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11 鎌倉鍛冶の作風_3
name:こまつばら  Date:2025年12月06日 (土) 15時15分 No.1478

11 鎌倉鍛冶の作風_3

◎先週の土曜日にアサヒビール大山崎山荘美術館の紅葉を見てきました。ここも紅葉真っ盛りで、たくさんの人で入場は列ができており入るのはやめたのでモネの睡蓮は見ませんでした。

そこからさらに日本で最初の環境共生住宅と言われる聴竹居(ちょうちっきょ)を見学しました。「紅葉をめでる会2025」で午後1時ころ行くと順番待ちで14:10入場の整理券をもらいました。

息子宅がそのすぐ近く、歩いて3分なのでいったん休憩に帰り出直しました。建築のことはよくわかりませんが、その時代(昭和の初め)にここまで徹底的に構造の工夫だけでなくデザインに到達できたものだと感動しました。説明いただいた方は設計士だそうで自分の宝物を見せるような真っすぐな視線が印象的でした。
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(1)新藤五国光の作風
鎌倉相州伝の創始者であり正宗の師である新藤五国光の出自は諸説ありますが、その作風は備前伝と京都山城伝粟田口派から影響を受けています。

鑑定の参考書である伝書「古今銘尽」は江戸時代以降の代表的なものです。それにはその師は備前三郎国宗とありますが、新藤五の作風を見ると地鉄は小杢目で刃文は沸出来で山城伝粟田口です。

それでは、相州伝は備前と備前と山城伝の合わさったものなのでしょうか?

国光の作品は八寸(24p)前後の短刀が多く現存し、平造り(鎬がなく刀には見られない)で直刃が多く、優美な姿、地鉄は黒い鉄色の奥深さを持ち、刃文は円らな沸が煌めいています。上品さを誇る粟田口と比べると近似していますが凛とした気高さを持っています。

北条時頼が招聘した粟田口派を基底とし、それが鎌倉武士の宋の禅風に磨かれた精神が形となって現れたのが新藤五国光の短刀であり腰刀として平常時も佩刀するに値したのでしょう。

渡邊妙子氏は「日本刀が鎌倉武士によって磨かれたわが国の工芸であるとするならば、新藤五国光の短刀はその最高峰の一つといえよう」と述べています。

さらに、新藤五国光にみられる次世代先取りの萌芽が、8乱れ新藤五です。小杢目に小板目がまじり、粟田口風梨子地風の地鉄に、刃文は直刃調に小丁子乱れとなり金筋といわれる連続した地沸がつき相州風となっています。後に新藤五の弟子たちがその作風を発展させることになります。

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