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今日の誕生花――12月17日 サクララン


今日の誕生花――12月18日 セージ



写真:「深まる冬景色・飯田」(平岩祥平・木器)

風越山に雪(12/15朝)




豊丘村~高森町山吹地籍の大橋を望む。


中央アルプス、空木岳方面を望む。(豊丘村・高台で撮影)


今季、一番の冷え込み:マイナス5度(12/06)・・・ネギ等は美味しくなる様です。


恵那山の雪景色(12/06)


天竜川付近の夕暮れ(2025年晩夏)



◆12~1月の壁紙カレンダー◆

(このカレンダーをPCのデスクトップ壁紙として使うには画面を右クリック、
「名前を付けて画像を保存」を選んでPCの任意の場所に保存し、
保存されたファイルをまた右クリックして「デスクトップの背景として設定」をクリックする)

♪「八十路のデュエット」――ル・クプル・コーノ
♪クシコスポスト、♪トルコマーチ、♪荒城の月
♪「八十路のデュエット」2――ル・クプル・コーノ
♪ムーン・リバー、♪埴生の宿、♪旅愁
(上の下線部分をクリックしてください)

◆「日本最大の谷」=2大アルプスに挟まれた「伊那谷」◆

(写真上「中央アルプス」:柏雀。写真下「南アルプス」中「伊那谷・天竜峡」:平岩祥平)

熊伏山上空5000mから見た伊那谷のカシミール画像(柏雀)





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 校歌と南の花を  投稿者:木器  投稿日:2023年04月20日 (木) 05時20分 [返信] No.1104

 台風13号さん、おひさしぶり。
 そうなんです。「龍江の誉」と名付けられた桜の新種があるんですね。で、この名まえが校歌から取られたというのですが、龍江出身の貴兄や okkuu さんにお聞きしたいのは、その校歌のことです。
 小学校か中学校か知りませんが、皆さんが歌って育ったその校歌の、どの一節から取られたのか、教えていただけませんか?
 台風13号さんはもちろんですが、okkuu さんも久しぶりにオックウがらずに、一筆お願いします。

 それと台風13号さんにお願いしたいのは、飯田の花は平岩さんのお陰でふんだんに見られていますが、どうでしょう、南の花、宮崎の花の様子はどんな塩梅か、ちょっと写真を見せていただけると嬉しいのですが……。

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 「生きているだけ」  投稿者:木器  投稿日:2023年04月19日 (水) 15時19分 [返信] No.1103

 続けざまにすみません。今週の新聞歌壇俳壇で、野球の歌以外に、2つ気になる作品がありました。
 一つはこれです。

*ただ生きてゐるだけ 蚯蚓(みみず)も見る吾も(川口市 高橋まさお)

【評】みみずの生と、それを見ている自分の生とを、比べているのがおもしろい。それほどまでに純粋に徹して、生きているということか。(小澤實選)

 生きている「だけ」に、どのような思いが込められているのか、がじつはこの句のポイントだと思います。
 よく「一寸の虫にも五分の魂」と言いますが、これは小さな虫を尊重するようでいて、そんな虫けらにもという、人間のおごりが感じられないでしょうか。
 この句はその境地を脱していると思います。自分もミミズと同じように生きているだけ、その生きているだけという点においては、ミミズも自分も同じであるという、一種の開き直りのようなものが感じられて、潔い感じがしました。
 ミミズが生きているのと自分が生きているのを同じ価値観でとらえてこそ、生きていることのすごさや貴重さが捉えられるのではないかと思いました。

 もう一つは次の歌です。

*その論に反撥しつつ義務として読みし大江にさよならをいふ(稲城市 山口佳紀)

