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《TOPICS ( 10月27日 更新)》
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MS三行提報(第4回)
No:4165
投稿者:三戸
投稿日:2011/11/28 Mon 23:45:35
【MS三行提報】
○三戸(11/11/28,23:32)
今日一日ラジオを聴いていると、「橋下に対して"反感"を持っているなぁ…」と感じた。
「小泉人気」「民主党政権誕生」などと並べて、"リスナーの声"を紹介しながら、批判をしていた。
「"今の日本"ドゲンカセントイカン。」それは「構造改革」抜きには不可能なのではないのか?
○三戸(11/11/29,16:00)
今日もTV・ラジオでブータン国王ご夫妻とブータン国民の「幸福」について語っていた。だが、
@ブータン国王ご夫妻のお姿・お言葉は、我々日本国民は、天皇・皇后両陛下のお姿・お言葉として触れることが出来ている。
Aブータン国民の「幸福」そうな姿は、戦国期や幕末に来日した外国人達の目に映った「日本人の姿」ではないのか?
B私たちは、「持っていないもの」を得るために、「持っているもの」を捨てたのだ。
○三戸(承前)
@ブータン国民が「持っていて」日本国民が「持っていないもの」と思うか?
A私は、日本国民が「捨てたもの」をブータン国民が「大切にしている」と思うのだが…。
B「捨てたのだから、拾えばいい」か?それとも「持っているものを捨てなければ、拾う(手に入れる)ことはできない」のか?
○中島(11/11/29,21:10)
対馬の宗氏をご存知でしょうか。古くから日本国と朝鮮国との間に入り国交を保つのに重要な役割を果たしていました。
日本国、朝鮮国の双方の「上から目線」文書をうまいこと謙った文章に置き換えて仲を取り持ってきたのです。
私の立場で組合活動をする場合、宗氏を倣えば良いのではと思い、全力で双方にお仕えしてきましたが、双方から白眼視されるに至りました。
よくよく考えると会社にも組合にも忠実でなく、自分の信念にのみ忠実という恐ろしく独善的な振舞いをしていたことに気づきました。
気づいたからには変わらなければ!と思います。
⇒中島君
昨日、ゼミから帰ってきて君の書き込みを見た。
何を答えるか、はすぐさま浮かんだが、如何に答えるかは難しかった。
宮城谷の作品に、どちら(の陣営)にも与せず、信を立てた話があったように思い、
今朝も探していたが、見つからない。『華栄の丘』でも『子産』でもなかった。
『孟嘗君』ではなかったような気がするし、後は『晏子』であろうか?
時間がないため探すのは後刻にしよう。
(なぜ、そこまで「こだわるか?」というと、「ああ、ここに同じように生きたものがいる。」「同じように苦しんだものがいる。」そう思い、そう気づけば、何か「光明が見えてくる気」がすることがあるからだ。「穴に落ち、暗がりに閉じ込められたもの」には「光」が必要ではないだろうか?宮城谷が描くものたちの「振る舞い、生き様」から、私は「教えられ、勇気づけられること」があるからだ。)
「会社にも組合にも忠実でなく、自分の信念にのみ忠実という恐ろしく独善的な振舞いをしていた」と君は言う。なぜそうなった、そうしたのかはわからないが、君がそうしたにはそうする理由・わけがあったと思う。また「忠実」という言葉が使われている。「忠実」という表現により、君が「非倫理的」に振る舞ったようにみえるが、「会社、組合に"忠実"」とはどういうことを指すのだろうか?どちらか一方の立場(利害・言い分)に立たなかった、ということだと推察するが、君は「会社の一員」であると同時に「組合の一員」であるがゆえに、「どちらか一方の立場」だけを選ばなかった。「両者を対立関係」とだけとらえるのではなく「統合」の道を探ろうとしたのではないだろうか?
