掲示板

どんどんどんどんどんどんどん書き込んでね

ゼミ活動報告掲示板 大学院ゼミ掲示板 夜ゼミ掲示板 三戸ゼミ写真館

三戸ゼミHP  ゼミ歌留多 朋の会   25周年掲示板  モバイル専用URL

1023216

  《NOTICE!》

(1) この掲示板は横浜国立大学経営学部三戸ゼミナール関係者を対象としています。関係者以外の書き込みはご遠慮願います。
   何かありましたら、こちら(管理人アドレス)までご連絡願います。
   三戸ゼミナールに関係する書き込みでないと考えられる場合、管理人の判断により削除させてもらう場合もございます。

(2) この掲示板では削除キーを使用した編集方法がとられています。
   同時刻に複数の編集が重なることで別の書き込みが消去されないよう、
   投稿の際は文章の「貼り付け」等を利用して、「記事の編集」画面に留まる時間を短くするようにご協力をお願いします。

《TOPICS ( 10月27日 更新)》

【企業番組勉強会】  No.520310月29日浩友会勉強会@予習編  No.5194第10回ビジネス企業番組勉強会@予習編   No.5183第10回日程調整・視聴番組公募   No.5166第九回報告 No.5139第八回報告  No.5129第七回報告!  No.4982★報告一覧 

【ベ ッ テ ィ ン グ】 No.5204プロ野球・日本シリーズ2016 No.51952016リオ・パラリンピックBETTING!! No. 5181リオオリンピック第一弾 8月14日まで! No. 5182リオオリンピック第二弾 8月14日まで!

【書店日記&今月の雑誌】   No.5189書店日記&今月の雑誌8月号  No. 51777月 No. 51726月 No. 51605月 No. 51504月 No.5130【書店企画・番外編】「新書大賞2016」を斬る!

【K-1 グランプリ】 No.51756・7月のキリ番報告 No.51613〜5月のキリ番報告 No.5134 祝 カウンター700000突破!  【No.48732014年K-1GP 【No.3920K-1グランプリ開催中! ⇒ 【No.4093報告要項

          Topics記録
名前 RSS
Eメール
題名
内容
画像
URL
削除キー 項目の保存 引用lot番号:
 

「大相撲Betting〜白鵬と魁皇に注目〜」
No:3730 投稿者:酔狂先生 投稿日:2011/07/16 Sat 12:51:03

残り日数があまりない。
「八百長騒動」から立ち直ろうとしている力士たちは応援したい。
(大相撲協会には、全く期待できまいが…。)

T.大相撲名古屋場所5日目(14日、愛知県体育館、観衆=4400)
大関魁皇(38)が元横綱千代の富士(現九重親方)を超えて単独史上最多となる通算1046勝を果たした。
平幕旭天鵬(36)を右上手を引く得意の形で寄り切り、新記録を樹立した。
前人未到の記録に到達したことで、
魁皇の故郷・福岡県が「福岡県民栄誉賞」、直方市が「特別市民文化栄誉賞」の授与を決定。
本人は浮かれることなく「まだ黒星が先行している」と、実直に土俵に向かい続ける。
(サンケイスポーツ) 2011年07月15日

○中学校卒業後に友綱部屋に入門し、1988年3月場所で初土俵を踏んだ。
 同期には大海(後に64代横綱・曙)、
     貴花田(後に65代横綱・貴乃花)、
     若花田(後に66代横綱・若乃花)、
     和歌乃山、力櫻など有望な新弟子がおり、花の六三組と称された。
 貴乃花・和歌乃山・力櫻とは同い年・同学年である。
(以下、最後で。)

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%81%E7%9A%87%E5%8D%9A%E4%B9%8B)


○6日目終わって、2勝4敗!で、1,046勝。

U.先日聞いた白鵬のコメント。
 「今回の震災で多くの外国人が、日本から逃げ出した。
  だが、角界からは一人もいない。
  私たちは、この世界に入った時から、日本も母国となっているから、
  逃げ出すことはないのです。」
  (うろ覚えで、言葉遣いは正確ではない。)

どうだろうか?
今、日本でこれだけのことを言える人がどれだけいるだろうか?
"双葉山の記録を超える"時から、
私は、白鵬に注目し、敬意を払ってきた。
そして、「八百長問題」の時に、
彼こそが、日本の大相撲を支えているのだなぁ、とあらためて思った。
 
日本(人)から「日本(人)」が失われつつある。
相撲は、日本的精神「道」であり、
「心技体」揃って、横綱になることができる。
「心」を基本とするもので、スポーツではない。
(「甲子園」から(これ以上)「心」が失われたら…。)

