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今日の誕生花――12月17日 サクララン


今日の誕生花――12月16日 ジンチョウゲ



写真:「深まる冬景色・飯田」(平岩祥平・木器)

風越山に雪(12/15朝)




豊丘村~高森町山吹地籍の大橋を望む。


中央アルプス、空木岳方面を望む。(豊丘村・高台で撮影)


今季、一番の冷え込み:マイナス5度(12/06)・・・ネギ等は美味しくなる様です。


恵那山の雪景色(12/06)


天竜川付近の夕暮れ



◆12~1月の壁紙カレンダー◆

(このカレンダーをPCのデスクトップ壁紙として使うには画面を右クリック、
「名前を付けて画像を保存」を選んでPCの任意の場所に保存し、
保存されたファイルをまた右クリックして「デスクトップの背景として設定」をクリックする)

♪「八十路のデュエット」――ル・クプル・コーノ
♪クシコスポスト、♪トルコマーチ、♪荒城の月
♪「八十路のデュエット」2――ル・クプル・コーノ
♪ムーン・リバー、♪埴生の宿、♪旅愁
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◆「日本最大の谷」=2大アルプスに挟まれた「伊那谷」◆

(写真上「中央アルプス」:柏雀。写真下「南アルプス」中「伊那谷・天竜峡」:平岩祥平)

熊伏山上空5000mから見た伊那谷のカシミール画像(柏雀)





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 サルスベリ 2  投稿者:木器  投稿日:2023年08月25日 (金) 07時50分 [返信] No.1356

 木器にもサルスベリの思い出があります。
 といっても柏雀さんと違って遠い昔の少年時代のこと、川路村1区の集会場は、わが家の目と鼻の先にあり、ちょっとした広場の隅にサルスベリの木がありました。
 平岩さんや柏雀さんが紹介してくれたほどの大きな木ではありませんでしたが、それでも子どもの背丈の3倍はあったでしょうか。

「サルスベリ」という名まえが面白くて、すべすべの木の肌をさすっては、「ほんとにサルがすべるんずらか」と話していました。そして「サルはすべるかもしらんけど、オラーすべらんに」と言って、何度もこの木によじ登ったことを覚えています。

 このちっちゃな広場(って言い方はおかしいか)で3角ベースをやるときは、サルスベリの根元がピッチャープレートになり、バッターがちょっと打つとボールはもうサルスベリを簡単に越えて、隣の農家の大きな田んぼにボッチャンコ。
 田植え直後の田んぼなど、もちろんばちゃばちゃ入ってボールを取るわけにはいきません。農家の怖いおじさんが目を光らせていて、「こらーっ! またフクシマの悪ガキがー、許さんぞー」と追いかけてきます。

 結局、その幾つもない大事な野球ボールは、稲刈りの季節まで田んぼに眠ったまま、それでも稲刈りが済むと、この怖いおじさんが、ボールを返してやるから来いと言います。
 悪ガキ3人が出頭すると、「そこに並べ」と言いますので、「右へならへ」をして整列をしたら、おじさんが「番号!」と言います。そこで私を先頭に「イチッ! ニッ! サンッ!」と唱えると、おじさんがおもむろに茶色に変色した白球を返してくれたのでした。

 夏の日のサルスベリからの連想。何年も眠っていた思い出がにわかに目を覚ましたようです。

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 サルスベリ  投稿者:柏雀  投稿日:2023年08月24日 (木) 10時37分 [返信] No.1355

 サルスベリを見ると猛暑を思い出します。

 写真上は、茨城県古河市の渡良瀬遊水地で2013年8月14日に撮ったもの。時刻は13時48分。とんでもなく暑かった。もっとたくさん咲いている場所があったのだが、この写真しか残っていない。
 なんでこんな真夏にここを訪れたのか忘れたが、どうせ、家にいてもつまんないから、どっか連れてってと言われて、車を走らせたものと思う。

 写真下は、今年8月14日に茨城県守谷市で撮ったもの。息子の家族と一緒に行ったメシ屋の近くにサルスベリの並木があった。この日もほんとに暑かった。

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 うれしいです  投稿者:木器  投稿日:2023年08月24日 (木) 04時56分 [返信] No.1354

 台風13号さん、お久しぶりでうれしいです。
 やはり九州は台風の季節になると、ニュースに出っぱなしですから、まえにも書いてくれていたいろいろな備えや被害の状況など、気の休まる暇がないでしょう。