その「君の選択」は果たして「"自分"の"信念"にのみ忠実」であり、「恐ろしく"独善的"な振舞い」と「切って捨てていいこと」だろうか?「自分」の選択=「自分」の信念は「その通り」であっても「それだけ」ではあるまい。「自分を守り、可愛がった」わけではないだろう。「会社と組合の両者(の統合)」を模索しようとする「信念」を、誰が「独善」と非難できようか?
君は「同」に立たず「和」を求めたのではないか?会社か組合どちらか一方に「同」であれば、もう一方に対しては「異」であり「敵」になるのではないか?他者すべてが「同」であったがゆえに、君は「孤立」した。どちらの「陣営」からも「仲間」とされなかった。その「つらさ」には深く深く深く同情したい。
だが、君は「易き"同"」を選ばず、「難き"和"」をえらんだのではないか?「難き道」故うまくいかなっかったのだ!
君の今の「つらさ」は、「独善的」な「誤った選択」によるのではなく、「困難な選択をし、それを達成することができなかった」という「力量」の問題ではないのか?
「"抑圧"や"妥協"ではなく"統合"」を選んだことは「正しい」と思えないか?
それなら、「恥ずかしくはあるまい」。
「力が至らなかった」のなら、「力をつけ」ればいいじゃないか?
孔子は(権力者たちの)誰からも認められなくとも、自分が「正しい、あるべき」道を求め、語り続けたのではないか?
君も私も、だからこそ、孔子の言葉に惹かれ、学ぼうとするのではないか?
(もう出なければならないので、孔子の言葉も「引く」ことができない。帰ってから、自分を励まし、糧となる言葉を探したい。私も似たような体験をしたことがあるのだ…。)
○中島(11/12/1,早朝)
先生、心の籠もった言葉で支えてくださり、灯かりを照らしてくださりありがとうございます。
他者からの非難に怯んでしまい、自分がやろうとしていたことの意味を見失いかけておりました。
毎日のように正念場が続くのですが、高い視点を持って真摯に取組んでいきたいと思います。
(ここのところ『子産』を枕元に置いています。『どちらにも組せず信を立てる』あり方、探してみたいなと思います。)
⇒ よかった。(^_^)v
No:4167に、「心」〜「忙」と「忘」〜について書いた。
君のことが春頃から気がかりで、考えていたテーマだったのだ。
「一つの世界にしか生きて」いなかくて、その世界で「孤立」「絶望」したら…。
人が生きていく世界は「自分で作る"社会・時代"」になっている。
それが「いいか、わるいか」「ただしいか、あやまっているか」はこの際問わない。
「現実」はそうなっているにもかかわらず、
自殺するものはかくも多く、また他者の存在を抹殺しようとするものがあとを絶たない。
この掲示板は、「仕事」「会社」に「心を獲られ・奪われない」ためのものだ。
「仕事、会社」以外のことに「関心」を向け、
「仕事、会社」以外の人と「関係(コミュニケーション)」を持つ。
そうすれば、本当に「大事・大切なもの」を見失わずに済むはずだ、と思っている。
「健康の大切さ」は誰でも知っていよう。
では、なぜ「健康を害する」のだろうか?
「家族の大切さ」は誰でも知っていよう。
では、なぜ「自殺・家出をする」のだろうか?
「(大事・大切なものは)それしかない」ということはないのだ。
「これだけが"正しい"、"やるべきこと"」ということはないのだ。
「自分と自分が関わる総てのことことを大切にする」
(「全て」ではなく、「総て」を使ったのは両者を同時・総合的にという意を籠めたかった)
「三行提報」に毎日書いてごらん。
「本の1行」「TVの1コマ」「街角の光景」でいいんだ。
私は毎日見ている。他にも毎日見ているものがいる。
その私たちに「自分の1日」を書こう。
「狭く、暗く、閉ざされる」ことは、ずっと少なくなるのではないだろうか?
