出ちゃかんに 投稿者: こうの 投稿日:2026年04月30日 (木) 09時12分 [返信] No.3370 |
「外へは出んなッ!」 どでけ-声で、めえ朝、車から、むすこはひとりになる母に、言っちゃぁ、出かけとる
春のいい陽気なもんでナン 外へ出て-はナァ-、おんもへ、、
慶さん、昼時 でんぐりけ-とった 倒れ、灯油タンク下で、挟みこまれて、うずこまっとる百歳お婆ちゃ 叫び声聞いた
休みで借り畑におった娘(看護師)と向いの奥さん(たまたま窓を開けていた)が、そこんとっから、ぬけださせた
わしも、てえげぇだけど、3人で部屋へ運びこんだ 打ち身の確認してみたんだ 何とか痛む両ひざを使って、這いずって敷き布団まで行けたわ けど、娘が立たせて、めえへ行かせっとすっと、後ろへ尻もちつきそうになる、とかで不安、心配事
水分補給したりして、伊那市からの息子の帰りを待った
くち、口がまめ、ずでぇ達者でナン 自分のことから、 初対面の俺たちにも、エレ-気くばりのできての、まったく、とぎれんスピーチ
俺がシャッポ取ったら 「おにいま、かとおもったら」 「おじいさん、かなッ」だと 聞こえそうもねえから、反論せん
どこを打っとるかわからんら、 ひざも、おでこも赤くなっとるで 救急呼んで健和会病院、ウ-ウ-ウ- 本人、ズボン変えなきゃ おしやれ-ッ
検査、結果、オ-ライ かえって、恐縮しちゃう 高級チョコ菓子、もらっちゃった。 いいんだらか
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ご参考まで 投稿者: コーメイ 投稿日:2026年04月29日 (水) 21時09分 [返信] No.3369 |
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とれない 投稿者: 柏雀 投稿日:2026年04月29日 (水) 17時44分 [返信] No.3368 |
むかし、うちの子はまだオムツがとれない、なんて親はこぼしたものだったが、我が家では、もう5月の連休が始まろうと言うこの時季になってもまだ「コタツがとれない」
六七年前、小学校にあがったばかりの孫娘が来て、「おじいちゃんち、まだコタツなの⁉️」と咎めたことがある。
ついこの間まで、オムツをして尻をモゴモゴさせながらアンヨしていたくせに、えらそうな口をきけるようになってと嬉しかったものだが、あれがトラウマになったことも事実。
だから、早くコタツをしまおうと思うのだが、今日だって外は冷たい雨。やっぱりしまわなくてよかったとおもう。
そう言えば、三十年以上前のことだが、何かの用事で5月の連休に伊那市へ行った時にアラレが降ったことがある。
この記憶なんかも、コタツをしまえない言い訳になっているかも知れない。
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「飯田の大火」の大きさ 投稿者: 木器 投稿日:2026年04月25日 (土) 10時19分 [返信] No.3367 |
コーメイさんの投稿に、改めて「飯田の大火」の大きさを感じています。 念のため点検してみると、大空襲や大震災を除く都市火災の中では、焼損4000戸を超える「飯田の大火」は戦後最大のものだったようですね。
100万戸を超える全国各地での大空襲被害や大正の関東大震災21万戸は桁違いですが、阪神淡路大震災では7000戸、東日本大震災では津波による流失・損壊が圧倒的に多く火災だけの統計は284戸でした。
そしてこれらの大災害以外での戦後の大火となると、やはり飯田がトップで、2位以下は飯田と同年の秋田が2000戸、1976年の酒田が1774棟、1954年の釧路が1200戸、1955年の別府が1000戸となっていました。 コーメイさんの「我が国の大火100」と照らし合わせていただければと思います。
改めて「飯田の大火」の大きさと、それが与えたその後の飯田の街づくりや文化、人々の体験や記憶に及ぶ物心両面での計り知れない影響を再認識させられました。
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リニア展望台 投稿者: ひらいわ 投稿日:2026年04月25日 (土) 07時58分 [返信] No.3366 |
中日新聞記事、4/23  NHK長野 
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大火に思う 投稿者: コーメイ 投稿日:2026年04月24日 (金) 21時19分 [返信] No.3365 |
仕事上、「消防白書」を机上に置くことになった頃、その巻末に「我が国の大火100」という資料あった。「飯田市」が100のうち、何と2回出てきて、驚いた記憶がある。
