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No:4964 投稿者:三戸 投稿日:2015/07/26 Sun 10:51:43

 2015-第

TMmito
ネットに野球関連で興味深いニュースを3件見つけた。
議論してみよう。

【問題1】
キャップスの疑惑投法をNPBの元審判が検証
                                   2015年04月20日 07時30分
 イチロー外野手(41)が今季からプレーしているマーリンズの若き右腕、カーター・キャップス(24)が注目の的となっている。問題なのはその投法で、軸足をツーステップのように前方に移動させながら投げているのだ。実質、投手板から約50センチも前から投げていることになるその投球フォームは現在、メジャーでは事実上黙認されており「インチキだ!」「いや合法だ!」との議論を呼んでいる。
キャップスの“疑惑の投球フォーム”は「ホップ・ステップ・デリバリー」とのタイトルで、米大リーグ機構(MLB)の公式サイト経由で動画を見ることができる。(略) だが、ルールブックには“投球動作中”の軸足について、特別な記述はなく、いわば「ルールの盲点」となっている。
 それでも五十嵐氏は「ルールにないからと、何をやってもいいわけではありません。ルールブックに『こうやって投げなさい、打ちなさい』といちいち細かく書いていたらきりがない。私の考えは、すべてのプレーは“野球常識”の範ちゅうの中でやるべき。その常識に外れるプレーだと審判が判断したのなら、野球規則9・01に従って裁定を下せばいい」とした。(略)
メジャーでは現在、これが黙認されているようですが、NPBで『アウト』となるのは間違いありません。米国ではルールブックに明確に記されていない事案については、選手のクセを尊重する文化があるそうです。それでも、いつまでも見過ごされていることはないでしょう。米国には『報復』という文化もある。審判が裁けないのなら、そのうち相手チームが『報復』という手段で裁くようになります。それでようやくMLBが『禁止にし
(http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/390856/)

@「ルールに記載していない」をどう考える?

A「ルールに記載していない」vs「常識に基づき審判」どちらを支持する?


【意見・コメント】
○中村貴治(20期,21:45)
@全てをルールブックに記載されている範疇でしか裁定できないのであれば、五十嵐氏の言うように、どれだけのルールが必要か。
 また、現状そのよう運営されていると思うこと自体が、非現実的であると思います。
A「ルールに記載していない」が非現実的である以上、
 大切にしているはずの価値、「公正」、「自由」・「平等」かいずれかの価値に立つしかないと思います。


○日々野(15期 23:12 07/30)
先生、場立ありがとうございます。レスポンスが遅くなり申し訳ありません。
今週日曜までじっくり時間が取れない状況ですが、解消し次第、残りの問題にも回答させて頂きたいです。

@「何が違反か」をあらかじめ示しておかなければ、ペナルティを課すことは難しいと考えます。
刑法の分野では「罪刑法定主義」といい、極めて重要な原則です。刑事手続きは、国家権力によって、国民の自由・財産・身体を抑圧するものなので、
「どのような行為がどのような刑罰に値するか」を予め明確に示しておかなければ、国家権力の暴走を招きます。
刑法は罪刑法定主義が最も厳格に求められる分野ですが、刑法以外でも同様の考え方はあります。
民法90条は「公序良俗に反するものは無効」と定めますが、なにが公序良俗に反するかは抽象的です。従って、この条項を安易に適用することは認められません。
「野球規則9・01」もこれに近い性質があると言えます。安易にこれを適用することは、規則の濫用との批判を受けると思います。

Aこの記事を読んで、スピード社の高速水着「レーザーレーサー」を思い出しました。あれは結局、国際ルールが改定され、公式大会での使用が禁止されました。
それまでのルールで対応できない新しい事態が発生したならば、その都度、その影響力を勘案し、議論を経て、ルールの改訂をしなければなりません。
法律(ルール)とはそういう歴史の繰り返しと言っても言い過ぎではないと思います。
「常識に基づき審判」には限界があります。キャップス選手の投法をペナルティとすべきか、その影響力を慎重に議論し、ルールを見直していくべきです。


