「お母さんおぼえていますか」と何回も書いていて、昨日、なにか不思議な運命の糸に導かれるように、新聞やテレビ、ネットに「お母さん」の文字が何度もおどりました。
それは 作家・森村誠一さんが亡くなったニュースでした。
代表作と言われる『人間の証明』に出てくる西條八十の詩を元にした「お母さん、あの帽子どこにいったのでせうね」という哀切極まりない母を慕う黒人青年の幼い日の思い出が胸を打ち、森村先生の死亡記事にもこの「お母さん……」が溢れました。
私も森村先生には何冊かの本でお世話になりました。先生は最初、厚木の団地を2棟使って仕事をされていました。蕎麦打ちが好きで、たしかその部屋でいただいたような気がします。
その後すぐ、玉川学園のしゃれた一戸建てに引っ越され、こちらのほうにもたびたび伺いました。
すでに押しも押されもせぬ大家、売れっ子作家になっておいででしたが、我々が小さな出版社で苦労しているのを知って、ご自分も駆け出し時代のことを忘れていないと話されました。
そして無名だったころのいくつかの作品を、リニューアルしてみるつもりはないかと提案してくださったのです。小説ではなく、ご自分が経験したサラーリーマン時代の心得帳のような本でした。
我々の力不足で、ベストセラーにはなりませんでしたが、それでもお付き合いのある出版社の端くれに加えてくださり、毎年末恒例の熱海宴会というのに何度も参加させていただきました。
日本を代表する大出版社が何社もいる中で、我々のような弱小出版社もけっして蔑ろにせず、あれこれと気を配ってくださいました。
一泊して次の朝、忘れられないのは、有志を募って朝食に飛び切り美味しい十割そばを食べに連れて行ってくださったことです。
この店ではもちろん打ち立ての蕎麦が出るのですが、ワサビも本格的で、蕎麦を食べる直前に新鮮な根をサメの皮でおろして添えることになっていました。
ところがこのとき、森村先生の厳しいチェックが入るのです。
「あっ、ちょっと待って。あなたタバコ吸いますね? じゃあだめです。この中でタバコを吸わない人いますか? その人にすってもらいましょう」
つまりおろしたてのかぐわしいワサビを味わうには、たばこの臭いにまみれたタバコ吸いの手でおろしてはダメなのだそうです。
いろいろ書きたいことはありますが、先生の息子さんの結婚話にちょっとからんだことがあったり、角川春樹さんが麻薬で捕まったときも、角川氏の周囲が潮の引けるように誰もいなくなる中で、森村さんだけは支援の手を差し伸べたことに打たれたり、森村さんは自分の名の「誠一」に本当にふさわしい生き方をされた人だったと感じています。
おわりにやはりあの「お母さん……」の言葉がモチーフになった『人間の条件』の映画シーンと主題歌、そして西條八十の詩を挙げておきます。
「人間の証明のテーマ」
https://youtu.be/j8ukl...「ぼくの帽子」 西條八十
母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷(うすい)から霧積(きりづみ)へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。
母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。
母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆(きゃはん)に手甲(てこう)をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。
母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。
母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦(イタリーむぎ)の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。
(Y.S とは、やはりヤソ・サイジョウの頭文字でしょうか。だとしたらこの詩は本当に作者自身の経験を詠んだものなのでしょうね)