昭和21年7月 15 日 焼損棟数198、 焼損面積 3万3,500平方メートルの被害。 昭和22年4月20日 焼損棟数3,742、焼損面積48万1,985平方メートルの被害。
1回目の記憶は全くないが、2回目は、朧ながら頭に残っていることがある。
「お祖父ちゃの家が焼けちゃう」といってベソをかいたこと。箕瀬2丁目は風上で、被害はなかったが、お祖父ちゃの家は、知久町3丁目で、印刷業に必要なインクの油に引火し、真っ先に火炎に包まれた、と後日ある方から聞いた。
母親の本家、大横町の魚やには、代々伝わる家系図があったが、丁度その頃、表装しようと、業者に預けていた為、焼失してしまった。本家では、仏壇に保管していた家系図の解説書とでもいうべき、「解録」なる資料があって、これは、持ち出して、無事であった。
地震、津波、山火事等、近年の大規模な災害の頻発は、人間同士の無謀な争いの激化と併せ、心休まるときが無い
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異邦人ハーフ 投稿者: 木器 投稿日:2026年04月23日 (木) 15時27分 [返信] No.3364 |
飯田の大火、学校に上がるまえの年のことですから、当然、皆さん記憶もはっきりしておいででしょう。 それぞれが、いろいろな体験をお持ちなんですね。
そして各人それぞれ違った体験であっても、「飯田の大火」という大きなくくりで、我ら同郷人の共通体験でもある。こういう体験は、36災害にしてもリンゴ並木にしても、校歌に歌われるような山紫水明、四季の移ろいや年中行事にしても、我ら同郷人の証のようなものでしょう。
かくいう小生も、その一員である、少なくとも高校時代までの期間において、共通体験の持ち主であると思ってきました。 でもその思いの中で、ときどきふっと、自分はちゃんとした同郷人ではない、共通体験の重要な部分が欠けている、ということを感じることがありました。
その最大なものがこの「飯田の大火」経験です。 じつは小生の家族は、この大火のときまだ飯田にいませんでした。県の役人だった父親の転勤とともに、埴科や木曽、そして上田・岩村田などを転々とし、やっと父の故郷・飯田へは23年の春、着任しました。 木器少年も、この年から初めて飯田に住むことになり、同時に小学校へ入学したわけです。
「飯田の大火」は、父の職場でも大事件だったでしょうが、転勤の騒動の中で少年の耳にはあまり入ってこなかったのか、当時の記憶に大火関連のものがほとんどありません。 飯田の住民としては、これは少数派に属すでしょう。その意味で木器は、他の飯田生え抜きの皆さんとは違う、同郷人としては何かが欠けていて、半分「異邦人」のような感覚がどこかにあります。
ま、それでも故郷を愛する気持ちに変わりはないということで、「異邦人ハーフ」の木器ですが、せめて同郷人の末席にでも座らせていただきたく、今後ともずっと仲よくしておくんなんしょ。
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小田急線 投稿者: コーメイ 投稿日:2026年04月22日 (水) 09時47分 [返信] No.3363 |
20日、月1回の「歌例会」 おたぐりさん、木器さんのお骨折りで、もう、1年以上になりますか!感謝!感謝!です。
会場の新宿は、近くもあり、遠くもあり。年寄には、現役の頃とは異なるものを感じさせてくれます。若人は、総じて大柄で、高齢者や外国人も多々乗り合わせています。
昭和54年から令和元年まで、通勤に小田急線を利用、本厚木~新宿、山の手線で渋谷までの往復でした。当初は、和泉多摩川~新宿間がノロノロ運転で、その時間の浪費と混雑は、並大抵ではなかった。ようやく複々線化されて、少しはましになりましたが、ある時期から、帰宅をロマンスカー利用に切り替えたものでした。
この度は、「歌例会」出席のため、バスで、「本厚木駅」まで行ってみると、「人身事故」のため、ダイヤが乱れている、との場内放送。ここは、小田急本線(小田原線)ですが、事故は、江ノ島線の「大和」「桜ヶ丘」間で、3時間程前のこと。 新宿行の「快速急行」は、1時間ほど待って、やっと乗り込む。満員電車に押されて、辛い!25分程の我慢から解放されたのは、座っていた若い女性が「相模大野」で降りたから。
新宿駅は、到着・出発が込み合って、駅近く迄きているのに、列車は動かない。解放されたのは、本厚木駅のホームに昇ってから1時間40~50分は経っていました。
今では、月1回程利用するに過ぎないのに、こんな目に遭うんだ!と嘆き節でも歌いたい気持ちでした。