朝青竜は格闘技と娯楽という側面で人気を得たが、
それは、横綱に(まづ)求めるものではない。
白鵬のような人物がいる限り、
「大相撲」は、そして「日本」は続くことができるであろう。
私は、彼の活躍を心から喜んでいる。

みんな、白鵬に注目してほしい。

○白鵬は前人未到の連覇している(申し訳ない、7連覇の間違いだ)。そして、6日目終わって、6勝0敗!
 他に、全勝は日馬富士。
 5勝1杯は、把瑠都、琴奨菊、鶴竜、豪風、豊真将、高安、栃乃若、富士東、の8人。
 (この10人の四股名を見よ!白鵬以外で「四股名」と言えるのは、4人か?
  だが、大関以上にふさわしい四股名は…。)


問題1:魁皇は、今場所何勝し、勝利数を幾つまで伸ばすか?

【参加BP】 20BP/的中者で山分け

問題2:白鵬は、@今場所何勝し(20BP)、Aそして、(優勝して)連覇記録を伸ばすか(10BP)?

【参加BP】 20BP/的中者で山分け、10BP/的中者で山分け

【締め切り】7/17の17:30

========================================================

≪Betting会場≫

【削除キー】oozumou
(上記「oozumou」を、右下の「Pass」欄にコピー&ペーストして更に横の〔編集〕をクリック。「記事の編集」ページに
移動し、「Message」欄を下にスクロール。選択肢横に回答(名前)を記入して〔編集を実行する〕をクリック)

問題1:魁皇は、今場所何勝し、勝利数を幾つまで伸ばすか?

酔狂;7勝8敗で、1,061勝
佐々木:6勝9敗で、1,060勝
太田:5勝10敗で、1,059勝
坂倉:6勝9敗で、1,060勝
中村:7勝8敗で、1,061勝
松井:5勝10敗で、1,059勝
大野:6勝9敗で、1,060勝

問題2:白鵬は、@今場所何勝し(20BP)、Aそして、(優勝して)連覇記録を伸ばすか(10BP)?

酔狂;@15勝0敗で、A8連覇(申し訳ない、8連覇の間違いだ。以下も同様だと思う)
佐々木:@15勝0敗で、A9連覇
太田:@14勝1敗で、A9連覇
坂倉:@14勝1敗で、A9連覇
中村:@15勝0敗で、A9連覇
松井:@15勝0敗で、A9連覇
大野:@14勝1敗で、A9連覇

========================================================
【コメント欄】
【酔狂】魁皇は、下の情報+「八百長防止」からすると、このあと、「5勝4敗」でいければいいのではないか?
    白鵬は、理屈抜きに応援したい。

【佐々木(16期)】
三戸先生、大相撲ベッティングを開帳いただき、どうも有難うございます。
八百長問題という点から申しますと、魁皇は「8勝7敗」が不自然に多い力士として
有名になってしまっていましたので、バランス感覚として「6勝9敗」程度に落ち着かせる
のではないかと邪推いたします。

白鷗については、私も正に「日本人」であると感じます。
ここで思い起こすのは、オルテガが「貴族」について特定の社会的階層を示すものではなく、
あらゆる責任を自らに課す類型の人間を指し示すものとして概念づけたことです。
「日本人」も同じく、生物学的、民俗学的な分類の他に、「日本的」な伝統や精神の体現者としての
分類もできるのだな、と考えました。
生物学的、民俗学的には日本人でも、何と「日本人」の減ったことかと自戒を込めて思わざるを得ません。

【太田(3期生)】
酔狂先生、開帳していただき有難うございます。
魁皇は、もちろん立派な記録ではあるのですが、プロ野球での晩年の衣笠祥雄を
見るような辛さがあります。力の落ち方が如実に成績に表れる格闘技であるからこそ
余計に見ていて辛いものがあります。

白鵬は、連勝が途切れてから更に凄味が増したように思えます。
雑誌『Number』のメンタル特集でのインタビューを読みましたが、横綱とは
何たるか、如何にあるべきかを常に真剣に考えていることが伺えます。
全勝としたいところですが、既に酔狂先生も佐々木さんも全勝予想なので14勝にします。

↑みんな、オルテガはスペインの哲学者だよ。
サッカーアルゼンチン代表の10番を背負っていたわがままなドリブラーではないよ!
間違えないでおこうね!(私だけか?)

