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今日の誕生花――12月17日 サクララン


今日の誕生花――12月16日 ジンチョウゲ



写真:「深まる冬景色・飯田」(平岩祥平・木器)

風越山に雪(12/15朝)




豊丘村~高森町山吹地籍の大橋を望む。


中央アルプス、空木岳方面を望む。(豊丘村・高台で撮影)


今季、一番の冷え込み:マイナス5度(12/06)・・・ネギ等は美味しくなる様です。


恵那山の雪景色(12/06)


天竜川付近の夕暮れ



◆12~1月の壁紙カレンダー◆

(このカレンダーをPCのデスクトップ壁紙として使うには画面を右クリック、
「名前を付けて画像を保存」を選んでPCの任意の場所に保存し、
保存されたファイルをまた右クリックして「デスクトップの背景として設定」をクリックする)

♪「八十路のデュエット」――ル・クプル・コーノ
♪クシコスポスト、♪トルコマーチ、♪荒城の月
♪「八十路のデュエット」2――ル・クプル・コーノ
♪ムーン・リバー、♪埴生の宿、♪旅愁
(上の下線部分をクリックしてください)

◆「日本最大の谷」=2大アルプスに挟まれた「伊那谷」◆

(写真上「中央アルプス」:柏雀。写真下「南アルプス」中「伊那谷・天竜峡」:平岩祥平)

熊伏山上空5000mから見た伊那谷のカシミール画像(柏雀)





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 ところで  投稿者:こうの  投稿日:2024年12月06日 (金) 06時39分 [返信] No.2306

いい音、楽器はナンな?

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 いまさらの、おべっか  投稿者:こうの  投稿日:2024年12月06日 (金) 03時38分 [返信] No.2303

木器の、秀でたる才能、多彩な才能が
へぼい、言葉ならびを歌にしちまったじゃぁ、ねえか
ひょうしが、悪いっ たら、ありゃせん
ほんに、おとろえん、つぇ-文才も、いつまでもと、
茜さす山の波に、片手礼しといた、でなッ。
かんなッ、二曲共、でぇじに、するにィ-

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 ドラマ見てますか?  投稿者:木器  投稿日:2024年12月05日 (木) 09時55分 [返信] No.2302

 このところ、テレビの連ドラになかなかの秀作があって、嵌(はま)っています。
 いかがでしょう、ご覧になっていたら感想を聞かせてください。

 1推し:NHKドラマ10『宙(そら)わたる教室』
 2推し:日テレ『放課後カルテ』
 2推し+:TBS『ライオンの隠れ家』
 3推し:フジTV『嘘解きレトリック』
 4推し:TBS日曜劇場『海に眠るダイアモンド』
 5推し:テレ朝『ザ・トラベルナース』
 6推し:フジTV『モンスター』
 7推し:日テレ『オクトー 〜感情捜査官 心野朱梨〜』

 1と2は学園もので、1はとにかく実話に題材を取ったという元・富山大学助教の原作がいいんでしょうね。
 実際に大阪の定時制高校科学部の生徒たちが一流のエリート研究者に負けない実績を上げて、小惑星探査機「はやぶさ」の実験にも参加したという背景の重みがあります。

 2はうちの孫もときどきお世話になっている保健室のドラマなので、目が離せません。
 最近出ずっぱりのもてもて松下洸平が、にこりともしないでトラブルの背景を見通していく小児科医をやっていて、なるほどと思わせられるところが多くあります。

 忘れていて追加した2推し+は、事情のある姉から子を預かった兄と自閉症の弟、子役を含めこの3人がとにかく好演。今までとかく派手で悪っぽく濃い役柄だった柳楽優弥が、まじめで硬い役をよくぞ地味にしっかり演じていると思います。

 3は、とにかく松本穂香がよくてほかのドラマもつい見てしまうのですが、このドラマにはいろいろ事件はあっても、憎むべき悪者は出てこない、出てきたとしても憎めない、というところなど、昭和初期レトロの舞台と相まって毎回楽しませてくれます。

 あとは5や7は定評あった前作の放映時に、なぜか見ていなかったものの新作ですが、見てみるとやはりいいですね。復活してきた理由もわかります。

 いろいろ話すと長くなりますので、皆さんのご感想をお待ちしたいですね。
 それとも、こんなのよりもっと面白いのがあるよと教えてもらえると嬉しいです。

 とにかく捨てたもんじゃない「テレビ文化」というものがここにはある!と痛感します。


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 童謡調  投稿者:木器  投稿日:2024年12月05日 (木) 08時55分 [返信] No.2301

 こうのさんの「秋くれない」を童謡調に整えてみました。
 単純に、A→B→B’→C→C→B’’とくり返しの多い覚えやすい曲調です。
「くれないの真っ赤な秋がなかなかくれない」「真っ赤な秋が暮れないで続いていてきれい」という感じが出ればと思います。
 「秋くれない」こうの作詞・木器曲

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 思わず口ずさんだ  投稿者:木器  投稿日:2024年12月04日 (水) 17時30分 [返信] No.2300

 こうのさん! いい、いい、これいい!
 すばらしい歌になるら、この真っ赤な「くれない」の詩。

 思わず適当に曲を口ずさんじゃったにー、これ。
 だれか曲にして「くれない」かなー、
 って待っとってもしょうないで、自分流でやっちゃいました。
 有名な「真っ赤な秋」に似ちゃうので、「♪ まっかだなーあ」って飯田弁で、
 歌ってみてくんな。