【評】大江健三郎ついに逝く。小説家の枠を越えた、大きな影響力のある思想家だった。義務として読むという読書がある。

 遥か彼方の思い出になりますが、若かりしころにはこの歌に言う「義務」で読む本がありました。
 あるいは、「義務」とはちょっと違ったかもしれませんが、何かさっぱり面白くなかったりわからなかったりする作品を、名作と言われたり問題作と言われたがために、さもわかったり面白そうな顔をしたりして読もうとした、そんな青臭い時代がありました。
 大江もその中の一人でしたが、ノーベル賞ほかのたくさんの称賛を受けている人なので、あまり大きな声でわからないとかあんまりどうもとは言えないまま、来てしまったのです。
 映画で大変権威ある賞を取った作品を見て、大勢の中で「あーあ、面白くなかったー」と大声で言えた赤塚不二夫さんを尊敬するのは、そういうふがいない自分がいたからでした。

 もうあまり残りが多くない人生ですから、我慢して面白くないものを読もうとは思いませんが、ただ、来年の大河ドラマになる紫式部・源氏物語については、このところ主演女優の熱心なファンになっているので、白状すれば今までの不勉強を取り返すべく、一度は読んでおかねばかなーと思っている次第です。

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 歌壇にも咲く侍の花  投稿者:木器  投稿日:2023年04月19日 (水) 14時36分 [返信] No.1102

 驚きました! WBC、侍ジャパン活躍の記憶が新しい今週の新聞歌壇には、春の花をしのぐにぎやかさで、あの熱戦を歌う花々が咲き乱れていました。
 ときに野球やサッカーなどスポーツが題材になる歌は出てきますが、これほどいっせいに野球の歌の花が咲いたのは、まず初めてのことではないでしょうか。

 こんな身近な題材でも歌になると知れば、一つ私もと思う人が増えるかもしれません。いかがですか? 皆さん。仲間のうちには、長いこと歌の道に励んでいる人もいるのですから、ちょっと手ほどきでもしてもらえるとありがたいのですが……。

*大谷の剛球決まりWBC日本が勝利し妻に抱きつく(吹田市 鈴木基充)
*新聞の紙面の価値を号外で知らせてくれた侍ジャパン(静岡市 柴田和彦)
*木香薔薇に蕾が見えて村上もサヨナラ打って上向け、私(久喜市 木元貴子)
*「大谷と同じ中学出身」は自己紹介の決めゼリフなり(奥州市 境朝子)
*国中が侍ジャパンに歓喜してペッパーミルのポーズあちこちに(神戸市 遠山敏子)
*悠然と一秒一秒宝だとダルビッシュ言う 天晴(あっぱれ)と思う(日立市 高山豊子)

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 ハナミズキといえばこの歌  投稿者:木器  投稿日:2023年04月19日 (水) 10時03分 [返信] No.1101

 ひさびさのこうのさん。ダリアとはだりゃのことかと思ったらツバキとは。ほんとですか白い椿はもちろんあるでしょうが。
 映画『椿三十郎』で、白と赤のツバキが出てきて、三船が「ほら、白い椿じゃない赤だぞ、赤」と隣家の悪者をだますところもありましたしね。
 柏雀さんの「藤」もまただりゃのことかと思ったら、あの芦川いづみの旦那のほうですね。うっかりして、えー?!なんで「〇のコリーダ」に芦川いづみが出たなんて聞いたことなかったけどー、と一瞬ですがびっくりしてしまいました。

 平岩さんのトップ写真にも、見事なハナミズキが出てきていますし、彼が特別に写して送ってくれた田舎のログハウスのハナミズキ(下の写真)にも、ありがたいことに居ながらにしてお目にかかりました。こちらはまだ満開には至っていませんでしたが……。

 このハナミズキの季節になると、必ず思い出すのが布施明の名唱「くぐりぬけた花水木」です。作曲は例によって小椋佳で作曲者自身の歌唱もありますよね。
  YouTube で探すと、たくさんのハナミズキの写真を楽しみながら聴ける動画の投稿があり、ありがたく鑑賞させてもらえます。

 https://youtu.be/ZUGzL...

