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今日の誕生花――3月16日 ミント


今日の誕生花――3月17日 マメノハナ



写真:「春告花と残雪」(平岩祥平)

龍峡小梅の花と恵那山


南アルプスの残雪・1/2


南アルプスの残雪2/2


サンシュウの蕾


中央アルプスの残雪


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♪「八十路のデュエット」――ル・クプル・コーノ
♪クシコスポスト、♪トルコマーチ、♪荒城の月
♪「八十路のデュエット」2――ル・クプル・コーノ
♪ムーン・リバー、♪埴生の宿、♪旅愁
(上の下線部分をクリックしてください)

◆「日本最大の谷」=2大アルプスに挟まれた「伊那谷」◆

(写真上「中央アルプス」:柏雀。写真下「南アルプス」中「伊那谷・天竜峡」:平岩祥平)

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 バックマウンテンCの2  投稿者:木器  投稿日:2024年08月05日 (月) 16時36分 [返信] No.2004

 柏雀さんのはベランダからの肉眼、コーメイさんのは映像でしたが、ともに見事な花火見物で、バックマウンテンCかぎり、その2です。

 小生も、遅ればせながら16日の飯田・時又灯篭流しの花火見物に、仕事関係の12人を連れてまいります。
 ご両人ほどの規模の花火ではありませんが、日本最大の谷・伊那谷の一部にこだまする花火音は、なかなかお腹にズンと来るものがあります。

 こんな片田舎なのに結構人が集まり、ログハウス周辺も交通規制がかかるので、我々も関係者用の「通行許可証」をもらって通行できるようにします。

 花火は7時からですが、それまでは平岩さんも書いてくれたようにログハウスの庭で、生ビールサーバー付きの焼肉パーティです。
 お客さんは中年グループなので、久しぶりに元気のいいどんちゃん騒ぎができそうです。男は小生入れて5人(+4歳の男児1人)に対して女は7人と、ここでも女性の勢いは勝っています。
 はて、さて、翌日のラフティングを含め、どうなりますことやら。

 でも、神奈川・東京方面からのお客なので、結構、飯田のいい宣伝になると思うんですが……。

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 神様のご配慮  投稿者:木器  投稿日:2024年08月05日 (月) 14時36分 [返信] No.2003

 柏雀さんがおっしゃるように、何ごとによらず「年だな、億劫だな」となるのは、じつは神様のご配慮で、余計なところにエネルギーを使わないよう、すべてに省力化された生活ができるよう仕組まれているからなんですよね、きっと。

 一方では小生のように、年になるとただでさえあらゆる場面で要領が悪くなり、日常の動作にも繰り返し、調べなおし、やり直しが多くなります。

 買い物をするためにスーパーに行っても、隣にある銀行での用事を忘れていて、また行きなおします。どうしてそんな二度手間になるようなことをするの?と、よく言われます。

 たしかに、おっしゃるとおり料理や掃除など家庭内の動作にしても、二度三度と同じ場所にものを取りに行くより、一度に必要なものをまとめて運べば時間も手間も少なくて済むはずです。

 でも、こういうとき小生など、「この年になると効率のよさはむしろ毒だ。自分のためにならない」という言い訳をしています。
 変な話ですが、孫の手を使えばすぐ掻ける背中のかゆみを、自分の手で掻こうと必死に手を回しまさぐる、これぞ格好の「我流ストレッチ」でなくて何であろう、という理屈です。

 要領が悪くて手間がかかるのも、億劫になって出不精になるのも、似て非なるものかもしれませんが、いずれも年のため、どちらも神様のご配慮なのだと、ふと思いました。

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 あつぎの花火  投稿者:コーメイ  投稿日:2024年08月04日 (日) 12時53分 [返信] No.2002

