ご協力、大感謝!! 投稿者: 木器 投稿日:2022年06月11日 (土) 19時08分 [返信] No.403 |
tomo さん、そしてメールくださったおたぐりさんも、旧掲示板の保存にご協力いただけるとのこと、まことにありがとうございます。
保存していただいたデータを、どのような形でお送りいただくか、大容量になりますので、こちらからUSBメモリーをお届けしてそこにコピーしていただくか、「データ便」のような大容量データ送信サイトにアップしていただく方法がいいか、検討してみます。 私自身のメールは、投稿欄のメール欄に上げておきます。
早速にお申し出をいただいたので、さらにこの方法で間違いないか確認し、併せてご連絡させていただきます。どうぞよろしくお願いいたします。
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旧掲示板保存の件 投稿者: tomo 投稿日:2022年06月11日 (土) 17時58分 [返信] No.402 |
木器様のご意向よく分かりました。気持ちばかりの協力をさせていただきます。思いがけない命令を受けていて時間が無かったので、350~374だけをお送りしたいと思います。 お送り方法、送り先等ご指示願います(メールで)。管理人様宛のメールは受け付けてくれませんので・・・
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管理人へのメール 投稿者:木器 投稿日:2022年06月12日 (日) 06時11分 No.405 |
tomo さん、この度はありがとうございます。ただ、管理人へのメールが受け付けられないというのは申し訳ないことなので、事情を詳しくご説明いただけませんか?
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乞う!ご協力 投稿者: 木器 投稿日:2022年06月11日 (土) 04時24分 [返信] No.401 |
7月いっぱいで閉鎖になる旧掲示板のコンテンツ、つまり過去の投稿を何とか保存できないものかと問い合わせたのですが、業者としての対応は望めないことがわかっています。 そこで、ユーザー側での方法を探していたのですが、どうも次の方法でやってみるしかなさそうです。
① 旧掲示板の最下部にある表示ページの選択で、全373ページある中の所定のページを表示させる。1ページに投稿の30件ずつが入っている。 ② ページ最上部の右上、…マークのメニューから「その他のツール」→「名前を付けてページを保存」と進み、あらかじめ用意した「旧掲示板保存」のフォルダーに保存する。 ③ 「★★★SANGO-kai OPEN★★★ - 2071~2100件目」といったファイ名で保存されるので、またページ最下部に移動し、次のページ番号で同じ作業をする。
この方法で、現在、もっとも古い1ページから70ページ目、件数で2100件の保存が終わりました。毎日少しずつ進めようと思うのですが、なにしろ373のうちの現在やっと70ですので、どなたかに同じ作業を分担していただけると大変助かります。 もし協力してやろうと思われる方がいらっしゃったら、ご連絡いただけるとありがたいのですが……。
作業としては、それほど難しいものではありませんが、なにしろ同じ作業の繰り返しで疲れます。200ページ目くらいから始めていただき、50ページくらいずつ何人かでやっていただくのが、もっとも理想ですがいかがでしょうか。
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なんと! 投稿者: 木器 投稿日:2022年06月11日 (土) 02時51分 [返信] No.400 |
おやおや、これだから数字オンチは困るんですよね! コーメイさんありがとうございます。50万カウントまでの日数の計算を正しくしていただいて感謝です。この掲示板のスタート日から、ちゃんとうるう年まで考慮して緻密な計算をされるとは、やはり長年いろいろな世話役をみごとにこなされてきた頭脳の確かさは、まったく衰えていないと感服です。 小生など、掲示板管理者でありながら、どこでどう間違えたのか計算が一桁も違っていました。それと毎日の増加数の割り出しも、まあいい加減なものでした。
昔から数字は苦手で、だから会社の経理などまるでちゃらんぽらん。その結果、大勢の人に迷惑をかけることになってしまいました。 思わぬところで、改めて一生の不覚を思い知らされることになり、「振り返るにはまだ若い!」とも言っていられません。 とはいえ、いまさらこの数字オンチは治るもんでもないし、せめて久しぶりに歌でも歌って、こっちのオンチ度が進んでいないかどうか確かめてきます。
