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体感、実感!にっぽんの名城
なか●し (2823)投稿日:2011年01月09日 (日) 05時30分 返信ボタン

案内が遅くなりましたが、NHK教育の『直伝、和の極意』
1-3月は千田嘉博さんによる「体感、実感!にっぽんの名城」です。
1月6日から始まっていて毎週木曜日22時〜22時25分の12回講座です。
再放送は翌週木曜日の13時05分〜13時30分です。
http://www.nhk.or.jp/shumi/wagoku/

ボクがやる城跡ツアーのような感じで、私のやっている縄張り研究の大先輩?千田さんの城鑑賞講座です。
縄張りなど城そのものに着目した視点から、城歩きの基本から縄張り図を読む・作ろうまでレクチャーする鑑賞講座となっています。
松代城も出るようですよ(^^
テキストも入門編に適してますので、良ければチェックしてみて下さい。

□見てますとも!(^∇^)/うきき (2826)投稿日 : 2011年01月09日 (日) 20時28分


ご紹介ありがとうございました。
第一回もちゃんと視聴いたしました。松代城、楽しみですね〜。\(^o^)/
初心者向けといいつつ、最終的に「縄張り図」をかいてみよう!って(笑)、城好きを振るいにかけるメニューですよね(笑)。

□次週から見ます。/ARI (2827)投稿日 : 2011年01月09日 (日) 23時18分

存じませんでした。次回から是非見てみます。

寒風吹きすさぶ、雪の山はこれまた格別です。
ARI (2811)投稿日:2010年12月23日 (木) 14時24分 返信ボタン

おっ、うききさんは土曜日は、基肄城・勝尾城へ出陣
ですか。土日共に最高気温は平地5℃、降雪確率50%
と荒天模様ですので、我々は延期にしました。
平地の最高気温が5℃ですんで、低山といえど基山,勝
尾城の気温は昼でも0〜1℃程度と思います (山は高さ
100mごとに0.6℃気温が下がります)から、完璧な防寒と
降雪対策をして十分気をつけて登ってください。
家が近くだったらアイゼンをお貸しするんですけど。
それに鳥栖・基山辺りは久留米平野の西端部ですんで、
天気予報は、佐賀よりも福岡・筑後地方の予報の方が
的確です。

□嗚呼、八甲田山…/ARI (2813)投稿日 : 2010年12月25日 (土) 20時40分

平地の最高気温4℃、基山の予想気温マイナス1℃
&降雪の中での基肄城史跡探訪、お疲れ様でした。
メールの後は、東北門跡や米倉礎石や丸尾礎石群には
行きましたか。 恐らく礎石群は雪の下だったかとも…
ともあれ、お疲れ様でした。一方、城山(勝尾城)の方
は如何でしたか?

昨晩、イヴの深夜に起こった太宰府市のワゴン車の池へ
の転落事故…。十代の若い方達が5名亡くなり、相手の
車両の青年も助けに飛び込んで亡くなられ、厳寒の深夜
の氷の様な水の中で… 本当に痛ましい限りです。
全国ニュースとしても大きく報道されています。
その現場は、私の家から北に数キロで、この十数年、現
場は福岡市方面に行く際の幹線道路沿いなんで必ず通り
ますし、月に数度は現場の隣のブックオフ等に行く際は
池沿いを車で走りますし、昔からあの池は意識していま
した。 近くで起こるとゾッとするものですし可哀そう
です。水城防塁の西端部=吉松丘陵のすぐ南の辺りです。

□八甲田山でした。/うきき (2815)投稿日 : 2010年12月31日 (金) 22時12分

お返事遅くなってすみません。あの日、山城登りのスタート地点に立つ前に、自宅で転倒、やってしまいました。よりによってトレッキングシューズのせいで怪我するなんて
。・゜・(ノД`)・゜・。
打ちつけた痛みが寒さよりも大きかったです。どんどん疼きがひどくなって、あの後にすぐ返信できずにすみませんでした。
すみませんここに事情をいろいろ書きたいですけど、詳しくはブログで。(^^;;

まぁ、でもお陰様で無事に年越しできそうです。2011年まであと数時間、今年もいろいろお世話になりました。

また来年もよい年にして行きましょう。m(_ _)m

音声認識ソフトが紅白の音まで拾っちゃう!(^◇^;)

□追伸/うきき (2816)投稿日 : 2010年12月31日 (金) 22時16分

あ。基肄城は水門と、山頂だけ堪能しました。(^^;;

センゴク読まれたのですね。
しまちゃん (2808)投稿日:2010年12月22日 (水) 21時33分 返信ボタン

 今のところ、センゴク天正記と桶狭間戦記も読んでますが、ひいきの武将が美形でないと、少々ショックが・・・。私も別の某武将を見て、亡くなった年齢は確か20代だったハズなのに、おっさんとして描かれていてがぁ〜ん・・・。大和和紀さんのイシュタルの娘では、上様は1巻で早々に姿を消されますが、少女まんがのためか、有名な登場人物は美化されているような感じです。反比例して秀吉は・・・ですが。

□クリスマスイブイブイブ/うきき (2810)投稿日 : 2010年12月23日 (木) 01時21分

 浅井長政ファンは前半は大ショックを受けそうですね。私はまだ10巻いったとこですが、長政がまだ死んでない…(-_-;)。また続きを読みたくなったらネカフェに行きます。
>イシュタルの娘
どこかでニュースを観た気がしますが、小野お通のお話ですよね。
なにゆえにタイトルが「イシュタル」なのか、イシュタルといえば『天は赤い河のほとり』を思い起こさせます…。話がズレました。(^_^;)

