コーメイさんがアップしてくれた、母校後輩記者の記事を興味深く拝見しました。
高47回卒というこの宮嶋さん、2018年発行の同窓会名簿で見ると旧姓が載っていませんから、下條の実家が宮嶋姓なんでしょうね。名簿にあった上海支局長のあと、どんな経歴をたどられたか、ご自身を紹介するネット記事に詳しく出ていました。
https://www.asahi.com/reporter-bio/b2427... コーメイさんご紹介の記事の一部と、記事に出てくる工事現場とか2013年に地元商工団体が作ったカレンダーの写真が見られるページもありました。
https://digital.asahi.com/articles/ASV8X... このカレンダーにキャッチフレーズのように書かれているのが、「いま、南信州の夜明け」という言葉で、宮嶋さんはこの言葉に触れて記事をお書きになっています。
2013年と現在のリニア新幹線に関する地元の受け止め方には、かなり違いがあるのではないかとも思われますが、宮嶋さんは帰省するたびに、「なるほど、まだ夜明け前なのか……」と考えさせられたといいます。
当然、藤村の『夜明け前』を連想しますが、あの作品で描かれた封建時代の闇と、そこから抜け出す夜明けへの期待のような、大きな落差は現代にはないでしょう。
リニアへの期待を大きく持ちすぎたところから、伊那谷がガラッと変わることを夢見て「夜明け」という言葉を使ったのでしょうが、今の地元にはそこまでの熱気があるでしょうか。
宮嶋さんは慶大を出て朝日入社後は、高松、横浜、東京社会部、上海支局、前橋、と、ほぼ3年周期で異動を続け、それぞれの赴任地での出会い、暮らしを通じていつも感じるのは、「世界は広く、人間はものすごい力を持っている」ということだそうです。
その宮嶋さんですから、ものすごい力を持っている人間を信じる一人として、もとより単純な開発疑問派のレポートではないと思っていました。と同時に、諸手を挙げてのリニア期待派でもないだろうことが、この記事からはうかがえます。
宮嶋さんの記事のタイトルにも「故郷の夜明け」が使われています。しかし、伊那谷の人たちの間に今、少なくとも地元を「夜明け前」もっと言えば「夜」だと感じる気配はあるのでしょうか。
たとえば現状の飯田は人口も減っていて、目覚ましい経済発展や文化発信の勢いがあるとは言えないかもしれません。だとしても、夜明けを待ち望むほど、飯田は暗い、夜だとはとても思えません。
夜がはるかに明けて、燦々と昼の日に輝く飯田ではないかもしれませんが、過ごしやすい明るさの中で穏やかな暮らしが営めるふるさとのよさは、すでに十分に持っていると、故郷を離れた私などは思っています。
すでに「明けている街」に「夜明け」を想定するのはおかしいでしょう。
同じ理由で、リニアが「夜明け前」のまちのよさを変えてしまう危惧もおかしい気がします。
ま、そんな思いから、今の飯田のよさを大切にして十分に味わうという意味で、宮嶋さんの結句、「夜明けの前の光をもっと見つけて、大切にしたい」には(「夜明けの前」ではないけれど)共感できる、と思いました。