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掲示板がますます活気づくことを願って(ver.3)
No:1959 投稿者:三戸 浩 投稿日:2008/09/15 Mon 00:44:39

はじめに 〜再度、投稿するに当たって〜
 9/2に、「(新)掲示板のスタートに当たって(改)」を書き込んだ。その理由・ねらいは以下の通りであった。
@折角、掲示板が存続したにも関わらず、誰も書き込んでいない。皆が書き込むきっかけを作る。
A「新」といっても、全く依然と同じものとなってい。別にそのまま書き続けても良い。だが、折角だから、あらたまってみたらどうだろうか、と考えた。
B少し前に「タモリの赤塚不二夫への弔辞」を載せたように、みなに挨拶というものを意識してもらうこと、「いい挨拶・辞」が出来るようにトレーニングをすること。
C太田君が過去の書き込みを忠実に残そうとしてくれた。
 自分が、仲間が何をどう書き込んできたかが残されている。その書き込みを読み返し、振り返ることは、自分を振り返り、自分の経験から学ぶきっかけとなる。ぜひ、この際に読み返してもらいたかった。だから、わざわざ、「回数を数えた」だの「全部読み返して、書き込み者の候補を決めた」だの書いた。
Dあらためて、この掲示板がどういうもので、「何の為、誰のためにあるのか」、「どれだけ大切なものか」、をあらためて考えてもらいたかった。

 だが、本日9/14。2週間近く経ったが、14名中7名が書き込みを終え、4名が「取りあえず」書き、3名が未だ書き込んでいない。別に、書き込まねばならないわけではない。書き込めない事情もあるだろう。9/4までと日を区切ったのだから、9/5からみなが、好きなように、賑やかに書き込んでくれて良かったのだ。だが、半分が「終わっていない」からだろうか、9/5が過ぎても杉山の書き込みだけであり、しかも杉山は書き込むべきではなかったと感じているようだ(「自分の戒めのために敢えて、残しておく。」そのようなことが言える卒業生が誇らしい。戒めとして十分に活かして欲しい)。(太田と小林の書き込みは別であろう)
「おーい、杉山。好きに書き込んでいいんだぞ。みんなも書けや。」

 太田達の折角の努力をこんな風にしてしまったのは、私の9/2の書き込みのせいである。また、岩切君や小山君にあのような書き込みをさせたのも私のせいである。折角の目出度さを壊した責任をとらねばならない。
 なんとか、自然に「望ましい状態」にならないかと考え、9/12、No:1958「心そこにあらざれば」を書いたが、誰もその意図を読み取ってはくれていないようだ。
寂しく、残念だが、仕方がない。次のようにすることにした。

一、9/2の書き込みは、読み返してみても、表現など至らぬところが多い。そのせいでこうなったと言えよう。だから、書き直したものを投稿する(抜本的に書きあらためてはいない)。もう一度、読んで、私の真意に沿って、ゼミ掲示板をみんなの楽しい場にしてくれないだろうか。

二、9/1の最初の膠着状況を打開しようとしたことが、十分に理解されぬどころか、一部のものを傷つけた(そう書き込まれているのを読んだ時、残念で悲しかった、納得いかなかったのなら、皆の前でぶちまけずに、個人的に尋ねてもらいたかった。いかに恥ずかしいことか、書いた人は気づいていないのだろう。そのようにさせてしまったのは、9/2の書き込みであり、私の言葉によるものである)。そして今、新たな膠着状態を生み出し、より一層悪くしてしまった。すまなかった、と謝罪しておきたい。

三、多数書込者リストで、姓だけで名を書き漏らした人がいる。名を書き加えた。失礼した。申し訳ない。

四、9/2、No:1939「新掲示板のスタートに当たって(改)」や 9/12、No:1958「心そこにあらざれば」のように、通じないものを書いている。独りよがりでしかなく、恥ずかしい。私は今後、ここには書き込んだり、ゼミ生達に指示したりしないようにしたい。
卒業生を中心とする、君達で、楽しくここを盛り上げていって欲しい。以前のような、活発な談論の場が一日も早く戻ってくることを願ってやまない。

五、今、一通り、言葉を足し終えたところだ。恐らく、書きすぎたと思う。だが、書き足らねばわかってもらえず、書きすぎれば傷つけ遠ざけてしまう。難しい。
 岩切君、角谷や原はここから去った。君の意図に全く反したとしても、それは事実だ。君がそのことをきちんと受け止めたとは、思えない。受け止めていたなら、No:1942「私が掲示板にむかっていた理由」は書かれなかったはずだ。君が書き込むのを止めた理由も、こちらでなければならなかったのではないか?と思う。私は、書込を止める以外の方法を採るべきであったし、またこの掲示板への関わり方も他にあったはず、と思っている。
 以下を読み傷つくかも知れぬが、気づいて欲しい。私の最後の「教え」だ…。もし、去るとしたら、傷ついたものではなく、傷つけたものでなければならない。私は、ここから去ることにした。だからと言って、君や皆を傷つけることが正当化されるわけではない。去る理由は、複数だが、「傷つけるものは…」はその中の主要な二つの内の一つだ。
後輩をここから去らせ、私が去る代わりの「話」だ。受け取って欲しい。学んで欲しい。そして、良き「三戸ゼミ生」の先輩として、ここを盛り立てていって欲しい。お願いしたい。

