御上にはあまり逆らわない方だが、このニュースには首を傾げた。(
https://www.msn.com/ja-jp/news...)
大阪の男性が福島で横断歩道の信号無視。職質で所持品検査をうけた際、チャックの閉じたカバンの外ポケットから十徳ナイフが見つかった。
男性は普段から「災害時や日常の生活・仕事において持っていた方が便利」と思い携帯していたと。
生命や身体に危害を加える恐れがある刃物などを正当な理由なくして携帯することは軽犯罪法に触れるとして略式起訴、裁判に発展。
今年1月、1審で「日常生活で少なくとも数か月間は使っておらず、使用が現実的に想定されるような状況になかった」として科料9900円の有罪判決。男性は控訴。
今月1日、大阪高裁は「これといった必要性もないのに、漠然とした目的で十徳ナイフを常時隠匿携帯することが許されるというのは、法律の趣旨から見ても相当とは言えない」と控訴を棄却。男性は最高裁に上告するつもりと。
ところで、平時にせよ災害時にせよ、自分でできることは人の世話にならずに自分で解決するという精神が貴ばれるのであれば、こんなおかしな判決にはならないのではないかと思う。
日本は求めればすぐに助けが得られる国。だが、世界はそんな国ばかりではない。
外出時に、ちょっと鉛筆を削りたくなった時、木片を切る必要ができた時、紙を切りたくなった時、ネジを締め直したくなった時、コルク栓を抜きたくなった時、指に棘が刺さった時などなどでも、先ず行政や他人に助けを求めよというのか、あるいは我慢せよというのか。
「少なくとも数か月間は使っておらず」というが、それは偶々必要が生じなかっただけのこと。常時、最悪の事態に備えておくことがなぜ悪いのか。
柏雀もこの四十余年来、写真のような十徳ナイフを所持しているが、よく出来ていて、機能は「楊枝」も含めれば16ある。
「生命や身体に危害を加える恐れ」と言ったって、ナイフの刃渡りはたったの6.0cm。
この十徳ナイフは、むかし、単身赴任期間には大いに役に立ったものだ。また、出張時には必ず携行した。