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[9] 名前:トップページの五心とは 投稿日: 2023/05/05(金) 22:44

「五心」とは
 
 一、「ハイといえる素直な心」
 ハイという一言、誰の呼びかけに対しても素直にハイと返事をすることができていますか。病院の受付で名前を呼ばれて返事をせず、立ち上がる大人に「どうして、あのおじちゃんはお返事しないの」と母親に聞く子どもがいました。
 少々こじつけですが、ハイとは仏様を礼拝するという拝の字に通じているのではと思います。拝む時の素直な気持ちでハイと返事をしましょう。仏様の声だと思い、気持ち良くハイと返事のできる人になりたいものです。
 
 二、「すみませんという反省の心」
 お大師様の教えに「みずからをかえりみることの出来る人と、いたずらに他を恨む人と、そこに教養の高さ低さが現れる」とあります。
 だれのお話だったか忘れましたが、日本語の『すみません』は深い意味があり『これでおわったのではなく、必ず償いをします』の思いがこめられているのだと聞いたことがあります。つまり、反省するということは、その償いをしなければならないと言うことです。口先だけでは無く心をこめ、償いの思いを込めてこそ、ようやく済むと言うことなのでしょう。人として決して忘れてはならない行いだと思います。心して「すみません」とつかいましょう。
 
 三、「おかげさまという謙虚な心」
 お大師様の教えに「一切衆生を観るに、なおしこしんおよび四恩の如し」とあります。四恩とは、父母の恩、国の恩、衆生の恩、三宝の恩です。つまり、ご先祖からの血縁により与えられたいのち、次にそのいのちを支える空間、そしてお互いに支え合ういのちと、正しい教え導きがあってこそ私たちは生かされているということです。自分自身がほかならぬ「四恩」のたまものです。生きとし生けるものすべてが我が身であると思いなさいということです。「ぼくが、私が」とついつい口に出がちですが、分かちあいの心、つくしあう心を深めて「おかげさま」という謙虚な心を養いましょう。
 
 四、「私がしますという奉仕の心」
 私たちは、生きているから働きます。動きがとまれば、それは死を意味します。だから、にんべんに動くで働くをいう漢字になります。また、働くは、ハタとラクに分けられます。はたを楽にする、つまりハタとは、周りを楽にするということで、すばらしいことです。仏教では自利利他という言葉があり「自利が他を利する。また、他人を利することが、我が身の利である」といいます。このように考えると、まわりの人のために私に何ができるか、させていただけるかということでしょう。「私がします」という奉仕の心を養いましょう。
 
 五、「ありがとうという感謝の心」
 私たちの周りの人々や出来事から、私たちをとりまく自然環境など、同じ時に生かされている全てのものへの感謝の気持ちです。また、時をさかのぼり、ご先祖やそれに関わるあらゆる事への感謝の気持ちです。日々「ありがとう」という心を持ち過ごす事で、どれほど豊かな心で生きていけるでしょう。「ありがとう」と言う人も、言われる人も、感謝の心で満たされ穏やかな気持ちになるでしょう。生きている、いや生かされているありがたさに気づくことにより、この「ありがとうという感謝の心」が養われるのでしょう。
 
 これまで五つの心「日常五心」についてそれぞれお話ししました。この五つの言葉は、普段から誰もがつかっている言葉です。その中に含められた深い意味に気づき、体・言葉・心のバランスをよくして仏様と縁を繋いで生活したいものです。
(仁和寺 HP 今月の法話より)


[8] 名前:角熊 投稿日: 2023/03/10(金) 20:54

2023年度の陸連登録が始まりました。
新たに室見川RCで陸連登録されたい方は角熊までお声掛けください。
3/26(日)の総会後にまとめて申し込む予定です。


[7] 名前:事務局 投稿日: 2022/12/10(土) 16:48

ナップさん また、お会いできる日を会員一同楽しみにしています。
英国でもお元気で走られるようお祈りしています。
一番遠くの遠方会員様ですが、一ノ堰でお待ちしますね。


[6] 名前:ナップ 裕子 投稿日: 2022/11/26(土) 19:37

短い間でしたが日曜日の例会に参加させて頂きとても楽しかったです。有難うございました。次回の里帰りはまだ未定ですがまた是非参加させて頂きたいと思っていますので英国でもマイペースでランニング続けたいと思っています。またお会い出来ることを楽しみにしていますのでそれまで皆さんもお元気でいらしてください。


[5] 名前:テールランナー 投稿日: 2022/10/31(月) 05:57

出張ら・ら・らん (JR原駅の巻)

