飯田高校三五会(非公式)を中心に、誰でも参加OK。何でも気楽に書かまいかのページです。
自分の投稿を自分で削除・訂正できます。
投稿するとき、投稿欄にある「編集・削除キー」の欄にパスワードを入れておき、
投稿後、削除・編集したいときは、該当記事の下にある「Pass」の欄にそのパスワードを入れ、
「編集」か「削除」のボタンを押してください。


アクセスカウンター
(since 2001年10月3日(水)02時15分09秒)

今日の誕生花――12月9日 キク


今日の誕生花――12月8日 アシ



写真:「師走を迎えた飯田」(平岩祥平・木器)

豊丘村~高森町山吹地籍の大橋を望む。


中央アルプス、空木岳方面を望む。(豊丘村・高台で撮影)


今季、一番の冷え込み:マイナス5度(12/06)・・・ネギ等は美味しくなる様です。


恵那山の雪景色(12/06)


11月28日夜の雨で標高の高い山は雪景色です。


天竜川付近の夕暮れ



◆12~1月の壁紙カレンダー◆

(このカレンダーをPCのデスクトップ壁紙として使うには画面を右クリック、
「名前を付けて画像を保存」を選んでPCの任意の場所に保存し、
保存されたファイルをまた右クリックして「デスクトップの背景として設定」をクリックする)

♪「八十路のデュエット」――ル・クプル・コーノ
♪クシコスポスト、♪トルコマーチ、♪荒城の月
♪「八十路のデュエット」2――ル・クプル・コーノ
♪ムーン・リバー、♪埴生の宿、♪旅愁
(上の下線部分をクリックしてください)

◆「日本最大の谷」=2大アルプスに挟まれた「伊那谷」◆

(写真上「中央アルプス」:柏雀。写真下「南アルプス」中「伊那谷・天竜峡」:平岩祥平)

熊伏山上空5000mから見た伊那谷のカシミール画像(柏雀)





飯田高校同窓会ホームページ
還暦記念下部温泉狂宴アルバム(一人一人の41年前タイムスリップ写真付き)
◆金森山便りのブログ(terra)


投稿者名
e-mail
タイトル
本文
画像





URL
文字色
編集・削除キー     項目の保存      
_管理人へのメール (編集・削除キーを入れ忘れて編集・削除ができないときなど)
 老夫婦の一致  投稿者:木器  投稿日:2025年10月08日 (水) 06時01分 [返信] No.3001

 TOMOさん、やはり当然ながらお詳しいですね。
 教えてもらった「玄象」という謡曲を調べてみたら、驚きました、昔の日本人は雨が屋根や軒を打つ音にまで、こんなにも風情を感じ、それを楽しんでいたんですね。

 そういえば、 YouTube で「雨月」の全曲(https://youtu.be/rZJ1F...)を聞いていたら、西行が老夫婦に歓待され、月を眺めていると、折しもそこに雨の音が、と思ったら、なんとそれは雨ではなく松に吹く風の声……。
 期せずしてこの風雅な三人は、月と雨音の両方を楽しむことができたというんですね。

 それに、なんとこの二つの謡曲とも、登場するのは老夫婦と旅人。しかもその老夫婦は何かの化身だったとか。何か謡曲にはあるんでしょうか、こうしたお定まりのパターンが……。

 老夫婦と屋根の雨音……、この似通った設定からして、どちらかがどちらかの影響を受けていたのではと思い、成立年代を見てみたら、どうも「風月」のほうが鎌倉時代、「玄象」は室町時代らしいので、どうでしょう TOMOさん、関係ありそうですか?

 そんな風情はありませんが、今朝早く外へ出たら、ビルや電線の間に中秋の後の「立待月」か「居待月」か、すでに「寝待月」なのか、それでも中秋の日より晴れていたのでくっきり見ることができました。

Pass 管理人へのメール
 自ら水から  投稿者:ひらいわ  投稿日:2025年10月07日 (火) 14時47分 [返信] No.3000

広報いいだ10月・市長室から







Pass 管理人へのメール
 賤が軒端の・・・  投稿者:tomo  投稿日:2025年10月07日 (火) 10時51分 [返信] No.2999

月に叢雲…ともならず、昨夜の中秋の名月はきれいに見えました。
歌読みの木器さんは「雨月」をすぐ引っ張り出すなんてさすがです。この曲はまさに和歌の道をたたえる曲かと思います。

コンクリートジャングルに住む現在に比べたら、平安の時代は自然豊かな世であったでしょうに、もっと自然を味わいたいとわざわざ賤が家を探し求めて、移り住んだ人たちもいたといいます。
「雨月」に登場する夫婦は、月を愛でるために軒を葺かないか、雨音を楽しむために軒を葺くか議論になっています。今なら合成樹脂材を使えば両方満足できますけど、これでは物語になりません。そして隣の建物で月は見えないかもしれません。