□ネタバレですが/しまちゃん (2812)投稿日 : 2010年12月23日 (木) 22時26分

センゴク・・・そう、20代でもおぢさんっぽい人っていますよねと無理やり自分を納得させつつ、天正記読んでる私です。「センゴク」と「イシュタルの娘」の長政の落差?にはオドロキです。

センゴク読み終わったら、ぜひセンゴク天正記と桶狭間戦記も読んでね。義元はけっこう美形?です。次郎三郎(後の家康)は細面だし。

「イシュタルの娘」なのは、ユーリもお通も、闇夜に輝く暁の明星なのです。(あっ、ユーリはイシュタルさまそのものでしたが。一応単行本と小説版全部もってます)
 
大和和紀さんといえば、「あさきゆめみし」で有名なのですが、「イシュタルの娘」の2巻のあとがきを読むと、伊賀の影丸に初恋とか、カムイ外伝やサスケが好きで、漫画の原点は忍者物だったと書いてあり、意外だなと思いました。

□よいお年を♩/うきき (2814)投稿日 : 2010年12月31日 (金) 22時00分

漫画の話がどこまでも続く しまちゃんステキです。
センゴクはまだ途中ですが、あのあとも天正記から桶狭間戦記へと続く…本能寺の変の道のりまで気が遠いですね。
今度ネカフェに行った時、イシュタルの娘読んでみます。
これ、音声認識ソフトで書いてるんですけど、イシュタルが変換できるってすごい!

倭城の研究
なか●し (2800)投稿日:2010年12月14日 (火) 23時49分 返信ボタン

この前、大阪でご本人さんに注文して、うきき先生もご執筆されている『倭城の研究』が届きました。
「森忠政家研究家」って誤植になってましたですよ。
森可政について勉強します。


□コレ、いいですね。/なか●し (2801)投稿日 : 2010年12月14日 (火) 23時51分

追伸。
なか●し、コレ採用します(^^ゞ

□●の中がどなたにでも100%想像できますね(^_^;)/うきき (2802)投稿日 : 2010年12月15日 (水) 22時28分

 「森忠政家研究家」は、私は何も入れていなかったのですが、Kさんが追加くださいました。きっと森家は森家でも「森忠政の家」の研究家だよという意味と思われますので、誤植ではないと思われます。(゜b゜)シィ〜。

筑紫家度80%のなか●し様!!
8月に津山でもご一緒した城仲間が九州に来ることになり、個人的には二度と行くかいと思った広門の勝尾城にまたしても登る事になってしまいました。今度は麓から徒歩ではなく林道から行きたいのですが、林道へはどこからどう入ればいいのでしょうか?以前ブログにコメント入れてくださっていたので質問してみました。
その日は筑紫家の城三昧です(恐怖)…。(^_^;)
きっと山頂で森家欠損症になってしまいます。

□その節はお世話になりました。/ARI (2803)投稿日 : 2010年12月16日 (木) 00時39分

◆なか●し先生
その節は大変お世話になり有難うございました。

私が、筑紫広門公の勝尾城に初めて登ったのは
平成7年でした。それから15年間で10回ほど登り
ました。山登り仲間や史跡探訪仲間を連れて。
山頂の三段から成る城跡も趣き深かったですが、
その麓をはじめ全体の地形が、以前行った越前の朝倉氏
の一乗谷遺跡を彷彿させ、また豊前の城井谷の様でもあ
りますね。
林の中にも踏み込みましたが、筑紫氏家臣の屋敷群らし
き石垣も確認できました。
そのちょっと下流の四阿屋の清流はすばらしく、昔は
毎年夏には何回も幼かった息子達を連れて行っては水遊
びさせていたものです。
この勝尾城の麓の四阿屋辺りは、鳥栖市民だけではなく、
私ら筑紫野や太宰府の者、久留米市北部の方々にも有名
な処です。
私もこの猛暑の夏もひとりで、筑紫春門と川上左京亮の
戦国最後の一騎討ちの地の槍突き岩と、両者の慰霊碑、
左京亮の墓所に行ってきました。川上左京亮の慰霊碑に
はいつ行ってもお花が手向けてあり、心が和みます。 

◆うききさん
こんばんは。勝尾城には結構登りましたが、あの居館跡
から左と右にある2つの登山道しかないと思うのですが。
居館跡へ登る階段下から延びてるあの歩道は、九千部山
への登山道です。 
九千部山の山頂へ続く林道(車道)は、ここ筑紫野からあ
りますし、何度となく走りましたが、九千部山の支尾根
である勝尾城は…。 ただ、車で九千部山の山頂へ行き、
そこから歩いて勝尾城=城山まで下るルートはあるでし
ょう。

□勝尾城の登り方。/なか●し (2804)投稿日 : 2010年12月17日 (金) 12時41分

林道はですね。筑紫館跡のある谷ではなくて、手前の四阿屋神社から右手の新幹線橋のある河内谷の道を登って勝尾城の東側へ行きます。
しばらく道を登っていくと、交差するように林道がありますので脇道から入って西側へ折れてしばらく山裾を走ってトンネルまで来たらそこで停めてください。