〇笹井純也(26期 8/4 20:49)
@に対する僕の立場は、
「ルールに記載していないからと言って、必ずしも許されるわけではない」です。
つまり、五十嵐氏や中村さんと同意見です。
そのため、Aの問いに対しても「常識に基づき審判」を支持します。

ただし、ルールとして決められていないならば、その点も考慮すべきだと思います。
例えば、今回の件で言えば、
即座に「アウト」と判定したり、ペナルティを課したりするのは、やり過ぎです。
なぜなら、キャップスに悪意があると限らないからです。
また、ルールに記載のない事態に対して、審判がペナルティを課せば、
審判の権限がどこまでも広がっていきかねません。

よって、その場合にはあいだを取って、
「今季のみキャップスの投球フォームは認めるが、来季以降は認めない。」
というルールを作っていくことが、妥当ではないでしょうか。
(そのルール制定の際には、投球フォームの変更にどの程度時間がかかるのかなど、
 キャップスの選手人生に影響を与えすぎないような配慮も必要だと思います。)

○高橋(26期 8/4 20:55)
@細かいことまでルールに記載することは不可能だと思います。
黒(ルールで禁止されている)ではないが、限りなく黒に近いグレーというものは制限されるべきだと考えています。

A自分は「常識に基づき審判」を支持します。
理由はやはり、ルールは完全ではありません。
ルールと同様、審判も正しいという共通の前提があります。
明らかに不適と思われる場合には、審判の判断を支持する必要ができます。
また、ルールに則していれば何をしてもよいという考えは
決して尊敬されるものではありません。


○佐藤(26期 8/4 20:43)
@ルールに記載されていないことはすべて許されるわけではない、と考えます。
少なくとも今回のキャップスの投法は、打者に対して一方的に有利になってしまう点で認められません。
ルールは公正性を保つことを目的に、状況とその対応策を明言しておくものだと思います。
だからルールに反してないとしても、公正性に欠けることは認められるべきではないと考えます。

A常識的な審判というのは、ひどく曖昧なものであり、
同じ状況に対するジャッジが個人の裁量で変わってしまう恐れがあると考えます。
だからルールに則した審判が必要です。
しかしルールに則した審判では、今回の件のような、
ルールに明記されていないが公平性にかかわるものに対応できません。
だからルールを補完して適宜対応していくシステムを構築して補完し続けていくしかないと感じます。

○石嶺(24期)
@
今回の投球フォームに関することは、五十嵐氏の「ルールブックに『こうやって投げなさい、
打ちなさい』といちいち細かく書いていたらきりがない」ことに当たると思います。
やはり、ルールに記載されていないことがそのまま肯定するのなく、
そのような事態に対して審判が積極的に指導または許容を選択する必要があると思います。

この問題を聞いてアメリカのマクドナルドでコーヒーを購入したときに
コーヒーをこぼした際に「注意書きに書かれていなかった」と裁判を起こし勝訴した
事件を思い出しました。

A
どちらか、となると「常識に基づき審判」を支持します。
やはり「ルールに記載されていないから問題ない」という審判が許されれば今後も
ルールの粗を見つけては新たな打法や投球法が編み出され、ルールの改正が行われる、
といういたちごっこになってしまい、それは野球を非常につまらなくすると思います。

常識に基づく審判ならば、少なくともこれまで採択され続けたという点で支持
できると思います。しかしそれでは日比野さんが挙げてくださった「スピードレーサー」
などのこの時代ならではの問題には対応が難しいとも感じるので、新技術に対しては
また違う軸が必要なのではないかと感じました。しかし投法や打法など、従来からあるもの
については、常識に基づく審判を支持します。


