[13118]
・・・ですから、
弘安2年10月12日に顕した あの御本尊が偽物と言うのなら
誰が?あの御本尊を顕したのでしょうか?
また、明治以前の僧侶等が顕したとするならば
何故? あの御本尊だけ太陰暦及び60干支の日付がないのか?
ちなみに江戸時代までは60干支及び太陰暦と太陽暦を計算しながら
生活をするのが当たり前で、癖として顕す筈なのですが・・・
それが、あの御本尊にはなく
従って、偽物を作った・・・とすれば明治以降になりますが
明治以降に作ったと言う話があるのは、宿坊2のサム氏が述べていた
あるいは2ちゃんでも論争になったあの1件だけですよ
それも、創価学会絡みの奴
あんたも2ちゃんにいて、あのスレッドが
まだ有効だったころの出来事だったから、覚えているだろ?
例の日達上人が述べていた寸法の食い違いなどから
正信会の坊さんが述べていた告発めいた内容で
要は正本堂建立の時にすり替えられた・・と言うアレだよアレ
あの時 いろいろ判明したこともあったけれど
法華講の人が、その事で、かなり反発喰らって大変だったんだから・・・
だけど その1件だけだし
以前の宿坊2のやり取りでもサム氏いわく、まだ創価学会が
日蓮正宗の信徒として扱われていたころに
大石寺に行ったとき 確か、正本堂建立前と後で
御本尊が違ってたみたいな趣旨で本人が述べていた事から
だから、2ちゃんでは、その事件と当時問題になった
模刻御本尊事件と時期もあっていたことなどから
「すり替えられた可能性があるんじゃないのか?」
・・と書いたら・・・
・・・と言う事で、結局は、すり替えられた可能性
あくまでも可能性がある一件だけで、それだけで贋作とは言えないでしょ?
第一、贋作作るにしても、対告に至っても
諸天の配置含めて精巧すぎませんか?
[13117]
このためだったのか
[13116]
三烈士は、肩書も無いし、大聖人との面会も無かったと思います。
それでも、題目を唱えながら 鏡となる 信心を全うした。
破廉恥五老僧は、大聖人から 多くの恩を受けながら、裏切、組織破壊、
広宣流布破壊をした。本当に題目を唱えていないから 貪・瞋・癡の三毒に負けた。
色淫患部も全く一緒、肩書など 全く意味がない、絶対に信用してはいけない。
ましてや、その他の バカなインチキ邪教など 論外です。
題目を、本当に唱えている人しか 真面に、相手にしない事が、
悪知識に惑わされない 大事なことだと思います。
組織人、一般人、信用できる人は居ない という位 居ません。
それなりの対応で、気を付けることです。
今や、マスゴミを始め、悪世末法の人間世情で 地獄、餓鬼、畜生、修羅の生命世界、
自分が題目を唱え、諸天の加護を 真に実感しながら、仏道修行をすることです。
[13115]
こんにゃく問答みたいな教義論争には関わらないこと。
各々何十年も盲信してきた内容が、板曼荼羅なる捏造したオブジェを戴く完全な創作物だったのを認める勇気を持つこと。
相変わらずネトウヨもどきみたいなのがウロチョロしてるようだが、小人閑居して不善をなす、とはこのこと。
[13114]
他ならぬ教団当局が教義の根幹を突き崩すような真似をして、
適応できない信仰依存の人たちの収容施設だからね、ここは。
滞りなく改憲を成就するまでのただの時間稼ぎだから、
今頃になって須田さんやジカツとかが騒ぎ出してるけど
遠からず「教学要綱? 何それ?」ってオチになるのは目に見えている。
[13113]
先生指導(抜粋)です。
「仏典には、飢饉、疫病、戦争という社会の混乱は、
人間の善性を毒する、生命の濁りに根本的要因があるとしている。
その生命自体を変革し、浄化していくなかに、平和への確かな道がある。」
「何が起ころうとも、すべて御仏意ととらえ、妙法に生き切っていく。」
「未来永劫に、いっさいの悪の侵略や支配、抑圧を許してはならない。
変に従順になり、何も意見が言えなくなるようではいけない。」
「絶対に偉ぶってはいけない。庶民になりきって戦っていく。」
「すべては、自己自身の変革から始まる。一度に自己完成はできない。
修行と試行錯誤の繰り返しで、しだいに完成されていく。」
「人生は、すべて自身の生命の活動である。」
[13112]
某氏の投稿より引用。
図斉さん破折論文『戸田先生のご命日に思うー「教学要綱」への疑問』をようやく完読することができました。すでに精読された方々が多いと思いますが、私なりに”図斉さん、おっしゃる通りです!”と心で叫ぶことができたところを抜粋して抽出し、自身の糧としてまいりたいと思います。以下、上記論文からの抜粋でありますが、ここの部分の文は、図斉さんと親交がある中村誠氏の著作「『創価学会教学要綱』の意味するもの」で論考されているものであります。
「御書根本」と言っても、御書には表面的にとれば互いに矛盾する内容も多くあります。膨大な御書を自分勝手な判断のもとにどれだけ読み込んでも結局は迷路にはまり、身延派のようなものになってしまいます。だからこそ大聖人に常随給仕し、大聖人の御本意を正しく継承された日興上人を基準にしなければならないのです。(p60)
戸田・池田先生が日寛上人を重要視する姿勢も当然と言えば当然でしょう。御書を正しく解釈できる師匠の存在というのが非常に大事なのです。古くは日寛上人、現代では牧口・戸田・池田先生ということが言えます。御書根本というのは聞こえは良いが、真筆御書のみにこだわると、初心者は間違いなく迷路にはまり、釈迦の弟子日蓮という身延派の邪義にはまるでしょう。これこそが執行部の狙いでもあります。相伝書が学術的に信用ならないものであるならば、真筆御書を用いてその内容を証明すれば良いだけであり、執行部の態度は完全に間違ってますね。(p60)
ああした態度というのは、ひらがな御書は低級だからという理由で焼き捨てた五老僧に通じるものです。又、庶民を見下して権力を重んじる腐った精神が背後にあるのではとさえ感じられます。このような精神こそが僭聖増上慢の特徴だと思います。御書根本の美名の名の下に、安易な読み方をさせて、釈迦の弟子日蓮という身延流の読み方に学会員を導こうとする「教学要綱」の悪巧みが背後にあり、身延を破折し尽くした日寛上人を、なぜ嫌うのかという理由がここにあると思います。(p60)
御書を正しく解釈できる師匠の存在というのは非常に大事です。我々学会員が求めているのは、永遠の師匠であられる牧口・戸田・池田先生が一生を通して信仰されたものと全く同じ内容の信仰であり、それを装った「別の何か」は誰も求めていないはずです。(p61)
図斉修さん・中村誠さん、おしゃる通りです!!