トンネル脇に山道があってそこを山裾伝いに歩いて行くと、筑紫館跡からの登山道と合流します。(トンネル脇の谷から直到しても大丈夫ですがご自由に、笑)

以上です。
案内がないですが注意して下さいませ。

/なか●し (2805)投稿日 : 2010年12月17日 (金) 12時43分

と見てたら、4年前の読売新聞の記事がありました。
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/saga/kikaku/014/9.htm

参考までに。

□筑紫氏で今年の城おさめ?!/うきき (2806)投稿日 : 2010年12月18日 (土) 00時20分

 詳細な林道情報と読売新聞記事をどうもありがとうございました。
なか●しさんも、ARIさんも「あの筑紫広門の」勝尾城に2ケタ回も登られているとは
すさまじいですね。
なか●しさん渾身の縄張り図は何かの本に掲載されていますでしょうか。
ともかく、私の2回目の勝尾城は麓から登らずに林道経由で済みそうなので安堵いた
しました。
念のため、ストック持参で支城もセットで行ってまいります。
個人的には勝尾城よりも葛籠城の堀切が楽しかったのであっちもゆっくり見たいですわ。
それにしても、私が森家じゃない城で今年の城おさめとは…。(^_^;)
ちなみに私に直登はムリです(笑)。

□今週土日の基肄城…寒いうえに雨の予報。延期の危惧…/ARI (2807)投稿日 : 2010年12月21日 (火) 23時25分

なか●し先生が書かれた勝尾城の車道ルート、だいたい解り
ました。そのルートがあったのですね。
今の処、私は登城予定はないですが、うききさん、気を付け
てそのルートで登ってきてください。

この月・火は東京出張で、いま先程福岡に帰ってきました。
ただ、羽田→日本橋にある支社で仕事(会議)、夜は東京の
同じ部署の連中と飲んで→翌日支社で仕事(会議)→羽田…
で、史跡ナシのいつもの福岡帰着パターンです。

□おかえりなさい/うきき (2809)投稿日 : 2010年12月23日 (木) 01時07分

 東京出張お疲れ様です。私も東京出張ないかな〜武相荘に行きたいンですよねー。

 時に今日発表の天気予報では土日はうまい具合に「佐賀・くもり」とのことですね。そして福岡は雨か雪ですが。積雪だけはよしてほしいですわ…積もると車が出せずに困る。(^_^;)
しかし一日中、広門ん家をぐるぐるしてればいいダイエットにもなりそうですね。久々のトレッキングシューズを履いてのお城登りとなります。

先日は有難うございました。
ARI (2789)投稿日:2010年12月02日 (木) 00時08分 返信ボタン

先日の福岡城探訪、有難うございました。
あちこちの中世・近世のお城や古戦場跡とかには
行ってるものの、地元の疎さを再認識しました。
…で、なか●し先生の事を、私の史跡探訪のメン
バーに電話でその夜話したら、なか●し先生の事
は、かなり昔から知っているらしく、先生の著書
を何冊も持っていて、先生の他の中世のお城の研
究の事も知ってました。その彼は個人事業主ゆえ、
参加で後から教えたんですが、かなり羨ましがら
れましたよ。
で、うききさんと福岡城探訪したうえに、皆んな
で楽しく珈琲タイムも持てて楽しかったですばい。

□深い世界を垣間見るのは楽しいです♪/うきき (2791)投稿日 : 2010年12月05日 (日) 16時32分

ARI様;
お返事遅れてすみません。
先日はどうもありがとうございました。
ARIさんとも久々にお会いできて一層楽しくなりました。
防寒もしっかりなさっていてさすがですね。
私達はそこまで着こんでおらずに「寒い!寒い!寒い!」の連呼でした…。(^_^;)

 なか●し先生は福岡県内の城郭の縄張図も沢山書かれていらっしゃいますんで、
私も、先生と知り合う前から見ていた安楽平城の縄張図の製作者が先生だったり
して、前々から知らずに恩恵にあずかっていたんだなーと。(^_^;)
また機会があれば、そのお友達ともどもご参加いただけるといいですね。

□あの日は寒かったですね〜/ARI (2794)投稿日 : 2010年12月06日 (月) 00時09分

福岡城探訪の際は、いろいろと有難うございました。

「坂の上の雲」第2部、遂に今日から始まりましたね。
豊後竹田出身の広瀬大尉のロシア女性との恋のシーン
が多く、広瀬大尉は彼女にも竹田の話しをしてましたし
ロシアのVIPの場での「荒城の月」の演奏とその後のロシ
アVIPの反応も面白かった。
なか●し先生の竹田の地に、また行きたくなりました。

何度も登った安楽平城の縄張り図の事、事前に知ってい
たら、なか●し先生とその折(珈琲タイム)に話したかった
です〜。その図を見ながら十数年前から何回も登ってまし
たし。大友家が支配していた戦国末期の筑前大友5城のひ
とつで早良区エリアを統治する城でしたし、その城主の
小田部鎮道(鎮元)公は、私の前職の会社と関係あるうえに、
小田部公の子息は、私の母系の先祖に大いに関係ありますから。

□実は原作を読んでおりません。/うきき (2795)投稿日 : 2010年12月09日 (木) 00時24分

 下のガ島トピックのレスを含め、どうもありがとうございます。

『坂の上の雲』
私にとっても楽しみな2部が始まりましたが、タイトルが「死す」の連続。(^_^;)
アリアズナとボリスは戦後、どうなったんでしょうね。
アリアズナに関しては最近、父親のことがニュースになりましたが、その後の
情報まで追っかけられないのかしら…。
しかし、あそこで荒城の月が来るとは思わなかったけど、竹田つながりですね。