私は、「"毎日、見ていること"を伝える」意味もあってこれを始め、書き続けている。
私は、「昨日・今日も"私は元気であること"を伝える」意味もあってこれを始め、書き続けている。
○三戸(11/11/30,12:52)
稀勢の里が大関に昇進した。「国技」と称される大相撲の大関に日本人がなることは喜ばしいことであろう。だが、それ以上に「喜ばしい」のは、例の「四文字熟語」がなかったことだ。「伝統と格式」を重んじる大相撲に、マスコミ・大衆受けする「流行」に乗らなかったことに「見識」を見たい。(だが、「稀勢の里」という四股名は…。)
○松井敬祐(《グルメ》11/11/30,21:47)
今日バイト帰りに渋谷に寄ったので、
東急百貨店西館2Fの『渋谷そば』に行ってきた‼
正直、関西で生活している時は、蕎麦よりもうどんだったので、
よく香川県に友達とドライブに行ったり、お取り寄せして、
うどんの味を楽しんでいた。
しかし、蕎麦に関しては関西で美味しい店を知らない。
敷いて言うなら、『どん兵衛』くらいだ♪(´ε` )
だが、今回『渋谷そば』には驚かされた。
こんな美味しい蕎麦がこの世にあるなんて……と‼
これより、美味しい蕎麦屋さんは探せばあるだろうが、
“美味しさ”ともう一つ驚いたことが、その値段だ‼
かけそば350円、ざるそば350円なのだ‼この値段であの味は大したものだ。
この投稿を見た人よ(^-^)/
ぜひ、渋谷に足を運んで『渋谷そば』に行ってみてはいかがだろうか⁉
正直、もう『どん兵衛』は食べられないです。
しかし、私だけだろうか⁉
関西はうどんメイン、
関東はそばメイン、
という先入観を持っているのは…
○市川宗近(23期) 12月1日14時30分
先生がよくおっしゃられる、自分を大切にするということの一つに、
自分の選択を大切にする(これでよかったと思えるようにする)、ということがある。
自分の将来を考えるうえで、この言葉が最近非常に自分の中でひっかかっている。
○中村貴治(20期) 12月1日 22時15分
マルマル、モリモリ。フジテレビドラマ「マルモのおきて」で有名になった子役の二人、
芦田愛菜(あしだまな)ちゃんと、鈴木 福(すずき ふく)くん。
どちらも大人気ですが、福くんは幼さを感じるのに対し、愛菜ちゃんは外見は幼いのに、
振る舞いを見ていると幼さというより、プロフェッショナルという言葉が浮かんできます。
大したことは言えませんが、最近は男女による違いに興味があるので、気になっています。
○三戸(11/12/01,23:57)
BayStarsをDeNAが買収するに当たって、楽天が「事業の健全性を問題」にして1社だけ反対したという。理由が不明確で反対すれば、どう見られるか?他社は賛成で、残るのは「私利に立つ企業」と見られるだけであることが読めないのだろうか?ところで、やくみつるの反対理由は、「青空の下でやる野球を室内ゲームの会社が所有するのは…」というものらしい。なるほど…。
○中島(8期)(11/12/02,早朝)
小説の主人公に限らず、先人達は心胆の勁さを以って発言・行動しているなと思います。
自分が同じ場面に出くわして、果たして同じように行動できるかどうか甚だ疑わしく思えます。
平時であっても肚を据え、一番ふさわしい言葉を発せられるようにしたいです。
今日も胸を張って勝負してきたいと思います。行ってきます!(久しぶりに隆慶一郎の歴史物が読みたくなりました)
○三戸(11/12/02,09:37)
@しばらく(随分か?)前から「こころとは?(そして感情・気持ちとどう違う?)」が頭から離れない(昔、「"心"で聞くな、"頭"で聞け」と言っていたのだが、「"感情"で聞くな、"心"で聞け」ではないか?と、思っているのだが…。)
Aかつて人として大事なものを「知情意」と言い、「頭・心・腹(肚)」にある・掌るとされてきた。だが、今では、その「知情意」はすべて「脳(のはたらき)」とされるようになっている。「情」は「他の人」に対して、「意」は「社会(責任)」に関わる時に、問われた。「頭(知)」だけの人間となれば、菅直人・オリンパス経営者のような「トップ、リ−ダー」しか…。また、養老孟司と茂木健一郎の違い…。
Bところで、先日(11/30)の大学院ゼミで、「"魂"は"頭・心・腹"のどこにあるか?」と問うてみたら、中国からの留学生は「頭」、日本人は「(無言なので)心(じゃないか?と聞いたら、)頷いた。みんなは、どう思うか?
