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今日の誕生花――3月14日 アーモンド


今日の誕生花――3月15日 サンタンカ



写真:「春告花と残雪」(平岩祥平)

龍峡小梅の花と恵那山


南アルプスの残雪・1/2


南アルプスの残雪2/2


サンシュウの蕾


中央アルプスの残雪


◆3月の壁紙カレンダー◆

(PCのデスクトップ壁紙として使うには画面を右クリック、
「名前を付けて画像を保存」を選んでPCの任意の場所に保存し、
保存されたファイルをまた右クリックして「デスクトップの背景として設定」をクリックする)

♪「八十路のデュエット」――ル・クプル・コーノ
♪クシコスポスト、♪トルコマーチ、♪荒城の月
♪「八十路のデュエット」2――ル・クプル・コーノ
♪ムーン・リバー、♪埴生の宿、♪旅愁
(上の下線部分をクリックしてください)

◆「日本最大の谷」=2大アルプスに挟まれた「伊那谷」◆

(写真上「中央アルプス」:柏雀。写真下「南アルプス」中「伊那谷・天竜峡」:平岩祥平)

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 初デビュー宜しく  投稿者:島田坊や   投稿日:2025年02月14日 (金) 23時02分 [返信] No.2528

過日の5並びの件で木器さんから、ウェーブネームにとのお言葉をいただき、遊びとしてそれもいいかと自問している年老いた坊やです。よろしくお願いします。

 幼少期、親戚に「お使い」にいかされると「島田の坊や」が来たと言って歓待してくれたことを思い出します。
 また「嫁に行くなら島田村へ」と、当時の年寄衆の言葉として耳に残っています。当然その時は「松尾村」になっていたので「島田村」とはよく聞きましたが、島田村については全くの未知の世界でした。
 昭和初期曽祖父が松尾村の村長時代の古文書を紐解いても、島田村と毛賀村が合併して松尾村になったことくらいは判明していますが、詳細はよく分からずに今日に至っています。
 木器さんが示された「コトバンク」を以前やはり開いたことがあり、そこにある主たる内容くらいが今の年老いた坊やの知る全てです。   
 そんなことで「島田」とは名ばかりでお恥ずかしい次第ですが、折角いいお名前と名指していただきましたので、今できることとして、今の年老いた島田坊やの関係している地域と共に歩む種々の活動の一端を、折に触れ披歴させていただければと思ったところです。
 たいしたことではないのですが「継続は力なり」の実践でしかないので、大げさに扱われることは本意ではなく概要のみとなることをお許しください。
 又定期的に載せることは、老体に鞭打つ昨今をお察しいただきご容赦いただければと思います。
 本日はここまで、坊やおねんねです。(続く)




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 若山牧水の「幾山河」  投稿者: 木器  投稿日:2025年02月14日 (金) 11時19分 [返信] No.2526

 熊文さんご感想ありがとうございます。大昔の話になってしまいましたが、ほんと「むなしい」ですね。戦後四半世紀たって悩む堀越さんの姿が今更のように思いだされました。

 話変わりますが、何年かまえにやっと探した若山牧水の歌「幾山河」が、YouTube にアップされていました。
「幾山河越へさりゆかばさびしさのはてなむ國ぞけふも旅ゆく」
 を服部正が作曲して伊藤京子が歌っている音源(昭和29年)です。

 この短歌は、古関裕而作曲で藤山一郎などが歌っている有名な「白鳥の歌」(昭和22年)の中にも含まれている一首ですが、古関作曲のほうが圧倒的に知られていて服部作曲のほうを聞くチャンスがありませんでした。

 しかし、私は少年時代から古関の曲でない曲で「♪幾山河~」と覚えていたものですから、それが誰の曲かずっと気になっていたのです。
 飯田・駄科に住む弟の奥さんが、同じ体験をしていて、何でも風越高校の歌集に載っていたらしいというのですが、その歌集もいまはありません。
 弟も気になっていろいろ探してくれて、ついに見つけたのが伊藤京子が歌っている音源でした。

 たしか服部正の遺族にも連絡してくれたのですが、息子さんなどにもあまりはっきりした認識がなくて、かえって感謝されたというエピソードもありました。
 改めて聞き比べてみるとこうなります。

「幾山河」若山牧水、服部正作曲、伊藤京子歌
 https://youtu.be/wNBWO...
「白鳥の歌」若山牧水、古関裕而作曲、藤山一郎・松田トシ歌(3番が「幾山河」)
 https://youtu.be/qvuPz...