 「くれない」こうの作詞・木器曲

♪ まっかだな-あ
♪ まっかだな-あ
♪ おにわのどうだん
♪ まっかだな-あ
♪ もみじもいっしょに
♪ まっかだな-

♪ スマホのしゃしんで
♪ あき観てる

♪ 口もと笑んで
♪ 秋観てる

♪ まっかな
♪ まっかな
♪ 秋見てる

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 名づけた親の心  投稿者: 木器  投稿日:2024年12月04日 (水) 14時14分 [返信] No.2293

 犯罪者の名まえを見るたびに、こんな良い名を付けてもらったのに、親御さんの気持ちを思うとやりきれないと、そのたびにうちの妻は言います。
 相槌を打ちながら、今週の新聞歌壇に同じ思いを見つけました。

*闇バイトせし人の名はなべて良し命を賭して君を産みしに(東京都 有賀登志 黒瀬珂瀾選)

 ついでですが、いくつか目に留まった作品を上げておきます。

*老後無し余生無しとふ老菊師(武蔵野市 相坂康)
【評】菊を観賞に行って菊師と話し込んだ感じ。菊作りにすべて 捧(ささ)げて生きるような生き方をしている彼らには老後も余生も無いという。菊の盛りには既に翌年が始まっている。矢島渚男選。

*眠る子の手からはなれぬ木の実かな(広島市 甲野裕之)
【評】眠る子が木の実を握って離さないという句はよく見かける。ここでは、反対で、木の実の方からくっ付いて離れないのだ。森の精の使いの木の実に違いない。高野ムツオ選。
  
 コーメイさんのお知り合いが作詞され、大庭照子さんが歌った「小さな木の実」を思い出しました。

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 くれない  投稿者:こうの  投稿日:2024年12月04日 (水) 08時49分 [返信] No.2292

♪ まっかだな-
♪ まっかだな-
♪ おにわのどうだん
♪ まっかだな-
♪ もみじもいっしょに
♪ まっかだな-

♪ スマホのしゃしんで
♪ あき観てる

♪ 口もと笑んで
♪ 秋観てる

♪ まっかな
♪ まっかな
♪ 秋見てる

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 うま「かった」より「ほしかった」  投稿者: 木器  投稿日:2024年12月03日 (火) 15時07分 [返信] No.2291

 大手町のよみうりギャラリーで、珍しいアーティストの展覧会があるというので、ちょうど皇居の乾通りの公開がされているので、併せて行ってきました。

 両方ともなかなか楽しめましたが、歩きに歩いて久しぶりに疲れました。
 昨日は「馬買った」話でしたが、絵もなかなか「うまかった」、が、しかし足が棒になり、「うまかった」より乗って帰れる「うまほしかった」のほうになってしまいました。

 おたぐりさんの山歩きに比べたら、なんとふがいないと笑われそうですが、体も神経もいい運動になったのではないかと、自ら慰めています。

 展覧会は入場無料、「孤高のアーティスト 大谷芳照展覧会」といって、書道と絵画を組み合わせたような珍しい作品です。
 漫画「ピ-ナッツ」の作者シュルツとお互いに「天才」と認め合って、作品でもコラボしています。

 元はグラフィックデザイナーだった作者が考案した「グリフアート」(キャラクターと日本の漢字や言葉を組み合わせる手法)や「投書」(絵具の入った卵の殻を投げつけた跡を起点に描く手法)などの独創的な作品に目を奪われました。

 たとえば、「風神雷神雨神陽神 襖絵」は、これまでよく描かれる「風神雷神」から着想を得て、作者独自の「雨神陽神」を加えて描かれた作品です。 また、読売ジャイアンツのマスコット「ジャビット」とのコラボ作品も展示されていました。

 乾通りの紅葉は、ごらんのようにまあまあというところでしたが、外人客が半分かと思われるほど多く、なかなかの賑わいでした。
 中には「四季桜」もありましたが、これは明らかに岩嶋さんの桜のほうが見事で、乾通りに勝っていると思います。

















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 雨の名歌  投稿者: 木器  投稿日:2024年12月03日 (火) 09時15分 [返信] No.2290

 昨日のフォレスタもよかったですね。
 トップの文部省唱歌「四季の雨」というのは、めったに聞かない曲ですが、これも聞いたとたん、旋律がよみがえってきました。これまた何十年も隔たった記憶の奇跡です。

 続いて「雨降りお月さん」とか「城ヶ島の雨」とかの童謡・唱歌が出て、あとは例によって歌謡曲の中のなじみの雨の歌でした。久しぶりに三善英史の「雨」を懐かしく聞きました。

 最初テーマが「雨」というので、またまた先日の「みどりの雨」が予言めいて、出るかと胸ときめいたのですが、これは時代がちょっとずれますか。

 だったら、もう2曲入れてほしかったのが、湯原昌幸「雨のバラード」と小柳ルミ子の「スペインの雨」です。
「雨のバラード」はクラシックのカノンやフーガ的な曲展開と言ったら大げさかもしれませんが、名曲だと思います。
 https://youtu.be/6gW2B...

「スペインの雨」は途中の「♪しぶきによろめくハイーヒール~~」というところを、我が家の娘が幼いころ気に入ってくりかえすものですから、すっかり耳にこびりついてしまいました。
 https://youtu.be/Pm-1x...