○三戸(11/12/02,13:24)
会社勤めをしていれば、「笑っていいとも」は見ても「ごきげんよう」は見ることはあるまい。
鈴木亜美が出ていたが、実に話が下手だ。「話が苦手、下手、できない」という人は、
「話をする」こと自体がわかっていない勘違いしているのではないか?
言いたいことを「テーマ」にしなければならない。「結」に向かって話を作っていかなければならない。「話したいネタ」を「話したいという気持ち」だけで話せば、「話はグダグダになる」。
現役生たちは、「トーク番組」を見る時間があって、「話を上手くなりたい」と思っても、見ないだろうなぁ…。見ても、「上手い話・下手な話」の観点で視聴していまい。
松井君、談志や落語より、「ごきげんよう(鈴木亜美)」の方が学べると思うのだが…。
○三戸(11/12/02,13:33)
TVネタ関連でもう一つ。「新語・流行語大賞」で「ラブ注入」が選ばれている。
発表の場に楽しんごも出てきて、演じた。両手でハートを作って、の方はいい。「ラブ注入」なら、そこまでで充分だ。
だが、仰向けになって足を大きく開く必要はあるのか!?
あれは、少なくとも、深夜のTV以外で見せるものではあるまい。私は深夜でも見たくない。
「下品なもの」の存在自体を拒否しないが、堂々としていることに「眉を顰める」。
それが「親」であり「教師」であり「紳士」だと思っている。
○中村(20期) 12/02 16:55
@三戸先生は、今読むべき3冊のうちの一つとしてロナルド・ドーアの最新刊、
『金融が乗っ取る世界経済 21位世紀の憂鬱』(中公新書,2011年)を挙げておられました。
A「序文にかえて」においてドーアは、"世界経済の転機"となると言われ、
そうなるはずだった2008年の「リーマン・ショック」の問題を取り上げ、
2011年現在、世界経済の仕組みが「大して変わっていない」現状を指摘します。
まさしく、3.11を経た日本の状況と重なります。「Before-After」は、何か変わったのでしょうか。
世界全体が学べない状況になっているのではないか、という感を強くしました。
B「あとがきでは、二十一世紀、つまり中国の世紀の展望を披露した」とのことなので、
こちらも楽しみに読んでいきたいと思います(^^)。
○中島(8期)11/12/03 早朝
1.昨日は喉の痛みで声が嗄れていたので病院に行きました。処方された薬のなかに岩切さんの会社のセレスタミンがありました。
以前、食あたりしたときにお世話になったこの薬に、風邪をひいて出会うとは!薬局でニヤニヤしていました。
2.大事な話を口頭で伺う際に、メモも録音もできない場合、頭の中に刻み込まないといけないのですが、
やはり頭の中の整理棚というか、ラベルを貼った引き出しを多く設けていれば刻み漏らしが少なくなるのかな、と思います。
自分が話をするときも、話が散漫にならないために頭の整理棚(≒フレームワーク?)は大事だなと思います。
3.こころ(おもい[思い・想い・意い]と比較)について。
『泣いた赤鬼』の青鬼(赤鬼が人間と仲良くできるように悪役を演じ、去ってしまう青鬼)や、
『今昔物語』の月の兎(お釈迦様がひもじい時に火の中に飛び込んで身を差し出す兎)
彼らの行動は尊いと思うものの、(周囲の人は)その結果を受け入れるのは辛いと感じます。
「思い」というものは自分自身を計算の外に置いてしまえるほどに烈しく、
自分自身がいなくなって辛い思いをする相手の「こころ」が見えなくなってしまうのかもしれません。
「思い」は私たちの胸の中にあり、「こころ」は."あなた"と"わたし"のその間にあるような気もします。
3’新山君(はじめまして!)から紹介のあった「五徳」の件で、論語・陽貨篇を紐解いたとき
『 直を好みて学を好まざれば、その蔽や絞(こう) 』
