掲示板

どんどんどんどんどんどんどん書き込んでね

ゼミ活動報告掲示板 大学院ゼミ掲示板 夜ゼミ掲示板 三戸ゼミ写真館

三戸ゼミHP  ゼミ歌留多 朋の会   25周年掲示板  モバイル専用URL

1022608

  《NOTICE!》

(1) この掲示板は横浜国立大学経営学部三戸ゼミナール関係者を対象としています。関係者以外の書き込みはご遠慮願います。
   何かありましたら、こちら(管理人アドレス)までご連絡願います。
   三戸ゼミナールに関係する書き込みでないと考えられる場合、管理人の判断により削除させてもらう場合もございます。

(2) この掲示板では削除キーを使用した編集方法がとられています。
   同時刻に複数の編集が重なることで別の書き込みが消去されないよう、
   投稿の際は文章の「貼り付け」等を利用して、「記事の編集」画面に留まる時間を短くするようにご協力をお願いします。

《TOPICS ( 10月27日 更新)》

【企業番組勉強会】  No.520310月29日浩友会勉強会@予習編  No.5194第10回ビジネス企業番組勉強会@予習編   No.5183第10回日程調整・視聴番組公募   No.5166第九回報告 No.5139第八回報告  No.5129第七回報告!  No.4982★報告一覧 

【ベ ッ テ ィ ン グ】 No.5204プロ野球・日本シリーズ2016 No.51952016リオ・パラリンピックBETTING!! No. 5181リオオリンピック第一弾 8月14日まで! No. 5182リオオリンピック第二弾 8月14日まで!

【書店日記&今月の雑誌】   No.5189書店日記&今月の雑誌8月号  No. 51777月 No. 51726月 No. 51605月 No. 51504月 No.5130【書店企画・番外編】「新書大賞2016」を斬る!

【K-1 グランプリ】 No.51756・7月のキリ番報告 No.51613〜5月のキリ番報告 No.5134 祝 カウンター700000突破!  【No.48732014年K-1GP 【No.3920K-1グランプリ開催中! ⇒ 【No.4093報告要項

          Topics記録
名前 RSS
Eメール
題名
内容
画像
URL
削除キー 項目の保存 引用lot番号:
 

白熱教室(2013年第1回)
No:4479 投稿者:三戸 投稿日:2013/01/29 Tue 09:45:52

 2013-1

TMmito

部活で体罰を受けたものも、受けなかったものも、
子供を持っているものも、持たぬものも、
家庭で、職場で人を育てる立場にあるものは、
我が事として、
「桜宮高校の”体罰死”事件」について論じようではないか。

@ 問題は何?どこに問題がある?
A 橋下市長の「入試中止」「教員総入替え」などの対応策への賛否
B その他


◯杉山@3期 2013/1/29 23:55

@問題は何?どこに問題がある?

(1)体罰と暴力は違うのか?、いや、あくまで体罰は暴力なのか

僕は体罰と暴力には明確な違いがあると思っています。
ニュースや特にツイッター等の発言をと見るとその二つをごっちゃにして議論(発言)していると思います。

体罰:教育、指導
暴力:理不尽、一歩的、感情的

今回のケースは常態化したことにより、「体罰」(教師側としての)が「暴力」(生徒にとっての)に変わったものと言えます。
体罰と暴力の境目はその場の状況は人の価値観に依存するので、判断が難しい。

多くの日本人が体罰=暴力と思っているような気がします。

(2)体罰そのものが禁止されているという現状をどう見るか

この問題については現状、僕は答えをもっていません。

教師は明確に体罰は法律(学校教育法)で禁止されています。

体罰=教育、指導であるならば、許されてもいいのかもしれません。
軍隊(自衛隊)、消防では体罰は当たり前です。ただこの当たり前の世界は
現在の日本では非常に特殊な、一部の場所であると言えます。