 右手にビジネスバック、左手にスポーツバックを持ったスーツ姿の私は博多駅で声をかけられた。「どこへ出張すると?」「お客様との商談で沼津市へ出掛けています」
 「沼津市はどこにあるとね」「知らんと、『岡』の付く県にあると」「福岡・岡山、それにもう一つある。さて、どこでしょう?」「それは静岡、沼津市は静岡県にあるとよ」「そういえば、『福岡県』を『静岡県』と言い間違えた日本の首相もおった」「岡が付く県名は西の方面だから。北の方には馴染みがなかと」
 今となってはもう昔のことだが、本田宗一郎さんは静岡県民の気質についてよく耳にした。「静岡には三つの気性がある。遠州と駿河、伊豆を比べると、気質は全部違います。遠州の人間は、貧乏すると強盗をやった。そのくらい荒っぽく気性が激しい。駿河の人間は、貧乏すると乞食になった。冬でも暖かく居心地がいいから、乞食でもゆうゆうと暮らせた。伊豆の人間は、のんびりおっとりとしていて貧乏すると何もできずに飢え死にしたとか。」

 今回の出張は飛行機を利用しないで陸路の鉄道にしました。おおよそ5時間30分程の道のりでした。博多から名古屋へ山陽・東海道新幹線 “のぞみ”で行って、名古屋から三島へ東海道新幹線 “こだま”に乗り継ぎ、三島から東海道本線 各停 静岡行に乗り換えて、一駅で沼津となりました。
 ここ沼津はアジの干物が特産物です。全国シェアのほぼ40%を占めていますから、間違いなくアジの干物の生産量は全国1位です。沼津の気候は、日照時間が長く比較的温暖で、さらに富士山や南アルプス、箱根や伊豆の山に包まれ、乾燥した風が吹き下ろすから、干物作りに最適な土地です。干物(ひもの)は塩干品(えんかんひん)とも言われます。それは、魚と水、塩で仕上げる素朴な水産加工品だからです。沼津の好適な風量と適度な日照はアジの開きのうまみをじっくりと凝縮します。
 話は変わりますが、アジは全国各地で水揚げされる魚です。静岡県の漁獲量は全国の約0.5%です。漁獲量が多いのは日本海西区と東シナ海区からなる北部九州の海域です。漁獲量のトップは長崎県で全国の約48%、そのあとに続くのは島根県の15%です。ということは、沼津のアジの干物は、ほとんど博多港から運ばれた九州産のアジなんだ。

 お取引先様との打ち合わせが終わり、顔をほころばせた先方様からお誘いがありました。
  「今日の懇親会は、魚河岸の寿司屋だら!」「そうだよ、いつもの鮨屋だね!」
  「いくら」「みんな、いくら」「あなたも、いくら。行くね」「もちろん、行きます」 
 その夜にいただいた塩干品は高級料亭で出てくる駿河湾で釣れた真鯵の開きでした。見て食べて、とてもおいしいアジの開きでした。「肉厚で脂の乗ったアジを仕入れ、高品質の天日塩と栄養豊富な水を合わせた秘伝のたれ塩汁[しょしる]で漬け込み、干しで熟成され、究極の味に仕上げる」職人のこだわりがわかるこの上ない良質なアジの干物でした。

 前置きが長くなりました。宿泊した「沼津リバーサイドホテル」の隣が津島善子ちゃんの家です。翌日ホテルで、固くなっている関節を柔らかく、眠っている筋肉を引き伸ばす準備運動をしました。さあ、走り出します。沼津駅の駅前広場を左に廻って富士急本館前を通って先の十字路を左に曲がると三枚橋交差点に出ます。三枚橋交差点を右に折れ、旧国道1号線(江戸時代の東海道)を越すと、ゆったり流れている狩野川にぶつかります。狩野川は伊豆の天城山に源を発し、富士山の山麓を流れる黄瀬川と途中で合流し、沼津の中心街をゆっくりと流れ、日本で最も深いと言われる駿河湾に注ぐ河川です。
 狩野川にかかる三園橋を渡ると右に折れ、狩野川の堤防となっている吹きさらしの遊歩道に出ます。コンクリート舗装の路面を心地よく蹴って走ると、徐々に温まってきた躰に清々しい川風があたります。
 
