葉ミズキと花ツツジ 投稿者: 木器 投稿日:2023年04月23日 (日) 16時04分 [返信] No.1124 |
いよいよ緑の季節ですね。好きですね―、この緑ごしの光。 葉が緑に見えるのは、緑の色を反射あるいは透過しているからですよね。 そして緑という波長には、他の色より大きなエネルギーが含まれているとか。 植物の葉っぱが緑色をしているのは、その大きなエネルギーを遮りすぎない働きがあるようです。 もし葉っぱが皆、黒っぽい色をしてエネルギーを吸い取りすぎてしまったらどうでしょう。他の地上の小さな生き物たちは光のエネルギーを十分に摂取することができなくなってしまいます。 そう考えると、緑の季節に緑を心地よく味わう意味も、また違ってくるのではないでしょうか。 ハナミズキも花が終わり、もっぱら葉っぱになっています。その「葉ミズキ」を布施明の歌のようにくぐり抜けてみると、緑の光線のシャワーで、その見事さにしばらく動けないくらいでした。 その横で、花はもっぱらツツジにバトンタッチです。 そしてまた草川信の唱歌「緑のそよ風」と、これもまた歌う会でよく歌った「若葉」もまさにぴったりの季節です。 「緑のそよ風」 https://youtu.be/wS992... 「若葉」 https://youtu.be/eHoyb...
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新茶が出回り始めました 投稿者: terra 投稿日:2023年04月23日 (日) 10時56分 [返信] No.1123 |
このところの時代の変化は、最近の気候と同じに早い。 激変する時代にはついてゆけない。 『時の経つのは猫の眼より早い』(金森山便り)で、感想を書いてみました。
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小説:盃一休 投稿者: AA2Take 投稿日:2023年04月22日 (土) 21時26分 [返信] No.1122 |
盃一休
百神井 応身
(一) 武士はその家禄を従兄弟や縁者にに譲る事で、武士を辞めることができた。つまり武士を辞めるとは、代わりの家禄を継ぐ者を指定する事で可能となった。後は後見人、隠居として武士で居る事は可能であったが、幕府から貰う禄高三十俵二人扶持は変わらない。 つまり実質的に暮らして行けないので、武士を辞めることになる。滝澤馬琴は元武士であったが、武士を辞めて作家になった。 徳島弥紀(みき)は、先祖が遺してくれていた蓄えが500両余あったので、それを元手にして、家を出た。妹の美弥に彼女が嫌がる縁談を親族から強要されるのを拒みたがっているのを知ってのことであったが、美弥は武家から出て町方に住む自由さを喜んでいた。 本所近くにある長屋住まいは、毎日が賑やかで、時には紛争になった。 争いごとは声の大きさがものを言う。暴力沙汰にまずは優先するのである。ある日徳島が外出先から帰宅すると、盃ほどの大きさしかない一休禅師のような風体の男が、庭箒のようなもので、揉めている者たちを掃き出そうとしていた。 そこに徳島が現れたのであるから、騒ぎは一気に収まった。そうなってみて徳島が気づいたのは、その一休さんのような姿の者をこれまでに見たことがない。 「いずれにお住まいか」と尋ねると、指さすのは徳島の家の玄関先の小さな窪みであったり、隣の家の窪みであったりした。 「して、お食事などは如何なされておいでか」との問いかけには、懐から取り出した盃を指し示し、「一日にこれ一杯あれば十分なので、困ることはない」とのことであった。 「左様でござるか。しからば時分時でもござれば、当家にて昼飯をなされよ」と薦めた。 そろそろ妹の美弥も帰ってくる頃でもある。
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龍江小学校付近 投稿者: 台風13号 投稿日:2023年04月22日 (土) 17時26分 [返信] No.1121 |
お言葉に甘えて、私の実家と思われる家に矢印を付けて(向けて)みました。 小学校から天竜川へと下ってゆく坂の途中ですので、屋根が見えるだけです。 今回、「龍江ホームページ」を知ることができて、幸いでした。 また、平岩さんには、開善寺の花々と歴史を紹介して下さり、ありがとうございました。 平岩さんの、歳を感じさせない活動に、感謝します。