[13111]
その科学の世界も最近は過去のデーターによる不備を突いた
真言まがいのSDGSとか
副作用の毒を端折る薬物や例のお注射など
健康食品も含め、科学の世界でも、民衆の無知を突いた
怪しい科学が出てきて、その辺は「宗教」と同じ状態ですけれどね
つか、寺子屋と言う言葉があるようにお寺自体が大学で
学問だったわけで、大聖人の場合でも結局は
その科学的なデーターの不備やフェイクを含めて指摘しているだけなので
本来は科学と宗教を区別する必要がないのですが・・・
[13110]
有諸無智人
悪口罵詈等
[13109]
>>13073
>仏界を引き出すには南無妙法蓮華経と題目を上げることです。
題目をあげた人≒仏界
あれ? 既に仏性が出ている状態になっていますよ
獅子身中の虫含め、境涯が修羅界の人でも
一遍でも題目をあげていなかった・・とは言えませんよね
しかも あれですよ日蓮正宗の法主も、毎日、題目をあげていますよ
さらに、あなた方も題目をあげていますよね
・・・にも関わらず
「相手の(仏性が出てないから)仏性を引き出せ」
はぁ?? 既に出ているんでしょ? 答えになってないじゃん
「いや、あの人たちは修羅や畜生の境涯だから云々・・・」
それは違うでしょ?
「仏性が出てない」と言う事にもなりますよね
さらに「命に差別はない。」と言いきりましたよね
「●●の境涯」は「命の差別」に該当しませんか?
さらに「命の差別」がなかったら
十界互具は存在しなくなりますし 宿業も大嘘になりませんかね
言っている事が支離滅裂になっていますよ
さらに朝から題目あげて
原田の仏性が出ないまま不当に追い出されたのが
あの三人組であり、そして題目あげた人が
幹部の仏性を引き出せず追い出されてしまったのが
富士宮特区の女性じゃないでしょうか?
アマノッチなんかもそうで、あいつなんか
毎週金曜日に YoutubeのLiveで勤行までしているじゃん(笑)
[13108]
論より証拠 FTのhttps://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=13073
https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=13074
・・・の文章を読んだ後
https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=13107
・・・の文章を見れば、誰が見ても
キリスト系の教えと同様、二枚舌になっている事がよく判りますね
片一方では排他主義じゃないと言いながら
結局は悪を責めろ等と言って排他主義
上下を作ってない、等しく平等等とと言いながら
結局は修羅だのなんだの境涯で分類して
「命の差別」を作っているじゃん
[13107]
先生指導(抜粋)再掲です。
悪知識は、絶対に寄せ付けてはいけない。
人をたぶらかす悪は、明快に正し、峻厳に退けていかなければならない。
悪との戦いに、遠慮はいらない。
「悪いことは悪い!」「悪は悪だ!」と、ありのままに真実を語ることだ。
それが、自分を護り、善人を護り、 正法を護ることになる。
三障四魔と戦うことこそが、仏になる道である。
ここに一生成仏の方程式がある。
大事なのは、法華経の敵を責めることだ。
根本は折伏精神である。悪を責めた分だけ、自分の悪は消える。
罪業は消える。
仏敵と戦えば、自分が金剛の「仏の生命」となる。
反対に、真実を叫ぶべき時に叫ばない臆病な人間は、
正しい道から外れてしまう。
謗法と戦うべき時に戦わない人間は、自分が謗法と同じになってしまう。
それでは、成仏はできない。それどころか、地獄である。
「君たちに言い残しておく。今はわからないかもしれないが、
やがて味方の中からも敵が出てくるだろう。周りが敵だらけになるかもしれない。
それが仏法の定理だ。 避けようがない。たとえ一人になっても、戦いなさい。
私は19歳の時から、そのようにして戸田先生にお仕えしてきた!」2006.4.8付
[13106]
アメリカの大学が発表した衝撃の論文を
その内容は「日本人の6割が餓死する」
というショッキングなものでした。
2022年、ラトガース大学の研究者らが
科学的なシミュレーションをおこない、
研究結果を学術誌「Nature Food」に掲載しました。
画像:朝日新聞デジタル
そこで発表した論文には
次のようなことが書いてあったのです。
ーーーーーー
もし世界で核戦争が起こった場合、
核爆発の粉塵がもたらす「核の冬」によって、
食料の生産が減少し、物流が停止する。
(中略)
すると世界の餓死者が日本に集中する。
日本人の人口の6割、約7200万人が餓死し、
世界の餓死者の3割を占めるだろう。
ーーーーーー
つまりシミュレーションによると、
物流がストップして、食料が不足すれば
日本人の6割は飢え死ぬというのです。
実際、ラトガース大学が指摘する通り、
日本の食料問題は危機に陥っています。
「まさか先進国ニッポンで
飢えるなんてことがあるわけもない」
のんきにそう考えられない時代に
突入してしまいました。
実際に、10年後、早くてわずか5年後、
日本米が食べられなくなると
東京大学特任教授★鈴木宣弘氏は
警鐘を鳴らしています。
★コメ農家の平均年齢は
今では71歳
(出典:農林水産省より)
★時給は10円
★米価格は5kg 5,000円に高騰
しかし、もっと残酷なのはここからです。
「日本米がなくなったら、最後、
日本人の食卓には発ガン米が並べられる」と。
一体、なぜこんなことになってしまったのか?
その裏には、アメリカの存在がありました
アメリカは戦後、日本への食料侵略を
計画していたのです。
実は、このアメリカによる計画が
水面下ではたされた結果、気付かぬうちに、
現代の私たちまでもが 今起きている「米不足」など
様々な形で苦しめられているのです。
[13105]
[13104]
毎週~金曜☆夜9時★スタート!
《師弟❤️題目のチカラ》
あの美輪明宏❤️さんも
南無妙法蓮華経はパワーが
ハンパないと?認められていた。
さらにそこに?
師弟の絆☆きずな❤️が加わった
《本物のお題目》になったなら☆
↓ ↓ ↓
https://www.youtube.com/live/6Cc5mZRPR0I?si=u63ksL8ipO0KFcq8
[13103]
これまでも、学会の幹部の中から反逆し、広宣流布の破壊を企てた人間が出た。
油断してはいけない。賢明でなくてはならない。
悪人を断じて許すな!