 第78回あつぎ鮎まつりは、相模川、中津川、小鮎川の三川が、合流する広場での花火大会が、メインイベント。

  今年は1万発を60分(昨年迄は90分)で打ち上げるとかで、成る程で、スマートでした。

 つい最近、ケーブルテレビに変えた(戻した)ので、「あゆチャンネル」が観られるようになったため、もっぱらこれに頼った。

 花火大会を締めるのは、「大ナイアガラ」年寄りには、多くの見物客がごった返す街中での見物はきつい。

 録画したが、静止画を取り出したその一部をアップします。


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 やっぱりトシか?  投稿者:柏雀  投稿日:2024年08月04日 (日) 10時46分 [返信] No.2001

 1週間前の土日は、柏祭りだった。会場は柏駅周辺だから歩いて20分弱。行って行けないところではなかったが、億劫で家に引っ込んでいた。

 昨夜は恒例の手賀沼花火大会だった。むかしは火の粉が降ってくるところまで出かけて楽しんだものだが、これも億劫になって行かなかった。ただ、柏会場の花火は、幸いなことに今年は我が家のベランダからもよく見えた。(写真)

 そして、今晩は町内の納涼祭。歩いて3分ほどのところにあるゴルフ練習場が会場だが、たぶん行かないでしょう。

 去年までは、近くに住む孫どもが夏休み中、我家に出入りしていて、その流れで納涼祭にも付き合っていたものだが、今年は、二人とも大きくなって、夏休みの小遣いを受け取りに来て以降、我家に寄り付かない。
 それに、じいさん,ばあさんだけで行くところでもないように思えて、、、

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 人形劇の動画  投稿者:木器  投稿日:2024年08月03日 (土) 11時12分 [返信] No.2000

 Yahoo!ニュースに引用されたテレビ信州やSBCのニュースで人形劇の一部が見られました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/36ebc...

https://news.yahoo.co.jp/articles/3ed81...

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 いいだ人形劇フェスタ  投稿者:ひらいわ  投稿日:2024年08月03日 (土) 10時42分 [返信] No.1998

 8月1日から4日まで行われている恒例の「いいだ人形劇フェスタ」のテレビ報道です。











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 バック・マウンテンCの謎  投稿者:木器  投稿日:2024年07月31日 (水) 13時20分 [返信] No.1997

「生きめやも」の謎に続いて、謎シリーズというわけではありませんが、コーメイさんのこの妙齢?のご婦人お二人からのご厚意、これは近来まれなるできごとで喜ばしい限りですが、ここにも謎がありますよね。

 なぜ、このような奇跡といってもいい出来事が起きるのか。
 しかもなぜ、コーメイさん一人に2度までも……。

 小生など、どう思い返してもこの長い80年以上の人生の中で、こんないい話はありませんでした。なぜコーメイさんにはこんなことが起きるのか。
 見ず知らずに人に、これだけ親切にしてくれるとは、よほど近寄りがたい雰囲気の逆の、近寄らずにはいられない雰囲気が漂っていたんでしょうね。

 やはりそれは人相でしょうか。人品骨柄あくまで卑しからず、かといってお高くとまらない人柄ってあるんでしょうね。
 いやはや、まったくうらやましい限りですが、この謎は、謎ではありますが、さもありなんという推測が可能な謎ということで、一件落着としましょう。

 え? それで題名の「バック・マウンテンCの謎」、今度はこれが謎ですか? バック・マウンテンAとかBはあるのか。
 ありませんよ、単に「うらやましい」を語呂翻訳しただけ。難しい誤訳問題もありません。
 

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 雨  投稿者:コーメイ  投稿日:2024年07月30日 (火) 21時48分 [返信] No.1996

 雨による災害のニュースに心が痛む昨今、我が居住地は、ここ20日以上雨とはご無沙汰だった。本日午後2時半過ぎ、局地的な豪雨が襲来した。

 丁度スーパーでの買い物を終え、自転車置き場に辿りついたその時であった。急いで買い物の詰まった袋3ツばかりを、前方の荷台に押し込み、スーパー裏口で雨を凌いでいた。

 「荷物が濡れるから、このビニールつかったら!」と雨宿りしていた上品な感じの70代と思しきご婦人が声を懸けてくれた。「イヤー!有難う御座います!」とご好意を嬉しく戴いた。

