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一緒に楽しみながら、教えてくれる親父や兄貴はかっクイイ。
No:2976 投稿者:片岡ケンヨウ 投稿日:2010/03/29 Mon 01:12:10

日本人ならば、いや、世界中のどんな人でも、幼いころに父や兄に遊んでもらった
経験があるのではないだろうか。人は経験から学ぶのであり、経験からしか学べないのかもしれない。

時間は限りのあるものであり、始まりがあるものには必ず、終わりがくる。
どのように始め、どのように終わるのか。
それは、その人がどのような人間なのか、どのように生きてゆきたいのかを、物語る。

男は分かる。女は感じる。男は「理」であり、女は「感」である。
それはそうと、双方とも人間であることに変わりは無い。
いまや女の時代か。



2007年10月、私は初めて、三戸ゼミ掲示板に書き込んだ。夏合宿における相撲のレポートだった。
直後に、太田健一さんからのレスポンス、アドバイスを頂いた。
当時を振り返ると、ただただ直感的な凄さを感じていた。
10月末、浩友会の2次会でのボーリング大会。
杉山さんらと同じレーンで、なんとか先生やOB/OGの皆さんにアっピールしようと、
まあまあ得意だったボーリングに集中していた(結果2位か3位だった)。
すると、離れたレーンから、グレーのTシャツを纏った人がこっちに来て、
「片岡さん!この場がどんな場か分かっているよね?」と諫言を受けた。
「この人が、太田さんかー。。。」とシドロモドロになりながら思ったのを、昨日のように思い出す。

2008年11月、私が後輩の書き込みを、掲示板上で指摘したことに対して、その3時間後に、
太田さんから指摘、指導を受けた。厳しかった。本当に、本当に厳しかった。けれど優しかった。
批判や評価は、他利自利のものであり、対象に謙虚に、その意義を理解してからでなければ、ダメ。
何が出来ているかに着目すれば、出来ていない点は改善点に見える。そして「惜しい」と言える。
書評は褒めるが8割、批判が2割。
対象となる人、そして読み手の心情に配慮した書き方、言い方を心がける。
心そこにあらざれば、見れどもみえず、聞けどもきこえず。
まだまだである。しかし当時よりも、太田さんの教えを実践し、理解できている。
同じ過ちを繰り返さぬよう、これからも気をつけたい。

08年度11月といえば、大成功をおさめた三戸ゼミナール20周年記念合宿。
その準備委員会に、私も参加させてもらい、月に一度、横浜駅近くで打ち合わせをしていた。

ある日、昔からの三戸ゼミゆきつけ、上海飯店が集合場所であった。
私は、準備委員会の中で学年も年齢も一番下であるので、こりゃあ遅れてはまずいと、
集合時間の15分から20分前には店に到着しておこうとアパートを発った。
順調に電車を降り立ち、「一番だろうな」と店への曲がり角を過ぎたとき、
イヤホンで何かを聞きながら、前回の会合資料を読んでいる、読み込んでいる太田さんがいた。
実はそんなことが何度もあった。

ある日の会合が終わったのは、明朝3時か4時過ぎだっただろうか。明朝である。
私のアパートは大学そばのため、会合が終わり、その30分後には布団に入っていた。
そして仮眠をとった後、昼ぐらいであったように記憶している。
メールBOXを開くと、太田さんからその日の会合を取りまとめたレジュメが届いていた。
そんなことも何度もあった。

「楽しくしてくれたことにありがとうを言おう」。
それは先生が、記念合宿が終わった後に、太田さんに伝えられたことである。
会合資料のレジュメ、車内ペーパークイズ、日の丸に着き、
開会式のあとのプロジェクターを用いたつかみ、その後の経過報告。
太田さんの創りだすもの、世界、そして太田さんと一緒に車内ペーパークイズの採点をしている時、
とにかく楽しかった。自然とエネルギーが沸いてきた。
「ああ、人間っていうのは、楽しければエネルギーが出てくるのだな」と思った。
「らく」な楽しさではない。
本当の楽しさは、「本気」であることを前提とする。

かつて、「太田一刀齋の代理人」様をはじめとして、
多くの方に多大なるご迷惑をお掛けしたことがあった。
NO.2500、一刀齋さんの遺失物届は、この2年半を通して一番腹に突き刺さった。
腹を抱えてしまった。今見ても抱える。
5年後見ても抱えるだろう。
一生の宝物である。

本気。本気なんだけれども、余裕をもって。楽しく。


この2年半を終えるにあたり、心に浮かんだことが、
「ああ、OB/OGの皆さんと一緒に学び、遊んでいただいた2年半だったなあ」
ということである。

太田さんだけではない。本当に多くの方々と一緒に学んだ2年半であった。
遊んでいただいた2年半であった。


20周年記念合宿のスピーチ大会。
岩切さんの「評価」に刮目させられた。
立て板に水のごとくロジックが流れ、思わず、
ふむふむ、うわーと頷くことができる評価であった。

岩切さんの、私のスピーチに対する評価を聞きたいと思い、休憩時間に岩切さんに話しかけた。
そこでは、私のスピーチに対する評価とともに、
岩切さんの、スピーチ大会に対する考え方、工夫をいくつもお聞きすることができた。

スピーチで、岩切さんは黒のファイルに原稿を入れていた。
そのファイル自体は100円ショップで購入されたものだが、
スピーチの時に、原稿の紙を一枚持つのと、それをファイルに入れて話すのでは違う、ということを教わった。
(何がどう違うかは内緒)。
それからというもの、私も、スピーチ大会で原稿を持つときは、
ファイルなりバインダーなりを活用している。

