ちょっと心残り 投稿者: 木器 投稿日:2024年08月19日 (月) 15時12分 [返信] No.2029 |
今回の飯田行きは、神奈川・東京のお客さん12人が、2日間をフルに楽しみ、この土地をえらく気に入ってくれたようです。
年配の著者と若い著者の両人を囲む人たちの集まりの中で、若いほうの著者の4歳の息子さんが、ログハウスの前で「さよなら」をしようとしたら、「まだ、かえるのやだー」と泣き出してしまい、これが最高の可愛いサヨナラの挨拶になりました。 メンバーのほとんどが、お世辞も含めて、この幼い彼と同じ気持ちだったと言ってくれました。
少なくとも、この両アルプスに挟まれた「日本最大の谷」伊那谷と、その中心にある飯田というところを、車の中から眺めた風景を含め、今まで知らなかったのが惜しまれるほど、気に入ってくれたということです。
この中にはクラシックギターの小原聖子さんの通信講座を受けた人もいて、今度は音楽を含めた集まりもしようではないかという声も出ました。
ログハウスには古いレーザー・カラオケも、Retsu さんから譲り受けた「カラオケ一番」もありますので、水を向けてみましたが、焼肉とお酒と花火でいっぱいになったのか、誰も歌う人はいません。 ただこの4歳の男の子がピアノを習っているとかで、ピアノに触ってしばらく遊んでいました。
もう一日滞在するので、終わりの日は駄科に住む弟と例によって、飲食持ち込みOKのカラオケルームに行くってもんだと、お互いに思っていたのですが、さすがにこちらが疲れてしまい、「兄貴のほうからヤメトクとは、珍しいこともあるもんだ」と言われてしまいました。
そんなわけで歌うほうは欲求不満なので、歌好きのおたぐり幹事さんに、またやろうよとお願いしてあるのですが、はたしてどなたが付き合ってくれるのか。
まあ、合唱とかコーラスももちろんいいんですが、それとはまた別に、「懐かしい歌いい歌を歌わまい会」の流れで、気楽に誰でも歌いたい歌を歌って、この先あまり長くない老い先を楽しめたらいいと思うんですが……。
歌って声を出すのは、呼吸器や血流の上で、また何よりも全身使っての表現や表出は、精神的にも新陳代謝の大いなる促進になり、健康上も非常にいいらしいですよ。
なんて言っても、あまり乗ってくれないんだよな、最近。しゅん。
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こんな具合です(動画修正版) 投稿者: 木器 投稿日:2024年08月19日 (月) 13時43分 [返信] No.2028 |
16日の焼肉会、ログハウスの新調・テーブルで、こんな具合でとっても盛り上がりました。今度ぜひ三五会の皆さんでもやりませんか? 目の前の灯篭流し花火が大迫力で、お客さんがたくさんいいお酒を持ってきてくれたので、飲みすぎでふらふらになりましたが、最高の会になりました。 なにしろ池波正太郎先生が一番好きだった大分の「西の関」というお酒まで探してくれ、その冷酒版と、さらに小生、日本酒再開眼のきっかけになった新潟村上市の「〆張鶴」まで、どかーんといずれも一升瓶でもってきてくれたのですから、飲みすぎて当たり前です。 その皆さんのラフティングも、天気と流れの最高状態に恵まれ、興奮のうちに終わりました。 一応その様子と、その場を通りかかった姪の家族が、灯篭流しの現場まで行って撮ってくれた花火の動画をアップしましたのでご覧ください。 まず、薄暮から始まった灯篭の流れと打ち上げスタートのころ、そして近くでないと見られないナイヤガラの水面に映った壮観、さらに終了間際の連発と大玉の協演です。(どうぞ画面を最大にしてご覧ください) https://youtu.be/q2p1-...https://youtu.be/4oW5w...https://youtu.be/aZyNN... テーブルの板は耐水性ですが、足とベンチは濡れないほうがもちがいいので、ビニールシートで覆いましたが、半分しかありません。9月に行ったときあと半分をかぶせることにします。
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夏の終わり ? 投稿者: chie-nie 投稿日:2024年08月19日 (月) 00時01分 [返信] No.2023 |
今夜は久しぶりに雲が切れて、しばらく見ないうちにかなり丸くなった月がとてもきれい。空気も爽やかです。
年に一度のロックフェスが終わりました。昨夜は9時ごろ花火が出た後も、どこを這ってくるのかわからない響きがそのままずっと続いていたので、今夜は噓のように静かです。 窓から見るとほぼ正面に会場が作られているように見えるのですが、浜まではかなり距離があってちょっと見に行くというわけにはいかないので、実際の様子は全く分かりません。交通の便も悪いところだから送迎バス頼り、だと思う。ちょうど台風の接近などで、参加する人ばかりでなくアーティストが来られるのかどうかかなり不安もあったようですが、雨も降らず無事に終わってホントよかった!