 ただ、ハナミズキといえば一青窈の「ハナミズキ」のほうが圧倒的に有名で、私も決して嫌いではないというか、いい曲だとは思うのですが、何しろ例によって歌詞と曲の分離現象が気になってしまってダメなんです。
 ♪つぼみをあげよう庭のハ(中断)ナミズキ というあの個所です。

 大体どうなんでしょう、ハナミズキに蕾ってあるんですか? あるんでしょうけど、我々がきれいだなーと見ているあれは、花のように見えてじつは葉の変化した苞葉のはずですが……。

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 ダリアじゃぁねえに、  投稿者:こうの  投稿日:2023年04月19日 (水) 05時08分 [返信] No.1100

クフッフッフ
ふんとうにこれ
つばきだに!

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 藤もいろいろ  投稿者:柏雀  投稿日:2023年04月18日 (火) 21時31分 [返信] No.1099

藤にもいろいろありまして、、、

 写真上・中:足利フラワーパークの藤。身内の者が本日撮ったもの。寒い雨の中、ライトアップまで待っていたんだとか。ご苦労なことです。

 写真下:近所で柏雀が本日撮ったもの。藤って本来こうした姿なんでしょうね。

 ところで、芦川いづみ、ガキのころに綺麗なひとだな~と思っていたのですが、彼女のダンナも藤(竜也)。

 芦川いづみの印象もなんとなく悪くなっちゃたんですよね。むかしあっちでダンナの「なんとかのコリーダ」みちゃったもんですから。やめておけばよかった。

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 道教  投稿者:AA2Take  投稿日:2023年04月18日 (火) 14時58分 [返信] No.1098

中国は道教の国でもある。
中心をなすのは「タオ」という道理なのだという。ここから儒教も始まった。

老子道徳経の古い写本では、「上篇 徳」、「下篇 道」の編名の順序となっている。「道」・「徳」の順番になったのは、一世紀から三世紀のころとされ、そのころ、章別も行われたとされる。また、老子なる人物が生きたであろう時代と『老子道徳経』が作られた時代には開きがあり、この書は、その系譜に当たる弟子が後年に纏めたものという説や、老子は3人いたという説がある。「道」の内容についても、哲学的な句から、独断的な処世術の句までが混在している。そのため、老子なる人物が生きて著作したであろう時代よりも、もっと古くから伝わっていた諺や名言を、『老子』の編集者は、その著作に取り入れた、とする見解がある。また、古い老子道徳経は、五千字余りしかないにも関わらず、「上篇 徳」、下篇 「道」の順序に分けられている。そのように構成されたのは、本の内容や本の章分けがその原因とはなっていない、と推察されている。老子道徳経が生まれた経緯について考えた場合、古くから伝わっていた諺や名言を作成した人物らがいて、その編集や解説をした人物が「徳篇」を形成し、そこで述べられた道の思想を、増幅した形で「上篇 徳」、下篇 「道」の形に編纂した人物らがいた、ということが考えられる。古い構成を逆転させ、現在のような「道」から始まり「下篇 徳」の形に定着させたのが、老子道徳経であると考えられる要因の一つには、第十八章の、「大道廃れて仁義あり」の句は、孟子と同時期か、あるいはその後輩と同時期の篇者が作成した、と見られていることがあげられる。  
「道」という哲学が廃れてきて「仁義」のような儒教の教えが広まった。
林立した小国家が国を大きくして他国を支配するには、儒教を用いる方が、権力者たちには都合がよかった。
道教は、平和的な集団の集まりであったが、儒教が広まった国々は、争いが内在してしまっているのではなかろうか。

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 龍江の八重桜街道  投稿者:台風13号  投稿日:2023年04月18日 (火) 10時12分 [返信] No.1097

一段と大きく育った八重桜の並木を拝見できて、喜んでいます。
また、新品種の八重桜「龍江の誉」の情報は、初めてお聞きしました。ありがとうございました。

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 見える風  投稿者:木器  投稿日:2023年04月18日 (火) 09時43分 [返信] No.1095

 まえに「夕焼け小焼け」の作曲家・草川信のことを書いたとき、私の好きなクリスティナ・ロゼッティの「風」の西條八十訳の作曲者でもあることに触れました。
 古い松竹映画で、芦川いづみが歌っているのを、印象深く聞いたこともありました。
 「風」(映画「風船」芦川いづみ歌)