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 むなしい  投稿者:熊文   投稿日:2025年02月14日 (金) 08時20分 [返信] No.2525

ゼロ戦開発者の肉声・・・・――私に手ばなしで特攻隊をたたえる文など書けるはずがなかった。なぜ日本は勝つ望みのない戦争に飛びこみ、なぜ零戦がこんな使い方をされなければならないのか、ーー
あの時期の時代背景に背く・・・肉声を発することのむなしさを言いあらわしております。苦しまれたこと文章にあらわれておりました。感想です。

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 やはりこれだけは……  投稿者: 木器  投稿日:2025年02月13日 (木) 13時35分 [返信] No.2524

 熊文さん、すごいです! お義父さんの貴重な履歴書があったなんて。ぜひ拝見できればと思いますので、よろしくお願いいたします。

 まえの投稿をした後、「この人に会った」の文章では収録できなかった堀越さんの「これだけは……」という苦衷の表現を、この際ご覧いただきたいと思いました。

 雑誌に書いたように、もともと堀越さんはこの「神風特攻隊景仰頌詞」について触れることには、気が進まなかったのです。しかし私には、ほかの何にもまして当時の大変な精神状況を伝える貴重な文章だと思えました。

 そこでもちろん全文ではなく、先生が訴えたい「この箇所」だけでも引用したらいかがでしょうと、ご提案したのでした。
 著書からその前後だけ、引用させていただきます。

 ――私に手ばなしで特攻隊をたたえる文など書けるはずがなかった。なぜ日本は勝つ望みのない戦争に飛びこみ、なぜ零戦がこんな使い方をされなければならないのか、いつもそのことが心にひっかかっていた。もちろん、当時はそんなことを大っぴらに言えるような時代ではなかった。しかし、つぎのような一節だけでも強く訴えたかった。
「……敵は富強限りなく、わが生産力には限界あり。われは人智をつくして凡ゆる打算をなし、人的物的エネルギーの一滴に至るまで有効に戦力化すべき凡ゆる体制を整へ、これを実行しつくしたりや、内にこれを実行し、外神風特攻隊あらばわれ何ぞ恐れん。……」
 私がこの言葉に秘めた気持ちは、ひじょうに複雑なものであった。その真意は、戦争のためとはいえ、ほんとうになすべきことをなしていれば、あるいは特攻隊というような非常な手段に訴えなくてもよかったのではないかという疑問だった。――

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 細かいことですが  投稿者: 木器  投稿日:2025年02月13日 (木) 11時56分 [返信] No.2523

 昨日の投稿で、航空発祥記念館での展示を載せましたが、その最後の写真で画面に映し出された堀越さんの言葉は、肉筆原稿をそのまま文字にしたものと思われます。

 じつはこの文言は、最終的に印刷された本の文章とは違っています。
 画面に示された「祖国にささげられたすべての人の代りにこの詞を書くのだ…書きながら泣けて泣けてしようがなかった。…」とある部分が、本では次のようになっています。

「この戦いで肉親を失った人びとに代わってこの詞(ことば)を書くのだと自分に言いきかせながらペンを取ったが、書きながら涙がこぼれてどうしようもなかった。」

 校正ゲラの段階で堀越さんが直したのか、編集者か校正者が意見を言ってこのように変わったのか、今ではわかりません。変わるには、それなりの理由があったのでしょうね。

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 義父の履歴書があった  投稿者:熊谷文宏   投稿日:2025年02月13日 (木) 08時33分 [返信] No.2522