 今度、カラオケ会で歌ってみたい気分になりましたが、いずれもなかなか難曲でもありますので……。

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 藤沢作品の魅力、光と音と匂い  投稿者: 木器  投稿日:2024年12月02日 (月) 17時47分 [返信] No.2288

 藤沢周平『蝉しぐれ』はファンが多いので、すみずみまで知っている人が少なくないと思います。その同好の人同士で、なぜ『蝉しぐれ』が好きなのか、なぜ「蝉しぐれ」という題名が付いたのかなどを語り合うこともあるでしょう。
 その雰囲気で、もしよろしかったら、ついでにお付き合いください。
 以下も、拙著からの抜粋です。


*藤沢作品の中の「光」と「音」と「匂い」

 作者の育った環境のせいだろうか。藤沢作品の自然描写が、じつに細やかでみずみずしい感性に彩られていることもよく指摘される。

 登場人物たちの行動や心情に感情移入して読み進むそのところどころに、彼らが立ち現れる背景の山や川や野や、そして木々、草花、そして鳥や虫が、うっとりするほど魅力的に描かれている。 そして、しばし主人公たちの動向を忘れて、その自然描写に没入している自分を発見する。

 私はそれを絵画的な美しさだけでない、「光」と「音」と「匂い」など、五感すべてに働きかける「美」のもたらすものだと思っている。しかも、それが物語と遊離した別世界ではなく、作品の全体を支える重要なモチーフになっていることも少なくない。

 早い話、名作『蝉しぐれ』がその典型である。
 冒頭数ページ目、海坂藩普請組・牧助左衛門の養子・文四郎は、ある夏の早朝、組屋敷の裏を流れる小川で顔を洗う。

 ――いちめんの青い田圃は早朝の陽射しをうけて赤らんでいるが、はるか遠くの青黒い村落の森と接するあたりには、まだ夜の名残の霧が残っていた。じっと動かない霧も、朝の光をうけてかすかに赤らんで見える。そしてこの早い時刻に、もう田圃を見回っている人間がいた。黒い人影は膝の上あたりまで稲に埋もれながら、ゆっくり遠ざかって行く。
 頭上の欅の葉かげあたりでにいにい蝉が鳴いている。快さに文四郎は、ほんの束の間放心していたようだった。そして突然の悲鳴にその放心を破られた。――

 映画のカメラで言えば、背景をかなたの田圃や森という遠景から、しだいにすこし離れた田圃を見回る人影という中景に近づけたあと、さらに頭上の欅で鳴く蝉という近景に関心を引き寄せ、つぎに束の間放心する文四郎をクローズアップする。

 読者はおそらく、遠い映像から近い映像へと視覚的に情景を読み取りながら、しだいにその映像に蝉の声というBGMがはいってくるのを聞く。しかし放心したような文四郎はおそらくあらゆる感覚に無防備だっただろう。そこに突然一声の悲鳴。

 頭上に、にいにい蝉の声。そこで蛇にかまれて悲鳴を発したその主こそ、文四郎と運命的な関係を持つことになる隣家の娘「ふく」だった。

 長い曲折を経て最後の場面。藩主の側室、お福さまとなった「ふく」が、藩主の死後出家するまえに、一度だけかつての文四郎、父の名を継いだ助左衛門に会うために海辺の宿にお忍びでやって来る。

 束の間の逢瀬の後、文四郎はかすかな悔恨に似た気持ちとともに、「会って、今日の記憶が残ることになったのをしあわせと思わねばなるまい」と思いながら馬を走らせる。
 そこに最後の描写。

 ――顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、耳を聾するばかりに助左衛門をつつんで来た。蝉の声は、子供のころに住んだ矢場町や町のはずれの雑木林を思い出させた。助左衛門は林の中をゆっくりと馬をすすめ、砂丘の出口に来たところで、一度馬をとめた。前方に、時刻が移っても少しも衰えない日射しと灼ける野が見えた。助左衛門は笠の紐をきつく結び直した。
 馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た。――

 冒頭のにいにい蝉の声と「ふく」の悲鳴は、そのあと「ふく」の身の上に起こる数奇な運命と、その運命を清算するような蝉しぐれの中での最後の逢瀬を象徴しているような気がしてならない。

 少なくとも作者は、この作品に『蝉しぐれ』という題名を付けているのだから、この場面での蝉しぐれが重要でないはずはない。

 冒頭の朝の光、最後の野の光という視覚描写に重ねた、二人の心のざわめき、高まりを表わすような蝉の声という聴覚描写が、じつに効果的に生かされていると感服する。

 あと上げればきりがないが、いくつか惚れ惚れした自然描写をあげておきたい。

 夕雲流の女流剣士の道を歩みながらも、ほのかに思いを寄せる男がいた以登が語る「お物語」として書かれた『花のあと』で、娘時代のお花見の場面。

 ――水面にかぶさるようにのびているたっぷりした花に、傾いた日射しがさしかけている。その花を、水面にくだけちる反射光が裏側からも照らしているので、花は光の渦にもまれるように、まぶしく照りかがやいていた。豪奢(ごうしゃ)で、豪奢がきわまってむしろはかなげにも見えるながめだった。――

 夫の昇進を友人と争う妻・田鶴が、一方で小太刀の使い手として重臣の不正に立ち向かう『榎屋敷宵の春月』で、夫に賄賂用の金はあるかと聞かれたあと。

 ――夫が書斎に去ったあと、田鶴は一人残ってぬるくなった茶を飲んだ。夏の一日は長く、射しこむ日射しで雑木林がまだ明るんでいるのが見える。ただし雑木林の前面は、家の影に入って黒っぽくなってしまい、そのために内部が明るい雑木林は、大きな蛍籠に見えなくもない。
 ――金などはない。
 と、田鶴は明るい中にかすかに秋の気配が混じる雑木林に目をやりながら思った。――