コーメイさんの正しい計算による50万カウント達成予定日、11月8日前後にはなんとか達成記念のパーティをやりたいですね。そのころコロナ禍や戦争、安保不安・経済不安ほか、厳しい世情はどうなっていますか。
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振り返るには、まだ若い! 投稿者: コーメイ 投稿日:2022年06月10日 (金) 20時46分 [返信] No.399 |
松山千春の「大空と大地の中で」に、「振り返るにはまだ若い!」という歌詞がありますが、若返って、振り返って、先を読んでみましょう。
とある事情で、ここ5日間のカウントの進み具合を記録しておりました。61,75,62,73,57で、平均約65でした。
2001年10月3日から2022年6月10日まで、数えてみると、うるう年が5回あり、7,558日になりました。490,168を割ると、約64となり、偶然この5日の平均とほぼ一致しました。
このペース(65として)で行くと、9,832カウントを確保するのは、後153日後の、今年11月8日が、50万カウント到達の日となります。
ご参考までに、40万カウントの2018年6月1日から、今日まで、1,471日で、11月10日は、1,624日目になり、この間の1日平均は、61カウントで、10万カウントをプラスするのに、ほぼ4年4カ月かかったことになります。
50万カウントは、クリアできそうですが、ハテサテ、延び延びのテイの「リニア」はどうなりますか、「振り返って」「まだ若い!」とは、とても言えないずら、ナアーーー!
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49万カウント 投稿者: 木器 投稿日:2022年06月10日 (金) 15時02分 [返信] No.398 |
お陰様で何日かまえに当掲示板のカウントが49万を超えました。 今日6月10日現在、目標の50万までにあと9844カウントですから、このところの一日当たりのカウント増分、約80で割ると、1230日となります。
こうした単純計算でも、まだまだ3年半近い年月がかかり、現実には日に日にカウントも減っていくでしょうから、果たして管理者の目の黒いうちに達成できるかどうか。
なんて先のことを考えるといやになりますから、せいぜい認知症防止のためのカラオケでも歌って、元気をつなぐことにいたしましょうぞい。
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武甲山のふもと 投稿者: 木器 投稿日:2022年06月08日 (水) 10時06分 [返信] No.397 |
おたぐりさんの健脚ぶりは、うらやましい限りですね。 たしかに、緑の森の中を歩くのは気持ちがいいでしょうが、往復で何時間くらいでしょうか。 丸山に登って武甲山の威容も眺めたいですが、小生などが行けるのはせいぜい武甲山のふもと、羊山公園のサクラソウぐらいです。 それも何年もまえに一度行ったきりで、よく覚えていません。
この土曜日から4日ばかり、飯田に行きますので、平岩さんなどに聞いて、どこか楽なところに行こうかなと思っていますが……。 それと様子を見て、田舎の弟と3年越しのカラオケに行けるかどうか。それはまだ未知数の可能性(ちょっと大げさか)です。 志賀先生のブログにも、演歌は認知症の特効薬とありましたし、まだ発作を起こすほどではありませんが、暴言・暴行を防ぐためにも、せっせと歌を歌いましょう!(という口実もあります)
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演歌は認知症の特効薬 投稿者: 木器 投稿日:2022年06月08日 (水) 09時58分 [返信] No.396 |
またまた志賀先生のブログで「歌の効用」です。 もちろん投稿欄の上にあるこのブログのリンクから読んでいただくのが一番いいのですが、ご用とお急ぎの人のために、下に引用させていただきます。
テーマ:ドクター志賀のとっておき情報
①認知症の暴言、暴力に手を焼く病棟スタッフたち
認知症が進むと、中には暴言、暴力が頻発するようになることもあります。 想像できないでしょうが、その突然暴れ出す姿に、病棟スタッフは困り果てることがあります。 あまり症状が激しい場合には、統合失調症の薬を投与することが、特例として健康保険で認められています。
②薬より演歌が効く時がある。
そんな発作的な症状を起こした時には、意外な程、音楽療法が有効です。 曲目としては、患者さんの年齢にふさわしい懐メロが特効薬になることが、しばしばあります。 例えば、80代の患者さんでは、昭和10年から20年にかけて流行った歌が効きます。