ここ数日虫の声が聞こえるようになったと思ったら、生協からの帰りにばったり遭遇、パッと飛んで行ってしまったし虫には詳しくないので、コオロギなのかカンタン、それとも鈴虫なのか簡単には分かりません。 防風林の前に造られた花壇には花がいろいろ。アジサイも残っているしそれこそヒャクニチソウも。キキョウは咲いているけれどハギはもう少し、といった感じでごちゃごちゃです。
皆さまの夏はどんなでしたでしょうね。ホントはこちらもまだまだ終わらないみたいですが。
くれぐれもお元気で。おやすみなさい。
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夏の花 投稿者: 木器 投稿日:2024年08月15日 (木) 19時33分 [返信] No.2022 |
柏雀さんが書いておられるように、本当に百日草というのは、田舎の夏の花の代表でしたね。炎天でも何日も咲き続ける厚ぼったい花びらに、何とはなしに子どもなりに生命力のようなものを感じていたと思います。
あと夏の花としてはムクゲとマツバボタンですが、マツバボタンには最近、なかなかお目にかかれないのです。少年時代の田舎では、百日草に負けず劣らず家々の道端に、びっしり元気に咲いていたと思いますが……。 それとあとやっぱりアサガオですね。これは毎朝、目を覚ますたびにみずみずしく柔らかい花びらを開いてくれていて、朝露が消えるのと同じようにしぼんでいく姿が、可憐でした。
今、田舎のログハウスに来ていますが、ちょっと外を歩いてみても、これらの花になかなかお目にかかりません。せっかく田舎に来ているのに残念です。 ムクゲだけは、あちこちで見かけますが、なぜかわが家のムクゲは、去年はしっかり咲いてくれたのに樹そのものがダメになってしまいました。暑さのせいでしょうか。
花はちょっとがっかりですが、じつは今、そんながっかりを跡かたなく吹き飛ばす大感激に浸っています。 この度の東京・神奈川からの大勢のお客さんの話を聞いて、何日もまえからいろいろ心配してくれ、肉屋の手配から生ビールセーバーの頼み方まで面倒を見てくれた平岩さん。 今日は、ログハウスの登り口の階段補強のために、コメリに行って適当な板を調達し、針金を持参してくれて、それで応急処置をしてくれました。ほんとありがとうございます。
加えてもう一人、いつもログハウスの生い茂る草を刈りに来てくれている、小中学同級生のMさんが、一肌も二肌も脱いでくれたのです。デッキの危ない個所の補強でべニア板を張ってくれ、さらに驚くことに、ガーデン焼き肉と花火見物のためのテーブル椅子セットを、プロの腕前であっというまに見事に作ってくれました。 それが下の写真です。
昔、小田急線・百合ヶ丘にいたころ、わずかばかりの庭のあった我が家で小中学校の同級会をすることになり、当時、世田谷に住んでやはり建築関係の仕事をしていたMさんが、まえの日に来て、庭でのパーティができるよう、丸木削りのテーブルと椅子を作ってくれたのを思い出します。
平岩さんにせよMさんにせよ、何とありがたい友達の力添えであることか。こちらからは何もしていないのに、ただただ頭が下がるばかりです。
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中日新聞記事 投稿者: ひらいわ 投稿日:2024年08月15日 (木) 19時25分 [返信] No.2021 |
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百日草 投稿者: 柏雀 投稿日:2024年08月14日 (水) 23時21分 [返信] No.2020 |