クレジットカードのポイントで図書カードを手に入れたので、
なか●し先生も書かれてる『福岡県の城郭—戦国城郭を行く—』を買ってきます(^O^)♪

□ARIアズナ/ARI (2796)投稿日 : 2010年12月11日 (土) 11時59分

昨日発表された毎年恒例の、清水寺の貫主の今年の漢字
は「暑」でしたネ。
今年の夏の暑さは凄まじかったですが、僅か数ヶ月経っ
て寒くなってきた今はそれも忘れつつある…ヒトは忘却
によって生き延びて来れたのかも…。

「坂の上の雲」の戦艦三笠でのシーンは、横須賀の記念
艦三笠(本物)ではなくて、石川県にある実物大レプリカ
で撮影されてるんですよね。20年位前?の沖田浩之と
三原じゅん子(今は先生)主演の日本海海戦を扱った映画
「海ゆかば」では、横須賀の三笠でロケしたんですが、
大事な記念艦だけに多くの爆破シーンでキズ等付かない
ようにスタッフは大変だった様です。未だにその映画の
パンフ持ってます。
先週の「坂の上の雲」は日清戦争で、龍馬が死んで僅か
27年しか経っていないんですよね、世界に冠する海軍
国になりつつあったあの時代、殖産興業・富国強兵。日
本は、坂の上の雲を目指して邁進してたんでしょうね。

今年最後の登山&史跡は、例の歴研仲間を「基肄城」に
ご案内してきます。

□森家の城で〆たいのに(^_^;)/うきき (2797)投稿日 : 2010年12月12日 (日) 00時22分

寒いですね。(+_+)

 昨夜、外にいて凍えそうになっていたら、コンビニからアイスを買って出てきた人と遭遇し、
さらに寒くなりました。あり得ない…orz
 三笠、本物を含めて、石川のも観に行きたいと前々から思っているのですが、
森家に対する時ほど腰が軽くなく、まだ目にしておりません。石川県自体がまだ目にせぬ県。
金沢には織田信長の墓もあるというのに。(^_^;)

私も、年末には友達を案内して基肄城に行くのですよ。
勝ノ尾城の存在にも気づかれたので行くことになったのですが、前回のように
まともに登ってたら討死ぬので、林道をさがして車でそこまで行きます。

□この冬は、アイスよりも冷やっこい「難所ヶ滝」にご案内しましょうか!?/ARI (2798)投稿日 : 2010年12月13日 (月) 00時10分

「坂の上の雲」、いよいよ日露開戦!です。
海軍大学校の教官となった秋山少佐が行なった兵稘演習。
あれは太平洋戦争中でも行なわれていて、作戦実施可否の
重要な判定材料になってました。ドラマのとおり、彼我の
敵艦の砲弾の命中確率はサイコロで行なって判定していま
した。ただ、太平洋戦争時は艦砲ではなく、空母の航空戦
の要素が主で、希望的観測の要素が入って誤判断してしま
って、それが悲惨な結果になってしまったのが明治期とは
違う様です。

私は小学校迄は横須賀に住んでいたんで、「三笠」には
小さい頃から結構行ってましたよ。最近行ったのは5年前
位ですが、三笠は、自宅の近くにあった横須賀の「ペリー
公園(ペリー上陸記念碑)」同様、第2のふるさとです。

私も「基肄城」に行くのは、年末の日曜日ですから、ひょ
っとしたら、遭遇するかも知れませんね。基肄城水門から
史跡を巡ります。

□ 難所ケ滝で氷浴び/うきき (2799)投稿日 : 2010年12月14日 (火) 00時52分

 サイコロ振ってたんですね…あの場面、よく見てなくって何か別の作業をしていて
顔をあげたら場面が反省会になって、さらに次の瞬間には広瀬さんまでいました。
来年の再放送でチェックします。(・。・;

 どうしよう…広瀬どの(ドラマのほう)の、どっしりとした身構え方、かっこよすぎです…
こんな演技のできる役者さんがいたのですね。(-_-*;)
真之の女に関する質問スルーも素敵。
たしか竹田の広瀬神社にはアリアズナの写真や、アリアズナの妹が広瀬さんの身内に
宛てた手紙も展示してありましたよね?
もう一度、色々と意識して見に行きたいですわー。


基肄城、私たちは前日入りになるかと。
モチのロン、あのゴージャスな水門は外せませんが、上に行くのは時間の都合ではしょって
草スキー場に車で登るかと。(^_^;)

ちなみに・・・
しまちゃん (2782)投稿日:2010年11月24日 (水) 11時14分 返信ボタン

 戦闘機って、前座席は操縦で、後部座席は目的地へ向けて風力や速度の計算があり、操縦に失敗すると、前座席の人は助かっても、後部座席の人は逃げ送れて亡くなる確率が高かったそう。義父は、後部座席の訓練を受けていたそうです。

□海軍機いろいろ、男もいろいろ/ARI (2783)投稿日 : 2010年11月25日 (木) 00時32分

あれれ、レスではなくって、またスレッド立てられたん
ですね(笑)
複座式の戦闘機はあるにはありましたが、海軍の複座戦
闘機は、左右の主翼にそれぞれエンジンがある、夜間戦
闘機「月光」くらいで、生産機数も少ないです。
日本に限らず戦闘機は殆ど小型ですばしっこい「単座」
の一人乗りです。(邦語:戦闘機=英名:ファイター)