○藤田航平(25期 8/10 0:20)
@たしかに、全てをルールに記載するのは困難で、
ルールに記載されていないプレーも存在してしまうでしょう。

Aしかしスポーツの世界ではルールが全てです。
ルールに記載されていない以上、
その穴をつくようなプレーをしたとしても、それを罰するべきではありません。
必要に応じて、ルールを改正するべきだと思います。

○渡邊(26期, 8/10, 13:50)
@ルールに載っていなければ何やってもいいのかと言われれば
個人的にはそんなことはないと思いますが、
ルールに載ってないことも考えなければならないというならば
何のためのルールなのか?という感じです。
今回に限って言えばルールの抜け穴を突く意図で
このフォームを作ったようには見えませんし、
野球規則9・01を即座に適用するのは規制の濫用に見えます。

Aルールに記載していないを一先ず支持します。
常識に基づき審判というのは少々難があるかと思います。
それはある程度共通した価値観があることが前提だと思うからです。
スポーツを世界的に行っていくとするならばこの前提を成り立たせるのは難しいです。
運営するにあたっては、ルールに対して影響などを審査した上で
改正を加えて行く他にはないのではないでしょうか。


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【高校野球】埼玉の“ヌンチャク君”に注意「余計なパフォーマンスするな」
東スポWeb 7月24日(金)17時48分配信
 夏の高校野球、埼玉大会で話題となった「噂の代打」男に、埼玉県高野連が注意を与えることが分かった。
 問題となったのは23日に行われた試合に代打で出場した際、バットをヌンチャクのように振り回した場面。その動画がネットで広まり、メジャーの公式サイトなど米国でも話題になっていた。
 県高野連・高間専務理事は「当該校には注意します。遅延行為になりますし、危険行為にもなる。バットが捕手に当たる可能性もありますから。この暑い時期ですし、生徒のことを考えたら、なるべく早く試合を進行させなければならない。ボール回しもしないようにしているぐらいです。それに余計なパフォーマンスをするな、ということで、ガッツポーズも禁止しているぐらい。認めるわけにはいきません」と話した。
 とはいえ3年生の最後の大会、大目に見てあげてもいいような気もするが、有名になれるチャンスと今後マネをする者が出てこないとも限らない。「ルールにないからと何をやってもいいわけではありません。ルール以前にマナーがあり、それ以前にモラルがあるんです」(高間氏)ということもあり、注意することになったようだ。
 同校の教頭先生は「本人は極めてまじめな男。まじめに努力した結果で、決して面白半分にやったわけではありません」と話したが…。あまりにヌンチャク君の動きが素晴らしかったせいで、騒ぎが大きくなりすぎてしまった格好だ。
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150724-00000042-tospoweb-base)

“ヌンチャク球児”に米国驚き バーランダーもお気に入り「今まで見た中でもっとも面白い」
夕刊フジ 7月25日(土)16時56分配信
 高校野球埼玉県大会で、バットをヌンチャクのように連続的に振り回すパフォーマンスをみせた滑川総合の選手(3年)が全米の話題となっている。米国では「見事なバットさばきだ」と感嘆の声も上がってるが、埼玉県高野連関係者は「危険行為や遅延行為にあたる可能性がある」と指摘している。
 同選手は23日の埼玉栄戦(2−3で敗退)の5回に代打で登場。左打席に向かう途中からグリップを中心にしてバットをバトントワリングのように回転させ、その後もスピードに変化をつけながら、上体を反らせたり、バットを脇や背後に回したりしながらスタンスをとった。
 投手が投球モーションに入っても、ジャグリングのようにバットを投げてキャッチ。マーリンズのイチロー外野手(41)のように回しながら動きを止めることなくタイミングを取り、投球にバットを出す器用さは驚くほど。
 ファウルになると打席を外し、新体操のように飛び跳ねたあとは、再び打席の中で片足で立ってバットを投手に突き出し、投手やベンチを指差すなど連続的に激しく動き回った。
 試合直後にこのパフォーマンスの動画がネット上に投稿され、「アニメ『てーきゅう』に登場する“夜叉の構え”だ」「いや『ドカベン』の“秘打白鳥の湖”だ」などと話題に。
 レンジャーズのダルビッシュ有投手(28)が同日、ツイッターで取り上げ、「どこの高校の誰か気になる(笑)」と投稿したことをきっかけに、24日には米国のスポーツニュースや大リーグ公式サイトでも動画が取り上げられた。CBSスポーツでは「日本の高校生がバットで武術の殺陣のようなパフォーマンスをみせた」などと報道。
 サイ・ヤング右腕バーランダー(タイガース)も「今まで見た中でもっとも面白い」などと語っている。
 埼玉県高野連は「危険で遅延行為に当たる可能性もあり、相手チームに対して失礼な行為になることもある」などの趣旨で同校を注意した。
(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150725-00000006-ykf-spo&pos=5)