 そんな遠い宮崎からこうしてお便りをくれる、しかもふとした新聞のギャグに、ふっと吹き出してくれたこと、そのひと時の貴兄の笑顔を想像して、こころが和みます。

 故郷の飯田を中心に、北は北海道、南は宮崎と列島を縦断してお便りが届くこと。それがこの掲示板のうれしくありがたいところと改めて思います。
 トップ写真に平岩さんが追加してくれた飯田のサルスベリも、またまた何ともみごとな花ですね。

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 吹き出しました  投稿者:台風13号  投稿日:2023年08月23日 (水) 13時13分 [返信] No.1353

木器さんの、ギャグのお話で、吹き出してしまいました。

宮崎は、ちょっと天気がぐずついて、多少暑さが和らいでいます。

暑さに負けずに、皆様お元気でお過ごしください。

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 阿智村のPR記事  投稿者:ひらいわ  投稿日:2023年08月23日 (水) 10時12分 [返信] No.1352




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 残暑と暑中  投稿者:木器  投稿日:2023年08月23日 (水) 08時33分 [返信] No.1351

 読売新聞「編集手帳」といえば、かつて名文家として有名だった竹内政明氏がその担当を引退して以来、どうもパッとしない内容が続いていたので、最近あまり熱心に読まなくなっていました。

 その中でたまたまきょう目にした同コラムが、ちょっと気に入りましたので、お読みになった人も多いとは思いますが紹介します。

 毎日の酷暑にうんざりする中での、ちょっとしたギャグに過ぎませんが、筆者の少年時代の漫画で、「残暑ってなんざんしょ?」、「暑中お見舞いは、しょっちゅうお見舞い」とあったのを覚えていた、というだけの記事です。おしまい。

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 松村紘一さんの功績  投稿者:ひらいわ  投稿日:2023年08月23日 (水) 05時49分 [返信] No.1350

 高校同期生・松村(旧姓・見田)紘一さんが作って育て上げた会社です。


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 ホー!と感心する夏の昼飯  投稿者:木器  投稿日:2023年08月21日 (月) 16時05分 [返信] No.1349

 何十年ぶりかの大復活で「キュウリの粕もみ」を作った後、こちらは、今年初めて作って以来、「ホー! こりゃいい! 気に入った」とすっかりはまっている夏の昼飯の当たり役です。
 その主材がベトナム料理の米麵「フォー」なので、「ホー!」っと感心したのも故なしとしません。しかも簡単で、木器のような不器用人にもまず失敗はないので、男料理でも十分OKです。

 フォーを20分ほど水に浸してから、1分半ほど茹でて氷で冷やし、そこに好みの生野菜とサラダチキンやちくわをトッピングし、スイートチリソースにナンプラー、レモン果汁、料理酒などを混ぜたたれを絡め、塩コショウやハーブソルトなどで味を調整して食べるだけです。

 これが食欲減退する酷暑の昼にも、俄然、のど越しよくスルスルと食べられ、ビールのトマトジュース割りなんぞをお供にすると、たいへんご機嫌な昼飯になるのを、この夏発見しました。

 お見せするようなものではありませんが、たとえば今日の昼は、写真のように、もやしはフォーと一緒に火を通したほかは、生のままの千切ったレタスと、角切りのトマトと薄切りキュウリ、それに自家製のサラダチキンをほぐして、余りもののちくわも入れてしまいました。

 簡単で健康食でもあり、きっと「フォー!」と感心していただけると思います。

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 本当に暑い!!  投稿者:柏雀  投稿日:2023年08月21日 (月) 14時13分 [返信] No.1348

 自分の寝室やら作業部屋やら、久しぶりに念入りに掃除したら汗をびっしょりかきました。だから、掃除の回数が減るんですよね。この暑さ、いつまで続くんでしょうか。

 ところで、「キュウリの粕もみ」、うちでもようやく食卓に上りましたが、いまどきスーパーで買ってきた酒かすではちょっと味が違うような、、、工夫が必要です。

 田舎の義妹と話していたら、塩イカを細かに刻んだのを混ぜ合わせるともっと美味しいが、「塩イカ1杯が1000円もするんだに!」ということで、カニカマで代用しているのだとか。

 話かわって、内視鏡検査。自慢ではないですが、回数では誰にも負けないくらいやっているんじゃないかと思います。

 とくに、大腸の内視鏡検査ですが、はじめてやったのは32年前の1991年6月。あの頃は鎮静剤を使うのは一般的ではなかったですね。だから、ウデのいい医者に当たれば検査もスムーズ、不器用な医者に当たると悲劇でした。