 かつて道場で竜虎と並び称されながら、その後、仲違いしていた友人の切腹に不審を抱き、その無実をはらす『切腹』で、主人公・助太夫が息子から友人の切腹を告げられあと。

 ――助太夫は、障子をひらいて縁側に出た。古い濡縁(ぬれえん)をきしませて蹲(うずくま)った。部屋から流れ出る灯(あかり)のいろがねっとりと濃いのは、春が闌(た)けた証拠である。夜気は昼のあたたかさを失っているものの、まだやわらかかった。かすかに花が匂(にお)っている。庭隅(にわすみ)に花をひらきはじめた白(しろ)木蓮(もくれん)だろう。――

 ねっとりと濃い灯の色に重なるように助太夫の怒りは闌(た)けていく。その中でかすかに匂う開きはじめた白木蓮に、ひそかに固まる助太夫の決意のようなものを感じる。

 遊び人に騙されて女郎屋に売られ、病みついた妹を助けに行く『帰ってきた女』で、兄の錺(かざり)職(しょく)・藤次郎が、妹を慕う口の不自由な職人・音吉と娼家街に踏み込む場面。

 ――あらためて、だらしない肉親に対する怒りが湧いて来て、藤次郎は胸が煮え立った。
 「来い、音吉」 
  藤次郎は荒々しく言うと、路地に踏みこんで行った。何とも言えない悪臭が、藤次郎の顔をつつんで来た。それは酒の香と物を焼く匂いが入りまじっているようでもあり、また女の脂粉の匂いと男の欲望のまじり合う匂いのようでもあった。――

 ここで、悪臭がつつむのは藤次郎の体でも鼻でもなく「顔」であることに注目したい。腕のいい職人として認められはじめた兄の、まさに「顔」つぶしのような妹に憤慨しながらも、胸が痛くなるような憐れみ哀しみが伝わる場面である。

 川岸のぼろ小屋に住んで川掃除をする貧しい老人・万蔵と暮らす孫娘おつぎに、畳表問屋を継いだばかりの三之助が、子供のころから抱いていた負い目を晴らそうとする『おつぎ』で、幼いころ見た川岸での情景。

 ――小屋からさほど遠くない河岸で、老人が長柄の鎌を使って川の中にひっかかっているものを流そうとしていた。そばに首の細いおつぎが立ってその仕事を見ていた。大川の向うに日が落ちるところで、その赤い光の中に二人の姿が逆光になって黒くうかんでいた。老人と子供は言葉をかわすでもなく、一人は黙々と身体を動かし、一人は黙って立っているだけだったが、その光景から三之助が漠然と感じ取ったのは、ひとのしあわせというようなことだった。――

 主人公の三之助は、この老人にかかった人殺しの嫌疑を晴らせるかもしれない目撃情報をもっていたが、事件とのかかわりを恐れた母親から口止めをされてしまった。
「あのしあわせをこわしたのは、おれだ」と想いつづけた三之助は、裕福な商家との縁談を断っておつぎを探そうとする。つぎはその最後の二行である。

 ――入り込んだ町は暗かったが、三之助の脳裏には、逆光にうかび上がるおつぎと祖父の万蔵の姿が見えている。おつぎを見失ってはいけない、と必死で思っていた。――

 婚約者がいながら藩主の側室にという、またしても理不尽な運命にさらされた女性が、その後尼となり、かつての婚約者の切腹を救う『雪間草』で、婚約者と別れる場面。

 ――歩いているうちに二人は雑木林を抜け、林の外をぐるりと回っている小川の岸に出た。川は涸れがれの水がささやくほどの音を立てて流れ、岸にも岸から川の半ばまでのびている砂洲にも、まだ雪が残っていた。そして川のむこう岸には見わたすかぎり雪の田圃がひろがり、雪が溶けて黒い土がのぞいているくぼみが点々と散らばっているのが見えた。(中略)
すると雪の間に、去年の枯れ草にまじる青々とした、しかし雪に押しつぶされていびつにゆがんだ形の春の草が見えた。
 ――草でさえ……。
自分の力で春をむかえようとしているのに、と松江は思った。――

 そしてすべてが落着した最後のページ。かつての婚約者は服部吉兵衛、藩主は信濃守、松江は松仙になっている。

 ――提灯を借りたが、提灯の灯もいらない月夜だった。歩いて行くうちに、武家屋敷の塀の内からさしかける桜の枝が、道に花びらをこぼすのが見えた。
 ――ともかく……。
 これでひと区切りがついた、と松仙は思った。服部吉兵衛とのことも、信濃守とのことも。
 吉兵衛と別れた日、龍覚寺裏の川岸で見た雪間の青草のことが思い出された。あの弱々しかった草が、いまになってやっと一人前の草に育ったような気がするのは、吉兵衛が藩のため、主君のため黙って腹を切る覚悟が出来る男になったのを知ったこと、その吉兵衛を、首尾よく助けることが出来たことが快く胸に落ちついて来るからかも知れなかった。
足は疲れていたが、松仙の気持は軽かった。夜の光の中に散る花の下を、いそぎ足に町はずれの尼寺にむかっていそいだ。――