六、太田君のNo:1940「知と空気の蓄積」他、あゝいいなぁ…と思わせてくれる「良い辞」をかいてくれた人達、有り難う。嬉しかった。今後も、もっと良い辞を吐けるよう、願っている。書き込んだ人達、自分の辞と仲間の辞を比べてみてくれ。以上、お礼と希望だ。

七、(付)9/2、No:1939「新掲示板のスタートに当たって(改)」を削除してこれに換えるか、書き直すかするつもりであった。だが、私が何を望んでいたかを少しの人でいいから、わかって欲しく、あえて両者を載せることにする(書き込んでくれた辞の中には、書き直したら、と思うものがあった。私も書き直しているという所を示したい意図もある)。
 だが、ここにこのような書き込みがあるのは、見苦しく、掲示板にすまないと思っている。適当な時期が過ぎたら、どちらかを訂正なり、削除なりしてもらえないだろうか。

「新掲示板のスタートに当たって(改訂版)」
1.はじめに
 平成20年8月31日(金)をもって6年半にわたって、私たちに多くの感動や・喜びを与えてくれ、、また学問させてくれ、成長させてくれてきた「元祖三戸ゼミ掲示板」に書き込むことはもうできないし、読むこともできなくなった。
 だが、太田君がそっくりな新(仮)掲示板を見つけ、造ってくれ、現役生が過去の書込の移設作業を手伝ってくれた。おかげで、三戸ゼミの卒業生(*1,2)も現役生もみな9月1日からもこれまで通りに、書き込むことも、仲間の書込を読むことも、過去の自他の書込を読み返すこともできるようになった。
 (*1)私は、卒業生もゼミ生だと思っている。現役・OB、現役・卒業生という「煩雑な」 表現を避けさせてもらっている。 
 (*2) また、かつては「現役OB」とか「現役・卒業生諸君」とかを使っていたが、い つか、「ゼミ生には女性もいる」という意見・抗議があった。論理的には正しいが、使 っている人に「差別意識は全くなかった」と私は思っている。ただ、「言われた女性が 差別された」と感じたとしたら、それは「申し訳ない」と謝り、以後気をつけねばなる まい。だが、私は三戸ゼミを理解しないものが言うこと、感じることだと思っているが、 それは三戸ゼミ観の相違であり、掲示板で「OB・O G、諸君・諸嬢について」で議 論しようかとも思ったこともあった、が止めている。

2.「元祖」ゼミ掲示板の終わり方の議論と実際
「元祖」ゼミ掲示板の最後の書き込みについては、
 08.4.15のNo:1714 【掲示板の最後の書き込みの権利は?】 大野裕喜を受けて、
 08.4.16のNo:1715 【Re:掲示板の最後の書き込みについて】太田 健一
 08.4.22のNo:1725【Re:掲示板の最後の書き込みについて】大野裕喜
 08.4.26のNo:1727 【Re:掲示板の最後の書き込みについて】大野裕喜

で問題とされ、検討の仕方を確認するだけで、明確な形を決めぬまま8/31を迎えてしまった。だが、「案ずるより産むが易し」下のような書き込みを得て、今日を迎えることができた。

 8/30 No:1924 【12期 吉永美幸です】掲示板の母、吉永美幸
 8/31 No:1928【ゼミ掲示板ありがとう】三戸
   No:1930 【aaacafe掲示板「最後の一日」にあたって】中島大輔
   No:1931 【ゼミ掲示板への「有難う」】佐々木真光
 9/1 No:1932 ☆★☆ 【重要なお知らせ】引越し完了しました。 ☆★☆太田健一

 9/1の太田君【引っ越し完了しました】の最後にこう書いてくれている。

  「私を含め、今後の三戸ゼミ関係者の書き込みにより、この掲示板が皆にとってより一層大切な存在となることを願います。

   どんどんどんどんどんどんどん書き込んでね。

   平成20年9月1日 三戸ゼミナール3期生 太田健一 」

3.平成20年9月1日 〜カウンターの数値は?〜
 今は、9月2日の午前2時17分。「記念すべき」9月1日は太田君の事務的案内の2件だけで終わってしまっている!!
9月1日午前0時のカウンターは[3666]を示していた。
そして今、9月2日午前2時24分のカウンターでは[3963]となっている。
 1日の間におよそ延べ300人が、新しい掲示板に仲間が何と書き込んでいるだろうかと楽しみに訪れている。何も書き込みがないことを見て、去っていったということになる。
(※)真光の06年06年10月23日【カウンターを付けました】のおかげで、以上のことがわかる。

4.なぜ、書き込まれなかったか〜空白の一日の真相を推理する〜
「元祖」掲示板の終わり方の論議を見ていなくとも、この掲示板では「(良き社会人としての)振る舞い」が重視されることを知っているゼミ生達である。「相応しい人が最初に書き込む」のだから、その人の書込を待ち遠しく(その書込を読むことができる。そして自分が書き込むことが出来るようになる)思っている内に、貴重でめでたい第1日目が終わってしまったのじゃないだろうか。