○岩切 尚弥(4期生) 1/30 0:07
@問題は何?どこに問題がある?
「体罰」とは、「身体に対する罰を与える行為」であるので、罰を与えられるような行為をしたら殴られるといったことは、私が高校生であった頃までは普通にありました(ちなみに私は41歳です)。
中学生のとき、明らかに悪いことをした時は生徒指導室で思い切りビンタされたこともありますし(鼓膜破れるかと思いました)、小さいことでは宿題を忘れたりしたら拳骨を食らうとかもありました。
ですが、今回の事例は部活動の、しかもプレイ上のミス等に対して行われた行為であり、私はこれは明らかに過度の暴力行為だと感じました。
私も小学1年から高校3年まで剣道をしていましたが、稽古や試合で「出来なかった」「ミスした」「負けた」ということで暴力を受けたことはありません。ただし、「腕立て伏せを課される」「ダッシュを10本追加される」といったことは何度もありました。高校の剣道部はそれなりの結果を求められる県下では強豪校でしたので、一度、まさかのベスト16敗退という惨敗を喫した大会の当日は、大会後に、負傷者が続出するほどの稽古を課されたことがあります。その大会で女子は優勝していますが、彼女らも同じ稽古を課されました。ごめんね、女子達。
ミスしたらトレーニングや練習を余計に課すのは理解できますが、殴られる、それも数十発も殴られるということは何の指導になるのか?という疑問を禁じ得ません。練習すれば強くなりますが、殴られて上手くなったという経験は全くありませんし、聞いたこともありません。
ま、余談ですが、剣道の場合は、稽古中に合法的(?)に竹刀で殴られます。先生にやられたことはありませんが、有効打突部位をわざと外すという行為は先輩方にずいぶんやられました.剣道の逆胴なんて、胴を外し脇を狙えば肋骨ぐらい折れる威力ありますよ。突きとか、わざと防具を避けて喉に届くようにぶちかますように突くとかね。死ぬかと思います。

A橋下市長の「入試中止」「教員総入替え」などの対応策への賛否
大阪に住んでいますが橋下人気は凄いですね。
ですが、桜宮高校体育科の入試中止や府立高校の体育科の枠を拡充するといったことは何の解決になるのか理解できませんでした。
桜宮の体育科にいってバスケットボールをやりたいと思って志している生徒の進路はそれで断たれます。
他の府立高校に急に行きなさいと言われても納得できないでしょう。
橋下市長は「今年だけは我慢してください」と受験生にむかって発言しておりましたが、高校受験の1年は貴重です。取り返しはつきません。
教員入れ替えですが、入れ替えたとて、当該教員が転任された高校はどうなるのでしょうね?そこもよく考えられてないと思います。
今回、問題となっている教員に対し、懲戒処分を下すということは当然だろうと思いますが、「入試の中止」「教員入れ替え」で事態の何が解決するのかは理解できません。
橋下市長の意図は、「教員によるこのような暴力行為が日常化している部活動が常態化している学校へ生徒を進学させるのは危険性がある」ということへの回避策なのでしょうが、それは受験志望者の進路を奪うだけであり、何ら解決策にならないと思います。まずは当該教員への懲戒処分ではないでしょうか。

Bその他〜というか、ここに結論を書いてみました〜
体罰は必要か?と聞かれれば、私は必要だと思います。明らかに悪いことをした生徒に体罰を与えて指導することが何故いけないのか?
この事件が起きた翌日か翌々日でしょうか、産經新聞のコラムに、クラス内でいじめをやめなかった生徒、それを見てみぬ振りをしていた生徒30人を、「これから殴る」と宣言して、全員を殴り、禁止されている体罰を実施したことを自ら校長先生に報告に行こうとした先生の話が載っておりました。生徒達が泣きながらその先生が校長室に入ろうとするのを止めようとしたそうです。そのクラスの生徒の親達も先生の「体罰」を支持したそうです。
子どもというのは、その行為が悪いとわかっていてもやるものです。そういうことは許されないんだと言って聞かせてもやめないのであれば、殴ってでも罰を与えないといけないのではないでしょうか。「殴って、その生徒が変わるのか?」という反論も耳にします。でも、殴ってでも質すのだという姿勢を示さないと、当事者以外の生徒達は「悪いことでもやったもん勝ちだ」と思うのではないでしょうか。
罰とは、「悪い行為をしたことに対する負のサンクション」なのであって、「悪いことをしたら、罰が下るのだ」ということを子どもに示さないと、彼らが大人になったときにどうなるのだ?と思います。