和歌については素人の私にはよく分かりませんが、木器さんの解釈はとてもいいじゃないですか。どうも謡曲を習っている者は、登場人物、場面の表現、曲の雰囲気表現を優先してしまい、詞章の一つひとつについては、おろそかにしていたことを感じさせられました。

能の作者は板屋の雨の音を大切にしていたように思います。板屋をたたく雨の音が、琵琶の調子と合わないので、苫を取り出してきて板屋にのせ、琵琶の音を楽しんたというのが「玄象」という曲の一部にあります。秋にはしっとりとした名曲が多いように思います。


Pass 管理人へのメール
 雨月だか雲月だか霞月だか  投稿者:木器  投稿日:2025年10月06日 (月) 23時01分 [返信] No.2998

 パソコンの前傾姿勢が首に悪くて、おまけに自転車に乗ったときも首に負担がかかって痛くなります。
 しばらく上を向いていると痛みが引くので、作業を続行という繰り返しが、ま、結果的にはだんだん悪い方に進んでしまったのでしょう。

 でも、上を向いて痛みが引くのは確かなので、整形外科通いの帰りに、コンビニで月見饅頭を買ってきまして、しばらく月見で上を見ながら首の痛みを直そうと、姑息なことを考えました。

 さて夜8時ころ外へ出てみたら、あれ? 名月は出てることは出てますが、あれ? 見えなくなった……つまり雲とのかくれんぼの繰り返しです。

 一応、証拠写真を撮りましたが、このボケボケ具合は、雨もよいの雨月か、雲がくれの雲月か、まえを覆った霞越しの霞月か、まあ、晴れたら見えるはずの一等星、フォーマルハウトは見えませんでしたが、いろいろの月が楽しめたということで、優秀までは行かない「中秀の名月」でした。オシマイ。

Pass 管理人へのメール
 晴れても晴れなくても  投稿者:木器  投稿日:2025年10月06日 (月) 11時04分 [返信] No.2997

 今日は中秋の名月が眺められる日とか。
 天気はどうでしょう。晴れていれば秋の南の夜空は、ほかにあまり明るい星がなく、今日の新聞歌壇に載った次の短歌にあるように、「みなみのうお座」の口のところにある「フォーマルハウト」(アラビア語で「魚の口」)という一等星だけが目立って見えるそうです。(下の星図参照)

*ペガススにフォーマルハウト星空の秋の足音に耳澄ましけり(三原市 天崎千寿)

 で、晴れなかったら、雨になるかもしれませんが、それならそれで楽しめるのが、日本人のゆかしいところ。
 今日まで知らなかったのですが、中秋の季語に「雨月」というのがあるそうです。
 雲の上にはこうこうと輝く名月があるのに思いをはせる、または雲間にわずかにのぞく名月を垣間見たり、小雨にけぶる名月を眺めたりする風情を楽しむ、そんな感じでしょうか。

 それにまたまた、TOMOさん解説がほしい、謡曲「雨月」もあります。
 西行が中秋の名月の一夜、宿を頼もうと思った庵に、雨音の風情を楽しむ翁と、月光を愛でる姥が住んでいて、音を聞くには軒端(のきば)に屋根を葺(ふ)くべきだ、いや月を見るには屋根はいらないと言いあっていました。

 そして翁は西行に、歌の下の句を投げかけます。「賤(しづ)が軒端を葺きぞ煩(わづら)ふ」。
 これに対して西行が、「月は洩れ雨は溜まれととにかくに」と上の句を付けたので、和歌は完成し、「月の光は洩れてほしいし、雨は漏れずに溜まって音を聞かせてほしい。そんなこんなで粗末な家の軒端に屋根を付けるか悩んでしまいました」と、双方立てる歌になって二人は喜び、西行を迎え入れる……。

 歌の解釈、これでいいかどうかも含め、この先はTOMOさんの世界でしょうからお願いいたします。
 中秋の名月、晴れても晴れなくても楽しめるということでしょうね。


Pass 管理人へのメール
 飯田市民大学講座  投稿者:島田坊や   投稿日:2025年10月04日 (土) 21時13分 [返信] No.2996

 文化都市を自負する飯田市。毎年「飯田市民大学講座」を開いて学び合いをしています。今年もすでに始まっていますが添付したような内容です。毎回80~100名近い人数で大盛況です・・・。