義父さまの乗っておられたのは、いわゆる戦闘機では
なくって、複座(二人乗り)の艦上爆撃機ではないでしょ
うか? 後部座席の搭乗員=偵察員で、書いてある通り
航法(風力や速度の計算など)の他、敵との交戦中は追尾
攻撃してくる敵機への銃撃が主任務でしたから。
大戦期であれば、99式艦爆、または彗星艦爆… でし
ょうか。或いは攻撃機種ではなくて偵察機であったかも。
ちなみに三座(三人乗り)は、艦上攻撃機(雷撃機)で、
魚雷攻撃や高高度からの水平爆撃が任務です(97式艦攻、
天山艦攻)。

□エヴァに出てくるキャラの名字が戦艦な件/うきき (2784)投稿日 : 2010年11月25日 (木) 23時01分

 おおっ!なんでもツルツルと情報を出してこれるARIさんすごいです。これはカレンダーをお買い上げしないと。
(^_^;)

 うちの祖父の一番下の弟も戦闘機に乗っていたそうですが、敵艦の偵察に行ったまま行方不明になってまだ帰ってきません。
自分の最期がどこでどうなったかも知られぬのも切ない話ですね。

 風邪をひいたことのないARIさんの元気を分けてください。
私も大事な週末のために、今日中(あと8分)に風邪を完治させる予定です。

あ、しまちゃんさま、津山市発刊『美作の山城』にもオマケで岩屋城の縄張図がついていました。(^O^)/

□うききさん、戦闘機カレンダー下され。/ARI (2785)投稿日 : 2010年11月26日 (金) 22時40分

うききさんの祖父さまの弟さんも海軍のパイロットだった
のですか!
良ければ、その行方不明になられた海域(例えば:●●島
の西●キロ辺り)と、年月日(例えば、昭和19年●月●日
●時頃)と、出撃した基地名とかを教えてください。
勿論、メールで。
判るかどうかは不明ですけれども、ただ、今年の3月には、
取引先の女性と飲んで話していていたら、その方の祖母様
の兄で、戦死された陸士出のパイロットの最期の状況が
判らず、知りたいという事を聞いて、↑の様な日時と戦死
された場所のデータを聞き、各種データや本で調べてみた
ら、その戦死された時の状況までが詳しく掲載されている
本を見つけ出し、その本を取り寄せて差し上げた処、涙ぐ
んで喜ばれ、嬉しかったです。 さらに会ったこともない
その親族の方もその本の存在を聞いて取り寄せて読み、
ARIさんは感謝されていたとの事です。 

□扇風機カレンダーなら。/うきき (2786)投稿日 : 2010年11月26日 (金) 23時27分

 以前の日記でも公開した範囲でここに書かせていただきます。

 大叔父(祖父弟)はガダルカナル島「C地区」あるいは「0地区」の偵察に行ってそのままです。
 これは大叔父の履歴書みたいなのに書いてあったのですが、この部分は黒く塗りつぶされた上に紙が貼ってあり、意図的に抹消されていました。工夫をこらしてみて、隠された文字がガダルカナル島であるのはは明白ですが、それに続く「C地区(もしくは0地区)」とは、どこなのかいまだ何かわからぬままです。
ガダルカナル島というだけで、どエライ目に遭ったことは想像はつく訳ですが…。亡くなった日付は「戻ってこないので戦死したとみなす。」とした日だったような…。
詳細はまた実家に帰ったら見てみますので、どうぞよろしくお願いします。
 祖父のもう一人の弟はレイテ島で太ももに銃弾を受け、翌日に至る間に失血死していたとのこと。こちらの弟の最期は、戦後、同じ隊の方が祖父を訪ねて来て語ってくださったということで存じてます。

 長男の祖父自身も当初はノモンハンへやられるところが、脚気になって隊を外されたそうで、でも、それを知らぬ周囲からは祖父は戦死したものと思われてたそうです。
終戦の直前に広島の比治山の部隊にいたところを東京のガスマスク研修に行かされて被爆をせずにすんだのも祖父です(部隊は全員死亡)。
「弟たちがワシを生きのびさせてくれた。」というのが生前の祖父の口癖でした。

□おそらく・・/しまちゃん (2787)投稿日 : 2010年11月27日 (土) 20時27分

 ARI様のおっしゃる通りでしょう。義父はギリギリ出撃しないで済んだ世代だそうです。少し上の年齢の方は、出撃されているようです。なまじっか、サイン・コサイン・タンジェントを学んでいたため後部にまわされたのだそうです。
 来年のカレンダーには、どの戦闘機がのっているかしら?