ですから、教育に体罰は必要だと思います。

が、桜宮バスケ部のこの事件は体罰ではない。部活のミスは「悪いことをした」訳ではないからです。殴ってミスを減らそうとするのは指導者の指導力不足を露呈しているとしか思えません。

自殺というのは、多くの場合、「うつ病死」と捉えられます。
今回の事件では、桜宮高校バスケットボール部の主将は指導と称した教員の暴力を苦にし、自殺しました。
人をうつ病になるほど追い込むというのは、これこそ学校や会社で行われているいじめと変わらないではないか。教員が生徒を部活で殴ったことが強調されていますが、うつ病まで、そして自殺まで追い込んだことをもっと大きくとりあげ、問題視するべきではないのかと思います。

人をうつに追い込むというのは、人殺しと同じです。


○日々野 15期(1/30,3:25)
この問題に対して、まだきちんとした答えを持てていない状態ですが。
(杉山さんと、岩切さんのレスポンスの早さがすごいです!)

ブログでも、たくさんの記事が書かれているのを見ました。
その中で気になったものを一つ紹介させてください。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/tachibanaakira/20130128-00023250/
「体罰は日本型マネジメント」橘玲(作家)2013年1月28日
> この問題の本質は、日本の組織の多くがこうした「体育会型マネジメント」で
> 成り立っていることにあります。日本の会社が、自己責任で行動する近代的個人
> よりも上司の指示どおりに動く「体育会系」を好むのは周知の事実です。

部活内の体罰による上下関係は、日本型組織に通ずるところがあるとの指摘、なるほどと思いました。
一方で、高校の教育の場と、社会人の仕事の場を同一視していいのかどうか。
高校生は子供であり、自己責任で行動することは期待すべきではないのではないか。
(問いへの回答はもう少し考えさせてください。すみません。)


○太田(3期生)2013/1/30 23:25

@問題は何?どこに問題がある?
問題は、指導のためならば暴力も辞さないという考えだと思います。
私は、体罰も暴力に他ならないと考えております。
会社での暴力行為は、たとえ本人としては「指導」のつもりでも厳正な処罰を受けます。
学校においても同様であり、相手が高校生であるからと言って許されるものではありません。
百歩譲って部活動の強化に体罰が「有効」であったとしても、それが「必要」であるとは思えません。
本当に他に方法がないのか、言葉で理解させられるだけの指導力はないのか、との疑問は拭えません。
※私はよく「口ごたえ」等の訳の分からない理由からヤクザのような体育教師に
体罰を受けていましたので、多少考えが偏向しているかもしれません。
今は違うかもしれませんが、私の学生時代は進学校だろうがそうでなかろうが、
公立だろうが私立だろうが、体育教師=生活指導担当=ヤクザ=暴力でした。

A橋下市長の「入試中止」「教員総入替え」などの対応策への賛否
これは何の合理性があるのかよく分かりません。
特に「教員総入替え」については反対です。
問題となった教官及びその上司に該当する教官が処罰を受けるのは当然として、監督責任を
持たない者まで(実質的に)処分してしまうと、責任の所在を曖昧にしてしまいます。
また、入試中止については新入生を受け入れるだけの体制が整っていないことが
理由とされているようですが、それを整えるのが長の役割ではないかと思います。
高校野球で不祥事を起こした高校が大会参加を自粛するのと同様、一時的な「みそぎ」に
よって事が問題が不明瞭になるように感じております。


○安藤(25期,01/31,17:35)
@この事件の問題は教育の場である部活動において教え子が自殺したという点ではないかと思います。
企業でもうつになって自殺したり、会社の屋上から飛び降りたりというニュースを耳にします。
それと決定的に違うのは部活動が教育の場であるということです。もちろん企業内で労働者が自殺
するようなことがあるのも非常に問題ですが、教育の場で教師の指導を苦にし自殺したという点に
この事件がここまで取りざたされる理由なのではないかと思います。