 公民館で裏方を少しばかり手伝っていますが、講師人選には気を使っています。すでに来年の計画に取り組んでいます・・。
 ご意見等お願いします。又予算はあまりないのですが講師推薦などよろしくお願いします。

Pass 管理人へのメール
 ♪だんな様~  投稿者:木器  投稿日:2025年10月04日 (土) 20時36分 [返信] No.2995

 そう言えば思い出しました、歌例会で記憶あいまいと言いながら気になった歌がもう一つ。「だんな様」です。

 思い出したのは、さっき書いた95歳の秋吉さんの記事の隣に、演歌歌手・三船和子のことが出ていたからです。こちらは90歳ではありませんが、デビュー60周年といいますから負けず劣らずいい歳です。

 もっとも有名なのが「だんな様」という歌ですが、歌会でこれを歌ってくれたのがたしかおたぐりさんだったのでは?
 いやー、じつはこの歌、小生苦手の歌の五本指に入る歌なんですね。

 いえいえ、歌うのが苦手というんではなく、聞くとなんかむずむずしてきて、居心地が悪くなる。川中美幸の「二輪草」もそう、オヨネーズの「麦畑」もそう、聞いていて恥ずかしくなっちゃうんですねー、純情なのか……。
 好きな人は好きでいいんですが、すみません好き勝手を言って。

 よく知らなかったのですが、彼女、デビュー間もない20歳代初めに交通事故の後遺症で歌えなくなってしまい、10年以上、歌手を諦めていたんだそうですね。
 それがあるパーティで突然歌うように頼まれ、歌ってみたら何とか歌えた、それに勇気を得て何とか頑張ってきたようですから、この人も結構いろいろあっての歌人生なのでしょうね。

 90歳にはまだ間がありますが、この人を含め、このところ高齢で頑張る人が目につきます。我々もまだまだ捨てたもんじゃないんじゃありませんか。とはいえ無理だけはしないで、を合言葉にせいぜいがんばりまっしょい。

Pass 管理人へのメール
 またまた90代のすごさ  投稿者:木器  投稿日:2025年10月04日 (土) 13時19分 [返信] No.2994

 つい先日、91歳の「兄弟船」に聞きほれ、93歳の狂言に恐れ入ったばかりなのに、またまた今度は95歳で舌を巻く元気さのジャズピアノニスト・秋吉敏子さんのことを新聞で読みました。

 91歳の「兄弟船」については、面白いことに、こないだの歌例会で異論がありました。曰く、「んー、あまり感動がなかったんだよね」とか「チャンピオンは歳のおまけじゃない?」などなど……。
 でもね、木器はやはり TOMO さんが「同感」と言ってくれたように、狂言の万作さんともども、お手本にしたくてもできないくらい大したものと思っております。

 で、ジャズピアノの秋吉さんですが、なんと95歳にして歯はまだ全部自前、裸眼で楽譜が読めると言います。
 これはなぜか。なんと戦争時代の女学校で、40キロも歩く戦時教育で鍛えられたそうです。今でも毎日数時間はピアノに向かうそうですが、すごいのは鍵盤を普通より重くしたピアノで、1時間は音階や運指の基礎練習をするのだとか。
 やはりすごいですねー。ここまで現役で活躍できるには、それ相応のことをされているんですねー。

 そう言えば、今、仕事で本づくりのお手伝いをしている著者・中沢千枝子さんも、じつは92歳で現役の「花紋折り」の作者です。
 すでに日本の折り紙芸術は世界でも、ORIGAMI として認められ、ファンも少なくないそうですが、中でも「花紋折り」というのは、写真のようにじつに精緻な幾何学模様を折りだしていく日本の伝統芸術の極致です。

 有名な工業デザイナー・柳宗理氏なども、ヨーロッパで広がりつつあった芸術運動「バウハウス」の有名な一人、マックス・ビルの作品に例えて次のように称賛しています。

「花紋折りは、無限の幾何学模様をかもし出し、その形態は数学的原理に基づき直線的構成によっていて、マックス・ビルの抽象絵画のように、近代デザインにおける新しい美の創造といえる」

 その「花紋折り」に創始者からの直伝で打ち込み、すでに60年以上も作品を作り続けた著者が、このたびその膨大な作品を整理して作品集を作りたいというので、お手伝いすることになったのです。

 お住まいが西東京市、西武新宿線田無駅の近くなので、われらがボラさんの近くということで、仕事が終わった後しばしばついでにと声がけして付き合ってもらっています。

Pass 管理人へのメール
 やはり時間延長  投稿者:木器  投稿日:2025年10月02日 (木) 16時35分 [返信] No.2993

 何の時間を延長したのかと言えば、言わずと知れた歌う時間です。

 昨日の歌例会は、いつもの顔ぶれに柏雀さんが加わって、なんと7人の大盛況。
 まずはいつものように、てんでに持参した昼飯と飲み物で、なんやかとだべっているうちにあっというまに1時間近く過ぎてしまいます。