うきき様
 その縄張り図って、「守る会」作成ですか?私がお祭りで見たのとおなじものかも。

□福岡が寒い/うきき (2788)投稿日 : 2010年12月01日 (水) 01時28分

 しまちゃんさま、確認してみると、私の手持ちの付録の縄張り図は杉岡さんという方の作でございましたよ。(^u^)
別のものでしょうかね。

□ガダルカナル、他いろいろ…/ARI (2790)投稿日 : 2010年12月03日 (金) 00時37分

>ガダルカナル島「C地区」あるいは「0地区」の偵察に…

ガダルカナル(以下、ガ島という)に海軍航空隊が作戦行動
したのは、昭和17年8月7日の米軍ガ島上陸から同年12
月迄です。そのガ島に作戦行動をかけたのは海軍のラバウル
基地のみですから、恐らくそこの基地に居られたと思います。
「C地区」或いは「0地区」というのは、地上の陸軍では
なくて、高空から俯瞰する海軍側のエリア区分と思います。
(そもそも当時の陸軍はアルファベットは使わないし、海軍は戦時
中でも明治以来アルファベットだらけ)ガ島はかなり大きな島です
が、ガ島5ヶ月間の日米争奪の焦点は、島の北東部のルンガ
岬の内側・ヘンダーソン飛行場周辺に限定されますからその
辺りと思います。
ガ島は地上だけで2万余の戦死者と戦病没者を出して、昭和
18年2月初旬には撤退して米軍の完全支配下になりますが、
翌年4月に「い号作戦」って言う、日本海軍のソロモン海域
での大きな航空攻勢が展開され、その折にも海軍の航空機は
ガ島に攻撃を仕掛けています。
で、そのいずれかと思います。
前者の、日本と米軍がガップリ四ツで戦っていたガ島攻防戦
であれば、当時ラバウルに在った海軍小型機の機種は零戦と
98式陸偵しかありませんでしたから、そのいずれかと思い
ます。
日時と搭乗されていた機種、そして所属航空隊の名が判れば、
もう少し判ると思います。

そして、レイテ島! ガ島の戦いから2年後の昭和19年10
月のフィリピン・レイテ島の戦いは、太平洋戦争のすべてを
通しても最も悲惨な陸上戦です。大本営はあの小さなレイテ島
を最後の決戦場と定め、それ迄のフィリピンの主戦場と定めて
いたマニラの軍団を崩してレイテに移し、中国大陸や千島樺太、
台湾の陸軍の精鋭師団や優秀な航空戦隊(陸軍)を惜しみなく
レイテへ一極集中させて決戦を行なった結果、数ヶ月ですべて
木っ端みじんに壊滅。狭いレイテ島の陸上だけで8万人の陸軍
将兵が戦死し、10月の米軍レイテ上陸時に洋上から援護しよ
うとした海軍は、レイテ沖海戦で連合艦隊の軍艦を悉く沈めら
れ、事実上日本海軍は壊滅しました。残った艦は海岸に係留さ
されて浮き砲台とされ、それ以外に作戦行動できた艦は、戦艦
大和を始めとして僅かであり、翌年4月には沖縄特攻とされて
それさえも消えた事は御存じのとおりです。
そんなレイテの地では、大叔父様はほんと御苦労されたことと
思います。

□12月すら過ぎてゆく/うきき (2792)投稿日 : 2010年12月05日 (日) 16時43分

 貴重な情報の数々、どうもありがとうございました。
ここまで情報が絞れてくるのですね。
お時間をかけてお報せくださり、本当にありがとうございます。
もう一度、亡くなった年月を確認してみます。

 祖父は若いころに父母も亡くし、戦争で未婚の弟2人とも
を亡くして家族がいなくなってしまったので、やはり、大叔
父のことも含めて私たちが気にかけてあげるべきなのでしょ
う。

□今日は暖かかつたですね。/ARI (2793)投稿日 : 2010年12月05日 (日) 23時36分

すみません、だらだら書きつなれてしまいましたが
私の知識程度でお役に立てるなら嬉しいですから、
判ればお知らせください。

戦国期や江戸期の史実も日本史上の大事な歴史ですが
65年経ったあの大戦もこれから先、永く後世に残る
歴史です。
まだその当時を知る方が存命であり、すぐの直系の我々
が調べてお伝えすることは意味があると思います。

比叡山に行きたいです。
しまちゃん (2777)投稿日:2010年11月22日 (月) 21時37分 返信ボタン

★ARI様
 同世代っぽいですね。時代劇チャンネルを増設したい私です。栗塚旭の新撰組も好きです(再放送組)
 回天とか戦争物は、家人が興味をもっているので、(家のカレンダーは、毎年、海軍の戦闘機カレンダー)その手の本も本棚にあります。比叡山は行ったことないので、行きたいですね〜。知り合いは、紅葉まっさかりに行って渋滞で身動きとれなかったとか・・・。比叡山も琵琶湖側からも行ってみたいと思ってます。
 その前に、体力をつけておかなくては!この前の吉野行きで体力の低下を痛感した私です。

うきき様
 明日は岡山へ行って参ります。家人のお買い物に付き合って、果たして目的の場所にたどりつけるのか!?がんばれ私!

