきであることを達成すること」
を含めてのことです。
3年生が、勉強幹事、相撲幹事、夜企画幹事として、主体的に取り組んだこと、
2年生が、閉会式の刮目で、「勉強は難しい、3泊4日大変だったけれど、これから頑張りたい!」
と言ったことなど、それぞれが、学び、成長できたと信じています。
夏合宿で学んだこと、反省を、今後のゼミを通して、「本物」にしていきましょう。

さて、まずは記録という側面も交えながら、夏合宿を振り返りたいと思います。

【2008年度 三戸ゼミナール夏合宿】
◆日時 2008年 9月22日(月)〜9月25日(木)
◆場所 御宿ニュー日の丸
※今年も、ご主人を始め、日の丸の方々にお世話になりました。「三戸ゼミの木」も、
15〜20個の実を、再び実らせていました。20周年記念合宿の際は、収穫できるかも
しれません。
◆参加者
   三戸先生
   渡辺英二さん(2期生)、日尻田健次さん(大学院生) 
 18期生:大野裕喜、近本啓明
 19期生:岩城雅之、小泉篤史、原裕貴、藤井孝之
 20期生:石井宏通、今村達朗、大平将之、片岡憲洋、中村貴治、山崎志帆
 21期生:江島孝充、小幡翔太、勝又友大、更科悠太、高松真美子、竹田俊亮
      長浜将、水ノ上達也、宮原毅、横手拓磨
                         以上、25名
◆内容
@勉強「バーナード理論の理解」
A相撲
Bソフトボール
C三戸ゼミ歌留多
D夜企画「ランキングクイズ・一致クイズ」
E三戸ゼミ参考書プロジェクト 〜相撲、ソフトボール、スピーチ、ベッティング〜

◆制度
○チーム制度
・前期のゼミと同様に、片岡商事、チェイサー、黒王、後藤藩の4チームに分かれ、
勉強、各企画でポイントを競い合いました。
○ポイントシステム
・勉強、各企画にポイントを設け、4チームで競い合いました。

◆表彰
○総合部門
・チーム総合優勝:後藤藩
・チーム総合準優勝:片岡商事
・MVP:大野裕喜(候補者:石井、今村、片岡、近本、水ノ上、山崎)
・刮目賞:山崎志帆(候補者:石井、今村、岩城、大野、片岡、小泉、高松、
         近本、原、水ノ上)
・新人賞:水ノ上達也(候補者:勝又、更科、竹田、長浜、宮原)
・期待賞:竹田俊亮(候補者:石井、今村、江島、勝又、小泉、更科、近本、
長浜、原、水ノ上、宮原)
○企画部門
〔相撲〕
・優勝:今村達朗
・準優勝:勝又友大
〔ソフトボール〕
・優勝:片岡商事
・準優勝:黒王、後藤藩
〔三戸ゼミ歌留多〕
・チーム優勝:後藤藩
・チーム準優勝:片岡商事
・歌留多名人:大野裕喜

さて、勉強を含め、各企画についての反省、またチームリーダーとしての反省は、
各人に任せたいと思いますが、全体の観点から、特筆すべき反省を書きたいと思います。

●勉強の成果があまりない!
今回、各チームのレジュメにおいて、「テーマ」の共有ができていませんでした。
前期において、「組織の境界問題」を勉強しましたが、夏合宿の勉強のテーマは、
「バーナード理論の理解」でした。しかしながら、各チームのレジュメの「テーマ」が、
組織の境界問題の検討を目的とし、バーナード理論の理解が手段になっているもの、
また、バーナード理論の理解が目的のもの、など、全体において「テーマ」の共有が
なされていませんでした。その結果、勉強において、「これが明らかになかった!」、
「これが分かった!」というような成果は特にありませんでした。
各チーム、膨大なエネルギーをかけて、「量」の側面では十分なレジュメを書いてきましたが、
「質」の側面では、まだまだでした。これは、私の責任が大です。三戸先生と再三再四、
勉強の「テーマ」について相談、確認をし、チームリーダーと共有すべきでした。
初歩的でありながら、根本的な過ちであり、レジュメ書きの中心になった人たちに、
申し訳ないです。レジュメ書きにかけた膨大なエネルギーを、活かす方法を、
今後考えねばなりません。「テーマ」の共有をしっかりと行っていきたいです。
また、そうなってしまった原因として、「論文の読み方、レジュメの書き方」が
自分たちのものになっていなかったこともあると考えます。

●制度を問い直す
閉会式において、三戸先生から、「人と制度」というお話を頂きました。
今の三戸ゼミは、「制度」がある程度出来上がっている。その制度に対し、意欲を持ち、
エネルギーを注げるゼミ生がいる。しかしながら、制度を問い直す意識がまだまだではないか、
という意味だと私は考えました。
確かに、開会式、閉会式、チーム制度、ポイントシステム、また、MVP、刮目賞、新人賞、
期待賞、などの評価システムは、できあがっています。合宿当日における模造紙、
配布資料等の準備物もしっかりと用意することができました。
その点、合宿当日は、予定された内容を円滑に進めることができました。
これは、良い成果であったと考えます。
しかしながら、「なぜ、その制度で行うのか」という意識がまだまだ足りないと思います。
なぜ、開会式、閉会式を行うのか、なぜ、チーム制度を採るのか、
なぜ、MVP、刮目賞などの評価項目があるのか、という意識を持ち、
合宿を作り上げるべきでした。
特にMVPは、合宿準備の中心となり、またチームリーダーであった3年生が
獲得してしかるべきものでありました。我々3年生は、なぜチーム制度を採るのか、
すなわち、チームリーダーとしていかに振舞うべきか、という意識が足りなかったと思います。
今のゼミ生は、「制度に従う」ことはできるけども、「制度を問い直し、再び構築する」
レベルまでは到達していないと考えます。
私は今回の合宿において、幹事として、「円滑に合宿を進める」ことはできました。
しかし、チームリーダーとして、チームを優勝に導き、また「MVP」を獲得するために、
すなわち、「自分の成長のために」、振舞うことはできませんでした。
チームリーダーとして、3年生として、「自分を大切に」しませんでした。
本当に、本当に、悔しいです。夏合宿にかけたエネルギーを生かすために、
これからさらに学び、自分を生かしていきたいと思います。
また、個人表彰の「MVP」、「刮目賞」に対し、改めて意味を付与し、
共有ができていませんでした。
良き社会人は、「制度に従う」人間ではないはずです。常に問題意識を持ち、
その制度で良いのか、なぜその制度なのかを問い直し、主体的、意識的に
行動できる人間であると思います。
この点に関して、これからのゼミ活動において、私だけではなく、
3年生の課題であると思います。