【坂倉(22期生)】
酔狂先生、ベッティングを開帳して頂き、有難うございます。
自分の不勉強のため、大相撲にあまり関心を向けられていなかったのですが、
このベッティングに参加するにあたってネットサーフィンなどを行っていると、
大相撲が魅力あるもののように思えるようになりました。
普段、私がよく見るスポーツ(サッカーやバレーボール)と異なり、
大相撲は「心」を基本とするものであるからでしょう。
自分が今までたいして良いと思ってなかったものが、
良いと思えるようになる経験は貴重で有難いものだと思います。

【中村貴治(20期)】
三戸先生、ベッティングを開帳いただき、有難うございます。

「日本人」としての白鵬は、相撲界にとって本当に有難い存在ですし、
失ってはならないと強く思います。
守るべきものがなんなのか、我々の方が彼から学んでいきたいと思います。
魁皇の成績は「8勝7敗」が多かったという情報に私も便乗させていただきまして、
あまりかけ離れては以前の成績が余計に疑わしくなるだろうと考え、
落ち着きどころとして「7勝8敗」程度になると邪推をしました。
(それ以外に理屈をつけられなかったもので…。すみません)

【大野(18期生)】
酔狂先生、開帳していただき有難うございます。
私も、連勝記録が63で途切れたにも関わらず、そこから立て直して、その場所で
優勝したことに白鵬の凄みを感じました。
白鵬を見ていると、「心技体」の「心」が何であるかを考えさせられます。


==============================================================
「魁皇の情報」
初めて番付に掲った88年5月場所では負け越す(その後も、序二段、三段目、幕下、十両、幕内のデビュー場所はすべて負け越し。
下表参照)など、花田兄弟や曙のようなスピード昇進とはいかないものの、着実に出世を果たし、
初土俵から4年足らずの1992年初場所で十両昇進、四股名を「魁皇」とする。
1993年夏場所、20歳の若年での新入幕を果たし、若手の有望株として注目を集めるようになる。
新入幕場所こそ大きく負け越してしまい十両陥落となるものの、同年九州場所に再入幕後は日の出の勢いで番付を上げ、
1994年春場所には曙を下し初金星、初の三賞受賞(殊勲賞)、翌夏場所には早くも新三役となる。
1995年の初場所の新関脇場所からは実に13場所連続で関脇に在位(史上最長)し、
その後も度々三役に上がり、有力な大関候補として期待を寄せられるものの、足踏みする時期が長く続いた。
それでも大関昇進までに2度の優勝同点、4度の優勝次点、史上3位の15回の三賞受賞などを記録し、
強豪力士の一人として曙・貴乃花全盛の1990年代の土俵に在った。

小結で迎えた2000年夏場所、14勝1敗で念願の幕内初優勝を果たし、
これが足がかりとなって名古屋場所後にようやく大関昇進を決める。
大関獲りでは千代大海・出島・武双山・雅山らに遅れをとったが、
大関昇進後は豪快な相撲で地力の高さを見せ付け、
大関としては合計4度の優勝を経験、横綱候補の1番手だった時期もあった。
しかし、怪我の多さや精神的な脆さもあり、途中休場して綱取りのチャンスを無碍にしてしまうことも多かった。

32歳となる2004年には円熟期を迎え、全場所で二桁勝利を記録。
9月場所には5回目の優勝を遂げる。
4度目の綱取りとなる翌11月場所では、2003年3月場所から続く日本人横綱不在に終止符を打って欲しいという期待が集まった。
しかし12日目に3敗を喫し優勝争いから脱落。
それでも「千秋楽で横綱朝青龍を破っての準優勝なら昇進の可能性がある」との発言が押尾川審判部長からあり、
千秋楽の結びの一番への期待が高まった。
千秋楽では朝青龍を万全の相撲で下し、横綱昇進決定かと思われたが、結局昇進は見送られた。
翌2005年1月場所までも綱取り場所とされたが、怪我で途中休場して失敗に終わった。

2005年1月場所から2006年3月場所までは、途中休場により翌場所大関角番・角番脱出の繰り返しが続き、
大関の地位を辛うじて維持するという状況だった。
特に9回目の角番となった2006年3月場所は、序盤から本来の相撲が取れず負けが先行すると引退を示唆して、
師匠の友綱親方と相談し負け越したら引退する決意を固めた。
しかし7敗してから踏ん張り、千秋楽に朝青龍と優勝争いをしていた白鵬を寄り切って勝ち越しを決めた。
2006年5月場所以降、千秋楽まで皆勤の出場場所が増えてはいるが、
成績は10勝すらままならず勝ち越すのがやっとの状態が多く、特に2005年以降は何度も引退の危機を迎えている。