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いい写真! 投稿者: 木器 投稿日:2023年04月22日 (土) 04時55分 [返信] No.1120 |
台風13号さん、お願いした花の写真、ありがとうございます。親しみのある花でも、これが日向の地に咲いているとなると、また風情が違います。南国の空気が感じられるような気がします。 それと、龍江のホームページ、いいですね。とくに貴兄も仰るトップの写真は、右下の赤い天竜橋が何よりの目印で、それを渡って右隅につながる時又駅に通ったわけですよね。 写真で橋のちょうど真上、中央あたりにわが家があったわけで、ほぼその位置に今はログハウスが建っています。 台風13号さんや okkuu さんの家はこの写真だとどの辺になるでしょう。この写真のほか、別の場所を写したものもホームページのトップには出てきていますので、ぜひスクリーンプリントキーでコピーして見せてください。 ご存じと思いますが、パソコンの右上、PRTSCのキーとSHIFTキーの同時押しで、画面の取り込みができるはずです。 
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庭の草花 投稿者: 台風13号 投稿日:2023年04月21日 (金) 16時45分 [返信] No.1119 |
桜や藤はすでに散ってしまいましたので、宮崎で今咲いている花を、庭に出て探してみました。 レンゲソウ、なでしこ、花ではありませんがイワヒバ、ミョウガタケくらいでした。 龍江小学校の校歌を探すうちに、「龍江ホームページ」にたどり着きました。どなたが作成しておられるのかよく分かりませんが、冒頭の写真で時又、川路も良く写っています。 https://tatue.jp/syste...この中に、「龍江の誉」の命名式の様子も載せてありました。
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あのピアノで 投稿者: 木器 投稿日:2023年04月21日 (金) 11時40分 [返信] No.1118 |
川路小学校校歌の作曲者・井出茂太のことを調べていたら、飯田高校の前身飯田中学に赴任したのが明治36年、その3年後赴任した福沢青藍の「南信健児の歌」に曲をつけたのが校歌になったとありました。
しかも当時まだ珍しかったピアノを、赴任の年にヤマハから国産10台目という早期に購入するよう校長に進言したのも井出先生だったといいますから、飯田高校の校歌も、川路小学校の校歌も、このピアノで作曲されたに違いありません。
福沢青藍の赴任年が39年だとすると、川路の校歌は38年制定とありますから、この年はまだ飯田中学赴任前であり、したがってわが川路の校歌は、飯田中学より先にできていた可能性大です。 だからなんなのだ、と言われればその通りですが、なにかちょっと誇らしい気もします。
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オラホのも 投稿者: 木器 投稿日:2023年04月21日 (金) 10時45分 [返信] No.1117 |
台風13号さんの龍江効果が効いたのか、木器も2015年に江の島で行われた川路小中学校同期の会で作った校歌CDを思い出しました。 当日、お前がやれと言われて指揮者になり、30人近い参加者全員で何十年ぶりかの校歌を歌いました。そのときの伴奏CDを人数分だけ作り、歌詞とともに配ったことを思い出しました。 小学校の伴奏はネットで拾うことができたのですが、中学校のに関してはどこにも保存がなくて、しかたなくmidiを自作しました。 この掲示板の読者には、川路出身の人もたくさんいらっしゃると思いますので、龍江だけでなくオラホの学校のも聞きたいと思われるのではないか、勝手にそう決めて、歌詞とともに次に挙げておきます。 (改めて見ると、小学校校歌の作詞・作曲は、飯田高校と同じなんですね。中学のは小生が在学する数年まえ、川路中校長に赴任された高野忠先生が、たしか音楽教師でもあったこともあり、それまで校歌がなかった川路中のために作ってくれたと聞いています。4歳上の姉が「ラララ」の後の部分でコーラスになるのが嬉しかったらしく、何度も歌ってくれて、私もその部分がとても気に入っていました) 「川路小学校校歌」(ピアノ伴奏のみ)「川路中学校校歌」(ピアノ伴奏のみ)
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やはり先を越された 投稿者: 木器 投稿日:2023年04月21日 (金) 07時39分 [返信] No.1114 |