 改めて引きますが、懐かしいこの歌です。
 ♪(『赤い鳥』大正10年4月号)
  誰(たあれ)が風を見たでせう?
  僕もあなたも見やしない、
  けれど木の葉を顫(ふる)はせて
  風は通り抜けてゆく

  誰が風を見たでせう?
  あなたも僕も見やしない、
  けれど樹立(こだち)が頭をさげて
  風は通りすぎてゆく。

 ところが最近は、この見えないはずの「風」が見えてしまうようです。一つには中国大陸からの黄砂、そしてもう一つには花粉だそうです。
 都内でも薄曇りになるほどの黄砂が、風の姿を見せたと言いますし、花粉症に人には山を吹く風に乗る花粉が、まさに風の波となって押し寄せる感じがするでしょう。

 先週土曜日の新聞には、以前歌壇に寄せられたというこんな短歌が載っていました。

*クリスティーナ・ロゼッティよわたくしは花粉症なり風が見えます(名古屋市 山守美紀)

 そう言えば、最近久々の長編小説がまたベストセラーになっている村上春樹のデビュー作が『風の歌を聴け』でしたね。
 この作家についてはまったく不案内ですので、どなたか魅力を解説していただけるとありがたいのですが、「風」も実際の気象現象の風ではなく、比喩的に人生に吹くさまざまな風といった意味かもしれません。

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 モーリタニアの蛸漁  投稿者:AA2Take  投稿日:2023年04月17日 (月) 15時33分 [返信] No.1094

アフリカを貧困から救った一人の日本人がいる。
アフリカ北西部に位置するモーリタニアは、人口はおよそ300万人。国土の9割は砂漠で覆われており、砂漠と大西洋に沈む夕日が美しい国だといわれる。
 平均月収はおよそ2万ウギア、円に換算すると7千円弱であり、豊であるとは言い難い。2011年のある日、モーリタニアにある日本大使館に、ひとりの男性がやってきて「日本に、これを…」と差し出したのは、お金。それは東日本大震災への寄付金であった。全額は5千ウギア。日本円だと1700円。しかし、彼にとっては月収の4分の1にも当たる大金でした。職員が「あなたのお名前は?」と聞くと、「私は日本の友人です」というのです。
 その後も多くの国民が寄付をするために日本大使館を訪れました。その誰しもが「日本人への恩返し」と口にしました。寄付金は総額4570万円にものぼりました。なぜ遠く離れた日本のために、彼らはそこまでしてくれたのでしょう?
 そこには、モーリタニアと日本の深い絆が隠されていたのだという。
 1960年、アフリカの植民地が相次いで独立、他の国と同じくモーリタニアもフランスから独立を果たしましたが、国を支える主な産業がないため、国民は貧困に苦しんでいました。
 この独立間もない国に救いの手を差し伸べたのが、当時の日本政府でした。水産庁、外務省が全面的に協力して、モーリタニアの漁業を振興してほしいとの命を受けたのが、中村正明さんでした。
 JICA及び海外漁業協力財団から派遣されて、世界各地で漁業指導を行っていた中村がその国に足を踏み入れたのは26歳の時でした。
 当時のモーリタニアは、大西洋に面しているのにも関わらず、漁業という産業が存在しませんでした。主食は羊やラクダなどの肉。魚介類を食べる習慣がなかったのです。人々の貧困生活を目のあたりにした中村は、日本の漁業技術を教え、国を豊かにしょうと考えました。
 しかし、本格的漁業を立ち上げるには、金もモノ(船)もヒト(漁師)もいません。それはたった一人でのプロジェクトでした。
 「絶好の漁場があるじゃないか」――彼はさっそく、海の近くの住民を集め、自分の思いを伝えました。
 「ここには良い漁場があるんです。だから明日の朝4時ここに集合してください」
 しかし、翌朝、誰も来ませんでした。彼らには時間に合わせて行動するという習慣がありません。ましてや相手は見ず知らずの日本人。