 「これビニールのカッパですけど、使って下さい。ズボンは濡れると思いますが、少しはお役に立てると思います。」それは、7~8センチ程の正三角形、厚さ3センチ程の小さな袋であった。数日前、コンビニで見かけ、その内買おうと決めていたものだ。「有難う御座います。買おうと思っていたんです。」「お見受けして、お困りのようでしたから、どうぞ遠慮なさらず、どうぞ!」「有難う御座います。」といって、包みを拡げ、頭から被って帰路についた。

 それは、小学校2~3年生と思しき可愛らしいお嬢さんを連れた若くて美人のお母さんだった。御子さんもニコニコと見送ってくれた。

 雨は走行15分程の間、強く降り、時折風も気になった。家に辿りつく後10分程は、雨も小降りとなり、無事帰宅することが出来た。

 些細なことかも知れないが、言うに言われぬ、幸福感に満ち満ちた久方振りの雨であった。

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 「生きめやも」の謎 3  投稿者:木器  投稿日:2024年07月30日 (火) 07時47分 [返信] No.1995

 冒頭の引用は柏雀さんがしてくれましたが、もう1か所は「序曲」の後の「春」という章の半ば過ぎにこう出てきます。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 それは、私達がはじめて出会ったもう二年前にもなる夏の頃、不意に私の口を衝ついて出た、そしてそれから私が何んということもなしに口ずさむことを好んでいた、

  風立ちぬ、いざ生きめやも。

という詩句が、それきりずっと忘れていたのに、又ひょっくりと私達に蘇(よみがえ)ってきたほどの、――云わば人生に先立った、人生そのものよりかもっと生き生きと、もっと切ないまでに愉(たの)しい日々であった。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 いかがでしょう。この抜粋を見ただけでも、この文脈からは大野・丸谷説のような否定的なニュアンスは感じません。小説全体を改めて読みなおしても、この雰囲気は一貫して変わらないと思いました。
 何とも言いようのない奇妙な明るさが、全編に漂っているような……。

 もちろん、内容は、サナトリウムで長く闘病を続ける婚約者との「死の味のする生の幸福」(作中の言葉)を描いたものですから、あっけらかんとした明るさではありません。
 忍び寄る死や別離の影を感じながら、だからこそ痛切に感じる、今生きていることの喜び、生きたいという思いを訴えようとしたのかもしれません。

 ここに書かれた「人生に先立った、人生そのものよりかもっと生き生きと、もっと切ないまでに愉(たの)しい日々」を獲得するための「呪文」のようなもの、それが「いざ生きめやも」だったのかも。

 このあたりに小説の基本テーマがあり、「生きめやも」も誤訳云々とは別の、作家の意図から生まれたものではないか、その点で柏雀さんのご意見と一致するのではないかと思いました。

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 「生きめやも」の謎 2  投稿者:木器  投稿日:2024年07月29日 (月) 23時44分 [返信] No.1994

 そうなんです!! さすが柏雀さん。私もじつはほぼ同じことを言おうとしていました。
 本を探すよりこれだと「青空文庫」に気づいて、読み直していたのですが、冒頭のエピグラフに、

 Le vent se lève, il faut tenter de vivre.
                     PAUL VALÉRY

 と確かに掲げてはありますが、これが「風立ちぬ、いざ生きめやも」の原文だとはどこにも書いてありません。「Le vent se lève」は「風立ちぬ」でいいとしても、「il faut tenter de vivre.」は直訳すれば「生きるよう努めねばならない」でしょうし……。

 そして一つ、じつはあるブログを読んでいて、とてもユニークな発見というか、誰も指摘していなかったある「違い」が、ヴァレリーの原詩と堀辰雄の引用にはあることを知りました。

 まえの投稿で引いたヴァレリーのフランス語原文と、この『風立ちぬ』の冒頭のフランス語引用をよーく見比べてください。何か違いませんか?