●責任は、義務ではなく、信頼と結びつく
今回の夏合宿において、各企画の幹事を3年生に割り振りました。
「権限は委譲できるが、責任は委譲できない」ということが言われます。
夏合宿に関する責任は、幹事である私にあります。私はその責任において、
各企画の幹事を3年生に割り振りました。それぞれが、自らの権限をある程度
達成できたと思います。ただ、それは、「義務感」から出来たのではないか、
とも思ってしまいます。(相撲幹事ある山崎さんは、「自分のために」責任を全うしてくれました)
私は、それぞれの権限には、それぞれの責任があると思います。
すなわち、権限と責任は一致すると考えます。特に良き社会人になりたいと思う
三戸ゼミ生には、その意識が必要だと考えます。「責任−義務」ではなく、
「責任−信頼」と結びついたときに始めて、「自分を大切にすること」が出来ると思います。
「自分を大切にする」ために、自らに課された権限と責任を意識して、
自分の成長のために、準則を克服していくことが求められると思います。
課された仕事を「義務」と感じたとたんに、それは、「楽しいもの」ではなく、
「信頼」にもつながらず、「成長」も出来ないと思います。
先生から頂いた課題に対し、ただエネルギーをかけて、それをこなしただけでは、
「成長」になりません。その課題にこめられた、「意図」と「意味」を問い直し、
「自分の成長」のために、取り組んでいくことが、今の私の課題であり、また3年生の課題
であると考えます。
常に、「責任はどこにあるのか」と考え、「制度を問い直し」、自らの成長のために、
厳しいことを「楽しいこと」につなげていきたいと思います。

●良き先輩とはなにか
良き先輩とは、「頼りになる先輩・優しい先輩・恐い先輩」と言われます。
今回の夏合宿の相撲において、2年生に、「相撲の場」に相応しくない振る舞いを
させてしまいました。我々三年生は、その振る舞いに対し、注意をしませんでした。
チームリーダーの責任として、相撲は「はしゃぐ」ためにするのではない、
「本気」ということに気づくためにするのだ、ということを教えるべきでした。
2年生が、「相撲は何のためにするのか」ということが分からない、知らないのは
当たり前であり、本当に恥ずかしいです。
頼りになる、優しい、だけでなく、「叱ることの出来る、注意することの出来る」
先輩になることが、私の、また3年生の課題であると思います。
そのためには、ただ注意をするだけでは、2年生は離れていってしまいます。
「あぁ、あのような振る舞いが出来る人間になりたいなぁ」と思わせなければなりません。
良き先輩になるべく、さらに学び、振舞っていきたいと思います。

●20周年合宿に向けて
11月22日、23日に三戸ゼミナール20周年記念合宿を行います。
今回の夏合宿は、そのための「試行」の意味も持ちました。企画に関しては、
「三戸ゼミ歌留多」を行いました。さらに、インターネットを用いた実況中継も行いました。
詳しくは、藤井さんの報告に任せたいと思います。

「準備にエネルギーを注ぎ、良い合宿を作り上げることができたし、楽しかった!」
「でも、まだまだ学ぶべきこと、学びたいことがある」
「合宿当日の振る舞いに関して、本当に悔しい!!」夏合宿でした。

良き社会人となることを目指し、夏合宿の反省、また学んだことを、
これから一つでも多く、「本物」にしていきたいと思います。

以上で、夏合宿に関するご報告の第一弾を終えたいと思います。

尚、これからの報告は、10月1日までを目処に行う所存です。
宜しくお願い申し上げます。

「みんなの報告、反省、楽しみにしています!共に学びましょう!」

Pass

ここで学んで生きたいと思いました
No:1994 投稿者:岩切 尚弥(4期生) 投稿日:2008/09/26 Fri 23:44:05

三戸先生、メールを頂戴し、また、書き込みを頂戴し、有難うございました。

二つの書き込みを消してしまいましたが、私はここでまだまだ学びたい、学ばなければならないという思いを新たにいたしました。

私はこの掲示板に、たくさんの書き込みをしてまいりました。
192件、さらに太田さんの集計のよれば、10万字以上の書き込みをしてまいりました。

書き込みをせねばせねば、と思ってまいりましたが、先日の先生の書き込みと頂戴したメールで、はたと気付かされました。

私は、ここに書いてきたが、果たして学べていたのか?と。

確かに多くのことを書いてきましたが、学ぶ姿勢があったのだろうか?
いろいろ意識して書いてきたものの、それで学べていたのか?
書くには書いていたが、書きっぱなし。
他の投稿をしっかり読んでいたのか?

そのことに気付かされました。


「まだまだ学びが足りない」のではなく、根本的に「全く学べていない」自分を見つけました。

学びのための掲示板「板ゼミ」とは学ぶ場であるが故に、この掲示板のレベルが上がっていくことは、むしろ喜ばしいことなのだという、極めて当たり前のことですら見落としてました。


この掲示板の凄みは、中島君が書いていたように「世界中のどこにいても、インターネットにさえ繋がるなら、この掲示板に辿りつける」ということであり、太田さんの書き込みにあるように「三戸先生から学んだ者がいつでも帰れる場所」ということでしょう。

他者を豊かにする書き込みをする、相手の心を動かす書き込みができる、それはすなわち、自らと相手との関係を豊かにする書き込み。

自らとは、他者との関係性の中でしか存在しないのですから、他者との関係を豊かにできなければ、学ぶ意味がない。


私は学べておりませんでした。

その不知を知るに至り、いま、この場で改めて学びたいと決意いたしました。

不知を知る、これ真の知るなり

私はやっとスタート地点に立てた気がいたします。

太田さんや中島君、真光君らの書き込みを読み、それを糧に学んで生きたいと思います。

三戸先生、有難うございました。やっと私は、少しだけ学べた気がいたします。ずいぶん年月がかかりました。
先生のおっしゃるとおり、先生とは心打ち明けて話をしたことがありません。
頂いたメールの返信にも書きましたが、私はいつも何かの「立場」を作って、そこに立って話をしてまいりました。
「対象に謙虚たれ」と先生に教えていただきましたが、対象を突き放すことはあっても、謙虚さは欠けておりました。他者の心を慮ることを欠いたために、いままでずいぶんと人を傷つけたり、他者との関係を乏しくしたりしてきました。


この掲示板があって、本当に有り難いと思いました。

ここがなければ、私は卒業して11年、そのことに気がつきませんでした。
ここがなければ、私は6年半のゼミ生活を一生に生かしていくことができなかったでしょう。

この掲示板を立ち上げてくれた吉永さんと、この掲示板を守ってくださった太田さんに改めて感謝と御礼を申し上げたいと思います。

有難うございました。

私はここで学びます。

Pass

お待たせしました、クイズの答えです
No:1993 投稿者:19期 藤井 投稿日:2008/09/26 Fri 12:48:14

日の丸クイズにご参加いただきありがとうございました。

二日目の昼食は何かというクイズでしたが、正解は、

A牛丼です!



中島さん
まさかいわしの蒲焼丼と予想されるとは。
でも錦糸卵と蒲焼きのいわし、美味しそうですね。
思わずよだれが出てきました。
さすがは食の名人です!