 医者は「痛かったら言ってくださいね」とかなんとかいうのだけれど、これはリップサービス。ほんとうに痛くて「先生痛いです」と告げたら、「ここは我慢して頂きたいところなんですがね~」と。バカにするんじゃねえ藪医者め!と思ったことが何度かあります。

 それが今では、うつらうつらしている間に終わっている。検査も進歩したものです。

 ところで、今月末にまた大腸内視鏡検査が控えています。25回目ぐらいになるんじゃないかと思います。
 

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 何十年ぶりか  投稿者:木器  投稿日:2023年08月20日 (日) 17時13分 [返信] No.1347

 やってみました。一応、ネットでレシピも参照しましたが、基本的にはうろ覚えの昔ながらのやり方。キュウリの薄切りを塩もみして水気を切り、そこに酒粕を酒で溶いて砂糖と塩を適当に入れたものを入れて混ぜ合わせただけです。

 ただ、じつはこのキュウリが、ただものではないのです。
 先日、飯田に帰ったとき平岩さんが、朝獲れのキュウリを届けてくれ、それならとわざわざミソまで買い込んで塗りながら、大人4人小学生1人であっという間に数本全部を食べてしまいました。
 この小学1年生が、なんとキュウリはミソに限るねと言い出したほどです。
 これを聞いた平岩さんは、翌々日、我々が帰るまえの日にもまた届けてくれ、それが東京に帰っても大事に取ってあったのです。

 酒粕も、人様からいただいた何か由緒ありげなもので、熟成が進んでいたのかやや褐色でしたので、キュウリもみもやや褐色で、甘みが強くなりました。あまり甘みが強すぎるとおつまみやおかず向きでなくなるので、塩と酢で酒のお供に調整しました。

 これって考えてみると、口にするのは何十年ぶりかになります。女房も初めて飯田に行ったころに食す機会があり、おいしいとは思ったらしいのですが、自分で作ることはしませんでした。
 したがって我が家の食卓に上るのは、もしかしたら史上初めて。これは記念すべき一品となりました。柏雀さんのお蔭で……。
 味ですか? 言うことなし。我ながら美味くできました。

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 僕もやってみよっと  投稿者:木器  投稿日:2023年08月20日 (日) 04時31分 [返信] No.1346

 柏雀さんの「キュウリの粕もみ」、ほんと懐かしい。しばらく食べてなかったので、さっそく今日にでもやってみようと思います。

 塩イカもたしかに飯田下伊那アイデンティティとしてよく挙げられますが、私は塩イカより煮イカなんですね。
 塩イカもほかの地方にはありませんが、煮イカもほんとないですよね。なので、田舎に帰ると必ずスーパーで買って食べます。単に生イカをボイルしても、なかなかこの味にならないのです。
 この秘密をご存じの人がいたら教えてください。

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 奇妙な体験  投稿者:木器  投稿日:2023年08月20日 (日) 04時23分 [返信] No.1345

 じつは去年も同じ方法でやったので、初めてではないはずなのに、胃カメラで奇妙な体験をしました。

 健康診断の時期でもあり、先日来、脂っこいものが食べられなくなったような気がしたのと、胃にしこり様の違和感があるような気がして、胃カメラの検診を受けました。

 結果はちょっとただれのようなものがあるけれど、まず気にするほどのことはないとのことでホットしました。
 ただ、この検診が、たしかに結果として写真もあるのですが、本当に受けたのか受けなかったのか、まことに奇妙な体験だったのです。

 驚くのは寝てマウスピースをくわえ、鎮静剤だという注射を打ち、さてこれからと目を閉じて待っていたのですが、その後、さっぱり何も始まりません。

 看護師に教えられたとおり、ベッドの側壁に背中をぴったりくっつける窮屈な姿勢のまま、いつまで待たせるのか、そろそろこの姿勢も辛くなったので、もうどうなってるんだい?と、体を移動し、起きてもぞもぞしていたら、あれー? さっきの場所と違うなーと気づきました。じつは、もうすべて終わって、別室に運ばれていたのでした。

 その後、看護師が来て「はいはい、目が覚めましたか? 大丈夫ですか? 歩けます?」
「えー? もう終わったんですか、うそみたい」と言って待合室に戻り、あと医師の説明を受けて帰ったのですが、ほんとキツネにつままれたような気がしました。

 麻酔薬と鎮静剤の併用かな? とにかくまったく知らないうちに、なんの痛みも違和感もなく終わってしまう。これも医術の進歩なんでしょうね。
 この意識喪失状態の経験は、まさにこうして死ねたらどんなにか楽だろうかと感じました。