2007年9月場所4日目の安馬(後に日馬富士)戦で、幕内通算706勝を達成した。
この記録は67代横綱・武蔵丸の706勝に並ぶもので、大関以下の力士としては1番、
現役の力士としてももちろんダントツの記録である。
しかし、その2日後、右太腿の負傷を悪化させまたしても途中休場となった。
翌11月場所は、2006年同様 に再起をかける場所となったが、
14日目で勝ち越して11度目の角番を脱出、引退の危機から免れた。
勝ち越しが決まった瞬間には、観客はその日の結びの一番よりも大きな声援を魁皇に送った。

2008年8月のモンゴル巡業では、当時の横綱・朝青龍や横綱・白鵬などモンゴル出身力士以上の大人気ぶりだった[2]。
2008年11月場所前、大関・琴欧洲との稽古で右足を痛め、休場が濃厚だったが強行出場した。
しかし、3日目に若の里との取組み中に左腕まで痛めてしまい途中休場となった。

2009年1月場所は千代大海と並んで1位タイとなる、12度目の大関角番となった。
進退を賭けて場所入りし、12日目に前頭3枚目・豪風を破って角番脱出、同時に引退危機も乗り越えた。
その後3連敗したため場所を8勝7敗で終えた。
その場所直後に虫垂炎で緊急入院、手術はせず薬で治療したが協会の公式行事は休場した。
2009年11月場所で幕内在位が98場所となり、関脇・高見山の97場所を超える大相撲史上第1位の記録を達成した。
同場所3日目に把瑠都を破って史上3人目の通算800勝を果たし、
九重親方(58代横綱・千代の富士)は「私の幕内807勝(史上1位)を超えて欲しい」とエールを送った。
さらに同場所10日目、琴欧洲を押し倒しての勝利で幕内805勝を達成、
55代横綱・北の湖)の804勝を超えて幕内勝利数が単独第2位の記録となった。
この年は2005年以降では最多となる年間48勝を記録した
(2005年が39勝、2006年が40勝、2007年が44勝、2008年が43勝)。
なおこの年はすべての場所で8勝7敗という記録も達成した。

2010年1月場所2日目に豪栄道に勝ち、
19年ぶりに横綱・千代の富士の持つ幕内通算白星807勝に並んだが、この一番は魁皇得意の左四つ右上手だった。
そして3日目には、奇しくも九重親方の愛弟子でかつ長年共に大関として支えあった千代大海(当時関脇)に対し、
豪快な送り投げで勝利し、ついに幕内通算808勝を達成して史上単独1位になった。
なお、この千代大海戦が幕内通算54回目の取組となり、
史上2位の記録であったが(対戦成績は魁皇の34勝20敗。
幕内対戦の史上1位は武蔵丸対貴ノ浪の58回)、この一番で千代大海は現役最後の相撲となり、翌4日目に引退を表明した。
10日目には引き落としで日馬富士戦の連敗を8で止め、
さらに13日目には、2006年3月場所以来23場所ぶりに横綱白鵬を破り、白鵬戦での連敗を17で止めた。
白鵬はこの敗北の翌日から63連勝を記録している。
14日目には稀勢の里を上手投げで破って勝ち越し。
そして千秋楽でも垣添を送り倒しで勝利、8場所ぶりの9勝6敗で終えた。
2010年3月場所で幕内通算在位が丁度100場所を迎え、この場所も8勝7敗と勝ち越した。
3月30日、幕内在位100場所達成及び幕内通算勝利数を更新した功績を称え、
日本政府は内閣総理大臣顕彰を魁皇に授与することを決定し、4月26日に総理大臣官邸で顕彰式が執り行われた[3]。

2010年5月場所で十両以上の関取在位場所数が、史上単独1位である111場所となった。
さらに千秋楽にて大関琴欧洲を破り、大相撲史上二人目となる通算1000勝を達成した。

2010年7月、場所前に大関琴光喜が解雇されたため大関以上の地位での日本人力士は魁皇のみとなった。
同時に、幕内最高優勝の経験を持つ唯一の現役日本人力士ともなった。
11日目から怪我の為に途中休場、休場中の7月場所14日目(7月24日)に38歳の誕生日を迎えた。
翌9月場所に13回目の大関角番を迎えたが14日目に勝ち越して角番を脱出。

2010年11月場所は初日に安美錦に敗れるも、2日目から12日目まで11連勝の快進撃を続け優勝争いを演じた。
13日目に1敗の白鵬、14日目に同じく1敗の豊ノ島に敗れ優勝争いから脱落したが、
千秋楽に把瑠都を破って2004年11月場所以来36場所ぶりの12勝(3敗)を挙げ、
九州場所は稀に見る盛り上がりを見せた。