5.放っておいていいのだろうか?
これまで通り全く変わらぬ三戸ゼミ掲示板であるが、やはり太田君の思いと心とエネルギー、現役生達の気持ちと移管作業に費やしてくれた労力があっての「新三戸ゼミ掲示板」である。それだけのことにやはり応えたいし、応えねばならない。
 だが、重要な「一番に書き込むのは誰か」さえ決めていなかった。すなわち、新三戸ゼミ掲示板の相応しいスタートの切り方」を検討しよう、と言いながら、していなかったことに、気づいた。
  (実は、上記したNo.1714【掲示板の最後の書き込みの権利は?】でもわかるように、私は終わりも始めも、「書きたい」と思ったやつが書きゃいい、と漠然と思っていたのだ。だが、太田の【Re:掲示板の最後の書き込みについて】を見て、彼、みんなにとっての掲示板の位置と意味に気づかされた。また日頃から私自身「形」の重要性を説いていたのであるから尚更である。)

7.「三戸ゼミ掲示板は誰のものか」という問題(その1)
 この掲示板は「誰のもので、何のためにあるのか」は、問題として底流にありながらも、あらためて取り上げて検討することさえしてこなかった(必要なかったからではないか、それは「無事」ということで「有り難い」ことだったのだなあ…)。
 私は、これまた漠然と「三戸ゼミみんなのもの」位に思っていた。ここは「三戸ゼミ掲示板」と銘打っているのだから「三戸ゼミ」の場である。だが、大学にある「三戸ゼミ」は現役生+院生の活動であり、(ほぼ)現役生のためにある。
 それに対し「三戸ゼミ掲示板」は、大学にある三戸ゼミは卒業して(たとえ参加したくても)参加できない卒業生(*3)を直接の・主要な「ステークホルダー(権利保持者*4)」とするものである。簡単に言えば「(主に)卒業生のためにある」(卒業生のものでは決してないはずだと私は思っていることを付け加えておきたい)から、私は書き込みを出来る限りしないようにしてきた(*5)。
 (*3)「現時点での卒業生」であり、「将来卒業生となるだろう現役生」は入れていない。
 (*4)一般的には「利害関係者」とされているが、「自分のものだ」「自分のためにある」と思っている・主張するものを「ステークホルダー(権利保持者)」と考えている。
 (*5)「久しぶり」の来訪者の挨拶(*6)とベッティングにはできるだけ応える。卒業生への情報や活気づけとして「本の話題」。そして活気づけの為の「問題・クイズ」。これもできるだけ現役生を通じて出題する。
 (*6)昨年の9/17に5期生安倍が No:1490「Re:H19年度 浩友会勉強会テーマ:【 業界風土 】」で、「お久しぶり」と本当に久しぶりに連絡してきてくれた。そこには、真っ先に「先生、…」と書いてあったのに、「おお安倍、元気にやっていたか?」と返さぬまま、2週間後に、2007/10/01 No:1496「本の話」を書き、そこでも安倍に返事を書かなかった。
  恥ずかしい、安倍すまなかった。代わりに(ではないんだが)「お久しぶり」と返事をしてくれた太田君、中島君ありがとう。できるだけ書くまい、という判断とは別に、何は書くべきかは押さえておかねばならなかったはずだ。また、中川博和にも併せて謝っておきたい。

8.「三戸ゼミ掲示板は誰のものか」という問題(その2)
今、意識して考えてみれば、三戸ゼミ掲示板という場がここに「ある」。三戸ゼミ生のコミュニケートのために自然発生的に、必要に応じて使われるものであろう、だから、お喋りしたり、現役生や幹事からみんなへの伝達・報告があったり、議論が生まれたり、挨拶「お久しぶり」などがあったりしてきたのであろう。

9.誰に書き込みを始めてもらおうか?
 7.で、この掲示板は主に「卒業生のため」にある、8.で「自然に」、と考えてきた、と書いた。だから、私が最初に書き込むことはおかしいし(*7)、私が勝手に指名することもできない。だが、誰かが何かを始めないと、この新掲示板はスタートできない状態に陥っているようだ!
 (*7)「先ず隗より始めよ」という言葉がある。だが、それでは先生の資格はなかろう。

10.そこで、書き込むに相応しい(権利を持つ)人を「できるだけ客観的に決定」して、その人にまず書き込んでもらうことにしよう、と考えた。平成14年3月24日の吉永【お待たせしました】の書込から、最も書き込んだもの、この掲示板を最も大事にした者、最も高め、充実させてくれた者を探すことにした。その作業が終わったのが、ついさっきだ。
書き込み回数だけならたいしたこともないが(とはいえ、結構な作業にはなったが…)、書き込み内容まで吟味するとなると丸一日作業となった(*8)。
(ただ、回数を数えるだけでなく、ついでのプランもあった。楽しみにしていてくれ。)

11.まず、書込数を見てみよう。数多く書き込んだものは、それだけこの場を必要・大事にしていたのではなかろうか。また、書き込むものがいてこその掲示板であり、皆が読み、学ぶことが出来たのである。
 2002年3月から健在までの6年半の間の各人の書き込み合計回数top10は次の通り(これを20周年の時のクイズに使いたかったなあ…)。
 第1位 佐々木真光 252回(03年〜)
 第2位 岩切尚弥  192回(02年〜)
 第3位 大野裕喜  109回(05年〜)
 第4位 中島大輔  106回(02年〜)
 第5位 太田健一  101回(06年〜)
 第6位 藤井孝之   55回(06年〜)
 第7位 古郡 功   52回(02年〜)
 第〃位 纉c 昇   52回(02年〜)
 第9位 渡辺英二   50回(02年〜)
 第10位 池田健太郎  48回(04年〜)
 次点  福富智之    46回(04年〜)
(*数え損ねたおそれがあるかもしれぬが、許して欲しい。)