太田さん
現在は初日の昼食は日の丸でいただくのではなく、
東京駅で駅弁を買って食べています。
そこで先生から駅弁についてのお話をお聞きするのが、ちょっとした楽しみだったりします。

真光さん
残念でした!
少々深読みしすぎましたね。

小林さん
お見事!
素晴らしい読みでした。

池田さん
残念ながら今回の合宿ではピラフでませんでした。
かわりに最終日の昼食でカツ丼が出てきました。
大野さんも初めて見たそうで、
先生や渡辺さんも2、3回あるかどうかというレアメニューに出会えました。


ちなみに御宿の砂浜の件ですが、渡辺さんいわく、
去年と比べて、目に見える浸食はないそうです。
むしろ相撲を行うあたりの砂浜がいつもは少し斜めに勾配していたのに
、今回は不思議と平らでやりやすかった、という現象もありました。


さて、今回の夏合宿では
5年生の強さ、仲間の大切さ、個性あふれる2年生の存在に加え、
楽しかったというだけではなく、(後悔ではなく)
悔いを残すことができた実り多い夏合宿でした。
詳しい報告は、各企画幹事、チームリーダーを中心に行いますので、
報告を楽しみにしてください。

Pass

モバイル版「返信」機能 一時停止のご連絡
No:1992 投稿者:太田 健一(3期生) 投稿日:2008/09/25 Thu 22:29:20

モバイル版からの「返信」を行なってもPC版に反映されない
問題につきましてこの「せっかく掲示板」の運営管理者に相談
致しましたところ、しばらく調整に時間がかかることが分かり
ました。

つきましては、当面の処置として、モバイル版の「返信」キーを
削除いたしました。
皆様にはご不便をお掛けしますが、何卒ご容赦くださいますよう
宜しくお願い申し上げます。
なお、モバイル版でも「新規投稿」については今までとおり何の
問題もなく行なえますので、「新規投稿」にてどんどんどんどん
どんどんどん書き込んでください。

Pass

Re:携帯からの「返信」はしばらくご遠慮ください。
No:1991 投稿者:小林荘介(15期生) 投稿日:2008/09/25 Thu 18:15:50

太田さんへ

コピー&ペーストによる書込みの訂正、
ありがとうございます。

太田さんからの許可がでるまで、
モバイルによる返信書込みを
しないように以後気をつけます。

追伸:
現在、我が家のLAN環境の不具合の影響で
モバイルからの書込みが主になっております。

Pass

クイズの解答と解説
No:1990 投稿者:池田健太郎(16期) 投稿日:2008/09/25 Thu 01:38:40

> 問題
> 御宿ニュー日の丸、二日目の昼食メニューは、次のうちどれでしょうか?


> Cピラフ


牛丼は最終日以外みたことない。よね?佐々木君。
ということで、あとはピラフとカレーの二択。

冷し中華は大穴中の大穴ですね。
こんなカモフラージュ、先輩たちは騙されませんよ。
カレー登場は二日目と三日目どちらが多かったか数えてなかったので、大変迷います。
まぁイメージとして三日目の方が強いのでカレーは三日目と予想します。

ということでピラフに決まりと。

Pass

携帯からの「返信」はしばらくご遠慮ください。
No:1989 投稿者:太田 健一(3期生) 投稿日:2008/09/24 Wed 23:29:04

管理人の太田です。
本日、16期・佐々木さん、15期・小林荘介さんからモバイルを通じて
投稿していただいたのですが、投稿内容がPC版では閲覧できないという
問題があることが分かりました。
これは、モバイル版の返信機能がPC版と連動していないことによるものの
ようです。
応急処置として、取り急ぎコピー&ペーストでPC版に移行いたしております。

現在、運営管理者の方にプログラムを調整していただいておりますので、
私から連絡があるまでは、モバイルからの「返信」はお控えくださいますよう
宜しくお願い申し上げます。
なお、モバイルからでも、「新規投稿」であればまったく問題ございません。
ご面倒をお掛けして申し訳ございませんが、ご協力を宜しくお願い申し上げます。

※佐々木さんの書き込みbP984は、本来bP980であるのですが、
コピー&ペーストでPC版に移管したことにより番号が変わってしまい、前後が逆に
なってしまいました。申し訳ございません。

Pass

昼食クイズ
No:1988 投稿者:小林荘介(15期生) 投稿日:2008/09/24 Wed 23:22:55

答えは「Aの牛丼」に応募します。

理由は、B冷やし中華は手間がかかる上やや季節外れ、Cその他が正解ならたぶんクイズを作っていない、@のカレーは出題者が用意したかったカモフラージュで、「ニュー日の丸の定番」、「団体の食べ物」、で思い浮かべるであろう被験者の陥りやすい連想を使った。

そして残った選択肢はA牛丼だけである。

Pass

Re: 日の丸クイズ
No:1986 投稿者:佐々木 真光(16期) 投稿日:2008/09/24 Wed 23:18:04

太田さん、コピー&ペーストありがとうございます。
携帯からの勝手がわからず、お手数をおかけいたしまして申し訳ございません。

さて、日の丸クイズですが、
【@カレー】
を推します。

太田さんご解答の牛丼ですが、私は最終日以外に見たことがございません。
牛丼は、明日でしょう。

また、百戦練磨のOB・OG相手にクイズを出そうということは、
私たちが知らない冷し中華という選択肢が登場したからではなく、
初めての二年生に出してみて、先輩達の回答が相応しいものでは無かったからと推測します。

こんだけ言ってはずしたら、本当に恥ずかしいですけど…。

Pass

Re:カレーと牛丼は銀行レース
No:1983 投稿者:太田 健一(3期生) 投稿日:2008/09/24 Wed 22:12:43

【応募】A牛丼
【理由】今回の参加人数から考えて、B「冷やし中華」を一時に用意するのは極めて困難。
やはりニュー日の丸の昼飯といえば、カレー、牛丼が鉄板中の鉄板。
カレーを初日の昼飯と想定して、二日目は牛丼と読みました。
蛇足までに三日目は「焼きそば」と読みます。

※佐々木さんのbP980がPC版で読み取れないのは、おそらくPC版とモバイル版とで
「返信」の認識が異なるせいなのではないかと思います。
私には調整が出来ないので、せっかく掲示板さんに依頼を掛けておきます。
今しばらくお待ちください。

Pass

日の丸クイズ応募
No:1982 投稿者:中島大輔(8期生) MAIL 投稿日:2008/09/24 Wed 20:49:07

ニュー日の丸昼食メニューについて
C「いわしの蒲焼丼」
でお願いします。
房総の取れたてのイワシを蒲焼にして、
アツアツのご飯の上に乗せて、錦糸卵と刻んだシソをパラパラと振りかけて。
お吸い物はシンプルに三つ葉と麩なんてどうでしょう。
(もはや趣旨が変わっていますね・・・)

もし正解だったら、11月の分も予約しておいてくださいませ。

そういえば
佐々木さんの書き込み[No.1980]はパソコンからは見えないみたいです。
何ででしょうね?

Pass

夏合宿実況中継第2弾〜日の丸クイズ
No:1981 投稿者:19期 藤井 投稿日:2008/09/24 Wed 17:40:24

真光さん
早速の応答有難うございます。
ゼミ生へのエール、嬉しかったです。
大広間で書き込みを読み上げさせていただきました。


実況中継第2弾はクイズ形式でお送りします。

問題
御宿ニュー日の丸、二日目の昼食メニューは、次のうちどれでしょうか?

