熊文さん! そうだったんですか。奥様のお父さん、二式大艇のパイロットだったとはすごいですね。
ゼロ戦が
「♪紀元は2600年~
https://youtu.be/zYgKA...」(1940年)
のゼロ年制式採用、このビッグな二式飛行艇が翌年採用ということですから、我々とほぼ同年齢の飛行機ということになります。
ということはこれを操縦されたお義父さんは、青年だったでしょうから、すでに100歳前後でいらっしゃるでしょうね。
晩酌をご一緒しながらのお話を、私も聞いてみたかったですね。『永遠の0』は我が家でも愛読書、かつ映画も2回くらい見たでしょうか。
ゼロ戦の設計者・堀越二郎さんは1903年生まれで、私がお会いした1970年前後には70歳近かったことになりますが、まったく頭脳明晰でした。
所沢市の航空発祥記念館の展示は、「この人に会った」でも触れましたが、アニメ映画『風立ちぬ』や『永遠の0』で話題になっている堀越さんの生誕110周年を記念したものでした。
この企画の担当者が、堀越さんの残された資料を見ていたら、唯一の自著『零戦――その誕生と栄光の記録』関係の資料の中に、赤入れ跡のある原稿とともに、編集担当者である私の名まえが出てきて、ついては思い出を聞きたい、そしてできれば「44年後の編集者あとがき」という一文を展示したいというのです。
堀越さんは82年に亡くなりましたが、父親そっくりの息子・雅郎さんとも久しぶりにお会いし、感無量でした。
(展示の模様:
http://www.sixens.co.jp/Horik...)
熊文さんやコーメイさん、hato-ujiさんたちに、恥ずかしながらこの「一文」の展示を見てもらいたくて、お誘いしたのでした。
その節はお付き合いいただきありがとうございました。でも、そのときお義父さんのお話も出ていたんでしょうね。すっかり忘れていまして、失礼しました。
「神戸新聞」(2022年12月25日)による「二式大艇」の記事。

「所沢航空発祥記念館」での展示「堀越二郎の生涯」(2013.6.22〜2014.4.6)より。




最後の写真は、堀越さんが終戦間近に朝日新聞の要請で書かれた神風特攻隊への「景仰頌詞」を、ためらいながらも自著の中に収録されたときの原稿です。