いつもの散歩道には、西コースと東コースがあって、それぞれに横道にそれる代替コースがいくつかある。
今日は、そんな代替コースの一つを辿ってみた。理由は、百日草が見られるのをおもいだしたため。
むかし子供の頃、畑の端にこの花が咲いていたものだ。今のように他にしゃれた花は無かったから、仏様にも進ぜた記憶がある。
遠い遠い記憶です。
実家の弟に電話して、お盆だから、おれの分として、お線香を1本だけ余分に上げてくれと頼んだ。
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いいですねー! 投稿者: 木器 投稿日:2024年08月13日 (火) 20時35分 [返信] No.2019 |
この柏雀さんの「アルプスの思い出」は、以前この掲示板にアップしてくださったそうですが、そういえばそうだったかもしれません。 でも初めて見るように新鮮で涼しくて、大変ありがたく拝見しました。
私も、ほんの観光コース程度のアルプス見物はしましたが、記憶にあるのは、この動画にも出てきたマッターホルンの朝焼け(モルゲン・ロート)、そして氷河の中の氷のトンネルが乾いていて、触っても普通の氷のように手が貼りつかなかったこと、ユングフラウヨッホだったかで日本にはがきを出そうとしたら、高山病で記憶がおかしくなり、住所を思い出せなかったこと、マッターホルンに近い小屋から撮影していたらカメラのキャップを雪の中に落としてしまい、やはり体と頭がおかしくて拾いに行けなかったので、今でもあのキャップはマッターホルンの雪の中にあるのかなー、森村誠一の「お母さん、あの落とした帽子どこへ行ったのでしょうね」ではありませんが……などなど、お粗末なものですが、それでも思い出したら多少は涼しくなりました。
それと平岩さんがトップにアップしてくれた写真の木曽駒。これは小生、わが人生で唯一、3000メートル級の登山経験をした記念すべき山です。 その意味で、これも見るだけで涼しくなります。よく「信州出身だったら、山もスキーもスケートも得意でしょう」ときかれますが、そんなとき「涼しい」顔で、「ま、山は3000メートル級もやっているけどね」と言えるので。
ただそのときは、この写真にもある山頂を極めただけで、もう十分すぎるほど十分だったので、引き返してから誘われた宝剣岳の岩山登りはパスしました。女房様はリーダーに厳重にロープ保護されてですが、ちゃんとチャレンジ成功して帰ってきたので、あとあとまでその差を言われます。
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ほんとに暑い! 投稿者: 柏雀 投稿日:2024年08月13日 (火) 13時37分 [返信] No.2018 |
台風13号さんのところも、取り敢えず大きな被害はなかったご様子で何よりでした。 我が家の2階も、現在37度ぐらい。とても人が住めるところではありません。 また、このところ全く雨が降らず、庭はカラカラ。鉢物の水やりも一仕事です。 ところで、最近の台風は、何かだいぶ北の方で発生している(と言うか、熱低から台風にかわっている)ように感じるんですが、これも地球温暖化の影響なんでしょうか。 古いファイルの中に、涼しそうな写真がありました。 この掲示板に前に一度ア ップしたことがありますが、あまりに暑いのでもう一度。 わけあって、バックの音楽が「レクイエム」になっていますが、お盆なので大目にみてください。 https://www.youtube.com/watch...