 説明はいらないと思う。このように藤沢作品では、自然描写が作品のすみずみにまで染み透り、あるときは物語の大切な伏線になり、あるときは主人公たちの心情や行動を映し出す鏡になったりしている。

 美しい描写、美しい日本語に洗われるように、男も女も美しく強く立ち振舞い、読む人の心根までを美しくしてくれる。これぞ男も女も超えた読書の最大の「嗜み」と言えるのではないだろうか。


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 じゃあ、とやってみたら!   投稿者: 木器  投稿日:2024年12月02日 (月) 17時30分 [返信] No.2286

 これはすごい! コーメイさんはどんな食し方をされているか知りませんが、チーズの味、再発見です!
 教えてもらったチーズ、パルミジャーノ・レッジャーノの食べ方で、もちろんそのままワインのお供で齧ればいいのですが、そのほか間違いないと思われたパスタのお供です。

 もちろん出来合いのふりかけ用粉チーズ、パルメザンチーズはありますが、じゃあのー、ここはじゃのー、せっかくじゃからのー、思い切って、ジャーノ・ジャーノくんに登場してもらわにゃじゃのーと、久しぶりにシーフードのペペロンチーノを作って、そこにチーズおろし器でちょっと贅沢にジャーノ・ジャーノくんをかけちゃおうと……。
 結果、これがまた決定打とも言える馬商人の叫び、「ウマカッター!」になってしまいました!

 それともう一つ、先ほどワインのお供と言いましたが、ウイスキーだったらもっといいんじゃないと上さんが言いますので、じゃあのーと、またもや久しぶりにちょっとヨーロッパ・スコッチ系から毛色を変えて、バーボンを買ってきました。

 さらにネット記事にバスサミコ酢に浸して食べるとおいしいと書いてあったので、ここでもまた、じゃあのー、じゃあのー、やってみようと、バルサミコ酢と、ついでにシチリア産レモン果汁の両方に浸して食べ比べてみました。

 これ、いけます! 両方とも、ほんとすごい味のマッチング。ただし、あの濃厚なチーズの味が酢の味で薄められるというか、中和するというか、あっさり味に思えるので、食べ過ぎる恐れがあります。
 その点だけ要注意でしょうが、これは大発見! またまたおいしいものができて、生きる時間を延ばさねば足りなくなってきました。

 まして12月に入ると、なぜか飲みたくなり食べたくなり、じゃあのー、とその結果、歌いたくなります。
 おたぐりさん、またまたおねだり。じゃあ、年内に歌う会お願いしまーす。じゃあ、よろしく。

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 名作『蝉しぐれ』の競作映像  投稿者: 木器  投稿日:2024年12月01日 (日) 08時51分 [返信] No.2284

 8月7日の木器投稿でも触れた藤沢周平の最高傑作と言われる『蝉しぐれ』に関しても、映画化・テレビドラマ化の両方について、あるいはこの比較で、いろいろな議論があったようです。

 専門家の見解はともかく、一般読者の藤沢作品人気投票では、まず首位を占めているこの長編小説は、長い間、映画化・ドラマ化が待ち望まれていただけに、それが相次いで実現したときの期待感は、おそらく今までの藤沢作品映像化の中で最大のものだったでしょう。

 これについても拙著の中で思いのたけをつづったものがあります。
 8月の木器投稿時、ボラさんから思いもかけず彼の現役記者時代の藤沢氏取材記事をご提供いただき感激でした。
 そのときボラさんには読んでもらいたくて、この拙著コピーをお送りしました。

 今回、ここまで藤沢作品の映画化について投稿してきたので、ボラさんだけでなく、多くの皆様にも、もしご関心があれば読んでいただきたいと思い、以下、藤沢作品の映画化「ハテナ」の続編としてアップさせていただきます。
 お気が向いたらお付き合いください。


*テレビの有利さに負けた映画『蝉しぐれ』

 もうひとつこれは映画対映画という対等の比較にはならないが、NHKの金曜時代劇で二〇〇三年八月から十月にかけ、七回に分けて放映された『蝉しぐれ』と、二〇〇五年十月一日より全国東宝系で公開された映画『蝉しぐれ』では、単純に上映時間を比べても、テレビの合計時間が三百十五分、映画が百三十一分だから、テレビ版は映画の二・四倍の時間を使ってたっぷりこの長編を料理している。

 しかし、こうした違いはあるものの、脚本はどちらも黒土三男氏である。私はたまたま縁あって、映画化を推進する鶴岡市で映画の撮影まえからこの話を聞いていたので、公開が気になっていた。
 そしてどんな経緯があったか知らないが、映画のまえにNHKテレビ版が放映され、これがじつによくできていたので、映画版は相当割を食うのではないかと思っていた。

 原作との気になる違いは、NHK版ではほとんど見られない。
 もちろん話の展開は、テレビでは、冒頭に最後のシーンをちょっと出す倒叙法式、回想形式になっていて、ほとんど時系列で書かれている原作とは違う。
 まあこれくらいは、違っているうちに入らないと思うが、映画など映像作品ではよく採用する方式である。

 とくにこの『蝉しぐれ』の場合、原作の評判が高く、観客はすでに本を読んでいる可能性が高い。
 となると話の展開、場面の順序まで原作と同じでは、芸がないということになるのだろうか。