・人生劇場 ・赤城の小守唄 ・名月赤城山 ・野崎参り ・チャンチキおけさ
が当院のベスト5です。
③歌に聞きほれる患者さんたち
♪男ごころに男が惚れて 意気がとけあう赤城山
その「名月赤城山」の曲が流れ始めると、きょとんとした顔をして患者さんたちは聞き耳を立てます。
♪やると思えば どこまでやるさ それが男の魂じゃないか 義理がすたれば この世は闇だ なまじ止めるな 夜の雨
あんな女に未練はないが なぜか涙が流れてならぬ 男心は男じゃなけりゃ 解るもんか とあきらめた
村田英雄さんの太い声で、この人生劇場が流れると、両隣の病室の患者さんまで体を起こして、隣の部屋に顔を向けようとします。 こんな光景が、今、高齢者を預かる入院病棟では、毎晩のように起こっているのです。 私は暇があれば、院長室で認知症のための懐メロ探しに熱中しています。 本当に医者ともあろう者がバカですね。
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武甲山 投稿者: おたぐり 投稿日:2022年06月07日 (火) 15時08分 [返信] No.394 |
久しぶりに山に登りました。埼玉県横瀬町の丸山です(806m)。標高は風越山より低いですが、かなりきつく苦労しました。81才のせいでしょうか。 ですが緑の森の中を歩くのは気持ちいいものです。
写真は丸山頂上からの「武甲山」。西武線をはさんで南側にあり、相変わらず堂々とした威容を誇っています。
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三日おくれの・・・ 別便 投稿者: tomo 投稿日:2022年06月07日 (火) 09時26分 [返信] No.393 |
重量オーバー?のようでした。3枚目を別便としました。
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三日おくれの・・・ 投稿者: tomo 投稿日:2022年06月07日 (火) 09時22分 [返信] No.392 |
そうなんですね。ベニス-パリ-ロンドンがオリエント急行の運行ルートなんですね。三日おくれになりましたが写真3枚ほど付けておきます。
最初はロンドン・ヴィクトリア駅のオリエント急行です。イギリスご自慢のプルマンカーで、定員は一輛26人。国内の観光列車としても使われており、オリエント急行とも知らずに予約していました。
ホーム脇にはチェックイン・カウンターと、空港のラウンジ相当の部屋がありました。大きな荷物を持ち込んでいる人を見て、何か不思議な思いがしました。写真中央に写っているご夫妻とは隣席となり、下車後の観光で案内をしてもらいました。
列車が終着のドーバー・フォークストン駅に到着すると、何やら音楽が聞こえてきます。デキシーランド・ジャズ音楽隊の歓迎演奏で乗客を迎えてくれました。案内放送でパリ方面に行く人は黄色のバスに乗るように繰り返していましたが、それを聞いてもまだオリエント急行とは気づかず。日本に帰ってから、あの列車はオリエント急行であったのだと分ったような次第です。オリエント急行の乗車効果は大きく、我が家の女王陛下様のご機嫌も麗しかったですが、有効期限を過ぎるといつもの女王様に戻っています(これは内緒)。コロナで旅行もできずにいますが、ゆったりとした車輛での鉄道旅行は好きです。
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ベサメ・ムーチョのほかに 投稿者: 木器 投稿日:2022年06月06日 (月) 13時59分 [返信] No.391 |
志賀先生の〝二足のわらじ〟の一環に作詞家としての顔もあることは、まえにも書いたことがあります。 今日は、昨日の先生の十八番「ベサメ・ムーチョ」のほかに、先生ご自身の作詞になる十八番2曲を、じつは先生自身が歌ったのを私は一回聞いたことがあるのですが、もちろんそのときの音は残っていないので、大歌手・美空ひばりが歌った YouTube でお付き合いください。 作家・五木寛之先生が作詞家でもあることはよく知られていますが、志賀先生もじつは美空ひばりの歌、「美幌峠」「恋港」の作詞をされていて、YouTubeでも聞くことができます。 北海道出身の先生らしく、歌詞には「サロマ」「裏摩周」「和琴」「蓮葉氷」など、北海道ならではの言葉が登場し、実際に美幌峠には歌碑まで建てられています。 つぎの YouTube には、歌碑の写真も出てきます。 「美幌峠」 https://youtu.be/FZiJp...「恋港」 https://youtu.be/M3roE...