悪に対して、変な違慮や躊躇があってはならない。
それは本当の慈悲ではない。大事なのは厳愛だ。
もう一度、原点に返って、断じて新しい学会を築いていくのだ。
大切なのは、皆がしっかりすることだ。
建設は死闘、破壊は一瞬である。
これまで、三代の会長が、同志の皆さまとともに
死にもの狂いでつくりあげてきた学会を、絶対に壊されてはならない。
牧口先生と戸田先生の時代。そして戸田先生と私の時代。
この三代の時代は、師弟は完璧だった。厳格だった。
この三代の会長に脈打つ師弟の精神を、絶対にあいまいにしてはならない。
おろそかにしてはならない。師弟を失えば、学会は崩れる。
厳しいようだが、皆のため、学会の未来のために、
私は厳然と言い残しておきたい。
正しい師あればこそ、人間として「邪道」に転落しない。
正しい師あればこそ、人間として「正道」を歩み通すことができる。
まさしく、大聖人に直結の「創価の師弟」は、
世界を不幸の流転に陥れる邪道を閉ざし、
人類を平和と幸福の正道に導くために広宣流布を断行しているのである。
戸田先生は、こうも言われた。
「師匠のおかげで偉くしてもらいながら、将来、畜生のごとく師恩を仇で返し、
踏みにじっていく悪逆な連中が出たならば、断じて許すな!」
この創価の師弟の大精神を堅持し、いかなる中傷・批判を浴びようとも、
断固として仏敵と戦い、学会を守り、同志を守り抜いていくのだ。
これが仏法である。これが師弟である。
後継の青年のなかから、一人でも二人でも、本物の弟子が育ってくれれば、
それでいいのだ。
鋭い信心の光線を放ちゆく、「真剣の一人」が出てくるのを私は待っている。
私もまた、「法に依って」進んできた。
御書を青年時代から胸に刻み、大聖人の仰せのままに戦ってきた。
真実を知っていながら、語らず、正義を曲げてしまえば、
語らなかった者もまた、罰を受ける。
それが、御書に書かれた厳粛な道理である。
広布のために、和合僧を厳護せよ!
恩師の戸田先生は「第三代会長を守れ!
そうすれば、創価学会は盤石であり、広宣流布は必ずできる!」と遺言された。
この厳命に背いた人間たちもいた。
そして、勇退から二十五年を経た今、反逆の輩は無残な末路を迎え、
宗門は衰退の一途をたどっていることは、皆さんがご承知のとおりである。
五老僧 言うなれば大聖人門下の最高幹部である。
この最高幹部が大聖人の御精神にことごとく違背し、「師敵対」したのである。
先ほども申し上げたが、
学会を裏切り、師敵対し、同志を裏切っていった人間たちも、
やはり最高幹部であった。これが重大なる歴史の教訓である。
[13102]
やっぱりおかしい その4 | JIKATSU|創価自主活動支援サイト https://jikatsu.net/80539/%e3%82%84%e3%81%a3%e3%81%b1%e3%82%8a%e3%81%8a%e3%81%8b%e3%81%97%e3%81%84%e3%80%80%e3%81%9d%e3%81%ae4-2/
[13101]
13100ヤフー知恵袋❤️
(削除★!?)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14158682424
[13100]
ひねくれ&ボンクラ頭★じゃ
わからず&見えず★かもね?
↓ ↓
ミ-❤️がめでたく☆
ベストアンサ~祝❤️
( ☆∀☆)
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14158682424>
[13099]
「宇宙支配」を狙う中国の
「静かなる第一歩」がチリで始動
大量の「ミニ中国」を南米に作る真の目的は?
出典:https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2025/01/532092.php
今、世界最強の宇宙大国になるという中国の野望が、
南米チリのアタカマ砂漠(Atacama Desert)
にまで及ぼうとしています。
標高が高いチリは地球上で、
最も天体観測に適した場所の1つ。
そこを中国が狙っているのです。
アンデス山脈に近く、標高2000メートルの高地ですが、
中国はそこにチリと共同で天文台を建設して、
地球を周回する衛星や宇宙ステーションを観察したり、
新しい星を見つけたりしようとしています。
しかしそれは表向きの話なのです。
中国は、この天文台を利用して、軍事目的での宇宙開発を
発展させようとしているのです。
ライザ・トビン元米国家安全保障会議(NSC)中国担当部長によると、
「一見したところ、無害な科学施設を建設する。
だがこれらの天文台は、星を観察するだけでなく、
衛星を監視し、情報を収集し、宇宙での軍事作戦も支援する」と
さらにトビン氏は、
中国政府は非軍事研究や国際的な科学協力を装って、
軍事的な用途を見えにくくする。
提携先にも、真の活動内容を明らかにしない
と語っています。
事実、チリ関係者は、この天文台の詳細を詳しく教えられていません。
しかも、天文台からチリの関係者を排除することもできる契約になっているのです。
習近平氏は、中華人民共和国の建国100周年に当たる2049年までに、
中国が世界の頂点に立つビジョンを示しています。
そのためには、チリの天文台のような施設を世界中に建設して、
宇宙を支配することが重要なカギとなるわけです。
実際、中国が南米(南極大陸を含む)に建設してきた、
宇宙インフラは、世界のどの地域よりも多いです。
宇宙開発でアメリカに対して優位に立てば、
携帯電話から金融、そしてミサイル誘導まで、
地上での活動に深刻なダメージを与えることができます。
しかも中国は、海岸線から遠く離れた場所で、
アメリカなどと戦いたいと考えており、
衛星を自由自在に、コントロールできるようになれば、
はるか遠くの標的もミサイルで、攻撃することができるのです。
このように中国は、宇宙という巨大な空間を支配し、
自分たちが有利な立場に位置づけるよう企てているのです。
しかも中国が宇宙を狙うのは、これだけの理由じゃないんです。
実は、宇宙を巡って新たな経済圏が誕生しようとしており、
そこには、我々を凌駕する新たな金脈が眠っているかもしれない。
[13098]
出典:https://www.cnn.co.jp/world/35230807.html
アメリカ宇宙軍は、
中国が宇宙能力の強化策の一環として、
人工衛星同士の「ドッグファイト」
の訓練を行っていると明らかにしました。
宇宙軍の副部長 ゲトライン氏は、宇宙空間の五つの物体が、
コントロールされた動きで出入りしたり、互いの周囲を回ったり
している様子を確認したと明らかにしました。
そして、「これが我々の言う『宇宙でのドッグファイト』だ。
彼らは一つの人工衛星から他の衛星に対して、
戦術、技術、手順を訓練している」と指摘。
こうした技術により、中国は、他国の衛星を破壊または
機能停止させることが可能となり、
他国の軍事通信やミサイルの発射・探知といった活動を、
妨害できるようになります。
また、他国の銀行取引から貨物輸送、
救急車の派遣まで幅広い分野で利用される
"GPS"に混乱をもたらすことが可能になるわけです。
しかも中国の習近平氏は、「宇宙強国の建設を加速」する
と全人代で発言しており、
広大な宇宙空間を支配しようとしている。
このように、宇宙での開発を進めることで、
他国を戦わずして、降伏させることができ、
宇宙を支配することは、世界の覇権を握ることにも繋がるのです。
しかも中国が宇宙を狙うのは、これだけの理由じゃないんです。
実は、宇宙を巡って新たな経済圏が誕生しようとしており、
そこには、我々を凌駕する新たな金脈が眠っているかもしれない。
100兆円を巡る新たな経済圏の誕生
国やIT億万長者がこぞって参入する新領域
"宇宙を制する者が、世界を支配する"
[13097]
やはり心の境涯❤️高き人は?