12.テープ・カッターのリスト
11.でリストアップした人達を候補者としよう。最多数書き込みをしたものから順番でもいいのだが、書き込みをした年数も違えば、現役・院生としての書き込みは卒業生のそれとは意味や重みが違うであろう。何よりも、一文の長さの違いはもとよりその内容にも軽重がある。よって私が書き込みを読んだ判断をも加えて、順位付けをしたい。(急いで断っておくが、以下の順番は選別した順番であり、必ずしもその順番に書き込みをしてくれ、というものではない。第一、そんなことになったら、誰か一人が書き込みをしなかったら、後に続くものが困ることになる。何より、過去沢山書いたものが、先に書く権利があるはずもない、ということを念押ししておきたい。)

 以下に、名前を挙げる人達が先ず書込をして欲しい。
@最も書き込み回数が多いのは、佐々木真光である。しかし、私は、第5位ではあったが、やはり太田健一の辞(ことば)を最初に読みたい。
 理由は言うまでもないだろうが、この新掲示板は太田あってのものであることは勿論ではある。そして、太田に教えてもらったり、励ましてもらったり、知でも情でも彼の「恩」を受けたゼミ生は数多いはずだ。だが、それだけの理由で彼を推すわけではない。

 なぜ太田がここまでやってくれたかのだろうかまで考えて欲しい。彼はこの掲示板を本当に大事なものだと思っている。この3年間の彼の書き込みは、ゼミと後輩達への愛情と愛着に満ちていた。(新)掲示板の立ち上げも、たくさんの書き込みも(太田は3年間でこの数値である)、彼が最もこの掲示板を必要とし、大事にしていたからである、と私には思える。この掲示板を「必要」とし、「大事」に思っている者こそ、この掲示板に最初に書き込むのが相応しいではないか。

A次に読みたいゼミ生の辞は、岩切尚弥のものである。掲示板を大事にしていたものこそその権利に相応しい、とするなら、数から言っても次は岩切であろう。

 太田との差は、新掲示板への貢献に因るものではない。岩切も太田に負けぬほど、ゼミに対する愛着を持ち、後輩を案じていることは間違いなかろう。06年度の70回という数値には頭が下がる(単年度書き込み回数としてはダントツである。第2位は07年度の太田の58回、第3位は06年度真光の55回)。それだけ掲示板に貢献してくれ、ゼミを大切にしてくれたのだから。だが残念に思うのは、岩切はこの7年の間での年ごとのバラツキが大きく、また本年度は書き込みがないことである。(いろいろな理由があると思う。だが、君の書込を読みたいと思うものがいる限り、書込を続けて欲しい。)

 太田との「ゼミ掲示板の大事」の度合いは勝るとも劣らぬであろうが、その「大事にする仕方」は、太田に一歩譲ることは誰よりも岩切本人がわかっているはずだ。元祖掲示板の「終わり方」と「終わった後の心配」を太田はしていることからもわかるように、この掲示板の存在自体を太田は大切にしているが、岩切は書き込みを大切にしているのである。

 君は、後輩達の書き込みに対して、はっきりと忠告してやるべきであると考え、それが相手とゼミに対する真の愛情だと思っていたからではないのか。(私は、その君の気持ちを100%肯定する。君が、本当に数多くの人たちのメッセージに対して一生懸命思いを込めて応えていたことを痛いほど感じていたのは私だけではあるまい。)
 私は、君があの書き込みで得たことで成長した姿を見たいのだ。だから、太田の次に書き込みをしてくれ。

 (この文章の説明不足が、岩切君の「私が掲示板にむかっていた理由」No:1942 投稿者:岩切 尚弥(4期生) 投稿日:2008/09/03というタイトルを付けさせ、ああいう文章を書かせてしまった。

 誰からも学べ、皆から学べる。
 ならば、太田という一年上の先輩・ゼミ幹としての手本・ライバルから学んで、教え合え、助け合え、忠告し合えるようになって欲しい。掲示板は浩友会と共に「刮目勝負」の場だと思っている。
 「言われたー」だけで、受け身・消極的・マイナスに受け止めるのではなく、「よし、これ以上のものを書いてやろう」と、そのつもりで彼の書込を読み返せば、君のことだ。後輩達を豊かに導けるようになるはずだ。
 そうなることを信じ、願っている。

(以下、過去の書込のNo.を付けるべきとは思うが、2度調べるのは辛い*。心あるものは、私が過去を探したように各自探して、読み返して欲しい。)。
(*)さきほど、折角書いたものが投稿の際に消えてしまった。このところ、ワープロで下書きをしているのに、これは書き直しだから、で直接訂正していた。これは書き直し故、幾つか不精させてもらうことを許してもらいたい。)

 「広岡と長島」は凄いものだ。さきほど書いた中で解説したが、消えた。解説は勘弁してくれ。この一文は、ここを訪れる皆にその凄さを理解し、ぜひ学んでもらいたいと思っているので書いた(内容もさりことながら、この文を書こうとしたことが本当に凄い)。だが、ここに書き込むのも最後である。各自か、仲間同士で学んで欲しい。
 他にも、太田君は、常日頃から「教えてください」「有り難うございます」「良いこと・文です」などのメッセージを送っている。その人からの忠告、と考えてみよう。こういうことも目に入るようになって欲しい。