 ヴァレリー Le vent se lève!.... il faut tenter de vivre!
 風立ちぬ  Le vent se lève,   il faut tenter de vivre.

 そうです! 真ん中の....は別にして、堀辰雄の引用には文末2つの「!」が付いていないのです。
 エピグラフの最後には、わざわざ PAUL VALÉRY からの引用であることを断っているのですから、普通なら原文そのままを引用するでしょう。
 また、そうするのが原典への礼儀でもあるし、最近の出版社のファクト・チェックなどでは必ず指摘されて、元通りにするよう指示されます。さもなくば PAUL VALÉRY からという原典は表示できないことになります。

 それはともかく、この違いは引用者の不注意や気まぐれではなく、かなり意図的なものではないかというのが、そのブログの指摘です。
 この「!」の欠落にこそ、「生きめやも」の謎を解くカギがあるのではないか。

 原文どおりだと、「風が立つ!/生きなければ/もっと強く/生きなければ!」といった強い意志を示す「!」が付きますが、これを堀辰雄は付けたくなかった、それほど強い意志的な言葉にはしたくなかった、そう考えれば「!」を外した理由も理解できます。

 そして柏雀さんもおっしゃるように、その気持ちの表現としてこの言葉を選んだとも考えられます。
 自分と彼女の気持ちを鼓舞しよとうしながら、そんなに簡単にそれができるものではないことを暗に示しているとか……。
「風立ちぬ、いざ生きめやも」、「風も立っているから、さあ生きよう、生きねばと思うのだが……」というくらいの、作者自身の造語とまでは言いませんが、その時の自分の気持ちにもっともしっくりくる言葉として、これを選んだとすれば納得できます。

 なお、この指摘をしてくれたブログは、なんとあのアイドル歌手・松田聖子の大ファンで、その動画を YouTube に投稿しているというハンドルネーム「LULLABY 80's」さんのものです。
 https://www.ameba.jp/profile/gener...
 アイドル関連といいながら、その投稿内容は非常にハイレベルで、知的好奇心をくすぐられます。
 いくつかの投稿ジャンルの中に「聖子と文学」というシリーズがあり、その一つに昨年11月に投稿された「聖子と文学④ 堀辰雄/風立ちぬ 『いざ生きめやも』誤訳の謎」という一文があったのです。

 あとでご紹介できるかもしれませんが、例のアニメ映画『風立ちぬ』のポスターについても、「生きめやも」関連で興味ある指摘がありますので、ぜひご覧になってください。

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 「生きめやも」について  投稿者:柏雀  投稿日:2024年07月29日 (月) 21時59分 [返信] No.1992

 ChatGPTさんに頼んだら、品詞分解しそれぞれの文法的機能を解説した上で「いざ生きめやも」は「いざ(さあ)生きることが出来ようか、いや、できないだろう」の意味だと教えてくれた。

 これが正しければ、「いざ生きめやも」は「il faut tenter de vivre.」の訳としては明らかに間違いだということになる。

 ただし、青空文庫で「風立ちぬ」をざっと見たかぎり、冒頭に「Le vent se lève, il faut tenter de vivre」と掲げてはあるが、「風立ちぬ、いざ生きめやも」がその訳だとは読み取れないし、またどこにもそうは書かれていないような気がする。

 「風立ちぬ、いざ生きめやも」は本文中でたしか2回ほど使われている。

 最初は、「序曲」の中で

「・・・それは私たちがそこに置きっぱなしにしてあった絵が、画架と共に、倒れた音らしかった。すぐに立ち上がって行こうとするお前を、私は、いまの一瞬の何物をも失うまいとするかのように無理に引き留めて、私のそばから離さないでいた。お前は私のするがままにさせていた。