住民一人ひとりに対して漁業の必要性を熱心に説きました。訴え続けること3カ月、なんとか3人集めることができました。
 「ようやく前にすすめる!」。そう思った中村は、集まってくれた3人に一生懸命こう説明しました。
 「この中に魚が入って、これを上手く獲れたら皆さんの生活が潤うんです。わかりますか」
 中村の指導によってなんとか魚は獲れたものの、まだまだ漁の初心者。船も小さいものしか用意できず、思っていたほどの成果は上がりません。せっかく集まった人たちも一人、また一人とさっていきました。
 「どうしたらいいんだ。こんないい漁場が広がっているというのに」。肩を落としたその時、何かが目に入ります。それは海岸に捨てられているタイヤでした。手に取って中を見た中村は、「これだ!」とひらめきました。
 そこには生きたマダコがいたのです。モーリタニアの海には、上質なマダコが多数棲息していることに気づきました。国を救う一大産業になる可能性を見出した中村はワクワクしました。
 「今日からタコ漁を始めましょう!」。しかし住民は思いがけない反応を示します。
 「そんな気持ち悪いもの、獲ってどうするんだ?」
 彼らはタコを食べないどころか、タコは「悪魔の使い」として触ることすら嫌がっていたのです。
 でも「あなたたちが食べなくても、他の国に輸出できるんです!」
 それが結局、国の経済を救うことになった。
恩義に感じていてくれるのである。

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 ハナノナわからずにいましたが……  投稿者:木器  投稿日:2023年04月16日 (日) 09時55分 [返信] No.1093

 平岩さんのご奮闘による故郷の花だよりは、大変好評です。遠く離れた人々にとってはもちろんですが、故郷に住みなす人たちも、まさに命の息吹である花々に元気づけられると思うのですが、この年になるとなかなか花を愛でながらの遠出もしにくくなっています。

 今回アップしていただいた中で「花の名不明」とされていたものについても、昨日、平岩さんから連絡があり、「イカリソウ」であるとお二人からご教示があったそうです。いずれも三五会の仲間で、一人はこの花の所在地であるOさん、もう一人は関東在住の女性Sさんです。確かに花の形を見ると船の「いかり」(碇・錨)そっくりですね。ありがとうございました。

 最初、以前話題になったスマホの花の名検索ソフト「ハナノナ」などを使ってみたのですが、この「ハナノナ」では複数の候補で出すぎて結局「花の名」がわからず、ご教示をお待ちしていたのでした。

 ついでに申しあげると、2枚目の「川路」写真の右奥あたりが、わが木器のログハウス所在地ではないかと思いますが、平岩さんいかがですか?

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 極上の暇つぶし  投稿者:木器  投稿日:2023年04月16日 (日) 09時19分 [返信] No.1092

 今、じつは仕事で、ある禅のユニークな坊さんの本を編集しています。
 この坊さんは、フランスに留学したり都議会議員になったり、若いときには介護士の資格を取ったりと、いろいろ独自の体験をされ、今日、西東京市と石川県の二つの曹洞宗寺院の住職をされています。
(西東京市のお寺の近くに自宅があり、ここがなんと我らが仲間、ボラさんこと大洞さんのお住まいのお隣だった!のには、もう何というご縁かと驚くほかありませんでした)

 この夏には本ができますので、また詳しくご紹介したいと思いますが、今日はそのテーマについて、かねてから興味を感じて事例を探していたところ、これまた身近なところで偶然目にした文章が、まさにそのものズバリだったのに驚き、ご紹介したくなりました。
 この本のテーマというのが、じつは「暇つぶし」なのです。人生所詮は生きている間の暇つぶし。だったらいい暇つぶしをしよう、極上の暇つぶしで楽しく過ごそうではありませんか、というのです。