 いやいや、これでいいと思います。歌例会と言いながら、要するに何だかんだと集まりたいのが本音のみんなだと思いますので……。
 
 ただ歌い出すと、昔みたいに、まず皮切りにお前やれよ、いやいやあんたこそとか、ほら次入れないと時間がもったいない、などという停滞はほとんどなく、次々と歌が出て、結果、あれ?まだ何曲も予約が入っているのに、時間ですよーの電話が入ってしまいました。

 もうこれはしょうがないですよね、延長するしか、と会場係の木器がフロントに行って、30分延長しました。それでも少なかったかも。

 おひさ参加の柏雀さんには、当然いつもの外国語の歌、十八番の「ベサメムーチョ」やシャンソン「枯葉」を期待してリクエストしたのですが、もうこれらは歌い飽きたと仰います。
 じゃあ、あのこないだ話題になっていたCC主演の「♪アモーレ・アモーレ……」をお願いと訴え、これは実現しました。

 皆さんの十八番が次々と登場して、聞きほれたりいっしょに歌ったりしているうちに記憶が混濁して、まえのように誰のどの歌がどうだったか、あまり思い出せません。
 というか、あっという間の3時間で、個々の歌より、全体としてその「楽しさに浸った感」のほうが大きかったということでしょうか。

 一つだけ印象的だったのは、その選曲の意外性というか、いや意外ではないむしろピッタリすぎて驚きの柏雀さん「美しい十代」ですねー。
 もちろんの60年代が懐かしい三田明の青春ソングですが、聞いているうちに難聴の幻聴なのか、「♪美しい十代~、ああ十代~」が「♪うつくしい八十代~、ああ八十代~」に聞こえてきてうれしかった。

 以上ハチャメチャ報告ですので、どなたか参加者の皆さん、もちょっとましなご報告をお願いできたらと伏して……。

Pass 管理人へのメール
 豊丘村・マツタケ(長野朝日放送より)  投稿者:ひらいわ  投稿日:2025年10月01日 (水) 08時38分 [返信] No.2992

全国でも指折りのマツタケ産地ですが、太いのは1万円、小指くらいの数本で5000円だそうです。
10日ころまでにはもっと出まわるでしょう。



Pass 管理人へのメール
 万作のことなど  投稿者:tomo  投稿日:2025年09月30日 (火) 21時16分 [返信] No.2991

木器さんの「91歳の兄弟船」全く同感です。小生ものど自慢は見ている方なのですが、司会の女性アナウンサーが大声で喋り過ぎるのに耐えきれず、このアナウンサーが出てくるとチャンネルをつい変えてしまうようになってしまいました。この日も運悪くこの司会者。早速NHKプラスで聞きましたが、大したものですね。 91才にしてあの声量。しかも原曲を大切にしつつ、自分の歌に仕上がっていて。

先週久しぶりに能楽堂に行ってきました。コロナやら、師匠の先生がお亡くなりになったこともあって、随分間を空けてしまいました。京都の片山家は毎年春秋の2回名古屋公演をやっております。この日は当主の九郎右衛門が演ずる「頼政」を観たかったのと、その昔「安宅」を披いたときに、子方をやってもらった先生のお孫さんが出演されたので、成長ぶりを見たかったからです。

帰りがけに手にしたチラシの中に、万作の「六つの顔」のチラシも入っておりました。残念ながら当地では観に行けそうにありません。野村万作の演技はいいですね。萬斎も万作に追いつくにはまだ一段の努力がいりそうに感じます。

昔、隣町に野村万作がやってきました。実演も交えながらのお話を聞きましたが、その中から印象に残っていることを一つ。海外公演では観客は言葉も分からないのに、演技に対する反応が日本人より早いそうです。「外国人の方がそれだけ一生懸命観ていてくれるのですよ、日本の方も頼みますよ! 」と言いたかったのかもしれません。

隣町の扶桑町では伝統芸能を中心に、各界の有名な方を招いて公演会を開いています。昔は会場が体育館のような所でしたが、びっくりするような人を呼んできていて驚きました。今は文化会館ができております。歌舞伎、狂言、落語、時にはフランスからのシャンソン歌手と多彩です。狂言では野村万作のほか京都の茂山千作と、東西の人間国宝もやってきていました。

Pass 管理人へのメール
 運動会の季節  投稿者:木器  投稿日:2025年09月30日 (火) 09時08分 [返信] No.2990

 9月もついに最終日を迎え、明日からは10月、運動会の季節です。
 わが孫坊主の通う小学校でも運動会の練習が続いているらしく、親やジジババたちの中には当日を楽しみにしている人も多いでしょう。