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南国宮崎より暑い 投稿者: 木器 投稿日:2024年08月13日 (火) 12時54分 [返信] No.2017 |
台風13号さん、やはり宮崎の揺れは尋常でなかったようですね。改めてお見舞い申し上げます。
もう23年にもなるんですね、台風13号さんが宮崎に居を構えられて。 それを知ったころは、「宮崎とはまた思い切り南国ですね。冬は暖かくて羨ましいですが、夏は暑くて、さぞや涼しい故郷が偲ばれることでしょう」なんて思っていた時期もありました。
しかし、もうそんなことはまったく通じません。日本全国の最高気温ランキングに、飯田(長野)がしばしば登場するようになったからです。 暑いので有名な熊谷や館林と並んで、飯田の名まえが出たときは仰天しました。 もはや飯田は、南国宮崎から見て、涼しい山国ではなくなってしまったのです。
今度、16日に灯篭流しの花火と翌日のラフティングで一泊していくお客さんたちも、暑い都会から逃げ出して、信州信濃の山奥のそのまた奥のログハウスで、さぞかし涼しい2日間が過ごせると思って来られるとしたら、期待を裏切る可能性大です。
ま、昼間暑くても熱帯夜の日数は少ないようで、朝夕の涼しさは保っているようです。そのあたりの心地よさで我慢してもらうしかありませんね。
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「生きています」宮崎 投稿者: 台風13号 投稿日:2024年08月13日 (火) 10時04分 [返信] No.2016 |
連日の猛暑に萎えながら「生きています」 エアコンは1階のみを使っており、パソコンは2階にあって最近はめったに2階に上りません。
ご無沙汰しました。一応元気です。ご心配をおかけしました。
宮崎に住んで以来23年になりますが、先日の地震はここに住んで最大の揺れでした。
ゆっさ、ゆっさとゆすぶられて、家の骨格にダメージがあったのでないかと、思うのですが、一応元通りに建っています。
何回も同じようにゆすぶられると、だんだん耐えられなくなるのかなとも思っています。
ただ、時間的には1分程度で短かく収まったので、ひと安心しています。 机の上の小物がいくつか落下しましたが、さしたる被害はありませんでした。 また、停電がなかったので、非常に助かりました。 連日35~32度の暑さが続いていて、エアコンなしでは居場所がない状況です。停電があったら非常に困っただろうと思います。
ただ、水道水が濁りました。砂が入った訳ではなく、水垢がたくさん流れ出てきたようで、風呂に水を張って時間がたつと、底にかなりの水垢がたまりました。 水タンクがゆすぶられて、水垢を洗い流したのかもしれません。
宮崎市より南の地域がさらに大きく揺れたようで、被害が大きくなっています。
南海トラフ地震は、まだまだ、まだまだ先にしていただきたいと願っています。
暑いので、食料品の買い出しと病院通いのほかはほとんど外出せず、毎日昼寝をしっかりして過ごしています。
体力の低下、認知機能の低下、行動範囲の縮小は、確実にすすんでいますが、まだまだ生きています。
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中日新聞記事 8/12 投稿者: ひらいわ 投稿日:2024年08月13日 (火) 09時40分 [返信] No.2015 |
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球拾いの栄光 投稿者: 木器 投稿日:2024年08月12日 (月) 09時54分 [返信] No.2014 |
数々のドラマを生んだオリンピックもいいですけど、こうのさんもおっしゃるように、やっぱ高校野球がいいですね。 初戦で敗れた福島の白虎隊、聖光学院は号泣している選手が多かった。まえに投手だったのにメンバー外を言われて記録員でベンチ入りしていた選手も、泣きじゃくったそうです。
五輪柔道の阿部詩(うた)ではありませんが、これほど子どものように泣きじゃくる若者がまだいるんですね。しらけ世代と言われる割に……。 先週の俳壇でしたが、こんな句がありました。すみません、まだ敗者モードから抜け出していないようで。 「球拾ふだけの青春雲の峰」(柏市 藤嶋務、小澤實選・評)