 もう一つだけ、「浩友会通信」で中島君に感謝しただろう?その「感謝の思い」が「本物」だったら、中島君の「歌留多掲示板」に君からの投稿が数多く見受けられるはずだ。私が君の呼びかけに応えていないのなら、君も歌留多への呼びかけに応えていないのだ。

 だから、9/12、No:1958「心そこにあらざれば」で「不患人之不己知 患不知人也」と書いた。私がゼミ生達のレスポンスの悪さを感じる度に、思い出す辞だ。『創』24号に書いたものだ。君の中に残ってくれているだろうか?だから、書込タイトルを「心そこにあらざれば」とした。君だけではない。皆に書いたものだ。だが、「自分(のしたこと・呼びかけ)を認めてもらえないことを憤り悲しんでいる」君に特にわかって欲しかった(*8)。

 君は「有朋自遠方来 不亦楽乎」を心から思っているのだろう。だから、書込・呼びかけをしたのだと私は思っている。その「気持ち」と論理性・発想力等の才能。優れたものを持っている君だ。だが、それが人を十分に喜ばせたり、育てたり、君に付いていこうと思わせたりしていないのが本当に残念だと思っている。君の結婚披露宴でのスピーチでも、この思い・願いを語ったことを覚えているだろうか…。

 「朋遠方より来たるあり、亦楽しからずや」を本当に満喫するためには、「学而時習之 不亦説乎(*9)」と「人不知而不慍 不亦君子乎」がわからなければならぬのではないだろうか。三行で一つの教えなのだから。だから、蛇足で「不患人之不己知 患不知人也」も付けたのだよ。

(*8)ついでで本当に悪いのだが、小林荘介君にも読んで受け取って欲しかったことを、ここに付しておく。 )
(*9)「板ゼミ」は、この言葉の場なのではないかな。ハードルが高い、と言って遠ざかる人を呼び集めて、「朋遠方より来たるあり」となっても「朋」が来たのだろうか。私の「朋」は「同志」である。「朋」でなければ、「亦楽しからずや」にはならないと思うがどうだろうか?また、書込をしていない人でも、読んで学んでいる「朋」はいる、と思っている。

 だが、このことも、三戸ゼミ生や卒業生、この掲示板をどういうものと捉えるかだ。私は「良き社会人」を作る場、良き社会人でありたいと思うもの、そのために学び刮目させあう場、と考えてきたが、君とは違ったようだ。これからは、君の思うとおりにやり給え。

B真光、ここまで読んでくれば、そして三戸ゼミ賞を取れるほど俺の側で俺を見、話を聞いていたのだから、「喜んで」太田、岩切の次に書き込んでくれるはずだ。(蛇足として付け加えておこう。真光の書き込みは「学ぶ」姿勢に満ち溢れているものか、多くの卒業生とゼミ・現役生との紐帯・仲介のためのものであった。院生ではあったが、その姿勢と役割に対して改めて感謝したい。すでに、それで三戸ゼミ賞をやったのだがな…。)

C中島大輔。ここまでは、誰が一番でもおかしくない。ゼミに対する思いは「歌留多掲示板」や「浩友会通信」等を持ち出さぬとも、こちらの掲示板を読む者はみなわかっているはずだ。この掲示板を自分の学びの場として考えていたのは(そして実行した卒業生は)誰よりも中島大輔ではないだろうか。タモリの「赤塚への弔辞」レベルを書けるゼミ生は、中島だと私は思っている。「情」の男がこの掲示板という場で学んで(勿論職場などでも大いに学んでいるはずだ)、「知と情」を兼ね備える大人になった。この場を活かし、刮目させた点では、中島こそナンバー・ワンであろう。

D書き込み回数は第7位ではあるが、私は古郡の辞を読みたい。回数とは別に、君の書き込みと君の卒業後の振る舞いを見てきた私は、ぜひ君の辞を読みたい。それは、この掲示板で学び、励まされてきたゼミ生達みなの共通した思いであろう。

E大野よ、第3位なのにこんなに後ろに回して済まないなあ。「掲示板大賞」や、先輩からの書き込みに対するレスポンス、これだけ掲示板を(即ちゼミを)「大切」にしてきたのだから、最初の3人の中に入れてもおかしくあるまい。だが、君はわかっているはずだ。今、現役でいられる自分と、もう卒業してしまったゼミ生達とを比べれば、そちらに譲ることも「良き社会人」のあり方であることを。

F藤井よ、大野の次は君だ。ゼミ掲示板は太田と君のおかげで機能していることに、心より感謝したい。なによりも、君がこの新掲示板の立ち上げを嬉しくおもっているはずだ。また、君の書き込みは後輩達の「良き手本」となるものであったことを、今回読み返してみてあらためて強く思った。自分の成長が他者を「刮目」させる。すばらしいなぁ…。また、君のレスポンスは、大野のそれと並んで、卒業生達の「思い」に応えてきたのだ。

G福富よ、「中国便り」を有り難う。シリーズ連載をしたのは君だけだ。だが、この1年半書き込みがない。できない理由があるのだろうが、君の書き込みを読みたいと思っている人がいることも気づいて欲しい。自分が「書き込みたいときだけ、書き込めるときだけ」じゃなく、「読みたい人がいるとき」にもできるだけ書き込んで欲しい。(*10)
 修了証書をもらった後で、最も皆を刮目させたのは福富智之だ。追い出し合宿での挨拶に比べてどれだけ成長したか、この挨拶で見せてくれ。