木器さん、義父の履歴について興味をもっていただきありがとうございます。家内が大切に保管していた履歴書がありました。相当に年季の入ったものです。
近いうちにお会いする機会が、ありそうですので見ていただければありがたいです。ではよろしくお願いいたします。

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 「肇国」?  投稿者: 木器  投稿日:2025年02月12日 (水) 15時20分 [返信] No.2521

 いつのころからか耳の奥に居ついていた「紀元二千六百年」の歌。

 昨日が建国記念日でもあり、ふと聞いてみる気になりました。
 それが先ほどの投稿の中の「♪紀元は2600年~ https://youtu.be/zYgKA...」(1940年)のくだりですが、昔の人はよく難しい言葉を知っていたんですね。

 藤山一郎と松田トシが歌っている2番の終わり、「肇国」は「ちょうこく」と読むらしいんですが、お仲間の中でも知っている人は知っているんでしょうね。
 まさに昨日の記念日を表す「国の肇(はじ)め」ということだそうで……。

 でも思想的なことを抜きにして、いい曲ですねー。若い藤山・松田両人の歌も気持ちよく歌われていて、伴奏の管楽器が格好いいし……。

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 すごいお父さん!  投稿者: 木器  投稿日:2025年02月12日 (水) 14時46分 [返信] No.2520

 熊文さん! そうだったんですか。奥様のお父さん、二式大艇のパイロットだったとはすごいですね。
 ゼロ戦が
「♪紀元は2600年~ https://youtu.be/zYgKA...」(1940年)
 のゼロ年制式採用、このビッグな二式飛行艇が翌年採用ということですから、我々とほぼ同年齢の飛行機ということになります。

 ということはこれを操縦されたお義父さんは、青年だったでしょうから、すでに100歳前後でいらっしゃるでしょうね。
 晩酌をご一緒しながらのお話を、私も聞いてみたかったですね。『永遠の0』は我が家でも愛読書、かつ映画も2回くらい見たでしょうか。

 ゼロ戦の設計者・堀越二郎さんは1903年生まれで、私がお会いした1970年前後には70歳近かったことになりますが、まったく頭脳明晰でした。

 所沢市の航空発祥記念館の展示は、「この人に会った」でも触れましたが、アニメ映画『風立ちぬ』や『永遠の0』で話題になっている堀越さんの生誕110周年を記念したものでした。

 この企画の担当者が、堀越さんの残された資料を見ていたら、唯一の自著『零戦――その誕生と栄光の記録』関係の資料の中に、赤入れ跡のある原稿とともに、編集担当者である私の名まえが出てきて、ついては思い出を聞きたい、そしてできれば「44年後の編集者あとがき」という一文を展示したいというのです。

 堀越さんは82年に亡くなりましたが、父親そっくりの息子・雅郎さんとも久しぶりにお会いし、感無量でした。
 (展示の模様:http://www.sixens.co.jp/Horik...

 熊文さんやコーメイさん、hato-ujiさんたちに、恥ずかしながらこの「一文」の展示を見てもらいたくて、お誘いしたのでした。

 その節はお付き合いいただきありがとうございました。でも、そのときお義父さんのお話も出ていたんでしょうね。すっかり忘れていまして、失礼しました。

「神戸新聞」(2022年12月25日)による「二式大艇」の記事。




「所沢航空発祥記念館」での展示「堀越二郎の生涯」(2013.6.22〜2014.4.6)より。










 最後の写真は、堀越さんが終戦間近に朝日新聞の要請で書かれた神風特攻隊への「景仰頌詞」を、ためらいながらも自著の中に収録されたときの原稿です。

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 零戦と二式大挺  投稿者:熊谷文宏   投稿日:2025年02月11日 (火) 16時25分 [返信] No.2518