@カレー
A牛丼
B冷やし中華
Cその他

正解者には20周年記念合宿時に記念ゼミーを進呈致します!

〆切を9/25、午前8時とさせていただきます。
是非ご参加ください。

Pass

実況中継、どうも有難うございます。
No:1984 投稿者:佐々木 真光(16期) 投稿日:2008/09/24 Wed 11:37:00

藤井君、夏合宿の実況中継どうも有難うございます。

携帯から掲示板を見れると、こんなこともできるんですね!
私も初めて携帯から書き込みます。
(研修へ移動する電車の中からで、決してサボリーマンなわけではありませんよ。)

三日目の午前ということは、勉強のまとめに入っているところでしょうか。
確か今年はバーナードと聞いていますので、合宿での成果をぜひ伺いたいものです。
今年はどんなことが明らかになったんでしょうね。
砂浜の報告と併せてぜひお願いします。

さて、皆さん、夏合宿を楽しんでいますか?
今の学年での夏合宿は一度しかありません。
それは、同じ夏合宿でも、他学年で経験する夏合宿とは違いますよ。

今、この瞬間に精一杯学んで下さい。
先生と、仲間から精一杯学んで下さい。

皆さんが実りある夏合宿とすること、できることを信じています。

Pass

夏合宿実況中継!
No:1979 投稿者:19期 藤井 投稿日:2008/09/24 Wed 09:01:11

ただいま御宿ニュー日の丸にて夏合宿中です!

掲示板に携帯からのアクセスが可能となり、合宿中も掲示板を読んだり、
書き込んだりができるようになりました。

本日合宿3日目で、相撲があります。
浸食が心配されている砂浜の様子、確認してきますね。

この「実況中継」をご覧になった方は、是非応答お願いします!

Pass

書き込みを修正した際のお願い
No:1978 投稿者:太田 健一(3期生) 投稿日:2008/09/22 Mon 23:11:36

この掲示板に引越ししてから、従来の「削除」に加え、書き込みの「修正」が可能となりました。
これは便利だ、と喜んでいたのですが、新たな問題が分かりました。
せっかく良いものに修正していただいても、そのことに気付きにくいのです。
何件も前の書き込みですと、ページの下のほうに表示されたまま修正されますのでスクロールしない
限りは気付きません。ページの異なる50件以上前の書き込みなどでは尚更です。

修正した場合には書き込み内容がページの先頭に「繰り上がり」、NEWの文字が付けば分かりやすい
と考えたのですが、調べてみたところ掲示板のシステムでは技術的に不可能なようです。

そこでご相談なのですが、最新の書き込み(一番上の書き込み)以外の過去の書き込みを修正された
場合には、次のようにしていただけないでしょうか。
あくまで一案ですので、よりやり易い方法に各自で修正していただいて、自然にマナーのように
定着していけば良いのではないかな、と思っております。
なお、旧バージョンを残したまま新バージョンを新規投稿として書き込むことももちろん大いに結構です。

【過去の書き込みを修正する場合の作法(案)】
1、修正した書き込みの表題を、修正したことが分かるように変更する。
※表題の一例
a@860  4期生・岩切 尚弥「皇室典範について−書き直し−」    ⇒ 「書き直し」
bP467 20期生・守内 彩子「第3回ベッティング(改)」         ⇒ 「改」
bP956  3期生・杉山 浩二「板ゼミ、最高です(追記)」        ⇒ 「追記」
bP959 三戸先生「掲示板がますます活気づくことを願って(ver.3)」 ⇒ 「ver.○○」

2、(できれば)変更内容を分かるようにする。
※「word」の変更履歴のような便利な機能はありませんので、概要を簡単に説明するなど、
出来る範囲で良いかと思います。

3、新規の投稿として「a宦宦宦宸修正しました。」と書き込む。
※特にお願いしたいのはこの点です。ごくごく簡単で結構です。

4、上記3の「a宦宦宦宸修正しました。」との書き込みを1週間後に削除する。


昨年度の夏合宿レポートで現役生の皆さんが自己添削により学ばれたように、修正してその履歴を
残すことは、自らの発言に責任を持つ意味でも、また学んだ結果を記録に残す上でも大いに意味が
あるかと思います。
是非試してみてくださいませ。

※この書き込みで同時にお願いするのは大変不謹慎であり誠に申し訳ないのですが、これは
文字数を夜な夜なカウントしている秘密地下組織「卍会」事務局からの切実な願いでもあります。
ご賢察くださいますよう何卒宜しくお願い申し上げます。

Pass

挨拶に対する評価のお誘い
No:1977 投稿者:太田 健一(3期生) 投稿日:2008/09/21 Sun 14:52:49

先生からお声掛けいただき始まった掲示板移転についての挨拶もいよいよ出揃ってまいりました
(福富君は現在アフリカに居てこの掲示板にアクセスできない状況のようです)。
この挨拶は先月に取り上げられた「タモリの弔辞」を受けての「良き挨拶」の訓練であり、
評価してこそ学ぶことに繋がりますので、10月1日からは各々の挨拶についての評価を
少しずつでも書き込んでいきたいと考えております。

本来は先生に評価をお願いしたいところではございますが、残念ながら先生は現在掲示板に
書き込めない状況にあります。
この9月の皆さんの書き込みで掲示板において「学びたい」との意思表明が多数寄せられております。
是非貴重な機会を生かして学び、先生にその成長を見ていただけることが出来たら、と願います。
つきましては、OB・OGの方も、現役生の方も、「誰々の挨拶はここが良かった」「誰々の挨拶が
最も良かった」など自由にご意見を書き込んでみてください。
またこれにともない、既に挨拶を書き込まれている方で修正をご希望される方は9月中に書き直して
いただきたく、宜しくお願い申し上げます。

なお、これは杉山さんが書き込んでくれた後に直ぐにお伝えすべきであったのですが、投稿者の
限定は9月4日までですので、9月5日以降は従来通り誰が何を書き込んでも構いません。
「おーい読んだぞー」でも「お久しぶりです」でも大いに結構だと思います。
今まで通りどんどんどんどんどんどんどん書き込んでください。

Pass

掲示板から刮目
No:1976 投稿者:今村達朗(20期生) MAIL 投稿日:2008/09/21 Sun 06:04:39

太田さん、吉永さん、ありがとうございます。
この三戸ゼミナール掲示板!移転に際して、太田さんのご尽力の大きさについては、
いまさら申し上げるに及ばないことと思います。
掲示板を立ち上げてくださった吉永さん、本来ならば、この掲示板に初めて書き込んだとき、
この掲示板の偉大さを実感したとき、お礼を申し上げるべきでした。
今、こうして三戸ゼミナール掲示板を読むことができ、書き込むことができることに、
心から感謝申し上げます。