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ついでに 投稿者: 木器 投稿日:2022年06月06日 (月) 13時28分 [返信] No.390 |
志賀先生は87歳にして、現役の医師兼作家です。毎日ブログをエネルギッシュに更新されていますが、その中の一回分を紹介しました。 先日、小さな雑誌の依頼で先生のことを書かせていただいたのですが、その中から改めて少し補足させていただきます。
医学博士・志賀貢先生は、現在87歳にして現役バリバリの臨床医。しかも、すでに数十冊に及ぶ医療小説も書かれている医師作家でもあります。最初にお会いしたとき先生は40代半ばでしたから、もう40年以上のお付き合いです。
医師で作家という例は、古くは森鷗外や齊藤茂吉、最近でも茂吉の息子の北杜夫、なだいなだ、渡辺淳一や海堂尊など、枚挙にいとまありません。これは医師という仕事が、人間や人生の深部を知ることにつながるのと無関係ではないでしょう。
とくに志賀先生のように、このお年になりながら連日、院長室に泊まり込んで、患者と向き合う現代の〝赤ひげ〟のような医師にとっては、医学と同時に必要なのが人間学なのです。 先生の小説の一冊『体外受精』(祥伝社文庫)の中に、こんな言葉が出てきます。
「とくに臨床医学には、病める患者と一対一で接するという人間学の要素が大きい。人間愛というか、臨床ではまず学問の前に、人を愛するという心が要求される」
以前、取り上げた無医村の医師・将基面誠先生は、赴任候補地になった村の村長からこう言われました。
「優秀な医者はたくさんいるでしょうが、患者は診るけれど人間を診ていない。先生には人間を見てもらい、人間を生かしていただきたい」
この二つの言葉は、まったく同じことを言っています。この観点から志賀先生の〝二足のわらじ〟を見ていくと、「なるほど」と思わせられることばかりです。
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志賀先生からのメッセージ 投稿者: 木器 投稿日:2022年06月05日 (日) 11時28分 [返信] No.389 |
YouTube をのぞいたり音楽の話題になるたびに、そう言えばほんと長いこと歌ってないなー、一人でもいいからボックスに行こうかなどと思っていたら、まさにそのものずばりのお医者さんからのアドバイスです。 医学博士・志賀貢先生のブログから、そのまま引用させていただきます。(2項目めはとくに柏雀さんに献呈)
◆18番(オハコ)の一曲歌ってますか? 人生にとって歌は一服の清涼剤になります
1 歌の力
音楽は、心や体にとって、とても良い薬になります。 苦しい時には「くちびるに歌を」合言葉に、得意な一曲を身に付けて歌うようにいたしましょう。 アカペラで良いのです。カラオケでなくても構いません。オハコを鼻歌で歌うことは2つの効能をもたらします。 ①心を和ませ、独りでストレス解消が出来ますから、こんな安上がりな治療法はありません。 ②嚥下機能を強くします。 のどを使うことは、年を取ったら特に必要です。1日に全くしゃべらない日が、この2、3年の間にありませんでしたか。いや、あるはずです。 COVID-19のまん延で人と話す機会を失い、声を出さない日もあったはずです。それではのどが弱くなる一方です。それが原因で、誤嚥性肺炎を起こすこともあります。 長生きの妙薬として、歌を歌う習慣を身に付けましょう。
2 私の愛唱歌は、「べサメ・ムーチョ」です