 その原稿の編集を進めていたある日、親しい友人がまったく別の話題から、こんなのがあるけど読んでみる? といって次のような手記を見せてくれたのです。
 それは彼が、かつて務めていた会社のOB会の会報に3年まえに書かれたものでした。
 この友人はふだんから、私の知らないことをいろいろ教えてくれる尊敬すべき存在なのですが、その人品骨柄あくまで卑しからず、あまり名まえが出るのを好まれませんので、本名を伏せたままご鑑賞ください。
 こういう世界があるなんて、なんて素敵な「人生暇つぶし」だろうかと、感嘆した訳がわかっていただけると思います。
 少なくとも最後に引用されている格言のように、「息をしている間は希望を捨てない」ためにも……。







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 月川温泉郷のハナモモ  投稿者:ひらいわ   投稿日:2023年04月15日 (土) 20時48分 [返信] No.1091

月川温泉は昼神温泉より少し標高が高い川沿いにあります。
急斜面の山に数百本が植えられており、観光名所になっています。

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 創画展  投稿者:おたぐり   投稿日:2023年04月15日 (土) 19時27分 [返信] No.1090

創画展鑑賞会には多くの方が参加されありがとうございました。
今後も皆が集まれる機会を持てるといいですね。
創画展、滝沢君の作品を紹介しておきます。(2人欠けていますが悪しからず)

 もう1枚は富士吉田の新倉山浅間公園です。4月8日に行きましたが、展望デッキ(入れ替え制、5分間)に入れるまで1時間半並びました。


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 親日国は多いのに  投稿者:AA2Take  投稿日:2023年04月15日 (土) 16時41分 [返信] No.1089

報道を見ていると、日本は世界中から嫌われているのだという方向にどうしても持っていきたいように思えてならない。それが目指しているのは、中国に批判の目が向かないようにすることであり、そのためには形振り構わない。
オールドメディアと呼ばれている媒体の殆どがそうなのではあるまいか。
他にニュースソースのなかった時代と違い、そんなわけはあるまいと思わせてくれる記事は多い。
日本人が知らないだけで、親日国というのは意外に多いからである。 

歴史は様々な経緯を経ているが、バルト三国も親日である。それぞれソ連からの独立回復宣言を行い、日本は1991年9月6日にバルト三国を国家承認して、10月10日に「新たな外交関係」を 進めている。
他には、キルギス トルコ 北欧三国などもそうである。
いずれもロシアから酷い目にあった国ばかりである。
何をされても耐えるしかなかった中で、日本だけが敢然とこれと戦って勝利したことに喝采して親日の意識を深めた。

ロシアは露骨に南下策を採ったから、隣接している国々は端から狙われた。
まず韓国である。李氏朝鮮時代の両班により最後進国となっていたから、苦も無く隷属させることができるとしたのであろうが、その先にある日本は堪ったものではない。これが日露戦争に結びついた原因である。
日本は朝鮮の奴隷を開放し、インフラを整備し、教育改革をして朝鮮を近代国家に導くべく、63兆円もの国費を投下した。植民地支配どころか、誰が何と言おうと、韓国の現在があるのは日本のお陰である。
そうでなかったら、韓国は国の発展どころか存続さえ怪しい。
しかるに、戦後の国をあげての歪曲教育によって反日に走り、国技である裏切りに終始した。経済的に困れば日本にたかるために恥じることなく悪知恵を考案しまくった。
竹島の違法占拠は韓国内でのみ通用する屁理屈であり、行き詰ると対馬も韓国領であるという突拍子もない珍説を作り出す始末。
しかし、ここにきて、さすがに対北朝鮮問題を無視できなくなった。ノッピキならなくなったのである。
日本の援助なしでは、北朝鮮の膝下に組み敷かれる。
米国に対しても今まで裏切り行為を重ねてきたから、日本抜きではもはや信頼されない。
日本はまだまだ厄介な荷物を背負い続けなくてはならない。
ここらで国交を断ち切ってみるのも一つの方法であろう。

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 盛会御礼  投稿者:コーメイ  投稿日:2023年04月14日 (金) 14時37分 [返信] No.1088

