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クリスマス演奏会🎵
name:こまつばら  Date:2024年12月22日 (日) 18時20分 No.1116

クリスマス演奏会🎵

◎今日も拙い演奏を聴いていただきありがとうございました😊少々凹みましたが、何人かの方々から「音がクリアになって良くなっている、進歩している」と励ましの言葉をいただき来年もコレに懲りずにがんばろうと決意を新たにしました。
◎それから「お前ががんばっているのを見て嬉しい」と言われて本当に嬉しかったです。
◎懲りずに「正宗論」の続きをアップします。お時間あればご覧ください😯

4 //日本古刀史 (本間順治著)//P55~59

8正宗出現
「正宗の代表作」
・行光の子で新藤五国光の弟子と伝わるが年紀のあるものは現存しない。しかし、現存するものの作風からは国光(永仁年紀1293)→行光(元徳年紀1329)→正宗と変遷を見ることができる。
 
・太刀は観世正宗・城和泉守正宗、短刀は日向正宗・九鬼正宗・不動正宗に見るように太刀は尋常、短刀は小振りの物が多い。即ち南北朝の仰々しいものが一振りもない。即ち鎌倉末期と見ることができる。

・国光・正宗両者に通じる地景・金筋の技法でも証明されるし、新藤五国光そのままの細直刃で有銘の短刀が現存する。大黒正宗がそれで地刃・梵字素剣の彫り方まで新藤五そのままである。

「作風と特色」
・硬軟の地がねを組み合わせて、地景金筋を美しく表す鍛法を大成したこと。
 この鍛法は古くからある(正倉院・古備前)が、意識的に著しく表したこと。

・湾れを基調とした大模様の刃文を案出したこと。当時は互の目や丁子が主流だった。

・京・大和物より沸の多いこと。光線の角度で景色が変化する最高の技を示した。

「正宗抹殺論反駁」
・明治29年今村長賀氏によって抹殺論が読売新聞に発表され斯界騒然となった。昭和12年に文部省が数振りを国宝指定し、一応解消された。

・抹殺論者は言う。 
 正宗作と伝わるものは皆大磨上の刀か生茎無銘の短刀である。
 多くは所謂正宗十哲及びその流れの刀工か、慶長頃の堀川国広か越前康継である。
 秀吉以前の武将は正宗を用いていない。秀吉が論功行賞用に無銘刀に銘入れした。
 室町時代の名工撰である「可燃物」にその名がない。

・鑑識の相違、特に地鉄の色合いの違いに対する感度の差は同じものを見てもこんなに違うものだ。正宗を国広や康継と同一視する輩とは議論するに値しない。包丁正宗写しの康継があって、良い出来だが本科と比較したら初心者でもその差を認めるはずである。

・生茎無銘の短刀は鎌倉時代の大和物にも多く、秀吉以前の武将も正宗を珍重し、宗五大草紙などにも正宗・貞宗を揚げている。代附は久国・光忠・新藤五より高く、宗近よりは低い。

・「可燃物」に名がないのは当然で、足利義満の命で、備前・備中の刀工の中で武将に賜るに相応しいものが書いてあり、正宗が入るはずがない。

・応永時代(1394-)の「観智院本」の相模鍛冶系図にその名がある。

・同じ室町時代の「能阿弥本銘尽」に「日本一の名人なのでわざと銘をいれない」とある。

・同じ室町時代の「尺素往来」(一条兼良)には、貞宗とともに「不異不動利剣者歟」とある。

・「古今銘尽」の原本は室町時代の物であり、正宗の作風が記述されている。

・正宗十哲や門下と称されるものは全て現存し全て正宗を凌駕しない。

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