□うちの毎年のメインカレンダー=SBホークスカレンダー/ARI (2778)投稿日 : 2010年11月23日 (火) 18時29分

私はアラハン。しまちゃんさんの方が少し若いかも
ですね。
家のカレンダーは、毎年、海軍の戦闘機カレンダー!
いいですね。陸軍でなくて海軍の戦闘機というのが尚
イイ。零戦,96艦戦,雷電,紫電改,月光,二式水戦
等の戦闘機がめくる度に出てくるんでしょうか。
ちなみに、尾部プロペラ式の幻の高性能戦闘機「震電」
は福岡の航空機会社で作られ、今も博多の南郊にその
会社がありますよ。

□毎月戦闘機が!/しまちゃん (2779)投稿日 : 2010年11月23日 (火) 20時18分

ARI様 
 練習用「あかとんぼ」の月もあります。プラモと背景のCG合成でしょうか。毎月雄大な自然をバックに、雄姿が大空を舞っています。震電も掲載された年があったと思いますよ。
 ふすまを隔てた裏側は、比叡山延暦寺カレンダーがこれまた毎年吊り下げてあります。

うきき様 
 今日、岡山市デジタルミュージアムに行ったのですが、え〜!?エスカレーターが動いていない!!10時にならないとドアが開かない。ポスターを前に5分ほど動揺する私たち。エレベーターで4Fに行くと、無料の閲覧コーナーになっていて、窓口にカラーパンフレットが!人がいないので、このパンフレット買えるのだろうかと、おそるおそる中に入ると、受付の方が、はいどうぞと無料でパンフレットをくださいました。岡山大学付属図書館の企画展示とかで、土曜日はイベント?があったようです。中国四国地方のお城の絵図特集でした。津山城の図版で一番大きい印刷物は、ミュージアム入り口のポスターでございました・・・。パンフレット送りますね〜。

□森家カレンダーはないのか/うきき (2780)投稿日 : 2010年11月23日 (火) 20時31分

うわぁあ、カレンダーの話題の半分についていけてないです。
(・O・;)

しまちゃん様、パンフいただけるのですか?!
ありがとうございます。
 
今、風邪ひいてます。
周囲はかなり流行っている様子。
おふたかたも暖かくしてお過ごしください。

□嗚呼、赤とんぼ…/ARI (2781)投稿日 : 2010年11月24日 (水) 00時37分

★しまちゃんさん

>練習用「あかとんぼ」…
93式中間練習機 ですね。姿が目に浮かびます。
大戦中の海軍のいかなるエースパイロットであっ
ても初心者の頃はこの機種で基礎を学んで成長し、
又、大戦末期の若い特攻隊員も課程として、必ず
この機種で飛行技術をマスターしたうえで、前線
に向かったものなんです。 
内地の練習航空隊では、初心者の技術習得の安全用
に機体は朱色に近いオレンジ(=赤とんぼ色)に塗ら
れてました。
後部座席に座っている鬼教官から、棍棒で終始ドツ
カレて涙ぐみながら低速度でフラフラ上空を飛んで
飛行技術を修行していた20歳前の青年達を、地上
から見上げる庶民・農民や、基地航空隊の方は、
親しみ込めて「赤とんぼ」と呼んでましたもんね。

こんな超低速の「赤とんぼ」も日本存亡の危機にあっ
た昭和20年7月には、可能性ゼロと解っていながら、
沖縄海域に向け編隊を組んで特攻機として出撃させら
れたんです。
しかし、強大なアメリカ海軍の高性能のグラマン戦闘機
が待ち構える前に、こんなボロ練習飛行機で出撃させら
れた若い彼らの執念ゆえと思いますが、こんな超低性能
で無謀な「赤とんぼ特攻」で、アメリカ駆逐艦に体当たり
して、見事に撃沈した事実があります。書籍にもなって
今も販売してあり私も読みましたよ。

★うききさん
拙者、山登りを始めて2年後の平成8年以降14年間、
風邪をこじらせた事がないのです。厳寒・酷暑の登山
環境の中で調整機能が備わったんでしょうね。
では、週末よろしくです。

♪京都〜大原・三千院〜
ARI (2773)投稿日:2010年11月18日 (木) 23時45分 返信ボタン

■しまちゃんさん
柳生一族の陰謀、影の軍団、魔界転生…
しまちゃんさんと私は子供の年齢からみても恐らく
は同世代でしょうね。
で、面白かったですね、あの時代のアクション時代
劇は。柳生一族の陰謀は最近BSでも再放送をやっ
てて毎週観ていました。

■うききさん
回天の島・大津島を探訪しての熱い思い… 
伝わりましたよ。
私が歴研メンバーを連れて大津島に行ったのは、もう
11年も前ですが、日本人の心に訴える地として永遠
にあのままであって欲しいものです。

ところで先日の土日、突然にレンタカーで帰ってきた
長男の、京都までの復路に便乗し、深夜2時前に福岡
の自宅を出発し、高速道路8時間・650キロを息子
と交代で運転し、急遽京都に行ってきました。
朝京都に着いたその足で、ひとりで元亀年間に信長公
が襲った比叡山延暦寺へ車で登り、根本中堂や大講堂
を巡ってきました。将に紅葉のピークで絵葉書かカレ
ンダーの様に美しく荘厳な堂宇でした。この比叡山は
ずっと昔から行きたかった場所でしたのて、初めて訪
れ感激でした。
翌日は、長男と京都北郊の大原に行ってきました。
三千院へは30年ぶりでしたが、ほんと美しい処です。
そして建礼門院ゆかりのあの寂光院にも立ち寄ってきま
したよ。 秋の京はほんと良き処でした。

□しんけんしらは鳥/うきき (2775)投稿日 : 2010年11月19日 (金) 01時05分

>便乗

なんて、素敵なコトバ…(゜.゜*)
それにもまして仲良く父子でドライブ、素敵ですね。

比叡山におでかけだったのですね。ひえ〜!!
私はその中の西教寺にしか行ったことがないのですが(だって光秀が…)、
お話を伺うと私もメインの根本中堂などに行かなきゃいけないのだろうか
と信長好きとして思っちゃいます。
それにしてもちょうどいいシーズンにおでかけでしたね。
京都の紅葉はこっちとは色鮮やかさが全然違うように感じます。

