西高22回生の皆さん 何でも気楽に書き込んでください
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天才正宗について5
◎なぜ天才と言われるのか。芸術の領域の話です♪5 //日本刀ー日本の技と美と魂 (小笠原信夫著)//第4章正宗出現P79~94「正宗の美」・破天荒で魅力ある作風で名工の名をほしいままにしているが、実態がなかなかわからない。それは、有銘作がほとんどない、難解な作風、評価が高いことに対する反発などがある。・正宗の作風は工芸の美をはるかに超越しており、美そのものの表現を目的としています。彼の全くの創意であり伝統技術の継承というものを超えているのです。・造形は、例えば国宝「包丁正宗」は実用からはほど遠いのですが、全く無駄のない完成したものになっています。その作風は無理のない形できちっとまとまっています。鍛錬は神秘性を持った微妙・玄妙というべき鍛え肌になっています。・突然現れた彼の作風の時代背景は、時の権力につながる鎌倉武士の高い評価や彼らに浸透していた禅の精神とその美術的表現が考えられます。例えば、中国宋代の水墨画や曜変、油滴茶碗などに通じるものがあるのです。「正宗の系譜」・正宗は相州伝の完成者と言われています。通説では京都山城の名門粟田口鍛冶の係累ですが、諸説があります。・『観智院本』や『能阿弥本』など刀剣古書の説は互いに矛盾するところもあるのですが、いずれも各時代各地の著名刀工が係累として正宗を中心として配置されているように見えます。すなわち、神格化した名工正宗を作り上げることによって、目利の権威作りが行われているのではないかということです。「新藤五国光」・通説では正宗の祖父となる新藤五国光は前期作では大和風で後期作は『会津新藤五』に見られるような沸の強い独自の作風となります。また、新藤五の子とされる行光は鑑定の上で大和当麻派と紛れるとされ、大和鍛冶は相州鍛冶に通じるところがあります。・『本朝鍛冶考』では国光は国綱の88歳の子であることになっています。系譜の権威付けのため新藤五を粟田口に結び付けて伝承を作り上げたものでしょう。刀剣書は正宗を中心に系譜や鍛冶の位列を構成、記述していると感じられます。・『正宗十哲説』は孔門十哲に倣っているのでしょうが、いずれも正宗が指導したという信憑性はありません。名匠たちに共通するのは作風が沸出来であることです。正宗と関連づければ価値が上がるとする価値観が生まれていた証左でもあります。「貞宗と相州鎌倉」・作域が広く基本は湾れ刃調子の乱れ刃ですが、互の目丁子に飛び焼きの入るものもあります。これらを正宗に似て一歩足りないと見て正宗中心にもってくる要素となります。・相州鎌倉には正宗以外にも多くの名の知られていない刀工がいたはずですが、名作は正宗とみているのではないかとも考えられます。・相州で有銘作は広光と秋広ですが正宗に見る沸凝りや地斑が飛び焼きとなって皆焼刃となります。しかし、これはいたずらに派手やかです。正宗には及ばないことになります。「正宗と対峙する」・新藤五から行光を光を経て正宗が完成したとされる相州伝ですが、前田家伝来の行光の短刀は上半は地鉄の約んだ直刃で下半は肌立って乱れており、これを上半新藤五・下半正宗と言います。しかし、二人からの技術伝承を踏まえながら朦朧体ともいうべき乱刃を調和させた作風は二人とは一線を画しています。天才の創意によるものです。・正宗を研究対象として刃文で区分したり統計をとったりするなど外から眺めていては生き生きとした魅力に接することはできません。「沸の美を最高に引き出した」とか「茫漠とした乱刃を形作る」とかの出来合いの言葉では解決し得ない言葉を絶した凄さがあるのです。・禅語でいう「頓悟」的な感覚の世界であり「雪の叢消え」や「耳形刃の特色」といった余計な知識はかえって邪魔になります。雑念を捨てて素直に作品と語り合うべきなのです。「正宗周辺の鍛冶たち」・越中則重は正宗同門の説があり『鉄こしらひの上手なり』と言われ、松皮肌という杢目を交えた板目肌の肌だった鍛となります。その肌目の特色が正宗と共通し、相州伝の特色が生まれています。・郷義弘はやはり越中松倉郷に住し、正宗・吉光とともに三作と称され尊ばれてきました。北国物ですが、地鉄に黒味がなく、義弘独りが匂口が冴えて明るいのです。この人の存在は正宗を除いては説明がつかないのです。・美濃の志津兼氏は、『名物稲葉志津』と『名物日向正宗』と殆ど相違がないという意見があります。しかし、志津には流れ肌があり、また互の目が目立つので正宗より一段劣るという見方もあり、美濃鍛冶との関係について肯定的・否定的な見方があります。見る人の主観が先行する目利きの話です。