 風立ちぬ、いざ生きめやも。

 ふと口を衝いて出てきたそんな詩句を、私は私に靠れているお前の方に手をかけながら,口の裡で繰り返した。」

 つまり、私に靠れている「お前」がこの先「生きることが出来ようか、いや、できないだろう」と予測している「私」の心の内を表しているのだと思う。

 「風立ちぬ、いざ生きめやも」はヴァレリーの詩を下敷きにしてはいるが、これは「私=堀辰雄」の言葉であって、誤訳だとかの話ではないと考えたのですが・・・さてどうでしょうか。


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 焼肉クイズ  投稿者:ひらいわ  投稿日:2024年07月29日 (月) 16時40分 [返信] No.1991

 トップページの「焼肉のトリセツ」の中にあった「焼肉クイズ」は、面白いのですが字が小さくて答えまで見えないかもしれませんので、ここに別掲しておきます。


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 「生きめやも」の謎 1  投稿者:木器  投稿日:2024年07月28日 (日) 16時47分 [返信] No.1989

 毎日お暑いことでありますなむ。
 バテ気味なオツムに、またまた暑苦しい話題はかんべんして、と言われそうなので、軽井沢や八ヶ岳の避暑地での、文学の話でもしましょうか。
 そのほうが暑苦しいって、言われるかもしれませんが、しばしお付き合いください。

 27日の読売新聞「編集手帳」に、堀辰雄の小説『風立ちぬ』に出てくるヴァレリーの詩、「風立ちぬ、いざ生きめやも」の「生きめやも」の有名な誤訳説……という表現がありました。
 が、有名と言われるほど、その誤訳説は知られているでしょうか。
 小生も、言われてみればそうだったかなと思う程度で、詳しくは知りません。

 多分、多くの人は、「いざ」と付いているし、「さあ、生きなくっちゃね」といった肯定的な意味だと思っていたのではないでしょうか。私もそうでした。
 だから、いろいろ文句を言ってきたアニメ映画『風立ちぬ』の中や宣伝でこのセリフが使われたときも、その意味で理解していました。

 調べなおしてみると、30年以上もまえに権威ある国語学者の大野晋と作家・丸谷才一が対談で、この訳は誤訳であり、「生きめやも」という古い言い回しの意味するところはむしろ逆、「生きようか、いや断じて生きない、死のう」になってしまうと指摘したのだそうです。

 誤訳というからには、その原文を知らねばなりません。これはもういろいろなところに引用されていて、ヴァレリーの「海辺の墓地」(Le Cimetière marin)という、144行もある長い詩の最後のところに出てくる言葉だそうです。

 Le vent se lève!.... il faut tenter de vivre!

 新聞では、その前後を抜き出した平易な訳を紹介しています。それによれば……。

 空よ/真実の空よ/うつろなぼくを見るがいい/飲むのだ/ぼくの胸よ/いま生まれてきたばかりの/風を/ああ、風が立つ!/生きなければ/もっと強く/生きなければ!

 たしかにこの訳では、問題の部分は「生きなければ/もっと強く/生きなければ!」となっていて、もし「生きめやも」が大野・丸谷説のとおり「生きようか、いや断じて生きない、死のう」だったとしたら、まるで逆の誤訳と言わざるをえないでしょう。

 むしろ、私を含め多くの日本人がそう思っていたように、「さあ、生きなくっちゃね」と理解したほうが、ヴァレリーの原詩には近いと言えます。「生きめやも」の正しい理解でなく「誤解」だったとしても、です。

 でも、そうなるとさらに気になるのが、堀辰雄の真意です。単なる誤訳なのか、それとも何か含意があるのか……。小説『風立ちぬ』の中には冒頭だけでなく、途中にもこの句は出てきますし、「風立ちぬ」という章まであります。