 ボートが狩野川を走っています。オールは波しぶきを上げないで水中に入り、川の水をつかんでスッ、スッと進む。水中から抜きでたオールのブレードが水平に返される。軽い動きで繰り返される白く塗られたブレードは、まるでユリカモメの白い羽のように滑らかな動作を繰り返す。この白いブレードの動きは見た目にもほんとうに美しい。同じ動作を繰り返している私の走り方はぎごちないけど、ほどほどに美しいと思う。
 三園橋より下流に向かうボートは幾らか漕ぐリズムが合ってきて、気持ちよさそうに水の上をスイスイと走る。ボートのスピードがそろそろと増しています。ボートが並走しろと誘うので、走った。思ったよりも早く、徐々に全力で走れと追い立てる。ゼイゼイと息切れがして立ち止まってしまった。其れも其のはず、1kmを5分前後だってさ。後で知った。
 息切れした所で、出会ったのは“Aqours(アクア)”のメンバーかしら?それはありえませんね。出会った彼女たちは沼東の漕艇部の部員。聞いたところ、「小さいオールを一人が2本持って漕ぐボートは“舵手つきクォドルプル”」「5人のクルーは船首から、バウ、2番、3番、ストローク、コックスの順」、「コックスは“艇の舵取り”をする役割で、ひとりだけ進行方向を向いています。進行方向に背を向けている4人の漕ぎ手はスタートをしたら試合中に仲間の顔は見られない」「漕ぎ手4人の呼吸がピタッと合うと船はグイグイと進みますよ」「“舵手つきクォドルプル”は1kmを清水無風の時に、男子は3分10秒前後、女子は3分35秒前後で走ります。今よりもっともっと速いんです」

 ひたすら走ると、硬かった躰の筋肉がほぐれてくる。躰が汗ばみはじめ、動きがスムーズになった。狩野川の遊歩道からたどり着いた港大橋を走り抜けて沼津漁港を左に見ながら港大橋通りを通り、港の脇にある海水浴場に向かっています。潮のかおり、潮騒の音が近づいてきた。海はすぐそこだ。海だ、青い海が広がります。千本浜海水浴場です。

 白鳥は 悲しからずや 空の青海のあをにも 染まらずにただよう   (若山牧水)

 ビーチに着くと私は驚いた。何を驚いたか。浜は一面が砂利なんです。砂浜ではない、とても信じられせん。小石だらけの海水浴場でした。この海水浴場をビーチサンダルで歩くと、あなたもわたしもきっと怪我をしますよ。じっとよく見ると、なるほど、地元の人たちはマリンシューズを履いていました。
 砂利浜はごつごつしていて足場がとても不安定です。このまま走っていては転びそうです。だからゆっくりゆっくりと走っています。さまざまなサイズの石があります。大きい石をまともに踏みつけると足の裏を痛める。小さい石でも母趾球や踵などに痛みが走る。石ころを感じながら走っていると足裏がさらに痛い。とてもこのままでは痛さを耐えれないと泣きを入れた。千本浜から海岸線に沿って造成された防潮堤の先に松林が見えます。浜から離れ千本松原の松林へ移ることにした。

 この千本松原をこよなく愛して惚れ込んだ若山牧水さんが「千本松原」の様子を教えてくださいます。
 『千本松原位ゐ見事な松が揃つてまたこの位ゐの大きさ豐かさを持つた松原は恐らく他に無いと思ふ。狩野川の川口に起つて、千本濱、片濱、原、田子の浦の海岸に沿ひ徐(おもむろ)に彎曲しながら遠く西、富士川の川口に及んでゐる。長さにして四里に近く、幅は百間以上の廣さを保つて續いてをる。この全體を千本松原といふは或は當らないかも知れないが、而も寸分の斷え間なく茂り合つて續き渡つてゐるのである。而して普通いふ千本松原、即ち沼津千本濱を中心とした邊が最もよく茂つて居る。松は多く古松、二抱へ三抱へのものが眼の及ぶ限りみつちりと相並んで聳え立つてゐるのである。』
 此のところが気にいった若山牧水さんは晩年に住み着いてしまう。そして今、沼津市内にある乗運寺に若山牧水さんは葬られていらっしゃいます。