日中のダイヤ、運転本数等も、以前とは相当様変わりしているように感じます。
そういえば、駅のアナウンスも、数か月程前から、唯「本厚木」ではなく「本厚木・東京農大厚木キャンパス最寄駅」というようになりました。
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サクラサクラ 投稿者: chie-nie 投稿日:2026年04月22日 (水) 00時58分 [返信] No.3362 |
そうでしたか、4月は覚えていても20日だったか21日のことだったか。遠くに上る煙を見つけて開いたばかりのお弁当をゆっくり食べる間もなくそそくさ片付けた場所が、大宮だったのか今宮だったのか。記憶はあいまいなまま。 そのまま母に手を引っ張られるようにして大急ぎで家に帰ったはずですが、当時大量に届いていた新学期用の大事な教科書を燃やすわけにはいかないので我が家は大忙し。足手まといのワタシは知り合いの家に預けられて一人で心細い思いをしていましたっけ。緊張しすぎて夜遅く家族の皆と顔を合わせても泣くこともできなかったみたいです。 結局燃えている火は一度も見なかったので、火事の実感は焼け跡でしたね。思い出すのは煙を見て感じた胸騒ぎ(ホントだよ)くらいかな。それがワタシにとっての大火です。 思いがけなく昔を思い出してしまいました。消してもいいけどお読み捨てください。
気分直しのこちらの春、防風林の春は下から始まります。雪の下から笹が顔を出すと低い木から葉をつけ始め、繫って緑が目立つようになるとようやく高い木の順番になる。今日あたり上からみるとポプラやシラカバはいくらかふくらみが見え始めた程度。ヤマザクラが数本あるはずですが、まだまだ。今日は出先のあちこちでサクラをみかけました。こんなところにもあったのね、という感じ。サクラって咲かないと目立たないのかもしれない。 木の花は好きなので、見つけると買ってきます。今は桜の枝ですが花は終わり、桜餅を包めるほどではないけどたくさん出てきたので葉桜を楽しんでおります。
ではオヤスミナサイ。
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「打たれた」歌例会 投稿者: 木器 投稿日:2026年04月21日 (火) 10時05分 [返信] No.3361 |
東京三五会有志による「歌例会」の4月版です。 例によって皆さんの熱唱熱演ぶりに打たれました。 下記、演目の数々からご想像ください。
何回聞いても「いいな~」の定番十八番もいいし、「へ~、こんな歌知ってんだ!」もいい。 なかなか心打たれる歌が多くて、この歌例会は「打たれー会」でもあると、改めてそんなことを感じさせてくれました。
◆おたぐり ――おまえに(フランク永井)、青春の城下町、白いブランコ、 赤いハンカチ、奥入瀬(山本譲二) ◆日野爺 ――愛のままで(秋元順子)、二人でお酒を、年上の女(ひと)、 黄昏のビギン、私鉄沿線 ◆熊文 ――涙(なだ)そうそう、秋桜(山口百恵)、サライ ◆木器 ――恋の街札幌、勘太郎月夜唄、潮騒のメロディー(高田みずえ)、 心の友(五輪真弓) ◆コーメイ ――女ひとり、童神~ヤマトグチ~(夏川りみ)、シクラメンのかほり ◆ボラ ――昔の名前で出ています(小林旭)、霧子のタンゴ(フランク永井)
なお、5月例会は早々と14日に決まりました。 というのも、この日は今までの常連メンバーに加えて、遠方から意外な初参加メンバーの登場があるからです。
さてどなたでしょうか。ぜひ皆さん、この意外メンバーにも会える5月例会にご参加ください。 パーティー気分で、広めの部屋を予約しておきます。
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遠い記憶 投稿者: 柏雀 投稿日:2026年04月21日 (火) 08時44分 [返信] No.3360 |
幼いころの記憶の中で、日付けが同定できるのが飯田の大火。
お袋の里の伊那市(当時は伊那町)へ行った帰り、消防団の人たちが慌ただしく電車に乗り込んできた。いま考えると高遠原あたりではなかったか。その人たちが指差す暮れかかった遠くの空が赤く染まっていた。 今でも記憶に残っているのは、その時の雰囲気がただ事ではなかったからでしょうね。
あれから79年。りんご並木に今年も白い花が咲いているんだとか。
次いでながら、柏雀もただいま冬眠中です。
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中日新聞記事 投稿者: ひらいわ 投稿日:2026年04月21日 (火) 04時16分 [返信] No.3359 |