 調べてみると、堀辰雄はフランス文学の翻訳をしたりして外国語に詳しいうえ、東京帝大の国文科出身の上に卒業後も日本の古典文学の研究にも打ち込み、数々の作品を書いてもいます。
 そんな彼が、明らかに誤訳と言えるような文言を、このように目立つ書き方で残すだろうか、という疑問がどうしても消えません。
 そこで、やはり『風立ちぬ』の原文を見直してみることにしました。

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 中日新聞記事・7/26  投稿者:ひらいわ  投稿日:2024年07月28日 (日) 10時24分 [返信] No.1988


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 やっぱ、惜しかったー!  投稿者:木器  投稿日:2024年07月27日 (土) 08時57分 [返信] No.1987

 コーメイさんの投稿に刺激されて、高橋克実のことをググってみたら、なんと、
「声をかけられてこその役者。人とのご縁を大切に、これからもさまざまな役を演じたい」
 というカツミさんの言葉が出てきました。

 だから言ったでしょう。「声をかける」べきでしたね、コーメイさん。そこから生まれる「人とのご縁」を大事にする人なんですから……。やっぱ、惜しかったー!

 そしてやはり、コーメイさんが覚えていた「三条市出身」が効いています。
 あの号泣の迫真の演技は、やはり自分の出身地を舞台にしてのさまざまな思いが重なってこそだと、勝手な妄想をしてしまいました。
 でも、当たらずとも遠からず、ドラマを見る目が変わってきて、さらに面白くなるのではないでしょうか。コーメイさんアリガト。

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 惜しかったー!  投稿者:木器  投稿日:2024年07月27日 (土) 05時28分 [返信] No.1986

 コーメイさん、惜しかったー! なんでそこで一言かけなんだんナ。

「あのー、タカハシカツミさんですよね。(くれぐれもカツノリと言わないこと。私はしょっちゅうカツミとカツノリを間違えていますので……)三条市ご出身で、あのコロナの本社には、私よく行くもので……」とかなんとか。(別にセリフの指図をするわけではないですが)
 さすればカツミさん、あの昨日大泣きした顔をくしゃくしゃにして、大喜びで「そうそう!よくご存じで……」と握手してくれたんではないでしょうか。

 さすれば、それきりのこととなっただけのことが、それきりのこととなっただけのことにならなかったかもしれない、一生モノのいい思い出ができたのになー。
 さすれば、さすれば、旅の疲れも肩の凝りも足のいたみも、すこしは軽くなるいいマッサージになったかもしれない、もっとさすって……って何の話だか。

 もっとも、コーメイさん、今日書かれていたように、すでに忘れられない思い出になっているわけですよネ。

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 俳優 高橋克実さんのこと  投稿者:コーメイ  投稿日:2024年07月26日 (金) 21時39分 [返信] No.1985

 朝ドラを楽しんでいる。今、舞台は、新潟県三条市を中心に展開されている。現役の頃、この地への出張は、年2回以上あった。石油燃焼機器のトップメーカー「コロナ社」の本社があり、業界団体等の重要な役割を担っておられる会社で、会長さん、社長さんや、多くの社員の方々と業界全体に関わる事務等で、ご指導、交流をさせていただいた。

 今朝のドラマで、号泣した弁護士を演じる高橋克実さんは、ここ三条市出身であることは、不思議なことに、何故か随分前から知っていた。

 もう10年近くなるだろうか?京都府の福知山駅で、彼を見かけた。仕事を終え、特急列車で京都へ移動するため、駅構内で30分程の時間待ちをしているとき、ふとお土産等の売店を覗くと、高橋さんと思しき方が、お付きのマネージャーらしき方と二人で買い物をしていた。

 駅構内には、殆ど人影はなく、彼らが乗る列車は、京都、大阪、舞鶴方面のどれかなのだが、そんなことも含めて、思い切って声をかけようか、迷った。コロナ社の話でもしようか。迷っているうちに、姿が見えなくなった。早目にホームへ上がったのだろうか?トイレにでも行ったのだろうか?