 それとも、最後の逢瀬の二人を最初に見せ、少年少女時代からのドラマ全体を通じて、つねにその最後の二人を意識させようという考えなのだろうか。

 それを私は、鶴岡市の関係者からチラッと見せてもらったシナリオで知ったのだが、テレビではまさにこのシナリオどおりだった。

 テレビ版がもう言うことなしの秀作だったことはすでに書いたが、では映画版はどうだったか。
 これは、脚本の黒土氏が監督も務めているから、もっと脚本どおりかと思ったら、意外なことに倒叙法・回想方式は取られておらず、冒頭はむしろ原作どおりだった。

 庄内地方の風景も美しく映し出され、藤沢作品の雰囲気をよく伝えていると思った。
 ただ、主人公・牧文四郎は、原作ではどちらかといえば泥臭く生真面目な男である。その意味からすると、映画初主演の市川染五郎(現・松本幸四郎)は、歌舞伎界の押しも押されもせぬ御曹司で血筋がよすぎる感じがした。

 おふく役の木村佳乃は美しい女優だが、私の個人的印象が、大河ドラマ『北条時宗』で演じた水軍松浦党の娘・桐子が男言葉でしゃべる男勝りの役だったので、その印象が私の中に残ってしまっていて困った。

 映画版で、もっともテレビ版とも、従って原作とも違ったのは、じつは最大のクライマックスにおける二人の関係であった。
 つまり、ずばり言うと、映画版ではその一番大事な最後の逢瀬で、二人が結ばれたかどうか、それが曖昧、というか、結ばれないままきれいに別れたようにも見えるのである。

 これはじつはとくに女性読者、女性観客にとっては重大なことらしい。
 私が見に行った東京郊外・新百合ヶ丘のマイカルシネマは、中年女性客が圧倒的に多かった。今にして思うと、もしかしてその日はレディース・デイだったかもしれない。

 その女性たちが、映画の終了後、感激の面持ちでハンカチ片手に感想を述べ合っているのを聞くともなしに聞いていて、ああやはりそうだろうなと思ったのである。
「なんか最後が中途半端よねー」
 このセリフに、すべてが込められているように感じた。

 たしかに原作では、明らかにそれとわかる書き方がされている。
 藤沢作品では、もちろんあまり露骨な表現がとられることはない。男女の営みについても、「そのこと」などと婉曲な表現ですまされていることが多い。

 ところが、この名作『蝉しぐれ』のクライマックスにおいて、作者はかなりはっきりと愛の交歓をこの二人にプレゼントしている。その部分を引用してみる。

 ――ありがとう文四郎さん、とお福さまは湿った声で言った。
「これで、思い残すことはありません」
(中略)
 そして駕籠は、助左衛門が見守るうちに、まばらな小松や昼顔の蔓に覆われた砂丘の影に隠れた。それを見とどけてから、助左衛門は軽く馬の顔を叩き、一挙動で馬上にもどった。ゆっくりと馬を歩かせた。
 ――あの人の……。
 白い胸など見なければよかったと思った。その記憶がうすらぐまでくるしむかも知れないという気がしたが、助左衛門の気持ちは一方で深く満たされてもいた。会って、今日の記憶が残ることになったのを、しあわせと思わねばなるまい。――
 
 せめてNHK版程度の節度ある表現で、「そのこと」をサービスしてあげることが、映画版ではなぜできなかったのか、あるいはしなかったのだろうか。そこにはもしかして深い芸術的配慮があったのかもしれない。

 そのあたりを推理してみるのも、この名作の映画と原作の楽しみ方の一つになるかもしれない。

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 藤沢周平作品の映画化ハテナ 19  投稿者: 木器  投稿日:2024年12月01日 (日) 05時37分 [返信] No.2283

 改めて言えば、私が藤沢作品、とくに短編の映画化をまえから切望していたのは、短編といえども、いや短編であるからこそ、そこには描きたいことがより明確に示され、その描きたいことに対して、藤沢作品ならではの過不足ない描きこみがなされているため、一作で十分おもしろい映画になりうると思ったからである。

 言い換えれば、遠藤さんが言うような「行間」に秘められた情報が多いから、原作をよく読み込み、行間情報を汲み取っていけば、余計なほかの作品を接木しなくても、その作品のよさが十二分に生かされた魅力的な映画ができあがると思っていたからである。

 遠藤さんの文章にもあるが、この短編は文庫本でたった二十ページちょっとしかない。それを丹念にシナリオ化しているから、たとえば人物だけでなく、庄内の自然、山や川、野や花などが余裕を持って描かれる。

 弥一郎、東山紀之の動きにも、えもいわれぬ風格が備わる。ぱりぱりの現代っ子だったと思っていた田中麗奈、野江の眼差しが、優しいだけでなく遠く深いのもまた、この原作を大事にするところから出ていると感じた。

「本のページをめくるように父の原作の映画を観たのは初めての経験でした」という遠藤さんの言葉がすべてを語っている。
 何はともあれ、藤沢作品の映画化で納得できる作品に出会えてほっとしている。

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 藤沢周平作品の映画化ハテナ 18  投稿者: 木器  投稿日:2024年12月01日 (日) 05時35分 [返信] No.2282

 しかもこの監督・篠原哲雄は、今書いた桐蔭学園の卒業生である。映画の完成二年まえに亡くなった桐蔭学園の創立者・鵜川昇先生に、この映画はぜひ見せたかったと残念である。

 進学校としてだけではなく、自前の立派なコンサートホールを作るなど、芸術方面での教育にも熱心だった鵜川先生に、桐蔭学園の理念が、こんなところにも花開いていることを報告したかったのである。