A私はこの対応策については、ある程度評価をしています。
確かに桜宮高校への受験を考えていた生徒にとっては非常に悩ましく、腹立たしい対応策だと思います。もし自分が生徒だとしたら、
同じように憤っていたと思います。
しかし、現在報道されているような現状の桜宮高校体育科に入学させて満足させるという生徒の"今"をとるか、
現状のような桜宮高校は避けさせて、よりよいマネジメントの高校に入学させるという生徒の"未来"をとるかという選択の中では、この対応策はある意味的を射ているのではないかと思います。
しかし、生徒の立場を考えると、おそらく複雑な事情(推薦をもらっている、他の強い高校ではバスケ部に入れない)などがあるのでしょう。そこは考えにくい点ではあります。

Bこの事件を通して強く感じたことは、いじめの問題の時も良く思いますが「自殺」の報道の仕方です。
私は亡くなった男子生徒をたいへん気の毒に思いますし、顧問からの暴力もたいへん苦しかっただろうと思っています。
しかし、「自殺」という選択は正しかったのでしょうか、今回の一件やいじめで自殺した子供に対するメディアの報道を見ていると、「自殺は仕方なく、自殺するほどまで追い込んだものが悪い」という論調で語られています。確かにその通りです。しかし「どうすれば自殺を防げるのか」「自殺を何故してしまうのか」「自殺は最良の解決策ではない」という提起をあまりメディアの報道の中で見たことがありません。
私は今回のような一件、自殺をしたことで全国が注目し問題解決をするような一件の報道を見ていると、「自殺を正義化している」ように見えます。
私は自殺は最善の解決策ではないということを問題の解決とともにもっとメディアが発していくべきだと思います。



ちょっと思いが強すぎたのか、論点がぼやけていたので書き直します。

@問題は何?どこに問題がある?
問題の所在は、「部活動の指導は何の為に行われるのか?」というところにあると思います。
教員は主将である生徒を試合中、練習中に、日常的に殴打していたと報じられています。
特に主将であるが故に、一層殴られたとも報じられています。
主将が「主将を辞めたい」と教員に申し出たときに、「じゃあ、Bチーム(2軍)にいくんやな?」と迫られたという報道もありました。

なぜ、教員は主将を殴ったのか?

おそらくチームを勝たせるために、勝つことだけが目的となっていたために、勝利に必要なプレイが出来ない生徒を殴ったのだろうと推察されます。

教員にすれば歯がゆかったのかもしれません。
「なぜ、そんなこともできないのか?それで勝てるとでも思っているのか?」
憶測でしかありませんが、そういう思いもあったのかもしれません。

ですが、問題は「これは学校の部活動である」ということです。
勝てばいいというものではない。
部活動というのは教育的観点があるからこそ学校で行われるものであり、もし教育的観点がなければ学校でやるべきことではないのです。

部活動で「勝利を追求する」ということは決して悪いことではありません。むしろ、それにより錬磨されることは多々あります。

ですが、勝利だけが目的となったら、それは教育ではありません。

勝利のためだけに指導していたからこそ、生徒を殴ることも辞さなかったのではないかと思います。
聞けば桜宮高校バスケットボール部は名門チームだそうですね。
勝利を追求するあまりに、生徒を殴り、生徒を追いつめ、彼はうつ状態に陥って自殺行動をとってしまったのだろうと思います。

前にも書きましたが、私は教育に体罰は必要なこともあると思います。
「悪いことをやめない生徒に、殴ってでも罰を下す」ことは必要だと思うからです。
陰湿ないじめを繰り返す、人のものを盗む、人に暴力を振るうといった行為は学校では今も昔も起きています。
それを口頭で注意しても生徒がやめないのであれば、それは殴ってでもやめさせないといけないことだと思いますし、それは大人の責任ではないのかと思います。子どもとは、時として、恐ろしく残酷なものだと思うからです。

ですが、部活動において、殴ってでも勝利を追求するという姿はとても違和感を覚えます。
勝利を追求するのは良い。ですが、プレイ上のミスを殴って質すというのは正当性がないと思います。彼は悪いことをしている訳ではないのですから。

企業においても、自殺にまで追い込むようなハラスメントというのは、いったい何のための企業活動なの?ということでは同じだと思います。

成果至上主義、成果だけが唯一無二、絶対の価値であって、そのためには何をしても良いと考えてしまうと、業績を挙げられない部下への激しい叱責、ハラスメントということは起きてしまうでしょう。