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 キュウリの粕もみ  投稿者:柏雀  投稿日:2023年08月18日 (金) 15時06分 [返信] No.1344

 昨日、家内から「キュウリの粕もみ」を知っているかと聞かれた。

 あったりまえよ!と答えたが、味の記憶はあるものの、考えてみたらここ何十年と食べたことはない。

 うちの家内がある講座でたまたま隣に座った女性と話していたところ、その女性は風越の出で、しかも旦那さんは飯田高校34年卒(阿智出身)ということが判明。

 あら~うちのも飯田高校の卒業よ、とかなんとか話が盛り上がった時に、「キュウリの粕もみ」って知ってる?と聞かれたらしい。

 ネットでレシピ(というほど難しいものではないが)を調べて渡しておいたから、そのうち食卓に出てくるんじゃないかと期待している。

 そう言えば、塩イカの味も懐かしい。これなんかも飯田下伊那出身者がアイデンティティを確かめ合うアイテムなんですよね。

 写真は利根川の土手の上から撮ったものです。

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 貴重な歌の歴史  投稿者:木器  投稿日:2023年08月16日 (水) 15時26分 [返信] No.1343

 鈴鹿市の合唱団「アンサンブルGG」の指導者・指揮者・桂宏さんに、先日の傘寿記念コンサートのお礼をかねて、当掲示板への木器の投稿をお送りしたところ、大変喜んでくださり、GGさんの通信にこの投稿記事を紹介してくださいました。

 それと併せて、あの名曲「お母さんおぼえていますか」に関して、大変貴重な資料を送っていただきました。独り占めするには明らかにもったいないものですので、ここに転写し、ご紹介申し上げます。
 送っていただいたのは、昭和37年発行のホームソング集『虹の歌集』に収められたこの曲の楽譜です。20年代の終わりころから、関西の朝日放送で放送したホームソングの中に、この歌が登場したそうです。

 当時の歌の人気投票で、仲宗根美樹の「川は流れる」、フランク永井の「こいさんのラブコール」、三浦洸一の「踊子」についで4位に入っているのには驚きました。
 やはり当時からいい歌だと評価されていたのだと再認識させられます。


















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 竹内英通君を偲んで  投稿者:伊澤宏爾   投稿日:2023年08月15日 (火) 21時51分 [返信] No.1342

 竹内英通君ご逝去の報に接し時間が経過してしまいましたが、生前を偲んで一言御礼を申し上げます。

 今や30年近く、小生のライフワークになってしまった「カンボジア支援活動」ですが、先月末から今月初めにかけて、第8回飯田市高校生講座「カンボジアスタデーツアー」を4年ぶりに実施し、カンボジアを訪問してきました。

 平成20年に小生が主催しているNPOふるさと南信州緑の基金では、カンボジアに「飯田小学校」を建設し今日に至っています。当時その学校建設に当たり竹内英通君には大変お世話になりました。
 それは学校建設費捻出に当たり、息子さん英仁さんのピアノリサイタルで応援いただきました。飯田で2回、東京で1回、更に奥村隆俊君の娘さん、友美さんの飯田でのピアノリサイタルにまで繋げていただきました。
 お陰さまで短期間で校舎建設が進み、カンボジアの識字率向上に寄与することができています。
 加えて35会の皆様には長きにわたり、カンボジア訪問や、募金活動に、陰に陽にご協力ご支援をいただきました。
 地元では池田延史君、岩嶋敏彦君らが中心に協力いただき今日に至っており、感謝でいっぱいです。
 現在の「飯田小学校」は、国の私立認可校として教師2名の派遣を得て、低学年児童50名が元気に学んでいます。

 飯田市と我がNPO緑の基金共催の「高校生カンボジアスタディツアー」は、公募で高校生15名をセレクションし、しっかりと事前学習を重ね、カンボジアを訪問しました。
 様々な分野で活躍する日本人を目の当たりにしたり、厳しいカンボジア情勢を肌で感じたり、特に飯田小学校の子供たちとの交流に力を得たり、欲張りな体験をしてきました。
 そんな時、飯田小学校での高校生たちのすばらしい交流の様を見た時、竹内英通君が瞼に浮かび感涙してしまいました。あの時、親身になってカンボジアでの学校建設を支持していただきご支援くださった姿が思い出されたのです。
 英通君の思いが、今カンボジアで花開いていることを多くの皆様にお伝えしたくペンを取りました。
 英通君の勇気ある思いや行動に感謝し、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
 