動画は、以下から見ることができる。
http://www.bing.com/videos/search?q=%e5%9f%bc%e7%8e%89%e3%81%ae%e3%83%8c%e3%83%b3%e3%83%81%e3%83%a3%e3%82%af%e5%90%9b+%e5%8b%95%e7%94%bb&qpvt=%e5%9f%bc%e7%8e%89%e3%81%ae%e3%83%8c%e3%83%b3%e3%83%81%e3%83%a3%e3%82%af%e5%90%9b+%e5%8b%95%e7%94%bb&FORM=VDRE#view=detail&mid=0E55727A7F765452F0880E55727A7F765452F088

【問題2】ずばり、どう思う?高野連の考えを支持する?
○中村貴治(20期,2015/07/30, 22:45)
高野連が注意したことは支持します。
私は、このような判断には、(高校野球が)何を価値とするのか、何をしないのかを考え
それをきちんと選り分けて判断していくことが、そのものの伝統や個性、魅力、ひいては存在の価値を創っていくのだと思います。
面白がっている人がいるのは、これを一種の「ショー」と捉えているからでしょうが、
それは高校野球にとって価値とするところとは、逸脱していると思います(別の場でやるべきこと)。
また、本人がどう思っているかは関係がなく、相手がどう受け取っているか重要だと思います(「粛々と…」と同じく)。
高野連が、というよりも各部の教育の範囲内で注意すべきことだと思います。

○日々野(15期 23:38 07/30)
動画見ました。流麗なバット裁きに思わず見入ってしまいました(笑)
そこまで厳しく言わなくても…、という気もしましたが、しかしながら、問題1と異なりこちらは「高校野球」という点を勘案しなければなりません。
彼は学生であり、一方の高野連は(厳密には違うが)教師の立場であり、学生に対して礼儀・礼節・スポーツマンシップを指導すべき立場です。
この両者の関係性に立てば、高野連の考えは支持できると考えます。

○高橋(26期 8/4 20:00)
私は、高野連の考えを支持します。
ここでは、教育の場としての高校野球にふさわしい行為とは見受けられません。
相手への敬意を欠いています。
ただ、NPBの選手が行ったら娯楽の場ですので許されるとは思います。

○佐藤(26期,8/10 0:50 名前記入忘れのため追記)
高野連を支持します。
高校野球は、見る人には娯楽かもしれませんが、
高校の部活動は教育の一環であることを考えれば、あの行為は不適切です。
見る人の観点で面白ければいい、ということで判断してはいけない事案だと思います


〇笹井純也(26期 8/4 22:40)
皆様と同様、高野連が注意したことは支持します。
私は特に、相手チームへの配慮に欠けている点が気になりました。

高校野球に限らず、スポーツとは相手との真剣勝負です。
その場において、不必要な行為をする事は、相手に対して失礼です。
自分の集中のために必要不可欠であれば納得できますが、
今回の「ショー」は明らかに違います。
よって、高野連が注意したことを、私は支持します。

ただし理由については、高野連は「遅延行為」と「危険行為」よりも先に、
「モラル」について言及すべきでした。
この言い方では、この問題の意味が変わってきてしまいます。