第49回東京 春季創画展 観賞会には、女性4名を含む12名の参加を頂き、盛会の内に終了することかできました。厚く御礼申し込上げます。


会食、懇談は、西武本店8階の中華料理店で、旧交を温めました。

高齢者にとっては、いまいち、心配な昨今ですが、徐々に集会等、その輪が拡がっていくのを祈らずにはいられません。

写真は、参加者の集合写真です。

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 歴史があるんですね  投稿者:木器  投稿日:2023年04月13日 (木) 05時03分 [返信] No.1087

 コーメイさんの隣人たち、面白いですね。何気なく近所に住む人たちにも歴史があります。とくに5軒のうちの3軒もの奥方が鹿児島出身というのは、コーメイさんもお付き合いのある原口泉先生(鹿児島大学名誉教授)が聞いたら大喜びでしょう。よくよくコーメイさんは鹿児島とご縁が深いのですね。

 そして鹿児島と福島のカップル。会津と薩摩ですからねー。これはもめるでしょう。私の親しい会津出身の著者の一人は、今もって長州・山口での講演はお断りしているそうで、ま、鹿児島はそこまでではないですが、150年たっても複雑な歴史感情は消えていないようです。

 そういえば原口先生も、福島での歴史イベントに招かれたのはいいのですが、「これで会津と薩摩も仲直りできますか?」と聞いたところ、会津側の主催者が、「仲直りはなかなかできないでしょうが、仲良くすることはできるでしょう」と言われたとか。

 歴史があると言えば、柏雀さんに提供していただいた中央アルプスの写真。
 そうだったんですね。中川村の陣馬形山に今は亡きアルビレオさんと泊まった思い出のある写真だったのですね。まえに聞いていたかもしれませんが、改めて心して見させていただきます。


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 14日、楽しみー!  投稿者:木器  投稿日:2023年04月12日 (水) 20時11分 [返信] No.1086

 王子でのお花見に続いて、14日の創画展、ぜひみんなと一緒に鑑賞したいと、今から楽しみにしています。できるだけ多くの人に再会したいと思います。

 今回は女性参加者もきっといらっしゃるでしょう。久しぶりにかつての三五会の賑やかな楽しさが味わえるに違いありません。

 皆さん、ぜひ奮って参加しましょうね。残された日々の中でこうした機会も、そうたくさんはないでしょうから。

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 黄砂  投稿者:AA2Take  投稿日:2023年04月12日 (水) 18時22分 [返信] No.1085