記念合宿が終わり、三戸ゼミ掲示板で皆さんの「振り返り」の書き込みが続く中、
岩切さんから、私のスピーチに対してさらなるアドバイスを頂いた。
「何度も読むことの出来る」文章と、「その場、その時にしか残せない」スピーチの違いを
意識してみればどうかと。

先日、ゼミ以外の場で、故人を語る機会があった。語り終えたのち、父にビールを注がれながら、
「感激した」と言われた。「感激した」という言葉も嬉しかったが、
父に「残った」ということが分かった、それが一番嬉しかった。
追い出し合宿のスピーチ大会でも、「残る」話が出来た。
岩切さんの前で、「話」をする機会があれば、良い話がしたいと心から思う。


先日の追い出し合宿が終わって数日。
三戸ゼミ歌留多 朋の会 掲示板での「歓迎」には、本当に感動した。
もっと学んで生きたいと思った。

中島さんの記念合宿でのスピーチは、今も残っている。これからも残り続けるだろう。
「学ぶは生きる」。

記念合宿で、ほかの人がスピーチをしているときに一番、「聞きたい」、「そのスピーチを分かりたい」、
「そのスピーチを共有、共感したい」、「そのスピーチから学びたい」、
という姿勢で聞かれていたのは、中島さんであると思う。
学び手としての姿勢を見習いたい。

本年度、三戸ゼミ掲示板で「同時アクセスパーティー」が催され、参加することができた。
とにかく楽しかった。三戸ゼミ「初期」の頃の雰囲気を味わうことが出来た。
古郡さんの「味」を堪能することが出来た。
福冨さんの独自の世界を垣間見た。

中島さんに「紐帯」となって頂いたから経験することができた。

中島さんのような、教養を兼ね備えた大人になりたいと思う。
正確に言えば、教養を自分のものとし、
生きることを楽しむ中島さんに追いつけるようになりたい。
中島さんの、姿勢を見習って。


人の話を聞いて堪え切れなくなったのは、
佐々木さんのラストスピーチが初めてである。

院生時代の佐々木さんと、半年間一緒に学んだ。
評価、アドバイス、激励をたくさんいただいた。

当時の、佐々木さんの刮目でのお話は、いつも「凄いなあ」と思いながら聞いていた。
今の私と比べてどうか。
当時の、佐々木さん以上の良い話が出来るようになっていると思う。

佐々木さんとの関わり合いの中で強く印象に残っているのが、掲示板でのやり取りである。
2年次に書いたものに、分かりやすく、役に立つアドバイスを頂いた。
OBとなられてからも、いつも「後輩の仕事を自分の仕事」として、厳しく、優しく見守って下さり、
ご指導いただいた。

学問能力、知的レベルでは、まだまだ、かなわないだろう。
佐々木さんの読む本の質、量には、刮目されっぱなしである。
質ではまだまだ勝てないかもしれないが、スピード感では追いつきたい。
そしていつか、佐々木さんの知的欲求を満たせる話ができるようになり、
佐々木さんを刮目させたい。

あのラストスピーチがなければ、今の自分は、いない。


記念合宿が終わってから、三戸ゼミ掲示板上で一番刮目させられたのは、杉山さんかもしれない。
現役生に対するレスポンス、先生の課題に対する取り組み。
「これから商談です」の一言は、素直に「かっクイイ」と思った。

今年度の前期、中期は、なんとかHPを盛り上げようと、本気でやった。
そのような中、杉山さんのレスポンスが、とにかく嬉しかった。
次へのガソリンになった。
記念合宿でも、兄貴分として、現役生にフォローをいただいた。
前回の浩友会では、せっかく「片岡さん、後で席替えしましょう」と言っていただいたのに、
十分に応えることが出来なかった。
次回は、十二分にお返ししたい。
家族とベッティングに参加する。したいと思い、できる生活は私の憧憬である。


「この10年の中で、片岡が一番研究室に来ているなあ」
と言われたのは、08年度の夏頃であっただろうか。
もちろん、いつも何かの用があって先生に会いに行っていたが、
用が終わっても、研究室に残った。先生のお話を聞きたかった。
初めのうちは、ただただ「聞く」だけだったが、4年になってからは、
少しづつ「話す」ことが出来るようになった。
ちなみに、08年度、用がなくて研究室のドアをノックしたことも一度ある。
今年は、先生のマイカーの中で、ホームページについてご相談。
後期は、先生が研究室に来ているということが心の支えとなった。

同時アクセスパーティーの雰囲気、とにかく楽しかった。
1桁の期生の皆さんと、2桁の皆さんでは、現役時代に学んだ時の先生のご年齢が異なる。
先生とは、親子ほどに年が離れている。
いつも、楽しさ、嬉しさ、悲しさ、苦しさを、一緒になって共有してくださった。

人間は、こうなりたい、ああなりたいという憧れを持ち、自然とワクワクするとき、
そうなれるのだと思った。
いや、ワクワクしながら、全力で、時に、必死になって、努力と工夫を続ければ、そうなれるのである。



楽しかったゼミ生活、大学生活、学生生活の終わりを迎えるにあたり、
OB/OGの皆さん、日尻田さん、とーぜんさきに先生の顔が自然と浮かんできた。
1期生の皆さんから、三戸ゼミに関わった人、お一人お一人がいなければ、
今の三戸ゼミは、絶対に、出来ていない。

次の記念合宿までには、一人でも多くの方のツボを発見したい。
そして、一人でも多くの方々と、共に学び、共に遊びたい。
刮目勝負が、したい。楽しみたい。そして、語りたい。

さあ、準備は整った。ワクワクしている。
やる。学ぶ。人間として、成長する。

次は私の番だ。

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