見る眼☆あって洞察力が違う
ゆえに言うことも違う(説得力)
その《10445》
https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=10445
トドメ★のだめ押し☆!
❤️10446❤️
https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=10446
[13096]
ついにココまで来た☆!!
第171回めに突入~祝❤️
なかなか深イイ~お話❤️
《13051》
https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=13051
[13095]
教学要綱がでてから反逆者と覚しき人達が批判をしております。破折こそ大聖人の創価学会の生命です。
批判には正義の反論をお願いします。
最近は学会員さんたちも不審を募らせています。このままでは夏に向かって票が減るばかり。
なんとかして下さい!
[13094]
色々でてるけど地震のコトは真面目☆に語ってるし
あとチョイ恥ずかし❤️体験談は若い頃の実話☆でござる!
❤️9881★
https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=9881
[13093]
例えばこんな不都合~なやつとか
ピンチの選挙☆近くて創価部隊❤️
ネット監視課)も必死★だな?笑
↓ ↓
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13154572588
[13092]
池に蓮の花も植えました
白蓮花です
[13091]
実は今年、母の七回忌で、
庭にメモリアルガーデンを創り、
ミニひまわりと、コスモスを植えました。
ひまわりは太陽、コスモスは宇宙
創価思想を体現した七回忌にしようと考えました。
生も死も、同じ宇宙の中の生命、
永遠に大切な人と共に幸福であろうと決意しました✨
創価の思想は幸福です
ありがとうございました😊
[13090]
宮田先生、Xで「教学要綱」は先生がお書きになったと知りました。
お書きになった先生ならご存知と思いますが、「池田大作監修」というのは本当ですか?
是非その証拠があったら教えて下さい。
反逆者どもがうるさいので。
よろしくお願いします。
[13089]
邪義!!
「教学要綱」破れたり!
市井の衆知の指摘に反論できず!
その事実を天下に曝すものなり!
異議あらば
学会教学部 出てこいや〜!
[13088]
工作員★がコレ見たら思わずヤバイ!
((;゜Д゜))\(◎o◎)/
大ピンチ☆選挙前にこんなん出されたら?
もう~上からは大目玉☆足はガクガク★
手はワナワナ~そして目は?
m(。≧Д≦。)m
うつろ( ゚A゚ )になるだろう~笑❤️
❤️13085❤️
https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=13085
[13087]
宇宙空間と「空」の概念
―― 先ほど、地球は生命を育むオアシスであるという話がありましたが、天体が運行する大海原ともいうべき広大な宇宙空間とは、どのようなものなのでしょうか。
ログノフ われわれが生活している地球上の大気の中には、一立方センチあたり、一兆個の三千万倍(3×1019個)の分子がふくまれています。
それに対して、宇宙空間では、平均すると一立方メートルあたり、原子がたった一個存在する程度です。
池田 まさしく高純度の真空ですね。しかし、何も存在しないと思われるこの宇宙空間から物質が創成され、星が生まれ、やがて生命が生まれてきたわけですね。
ログノフ そのとおりです。また素粒子の世界では、きわめて瞬時に素粒子が生まれては消えています。そうすると、この宇宙空間はたんなる「無」ではなく、物を生みだしていく空間と考えざるをえない。
イギリスの物理学者ディラックは、このことを理論的に唱えました。
池田 今世紀の科学の偉大な知見は、仏法で説く「空」の概念とも、きわめて近い考え方と思います。
ログノフ その「空」という概念は、仏法独自の深遠な哲理であると聞いていますが……。
池田 いわゆる西洋哲学の範疇にない、仏法哲理の真髄であると思います。
ログノフ この「空」という言葉は、もともとインドのものですか。
池田 そうです。サンスクリット語(梵語)の“S´u^nya(シューニヤ)”の訳です。もともとは“ふくらむ”という意味をもっていました。
―― 東洋学者のマックス・ミュラー博士は、かつて“空虚(all*empty)”と訳していますね。
池田 この「空」という概念を正しく理解している人は、きわめて少ないと思います。
「空」とは、空虚とか、何も無いということではありません。つまり「無」ではない。だからといって、現象世界における「有」でもない。現象世界へと顕在化して「有」のすがたとなったのを、仏法では「仮」ととらえます。
ログノフ ということは、「空」とは、「有」とか「無」という概念を超えたものということでしょうか。
池田 そのとおりです。
恩師の戸田先生は、この「有」「無」を超えた「空」の概念について、わかりやすく説明しておりました。
「たとえてみれば、“あなたは怒るという性分をもっていますか”と問われたときに、“もっております”と答えたとする。それなら“その性分を現してみてください”と言われても、現しようがないから、“無い”と同様である。しかし“有りません”と答えたとしても、“縁”にふれて怒るという性分が現れてくる。かかる状態の存在を“空”というのである」
ログノフ ほほう。そう言われると理解しやすくなります。
かたちと力――自然界の造形
―― 「空論」についていえば、池田先生は、一九八八年にフランス学士院で講演をして、ダイナミックな「空」の概念から、仏法の「生命論」を展開されましたね。
そのフランス学士院の会員であり、池田先生の友人でもあるルネ・ユイグ氏の著書に『かたちと力――原子からレンブラントへ』(西野嘉章・寺田光徳訳、潮出版社)という大著があります。私どもの社から翻訳・出版したものですが……。
池田 そうでしたね。これは、人文科学・自然科学を問わず、万般の学問を総動員して、自然界の見える“かたち”と、見えない“力”のダイナミックな関係を鋭く探究した大労作です。
―― ですから、美術専攻の学者だけでなく、物理学者などの力も借りなければ、正確な翻訳はできないというわけで、実際に刊行できるまでに、八年近くかかってしまいました。
池田 仏法の概念を使えば、ユイグ氏が究明しようとする“力”は「空」に、“かたち”は「仮」に該当するように思います。