【評】高校の野球部の補欠には、打球を拾うだけの毎日が続くのだろう。しかしながら、その毎日からもたしかに学ぶものはあるはずだ。
そうなんです。泣くも笑うも選手として出場できればこその話で、それは全体からすればほんの一握りの恵まれた人たちですよね。 そうでない多くの人を思うと、こだわるようですが、あの名歌「栄冠は君に輝く」も、そこに目配りした部分があってもいいのではないかと、3番の替え歌を作ってみました。
勝利の冠を手にする人ばかりではなく、負けた人はもちろん、人知れず出場を逃し、補欠に終わって涙を流した人もいる。その悔しさや涙にも、「栄冠」を上げたいという気持ちを伝えたいのですが……。 どなたか、もっといい案がないでしょうか。
3.空をきる 球のいのちに かようもの 美しくにおえる 友情(こころ) 若人よ いざ 緑濃き 棕櫚(しゅろ)の葉影で 涙拭く 友をたたえん ああ 栄冠は 君に輝く
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大社が勝っちゃた 投稿者: こうの 投稿日:2024年08月12日 (月) 03時12分 [返信] No.2013 |
高校野球じゃぁ、ピンチランナー あるみてぇだに 相模の追っかけやっとった、おらぁ-にゃぁ、こてぇられん、今日の第2試合な 大太鼓が♩デ-ン♩と始める応援合戦、 ハラワタに、ズド-ンとむしゃぶるいな、すっくと、させてくれるんだにィ-
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誰か教えて 投稿者: 木器 投稿日:2024年08月11日 (日) 16時52分 [返信] No.2012 |
今日、高校野球を見ていて、疑問です。解説者もよく説明してくれないので、ネットで調べたのですがやはりよくわかりません。
大社高校の投手がヒットで出塁したのですが、なにか胸の下のところ押さえています。打ったときに捻ったかどうかして違和感があったのか、そのまま走れないようで治療のため引っ込みました。 すぐピンチランナーが塁に出たので、ああ、このピッチャーは好投して報徳学園を抑えていたのに、あとは投げられないと思っていました。 ところが次の回に、まえと同じこの投手が出てきたのです。えーッ!? プロ野球などではありえない光景ですよね。驚きました。
解説者かアナウンサーが「臨時代走」ですね、と言っていたような気がするのですが、私は知らない言葉です。ネットで調べてみると、なんでも高校野球だけの特殊なルールらしいのですが、わかったようなわからないような、釈然としないので、高校野球に詳しいどなたか、教えていただけませんか?
長年、高校野球を見てきて、こんなことも知らないのかと笑われるかもしれませんが、聞くは一時の恥、聞かないで一生の恥にしないように、お願いします。
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あつぎお見舞い 投稿者: 木器 投稿日:2024年08月11日 (日) 10時49分 [返信] No.2011 |
南海トラフがらみの九州の地震や北海道の地震。宮崎の台風13号さんや石狩市の chie-nie さんにお見舞い申し上げようとしていたら、今度は神奈川・小田急沿線のコーメイさんからも地震ご報告。 いろいろ大変でしたね。該当地域にお住いの皆様に、改めてお見舞い申し上げます。
不謹慎かもしれせんが、コーメイさんの題名の二つの「あつぎ」を見ているうちに、この炎暑のなかでなおさら暑くなりました。「うすぎ」だったらまだラクだったかと。「あつぎ」では冬の災害のほうがラク?なんて、ざれごと、失礼しました。 それにしてもなぜ奥様のカギは開かなかったのでしょうね。そして、それを解決したちょっとの工夫というのを教えてください。後学のために。
当方も孫の家で夕飯が終わったころだったでしょうか、突然、ズンと来て家がミシリと軋みました。 孫はキャッと言って父親にしがみつきました。さすがジイジよりパパです。ママはお仕事からの帰り道でまったく知らなかったそうです。 ただそれだけで、そのあとはここ大田区周辺、揺れも何もさしたる被害はなかったようです。
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あつぎの地震 投稿者: コーメイ 投稿日:2024年08月10日 (土) 19時52分 [返信] No.2009 |
投稿のタイトル「あつぎの花火」の次が「あつぎの地震」とは!