 いずれにしても当事業は、東京35会、飯田の35会の皆様には、当初より大変お世話になり今日に至っております。本当に感謝の他ありません。
 飯田市としては、この事業を市事業として継続の方向で考えております。我々も可能な限り協力していきたいと思っております。でも、高齢化の波には逆らえないことも承知したうえで・・・・。

 写真は飯田小学校での交流と、ピアノリサイタル開催ポスターです。

 以上竹内英通君を偲んで一言申し上げました。
 

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 異感 !  投稿者:コーメイ  投稿日:2023年08月14日 (月) 14時30分 [返信] No.1341

小学校6年の頃、天竜川をヌキデで対岸を目指した。上流に向かったが、着いたのは、かなり下流。

同級生5,6人で弁天近くの川で、田んぼから出てきた鯉やドジョウ等、網で捕りにいった。

近くの畑から、すいかを失敬して、上着に包み、弁天橋の下まで運んで、冷やして食べた。スリルの味がした。

ごんげんやまは、ここからだと、こくぞうと高さが、随分違って見えた。街中とは異なる景色だった。

イタズラがおおめに見られ、自慢話から、反省の念が芽生えたのは、何時のことだったか?




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 同感!  投稿者:木器  投稿日:2023年08月11日 (金) 23時03分 [返信] No.1340

 ほんとほんと、まったく同感です!
 こうのさんの詩によせた柏雀さんの感想。
 みんな共通の体験と思い出を持ってるんですね、この時代の悪ガキどもは。
 この方言詩は、当掲示板の宝物だなー!

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 なつかしいなあ  投稿者:柏雀  投稿日:2023年08月11日 (金) 14時14分 [返信] No.1339

 こうのさんの詩、いいですね~。

  「キュウリに塩ぬってもらって
   みずあびに天竜へいったらな
   ごんげん山の
   入道雲もでかかったなぁ」

 とくにこの部分、忘れかけていたあのころの夏が一挙に思い出され、懐かしさで胸がいっぱいになります。

 塩をぬったキュウリと天竜のみずあびを組み合わせたあたり、ほんとにすごいです。




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   投稿者:こうの  投稿日:2023年08月11日 (金) 05時13分 [返信] No.1338

柏雀さん
飯田線かくえきていしゃ
どんこう市田紀行
ずでぇー うらやましいにイー
そのたんびドアーが
ガガーッって開いたじゃん、両つめを持って窓を上げて、、ナッ
もく モクツの白い入道雲が
こんぺきの夏空に昇ってく
キュウリに塩ぬってもらって
みずあびに天竜へいったらな
ごんげん山の
入道雲もでかかったなぁ
市田側のこぞう達と見ると石を投げあって、、この車窓写真とどまってくれんよぅ
目的は柏雀さん
市田納涼もう一つ
9日信毎不動滝とプラスいち

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 消えたあずさ2号  投稿者:木器  投稿日:2023年08月10日 (木) 11時09分 [返信] No.1337

 そうですか、柏雀さんよかったですね。優雅な列車の旅、そして8時ちょうどの「あずさ」で新宿を出て、きっと口ずさんでいたでしょうね、狩人のヒット曲を。
 ただ、「8時ちょうどのあずさ2号で」とはいかなくて、5号だったようですが。

 まずはこの名曲「あずさ2号」を聴きなおしたくなりました。ご一緒にどうぞ。 
 https://youtu.be/hX2Ss...

 じつはかなり前から、この掲示板でも書きましたが、新宿発のあずさ2号はなくなっていて、松本発6時何分かのあずさ2号が残っていました。
 小生はもの好きにも、このあずさ2号に乗りはしませんでしたが、写真を撮るために、旅の予定を変えてまで松本に向かったことがあります。
 なんでも当時、すでに中央線特急は上りが偶数号、下りが奇数号に決まり、この時点で新宿発のあずさ2号は消えていたことになります。

 この松本発のあずさ2号は新宿行きでなく、東京行きでしたから、「春まだ浅い信濃路へ……」とはいかない代わりに「春まだ浅い信濃町……」は通ることになります。
 まだこのあずさ2号が残っているかどうか、時刻表を見たのですが、4号からしかなくて、どこを見ても2号が出てきません。じつは2020年のダイヤ改正で、あずさ2号はなくなったのだそうです。

 でも、1977年に歌がヒットして、25年後の2002年には新宿駅で歌のとおりの「あずさ2号」の復活運転が行われ、狩人が歌って出発合図までしたこの名曲は、これからもずっと歌い継がれ、生き続けることでしょう。

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