はやり柏雀さんですね、こういうの真っ先にやってくれるのは。 じつは小生も、この ChatGPT なるものが気になっていて、一度やってみようかと思っていたところでした。テレ朝の大下容子ワイドスクランブルでも池上彰が出てきて大特集をやっていましたし。 でも、さすがこうして実際に試してもらうと、鳴り物入りの報道とは違う実像がよくわかって助かります。
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卒業後の校歌? 投稿者: 木器 投稿日:2023年04月21日 (金) 06時48分 [返信] No.1113 |
台風13号さん、さっそくに校歌ありがとうございます。 なんと、この校歌、昭和38年制定なんですね。台風13号さんが龍江小学校を卒業されたのは、昭和29年のはずですから、この校歌は歌っていなかったことになりますか。 わが川路小の校歌は、いつの制定か知りませんが、「武陵の春を思ほゆれ」など古色蒼然としていましたから、えらい古いものだったのではないかと……。 (今、調べたら明治38年制定となっていました。同じ38年でもこの違いは何でしょう。龍江にも古い校歌があり、古すぎるからと新しいのをつくったのでしょうね)
それと、投稿者名の右横の小さいスペースは、普通は投稿欄の名まえの下に入れたメールアドレスが表示される場所ですが、なぜURLが表示されたのかわかりません。 普通は投稿の文面に直接URLをコピペしていただけば、YouTube などもそうですが、自動的にリンクタグがついて、そこをクリックすると見られるはずです。
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ちょっとしつこいですが・・・ 投稿者: 柏雀 投稿日:2023年04月20日 (木) 16時48分 [返信] No.1112 |
本日、昼めし後に思い立ってChatGPTの無料版を導入し、いろいろ試しております。
今度は小説を書くよう命じてみました。(なにやら設定が「風立ちぬ」っぽいですが)
「小説を書いて下さい。主人公は若い女性。彼女は八ヶ岳山麓のサナトリウムに入っています。彼女は油絵を描くのが好きです。恋人が東京から訪ねてきます。」
ChatGPTの答え
「主人公の名前は真帆(まほ)で、彼女は八ヶ岳山麓にあるサナトリウムで、絵を描きながら健康を回復していた。真帆は、病気のために日常生活を送ることができなくなってから、絵を描くことが彼女の唯一の楽しみになっていた。
ある日、真帆は恋人の晴人(はると)からの手紙を受け取った。晴人は、東京から真帆を訪ねてくると書いていた。真帆はとても嬉しくなった。晴人との再会を楽しみにしながら、真帆は彼女が描いた最新の油絵を見せるために、自分の部屋を整えた。
晴人が到着した日、真帆はサナトリウムの門で彼を出迎えた。晴人は、真帆が病気にかかっていることを知っていたが、彼女が元気そうに見えたことに安心した。真帆は晴人を自分の部屋に招き、自慢の油絵を見せた。晴人は、真帆の才能と美しさに魅了された。
晴人と真帆は、山の中でのピクニックや、山麓の美しい景色を眺める散歩を楽しんだ。晴人は、真帆が彼女自身のために描いた絵を贈り、真帆も晴人のために描いた絵をプレゼントした。
再会を楽しんだ後、晴人は東京に帰った。真帆は、彼女との素晴らしい時間を過ごした後も、絵を描き続けた。彼女は、晴人との再会によって、より多くの創造性と自信を得ることができた。そして、真帆は、彼女の病気を克服し、未来に向けて前向きに歩むことを決意した。」
(辻褄の合わないところもありますが、まあ物語にはなっていますね。)
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どこが民主的だと言えるのか 投稿者: AA2Take 投稿日:2023年04月20日 (木) 15時18分 [返信] No.1111 |
個人的要求に凝り固まって、他者が死傷することがあっても意識に介すことのないテロ行為のどこが民主的だと言えるのか? マイノリティの意見を汲み上げることと凶悪な想念から出る行動は、違う扱いをされて然るべきだ。 反社会的に走る者の行動を容認してしまう風潮に、危機感を覚える。 マスコミ及び一部識者?は、コンマパーセント以下の身勝手な要求を庇い過ぎているのだはないのか?