 もっと昔の話をすると、千本松原は防潮林・防風林という目的で里人が植えた松林と伝えられている。戦国時代に宿怨の武田家と北条家・徳川家の死闘が豆駿で展開された。始めの合戦場は駿河湾の海上でした。長引いて地上の千本浜が戦場となる。いつの世も、武人は互いに勝手な攻め合いをやって、里人をひどく痛めつける。軍事侵攻した武人達は合戦の邪魔になると無惨にも松林の松をことごとく伐採した。このため海からの潮風に晒された農作物は風害や塩害で育たず、多くの里人の田畑は荒れ果てて、家屋は破れ、着るもの食べるものも不足し、年貢は滞り、家庭は乱れた。そんな中、修行でこの地を訪れた増誉上人はこの状況を目の当たりにしてたいそう心を痛めた。増誉上人は松林を元の姿に戻そうと松苗を一本一本真心を込めて植え続けた。ただ、海からの潮風も強く松苗はなかなか根付かない。それでも増誉上人は挫けづに折れないで松苗を植え続けた。そのひたむきな姿を見て、諦めていた里人達が共にと徐々に苗植えに加わりました。人手は段々と増えたけれど植えた松苗は潮風を受けてすぐにも枯れてしまった。だが、里人達は松苗を植え続けて五年の歳月をかけて千本の松を根付かせ、見事に松林を再生することができた。これが千本松原の由来となった。千本とはいうものの、千本浜に現在は30数万本以上の松があるという。

 千本松原に分け入っていくと、松の木々の合間から見える青い空や白い雲、松の根方に被さる黒い土。着地した足元に伝わる土の触感が心地好く心は弾みます。風は鎮まり、気温が少し下がる。松の幹は真っ直ぐに伸び聳え立つている。今、人が通ったとわかる跡を頼りに走っいる。葉を踏む音、枝を折る音が聞こえるだけ。静かである。進むにつれて段々と人が通った形跡が薄れてくる。下草や松葉で一面は覆われ、松葉が敷き詰めたところにちらほらと強い茶色の松ぼっくりがある。ときたま、地中に張り巡らされた松の根が姿を現し地べたを這う。しんどくて上がらなくなった足を松の根っこに取られて転びそうになった。ぼやっと走ることができない。足を自分の体の真下にあるようにとやわらかく着地し、跳んで跳ねて、松の根っこを踏まないように走る。転倒したり、怪我がないようにと足元に集中しながら走っています。息が上がってくる。もう、堪忍して。

 千本松原を外れて、かつかつの走りだけど、なんとかこけずにゴールとしていた松蔭寺に着きました。
  「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」
 ここ沼津市原にある松蔭寺は江戸時代に白隠が住職を務めたお寺です。また、白隠が台風によって裂けた松の枝の雨避けに摺鉢をかぶせたという“摺鉢の松”が松蔭寺に有り有名でした。そんな白隠は博多の仙高ニ同じく禅画の巨匠です。
 体力も脚力もない私は疲れて、これから走って戻る余力はありません。この寺で一息入れて、 原の四ツ角近くにある電車駅 原から沼津に戻ります。バス停ではない電車駅がJR原駅です。上り電車を待つ間にJR原駅のホームで、身体を軽く伸ばし身体を楽にする整理運動をしました。乗り込んだ車窓から松葉色の樹林が走るのを眺めて飲む缶ビールの染み入る旨さ。起伏のあった土、凸凹した砂利、フラットなコンクリートなどいろんな径路と対話できてすごく楽しかった。
 『あなたもわたしも思うでしょう。この話はおそ松!!』(変換ミスしてしまった)『話はお粗末でした。』

  ごきげんよう ではまた



幾山河 こえさりゆかば 寂しさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく   (若山牧水)