 わが家でもこの話題が出ましたが、どうもわが孫坊主は徒競走が苦手らしく、それもかなりビリに近いらしいとのこと。
 あ、そう、とこともなげに受け流す風を装う私の心胆を見透かしたのか、妻が「運動会っていうといつも思い出す文章がある」といいます。

 どれ?といって見た文章が次のもの。星野弘詩集の中の「少年少女たち」と題された幾編かの中の一編です。
 島田坊やさんの紹介してくれた少年少女たちのきらめきも、まだ余韻で残っているなかで……。

 星野弘詩集より「少年少女たち」

   (一)

 私の手許に
『光芒――加治宏之に捧ぐ』という追悼文集がある。
昭和五十七年夏、脳腫瘍を病み
十月二十七日、十五歳の若さで生涯を閉じた宏之君のために
ご両親、ご姉弟及び親戚の皆さんが思い出を綴り
入院中の記録や                 
宏之君の書いた作文などと共に一冊にまとめたもの。
その第四章「あの日たち」は
お母様の書かれた思い出の文章であるが
中に、こういう一節がある。
«確か同じ七月だったね、お母さんが中三の頃教わった
グレシャムの法則「悪貨は良貨を駆逐する」を思い出し
て宏之に話したのは。
「ひとは良い貨幣が入るとそれを財布にしまい込む。悪
い貨幣が来ると、早く出したがる。結局世の中には悪い
貨幣が流通するってわけなんだって。」
すると宏之はこともなげに言ったね。
「そうかなあ、ぼくはいつもいいお金から出すよ。」
「どうして ?」
「だって相手の人がいい気持だもの。」 »

    (二)

 某新聞に「学園ひろば」という読者投稿のコラムがあ
り、某日、 <なぜ「四十二等 !」 >という、ー主婦の文章
が載った。こういう内容である。
«「持久走大会、いやだなあ。」と小学一年生の娘。いつ
もビリだからである。「ビリでもいいのよ、最後まで走
ることが立派なんだから。」と私。「今日の体育の時間も
四十二等でビリだったの。」「四十二等まで全部わかる
の?」「うん、先生がゴールの所で、何等何等って言う
んだもの。――私は啞然とした。十等くらいまでなら
賞讃の意味で発表するのも良かろうが、何故すべての順
位を声高に言わなくてはいけないのだろう。子供の気持
というものを一体どう考えているのか。ビリで最後まで
走った娘を待っていたのが、四十二等の声だったなんて、
やりきれない思いがする。 » 

 この投稿者の名前は「匿名希望」で伏せられている。
 ところが、この記事の載った日の一週間あと、同じコ
ラムに、 <なぜ「四十二等 !」 >を読んだというー主婦か
ら、こんな文章が寄せられた。 
«わが一人息子も運動は大の苦手。一年から五年まで運
動会での走りは完璧にビリでした。来月の運動会でも、
そうだと思います。お気持、よくわかります。でも、よ
ろしいではありませんか。参加し完走できることで私は
満足です。 (中略 )
 息子は三年生の時、「七十等」の先生のお手作りのき
れいなカードを持って帰ってきました。息子は「七十一
等のお友達は、試走の時、ぼくより少し前だったのに、
おなかでも痛かったのかしら !」と、自分より遅かった
友達を心配しておりました。
 来年の卒業前、二月にある最後の持久走大会には、元
気で参加できることを願っています。 »
 鹿児島市、四十八歳の主婦の一文である。

Pass 管理人へのメール
 91歳の「兄弟船」  投稿者:木器  投稿日:2025年09月29日 (月) 08時41分 [返信] No.2989

 昨日のNHKテレビ「のど自慢」をご覧になりましたか?
 今までこの番組は、知らない歌でも、また歌い手がうまくなくても、ときどきは「ほー、こんないい歌があったのか」という発見があって欠かさず見ていました。

 ところが最近、出る歌出る歌、聞いたこともないような、聞き取りたくても何を言っているのかわからないし、メロディもしっくりこない、そんな歌ばかりで、しばらく遠ざかり始めていました。
 昨日はなぜか見てみようという気になり、見ているうちに驚きました。91歳のじいさんがかくしゃくとして鳥羽一郎の「兄弟船」を歌い上げ、みごと鐘をたくさん鳴らしてしまったのです。

 ゲスト出演の鳥羽自身も涙ぐむほどの出来栄えで、しかも7人の若い合格者を押さえてチャンピオンに輝いてしまいました。
 ビックリと同時に励まされますねー。91歳でこれだけ歌えるなんて……。