 田中麗奈と東山紀之の主演、富司純子、篠田三郎、壇ふみなどの名脇役陣に支えられて、やっとこれぞ藤沢作品の映画であるといえる作品にめぐり会えた。
 小滝プロデューサーが言ったように、ほとんど原作のままという、その原作のあらすじを改めて紹介しておこう。(ご存じの方は飛ばしてください)

『山桜』
 婚家で夫に死なれた野江は、一年程前に磯村庄左衛門と再婚した。磯村家は、一家を挙げて蓄財に走る家で、野江はどうしてもなじむことができず、しかも出戻りの自分を貶めた夫を拒むようにもなっていた。

 そんなある日、後家のまま死んだ叔母の墓参りに行った野江は、美しい山桜を見た。とろうと苦心している野江に、通りかかった一人の武士が「手折って進ぜよう」と声をかけた。それはかつて縁談を断った手塚弥一郎だった。剣の名手と聞いて粗暴な男ではないかと思ったからであるが、目の前の男に粗暴な感じは皆無だった。

 桜を手に帰宅した野江はさりげなく母に弥一郎のことを聞いた。まだ独身でいること、茶の湯を習いに行っているときに自分を見初めたらしいことなどを聞いて、胸の奥で何かがはじけるのを感じる野江だった。

 そして間もなく事件が起きた。藩の農政に口出しをしては横槍を入れ、富農からの賄賂で私服をこらす諏訪平右衛門を、弥一郎が斬ったのだ。弥一郎は、逃げようともせず、目付けの屋敷に出頭した。

 家中では拍手喝采するものが多かったが、野江の夫は「自分が得をするわけでもないのに馬鹿な男だ」とののしった。野江は思わず言ってしまう。「言葉をおつつしみなさいまし」

 磯村家から離縁された野江。今日も叔母の墓参りに行った野江は、叔母が婚約者をなくしてから体が弱くなったと聞いて、叔母は幸せだったのではないかと思い当たる。あれから一年、今日も山桜が咲いている。野江は、その一枝を手折ると、獄舎にはいったままの弥一郎の家を訪ねた。

 弥一郎の母は、「いつか来てくださると思っていました」と、野江を温かく迎えてくれた。ようやく、自分の来るべき家を見つけた野江だった。

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 よかった❗  投稿者:コーメイ  投稿日:2024年11月30日 (土) 16時42分 [返信] No.2281

うちの神さんも、チーズは嫌いではないようですが、これだけは、やはり、特別と思っているようです。

気じゃなくて、機じゃなくて、木器さんご夫妻に喜んで頂き、馬にも乗った気分です?

我等が仲間の皆さんにも、是非、馬に乗った積もりで、美味しさを味わってくださると、美味しい、じゃなくて、嬉しいのですが
!

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 ばくろうの言  投稿者: 木器  投稿日:2024年11月30日 (土) 14時15分 [返信] No.2280

 どこかに書いてあったことを、そのまま断りもなしに自分のもののようにして使うのを「パクる」と言いますよね。
 その意味での「パクろう」と音が似ていてちょっと気がひけるのですが、「ばくろう」という言葉は「馬商人」のことを言いますね。

 なんで急に「馬商人」が出てきたかと申しますと……。
 笑わないでください。馬商人は馬を買います。馬を買った商人は、「馬買った」と言います。「ばくろうの言」とはこの「うまかった」という意味のつもり。

 笑わないでくだ……いや、もう笑ってもらうしかないですが、それくらいコーメイさんご紹介のチーズが「うまかった」という一席のお粗末。

 うちの奥さんなんか、ほんの小指の先くらいの一切れで、もう満喫感いっぱいの幸せそうな顔になっていました。
 しかもこのちょっぴりだけで、30分経って1時間過ぎてもまだ口の中で味がしているような気がするのだそうです。

 これはこの値段でしばらく持ちますから、昨日言った寿司折りを買ってくるよりかなりどころか何倍も安上がりです。

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 出版氷河期の冒険者  投稿者: 木器  投稿日:2024年11月30日 (土) 13時42分 [返信] No.2279

 紙の本が売れなくなって久しい昨今、本屋は国のお助けがなくては続かず、版元も倒産や撤退の話こそあれ、新しい紙出版の企てなど狂気の沙汰と思っていました。

 ところが、その狂気の沙汰を、白ヤギさんからお手紙着いたら読まずに食べてしまうほど紙好きのヤギさんに託して「GOAT」という小説の新雑誌で、敢えてやってしまう会社があるとは、もうびっくり仰天です。

 小学館の新雑誌「GOAT」創刊号が発売されました。定価税込み510円で510ページを超える熱さ、おっと厚さですが、その厚さ以上に「クソッ紙出版が廃れてなるか!」という熱さを感じます。

 その熱さが、どれくらい内容に反映しているか、まだ読み始めたばかりですが、一つだけ巻末に別綴じで小さい原稿用紙に刷られた短編「ヤギと七枚」(写真参照)がしゃれています。
 そうです。「オオカミと七匹の子ヤギ」のヤギが、今度は原稿用紙七枚を食べてしまうという、紙にとってはコワーい役で登場する出版受難ストーリーです。

 さて、この物語の結末とともに、この雑誌、そして風前の灯の出版界の将来はどうなるか……。
 少なくともしばらくの間、このヤギ(GOAT)さんの行く末を見届けたいと思います。