9月5日、僕が掲示板に書き込み可能になってから2週間以上がたっています。
自分の愚かさを情けなく思い、恥じ入るばかりです。


僕が掲示板の存在を知ってから約一年、その間の自身の書き込みは改めて振り返るにも及ばず、
そのほとんどが「すべき」にたった報告で占められています。しかし、その中でもやはり折角書きこむのであれば、
自分の文章を読んでもらいたい、という想いをもって書いてきました。
今年度、ゼミにおいて掲示板に関する議論をする中で、先生からOB・OGの方々の視点や、
未来のゼミ生からの視点を教わり、できるだけ読み手の視点を意識して書き込んできました。
しかし、やはり掲示板に書き込む際に、その根底に意識されていたのは三戸先生からの視点でした。
先生にみてもらいたい、評価してもらいたい、認めてもらいたい、時には先生の予想を裏切りたい
(もちろんよい意味で)と思っていました。今になって思えば、OB・OGの方々の視点、
未来のゼミ生からの視点への意識とは、そのための手段であったようにさえ感じられます。
 そのような僕の想いに対し、先生は当然のように読んでいてくださり、感想や評価をいただき、
ときには自分でも忘れかけていたような自身の書き込みに対し、君はあの時このように書いていたじゃないか、
と指摘されることもありました。

先日、先生から三つの心について教わりました。
「感情」とは、自分の中にあるものである。
「想い」とは、自分から相手に向けられるものである。
「心」とは、自分と相手の双方向によってなるものである。

先生は僕の「想い」に対し十二分に答えてくださいました。
しかし、自分はこの2週間、あるいは先生と関わってきたすべての中で、先生の「心」を無視し続けてきました。
何よりも、今までの自身の人生を振り返り、自分の中に「心」というものが存在したのだろうか、
という疑問さえ浮かんできました。
「心」を意識して改めて先生、先輩方の掲示板への祝辞を読み返しました。

 「心焉に在らざれば、視れども見えず、聴けども聞こえず」

刮目しました。三戸ゼミに入って以来、先生に出会って以来の刮目でした。

先生も仰っていました。
人間の心の難しさに比べれば、勉強なんぞ非常にたやすいと。

学びたいです。大切にしたいです。
人の縁とは有難いものだ、と実感させられます。

今まで関わってきた方々、今関わっている方々、これから関わっていく方々に対し、
「心」から感謝申し上げます。

Pass

10周年『創』
No:1975 投稿者:1期生 小山嚴也 投稿日:2008/09/20 Sat 19:58:34

さて、その上で、皆様にお伝えしなければならないことがあります。

大変お待たせしております10周年『創』ですが、
ようやくすべての編集作業が終わり、現在印刷中です。
先日、印刷屋さんと話をしたところ、
10月3日前後に納品予定だそうです。

なお、表紙の色ですが、5周年の時は水色でしたが
今回は私の独断でこの掲示板の色を選びました。
三戸ゼミの色だという吉永さんの言葉もさることながら、
ここ数週間の板ゼミでの一連のやりとりも踏まえ
今ならやはりこの色かなと思った次第です。

印刷ができ次第、大野君にお手伝いいただき
発送作業に移りたいと思います。
乞うご期待ください。

Pass

書き込みの件
No:1974 投稿者:1期生 小山嚴也 投稿日:2008/09/20 Sat 19:51:40

しばらく出張しており掲示板を見ておりませんでした。
すいません。

さて、例の書き込みの件ですが、
当然ながら相応しい書き込みではなく、改めてお詫び申し上げます。
未熟さに、改めて恥じ入る気持ちです。
来賓という言葉に込められた意味もわかっているつもりです。

大変申し訳ありませんが、削除していただければと思います。
よろしくお願いいたします。


Pass

祝辞。遅くなってすいません!
No:1973 投稿者:1期 古郡 投稿日:2008/09/19 Fri 22:15:12

先生、そして、三戸ゼミのみなさま。

1期、古郡です。投稿遅くなってしまい申し訳ありません。
サイトの開設に尽力してくれた方々、めちゃくちゃ大変だったことは
想像に難くありません。よくぞここまで。ありがとうございます。


私の仕事は広告を作ることです。

そこには簡単な文章でいかに多くのことを伝えるか
(または考えさせるか)という使命が存在します。


なので、他のOBと文章のおもむきが違うかも知れません。
(でも、ちゃんと考えてるんですよ)

---------------------------------------------------------------------------------------
最近、「地球をもう2周も旅してるんです」
という人の話しを、また聞きですけど聞きました。

さぞ、いろんな価値観に触れて、視野も広がったかと思いきや

「特に得る物はなかった」そうです。

これはどういうことか。
今の若者はそうなのか。
現役ゼミ生とかにもお聞きしたい。


海外に行くこと。

私にとっては、違う文化のもとで違う経験をしてきた人と知り合って、
日本について自分の予想できない視点を与えてくれるものです。

そのために必死に話して仲良くなって、うまい店を聞き出し、酒を飲む。
ガイドに載ってないうまい店に大喜びし、日本の食文化を紹介したり、
経済や歴史の話しをします。

それは、じつに「楽しい」もの。


地球を2周した若者は視点を得ることが「楽しい」には
値しないのだろうか。

いや、それより前に「これが楽しいんだよ」って
誰かに言われないと楽しむプログラムが起動しないんだろうか。

自分で考え、自分で人生の楽しみ方を発見する。
こういう生き方ができない若者が増えてきている気がする。



学問とは何だろう。
自分で考えるっていう脳の訓練なのかも知れない。
ここが受験勉強と一線を画すものだ。

「学問」をする学生がもっともっと増えることを望む。

Pass

この「場」で「共に」学びたい!!
No:1972 投稿者:石井 宏通(20期生) MAIL 投稿日:2008/09/18 Thu 03:58:14

■まずはお詫びと決意表明から。
三戸先生、先輩方、片岡君。呼びかけをして下さった方々に対し、応答すらせずにこれまで過ごしてきたこと、呼びかけや問題となっていることを気づけなかった、或いは見てみぬフリをしてここまできたこと。本当に申し訳ありませんでした。この様な振る舞いが、呼びかけをして下さった方々をどれだけがっかりさせてきたのだろう、という事にようやく気づきました。そして、その様な振る舞いをして今まで過ごしてきてしまった事、非常に恥ずかしく思っています。
本当は随分以前からこんなことには気づいていたような気もしています。しかし、その時ごとに都合のいい言い訳を自分にして、向き合うことから逃げていた事に気づきました。正確に言えば、先生、先輩、同期、みなさんに気づかされました。
現在、現役生の書き込みは大野さん、藤井さん、片岡君の3人のみとなっています。しかし、他のみんなも思うところがあるはずです。でも、うまく言葉に出来なくてなかなか書き込めないのではないか、と私は思うのです。私も同じです。言ってしまえば、いざ掲示板を前にするとビビッてしまうのです。しかし、私は本日から逃げることをやめます。書き込みは削除することもできる。考えが変わったのならば、新しく書き込みなおすことも出来る。孔子もおっしゃっています。「過ちを犯すと人が必ず教えてくれる」と。
「過ちを犯す」ことは怖くない。ましてや、この掲示板という場では怖いどころか、そこから学ぶこと、成長の種がいくらでもあると思うのです。本当に怖いのは、「過ちを犯すことを恐れて何もしない(できない)」ことではないか?
私は、これまでの振る舞い、過ちを気づかせていただきました。だから、ここに決意を表明することができました。ありがとうございます。

先生がこの掲示板を去るとおっしゃった時、「しまった!」と思いました。自分が、自分たちが適当な気持ちであったために、先生を失望させ、その様なことを言わせてしまったんだ、と今になって気づきました。しかし、非常に自分勝手であることは承知ですが、そこからまた成長したいのです。そこに皆さんにいて欲しいのです。見ていて欲しい、叱って欲しいのです。
同じ三戸ゼミ生という縁を大切にしたい。共に学んでいきたいです。


■同期のみんなへ
俺は書き込んだぞ!みんなはどう考えているんだ?先生がここから去ると言っているのを黙って見過ごすのか?あれだけ呼びかけをしていただいて、今度は俺たちの番じゃないのか?後に続いて欲しい!!