 (*10)岩切君、「仕事のことから」シリーズをとりあげなかった。その理由は3点。
 まず、読み物としての工夫がもう少し欲しかった。ゼミの場に全く違う世界の話をそのまま持ち込んでも、ゼミ生達には難しい。
 2点目、福富には悪いが、岩切の掲示板への貢献は「仕事のことから」シリーズではないので積極的に取り上げる必要がない、私は思ったからだ。だからと言って、「シリーズ」は岩切も書いたのだから、「福富だけ」は私の間違いであった。こういうことでは、人に受け入れよと言ってもなぁ。恥ずかしい。
 岩切の「仕事から」を「無視」したのは、後輩をしかって後輩がへこんでいるのに、何も断らずに平気で(と見える書き方で)、シリーズを続けたと、私には思えたからなのだ。何か一文でも「断り」などの相手への配慮をしめさずに、シリーズを再開しているのを傷ついた後輩はどう感じるだろうか(彼らには、えーい、しっかりせんかい!と言いたいが…)。
 私はそこに、君の「逃避」を感じたのだ。叱ったら、相手は傷つくのはわかっていたはず。傷ついても其れに打ち勝って成長してもらいたい。その気持ちは全く正しく、全く同感だ。だが、責任はあるのだ。傷つけた相手へのいたわり、配慮が要るのだ。私は、君が「仕事から」というシリーズを持っていて、それが不適切に使われたと感じたのだ。
 このことは、いつか君自身で気がつくか、話すべき時が来た時に言おうと思っていたことである。今がその時期かは、本当はわからない。だが、今聞かれている気がするので書いておく。

H纉cよ、成長しているか。中島を手本として、よーく「見よ」。見なければ学べないぞ。。学ばねば、成長はない。成長なき者の語ることは聞く人を刮目させず、聞く人を成長させない。後輩達の書き込み、成長ぶりもよーく見よ。人の心に残る言葉を読ませてくれ。
 池田よ、真光の1/5であることをよーく見よ。共に同じ時にゼミで学んだ者は、最も良きライバルでなければなるまい。ゼミ生としての活躍が、同期に劣っていることに発憤せよ。それが「自分を大切にすること」なのだ。俺がお前に言ってきた「評価」の言葉は決して嘘でも間違いでもないぞ。
 望月。あと5回書き込んでいれば、お前が10位だった。できたはずだ。すべきだった。真光が学んでいたとき、お前も学ぼうとどれだけ思っていたか…。学ぶ時間が(就職と大学院との)違いだ、と思っているなら、お前は真光にどんどん置いていかれるぞ。お前は、自分に誇りを持っていたはずだ。「自分を大切にせよ」。お前は「自分を大切にする」ことができる男だ。だが、まだ、その「大切にする仕方」が、わかっていまい。自分の思いを抑えて、相手の思いも察せよ。相手の思いを容れれば、相手もお前の思いに応えてくれるはずだ。
 渡辺よ。この数、順位が、ゼミ20年に相応しいか、よーく考えてみよ。この数が5倍であったら、とっくに「師範代」から「師範」になっていたはずだ。最も俺から学んだ男が、「成果」を出していないのでは、俺という「師匠」はそれだけのこととなる。
 20年のゼミでの学びの成果を言葉にして見せてくれ。
H小山君。君は別格だ。自分のゼミを持つ身でありながら、三戸ゼミに本当によくしてくれた。感謝の言葉もない。(よければ)「来賓」として、言葉を寄稿して欲しい。
 「来賓」となぜしたか。「乗っ取り計画」No:84 投稿者:1期 小山 投稿日:2002/11/15とそれ以降を読み返して欲しい。また、「誤解の無きように」No:97 投稿者:1期生 小山 投稿日:2002/11/16(*11)をも読み返してもらいたい。
 この指摘をしなくて済ませたかったし、書かなくとも自分で読み返し、気づいてくれるだろう、と思っていた。私や纉cがどんな思いをしていたか、思いを馳せてくれないか。蛇足ながら、君の指示に従った小山ゼミ生の書込を最後に付けておく。とてもではないが、この文中に挟み込むには耐えられないので最後に回した。

 掲示板を読み返す度に、この喉に刺さった小骨を意識させられてきた。岩切君よ、角谷や纉cの書込はつまらぬものであったが、この小山ゼミ生の書込をどう思うかな?どう思って読んだのかな?
小山ゼミOBと「名乗って」よかったのだろうか…?。(「岩切、小山ゼミOB説について」No:100 投稿者:4期 岩切 投稿日:2002/11/18)
次の書込に対する、君の意見・感想を聞きたい。最後に付けた書込と共に。

「岩切さんへ」No:109 投稿者:小山ゼミ 佐久間 MAIL 投稿日:2002/11/18
(略)
書きこみについて・・・岩切さんの許可が出たので、ドンドン書きこませていただきます。さらに、学ぶ場として活用できるなら、こんなに「有り難い」ことはないです。
(略)
岩切さん、ご指導いただき、ありがとうございます!
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「小山ゼミ 佐久間くんへ」No:108 投稿者:4期 岩切 投稿日:2002/11/18
(略)
で、君の書き込みをみて、改めて思うのだけど、現役三戸ゼミ生の書き込みって纉c君だけだよね。
君もここにどんどん書き込んだらどう?
(略)