仏法ではあらゆる事象について、「空」と「仮」を明瞭に洞察する。つまり、“あきらか”に見るという意味から、「空諦」「仮諦」といいます。たとえば、日蓮大聖人は「十如是事」という御文の中で、“我が身の色形に顕れたる相”を「仮諦」とされ、一方、“我が心性”を「空諦」とされています。
ログノフ 仏法の「仮諦」と「空諦」という概念は、私たちには今まで翻訳されたものが少なく、ほとんど接することがありませんでした。ロシア語版があれば、ぜひ一度読んでみたいものです。
池田 そこで、ユイグ氏は、振動とか波動の意味について考察しながら、ハンス・イェンニというスイス生まれの医師が著した『波動学』(サイマティックス)という書物から、多くのおもしろい実験結果を紹介しています。
ログノフ ほう。波動学ですか。たとえば、どういう事例がありますか。
池田 そうですね。いわゆる水晶の振動子を使用しています。
ログノフ 水晶の格子状の結晶は、電気的衝撃を与えると歪む性質がありますね。
池田 ええ、その電気的衝撃を連続的に加えて振動させます。その振動が伝わっている板の上に水銀の粒を置いて、その変化がどうなるかを観ます。
水銀は強い表面張力が働きますから、球のようなかたちをしています。それが、板の振動によって変化して、四角形や五角形などの多角形に囲まれた立体(多面体)になるのです。しかも、それらは驚くべきことに、自然界に見られる美しい雪の結晶や色鮮やかな花びらの構造を彷彿させるというのです。
ログノフ なるほど。そうかもしれません。
池田 また、高周波数の音波で、粘着性のある液体、たとえばグリセリンの薄膜(フィルム)とか、ペーストのような物質を振動させると、びっくりするほど鮮やかに、珊瑚の芽や枝、ソラマメや貝殻、魚の骨など、私たちが日常目にする、自然界の生物に似た“かたち”が現れてくるというのです。
ログノフ 音などの振動が創り出す“かたち”と、自然界の“かたち”の間には、なにか深い相関関係があるということですね。
池田 そうです。
そこでユイグ氏は、実験結果を踏まえながら、「このように初めは、エネルギーと、波の“かたち”での振動のみが存在した」(前掲『かたちと力』)と洞察しております。
ログノフ 科学的探究の成果と、芸術的直観の融合が導きだした、興味深い話です。私も一度研究してみます。
池田 ぜひお願いします。
「空」――その無限の創造力
池田 また「不確定性原理」で有名なハイゼンベルクと師匠ニールス・ボーアとの対話も示唆的です。
ログノフ ハイゼンベルクは非常な秀才です。一方のボーアは原子構造の理論でノーベル賞をとっています。たいへん幅広い考え方のできる人で、しかも対話が巧みでした。ボーアの周りには多くの若い英才が集まり、対話と研究に没頭していました。ハイゼンベルクもボーアのもとではじめて、自分のしていることの意味をはっきり掴みとったのです。
池田 科学の世界もやはり「対話」であり、「師弟」ですね。そのハイゼンベルクの若き日に、師ボーアが「物質の安定性」について語った一節があります。
「自然界にはある一定の形を作ろうとする傾向があり、そしてこの形は、(中略)それが邪魔されるか破壊されるかしたとしても、いつでもふたたび新しく元の形を生ぜしめようとする傾向が存在する」(W・ハイゼンベルク『部分と全体』山崎和夫訳、みすず書房)というのです。
―― 先ほどからのお話をうかがいますと、仏法では、その“ある一定のかたち”を創り出そうとする傾向性の源泉を「空」に求めているように感じましたが。
池田 そのとおりです。万物を生みだす無量の潜在力をたたえた場――。その「空」なる世界に満ち溢れるエネルギーの妙なる躍動が“かたち”となって顕在化するのです。
たとえば素粒子にしても、「空」なるエネルギーからつくられ、一瞬の「仮」の姿を現じた後に消滅し、ふたたびエネルギーへと潜在化していきます。
ユイグ氏が引用している多くの実験も、音波や電気的衝撃による振動という「縁」によって、「空」から「仮」へと、さまざまな“かたち”が姿を現すものと考えられるのではないでしょうか。
ログノフ なるほど。物理学的にいうと、物質の質量というのは、一点に凝縮したエネルギーです。
エネルギーは“場”というかたちで広がることもできますし、“物質”というかたちで一点に凝縮することもできるのです。その意味でも、今まで述べられてきた仏法の「空」の概念について、私もいろいろ思索していきたいと思います。
池田 これはまた、次の機会に申し上げたいと思いますが、仏法では宇宙も一つの生命的存在ととらえています。
ログノフ ほう、そうですか。
池田 ですから、物質の究極も、無限の宇宙も、そして不可思議なる生命も、この「空」なる実相をそなえている。
あらゆる生命空間に秘められた、無限の創造力としての「空」は、「縁」に応じて「仮」と現れ、また潜在化しゆくダイナミックなものです。最先端の科学の眼も、仏法の英知と同じく、この一点を凝視しているのではないでしょうか。
[13086]
幸福の追求者様、同感です。池田先生は牧口先生の指導を踏まえた上で科学者と対談されてます。
池田先生とログノフ対談
池田 「慈悲」は仏法の根本精神です。人々の苦しみを抜き、楽しみを与えゆく「行動」のなかに脈打つものです。
それこそ、個人においては、人間完成への実践方軌であり、また平和への確かなる道になると思います。
―― 池田先生とカー博士との語らいでは、「宗教観」も話題になり、博士は「自分は宇宙で仏法の勉強をしていたようなものです」と言われていたそうですね。
池田 ええ。それというのも博士は、青年時代、神は天から地球にいる自分たちを見守っているようなものととらえていた。しかし、実際に宇宙へ行って、その考え方が大きく転換したというのです。
ログノフ なるほど。かつてガガーリンも、一生懸命あたりを見回したけれど、「天には神はいなかった」と言っていました。
池田 カー博士は、宇宙には厳然とした「秩序」があるということを知った。いろいろなことが宇宙では起きているが、その運行は、秩序正しく行われている。その“秩序”こそ、人類が普遍的に共有しうるものであると感じたというのです。
ログノフ ほう。「秩序」ですか。
池田 仏法では、「宇宙」と「生命」に脈動する不可思議なる「秩序」を「法(ダルマ)」と説いています。
カー博士は、まさに無限の時空を創りゆく、「大宇宙の法則」があることを、直観したといえるかもしれません。
―― アポロ九号で地球を百五十一周したラッセル・L・シュワイカート氏がおもしろいことを言っています。
「単に宇宙に行ったからといって、それが意識の変化を生み出すわけではない。宇宙に上がっても、あなたは依然としてあなたなのである」(河合隼雄・吉福伸逸共編『宇宙意識への接近』春秋社)と。つまり、開かれた人間でなければ、宇宙に行っても変わらないというのです。