 結局、それきりのこととなっただけのことで、それきりのこととなっただけのことが、今でも、何故か頭の片隅に残っていて、物忘れ激しき昨今、忘れることも無く、気がかりでもあることが、何故か、不思議でもある。

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 なんかカワイソーでもある  投稿者:木器  投稿日:2024年07月26日 (金) 15時09分 [返信] No.1984

 自業自得・身から出たサビ……。
 いかにもラフ気味だったプレーの結果のレッドカード、即退場の1人少ない戦いだったのだから、一昨日の五輪サッカー、南米王者・パラグアイの一方的な負け方には、あまり同情的なコメントは聞かれませんでした。

 前半の半分くらいで1人減った10人体制になり、残りの4分の3を10人で戦い、若い日本の11人に5点も取られてしまいました。
 最初はイエローカードだったのですが、ビデオ・アシスタント・レフェリーの判定で、アシがスタンと相手の足を踏んだと見なされて黒、いや赤になってしまいました。

 たしかに私も見ていましたが、繰り返し映されたその瞬間の映像では、パラグアイ選手の足は明らかに日本選手の足を踏んづけています。でも、最初見たときは、競り合うはずみでたまたま互いの足がその位置に行った、わざと踏んだのではないと、素人の私には見えてしまいました。

 だから一瞬にしてレッドカード、退場となったときは、え?そこまでいけないことをしたの?と半信半疑。でも日本チームには明らかに有利になったので、ちょっと嬉しくもありました。
 ま、わざとであろうとなかろうと、結果踏んづけになり、相手にけがをさせるような危険行為になった、ということなんでしょうね。

 そのまま一人少ないパラグアイに日本はどんどん襲い掛かり、見事な攻めで5点も取りました。
 でも、ちょっと一発退場、大差の敗戦を喫したパラグアイが、なんかカワイソーでもありました。

 すみません、サッカーはまったくの無知の素人なもので……。

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 驚きの一致!  投稿者:木器  投稿日:2024年07月26日 (金) 13時04分 [返信] No.1983

 驚きました。
 今回引用させていただいた俳句や文章の作者・赤蝶さんは、のちにいただいたメールで、「大東亜戦争の始まった年の生まれ」とあり、我々とまったく同世代とわかりました!
 道理で、と言っては失礼かもしれませんが、すべてに共感することばかりです。

 そして今回のこのご縁を、大変喜んでくださいました。
 さらにこのページの引用について、
 「今回はこのような素敵な人生のプレゼントを頂き、感謝しております」
 との過分なお言葉までいただきました。

 一応この掲示板に関することなので、ご報告しておきます。

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 AIに挑戦  投稿者:木器  投稿日:2024年07月26日 (金) 10時57分 [返信] No.1982

 6月15日に「うーん、脱帽か」と書いた ChatGPT の「白鳥になりたかったサギ」という童話は、肝心のサギの改心、つまり目覚めの理由が不十分でしたが、まあ恐るべき回答能力は認めざるをえないと思いました。

 そこで、その不十分な点を補えば、この恐るべき回答能力を凌ぐものになるのではないかと、挑戦してみました。あの直後にやった作業ですが、アップし忘れていましたので、蒸し返すようですみません。
 ご一読いただき、ご判定をいただければ幸いです。

 まずは念のため、繰り返しになりますが ChatGPT の作品です。。

◆タイトル: 白鳥になりたかったサギ

登場人物

サギのセイ:主人公。白鳥になりたいと願うサギ。
白鳥のシロ:優雅で美しい白鳥。セイの友達。
カエルのケロ:森の知恵者。セイに助言をする。
狐のキツネ:ずる賢いが、最後には改心する。

あらすじ

第1章: セイの願い

 ある美しい湖のほとりに、サギのセイが住んでいました。セイは毎日湖で美しい白鳥たちを眺め、その優雅な姿に憧れていました。「僕もあんな風に美しくなりたい」とセイは思うようになりました。

