宿坊の掲示板
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[821]

題名:Kazu様へ

名前:ClearSky

◇7fcg9Esnb.
MAIL 投稿日: 2022/10/16(日) 20:52 tor-exit-69.cccs.de (185.220.101.69)

お久しぶりです。

聖教新聞掲載の座談会企画にあった、先生が民音に対して語られたとされる「船」と「海」に関しての投稿を拝見しました。

https://bbs1.sekkaku.net/bbs/axt2b9jvt8/log=792

既に、どなたかが情報を記されているかもしれませんが、私も調べてみましたので、記します。

私が調べた一番古い先生のご発言は、2006.1.26の第31回「SGIの日」記念提言にありました(池田大作全集第150巻)。

==引用開始==
私が中日友好協会の招聘を受け、初訪中したのは、74年5月のことでした。
半年後の12月に再訪中した折には、療養中の周恩来総理が医師団の反対を押し切って、私と会談してくださいました。
周総理との話は多岐にわたりましたが、その根底にあったのは、"21世紀のアジアと世界をどうするのか"との一点でした。
「今後、われわれは、世々代々にわたる友好を築かねばなりません」
「20世紀の最後の25年間は、世界にとって最も大事な時期です。すべての国が平等な立場で助け合わなければなりません」
残念ながら周総理は1年余後に逝去されましたが、私はこの時の周総理の言葉を胸に、今日まで、日中両国の万代の友好を築くため、民衆レベルでの「教育」と「文化」の交流に全力で取り組んできました。
政治と経済を「船」にたとえるなら、その船を運ぶ「海」は民衆と民衆のつながりであり、時に船が難破しかけたとしても、海がある限り、往来は続いていく──私の行動は、この信念に裏打ちされたものなのです。
==引用終了==

周総理との日中友好の思い出や決意を紹介して下さった箇所だろうと思います。
ここに、「(先生の)信念」とありますので、他にも幾つかの場面でスピーチされている可能性があります。

実際に、民音に於いても、2019年末の「創立56周年記念・感謝の集い」で伊藤代表理事が紹介しているようです。

https://www.min-on.or.jp/topics/detail_1177_.html

==引用開始==
冒頭、伊藤一人代表理事が…ご挨拶し、…感謝を述べました。
続いて本年実施した各種コンサート事業、公益事業を紹介し、「『政治・経済が船だとすれば、民衆のつながりはその船を運ぶ海です。時に船が難破するようなことがあっても海さえあれば、往来は続いていく。ですから、文化・教育・平和交流こそが重要。』との創立者の指針を胸に、今後とも皆様と手を取り合いながら音楽文化事業を行って行きたい。」と挨拶。
==引用終了==

表現が微妙に違っていますが、伊藤代表理事が先生の信念に言及しています。


あれれ。
2019年に伊藤代表理事が語った内容を、2022年の本年、聖教新聞の座談会で原田会長が語っています。

==引用開始==
「原田 池田先生は「『船』を政治・経済とすれば、その船を運ぶ『海』が民衆と民衆のつながりです。時に『船』が難破することがあっても、『海』さえあれば、往来は続いていく。ゆえに、文化・教育・平和交流こそ、永遠の友好を築く王道です」と語られています。人々の分断が進む危機の時代だからこそ、音楽、芸術の力で平和・文化の道を開く民音の使命は、ますます大きい。世界へ友好の橋を架ける民衆の文化運動にさらに期待しています。」
==引用終了==

先生の信念に関する表現は微妙に違うようです。

伊藤代表理事は2019年にご自身が語ってますので、当然知っていたはずです。が、今回は原田会長が語っています。
もしも先生の民音へ指針なら、今回の座談会でも伊藤代表理事の発言にしてあげても良かったのではないでしょうか。

う~ん。座談会だから、会長は他の人にも知らせたかったのかもしれませんね。
深く考えるのは止めておきます。どうせ、創作座談会なんでしょうから。




Kazu様の投稿に以下の内容がありました。

> 池田先生の言葉を伝えるときは、とくに記事のように文字として残す場合は、しっかりといついかなるときの、出来たらそのお話の前後についても紹介して頂きたい。少なくとも、何年何月、どの地に誰々にお話されたことかは、文脈を把握すること含めて基本的情報なのではなかろうか。

私もその通りだと思います。
今回の「船」と「海」のたとえを通しての民衆レベルの交流の重要性は、日中友好、周総理と池田先生の友諠を前提にしたものだと考えます。
折角、新聞に掲載するのですから、周総理の事にも触れ、どんなに現在の日中関係が円滑に進んでないとしても、創価学会はその恩義を忘れないと、会長声明として書けば良かったのではと個人的には思います。

話は変わりますが、昨今の聖教新聞や組織の状況は、あまりにも嘘や出鱈目が多すぎて、たまに本当のことが掲載・発表されたとしても、ほとんどの人はそれが本当かどうか判断できなくなった状態であると感じます。折角、良いことが書いてあっても、本当なのかなと疑わなければならないのは残念です。疑わなければ、騙されてしまいますし。
新聞もメッセージも、「紛然として判別できない」状態にしてしまったのは、嘘や出鱈目を流し続けた責任ですね。

「紛然として…」どこかできいたような…。

摩訶止観第五巻でした。
「行解既に勤めぬれば三障・四魔・紛然として競い起る」
三障四魔は簡単に見破られないように、上手く紛れて、法華経の行者を悩ませるのですね。
正にその通りだと思います。

教学試験でも何度も出題された御書の一文ですが、「紛然」がピンとは来てませんでした。
今までは「そういうものなのだろうなぁ」と漠然と捉えていました。
実は、こんなに身近に実例があるなんて…。やはり御書には凄いことが書いてあるのだなと思いました。

そして、創価学会は身をもって教えてくれるところなんだな、と改めて感心しました。




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