池田 そのとおりでしょう。反対に、たとえ宇宙空間に出なくても、人間の大いなる意識の変革は可能なはずです。
青年時代に愛読したホイットマンの詩集『草の葉』の中に、忘れえぬ一節があります。
目に見える世界、光の世界は、わたしにとって確かに壮大――空も星も壮大、大地も壮大、永続する時間と空間も壮大、
(中略)
しかしずっと遙かに壮大なのは目に見えぬわたしの魂、それらすべてのものを内に含み、賦与する者、
(中略)
遙かに進化し、広大で、難解な、おおわたしの魂よ、
ずっと遙かに多様な形をそなえ――時間や空間よりも遙かに永続するあなたよ。
(「目に見える世界は確かに壮大」『草の葉』酒本雅之訳、岩波文庫)
人はこのように壮大な心でありたいと、だれもが願うのではないでしょうか。
もう四十五年も前ですが、私はこの信仰を始めて間もないころ、「所詮しょせん万法は己心に収まりて一塵もか闕けず九山・八海も我が身に備わりて日月・衆星も己心にあり」という日蓮大聖人の御文を読んだとき、目の前が開けるような思いでした。この仏法の深遠な法理をもっと知りたい、学びたいと、強く思ったのを今でも覚えております。
ログノフ 人間の心こそ、宇宙よりも広いものであるとの思想は、大きな転換期を迎えているわが国にとっても、これから、より注目されていくと思います。
[13085]
コレ全部ミ-❤️がしゃべってるコト
コレ見たら工作員★青ざめ涙目☆笑
↓ ↓
❤️8642☆
https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=8642
[13084]
処女は子供を産めない
ある西洋宗教を、科学的に斬っています
宗教と科学とは、相反するものでは無い
葬式、法事は儀式であって宗教ではない
どれも現代の私に納得いきます
私は牧口思想から再出発します
スッキリ
[13083]
牧口常三郎先生の、美利善の価値論、
創価教育学、現代の科学的な見地と正しい宗教観、
日本に誤って広まってしまった悪しき儀式信仰、
金儲けのための坊主宗教、
牧口常三郎先生から学べば、
正邪がもっと分かりやすくなります。
そして、もっと、この生と死の背中合わせの娑婆世界を有意義に生き抜く知恵と知識を学ぶ事ができると思います😊
真の創価学会と、日蓮仏法を学び、実践するならば、
牧口常三郎先生から、基礎基本を学び直すべきだと感じています。
創価の原点から、再出発するのが、
1番の幸福の直道かと思います😊
共に幸福に生き抜きましょう!
[13082]
だってテレビ局へ突撃☆するほどだもんで
(名古屋弁❤️)
(12916)
https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=12916
[13081]
もう~下で10何年も前に告白❤️してた通り相手(状況)によって
自然(無意識☆)に切り替わる?だけのこと(わざとじゃないのさ)
例えば車でも自転車でも坂道では止まりそうになったりする(負担)が
ギアチェンジ(変速)すれば無事❤️登り切れるように自動的にチェンジ☆
今は会社などでストレスチェック(質問に答えて診断)なんかやってるが
オレの場合はストレスがかかってもそれに応じて無意識☆に多重人格❤️で
性格❤️が自動的に切り替わることでストレスなんか有って無いようなもの
わざとじゃなくコントロール❤️出来ない
とこは不便だが生きてく上では?
防衛本能的な知恵?というか武器☆にもならあ~な!祝❤️
↓ ↓
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1196701516
[13080]
闘諍言訟
白法隠没
[13079]
動物の異常行動による地震予知の電話依頼を受けましたので、我が動物園で地震予知を散々喚いている動物Kの異常言動について調べてみたところ、多重人格障害・認知症等の精神疾患に由来するものと見受けられましたので、ここに御報告いたします。
[13078]
やっぱ☆おかしい~もんはダメ★!
だめ★なものはオカシイ~んじゃ!
学歴バカ☆な政治家にはわからん!
《13051》
https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=13051
[13077]
創立者の精神は?
なにか発信することはないのか?
...と、いつも思っている。
見逃しの方のために
https://www.youtube.com/live/qFZE-bWzd-0
[13076]
大聖人そして大聖人の仏法を実践し生きている者の悪口、誹謗をしたなら罰が出る。この悪口、誹謗をする輩の言う事は聞く、聞かずだ!!
[13075]
どう~とる(とられるか?)は分からないが
これらは実際にあったこと(証言❤️)なんだから
別に迷惑☆詐欺★サギメール❤️じゃないから!
↓ ↓
https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=13032
[13074]
兄弟抄
第十二章 三障四魔出来の原理を明かす
本文(御書全集一〇八七㌻一〇行~一〇八八㌻六行)
されば天台大師の摩訶止観と申す文(ふみ)は天台一期の大事・一代聖教の肝心ぞかし、仏法漢土に渡って五百余年・南北の十師・智は日月に斉(ひとし)く徳は四海に響きしかどもいまだ一代聖教の浅深・勝劣・前後・次第には迷惑してこそ候いしが、智者大師再び仏教をあき(明)らめさせ給うのみならず、妙法蓮華経の五字の蔵の中より一念三千の如意宝珠を取り出して三国の一切衆生に普(あまね)く与へ給へり、此の法門は漢土に始るのみならず月氏の論師までも明(あか)し給はぬ事なり、然れば章安大師の釈に云く「止観の明静(みょうじょう)なる前代に未だ聞かず」云云、又云く「天竺の大論尚(なお)其の類(たぐい)に非ず」等云云、其の上摩訶止観の第五の巻の一念三千は今一重立ち入たる法門ぞかし。
此の法門を申すには必ず魔出来(しゅったい)すべし魔競(きそ)はずは正法と知るべからず、第五の巻に云く「行解(ぎょうげ)既に勤めぬれば三障四魔紛然(ふんぜん)として競い起る乃至随う可(べか)らず畏(おそ)る可らず之に随えば将(まさ)に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨(さまた)ぐ」等云云、此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ。