時々、当直室でトリオ・ロス・パンチョスのCDをかけながら、一緒に歌うようにしています。 昔、学生バンドをやっていた時のオハコの一曲で、その歌を歌っている間、青春時代に戻ることができます。 小宴会などでどうしても、と請われると、この一曲をスペイン語の原語で歌います。 曲が終わると「何を歌っているのかわからない」という苦情がでます。 そこでもう一回サビの部分を日本語に訳して歌います。 「どんなに雨が降っても 風が吹き荒れても もう一度またもう一度 あの熱き口づけ べサメ・ムーチョ」 そうすると友人たちは、いかにも君らしい、さすが女たらしだけのことはある、と手を打って喜びます。 また、うちの看護師たちは、60年前に会っていれば、きっとおいしいディナーを食べさせてもらえたかも、と残念がります。 また、2番目の息子の結婚に、「父親にこの歌を結婚式で歌わせよう」と母親が言ったら、「それだけはみっともないから勘弁してくれ」と断られました。それ以来、独りでひっそりと歌うオハコになっています。
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しつこいですが追加 投稿者: 木器 投稿日:2022年06月05日 (日) 10時03分 [返信] No.388 |
・「有無」を「ゆうむ」と読むのが18、「未曽有」を「みぞゆう」と読むのが81。 ・結婚相手は両目でよく見るのが18、結婚相手は片眼で見たほうがいいのが81。 ・ピンボケで撮ると怒られるのが18、ピンボケで撮ると喜ばれるのが81。 ・女性の手を握りたいのが18、女性の手にすがりたいのが81。 ・判断力の欠如で結婚するのが18、記憶力の欠如で再婚するのが81。
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大森 投稿者: おたぐり 投稿日:2022年06月05日 (日) 09時13分 [返信] No.387 |
そうですか、大森散歩行ってくれたのですね。楽しんでくれたようでよかったです。 わたくしもその時に「会場芸術」なる言葉を初めて知ってなるほどと思ったものです。とにかく歩くと何かしらに当たるといえます。
その時は「大森貝塚」にもよりました。(写真)
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ベニスからロンドン 投稿者: 木器 投稿日:2022年06月05日 (日) 08時30分 [返信] No.386 |
そうなんです、オリエント急行はロンドンまで行っているんですね。いくつかの路線の中で人気なのは、やはりベニスから大陸をつないでロンドンまで行く「ベニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス」ではないでしょうか。 もう何年もまえに、多湖輝先生のお供で貴重な体験をさせていただきました。 すべて豪華づくめで感心しきりでしたが、ただ一つ真夏で冷房がなかったのはこたえました。最近は入っているようですね。 ベニスと言えばそれはいろいろ名所はあるし、念願のゴンドラでのカンツォーネも「カタリ・カタリ」をリクエストして歌ってもらい感激でしたが、それ以上に夕方街で見かけたグラス・ハープの演奏に聞き入ってしまいました。さすがヴェネチアン・グラスのまちです。 そのときに撮った写真が見つかったのですが、YouTube を見たら、どうもあの時の二人ではないかと思われる動画があり、オリエント急行の写真と合わせて、最後にあげてみました。 追加のグラス・ハープ演奏は、まさに至芸ともいえるパッヘルベルのカノンを多重録画で同じ奏者による4重奏にしたものです。 https://youtu.be/c_hCB... https://youtu.be/UGfts...
