コーメイさんに教えられて、原広司さんの死を知りました。
母校のすばらしい先輩として一度お目にかかりたいと思っていましたが、ついぞ果たせないままで残念です。
私にとって原さんの建築は、もちろん故郷の美術博物館がもっとも親しいものですが、それに増してやはり京都駅の強烈な印象が最大のものです。
京都駅は仕事で行く機会がたびたびあり、よく言われるように、自然界にある巨大な谷のような地形をそのまま建築に持ち込んだような駅の建物に、訪れるたびに見とれていました。
「巨大な谷」と言われれば、それは「伊那谷」でしょうとすぐ言いたくなります。この掲示板にもずっと出し続けている南アルプスと中央アルプスに挟まれた「日本最大の谷」が伊那谷なのですから……。
そのことが、朝日新聞の記事には編集委員の言葉で、こう書かれていました。
―― 中近東などで伝わる空中庭園幻想から導いた発想が抜群。近代主義建築が批判された時代、現代思想や歴史様式を引用する建築家が多かったが、原さんは成育の地、長野県伊那地方の雄大な風景や、アフリカや中南米での集落調査の知見も生かし、「様相」などの考え方で建築をつくった。――
そして、大学院時代に師事した建築家の隈研吾(国立競技場の設計建築家)の話の中にも、
「子供のままの心で建築をつくっている印象があって、それが巨大な建築を手がけるようになっても変わらない。子供の夢をそのまま大きくしたようで、痛快でした」
とありましたが、その子ども時代が伊那谷だったわけですから、後々の作品にこの地方の影響はが深く及んでいたと思われます。
享年88歳と言えば、去年亡くなった小澤征爾もこの歳でした。我々より4~5歳上であるだけですから、まだまだ活躍してほしかった。残念ですが逆に言えば、我々にもその時が迫っていると改めて思います。
(写真は「近代建築の楽しみ」――京都駅はやっぱり面白い――より)
https://www.ohkaksan.com/2013/03...