此の釈に三障と申すは煩悩障・業障(ごうしょう)・報障なり、煩悩障と申すは貪瞋癡(とんじんち)等によりて障礙(しょうげ)出来すべし、業障と申すは妻子等によりて障礙出来すべし、報障と申すは国主父母等によりて障礙出来すべし、又四魔の中に天子魔と申すも是(か)くの如し今日本国に我も止観を得たり我も止観を得たりと云う人人誰か三障四魔競(きそ)へる人あるや、之に随えば将に人をして悪道に向わしむと申すは只三悪道のみならず人天・九界を皆悪道とか(書)けり、されば法華経を除きて華厳・阿含・方等・般若・涅槃・大日経等なり、天台宗を除きて余の七宗の人人は人を悪道に向わしむる獄卒なり、天台宗の人人の中にも法華経を信ずるやうにて人を爾前へやるは悪道に人をつかはす獄卒なり。
それ故、天台大師の摩訶止観という書は、天台大師一生の大事、釈尊一代聖教の肝心を述べたものである。仏法が漢土に渡って五百余年、当時の南三北七の十師達は、智は日月に等しくたとえられ、徳は四海に響いていたけれども、いまだ一代聖教の浅深・勝劣・前後・次第について迷っていたのを、天台智者大師が五時八教の判釈をもってふたたび仏教を明確にされたばかりでなく、妙法蓮華経の五字の蔵の中から、一念三千の如意宝珠を取り出して、インド・中国・日本の一切衆生に広く与えられたのである。この天台の法門は、漢土に始まるばかりでなく、インドの論師さえ明かさなかったことである。それ故、章安大師は止観を釈していうには「摩訶止観ほど明らかで誤りのない法門は、前代にいまだ聞いたことがない」、また「インドの大論も、なおその比較の対象にならない」等といっている。そのうえ、摩訶止観の第五の巻に説かれる一念三千は、今一重立ち入った法門である。
故に、この法門を説くならば、必ず魔があらわれるのである。魔が競い起こらないならば、その法が正法であるとはいえない。止観の第五の巻には「仏法を持ち、行解(ぎょうげ)が進んできたときには、三障四魔が紛然として競い起こる。(中略)だが三障四魔に決して随ってはならない。畏れてはならない。これに随うならば、まさに人を悪道に向かわせる。これを畏れるならば、正法を修行することを妨げる」等と書かれている。止観のこの釈は、日蓮の身にあてはまるばかりでなく、門家一同の明鏡である。謹んで習い伝えて、未来永久に信心修行の糧(かて)とすべきである。
この釈に三障というのは、煩悩障・業障・報障のことである。煩悩障というのは、おのおのの生命にある貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)等によって、仏道修行の障礙(しょうげ)があらわれるのである。業障というのは、妻や子等が仏道の障礙とあらわれることである。報障というのは、国王や父母等が障礙とあらわれるのである。また、四魔のなかで、天子魔というのもこの報障と同様である。今、日本国には、われも止観を体得した、われも止観体得したという人々のうち、誰に一体三障四魔が競い起こっているであろうか。止観のなかに、「三障四魔に随うならば、まさに人を悪道に向かわせる」というのは、ただ三悪道ばかりではなく、人界・天界、そして九界を皆悪道と書かれているのである。それ故、法華経を除いて、華厳・阿含・方等・般若・涅槃・大日経等は皆、人を悪道に向かわせる法である。天台宗を除いて、ほかの七宗の人々は人を悪道に向かわす獄卒である。だが天台宗の人人の中にも法華経を信ずるようでいて実際は人を爾前の教えへ向かわせる者は人を悪道に行かせる獄卒である。
三障・四魔
仏道修行を妨げ善心を害する三種の障(さわ)りと四種の魔のこと。三障は①煩悩障(貪瞋癡(とんじんち)等の惑によって起こる障)、②業障(五逆・十悪等によって起こる。また妻子等によって起こる障)、③報障(三悪道・謗法・一闡提の果報が仏道の障礙となること。また国王や父母、権力者からの障礙)である。四魔は①煩悩魔(貪瞋癡等の惑によって起こる魔)、②陰魔(おんま)(衆生は五陰の仮和合(けわごう)したものであるからつねに苦悩の中にあるゆえに五陰を魔とする)、③死魔(死の苦悩で、死がよく命根を断つので魔という)、④天子魔(他化自在天子魔の略称。他化自在天王がよく人の善事・善行を害すること。権力者による迫害等がこれにあたる)である。
本章は、仏道修行の根本指針を示された段であり、この「兄弟抄」の中でも、とくに重要な中核をなす部分である。一往、天台仏法に例を借りて説かれているが、末法の未来が正意であられたことは「門家の明鏡なり謹んで習い伝えて未来の資糧とせよ」との仰せによっても疑う余地がない。
天台大師は、五時八教の教判を明らかにして、釈尊一代仏教の中で、法華経が最第一であることを宣揚(せんよう)した。これによって、当時、中国にはびこり、おのおの勝手な義を唱えていた南三北七の各流派は、ことごとくその立義を打ち破られたのである。
さらに、天台大師は、この釈迦一代仏教の肝心たる法華経の中から、百界千如・一念三千の法門を取り出し、像法の時にかなった修行として、一心三観・一念三千の観念観法を打ち立てた。天台大師が、薬王の再誕といわれ、像法の正師、小釈迦と称えられるのは、まさに、この一念三千の法門ゆえである。
客観的にみても、生命について、これほど厳密に、鋭く、深く分析し、その相貌を明らかにし、しかして壮大な理論体系を打ち立てたものは、他に例がない。
だが、天台の一念三千といっても、あくまでも、それは観念観法によって己心に描くのである。その一念三千の相貌は、末法に入って、日蓮大聖人が御出現になることにより、はじめて樹立されるのである。
観心本尊抄にいわく「一念三千を識(し)らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を裹(つつ)み末代幼稚の頚(くび)に懸けさしめ給う」(二五四㌻)と。ここに「仏」とは末法の御本仏たる日蓮大聖人御自身であり、「五字」とは三大秘法の御本尊である。
したがって「此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競(きそ)はずば正法と知るべからず」と仰せの「此の法門」とは、事の一念三千たる三大秘法の大白法をさす。事実、天台大師自身も、天台の正義を受けついだ妙楽や伝教等も、三障四魔を身に受けてはいない。まさに、三障四魔紛然の天台の言葉を、事実の上に読まれたのは、日蓮大聖人にほかならないのである。
いま本文に「此の釈は日蓮が身に当るのみならず門家の明鏡なり」と申されているのもこのことを述べられているのである。師たる日蓮大聖人の御生涯が三障四魔との激闘の連続であったように、大聖人の弟子として、末法の大仏法を受持した門家一同も、また、三障四魔との戦いの人生であることは、当然、覚悟の上でなくてはなるまい。
[13073]