正直(せいちょく)なのを好んで学問を好まないと、その弊害として視野が狭くなる
というのがありました。
「思い」を「こころ」に変えていくのは、やはり「問いを立て学ぶこと」にあるのだろうなと思います。
⇒中村貴治(20期):12/04 22:25
中島さん、お久しぶりです。
顔をお見かけしたのは、昨年の浩友会が最後でしょうか。
こちらからしっかりとしたご挨拶もできず、申し訳ありません。
これからも、掲示板を介してでもお会いできることを、楽しみにしています。
中島さんの言葉を、なるほどと思い、読ませていただきました。
「"こころ"が自分と相手の間にある」ということは、
まだ感覚レベルですが、自分にとって腑に落ちるお言葉でした。
「心配り」といった言葉や、「心のある人」という表現は、
他者とどのように関係をもつか、ということにかかっているように思います。
また、「思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし」と言われていますが、
思い(想い)だけでは、やはり「あやうい」ものであり、
だから「学ぶ」ことが必要である、ということでしょうか。
これも、自分の実感に即しているように思いました。
また、今、現役生の間でも、「"こころ"とは何か」を学ぼうとしています。
難しいテーマで、手探りでもありますが、よろしければご覧ください。
これからも、よろしくお願い致します!
→三戸ゼミQUIZ〜「こころ」ってなんだ?〜
○三戸(11/12/03,23:03)
@中島君の
○「3.こころ(おもい[思い・想い・意い]と比較)について。」と、
○「思い」を「こころ」に変えていくのは、やはり「問いを立て学ぶこと」にあるのだろうなと思います。
は、いい問題提起をしてくれたと、ありがたく思う。
「こころ」を大事にするものは、中島君が立ててくれた「問い」に「答える=学ぶ」ことに、この週末に少しでも時間を割こうじゃないか!
○三戸(11/12/03,23:10)
プロ野球のアジアシリーズは韓国に負けて終わったみたいだが、ニュースにもならなかったのではないか?
DeNA横浜ベイスターズもたいしたニュースにならなかった。
かつての二大スポーツ「野球」と「相撲」の凋落は、球団と親方に因ることが大きいことを、本人達は気づかぬどころか、認めもすまい。
まるで、東電・九電のトップやオリンパスのトップのように…。
杉山(3期)2011/12/4 0:17
「泣いた赤鬼」、最近奥さんに教えられて読んだ絵本だ。中島くんが紹介していてびっくりした。
中島くんは「青鬼」に自分を投影しているのだろうか?書き込みをみるかぎり苦労しているんだなあと心配になる。
果たして「青鬼」は犠牲になっただけだろうか?彼こそ「統合」を実現し、「和して同せず」を実現した者をかんがえられないだろうか?
あの後の「赤鬼」と「青鬼」の話は自由に想像できるのだから。
杉山(3期)2011/12/4 1:39
震災のがれきを受け入れを表明していた佐賀県武雄市の樋渡市長が受け入れを当面見送る考えを明らかにした。
阪神淡路大震災のがれきであれば、みんな反対しなかったであろう。抗議が1000件を超え、脅迫もあったようだ。不安の大きさが見える。
「絆」が今年の漢字に選ばれるのであれば、この「がれき処理」をきっかけにして日本人はあらためて、この災害を直視すべきではないか。
最初こそ地震という「自然災害」であったが、原発事故による放射性物質の拡散はまちがいなく「人災」であったのだから。
東電、政府には大きな責任がある、でもそれと同時に僕ら国民にも責任があることを忘れてはならないと思う。
⇒う〜〜〜ん。「同時に僕ら国民にも責任がある」…。
「違う!ない!」とは、言えない、言わない。
だが、その「責任」の内容は?「なぜ」「どんな」責任なのか?