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 藤沢周平作品の映画化ハテナ 17  投稿者: 木器  投稿日:2024年11月29日 (金) 13時36分 [返信] No.2278

(中略)
 その気持ちを伝えると、
『遠藤さん、だって原作通りですから』
 と小滝氏は笑って答えてくださいました。しかし私は、それを実現することが一番難しくどれだけ大変か感じていましたので、父の原作を本当に大切にして頂いたと感謝の気持でいっぱいになりました。最初の約束を最後まで守って下さった小滝氏、そしてこの映画に関わって下さった全ての人に頭が下がる思いでした。
 小説「山桜」の一節にこんな文章があります。
『とり返しのつかない回り道をしたことが、はっきりとわかっていた。ここが私の来る家だったのだ。この家が、そうだったのだ。なぜもっと早く気づかなかったのだろう』
 映画『山桜』は来るべき家にたどり着いたのだ、そう感じずにはいられませんでした」

 ここにこの映画製作のすべてが現れていると思う。
 そして現実に公開時になって、私はこりもせず、今度こそ本当にすばらしい藤沢映画を一刻も早く見たいと、二〇〇八年五月からの全国公開に先立ち、藤沢氏の故郷・山形での先行上映を追って、四月二十六日、鶴岡市郊外の三川町にある「イオンシネマ三川」にかけつけた。

 その日はちょうど、まえにも書いた三川町の青陽院というお寺の住職で、横浜の桐蔭学園の幹部を務める知人との仕事もあり、一泊で山形に行くことになっていたが、どちらが主かわからなくなっていた。

 そして見た結論は、やっと、やっとたどり着いた感じがした。
 遠藤さんではないが、本来のものにたどり着いた、これだったのだという、しみじみとした満足感に浸ることができた。

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 藤沢周平作品の映画化ハテナ 16  投稿者: 木器  投稿日:2024年11月29日 (金) 13時27分 [返信] No.2276

(やっと『山桜』までたどり着きました。もうすこしだけ)

*原作映画化の奇跡的傑作『山桜』

 このような欲求不満で悶々としていた私にとって、前二作とは対照的に原作のよさを一〇〇%、いや一二〇%も一三〇%も生かしたように見える映画がついに現れた。
 篠田哲雄監督の『山桜』である。

『隠し剣 鬼の爪』と『武士の一分』で期待を裏切られた私は、いささか映画化自体に対して懐疑的になっていた。
 だから次の藤沢作品の映画化といっても、あんまり期待を抱かないほうが、失望が少なくてすむと用心深くなってしまっていた。

 ところが、今回の発表はちょっと趣が違っていた。
 藤沢氏の長女・遠藤展子さんが、こんなコメントを発表していたからである。
 これは公開まえからインターネットの公式サイトの中にある「藤沢周平の世界――山桜を語る」で読むことができ、また公開後のプログラムにも掲載されている。

「私達家族は父の作品を本当に大切にして下さる方にしか原作の提供は出来ないと考えていました。
 しかし短篇小説一作品で原作に忠実な映画を創って頂くことは、実際にはとても難しいと、私達家族は感じていました。しかも、『山桜』は約二十ページの短篇です。映画にするには短い作品です。
 映画化に際してプロデューサーの小滝氏は『原作が一番大事です。そうでなくては、原作のあるものを映画化する意味がない』と言って下さいました。
(中略)
 実際に出来あがった映画は、まるで父の小説を読んでいるような錯覚を覚える映画でした。本のページをめくるように父の原作の映画を観たのは初めての経験でした。

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 藤沢周平作品の映画化ハテナ 15  投稿者: 木器  投稿日:2024年11月29日 (金) 13時23分 [返信] No.2275

(延々とすみませんが、やはり言っておきたいことばかり。ご容赦のほどを……)

 そしてさらに第三の疑問点は、もっとも重要な最後の場面である。
 今書いたあらすじだけでも感動が伝わってくるのに、映画では、ここの描き方がまことにあっさりしすぎている。
 徳平が連れてきた「ちよ」を、すぐ妻とわかったと言ってしまうのである。これではこの場面の感動は半減してしまう。

 もちろん原作でも新之丞はすぐ妻だと気づく。
 しかし気づかないふりをしてずっと過ごす。
 加世はそれでもいい。むしろ気づかれないようずっと息をひそめ、ただそばにいて世話をしていられるだけで幸せなのだという、その献身の美しさ、自己納得の切なさをここで表現しなくて、どうしてこの名作の本質が伝えられるのだろうか。

 それでもこの映画は、各種映画賞を受けるほど多方面から評価されている。
 もちろん私もそれだけの水準に達した作品だと思う。
 しかし、それは藤沢周平氏の原作がもっている感動容量がもともと大きかったため、その六〇%相当の映画表現でも十分、人々を感動させて余りあるものだったのではないか。

 あくまでも原作のよさの一二〇%と言わないまでも、ぎりぎり一〇〇%を目指して原作をとことん生かしきるのが、原作映画化に携わる人間の誠意だと思う。

 原作を変えたほうがよくなることもたしかにあるだろう。
 しかし、それはよくよくのことではないか。
 それなのに、映画なのだから小説とは違う、変えたほうがよくなるのは当たり前とばかりに、「変えるために変える」ことがあったら、不遜のそしりは免れない。

 そうしないと映画作りのプロとして、仕事をした気にならないというのなら、どうぞ原作の映画化などは考えないで、オリジナル脚本で思う存分、のびのびと映画作りをしてほしいと思う。

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