昨日の地震に関しては、お電話、メール、LINE等で、ご心配、お見舞いいただくなど、有難う御座いました。強烈な揺れも時間が短く、大事に至らなかったので、ホッといたしました。震度5弱は、4カ所で、厚木市が殊の外目立ってしまいました。
我が方のこの1日は、朝から、多少なりとも、平常とは言い難い状況が続いておりました。 この日は、市立病院眼科、4カ月に1度の診察の日で、診察予約時間は、9:00から9:30と思い込み、それでも、早く行けば、早く診てもらえるだろうと、8:20に受付を済ませ、眼科に書類を提出しました。後は、検査室で眼圧検査、主治医の診察となるのですが、前回4月の時と比べ、不思議なことに、多くの患者が待っており、なかなか呼ばれません。
市立病院の診察開始時刻が8:30となったようで、我が順番は、8:30から9:00、9:00から9:30の後の9:30から10:00となっていました。結局診察が終わったのは、10:30頃でした。
薬局で投薬を受け、本厚木駅に自転車を預け、町田のデパートへ買い物に向かいました。神さんは、何時も一緒だが、この日に限って、美容院へ行くということで、珍しく別行動としました。
先に帰宅した神さんから電話のあったのは、町田の手前、小田急相模原に到着する頃で、家に着いたが、鍵が固くて開かないというのです。急いで引き返すことにしました。本厚木まで戻って自転車で帰るとすると、スイカで退場となり、時間の経過で、駅員の尋問?が気になる。海老名で降りれば、多分問題ない。海老名からは、バスがある。スマホでみると、ギリギリ間に合いそうだ。走った。くたばった。家に着くと、神さんは暑さの中、何とか持ちこたえていました。鍵は、ちょっとした工夫で開きました。丁度お昼のチャイムが響いていて、兎にも角にも、これで、一見落着なんですが……。
震度5弱は、それから5時間57分後でありました。
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○○恋し 投稿者: chie-nie 投稿日:2024年08月10日 (土) 15時57分 [返信] No.2008 |
ワタクシはほとんど気づきませんでしたが、さっき地震があったそうです。津軽海峡辺りが震源のようだから関連はないと思いますが、あまり気持ちがよくない…
思わぬ場所で発生した台風の今後の進路も不安だし、ほかの災害と重なったりしたらどうすればいいのかしらん。生来楽天的!なワタクシですが、さすがに、なんの備えもせずにのんびりオリンピックなど見ていていいのかと思ったりしています。これまでなんとか過ごして来られたのは単に幸運だったからかもしれないのに、ね。
当地方では4月から夕刊が廃止されました。余白が多すぎて新聞らしくない、とか、どうでもいい記事が多い、とか、来るのが普通だったころは文句ばっかり言っていたのに、いざ来なくなってみると、これがとても寂しい。確かにパソコンやスマホでも記事は読めるけれど、やっぱり違う。勝手だけれど、まさに「夕刊恋し」、「紙恋し、です。特にいまは日本選手の活躍の様子など、せめてTV報道と同じ日に見たいのに。
後先になってしまいました。 いつかその時が来るかもしれないけれど、大きな災害になったりしませんように。願うことはそれだけです。ワタクシらしくない、かな?