黄砂の影響は首都である北京をはじめ、人民の4億人とも言われる多人数に健康上甚大な被害を及ぼしているという。
発生源は、人口増加が進む中国内陸部の奥深くに位置する内モンゴル自治区にあるゴビ砂漠だとされている。ここはかつて森と草原の豊かな大地であったが、約300年くらい前から砂漠化が進み、それが貧困を生み、貧困ゆえの無謀な農法がまた砂漠化を進行させるという悪循環を生んでいる。
 ここで行われる農法とは、緑の保全をほとんどしない疎放な農耕と、草を食べ尽くすほどの家畜の過放牧の繰り返しである。これではいくら広大な土地とはいえ、たまらない。砂漠化はより急速な勢いで進んでいる。これは中国だけではなく、もはや地球全体の問題である。グローバル・イッシューに積極的に対応しようと考える日本政府は、ODA予算からいくつかの民間ボランティア団体にNGO事業補助金を交付して、植林など緑化活動を始めた。
 環境を変えるには、まず、植林の大切さを現地の牧民にわかってもらう必要がある。現地政府と専門家、牧民とで徹底的に話し合い、意思統一を図った後、綿密な調査を重ねて、緑化の方法を決めた。すなわち、まず防風林を作ってからその内側を開墾して、牧草、果樹、農作物を栽培するという計画だ。環境保全とアグロフォレストリー(森林農業経営)の両立を行うことで、地元牧民の生活を向上させようというのである。
 さて、防風林の植林だが、日本からは学生や企業の管理職、シルバー世代まで25名の“植林協力隊”が駆け付けた。中国側は技術者や小中学生から大人までの牧民らが実行部隊。両者は共同で「開溝造林」という植林技術にしたがって行った。ブルドーザーでまず整地、そこに1mくらいの溝を何列も掘ったところに木を植えるという現地式だ。 植えたのは1万本のポプラである。もともと草原地帯だったところなので、今でもある程度掘ると、木が育つには十分な水分が得られる。現地にぴったりの方式だ。
 植林は、回を重ねるごとに地元牧民の協力を得るようになり、日本の協力隊が到着するたびに伝統芸能の「安代(あんたい)の舞」で出迎えてくれるようになった。そして、その舞を日本人に教えてくれるのである。単なる国際協力だけではない、文化交流イベントだ。そして、日本と現地の人々とを融和させてくれる大切なかけ橋である。中国とはいえ、現地の公用語がモンゴル語であり、厳しい自然とも向き合わねばならない。厳しい壁を両国とも乗り越えようとしているかのようだった。
 舞を見ながら、現地技術者は満足げな表情で日本側隊長にこう語った。「もとから中国にあった方法を、日本からの資金と機材で実行できた。日本の支援に感謝する」  こうして、95年末までの7回、360haの土地に合計約42万本の木を植林したのである。
 次は農作物の栽培だ。防風林の内側に、95年に水稲、小麦、牧草を栽培してみたところ、地元牧民が自給するには十分の作物を得ることができた。現地行政府と日本側協力団体は、計画実現に確かな手応えを感じたのであった。
 最近行った現地牧民へのアンケートでは、全員が土地への自主投資を考え、半数以上が家畜を増やす意思があることがわかった。緑を再生することが大きな利益をもたらすと、彼等自身が認識し始めた証しである。
 現在は、こうした森の再生をさらに拡大して地域を広げ、日本の専門家を加えた大掛かりなものにしようと、中国政府と日本政府、民間団体との間で協議が行われつつある。
 国際協力が最終地点とする自助努力。日本の市民を交えてその意義を根付かせた功績は大きい。 国外にばかり権益を求めず内面の改善に力を向けたら、国際的にも印象が上げられるのではないだろうか。
南沙諸島を埋め立てて軍事基地化を図り、これに反対する国々がその人工物を爆破するのは戦争に直結するとして猶予していれば既成事実化して、次は尖閣などを狙う。欲深さはきりがない。
法律も自国に都合よく勝手に決める。
例えば、tik.tokは民間の会社であり、米国などが規制しようとすると、チウコクが口出しした証拠は提示できていないと息巻いて反論する。これまでがどうだったかを問題にしている訳ではあるまい。いつだって必要な時に必要な情報を吸い上げることができる法を制定していることが問題視されているのである。
ひとくいtigerの手助けをするべきでないと言うけれど、maneaterに与するわけにもいかないのだと知るべきであろう。

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 近くの他人  投稿者:コーメイ  投稿日:2023年04月12日 (水) 16時35分 [返信] No.1084

 南から北に向かう、我が家と公園に挟まれた道路には、九区画の宅地があり、夫婦揃って住んでいるのが、5軒、女性の一人暮らしが2軒、空地が2区画となっている。

 一番若い夫婦は、3年前、引越してきたが、コロナの関係で、自治会(隣組)活動等が制限され、顔を合わせることが殆どなかった。この7世帯を含む近所36世帯が一つの自治会を構成しているが、この3月から、総会等の活動、交流が再開されると、分かったことがある。

 前述の5軒の夫婦、その奥さんの内3人が、偶然にも、鹿児島県出身ということは、判っていたが、新入り世帯の奥さんも何と鹿児島県出身という。5分の4である。

 旦那さんは、千葉県木更津市生まれも、殆ど袖ケ浦市で育ったようで、車は袖ケ浦ナンバーである。他の旦那衆はとみると、2人が福島県出身である。5分の2である。

 我が家のお隣が、福島と鹿児島のカップルで、結婚に際しては、相当モメタそうな。

 今、空地の一つが売却され、間もなく新しい家が建つ。ハテサテ、どんなことになるのやら?

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