■最後に
本来、最後に書くことではないのですが、吉永さん、太田さん、この様な学びの場をありがとうございます。そして、先生、三戸ゼミの皆さん、この掲示板がこの様なものになっているのは、皆さんの書き込みがあったからに他なりません。ありがとうございます。私は、ここからたくさん学ばせていただいています。今後も学んでいきたいです。ここで私が多くを学び、成長しあうこと、その姿が、吉永さん、太田さんはじめ、ゼミ生の報酬になるのではないかと思います。だから精一杯学ばせていただきます!よろしくお願いします!

Pass

三戸ゼミナール掲示板で学びたいです。
No:1970 投稿者:片岡 憲洋(20期生) 投稿日:2008/09/17 Wed 05:19:14

みなさんの「心」にどう応えるべきなのか、整理がついていません。
まだ整理がつかないのであれば、もっと早くレスポンスをすべきでした。
誠に申し訳ございません。

今、ここで少しでも言えることを書き込まなければ、
一生後悔すると思い、投稿させていただきます。

僕は、「三戸ゼミナール」の掲示板で学びたいです。
三戸先生と共に学びたいです。
三戸先生から学びたいと心から想っているみなさんと共に学びたいです。

レスポンスをしなかった以上、自分が「本気」で学びたいと思っていなかったのだ
と気づかされた以上、「本気」で三戸ゼミナールを大切にしていなかったのだ
と気づかされた以上、いくら「学びたいです」と言ってもそれは我がままであり、
甘えであります。

それでもやはり、
「三戸ゼミナール」掲示板で、「心」を高めるために、
三戸先生と共に、みなさんと共に、本当の「仲間」となるべく、「心」と「心」で学んでいきたいです。

Pass

“YES−YES−NO”から“YES−YES−YES”へ
No:1968 投稿者:中島大輔(8期生) MAIL 投稿日:2008/09/16 Tue 22:10:36

『列子』湯問第五第二章
「愚公山を遷す」
(以下白文及び通釈は明治書院新釈漢文大系『列子』小林信明訳より)
<白文>
太形・王屋二山、方七百里、高萬仞。本在冀州之南、河陽之北。
北山愚公者、年且九十。面山而居、懲山北之塞、出入之迂也。
聚室而謀曰、吾與汝畢力平険、指通豫南、達于漢陰。可乎。
雑然相許。其妻献疑曰、以君之力、曾不能損魁父之丘。
如太形・王屋何。且焉置土石。雑曰、投諸渤海之尾、隠土之北。
遂率子孫、荷担者三夫。叩石墾壌、箕畚運於渤海之尾。
鄰人京城氏之孀妻、有遺男、始齓。跳往助之、寒暑易節、始一反焉。
河曲智叟、笑而止之曰、甚矣。汝之不恵。以残年余力、曾不能毀山之一毛。
其如土石何。北山愚公長息曰、汝心之固、固不可徹、曾不若孀妻弱子。
雖我之死、有子存焉。子又生孫、子子孫孫、無窮匱也。
而山不加増。何苦而不平。河曲知叟、亡以応。
<解釈>
太行山・王屋山の二つの山は、七百里四方で、高さが一万尋(ひろ)もある。
もともと冀州の南、河陽の北のあたりにあった山である。
ところが、北山愚公という人がいて、もう九十歳にもなろうという年であった。
太行・王屋の山を南に控えて家を構えており、山の北側の険しい地で、
出はいりの回り道に苦しんでいた。そこで家中の者を集めて相談して言うには、
「私はお前たちと、あるだけの力を出して険しい土地を平らにし、
 予州の南に向かって道を通し、漢水の北側まで届かせようと思うがどうだろうか」と。
一同は、もっともなこととして賛成した。すると愚公の妻君だけが疑問を申し出て言った。
「あなたの力では、小さな丘をくずすこともできますまい。まして太行・王屋など、
 何ともできるはずがありませんよ。それに、土や石をどこへやろうというのですか」と。
一同が言うには、「土や石は、渤海の端の方、隠土の地の北へ捨てましょう」と。
ついに一族の若い者を引き連れ、にない手三人で、石を撃ちくだき土地を切り開いて、
箕(み)やもっこで、渤海の端の方へ運んだ。

愚公の家の隣に住む京城氏のやもめに、夫の死後に生まれた男の子があって、
やっと歯が抜け変わる年頃になっていた。
その七、八歳の子供が、勇躍して出かけて行って愚公の仕事を助け、
半年も経って、ようやく一度家に帰るといったさまであった。
ところが、黄河のほとりに住む知恵者が、愚公の作業をやめさせようとして、
「何と君は考えがなさ過ぎるではないか、老いの身に残されたわずかな力などでは、
 山に生えている草一本だって取り除くことはできない。
 それなのに、土や石などが何ともなるものではあるまい」と言った。
すると北山愚公は、深くため息をついて、
「君は、まことにかたくなな心の持ち主である。
 君の心のかたくなで、到底、あのやもめの幼い子供にも及ばない。
 たとえ私は死んでも、子供が残っている。子供は更に孫を生もうし、
 孫は更に子供を生もう。その子はまた更に子供を持とうとし、
 その子供はまた孫を持とう。かくて子から子へ、孫から孫へと子孫は長く続いて、
 いつまでも尽きることはない。ところが、山というものは、別に高くなってくるものではない。
 してみれば、平らにできない道理はないではないか」と言った。
これを聞いた黄河のほとりの知恵者は、返答のしようがなかった。


ここまで聞くと、おぉ、と思うのですが、『列子』はサービス精神が旺盛すぎなんですよね。
天帝が神様を使って、この山を背負わせて、別のところに運ばせてしまう!
口伝されるうちに誰かが脚色してしまったりするのかもしれないですね。

こういう、中国古典を引用してるのを、島貫が読んでたらかなり激しい論戦になるだろうなー。
などと、たまに考えています。(島貫を挙げるのは良くないかも、ですけど。)
痛みは力に換えて、歩いていかないと、申し訳ないなと思っています。