木器さんからいただいた「この人に会った」シリーズ、第2弾です。
平成の頃だったと思います。木器さんが戦闘機「零戦の設計図が新たに見つかった」いうことで三五会のメンバーの何人かに声が掛り、所沢市の航空発祥記念館に出かけた。(そのとき参加した仲間は覚えていない)
航空記念館は、広い公園の中にあり、戦前の航空機がずらっと展示されていました。日本が誇る戦前の名機が並んでいたのは壮観でした。
ゼロ戦の生みの親である堀越二郎氏については、木器さんの連載コラムを読んでいただければ、と思いますが、ちょうどこの頃に零戦(0)を巡る小説「永遠の0」(百田尚樹著)がベストセラーになっており、我が家ではこの小説を回し読みして話題になりました。というのは、横浜出身の家内の父は、戦前横浜航空隊に所属、二式大挺という大きな飛行挺のパイロットをやっていた。任務は南方方面の索敵や資材運搬で、空中戦闘には関わらずに済み、無事終戦を迎えた。父は横浜航空隊で写真技術を習得して居り、徐隊後は写真館を経営していた。父と晩酌を共にすると、二式大挺の話になります。戦前、父が二式大挺のパイロットをしていたという家庭にあったから、小説「永遠の0」は、家族みんなが関心をもった小説となりました。

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 おじさん今昔の違い  投稿者: 木器  投稿日:2025年02月10日 (月) 21時57分 [返信] No.2517

 日曜日の朝日新聞、朝日歌壇にこんな2つの歌が選ばれていました。
 選者は別ですが、なぜか対照的で印象に残りました。

*アイドルが五十を過ぎて問題を起こす日本のテレビ業界(船橋市)佐々木美彌子(佐佐木幸綱選)

*「おじさん」がヒーローだった頃もあり鞍馬天狗や月光仮面(佐倉市)内山 明彦(永田和宏選)

 言われてみるとそうですよね。昔はさっそうと登場して子どもら弱きものを救ってくれるのは、鞍馬天狗や月光仮面の「おじさん」でした。
 子どもたちにとって、これらの「おじさん」たちはヒーローであり、憧れの的でした。大人になったら、あんな「おじさん」になりたいと……。

 しかし今は、50を過ぎた元アイドルの「おじさん」が、とても子どもには話せない情けない乱行で世間を騒がせ、結局は引退を迫られる。子どもの手本になど、とんでもないことです。
 この違いは何でしょう。

 メリハリの消えた社会や国という意味では、まったく関係ないもう1首の歌にもそれを感じてしまいます。

*拉致をする国とは何か拉致されて取り戻せない国とは何か(生駒市)辻岡 瑛雄(馬場あき子選)

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 小原聖子さんとイェペス  投稿者: 木器  投稿日:2025年02月10日 (月) 15時13分 [返信] No.2516

 熊文さんのご投稿で触れていただいた小原聖子さんですが、たまたま小原さんの facebook に、何とも懐かしい昔の映像が紹介されていました。

 https://youtu.be/ptift...


 スペイン留学を終えて帰国し、NHK教育テレビ「ギターをひこう」の講師を務めていたころの映像です。
 講師だった時期は、1978年と1980年ということなので、年齢は35~37歳でもっとも油の乗り切った時代だったでしょう。
 ゲストに恩師ナルシソ・イェペスを迎えた貴重な映像で、彼女の映像をいろいろ見てきた木器にとっても得がたい動画です。
 動画はイェペスが主役ですが、最初に恩師を紹介する彼女の姿がチラリと出てきます。
 映画『禁じられた遊び』の音楽をギターだけで支えたイェペスの10弦ギターの演奏が見られます。

 映画では、あの有名な「愛のロマンス」のほか、「ヴィゼーのサラバンド、ブーレ」「ラモーのメヌエット」「コストの小練習曲」などが、じつに効果的に使われていました。

  YouTube 「禁じられた遊び」イェペス演奏。https://youtu.be/EWxg4...