会社でも叱責されるべきことはありますよ。明らかにその本人の不注意で犯したミス(相手との約束をすっぽかしたとか忘れてたとか)がある場合には私だって後輩を叱責します。「おのれは、なにしくっさとんじゃ、おらっ!」と電話口で言ったこともあります(その言い方には深く反省しております)。

ですが、仕事を頑張っても業績が上がらないことだってあります。営業の仕事では、いくら本人が頑張ったとて、成果が出ないことはよくあります。

それを責めても仕方がない。彼はやることをきちんとやっているのだから。

ですが、成果だけを見ていると、業績が上がらない部下を責め立てて、自殺にまで追い込むような事態が起こってしまうのだろうなと思います。

成果って何なの?
勝利って何なの?

それはとても重要なことではあるが、それが唯一無二の絶対になってしまうと、過ちがおきてしまうのではないでしょうか。

A橋下市長の「入試中止」「教員総入替え」などの対応策への賛否
これについては前回の書き込みと同様です。

Bその他
安藤さんの「自殺」についての書き込みを見て、書いてみようと思います。
前回も書きましたが、自殺はうつ病に特徴的な行動です。
うつ病になった方は「死にたい」「自殺したい」と考えます。
そして、うつ病から治った方は「なぜ、あのとき、自分はあんなに死にたいと思ったのだろう?」と思うそうです。私にも周りにうつ病を患った方がいますので、同じようなことを言っておりました。死にたいと泣きながら私に電話してきたこともある方ですが、2年間の治療の末、いまは克服して、仕事にも就き、つい先日結婚もされました。

うつ病になってしまうと、その特徴として、「自殺したい」と思ってしまうものです。
「自殺念慮」「自殺企図」という言葉があります。
私も仕事で抗うつ剤を取り扱ったことがあるので、その際に精神科専門医より何度かレクチャーを頂いたことがありますが、その際に上記の二つについて解説を受けました。
「自殺念慮」とは、「自殺したい、自殺したいと思うこと」です。
「自殺企図」とは、「実際に自殺を実行しようと行動をとること」です。

統計上、うつ病の方で、どちらが発現頻度が多いと思いますか?と質問されました。

「自殺したい」と考えているからこそ「自殺企図」をとってしまうというのが普通の流れですから、両者は同時に存在しえます。自殺念慮をもつ人の中から、自殺企図をする人が出てくると考えると、自殺念慮のほうが多いイメージです。
ですが、実は「自殺企図」の方が多いのです。衝動的・発作的に突然、自殺しようとしてしまうことが起きるからです。

つまり、理屈を越えて、うつ病者がとってしまう可能性がある行動が自殺だと捉えるべきだと考えます。

自殺はいいことじゃない、自殺はしたくないと考えている人間もうつになると自殺を考えてしまったり、発作的に自殺してしまいそうになるということです。

ですので、うつに追い込まない、うつになっていそうだったら早期に専門医に受診させるということが自殺防止には不可欠だと思います。


○太田 健一(3期生)2013/1/31 22:38
私は、岩切くんが書いてくれた次の内容を結論として良いように考えます。

>問題は「これは学校の部活動である」ということです。
>勝てばいいというものではない。
>部活動というのは教育的観点があるからこそ学校で行われるものであり、
>もし教育的観点がなければ学校でやるべきことではないのです。

その昔、日本を代表するメジャー・リーガー松井秀喜の高校時代、彼が甲子園での全国大会において
5連続敬遠を受けたとき、その是非についてゼミで議論したことがありました。
野球という勝負において強打者を敬遠することは作戦として有効であり、恥ずべきことでもありません。
しかし、部活動は「勝負」の前に「教育」のために行っているのであるから5連続敬遠は不適切であるのだ、
という結論で納得したように記憶しております。
何のための部活動なのか、何のための「指導」なのか、という問題を突きつけられているのであり、
暴力事件や自殺の問題に焦点を当てたのでは見えなくなることもあるかと思います。


○岩切 尚弥(4期) 1/31 23:47
実は私も松井秀樹5連続敬遠の議論を思い出していました。懐かしいですね。恥ずかしながら、私はあのとき「敬遠は立派な作戦、なにが悪いの?」派で論陣を張っておりましたが、先生に「では、なんで部活は学校でやるのかね?」と突っ込まれ、そこからコテンパンにやられました(笑)