また、私は他のプロ野球選手の反応も気になりました。
「面白い」「誰か気になる(笑)」だけで良いのでしょうか。
つまり、突然 対戦相手が「ショー」を始めたとして、
ダルビッシュは不快に感じないのでしょうか。

もし不快に感じないのであれば、ダルビッシュやバーランダーは
「スポーツは相手との真剣勝負」と考えていないのだと思います。
例えば、野球を「真剣勝負」ではなく「相手を打ち負かすゲーム」と捉えれば、
「ショー」が行われても気にしません。
この「ショー」に対する反応によって、その野球選手の野球観が分かるかもしれません。

○石嶺(24期 8/5 2:25)
Twiitterでバットをゲーム「モンスターハンター」の武器に置き換えているコラージュ動画を
観て彼の存在を知りました。
やはりこれはパフォーマンスやネタとして「おもしろいからいいじゃないか」という意見が
多いようです。

しかし目の前でバットを振り回される捕手や審判であったら少し怖いですし、自チームが
負けている状態でこのようなパフォーマンスをされるのも不快になるなと思いました。
なので私も高野連の考えを支持します。


○藤田航平(25期 8/10 0:30)
私も皆さんと同じく高野連の対応を支持します。
高校野球は単なるスポーツではなく、高校生の教育の場としての意味があり、
礼儀やスポーツマンシップ、対戦相手への敬意を重んじるべきだと思います。


【意見・コメント】


〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【問題3】

【甘口辛口】夏の高校野球で首をかしげてしまう格差…激戦区の緩和を考えてもいいのでは
 第97回全国高校野球選手権大会は24日、4つの地方大会で決勝が行われた。すでに青森は三沢商、宮城は仙台育英、沖縄は興南の出場が決まっており、これで7校が決定。いよいよ夏の甲子園(8月3日に組み合わせ抽選、6日開幕)が迫ってきた。今年は1915年に第1回全国中等学校優勝野球大会が開催されてから100周年だ。
 伝統のある大会にケチをつける気はないが、夏を迎えると、いつも首をかしげる。今年は特に感じた。大阪大会の2回戦で優勝候補の大阪桐蔭と履正社が激突し、夏の大会連覇を目指す大阪桐蔭が快勝した。事実上の決勝ともいわれた試合で、両校の実力からすれば、このカードは甲子園の準々決勝以上で実現しても不思議ではない。
 大阪大会は今年、加盟180校で争われている。全国でも南北に分かれる北海道、東西2校選出の東京を除き、神奈川、愛知、千葉、兵庫は参加校が160校を超える。逆に最も少ない鳥取を筆頭に福井、徳島、高知などが30校弱で、何回勝てば甲子園…という見方だけで言えば、あまりにも差があり過ぎだ。都会の子が甲子園を目指して地方に“流出”するのも仕方がない。
 大阪では98年の第80回記念大会から、大会回数の下ひと桁が0の大会時のみ、北大阪大会と南大阪大会の2ブロックに分けている。境界線は大阪市、東大阪市を通る中央大通などだが、だからといって南北1校ずつが選ばれるわけではない。大阪桐蔭と履正社が初戦で激突したように、シード制もない。
 国会議員の選挙における1票の格差が問題になった。区切りの100年を迎えたのだから、激戦区の緩和を考えてもいいのではないか。 (植村徹也)
(http://www.iza.ne.jp/kiji/
column/news/150725/clm15072508070004-n1.html
)

@この意見に賛成?反対?

A国会議員の選挙区区割りが問題となっているが、同じ問題?違う問題?