【memo】
◆2022年6月3日:
  日の出 [沼津市]4時31分、[福岡市]5時09分  
日の入 [沼津市]18時54分、[福岡市]19時24分 
◆6月3日は「あじの日」:
 平成9年(1997年)、山口県の中型まき網漁業連合会と農林水産物需要拡大協議会が連携し、「やまぐちの瀬つきあじ」を多くの人々に知っていただこうと制定したのが、『あじの日』なのです。あじは6月から7月にかけて漁獲量が増えてゆきます。そして、1年を通じ、この季節のあじが最も脂がのっておいしいとされる。
◆令和2年(2020年)の食用加工品の生産量(単位t):塩干品 あじ
 全 国 24,327 静 岡10,234 神奈川3,657 大 分1,477 北海道1,054 千 葉995
◆令和2年(2020年)漁業・養殖業生産統計(単位t):まあじ
 全 国 98,077 長崎47,519 島根14,362 千葉4,201 愛媛4,085 宮崎3,552
◆沼東(ぬまとう):
  静岡県立沼津東高等学校の通称
  沼東ボート部のブレードカラーは白
◆Aqours(アクア):メディアミックス作品群『ラブライブ!サンシャイン!!』に登場する架空の9人組女性スクールアイドルグループ
◆豆駿(ずすん):伊豆(いず)と駿河(するが)。ともに、静岡県の一部の旧国名。
◆千本浜の合戦(駿河湾海戦):
武田勝頼(たけだ かつより)率いる甲州武田氏と北条氏政(ほうじょう うじまさ)率いる相模北条氏の両軍は強力な水軍を持っていた。長篠の戦い(ながしののたたかい)から後の天正8年(1580年)に、武田水軍と北条水軍が千本浜の沖、駿河湾沖で海戦をおこなった。駿河湾沖で激突し、そしてその後、武田勢が駿河に攻め入った際に、これを迎え撃つ北条勢が応戦した。合戦にあたり千本浜に上陸した武田勢は松林が邪魔で、ことごとく切り倒してしまった。千本浜やその付近で両者の地上戦がおこなわれ両軍は激しい戦闘を繰り返し、一進一退の攻防を続けた。この戦いは、武田勢の背後を北条氏政と同盟を結んだ徳川家康が攻めたため、武田勝頼が兵をひいて終わったが、結局、この駿河湾海戦では武田氏、北条氏のどちらが勝利しのか、はっきり分かっていません。
◆摺鉢の松(白隠の摺鉢松):松蔭寺の境内に摺鉢を被った黒松があった。白隠が摺鉢を望んだので岡山藩主池田継政(いけだ つぐまさ)は備前焼の大摺鉢を届けた。白隠はそれを境内の台風で折れた松の枝の傷口を覆うように被せたという。
◆松蔭寺:静岡県沼津市原にある臨済宗系の寺院。
◆本田宗一郎(ほんだ そういちろう):静岡県磐田郡光明村(現・浜松市天竜区)生まれ。実業家、技術者。輸送用機器メーカー本田技研工業(通称:ホンダ)の創業者。
◆若山牧水(わかやま ぼくすい):歌人。宮崎県東臼杵郡東郷村(現・日向市東郷町)生まれ。静岡県による千本松原の松の一部を伐採する計画が起こると、牧水はこれに反対して、『沼津千本松原』と題する文を新聞「時事新報」(大正15年9月14、15、16日)に投稿された。
◆増誉長円(ぞうよ ちょうえん):比叡山延暦寺阿闍梨乗運公の弟で、山城国(現・京都府の南部地域)に生まれ、知恩院にて学を修めたのち、諸国を行脚した僧。
◆白隠慧鶴(はくいん えかく):江戸時代の禅僧、臨済宗中興の祖と称される画家。駿河国原宿(現・静岡県沼津市原)にあった商家の長沢家の三男として生まれた。84歳で入寂する。
◆仙豪`梵(せんがい ぎぼん):江戸時代の禅僧、臨済宗古月派の画家。39歳より博多の聖福寺の住職、住持を23年務めた。88歳で遷移化滅する。
◆津島善子(つしま よはね):「 ラブライブ! サンシャイン!! 」の登場人物であり、スクールアイドルグループ 「 Aqours 」のメンバー である。
◆おそ松:松野家の長男にして、おそ松、カラ松、チョロ松、一松、十四松、トド松、六つ子のリーダー。食いしん坊で、ひとを出し抜くなど要領の良さはあるものの、兄としては頼りがいがないのが弟たちの不満の種。『おそ松くん』は、赤塚不二夫とフジオ・プロによる漫画。『天才バカボン』以前に描かれた作品。


[4] 名前:井戸下 奈緒 投稿日: 2022/10/01(土) 15:06

掲示板書き込み初めて見ました!
伊万里ハーフエントリー昨日宇都宮さんに聞いて、私もエントリーしましたよ〜


[3] 名前:藤野孝司 投稿日: 2022/09/01(木) 13:10

本日から伊万里ハーフ(1月9日祝日)のエントリーが始まりました。4,500円です。どなたかご一緒いただければ幸いです。お声がけください。当日の車出し可。帰りは近辺の温泉にゆっくり浸かって帰りましょう。


[2] 名前:松屋 投稿日: 2022/08/03(水) 22:15

夜分にすいませんが情報共有致します。賛助会員の新原さんが亡くなられたそうです。
明日4日荒江のシティホール飯倉で18時からお通夜、明後日5日11時から告別式です。
クラブのためにご尽力を頂いた方なので御霊前をクラブからお送りさせて頂くことを
ご了承願います。


[1] 名前:管理人 投稿日: 2022/08/03(水) 22:01

掲示板をリニューアルしました。
みなさん気軽に書き込みしてください。





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