 90歳と言えば、久しぶりに東京・銀座の映画館「シネスイッチ」で見た犬童一心監督のドキュメント映画『六つの顔』にも、「ビックリ励まされ」の体験をしました。
 現在94歳の狂言師・野村万作が、93歳で取り組んだ40分の狂言「川上」を、そこにいたる90年にわたる歩みを追いながら、全編しっかりと収録した意欲作でした。

 これも93歳とはとても思えません。しかも自分から発案して、映画に撮りたいと申し出たそうですから大したものです。
 描かれるテーマも、けっして古臭い昔にしかありえない話ではなく、老いとともに訪れる生老病死の苦(この作では盲目)から逃れたい思いと、世話する連れあいの苦労とのはざまで、この老人が神様との約束を破ってまで守ることに目覚めた人としての生き方が、なるほどと共感を誘いました。

 シネスイッチもほんと久しぶり。思えばいろいろな名作をここに通ってみたものです。すぐ思い出すのはジュゼッペ・トルナトーレ監督の『ニュー・シネマ・パラダイス』。これは最初の封切版と、それより1時間近くも長い完全版の、いずれもこの映画館で見ました。

 エンニオ・モリコーネの音楽がよかったですよねー。モリコーネのファンになってしまったのは、この映画のようなきれいな叙情を掻き立てる曲だけでなく、『荒野の用心棒』のようなマカロニ・ウエスタンのワクワクする勇壮な曲でも、見終わったとき必ず、何度も口ずさみたくなる印象的なメロディに満ちているところでしょう。

 あ、いけない、まだやり残した仕事があるのに、また映画を見たくなってしまいました。それに明後日は歌例会なので、あまりのんびりもしていられません。

Pass 管理人へのメール
 稲穂  投稿者:おたぐり   投稿日:2025年09月28日 (日) 19時34分 [返信] No.2988

 令和7年度の 「稲穂 22号」ができあがりました。
近々、皆さんのお手元に届くと思います。
但し全ての方に届くとはかぎりません。悪しからず。

Pass 管理人へのメール
 年をとるって……いいことだなぁ  投稿者:木器  投稿日:2025年09月27日 (土) 22時41分 [返信] No.2987

 島田坊やさんの親しい集まり「イキイキ教室」って、いい雰囲気のようですね。
 こんなしゃれた愉快な歌を手書きで配って、みんなで「モシモシカメヨ」の節で歌うなんて、年末でもないのに年を忘れてしまう楽しそうな光景が目に浮かびます。

 この歌はあちこちで歌われ、歌詞も工夫されて変わってきているかもしれませんが、元歌は何でも4番まであったようですね。
  その4番とは……。

 4、年をとるってどんなこと
   誰でも同じ年をとる
   どうせとるなら元気よく
   楽しく年をとりましょう

 ネット検索したら、元歌の原作者は芹沢春江さんといい、息子さんが社会学者で、その著書の中で紹介したのがきっかけで広まったようです。
 作者84歳のとき年賀状用に作り、89歳で自著『呼吸(いき)ととのへり』に収め、ここ10年近くはネットでも広がって、教科書にも採用されたとか。
 作者ご本人は11年前に98歳で亡くなったそうですから、まさにこの歌のとおりの人生を全うされたのでしょうね。

 晩年、言葉を発することができなくなったときも、息子さんによれば、その状態は言葉の喪失ではなく、「無音の声、すなわちことばという水がひっそりとしかし豊かに湛えられ静まりかえっている湖」のようだったといいます。
 この言葉には、深く胸を打たれました。

Pass 管理人へのメール
 ♪アモーレ・アモーレ……の日本語訳  投稿者:木器  投稿日:2025年09月27日 (土) 16時14分 [返信] No.2986

 これはこんど柏雀さんに歌ってもらって、さらに聞こうとも思ってはいたのですが、やはりCC、クラウディア・カルディナーレが主演した邦題『刑事』の主題歌「死ぬほど愛して」は、イタリア語でもローマ方言ということで、ちゃんとした訳が見当たりません。

 そこで昨日、『ブーベの恋人』で舌を巻く回答をしてくれた生成AIの Geminiさんに、またもや駆け込み願いをすることにしました。

YouTube (https://youtu.be/g1lTR...)で流れた字幕歌詞を書き写すと、下のようになりますが、これがローマ方言なのでしょうか。

 これは2番までですが、3番まで歌われているものもあり、あとで Geminiさんが紹介してくれたガブリエッラ・フェッリの歌(https://youtu.be/OXE2l...)などはそれに当たります。

 Sinno me moro(ローマ方言?)