毎日新聞も27日のウェブ記事で、「安倍氏銃撃容疑者モデルの映画、上映前に長い列」という記事で、その人気ぶりを「宣伝」し、翌28日には「英雄視せず内面迫りたかった」という見出しで足立監督のインタビュー記事を配信した。 23日に日刊ゲンダイDIGITALが配信した記事では、足立監督は「オレ」にとって「安倍家3代は不倶戴天の敵」と敵愾心をあらわにし、山上容疑者について「最後まで自分が壊れることなく現実に立ち向かった、「尊敬する」と絶賛している。劇中で主役に「(戦士として闘い)星になる」というセリフを言わしめたのは、自らの理想を山上容疑者に投影しているからであろう。足立監督にとっておそらく山上容疑者をモデルとした主役は、自身の「代弁者」なのだ。何より『REVOLUTION+1』という題が、日本赤軍の目指した「革命」の継承者として山上容疑者を位置付けていることを暗示している。 東京新聞も23日のウェブ記事で、足立監督の「現在の若い人はとても生きづらそうに見えるが、もっと自分の心を解き放ち、心を素直に人生をのびのび生きて欲しい」という言葉とともに、同映画を「宣伝」する記事を掲載した。東京によると、この言葉は「若い世代にエールを送る」ものらしい。「事件は決して許されない」としながらも、若者を煽(あお)る記事である。暴力を美化、扇動、助長することは許されない。 人権重視をうたい「リベラル」を気取る朝日や毎日、東京が、日本赤軍という国際テロ組織のメンバーだった人物を「革命家」と美化したり、その人物が殺人をたたえ、正当化、助長するがごとき映画を好意的に取り上げ「宣伝」したりする現実に、リベラル紙の眩暈(めまい)のするような倒錯を確認せずにはいられない。もはや報道ではない。プロパガンダである。 これを見ていた岸田首相襲撃犯・木村隆二容疑者が、同様の犯行に及んだ結果も、同様な反応下にある。民主主義が民主主義として実効ある作用をするには、公安の働きにもっと力を与えるべきだはないのか。
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やってみました(2) 投稿者: 柏雀 投稿日:2023年04月20日 (木) 14時49分 [返信] No.1110 |
やはり正確さに限界があるようですね。無料版のせいかも知れませんが。
いずれにせよ、2問とも答えは間違っています。
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やってみました 投稿者: 柏雀 投稿日:2023年04月20日 (木) 14時29分 [返信] No.1109 |
いま話題になっている人工知能(AI)を使ったチャットサービス、ChatGPTというのを試してみました。
下の写真をご覧ください。
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訃報のお知らせ(2) 投稿者: 柏雀 投稿日:2023年04月20日 (木) 14時19分 [返信] No.1108 |
佐藤清司君が亡くなられましたか。突然の訃報に驚いております。
小学校も中学校も一緒でした。寂しい限りです。
謹んでご冥福をお祈りいたします。
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訃報のお知らせ 投稿者: 野武士 投稿日:2023年04月20日 (木) 12時32分 [返信] No.1107 |
飯田三五会会員佐藤清司君がご逝去されました。謹んでお知らせするとともにご冥福をお祈りいたします。 告別式等は以下の通りです。 ・4月17日 82歳 ・元八十二銀行勤務 ・自宅 下伊那郡高森町下市田2833-6 ・告別式 20日正午 アイホール高森(山吹) ・喪主 妻・フキ子さん (お知らせが遅滞したことお詫びいたします)
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龍江の誉つづき 投稿者: 台風13号 投稿日:2023年04月20日 (木) 10時56分 [返信] No.1106 |
龍江ホームページがでてきますでしょうか? 投稿者台風13号の右の小さな表示をクリックするとページが出てくるのですね。 失礼しました。