(*11)纉c君、この書込を削除させなかった私を許して欲しい。ゼミの場では、問題にしたが、やはり、君とこの掲示板、つまりゼミを大切にするなら削除させるべきであった。「心をそこにおけなかった」ことが悔やまれる。

I最後になったが、吉永さん。あなたも別格で来賓だ。この言葉は字義通りのものだ。ぜひ、元祖掲示板立ち上げ人として、あなたの孫であるこの掲示板に言葉を寄せて欲しい。

13.以上が、私の判断による「【祝辞・はじまりの辞】を書く権利」を持つに相応しい者である。

 岩切君に特に厳しくなってしまった。気になり、これでいいか、を問い続けている。
 
 だが、「厳しくなった」のは、当たり前ではないだろうか。
 沢山、沢山書いたのだから。ひとによびかけ、働きかけたのだから。
それだけの「思い」があり、それだけこの掲示板に「思い」を注いだのだから。
 こちらも、君の呼びかけ、振る舞い、思い、に応えねばならないからだ。

 君が書いたとおり、ドラッカーは言う。
 「人は過ちを犯す。だからこそ「責任」が生じる。「応答」せねばならなくなる。
 それが「自由」だ。楽しいものでも、得になるものでもない。
 人は自由な存在として生 まれてきているのだ。」

「自由」だから、成長するのではないだろうか。
「過つ」から、「過ち」に応えることにより、「学べる」。
「学ぶ」から「成長」するのではないか。

 岩切君は沢山、学ぶ機会を得たはずだ。学ばずに置いたら、「真の過ち」となる。
 後輩達を叱り、教えたなら、そのことを通して、学び、成長してもらいたいのだ…。
ドラッカーを学んだなら、 
 「自分はもう出来るようになっている。
  もう、人からは学ぶ必要はない、
  ひとに教え・諭すのが私の責務だ。」
 という生き方は出来ないなぁ…。
 
 太田君はそこから学んだことを「広岡より…」として私たちに教えてくれた。
 私も含め、お互いまだまだなのだ。
 お互いの「過ち(誤ちではない)」から、お互いが「学ぼう」ではないか。

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 この権利の効力は。3日間としたい。他の人達をいつまでも「お預けポチ」状態にはしておけない。私が挙げた権利を持つ人たちは、9月の4日までに書き込んで欲しい。
 そんな、とてもじゃないが、短すぎる、と言うんじゃないかな。だが、求められたその場で、何か人の心に少しでも残ることを言うことができぬようじゃ、たいした「良き社会人」とは、言えないぜ。

 とは言え、これでは「権利」ではなく「義務」じゃないか、と思うかもしれんなぁ?
 だが、「義務」だと思うな、「責任」と受け取ってくれ。すばらしいじゃないか、これほどの「責任」を負うことが出来るとは…。
 よーし、見事責任を果たし、皆を「刮目」させよう、と思う者が、私の教え子である。
このように言われりゃ、言われるほど書けなくなることはわかる。ひとつ便法を許そう。3日間の間に「一言」だけ書き、フルの文章はできれば9月7日をまでに書いてくれればいい。(それも難しいこともあるだろう。その旨を一言書いてくれればいいだけのことだ。)つまり差し替えを認めるということだな。いや、こんな面倒なことをしなくても、「権利」なのだから、行使しなくても「自由」である。

 この書き込みをすぐに見た人には3日間なり1週間の時間があるが、ひょっとしたら、半月・1ヶ月後にこのリストに自分の名前があることに気づくものがいるかも知れない。だが、それはその人の責任ではない。私が、その人達を選んだ。その目が曇っていたと言うことなのだから…。私は「この掲示板を大切に思っていた」を選考基準に置いた。忙しくとも、この掲示板が大切なら必ずや数日・週に1回位はアクセスしているだろうし、忙しくても「おめでとう」なり、「また書きます」「これからも宜しく」ぐらいは書けるはずだ。なのに書かないならば、それは今現在はこの掲示板がそれほど必要ではないからである。それならそれでもいいではないか。気が向くか、必要になった時、書いてくれればいい。「続いていて嬉しい」と。)

 済まないが、9月4日の夜12時までは、他の人は読むだけにしてくれ。9月5日0時からは、新しい「刮目勝負」である。次の「権利獲得チャンス」を目指して、「良き社会人」の成果を読ませて欲しい。
 まず、書き込むことだ。

「良いものを書きたい」ならば、書いたものを読み返す。
 人がどうレスポンスしてくるか、見る。
 意図に反した応答が来たら、応答がなければ、なぜか、と問う。
 自分の書込に触発されて、ひとが書き込んだら、其れを読み、
 自分との相違・自分より優れているところを見つける。
 書き直す。(今度の掲示板には訂正機能が付いている。)
 「良いものが書ける」ようになっている。
(私は、この文を何回書き直しただろうか?まだまだだが…。
 少しずつ良いものになっているのではないだろうか。)