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敗者復活戦 投稿者: 木器 投稿日:2024年08月10日 (土) 11時25分 [返信] No.2007 |
バリ五輪も終わりに近づいていますが、柔道などの競技で使われている「敗者復活戦」という言葉に、小生、なんか違和感を感じちゃうんですよね。
準決勝まで勝ち残れなかった選手に、まだチャンスがあるのはありがたいんですが、「お前は負けた。敗者だ。けど、も一度チャンスを与えよう」と言われているようで、いや、事実そういう意味なんでしょうが、なんかこの言葉が出るたびに繰り返される「敗者」決めつけが可哀そう。 歯科医師の試験に落ちた人のためなら、いいんでしょうけどね……(笑)。
日本人に多いと言われる判官びいきなのかもしれません。しかし、今、熱戦展開中の高校野球でも、勝ったチームは歓喜のうちに校歌の演奏を聞くことができますが、負けたチームは涙と共にそれを聞かされながら去っていくだけ。ここでもその「敗者」見せつけが可哀そう。 古関裕而作曲の大会歌「栄冠は君に輝く」は大好きな歌ですが、これも「栄冠は君に輝かなかった」チームにとってはつらい歌かもしれません。 もっとなんか「敗者」に対する思いやりというか、健闘をたたえ敬意を払う表現や扱いはないものでしょうか。 「敗者復活戦」で表示される英語は repechage で、リペチャージと読むそうですが、もとはフランス語の repêchage(ルペシャージュ)、「水中から引き上げること、再び釣り上げること」とか「(落第生の)追試験」という意味もあるそうです。
「落第生」はあまりありがたくない言葉ですが、「追試験」は再チャレンジの意味でそれほど不名誉な感じはないのでは? これをもじって「敗者復活戦」でなく「再挑戦」はダメでしょうか。意味がぼけてしまうでしょうかねー。
高校野球は、敗者の健闘をたたえて、負けた高校の校歌を流してほしいと、まえから言っているのですが、やはりダメのようですね。
人生における敗者の経験を繰り返した己が身の、単なる僻目にすぎないかもしれませんが……。
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蝉時雨 投稿者: 木器 投稿日:2024年08月07日 (水) 06時25分 [返信] No.2006 |
今週の読売俳壇に、次の句と評が載っていました。
「生きるのに疲れたけれど蝉時雨」(筑紫野市 二宮正博)
【評】意気消沈して木の根っこに腰を下ろした。しかし、一心不乱の蝉(せみ)の声に力を得て、やがて立ち上がった。口語表現が心の変化をよく伝える。(高野ムツオ)
真夏の暑さの伴奏曲のように、ひたすらジリジリジリと木々の間から降り注ぐ蝉時雨は、何かドラマや人生の一区切りを示すような1シーンを感じてならないのです。
何度か書いたと思いますが、親しい友人が妻を亡くし、葬儀の場で号泣しているところへうるさいほどの蝉時雨。思わずこうつぶやいていました。
「友よ泣け泣くしかないよ蝉時雨」
しばらくしてネットで偶然、こんな句を見つけました。
「蝉時雨赤子泣け泣けもっと泣け」(花輪厚子)
そして何よりも忘れられないのは、終戦の日の蝉時雨です。まだ4歳と幼かった小生が覚えているわけはないのですが、いろいろなところでこの日の蝉時雨のことを目にします。 昨年の終戦記念日の東京新聞社説には、こんな俳句の引用もありました。俳句の前後も併せて転記します。
「一九四五(昭和二十)年の八月十五日、列島の大半は晴れで、やはり、セミの声がうるさいほどだったといいます。<玉音のあの日も今日も蟬(せみ)しぐれ>高村寿山。国民は、七十八年前の今日、初めて長かった戦争が敗北で終わったことを知らされたのでした。」
これは本当に歴史の一区切りの背景音としての蝉時雨です。
そしてあの藤沢周平の名作『蝉しぐれ』のあの最後の場面。印象的でしたよね。 少年時代から思いあっていながら、心ならずも藩主の側室になっていたお福との束の間の逢瀬の後、文四郎(助左衛門)はかすかな悔恨に似た気持ちとともに、「会って、今日の記憶が残ることになったのをしあわせと思わねばなるまい」と思いながら馬を走らせます。
――顔を上げると、さっきは気づかなかった黒松林の蝉しぐれが、耳を聾するばかりに助左衛門をつつんで来た。蝉の声は、子供のころに住んだ矢場町や町のはずれの雑木林を思い出させた。助左衛門は林の中をゆっくりと馬をすすめ、砂丘の出口に来たところで、一度馬をとめた。前方に、時刻が移っても少しも衰えない日射しと灼ける野が見えた。助左衛門は笠の紐をきつく結び直した。 馬腹を蹴って、助左衛門は熱い光の中に走り出た。――
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中日新聞・8/6 投稿者: ひらいわ 投稿日:2024年08月06日 (火) 12時42分 [返信] No.2005 |
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