 ついでにやはりイェペスの「アルハンブラ宮殿の思い出」https://youtu.be/EQGBb...

 このトレモロが美しく響くためには、ギター演奏の極致をきわめねばならず、木器がかつて挑戦していたときは、トレモロがトレモロにならずシドロモドレモロだったので、これを繰り返し聞かされる家族はたまったものではありません。
 ついに遠慮気味にではありますが、いないときにやって、と言われてしまいました。
 以来、ギターそのものが挫折したままです。

 小原さんに関して、Wikipedia では、こんな風に紹介されていました。
 ――世界的にみても教える人の少なくなったスペイン伝統奏法を日本に広める活動を行っている。 情熱的な教えで優れた門下生を育て、彼らは東京国際ギターコンクールなどで次々に入賞をさらった。 1975年から東京国際ギターコンクールの審査にかかわり始め、現在は日本ギター連盟副会長としてコンクールを主催している。――

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 女神の微笑み  投稿者: 木器  投稿日:2025年02月09日 (日) 08時17分 [返信] No.2514

 コーメイさん、「女神は、相応しい方に微笑みましたね」とおっしゃいますが、コーメイさんにも「大枚3千円3回」も女神が微笑んでいるではありませんか。

 木器など今まで、大枚1万円が1回微笑んだだけで、あと300円が毎回という寂しさ。
 でも、待てよ、3千円3回と1万円1回とでは、計算してみると1万円1回のほうが微笑み量は多いのかなー、と算数苦手な木器でもその僅差で自分を慰めたほうがいいのか……。

 でもねー、やはり回数が多いほうが、微笑みはいいんですよね。
 というわけでまた懲りずに宝くじを買います。宝くじ協会の献血事業に協力するつもりで、なんて強がりながら。

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 大馬鹿の繰り返し  投稿者: 木器  投稿日:2025年02月08日 (土) 15時14分 [返信] No.2513

 熊文さん、拙稿をお読みいただきありがとうございます。
 そうなんですよ、近くに憧れのギタリスト小原聖子さんが住んでいるなんて、もう20年来の夢がかなうとばかり熱病にかかったようになってしまいました。

 なんてオーバーか(大馬鹿、コーメイさんの借用)、いや大馬鹿以上になって、ことあるごとに彼女のもとに通いました。

 彼女は二つ年下でしたが、デビュー当時の可愛らしさも衰えず、これがあの巨匠ナルシソ・イェペスに連れられてスペインに渡り、大変な弾き手になって帰ってきていたのでした。

 熊文さんも行ってくれた彼女の家でのホームコンサートでは、演奏が終わると飲み会になり、畏れながら彼女の手と自分の手を合わせて大きさを比べてもらったこともあります。

 驚くべきことに、彼女の指は私のより1センチ近く短いのです。しかし彼女はそのことを、「ハンデではあるけれど、そのハンデを超える工夫を面白がってしているうちに、手が大きかったらできない弾き方が見つかったりして楽しかった」とのたまいます。

 弟子になった私の娘が、スペインに連れて行ってもらって闘牛を見たときなど、牛が血だらけで死ぬ場面に娘が目をふさいだら、聖子さんは、「私なんか牛ではなく闘牛士が死ぬ場面を何度も見た」と仰ったそうです。

 やはり可愛らしい顔をしてタダモノではありません。だからこそ、ここまで日本のギター界を引っ張ってこられたということでしょうね。

 私にとってのマドンナでありながらすごい、そんな思いがあって、ついついオーバーか(またも大馬鹿)と思いながらも、書かせていただきました。

 余談:
 熊文さんが書いてくださった「100坪のお屋敷」は、大分広さを増してくれてありますが、先日なにかの用事で近くに行ったとき見たら、その土地は人手に渡ったあと2軒の家が建っていました。
 あの時代のバブリーさ、なにもかもオーバーか(さらに大馬鹿)と振り返る自戒が必要だったようです。