Pass

学びの場としての掲示板
No:1967 投稿者:18期生 大野裕喜 投稿日:2008/09/16 Tue 20:51:04

三戸先生、No.1958「心そこにあらざれば」を読み、そしてNo.1959「掲示板がますます活
気づくことを願って」を読み返しております。
時間がありながらも、まだまだ自分の中で消化できず、整理されていない状態ではありま
すが、やはり書きたいと思い、書かねばならないと思い、投稿させていただきます。

先生の書き込みを読み、その意図を理解する事ができず、また何かしらのレスポンスさえ
することもできず、情けなく恥ずかしい限りです。
具体的な課題として事細かに教えていただかないと行動する事ができない、言われた事し
かすることができない。それはまさに先生が日頃おっしゃるマニュアルに従う人間の行動
であって、マニュアルを自分でつくっていく者の振る舞いではありません。問いを立てよ、
なぜするのかを考えよ、毎回のゼミでの先生の教えが、課題から離れれば意識する事がで
きないでおりました。
それは「学生」である自分が先生から本当に学びたいと思っていないことであり、先生が
日頃おっしゃる事を自分の中で少しも活かせておりませんでした。大変情けなく、恥ずか
しです。申し訳ありませんでした。自らの過ちを受け止め、向き合い、学んでいきたいで
す。


先生は「自分は種を与えるだけだ、それをどう育てていくかは君たち次第だ」とおっしゃ
います。私は「現役生」であり、先生から直接教えていただいている身でありますが、恥
ずかしながらまだまだ十分に育て、自分のものになったと言える事ができません。
それは(自分の未熟さもさることながら)先生からいただいた種は容易に育てる事ができ
ず、それだけ難しいものでもあるからだと思います。だからこそ「良き」社会人なのであ
って、他の場では中々得る事が出来ないものであり、まだまだ学ばなければならないし、
学んでいきたいと思うのです。
そして「良き社会人」になるためのきっかけ、先生からいただいた種を育てるきっかけ、
その一つの大きな方法がこの掲示板なのではないかと思います。

過去の先輩方の書き込みを読み、仲間の書き込みを読み、自分の書き込みを読み、振り返
り「確認」しております。まだまだ自分の中で整理されておりません。
過去の自分の書き込みを読み、同じ過ちをしていないかと確認しております。そして
No.1435「広岡達郎ではなく長嶋茂雄を目指したい。」のような素晴らしい書き込みをす
ることはまだまだできませんが、そのような書き込みを読んで、その世界について触れ、
憧れ、学ぶことが出来ます。

現役生にとって「三戸ゼミ掲示板」といえば、ゼミ報告が大きな意味を持ちます。
現在のゼミ報告は2003年度に「今週のゼミ」としてスタートし、その姿を模索し、年々変
えていきながら2007年に一つの「型」が出来上がったといえると思います。2007年度から
ゼミ報告を始めていたのならば、一年間の報告の継続と書き込みの「型」が出来ただろ
うかといわれれば、やはりそれは難しかったのではないかと思います。「型」となるまでに
4年かかり、その間に多くの人が書き込み、様々な書き込みが試みられ、OB・OGの方が
アドバイスをしていただいた、その「蓄積」が今の姿にしているのだと思います。

昨年度、はじめてゼミ報告が一年間継続化されたことで、そこから今年度は「読み物」と
してのゼミ報告を課題として行われております。記録を正確に残す事は、後に振り返り、
確認する意味でも重要であります。しかし、掲示板は現役のゼミだけではなくOB・OGの
皆さんの為にもあり、当然のことながらOB・OGの皆さんも読まれます。
ゼミ報告の記録が整理され、内容が整えば整うほど、それは事務的な記録としてて、無
機質なものとなりはじめ、その場に参加されていない人には読まれなくなり、そして読
もうという意識さえも持たれないものになっていきます。
掲示板はやはり、書き込みと同時に双方向のコミュニケーションの場でもあると思います。
記録としてのゼミ報告から、いかに読み手を意識するのか、それが今年度の課題でもあり
ました。

このようなゼミ報告の姿になったのは、やはり「三戸ゼミ掲示板」だからであり、「学びの
場」であるからだと思います。(このことは大変現役生からの視点でありますが、やはりこ
の掲示板でなければできなかったと思われます。)
これまでの蓄積の上にある今のゼミ報告で「ありたい」と思いますし、「学びの場」として
の「三戸ゼミ掲示板」で「ありたい」と思います。


しかし、やはり一方で今の「三戸ゼミ掲示板」を大切にしたいと共に、OB・OG同士でコ
ミュニケーションできる場があって良いのではないかとも考えます。「学びの場」と共に「仲
間とのコミュニケーションの場」であるためには、やはりホームページについて検討して
いかなければならないと思います。三戸先生、OB・OG、現役生、ゼミための場としてど
うあったらいいのか、考えていきたいと思います。

Pass

心焉に在らざれば 視れども見えず
No:1966 投稿者:三戸 浩 投稿日:2008/09/16 Tue 12:22:21

 9/12にNo:1958「 心そこにあらざれば 」と、言った。
 他者に向かって言うだけではない、自分にも言っているつもりだった。
だが、やはり「私の『心』がなぜわかってくれないのか」という気持ちで書いたのであり、相手の「心」が、いったい奈辺にあるのか知りたい、と本当に思っていなかったのだ、とわかった。

 「不患人之不己知」と書きながら、岩切が私の意図を察してくれぬ、とばかり思っていたことが、今ならよくわかる。
 「患不知人也」岩切のことをどれだけわかっており、知ろうとしていただろうか?

 岩切と心打ち明けて話したことがないなぁ…、と感じていたから去年の浩友会の時に話そう、と言いながらできなかった、というよりしなかった。本当に岩切のことをわかりたいと思っていなかったのだなぁ…。他のことがあった、他の人から話しかけられた、は何の理由にもならないからなぁ…。 

 「広岡より長島」と書いておきながら、No:1958「 心そこにあらざれば 」では、そう心がけたが、9/15のNo:1959「掲示板がますます活気づくことを願って」には、相手のことをわかりたいという「心」を忘れて、「心」なき言葉を書き連ねてしまった。

 その観点で読み返してみれば、書き終えてくれた半分の7人しか見えていなくて、未だの7人の「心」を忖度する「心」を忘れたものになっている。
みんな、どんどん書き込めよ。良い辞を書けるようになれよ。「刮目競争」しようぜ。書くゆとりがないなら、「予約」だけでもしろよ、と。
 私の教師の「心」だけを矢継ぎ早にぶつけていた。書かないには書かない理由が、書けないには書けない理由がある。書かなければ、書けなければ本人が苦しく辛い、ということを忘れ、何かレスポンスしてくれなきゃ困る、ということだけだったのだなぁ…。
相手の「苦しい・辛い」とこちらの「困る」、どちらが辛いか?
いや、「困る」だけでなく、そのせいでこちらも「苦しい・辛い」、としても、こちらが、応答を迫らねば、どちらの「苦しい・辛い」も生まれては来なかった。