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龍江の誉 投稿者: 台風13号 投稿日:2023年04月20日 (木) 10時49分 [返信] No.1105 |
龍江小学校の校歌は全く覚えておりません。 探してみましたら、ありました。 「龍江ホームページ」を見つけて、その中に、「龍江の誉」命名式の様子も紹介されて今いた。 宮崎で、今何の花が咲いているか、分かりません。 探してみます。 下記URLでページが表示されますでしょうか、不安ながら送信します。
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校歌と南の花を 投稿者: 木器 投稿日:2023年04月20日 (木) 05時20分 [返信] No.1104 |
台風13号さん、おひさしぶり。 そうなんです。「龍江の誉」と名付けられた桜の新種があるんですね。で、この名まえが校歌から取られたというのですが、龍江出身の貴兄や okkuu さんにお聞きしたいのは、その校歌のことです。 小学校か中学校か知りませんが、皆さんが歌って育ったその校歌の、どの一節から取られたのか、教えていただけませんか? 台風13号さんはもちろんですが、okkuu さんも久しぶりにオックウがらずに、一筆お願いします。
それと台風13号さんにお願いしたいのは、飯田の花は平岩さんのお陰でふんだんに見られていますが、どうでしょう、南の花、宮崎の花の様子はどんな塩梅か、ちょっと写真を見せていただけると嬉しいのですが……。
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「生きているだけ」 投稿者: 木器 投稿日:2023年04月19日 (水) 15時19分 [返信] No.1103 |
続けざまにすみません。今週の新聞歌壇俳壇で、野球の歌以外に、2つ気になる作品がありました。 一つはこれです。
*ただ生きてゐるだけ 蚯蚓(みみず)も見る吾も(川口市 高橋まさお)
【評】みみずの生と、それを見ている自分の生とを、比べているのがおもしろい。それほどまでに純粋に徹して、生きているということか。(小澤實選)
生きている「だけ」に、どのような思いが込められているのか、がじつはこの句のポイントだと思います。 よく「一寸の虫にも五分の魂」と言いますが、これは小さな虫を尊重するようでいて、そんな虫けらにもという、人間のおごりが感じられないでしょうか。 この句はその境地を脱していると思います。自分もミミズと同じように生きているだけ、その生きているだけという点においては、ミミズも自分も同じであるという、一種の開き直りのようなものが感じられて、潔い感じがしました。 ミミズが生きているのと自分が生きているのを同じ価値観でとらえてこそ、生きていることのすごさや貴重さが捉えられるのではないかと思いました。
もう一つは次の歌です。
*その論に反撥しつつ義務として読みし大江にさよならをいふ(稲城市 山口佳紀)
【評】大江健三郎ついに逝く。小説家の枠を越えた、大きな影響力のある思想家だった。義務として読むという読書がある。
遥か彼方の思い出になりますが、若かりしころにはこの歌に言う「義務」で読む本がありました。 あるいは、「義務」とはちょっと違ったかもしれませんが、何かさっぱり面白くなかったりわからなかったりする作品を、名作と言われたり問題作と言われたがために、さもわかったり面白そうな顔をしたりして読もうとした、そんな青臭い時代がありました。 大江もその中の一人でしたが、ノーベル賞ほかのたくさんの称賛を受けている人なので、あまり大きな声でわからないとかあんまりどうもとは言えないまま、来てしまったのです。 映画で大変権威ある賞を取った作品を見て、大勢の中で「あーあ、面白くなかったー」と大声で言えた赤塚不二夫さんを尊敬するのは、そういうふがいない自分がいたからでした。
もうあまり残りが多くない人生ですから、我慢して面白くないものを読もうとは思いませんが、ただ、来年の大河ドラマになる紫式部・源氏物語については、このところ主演女優の熱心なファンになっているので、白状すれば今までの不勉強を取り返すべく、一度は読んでおかねばかなーと思っている次第です。
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