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 間 抜 け  投稿者:コーメイ  投稿日:2025年02月07日 (金) 21時15分 [返信] No.2512

 今朝カウンターを見て、多分昼前後かな?と思い、スマホで開いてみると、もう555663となっていた。そうきたか!なら、555666を狙おうじゃないか!何故つて、我が誕生日は、5月6日だ。

 パソコンを立ち上げ、アクセスすると、555664が出た。一旦離れて、すぐアクセスすると、555665が出た。良し!とばかり繰り返すと、何と555667である。

 この一瞬の間に、何方かが、アクセスしたのだ。

 ジャンボ宝くじは、時々ネットで買っているが、ここ1年間で、大枚3千円を三回ゲットしたに過ぎない。こういう運命にあるのだ、といってはオーバーか(大馬鹿)。

 伊澤さん、おめでとうさんです。女神は、相応しい方に微笑みましたね。

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 「この人に会った」を読んで  投稿者:熊文   投稿日:2025年02月07日 (金) 16時10分 [返信] No.2511

東京35会新年会で、木器さんからいただいた「この人に会った」シリーズ、楽しく読ませていただきました。第14回の「偉いのに可愛い世界的ギタリスト 小原聖子さん」のコラムを読んで、木器さんとの思い出がありました。
コラムより「・・・月日は流れ、東京で出版の仕事についた私は結婚し、娘は二人育っていました。小田急線新百合ヶ丘に引っ越したとき、地元の新聞を見て驚きました。隣の柿生に、聖子さんの自宅とギタースクールがあるではありませんか。・・・・」
木器さんは、私の住んでいる町内のとなり、東百合丘に100坪のお屋敷に住んでおりました。私の自宅隣接地は、花菖蒲畑で春になると木器さんは、写真を撮りにやってきておりました。ご近所のよしみでご自宅に伺かがわせていただきました。あるとき小原聖子さんがご自宅でコンサートを開くということで、木器さんと柿生のご自宅に伺がわせていただきました。私は音楽に疎く猫に小判でした。


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 島田坊や…いい名ですね  投稿者: 木器  投稿日:2025年02月07日 (金) 11時08分 [返信] No.2510

 伊澤さん、そうなんです、5並びゲットのときの様子をお聞きしようと思っていたところへ、まさにジャストミートの書き込みをいただき、ありがとうございます。

 さすが臨場感ありますね。そんなものなんでしょうね、こうした偶然のラッキーチャンスといったものは……。
 おっしゃるように、朝から原稿執筆に励んだごほうびかもしれませんね。

 それにしても、最後の「島田坊や」は可愛い名まえで気に入りました。
 これからはこの名を、ウェブネームとしてお使いになったらいかがでしょう。南彦右衛門さんも、ご実家の歴史からの命名ですから、揃い踏みになって面白いと思います。
 なんて、人さまのことなのに勝手にすみません。

「島田」の由来を知ろうとネットを開いたら、「コトバンク」というサイトで、各地にある島田村の解説があり、その中の飯田市の旧・島田村の記事がありました。

 もちろん、伊澤さんのほうがいろいろ詳しくていらっしゃるでしょうから、「島田坊や」の由来をいろいろ教えていただけると楽しいと思います。

「コトバンク」より https://kotobank.jp/word...

◆島田村
 しまだむら
 長野県:飯田市島田村
 [現在地名]飯田市松尾(まつお)

 現飯田市の北東部に位置し、天竜川とその支流松川の沖積地と、段丘上の平地とからなる。古代は「和名抄」所載の輔衆(ふす)郷に属したものと推定され、やがて伊賀良(いがら)庄の内となった。近世は一貫して飯田藩領。村高は正保四年(一六四七)が二千一三石余(信濃国絵図高辻)。

 前方後円墳八基をはじめとして多数の古墳があり、下伊那では開発の最も古い地域の一つ。村の西方には建治三年(一二七七)開創の鳩ヶ嶺八幡宮があり、その南、段丘の突端には松尾小笠原氏の居城松尾城がある。その下段平坦部にも「城(じょう)」「水城(みさじろ)」などの地名があり、松尾城と関係のある館跡であろうといわれる。