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「栗花落」 投稿者: ひらいわ 投稿日:2022年06月05日 (日) 08時29分 [返信] No.385 |
今朝、NHKテレビ・天気予報士が解説していました。 栗の木は農家の屋敷でよく見かけた記憶があります。 しかし、近年は里山付近でもあまり見かけません。 TOP・2枚目の写真は、上久堅神之峰付近で撮影。
*「つゆり」「ついり」と読むそうです。 ・・・人生81近くになり初めて知りました。
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おたぐりさんご推奨コース 投稿者: 木器 投稿日:2022年06月04日 (土) 15時27分 [返信] No.384 |
まえに、おたぐりさんからわざわざ、「大田区に住んでいるならこんな散歩コースはどう?」と紹介された「江戸から続く古街道、池上道」を、先日歩いてみました。 結果は大成功! お奨めどおり大収穫で、いい散歩(+鑑賞・見物)ができました。
JR大森駅から現・池上通りと古東海道・池上道を下り、本門寺・池上駅に至るこのコース内の目玉は、なんといっても川端龍子の大作が贅沢に並んだ美術館「大田区立龍子記念館」でしょう。 でも、私は大森駅からではなく、いつも買い物をするMEGAドンキホーテに行く道筋で、小さな踏切を渡り、ドンキを過ぎてすぐの郵便局前を右折すればもう、最初の目的地・善慶寺と熊野神社です。
善慶寺には、4代将軍家綱のころ領主の圧政に直訴して処刑された新井宿村の義民6人が祀られているそうです。池上通りの角に「新井宿義民六人衆霊地参道」と大きな看板が出ていました。
熊野神社と言えば、全国各地にある熊野信仰の対象には違いないのでしょうが、ここは平将門征伐に派遣された武将・熊野吾郎武道が戦勝祈願をしたという逸話もあり、由緒はダブル熊野と言っていいでしょうか。 結構きつい石段約60段を登るのは、エイティーン坊ならぬエイティ爺にとっては結構大変でしたが、上がってみると涼しい木立の中にこじんまりとした社殿と、珍しい子連れの狛犬が鎮座ましましていました。
すこし行くときれいに整備された春日神社もありましたが、ここの狛犬も阿吽とも子連れでした。 川端龍子の美術館、これは長年、大田区に住んだ龍子から、住居とともに区に寄贈されたということですが、これは区にとって大変な財産ですよね。 龍子は、床の間に飾るようなちんまりした日本画でなく、天井の高い広い展示場で映える大作が好きだったようで、横10メールもあるでっかい作品が何枚も惜しげなく公開されていました。 寺社の天井画も得意だったようで、浅草・浅草寺の天井画が有名なほか、この散歩コースの終点近い本門寺の天井画も、晩年に手掛けて未完のまま遺作となっているそうです。
画竜点睛の「睛」(ひとみ)を入れる開眼式を、この絵に感服した奥村土牛の指図でやったそうです。これが本門寺で見られるとは、散歩の締めくくりとして最高だ! と勇んで本門寺大堂に乗り込み天井を仰ぎましたが、未完だったせいか、それとも龍子独自の幻想画のせいか、しかと龍の形がわからず、目の球だけが光って見えていました。
芸術の素養乏しき故の空振りだったかもしれませんが、当初2時間程度と記されていたコースに4時間近く費やし、心地よい疲労と久しぶりの目の保養ができて満足でした。
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惜しかった 投稿者: 木器 投稿日:2022年06月04日 (土) 05時01分 [返信] No.383 |
大河ドラマ『西郷(せご)どん』の時代考証を担当された志學館大学教授・原口泉先生が、あの年はつぎつぎと西郷関連書籍を出されて大忙しでしたが、今年、またドラマの参考にもなる素晴らしい本を書かれました。
『日本人として知っておきたい琉球・沖縄史』(PHP新書)。まさに今日、今年の日本人にとって必読の本と言っていいと思います。 先生は同新書からすでに『世界危機をチャンスに変えた幕末維新の知恵』と『坂本龍馬と北海道』を出されていて、今度の本もやさしく書かれながら今まで見落とされがちだった歴史の本質に迫る貴重な三部作の一冊になっています。
沖縄の本土復帰50周年の年とあって、いろいろ沖縄を見直す試みがなされていますが、そもそも沖縄とはどのようにして生まれどのような歴史で今日の姿になっているのか、今まで一般読者が読めるまとまった通史がほとんどありませんでした。
NHKの朝ドラ『ちむどんどん』なども、ドラマを通じて復帰50年の沖縄の理解を深められると期待したのですが、今のところどうもその期待に十分応えていないようです。小生の周囲にも、すでに見るのをやめてしまった人が3人もいます。
せめて原口先生のこの本がもっと早く出て、その内容を脚本に反映させてもらえていたらと悔やまれます。じつは先生も、もっと早く出したかったのですが、とおっしゃっていました。 いっそのこと、以前、明治の女性実業家・広岡浅子を取り上げた朝ドラ『あさが来た』が好評だったように、先生が監修者として制作に加わっていただけば、もっとドラマの質を上げられたのに、と残念です。
このうえは一人でも多くの人にこの本を読んでいただき、改めて沖縄のことを考えるのに役立てていただければと念じます。
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