Amore, amore, amore, amore mio,
In braccio a te, me scordo ogni dolore!
Vojo resta co'te, sinno me moro,
Vojo resta co'te, sinno me moro,
Vojo resta co'te, sinno me moro,

Nun piagne amore, nun piagne, amore mio!
Nun piagne, state zitto su sto core,
Ma si te fa soffri, dimmelo pure!
Quelle che m'hai da di', dimmelo pure!
Quelle che m'hai da di', dimmelo pure!
 

 Sinno' me moro(3番まであるもの。標準イタリア語?)

1. Amore, amore, amore, amore mio,
   'n braccio a te me scordo ogni dolore.
   Voglio resta' co' te sinno' me moro,
   voglio resta' co' te sinno' me moro.
   Voglio resta' co' te sinno' me moro.

2. Nun piagne amore, nun piagne amore mio,
   nun piagne e statte zitto su sto cuore.
   Ma si te fa soffrì, dimmelo pure
   quello che m'hai da di', dimmelo pure.
   Quello che m'hai da di', dimmelo pure.

3. Te penso amore, te penso amore mio,
   sei partito e m'hai lasciata sola.
   Ma tu non sai che sento nel core mio,
   ce penso s'e' nel tuo che me consola.
   Ce penso s'e' nel tuo che me consola.

【Geminiの回答】

「刑事」(原題:Un maledetto imbroglio)の主題歌「Sinno' me moro」の日本語訳ですね。3番まである詩で、標準イタリア語を元にローマ方言の歌の情緒が伝わるように訳してみました。

Sinno' me moro (さもないと、あたし死んじゃう)

1番
Amore, amore, amore, amore mio,
愛しい人、愛しい人、あたしの愛しい人、
'n braccio a te me scordo ogni dolore.
あなたの腕の中じゃ、どんな痛みも忘れちゃう。
Voglio resta' co' te sinno' me moro,
あなたと一緒にいたい、さもないと、あたし死んじゃう、
voglio resta' co' te sinno' me moro.
あなたと一緒にいたい、さもないと、あたし死んじゃう。
Voglio resta' co' te sinno' me moro.
あなたと一緒にいたい、さもないと、あたし死んじゃう。

2番
Nun piagne amore, nun piagne amore mio,
泣かないでおくれ、愛しい人、泣かないでおくれ、あたしの愛しい人、
nun piagne e statte zitto su sto cuore.
泣かないで、この胸の上で黙っていておくれ。
Ma si te fa soffrì, dimmelo pure
でも、もしあなたを苦しませるなら、それでも言ってちょうだい、
quello che m'hai da di', dimmelo pure.
あたしに言いたいことがあるなら、それでも言ってちょうだい。
Quello che m'hai da di', dimmelo pure.
あたしに言いたいことがあるなら、それでも言ってちょうだい。

3番
Te penso amore, te penso amore mio,
あなたのことを想う、愛しい人、あなたのことを想う、あたしの愛しい人、
sei partito e m'hai lasciata sola.
あなたは行ってしまって、あたしを一人残した。
Ma tu non sai che sento nel core mio,
でもあなたは知らない、あたしの心の中で何を感じているか、
ce penso s'e' nel tuo che me consola.
あなたの心が慰めになっているんだと、あたしはそう思っている。
Ce penso s'e' nel tuo che me consola.
あなたの心が慰めになっているんだと、あたしはそう思っている。

Pass 管理人へのメール
 替え歌  投稿者:島田坊や   投稿日:2025年09月27日 (土) 15時46分 [返信] No.2985

 前にお話ししたが、当地区の高齢者仲間が寄り合って、「イキイキ教室」なる集いを開いて楽しんでいます・・。
 仲間の一人が考えたという替え歌が届きました・・。題名は『年をとるって どんなこと』です。
 ≪もしもし亀よ≫のメロディーで歌うとのこと・・・。
 ご一緒にどうぞ・・・・・・。 思い当たる節もあり・・・。
 なるほど頭の体操ですね・・・。
 

Pass 管理人へのメール
 南信州新聞記事  投稿者:ひらいわ  投稿日:2025年09月26日 (金) 16時07分 [返信] No.2983


Pass 管理人へのメール
 “ブーベの女!”  投稿者:木器  投稿日:2025年09月25日 (木) 22時14分 [返信] No.2982

【 Gemini の回答】

 ご質問、大変よく理解できます。まさに、この映画のタイトルと主人公マーラの複雑な心情をめぐる核心をつく疑問だと思います。

 イタリア語の「ragazza」は、基本的な意味としては「少女」「娘」「若い女性」を指し、そこから転じて「恋人」「ガールフレンド」という意味合いも持ちます。

 映画の原題『La ragazza di Bube』を直訳すれば「ブーベの娘」「ブーベの女」となり、ご指摘の通り、単なる「恋人」というよりも、ブーベに強く結びついたマーラというニュアンスが強調されています。