「島田」の文献上の初見は文明一一年(一四七九)の諏訪御符礼之古書で、諏訪社上社大祝諏訪継満らが島田に兵を出し、松尾小笠原氏と争っている鈴岡城主小笠原政秀を助けた記事である。

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 5並びゲットは偶然のご褒美?  投稿者:伊澤宏爾   投稿日:2025年02月07日 (金) 09時17分 [返信] No.2509

 昨日の朝は地元紙から原稿の督促があり、気分も乗らずにいやいや書いていました。これも齢のせいかと思いつつ・・。
 データを確認したいとがあり、当ホームページを開き確認作業をして画面は閉じてしまいました。
 閉じる際になんとなくカウンター数が目に入り、彦左衛門さんの提唱の5並びのことを思い出しました。
 そこで少し間をおいて再度開いたら・・・54が飛び込んできました。机上にあったカメラを向けたとたん・・・55に変わりびっくり・・・。
 朝から原稿書きなどしたことのない者へのご褒美だったのかもしれません・・・。
 皆さんの楽しくもあり、為にもなり、ボケ防止にもなるユニークな投稿を日々楽しみにしています。皆さんで益々盛り上げて参りましょう・・・。 
島田(旧松尾村)坊やの独り言でした。




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 いろいろ感謝です!  投稿者: 木器  投稿日:2025年02月06日 (木) 21時19分 [返信] No.2507

 遅かりし由良之助ならぬ彦右衛門……、だったかもしれませんが、ご本尊様はさておき、大いに楽しませてもらいました。彦右衛門さんの提唱で、555555追跡、大いに盛り上がり感謝です。

 これからもちょくちょく、こうしたちょっとした遊び心というか、思い付きというか、おちょっかいでも結構ですが、皆さん、提案してもらえると嬉しいですね。

 それと、今回の平岩さんのトップ写真はいつもに増して充実していますね。
 気になっているリニア新幹線工事の進捗状態が、よくわかる特集です。
 日曜日放映だったらしく、木器も気づかずに見逃していました。
 相変わらずいいテーマを拾っていただき、平岩さんにも感謝です。

 加えて、遅ればせながら、この場を借りてひとことお礼を言いたい件があります。
 先日、新年会でお渡しした雑誌連載のコピーを読んでくださった新年会参加のSIさんが、当方、感激のあまり涙なしでは読めないご感想文を、丁寧なはがきの手書きで送ってくれました。

 最近手書きのお便りなど、久しく目にしたことがありませんでしたし、その内容がじつによく書き手の訴えたいところを汲み取ってくださっていて、改めて三五会仲間のありがたさが身に沁みました。
 いずれご本人のお許しがあれば、ご紹介させていただける機会があるかもしれません。

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 おそかりし  投稿者:南彦右衛門   投稿日:2025年02月06日 (木) 14時54分 [返信] No.2506

いつものペースだとぼつぼつオールファイブとなるだろうとアクセスカウンターを見たら555598となっていた。残念‼ すでに43も超えていたとは想定外でした。みなさんも興味深くカウンターを見ていたのですね。
今後もこのペースで皆さんも三五会オープンを見ていただくとともに木器さんに負けないように積極的に投稿にも参加していきましょう。

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 早かったー!  投稿者: 木器  投稿日:2025年02月06日 (木) 11時34分 [返信] No.2505

 南彦右衛門さんが、555555まであと698と言ってくれたのが、1月29日のことでしたから、それから8日で計算すると、1日87のペースでカウンターが進んだことになります。

 それまで微減しながらも毎日60台を維持していたカウンターですが、ここにきて素晴らしい勢いを示してくれました。皆様の熱い声援のせいと感謝申し上げます。

 今後なかなかこのペースまでは行かないでしょうが、どうぞよろしくお願いいたします。

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