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南信州新聞記事(4/18) 投稿者: ひらいわ 投稿日:2026年04月21日 (火) 04時15分 [返信] No.3358 |
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超おぼろ 投稿者: 木器 投稿日:2026年04月20日 (月) 08時03分 [返信] No.3357 |
terraさん、ほんと、は~るかぶり。 それと山吹鉄砲も超懐かしい、というよりおぼろな記憶がよみがえりました。
山吹の茎を剝いて中の白いスポンジ状のズイを取り出し、ねぶってツバをつけ、細い竹筒の両端に詰めて棒で押したんでしたね。 もうかすかな記憶しかありませんが、たしかに少年時代やったことがあります。
これが、賊軍を撃つ子どもなりの武器?だったとはなーるほどの連想ですが、さすがそこは歴史研究家terraさんならではの素質、少年時代からすでにその片鱗が見えますよね。
春から初夏、冬眠からもそろそろ覚めて、掲示板へももっとしばしばお出かけておくんなんしょ。
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山吹鉄砲 投稿者: terra 投稿日:2026年04月19日 (日) 13時10分 [返信] No.3356 |
幕末山吹藩は、官軍に味方していた、 賊軍をこら占めるめため、子供も 山吹鉄砲を作って、応戦した。
ごぞんじヤマブキの芯が鉄砲玉です? あの白い弾力性があり、 他方の穴から,つめて反対に出て、敵をせん滅するのです。
小生、只今冬眠中です。
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山の名ありがとう! 投稿者: 木器 投稿日:2026年04月19日 (日) 11時17分 [返信] No.3355 |
柏雀さんもひらいわさんも、ありがとうございます。 かつては毎日この山々を見ながら生きていたはずなのに、今改めてどこにどの名の山があるか、知らないと落ち着かない気分になります。
これも柏雀さんおっしゃるところの「望郷」の念の一端かもしれませんが、小生の場合「忘郷」の度合いが強くて気が引けます。
念のためですが、教えていただいた山の名によれば、トップ写真の山の2枚目は南駒ケ岳方面というよりむしろ本高森山方面になりますか? 2枚目の真ん中よりやや右、山のへこんだところに、手前の山のてっぺんがあるように見え、これが本高森山かと思ったのですが……。
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2枚の中央アルプス(3) 投稿者: 柏雀 投稿日:2026年04月19日 (日) 09時12分 [返信] No.3354 |
本高森山の位置を平岩さんが教えてくれました。
この写真をご覧ください。
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2枚の中央アルプス(2) 投稿者: 柏雀 投稿日:2026年04月18日 (土) 16時40分 [返信] No.3353 |
木器さん、その通りです。
「下の写真のほぼ中央が、上の写真の雪をかぶったあたり」です。
それから、本高森山。位置をご説明するのは難しいですが、安平路山から越百山に向かって3分の1ほど進んだところに、山の形がへこんだところがありますが、本高森山はだいたいそのあたりです。
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2枚の中央アルプス 投稿者: 木器 投稿日:2026年04月18日 (土) 07時51分 [返信] No.3352 |
柏雀さん、早速にコメントありがとさんです。 このパノラマになった中央アルプスと、そのずっと下、柏雀さん提供の「日本最大の谷」にある中央アルプスを比べて見ているのですが、下の写真のほぼ中央が、上の写真の雪をかぶったあたりでしょうか。 これについても、解説していただけるとありがたいのですが……。
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怠らず? 投稿者: 木器 投稿日:2026年04月18日 (土) 07時45分 [返信] No.3351 |
そっかー、こうのさんありがとな!
♪せんよーの学徒ーぉぉ、怠らずー、 このだーいたくのーぉぉ、ただー中に……
の大沢だったんですね。 歌には「怠らず」とありますが、どうも怠っとったよーで、 すぐピンとこなんだ、お恥ずかしの一幕。
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