ただ、結論をまとめる必要はまだないと思うのです。

いまの自分が立っているところによって、問題意識は変わりますし、問題意識の熱さも変わるでしょう。
部活をやってる親の立場になっている者、こないだまで部活で殴られた経験をもつ者、いろんな立ち位置から、いろんな見方があって然るべきだと思います。

あえて論点を絞り込まずに、思いを議論に乗せてこそ、「白熱」するのではないでしょうか。

特に現役生の思いを聞いてみたい。
考えがまとまってないからと躊躇しなくてもいいのではないかと思います。

私の先輩、2期生 渡辺英二さんは議論の時は恐ろしく反論が速く、かつ的確でした。

2年生の時に渡辺さんに「どうしたら、そんなに速く的確な反論ができるようになるのですか?」と聞いたことがあります(当時はインゼミで西山ゼミを打倒する必要があったので、速く的確な反論は必要だったのです)。

すると、渡辺さんは「とりあえず、相手に向かって、それは違いますと口に出して、そこから考えろ」と言いました。

無茶言うなあと思いましたが、一理あります。

是非、それは違うだろという意見を聞かせて欲しいです、特に若い人に。あー、スマホからだと書きにくい!変な改行とかあったら、ごめんなさい。


◯杉山@3期です 2/2 19:42

>軍隊(自衛隊)、消防では体罰は当たり前です。ただこの当たり前の世界は
>現在の日本では非常に特殊な、一部の場所であると言えます。

先日、僕はこう書きました。

体罰がゆるされる世界とはどんな世界なのか。上記をその後ずっと考えていました。


先ほど「ミスをしたら命に関わる場所」だと気がつきました。

そこは一人の何気ないミスが、組織、集団の命をうばいかねない場所です。
ゆっくり時間をかけて教育することができない場です。

ではなぜ日本には体罰を当たり前とする風潮が残っているのだろうか?

>「聖戦へ 民一億の体当たり」「 聖戦だ 己殺して国生かせ」
>(昭和14年)

上記の戦前の言葉は国民全員での戦争を意味しているかと。
こんな言葉を作ったメディアは許せませんね。

戦争、軍隊を否定する憲法もつ国が体罰を否定できない、悲しいことです。


○大野(18期生)2013/02/04、21:40
@問題は何?どこに問題がある?
問題とする水準が異なるのですが、私は例え大人だとしても半ば強制的に何かをやらせると
いうのは教育上必要であると思います。これからやろうとすることの重要性やその意義を説明
したとしても、当人がそれを理解し実践するとは限らず、むしろその活動を通じてその意味が
分かってくるというのが往々にしてあると思います。特に何かを習得しようとする初期の状態に
おいては、「いいから黙ってやれ」という指導は必要であると考えます(その為に体罰、暴力という
「方法」を採用するかはまた別の話になりますが。)

教育には、「子供は獣と変わらず、矯正していかなければならない」という教育観と、
近代以降の「子供の自発性(可能性)を大切にし、それを開花させていく」という教育観が
あるのを本で読んだことがあります(詳細は少し違うかもしれません)。
私は、どちらかというと後者の教育観に共感はするのですが、重要なのはどちらか一方の
教育観に立つのではなく、(大変難しいことではありますが)今まさに目の前にいる生徒の
状況を見て、指導の在り方を適時変えていくことではないかと思います。
(その際、何のための教育なのか、というのは避けては通れない問題ではありますが、)

「チームを強くするのは、体罰が効果的である」のは、ある程度の有効性を持つのかも
しれませんが、それはチームを強くするための選択肢の一つに過ぎず、「チームを強くするためには、
体罰という方法を取らなければならない」という言明にはならないと思います。
「心理的に抑圧されることでしか、人間はその能力が発揮されない」という人間観が根強いことが
そもそもの問題の前提にあるのではないかと思います。

A橋下市長の「入試中止」「教員総入替え」などの対応策への賛否
※この問題については、後日書き込みたいと思います。



【hakunetu2013.1】

Pass



Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板