 出した課題がまちがっていたとは今も思わない。
 必要なことをやろうぜ、やったらどうか、と言った。
 だが相手が、そうだやろうという「心」になるようには働きかけをしていなかったことに気づく。「相手が至らない、気づけ」では、相手の「心」はそうなるまい。
相手の「心」が出した課題にないのなら、そのように「心」がなるまで待てばいい。いや、例えそのような「心」にならなくてもいいではないか。なぜ、それではいけないのだろうか…。
 「患不知人也(人を知らざるを患う)」の「心」がなければ、「心焉にあらず…」というすばらしい教えも入らず、「患人之不己知(人が己を知らざるを患う)」ことになるのだなぁ…。

 私は「心焉にあらず」は人だけでなく問題関心(研究テーマ、今仕事で抱えていること、趣味、等々)全般に言えることだと思ってきた。それは全く間違っていないのだが、「人」に対する「心」とそれ以外のものは全く違う。

 「人」以外の対象には「心」はない。「人」だけに「心」がある。人以外のときは単なる・あくまでも操作対象として「心」を持てばいい。だが、相手が「人」の時は、相手の「心」に立たねばならない。単なる操作対象としての「心」しか持たなければ、理解などできないはずであり、うまくゆくはずもない。
 教育はまさに「心」が絶対であるし、企業の経営や管理だって「心」次第で成果が決まるだろう。従業員・取引先や客をどう見るのか、その声をどう聞くのか、は「心」がどこにあるかで決まる。従業員・取引先や客の「心」がどこにあるのか、を理解せずに賃金・取引価格を上げても、販売価格を下げても、自ずと限界があり、そのような対応では、いつでも相手は去っていき、他のものと関係を結ぶことになるだろう。

 対象(相手)に「囚われ」てはいけないなぁ…。自分の期待に応えてて欲しいと待てなくなるから、「忙しく」なる。「忙」しいとは、「心」を「亡くす」ことになる。

 別に、書込がなくてもいいじゃないか。
 書きたくなったら、誰かが書くさ。
 誰かが始めりゃ、周りも放っとかないにきまっているのだから。
 ただ、元通りに皆の書込を待ってるぞぉ。で良かったのだなぁ…。

 いつも、私は一つのことに幾つもの狙い・課題を籠めてきた。
 学生の時はそれでもいい。いや、その方がいい。
 だが、社会人となった卒業生には、その課題が過重となるときがある、ことに気づいていなかったのだなぁ…。
 やらなくてもいい、やれる時にやればいい、次の機会でもいいじゃないか、と思ってきたはずだが、時に忘れ、相手の「心」に立たずに振る舞う。難しい。恥ずかしい。

 岩切君、どうもありがとう。
 書く時、投稿するとき、随分と考え、どれだけ思い、悩んだことだろうか。
すまない、ありがとう。その思いが、私に「心」を気づかせてくれた。

 自分がわかっていなかったことを、
 わかったつもりになっていたことを、
 やっているつもりになっていたことを。

「心」が、君になかったこと、
 「心」が、書いてくれ、と頼んだ14人になかったことを、
 「心」が、この掲示板を読む皆になかったことを。

 君や皆の「心」を本当にわかりたいとは、思っていなかったことを。

 そんな簡単な事ではないんだ…。
 孔子がわざわざ言ったということは、簡単にできない事だということだ。
 『創』24号に書いた「ゼミ生諸君へ」の中に、陳国の大臣と孔子とのやりとりを書いた。中島君がNo:1960に再録してしてくれている。ありがとう。

 孔子が陳国の大臣から
「あなたの生国の魯の君主昭公は礼の心得がおありになるか」と聞かれたことがあった。
「礼を心得ておられます」
と答えたところ、陳の大臣はしてやったり、とばかりに
「君子は身びいきをしないと聞いているが、君子でもするらしい。昭公は呉国から奥方を迎えられたが、魯と呉では同姓ではなかったか。昭公に礼の心得があるというなら、この世で礼の心得がないものなどないのではないか。」
同姓不婚が礼であるが、当時これを破った君主は魯君が初めてでも何でもなかったのだが、事実は事実であった。
 あとで、孔子は弟子にこう言ったという。
「私は幸せ者だ。過ちを犯すと人が必ず教えてくれる」と。
 私には言えないなあ。「かっこつけて」とか、「負け惜しみを言って」と思う人もいるだろう。私は言えるようになりたいなあ。

 岩切君、私は君のおかげで、
「私は幸せ者だ。過ちを犯すと人が必ず教えてくれる」に気づくことが出来た。
そして、孔子と同じ言葉「私は幸せ者だ」と言える。
ありがとう。
これからも、私が過ちを犯した時は教えてくれないか。

 君の前回の書込でも、「誰でもがアクセスできない」ことを教えてくれた。
私は、少しだが、その指摘に立ってみんなとコミュニケートしよう、とする様になったと思う。今回でも、他にも貴重な「教え」があった。
(教えの大きな成果として、太田君がケータイでもアクセスできることを教えてくれた。君と太田君の二人により、杉山・小林の書込を読むことが出来る。)

共に学んでいかないか。
「縁」を大切に大切にしたい。

Pass

誰にも去ってほしくない
No:1964 投稿者:小林荘介(15期生) 投稿日:2008/09/16 Tue 07:32:10

三戸先生、岩切さん、太田さん、中島さん、佐々木君、大野君の書き込みを読み返すたびに、どの書込みに対してもご返答したいことがあるのですが、到底一回の書込みでは個々の話題に対応して整理できず、また書ききれないので、現時点で私が気になっていることを、書かせて頂きたいと思います。


@現在、掲示板に書込めている人はもとより、書込めてない人も三戸ゼミに想いを馳せ、学びたいと思っているし、出来れば書込みたいと思っている人がたくさんいる。

Aそして自分が書込むことによって、誤解を生じさせてしまったり、場の空気を壊してしまったりして、みんなの邪魔になったり、相手を孤独にさせてしまう場合があることも重々も知っている。卒業生の場合、特に仕事の多忙などの何らかの理由で一定期間三戸ゼミと交流をもてなかった卒業生の場合、現役生や他の一所懸命やってくれている卒業生に気兼ねをしてしまい、情報を共有できていない・なんとなく周囲の空気についていけない感覚と合わせて、なおさら上記の感を強く持つ可能性が推測される。

Bこうした中で、学びたくとも書込みたくとも三戸ゼミのために貢献したくとも、書込めなくなくなって行く人が増えて行く。

Cこの事態を打開すべく、「元祖三戸ゼミ掲示板のサービス終了」と「20周年記念という節目の年」という後押しを受けて、新しいコミュニケーション媒体としてのHP作成などが検討されるとともに、各自の三戸ゼミとの関わり方や相互のコミュニケーションの方法が再検討されている。

Dそして各自にとって三戸ゼミが重要であればあるほど、熱心にならざるをえない。

Eその熱心さゆえ、表現の行き違い、感情の行き違いが起こってきているのであり、この根底にあるエネルギーは将来三戸ゼミの発展のために生産的に活かされ昇華されることが望ましいと思われる。

私はこの一連のみなさんのやりとりに愛や情熱を感じずにはいられません。

だからこそ、誰にも三戸ゼミから去ってほしくないし、掲示板から姿を消さないでほしいと思っています。

Pass



Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板