第2章: シロとの出会い

 ある日、セイは湖で一羽の白鳥、シロと出会いました。シロはセイに親切に接し、二人はすぐに友達になりました。セイはシロに「僕も白鳥のようになりたい」と告白しました。シロは笑顔で「君は君自身が美しいんだよ」と言いましたが、セイは納得できませんでした。

第3章: ケロの助言

 セイは森の知恵者、カエルのケロに相談しました。ケロは深く考え、「見た目が変わっても、本当の美しさは心の中にあるんだよ」と言いました。しかし、セイはまだ白鳥になりたいという気持ちを捨てきれませんでした。

第4章: キツネの策略

 セイの願いを聞いたずる賢い狐のキツネは、セイに近づき、「私の魔法で白鳥に変えてあげるよ」と提案しました。セイは喜んでその提案を受け入れましたが、キツネの魔法は不完全で、セイは白鳥の姿に変わることができませんでした。

第5章: 真実の美しさ

 落ち込んだセイは再びシロに会い、全てを話しました。シロはセイに「大切なのは外見ではなく、心の美しさだよ」と再度伝えました。セイは次第に自分の価値を見つけ始め、やがて白鳥の姿を望むことをやめました。

第6章: 心の変化

 セイは自分自身を愛することを学びました。シロやケロ、そして他の動物たちと一緒に過ごすうちに、セイは自分の独自の美しさを見つけることができました。キツネもセイの変化を見て、自分の行いを反省し、心を改めました。

結末:

 セイは白鳥になりたいという願いを通じて、本当の美しさとは何かを学びました。彼はその教訓を他の動物たちにも伝え、みんなが自分自身を愛する大切さを理解するようになりました。湖のほとりには、いつもセイとその友達たちの笑顔が溢れていました。

 このような筋書きで、「白鳥になりたかったサギ」の童話が展開できると思います。物語の中で、自己愛や真の美しさの大切さを伝えることができます。


◆改作:3章、4章、5章を、つじつまが合うよう変えてみました。

第3章: ケロの助言

 セイは森の知恵者、カエルのケロに相談しました。ケロは深く考え、「見た目が変わっても、君の中身は変わらない。変わらないものが真実であり、美しいものなんだよ」と言いました。しかし、セイはまだ白鳥になりたいという気持ちを捨てきれませんでした。

第4章: キツネの策略

 セイの願いを聞いたずる賢い狐のキツネは、セイに近づき、「君のたくわえの半分をくれれば、私の魔法で白鳥に変えてあげるよ」と提案しました。セイは喜んでその提案を受け入れ、キツネの魔法で白鳥の姿に変わることができました。

第5章: 真実の美しさ

 セイは喜んでシロに会いに行きますが、シロは喜んでくれません。それどころか、「セイ、君はどこに行ったのかな。ここにいるのはセイではないようだよ」と問い返しました。
 そして、「ぼくはセイらしいセイが好き、ぼくとはちがうセイが好きなのになー。セイがセイでなくなってしまったら残念だなー」と語りかけました。
 これを聞いてセイは、はっと気づきました。白鳥のシロやシロの一族はすばらしい、美しい。けれど、僕の一族は僕の一族でみんなすばらしい。シロの一族と違ってまた美しい。そうだ、みんな違ってみんな美しいのだ。そう思ったとたん、セイは元の姿に変わっていました。

第6章: 心の変化

 セイは自分自身を愛することを学びました。シロやケロ、そして他の動物たちと一緒に過ごすうちに、セイは自分の独自の美しさを見つけることができました。キツネもセイの変化を見て、自分の行いを反省し、心を改めました。

結末:

 セイは白鳥になりたいという願いを通じて、本当の美しさとは何かを学びました。彼はその教訓を他の動物たちにも伝え、みんなが自分自身を愛する大切さを理解するようになりました。湖のほとりには、いつもセイとその友達たちの笑顔が溢れていました。

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