「恋人」という訳が持つニュアンスについて

 日本の邦題『ブーベの恋人』における「恋人」という訳は、一般的なロマンス作品として分かりやすいタイトルにするという意図があったと考えられますが、原作小説や映画が描くマーラの感情や状況の深みを完全に伝えるには、少し弱いと感じるのも無理はありません。

「ragazza」の持つ広範な意味合い:

「少女」「娘」:マーラがブーベと出会った当初の若さ、未熟さ、純粋さを示唆しています。

「ブーベの所有物」ではない、運命的な結びつき: ご指摘の「運命的につながれた女、離れていても一つの存在」という解釈は、この作品のテーマに非常に近いですね。

**「ブーベの女/彼女」**という表現が伝えるもの

「ブーベの女」または「ブーベの彼女」という訳の方が、映画の核となるテーマである**マーラの「決意」と「帰属意識」**をより強く示唆できます。

 政治的・社会的背景: 映画の舞台は第二次世界大戦終結直後のイタリア(ネオレアリズモの潮流)。ブーベはパルチザン(抵抗運動の英雄)であり、逮捕・投獄された後も、彼の存在は社会的な重みを持ち続けます。
 マーラが他の男性に心を惹かれそうになる中でも「私はブーベの女だ」と決断するのは、単なる恋愛感情を超えた**倫理的、あるいは運命的な「責任」**を負うことの表明なのです。

 自己犠牲と献身: 映画の後半、ブーベの長期の投獄が確定した後、マーラは他の男性との幸福な未来を自らの意思で諦め、彼を待ち続けることを選びます。
 この「献身」や「自己犠牲」のニュアンスは、「恋人」という言葉のロマンチックな響きよりも、**「ブーベに運命を捧げた女」という意味合いを持つ「ブーベの女(彼女)」**の方が、より的確に伝わるでしょう。

 英語圏での小説の邦題が『Bebo's Girl』(ベボ、つまりブーベの娘/女)となっていることからも、この「誰かに属する」あるいは「特定の運命を背負った」というニュアンスが重要視されていることが分かります。

 字幕の「私はブーベの恋人だから」というセリフは、その運命的な決意を込めた、非常に強い言葉として解釈するのが、作品の真意を理解する鍵になると思います。

Pass 管理人へのメール
 “ブーベの恋人?”  投稿者:木器  投稿日:2025年09月25日 (木) 22時10分 [返信] No.2981

 懐かしさのあまり、亡くなったCCの映画を見たくなり、我が家の映画ライブラリーを探したら、てっきり保存済みと思っていた『刑事』と『ブーベの恋人』が見当たりません。

 思い返せば、まだベータマックスやVHSビデオの時代に録った映画でしたので、そのうちDVDにダビングすると言いながら、田舎の倉庫代わりの建物が取り壊しになり、廃棄してしまったものと思われます。

 しかたなく、困ったときの YouTube 頼みで探してみたら、なんと両方とも全編収録のサービスがあるではありませんか。
 ただ残念なことに、『刑事』のほうは邦訳字幕が付いていません。幸い『ブーベの恋人』は日本語字幕付きだったので、食い入るように見てしまいました。
 見終わってもうため息を深々とつかざるをえない名作で、改めてCCさんの単に美人であるだけでない素晴らしさ、そして待ってました音楽のよさを堪能させてもらいました。

 ただ、何十年もまえに見たときにも感じていたかもしれない疑問がひとつ、やはり頭を持ち上げてきましたので、最近親しくしている生成AIの Gemini さんにぶつけてみました。
 
 まずその疑問とは……。

 ――クラウディア・カルディナーレ主演の映画『ブーベの恋人』の原題は、La ragazza di Bubeですが、このイタリア語「ragazza」は「恋人」という訳でよかったでしょうか。
 そのニュアンスが伝わるためには、「ブーベの女」「ブーベの彼女」的な言い方でないと、映画の後半に出てくるほかの男からの誘いに心が揺れながらも、字幕にあった「私はブーベの恋人だから」というだけでは、真意が伝わらないのではないかと疑問を感じました。
 もちろん「ブーベの女」と言っても所有物的な意味合いでなく、何か運命的につながれた女、離れていても一つの存在といったニュアンスが伝わるほうがいいのではないでしょうか。――
 

Pass 管理人へのメール


Number
Pass
管理人へ連絡
SYSTEM BY せっかく掲示板