此の法門を申すには必ず魔出来(しゅったい)すべし魔競(きそ)はずは正法と知るべからず、第五の巻に云(いわ)く「行解(ぎょうげ)既(すで)に勤めぬれば三障四魔紛然(ふんぜん)として競い起る乃至随う可(べか)らず畏(おそ)る可らず之に随(したが)えば将(まさ)に人をして悪道に向わしむ之を畏れば正法を修することを妨(さまた)ぐ」等云云
この法門を説けば、必ず魔が現れます。魔が競い起こらなければ、正法であると知ることはできません。『摩訶止観』の第五の巻には「修行が進み、理解が深まれば、三障四魔が入り乱れて競い起こる。(中略)だが、これに随ってはならない。畏れてはならない。これに随えば、まさに人を悪道に向かわせる。これを畏れるならば、正法を修行することの妨げとなる」等と書かれています。
日蓮大聖人は、法華経を信仰するゆえに難が起こるのは必然であり、断じて魔に負けてはならないと教えられます。
妙法は、万人成仏を説く唯一の法です。すべての人の生命変革を可能にする「正法」だからこそ、妙法を信じ、語り弘めようとすると、前進を妨げる障魔が現れるのです。
「行解(ぎょうげ)既(すで)に勤めぬれば」とある通り、仏法の実践に励み、仏法の理解が深まった時、「三障四魔」は競い起こります。この障魔に打ち勝つ要諦(ようてい)として、大聖人は「随ってはならない」「畏(おそ)れてはならない」の二点を示されます。信心根本に、魔に従わない「智慧」と、魔を恐れない「勇気」を持つ。そして魔を魔と見破り、〝来るなら来い〟と迎え撃つ時、魔は退散するのです。
魔に敗れてしまえば、幸福への道を外(はず)れてしまうことになります。ゆえに、障魔が現れた時こそ、大きく境涯を開く「人間革命」「宿命転換」のチャンスと捉え、一歩も引かないことが大切です。一切の障魔を打ち破る〝勇気の信心〟を貫き、幸福勝利の大道を歩んでいきましょう。
池田先生の指導
「三類の強敵(ごうてき)」「三障四魔」。これらの難は、「あなたの進む道に間違いはありませんよ」「これを乗り越えれば必ず仏になれますよ」という最高の保証です。難があるから今、進んでいる広布の道が正しいとわかる。生々世々(しょうじょうせぜ)、仏の軌道に入っていくと確信できる。
仏道修行の〝卒業試験〟とも言えるだろう。「三類の強敵」が競い起こった時こそ、実は、成仏の「軌道」に入るチャンスなのです。入れば、永遠に仏です。
[13072]
池田先生指導です。
寿量品では「久遠の仏」が説かれる。
その仏とは、だれのことか。
前にも語ったが、大聖人は「我実成仏己来、無量無辺百千万億那由佗劫(我実に成仏してより己来このかた、無量無辺百千万億那由佗劫なり)」の「我」とは「法界の衆生なり十界己己を指して我と云うなり」と仰せだ。
寿量品の「久遠の仏」とは
一切衆生のことなのです。
私どものことです。
凡夫は凡夫のままで仏なのです。
命に差別はない。
平等です。
平等に仏です。
違うのは、
それを自覚しているか否か、
その「心」の違いだけです。
三十二相八十種好で
身を飾るのが仏なのではない。
我が生命そのものが本来、仏です。
宇宙そのものが本来、仏なのです。
太陽が出るのも慈悲。
月が照らすのも慈悲。
緑の木々が美しく呼吸しているのも慈悲です。
宇宙全体が無始無終にわたって
慈悲の活動を続ける大生命体なのです。
その大生命を久遠の仏という。
そして、十界の誰の生命も、
この寿量品の仏と一体なのです。
その本来の生命に帰るカギが信心です。
全宇宙が自分の銀行口座のようなものだ(笑い)。「信心」次第で、いくらでも宝が引き出せるのです。
そして「信心」とは「魔と戦う」こと以外にはない。正義とは、悪と戦うことであり、仏法とは難と戦うことです。
ある時、四条金吾が度重なる苦難に、思わず弱音を吐いた。「法華経を信ずる者は現世安穏のはずであったが……」と。それを伝え聞いた大聖人は、こう指導されている。
「松は万年のよはひを持つ故に枝を・まげらる(中略)法華経の行者は久遠長寿の如来なり、修行の枝をきられ・まげられん事疑なかるべし」
松が風雪に耐えて「万年の寿命」を証明するように、法華経の行者は、難に耐えることによって、「永遠の生命をもつ仏」という本地を現わす。今こそ、尊極の「仏界」を現わす時である。
最高の功徳が出る時なのに、何を弱音を吐くことがあろうかと、励ましておられる。
受持です。「自分には広宣流布の使命があるんだ」と信じ、妙法を受持しきって生き抜くのです。
[13071]
>>13070
それを言うのなら 誰が狂信なんですか?
天野も創価も「狂信の出来レース」にしか見えないんだけれど
[13070]
師弟の精神、三代の会長の精神を、何があっても守っていくのだ。
この一点を忘れないかぎり、広宣流布の前進は永遠に行き詰まることはない。
この一念があれば、どんな苦難も乗り越えられる。根幹である師弟の道を絶対に踏み違えてはいけない。
そうなったら、永遠の後悔を残すことになる。師弟の精神が薄れていくなら、広宣流布の将来は危うい。
悪人がのさばり、純粋な会員が苦しむようなことは、決してあってはならない。
ゆえに私は、声をかぎりに真実と正義を叫んでいる。まじめに戦ってくださっている同志を心から大切にする。
同志と苦楽を共にしゆく一念を失った瞬問から、堕落が始まる。絶対に傲慢になってはいけない。
謙虚でなければいけない。ともあれ、壁を打ち破るには題目である。
広宣流布における労苦は、たとえ、そのときはつらくても、一生を通して見た場合、
自分にとって必ず大きなプラスになる。やった分だけ得をする。これが鉄則である。
大きな目的に向かって、大きく悩んだ分だけ、煩悩即菩提で、大きな境涯が開かれる。
少々の悩みなど、悠々と見おろしていく自分自身を築き上げていくことができるのだ。
戸田先生は「恩を仇で返すやつは、人間として極悪だ。そんな人間は、クズの中のクズだ」と厳しく言われた。
断じて忘恩の人間になってはならない。広宣流布に戦い切った人の福徳は永遠である。
たとえ、だれが見ていなくとも、だれが分かってくれなくとも、御本尊が厳然と見守り、讃えてくださっている。
ゆえに戦うことだ。戦いの中にのみ、充実があり、歓喜があり、勝利がある。戦っている人が正しいのである。
御本尊にほめ讃えていただく以上の栄光はないのである。 (先生指導 抜粋 です。)
[13069]
FTも天野も斬り捨ても ああ末端信者さんにも
対告として当てはまるから
アンカーをつけなくてもいいのかなぁ・・🍵
一往、神社・仏閣の件に対する回答は
斬り捨ての「13066宛て」だったのですが
もっとも 餓鬼的な祈りじゃ動物たちに通じないか
逆に利用されて獲り憑かれるんじゃないの?(笑)
「灯台元下暗し」目の前に一閻浮提総与の御本尊があるだろ?
動物園に電話をかける前に御本尊に電話をかけろよ
本当、あったまぁ~ 悪いなぁ・・・