「国民にも責任がある」という意見は、事件後少ししたら出ていたが、
「"国民総懺悔"では"責任の所在"が曖昧になり、却って"無責任"となる。」という「聞いたような"もっともらしい"反論」などもあってか、いつの間にか聞かれなくなった。
どうだ?せめて我々くらい、「福島原発事故の責任を"我々の責任"と絡めて考える」を「今年の総括」としてやらないか?この問題は現在進行中で、被害は出続けているばかりでなく、今後にも同種同類の出来事・事件は起こるに決まっているのだから…。
二人以上が賛同してくれたら、一緒に考えよう。(三戸:11/12/04)
⇒中村貴治(20期):11/12/04 17:05
「"国民総懺悔"では"責任の所在"が曖昧になり、却って"無責任"となる。」とは、
確かにそういう一面もあるかもしれませんが
(少しずつ"責任"を取り合うということはできないのだろうか)、
少なくとも、それぞれの責任を問い、振り返る必要はあることだと思います。
今も答えを思い浮かべるのは難しく、私の力が及ぶところではないかもしれませんが、
考えるべき内容であり、是非考えたく思います。
○三戸(11/12/04,15:13)
@「2011福岡マラソン」で市民ランナーの川内優輝(埼玉県庁)は、日本人topで2時間10分(2:09:58)を切って(順位は第3位)。
ゴールイン後、日本人1位の川内がぶっ倒れている横で2位・3位は普通に座って水分補給をしていた。
2位・3位は「ぶっ倒れるまで」走らなかった!「ぶっ倒れるまで」走らない理由はなんだろうか?
Aところで、川内は、腕時計をしていないのに、規定の「2時間10分」を切った!
しばらく前(随分前?)から、ゴールするときに、腕時計の時計を止める選手がほとんどだった!
「何のために?タイムなら主催者が正確・公式に計測しているだろ?」
「1秒でも早く」のレースで「時計を止める」という余分な意識を持つ姿に、
感心させる姿ではないなぁ…。と感じていた。
B東京オリンピックで、ぶっ倒れている君原の横で、1位のアベベは悠々とジョギングしていた。
F.ジョイナーはファッションにこだわり、長い爪でレースに出場して、それでいて成績も素晴らしかった!
(プロ)スポーツ選手は「勝たねばならない」。「弱く」て「かっこつけて」も「カッコ悪い」。
スポーツには心技体が必要なのは、大相撲だけではあるまい。バレーボールも「意志・気力」と「流れ」が重要であるのに…。
「意志の力」が「体・技」を支え・越えさせるのではないか?
かつての日本人の世界制覇は、どれも「意志の力」、それを「根性」と呼んだが、の賜物であり、
その「意志の力=根性」が「1位という成績」よりも、観る者を感動させたが故に、熱烈な応援をさせたのだと思う。
「城彰二が、フランスW杯で負けて帰った成田空港
で、怒ったファンから生卵をぶつけられる(清涼飲料水という話もある)」事件は、
「試合中に笑っていた」という理由からのそうだ。
「人は、スポーツに何を期待して観戦・応援するのか?」
「結果」か「姿勢(感動)」か?
○市川(12月4日16時)
セブンイレブンの弁当改革。まずまわりのラップがなくなっている。そして、容器も、今日
買ったからあげ弁当では、区切りが一つしかない。ごはんとからあげとの堺はなくなっていた。
容器のメーカーは確認でなかったのだが(エフピコではないのかな?)。
他のコンビニは確認でいていないので、今後注目したい。
○中村貴治(20期):11/12/04 17:05
今年も多くの日本人野球選手が大リーグに挑戦しようとしている。
その"市場"では、選手は球団から"入札"され、"落札"されていく。
ニュースでは、人間(選手)に対してこのような言葉遣いをするとが、
当然のように行われていることに、空恐ろしさを覚えた。
【4teihou】