○高橋篤史(26期 8/4 21:05)
@
自分は「一都道府県で最低一校は出場」
ということは守るべきだと考えています。
それさえ守れば、人口の多い大阪や神奈川等の代表校を増やすことには賛成です。
甲子園(夏)の最も大きな醍醐味は
"おらが街の高校を応援する”ことにあります。
”教育”というものは決して学内で完結するものではなく、地域の支えも必要です。
(Jリーグやプロ野球のチームよりも地域で支えている感覚がある?)
だからこそ、地域住民は野球留学者が大半を占める地元の高校を"おらが街の高校"と認識し、
応援できるのではないでしょうか。
この醍醐味は多寡の問題ではなく、有無の問題です。

A
自分は、選挙区についても同じことが言えると思います。
一都道府県(同一行政区)に一人は絶対、”おらが街の代表者”が必要です。
多寡ではなく有無の問題です。
多寡に関して言えば、私はそもそも議員定数の削減に懐疑的です。
一般人の声を国の行政に反映する立場の議員はできるだけ多い方が
民主主義や一般の国民にとっては良いと考えています。
ただ、今の議員を(マスコミを介して)見ていると、しょうもない奴が本当に多く
税金を当てるぐらいなら定数を減らした方が良いという論理、も分かってしまいます。
だからといって、減少に合わせ減らしてしまうと
得票率と議席獲得率のかい離が大きくなり、独裁的な政党が生まれてしまう可能性が
高まってしまいます。(もう生まれているかもしれません)
議員の方々にはもっとしっかりしてほしい。
そして自分も責任を持って選挙に参加したいと思います。

○佐藤(26期,8/10 1:15)
@夏の甲子園は確かに不平等かもしれません。
都市と地方では学校数が大きく異なります。
しかし平等にするためにはどうすればいいのか、それがよく分かりません。
例えば、春の選抜は地方ごとに出場枠があって、過去の成績等をもとにそのブロックから代表が選ばれます。
これは平等と呼べるのでしょうか。
実力を考慮されて選ばれるという意味では平等かもしれませんが、
機会が平等にないことや過去の成績も選考に影響するという点では不平等だと思います。
春の甲子園の意味づけをどうするかによって、これが適切か否かは変わります。
同じように夏の甲子園も、単純に激戦区の出場枠を増やせば平等になるとは思えません。
夏の甲子園の意味をまず問う必要があるのではないでしょうか。
例えば、単に出場枠を増やすと、都道府県の代表という意味が薄れてしまい、
しいては甲子園の意味が、全国で一番強い高校を決めることだけになるでしょう。
僕は甲子園の意味を一番強い高校を決める大会とは思えないので、賛成できません。

A選挙区割は、一票の格差等の形をとって民主主義のシステムそのものに関わってきます。
平等にするべきもの・意味がはっきりとしていること、
国の政治の在り方に関わるものという点で、
選挙区割と甲子園の出場枠は違う問題だと思います。

○石嶺(24期 8/10 2:22)
@
私はこの意見に反対です。この記事を読んでいると、どうにも「甲子園に出場すること」に
対する機会の均等というより、見せ物としての価値を高めることを目的としているように感
じたからです。甲子園は球児の教育の一環として存在するのであり、見世物的側面はあれど
それが目的ではありません。
また、「甲子園出場機会の平等」という点も引っかかりを感じており、それが球児の教育に
良い影響を与えるのか正直分かりません。これまであっただろう「激戦区を勝ち上がってき
たのだ」という思いがなくなってしまうことにも繋がると思います・・・。

A
違う問題だと思います。選挙区区割りにおける問題は有権者の一票の格差と、選挙区の代表
という共同体意識の有無であるのに対し、高校野球の問題は甲子園出場までの平等です。
また、佐藤君の言うように一票の格差は民主主義そのものに関わっているのに対し、
高校野球はそれが平等でなければならないのか明確では有りません。


〇笹井純也(26期 8/10 4:40)
@
私はこの意見に反対です。
夏の甲子園は、地方大会も含めて、
「一回きりの真剣勝負」だからこそ、燃え上がるのです。
そうでなければ、高校球児は全力を出し切ることはできないでしょう。

もし「県によっては二位でも甲子園に出れる」となると、
高校球児は一度だけなら負けても出場できるようになります。
その試合での真剣みは、本人が気付くかに関わらず、薄れてしまいます。