2011年1月場所12日目に把瑠都を破って、大相撲史上初となる通算100場所勝ち越しを達成した。
2011年5月技量審査場所12日目には、大相撲史上単独1位となる幕内出場回数・1431回目を達成した。
千秋楽では白鵬に右上手を掴んでの寄り切りで勝ち、通算勝ち星を1044勝とした。

翌7月場所は、千代大海と並ぶ史上1位タイの大関在位数65場所目を迎えた。
同場所では初日から3連敗し苦戦を強いられたものの、
4日目で千代の富士の持つ通算1045勝に並び、5日目に2勝目をあげて、
通算勝星史上単独1位となる通算1046勝の記録更新となった。
また同場所千秋楽で39歳となり、
昭和以降の最高齢大関以上在位記録(36代横綱羽黒山が引退した1953年9月場所の38歳10ヶ月)も更新する予定である。

初土俵以来23年以上の長きに渡る現役生活、また2000年9月に大関に昇進して以来、
10年以上に渡り関脇に一度も陥落することなく大関の座を守り続けている。
また2007年9月場所の番付で、35歳の大関となり戦後最高齢記録を更新、
2010年3月場所には昭和以降の最高齢大関在位記録をも更新した
(従来は1932年10月場所、能代潟の37歳6ヶ月)。
2011年版ギネス・ワールド・レコーズに「幕内通算846勝」「幕内在位103場所」として掲載された。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

若いころから強引な投げで鮮やかな勝ちを収めてきたが、
その相撲スタイルの代償として大関昇進後は腰痛など怪我に悩まされることが多くなった。
そのため場所ごとの好不調の波が激しく、好調な時は横綱をも負かしてしまうが、
不調な時は平幕にあっけなく負けることもある。
また、若いころには精神的に脆い面があり連敗癖があって、
上位に定着しながら大関になかなか上がれなかった理由の一つでもある。
「気が優しくて力持ち」と言われるが、「怪力だが気が弱い」「蚤の心臓」と揶揄されることもある。
力士の中でも大柄な体格、さらに怪力である事も相まってしばしば重戦車と比喩される。

近年は怪我や加齢による体力の衰えも顕著となり、立合いの鋭さ・重さに欠ける。
かつて握力計を振り切ったほどの握力は衰え、70キロ台にまで落ちている[4][5]。
左四つに組むことが難しくなり、組んでも左四つ得意の若手(稀勢の里、琴奨菊など)や、
もろ差しになるのがうまい豊ノ島には分が悪くなってきた。
太ももの故障を抱えてからは左右の動きの対処できずあっけなく土俵を割ることが増え、
また上手投げが難しくなり叩きが増える相撲も多く、魁皇らしさが半減してしまった。

30代も半ばを過ぎた2007年7月場所から2010年9月場所まで20場所連続で二桁勝利を上げられず、休場と角番が増えた。
この頃には、両差しから体格を利して一気に寄るという相撲も見せてはいるが、
一方で立合いの駆け引きや変化・引き技に頼るなど、長年の経験に裏打ちされた勝負勘による相撲が増え、
「勝っても自身が首を捻る光景」がしばしば見られる。
それでも昔取った杵柄は健在で、
守勢に回っても手繰りや小手投げでしのぎつつ時折左四つや突き押しで豪快な相撲を見せ続けている。
なかでも右上手を掴んだ際に沸き起こる観客の声援は非常に大きなものがあり、
魁皇の相撲の型が広く知られていることを示している。

三賞受賞回数は15回(歴代3位)と多いが、技能賞は1度も受賞していない。
魁皇以外で三賞受賞回数の多い力士は、殊勲賞、敢闘賞、技能賞の全てを満遍なく受賞している。

朝青龍には12勝25敗と相性がやや悪かったが、朝青龍戦の12勝は白鵬(13勝)に次ぐ勝星であった。
そのうち朝青龍に2回2連勝していた。
また、白鵬には全盛期を過ぎたせいもあって全く歯が立たず、
2011年5月技量審査場所現在6勝27敗と大きく負け越している。
特に白鵬が大関に昇進して以降は連敗が続き、結局大関時代の白鵬からは1勝もできず、
白鵬の横綱昇進後も長らく勝てないまま連敗すること17、ようやく2010年1月場所に横綱白鵬から白星を挙げている。

(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AD%81%E7%9A%87%E5%8D%9A%E4%B9%8B)

Pass



Number
Pass
SYSTEM BY せっかく掲示板