14.蛇足:以上は、書く人を指名することにより、この膠着状況を打破したいためであるが、本当に伝えたいことは、別にあることはみなわかってくれていると思う。
 @今年の書き込み状況は、とても20周年の年とは私には思えていなかった。
 A歌留多も同じだが、誰かがやってくれていることに「有り難い」と思って欲しい。「有り難い」と思ったら、それに何らか応えて欲しい。書いた人は、「書きたい」から書き込みをしているのだが、「読んで欲しい」から書いているのである。「有り難う」の一言でも、「読んだよ」「面白かった」「もっと読みたい」でもいい。それが、書いた人が求めている報酬であり、それが、彼らをして人の為になることをさせている。「社会」はそのような人々の行為から成り立っている。「良き社会人」になる場ではないだろうか。
 B書く「人」を選んだのではない、書いたのではない。この場の位置と意味に立ち、三戸ゼミで学んでいる者を評価することにより、この場に求められている「基準」を書いたのである。その基準は、この場で得られるものであり、また何を得た者が評価・表彰されるかを示している。
 C私は、6年半前の吉永美幸さんの書き込みから、全て読み返すことから大いに得るものものがあったと感じている。現役達よ、もうすぐ夏合宿だ。去年の、過去の合宿レポートを読み返してみよ。もう、読んだか?
 先輩達は自分の先輩達の合宿報告を読んで、自分たちの合宿を作っていたのだろうか。また、読み返せば、より良い合宿ができるはずだった。そのようになったか?読んだことで、どれだけのことが得られるレポートになっていただろうか。

(以下は、前回と同じ。書き直していない。)
 君たちはどうだ?後輩達に役に立つ、次の機会に使える報告を書けるためにこの掲示板に延々と書き込んで、それだけのものを書く力をつけてきたのではないか。そのため、この掲示板の性格が一変したではないか。卒業生が気楽に書けるものではなくなったではないか。ハードルが上がったのは顔見知りの中だけでの「読み捨ててもかまわない情報」から、他者と未来の自分が見て「役に立つ情報」がここに書かれるようになったことをどれだけわかっているのだろうか。太田の努力もここに由来していよう(「仲間内の書き込み」それはそれで重要なのは論を待たない。だが、それだけで「三戸ゼミ掲示板」とみなは呼ぶのか?私は、「ハードル云々」を寂しく聞いてきた。しかし、その気持ちもわかる。だから、いろいろなことが語り。伝えあえる部屋を持つHPを作ろう、と提案したのだ。20周年までにできるのかなあ…。)

 みな、書くこと、見ることはしてきた。だが、「読んで」いたのか?「読もう」としていたか?ゼミ報告を書け、と言われた。書きたいことがあった。だから、書いた。なら、書けば終わりだ。読むに足る・使うに足るゼミ報告をかくのなら、その報告を次の機会に活かせ。ゼミ報告だけでなく、合宿報告も「読め」。先輩達が、等しく認める「今のゼミ生のレベルは凄い」のが、「本物」になるには、「読んで、活かす」ことで初めて可能になろう。この掲示板に書かれている報告は、役立つものだが、役立てようと思わぬものには、何の価値もない。「成長したい」と思わぬもの、「刮目させたい」と思わぬもの、「良き社会人になりたい」と思わぬものにとっては、この掲示板に書き込むことは、一時の娯楽と、ノスタルジーを提供するものにとどまるであろう。

 「心そこにあらずんば、見れどもみえず、聞けども聞けず」

 長くなった。書きたいこと、書くべきこともあるのだが、空が白んで、蝉が鳴き出した。
歌留多と20周年を楽しみにしている。そして、この掲示板が今まで以上に三戸ゼミ生達の成長と喜びの場となってくれることを信じている。

(みなの6年半の思いと行為は、私にこれだけのものを書かせた。その重さと「夜」は書きすぎをさせたのではないだろうか。プリンターの不調のためにプリントアウトせずに書き込んだ。やはり、書き直さねばならぬと思い、また始めた。だが、昼になってもその重さに押しつぶされ続けている。書き直しではなく、書き足しになった。一回目の書き込みの「書き直し」をさせてもらった。削除の失敗も怖い。削除せずに、書き直しを投稿する。管理人殿、よろしくきれいにしてください。皆の「心」に甘えさせてもらう。)

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(参考資料)みなは、この書込をどう思っていたのだろうか。いかがわしい風俗系の書込は削除されてきたのだが…。
 太田君、この書込も残さねばならないだろうか?
 ここから、学ぶのなら、残さねばなるまい。だが、6年近くの歳月の間ここから、学ばれなかったのだ。この書込と、その背景。この書込を見たゼミ生。そして誰も何も言わないで来た。見るたびに、思いが激し、本当に本当に本当に言葉が出ない!
 この書込から学ばれぬまま、このまま書き残され続ける限り、この掲示板を「本当に大切にしてきた」とは、言えないのではないか、と思ってきた。誰かが言うか、無言で削るか、を待ってきた。私が、このことを言い出したら、どうなるだろうか…。だから黙ったままであったが…。

「明日って?」
No:91 投稿者:こうべ 投稿日:2002/11/15 Fri 22:27:22 [返信]
9:30?10:30じゃなかったっけ?
Pass

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「明日の集合」
No:90 投稿者:神戸 投稿日:2002/11/15 Fri 22:25:22 [返信]
了解!神戸ワールド全開で、絶対に勝ちましょう。
ところで、明日の集合は9:30でしたよね?
Pass

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「小山ゼミ掲示板にようこそ!!」
No:89 投稿者:ゼミ長 佐久間 投稿日:2002/11/15 Fri 22:21:29 [返信]
ゼミ生各位(乗っ取り済み)
明日はいよいよ討論会です!!みんなでチカラをあわせて、三戸ゼミに勝ちにいきましょう。
岩切さんへ・・・クワダ君は、三戸ゼミでいじられキャラではなく、小山ゼミでいじられキャラになっています。お間違いなく!

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