春の甲子園が、夏の甲子園ほど盛り上がりを見せないのは、
春の甲子園への道のりが「一回きりの真剣勝負」ではないからだと思っています。

甲子園は、教育の一環として「本気」を経験できる機会であるため、
「一回きりの真剣勝負」を維持することが非常に重要になると思います。

A
違う問題です。
甲子園は「一回きりの真剣勝負(本気を経験する事)」が重要であるのに対して、
国家議員の選挙は、「有権者の意見が選挙に反映されているか」が重要です。

たしかに県単位で比べると、激戦区との格差は存在します。
しかし甲子園と選挙は「何のためにやるのか」は異なっており、
本質的には異なる問題です。
よって僕は、一票の格差は是正するべきだとする一方で、
甲子園の区割りは今のままが良いと考えています。


○藤田航平(25期 8/10 7:50)
@反対です。
プロスポーツの世界であれば話は違いますが
高校野球はやはり高校生の教育の場としての意味を持ちます。
勝利だけを求めるべきではありません
佐藤が書いているように、一番強い高校を決めるのが目的でもありません。
都道府県の代表としての誇りを持ち
地元の期待を背負って闘うことに価値があります。
「激戦区だから」という理由だけで代表を増やしては、その意味は薄れてしまいます。

A選挙区割りについては、違う問題だと思います。
高校野球とは違い、「平等」であることそのものに価値があります。


【意見・コメント】



〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
【問題4】以上3題を総合的観点から、論ぜよ。

○石嶺(24期 8/9 14:27)
問題4、私は非常に頭を抱えていまして、これを考えるにあたってこれまでの各問題に
おける皆さんの意見の整理をしていこうと思います。

まずは問題1から。
《問題1》
@「ルールに記載していない」をどう考えるか
まず全てをルールとして定めることに対して賛成/反対の意見に分かれています。

賛成:野球規則9.01の安易な適用は規則の濫用となるため、「罪刑法定主義」的な
   観点を野球でも持つべき。

反対:全てをルールに記載するのは非現実的である。(そのように運営されていると思うこと
   自体非現実的)

(黒に近いグレーや公正さの観点はAの問題になってくると思ったので、この段階ではこの
2つに)
皆さんこの2つの意見をもとに、ではどのように裁定するべきか、という
流れでAの回答に繋げていますね。


A「ルールに記載していない」vs「常識に基づき審判」どちらを支持する?
ここでの「ルールに記載していない」側の意見はシンプルですが、「常識に基づき審判」側
(?)の意見はまた幾つかに分かれています。

「ルールに記載していない」
・それまでのルールで対応できない新しい事態が発生したならば、その都度ルールを改訂。
 
(笹井君の意見も最後まで読むとこちらになるのではないでしょうか、意見における
妥当な案というのはつまるところ新たなルールの設定になっていると思います。)
そして私も、投法や打法でない新技術に限定するならば、こちらを支持します。

「常識に基づき審判」
・公正・自由・平等いずれかの価値に基づき判断すべき。
・公正でなければ、審判の判断を支持する。
・これまで採択され続けたという点で、審判の常識を支持。

一つには常識にもとく判断を支持。
また一つには常識に基づく判断、というより「公正・自由・平等」または公正であれば支持する。
といった丸ごと支持する意見も有れば、限定的に支持する意見が見られます。

まとめると
1-1:それまでのルールで対応できない新しい事態が発生したならば、その都度ルールを改訂
  (野球規則9.01「常識の基づく審判に基づく」は規則の濫用を招く。)

1-2:新技術に関してのみ、1を支持する
 
2-1:全てをルールに記載し裁定するのは非現実的であるから、常識に基づく審判を支持する。
  (野球規則9.01を支持)

2-2:全てをルールに記載し裁定するのは非現実的であるから、「公正・自由・平等」または公正
  な審判を支持する。
  (野球規則9.01を部分的に支持)

という形になるのではないでしょうか!?

【hakunetu15.7】

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