□比叡〜/ARI (2776)投稿日 : 2010年11月19日 (金) 23時08分

元亀2年の信長公の比叡山焼打ちは、あの光秀が主力
メンバーのひとりで、ご褒美に比叡山を管轄する坂本
を所領に賜ってますからね。まさか、その10年半後
に本能寺の変が惹起するなんぞ、夢にも思わぬ頃。
その当時の信長は、VS浅井朝倉連合への対処、そし
て京に繋がる近江エリアの制覇で必死で将にイッパイ
いっぱいの頃でしたですもんね。
西教寺や三井寺のある、坂本の光秀・琵琶湖平地エリ
アでなくって比叡山にも行ってみてくだされ。比叡山
には、東塔,西塔,横川の3つのエリアがありますが、
メインの根本中堂や大講堂等がある東塔エリアの堂宇
が比叡山の中枢と思いますので、是非。

…で、比叡山の事を書いると、平時に御召艦の栄誉に
服し、戦艦大和の艦橋の試作として改装工事をされ、
S17.11月の第三次ソロモン海戦でガダルカナル沖に
沈んだ「戦艦比叡」を思い起こしてしまいます。

福岡城跡の縄張りを歩く勉強会しまーす。
なかにし (2765)投稿日:2010年11月16日 (火) 21時42分 返信ボタン

こんにちは。お城屋さんです。

うききさんのリクエストにお応えしての福岡城跡を案内する企画。
ようやく、11月28日日曜日、13時から行いますヽ(・∀・)ノ
小雨決行です。

こんな感じですのでよろしくお願いします。
http://nakatake05.blogcoara.jp/nakanishiyalab/2010/11/post-5704.html

□学びます!(^O^)//うきき (2766)投稿日 : 2010年11月17日 (水) 00時52分

書きこみありがとうございました、なかにし様。
 どちらの掲示板かと思いきや、こちらの掲示板に書きこみくださったのですね(笑)。お探ししました(笑)。

 福岡城探検、いよいよその日が近づいてまいりましたね。
福岡城は森度1%くらいながら、勝手知ったる地元の名城。
しかし、親しみはあるのに知らないことばかりなので、この機会に色々学ばせていただこうと、とっても楽しみです。
m(_ _)m

□ついしん/うきき (2767)投稿日 : 2010年11月17日 (水) 00時56分

 あ、私チームからは、私を含めて4名参加です。
どうぞよしなに。(^O^)



/なかにし (2768)投稿日 : 2010年11月17日 (水) 01時18分

よろしくお願いします。
適当なところに転載しておいて下さいませ。
福岡城は桝形虎口が天守台からスタートする縄張りです。
津山城や熊本城と同じグループになります。

でも、森度で行くなら次回は小倉城でしょうか?

/なかにし (2769)投稿日 : 2010年11月17日 (水) 01時21分

ところで、『倭城の研究』最新号に寄稿されたんですか?
刊行されているのも知らんかった(´д`;

注文しなくちゃ。

/うきき (2770)投稿日 : 2010年11月17日 (水) 14時48分

>森家で行くなら小倉城もいいですね。
あそこにも見るべきものがあるのでしょうか?
私は北九州出身なので、小倉城こそ昔から見ているお城ですが
観光化のために城の遺構を破壊していると聴きますし、
リバー●ォークなどといったよけいな建造物のせいで
城の景観むちゃくちゃですけど。
以外と知らぬ何かがあれば嬉しいです。(^_^;)

森家といえば肥前名護屋城探検もステキですね。
みんなが搦手といっているほうが実は大手じゃないのかとずっと
ひっかかってるんですが…そこのところ、お城屋さんの眼力では
いかがでしょうか。

『倭城の研究』は「短編でいいから森可政のこと書きませんか?」と
言われてOKしたら「20ページで」とのご指定で(短編ってどこ?!)
、韓国のオール漢字の資料も渡され、私はもぅ盛りこみと引き伸ばしで
書き上げました(笑)。
今回はよくお名前を聴く方の他にも、韓国でお城を掘ってる方々も寄稿さ
れてましたよ。まだ、これから読むところですが…(^O^)

/なかにし (2772)投稿日 : 2010年11月17日 (水) 23時45分

書き間違えました、再送。

小倉城も廻るとけっこういろいろあります。
石垣などは連隊時代に積み直しなどが多いようですが主要部は案外残っています。

肥前名護屋城も写真を撮らねばいけないので機会を見て攻めたいものですヽ(・∀・)ノ

□市役所とリバーウォークが邪魔です。/うきき (2774)投稿日 : 2010年11月19日 (金) 00時59分

 忠政が小倉城縄張りパクリの逸話を裏付けるかのごとく、
小倉城と津山城の縄張りの共通性などを見いだせたら、
とっても嬉しいですね。ヽ(・∀・)ノ
小倉城も唐造りで再建してくれればよかったのに、残念です。

踏査会。
なかにし (2771)投稿日:2010年11月17日 (水) 23時44分 返信ボタン

小倉城も廻るとけっこういろいろあります。
石垣などは連隊時代に積み直しなどが多いようですが主要部は案外残っています。

肥前名護屋城も写真を撮らねばいけないので機会を見て攻めたいものですヽ(・∀・)ノ



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